参照:死すべき状態,地球(地),バビロン;バベル

地球。死すべき人間が試しを受ける場所。象徴的な意味で、神の戒めに従わない人々。

【死すべき状態】

  • この世ではなやみがある(ヨハ16:33)。
  • 死に至るまでも恐れてはならない。この世ではあなたがたの喜びは満たされない(教義101:36)。

    【戒めに従わない人々】

  • わたしはその悪のために世を罰し(イザ13:11[2ニフ23:11])。
  • もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい(ヨハ15:18-19)。
  • あの大きく広々とした建物が世の人々の高慢である(1ニフ11:36)。
  • 見よ、世の罪悪は熟しつつある(教義18:6)。
  • 世の汚れに染まらずに(教義59:9)。
  • 忠実であって堪え忍ぶ者は、世に打ち勝つであろう(教義63:47)。
  • 世の方法によらずに(教義95:13)。

    【世の終わり】

  • わたしは新しい地を創造する。さきの事はおぼえられることなく(イザ65:17[黙示21:1;箇条1:10])。
  • 毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう(マタ13:40,49[マラ4:1;ヤコ6:3])。
  • わたしは自分の果樹園を火で焼かせよう(ヤコ5:77[教義64:23-24])。
  • わたしは、世の終わりに、サタンと彼の業を滅ぼす(教義19:3)。
  • 地球は死ぬにもかかわらず、再び生かされる(教義88:25-26)。
  • 世の終わりに至るまですべてのことを示された(モセ7:67)。


    良い羊飼い
    参照:イエス・キリスト

    イエス・キリストは良い羊飼いである。イエス・キリストに従う人は、象徴的な意味で、イエス・キリストの見守りを受けている羊ということができる。

  • 主はわたしの牧者であって(詩篇23:1)。
  • 主は牧者のようにその群れを養い(イザ40:11)。
  • わたしはわが羊を捜し出し(エゼ34:12)。
  • わたしはよい羊飼であって(ヨハ10:14-15)。
  • イエスは羊の大牧者である(ヘブ13:20)。
  • 聖者はその羊を数えられ、羊は聖者を知るようになります(1ニフ22:25)。
  • 良い羊飼いはあなたがたを呼んでおられる(アル5:38,60)。
  • ついに一つの群れ、一人の羊飼いとなるであろう(3ニフ15:21[ヨハ10:16])。


    養子縁組
    参照:アブラハム-アブラハムの子孫,イスラエル,神の息子、娘,キリストの子

    聖典には、2種類の養子縁組について述べられている。

    (1)イスラエルの血統に属さない人は、イエス・キリストを信じ、悔い改め、水に沈めるバプテスマを受け、聖霊を受けることによって、アブラハムの家族となり、イスラエルの家の一員となる(2ニフ31:17-18;教義84:73-74;アブ2:6,11)。

    (2)福音の救いの儀式を受けた人は、引き続き主の戒めに従うことによって、イエス・キリストの息子、娘となる(ロマ8:15-17;ガラ3:24-29;4:5-7;モサ5:7-8)。


    幼児のバプテスマ
    参照:子供,救い-幼い子供たちの救い,責任を負う,バプテスマ-幼児には不要

    8歳未満で責任能力がない乳児や子供にバプテスマを施す不必要な慣行。主は幼児のバプテスマを非難しておられる(モロ8:10-21)。子供は罪のない無垢な状態で生まれてくる。サタンは、子供が責任を負えるようになるまでは、彼らを誘惑する力を持たない(教義29:46-47)。したがって、幼児は悔い改めやバプテスマの必要がない。子供は8歳でバプテスマを受けるべきである(教義68:25-27)。


    ヨエル(人名)
    参照:(なし)

    『旧約聖書』の中の、ユダの地の預言者。生没年は不明であるが、紀元前850年より以前のヨアシの治世と、ユダ部族のバビロニア捕囚からの帰還の間に生きていた人物と思われる。

    【ヨエル書】

    この書の主題は、ユダの地がひどい干ばつといなごによる被害を受けた後にヨエルが発した預言の中に述べられている(ヨエ1:4-20)。ヨエルは人々に、悔い改めを通して再び神の祝福にあずかれるようになると励ました(ヨエ2:12-14)。

