言い伝え
参照:(なし)

代々伝えられていく考えや習慣(2テサ2:15)。主は聖典の中で義人に対し、人の邪悪な言い伝えを避けるよう絶えず警告しておられる(レビ18:30;マコ7:6-8;モサ1:5;教義93:39-49)。


イエス・キリスト(人名)
参照:贖い;贖う,贖い主,贖いの計画,油注がれた者,アルパとオメガ,イエス・キリストの再臨,生ける水,命のパン,,インマヌエル,生まれる;産む;もうける,エホバ,解放者,神;神会,神の小羊,犠牲,ゴルゴダ,山上の垂訓,,十字架,十字架の刑,昇天,贖罪,信仰,救い主,隅の石,創造;創造する,堕落(アダムとエバの),,仲保者,長子;初子,罪の赦し,慰め主;助け主,初め,花婿,光;キリストの光,羊飼い,人の子,福音書,復活,蛇(青銅の),弁護者,変貌,マリヤ(イエスの母),,無窮,恵み,メシヤ,良い羊飼い,良心,わたしは有る

キリスト(ギリシャ語)とメシヤ(ヘブライ語)はともに「油注がれた者」の意味。イエス・キリストは霊における御父の長子であり(ヘブ1:6;教義93:21)、肉における御父の独り子であられる(ヨハ1:14;3:16)。またイエス・キリストはエホバであり(教義110:3-4)、世界が創造される前に、その偉大な召しに予任された。イエスは御父の指示の下に、地球と地上の万物を創造された(ヨハ1:3,14;モセ1:31-33)。イエスはマリヤの子としてベツレヘムで生まれ、罪のない生活をし、また血を流し、十字架上で命をささげることによって、全人類の罪を完全に贖われた(マタ2:1;1ニフ11:13-33;3ニフ27:13-16;教義76:40-42)。イエスは死者の中からよみがえり、全人類がやがては復活できるようにされた。自分の罪を悔い改め、神の戒めに従う人は、イエスの贖罪と復活を通して、永遠にイエスと御父とともに住むことができる(2ニフ9:10-12;21-22章;教義75:50-53,62)。

イエス・キリストはこの地上に生を受ける者の中で、最も偉大な御方である。その生涯は、すべての人にいかに生きるべきかを教える完全な模範である。祈りや祝福、神権の儀式はすべてイエス・キリストの名によって行われなければならない。イエス・キリストは主の主、王の王、創造主、救い主、全能の神であられる。

イエス・キリストは福千年の間地上を統治するために、力と栄光とをもって再び来られる。終わりの日に、イエス・キリストは全人類を裁かれる(アル11:40-41;ジ-マタ1章)。

【イエス・キリストの生涯の要約(出来事順)】

  • イエスの降誕と使命が預言された(ルカ1:26-38[イザ7:14;9:6-7;1ニフ11章])。
  • イエスの降誕(ルカ2:1-7[マタ1:18-25])。
  • 割礼を受けられた(ルカ2:21)。
  • 神殿へ連れて行かれた(ルカ2:22-38)。
  • 博士たちが訪れて来た(マタ2:1-12)。
  • マリヤとヨセフに連れられてエジプトへ逃れられた(マタ2:13-18)。
  • ナザレに連れて帰られた(マタ2:19-23)。
  • 12歳のとき、神殿に行かれた(ルカ2:41-50)。
  • 弟や妹がいた(マタ13:55-56[マコ6:3])。
  • バプテスマを受けられた(マタ3:13-17[マコ1:9-11;ルカ3:21-22])。
  • 悪魔に試みられた(マタ4:1-11[マコ1:12-13;ルカ4:1-13])。
  • 弟子たちを召された(マタ4:18-22[マタ9:9;マコ1:16-20;2:13-14;ルカ5:1-11,27-28;6:12-16;ヨハ1:35-51])。
  • 十二弟子に権威をお授けになった(マタ10:1-4[マコ3:13-19;ルカ6:12-16])。
  • 山上の垂訓を述べられた(マタ5-7章)。
  • 御自身の死と復活を予告された(マタ16:21[マタ17:22-23;20:17-19;マコ8:31;9:30-32;10:32-34;ルカ9:22;18:31-34])。
  • 変貌された(マタ17:1-9[マコ9:2-8;ルカ9:28-36])。
  • 七十人を遣わされた(KJルカ10:1-20)。
  • エルサレムに勝利の入城をされた(マタ21:1-11[マコ11:1-11;ルカ19:29-40;ヨハ12:12-15])。
  • 聖餐を定められた(マタ26:26-29[マタ14:22-25;ルカ22:19-20])。
  • ゲツセマネで苦しみ、祈られた(マタ26:36-46[マコ14:32-42;ルカ22:39-46])。
  • 裏切られ、捕らえられ、見捨てられた(マタ26:47-56[マコ14:43-53;ルカ22:47-54;ヨハ18:2-13])。
  • 十字架につけられた(マタ27:31-54[マコ15:20-41;ルカ23:26-28,32-49;ヨハ19:16-30])。
  • 復活された(マタ28:1-8[マコ16:1-8;ルカ24:1-12;ヨハ20:1-10])。
  • 復活の後に御姿を現された(マタ28:9-20[マコ16:9-18;ルカ24:13-48;ヨハ20:11-31;使徒1:3-8;1コリ15:5-8])。
  • 天に昇られた(マコ16:19-20[ルカ24:51-53;使徒1:9-12])。
  • ニーファイ人に御姿を現された(3ニフ11:1-17[3ニフ11-26章])。
  • ジョセフ・スミスに御姿を現された(ジ-歴史1:15-20)。

    【前世におけるキリスト】

  • 主はアブラハムに現れ(創世12:7[創世17:1;18:1;アブ2:6-8])。
  • 主はモーセと顔を合わせて語られた(出エ33:11[申命34:10;モセ1:1-2])。
  • わたしは祭壇のかたわらに立っておられる主を見た(アモ9:1)。
  • 初めに言があった。言は神と共にあった。そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った(ヨハ1:1,14[1ヨハ1:1-3])。
  • アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである(ヨハ8:58)。
  • 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい(ヨハ17:5)。
  • ニーファイやヤコブが贖い主にまみえたと同じように、イザヤも贖い主にまみえた(2ニフ11:2-3)。
  • 明日、わたしは世に来る(3ニフ1:12-14)。
  • 世の始まる前からすでにおられた(3ニフ26:5[ヨハ6:62])。
  • わたしはあなたに現れているように、将来肉にあってわたしの民に現れる(エテ3:14-17)。
  • エノクは主にまみえ、主とともに歩んだ(教義107:48-49)。
  • 初めからわたしが愛し選んだ者であるわたしの愛する子(モセ4:2)。
  • 主は言われた。「わたしはだれを遣わそうか。」すると、一人が人の子のように答えた。「わたしがここにいます。わたしをお遣わしください。」(アブ3:27)。

    【降誕と死に関する預言】

  • おとめがみごもって男の子を産む(イザ7:14[1ニフ11:13-20])。
  • ベツレヘムから、イスラエルを治める者が出る(ミカ5:2)。
  • レーマン人サムエルは、2昼1夜がまるで1日のようになる日、暗くならない夜、新しい星、そのほかのしるしについて預言した(ヒラ14:2-6)。
  • レーマン人サムエルは、暗闇や雷、稲妻、地震について預言した(ヒラ14:20-27)。
  • キリスト降誕のしるしが成就した(3ニフ1:15-21)。
  • イエスの死のしるしが成就した(3ニフ8:5-23)。

