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読後感想文
Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife
あなたのご来場は
番目になります
わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。
妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・
先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。
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<<2025年度・読後感想文索引>>
[No.680] 12月 14日

講談社「黒い絵」原田マハ
2025年作・ 205 ページ
・・・私が新しく書き直した脚本からは「狂気の」「天才」ゴッホが消えていた。代わりに、うだつの上がらない、何をやっても世間から注目してもらえない、凡人の中の凡人のような男がいた。
彼は弟にずるずると頼って暮らし、弟は兄を天才かもしれないと思う反面、面倒臭さのあまり、いっそ死んでくれたらと殺意が閃く瞬間もある。
決して仲がいいとは言えない兄弟としてゴッホ兄弟を描いた。また、ゴーギャンに対してはねちっこい嫉妬心を燃やす器の小さい男。実はいちばん得意だったのは、絵を描くことではなく、花瓶に花を生けること、つまり「フラワーアレンジメントの天才」だった―――。
「あの、申し訳ないんですが、ちょっと言わせていただいてもいいですか?僕これ、全然ゴッホらしくないと思うんですが」私よりもずっと年若い「新進気鋭」の演出家が、こんなゴッホは耐えられない、イメージを壊さないでほしい…という感じで陳情してきたのも、いっそ私には愉快だった。
「いや実際、ゴッホって男はこういうヤツだった気がするね。うん」
得心したのは美術家の須藤だった。彼は、ゴッホの中に生えて胸を突き破って出てくる「エイリアン」の怪物みたいな、気味の悪いひまわりを造作して舞台の中心に据えるプランを早速創り、私を満足させてくれた。・・・・
脚本家の塚本はなかなか良い作品に恵まれず妻にも逃げられて年も取ってきた。新進の俳優として脚光を浴びている山埜祥也を使ってその迫真の演技に助けられてついに受賞する…構想がたった。
天才、燃えるような気迫、そして狂気のような美に迫る眼光・・・!、それを名優の演技力を借りて打って出よう・・と、そんな塚本のもとに友人から一枚の写真が届けられた。数ある自画像のまなざしからゴッホ・・ってこんなすごいオーラを発する人間だよね‥と言う概念をひっくり返すような写真。画家のベルナールが正面に座り後ろ向きの風采の上がらない男・・、それがゴッホ、には何処にもオーラの一欠けらも感じなかった。
気がつけばひと月ぶりの読書でした。そもそも私の読書スタイルは電子書籍による読書で2010年の100冊目からです。ですから今日まで580冊は電子書籍で読んできました。
当時の電子書籍市場は国内ではA、R、S、の三社での独占市場でした。ところがそれ以降スマホの発達から市場では約30社近くが読者奪い合い状態なのです。そしてそれらは全てネット配信により課金されていますが当然そこにはネットの世界・・セキュリティーが強化されないと経営が成り立ちません。当然私の契約社からも従来管理以上にアイディーとパスワードによる管理強化がなされるようになりました。もっとも以前からそのような管理体制ではありましたのでそのままにしていました。突然、今回の書籍を購入しようと・・うまく行きません。担当技術者とも協議しながら原因と対策をやり取りしている間に時間が経ちました。解決しました、ただし私の以前まで使っていたPC、Wi.7の古いバージョンを使わないといけない(以前に購入した私の本棚との関連性)ためという理不尽な解決でしたがこれからも宜しくということです。
[No.679] 11月 12日

新潮社「正欲」朝井リョウ
2023年作・ 457 ページ
・・・分駐所は普段は人がおらず、窓ガラスが割れているのを発見した一般市民が通報。同署員が浴室内を確認したところ、浴槽の水道から激しく水が噴き出していたという。
藤原容疑者は「水を出しっぱなしにするのがうれしかった」と供述している。
「これってつまり、蛇口そのものというよりは水を噴出させることが目的だったっていうことですよね」啓喜が記事を読み終わるより早く、越川が話し出す。
「最後、うれしかったっていう表現になってますけど、これって多分、もっとこう、興奮するというか、そういう意味だと思うんです」ここで越川が、「調べてみたんですけど」と、さらに別の用紙を差し出してくる。
「世の中には、小児性愛どころじゃない異常性癖の人ってたくさんいるみたいなんです。たとえば風船を割ることに興奮する人とか、そういう感じの。今回の被疑者ももしかしたら、蛇口を盗むことが目的じゃないのかもしれません」
啓喜は新たな用紙を受け取りはするものの、そちらには目を通さない。「今回の事件で被疑者二人が揃って沈黙しているのも、もしかしたら金属盗難じゃなくて性的に興奮することが理由だからってことは」「ない」啓喜は弁当箱の蓋を閉めると、受け取った用紙を全て裏がえす。・・・・
地検刑事部に所属する寺井啓喜は部下の越川の‥性的に興奮する説を頭から否定した。啓喜の今抱えている家庭問題もあり符合する出来事にあまりにも近い。
この小説には多くの登場人物が出てくる30を超えて独身、イオンの寝具売り場に勤める桐生夏月。彼女と中学時代の同級生、佐々木佳通。金沢八景大学3年生の神戸八重子。その彼女と同じ大学では抜群のルックスもあり人気のあるはずの変わり者、諸橋大也。そしてそれらを取り囲む家族や友人上司、同僚など数えきれない。
この小説を読み始めた時、性欲を面白おかしく理解し正欲と置き換えて作られた小説だろうか・・と私も思った。しかし読み進むうちにごく普通の生活をする‥していると思っている私たちにはごく当たり前の欲、があって食欲、睡眠欲、趣味であったり信念であったり生活そのものもひょっとしてその欲のために成り立っている。
それら一般的な欲については実にあけっぴろげに公開したり認識しあって人格が形成されている。しかし、ただ性欲に関してあまりにも避認否性・・?として公にはできない秘め事としている。一方で最近は「多様性」と言われる言葉に代表されるように個々の秘め事であった事柄について社会はそれも正しく認めようよ‥と言う風潮が出てきた。決して悪い方向ではないけれど私たち昔の世代ではなかなか理解に苦しむことが多くなった。
実は啓喜の小学校5年になる子供も決して頭は悪くないが一般の仲間とうまくやれずに不登校という問題を抱えている。多様性を尊重する世間からは「無理して行くことないよ・・」そんなことから過去最高の不登校児童が数えられる。少子高齢化社会なのに結婚はしても自分の生活も楽しみたいから子供は作らない世代もある。
朝井さんはそんな世代間ギャップのある中に今までまとも・・とか、普通・・とか、一般的、常識的・・といった観念を壊せとは言わないけれど認めなければそれは社会の正義ではないよ‥と警告する。
つかれた・・この問題は次世代に託します。
[No.678] 10月 26日

