マーシュ,トーマス・B(人名)
参照:(なし)
1830年に教会が回復されてからの十二使徒定員会の初代会長。十二使徒会に関して王国の鍵を持ち(教義112:16)、また1838年には、主の言葉を出版するように啓示によって命じられた(教義118:2)。『教義と聖約』の第31章は、彼に対して与えられたものである。マーシュは1839年に破門されたが、1857年7月に再バプテスマを受けた。
幕
参照:(なし)
聖典の中では次の意味で用いられている。(1)幕屋や神殿で用いられる仕切り。(2)神と人が隔てられた状態にあることの象徴。(3)神が人々の前世の記憶を消されたこと。
その垂幕は聖所と至聖所とを隔て分ける(出エ26:33)。
神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた(マタ27:51[マコ15:38;ルカ23:45])。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう(1コリ13:12)。
王の心から不信仰という暗黒の覆いが取り除かれつつある(アル19:6)。
ヤレドの兄弟は幕の内側を見るのを禁じられなかった(エテ3:19[エテ12:19])。
幕は裂け、あなたがたはわたしを見て(教義67:10[教義38:8])。
神殿を覆っている幕は取り去られて(教義101:23)。
わたしたちの心から幕が取り去られ(教義110:1)。
暗黒の幕が地を覆うであろう(モセ7:61)。
幕屋
参照:契約の箱,至聖所,神殿;主の宮
主の宮。エジプトから出て旅をしている間、イスラエルの子らの礼拝の場として中心を成すものであった。幕屋は実際は可動式の神殿であり、分解したり組み立てたりすることができた。イスラエルの子らは、ソロモンの神殿を建てるまで幕屋を使っていた(教義124:38)。
神はモーセに幕屋の型を示し(出エ26-27章)、イスラエルの子らはその型に従って幕屋を建てた(出エ35-40章)。幕屋が完成したとき、雲が天幕を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた(出エ40:33-34)。その雲は神の臨在のしるしであり、夜は雲の中に火が現れた。雲が天幕の上にとどまっている間は、イスラエルの子らは宿営を続けた。そして雲が動くと、彼らもそれに伴って移動した(出エ40:36-38;民数9:17-18)。イスラエルの子らは、砂漢での放浪の間、またカナンの地を征服するまでの間、この幕屋を持ち運んだ。カナンの地を征服した後、幕屋は主が選ばれた地シロに置かれた(ヨシ18:1)。イスラエルの子らがソロモン神殿を建てた後は、幕屋は完全に歴史からその姿を消した。
主とイザヤは幕屋を、主の再臨の時のシオンとエルサレムの象徴として用いている(イザ33:20;モセ7:62)。
マゴグ
参照:イエス・キリストの再臨,ゴグ
『聖書』に出てくる、黒海近くの地とそこに住む民の名。彼らの王ゴグは、キリスト再臨前の最後の大戦争でマゴグの軍勢を指揮する(エゼ38:2;39:6)。聖典には、福千年の終わりに神の軍勢と悪の軍勢の間で行われる、ゴグとマゴグの戦いと呼ばれるもう一つの大戦争についても述べられている(黙示20:7-9;教義88:111-116)。
まことの教会のしるし
参照:イエス・キリストの教会,しるし,末日聖徒イエス・キリスト教会
まことの教会は、神によって認められた教義と機能を備えた教会である。主はそれを通して主の子らがすべての祝福を得られるように定められた。まことの教会のしるしは次のとおりである。
【神会についての正しい理解】
神は自分のかたちに人を創造された(創世1:26-27)。
主はモーセと顔を合わせて語られた(出エ33:11)。
永遠の命とは、父なる神とイエス・キリストとを知ることである(ヨハ17:3)。
御父と御子は骨肉の体を持っておられる(教義130:22-23)。
御父と御子がジョセフ・スミスに御姿を現された(ジ-歴史1:15-20)。
わたしたちは、永遠の父なる神を信じる(箇条1:1)。
