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(05年7月、06年2月の雑記はありません)

12月 … 師走・梅初月(うめはつづき)・親子月・建丑月(けんちゅうげつ)



12月26日   「死刑 確定者が急増」
<死刑>確定者が急増 近く100人に達する勢い(毎日新聞・25日)

 死刑の是非については、長らく賛否両論分かれていますし、どれが正解とも言えないのですが、主な論点は概ね次の3点に絞られるかと思います。

(1) たとえ犯罪者であっても、人間の判断で他の人間の生命を奪ってよいものか。
(2) 死刑制度の存続が、凶悪犯罪の抑止に役立っているのか。
(3) 死をもって償うことが、被害者やその遺族が最も求めているものか。

 かつてはこれに加えて「冤罪の場合は取り返しがつかないのではないか」という点もあってのでしょうけど、現在、日本においては恐らく冤罪で死刑が確定することはないでしょうから、この点については取り上げる必要もないでしょう。
 しかも本来、刑法上、死刑は確定してから6ヶ月以内に執行するのが原則なんですよ。それが現状、確定後何年間も待たされることが多いです。それだけ死刑の執行は慎重にすべきだということでしょうし、国民からの死刑に対する反発もやはり強い。死刑執行は法相の判断だから、法相が死刑に対して賛成派か慎重派かで執行数が上下するわけですし。加えて死刑囚を収容し続けるためには、それだけ国税を使うことになります。税の無駄遣いなのでは、という意見も根強いです。

 私は、死刑の執行については慎重を期してほしいと思ってはいますが、制度そのものについては存続派です。しかし、現在の日本の刑罰の制度は、欠けている部分があります。死刑と無期懲役の間の、絶対的終身刑が存在しないということ。死刑を廃止すると死刑相当の犯罪者は無期懲役となり、凶悪犯罪の増加にもつながりかねません。そこで先程の3つの論点に返ります。

 まず(2)の犯罪抑止効果について、これは、死刑を廃止すると代替となる終身刑を制度化しない限り犯罪増加の可能性はあります。

 次に(1)、私は次のように考えます。死刑は個人の判断で個人が殺すものではなく、司法制度が殺すものです。司法制度は誰でも殺せるわけではありません。殺していい人と殺してはいけない人がいます。「人の命を奪ってはいけない」と考えている人を殺すことはありません。「人の命を奪っても構わない」と考えている人を殺すことは認められます。
 例えばですね、AさんがBさんを刺殺したとします。Aさんは、“人の命は奪われても構わない”と考えているからBさんを殺したので、この考え方をもってすればAさん自身も“命を奪われても構わない”ということになるでしょう。従って、Aさんは相当の悪意を持って殺人を犯していることになり、司法は“Aさんの命は奪われても構わない”と判断します。
 しかし、Aさん宅にBさんが侵入し、盗みを働いたとします。帰宅したAさんはBさんに襲い掛かられ、咄嗟に台所の包丁を手にBさんをかわしたところ、頚動脈に命中してしまった。この時Aさんは、“Bさんは殺されても構わない”と思ったでしょうか。一時的に思ったかもしれませんが、少なくともAさんはBさんを殺害することが第一目的で包丁を握ったわけではないはずです。この場合、司法は“Aさんの命は奪われても構わないわけではない”と判断します。
 従って、「司法は、“命を奪ってはいけない”人を殺すことはできないが、“命を奪っても構わない”人を殺すことはできる」ということにはなりませんかね。

 最後に(3)、これは司法の現場で活躍する方には今後もっと考えてほしいことです。殺人事件の遺族が必ずしも犯人に死んでもらいたいとは思っていないかもしれません。それに、死んでしまっては社会に対して貢献できないでしょう。犯罪者は税金を食いつぶして生かせてもらっているわけですから、何かしらその分の貢献をしてくれないと割が合いません。
 そこで、例えば中東に赴いて手探りで地雷撤去作業でもしてもらってはどうでしょう。これが「身体刑」に当たるか否かの判断が必要でしょうけど、こういう形で服役中に社会貢献できるような終身刑が制度化されれば、死刑相当、或いは無期相当の犯罪者の相当数が社会に役立ってくれると思いますよ。

 ただ、こういう議論がたびたび起こるということは、それだけ凶悪犯罪が頻発している、ということですね(実は昔に比べて減少しているらしいのですが、そういう重大事件はマスコミが大々的に取り上げるので、どうしても目立ってしまうというのが実情のようですが…)。それにしても麻原彰晃やら宮崎勤やら、もはや生かしておいてもどーしよーもない面子ばかりだなぁ…。こいつ一人のために苦しんでいる家族や親戚がかわいそうです。