文芸春秋「コメンテーター」奥田英朗
2025年作・ 285 ページ
・・・「ぼく‥‥もうやめたい」ぽろりと口をついて出た。「今、いくらあるわけ?」伊良部が聞く。「7億円を少し切るくらい」
「…まあ、やめるのは自由だけど、やめて何をするのよ」「普通の仕事をしたい。会社員になって職場でみんなと働きたい」「無理だね」伊良部が自信たっぷりに断言した。
「就職したって、手取り二十万かそこらだよ。耐えられないね。上司に一回叱られただけで辞表出しちゃうよ。だってパソコン一台で大金を稼ぐ術を知っちゃったんだもん。
それに、七億円も持ってる社員と同僚が普通に付き合うと思う?妬まれて、たかられて、仲間外れにされるのがオチだよ。人間はね、同じ環境同士で群れる生き物なの。
河合さんの仲間は、どこに生息してるか知れない”うっかり億万長者”だけ」。
患者に向かってなんてひどいことを・・・・。でも反論できない。・・・・
26歳の河合保彦は遮光カーテンで閉め切った部屋で起き上がった。そして先ず机に並んだ3台のパソコンを次々と起動させて一日が始まる。
北陸の地方都市から18歳で上京し大学の経済学部を出て大手保険会社に就職した時、実家では大喜びして近所に赤飯を配るほど期待された。しかし会社勤めは性分に合わなかった。そこで手を出したのが株だった。少しすると小金も溜まりそれではと本腰を入れてみたらあっという間に数億円の利益を得るまでになった。
些細なことから近所にある総合病院の精神科に通うことになって医学博士、伊良部一郎に診てもらうのだが・・
もうこの小説の作者、奥田英朗さんのふざけた語り口の本は幾度も目にしてきた。そして今回も私の期待に応えてくれての娯楽小説の顛末でした。
5編の短編小説からなっていて全てに伊良部総合病院に勤務する息子の医学博士伊良部一郎が奇妙な看護婦のマユミちゃんと繰り広げる珍診療の展開からなる。
[No.677] 10月 20日

集英社「ハコブネ」村田紗耶香
2017年作・ 193 ページ
・・・深呼吸をして紙袋を開く。まず、淡い紫色の箱に入ったウィッグを取り出した。
セミロングの髪の毛を縛ってネットの中に押し込む。箱に描かれた説明図を見ながらお辞儀のような格好でウィッグを頭にかぶり、起き上がって髪の毛を押し込む。
鏡の前に行くと期待していたのと違い、女のままの自分がいた。短髪になったことで、頬の膨らみや首元の女らしいラインがかえって強調されているような気すらする。
少し顔をしかめたが、今度は胸のふくらみを押さえるための、伸縮性の強い素材の黒いタンクトップを取り出した。今日買い物した中で一番高価なものだった。・・・・
佐山里穂はまだ19歳。まだ本業も見つからず取りあえずはファミリーレストランでアルバイトしながら社会になじもうとしていた。
しかしその中でどうしても許せなかった自分を見出していく。セックスにしても苦痛でしかない・・、そして同僚のかわいい子には憧れともつかない恋も感じたりする。
果たして自分は女じゃないのかしら、そして男装をして本当の自分の性を探そうとする・・
また難解な小説に出くわしてしまった。そういえば村田紗耶香さんの以前読んだ小説は今回で3回目ですが何れも男には不可解な女の感情があるのでしょうか。
今回主人公が自身の課題を求めて自習室・・なる施設を利用するがそこで知り合った女性も・・どちらかというと宇宙人的な感情希薄な気がする。
オレも歳のせいか・・もっと情緒のあるヒトの作品に触れたくなってきた。
[No.676] 10月 15日