    第1章は、主の家における聖会の招集である。第2章には、福千年に先立って起こる戦争と荒廃が述べられている。第3章は末日について述べ、すべての国民が戦いをするが、最終的に主はシオンに住まわれると断言している。

    ペテロは五旬節の日に、人々に御霊が注がれるというヨエルの預言を引用している(ヨエ2:28-32;使徒2:16-21)。天使モロナイもこの聖旬を引用してジョセフ・スミスに語った(ジ-歴史1:41)。


    欲望
    参照:肉欲

    何かに対する不適切かつ強い願望。

  • 彼女の麗しさを心に慕ってはならない(箴言6:25)。
  • 情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである(マタ5:28[3ニフ12:28])。
  • 男も互にその情欲の炎を燃やし(ロマ1:27)。
  • ラバンはわたしたちの持っているものを目にし、欲しくてたまらなくなった(1ニフ3:25)。
  • これからはもう自分の目の欲を追うことなく(アル39:3-4,9)。
  • 情欲を抱いて女を見る者は、信仰を否定するのであり(教義42:23)。
  • すべてのみだらな欲望を捨てなさい(教義88:121)。


    預言
    参照:女預言者,啓示,聖見者,預言者

    人が啓示によって聖霊から受ける神の霊感に満ちた言葉や記録。イエスの証は預言の霊である(黙示19:10)。預言の内容は、過去、現在、未来を問わない。預言をする者は、神がその人に知ってほしいと望んでおられることを、自らのため、また人々のために語ったり記したりする。人は自分自身の生活のために、預言や啓示を受けることができる。

  • 主の民がみな預言者となることは願わしいことだ(民数11:29)。
  • あなたがたのむすこ、娘は預言をし(ヨエ2:28[使徒2:17-18])。
  • 主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない(アモ3:7)。
  • 聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでない(2ペテ1:20)。
  • ニーファイ人は多くの啓示と預言の霊を授けられていた(ヤコ4:6,13)。
  • アルマとアミュレクはゼーズロムの心の思いを預言の霊によって知った(アル12:7)。
  • 主はもはや預言によって業を行われることはないと言う者は、災いである(3ニフ29:6)。
  • イザヤの預言を調べなさい(モル8:23)。
  • 預言はすべて成就する(教義1:37-38)。
  • 人は預言によって、神から召されなければならない(箇条1:5)。


    預言者
    参照:啓示,聖見者,,預言

    神によって召され、神に代わって語る人。神の使いとして神から戒めや預言、啓示を受ける。その責任は、人類に神の御心と真の属性を知らせることと、人類に対する神の計らいの意図するところを示すことである。預言者は罪を非難し、罪のもたらす結果を予告する。預言者は義の説教者である。時には、人類のために将来について予告をするように霊感を受けることがある。しかしながら、預言者の本来の務めは、キリストについて証することである。末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長は、今日の地上における神の預言者である。大管長会と十二使徒会の会員は、預言者、聖見者、啓示者として支持される。

  • 主の民がみな預言者となることは願わしいことだ(民数11:29)。
  • もし、預言者があるならば、主なるわたしは幻をもって、これにわたしを知らせ(民数12:6)。
  • 主はすべての預言者によってイスラエルを戒め(列下17:13[歴下36:15-16;エレ7:25])。
  • あなたを立てて万国の預言者とした(エレ1:5,7)。
  • 主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない(アモ3:7)。
  • 聖なる預言者たちの口によってお語りになった(ルカ1:70[使徒3:21])。
  • 預言者たちは皆、キリストを証した(使徒10:43)。
  • 神は教会の中で、人々を立てて、預言者とし(1コリ12:28[エぺ4:11])。
  • 教会は使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられる(エペ2:19-20)。
  • 民は預言者たちの言葉を拒んだ(1ニフ3:17-18[2ニフ26:3])。
  • すべてのことは御霊によって預言者たちに知らされる(1ニフ22:1-2)。
  • キリストは、聖なる預言者たちの口を通して語ってきたすべてのことを成就するために、ニーファイ人のもとに来られた(3ニフ1:13[教義42:39])。
  • 預言者たちの言葉を心に留めようとしない者たちが、民の中から絶たれる(教義1:14)。
  • 預言者たちの言葉を信じる人は永遠の命を得る(教義20:26-27)。
  • あたかも主御自身の口から出ているかのように、預言者の言葉を受け入れなければならない(教義21:4-6)。
  • 啓示と戒めは、任命された人を通してのみ授けられる(教義43:1-7)。
  • 大管長の義務は、全教会を管理し、モーセのようであることであり、預言者となることである(教義107:91-92)。
  • わたしたちは、預言者があることを信じる(箇条1:6)。


