30山(2)
山名 写真 思い出、ガイドなど
11子檀嶺岳

青木村村松から
かって、この山が近くに見える上田市の小学校に勤めていた時、何回か登ったが、小学校では4年生の遠足コースになっていたと思う。3月に、学級PTAの行事で、親子で登った時、山頂の北側の平地の切り株などで、父親たちが、エノキダケ(もちろん天然の)をかなりとって、汁に入れて食べためずらしい思い出もある。
 古代の東山道がふもとを通り、歴史のある山。冠者様が山にかけあがろうとして落馬しゴマの木で目をついて失明したという伝説がある。青木村当郷地区、村松地区から登山道がある。石仏で有名な修那羅峠方面からの道もあるようだ。こまゆみの語源は麓に古代の牧があり駒斎(こまいみ)からとの事。(上田市誌による)
 子檀嶺岳の一日
12大沢山

大沢山から見た北アルプス。中央燕。4月末
この山に登ったのは92年の4月29日だった。青木峠のトンネルを出た所から、ゲートのある林道を通って、空峠(峠はなかったが)まで行き。そこから尾根上の踏み跡をたどった。頂上付近は、下草も少なく、だんこうばい?の黄色い花や芽吹きの木々を手前に北アルプスの展望が美しかった。西側にはかなり上まで林道がのびていた。
 ビバークを覚悟したコクサギ岳
 大沢山二等三角点
13十観山
保養施設上部からパラグライダーが飛び立っていた。
2つ道がある。田沢温泉から、さらに林道を少し奥へ入って、そこから、十観山へとりついて、山頂の西側の尾根上へ出る道と、中腹にある信州昆虫資料館から林道を上がり、山の9合目くらいから、遊歩道を登る道がある。後者は本当に遊歩道程度で気楽に散歩ができる。林道の途中と山頂にはパラグライダーの発進場がある。中腹にある昆虫資料館は、以前あった温泉施設の建物を利用している。最近「十観山の自然と親しむ会」という地元グループにより整備がされている様子。
 十観山山頂早春
14御鷹山
塩田平から見た御鷹山(中央より左の遠くの台状の尾根)中央やや右、とがった峰、十観山、右端、大沢山。
御鷹山縦走

上田地域トレッキングコース(保福寺峠〜十観山)
15大明神岳 富士山林道から 上田市野倉から登る道路が、青木、鹿教湯間の道路とぶつかる地点から、少し鹿教湯側に保福寺峠へ向かって登る林道がある。その道が登りきったあたりが大明神岳の肩といってよい場所で、そこに車を置き山頂に向かって踏み跡をたどって登った。また、車をおいた地点から大明神岳の西面を平行に巻くように山道がついている。ある秋、その道を少し歩いてみた時、ふと道の下を見たら、クリタケの大群落があった。思わず「あったー。」そこだけでビクがいっぱいになった。私にとっては初めてで最後の大収穫だった。でもきのことりの専門家には、よくある事なのかも。                            
 くりたけ大収穫の図
 鹿教湯温泉里山歩き    
 大明神岳へ
16夫神岳    
塩田平から、左は女神岳、14の写真の左続き。 
別所温泉の西にあるこの山も歴史的な山である。古くから雨の少ない塩田平の雨乞いの山だった。頂上の祠の向きを決めるのに、別所側と青木の夫神側と争い、牛と馬を登らせて競わせ、牛を使った別所側が勝ったという伝説がある。山頂から幟が下る岳の幟の祭りは長野冬季オリンピック閉会式にも出場した雨乞い起源の祭りで有名です。別所側からは、頂上近くまで林道があり、上には最近休憩舎ができた。そこから山道をしばらく登ると山頂。林道を横切って正規の登山道もあり、中腹には、道を少しはずれて岩谷堂もあります。夫神側からの登山道もあります。山頂は気持ちのよい草原で小祠が二つ、山頂からのアルプスの展望も木が切られてよくなった。東側の展望もよい。
 岳の幟の写真      
 登山と温泉
17女神岳 野倉集落から 塩田平から見ると小さな円錐形が美しく、大きい夫神と小さい女神を対に考えて女神岳となったのだろう。現代人にとっては、女神が小さすぎる感じですが。野倉から、登り口に鳥居と頂上付近に崩れかかった石段が、昔親しまれた山の名残として残っている。最近野倉の中心を通ったら、女神岳登山道の標識が出来ていた。登る人も増え出してきたのか?
また、女神岳東北山麓の山田神社の湧き水は、美ヶ原に降った雨が、何十年もかかって地下を通り湧き出たもので、古来からの名水だそうです。(上小理科物語による。)
 湯峠からの女神岳    
 野倉の山・風穴
18独鈷山
山頂から塩田平。冬。
家から近くで運動もかね、よく登る山。四方から登山道がついている。市民登山や公民館登山も行われている。北麓が鎌倉時代の北条氏の拠点の一つであり、北の麓の尾根の弘法山一帯が塩田城跡となっている。独鈷山はその城の背後の壁という感じに見える。弘法山には西国33観音が石材組合の力で復元されていたり、ちがい石の話など色々ある。伝説も多い。上小30山の千m台の山の中ではガイドブック等に一番登場する山。山頂付近から北東に伸びる尾根の1053m三角点付近は安曽岡山といい麓の西塩田小学校PTAがつけた登山道があり、途中吉沢城跡などもある。西側の富士山(1029m)も市峠から踏み跡をたどって直ぐ。山頂付近山つつじの群落があった。独鈷山の西へ伸びた尾根には鹿教湯側と塩田側をつなぐ梅ノ木峠と市峠があり、かって生活道路として使われていた峠が今、やぶの中に消え去ろうとしている。
     梅ノ木峠と市峠、     富士嶽神社   独鈷山登山案内
  
     独鈷山東尾根、 西尾根をへて富士山へ
19渋田見山
武石村巣栗から、右下建物、練馬区自然の家
この山へ登ったのは、93年の4月末だった。はじめ、美ヶ原へと向かう車道が西側の尾根上へ登った地点から東へ主尾根をたどって山頂を目指そうとしたが、道もなさそうで、断念。もどって、練馬区自然の家の上の林道をしばらく行くと、東西に伸びている主尾根から南へ出ている尾根にはっきりした踏み跡があった。そこを登って主尾根へ出、さらに西へ山頂へと向かった。山頂付近は傾斜がゆるく踏み跡もなくなり、尾根が広がって、三角点を探しつらかったがりっぱな三角点を見つける。近くに武石山岳会の標識があった。登る道も分からずあてずっぽにやってきて一人で登ったが、登頂でき、不安感と喜びの印象に残る山だった。
 渋田見山再訪
20美ヶ原 焼山沢上部 焼山沢から美ヶ原へ
武石峰一等三角点
武石峰からの槍、穂
焼山滝再訪
三才山峠
烏帽子岩
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