幻冬舎「作家の人たち」倉知 淳
2019年作・ 289 ページ
・・・「さらに、長編のご執筆も宜しくお願いします。受賞後第一長編として、我が社から刊行させていただければと思います」「判りました、書きます」
川瀬は力強くうなずく。来季の新人賞投稿用に、もう書き始めている長編がある。それを完成させればいいだけなので、気は楽だ。
「良いお作をお待ちしております。『ネオンの荒野』と同等か、それを超えるような傑作を期待しています。是非、面白い作品を書いてください。よろしくお願いします。いい本を作りましょう」
そう云って東北沢は、熱く握手を求めてきた。どうやら明るい性格というよりは、少し熱血漢的なところがあるらしい。
「ところで、川瀬さんは今、会社にお勤めですよね」熱い握手の後で、東北沢はいきなり現実的なことを聞いてきた。「ええそうですが」川瀬は何となく気後れを感じながら応えた。出版界という華やかな世界にいる編集者を相手には、恥ずかしくて社名を云えないほどのちっぽけな会社なのだ。
「差し出がましいかとは思いますが、ご忠告させていただきます。会社、辞めてはいけませんよ」真顔で、東北沢は言う。川瀬としては、「はあ」と、曖昧にうなずくしかない。・・・・
苦節十年、川瀬雲助は電話で新人賞受賞を知った喜びよりも安堵を感じてへたり込みそうになった。
これで作家になれる。デビューできる。ちっぽけな会社に勤めながら川瀬は人との付き合いもせず仕事を終えればすぐに家に帰って執筆する生活を送ってきた。
いつかこんな会社なんか辞めてやる。そして出版された本の印税で作家らしく華々しい生活がやっと俺にも巡ってきた・・と、だから編集者の「会社は辞めないで・・」そんな忠告など耳のカスにも残らなかった。川瀬の本が売れたのは初年度の後じり貧になってしまった・・
この本には題名のように多くのパターンに代表される作家や編集者、出版社の形態が実に現実的に描かれていて今の時代の文学界の厳しい状況が伝わって来る。
どの世界でも・・そんな人は掃いて捨てるほどいるよ。という言葉通り文学の世界も、音楽の世界、娯楽の世界、そう絵の世界でも大勢います。つまりよほどの才能があったとしてもそれでメシを食っていけるのはほんの一握りなんだよ。
私も美術学校に行っていた若い時、先生の開口一番「努力して立派な絵描きに・・」という言葉を期待していたのに「好きな絵を将来も描いていたければ今の仕事はもっと熱心に取り組みなさい」
[No.675] 10月 4日

講談社「青い小さな葡萄」遠藤周作
1973年作・ 163 ページ
・・・深夜だ。ひとびとは何も知らずに寝静まっている。遠くでサン・ジャン教会の点鐘が打っている。私の筆はやがてこれを読む者の為に最も怖ろしい事実をしるしておこう。
十三日(神父が私の所にたずねてきた前日である)の夜、ピションの仲間たちは二十名(私はその正確な人数を知らない。恐らくそれ以上であろう)の嫌疑者たちを裁判にすらかけず―――おそらく拷問による強制自白の後に殺害した。
十三日の黄昏、その半数はヨハネスの館で殺され、生き残った者はトラックに死体と共に乗せられてオウブナからアルデッシュの山に送られた。
そしてある地点で車を止めた後、生き残った者は死体を背負わされて山林の中の古井戸まで歩かされた。井戸はむかし鉄鉱を探した名残である。
彼等は死体を井戸の中に投げ込まされた後、ピションの部下の手で銃殺された。
その死骸もまた地下の墓場に永久に埋められたはずである。・・・・
フランスに留学していた日本の青年伊原はリヨンの場末にあるコサック亭と言う居酒屋で皿洗いをしながら学費を稼いでいた。ある時右腕を失くしたドイツの青年ハンツ・ヘルツォグと言う者がやってきてルーフ・ドルフ街への行先を尋ねた。そこには戦時下私を助けてくれたスザンヌ・パストルと言う娘がいたが今は無事でいてくれているか。
戦時下にはどこでもある抵抗組織の中には保身のためだけではなく信条からして敵と内通したり手を貸す者もいる。一方でそこを処断しようと内部告発の奨励や人道に劣る方法を使ったこともあるやも知れない。人間と人間の疎外、裁くものと裁かれる者の葛藤、そして東洋人である伊原と言う異人種が複雑に絡む。
遠藤さんはたしか敬虔なクリスチャンだったと思います。ですからこの小説の根底には人の愛・・を理想としつつも敢えて自身が黄色人種、と嫌われる描写も頻繁にされている。ご自身もかつて留学中に肌で感じられたことだったのでしょう。
私も今でこそ人種を意識することなく(あるいは鈍くて気がつかないかもしれない)諸外国に平気で行き来してスポーツの仲間として握手したり抱き合ったりしている。
しかし、いったん戦争となるとそんなことも木っ端みじんになる。人間の弱さか
[No.674] 9月 4日