    預言者の塾
    参照:スミス,ジョセフ、ジュニア

    主はジョセフ・スミスに、福音と神の王国にかかわるすべてのことについて兄弟たちを訓練するために、1832年から1833年にかけての冬に、オハイオ州カートランドで一つの塾を組織するように命じられた。この塾から教会初期の数多くの指導者が出た。ミズーリ州ジャクソン郡では、パーリー・P・プラットが別に預言者あるいは長老の塾を開いた(教義97:1-6)。聖徒たちが西部に移住して間もなく、同じような塾が幾つか開かれたが、短期間で姿を消した。福音は今日、家庭や神権定員会、様々な補助組織、また教会が経営する学校やセミナリー、インスティテュートのクラスで教えられている。

  • 自らを聖め、互いに王国の教義を教え合わなければならない(教義88:74-80)。
  • 熱心に求め、互いに教え合いなさい(教義88:118-122)。
  • 預言者の塾の規律が定められる(教義88:127-141)。
  • 大管長会は預言者の塾の鍵を持つ(教義90:6-7)。


    ヨシヤ(人名)
    参照:(なし)

    紀元前641-610年にかけて在位したユダの義にかなった王(列下22-24章;歴下34-35章)。彼の治世に、主の宮で律法の書が発見された(列下22:8-13)。


    ヨシャパテ(人名)
    参照:(なし)

    『旧約聖書』の中の人物。ユダの忠実な王(列上15:24;22章)。


    ヨシュア(人名)
    参照:エリコ

    『旧約聖書』の中の人物。預言者、指導者、モーセの後継者。イスラエルの子らが脱出する以前にエジプトで生まれた(民数14:26-31)。ヨシュアとカレブは、ほかの10人とともにカナンの地に斥侯として送られた。カナンの地について良い報告をしたのは、ヨシュアとカレブだけであった(民数13:8,17-14:10)。ヨシュアは110歳で世を去った(ヨシ24:29)。ヨシュアは預言者と戦士の両方の務めを忠実に果たした偉大な模範であった。

    【ヨシュア記】

    この書はヨシュアの名を冠しているが、それは彼が主要な登場人物だからであり、ヨシュア自身がこれを記録したということではない。ユダヤ人の伝承では、エレミヤが過去の記録に基づいてヨシュア記を書いたとされる。第1-12章はカナンの地の征服について述べたものであり、また、第13-24章には、イスラエルの部族が土地を分けたこととヨシュアの最後の勧告が記されている。

    ヨシュア記で特によく知られている二つの箇所は、聖文について深く考えるようにとのヨシュアに与えられた主の戒め(ヨシ1:8)と、主に忠実であるようにとのヨシュアの呼びかけ(ヨシ24:15)である。


    ヨセフ(アリマタヤの)(人名)
    参照:(なし)

    アリマタヤのヨセフはサンヒドリンの議員であるとともに、キリストの弟子でもあった。裕福で忠実なイスラエル人であり、主への罪の宣告には関与しなかった。十字架の刑の後、ヨセフは救い主の遺体をきれいな亜麻布で包み、岩を掘って造った自分の墓に納めた(マタ27:57-60;マコ15:43-46;ルカ23:50-53;ヨハ19:38-42)。


    ヨセフ(マリヤの夫)(人名)
    参照:イエス・キリスト,マリヤ(イエスの母)

