3月 … 弥生・花咲月・建辰月(けんしんげつ)・春惜月(はるおしみづき) |
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3月27日
今の中国は江戸時代の日本以下
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チベットで暴動が起こりました。そのニュースはすぐに世界中に広がり、暴動発生から数日を経た現在、世界中の人々(マスメディアやインターネット等に接することのできる人々)が知るところとなりました。しかし、当の中国国内では、その情報がかなり歪められ、偏った形で伝えられています。
現在も中国では、情報の送受信に関して自由が認められていません。例えば、有名な事例として、Googleで「天安門事件」を検索すると、中国以外の国(中国語以外の言語)では検索結果が表示されますが、中国国内(中国語)では検索結果が正しく表示されません。天安門事件の暴動や虐殺行為などは、政府にとって知られたくない情報です。実際には他の言語や他の国のWebサイトからは、より詳しい情報が多く得られるので、中国国内にも正しい情報を掴んでいる人は多いはずですが。
さて、このような情報の統制は、国の権力が非常に強い場合に可能になります。先進諸国で(一部制約があるにせよ)基本的には自由に情報の遣り取りができるのは、国民に情報を遣り取りする自由が認められているから。中国にはそれがないし、中国以外でも自由が認められない国はあるはずです。それでは、鎖国により中国とオランダ以外との海外交流を絶っていた、江戸時代の日本はどうだったか。
そもそも、江戸時代の日本にとって、交流のあった「異国」と「異域」は、中国(清)とオランダだけではありません。松前藩は「蝦夷地」などのアイヌと交流がありましたし、薩摩藩・幕府は琉球王国との交流がありました。朝鮮も対馬藩・幕府と交流がありました。それ以外の国との交流は、基本的にはなかったのですが、江戸時代の日本が完全に国を閉ざしていたのではないわけです。更に幕府が「鎖国令」という法令を発した事実はなく、海外との交流を制限する一連の政策を“鎖国”と呼んでいるのです(鎖国という言葉自体は江戸時代後期にはありました)。
この時代にも、中国やオランダを通して海外の情報は日本にもたらされていました。もっとも、メディアの発達した現在と200〜300年前の事情を単純比較できませんので、当時の社会の最新情報やレベルの高い学問などは、やはり一部の知識人や為政者のものということになっていたことでしょうけど、それでも幕府や藩や知識人が海外情報を強く欲していたことは確かです。情報を得る手段としては、おおよそ3通りが考えられます。
一つ目は、幕府がオランダと清国に提出を求めた『風説書』です。風説書にはオランダや清国の国内のみならず、周辺諸地域の動向が記され、これを通して幕府は海外情報をある程度把握することができたのです。
二つ目は、貿易商人からの情報です。商人からの情報ならば、貿易に携わる人なら幕府や藩の上層武士でなくても得ることが可能です。
三つ目は、これはイレギュラーなものなのですが、漂流して海外に辿り着いた人からの情報です。本来、江戸時代は無断で海外渡航することは禁じられていたのですが、漂流民は貴重な情報を持っているわけですから、無事帰国できた時、幕府はそのまま処刑するようなことはせず、海外体験を可能な限り聞き出そうとしたわけです。
このような複数のルートから、江戸時代は海外情報を得ることができたのですが、生の海外情報に接することができるのは限られた人物ということになるでしょう。情報の流入・流出という点で見ると、鎖国体制というのは「ゆるやかな情報統制」(大石慎三郎)だったと考えることもできるのです。そして、一部の知識人によって得られた生の情報は、その知識人をピラミッドの頂点として、徐々に庶民に拡がっていくのです。すなわち、江戸時代の情報流通は、庶民の情報欲によって自発的に行われたのであり、決して幕府が情報を検閲して「これは流す」「これは隠す」というように一方的な制御をおこなっていたわけではありません。
情報インフラが未発達な状況下で、時の政権にとって都合の悪い情報が流布してしまうと、その政権の矛盾が一気に表面化します。幕末の混乱がその典型事例です。幕末、海外からの情報が一気に流入し、それを機に、武家社会の封建制に対する矛盾が討幕へのエネルギーとして一気に噴出すると、ほんの10〜20年間という短い時間で、政権を覆してしまうことが可能になります。
未だに人民を上から抑圧し、矛盾を孕んだ封建制によって国を支配している中国政府にとって、海外からの情報は場合によっては自身を危機に追い詰めます。そのことを政府が恐れているから、徹底的な情報統制を行っているのかもしれません。チベットの暴動事件は、中国政府の支配の矛盾が表面化した、ほんの一事例です。このまま政府にとって都合の良い情報だけを国内に流している状態では、そのうち国内からも国外からも政府は見放されてしまうかもしれません。
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3月5日
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中国製の冷凍食品から有毒物質が検出された事件から、1ヶ月ほど経ちました。ようやく騒ぎもだいぶ収まってきたような気がしますが、やはりこの事件をきっかけに、食の安全性、特に加工食品の安全性について、国民の意識が高まってきたのは確かだと思います。
今まで、日本人の食品に対する安全意識が低すぎたのです。もっとも、今までも多くの消費者が、肉や野菜の産地やブランドを気にかけ、鮮度や賞味期限を気にかけ、いろいろと食品の品質について意識してはきたようです。ただ、殊に加工食品に関しては、そういった意識が比較的希薄だったように感じられます。というのも、加工食品の特色として、一つには日本のメーカーが販売元となっており、それらの食品の中に多くの輸入品が含まれることに気づきにくいこと(それでも輸入品の場合はきちんと原産国表示がなされている)、もう一つは加工食品の多くは容器で密封されており、食べる直前まで素材の姿を見ることができないこと、などがあるのではないでしょうか。
生鮮食品と加工食品では、輸入時の検査が異なり、生鮮食品の方が検査が厳しくなっています。ですので、加工された状態で輸入した食品より、素材を輸入して国内で加工する方が安全性は高いと言えるでしょう。今回の毒入り餃子一件は、このような検査体制の盲点を突かれたものでした。加工食品の検査を厳格にするための一つの契機となることでしょう。
一連の事件を通して、農水省や食品業界は、加工食品の輸入時の検査を厳しくするとか、中国から他国(主にタイなど)へ生産拠点を移すなどといった策を講じるようです。それはそれで一つの対策でしょうけど、今の日本の食糧事情を見るに、もっと重要なことがあります。それは、食料の大半を輸入に頼ることが、如何に危険なことであり、日本の食料供給体制が如何に脆弱であるか、ということを実感し、この根本問題の解決策を見出すことです。そのためには、食料自給率を上げること、地産地消を促進することなどの策がありますが、これらはそうそう簡単には行きません。何しろ、日本の食料自給率がこれほどまでに落ち込んだ根本的な原因は、日本の産業構造・社会構造の変化であり、そしてその変化に対して政府があまりに無策だったことなのです。そういった意味では、夕張問題も、根幹部分でこの食料問題と共通する部分があります。
今後、日本の人口は徐々に減少していくものと予測されますが、特に中山間地における少子高齢化は歯止めのかからない状況です。高度成長期以来、地域格差が拡大し続けてきたことによる矛盾が、加工食品の安全性問題や夕張問題として表面化しつつあるように感じられます。
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