【第一の原則と儀式】
だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない(ヨハ3:3-5)。
悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりがイエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい(使徒2:38)。
そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた(使徒8:14-17)。
キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである(ガラ3:26-27)。
悔い改めよ。わたしの愛する子の名によってバプテスマを受けよ(2ニフ31:11-21)、信じた人々はバプテスマを受け、按手によって聖霊を受けた(教義76:50-53)。
バプテスマを施し、聖霊の賜物を授けるには正しい神権が必要である(ジ-歴史1:70-72)。
福音の第一の原則と儀式について述べられる(箇条1:4)。
【啓示】
示現がなければ民は滅びる(KJ箴言29:18)。
主は預言者に隠れたことを示される(アモ3:7)。
教会は啓示の岩の上に建てられる(マタ16:17-18[教義33:13])。
主はもはや啓示によって業を行われることはないと言う者は、災いである(3ニフ29:6)。
戒めと啓示は任命された者を通してのみ授けられる(教義43:2-7)。
わたしたちは、神がこれまでに啓示されたすべてのことを信じる(箇条1:9)。
【預言者】
教会は使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられる(エペ2:19-20)。
使徒や預言者は教会に欠かせない(エペ4:11-16)。
ジョセフ・スミスは聖見者、預言者、使徒と呼ばれた(教義21:1-3)。
わたしたちは、預言者があることを信じる(箇条1:6)。
【権能】
イエスは弟子たちに力と権威とをお授けになった(ルカ9:1-2[ヨハ15:16])。
ヒラマンの息子ニーファイは、神から大いなる権能を授けられた(ヒラ11:18[3ニフ7:17])。
預言者は教会員のために戒めを受ける(教義21:4-5)。
権能を持つ者によって聖任されないかぎり、だれも福音を宣べ伝えるために出て行くこと、あるいは教会を築き上げることは許されない(教義42:11)。
長老は福音を宣べ伝え、権能を行使しなければならない(教義68:8)。
福音を宣べ伝え、その儀式を執行するためには、人は権能を持つ者によって、神から召されなければならない(箇条1:5)。
【追加して出される聖典】
ユダの木はヨセフの木と一つになる(エゼ37:15-20)。
末日の聖典の出現が予告された(1ニフ13:38-41)。
わたしたちは、神がこの後も、神の王国に関する多くの偉大で重要なことを啓示されると信じる(箇条1:9)。
【教会の組織】
教会は使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられる(エペ2:19-20)。
使徒や預言者は教会に欠かせない(エペ4:11-16)。
キリストが教会のかしらであって(エペ5:23)。
キリストの教会は、キリストの名で呼ばれなければならない(3ニフ27:8)。
わたしたちは、初期の教会にあったと同一の組織があることを信じる(箇条1:6)。
【伝道活動】
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民に教えよ(マタ28:19-20)。
福音を宣べ伝えるために七十人が召された(KJルカ10:1)。
救いがすべての造られたものに告げ知らされることを願った(モサ28:3)。
長老は出て行き、二人ずつ組んで福音を宣べ伝えなければならない(教義42:6)。
福音はすべての造られたものに宣べ伝えられ(教義58:64)。
【霊的な賜物】
一同はいろいろの他国の言葉で語り出した(使徒2:4)。
