大管長会
参照:啓示,神権の鍵,

末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長と副管長。3人の大祭司から成る定員会を構成し、教会全体を管理する。大管長会は神権のすべての鍵を持つ。

  • 王国の鍵は常に大神権の大管長会に属する(教義81:2)。
  • 大神権の大管長会は、すべての職務を行う権利を持つ(教義107:9,22)。
  • だれでもわたしを受け入れる者は、大管長会を受け入れる(教義112:20,30)。
  • 大管長会は全教会のために神託を受ける(教義124:126)。


    大祭司
    参照:アロン神権,メルキゼデク神権

    神権の職の一つ。この言葉は聖典の中で、次の二つの意味で用いられている。(1)メルキゼデク神権の職の一つ。(2)モーセの律法の下での、アロン神権の管理役員。

    イエス・キリストを偉大なる大祭司と呼ぶのは、最初の意味による。アダムとすべての族長も大祭司であった。今日、3人の管理大祭司が大管長会を構成し、他の神権者と教会のすべてを管理している。また、今日の教会では、必要に応じてふさわしい人が大祭司に聖任される。大祭司が監督として召され、任命と聖任を受けることもある(教義68:19;107:69-71)。

    アロン神権の管理役員がモーセの律法の下で大祭司と呼ばれたのは、2番目の意味による。この職は世襲であり、アロンの家系の長子を通して受け継がれた。アロン神権の初代大祭司はアロン自身であった(出エ28-29章;レビ8章;教義84:18)。

  • メルキゼデクはいと高き神の祭司であった(創世14:18[アル13:14])。
  • 大祭司は世の初めから召され、備えられていた(アル13:1-10)。
  • 大祭司は霊的な事柄をつかさどる(教義107:10,12,17)。


    大神権
    参照:メルキゼデク神権

    怠惰
    参照:(なし)

    義にかなった働きをおろそかにすること、またそれを果たさないこと。

  • 働こうとしない者は、食べることもしてはならない(2テサ3:10)。
  • 彼らは、悪意と狡猾さに満ちた怠惰な民となり(2ニフ5:24)。
  • 怠惰にならないようにしなさい(アル38:12)。
  • 怠惰な者は働く者のパンを食べてはならない(教義42:42)。
  • 自分自身の手で働こうとしない者は、災いである(教義56:17)。
  • 熱心に善いことに携わり(教義58:27)。
  • 怠惰であるのをやめなさい(教義88:124)。


    第二の位
    参照:死すべき状態

    第二の慰め主
    参照:慰め主;助け主

    堪え忍ぶ
    参照:逆境,忍耐,誘惑

    誘惑や反対や逆境に負けることなく、神の戒めに忠実であろうという決意を固く守り続けること。

  • 最後まで耐え忍ぶ者は救われる(マタ10:22[マコ13:13])。
  • 愛はすべてを耐える(1コリ13:7)。
  • アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得たのである(ヘブ6:15)。
  • 彼らは最後まで堪え忍ぶならば、終わりの日に高く上げられて(1ニフ13:37)。
  • 戒めに従順で最後まで堪え忍ぶならば、救われるでしょう(1ニフ22:31[アル5:13])。
  • キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み、最後まで堪え忍ぶならば、あなたがたは永遠の命を受ける(2ニフ31:20[3ニフ15:9;教義14:7])。
  • わたしの名を受け、最後まで堪え忍ぶ者は、救われるであろう(3ニフ27:6)。
  • 教会にあって最後まで堪え忍ぶ者を、わたしはわたしの岩の上に建てよう(教義10:69)。
  • 信仰をもって堪え忍ぶ者は、世に打ち勝つ(教義63:20,47)。
  • すべての王位と主権が示されて、イエス・キリストの福音のために勇敢に堪え忍んだすべての者に授けられるであろう(教義121:29)。


    多妻結婚
    参照:結婚-多妻結婚

    たとえ
    参照:福音書-福音書対観表

    霊的な真理や原則を説明したり、教えたりするのに使われる簡単な物語。たとえは、ありふれた事物を真理になぞらえたもので、受け入れる霊的な備えができていない人々は、それを聞いても言外の意味やメッセージを理解できないことが多い(マタ13:10-17)。

    イエスはしばしばたとえを用いて教えられた。イエスが話された重要なたとえについては、「福音書」の項を参照。


    ダニエル(人名)
    参照:(なし)

    『旧約聖書』のダニエル書の中の人物。神の預言者であり、偉大な信仰の人であった。

    貴族の出身と思われるが(ダニ1:3)、その両親については何も知られていない。ダニエルはとりことしてバビロンへ連れて行かれ、そこでベルテシャザルと名付けられた(ダニ1:6-7)。ダニエルと他の3人のとりこは、宗教上の理由から王の食物を拒んだ(ダニ1:8-16)。

    ダニエルは夢を解き明かす能力によって(ダニ2:4)ネブカデネザルとダリヨスの寵愛を得た。彼はまた壁に指で描かれた文字を読み、解き明かした(ダニ5章)。ダニエルは敵意を持つ者たちの策略によって、ししの穴に投げ入れられたが、主にその命を守られた(ダニ6章)。