    イエスの母マリヤの夫。ヨセフはダビデの子孫で(マタ1:1-16;ルカ3:23-38)、ナザレに住んでいた。ヨセフはマリヤと婚約していた。結婚を間近に控えたあるとき、マリヤは天使ガブリエルの訪れを受け、救い主の母になる者として選ばれたことを告げられた(ルカ1:26-35)。ヨセフもまた、救い主の降誕について啓示を受けた(マタ1:20-25)。

    マリヤは、この世におけるイエスの親としては唯一の人である。父なる神がイエスの父だからである。しかし、ユダヤ人たちはヨセフをイエスの父親であると考え、イエス自身もヨセフにそのように接した(ルカ2:48,51)。夢の中で天使から警告を受けたヨセフは、エジプトヘ逃れて幼な子イエスの命を守った(マタ2:13-14)。ヘロデの死後、天使はヨセフに、幼いキリストを運れてイスラエルに帰るように告げた(マタ2:19-23)。


    ヨセフ(ヤコブの息子)(人名)
    参照:イスラエル,ヤコブ(イサクの息子)

    『旧約聖書』の中の人物。ヤコブとラケルの間に生まれた最初の息子(創世30:22-24;37:3)。

    ヤコブの最初の妻の長子ルベンが過ちを犯してイスラエルの長子の特権を失ったので、ヨセフはその特権を得た(歴上5:1-2)。ヨセフはふさわしかったので、ヤコブの2番目の妻の長子として、次にその祝福にあずかる順位にいたのである。ヨセフはまた、父ヤコブが死ぬ直前に、彼から祝福を受けた(創世49:22-26)。

    ヨセフは高潔で「さとく賢い」人物であった(創世41:39)。ポテパルの妻の誘惑を拒んだことは、信仰、純潔、高潔の模範である(創世39:7-12)。ヨセフはエジプトで兄たちに自分がだれかを明かしたときに、彼らが行ったことを責めず、逆に感謝の気持ちを示した。兄たちの行いが、神の御心を成就する助けになったと信じていたのである(創世45:4-15)。

    末日の啓示は、終わりの時にヨセフの子孫が果たすさらに大きな使命を明らかにしている(JS創世50章;2ニフ3:3-24;3ニフ20:25-27)。

  • ヤコブはヨセフを深く愛して、彼のために長そでの着物を作った(創世37:3)。
  • ヨセフの兄たちは、ねたみからヨセフを憎んで殺そうとしたが、結局エジプトヘ行く途中の商人たちに彼を売り渡した(創世37:5-36)。
  • 主はエジプトでヨセフを栄えさせ、彼はポテパルの家をつかさどる者となった(創世39:1-4)。
  • ポテパルの妻はヨセフが自分を誘惑しようとしたと、うそをつき、ヨセフは無実の罪で投獄された(創世39:7-20)。
  • ヨセフはパロの給仕役と料理役の夢を解き明かした(創世40章)。
  • パロは自分の夢を解き明かしたヨセフを重んじるようになり、エジプト全国のつかさとした(創世41:14-45)。
  • マナセとエフライムをもうけた(創世41:50-52)。
  • 父や兄弟を迎え入れた(創世45-46章)。
  • エジプトにおいて、110歳で死んだ(創世50:22-26)。


    ヨセフの木
    参照:エフライム-エフライムまたはヨセフの木,モルモン書

    ヨナ(人名)
    参照:ニネベ

    旧約の預言者。ニネベの町に対して悔い改めを説くよう、主に召された(ヨナ1:1-2)。

    【ヨナ書】

    ヨナの生涯の出来事を記した『旧約聖書』の中の1書。この書はヨナ自身が記したものではないと思われる。ヨナ書の主題は、エホバは全地を治める御方であり、一つの国または民だけを偏愛する御方ではないということである。

    第1章には、主がニネベに教えを宣べる召しをヨナに与えられたことが書かれている。ヨナは主から命じられたことに従わず、船で逃げたが、大きな魚にのみ込まれた。第2章には、ヨナが主に祈り、魚がヨナを陸に吐き出したことが書かれている。第3章には、ヨナがニネベに行き、滅亡を預言したことが書かれている。この結果、人々は悔い改めた。そして第4章には、ニネベの民が救われたことで怒っているヨナに対する主の叱責の言葉が記されている。