小学館「前の家族」青山七恵
2025年作・ 375 ページ
・・・「そうそう、本当にその通り。あのご夫婦も、ここに入った時はまだ新婚さんだったでしょう。家族が増えて、部屋が小さくなったからここを出るって、まあ当然の事なんでしょうけど、あの家族にはざぶざぶ時間が流れているんだなあと思うわね。
それに比べて、ずっとここにいる自分がなんだか置き去りにされたような気持。年取った自分と、おじさんになった息子と、おばあちゃん猫の三人で、時間が止まっちゃってるのね」
「わたしもずっと一人で暮らしてるので、わかります。一日の時間の流れは把握していても、自分の人生に時間が流れているという感覚は薄いです」
「そうよね、一人だとね」お母さんが相槌を打つと、どことなく食卓にしんみりした雰囲気が漂った。すると横の息子が、「お母さんの目には、隣の芝生は青く見えると言うか、隣の芝生は流れて見えるってことだね」とあきれるように目を細めた。
「そう。うちはぬかるみにはまって停滞している家」「でも、流れている、当の家のなかからは、その流れも流れだとわからないんじゃないかな?家だってそうだったよ。気づいたら流れが停まって、こうして今のぬかるみに至っているんだよ。このままはまり続けてあと二十年も経ったら、あのころはまだちょっとは時間が流れてたって思うんじゃないの」
「そうですね」わたしも加勢する。・・・・。
37歳になった猪瀬藍は大学の講師をしながら作家として過ごしていた。そろそろもう少し広い家が欲しいと思ったときちょうど理想の間取りに住む小林家が引っ越すというのでその中古マンションを購入することにした。小林家は子供が二人、働き者の夫は家族のためを思い幹線道路の先に戸建ての住宅を建てて移り住んだ。藍は多少の出費は止む無いと思いできるだけリフォームして自分に合う工夫をしてきた。しばらくするとこともあろうに小林家の姉妹が時々遊びに来るようになった。
階下の住人、峯尾親子とも打ち解けて話が出来るようになっていよいよ落ち着いた生活を‥と考えていた矢先。遊びに来る小林家の姉妹たちの行動から思わぬ方向に発展していく。
この話は題名にある通り「前の家族」、つまり藍を通してここに住んでいた前の家族の心の変化を小説にしたものと割り切れる。結果的には子供たちはたとえ手狭になったとはいえ前のマンションは生まれた時から育った家、妻にしても新婚ではじめて夫と生活し始めた家なのだ。
わたしは生涯で七回も引っ越しをして今に至っている。そして転々としたときにそう後ろ髪惹かれることもなくむしろ転居するたびに前向きな気持ちになった気がする。ただ姉妹にとってはまだ気持ちの踏ん切りは尽きずらく、ましてや歩けば20分足らずで前の懐かしい故の我が家に着くことには理解も示せる。
しかし青山さん、なんですかこの最後のしめくくりはあまりにも雑!。私としては途中まで前の家族のいわばノスタルジーを如何に主人公とわかりあって過ごしていけるのか興味を擁いていただけに台無しな終局で締めくくっちゃいましたね。
まあ、小学館の編集者の責任でしょうがひどい!。
[No.673] 8月 26日

講談社「東京藝大物語」茂木健一郎
2017年作・ 196 ページ
・・・何しろ何十倍と言う入試をくぐりぬけて、東京藝術大学に合格した彼らではあるが、その中で、作品を売って食えるアーティストになるのは、ほんの一握り。
一説には、十年に一度出れば良い、とも言う。だから、大抵の者は、喝さいも浴びず、話題にもされず、ただ黙々と、自分の手だけを信じて、いや信じるふりをするしか方法がなく、とにかく、キャンパスに向き合い続ける。
それでも、成果が出るとは、限らない。下手をすれば、東京藝術大学に合格した時が、人生の頂点だった、と言うことになりかねない。イヤ、実際、大抵はそうなんだろう。
アートには、木漏れ日の当たる場所がある。そこには、たとえまばらでも、人々の賞賛と言う太陽光が差し込んでいる。ピーカンの晴天であるとは限らない。
賛否両論、うっそうと茂った木々の間から、ほんの少しの光のまなざしが入り込んでくるだけでも、作家にとっては十分であるとも言えるのだ。
「人生の旅のなかばにして、正しい道を見失い、暗い森の中を彷徨った」(ダンテ『神曲』)・・・・。
脳科学者の茂木健一郎さんは東京藝術大学の教授であった藤田英二教授から非常勤で教えないか・・と言われてそのときがきた。
茂木さん自身小学生の時に日本に巡ってきたモナ・リザを見に行った時の感激で芸術にこれだけの多くの人が長蛇の列をなして見に来る力を感じて絵を描こうと塾に通ったことがあったとも。でもまさかその藝大で絵を教えるのではなく、ご自分の研究であった脳の働きと芸術を生み出す力について学生と話し合って見たかったのでお引き受けした。
当初ご自身の講義を聞きにくる洋画科学生は数名しかいなかった。しかし茂木さんはそのあと必ず学生たちとトビカン(東京都美術館)前の広場で学生と酒を呑みながら藝術論を楽しんだ、次第に講義の聴講生は増えて来て、しまいには恐らく他所の大学生も聴講し、トビカン前の呑み会で盛大議論するにまで人気になった。
一年間の非常勤講師としての勤務の間、個性あふれる藝大生と接してきて一抹のやりきれなさを感じた。卒業する教え子たちは現役入学は極少で殆どは一浪、二浪、中でもよく話の合う学生は4浪してやっと入学したなど、あまりにも芸術に純粋すぎる、恐らくこれから世間で金を稼いで果たしてやっていけるのだろうか・・と。
20代前半、私が美術を志して当時話題であった上野桜木町にあった寛永寺坂美術研究所に入所を果たせたときは恐らく将来は画家になれると信じていました。しかし、そこを主催する先生は実に現実主義で私の勤務する職場は大切にしろ!、入試の予備校的に来た学生にはお前の実家の青果店の収入では彫刻家志望は諦めなさい・・とか。
お陰で・・?私は、はじめに携わった仕事をまじめに定年まで勤めあげ、絵を描くことがとても好きなお爺さんとして生涯絵を描くことを楽しんで過ごせる身分になりました。でも先生の言いつけを守らずにそして耐えきれずに芸術のために身をささげて短命な人生を終えた人も知ります。
ひとにはそれぞれの望んだ生き方があります。そして若い時の望みは膨大であって、年を取ってくると望みは現実的になってきます。しかしこと藝術の望みになってくると若くして望んだ大きさとお爺さんになって望んだ大きさはさして変わらないと言うと語弊がありますがそんな何倍もするような気がしせん。
[No.672] 8月 18日

