ミカ(人名)
参照:(なし)

旧約の預言者。ミカはユダの平野のモレセテ・ガテ出身の人物で、ヒゼキヤが王位にあったときに預言者としての務めを果たした(ミカ1:1-2)。

【ミカ書】

  • ミカ書は、メシヤがお生まれになる場所としてベツレヘムの名を挙げた『旧約聖書』中のただ一つの書である(ミカ5:2)。
  • 主はこの書の中で御自分の民に勧告を与えるとともに、過去に与えた数々の慈しみを列挙し、彼らに正義と憐れみと謙遜さを求められた(ミカ6:8)。


    ミカエル(人名)
    参照:アダム,天使長;天使のかしら

    アダムの前世における名。天使長と呼ばれる。ヘブライ語で「神のような者」の意。

  • 天使の長のひとりであるミカエルがきて(ダニ10:13,21[教義78:16])。
  • 大いなる君ミカエルが立ちあがります(ダニ12:1)。
  • 御使のかしらミカエルは、悪魔と論じ争った(ユダ1:9)。
  • ミカエルとその御使たちとが、龍と戦った(黙示12:7[ダニ7章])。
  • ミカエルはアダムである(教義27:11[教義107:53-57;128:21])。
  • 天使長ミカエルはラッパを吹き鳴らす(教義29:26)。
  • ミカエルは彼の軍勢を集め、サタンと戦う(教義88:112-115)。
  • 悪魔を暴いたミカエルの声(教義128:20)。


    身代わり
    参照:儀式-身代わりの儀式,死者の救い

    ミズーリ
    参照:新エルサレム

    御霊の賜物
    参照:賜物

    ふさわしい人に主がお授けになる特別な霊的祝福。この賜物はその人自身を益するため、またそれを用いて他の人々に祝福をもたらすために授けられる。御霊の賜物の説明については、教義と聖約46:11-33;1コリント12:1-12;モロナイ10:8-18を参照のこと。

  • 更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい(1コリ12:31[1コリ14:1])。
  • ニーファイ人は多くの御霊の賜物を受けた(アル9:21)。
  • 主はもはや腸物、聖霊の力によって業を行われることはないと言う者は、災いである(3ニフ29:6)。
  • 神は忠実な者たちに賜物を与えられる(モル9:7)。
  • 賜物はすべて、キリストの御霊によって授けられる(モロ10:17)。
  • 賜物は多くあり、各人に神の御霊によって一つの賜物が与えられるのである(教義46:11)。
  • 教会の指導者は御霊の賜物を識別する力を与えられる(教義46:27)。
  • 教会の大管長は神のすべての賜物を持つ(教義107:92)。



    参照:歩む(神とともに),イエス・キリスト

    人が従って行く進路。イエスは御自身を道と呼ばれた(ヨハ14:4-6)。

  • あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで(申命8:6)。
  • 子をその行くべき道に従って教えよ(箴言22:6[2ニフ4:5])。
  • わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる(イザ55:8-9)。
  • 命にいたる門は狭く、その道は細い(マタ7:13-14[3ニフ14:13-14;27:33、教義132:22,25])。
  • のがれる道も備えて下さる(1コリ10:13)。
  • 主が命じられることには、道が備えられており、それでなくては、主は何の命令も下されない(1ニフ3:7[1ニフ9:6;17:3,13])。
  • その門を通る以外に、ほかの道はない(2ニフ9:41)。
  • あなたがたは、永遠の死の道を選ぶことも、永遠の命の道を選ぶことも自由である(2ニフ10:23)。
  • これが道である。そして、このほかには道も名もない(2ニフ31:21[モサ3:17;アル38:9;ヒラ5:9])。
  • すべての人が自分の道を歩む(教義1:16)。


    御使い
    参照:天使

    見守る;見守る者
    参照:警告

    絶えず警戒すること、用心すること。絶えず心を配り、従う人は備えができた状態にある。見守る者とは、人々のために特定の貴任を受けるよう主の代表者から召された指導者を指す。また指導者として召された人々には、世の残りの人々に対しても見守る者となる特別な責任がある。

  • わたしはあなたを見守る者とした(エゼ3:17-21)。
  • わたしはあなたを立てて、イスラエルの家を見守る者とする(エゼ33:7-9)。
  • だから、目をさましていなさい。いつの日に主がこられるのか、わからないからである(マタ24:42-43[マタ25:13;マコ13:35-37;教義133:10-11])。
  • 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい(マタ26:41[3ニフ18:15,18])。
  • もし自分自身や自分の思い、言葉、行いに注意を払わないならば、あなたがたは滅びるに違いない(モサ4:30)。
  • アルマは教会を管理し見守る祭司たちと長老たちを聖任した(アル6:1)。
  • 救い主を待ち受けない者は絶たれる(教義45:44)。
  • 教会を見守るように神が選んで聖任する人々には、すべての賜物を見分けることが許される(教義46:27)。
  • 主は果樹園に見張り人たちを置かれた(教義101:44-58)。