長老たちは病人に癒しを施す(新ヤコ5:14)。
賜物を否定しないように勧める(モロ10:8)。
霊的な賜物が列挙される(教義46:13-26[1コリ12:1-11;モロ10:9-18])。
【神殿】
わが聖所を永遠に彼らの中に置く(エゼ37:26-27)。
主は、たちまちその宮に来る(マラ3:1)。
ニーファイは神殿を建てた(2ニフ5:16)。
聖徒たちは、主の宮を建てるのを怠ったために懲らしめを受けた(教義95章[教義88:119])。
主の民は、聖なる儀式の執行のためにいつも神殿を建てる(教義124:37-44)。
神殿の建設と儀式の執行は、大いなる末日の業に含まれる(教義138:53-54)。
貧しい
参照:謙遜,ささげ物,断食,福祉,施し
聖典の中で貧しいという言葉は、(1)衣食住など、生活に必要なものが足りない人に対して、また(2)高慢な思いがなく謙遜な人に対して用いられる。
【物質的な貧しさ】
貧しい兄弟にむかって手を閉じてはならない(申命15:7)。
悪しき者は高ぶって貧しい者を激しく責めます(詩篇10:2)。
貧しい者に施す者は物に不足しない(箴言28:27)。
貧しい者を、あなたの家に入れ(イザ58:6-7)。
完全になりたいと思うなら、貧しい人々に施しなさい(マタ19:21[マコ10:21;ルカ18:22])。
神は、この世の貧しい人たちを選んで(新ヤコ2:5)。
彼らは自分が富んでいるので、貧しい者をさげすみ(2ニフ9:30)。
罪の赦しを続けて受けるために、持ち物を貧しい人に分け与えるようにしてほしい(モサ4:26)。
彼らは貧しい者に自分の持ち物を分け与えた(アル1:27)。
もし乏しい人を追い払ったりするならば、あなたがたの祈りはむなしく、何の役にも立たない(アル34:28)。
すべてのものを共有したので、物持ちも貧しい者もなく(4ニフ1:3)。
あなたは貧しい者を思い起こし(教義42:30[教義52:40])。
貧しい者で心が打ち砕かれていない者は、災いである(教義56:17-18)。
貧しい者が小羊の婚宴に来る(教義58:6-11)。
監督は貧しい者を捜さなければならない(教義84:112)。
福音の律法には、貧しい者への援助についての定めがある(教義104:17-18)。
彼らの中に貧しい者はいなかった(モセ7:18)。
【心が謙遜な状態】
貧しいためにやむを得ずへりくだるのではなく、自ら進んで心からへりくだる人は、なおさら祝福を受ける(アル32:4-6,12-16)。
わたしのもとに来る心の貧しい人々は、幸いである(3ニフ12:3[マタ5:3])。
貧しい者と柔和な者に福音が宣べ伝えられる(教義35:15)。
マタイ(人名)
参照:福音書
イエス・キリストの使徒。『新約聖書』の最初の書の著者。マタイはカペナウムでローマ人のための税の取り立てをしていたユダヤ人であり、へロデ・アンティパスに雇われていたと推測される。改宗する前は、アルパヨの子レビとして知られていた(マコ2:14)。イエスの弟子となるように召されて間もなく、彼は食事の席を設け、主もそこに来られた(マタ9:9-13;マコ2:14-17;ルカ5:27-32)。マタイは『旧約聖書』の聖句について広範な知識を持ち、そのために主の生涯における預言の成就を詳細に理解できたと思われる。この使徒の晩年についてはほとんど知られていない。殉教したという言い伝えもある。
【マタイによる福音書】
『新約聖書』の最初の書。マタイのこの福音書は、当初、パレスチナに住むユダヤ人が用いるために書かれたと思われる。『旧約聖書』からの多くの引用文が使われている。マタイがおもに目的としたのは、イエスは旧約の預言者たちが語ったメシヤであるということを示すことであった。彼はまた、イエスが人々の王であり、裁き主であることも強調している。$●各章の概要については、「福音書」の項を参照。
末日聖徒イエス・キリスト教会
参照:イエス・キリストの教会,教会の名称,福音の回復,まことの教会のしるし
他の神権時代の教会と区別するために、末日におけるキリストの教会に付けられた名称(教義115:3-4)。
