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読後感想文
Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife
あなたのご来場は
番目になります
わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。
妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・
先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。
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<<2026年度・読後感想文索引>>
[No.686] 3月 23日

新潮社「ジャイロスコープ」伊坂幸太郎
2015年作・ 283 ページ
・・・母と一緒に病院の外、中庭に出たとたん、冬の風が私の顔面や首を撫ぜ、ひやりとさせる。さらに両手をぎゅっと握り、ひんやりとさせてくる。
隣りの母が手をこすり合わせていた。「あと何回、春を迎えられるか」
二年前に入院してから、母はよくそういうたぐいのことを言い、私を暗い気持ちにさせた。「またそういうことを言う。戦争だって終わったんだから」
「勝とうが負けようが、戦争は、ほとんどのものを壊すんだから。勝っても壊れて、負けても壊れて。秩序も、普通の生活も壊れて」「それでも戦う必要があった、ということだよ。きっと、これから景気も良くなる」
母は黙って、横を向いた。周囲を見渡すついでを装い横顔を眺める。ずいぶん老いて見えた。いや、私と母は年が離れていたから、母は昔から、「老いた母」だった。
子供の頃、母は常にいらいらとしていた。「宿題をやりなさい」「どうしてこんな漢字も分からないの」「お父さんに謝りなさい」と年がら年中、金切り声を上げた。
納得できる叱責もあれば、理解不能の、承服しがたい場合もあった。母に褒められたいがあまり、いや、とにかく、見離されることは避けたいと、よい子になろうと頑張った。
頑張りはもちろん無理を生み、無理の重なる日常は子供ながらに苦しく、いっそのことすべてをおしまいにした方が楽ではないか、とぼんやりと、頭の芯というよりは胸や胃腸のあたりで考えることも多かった。・・・・。
伊坂さんの珍しい短編集、6編が載っていて彼独特の近未来的小説と身近な心境を小説にしたものを織り交ぜている。「二月下旬から三月上旬」と題するこの作品、私もよく母を尋ねてこんな感情を受けた記憶がまだ生々しい。
しかしどこの母親も概ねこんなもんだ・・そして老いてから改めて必死で育ててくれたんだ・・と。
[No.685] 3月 19日

小学館「教誨」柚木裕子
2022年作・ 320 ページ
・・・「さきほどあなたは、人の命を奪った響子さんはいい人ではなかった、そう言いましたね」どうしてここで、改めて訊く必要があるのか。香純は戸惑った。
住職は香純の目を、まっすぐに見つめた。「人に、善人も悪人もありません。どちらも心にあるのです。響子さんにも、悪だけでなく善もあった。ただ、ほんの一瞬、善より悪の気持ちが強くなり過ちを犯してしまったのでしょう。それは殺人とか窃盗といった形ではないかもしれないが、誰にでもあることです。
生涯、ひとつも過ちを犯さずに過ごせる者など、この世にはいません。あなたも、そして、私もそうです。」
香純は、響子がこの住職との面会を望んだ理由が、わかったような気がした。・・・・
吉沢香純は埼玉県で母子二人暮らしをしていた。ある日、東京拘置所から死刑囚であった三原響子の遺骨と遺品を受け取って欲しいと母親のところに連絡があった。
母の静江にとって、響子は従姪にあたる。響子の祖父と、静江の父親が兄弟だったからだ。三原の本家は、青森県相之町にある。遠縁とはいえ,響子ともっと交流があったならば親しみも覚えただろうが静江は高校卒業と同時に故郷を離れそして結婚後埼玉に住んでいた。
しかし法事の時香純は青森の三原家でお互い小学生の時に逢っていた記憶もあった。そこには旧家三原家の中に渦巻く怨念を取り巻く嫁と姑との関わりが根底にあった。
教誨・・なんて言葉は初めて聞いた。死刑が執行される前に囚人は教誨師の説教などで心穏やかにその時を迎えるという。
この時はその役を受けた住職が香純に響子のことについて思いを伝えたようでしたが80年以上生きてきた私にも重い言葉として残る。
[No.684] 2月 26日

