紅海
参照:モーセ
エジプトとアラビアの間にある海。紅海北部の二つの湾に挟まれた所にシナイ半島がある。モーセに導かれたイスラエル人が乾いた地を通って行けるように、主の奇跡によって紅海の水が分けられた(出エ14:13-31;ヘブ11:29)。モーセが紅海の水を分けたことは、末日の啓示の中でも確認されている(1ニフ4:2;ヒラ8:11;教義8:3;モセ1:25)。
高価な真珠
参照:スミス、ジョセフ、ジュニア,正典,聖文
地上の神の王国は「高価な真珠」にたとえられる(マタ13:45-46)。
末日聖徒イエス・キリスト教会の「標準聖典」と呼ばれる4書の中の一つ。『高価な真珠』の初版は1851年に出版され、その中には現在の『教義と聖約』にある幾つかの文書も含まれていた。1902年以降の版には以下の記録が含まれている。(1)「モーセ書」と呼ばれる創世記のジョセフ・スミス訳の抜粋、ならびに「ジョセフ・スミス-マタイ」と呼ばれるマタイ24章のジョセフ・スミス訳。(2)1835年に得たエジプトのパピルスをジョセフ・スミスが翻訳した記録。これは「アブラハム書」と呼ばれている。(3)ジョセフ・スミスが1838年に書いた教会の歴史からの抜粋。これは「ジョセフ・スミス-歴史」と呼ばれている。(4)教会の信条と教義を13箇条に要約した「信仰箇条」。
高潔
参照:義,正直
義にかない、正直で、誠実であること。
わたしは死ぬまで、潔白を主張してやめない(ヨブ27:5)。
欠けた所なく、正しく歩む人(箴言20:7)。
彼らは託されたことは何であろうと、いつでも誠実に果たす者たちであった(アル53:20)。
主はハイラム・スミスを、その心の高潔さのゆえに愛された(教義124:15)。
公式の宣言一
参照:ウッドラフ、ウィルフォード,結婚-多妻結婚,宣言
『教義と聖約』の終わりの部分に掲載されている宣言。「公式の宣言一」の最初の部分は「宣言」としても知られている。ウィルフォード・ウッドラフ大管長が発表し、1890年10月6日の総大会の席上、教会員に提示された。1862年以来25年間、アメリカ合衆国では多妻結婚を違法とする様々な法律が作られた。聖徒が多妻結婚をやめなければ何が起こるかを、主は示現と啓示によってウィルフォード・ウッドラフに示された。この宣言は、多妻結婚がもはや行われていないことを正式に表明するものであった。
公式の宣言二
参照:キンボール、スペンサー・W
神権がだれに授けられるかについての教義的な声明。『教義と聖約』の末尾に掲載されている。1978年6月の初めに、主はスペンサー・W・キンボール大管長に、神権が教会のすべてのふさわしい男性会員に授けられることを啓示された。これによって、人種や肌の色にかかわりなく、すべてのふさわしい男性が神権を受けることができ、またすべてのふさわしい会員が神殿の祝福にあずかれるようになった。1978年9月30日、この宣言は教会の総大会において提示され、全会一致で受け入れられた。
高等評議会
参照:(なし)
12人の大祭司から成る評議会。
回復された教会の初期の時代には、高等評議会という言葉は次の二つの異なる管理体を指すものとして用いられた。(1)教会の十二使徒定員会(教義107:33,38)。(2)各ステークで務めを果たす高等評議会(教義102章;107:36)。
幸福;幸せ
参照:喜び
高慢
参照:うぬぼれ,金銭,謙遜,富,物欲
謙遜さや素直さを欠いた状態。人は高慢になると互いに反目し、神に対しても敵対的になる。高慢な人は自分を人よりも優れていると考え、神の御心よりも自分の意志に従おうとする。うぬぼれ、ねたみ、冷酷さ、傲慢さは、高慢な人によく見られる特徴である。
金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、おそらく心にたかぶり(申命8:11-14)。
わたしは高ぶりと、おごりを憎む(箴言8:13[箴言6:16-17])。
高ぶりは滅びにさきだち(箴言16:18)。
その日には目をあげて高ぶる者は低くせられ(イザ2:11-12[2ニフ12:11-12])。
あなたの心の高ぶりは、あなたを欺いた(オバ1:3)。