主は末日聖徒の頭に天から知識を注がれる(教義121:33)。
ジョセフ・スミスは、末日聖徒イエス・キリスト教会の預言者および聖見者である(教義127:12)。
末日聖徒のために主の大いなる日は近づいている(教義128:21,24)。
ジョセフ・スミスは末日聖徒の集合を助けた(教義135:3)。
アメリカ合衆国の西部に旅をするために、末日聖徒の部隊を組織しなければならない(教義136:2)。
結婚についての律法が末日聖徒に向けて明らかにされた(公式1)。
末日聖徒イエス・キリスト教会のすべてのふさわしい男性会員は、神権への聖任を受けることができる(公式2)。
すべての末日聖徒に向けて述べられた最初の示現の記録(ジ-歴史1:1)。
マッテヤ(人名)
参照:使徒-使徒の選任
イスカリオテのユダに代わり、十二使徒定員会の一員として選ばれた人物(使徒1:15-26)。イエス・キリストが地上の務めを果たしておられた間、彼はずっと弟子として仕えていた(使徒1:21-22)。
マナ
参照:命のパン,出エジプト記
蜜を入れた菓子(出エ16:14-31)あるいは油菓子(民数11:8)のような味がする、良質のフレーク状の食物。主は荒れ野での40年間、イスラエルの民を養うためにこのマナを与えられた(出エ16:4-5,14-30,35;ヨシ5:12;1ニフ17:28)。
イスラエルの子らはこれを、「これはなんであろう」という意味のマナ(あるいはヘブライ語で「マンフー」)と呼んだ。彼らは、それが何か知らなかったからである(出エ16:15)。マナは「天使のパン」また「天よりのパン」とも呼ばれた(詩篇78:24-25;ヨハ6:31)。マナは命のパンとなるキリストの象徴であった(ヨハ6:31-35)。
マナセ(人名)
参照:イスラエル,エフライム,ヨセフ(ヤコブの息子)
『旧約聖書』の中の人物。エジプトに売られたヨセフとアセナテの長男(創世41:50-51)。マナセと弟エフライムはヤコブ(イスラエル)の孫であったが、ヤコブに養子縁組され、ヤコブ自身の子供のように祝福を授けられた(創世48:1-20)。
【マナセの部族】
マナセの子孫はイスラエルの部族の中に数えられた(民数1:34-35;ヨシ13:29-31)。モーセがヨセフの部族に授けた祝福は申命33:13-17に記録されており、その祝福はエフライムとマナセにも及んだ。マナセに割り当てられた土地の一部は、ヨルダン川の西の地域で、エフライムの地と隣接していた。マナセはまたバシャンやギレアデの肥沃な牧地など、ヨルダン川の東にも所領を得ていた。マナセの部族は終わりの時に、エフライムの部族を助けて、散らされたイスラエルを集合させる(申命33:13-17)。『モルモン書』の預言者リーハイはマナセの子孫であった(アル10:3)。
マラキ(人名)
参照:(なし)
旧約の預言者。紀元前430年ごろに預言者として働き、記録を残した。
【マラキ書】
マラキ書すなわちマラキの預言の書は、『旧約聖書』の巻末に収められている。マラキ書は次の4つの主題に添って書かれていると思われる。(1)イスラエルの罪-マラキ1:6-2:17;3:8-9。(2)不従順のゆえにイスラエルに下される裁き-マラキ1:14;2:2-3,12;3:5。(3)従順に対する約束-マラキ3:10-12,16-18;4:2-3。(4)イスラエルについての預言-マラキ3:1-5;4:1,5-6(教義2章;128:17;ジ-歴史1:37-39)。
マラキはその預言の中で、バプテスマのヨハネ(マラ3:1;マタ1l:10)、什分の一の律法(マラ3:7-12)、主の再臨(マラ4:5)、エリヤの帰還(マラ4:5-6;教義2章;128:17;ジ-歴史1:37-39)について記している。救い主はニーファイ人のために、マラキ書の第3章と第4章のすべてを引用された(3ニフ24-25章)。
マリヤ(イエスの母)(人名)
参照:イエス・キリスト,ヨセフ(マリヤの夫)
『新約聖書』の中の人物。父なる神から、肉における御子の母となるように選ばれたおとめ。イエスの誕生後、マリヤは幾人かの子供をもうけた(マコ6:3)。
