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    Edvard Grieg(1843-1907)

 グリーグはノルウェー・ベルゲン出身である。グリーグはノルウェーのフィヨルドを愛し、北欧的な哀愁のある、美しい景色の音楽を書き続けた。ノルウェーの風物や農民の姿など、グリーグの音楽には多くの民謡が取り入れられ、民族主義的な音楽である。ピアニストであった母親から手解きを受け、15歳でドイツのライプツィヒ音楽院に入学する。作曲家ノルドローク(同郷)との交流を通して国民主義音楽に目覚める。1867年にニーナと結婚している。


ピアノ協奏曲イ短調 作品16

●第1楽章 アレグロ・モルト・モデラート●第2楽章 アダージョ−アタッカ●第3楽章 アレグロ・モデラート・モルト・エ・マルカート

1868年夏、旅行先のデンマーク・コペンハーゲンにて作曲。1869年4月3日にエドモント・ネウバルトのピアノにより同じくコペンハーゲンにて初演される。劇音楽『ペール・ギュント』と並ぶグリーグの大作。シューマンのピアノ協奏曲に感銘を受けたと言われており、この協奏曲はシューマンのピアノ協奏曲とイ短調である調性や第1楽章の冒頭の雰囲気に共通点がみられる。

コンサート体験 

◆ネーメ・ヤルヴィ 指揮   スウェーデン国立エーテボリ交響楽団   ピアノ 中村紘子    2002.11.19  香川県県民ホール

ネーメ・ヤルヴィ

1937年エストニアに生まれ、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)音楽院に学ぶ。1971年にローマのアカデミア・ディ・サンタ・チェチリア指揮コンクールで第1位となる。1982年にスウェーデン国立エーテボリ交響楽団の首席指揮者になる。1990年からデトロイト交響楽団の音楽監督、日本フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の名誉指揮者を務める。

中村紘子

第28回音楽コンクールで第1位特賞を受賞。ジュリアード音楽院にてロジナ・レヴィン女史に師事。第7回ショパン・コンクールで日本人初の入賞、最年少者賞を受賞。浜松国際ピアノアカデミー音楽監督として若手ピアニストの育成に努める。

スウェーデン国立エーテボリ交響楽団

1905年に結成された北欧で最も古い歴史を有する。シベリウスも客演指揮者としてオーケストラを指揮している。彼自身の殆どの作品をオーケストラと演奏している。1997年オーケストラは“スウェーデン国立”として任命された。

感想

2階席左側ということで中村紘子の手・指の動きがばっちり見ることが出来た。真っ赤なドレスでピアノに向かう彼女の音色は県民ホールのわりにとぎ澄んだ音に聞こえた。強奏が際立った様に思える。どちらかというと弦楽器が重厚で深みがあったオーケストラの掛け合いは、シャープなピアノの音でなければ生かされない。他プログラム曲はマルティソン(スウェーデン)『A.S.への追憶』と、本協奏曲の後、マーラーの『交響曲第1番《巨人》』であった。アンコール曲はステンハンマルの『メランシュピール』、チャイコフスキーの『バレエ「雪娘」ダンス・オブ・バウンズ』であった。

YG-AKIRAが部屋で聴いてるCD

◎ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮   ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団   ピアノ クリスティアン・ツィマーマン

Total time 31分56秒    レーベル ドイツ・グラモフォン    録音 1991.9、1992.1 ベルリン  

ポーランド生まれのツィマーマンと組んだカラヤンの録音。カラヤンは生涯に2度しか録音しておらずその内の1枚。カラヤンはグリーグのこの曲に神秘的なものを見出していたという。録音当時20代半ばであったツィマーマンの演奏こそその要求に応えるものだったのか。カラヤンのイメージからするとかなり力強さよりは透明感が浮き立ってる。