    イエスは、ヨナが魚にのみ込まれたことは御自身の死と復活のしるしであると教えられた(マタ12:39-40;16:4;ルカ11:29-30)。


    ヨナタン(人名)
    参照:サウル(イスラエルの王),ダビデ

    『旧約聖書』の中の人物。イスラエルの王サウルの息子。ダビデの親友であった(サ上13-23;31章)。


    予任
    参照:前世

    雄々しい霊の子供たちに現世で、ある使命を果たさせるために、神が前世で行われた聖任。

  • 神は民の境を定められた(申命32:8)。
  • わたしはあなたをまだ胎につくらないさきに、あなたを預言者とした(エレ1:5)。
  • 神はそれぞれに時代を区分された(使徒17:26)。
  • 神はあらかじめ知っておられる者たちを、あらかじめ定めて下さった(ロマ8:28-30)。
  • 天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び(エペ1:3-4)。
  • イエス・キリストは贖い主として予任された(1ペテ1:19-20[黙示13:8])。
  • 祭司たちは世の初めから召され、備えられていた(アル13:1-9)。
  • わたしは、初めに選ばれた、高潔で偉大な者たちを見た(教義138:55-56)。
  • 初めからわたしが愛し選んだ者であるわたしの愛する子(モセ4:2)。
  • アブラハムは生まれる前に選ばれた(アブ3:23)。


    世の終わり
    参照:世-世の終わり

    ヨハネ(ゼベダイの子)(人名)
    参照:使徒,福音書,身を変えられた人,メルキゼデク神権,黙示録(ヨハネの)

    『新約聖書』の中の十二使徒の一人。ゼベダイの子で、ヤコブの兄弟。初めは漁師であった(マコ1:17-20)。ヨハネ1:40に出てくる名前の分からないバプテスマのヨハネの弟子は、このヨハネと思われる。後にイエス・キリストの弟子となる召しを受けた(マタ4:21-22;ルカ5:1-11)。ヨハネによる福音書と3つの手紙、それに黙示録は、彼の手によるものである。彼は、ヤイロの娘の蘇生(マコ5:35-42)、変貌の山(マタ17:1-9)、ゲツセマネ(マタ26:36-46)にイエスとともにいた3人の弟子の一人である。ヨハネは自らの記録の中で自分自身を、イエスの愛された者(ヨハ13:23;21:20)、また「もうひとりの弟子」(ヨハ20:2-8)と述べている。またイエスは、ヨハネとその兄弟をボアネルゲ、すなわち「雷の子」(マコ3:17)と呼ばれた。十宇架の刑と復活に関する記述の中には、ヨハネについての言及が数多く見受けられる(ルカ22:8;ヨハ18:15;19:26-27;20:2-8;21:1-2)。ヨハネは後にパトモス島に流刑になり、そこで黙示録を書いた(黙示1:9)。

    ヨハネの名は、末日の啓示の中で何度も述べられている(1ニフ14:18-27;3ニフ28:6;エテ4:16;教義7章;27:12;61:14;77章;88:141)。これらの聖句は、『聖書』のヨハネの記録を確認するとともに、彼が新約の時代と終わりの時に地上でなすように主から託された業の重要性と、彼自身の偉大さについても理解を与えてくれる。末日の聖典は、ヨハネが死んでおらず、主の再臨の時まで仕える天使として地上にとどまるのを許されたことを明らかにしている(ヨハ21:20-23;3ニフ28:6-7;教義7章)。

    【ヨハネの手紙】

    この3つの手紙の著者は自分自身の名前を挙げていないが、言葉遣いが使徒ヨハネと非常によく似ているために、ヨハネによって書かれたと推測されている。

    第一の手紙の第1章は、神との交わりにあずかるようにとの聖徒への勧告である。第2章は、聖徒が神を知るのは従順によることを強調し、世を愛さないようにと教えている。第3章は、すべての人に対して、神の子となり、互いに愛し合うように呼びかけている。第4章では、神は愛であり、御自身を愛する者の中に住まわれることが説かれている。また第5章では、聖徒とはキリストを信じることによって神から生まれた者であることが説かれている。