宝島社「さよならドビュッシー」中山千里
2020年作・ 434 ページ
・・・「先生は無茶を言ってます!」「今更何を言っている。三ヵ月前にあんな大火傷をしておいてピアノコンクールに出場しようなんて考える方がよっぽど無茶だ」
新条先生は返事に窮したあたしを真正面に見据えた。「だが私は、そういう無茶な患者が好きでね。何にせよ、成功する人間はどこかで無茶をするもんだ。平坦な道、穏便な場所に恋々とするヤツは山にも登れないし、ましてや空を飛ぶことなんて絶対にできやしない」
はっとした。これと似たような台詞を他の誰かから聞いた覚えがある。「あたしは鳥じゃありません」「君自身はな。しかし、君の奏でる音楽には翼がある。あの日、娯楽室で君が引いたピアノを何人もの患者が聴いた。
その中にサッカー選手を目指していたのに事故で片足に大怪我をした子供がいてな。手術はしたものの、自由に動かせない足に失望してリハビリもお座なりだった。ところが、ほんの数か月前まで身動き一つできなかった女の子がその曲を弾いたと聞いた日から目の色を変えてリハビリに精を出し始めた。
君の奏でた曲は羽を生やして同じ境遇の患者の心にまで飛んだんだ。君の演奏を聴きたがっているのが私一人だと思ったら大間違いだぞ」「先生…それってズルい」
「大人が狡いのは当たり前だ。これも覚えておくといい」・・・・
資産家の孫娘として育った香月遥は15歳、そして同じ年の遥にそっくりな従妹の片桐ルシアとは小さいころからピアノの練習に明け暮れていた。
そんな幸せそうな家族はルシアがたまたま日本に滞在していた時に起こった。資産家のお爺ちゃんが趣味で作って居たプラモデルの材料が出火元となってその離れに付随していたゲストルームもろもろを焼失してしまった。
お爺ちゃんとそこに隣接していたルシアの部屋は2人を葬り更には遥の部屋まで迫った火炎は彼女の身体に大火傷を負わせたほどでもあった。整形外科医の新条先生は母親から遥の顔写真の提供を受け見事なまでに生前に近い整形をやり遂げた。残る回復はその皮膚の最終的な機能回復に向けてのリハビリが要求される。
私が食道がんの手術と抗ガン治療を終えた時、主治医は安静にして副作用のあった糖尿機能や腎機能、それに白血球低下や各種抗体を示す値が著しく損なわれている。
だから安静に過ごすようにと、でも私はすぐに雪山のしかも酸素も少ないがウィルス性の菌の生息も少ない標高2千mで機能と体力の回復を兼ねてクロスカントリースキーを3ヶ月に渡って励んだ。83歳の身体ではありますが全ての副作用による数値の改善を6か月で克服した。私も新条先生に言わせると「無茶な患者」かも知れなかった。
中山さんの作品はこれで4回目でしょうか、今まですべての作品は3百頁を超える長編ですが今回特に430を超す超長編、そして音楽を文章で表現しようとする意欲的な作風には頭が下がります。
[No.683] 2月 15日

光文社「満潮」朝倉かすみ
2019年作・ 457 ページ
・・・だが、適度の昂りと猛りは必要だ。この計画を遂行するには、もっとも大切なものだった。
ぼくは繰り返しイメージした。適度の昂りと猛りというやつを。適度の昂りと猛りに満たされたぼくを。頭に浮かぶのは、満潮になった海だった。
月と太陽に引き寄せられ盛り上がった海水である。知らぬ間に潮位を上げ、干潮時、浜辺に散らばっていたきたならしいガラクタを飲み込む、豊かな水。おだやかな顔つきの裏にとてつもない破壊力を秘めている。
ぼくも人知れず潮位を上げ、おだやかな顔つきのまま秘めた力を解放しよう。そうして、ひと仕事終えたら、元のおとなしいぼくに戻るのだ。
ぼくが満潮になるのは生涯で一度きり。残りの人生は潮が引いたままだが、いっこうにかまわない。満潮になる前だってずっと引き潮だった。ちがうのは、きたならしいガラクタが沖に流され、なくなってなっていることだろう。
それと、満潮になることの喜びをあじわえること。満潮になったとき、ぼくは、たぶん、生きている、と実感するにちがいない。・・・・
北海道から受験のため東京に出てきた木乃内眉子はそれに失敗しアルバイトに食品会社、真壁コーポレーションに入った。元々見た目の良さに独身社長だった直人に見染まれて結婚することになった。
この結婚披露会場にアルバイトで茶谷という青年がアルバイトでこのホテルの配膳係をしていて偶然にもこの披露宴での新譜を見て魅了されてしまった。
この作品はいわゆる「玉の輿」になった女とそれを更に見染めてしまった貧乏学生という設定でしょうか。安っぽい西洋劇に出て来そうな日本版ストーリーだ。
無駄な時間を取られてしまった。
[No.682] 1月 22日