    【ダニエル書】

    この書は二つに区分される。第1-6章はダニエルとその3人の同輩に関する物語、第7-12章はダニエルが見た預言的な示現である。ダニエル書は神に忠実であることの大切さを教え、主が忠実な者を祝福されることを説いている。

    ダニエル書が大きく貢献しているのは、ネブカデネザル王の夢の解き明かしが記されていることである。その夢の中では、終わりの時における神の王国が、山から切り出される石として描かれている。その石は転がり進んで、やがて全地に満ちるであろう(ダニ2章;教義65:2)。


    たばこ
    参照:知恵の言葉

    ダビデ(人名)
    参照:詩篇,バテシバ

    『旧約聖書』の中の人物。古代イスラエルの王。

    ダビデはユダ族のエッサイの息子であった。彼は勇敢な若者で、ししやくま、ペリシテ人の巨人ゴリアテを倒している(サ上17章)。彼はイスラエルの王に選ばれ、油を注がれた。サウルと同じように、成人してから大きな罪を犯したが、サウルと違うのは、心から罪を悔いたことである。それによって、ウリヤの殺害を除いては赦しを得ることができた(教義132:39)。ダビデの一生は次の4期に分けることができる。(1)羊飼いとして暮らしたベツレヘム時代(サ上16-17章)、(2)サウル王の宮廷で過ごした時代(サ上18章-19:18)、(3)逃亡生活の時代(サ上19:18-サ下1:27)、(4)ヘブロンでユダの王として治めた時代(サ下2-4章)と、後に全イスラエルの王となった時代(サ下5章-列上2:11)。

    ダビデはバテシバとの間に犯した姦淫の罪によって、人生最後の20年間を数々の不幸に苦しめられた。ダビデの治世に、国そのものは繁栄したが、彼自身は罪を犯したことで苦しみを味わった。家族の間に絶えず反目があり、アブサロムとアドニヤの場合は、公然とした反乱にまで至った。それらの出来事は、罪を犯したダビデに預言者ナタンが下した宣告の成就である(サ下12:7-13)。

    これらの不幸にもかかわらず、ダビデの治世にイスラエルが最盛期に達したのは、彼が(1)諸部族を一つの国家に統一し、(2)領土を確保し、(3)真実の宗教を基とした政体を築いて、神の御心をイスラエルの法としたからである。これらの理由により、ダビデの治世は後に、イスラエルの黄金時代と言われ、メシヤ来臨時のより輝かしい時代をあらかじめ示すものと見なされた(イザ16:5;エレ23:5;エゼ37:24-28)。

    ダビデの生涯は、人は皆義にかなった生活をして最後まで堪え忍ばなければならないことを教えている。若いときには、主の「心にかなう人」(サ上13:14)と言われ、長じてからも御霊によって語り、多くの啓示を受けた。しかしそのダビデも、神の戒めに不従順であったために大きな代価を払うことになってしまった(教義132:39)。


    ダマスコ
    参照:(なし)

    シリアの古代都市。

    ダマスコは砂漠の端の沃野に位置し、バラダ川を豊かな水源としている。ダマスコの名は聖典の中に何度も登場する(初出は創世15:2)。パウロはダマスコに向かう途中、復活された主の訪れを受けた(使徒9:1-27;22:5-16;26:12-20)。


    賜物
    参照:聖霊の賜物,御霊の賜物

    神は人に多くの祝福と賜物をお与えになる。

  • 霊の賜物は種々ある(1コリ12:4-10)。
  • 更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい(1コリ12:31)。
  • あらゆる完全な賜物は、光の父から来る(新ヤコ1:17)。
  • 聖霊の力は神の賜物である(1ニフ10:17)。
  • 賜物がないと言う者は、キリストの福音を知らない者である(モル9:7-8)。
  • あらゆる善い賜物はキリストから来る(モロ10:8-18)。
  • 永遠の命は、神のあらゆる賜物の中で最も大いなるものである(教義14:7[1ニフ15:36])。
  • 賜物は主を愛する者に与えられる(教義46:8-11)。
  • すべての人があらゆる賜物を与えられるわけではない(教義46:11-29)。


    賜物(聖霊の)
    参照:聖霊の賜物

    賜物(御霊の)
    参照:御霊の賜物

    堕落(アダムとエバの)
    参照:贖い;贖う,贖いの計画,アダム,イエス・キリスト,生まれながらの人,エバ,死(霊の),死すべき状態,贖罪

    人類がこの地上で死すべき状態となった過程。アダムとエバは禁断の実を食べて、死すべき状態、すなわち、罪と死に支配される者となった。アダムは地上で「最初の肉なるもの」(モセ3:7)となった。末日の啓示は、「堕落」が一つの祝福であり、アダムとエバは全人類の始祖として尊ばれるべきであるということを明らかにしている。

    堕落は人類の進歩に必要な一つの段階であった。神は堕落が起こることを承知しておられたので、前世で救い主を遣わす計画を立てられたのである。イエス・キリストはアダムの堕落に対して贖いをし、また悔い改めを条件に一人一人の罪を贖うために、時の中間に来られた。