    【キリストの予型と象徴】

  • アベルは群れの初子をささげた(創世4:4)[モセ5:20])。
  • あなたのひとり子イサクを燔祭としてささげなさい(創世22:1-13[ヤコ4:5])。
  • 主はイスラエルの子らに、傷のない子羊をささげるよう命じられた(出エ12:5,21,46[民数9:12;ヨハ1:29;19:33;1ペテ1:19;黙示5:6])。
  • これは主があなたがたの食物として賜わるパンである(出エ16:2-15[ヨハ6:51])。
  • 岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる(出エ17:6[ヨハ4:6-14;1コリ10:1-4])。
  • やぎは彼らのもろもろの悪をになって(レビ16:20-22[イザ53:11;モサ14:11;15;6-9])。
  • モーセは、それを仰ぎ見る人々を救うために青銅のへびを掲げた(民数21:8-9[ヨハ3:14-15;アル33:19;ヒラ8:14-15])。
  • ヨナは3日3夜その魚の腹の中にいた(ヨナ1:17[マタ12:40])。
  • これは、御父の、恵みと真理に満ちている独り子の犠牲のひながたである(モセ5:4-8)。

    【権威】

  • まつりごとはその肩にあり(イザ9:6[2ニフ19:6])。
  • 権威ある者のように教えられた(マタ7:28-29[マコ1:22])。
  • 人の子は地上で罪をゆるす権威をもっている(マタ9:6)。
  • イエスが権威をもって命じられると、汚れた霊は従った(マコ1:27[ルカ4:33-36])。
  • イエスは12人を立て、権威を授けられた(マコ3:14-15)。
  • イエスの言葉には権威があった(ルカ4:32)。
  • 裁きのことはすべて御父からゆだねられた(ヨハ5:22,27)。
  • 神はイエスに聖霊と力とを注がれ(使徒10:38)。
  • 創世の前から予任されていた(1ペテ1:20[エテ3:14])。
  • 地獄と死との鍵を持っておられる(黙示1:18)。
  • すべての人が大いなる創造主に従うようになる(2ニフ9:5)。
  • 天地の父、時の初めからの万物の創造主であられる(ヒラ14:12)。
  • 父の御心を行うために、父の御心によって来られた(教義19:24)。
  • 天父の完全を与えられ、一切の権威を受けられた(教義93:3-4,16-17[ヨハ3:35-36])。

    【模範】

  • わたしは手本を示した(ヨハ13:15)。
  • わたしは道であり、真理であり、命である(ヨハ14:6)。
  • キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである(1ペテ2:21)。
  • 人は生ける神の御子の模範に倣って、最後まで堪え忍ばなければ救われない(2ニフ31:16)。
  • わたしが完全であるように、あなたがたも完全になることを、わたしは望んでいる(3ニフ12:48)。
  • あなたがたは、わたしがしたように、いつもこれを行うように努めなさい(3ニフ18:6)。
  • わたしはあなたがたのために模範を示した(3ニフ18:16)。
  • わたしが行うのを見たそのとおりのことを、あなたがたも行いなさい(3ニフ27:21,27)。
  • イエス・キリストに真に従う者は御子に似た者となる(モロ7:48)。

    【栄光】

  • 主の栄光が幕屋に満ちた(出エ40:34-38)。
  • その栄光は全地に満つ(イザ6:3[2ニフ16:3])。
  • 主の栄光があなたの上にあらわれる(イザ60:1-2)。
  • 人の子は父の栄光のうちに来る(マタ16:27)。
  • 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい(ヨハ17:5)。
  • イスラエルの聖者が大いなる栄光をもって必ず統治される(1ニフ22:24)。
  • キリストの栄光を待ち望んでいた(ヤコ4:4)。神の御子は栄光を帯びて来られる(アル5:50)。
  • イエスは世の初めから将来御自分が栄光のうちに来られるときまでのすべてのことについて説き明かされた(3ニフ26:3)。
  • わたしの使徒たちは、わたしと同じように栄光を受けて(教義29:12[教義45:44])。
  • わたしたちは御父の右に御子の栄光を見(教義76:19-23)。
  • ヨハネはわたしの完全な栄光を見て、証した(教義93:6[ヨハ1:14])。
  • その顔は太陽の輝きに勝って光り輝いていた(教義110:3)。
  • 神の栄光がわたしのうえにあり、わたしは神の御顔を見た(モセ1:1-11)。
  • これがわたしの業であり、わたしの栄光である(モセ1:39)。

    【教会の頭】

  • キリストが教会のかしらであって(エペ5:23[エペ1:22;4:15)。
  • 自らは、そのからだなる教会のかしらである(コロ1:18)。
  • これはわたしの教会である(モサ26:22[モサ27:13])。
  • 彼らの信仰の創始者であり完成者である(モロ6:1-4)。
  • わたしはこの教会を設け(教義33:5[3ニフ27:3-8])。

    【御名を受ける】

  • わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、だれにも与えられていない(使徒4:12[2ニフ31:21])。
  • 使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜び(使徒5:38-42)。
  • その戒めというのは、神の子イエス・キリストの御名を信じることである(1ヨハ3:23)。
  • バプテスマを受けることによって、キリストの名を喜んで受けることを御父に証明する(2ニフ31:13)。
  • キリストの御名を受けてほしい(モサ5:6-12[モサ1:11])。
  • 神の名を受けることを望んだ者はだれでも皆、神の教会に加わった(モサ25:23)。
  • キリストのまことの信者であった人々は皆、クリスチャンという名を喜んで受けた(アル46:15)。
  • 天の門はイエス・キリストの名を信じようとする人々に開かれている(ヒラ3:28)。
  • 終わりの日に、わたしの名に忠実であると認められる者は幸いである(エテ4:19)。
  • 進んで御子の御名を受け(モロ4:3[教義20:77])。キリストの名を受けなさい(教義18:21-25)。

    【イエス・キリストについての証】

  • パウロはイエスがキリストであることを証した(使徒18:5)。
  • 悪霊でさえも、イエスを知っていると証した(使徒19:15)。
  • 聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない(1コリ12:3)。
  • あらゆるものがひざをかがめ、また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白し(ピリ2:10-11)。
  • わたしたちはキリストのことを話し、キリストのことを喜び、キリストのことを説教し、キリストのことを預言し(2ニフ25:26)。
  • モルモン書は、イエスがキリストであられることをユダヤ人と異邦人に確信させる(2ニフ26:12[『モルモン書』のタイトルページ])。
  • 預言者と聖文はキリストについて証している(ヤコ7:11,19)。
  • 預言者たちと使徒たちが書き記してきたイエスを求めるように(エテ12:41)。
  • ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンは小羊を見、小羊が御父の独り子であられるという証の声を聞いた(教義76:20-24)。
  • 永遠の命とは、神とイエス・キリストとを知ることである(教義132:24)。
  • わたしちたちは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと、聖霊とを信じる(箇条1:1)。
  • わたしたちは、キリストが自ら地上を統治されることを信じる(箇条1:10)。

