JABITTの WONDERLAND YG-AKIRAの映画評論 旧掲示板「アパートの鍵貸します」 |
ろ 2001年 アメリカ おすすめ度(10点満点) ★★★★★★★★ Director ウェス・アンダーソン Cast ジーン・ハックマン アンジェリカ・ヒューストン ベン・スティラー グウィネス・パルトロー ルーク・ウィルソン オーウェン・ウィルソン ダニー・グローヴァー ビル・マーレイ 短評 神童だった4人の子供を持つ家族のドラマ。しかし、天才という栄光に隣り合う苦悩や挫折を大人となって味わっている。それぞれの事業に成功し有名な彼らではあるが、一方で普通の家庭にありがちな庶民的な問題を面白く描く。天才の子供たちに対し、いいかげんで情けない父親を、どうしようもないけど面白く憎めない風にG.ハックマンが演じてくれた。この家族にあって、もしや唯一まともな人間だといえるお母ちゃんをA.ヒューストンが演じる。自分勝手で進む道もばらばらで、ファッションもそれぞれ可笑しい位にこだわってながら、みんな正装服はネクタイ、スーツなど同じスタイルで結婚式に集まってくるなど、ちょっとしたところに家族の絆を感じるし、わだかまっていた心の融解の兆しが観られるラストに心を暖められる。インテリであるが、ガキっぽいオヤジにB.スティラーはイケる! 1963年 イギリス おすすめ度(10点満点) ★★★★★★★★★ Director テレンス・ヤング Cast ショーン・コネリー ダニエラ・ビアンキ ロバート・ショウ ペドロ・アルメンダリス ロッテ・レーニャ バーナード・リー ロイス・マクスウェル マルティーヌ・ベズウィック デスモンド・リュウェリン 短評 シリーズ第2弾。二作目にして貫禄の出てきたS.コネリーはD.ビアンキを相手にセクシーさを前面に演技。ボンドガールの座を射止めたビアンキは綺麗だ。ヒッチコック映画のヒロインにも使えそうである。『スティング』『JAWS/ジョーズ』のR.ショウ演じる殺し屋は凄みがあり、オリエント急行の狭い客室における格闘シーンは迫力があった。Qが開発した武器(スーツケース)を何時使うんだろうとショウとコネリーの会話シーンは一種ワクワクのドキドキである。ただ、今回は敵アジトが出てこないし、最初の目的であった暗号解読機の存在が薄くなったのがちょっと残念。 2000年 アメリカ おすすめ度(10点満点) ★★★ Director ヤヌス・カミングスキー Cast ウィノナ・ライダー ベン・チャップリン ジョン・ハート フィリップ・ベイカー・ホール サラ・ウィンター イライアス・コティーズ ジョン・ディール 短評 悪魔が乗り移るとうストーリーは『エンド・オブ・デイズ』と同じで、乗り移る対象が『エンド〜』では女だったが、この映画では男(チャップリン扮する)に悪魔が乗り移るというもの。33歳の誕生日に。ライダー扮する主人公は、チャップリン扮する男の所在をつきとめ、悪魔から守る・・・・わけではない。悪魔が乗り移ろうとする母体、つまりチャップリンを殺しよった。悪魔払いの儀式は身綺麗な人間でないとつとまらないと聞いた。でないと、悪魔につけこまれるというわけ。なのに、ライダーは過去に軽犯罪を起こした経験ありというではないか。いまいち、一貫した説得力のない主人公であった。 1997年 アメリカ おすすめ度(10点満点) ★★★★★ Director スティーヴン・スピルバーグ Cast ジェフ・ゴールドブラム リチャード・アッテンボロー ジュリアン・ムーア ピート・ポスルスウェイト ヴィンス・ヴォーン アーリス・ハワード リチャード・シフ ヴァネッサ・リー・チェスター ピーター・ストーメア ジョセフ・マッゼロ アリアナ・リチャーズ ハーヴェイ・ジェイソン 短評 恐竜学者のサラ(J.ムーア)の乗ってしまったガラスひびがピキピキとゆっくり入り今にも割れて恐竜の元へ落ちるんじゃないかという視覚的な緊迫感、迫力などは上手い。監督は前作『ジュラシック・パーク』と同じS.スピルバーグである。恐竜との追いかけっこはたたみかける刺激の連続。ジュラシックパークに恐竜を供給するための遺伝子工場であり、インジェン社の撤退と共に放置されたサイトBで恐竜はエキサイト。このサイトBが舞台となる。進歩し続けるCG技術で見せるコンビーなど恐竜はよく出来ている。ただ、ストーリーは?シナリオは?というとちょっとお寒い。前回痛い目にあったインジェン社の会長がハモンド(R.アッテンボロー)から甥のルドロウ(A.ハワード)となって再び恐竜事業に野心を持ち騒動を巻き起こす。『ジュラシック・パーク』で不測の事態に恐竜が管理できないことが分かったはず。サイトBへは調査しに行くだけのはずだった。だが、恐竜を見世物にしたいルドロウは離れ小島に囲うでなくサンパウロに連れ帰ろうと更に計画は無謀に。島で暴れる恐竜に飽きるかもしれないから、人間の居住する都会で怪獣のように暴れてもらおうというもの。