すべて高ぶる者は、わらのようになる(マラ4:1[1ニフ22:15;3ニフ25:1;教義29:9])。
自分を高くする者は低くされ(マタ23:12[教義101:42])。
神は高ぶる者をしりぞけ(1ペテ5:5)。
あの大きく広々とした建物が世の人々の高慢である(1ニフ11:36[1ニフ12:18])。
人は学識があると自分は賢いと思い(2ニフ9:28-29)。
ほかの者より豊かに富を得たことで心が高慢になり(ヤコ2:13,16[アル4:8-12])。
あなたがたは高慢な心を取り去っているか(アル5:28)。
民の心の中には大変にひどい高慢が入り込んでいた(ヒラ3:33-36)。
人の子らは何と高慢になるのが早いことか(ヒラ12:4-5)。
この国民は、高慢のために滅びてしまう(モロ8:27)。
あなたがたはニーファイ人のようにならないよう、高慢に気をつけなさい(教義38:39)。
すべての高慢と軽薄、すべての邪悪な行いをやめなさい(教義88:121)。
声
参照:啓示
聖典の中では、主御自身あるいは天使の、人の耳に聞こえる言葉を指す場合がある。御霊の声は耳に聞こえなくても、心に語りかけることがある。
主なる神の声を聞いた(KJ創世3:8[モセ4:14])。
主は静かな細い声でエリヤに語りかけられた(列上19:11-13)。
義人はよい羊飼の声を聞いて従う(ヨハ10:1-16)。
だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける(ヨハ18:37)。
わたしは御霊の声に従い(1ニフ4:6-18)。
わたしに声が聞こえた。「エノスよ、あなたの罪は赦された。あなたは祝福を受けるであろう。
」(エノ1:5)。
それはまったく優しい静かな声であり、それでいて心の底までも貫いた(ヒラ5:29-33[3ニフ11:3-7])。
わたし自身の声によろうと、わたしの僕たちの声によろうと、それは同じである(教義1:38)。
何であろうと聖霊に感じて語ることは、主の声となり(教義68:2-4)。
わたしの声に従う者は皆、わたしの顔を見て、わたしがいることを知るであろう(教義93:1)。
ゴグ
参照:イエス・キリストの再臨,マゴグ
マゴグの王。エゼキエルは、主の再臨の時にゴグがイスラエルを攻めると預言した(エゼ38-39章)。ゴグとマゴグの戦いと呼ばれる別の戦いが福千年の後に起こる(黙示20:7-9;教義88:111-116)。
告白
参照:悔い改め,赦し
聖典はこの言葉を少なくとも二つの意味で用いている。一つは、イエスがキリストであることを告白するというように、何かに対する自分の信仰を表明する場合である(マタ10:32;ロマ10:9;1ヨハ4:1-3;教義88:104)。
もう一つは、罪を告白する場合のように、自分に罪があるのを認めることである。人は皆、自分の罪をすべて主に告白して、その赦しを得なければならない(教義58:42-43)。場合によっては、自分が罪を犯した相手に対して告白する必要がある。重大な罪については、教会の役員に(ほとんどの場合、監督に)告白しなければならない。
その罪を犯したことを告白し(レビ5:5)。
彼らが自分の罪を告白するなら(レビ26:40-42)。
イスラエルの神、主に栄光を帰し、あなたのしたことを告げなさい(ヨシ7:19)。
人々が自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた(マタ3:5-6)。
罪を告白する者は赦される(モサ26:29)。
あなたの罪を告白しなさい。そうしなければ、罰を受けて苦しむであろう(教義19:20)。
悔い改めた人は罪を告白して捨てる(教義58:43)。
主なるわたしは、へりくだった心をもって自分の罪を告白する者たちに憐れみ深い(教義61:2)。
主なるわたしは、自分の罪を告白して赦しを求める者たちについては罪を赦す(教義64:7)。
心
参照:打ち砕かれた心,再び生まれる
人の理性と意志の象徴。喜怒哀楽の象徴的な源でもある。
あなたは心をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない(申命6:5[申命6:3-7;マタ22:37;ルカ10:27;教義59:5])。