    【死後の現れ】

  • イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた(マコ16:9[ヨハ20:11-18])。
  • イエスはエマオへの道で二人の弟子と一緒に歩き、話をされた(ルカ24:13-34)。
  • イエスが弟子たちに御姿を現され、弟子たちはその手と足に触れた(ルカ24:36-43[ヨハ20:19-20])。
  • イエスはトマスに御姿を現された(ヨハ20:24-29)。
  • イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた(ヨハ21:1-14)。
  • イエスは復活の後、40日にわたって人々を教え導かれた(使徒1:2-3)。
  • ステパノは、イエスが神の右に立っておられるのを見た(使徒7:55-56)。
  • イエスはサウロに御姿を現された(使徒9:1-8[JS使徒9:7;使徒26:9-17])。
  • キリストは500人以上の兄弟たちに御姿を現された(1コリ15:3-8)。
  • イエス・キリストはニーファイの民に御自身を示された(3ニフ11:1-17)。
  • 2,500人の人々がイエスにまみえ、その声を聞いた(3ニフ17:16-25)。
  • モルモンは主の訪れを受けた(モル1:15)。
  • ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンは神の右にイエスを見た(教義76:22-23)。
  • ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは、カートランド神殿で主にまみえた(教義110:1-4)。
  • ジョセフ・スミスは神の右にイエスを見た(ジ-歴史1:15-17)。

    【キリストによる福千年の統治】

  • まつりごとはその肩にあり(イザ9:6[2ニフ19:6])。
  • わたしが来て、あなたの中に住むからである(ゼカ2:10-12[ゼカ14:9])。
  • 神は彼に父ダビデの王座をお与えになり(ルカ1:30-33)。
  • 主は世々限りなく支配なさる(黙示11:15)。
  • キリストと共に千年の間、支配した(黙示20:4[教義76:63])。
  • 聖者の民の義のために、サタンはまったく力を持たず(1ニフ22:26[黙示20:1-3])。
  • わたしは千年の間地上で人々とともに義のうちに住む(教義29:11[教義43:29-30])。
  • 治める権利を持つ者が治めるまで、今ある権力に従いなさい(教義58:22[1コリ15:25])。
  • キリストが自ら地上を統治される(箇条1:10[イザ32:1])。

    【裁き】

  • 主は正義をもって世界をさばき(詩篇9:8[3ニフ27:16])。
  • 主は地をさばくために来られる(詩篇96:13)。
  • 神は正しい者と悪い者とをさばかれる(伝道3:17)。
  • 彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い(イザ2:4[ミカ4:3;2ニフ12:4])。
  • 正義をもって貧しい者をさばき(イザ11:2-4)。
  • さばきのことはすべて、子にゆだねられた(ヨハ5:22)。
  • もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい(ヨハ8:16)。
  • 生者と死者との審判者として神に定められたかたである(使徒10:42[2テモ4:1])。
  • 神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれる(ロマ2:16)。
  • わたしたちはみな、キリストのさばきの座の前に立つのである(KJロマ14:10[2コリ5:10;アル12:12;モル3:20;7:6;エテ12:38;教義135:5])。
  • 人は皆、神の内にある真理と聖さによって裁かれる(2ニフ2:10)。
  • 行いに応じて裁かれるために神の御前に立つ(アル5:15[アル12:15;33:22;3ニフ27:14])。
  • 神とキリストが万民の審判者であられる(教義76:68)。


    イエス・キリストの教会
    参照:神の王国;天の王国,教会の名称,聖徒,福音の回復,まことの教会のしるし,末日聖徒イエス・キリスト教会

    バプテスマと確認によってイエス・キリストの名を受けた信者の組織。まことの教会であるということは、主の教会でなければならない。すなわち、主の権能、教え、律法、儀式、御名を持ち、主から任じられた代表者を通して、主によって治められていなければならない。

  • 主は、救われる者を日々仲間に加えて下さった(使徒2:47)。
  • わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり(ロマ12:5)。
  • わたしたちは皆、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け(1コリ12:13)。
  • 教会は使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられる(エペ2:19-20)。
  • 使徒や預言者は教会に欠けせない(エペ4:11-16)。
  • キリストが教会のかしらであって(エペ5:23)。
  • 多くの教会があったにもかかわらず、それらはすべて一つの教会であった(モサ25:19-22)。
  • 教会は清められ、秩序が確立された(アル6:1-6)。
  • キリストの教会は、キリストの名で呼ばれなければならない(3ニフ27:8)。
  • 教会員は断食し、祈るため、また互いに語り合うためにしばしば集まった(モロ6:5)。
  • これは唯一まことの生ける教会である(教義1:30)。
  • この終わりの時にキリストの教会が起こされた(教義20:1)。
  • 主は御自分の教会を築き上げるために僕を召される(教義39:13)。
  • わたしの教会は、終わりの時にこのように呼ばれなければならない(教会115:4)。


    イエス・キリストの降誕と死のしるし
    参照:イエス・キリスト

    イエス・キリストの降誕と死に伴って起きた数々の出来事。

    【降誕】

  • おとめがみごもって男の子を産む(イザ7:14)。
  • ベツレヘムから、イスラエルを治める者が出る(ミカ5:2)。
  • レーマン人サムエルは、2昼1夜がまるで1日のようになる日、暗くならない夜。新しい星、そのほかのしるしについて預言した(ヒラ14:2-6)。
  • しるしが成就した(3ニフ1:15-21)。

    【死】

  • レーマン人サムエルは、暗闇や雷、稲妻、地震について預言した(ヒラ14:20-27)。
  • しるしが成就した(3ニフ8:5-23)。


    イエス・キリストの再臨
    参照:イエス・キリスト,ゴグ,時のしるし,ハルマゲドン,マゴグ

    福千年の初めに、キリストは地上に戻って来られる。この出来事は、地球の現世の状態の終わりを告げるものである。悪人は地から除かれ、義人は地球が清められている間、雲の中に取り上げられる。キリストが再び来られる正確な日時はだれにも分からないが、キリストは、再臨の時が近いことを示すしるしとして、わたしたちが待ち受けるべきものを幾つか与えてくださった(マタ24章;ジ-マタ1章)。

  • 後の日に彼は必ず地の上に立たれる(ヨブ19:25)。
  • すべてのひざはわが前にかがみ、すべての舌は誓いをたてる(イザ45:23[教義88:104])。
  • 人の子のような者が、天の雲に乗ってきて(ダニ7:13[マタ26:64;ルカ21:25-28])。
  • 彼はその刺した者を見る(ゼカ12:10)。
  • 人が彼に「あなたの背中の傷は何か」と尋ねるならば(ゼカ13:6[教義45:51])。
  • その来る日には、だれが耐え得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり(マラ3:2[3ニフ24:2;教義128:24])。
  • 人の子は父の栄光のうちに来る(マタ16:27[マタ25:31])。
  • その日、その時は、だれも知らない。ただ父だけが知っておられる(マタ24:36[教義49:7;ジ-マタ1:38-48])。
  • このイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう(使徒1:11)。
  • 主ご自身が天から下ってこられる(1テサ4:16)。
  • 主の日は盗人のように襲って来る(2ペテ3:10)。
  • 主は無数の聖徒たちを率いてこられた(ユダ1:14)。
  • 彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目は、彼を仰ぎ見るであろう(黙示1:7)。
  • わたしが立って世の人々を裁く(3ニフ27:14-18)。
  • あなたがたは備えなさい。備えなさい。主は近いからである(教義1:12)。
  • わたしは力をもって、天から姿を現し、千年の間地上に住む(教義29:9-12)。
  • 声を上げ、悔い改めを叫んで、主の再臨のために道を備えるように(教義34:5-12)。
  • わたしはイエス・キリストである。わたしは突如わたしの神殿に来る(教義36:8[教義133:2])。
  • あなたがたがわたしを見て、わたしのいることを知る日がすぐに来る(教義38:8)。
  • わたしを畏れる者は、人の子の来臨のしるしを待ち望むであろう(教義45:39)。
  • 主の顔が現される(教義88:95)。
  • 主の大いなる恐るべき日が近く(教義110:16)。
  • 救い主が御姿を現されるとき、わたしたちは、救い主をありのままに見るであろう(教義130:1)。
  • 救い主がその民のただ中に立ち、すべての肉なるものを治める(教義133:25)。
  • 染めた衣をまとって天の神のみもとから降って来られるこの御方はどなたか(教義133:46[イザ63:1])。