    第二の手紙は第一の手紙とよく似ている。ヨハネはこの手紙の中で、「選ばれた婦人」の子供たちが従順であることに喜びを表している。

    第三の手紙では、忠実さと、真理を愛する人々を助けたことについて、ガイオという人物をたたえている。

    【ヨハネによる福音書】

    『新約聖書』のこの書の中で、使徒ヨハネは以下の事柄を証している。(1)イエスはキリスト、すなわちメシヤである。(2)イエスは神の御子である(ヨハ20:31)。ヨハネはこの目的を念頭に置いて、イエスの生涯の中の様々な出来事を慎重に選び、配列した。この書は、キリストは神とともにあり、神であり、万物の創造主であった、という前世におけるキリストの状態についての言葉で始まる。キリストは御父の独り子として肉体をもってお生まれになった。ヨハネはイエスの神性と死者の中からの復活を特に強調しながら、イエスの働きの跡をたどった。ヨハネは、奇跡や証、預言者の言葉、キリスト御自身の声を証拠として、イエスが神の御子であると断言している。またヨハネは、光と闇、真理と誤り、善と悪、神と悪魔を対比しながら教えている。イエスの聖さと支配階級のユダヤ人の不信仰をこれほど分かりやすく述べた記録は、ほかにないであろう。

    マタイやマルコ、ルカがガリラヤにおけるキリストの働きに重きを置いて書いているのに対し、ヨハネはユダヤにおける働き、特にこの世で過ごされた最後の週に重きを置いている。この福音書に記録されている幾つかのことが、末日の啓示の中で明確にされた(教義7章;88:138-141)。

    各章の概要については、「福音書」の項を参照。

    【黙示録】

    「黙示録(ヨハネの)」の項を参照。


    ヨハネ(バプテスマの)(人名)
    参照:アロン神権

    『新約聖書』の中の人物。ザカリヤとエリサベツの息子。ヨハネは、人々にメシヤを受け入れる備えをさせるために遣わされた(ヨハ1:19-27)。アロン神権の鍵を持ち、イエス・キリストにバプテスマを施した。

  • イザヤをはじめ、預言者たちはヨハネの使命について預言した(イザ40:3[マラ3:1;1ニフ10:7-10;2ニフ31:4])。
  • 獄に入れられ、首をはねられた(マタ14:3-12[マコ6:17-29])。
  • ガブリエルはザカリヤに、ヨハネの誕生とその働きについて伝えた(ルカ1:5-25)。
  • イエスは、バプテスマのヨハネは偉大な預言者であると教えられた(ルカ7:24-28)。
  • イエスを神の子であると証した(ヨハ1:29-34)。
  • ヨハネの弟子たちはイエスの弟子となった(ヨハ1:25-29,35-42[使徒1:21-22])。
  • ヨハネはなんのしるしも行わなかった(ヨハ10:41)。
  • 復活した者として、ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリをアロン神権に聖任するために遣わされた(教義13章[教義27:7-8;ジ-歴史1:68-72])。
  • 生後8日で神の天使によって聖任された(教義84:28)。


    ヨブ(人名)
    参照:(なし)

    『旧約聖書』の中の人物。非常な苦しみを受けながらも、忠実に神への信仰の中に踏みとどまった義人。その話はヨブ記に記されている。

    【ヨブ記】

    この書はヨブの苦難についての記録であるが、ヨブ(あるいはだれか他の人)の苦しみ、ならびに家族や財産の喪失の理由が何かという問いに対して、すべての答えを与えているわけではない。ヨブ記が明らかにしているのは、苦難は必ずしもその人が罪を犯した結果として受けるのではないということである。主は苦難を罰としてだけではなく、経験や訓練や教育を与えるためにも用いられる(教義122章)。