主は自分の心にかなう人を求めて(サ上13:14)。
人は外の顔かたちを見、主は心を見る(サ上16:7)。
手が清く、心のいさぎよい者は主から祝福をうけ(詩篇24:3-5[2ニフ25:16])。
人はその心の内で思うそのとおりの人である(KJ箴言23:7)。
エリヤは父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる(マラ4:5-6[ルカ1:17;教義2:2;110:14-15;138:47;ジ-歴史1:39])。
心の清い人たちは、さいわいである(マタ5:8[3ニフ12:8])。
心からあふれ出ることを、口が語る(ルカ6:45)。
あなたがたは霊的に神から生まれているか。あなたがたは心の中に、この大きな変化を経験したか(アル5:14)。
打ち砕かれた心と悔いる霊を、犠牲としてわたしにささげなさい(3ニフ9:20[3ニフ12:19;エテ4:15;モロ6:2])。
聖霊によって、わたしはあなたの心に告げよう(教義8:2)。
五旬節
参照:モーセの律法
モーセの律法の一部として、過越の祭の50日後に五旬節すなわち初穂の祭が行われた(レビ23:16)。五旬節は収穫を祝うためのものであり、『旧約聖書』では刈入れの祭あるいは七週の祭とも呼ばれた。エルサレムで使徒たちが聖霊に満たされ、異言を語ったのは、この祭が祝われていたときであった(使徒2章;教義109:36-37)。
五書
参照:旧約聖書,出エジプト記,申命記,創世記,民数記,モーセ,レビ記
『旧約聖書』の最初の5つの書、すなわち創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を指す。ユダヤ人はこの五書を、トーラーすなわち律法と呼んだ。五書はモーセによって書かれた(1ニフ5:10-11)。
言葉
参照:イエス・キリスト-前世におけるキリスト
言葉(神の)
参照:戒め(神の),啓示,聖文
神から授けられる教えや戒め、知らせ。神の子供たちは、御霊による啓示を通して直接に、あるいは主の選ばれた僕を通して間接的に御言葉を受けることができる(教義1:38)。
人は主の口から出るすべてのことばによって生きる(申命8:3[マタ4:4;教義84:43-44])。
あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です(詩篇119:105)。
一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した(使徒4:31-33)。
鉄の棒は命の木に導く神の言葉である(1ニフ11:25[1ニフ15:23-25])。
あなたがたは心が鈍っていたので、その言葉を感じることができませんでした(1ニフ17:45-46)。
神の言葉を拒む者は災いである(2ニフ27:14[2ニフ28:29;エテ4:8])。
キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み(2ニフ31:20[2ニフ32:3])。
彼らは自分の不信仰のために、神の言葉を理解できなかった(モサ26:3[アル12:10])。
神の言葉を知るために聖文を熱心に調べて(アル17:2)。
神の言葉の力を使う(アル31:5)。
アルマは御言葉を一つの種にたとえた(アル32:28-43)。
何であろうと聖霊に感じて語ることは、主の言葉となり(教義68:4)。
神の口から出る一つ一つの言葉に従って生きなければならない(教義84:44-45)。
だれでもわたしの言葉を大切に蓄える者は、惑わされることがない(ジ-マタ1:37)。
言葉;言語
参照:(なし)
情報や思想、観念を伝達するために特定の形式にまとめた一連の音声文字あるいは記述文字。言葉遣いは、神や人に対する思いを表す。主イエス・キリストは再臨の時に、すべての人に純粋な言葉をお授けになる(ゼパ3:8-9)。
全地は同じ発音、同じ言葉であった(創世11:1)。
主が全地の言葉を乱された(創世11:4-9)。
彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いて(使徒2:1-6)。
主なる神は人の言葉に倣って語られる(2ニフ31:3[教義1:24])。
ベニヤミンは、先祖のすべての言葉によって息子たちが教育を受けられるようにした(モサ1:2-5)。
言葉が柔和で人を教化する者は、わたしの定めに従うならば、神から出ている(教義52:16)。
もろもろの言語と国語と民族に通じるようにしなければならない(教義90:15)。
アダムとその子供たちの言葉は清らかで汚れのないものであった(モセ6:5-6,46)。
神はエノクに大いなる言葉の力を授けられた(モセ7:13)。
子供
参照:家族,祝福,贖罪,救い-幼い子供たちの救い,責任を負う,幼児のバプテスマ
年ごろになる以前の年少者。父親と母親は神の御心に従うように自分の子供を訓練しなければならない。責任を負う年齢に達するまで、子供には罪がない(モロ8:22;教義68:27)。
子供たちは神から賜わった嗣業であり(詩篇127:3-5)。
子をその行くべき道に従って教えよ(箴言22:6)。
幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない(マタ19:14)。
両親に従いなさい(エペ6:1-3[コロ3:20])。
堕落がなかったならば、アダムとエバは子供を持たなかったであろう(2ニフ2:22-23)。
子供たちに真理の道をまじめに歩むように教えなさい(モサ4:14-15)。
幼い子供たちも永遠の命を得る(モサ15:25)。
イエスは幼い子供たちを一人一人抱いて祝福し(3ニフ17:21)。
あなたの子孫は皆、主によって教えを受け、あなたの子孫の平安は深い(3ニフ22:13[イザ54:13])。
幼い子供たちは悔い改めもバプテスマも必要ない(モロ8:8-24)。
幼い子供たちは、わたしの独り子によって世の初めから贖われている(教義29:46-47)。
両親は子供に福音の原則と生活習慣を教えなければならない(教義68:25,27-28)。
幼い子供たちは、イエス・キリストの贖罪によって聖められているので、聖い者である(教義74:7)。
両親は子供たちを光と真理の中で育てるようにと命じられている(教義93:40)。
責任を負う年齢に達する前に死ぬ子供たちは皆、天の日の栄えの王国に救われる(教義137:10)。
ゴモラ
参照:ソドム
『旧約聖書』の中の町。主によって滅ぼされた(創世19:12-29)。
懲らしめ
参照:逆境
個人やグループの改善と強化のためになされる矯正や懲戒。
全能者の懲らしめを軽んじてはならない(ヨブ5:17[箴言3:11])。
主よ、あなたによって懲らされる人はさいわいです(詩篇94:12)。
聖書はすべて、人を戒め、正しく導くのに有益である(2テモ3:16)。
主は愛する者を訓練し(ヘブ12:5-11)。
主は御自分の民を懲らしめるのを、御心にかなうことと見ておられる(モサ23:21-22)。
主が御自分の民を懲らしめられなければ、彼らは主を思い起こそうとしない(ヒラ12:3)。
主はヤレドの兄弟と話し、彼を懲らしめられた(エテ2:14)。
懲らしめを受けて、悔い改められるようにするため(教義1:27)。
わたしはまた、愛する者たちを懲らしめる。それは、彼らの罪が赦されるためである(教義95:1)。
懲らしめに耐えない者は皆、聖められることはあり得ない(教義101:2-5)。
わたしの民は従順を学ぶまで、必ず懲らしめを受けなければならない(教義105:6)。
懲らしめに耐えない者は、わたしの王国にふさわしくない(教義136:31)。
ゴリアテ(人名)
参照:ダビデ
『旧約聖書』の中の人物。イスラエル軍に戦いを挑んだペリシテの巨人。ダビデはゴリアテの挑戦を受け入れ、主の助けによって彼を殺した(サ上17章)。
コリアンタマー(人名)
参照:ヤレド人
『モルモン書』の中の人物。ヤレド人の王。ヤレドの民の最後の残存者。
ゼラヘムラの民によって発見された(オム1:21)。
全地を治める王であった(エテ12:1-2)。