双葉文庫「夏の体温」瀬尾まいこ
2025年作・ 158 ページ
・・・一日中、ベッドに寝て点滴を付けていたのが、薬に変わった。毎日のように検査をしていたのが、週に二日の採決で済むようになった。何の病気かわからず先がどうなるのか分からなかったのが、病名がわかり、どう治療するかが分かった。
不安や苦しみが一つ一つ解けていっている。病棟の端に着くと、ぼくはもう一度、向こう端まで歩いた。何往復したって、大した距離にはならないし、時間もかからない。それでも、病院の中ではやることがないのだ。
ほとんど景色が変わらないフロアを歩くことでもしないと、時間は過ぎてくれなかった。
東棟は一番端にプレイルーム、その前に入浴室や洗濯室。そこから病室が続き、ちょうど真ん中にナースステーションがあり、その向こう側に病棟の入り口がある。入り口は自動ドアだけど、看護師さんに申し出ないと開かない。
このドアを抜けるとエレベーターホールがあり、その向こう側がぼくが最初にいた西棟だ。西棟の入り口にもドアがあるし、離れているから様子が見えるわけではない。だけど、ここに立つと西棟の光景がよみがえる。
音が鳴る機械が付けられたまま動かないあの小さな子どもはどうなるのだろうか。重い扉の向こうなのに聞こえる泣き叫ぶ声。あそこではどんな治療が行われていたのだろうか。走っていく担架に横たわっていた赤ちゃん。あの子は助かったのだろうか。
今も誰かがあのころの僕と同じような、いや、それよりもっとつらい検査や手術を受けているんだ。・・・・。
高倉瑛介は小学校3年生になったばかりの連休明けに足にあざが出てそれが増えていったりした。重大な病気の可能性も考えられこの新しい病院に入院検査となった。
毎日骨髄検査だ血液検査だと二週間も重苦しい日々をこの西病棟で過ごしていた。やがて血小板が少ないことが主な理由だろうということで7月からは投薬で様子を見ようと病気の症状が比較的緩やかな患者の入院する西病棟に移された。
大切な3年の夏もここで過ごさなければならなかったとき同じ学年の田波壮太が検査入院しにきた。彼は3泊4日の短期入院だ。でも瑛介にとってはとっても貴重な話し相手でありプレイルームで過ごすのに掛け替えのない仲間になった。たとえそれが二日であったとしても。
私も80歳を過ぎて立て続けにお医者さんの厄介になることが増えてきました。不整脈に起因する心房細動(カテーテル手術・治療)、食道がん(食道上皮質の内視鏡手術・抗ガン治療)。なかでも私の入院していた埼玉県立がんセンターも短期重篤入院と治療経過観察の入院患者の病棟は西と東に分かれていました。
毎年頻繁に通っていて当たり前のように過ごしてきたスキーシーズンを病棟で過ごすなんて考えても見なかったことでした。でも誰にも邪魔されず好きな時間本を読めて食事は三度三度整えてくれ・・あっという間の退院でした。おかげでもう春先ではありましたがスキーも楽しむこともでき良い思い出でした。
抗ガン治療の副作用で血液検査はボロボロ・・、腎臓機能障害も出てもしこの時期がコロナウィルス蔓延次期だったら恐らく私の命も危なかったかも知れなかった。しかし退院後半年で赤血球、白血球、血小板、血糖値、腎機能、糖尿・・、すべてが健康時に戻った。感謝する以外ない。
[No.671] 8月 15日