12月11日   出雲のお酒
 先月の出雲旅行で、地酒「出雲誉」を購入しまして、先々週、大学時代の先生に差し上げました。で、先日9日、土曜のゼミのため演習室に行きましたら、休憩時間にその先生から、
「キミはこのお酒は銘柄を意識して買ってきたのかね」(←こういう口調です)
と尋ねられました。
 特に銘柄は意識せず、売り場に並んでいたもののなかから適当に選んだと答えると、この銘柄は有名なものだとのこと。

http://page.freett.com/takeshita/

 竹下本店という造り酒屋なのですが、ここは元首相竹下登氏の実家だそうで。そう言えば、確かに竹下元首相の実家が島根県の酒屋だとは聞いていたような気がします。最初から知っていれば、自分の分も買ってきたのに…と少々後悔した週末でした。

 近年、日本酒がブームだそうです。また、ワインもブームだとか、焼酎もブームだとか、あらゆる種類のお酒がマスコミで取り上げられているのに加え、飲酒運転に対する世間の目が非常に厳しくなってきたのを受けて、ノンアルコールビール(という呼称は誤解を招きかねないので最近使わないようですね。ごく微量のアルコールが含まれているので、ビールテイスト飲料などという場合が多いようです)も注目されています。2日の雑記で取り上げた財政難の地方自治体でも、地酒や地ビールで起死回生することはできないのでしょうかね…。

12月2日   夕張とか…
 夕張市が破綻し、市が市民から非難を受けているニュースが連日報じれらていますが、破綻の危機に瀕している市町村は全国各地にあります。それは広い意味での小泉構造改革の負の遺産であり、更には戦後日本の産業構造の変化がもたらした結末とも言えるでしょう。特に旧産炭地での財政難が目立っていますが、産炭地は基幹産業である炭鉱がなくなってしまうと、自治体の財政基盤がぽっかり空いてしまいますし、人口も減る一方ですので、どうしても苦しい状態になりますね。
 夕張のようなハコモノ作りは、観光開発の一環という大義名分のもと、先行きのあまり明るくない自治体が手がけやすい手段です。確かにうまく行くと収入源にもなりますし、多くの地元民を雇用することもできます。しかし、全国の前例を見てみると、その大部分は成功していないことがわかります。例えば宮崎県のシーガイアですが、開業当初は全国的に話題になり、それなりの入場者があったのです。それでも結局閉園せざるを得なくなってしまった。観光施設を維持していくことが非常に厳しいことがわかります。しかも、その元手は住民の税金と借金(地方債)なわけですから、尚更重荷を負って運営していくことになります。

 しかし、ここで旭川市の旭山動物園のことが気になります。旭川と夕張、距離的には離れていますが、どちらも道央。都市の規模の差はありますが、仮に旭山動物園が夕張に移転しても、それなりの入館者を確保できるような気がします。旭山動物園は、地元のリピーターが多いのはもちろんのこと、今となっては東京からのツアーも組まれていますし、関連グッズもよく売れているようです。
 旭山動物園はこれといって奇抜なものがあるわけではありません。普通の動物園ですが、これほど人気が高くなったのは、見せ方を工夫したから。施設をたくさん作ったり拡張したりしたわけではなく、入館者が楽しめる、満足する展示を目指したわけです。とにかくハコモノたくさん作ればそのうち人が来るだろう、という考え方では、潜在的な需要があってもそれを掘り起こすことはできません。
 私としては、夕張の「石炭の歴史村」が休止になってしまったのは非常に残念です。夕張を訪れる人に、産炭地としての夕張の歴史を教え、また、地元に後世まで伝え、研究していく必要があるはずです。その役割を担っていたのが「石炭の歴史村」ではなかったのですか?

 多くの方に誤解があるようですが、決して「ハコモノ」自体が悪いわけではないのです。「ハコモノ行政」という言葉がマイナスイメージを与えるように、ハコモノ=マイナス、というイメージはマスコミの報道によるところが大きいし、ハコモノを作ることは地元に雇用や税収をもたらすし、それをちゃんと運営していくことさえできれば、旭山動物園のように将来も明るくなります。夕張のまずかった点は、そのハコモノ作りがあまりに無計画的であったこと、集客のための策を講じてこなかったこと、ハコモノを作った後の管理運営を軽視していたこと。石炭の歴史村も、メロン城も、活かそうとすれば活かせる余地はいくらでもあったと思います。
 例えば札幌や旭川からの交通。都市間バスを整備する。あと、夕張駅が完全にローカル終端駅になっているので、臨時列車でいいから札幌からの直通列車を走らせる。JRが難色を示すだろうけど、そこをうまく切り盛りする能力こそ、ハコモノを作ること以上に求められていることなのです。北海道には、本州からの観光客はほとんど車では来ません。とすると、遠方からの観光客をターゲットするならバスや鉄道を整備するほかありません。幸運にも、スキー場が多いことから、リゾートホテルなどの宿泊施設は多いことでしょう。なら、それをスキーシーズン以外にも活用できるようにしなくてはいけません。ハコモノについては、お客さんが集まるような工夫をする。例えば他の都市の観光施設と協同してイベントを行う。メロン以外にご当地ブランドを作って全国的に売り出してみる。
 夕張は知名度は高いわけですから、もう一歩、お金の使い方をしっかり見極めておけば、もう少し住人の理解を得ることはできたはずです。



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