今年エンディングの写真はこれにしよう、透き通った水面が揺らいでいる、どこか自分の気持ちにも似ているなって思える、鏡のような水面は理想であっても波の無い日はない、それよりも透き通った水のようでありたいと思う。
写真はフォトショップレイヤーが施されています、透き通ったものをパチリ。
真面目かつ好い加減な葛藤&写真に生きる一写真家のお気楽日記です。
今年エンディングの写真はこれにしよう、透き通った水面が揺らいでいる、どこか自分の気持ちにも似ているなって思える、鏡のような水面は理想であっても波の無い日はない、それよりも透き通った水のようでありたいと思う。
写真はフォトショップレイヤーが施されています、透き通ったものをパチリ。
去年の今頃は確か身体の調子が良くなかった、そんなんで何を食べても美味しくなかったのですが現在は美味しく食べられる、これって幸せなんだと思える、だんだんと気持ちもそんな風に身体を思いやることが多くなってきた、こちらのカウントダウンは休まることが無い。
4×5判と比べるととにかく撮影が気楽なデジカメでパチリ。
今年も写真3枚で終わりとなりました、訪れていただいた方々には感謝です。
3Friends Blogも4年目に入りそんな自分達のお楽しみイベントが撮影旅行なのかも知れない、今回は木曽方面ですが私の方は新年明けてからの公開とさせていただきます。
写真は横浜元町辺りを散策した時にパチリ、以前は車で行っていましたが最近は電車を利用、お酒もビールも楽しみなもんですからそうしています。
予定ですと明日から3Friendsの旅行です、木曽の方へ行ってきます。
年に何度も会うという機会もありませんが3Friendsの最大のイベントである旅行ですので楽しみにしています。
新年を迎える前に行けるこうゆう旅行も良いですね!春や秋とも考えますがこの時期がやっぱ良いのかも・・・。
来年は今年よりも忙しくなることは確実となって来たのでより環境の整備をしてゆかないとならないと思う。
写真展も休もうかとも考えたけれどいろいろ相談してみると継続した方が良いとの回答も多い、弱気と強気がある訳ですが時間的な調整もしないとならないからこちらが現実的問題となるのだろうと考える。
精神的な充実、ここまで出来たら理想ですから頑張らないとと思う、とにかくは語れる人と語り合うことによりイメージを描くことだと思う、それぞれにこのイメージは違うでしょうがこれが大切なのだと思う、人生を面白くすることとはそうした主体的行動にあると思う。
組み立て方もそれぞれなのだから自分流もあって当然なんだと思う、来年は何かと厳しいな~。
結局はノートPCを追加注文することとなる、モバイル環境その他検討した結果、WinXPでの注文となるビスタの環境では不都合がいろいろ発生してしまいこちらを調整や修正するよりもWinXP搭載のノートPCを購入した方が解決の道が早いと判断。
慣れたビデオ編集用ソフトがビスタに対応していないのが一番の問題となる、このソフトを変えてまでビスタにするというのは出来ないと考える、OSよりも使用ソフト優先ですね。
WinPCとしては珍しい現象だと思いますが次世代の編集ソフトまではXPでも大丈夫そうです、とにかく作業スピードを優先というところでしょうか。
クワッドコアのPCにはファイル変換スピードに大きなメリットを感じていますがこれだけだとまだおあずけですかね、ハイビジョンの時代になれば当然こちらを選択することとなりますけれどそれまでは楽しみとして残しておきたいものです。
RAW現像も大量になればクワッドコアに期待が持てますのでこれも楽しみにしています。
結構体力のいる仕事なんだな~と思う、夢を届けるのも難しい時代だからね!
人に夢を届けるような仕事ができたらよいと思う、個人の夢も大切ですが、大きな夢もある、自分を信じられてこそ夢があるともいえる、空回りした夢を唱えすぎて夢を無くす人もいる、夢は与えられるものではなく自身の構築にあるようにも思う、自信のない心には宿るのが難しいのが夢だとも思う、夢を語れる人になりたいと思う、いつか自身がサンタになる時が来る。
持って生まれた心も結局は都合の良い方向に進む運命を持っているように思えてしまう。
見つめるというのは何を本にしているのかと思う、結果が面白ければどうしてそうなのかなんていらない時代、写真で何を見つめようとしているのかと思う。
面白い写真・・・ 。
写真とは何かといってもいろいろあり過ぎてなんだか分からなくなってしまうにしても好奇心であることは確かだと思う。
撮った世界を見ている世界のようにも思わせる、その世界が面白く見えるか見えないか、想像力があるかないか、入口や出合いは好奇心があって初めて開かれてくるものなのかも知れない。
24時間体制、PCをするようになり時間の感覚が変わってきた、とにかく時間を形に構築してゆく作業、これっていったいなんだろうと思う。
意識や世界観という個人の世界もPCが記憶や情報収集検索と今ではなくてはならない存在になって来たのは確かですが、一方何も無い世界も良いなとも思えるのは現状のストレスなのかも知れないと思う、いずれにしてもこうした気持ちがあらたな方向や路を歩むこととなるのだろうと思う。
この気持ちが結局は自分なのだろうと思う、それと同時に相手も同じ心、気持ちをもっている。
当り前を当り前としない一人の存在でありたいと思う。