  • それを取って食べると、きっと死ぬであろう(創世2:17[モセ3:17])。
  • エバはその実を取って食べた(創世3:6[モセ4:12])。
  • アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである(1コリ15:22)。
  • すべての人類は、迷い堕落した状態にあり(1ニフ10:6)。
  • 人の堕落以来、方法が用意されており(2ニフ2:4)。
  • アダムとエバは禁断の実を食べた後、エデンの園から追い出され(2ニフ2:19)。
  • アダムが堕落したのは人が存在するためであり(2ニフ2:15-26)。
  • 生まれながらの人は神の敵であり、アダムの堕落以来そうであって(モサ3:19)。
  • アロンはラモーナイ王の父に堕落について教えた(アル22:12-14)。
  • 贖罪が行われることは必要である。すべての人は、堕落し、迷った状態にある(アル34:9)。
  • わたしたちの始祖は、肉体的にも霊的にも主の御前から絶たれてしまった(アル42:2-15[ヒラ14:16])。
  • 堕落のために、わたしたちの性質は絶えず悪くなっています(エテ3:2)。
  • これらの聖なる律法を破ったことによって、人は堕落した者となった(教義20:20[教義29:34-44])。
  • あなたは堕落したので、贖いを受けることができる(モセ5:9-12)。
  • 背きによって堕落が生じ(モセ6:59)。
  • 人は自分の罪のゆえに罰せられる(箇条1:2)。


    タラント
    参照:(なし)

    古代に用いられた秤量の単位。あるいは高額の通貨単位。またタラントは、イエス・キリストの福音など、非常に価値あるものの象徴としても使われた(マタ25:14-29;エテ12:35;教義60:2,13)。


    ダリヨス(人名)
    参照:バビロン;バベル

    『旧約聖書』の中の人物。ベルシャザルの死後バビロンを治めたメディア人(メデア人)の王(ダニ5:31;6:9,25-28;9:1;11:1)。


    ダン(人名)
    参照:イスラエル,ヤコブ(イサクの息子)

    『旧約聖書』の中の人物。ヤコブと、ラケルのつかえめビルハの間に生まれた男の子(創世30:5-6)。

    【ダンの部族】

    ヤコブがダンに与えた祝福については、創世49:16-18を参照。モーセがダンの部族に与えた祝福については、申命33:22を参照。カナンに定住した後に、ダンの部族が受けた土地は、狭いものであったが非常に肥えていた(ヨシ19:40-48)。その地をアモリ人(士師1:34)やペリシテ人(士師13:2,25;18:1)から守るのは非常に困難であった。結果的に、ダンの部族はパレスチナ北部のライシに移り(士師18章)、この町の名をダンと改めた。この町は「ダンからベエルシバまで」広がるパレスチナの北辺の地としてよく知られている。


    短気
    参照:怒り

    断食
    参照:ささげ物,福祉,施し,貧しい

    主にさらに近づき、その祝福を求めるという目的の下に自分の意志で飲食を断つこと。個人的にであれ、グループとしてであれ、断食をする人は神の御心を理解し、霊的な力をさらに強めることができるように祈るべきである。いつの時代にも、まことの信者は断食を行ってきた。

    今日の教会では、月に1度、安息日に断食を行うことになっている。断食の間、教会員は24時間飲食をしない。そして、もし食事をしていればかかったと思われる金額を、教会にささげる。これを断食献金という。教会は貧しい人や乏しい人のために断食献金を用いる。

  • われわれは断食して、われわれの神に求めた(エズ8:21-23,31)。
  • わたしは断食して天の神の前に祈って(ネヘ1:4)。
  • わたしのために断食してください。3日のあいだ食い飲みしてはなりません(エス4:16)。
  • わたしは断食してわが身を苦しめた(詩篇35:13)。
  • このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか(イザ58:3-12)。
  • わが顔を主なる神に向け、断食をなし、願い求めた(ダニ9:3)。
  • 心をつくし、断食をもってわたしに帰れ(ヨエ2:12)。
  • ニネベの人々は神を信じ、断食をふれ(ヨナ3:5)。
  • イエスは40日40夜、断食をされた(マタ4:2[出エ34:28;列上19:8;ルカ4:1-2])。
  • 断食をしていることが人に知れないで(マタ6:18[3ニフ13:16])。
  • このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない(マタ17:21)。
  • 断食と祈りを続け(オム1:26[4ニフ1:12])。
  • 彼らは断食して、主なる自分たちの神に祈り始め(モサ27:22)。
  • わたしは自分でこれらのことを知ることができるように、幾日もの間、断食をして祈ってきた(アル5:46)。
  • 神の子たちは、しばしば集まって、ともに断食し(アル6:6)。
  • モーサヤの息子たちはしばしば祈り、また断食もした(アル17:3,9)。
  • 断食と祈りを重ねた時であった(アル28:5-6)。
  • 彼らは大いに断食し、大いに祈り(アル45:1[ヒラ3:35])。
  • あなたの食物を真心を込めて準備して、あなたの断食が完全になるように(教義59:13-14)。
  • あなたがたは祈りと断食を続けなければならない(教義88:76)。