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2月に入り忙しさが増してきた8。

時間を有効に使わないとやりきれないほどの仕事の山があるのでとにかくPC等機械が出来ることは止めないで並列で走らせるものは走らせる・・・ だんだんと自宅が工場にも似てきた感じがするな・・・。

モデル天川未来さん4。

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どこにこんなエネルギーがあるのだろうと思う。

また海外に旅立って行きました、彼女も自分探しをしていることは確かだと思う、そんな天川さんにエールをおくりたいと思う。

モデル天川未来さん2。

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今回は綺麗に美しく撮ることもあえて心がけず撮影する。

自身が知る限りの天川さんをイメージしての撮影でしたのでこのようなものもありということでご理解いただけたらと思います。

左右顔のどちらを見せるかでもかなり印象は違って見えるものだと思いました、強い意思の持ち主であることが伝わればと思いました。

モデル天川未来さん。

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4×5判でのモノクロ撮影を久しぶりにする、そして現像しUPに至る。

どんな風なイメージに撮ろうか何てことも考えずにとにかくホームグランドである海へ出かける、行き当りばったりが気楽で良いと思い使用するカメラとモノクロフィルムだけ持ってジーパチと撮影した。

モデル撮影と言ってもニコパチはいらないからこれまでとは少し違うと天川さんに伝え了承を得る、こころよく引き受けてもらえたので助かりました。

毎日2。

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コア2ではないけれど仕事から帰り夕食後寝て起き別な仕事人となり仕事を2から3時間こなしまた寝て起きる毎日。

こんな世界もあったのかと自身でも驚くけれど、とにかくは健康には気をつけたいものだと思います。

意識プラス行動ですが、毎日大変です。

毎日。

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10分前後に編集された映像をDVDに焼き付ける。

LAN接続されたHDDどうしのコピーは150GBもあると半日はかかる、これを2回繰り返すとこのPCでの仕事は一日お手上げ状態となった。

結局、シングルコアの従来型PCでのフォーマット変換は時間がかかり過ぎてどうしようもなく、ペンティアムD以上でないとストレスも大きい。

ペンティアムDのPCを2基とプラスLAN接続HDDを1基のセットを1作業用として組、クワッドPC購入は来年以降にして今回はコア2搭載ノートPCの導入の方がメリットが大きいと判断して注文に至る。

九十九里浜23。

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夜は某大学行きなので早めにUP。

そろそろ九十九里浜シリーズも終わりにしたいものですが写真を撮れなくなってきているのが気がかりです。

自身との戦いともいえる写真ですが楽しくなかったら写真でないを心がけていきたいものだと思います。

九十九里浜22。

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最近は忙し過ぎてH.Taka氏と電話する機会も少なくなったように思う、車で移動中の時が唯一空いている時間となってきた。

来年に向けては仕事の見直しをはかりたいと思う、忙しければ良いなんてことも無いと思う、自身を見詰められる時間が大切なのだと思う。

趣味写真のベースは3Friends、写真展は開催グループ、思考はArtEyeなり黎明会、総合企画は研究所サイトでしょうかね。

九十九里浜21。

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ここにも黒装束の忍者・・・ 。

今日は病院へ行き採血をする、体重がまた増えていた!なんでも美味しくてついつい食べ過ぎのようです。

三日坊主に終わった自転車の話しをした、まぁとにかく運動しないとと苦しい弁解をする。

何だかんだで10年は通っていることとなる、冷静に考えると治ろうとしているのかとも思える、生活習慣病は自覚が薄れ易く普段の撮影意識にも似ている、とにかく忘れてしまう治しいくい病気なのだと思う。

九十九里浜20。

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黒装束の忍者でしょうか・・・ 。

向こう側を見たくて登ってみましたが特に面白くなく引き返しました、テトラポットがありました。

カメラを持つとどこへでも行って見たくなるとしたらこんなにも素敵な道具はないかも知れないと思う、これもある意味では魔法の箱なのかも・・・

結局、写真には感性を通してみた世界、興味を持ったもの、綺麗な景色、お粗末な景色、可愛い仔猫など何でもパチリ。

写真で何かを表現するなんて本当に出来るものなのでしょうか!そもそも表現したいものも無いんじゃないかと自問自答しています、また感覚的な視点で撮影されたものであり、見る側の想像力により補完されても本人の意識外なんてことは多いのが現状のように思う、写真展などのアンケートなどを分析してみるとそんな感じがしてならない、本人が良いと思えない写真が何故か良い評価なんてどこか複雑な思いすることがある、見る側の想像力って云う感じ・・・ 褒め殺しにでもあっているそんな感覚に恥ずかしさを覚える、これが自身の写真展の現状かも知れない。

これは一つの一面であると思う、いろいろな一面がどれだけ自身に想像出来るのかそうした葛藤が結局自身の思いに近くなる、ようするに自身の気持ちに近いかであると思う、それ以上は自身でも作品に対して自信を持てない、つまりは自信を持って作品に仕上ているか以上は不明瞭な感じがする、これが自身の作品ですと云い切れる心構えが写真を作品とする魔法なのかも知れない。

結構いい加減なものなのかも知れない、反面考え過ぎもな・・・ でも面白いから続けているのですから良い答えが見えてくると信じたい。

それぞれの写真が写真なんだと思う、どういう気持ちで見詰められるかこんなことを日常に気軽に溶け込ませる写真はやっぱり面白いということにつきる。

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