シェレドによって囚われの身となったが、息子たちによって自由の身となった(エテ13:23-24)。
様々な敵と戦った(エテ13:28-14:31)。
悔い改めた(エテ15:3)。
シズと最後の戦いをした(エテ15:15-32)。
コリアントン(人名)
参照:アルマ(アルマの息子)
『モルモン書』の中の人物。息子アルマの子。
ゾーラム人の中に出かけて行った(アル31:7)。
務めを放棄して、娼婦を追って行った(アル39:3)。
アルマは彼に、人の死後の状態と復活と贖罪について教えた(アル39-42章)。
再び御言葉を宣べ伝えるように求められた(アル42:31)。
船で北方の地へ行った(アル63:10)。
コリホル(人名)
参照:反キリスト
『モルモン書』の中の人物。神の力の証拠としてしるしを求めた反キリスト。主はコリホルを物が言えないようにされた(アル30:6-60)。
コリント人への手紙
参照:パウロ,パウロの手紙
『新約聖書』の中の2書。もともとはパウロがコリントの聖徒に、彼らの中に見られる無秩序を正すために書き送った手紙であった。コリント人は道徳的に邪悪な社会に住んでいた。
【コリント人への第一の手紙】
第1章には、パウロのあいさつと感謝の言葉が記されている。第2-6章にはコリント人の過ちをたしなめるパウロの言葉、第7-12章には、幾つかの質問に対するパウロの答えが記されている。第13-15章は、慈愛や霊的な賜物、復活に関連した内容になっている。第16章には、信仰を強く保つようにとのパウロの勧告が含まれている。
【コリント人への第二の手紙】
第1章には、パウロのあいさつと感謝の言葉が記されている。第2章には、テトスへの個人的な助言が含まれている。第3-7章には、聖徒と指導者の生活における福音の力が採り上げられている。第8-9章には、貧しい人々に喜んで与える人になるようにとの聖徒への勧告が記されている。第10-12章では、パウロが使徒としての自分の立場を明確にしている。第13章には、完全になるようにとの勧告が記されている。
ゴルゴタ
参照:イエス・キリスト,十字架の刑
アラム語で「されこうべ」の意味。キリストが十字架につけられた場所(マタ27:33;マコ15:22;ヨハ19:17)。ラテン語では「カルバリ」と呼ばれる。
コルネリオ(人名)
参照:異邦人,百卒長,ペテロ
ペテロからバプテスマを受けたカイザリア(カイザリヤ)の百卒長(使徒10章)。ユダヤ教への改宗を経ずに教会に加わった最初の異邦人であったと思われる。コルネリオとその家族のバプテスマは、異邦人への福音宣教の開始を告げるものであった。この宣教を指導したのは、当時、地上における神の王国の鍵を持っていた使徒の頭ペテロであった。
コロサイ人への手紙
参照:パウロ,パウロの手紙
『新約聖書』の中の1書。これはもともと使徒パウロがコロサイの教会の伝道者エパフラスの訪問を受けた後に、コロサイ人に書き送った手紙であった(コロ1:7-8)。エパフラスはパウロに、コロサイ人が重大な過ちに陥ろうとしていると述べた。彼らは、幾つかの外形的儀式に注意深く従い(コロ2:16)、また物質的な欲求を断ち、天使礼拝を行っているということで自分たちが他の人々よりも優れていると考えていたのである(コロ2:18)。コロサイ人たちは、このような行いのゆえに、自分たちは聖められていると考えていた。彼らはまた、自分たちは他の教会員よりも、宇宙の奥義を深く理解していると思っていた。パウロはその手紙の中で、贖いはキリストを通してのみ与えられること、また教会員は賢くあってキリストに仕えなければならないことを教え、彼らの過ちを正した。
第1章には、コロサイ人へのパウロのあいさつが記されている。第2-3章は教義的な内容であり、贖い主としてのキリスト、偽りの礼拝の危険性、復活の重要性などについて述べている。第4章では、聖徒はすべてのことにおいて賢くなければならないと教えている。
殺す
参照:殺人,死刑
コロブ
参照:(なし)
神の御座に最も近い位置にある星(アブ3:2-3,9)。
アブラハムはコロブと数々の星を見た(アブ3:2-18)。
主の時はコロブの計算による(アブ3:4,9[アブ5:13])。