    ヨブ記は4部に分けることができる。第1-2章は全体の序である。第3-31章には、ヨブと3人の友人の間で交わされた一連の対話が記録されている。第32-37章には、4人目の友エリフの語ったことが載っている。エリフは初めの3人とは異なる理由を挙げてヨブを非難した。第38-42章はこの書の結びであり、ヨブは自分の生き方が初めから正しいものであったという確認を得ている。

    ヨブ記は、神について正しい知識を持ち、神に受け入れられる生活をするなら、訪れる試練にさらによく耐えられるであろうということを教えている。ヨブの不屈の信仰は、「神がわたしを殺されても、わたしは神を信頼する」(KJヨブ13:15)という言葉によく表れている。ヨブについては、エゼキエル14:14;新約ヤコブ5:11;教義と聖約121:10でも言及されている。


    ヨルダン川
    参照:(なし)

    ガリラヤの海から死海に向かって流れる川。ヘルモン山からの幾つかのわき水を集め、約160qの長さがある。イスラエルで最も重要な川である。

    この川にまつわる二つの重要な出来事として、イスラエルの民のために主が川の水をせき止められたことと(ヨシ3:14-17)、イエス・キリストのバプテスマ(マタ3:13-17;1ニフ10:9)がある。


    喜び
    参照:従順;従う

    義にかなった生活から得られる非常に幸せな状態。現世の目的はすべての人が喜びを得ることである(2ニフ2:22-25)。満ちみちる喜びは、イエス・キリストを通してのみ得られる(ヨハ15:11;教義93:33-34;101:36)。

  • 柔和な者は主によって新たなる喜びを得(イザ29:19[2ニフ27:30])。
  • 大きな喜びを、あなたがたに伝える(ルカ2:10)。
  • その喜びをあなたがたから取り去る者はいない(ヨハ16:22)。
  • 御霊の実は、愛、喜び、平和(ガラ5:22)。
  • その木の実を食べると、わたしの心は非常に大きな喜びに満たされた(1ニフ8:12)。
  • 人が存在するのは喜びを得るためである(2ニフ2:25)。
  • 義人の喜びはとこしえに満たされる(2ニフ9:18)。
  • 彼らは、決して終わりのない幸福な状態で神とともに住める(モサ2:41)。
  • この大きな喜びを得るために、わたしは持ち物をすべて捨てよう(アル22:15)。
  • 神の御手に使われる者となって幾人かでも悔い改めに導けること、これがわたしの誇りであり、喜びである(アル29:9)。
  • 何という喜びであったことか。何という驚くべき光をわたしは見たことか(アル36:20)。
  • わたしの御霊はあなたの霊に喜びを満たすであろう(教義11:13)。
  • 父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか(教義18:15-16)。
  • この世ではあなたがたの喜びは満たされないが、わたしにあってあなたがたの喜びは満たされるからである(教義101:36)。
  • わたしはこの世で喜びを受け(モセ5:10-11)。


    弱さ
    参照:謙遜

    死すべき状態にあって、能力や体力、技能が不足していること。弱さは死すべき状態に必ず伴うものである。人は皆弱い存在であり、義にかなったことを行う力を受けるのは、ただ神の恵みによる(ヤコ4:6-7)。この弱さは、個人の短所やもろさとなって表れることがある。

  • あなたがたは弱った手を強くし(イザ35:3-4)。
  • 心は熱しているが、肉体が弱いのである(マタ26:41[マコ14:38])。
  • 肉においてのわたしの弱さのためであると申し開きをしよう(1ニフ19:6)。
  • わたしが、弱点があるにもかかわらず、これらのことを書き記すように命じられた(2ニフ33:11)。
  • あなたの僕があなたの御前にあって弱いからということで、あなたの僕をお怒りにならないでください(エテ3:2)。
  • わたしたちの物を書き記す力が弱いので、異邦人はこれらのことをあざけるでしょう(エテ12:23-25,40)。
  • わたしは彼らに各々の弱さを示そう(エテ12:27-28)。
  • あなたは自分の弱さを認めたので、強くされて(エテ12:37)。
  • あなたがたの中の弱い者は、この後、強くされるであろう(教義50:16)。
  • イエス・キリストは人の弱さを知っておられる(教義62:1)。