JABITTの WONDERLAND YG-AKIRAの映画評論 |
チャイコフスキーの部屋 PeterTchaikovsky(1840-1893) チャイコフスキーはロシアのヴォトキンスクで鉱山技師の家に生まれた。才能は並外れていたため、4歳で母に作曲したらしい。感受性が強く、音楽会の後、「この曲が頭にこびりついて、寝かせてくれない」と夜中に飛び起きることもあった。チャイコフスキーは最初、法律を学ぶ。1859年に法律学校を卒業し、法務省で事務官として働いた。しかし、彼はその仕事を嫌い、音楽の道に進むことを考える。そしてアントン・ルビンシテインのもと音楽院で学び始める。彼の音楽の才は回り道をしても問題とはしなかった。以後、色々なことで多き悩みを抱える彼ではあるが、本職を得たことは幸せであったといえる。1976年に生涯において最も重要な人物ともいえるナジェージダ・フォン・メック夫人と出会う。彼女はモスクワではもの凄い資産家で年額6000ルーブルという援助をチャイコフスキーにしている。彼の音楽院初任給は50ルーブル。ということは、めちゃ凄い援助でないか!才能に恵まれ、女性ファンを得るとは男冥利に尽きる。ただ、彼女とは文通による交際のみで一度も顔を合わせなかった。これが、この関係を長続きさせたんだろうと思われる。 ★交響曲第4番 ●第1楽章 へ短調 序奏部 アンダンテ・ソステヌート●第2楽章 変ロ短調 アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーネ●第3楽章 へ長調 スケルツォ、アレグロ●第4楽章 ヘ長調 アレグロ・コン・フォート チャイコフスキーは1877年にアントニーナ・イワーノヴナ・ミリューコヴァの強引な求婚の結果、不本意な結婚をしているが、この曲は結婚以前から書き進められ、1878年に療養先のサン・レモ(イタリア)で完成させている。療養というのは結婚が原因である。繊細で鋭敏なチャコフスキーにの様な作曲家の相手としては低俗な妻だったといわれる。結婚生活はわずか2ヶ月。まあ、しかし、チャイコフスキーの男性愛的資質も原因だったと思うが・・。この曲は「我が最愛の友へ」とスコアに書かれてあり、フォン・メック夫人への敬愛の大きさが示される。初演は1878年モスクワのロシア音楽協会の演奏会で、ニコライ・ルビンシテインの指揮で行われた。 コンサート体験 ◆ワシリー・シナイスキー 指揮 モスクワ・フィルハーモニー交響楽団 1996.2.10 香川県県民ホール ワシリー・シナイスキー レニングラード音楽院・イリヤ・ムジンに師事し、1973年カラヤン国際指揮者コンクールに優勝した。1991年からモスクワ・フィルの音楽監督&首席指揮者となる。西欧では1993年よりネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務める。BBC交響楽団の首席指揮者にもなっている。 モスクワ・フィルハーモニー交響楽団(管弦楽団) 1951年に指揮者サミュエル・サモスードによって創設された。1953年に現在の名称となる。1958年にキリル・コンドラシンと共演し、彼は1960年に音楽監督となり、1975年まで務める。1976年からは後にフランクフルト放送交響楽団の首席指揮者となるディミトリー・キタエンコが音楽監督に就任する。やはり、ロシアの作曲家、ロシア派の作曲家の作品や、マーラーやコープランド等の音楽をレパートリーとする。本拠地はモスクワのチャイコフスキー・ホール。 感想 ロシアの作曲家であるチャイコフスキーの曲なのでお家芸である。キンキンした金管楽器を多用しないこの交響曲(第1楽章の出だし、及び第4楽章はちょっと使われる)は、私にとってはロシアのオケに弾いてもらいたい曲の一つ。どっちかというと管を思いっきり演奏するタイプのオケは敬遠しがち。例外はあるが・・。やはり実際に聴くと、第2楽章のあの素朴な旋律は感動的だった。ただ、ホールの音響のレベルから第3楽章のピッチカートはちょっと苦しいかな。第4楽章は大音量で生の演奏に圧倒される。多少バラついた?ってとこもあったかもしれないが、音を肌で感じる興奮は何ともいえない。 ◆レナード・スラットキン 指揮 セントルイス交響楽団 1995.2.25 ザ・シンフォニーホール レナード・スラットキン 1944年ロサンゼルスに生まれ、ヴァイオリニストの父とチェリストの母を持つ。ピアノを学んだ後、20世紀フォックス映画のオーケストラのコンマスだった父に指揮者の手ほどきを受け、後アスベンでワルター・ジェスキントに、ジュリアード音楽院でジャン・モレルに師事した。1973年ミネソタ管弦楽団首席客演指揮者、1977年ニューオリンズ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、1979年にセントルイス交響楽団の音楽監督・指揮者、1982年シカゴ交響楽団首席客演指揮者に就任、1992年にはクリーヴランド管弦楽団のブラッサム音楽祭の音楽監督となる。プログラミングの才を認められた初めて儲けられたポストだった。 セントルイス交響楽団 1880年、セントルイス・コーラル・ソサエティとして組織される。1880年ヨーゼフ・オッテン、1894年アルフレッド・エルンスト、1907年マックス・ザック、1921年ルドルフ・ガンツ、1931年ウラディミール・ゴルシュマン、1958年エドゥアルド・ヴァン・ルモーテル、1963年エレアザール・カルヴァーリュ、1968年ウォルター・ススキンド、1975年イェルジー・セムコフ、1979年からはレナード・スラットキンが首席指揮者となる。スラットキンとの録音でグラミー賞を3回受賞している。(1995年まで)1996年からはオランダ人のハンス・フォンクが音楽監督・指揮者となる。本拠地はパウエル・シンフォニーホール。 感想 CDでは、バーバーの交響曲第1番でスラットキン・セントルイス盤を持っているが、なじみの無い曲で2,3回しか聴いたこと無いことからあまり印象は無かった。ホールの音響はいい方なので、第2楽章のオーボエなんかは感じよく響いていたように思う。スラットキンは髪がさらに薄く、ボサボサだったのが印象深く残っている。 YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Total time 42分45秒 レーベル ドイツ・グラモフォン 録音 1984.9 ウィーン ベルリンフィルなど多くの録音を残しているカラヤンである。オケのコントロールが上手いと言われているが、私にはそんなところまでは分からない。ただ、第1楽章や第4楽章のようにあるいは第2楽章の真ん中の舞曲といわれる所など力強さが必要なところは、やはりカラヤン。バラバラになることなく、まとまっちゃうのよ。 ★交響曲第5番 ●第1楽章 ホ短調 アンダンテ−アレグロ・コン・アニマ●第2楽章 ニ長調 アンダンテ・カンタービレ・コン・アルクリーナ・リチェンツァ●第3楽章 イ短調 アレグロ・モデラート●第4楽章 ホ短調 フィナーレ、アンダンテ・マエストーソ−アレグロ・ヴィヴァーチェ 1888年に完成した曲。第4番から11年もかかっており、作曲が順調に進まなかったことを示している。初演は1888年、サンクト・ペテルブルグにてチャイコフスキー自らの指揮で行われ、成功といえる評価だったということ。第3楽章のワルツなどロマンチックな上に、甘ったるいメロディはいかにもチャイコフスキーといった感じ。 コンサート体験 ◆ウラディーミル・フェドセーエフ 指揮 モスクワ放送交響楽団 1995.10.1 ザ・シンフォニーホール ウラディーミル・フェドセーエフ 1932年にレニングラードに生まれる。ムソルグスキー学校で音楽に触れ、以後モスクワのグネーシン音楽アカデミーとチャイコフスキー音楽院で学ぶ。1974年にモスクワ放送交響楽団の音楽監督及び首席指揮者に指名された。オペラも得意とする指揮者である。 モスクワ放送交響楽団 1930年に創設。アレクサンドル・オルロフが初代音楽監督。最初はオペラ音楽が中心だったが、交響作品が徐々にプログラムに入れられるようになる。1937年にニコライ・ゴロヴァノフを音楽監督とし、1957年にはアレクサンドル・ガウクが後任、1961年からゲンアジー・ロジェストヴェンスキーが音楽監督になる。