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写真京都にて5。

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いつも行きたいところ・・・ そんなところもいつの間にか出来て来る。

写真に出会えて旅行の楽しみを知ったようにも思う、以前は写真もフィルムだったので気楽にシャッターを切れなかった、今はデジカメがあるので便利な時代になったと思う。

最近はモノクロ写真がお気に入りです

写真京都にて4。

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忙し過ぎて・・・ 以前はあり余るほど時間があったのに今は無い。

そういう意味では貴重な時間をBlogに費やしていると思う、自身に気持ちに説得できるもの、納得出来るものがあるのでしょうか、有るとも無いとも言えませんが事実として時は止まらない。

感じているものはいずれにしても言葉なり写真になるのだと思う、そこに自分の世界があるのだと思う。

視線の向こうにそれぞれの世界があるように感じながら、パチリ。

写真京都にて3。

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チョッと疲れたけれど嵯峨野で見晴台に登って見る。

いつまでこうして歩けるのかと思う時がある、健康でいられることに感謝したいと思う、少しずつですが切実な問題になろうとしている。

それぞれに歩幅とスピードがあり休憩も考慮してペースというのだろう、今思うと写真展開催グループも23回にして初めてペースダウンしたように個人的には思えた、平均年齢が23歳もUPしたと考えればいたし方ない現実も見える。

眼下に静かな川の流れが見えた。

写真京都にて2。

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最近掲載の写真はフィルムで云うところの暗室技術を施しています、カラーも同じ。

個人的写真観を考慮、主観的技術論の云々は個人的には好まないのでノーコメントにしたいと考えています、作品は最終的には受け入れられるかそうでないか好きか嫌いかであり、そのプロセスを理由に云々という方も多いのですが個人的には意味が無いものですからノーコメントにいつもしています。

見て感じるのが写真であり、分からない方にそれを説明するというのはもの凄く大変なことであり、単純化すると好きか嫌いかで良いのだと思う、説明してされて変わることもあると思いますが、そんなに重大な問題ではないと気にしないことにしています。

写真が巧くならない理由の一つかも知れませんが、自身のポリシーも個人的には生き方であり、若ければそれを問うこともあると思うけれど、往年の個人としては今のポリシーをむしろ貫きたいというのが本音であり、このようなものしか見えてこないという現実もある訳でここに個人としての自由を感じているのだろうと思う。

能書きが多いほど作品が惨めになる様な気がするな~。

写真京都にて。

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写真展を通じて思うのは一般受けする写真とそうでない写真があるように思う。

綺麗、可愛いと言葉を発する様な写真は一般的には受けがよく、逆に憂鬱な感じの写真は受けない様です、とは言ってもこれは作品の方も平凡な写真の場合でよい写真と思える作品はこういった一般概念から逸脱するようにして心に届く感動を持っているように思う。

最近は慣れてきてしまったのか感動が無いように思う、人間の心からこの感動が無くなったらと考えると悲しいものがある、眼に映る美しさも大切なものですが感動から受ける余韻に癒されるものが大きい、この感情や感覚それらが決起される感動を大切なものとしたい。

自分探しで始めたBlogですがそろそろ3年が経つのでよく続けられたと思います、これも感動の一つです、いつも応援してくださる方々に感謝です。

3年前にはこんなプラットホームに立っていたのかも知れない、C.Arai氏H.Taka氏にも感謝。

忙しさ間もなく全開。

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10月予定は7日以外は仕事でいっぱい状態となる、11月・12月は調整段階に入る。

カレンダーを見ながら自分の時間が無くなって行くのに焦りを覚える、どの様にして自分の時間をつくろうかこれまた大変なことだと思う、最近録音のためにコンプレッサー/リミッターという機器を購入したのですが、この忙しさにもコンプレッサー/リミッターの様な効果をかけられたらと思う。

忙しければ良いということでは無いと思う、これを何か出来ないことの理由にしてゆけばそれで済むことではない訳で、テーマは次々に現れこれが普通の運転状態なのだと思う、これを電車に例えて車窓から外を眺めるとのどかな田園風景とそこに流れる時間が見える、自分の電車はいったいどこ行きなのだろうと思う、たまには途中下車できたら良いな~と思える、夢がなかったらこんな電車に乗りたくない、プラットホームでどの電車に乗ったら良いのか迷う人もいる、いったいこの電車には他に誰が乗っているのだろうと思う・・・ こども動物自然公園で園内列車(3両編成の車に乗る)。そんな後だったので訳の分からない夢を見てしまいました。

写真moなんだかわからない扉でした。

ステージモノクロ4。

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京都四条大橋隅より撮影、こんな人生でもいいのかな~と悩んだりもする、この橋を渡って右に曲がると先斗町だよ、それは分かっているのですけれどここから見る景色が好きなんです。

普通に撮っているのです、何気ない景色が普通でなかったらこまるしね、そんなの誰もこまらないけれど空き缶捨てないで・・・ 右下の黒い茂みに見えた空き缶を画像処理。

左の方の河川敷は歩いたらいい散歩コースでした、黒く見えるのが座って何やら語る人々です人生を語ったりお昼に食べたチャーシューメンの話しをしていたりといろいろでしょう。

水平をだすのにビデオモニターを使用してジーパチ。

ステージモノクロ3。

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4×5判カメラでスナップ撮影、馬鹿げているというか早い話しが迷惑な撮影スタイル、本人が良いと思っているから問題ではないのですが、何撮っているのですかと尋ねられて何と答えよう・・・。

ほとんど自己満足の世界観、だからと言って全てがルールであれば全ての芸術もいらない、こういう現実の中に自身の写真もあるのだと思う、おじさんチャンと撮影してくださいよね。

軽い気持ちでジーパチしている場合で無いよ、それにしては重いカメラだな~~。

ステージモノクロ1。

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写真展の案内状もまだ出していません、芳名帳にお名前をいただいた方々には会から案内状が届けられたと思います、私からはこれから書きます、遅れて申し訳ございませんです。

今回はステージモノクロから8枚選びました、見覚えのある写真もありますがBlog用にも展示9枚しようと思います、撮影は4×5判モノクロですが3:2にてトリミングしています。

京都三千院へ行く途中の坂道でジーパチ。

平等院辺り。

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記憶を尋ねて平等院へ行く。

記憶が無くなり思い出せないことが目立つこの頃ですが再度足を運ぶ、昔修学旅行で来たことも某中学校の修学旅行撮影で来たことも個人で来たこともまるでとろけたアイスクリームのようになっている。

もっと前からデジカメがあれば便利だったと思う、高価なフィルムでは旅行でも2・3本撮るくらいであり現像したら写っていなかったとか失敗の数々・・・ 写真を見せるという機会もなかったのでマイペースも今のマイペースとはかなり違っていた、写真を持って何かを伝えたいなんてことの意識もよっぽどの写真観を持った先生とでも出会わないと聞くこともなかった、今は様変わりした時代だと思う。

何が良かったかは別にして昔は良かったな~~と思える時も少しずつ多くなってきた、良い想い出は消えることのない宝物となるのだろう、今回は平等院前の店で抹茶アイスを頂く、冷たさで頭がしみてくるのが良かった。

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