    参照:聞き従う;聴く

    聖典では、神に関する事柄を聞いて理解する能力の象徴としてよく用いられる。

  • 耳があっても聞くことができない(詩篇115:6)。
  • わたしの耳をさまして(イザ50:4-5[2ニフ7:4-5])。
  • 耳のある者は聞くがよい(マタ11:15)。
  • その耳は聞えにくく(マタ13:15[モセ6:27])。
  • 目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた(1コリ2:9[教義76:10])。
  • 悪魔は彼らの耳にささやいて(2ニフ28:22)。
  • 耳を開いて聞き(モサ2:9[3ニフ11:5])。
  • 幾度となく呼ばれたが、わたしは聞こうとしなかった(アル10:6)。
  • わたしの言葉に耳を傾けなさい(アル36:1[アル38:1;教義58:1])。
  • 耳として聞かないものはなく(教義1:2)。
  • 耳が開かれて聞けるように、へりくだって主なる神に呼び求める(教義136:32)。


    ミュレク(人名)
    参照:ゼデキヤ

    『旧約聖書』の王ゼデキヤの息子(紀元前589年ごろ)。『聖書』には、ゼデキヤの息子たちは皆殺されたように書かれている(列下25:7)が、『モルモン書』は、ミュレクが生き延びたことを明確に述べている(ヒラ8:21)。

  • ゼラヘムラはミュレクの子孫であった(モサ25:2)。
  • ミュレクの民とニーファイ人が一つになった(モサ25:13)。
  • 主はミュレクを北の地へ導かれた(ヒラ6:10)。
  • ゼデキヤの息子たちはミュレクを除いて皆殺された(ヒラ8:21)。


    ミリアム(人名)
    参照:モーセ

    『旧約聖書』の中の人物。モーセの姉(民数26:59)。

  • パピルスで編んだかごを見守った(出エ2:1-8)。
  • タンバリンを手にした女たちがその後に従った(出エ15:20-21)。
  • モーセを非難し、らい病となったが、癒された(民数12:1-15[申命24:9])。


    身を変えられた人
    参照:(なし)

    復活して不死不滅となるまで、痛みや死を味わうことがないように体の状態を変えられた人。

  • エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった(創世5:24[ヘブ11:5;教義107:48-49])。
  • 今日までモーセの墓を知る人はない(申命34:5-6[アル45:19])。
  • エリヤはつむじ風に乗って天にのぼった(列下2:11)。
  • わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか(ヨハ21:22-23[教義7:1-3])。
  • あなたがたは決して死を味わうことがない(3ニフ28:7)。
  • 彼らが死を味わわないように、ある変化が彼らの体に生じ(3ニフ28:38[4ニフ1:14;モル8:10-11])。
  • 主から愛されたヨハネは、主が来られるときまで生き長らえる(教義7章)。
  • わたしは自分の懐にエノクのシオンを受け入れた(教義38:4[モセ7:21,31,69])。
  • エノクとその同胞は、義の日が来るまで残しておかれる町である(教義45:12)。
  • エリヤは死を味わうことなく天に取り去られた(教義110:13)。
  • 聖霊が多くの者に降り、彼らはシオンに連れ去られた(モセ7:27)。


    民数記
    参照:五書

    『旧約聖書』の4番目の書。この書はモーセによって書かれた。民数記は、シナイ山からカナンの国境にあるモアブの平地に至るまでのイスラエル人の旅の物語を描いている。民数記の重要な教訓の一つは、神の民が成功の道を歩み続けるには、神の約束を信頼し、信仰によって歩まなければならないと、いうことである。民数記には、イスラエル人の不従順に対して下された神の罰と、イスラエルの律法に関する事柄が記録されている。民数記という書名は、氏族の数の調査に由来する(民数1-2;26章)。

    第1-10章には、イスラエル人のシナイを出発する準備の様子が記録されている。第11-14章には。旅そのもの、またカナンの地への斥候の派遺、イスラエル人が約束の地に入るのを拒まれたことが記録されている。第15-19章には、様々な律法と歴史上の出来事が記されている。第20-36章には、荒れ野で過ごした最後の年の出来事が述べられている。