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写真京都にて3。

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チョッと疲れたけれど嵯峨野で見晴台に登って見る。

いつまでこうして歩けるのかと思う時がある、健康でいられることに感謝したいと思う、少しずつですが切実な問題になろうとしている。

それぞれに歩幅とスピードがあり休憩も考慮してペースというのだろう、今思うと写真展開催グループも23回にして初めてペースダウンしたように個人的には思えた、平均年齢が23歳もUPしたと考えればいたし方ない現実も見える。

眼下に静かな川の流れが見えた。

写真京都にて2。

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最近掲載の写真はフィルムで云うところの暗室技術を施しています、カラーも同じ。

個人的写真観を考慮、主観的技術論の云々は個人的には好まないのでノーコメントにしたいと考えています、作品は最終的には受け入れられるかそうでないか好きか嫌いかであり、そのプロセスを理由に云々という方も多いのですが個人的には意味が無いものですからノーコメントにいつもしています。

見て感じるのが写真であり、分からない方にそれを説明するというのはもの凄く大変なことであり、単純化すると好きか嫌いかで良いのだと思う、説明してされて変わることもあると思いますが、そんなに重大な問題ではないと気にしないことにしています。

写真が巧くならない理由の一つかも知れませんが、自身のポリシーも個人的には生き方であり、若ければそれを問うこともあると思うけれど、往年の個人としては今のポリシーをむしろ貫きたいというのが本音であり、このようなものしか見えてこないという現実もある訳でここに個人としての自由を感じているのだろうと思う。

能書きが多いほど作品が惨めになる様な気がするな~。

写真京都にて。

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写真展を通じて思うのは一般受けする写真とそうでない写真があるように思う。

綺麗、可愛いと言葉を発する様な写真は一般的には受けがよく、逆に憂鬱な感じの写真は受けない様です、とは言ってもこれは作品の方も平凡な写真の場合でよい写真と思える作品はこういった一般概念から逸脱するようにして心に届く感動を持っているように思う。

最近は慣れてきてしまったのか感動が無いように思う、人間の心からこの感動が無くなったらと考えると悲しいものがある、眼に映る美しさも大切なものですが感動から受ける余韻に癒されるものが大きい、この感情や感覚それらが決起される感動を大切なものとしたい。

自分探しで始めたBlogですがそろそろ3年が経つのでよく続けられたと思います、これも感動の一つです、いつも応援してくださる方々に感謝です。

3年前にはこんなプラットホームに立っていたのかも知れない、C.Arai氏H.Taka氏にも感謝。

経たり調写真。

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興味があっても撮れない写真、興味がないで撮れない写真、自分がないから撮れない写真、撮れないから撮れない写真と見せられない写真のことを語ってもしょうがないと思うけれどこれも自分なりに考えると写真なのだと思う。

まだまだ他にもあると思うけれど写真とはそうゆうモノなのだろうという視点から見ている訳で、見えないものを見たい、直感的には見えないではなく感じるものかも知れないけれど興味あるものが必ず見えるものということも無い訳で、人は多分にこういう一面を持っている訳でこれを語るのが写真でも良いと考えている、また言葉で語れる人の存在が必要で、かけがえの無い人とは個人的には心を語れる人なのだと思う、いずれにしても一方通行なんて無い訳で、これを一般的には大切な人というのだろうと思う。

チョッとハイライトが飛び過ぎのため修整、結果経たり調となる。

語らい。

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3人だからどこか3Friends・・・。

人の笑顔見て楽しそうだな~と思える、今はこんな光景も受けとめられる様になってきた、特に自分の人生が寂しい訳でもありませんが、何かが変わってきたことは確かだと思う。

年齢と共に夢も希望も無くなってきていると思うけれどそれを実感することは本当は少ないのだと思う、夢も希望も自分の心にキャンバスがあってはじめて描けるのだと思う、だから相手を見る時にはそのキャンバスを見るようにしている、ある意味ではそれが写真であったりもする。