    生かす
    参照:復活

    神のもとにいることができるように、人を命ある者とし、復活させ、変えること。

  • 神はわたしたちを、キリストと共に生かし(エペ2:4-5[コロ2:6,12-13])。
  • キリストは、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである(1ペテ3:18[教義138:7])。
  • 御霊によって変えられないかぎり、いまだかつて肉体において神を見た者はいない(教義67:11)。
  • 贖いは、万物を生かす者によって来る(教義88:16-17)。
  • 聖徒たちは、身を変えられて、キリストに会うために引き上げられる(教義88:96)。
  • アダムは内なる人において生かされる者となった(モセ6:65)。


    怒り
    参照:,憎しみ:憎む

    腹を立てた状態。主は聖徒たちに、怒りを抑えるように戒められた(マタ5:22)。家庭にあっては、親も子供も互いをののしってはならない。聖典では、怒りはしばしば火にたとえられる(2ニフ15:25;教義1:13)。

  • カインは大いに憤って、顔を伏せた(創世4:5)。
  • 主は怒ることおそく、いつくしみ豊かです(詩篇145:8)。
  • 柔らかい答は憤りをとどめ(箴言15:1)。
  • 憤りやすい者は争いをおこし、怒りをおそくする者は争いをとどめる(箴言15:18[箴言14:29])。
  • わが名のために、わたしは怒りをおそくする(イザ48:9)。
  • 民に、わたしはひねもす手を伸べて招いた。この民はまのあたり常にわたしを怒らせ(イザ65:2-3)。
  • もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい(マタ5:39)。
  • 父たる者よ。子供をおこらせないで(エペ6:4)。
  • わたしが真実を告げたので、あなたがたはわたしに対して怒っている(モサ13:4)。
  • 主は怒ってこの民を罰し(アル8:29)。
  • すべてのことの中に神の手を認めない者のほかに、どのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない(教義59:21)。
  • 主なるわたしは悪人のことを怒っており(教義63:32)。


    憤り
    参照:怒り

    生ける水
    参照:イエス・キリスト

    主イエス・キリストとその教えの象徴。肉体の命を保つのに水が不可欠であるように、永遠の命を得るには、救い主とその教え(生ける水)が欠かせない。

  • あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ(イザ12:3)。
  • 生ける水の源であるわたしを捨てて(エレ2:13)。
  • わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがない(ヨハ4:6-15)。
  • だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい(ヨハ7:37)。
  • 鉄の棒は人を生ける水の源に導く(1ニフ11:25)。
  • 価なしに命の水を飲む(教義10:66)。
  • 主の戒めは生ける水の井戸となる(教義63:23)。


    異言の賜物
    参照:,御霊の賜物

    聖霊の賜物の一つ。霊感を受けた人はこの賜物によって、自分が知らない言語を話したり、理解したり、通訳したりすることができる。わたしたちは異言の賜物を信じている(箇条1:7)。

  • 一同は聖霊に満たされ、いろいろの他国の言葉で語り出した(使徒2:4)。
  • 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである(1コリ14:1-5,27-28)。
  • 異言は未信者のためのしるしである(1コリ14:22-28)。
  • 火と聖霊によるバプテスマを受ける。すると天使の言葉で語ることができる(2ニフ31:13-14)。
  • 異言で語る賜物を信じるように説き勧めよう(オム1:25)。
  • ある人には、異言で語ることが許される。また、別の人には、異言の解釈が与えられる(教義46:24-25)[1コリ12:10;モロ10:8,15-16])。
  • 異言の賜物が注がれますように(教義109:36)。


    イサク(人名)
    参照:アブラハム

    『旧約聖書』の中の族長。老年のアブラハムとサラにイサクが生まれたのは、一つの奇跡であった(創世15:4-6;17:15-21;21:1-8)。アブラハムが進んでイサクをささげたことは、神と神の独り子の相似であった(ヤコ4:5)。イサクはアブラハムの聖約に伴う約束を受け継ぐ者であった(創世21:9-12;1ニフ17:40;教義27:10)。

  • 誕生(創世21:1-7)。
  • モリヤの山で犠牲としてささげられることになった(創世22:1-19[教義101:4])。
  • 結婚した(創世24章)。
  • 息子たちへの対応(創世27章;28:1-9)。
  • アブラハムやヤコブとともに昇栄を受けた(教義132:37[マタ8:11])。


    イザヤ(人名)
    参照:(なし)

    旧約の預言者。紀元前740-701年にかけて預言した。イザヤはヒゼキヤ王の中心的な相談役として、宗教と政治の両面で大きな影響力を持っていた。

    イエスは他のどの預言者の預言よりもイザヤの預言を多く引用された。イザヤの言葉は、ペテロ、ヨハネ、パウロによっても、『新約聖書』によく引用されている。『モルモン書』と『教義と聖約』は、他のどの預言者の言葉よりもイザヤの言葉を多く含み、その解釈に大きな貢献をしている。ニーファイはイザヤの言葉を引いて民を教えた(2ニフ12-24章;イザ2-14章)。主はニーファイ人に「イザヤの言葉はまことに偉大」であり、イザヤの預言したすべてのことは成就すると言われた(3ニフ23:1-3)。

    【イザヤ書】

    『旧約聖書』の中の1書。イザヤの預言の多くは贖い主の来臨について述べたものであり、主の地上での務め(イザ9:6)と末日における偉大な王としての来臨(イザ63章)の両面を含んでいる。イザヤはイスラエルの将来についても多くの預言を残している。

    第1章は、イザヤ書全体に対する序章である。イザヤ7:14;9:6-7;11:1-5;53:1-12;61:1-3は、救い主の使命をあらかじめ示すものである。第2;11;12;35章には、福音が回復されイスラエルが集められ、乾いた地がばらのように花咲く、末日の数々の出来事が記されている。第29章には、『モルモン書』の出現に関する預言がある(2ニフ27章)。第40-46章には、エホバが異教徒の礼拝する偶像神をしのぐまことの神であることが宣言されている。残る第47-66章には、主がその民の中にとどまられることとともに、イスラエルの最終的な回復とシオンの設立に伴う様々な出来事が描かれている。


    イシマエル(アブラハムの息子)(人名)
    参照:アブラハム,ハガル

    『旧約聖書』の中の人物。アブラハムとハガルの子供。ハガルはエジプト人で、サラのつかえめであった(創世16:11-16)。主はアブラハムとハガルに、イシマエルは大いなる国民の父祖になると約束された(創世21:8-21)。

  • 契約はイシマエルとではなく、イサクとの間に立てられた(創世17:19-21[ガラ4:22-5:1])。
  • 神はイシマエルに、多くの子孫を得させるとの祝福を与えられた(創世17:20)。
  • アブラハムを埋葬した(創世25:8-9)。
  • イシマエルの12人の息子の名が述べられる(創世25:12-16)。
  • イシマエルの死(創世25:17-18)。
  • エサウはイシマエルの娘マハラテを妻にめとった(創世28:9)。