講談社「なぞの転校生」眉村 卓
2014年作・ 182 ページ
・・・お父さんは静かに、しかしよくとおる声で話し始めました。わたしたちは、そうですね・・・・次元放浪民とも呼ばれる一族なんですよ」「次元放浪民?」「ええ」
お父さんは、スモッグにおおわれた夜空を仰いだ。「この世界でも、最近ぼつぼついわれているようですが、宇宙というのは一つだけではないんですよ。限りなく重なり合い交錯しながら、同時に存在しているんです」「・・・・・」
「一枚の紙にかかれた絵を考えてみてください」典夫のお父さんはいうのだった。
「そこには高さの概念はありませんね。紙も何百、何千枚重ねても、おたがいには無関係です。それぞれはふれあいながら、全く他の存在を知りません。つまり、そこでは世界は縦と横の軸だけで成り立っているんです。平面上の点や図はすべてX軸とY軸の座標で表すことができます…我々の世界だって、同じようなものなんですよ。縦と横と高さの三つの軸でできるこの空間も、第四の軸のある世界から見ると、似たようなものです」
「それは・・・」「もちろん、私たちは四つも軸のある世界には住めません。でも、そこを通って別の世界へ移ることができます。こうして移動装置を使えばね…」
「ちょっと待ってください」広市がたずねた。「その第四の軸は時間でしょう?とすればその機械は・・・タイムマシンですか」・・・・
この作品はいわゆるSF作品というタイプでしょうか、でもこの作品を読む対象者は・・?と考えたとき恐らく小学低学年生だろうか。
内容的にかなり深い意味で大きな課題を含んでいるようです。しかしそれらの問題点をつついていては結論に至りません。しかし作者はいとも簡単にそうでなくてはいけないと決め込んで納得させてしまう。
こういった作品を何の迷いもなく読んで楽しめるほど私は素直に楽しめない。
[No.681] 1月 18日

集英社「生者のポエトリー」岩井圭也
2025年作・ 304 ページ
・・・見物人たちを前に堂々と歌う青年のいでたちは、前向きな力強さを感じさせた。人前で発声することは勇気を伴う。杏子も彼と同じように、聴衆が投げかける視線を受けながら、詩や物語を読み上げていたのだろうか。
生前、杏子は朗読サークルに入っていた。普段はサークル内で文学作品の朗読会を開き、たまに図書館で絵本や児童文学を読むボランティアをしていた。
私も何度か誘われたが、人付き合いが苦手なこともあって参加しなかった。今はそのことを少しだけ後悔している。参加していれば杏子との思い出が増えたはずだ。
本当は、ずっと羨ましかったのかもしれない。沢山の知人に囲まれ、人前で胸を張って朗読する妻のことが。結局、私には人前で声を出すという、ただそれだけの勇気がなかったのだ。
杏子の朗読を見たことは一度だけある。七、八年前、調べ物のふりをして、杏子がボランティアで朗読する日を選んで図書館へ足を運んだ。児童書コーナーの一角で本を読む姿は、家にいるときより少し血色がいいように見えた。化粧がそう見せただけかもしれない。
四年前の正月、杏子は心臓を悪くして亡くなった。入院した時点で、家族にできるのは一緒にいることくらいだった。私は毎日病院へ通った。娘のあかねも仕事で忙しいはずだが、週末のたびに都合をつけて顔を見せた。・・・・
この作品には六人の老若男女が登場して‥しかもそのほとんどの人は自分の思ったことを人前で話したことも無いという共通点を持っていた。
ひとに自分の意思を伝えようとするとどちらかというと文法上の規則があって主語は・・?、人称は・・?、結論は・・?、とどうしても億劫になってしまう。
それでは何も伝えたくないのか‥?というと全くの逆。伝えたいことが沢山あってただそのすべが見つからない・・、でも思ったことの単語を並べただけでも十分に意思は伝わるし飾りのない言葉にこそ真剣みが伝えられる・・、それが詩なんだよ・・ってお知えられた。
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