また、前作でカオス理論で不測の危機を語っていたマルコム博士(J.ゴールドブラム)を再び現地にやるために彼の恋人のサラに先に行ってもらおうというわけ。女の後に男はついてくる。恐竜オタクのサラは危険であることは分かっていても自分の興味は抑えきれず、恐竜を連れ帰るためのハンター、テンボ(P.ポスルスウェイト)と同様、パニック提起側のキャラにまわる。そんな内容は深く考えず、恐竜の餌となっていく人間をドキドキしながら観ればいい映画。 2001 アメリカ おすすめ度(10点満点) ★★★★★★★ Director スティーヴン・ヘレク Cast マーク・ウォールバーグ ジェニファー・アニストン ドミニク・ウェスト ティモシー・スポール 短評 “スティル・ドラゴン”という架空のカリスマ的ロックバンドのボーカルに急に大抜擢される青年の話。ウォールバーグ演じる青年はスティル・ドラゴンの大ファンで、コピーバンドをやっていた。彼らはコピーバンドでなく、トリビュートバンドなんだと違いに拘っているのだが・・。トリビュートバンドって敬意を持って演奏しているってこと?そんな憧れバンドメンバーになれるって最高の幸せであるかもしれない。また、この場合ボーカルとしての才能を認められてのことである。トリビュートバンド時にはコピー機の修理を仕事としていたウォールバーグはコピー道を極めていた。猿顔の彼ではあるが、スティル・ドラゴンを完璧にこなし、もはや猿真似の域をはるかに超えていた。それにしてもウォールバーグはオタク野郎の役が良く似合う。『ブギー・ナイツ』での彼の部屋の様に、ポスターに囲まれてその気になりきれば彼にかなうものはいない。映画はドリームボーイぶりを描くだけでなくロック・スターの輝かしくも自分を見失いがちな虚しい世界を示す。ティモシー・スポールはマネージャー役であったが、芸能界の世界に生きる人間の陰陽を鼻にかかった声で演じて見せた。ウォールバーグは華やかな世界以外に自分の本当の道を見つける。彼がたとえ鏡の前でメイク等することがあっても、見ることが出来なかった自分の姿を初めて確認できたのではないだろうか。吸血鬼ではないが、魂を持たぬものは鏡に映らないという。自分というものを確立することが大事だと教えてくれた。それはウォールバーグにとっては憧れを追っかけるのではなく、自らの音楽であり、自分を理解してくれるアニストン扮する彼女。難しいことは抜きにして、まとめると、ハードロックがたっぷり聴けることもあり、体で感じる映画。 1998年 イギリス おすすめ度(10点満点) ★★★★★★★★★★ Director ガイ・リッチー Cast ジェイソン・フレミング デクスター・フレッチャー ニック・モーラン ジェイソン・ステイサム スティーブン・マッキントッシュ 短評 “ロック・ストック&バレル”とは“全て”を意味するイギリスの表現らしい。“トゥー・スモーキング・バレルズ”は発砲した銃口から立ち上る煙をイメージさせるらしい。題名だけでも洒落ているじゃないか。テレビでヤクルト・古田の嫁さん・中井美穂もお気に入りの映画だと言っていた。話は、カード勝負で出来た借金を巡り、マリファナ工場を営む者、麻薬や金を狙うギャング、麻薬王などを巻き込みながらどんでん返しの連続。最後に良い思いをするのは誰なんだっていう映画。バイオレントでありながらウィットに富んだドタバタ騒動だ。これは、おすすめ。すばらしい映画を撮ったリッチー、マドンナと結婚した。今後、彼女を映画に出演させることもあると思うが、センスを変えずに監督できるかな。 1990年 アメリカ おすすめ度(10点満点) ★★★★★ Director ジョン・フランケンハイマー Cast ロバート・デ・ニーロ ジャン・レノ ナターシャ・マケルホーン ステラン・スカースガード ショーン・ビーン スキップ・サダス ミシェル・ロンダール ジャン・トリスカ ジョナサン・プライス フェオドール・アトキン ベルナルド・ブロック カタリーナ・ヴィット 短評 中身が何か分からないブリーフケースを盗むよう正体不明の女性ディエドラ(N.マケルホーン)に依頼された男達。その男達はアメリカ人サム(R.D.ニーロ)、フランス人ヴァンサンJ.レノ)、グレゴー(S.スカースガード)、運転手ラリー(S.サダス)、武器の専門家スペンス(S.ビーン)等であり、最後までキャラクターは深く描かれることも無い。スペンスは経験不足のど素人としてチームを追われるし、グレゴーは裏切って自分ひとりケースを奪い去る。サムとディエドラの後のドライブテクニックを見ると、これまた謎の男シーマス(J.ブライス)に殺されたラリーは必要ない。逆にサムほどのテクニックを持っていたか怪しいラリーはあっさり殺される役として用意されたということ。手負いのサムをヴァンサンが匿おうと連れて行ったところの老人(M.