ヨセフと婚約していた(マタ1:18[ルカ1:27])。
ヨセフはマリヤを離縁したり、婚約を解消したりしないように告げられた(マタ1:18-25)。
博士たちがマリヤを訪れた(マタ2:11)。
マリヤとヨセフは幼な子を連れてエジプトに逃げた(マタ2:13-14)。
へロデが死んだ後、ヨセフの家族はナザレヘ戻った(マタ2:19-23)。
天使ガブリエルの訪れを受けた(ルカ1:26-38)。
親族のエリサベツを訪ねた(ルカ1:36,40-45)。
主を賛美した(ルカ1:46-55)。
ヨセフとともにベツレヘムヘ行った(ルカ2:4-5)。
生まれたイエスを飼葉おけの中に寝かせた(ルカ2:7)。
羊飼いたちはベツレヘムヘ行って幼な子キリストを捜し当てた(ルカ2:16-20)。
マリヤとヨセフはイエスをエルサレムの神殿へ連れて行った(ルカ2:21-38)。
マリヤとヨセフはイエスを過越の祭に連れて行った(ルカ2:41-52)。
カナの婚礼の場にいた(ヨハ2:2-5)。
イエスは十字架につけられていたとき、御自分の母の世話をするようヨハネに告げられた(ヨハ19:25-27)。
キリストが天に上げられた後、マリヤは使徒たちとともにいた(使徒1:14)。
マリヤはほかのどんなおとめにも勝って美しく、また麗しいおとめであった(1ニフ11:13-20)。
キリストの母はマリヤと呼ばれる(モサ3:8)。
マリヤはおとめであって、尊い、選ばれた器である(アル7:lO)。
マリヤ(ベタニヤの)(人名)
参照:マルタ,ラザロ
『新約聖書』の中の人物。ラザロとマルタの姉妹。
イエスの足もとにすわって、御言に聞き入っていた(ルカ10:39,42)。
マリヤとその姉妹マルタは人をイエスのもとに遺わした(ヨハ11:1-45)。
香油をイエスの足に塗った(ヨハ12:3-8)。
マリヤ(マグダラの)(人名)
参照:(なし)
『新約聖書』の中の人物。イエス・キリストの献身的な弟子となった女性。マグダラはマリヤの出身地であり、ガリラヤ湖西岸に位置する。
十字架の近くにいた(マタ27:56[マコ15:40;ヨハ19:25])。
キリストの埋葬の場にいた(マタ27:61[マコ15:47])。
復活の日の朝に、墓を見に来た(マタ28:1[マコ16:1;ルカ24:10;ヨハ20:1、11])。
イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた(マコ16:9[ヨハ20:14-18])。
7つの悪霊を追い出してもらった(ルカ8:2)。
マリヤ(マルコの母)(人名)
参照:マルコ
『新約聖書』の中の人物。マルコによる福音書を書いたヨハネ・マルコの母(使徒12:12)。
マルコ(人名)
参照:福音書
『新約聖書』の中の人物。ヨハネ・マルコはマリヤの息子で、エルサレムに住んでいた(使徒12:12)。彼はバルナバのいとこ(または、おい)であったと考えられている(コロ4:10)。マルコはパウロとバルナバの最初の伝道旅行に同行してエルサレムをたち、ペルガで彼らと別れた(使徒12:25;13:5,13)。後にマルコはバルナバに同行してクプロヘ行った(使徒15:37-39)。彼はパウロとともにローマにおり(コロ4:10;ピレ1:24)、ペテロとともにバビロン(恐らくローマを指す)にいた(1ペテ5:13)。最後に、彼はエペソでテモテとともにいた(2テモ4:11)。
【マルコによる福音書】
『新約聖書』の2番目の書。マルコのこの福音書は、ペテロの指示の下に書かれたと思われる。マルコのねらいは、人々の中で生活し行動した神の御子としての主を描くことであった。マルコは精力的かつ謙虚な態度で、人々がイエスから受けた印象を書いている。言い伝えによると、マルコはペテロの死後、エジプトに行ってアレクサンドリア(アレキサンデリヤ)で教会を組織し、殉教したとのことである。
各章の概要については、「福音書」の項を参照。
マルタ(人名)
参照:マリヤ(べタニヤの),ラザロ
『新約聖書』の中の人物。ラザロとマリヤの姉妹(ルカ10:38-42;ヨハ11:1-46;12:2)。