ロシア最高の称号「チャイコフスキー」の名を関することも認められた。 感想 第2楽章での甘美なメロディは最も好きなところで、非常に楽しみであったことを覚えている。ザ・シンフォニーホールはクラシックを聴きに行くところとしては最高の雰囲気を持っており、建物自体に入る際からいつも胸躍るところである。そして、モスクワ放送交響楽団といえばロシア最高峰といわれる楽団でもあり非常に期待していた。席はやや上の方だったので、管の音が拾えるか心配だったが、思ったより柔らかく演奏していたため結果的にいい感じで聴けたように思う。 YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎シャルツ・デュトワ 指揮 モントリオール交響楽団 Total time 46分17秒 レーベル ロンドン 録音 1988.10 モントリオール 弦楽器は薄っぺらいと言われるが、逆に澄んでいるともいえる。管楽器も第2楽章のホルンを始め、柔らかいタッチで演奏してくれる。チャイコフスキーの曲に求めるのはこういった感じである。他の人の意見は知らないが。 ◎レオポルド・ストコフスキー 指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 Total time 50分20秒 レーベル キング 録音 1966 弦はしょるとこははしょる、第2楽章もテンポ良く演奏する。そうかと思うと凄くゆっくり表現する主題。もう、したい邦題感性で演奏している。「オーケストラの少女」で映画にも出演している彼だけに本職でも自己表現は逸品。 ★交響曲第6番「悲愴」 ●第1楽章 へ短調 序奏部 アダージョ−アレグロ・ノン・トロッポ●第2楽章 変ロ短調 アレグロ・コン・グラツィア●第3楽章 へ長調 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ●第4楽章 ヘ長調 アダージョ・ラメントーソ チャイコフスキー最後の交響曲から集大成と考えていたことは容易に想像できるし、彼もそのような想いを明かしていたようである。この曲は1893年初頭にロシア西南部のクリン近郊にあるチャイコフスキーの自宅において着手、9月に完成した。チャイコフスキーは生涯最高の傑作と自負していた。タイトル「悲愴」は弟モデストの提案により、作者自身により命名された。1893年10月28日に作曲者自身により指揮、ペテルスブルグで初演される。チャイクフスキーはこの日の9日後に亡くなる。CMでもお馴染みのこの曲は悲劇的なテーマとなっているものの、激情さ等なども根底部分からのものとして受け取れ、力が湧いてくる。第1楽章を聴いてセンチメンタルにならない人はいないだろう。 コンサート体験 ◆ユーリー・テミルカーノフ 指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団 2001.10.21 香川県県民ホール ユーリー・テミルカーノフ レニングラード音楽院で指揮法をイリヤ・ムーシンに学ぶ。1968年に全ソ指揮者コンクールで優勝。1969年にレニングラード交響楽団の音楽監督となる。1977から1988までキーロフ劇場の芸術監督。1988年ムラヴィンスキーの後任レニングラード・フィルの音楽監督・首席指揮者に就任。1992年にロイヤル・フィルの首席指揮者、1999年ボルティモア交響楽団の首席指揮者になる。 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団 1882年につくられた皇帝管弦楽団から1917年レニングラード国立フィルハーモニー交響楽団と改称され、さらに1991年ソ連邦の崩壊とともに現名称になった。1938から1988年までエフゲニー・ムラヴィンスキーが音楽監督・首席指揮者を務めた。 感想 第3楽章終了して拍手が見られた。曲をが知らずに終わりと勘違いして行う拍手と違い、オケの演奏から自然に起こった拍手だと思う。ラッパの爆発的な音には圧倒される。