江ノ電。

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またAM1:00に起きてAM3:00まで仕事とブログ書きが始まる、その後寝てAM6:00起床。

自分で選んだ仕事ですから労働基準もある訳もない、自分の仕事も自分でつくるから何の仕事というのも説明が難しくなる、今時単純に仕事をカメラマンなんて言える人は少なくなっていると思う。

自分の姿をどの様に変えて行けるか、いろいろな意味での適応力がないとと思う、またカメラマンという職業はそういったものが要求されるものだと思う、今時のサラリーマンにもいえることで生きてゆくことそのものが厳しくなってきた様にも思える、年齢的なこともあると思うけれど気楽な家業なんてないんだなーと思う。

幼い時の江ノ電の思いでを懐かしく思う、こんな電車でどこか遠くに行ってみたい。

波打ち際。

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仕事用に2GBのCFを2枚購入、録音も3時間と2GBが個人的には使い勝手が良いのであえて4GBを選ばなかった。

時間があったら海にでも出掛けて生録でもしてみたいと思う、昔に比べたら良い音が簡単にとれるし編集も楽です、音だけの世界もどこかモノクロ写真と似ていると思う、創作イメージを見つけるヒントは音の世界にもあると思う、自分の世界を開拓できたらと思う。

いつも新しいものは求めても自身の感性を肯定してそこから掘り下げようとはしてこなかったように思う、何かよけいに自分よがりになりそうですがそうゆう心配をするところが平凡になる理由の一つだとも思う、平凡だから平凡になるそこには何も間違いがある訳ではない、自分の写真をつまらないと思い続けるほどおかしなものもない、やめられないから続けているのではなく好きだから続けている、だったら自身を今以上に好きになれたら良いと思う。

何を写真に写そうとしているかがそれぞれの写真になる訳でそこに個人の写真観なり世界があるのだと思う・・・ そうすると・・・ 写真が暗くなってゆく・・・ 。

嵐の前の静けさ。

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忙しいようで暇なような時間が訪れる、無風状態に似たこの時間が決戦の時を向かえる。

走りだしたら一気に暮れから正月になる、仕事だから仕方がないけれどこの時間内に作品制作しないとと思うと頭が痛い、もっと楽しく写真撮りたいと考えるこの頃です。

忙しさ間もなく全開。

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10月予定は7日以外は仕事でいっぱい状態となる、11月・12月は調整段階に入る。

カレンダーを見ながら自分の時間が無くなって行くのに焦りを覚える、どの様にして自分の時間をつくろうかこれまた大変なことだと思う、最近録音のためにコンプレッサー/リミッターという機器を購入したのですが、この忙しさにもコンプレッサー/リミッターの様な効果をかけられたらと思う。

忙しければ良いということでは無いと思う、これを何か出来ないことの理由にしてゆけばそれで済むことではない訳で、テーマは次々に現れこれが普通の運転状態なのだと思う、これを電車に例えて車窓から外を眺めるとのどかな田園風景とそこに流れる時間が見える、自分の電車はいったいどこ行きなのだろうと思う、たまには途中下車できたら良いな~と思える、夢がなかったらこんな電車に乗りたくない、プラットホームでどの電車に乗ったら良いのか迷う人もいる、いったいこの電車には他に誰が乗っているのだろうと思う・・・ こども動物自然公園で園内列車(3両編成の車に乗る)。そんな後だったので訳の分からない夢を見てしまいました。

写真moなんだかわからない扉でした。

バレエ3。

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今年も残り3ヵ月と考えると撮影出来る時にはとにかく撮影を心がけたい。

出来るだけBlog用写真という意識は捨てないとと思う、でないとまた写真展の時に苦労することとなる、何年写真やっているのかと考えると同じ失敗だけは避けたい。

写真展も現実にいつまでも続けていける訳もないので作品本位に頑張りたいものですね。