    イシマエル(ニーファイの義父)(人名)
    参照:リーハイ(ニーファイの父)

    『モルモン書』の中の人物。約束の地へ旅するリーハイの一行に、家族とともに加わった。

  • イシマエルとその家族は、リーハイやその家族と一緒に約束の地へ行くよう招きを受けた(1ニフ7:2-5)。
  • リーハイの子供たちとイシマエルの子供たちが結婚した(1ニフ16:7)。
  • 荒れ野で死んだ(1ニフ16:34)。


    イスラエル
    参照:アブラハム−アブラハムの子孫,ヤコブ(イサクの息子),養子縁組

    『旧約聖書』には、イサクの子でありアブラハムの孫であるヤコブに、主がイスラエルという名を与えられたことが記されている(創世32:28;35:10)。このイスラエルという名は、ヤコブやその子孫に対して、またその子孫がかつて旧約の時代に築いた王国に対して用いられる(サ下1:24;23:3)。イスラエルの子らは、モーセによってエジプトの奴隷の状態から導き出された(出エ3-14章)後、300年以上にわたって士師により治められた。サウル王から始まりソロモンの死に至るまで、統一イスラエルは王による統治を受けた。ソロモンの死に際して、10の部族がレハベアムに背いて、別の国を作った。イスラエル王国の分裂後、数において勝っていた北の諸部族はイスラエルの名を継承したが、一方、南の王国はユダと呼ばれた。今日では、カナンの地もイスラエルと呼ばれている。別の意味で、イスラエルはキリストを心から信じる者を指す(ロマ10:1;11:7;ガラ6:16;エペ2:12)。

    【イスラエルの十二部族】

    アブラハムの孫でイスラエルと改名したヤコブには、12人の息子がいた。彼らの子孫は、イスラエルの十二部族、あるいはイスラエルの子らと呼ばれる。以下がその十二部族の名である。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン(以上はヤコブとレアの子)、ダンとナフタリ(ヤコブとビルハの子)、ガドとアセル(ヤコブとジルパの子)、ヨセフとベニヤミン(ヤコブとラケルの子)(創世29:32-30:24;35:16-18)。

    ヤコブは死を前にして、各部族の指導者に祝福を与えた(創世49:1-28)。詳細については、ヤコブのそれぞれの息子の項を参照のこと。

    ヤコブの最初の妻レアの第一子ルベンは、不品行のゆえに(創世49:3-4)、長子の特権の祝福と2倍の相続分とを失ってしまった。そして長子の特権は、ヤコブの2番目の妻ラケルの第一子ヨセフに与えられることになった(歴上5:1-2)。レビは、神権の務めをなす部族として主から選ばれ、全部族の中で特別な務めを果たすように召されたため、受け継ぎの地は与えられなかった。これによってヨセフは2倍分を相続し、二人の息子エフライムとマナセがそれを分け(歴上5:1;エレ31:9)、この二人はそれぞれ独立した部族と見なされた(JS創世48:5-6)。

    メシヤが来られるまでは、ユダの部族に属する者がイスラエルの民を統治することになっていた(創世49:10;JS創世50:24)。終わりの時に、エフライムの部族は世の人々に福音の回復の知らせを伝え、散らされたイスラエルを集める特権を持つ(申命33:13-17)。イエス・キリストの福音により、エフライムがイスラエルの全部族を統一させる業において指導的な役割を果たす時が来る(イザ11:12-13;教義133:26-34)。

    【イスラエルの散乱】

    主はイスラエルの十二部族を、その不義と背反のゆえに散らし、苦しめられた。しかし、主は選ばれた民をこのように国々の中に散乱させ、それによってその国々に祝福をもたらす機会とされた。

  • わたしはあなたがたを国々の間に散らし(レビ26:33)。
  • 主はもろもろの民のうちにあなたがたを散らされるであろう(申命28:25,37,64)。
  • わたしは彼らを地の万国に忌みきらわれるものとなし(エレ29:18-19)。
  • わたしはイスラエルの家を万国民のうちでふるう(アモ9:9[ゼカ10:9])。
  • イエスはイスラエルの家の失われた羊に遺わされた(マタ15:24)。
  • わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある(ヨハ10:16)。
  • イスラエルは地の全面に散らされる(1ニフ22:3-8)。
  • ヤコブ、栽培されたオリーブの木と野性のオリーブの木についての、ゼノスの述べた比喩を引用する(ヤコ5-6章)。
  • 父の業は、散らされた者の中で始まるであろう(3ニフ21:26)。

    【イスラエルの集合】

    イスラエルの家は、キリストの来臨に先立って終わりの時に集められる(箇条1:10)。主が御自分の民イスラエルを集められるのは、彼らが主を受け入れ、主の戒めを守るときである。

  • 主は旗をあげて招き、彼らは走って来る(イザ5:26)。
  • わたしは大いなるあわれみをもってあなたを集める(イザ54:7)。
  • イスラエルとユダは彼らの地に集められる(エレ30:3)。
  • 主はイスラエルの家の者を、その散らされたもろもろの民の中から集められる(エゼ28:25)。
  • 時の満ちる神権時代に、神はすべてのものを、キリストにあって一つに帰せしめようとされた(エペ1:10)。
  • イスラエルは散らされるが、また集められる(1ニフ15:12-17)。
  • 主はイスラエルの家に属する民をすべて集められる(1ニフ19:16[3ニフ16:5])。
  • 彼らはその受け継ぎの地に集められます。そして暗黒から連れ戻されます(1ニフ22:12)。
  • 神はその子らを集めて、数えられる(1ニフ22:25)。
  • 異邦人の国民はイスラエルを受け継ぎの地に連れ戻す(2ニフ10:8[3ニフ16:4])。
  • わたしの民は集め戻され、わたしの言葉も一つに集められる(2ニフ29:13-14)。
  • 長老たちは選民を集めるために召されている(教義29:7[教義39:11])。
  • わたしはわたしの選民を集めよう(教義33:6)。
  • あなたがたが義にかなった民としてわたしのもとに集められるために(教義38:31-33)。
  • わたしがイスラエルの家に属するわたしの民を再び元に戻す(教義39:11)。
  • 聖徒たちは地の四方から出て来るであろう(教義45:46)。
  • モーセが集合の鍵をゆだねた(教義110:11)。
  • 義と真理は洪水のように地を満たし、主の選民を集める(モセ7:62)。
  • 集合が、死体にはげたかが集まることにたとえられる(ジ-マタ1:27)。

    【 行方の知れない十部族】

    イスラエルの北王国を成していた十部族は、紀元前721年にアッシリア(アッスリヤ)に捕囚として連れ去られた。それから彼らは「北の地」へ向かい、やがて消息を絶った。この十部族は終わりの時に戻って来る。

