モノクロ写真をどう見せるかここにテクニックのようなものがあるとしたら、ハイライトの処理にあると思う。
つまらない写真を自分の思うままに出来て作品に出来る、どう写るというよりもどう見せるかも含めたトータルな力量にアベレージの高さがあるのかも知れない。
真面目かつ好い加減な葛藤&写真に生きる一写真家のお気楽日記です。
モノクロ写真をどう見せるかここにテクニックのようなものがあるとしたら、ハイライトの処理にあると思う。
つまらない写真を自分の思うままに出来て作品に出来る、どう写るというよりもどう見せるかも含めたトータルな力量にアベレージの高さがあるのかも知れない。
一日中パソコンが5台繋がりオイルヒーター等を使用していると一日の電気代が1000円にもなってしまうのでヒーターだけでも節約しないとと思う、こまめにスイッチを入れたり切ったりですかね。
節約モードも大切なんだな~・・・ 最近フィルムも使用することもなく期限切れも目立つようになってきた、このフィルムはどの様に処分したらいいのでしょうか?
自分自身がどうしていいのか分からない、そんな素朴な気持ちが無くなる訳もないし消えることも無い。
ただいえることは気持ちは一つでは無いと思う、だから同じ人もいない、自身という一人の存在をどう評価して行くのか、評価してもらうではなく自身の心は評価には屈せ無い、時にはそんな強がりであってもいいと思う。
自身の心を大切にしたい、それが写真でなくして写真の存在はいらない。
何だかんだで当番昨日二日目完了。
結局作品には自分らしさがあるものだと思う、写真をどの様に仕上ると云っても感覚的に消化出来ないものには手が出ないものがあるのだと思う、しばらくは今回のスタイルを続けて行きたいと思う。
ベテランの方も訪れいろいろと話しが出来て楽しかった、結局自身のスタイルを構築してゆけるのかということになってゆく訳ですから、その道が見えるか見えないかでも今後の展開も違ってくると思いました。
しばらくはこのローキー調を極めるために努力してみようかと思う。
最近自身の周囲もいろいろと変化しているように思う、自分だけが変わっている訳ではなく、自分から見たらそう思えるというのが現実であり、自分という乗り物から見たり感じたりしか出来ない、それゆえ理解することの難しさもある訳で、だからといってとどまることも知らない。
なんのことかは分からなくても良いのですが、こういうモヤモヤを・・・ ジーパチ。
人工砂浜公園、最近はあちらこちらに点在しています。
風が強い日の着陸は難しそうで怖いですね!見ているだけでもヒヤヒヤしてしまいます、人類が得た翼、この乗り物に乗って全国を暗夜していた頃が懐かしい。
こんな仕事がいつまで続くのかと悩んだこともあったけれど今では良い思い出になったと思う、遠くに行ってみたいという憧れも今ではそれ程ではない、未知なところ行ってそこに自身が立って初めて気がつくこともある、年齢とともに興味が薄くなって来た感じもする、環境や物珍しさだけでは結局何も得るものも無い、自分が欲しい答えは用意されているものとさえ思える、やがて答えに向かって一生をかけて歩むこととなる、それは心の世界のできごとなのかも知れない。
蒼い空を見上げると遠くに行きたい心が見えて来る。
液晶モニターで画像を見るとそこそこ良いのにCRTで見るとどこか黒のしまりがいまいち。
写真がどんな風にモニターに映し出されているのかが気になるところです。
写真展のプリントも急がないとと思う、次回納期ものが一週間後にあるので重なると大変です、とにかく急がないと。
急ぎの合間に写真展用の写真をプリントしようと思ったら仮想メモリーが同一ドライブ内にあるので云々という表示、HDD1基のPCなので仮想メモリー領域を別のドライブに割り当てた方がパフォーマンスが良いとのことらしい。
そこでCFカードの4GBを別ドライブ設定しこれまでのHDDドライブの仮想メモリーを少なくしてみることに 、PCの方はCFでも設定出来るのですがフォトショップの仮想メモリーとしては使えないことが分かりHDDを取り付けようと思ったらSerialATAⅡでないと・・・ しょうがないのでHDDを購入、500GBが1万円と少しにビックリもしました。
HDDの方は1000GB超えもありもっと安くなるらしい、PCも高性能になり改造でバージョンアップするよりも定期的に買い換えた方が安くて高性能なものを手にすることが出来る、次世代に継続して使えるメモリーはこれからもないので割高なオーバースペックには意味が無くなってきたともいえる。
写真は清澄あたりを探索した時のスナップ。
ラーメン屋に行ったときの注文99%はチャーシューメン。
この日は暑かったので生ビールもいただく、ラーメン屋もネットで検索、時代は本当に変わりましたね!
異常気象は勿論ですが人間砂漠も拡大の一途をたどっている、文明というのは破滅の繰り返しと考えるとバイ菌やカビと同じなのかも知れない、自分が生きている時に災いが無く平々凡々に人生をおくれたら良いと考えるのが普通なのだろうと思う、この考えがまた事態を進める事となる、改革も一般的には難しい、意識を持って行動できるとしたらそれは特異な才能の持ち主なのだと思う、心も意識も感情も自然に楽な方に流れてしまう習性を持っている、結局何も出来ないというか忘れられるということで辻褄を合わせていけるのだと思う、意識を持って継続が出来るなんていうことは本当は難しいことなのかもしれない。
何でチャーシューメンなんですか・・・ いまでは習慣です。
黎明会の撮影で行ってから散策コースとなる。
カラーとモノクロどちらをメインにするかと考えるとモノクロの方が良さそうな感じがしています、使い分けていけば良いと思いますが、色がある必要の無い写真もあるのだと思う、同じセミでも存在感が伝わってくる感じです、記録的写真はカラー、表現的写真はモノクロ、単純には言えないことだと思いますが自分で区別出来れば問題はないと思う、どの様に見え感じるかは既に備わっているもの、逆に云えばそれらに気がつき自身の感性や考えを明らかにしてその視点から見詰め直してゆく、そこに興味を持ちそうしたい自身がいればそこから始めたら良い、自分のことは自分で決められる訳で問題なのは興味を持てるものが無い、それをしてどうなるのかという答えをのみ見ようとする気持ちなのかも。。。
あまりストレスにならない写真を撮らないとと思う・・・ 。 撮る前に疲れる!