角川文庫「棘の家」中山七里
2025年作・ 345 ページ
・・・駿は至極当然のように言う。「ウチの中学だってそうだよ。人気のある先生とない先生がいて、人気のある先生ってやっぱり俺たちとよく話すもんな。授業だけ、説教だけって先生はこっちからは話しずらいから、どうも信用ならないし」
生徒に人気があるという理由で給料が上がる訳ではない。これは駿の早合点だが、満更笑い飛ばせることでもない。生徒との接触が多ければ噂やデマを含めて情報が集まりやすいので、クラスの異常を早期に発見できる。
事前に問題を把握できれば対処もできるので、結果的には担任としての評価にも結び付く。「大丈夫よ。ウチに限ってパパが気に病むようなことは何もないんだから。息子は反抗期だし、娘は適度に父親を敬遠しているし」
「どうも引っ掛かるな、その言い方」「別に反抗期じゃねーよ。反抗期だったら口も利かないって。これでも父親との仲が上手くいっている方だって」「さっきの再就職しようとしない父親の家庭に比べればだろ」
「世の中なんて、全部比較じゃん。幸せとか不幸せとかも、他と比べてそうなんだって話なんだし。だったら比較対象はより最低最悪の例が良いよな」
穂刈が喋ろうとしたとき、機先を制するように駿は腰を上げた。「俺もごちそうさま」そして、そそくさとダイニングを出ていってしまった。
「あいつ、あんなに理路整然と喋るんだな。いったいいつからだ」「駿は、もうずっと前から理屈っぽいわよ」・・・・。
穂苅慎一は中学校の教師。妻の里美ももとは小学校の教師であったが駿は何とか勤めながら育てたが妹の由佳が生まれた時に学校は退職しパートをしながら家庭を守ることに専念した。駿は中学二年生でバスケットボール部の副部長、由佳は小学六年生の平凡な家庭生活を送っていた。
ある日、由佳が学校でいじめにあって長く耐えてきたのだったがとうとう校舎の三階の窓から飛び降り自殺をしてしまった。穂苅の中学でもいじめについては常に気を使ってきていたにもかかわらず家庭のしかも我が子の挙動に気がつかなかったことを悔やむ。幸いにも由佳は植込みの中に落ちたので一命はとりとめた。
しかしこのことをきっかけに今まで平穏だった家族関係は急速に崩壊して修復は難しそうな展開に発展する。そこには学校側の「いじめはなかった」とする方針の見解と穂刈からはマスコミを通じて探りを得たい思惑から・・・周り廻って今度は自分の家族がマスコミの餌食になる。
わたしも嘗ては一女一男の父親として過ごしたことがあった。どこの親も子供を育てるということについては誰も初めての経験であり子の心を掌握することの難しさを身をもって経験してきた。専門家がああだ、こうだともっともらしいことを言うが正解なんてない。しかし、あの時はこうしておきたかった・・、こうしておけば良かった‥、などという反省は5万とある。
家族は身内だからなお難しい。そして子供が成長していく段階に心の成長とのアンバランスさがより難しさを助長させる。もう昔のことだけど・・ゴメンな、子どもたち。
[No.670] 8月 8日

講談社「本が紡いだ五つの奇跡」森沢明夫
2024年作・ 336 ページ
・・・私が彼の名前を知ったのは偶然だった。彼と一緒に来店していた男性が、「おい、からた」と呼びかけたのを、レジでたまたま耳にしたのだ。しかも、その男性が着ていたジャージーの背中に、有名な美大の名前がプリントされていることに気づいた。
そして、その日の夜、バイトから帰宅したわたしは、早速「からた」という呼び名と、美大の名前を併せてネットで検索してみた。すると、どんぴしゃり。まさにその美大に通っている「唐田健太郎」という学生のSNS アカウントがヒットしたのだった。
見つけた…。私は、じわじわ込み上げてくる興奮を抑えながら、念のため、いくつか顔が映っている画像をチェックした。うん、間違いない。彼だーーー。気持ちが高ぶったわたしは、何の躊躇もなく「フォローする」というボタンを押していた。
健太郎君のページには、これまでに彼が描いてきた数々の絵がアップされていた。それはデッサンだたり、水彩画だったりするときもあるけれど、メインは油絵だった。
彼が描く油絵は、筆使いも色使いもどこか荒々しくて、ときに大胆ですらある。しかし、じっと眺めていると、絵の奥の方から繊細さや儚さや優しさが滲み出て来て、それがこちらの心にすうっと真水のように浸透してくるのだ。
この感覚は、私が今までに味わったことのない、とても不思議なものだった。とりわけ、私は、健太郎君が描く、海、川、池、雨、田んぼと言った「水」のある風景画に強く惹かれていた。
どの作品もため息が出るほど瑞々しくて、思わず触れてみたくなる。・・・・。
白川心美は書店でアルバイト店員として店長からも信頼を得ていた。プルーフと言う出版社からまだ出版されていない試作の段階の簡易版の本を読んでいたく感動し、店長にこの本を仕入れて店頭に並べるときには是非私にそのPOPを描かせてください・・とお願いしたほど熱がこもった。
そう、心美はぜひ画家への決心のつかない健太郎君にもこの本をぜひ読んでもらいたくて・・、といきこんだのだった。
私は小説の中の筋書きの設定の中に偶然にも・・と言う設定で成り立った作品にはいつも幻滅を覚える。しかしこの作品はもうタイトルからして5つの奇跡!とはっきり伝えていてスタートした作品構成なのです。そんなに開き直らなくてもいいのに‥と思って読み進むとこれがまた面白い。出版社に勤めていてまだヒット作も出せないダメ編集者、作家として世に出たもののその後さっぱりと売れない作品しかできないダメ作家、片思いの募る本屋の店員、がんと宣告され余命いくばくもないデザイナー、妻に先立たれたけれど理容院を経営しながら一人息子を東京の美術大学へ仕送っている頑張りお父さん・・など。ああ、売れる本って幾多の人たちの繋がり合いが本当に連携した時に傑出するんだ・・・
読み終わっておもった。本当にすべてのストーリーは導火線でつながっていてその物語の先には次の物語に引き継ぐ要素に導火線がセットされ興味を引き継ぎ・・次々と展開させていく。そして見事にすべての仕掛けが終わるとまるで仕掛け花火のフィナーレともいうべきナイアガラの滝で最高潮になって終わる。夏の夜の花火を見た後の余韻が残った。
[No.669] 8月 4日