  • わたしは北にむかって「ゆるせ」と言い(イザ43:6)。
  • 人々は北から来る(イザ49:12[1ニフ21:12])。
  • ユダとイスラエルは北の地から出て、共に来る(エレ3:18)。
  • イスラエルの民を北の国から導き出した主は生きておられる(エレ16:14-16)。
  • わたしは彼らを北の国から連れ帰り(エレ31:8)。
  • ニーファイ人とユダヤ人は、イスラエルの行方の知れない部族の言葉を得る(2ニフ29:12-13)。
  • わたしはイスラエルの行方の知れない部族にもわたし自身を現そう(3ニフ17:4)。
  • 福音がイスラエルの家の残された者たちに宣べ伝えられるとき、行方の知れない部族が彼らの受け継ぎの地に戻される(3ニフ21:26-29)。
  • モーセがジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにイスラエルの集合の鍵をゆだねた(教義110:11)。
  • 北の地にいる者たちは主の前に覚えられるようになる(教義133:26-32)。
  • わたしたちは、イスラエルの文字どおりの集合を信じる(箇条1:10)。


    イスラエルの家
    参照:イスラエル

    イスラエルの子ら
    参照:イスラエル

    イスラエルの集合
    参照:イスラエル−イスラエルの集合

    イスラエルの十二部族
    参照:イスラエル−イスラエルの十二部族

    イスラエルの聖者
    参照:イエス・キリスト

    イゼベル(人名)
    参照:アハブ

    『旧約聖書』の中の人物。フェニキア出身の邪悪な女。エリヤが預言者であったときのイスラエルの王アハブの妻(列上16:30-31)。

    イゼベルとアハブの結婚は、他のいかなる出来事にも増して、イスラエルの北王国の衰亡の大きな原因となった。イゼベルは、母国フェニキアからイスラエルに、エホバ礼拝に代えて最も邪悪な偶像礼拝の様式を持ち込んだのである(列上18:13,19)。

  • 神の預言者を大勢殺した(列上18:4)。
  • エリヤを殺そうとした(列上19:1-3)。
  • イゼベルの悪行は悲惨な死をもって終わった(列下9:30-37)。


    イッサカル(人名)
    参照:イスラエル,ヤコブ(イサクの息子)

    『旧約聖書』の中の人物。ヤコブとレアの息子(創世30:17-18;35:23;46:13)。イッサカルの子孫はイスラエル十二部族の一つとなった。

    【イッサカルの部族】

    ヤコブがイッサカルに授けた祝福は、創世49:14-15に記されている。カナンに定住した後、この部族はエスドラエロン平原を含むパレスチナで最も肥沃な地を与えられた。イッサカルの領域には、カルメル、メギド、ドタン、ギルボア、エズレル、タボル、ナザレ(ヨシ19:17-23)など、ユダヤ人の歴史の中で重要な場所が幾つかあった。


    一致
    参照:神;神会

    思いや望み、目的において、まず天の御父とイエス・キリスト、次に他の聖徒たちと一つになること。

  • 兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう(詩篇133:1)。
  • わたしと父とは一つである(ヨハ10:30[教義50:43])。
  • わたしたちが一つであるように、彼らも一つとなるためであります(ヨハ17:11-23[3ニフ19:23])。
  • お互の間に分争がないようにし、堅く結び合っていてほしい(1コリ1:10)。
  • 思いを一つにし、心を一つにして決意を固め、あらゆることに結束しなさい(2ニフ1:21)。
  • 互いに和合し、愛し合って結ばれた心を持ち(モサ18:21)。
  • イエスはニーファイ人の間に一致があるように祈り求められた(3ニフ19:23)。
  • 弟子たちは集まり、一つになって熱烈に祈り、断食をした。(3ニフ27:1)。
  • 御父と御子と聖霊は、一つの神であられる(教義20:27-28[教義35:2;50:43])。
  • まことの教会に加わるのが、あなたの務めである(教義23:7)。
  • あなたがたが信仰をもって求めるものは、何でも与えられるであろう(教義29:6)。
  • もしもあなたがたが一つでなければ、あなたがたはわたしのものではない(教義38:27)。
  • 主はその民をシオンと呼ばれた。彼らが心を一つにし、思いを一つにし、義のうちに住んだからである(モセ7:18)。


    一夫多妻制
    参照:結婚−多妻結婚

    偽り
    参照:欺き,悪口,正直

    欺くことを目的に、真実でないことを言うこと。

  • 互に偽ってはならない(レビ19:11)。
  • わたしは偽りを憎み、忌みきらいます(詩篇119:163)。
  • 偽りを言うくちびるは主に憎まれ(箴言12:22)。
  • 彼らはわが民、偽りのない子らである(イザ63:8)。
  • 彼は偽り者であり、偽りの父である(ヨハ8:44[2ニフ2:18;エテ8:25;モセ4:4])。
  • あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ(使徒5:4[アル12:3])。
  • 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である(1ヨハ4:20)。
  • すべて偽りを言う者は第二の死を報いとして受ける(黙示21:8[教義63:17])。
  • 偽りを言う者は災いである。彼は地獄に突き落とされるからである(2ニフ9:34)。
  • 少しばかり偽りを言っても悪いことではない、と言う者が大勢いる(2ニフ28:8-9[教義10:25])。
  • 主に向かって偽りを言えるであろうか(アル5:17)。
  • あなたは真理の神であり、偽りを言われることはありません(エテ3:12[民数23:19;サ上15:29;テト1:2;ヘブ6:18;エノ1:6])。
  • 偽りを言って悔い改めようとしない者は、追い出されなければならない(教義42:21)。
  • 偽りを言う者は星の栄えの世界を受け継ぐ(教義76:81,103-106)。
  • わたしたちは、正直であるべきことを信じる(箇条1:13)。



    参照:永遠の命,光;キリストの光

    神の力によってこの世的また霊的な存在が可能とされているもの。

  • わたしは、きょう、命とさいわいをあなたの前に置いた(申命30:15-20)。
  • あなたはいのちの道をわたしに示される(詩篇16:11)。
  • 正義を追い求める者は、命を得る(箴言21:21)。
  • 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう(マタ10:39[マタ16:25;マコ8:35;ルカ9:24;17:33])。
  • この言に命があった。そしてこの命は人の光であった(ヨハ1:4)。
  • わたしをつかわされたかたを信じる者は、死から命に移っている(ヨハ5:24)。
  • わたしは道であり、真理であり、命である(ヨハ14:6)。
  • もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、最もあわれむべき存在となる(1コリ15:19-22)。
  • 信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる(1テモ4:8)。
  • キリストの内にある命を待ち望むことができるようにする(2ニフ25:23-27)。
  • 現世は人が神にお会いする用意をする時期である(アル34:32[アル12:24])。
  • わたしは世の光であり命である(3ニフ9:18[モサ16:9;3ニフ11:11;エテ4:12])。
  • 忠実な者は、生きるも死ぬも幸いである(教義50:5)。
  • 永遠の命とは、神とイエス・キリストとを知ることである(教義132:24)。
  • 人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと、これがわたしの業であり、わたしの栄光である(モセ1:39)。


    命の木
    参照:エデン

    エデンの園と神のパラダイスにある木(創世2:9;黙示2:7)。リーハイの夢の中の命の木は神の愛を象徴し、神のあらゆる賜物の中で最も大いなるものとされている(1ニフ8章;11:21-22,25;15:36)。

  • ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた(創世3:24[アル12:21-23;42:2-6])。
  • ヨハネは命の木と、その木の葉が諸国民を癒す力を持っているのを見た(黙示22:2)。
  • リーハイは命の木を見た(1ニフ8:10-35)。
  • ニーファイは父が見た木を見た(1ニフ11:8-9)。
  • 鉄の棒は命の木に導く神の言葉である(1ニフ11:25[1ニフ15:22-24])。
  • 恐ろしい淵が悪人を命の木から隔てていた(1ニフ15:28,36)。
  • 禁断の実に対しては命の木がある(2ニフ2:15)。
  • わたしのもとに来なさい。あなたがたは命の木の実を食べるであろう(アル5:34,62)。
  • もしもわたしたちの始祖が行って命の木から食べることができたとすれば、とこしえに不幸な状態でいたことであろう(アル12:26)。
  • 御言葉を養おうとしなければ、あなたがたは決して命の木の実を得ることができない(アル32:40)。
  • 主は園の中央に命の木を植えられた(モセ3:9[アブ5:9])。
  • 神は、アダムが命の木からも取って食べ、永久に生きることのないように、彼をエデンの園から追い出された(モセ4:28-31)。


    命の書
    参照:覚えの書

    ある意味で命の書とは、人の思いと行いを一まとめにしたもので、人生の記録である。しかし聖典は、忠実な人について記録が残されているとも教えている。その書には忠実な人々の名前と、彼らの義にかなった行いが記されている。

  • 主は罪を犯した者を主の書から消し去られる(出エ32:33)。
  • 勝利を得る者は、その名をいのちの書から消されない(黙示3:5)。
  • もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった(黙示20:12[教義128:6-7])。
  • 義人の名は命の書に書き記される(アル5:58)。
  • あなたがたの祈りは聖められた者の名前の書に記録されている(教義88:2)。


    命のパン
    参照:イエス・キリスト,聖餐

    イエス・キリストは命のパンである。聖餐のパンはキリストの体を象徴的に表している。

  • わたしが命のパンである(ヨハ6:33-58)。
  • 命のパンを食べ、命の水を飲みなさい(アル5:34)。
  • キリストの体の記念にパンを食べる(3ニフ18:5-7)。
  • パンはキリストの肉の象徴である(教義20:40,77[モロ4:1-3])。


    祈り
    参照:アーメン,深く考える,求める,礼拝

    神に感謝し、祝福を願い求める、厳粛な神との交わり。祈りはイエス・キリストの名によって天父にささげる。祈りは声に出すこともできるし、心の中で唱えることもできる。神に向けられたものであれば、人が心に思うことも祈りといえる。義人の歌もまた神への祈りとなる(教義25:12)。

    祈りの目的は、神の御心を変えることではなく、神がわたしたちに与えようとすでに備えておられる祝福を、自分のため、また人々のために得ることである。しかし、それを得るには求めなければならない。

    わたしたちはキリストの名によって御父に祈る(ヨハ14:13-14;16:23-24)。自分の望みとキリストが望んでおられることが一致するときに、わたしたちは真の意味でキリストの名により祈ることができる(ヨハ15:7;教義46:30)。そうするときに、わたしたちは、正当であって神が与えるのをよしとされることを願い求めるのである(3ニフ18:20)。祈りによっては、キリストが望んでおられることではなく、人間の利己心から出たものであるために、聞き届けられないものもある(新ヤコ4:3;教義46:9)。確かに、不当なことを神に求めるなら、それは罪の宣告となるのである(教義88:65)。

  • この時、人々は主の名を呼び始めた(創世4:26)。
  • 祭壇の所に行き、そこでアブラムは主の名を呼んだ(創世13:4)。
  • アブラハムの僕はイサクの妻を見つけられるよう助けを祈り求めた(創世24:10-19)。
  • わたしは、あなたがたのために祈ることをやめて主に罪を犯すことは、けっしてしないであろう(サ上12:23)。
  • 主は正しい者の祈を聞かれる(箴言15:29)。
  • あなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会う(エレ29:12-13)。
  • 迫害する者のために祈れ(マタ5:44[ルカ6:28;3ニフ12:44])。
  • 隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい(マタ6:5-8[3ニフ13:5-8])。
  • だから、あなたがたはこう祈りなさい(マタ6:9-13[ルカ11:2;3ニフ13:9])。
  • 求めよ、そうすれば、与えられるであろう(マタ7:7[3ニフ14:7;教義4:7;6:5;66:9])。
  • イエスは祈るためひそかに山へ登られた(マタ14:23)。
  • 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい(マタ26:41[マコ14:38;3ニフ18:15-18;教義31:12])。
  • 疑わないで、信仰をもって願い求めなさい(新ヤコ1:5-6[教義42:68;46:7])。
  • 義人の祈りは、大いに力があり(新ヤコ5:16)。
  • 祈るように人に教えてくださる御霊に耳を傾ける(2ニフ32:8-9)。
  • わたしは熱烈な祈りをもって造り主に叫び求めた(エノ1:4)。
  • わたしは幾日もの間、断食をして祈ってきた(アル5:45-46[アル26:22])。
  • しばしば祈り、また断食もした(アル17:3)。
  • ゼノスが祈りについて、すなわち礼拝について述べたものを覚えているだろうか(アル33:3)。
  • へりくだって、神に祈り続けなさい(アル34:18-27)。
  • あなたのすべての行いについて主と相談しなさい(アル37:37)。
  • あなたがたは、わたしの名によって常に父に祈らなければならない(3ニフ18:19-20)。
  • あなたがたの家族の中で祈りなさい(3ニフ18:21)。
  • イエスは御父に祈られた(3ニフ19:31-34[ヨハ17章;3ニフ18:16])。
  • イエスは、心の中で祈ることはやめないようにと命じられた(3ニフ20:1)。
  • 神に祈っても、真心からしなければ、その人にとって何の役にも立たない(モロ7:6-9)。
  • 求めてはならないものを求めないようにしなさい(教義8:10)。
  • 勝利者となるために、常に祈りなさい(教義10:5)。
  • あなたに命じる。あなたは心の中で祈るだけでなく、声に出しても祈りなさい(教義19:28)。
  • 御霊は信仰の祈りによってあなたがたに与えられるであろう(教義42:14)。
  • 祈りの家に行って、聖式をささげなければならない(教義59:9[マタ21:13])。
  • 子供たちに祈ることを教えなければならない(教義68:28)。
  • 主なる彼らの神は、彼らの祈りを聴くのを遅くする(教義101:7-8[モサ21:15])。
  • 謙遜でありなさい。そうすれば、主なるあなたの神はあなたの祈りに答えを与えるであろう(教義112:10)。
  • アダムは、御子の名によって神に呼び求めるように命じられた(モセ5:8)。
  • 御父と御子がジョセフ・スミスの祈りにこたえて御姿を現された(ジ-歴史1:11-20)。


    異邦人
    参照:(なし)

    聖典で用いられている「異邦人」という言葉には幾つかの意味がある。あるときはイスラエルの血統に属さない人々を指し、あるときはユダヤ人の血統以外の人々を指す。あるいは、イスラエルの血が幾分入っていても、福音を持っていない民を指す場合もある。この最後の用法は、『モルモン書』や『教義と聖約』に特に顕著である。