通常真ん中やや後方の列に位置する管楽器が向かって右側側面に位置し、ダイレクトに飛んでくる音ではないにも関わらず音の力強さを感じた。ラストはスーッと意外とあっさりとした終わり方であったが、それが逆に力強い第3楽章等の演奏を夢のように感じたまま静かに幕を閉じられたよう。帰りには会場で、自分の好きな曲だけに「ラフマニノフ2番」テルミカーノフ、サンクトペテルブルグ・フィル盤を買ってしまった。 YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎ユーリー・テミルカーノフ 指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団 Total time 39分35秒 レーベル RCA 録音 1990.12.1 コンサートでも感じられたラッパ始め管の力強さは目立つ。このコンビでロマン性を求めているということだが、どっちかと言うとあっさりしているため、情緒よりは勢いを感じる。録音はサンクトペテルブルグのフィルハーモニックホール。 ◎ユージン・オーマンディ 指揮 フィラデルフィア管弦楽団 Total time 46分42秒 レーベル SONY CLASSICAL 録音 1960.4 ヴァイオリニストであったオーマンディだけに、チャイコフスキーの甘美さを弦で表現するのに長けていると思われる。アメリカのオケに良く感じられる管の柔らかさも、その深みから力強さを感じる。 ◎サー・ゲオルグ・ショルティ 指揮 シカゴ交響楽団 Total time 42分38秒 レーベル ロンドン 録音 1976.5 シカゴ 弦楽器は第1楽章の入り方もそれほど弱くなく、強弱の差がないことから、全体的な感じもあっさりといった感じ。 ピアノ協奏曲第1番 ●第1楽章 変ロ短調 アレグロ・ノン・トロッポ・エ・モルト・マエストーソ●第2楽章 変ニ長調 アンダンティーノ・センプリーチェ●第3楽章 変ロ短調 アレグロ・コン・フォート グリーグのピアノ協と同様めちゃんこ有名な出だしで始まるこの曲は、完成した後、チャイコフスキーがピアニストではないということからピアニストであるニコライ・ルビンシテインに批評を求めたというエピソードを持つ。作曲家としても恩師であったニコライはこの曲が技巧上演奏不可能であり、構造上欠陥ありと批評した。全面的に書き直すべきと言われたチャイコフスキーは「何も言わず2階へ駆け上がり、怒りと動揺で話せなかった。」と語っている。結局、一音たりとも変更しないとして出来た曲である。ドイツのピアニストであるハンス・フォン・ビューローに献呈され、彼の独奏によりボストンで初演される。第1楽章はソナタ、第2楽章は3部形式、第3楽章はロンド形式となっている。 コンサート体験 ◆ワシリー・シナイスキー 指揮 モスクワ・フィルハーモニー交響楽団 ピアノ 三舩 優子 1996.2.10 香川県県民ホール 三舩 優子 東京で生まれるが、6歳から12歳までニューヨーク生活。ジェローム・ローエンタールに師事。帰国後は井口秋子、奥村洋子、安川加寿子に師事。1988年日本音楽コンクール第1位。1989年に桐朋学園をトップで卒業。1990年にはジュリアード音楽院留学、マーティン・キャニンに師事。1991年にはフリーナ・アワーバック国際ピアノコンクールで優勝。 感想 リスト 巡礼の年 第2年イタリアのCDを持っているが、これが彼女の演奏。ジャケットのポッチャリした彼女は綺麗でピアノを弾けるだけでないと思うのだが、実際に見たときは、遠目で見たにも関わらず、演奏前にまず圧倒されてしまった。 ◆アレクサンドル・ラザレフ 指揮 読売日本交響楽団 ピアノ 迫 昭嘉 1998.7.28 香川県県民ホール アレクサンドル・ラザレフ 1945年生まれ。8歳でピアノを始め、モスクワ音楽院、レニングラード音楽院等で学ぶ。1971年全ソ連指揮者コンクール優勝、1972年にはカラヤン指揮者コンクールで優勝している。1973年にはボリショイ劇場の指揮者となる。 読売日本交響楽団 1962年読売新聞社、日本テレビ放送網、讀賣テレビのバックアップで設立。