小学館「恋とか愛とかやさしさなら」一穂ミチ
2024年作・ 251 ページ
・・・小休止を挟んでレタッチに耽り、夜明け前に寝付いた。不規則な仕事なので、月曜日というカレンダーには関係なく熟睡していて、スマホの着信音で目覚めた時、カーテンの隙間からは明るい陽光が待ちかねたようにうずうず揺れていた。
相手を確かめもせず「はい」と極力明瞭な声で応対すると、いきなり『新夏さん』と呼びかけられた。「え?」知っている、啓久の母親だ、間違いない。
なのに一瞬戸惑ったのは、これまで聞いたこともないほどどんよりと沈み、まるで何かに追われているように押し殺した声だったせいだ。
「急にごめんなさいね、今、ちょっとだけいいかしら?」新夏に何か言う暇も与えず、啓久の母は告げた。「警察から電話があって…啓久が、盗撮で捕まったって」
「は?」新夏はようやく起き上がったものの何をすればいいのかわからず、手持無沙汰の左手で髪を撫でつけた。毛先の傷みが気になるから、いっそもっと短く切って、結婚式までに伸ばし直そうか、なんて考えていた髪。「あの、それは、どういう」
「わたしたちにもよくわからないのよ」困惑や混乱が絡まり合った口調が、まるで新夏を責めているように刺々しく感じられ、とっさに「すみません」と口をついて出た。
「ううん、新夏さんが謝ることじゃないのよ」啓久の母は取ってつけたようにやんわりフォローし、「むしろこっちが‥」と言い淀んだ。・・・・。
関口新夏は友人の勧めで出席した合コンで神尾啓久と知り合う。新夏は写真館を営む父と二人暮らしであったが昔父の同僚であった写真家の日置祥子のもとでアシスタントをしながら腕を磨いている最中であった。啓久とはもう何年も確実な付き合いでお互いの気心も知れていた時、新夏はついにプロポーズされてあとは日程を待つばかりだった。
もうお互いの家族も認め合っていた・・そんな矢先にこともあろうに啓久が電車の中でスマホを少女のスカートの中に入れ盗撮をした。周囲にすぐ見破られてそのまま警察預かりとなってしまった。初犯であったこと深く反省していたこと相手の被害者に対しても深く謝罪し示談も成立ということで刑事告発は免れた。
新夏のショックは彼、啓久に対する愛情も一気に消え失せて啓久以上に悩みぬいた。これは彼がまた同じ過ちを繰り返すのか‥そのことよりもその負い目を持った彼をこれからは無かったものとして一緒に暮らしていくことができるだろうか。
矢張りそれはどうあがいても難しすぎる。結局二人の仲は破滅する。この小説はそんな揺れ動く二人の心理をよく描き切っている。
ひとは大なり小なり無くて七癖・・なんて言われるほどいろんな特性を持っている。しかし性犯罪と言われるものの中には本人も何故こんな事をしてしまったんだろう・・と悩ませる内面的ないわゆる性癖もあるという。結婚してみてはじめて知った相手の癖‥と言う話もよく聞く。人生難関だらけだね。
[No.668] 7月 25日

小学館「山に抱かれた家 迷い道」はらだみずき
2025年作・ 271 ページ
「・・・今の時代は、どうしたって金が要る」市蔵は話題を変えた。「それはたしかに」文哉は神妙にうなずいた。「とはいえ、ここは山奥の村だ」市蔵は一般論の後、意外な言葉を継いだ。
「ふつうに考えていてもだめさ」「というのは?」「朝早く、この山奥から街へ向かう車がいるわな。市内や隣町で働く連中さ。やつらにすれば、ここに仕事がないからだろう。でもそうなると、何のためにここで暮らしているのかわからなくもなる。いずれ、出ていくかもしれん」「じゅうぶんあり得ますね」
「おめえさんの場合、わざわざここへ来たわけだ。こんな山奥にな。ならば、ここで仕事を見つけたらどうだ」「そうなんですけどね・・・」
「けれども仕事がねえと、ふつうの奴らは嘆く。農業だけじゃ食っていけない、とな。だったらよ、自分でつくるんさ」「−−−自分で?仕事を?」「そうさ。おいらの言ってる仕事ってのは、単に金儲けのことじゃねえ。仕事にも二種類ある。ひとつは金を稼ぐための仕事。もうひとつは、金を使わないための仕事さ」
「金を使わないための仕事?」「ああ、ここでは、自分でできることは自分でこなす。それが多ければ多いほど、広ければ広いほど、金は使わなくて済む。その分、金を稼ぐ必要は無くなるわけさ。そういう仕事の幅を広げられれば、自分にできることが、やがては金を稼ぐための仕事にもつながるんじゃねえか」・・・。
緒方文哉は26歳になり今まで南房総で近所に助けられながら甘やかされた生活から脱出しようと群馬県の過疎の山村に中古の空き家を見つけてここで頑張ろうと決意する。
こんな過疎の村であってもよそから移り住んできた身元もさだかでない若者にたとえ余っている田畑を貸してくれる人はだれ一人としていない。
地道にそこの土地になじみ、村の自治会にも積極的に参加し少しずつ自分を知らせていくよう努力しないといけない。まずは近くの高齢の住井イトに歓迎の意を伝えられたことだ「近くに灯かりのある家ができてほんとうにうれしいよ」。そこを糸口に市蔵や菊次郎とも知り合いの度合いを増していくようにした。
私も50年以上通っているスキー場の下の部落で薪ストーブの薪を調達するようになったが何年してもやはり他所者でした。わたしも炭焼き屋さんに代金を払って自分で薪を作って居れれば御上々でした。しかし自分でも薪になる楢やこなら、クヌギなど荒れ果てた山に植樹して美しい森にしたいと思った。もう長い間に私の気心も知るようになった炭焼き屋さんは快く私に山を貸してくれた。あれから既に15年、見違えるほど綺麗で美しくなった山を見て感謝されるようになった。
でもそれほどによくしてくれた炭焼き屋さんご夫婦ももう既に亡くなられてしまった。今でこそ息子さんはそこを知っていてくれてなにくれとなくよくしてくれる。ひととの繋がりを感じる私ももう既に80台も半ばに差し掛かる。
[No.667] 7月 22日