  • イスラエル人は異邦人と婚姻してはならない(申命7:1-3)。
  • わたしはあなたを、もろもろの国びとの光として与え(イザ42:6)。
  • ペテロは異邦人に福音を伝えるように命じられた(使徒10:9-48)。
  • 神は、異邦人にも悔改めをお与えになった(使徒11:18)。
  • わたしたちは、ユダヤ人もギリシヤ人も、一つのからだとなるようにバプテスマを受け(1コリ12:13)。
  • 異邦人が、福音によりキリストにあって、共に神の国をつぐ者となり(エペ3:6)。
  • 『モルモン書』は異邦人のために記録された(『モルモン書』のタイトルページ[モル3:17])。
  • 異邦人の中の一人の男が大海を渡った(1ニフ13:12)。
  • ほかにも幾つかの書物が異邦人から伝わった(1ニフ13:39)。
  • 完全な福音が異邦人に与えられ(1ニフ15:13[3ニフ16:7;教義20:9])。
  • この地は異邦人にとって自由の地となり(2ニフ10:11)。
  • 異邦人は1本の野性のオリーブの木にたとえられる(ヤコ5章)。
  • 福音は異邦人の時にもたらされる(教義45:28[教義19:27])。
  • 御言葉が地の果てまで、すなわちまず異邦人のもとに出て行き、それから、ユダヤ人に向かう(教義90:8-10)。
  • 七十人は異邦人に対する特別な証人となる(教義107:25)。
  • わたしは教会の長老たちを、もろもろの国民に遣わしなさい。まず異邦人へ、次いでユダヤ人へと呼びかけなさい(教義133:8)。


    戒め(神の)
    参照:言葉(神の),十戒,従順;従う,,律法

    神が人類に対し、個人的にあるいは一つの民としてお授けになる律法や要求。戒めを守る人には、主の祝福が授けられる(教義130:21)。

  • ノアはすべて神の命じられたようにした(創世6:22)。
  • わたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って(レビ26:3)。
  • わたしの戒めを守って、命を得よ(箴言4:4[箴言7:2])。
  • もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである(ヨハ14:15[教義42:29])。
  • 願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守っているからである(1ヨハ3:22)。
  • 神の戒めはむずかしいものではない(1ヨハ5:3)。
  • 主の戒めを守ることにおいて揺るぎなくあるように(1ニフ2:10)。
  • 主が命じられることには道が備えられており、それでなくては、主は何の命令も下されない(1ニフ3:7)。
  • わたしは神の厳しい命令に従ってこれを果たさなければならない(ヤコ2:10)。
  • あなたがたはわたしの命令を守るかぎり地に栄える(ジェロ1:9[アル9:13;50:20])。
  • 神の戒めを守ることを若いうちに習慣としなさい(アル37:35)。
  • これらの戒めはわたしから出ており(教義1:24)。
  • これらの戒めを調べなさい(教義1:37)。
  • 戒めを守らなければ、救われることはできない(教義18:46[教義25:15;56:2])。
  • わたしの戒めは霊にかかわるものだからである。それらは自然のものでも、現世のものでもなく(教義29:35)。
  • あなたがたに戒めを与えて、あなたがたがわたしの思いを理解できるようにする(教義82:8)。
  • わたしには分かりません。ただ、主がわたしに命じられたのです(モセ5:6)。
  • 主は、御自分が命じるすべてのことを人がなすかどうかを御覧になる(アブ3:25)。


    戒めの書
    参照:教義と聖約,啓示

    預言者ジョセフ・スミスが受けた多くの啓示が、1833年に『キリストの教会の統治のための戒めの書』という書名で出版されることになり、その準備が進められた。主は御自分の僕たちとの交わりを続けられ、2年後に増補版が『教義と聖約』として出版された。

  • 教義と聖約第1章は、主の戒めの書へのはしがきである(教義1:6)。
  • 主は最も賢い者に、『戒めの書』の中の最も小さい啓示と同等のものを書くように挑まれた(教義67:4-9)。
  • 啓示を出版するために管理人となる者たちが聖任された(教義70:1-5)。


    忌まわしい行い
    参照:

    聖典では、義人や清い人々に不愉快な思いや嫌悪感を抱かせるものとして用いられる言葉。

  • 偽りを言うくちびるは主に憎まれる(箴言12:22)。
  • 高慢は主の目に忌まわしいことである(ヤコ2:13-22)。
  • 悪人は自分の忌まわしい行いの恐ろしい思いに引き渡される(モサ3:25)。
  • 不貞は、人を殺すことや聖霊を否定することを除いて、最も忌まわしい罪である(アル39:3-5)。
  • 主の憤りは、彼らの忌まわしい行いに向かって燃えている(教義97:24)。


    忌まわしい教会
    参照:悪魔−悪魔の教会

    癒し
    参照:油注ぎ,病人への癒しの祝福

    肉体的また霊的に健康な状態に戻すこと。聖典には、主とその僕による奇跡的な癒しの実例が数多く記録されている。

  • わたしは主であって、あなたをいやすものである(出エ15:26)。
  • ナアマンは7たびヨルダンに身を浸すと、清くなった(列下5:1-14)。
  • その打たれた傷によって、われわれはいやされた(イザ53:5[モサ14:3])。
  • 義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている(マラ4:2)。
  • イエスはあらゆるわずらいをおいやしになった(マタ4:23[マタ9:35])。
  • イエスは十二弟子にあらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった(マタ10:1)。
  • 主はわたしをつかわして、打ちひしがれている者に自由を得させ(ルカ4:18)。
  • 人々は神の小羊の力によって癒され(1ニフ11:31)。
  • キリストの贖いを信じるならば、あなたは癒しを得られます(アル15:8)。
  • イエスは、連れて来られた者をことごとく癒された(3ニフ17:9)。
  • 癒されるという信仰を持っている者は、癒されるであろう(教義42:48)。
  • わたしの名によって、彼らは病人を癒す(教義84:68)。
  • わたしたちは、癒しの賜物があることを信じる(箇条1:7)。



    参照:イエス・キリスト,啓示,福音

    堅固な土台であり支えであるイエス・キリストとその福音を象徴的に示す(教義11:24;33:12-13)。神が人に福音を明らかにされる手段である啓示を示す言葉としても用いられる(マタ16:15-18)。

  • 主は岩であって、そのみわざは全く(申命32:4)。
  • 主はわが岩、わたしは彼に寄り頼む(サ下22:2-3)。
  • 一つの石が人手によらずに切り出されて(ダニ2:34-35)。
  • 岩を土台としているからである(マタ7:25[3ニフ14:25])。
  • イエス・キリストは家造りらに捨てられた石である(使徒4:10-11)。
  • この岩はキリストにほかならない(1コリ10:1-4[出エ17:6])。
  • 岩の上に建てられる者は喜んで神の真理を受け入れる(2ニフ28:28)。
  • ユダヤ人はその上に建物を建てることのできる石を拒む(ヤコ4:15-17)。
  • 贖い主の岩の上に基を築かなければならない(ヒラ5:12)。
  • キリストの教義の上に建てる者はキリストの岩の上に建てるのであり、洪水が起こっても倒れない(3ニフ11:39-40[マタ7:24-27;3ニフ18:12-13])。
  • 賢い人は岩の上に家を建てる(3ニフ14:24)。
  • あなたがたがわたしの岩の上に建てられるならば、それら[この世と地獄]は打ち勝つことができない(教義6:34)。
  • この岩の上に建てる者は、決して倒れることはない(教義50:44)。
  • わたしはメシヤであり、シオンの王であり、天の岩である(モセ7:53)。


    インマヌエル
    参照:イエス・キリスト

    イエス・キリストの呼び名の一つ。「神われらとともにいます」という意味のヘブライ語から出た言葉。

    インマヌエルは神の救いのしるしとして与えられた呼称である(イザ7:14)。マタイは、インマヌエルに関するイザヤの言葉はイエスの降誕の預言であると、明確な指摘をしている(マタ1:18-25)。この呼び名は末日聖典にも出てくる(2ニフ17:14;18:8;教義128:22)。