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波打ち際。

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仕事用に2GBのCFを2枚購入、録音も3時間と2GBが個人的には使い勝手が良いのであえて4GBを選ばなかった。

時間があったら海にでも出掛けて生録でもしてみたいと思う、昔に比べたら良い音が簡単にとれるし編集も楽です、音だけの世界もどこかモノクロ写真と似ていると思う、創作イメージを見つけるヒントは音の世界にもあると思う、自分の世界を開拓できたらと思う。

いつも新しいものは求めても自身の感性を肯定してそこから掘り下げようとはしてこなかったように思う、何かよけいに自分よがりになりそうですがそうゆう心配をするところが平凡になる理由の一つだとも思う、平凡だから平凡になるそこには何も間違いがある訳ではない、自分の写真をつまらないと思い続けるほどおかしなものもない、やめられないから続けているのではなく好きだから続けている、だったら自身を今以上に好きになれたら良いと思う。

何を写真に写そうとしているかがそれぞれの写真になる訳でそこに個人の写真観なり世界があるのだと思う・・・ そうすると・・・ 写真が暗くなってゆく・・・ 。

嵐の前の静けさ。

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忙しいようで暇なような時間が訪れる、無風状態に似たこの時間が決戦の時を向かえる。

走りだしたら一気に暮れから正月になる、仕事だから仕方がないけれどこの時間内に作品制作しないとと思うと頭が痛い、もっと楽しく写真撮りたいと考えるこの頃です。

タイムトンネル。

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ニコンが35フルサイズのD3を出すというので驚いた。

キヤノンに総入れ替えしようと考えていたので危機一髪という感じです、Fマウントにこだわりぬいたニコンに敬意を表したいと思いました。

どんな作品を撮るのかと考えた時にカメラはレンズはフィルムはと考える時代に生きたので中途半端な道具を使用したくない、写れば何でもいいという時期も確かにありましたが継続できることもなかった、良い道具を手にしたいと思うのが普通なのだろうと思う、そしてカメラは使いこなして初めて道具に成れるのだと思う。

過去を振り返ることはしても未来を語ることのない心、夢や希望もない心で何を描くのかと思う、現実回避の写真観、これも今流と思うけれど真理を見詰められる心でありたいと思う、写したいのは被写体を通して見える己の心なのだと思う、見詰めるとはそういうことと考えるから写真も同じと考えている、写真観とはその人の心なのだと思う、この心にはタイムトンネルもあると思う。

朝の琵琶湖2。

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アンダー目に撮影しているので暗いけれど現実には明るい。

イメージ的に撮るからこうなるのであってこれを容易く出来るから計算してシャッターを切る、ここに何が写っているかと考えても何も写ってはいない、ここに詩や曲や文章を載せると別物になる、こうして写真以外に勉強したいもののきっかけをつくってゆく、出会いに似たこうしたきっかけがある限り写真観を変えてゆくのだろう、それを自分と云わず何というのだろう。

朝の琵琶湖。

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写真ジャンルは個人的には風景・イメージ・スナップくらいにしか分けていないのですが、以前であれば風景は2B以上のフィルムで撮影必ず三脚を使用ということでここいら辺に仕切りがありましたが、デジカメになりこのような写真もスナップという感覚になりつつプラスイメージが入るなどしてジャンルという概念は個人的にはなくなりつうつありこれまでのジャンルという概念も変わって来たように思う。

ジャンルイコール個人という評価になりつつあり個人的こだわりが作品概念であると思う、写真には良いも悪いもないけれど個人の世界観が写真に写るのでありそれを持って写真が面白いと考えるのかも知れない。

理窟をこねても写真は巧くはなりませんが面白くすることは出来ると思う、こだわるものがあるからそれぞれの写真なのかも知れない。

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