1962年ウィリス・ページ、1963年オットー・マッツェラート、1972年若林弘、1980年ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス、1984年ハインツ・レーグナー、1993年尾高忠明、1998年ゲルト・アルブレヒトが常任指揮者を務め、尾高忠明は名誉客演指揮者となっている。 迫 昭嘉 東京芸大で中山靖子に師事。1979年日本音楽コンクール第2位、1980年ジュネーブ国際コンクールで第2位(1位なし)、1983年にはスペインのハエン・コンクールで優勝、スペイン音楽賞受賞。イタリア・ミラノを中心に活動。 感想 この時のプログラムに、ラフマニノフ交響曲第2番があり、この曲がめちゃめちゃ好きなこともあり、ピアノ協の印象が薄いというのがほんとのところ。CDと違い、ピアニストがちゃんと間違わずに弾いてくれるのかを心配してしまう。このクラスにとってはそんなことはいらんお世話と言われそうだが、ソリストの立場に立っての不安がある。ただ、間違いを恐れて無難にこなすより、間違っても情熱的な演奏の方が上なのは分かってる。そういう意味ではモスクワ・フィルハーモニー交響楽団との共演だった三舩優子の方が良かったかなあ。それともこれは女性と男性の違いによる思いこみ? YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎シャルツ・デュトワ 指揮 モントリオール交響楽団 ピアノ ホルヘ・ボレット Total time 37分56秒 レーベル ロンドン 録音 1987.5 モントリオール 73歳に達したボレットの演奏であるが、リストの難技曲もレパートリーとする彼だけに技術的には余裕の演奏である。第3楽章などはダイナミックでありながら、ロマンチックさも感じる。メロディアスなことにかけては、素晴らしい演出をするデュトワ・モントリオールのコンビもボレットの演奏を際立たしている。 ◎ドミトリ・キタエンコ 指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 ピアノ ボリス・ベレゾフスキー Total time 34分11秒 レーベル WARNERCLASSICS 録音 1990 モスクワ音楽院大ホール シナイスキー指揮の時で交響曲第4番を聴きに行ったことのあるモスクワ・フィルである。ライブ録音であるため、熱気も感じられるかな。チャイコフスキー国際コンクール優勝の経験を持つベレゾフスキーは第3楽章をのびのびと弾いているようである。また、高揚感もあるのではとも思えてくる。というのも、このライブはコンクール優勝記念のものであるらしいので。 ★ヴァイオリン協奏曲 ●第1楽章 ニ長調 アレグロ・モデラート●第2楽章 ト短調 カンツィオネッター〜アンダンテ●第3楽章 ニ長調 フィナーレ、アレグロ・ヴィヴァチッシモ 1曲のみのヴァイオリン協奏曲。ラロの「スペイン交響曲」に影響され、1878年この曲はレマン湖畔のクラレンスというところで作曲された。この地には不幸な結婚で傷ついた心を癒しに来ていた。この曲もピアノ協第1番と同様に献呈者であるロシアのヴァイオリニスト、レオポルト・アウエルから演奏が不可能と評されてしまう。その結果初演は3年先延ばしとなる。初演はアドルフ・ブロツキーの独奏により、ウィーンで行われた。この協奏曲は結局ブロツキーに献呈された。しかし、初演はダメであった。批評家ハンスリックは「悪臭を放つ」とまで酷評した。チャイコフスキーは傷ついたが、ブロツキーの辛抱強い演奏の甲斐あり徐々に聴衆の理解を得、後にはアウエルも演奏した。 コンサート体験 ◆ユーリー・テミルカーノフ 指揮 サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団 ヴァイオリン 庄司 紗矢香 2001.10.21 香川県県民ホール 庄司 紗矢香 1999年パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで16歳で史上最年少で優勝。ヴァイオリニストの登竜門とも言われているこのコンクールで初めて日本人として優勝。 