富士嶽神社
5月8日の朝日新聞東北信版に、「地域の氏神様富士嶽神社、標高1000メートルの奥社再建へ、上田の奈良尾、馬場両地区。」という記事が載っていました。記事によると、富士嶽山山頂にある神社の奥社が朽ちて、壊れかかっていて、それを地区で再建する事になり、地区で作ったものを、4日には入魂式もすませ、それを解体して13日に山頂まで運び上げ組み立てるとの記事でした。
富士嶽山(1034m)は、独鈷山の東に続く尾根が平井寺トンネルあたりで標高を下げ、また尾根が高まって富士嶽山となります。独鈷山の西には、富士山(1029m)がありますが、独鈷山をはさんで東西対称の位置に富士という名のつく二つの別の峰があるわけです。 三角点のあるピークは写真の右側で、以前平井寺峠跡あたりから、尾根づたいに登って、三角点峰へは登った事がありましたが、麓の富士嶽神社の奥宮のあるこの左側の峰へはまだ登った事がありませんでした。
(奈良尾地区より見た、富士嶽山)
という訳で、13日(日)には、この神社再建をHPへ載せるべく登山しようと思っていました。しかし、地区の人達が山頂で作業していたり、休憩していたりする所へ新聞などの取材ならいざしらず、一人で行くのは、ちょっと勇気が無く、また、午前中は家で用事などしていて、午後になって、1:30頃出かける事にしました。そろそろ作業も終わって、山頂には人がいなくなる頃かな、と判断した訳です。
奈良尾地区の公会堂らしき建物の前を通ると、車がたくさん止まっていて、外には測量用の?望遠鏡が据え付けられていました。
宴会準備か留守部隊らしい方が三名ほどいたので、新聞で見たので、登っていいか聞いてみると、今日は90名が登って、今頂上から全員下山中です。との事、登り口など教えていただいたり、望遠鏡をのぞかせていただきました。頂上の祠と人がよく見えました。車で林道を東から回りこんで、有名な多重石塔や大姥の石像のある所から少し登った所が林道と交差する地点まで行くと、すでに下山した方々が休憩していました。
登り口は、その場所から尾根づたいに登るので、入り口はそこだよと、その方々に教えてもらいました。登り出すと、大勢の方々が下山してきました。登りだして直ぐの所に中社のような、祠もあるようでした。行き会う人々は、年配の方から中学生くらいの人までいて、地区の方々総出という感じでした。急な尾根道でしたが、整備され、大勢の足で踏まれて、尾根の踏み跡というより、登山道といってもよいようになっていました。
最後尾らしい人に、新聞で見て見学にきました。と言うと。「今日二番目の登山者だ、ご利益があるよ。ごゆっくり。」と言われました。
屋根の銅版は明日また貼りに登るという事で本当の完成は明日との事でした。尾根道は、岩が出て、赤松やそよご、ねずみさし、などの木が生えた、日本的岩尾根で、西には、阿曽岡山の尾根も見えました。
頂上付近は、かえでなどの落葉樹の若木の林に変わり、急斜面になりましたが、ロープや、落石防止の網なども張ってあり、安心して登れました。
秋には紅葉が美しい林になりそうに思いました。急斜面の林を抜けると神社のある頂上に着きました。
写真のように、りっぱな社でした。また、頂上は平らで、材木でベンチなども作ってあり、気持ちのよい場所でした。そして何よりも、東から北西にかけての展望がすばらしい場所でした。
先着の一番目(正確には91番目?)の登山者の方は奈良尾のすぐ隣の十人地区の方で、家からよく見えるこの山頂へ、新聞記事を見て登ってみようと思ったとの事、また、この時間帯を選んだのも私とほぼ同じ理由からのようでした。
双眼鏡などお借りして、4周を見ましたが、神社の前側は、独鈷山の山頂より、展望はおもしろいですね、という事で意見が一致しました。北側の木が切られている事によって、浅間山から、大林山まで、遮るものがない展望であり、午後のもやった感じで、写真には写っていませんが、肉眼でぼんやりと、またお借りした双眼鏡では、北信の山々(戸隠、高妻等)からアルプスまで、はっきりと見えました。もっと空気が澄んだ時期にまた、登ろうと思いました。あまり、いい写真ではありませんが、雰囲気だけでも察してみてください。また、いい時期がきたら撮り直したいと思います。(その後秋に撮りなおし。概念図の展望写真)下山して、久しぶりに石塔と大姥石像を見てから、車で林道を西に下って帰りました。家に着くと四時頃でした。(2001、5、13) ( 頂上の東から北西までの展望)