ロンダール)が語る浪人の話はさしてこの映画にとって意味の無い、どうでもいい言葉。こんなことを言う老人もまた謎である。ロシアマフィアの囲いとして銀板で踊るナターシャ(K.ヴィット)のもとに集合する謎の人物達。ここでようやくサムが表の世界に顔を出さず暗躍するシーマスを追跡諜報していたと明かされる。だが、秘密を打ち明けられたディエドラも特にどうということなく消え去ってしまうため、サムの持つ真実もどうでもいい感じ。『D.N.A.』『レインディア・ゲーム』のJ.フランケンハイマー監督。人物描写が苦手な監督である。 1990年 アメリカ おすすめ度(10点満点) ★★★★★ Director アーヴィン・カーシュナー Cast ピーター・ウェラー ナンシー・アレン ダニエル・オハーリー ベリンダ・バウアー トミー・ヌーナン ガブリエル・デーモン フェルトン・ペリー ロバート・ドキ 短評 ポール・ヴァーホーベンが作り上げた『ロボコップ』の続編映画。N.アレンとP.ウェラーは前作につづいて出演。二人は街を犯す麻薬を扱うボス・ケイン(T.ヌーナン)の検挙に熱を入れる。一方オムニ社では、ロボコップ2号を開発しようとするが、ロボコップ2号を人間的感情のあるロボコップ(ウェラー)よりプログラムに忠実なものにしようとするんだったら、ファックス博士(B.バウアー)はなんで人間の脳を必要とする!人間性を求めないなら完全なロボットで良いはず。たとえ、オムニ社会長のいこうであったとしても。また、麻薬を持ち込んだケインはロボコップに倒された後、ファックス博士によりロボコップ2号にされるが、その製作段階における脳と眼球だけになったヌーナンのグロいこと。しかし、出来上がったロボコップ2号は良くできていた。顔がない代わりに表情、感情をモニターに写しだされるアニメーションで表現するあたりはなかなか面白いし、ロボコップになっても麻薬依存が続いていることは、麻薬が脳に作用するものだと改めて感じさせ、機械の中にある生身の脳を強くイメージさせる。この映画ではロボコップをバラバラにする、メカに強い子供ホブ(G.デーモン)が登場する。またこの子供がこましゃくれている。彼のように、ロボットやコンピューターの世界ではこれだけに長けた社会性未熟な人間が力を持つようになるかもしんない。機械(コンピューター)に弱い私などは負け組になるのは間違いない。映画終部、記者会見で暴れだしたロボコップ2号、そりゃ無理ないちゅうねん。ギャングのボスを無敵のロボットにしたって、頭は犯罪者なんだからロボコップならぬロボマフィアになるのは当たりまえ。一方、ロボコップどうしのバトルシーンは良くできていた。 1993年 アメリカ おすすめ度(10点満点) ★★★★ Director ウォーレン・レート Cast マシュー・ブロデリック アナベラ・シオラ ケヴィン・アンダーソン ジーン・トリプルホーン ジャスティン・ベイトマン マイケル・マンテル クリスティーン・バランスキー ルイーズ・ラサー ティム・ギニー ダナ・ウィラー・ニコルソン 短評 M.Jフォックスと共に青春スターから脱却出来ないM.ブロデリックが髭を生やして臨む映画。ルームメイトにうんざりするサム(ブロデリック)は、ブライアン(K.アンダーソン)がジャネット(J.ベイトマン)との結婚後の隠れ家にしようと企むアパートを間借りする。彼が借りるのは週2日。時間ごとに間借りするという設定は『アパートの鍵貸します』と同様変わったルームメイト(『アパートの鍵貸します』はルームメイトとは言えないが・・)と言える。契約上時間がずれているため会うことのないルームメイト同士のロマンスである。ブライアンが契約上の事務を夫人(L.ラッサー)に任して顔を合わさないというのも大事な設定。サムのロマンス相手は夫アーロン(M.マンテル)との生活に疲れて、自分の時間を得るため同じ部屋を間借りした歯科衛生士のエレン(A.シオラ)。若い時から落ち着いた大人の雰囲気を持っていたシオラはこの映画でもブロデリックの相手として見た目に年齢差を感じる。夫役のマンテルとは違和感無く吊り合っていたが・・。水曜日、部屋に連れ込んだ女性がベジタリアンで自分の料理の腕も披露できず、残った料理を木曜に部屋を借りるエレンに贈る。コレがきっかけで、絵等の話をメモで交換し合うようになる。このあたりは、まだ見ぬ相手への憧れを描く、言うなれば『ユー・ガット・メール』や『めぐり逢えたら』のようなもの。ただエレンは旦那持ちであるにも関わらず、いや旦那持ちであるためなのか、肉体関係に行き着くのも早い。初めて会ったその日である。それも月曜の間借りを水曜とチェンジしたことを知らないエレンは水曜がブライアンだと勘違いしたままことに及ぶ。このあたりが衝動的で軽いわりには、いまいち爽やかさの無い金妻的な大人のロマンスになっていた。夫婦となっても自分(プライベート)の空間を持ちたいとする現代人ならではの感覚から生まれた映画。 |