感想 国際コンクールでの優勝は見えない冠となって彼女についてまわる。なにかスケールが違い、余裕を感じる。ややバラバラって感じたところがありながら、第1楽章が終わって拍手をしてしまったのは心からの衝動であった。同じ日本人が世界に認められ活躍する姿は+αの感動をもたらす。独奏部の引き込まれ、見入ってしまう彼女の演奏は、CDでは体験できないものである。もちろん会場でCD購入。「パガニーニ、ヴァイオリン協1番」ズービン・メータ、イスラエルフィル盤である。「ワックスマン、カルメン幻想曲」も入ったCDである。 ◆榊原 栄 指揮 高松交響楽団 ヴァイオリン 川井 郁子 1998.10.11 丸亀市民会館 榊原 栄 東京芸大、テキサス大学音楽学部で学ぶ。指揮を岩城宏之、作曲を山本直純、リック・ローンに師事。1989年オーケストラ・アンサンブル金沢の専属指揮者、1995年キエフ国立室内オーケストラの客員指揮者に就任。テレビ、ラジオ番組音楽を制作したりしている。 高松交響楽団 1951年に設立。 川井 郁子 東京芸大音楽部大学院を卒業後、ジュリアード音楽院で学ぶ。田淵洋子、海野義雄、浦川宣也、山岡耕作、ドロシー・ディレイ、ヒョーン・カーンに師事。1981年全四国学生オンガクコンクール優勝、1989年全日本学生コンクール西日本大会で優勝している。1998年には映画「絆」で女優デビューしている。 感想 女優川井郁子を見に行った感もあるが、地方の人向けのトークもあり、和やかな雰囲気で聴けるコンサートであった。ロシア的な情緒を結構感じることが出来た。どんどん頑張ってビッグなオケになってもらいたい。 YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎シャルツ・デュトワ 指揮 モントリオール交響楽団 ヴァイオリン チョン・キョンファ Total time 34分34秒 レーベル ロンドン 録音 1981.7 モントリオール キョンファが奏でる音はガルネリウスという名器だそうで、この曲のイメージ、第1楽章からのメランコリックな感じであるが、前記名器がより強烈に訴えているように聞こえる。彼女の十八番という曲だけに個性がさらに円熟味を出しているのであろう。 ◎ドミトリ・キタエンコ 指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 ピアノ 諏訪内 晶子 Total time 36分3秒 レーベル WARNERCLASSICS 録音 1990 モスクワ音楽院大ホール 諏訪内晶子は日本が誇るバイオリニストであるが、これはチャイコフスキー国際コンクールで優勝した時の記念ライブ録音。ピアノ部門のベレゾフスキーのピアノ協奏曲第1番とのカップリング。18歳という年齢から天才という文字が浮かび上がる。若年というからにはダイナミックな演奏を期待するが、むしろロマン的な演奏に驚きである。これを聴いていると、またモスクワ・フィルを聴きに行きたくなってくる。チャンスよ来い! ★バレエ音楽「くるみ割人形」 「白鳥の湖」「眠れる森の美女」と共に三大バレエ音楽の一つ。1891年から次の年にかけて作曲される。初演は1892年、ペテルブルグのマリインスキイ劇場で行われる。E.T.A.ホフマンの童謡を原作としている。クリスマス・イヴに少女クララが見る夢話。クリスマスプレゼントであったくるみ割り人形が壊れるが、夢の中で人形は王子となり、クララをお菓子の国へ連れていくといった内容。第2幕の「花のワルツ」は有名。 コンサート体験 ◆榊原 栄 指揮 高松交響楽団 1998.10.11 丸亀市民会館 感想 ストーリーのナレーション付きで変わった感じで聴くことが出来た。ナレーターはKSBアナウンサー・浮田圭見。KSBステーションEYEのキャスターでテレビで見ることも多いと思う。くるみ割り人形がネズミと戦争したり、お菓子の国の人との交流など具体的・詳細にイメージして鑑賞することはないが、今回のようにナレーション付きというのも音楽に色を持たせるのに面白い演出だ。 YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Total time 21分19秒 レーベル ロンドン 録音 1961 ウィーン カラヤン50代の演奏といえば円熟期であろうが、これもその一つ。帝王と呼ばれていた頃の録音だと想い、聴いていると感慨も湧いてくる。 ★幻想序曲「ロメオとジュリエット」 チャイコフスキーの初期の作品。バラキレフの勧めによって書かれた。その名もとおり標題音楽、1869年に完成したが、何度も改訂し現在の形になったのは1881年である。序奏は修道僧ローレンスを表し、第1主題によってモンタギュー家とキャピュレット家の争いを描き、第2主題でロメオとジュリエットの恋愛模様を描く。そして激しさを増しながら二人の悲劇的結末に向かうのである。 コンサート体験 ◆シャルル・デュトワ 指揮 モントリオール交響楽団 1995.4.12 岡山シンフォニーホール シャルル・デュトワ 彼の実績はイコール、モントリオール交響楽団。このオケとのコンビで38以上の国際的な賞を獲得している。その中には日本レコード・アカデミー賞も含まれる。1990年にはローリン・マゼールの後任としてフランス国立管弦楽団の音楽監督、1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任する。 モントリオール交響楽団 1934年設立。ケベック州であることから、このオケもフランスの影響を強く受けている。1936年ウィルフレッド・ペレティエ、1940年デジレ・ドゥフォー、1957年イーゴル・マルケヴィチ、1961年ズービン・メータ、1968年フランツ・パウル・デッカー、1975年ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス、1978年シャルル・デュトワが首席指揮者となる。本拠地はサル・ウィルフレッド・ペレティエ。 感想 幻想チックな表現、甘美な表現は彼らの得意とするところ。非常に良かった。この時の上演曲目に「展覧会の絵」があったが、むしろ「ロメオとジュリエット」の方が良かったように思われる。管と弦のバランスが非常に良く、チャイコフスキーを堪能できた。 YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Total time 21分25秒 レーベル グラモフォン 録音 1966 ベルリン 力強さだけでないことを感じさせるCD。ロメオとジュリエットのドラマチックな関係、運命を分厚い弦の調べで表現し、管も美しい音色で色を添える。 ★スラブ行進曲 フォン・メック夫人との交際が始まった1976年に書かれた曲。同じ時期に最初のバレエ音楽「白鳥の湖」、幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミエ」等も書かれ、創作意欲にあふれていたようだ。原題は「民族共通の主題によるセルビア・ロシア行進曲」。セルビアとモンテネグロがトルコからの独立戦争を宣戦布告したが、その戦争の負傷兵救助基金募集のための慈善演奏会のために、ニコライ・ルビンシテインから委嘱を受け、1876年に作曲。初演は同年モスクワで行われ、大成功だったらしい。 コンサート体験 ◆レナード・スラットキン 指揮 セントルイス交響楽団 1995.2.25 ザ・シンフォニーホール 感想 最後のロシア国歌は迫力満点のところで、周りの雰囲気から、この曲は大衆向けやなと思た。パトリオットを盛り上げるこういうノリのいい曲があるのは、イギリスの「威風堂々」と並んで羨ましい限りである。 YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD ◎ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Total time 9分31秒 レーベル グラモフォン 録音 1966 ベルリン 力強さを存分に発揮できるベルリン・フィルを率いたカラヤンは9分間の演奏に美しさをも表現している。このコンビは長くつき合いお互いの名声を築き上げたわけであるから、互いを知り尽くした演奏ということになる。 |