梅ノ木峠と市峠
独鈷山から西に続く主尾根は、しばらく進むと富士山(1029m)となり、さらに続き、美ヶ原から北へ続いている山地に吸収されている。(右写真・熊沢峠・・・独鈷山南方、からの独鈷山。本文と直接の関係はない。熊沢峠には武石山岳会のプレートがあり、峠と確認できた。)
独鈷山頂上から富士山までの間に、2万5千図には、梅ノ木峠と市峠の二つの峠がのっている。
かっては生活の道として使われていたこれらの峠道も今、やぶに埋もれようとしている。この二つの峠道へ行ってみた記録です。
梅ノ木峠・・・・秋も深まった11月、梅ノ木峠を丸子町側から登ってみようと、西内小学校あたりに車をとめて地図を見て入っていった。黄葉が陽をうけて輝いているような気持ちよい午後だった。
ちょうど出てきた近くの家の人に聞くと「草ボーボーで行けるかな?気をつけて行ってきて下さい。」と言われた。
沢にそって登って行くと、お墓があり間もなく道がなくなってしまった。山の畑の跡を登ったりもどったりをくりかえして、あきらめて沢にそって下りてくると、沢の左岸に、沢を登るのと反対方向に、斜面をゆるやかに登って行く道が見えた。どうりで気づかなかったわけだ。
枯葉が厚く積もっていたが、りっぱな道だった。
道が高まって、ぐっと回り込む所の上を見ると、松の木の間に、馬頭観音が何体かおかれていた。本当に昔の峠道という風情があった。
道は荒れてはいたが、何とか峠に着いた。峠には字だけの馬頭観音、石仏があり、その台座を見ると、去年、上田の塩田側から登って来た時おいていった100円玉が黒ずんでそこにまだあった。
下りは元来た道をすぐおりて、三時頃には車についた。
何か江戸時代の馬方が通っている世界にタイムスリップしたように感じられた山道だった。(1990年11月11日)
(写真・市峠の馬頭観音)市峠・・・・こちらも11月の末、晴れて暖かかったので、気になっていた市峠へ行ってみた。
10時少し前に家を出て、10時半頃高梨地区の入り口に着いた。
登り口はすでに確認してあった。
この道も梅ノ木峠と同様、沢を登るのと反対側に道が登り出すよう作ってある。登り出すとすぐ、りっぱな道と馬頭観音、奉順拝供養塔とかいうものが建っていた。また、回り込むと、梅ノ木峠の少し登った所ににた感じの場所があった。
昭和30年代くらいの丸子電鉄の古い標識(別所ー鹿教湯)というのがあったが、昔ハイキングコースにでもしようと考えたのだろうか?
等高線ぞいに尾根をまいて、ゆるく登っていく道でとても楽につくられている。竹やぶになり、道がくずれてなくなっていたので見当をつけて尾根を越すと、道に出た。
岩の壁のような所に3,4体の馬頭観音が残っている場所もあった。
竹やぶが道をふさいでいる所もあったが、道は続いていた。
峠に近づくとジグザグを切って登っていった。杉や竹の林から明るい落葉樹の林になり、市峠となった。石像が一つたおれかかっていた。
お茶を一口飲むと、下りはじめ、11時半頃車の所へつく。(1992年11月29日)
二つの峠の上田側(塩田側)は林道が出来たため、峠道は昔の形を失っている。馬頭観音も元の場所から移されてしまっている。
丸子側は昔のままの(2万5千図にのっているまま)道だった。市峠は鹿教湯側から越す時、梅ノ木峠は塩田側から越す時つかったのだろうか?消え去りつつある峠道であると思うが道そのものが文化財的な感じがした。復元して残しておけないものだろうか。