小学館「不思議カフェNEKOMIMI」村山早紀
2025年作・ 313 ページ
・・・ーーーーと。灰色のアスファルトの上、露地沿いの家の前の、枯れた観葉植物が植わった鉢が転がっているそのあたりに、小さな黒い影がなかば丸くなるようにして、横たわっているのに気づいた。
ひとつまばたきをして、そっと近づく。街灯に照らされて、まるでアスファルトの上の黒い染みのように力なく倒れているのは、黒猫だった。小さくか細く見えるので、まだ半分子猫のような、若い猫なのかもしれない。首輪はしていない。家のない猫なのだろうか。
哀れだと思ったのは、濡れたチラシに小さな頭と背中を寄せて、なかばくるまるようにしていたからで―――寒さのあまり、せめてもと思ったのかと想像すると、胸が痛くなった。・・・・・
「ああ、良かった。生きている‥‥」そう呟いた時には、傘を地面に落とすように置いて、コートを脱いでいた。
お気に入りのコートだったけれど、ためらいもなく濡れた黒猫を包み込んだ・・・。
独り暮らしをしている律子さんは今日も片頭痛に悩まされながら小雨の降る路地を家路へと急いでいた。父は若くして夢をかなえる途中で事故死し、旅行好きだった母も異国の地で帰らぬ人となってしまい天涯孤独となってしまった。
永く同居していたメロディーという名の猫も病死し、寂しさに拍車をかけていたが拾った猫を病院で診てもらってメロディーの再来と喜び夢も希望も大きくなっていく。
21世紀もちょうど4分の1。初頭には独居老人の孤独死が連日ニュースで流れるようになった。そして今、そんなことは当たり前であって特別有名人であったりしない限りはニュースのNにもならない時代です。
あと4分の1・・つまり21世紀半ばには独居老人があふれかえる時代になってきます。今社会では妻帯しない独身者が間もなくアラ50、アラ60とピークを迎え、そして若かった時と違って体調も今一つ‥という日が増えて来て「ひとりでしにたい」・・・が現実問題として笑い話でなくなる日が近いのです。
この本は海外でも人気があって翻訳本が出るくらい・・つまり独身者が多くってそんな生き方に共感を持つ人がいかに多いかという表れでしょう。
小説としては粗末な構成でストーリー性もなく散文詩的叙事文学・・とでも理解しましょうか、健全な魂で日常生活をしていると少し物憂げでやるせない。
[No.666] 7月 17日

集英社「そこに工場がある限り」小川洋子
2025年作・ 204 ページ
・・・人類が初めて作った乗り物は、たぶん舟だったのではないかと思う。筏、ボート、カヌー、いろいろと呼び名はあるだろうが、とにかく、水に浮かべて移動できる乗り物だ。
その初めての人は、海か川か湖へ、どうしても出ていかなければならない事情を抱えていた。もっと食料が必要だったのだ。水中にはたくさんの魚がいるし、向こう岸に渡れば、美味しい木の実がたわわに実っている。
あるいは敵対する相手ととの戦いに敗れ、その地を追われ、やむなく移動しなければならなかったのかもしれない。
しかし私は、はっきりした理由はなかった、という空想に心を奪われる。目の前に広がる水の向こうには、いったい何があるのだろう。ふと、そう思い立った誰かがいた。
食べ物や土地や、目に見えるものではない、漠然として神秘的な、だからこそ自由にあふれた何かのため、危険も顧みず、その人は水面に漕ぎ出した。以降、その人の姿を目にしたものは誰もいない・・・。
小川洋子さんはこの本で6か所の製造工場を視察しその様子と工場で取り組んでいる精神を自分の生い立ちに置き換えて述懐されていました。
私がその中で「丘の上でボートを作る」の冒頭ですが小川さんの幼少期近所の河川でボート練習を犬の散歩中に見た時のボートの動きを私も犬もじっとその動きに心を奪われたことを思い出した、と言っていました。
そう言えばわたしも幼少期のころから自宅前の川には自営農業用の舟と父親の諏訪湖での漁業用の舟の二艘が係留されていていつも自由に操船していた記憶が蘇ります。
ですから経済的な余裕がなくなる外国スキー遠征前までは夏の間は東京湾をボートでカッ飛んでいたことから舟(ボート)の魅力は小川さんの冒頭の書き始めの一言でしょう。
たしか小川さんの作品に初めて接したのは私が妻の残した蔵書からではなくはじめて自分で本屋さんに行って求めた本「博士の愛した数式」17年前でした。
文科系の作家の作品とは違った理科系の匂いを小川さんの作品からその時感じたのです‥確か記憶を失くした数学博士のもとに家政婦として訪れて心を通わせるために無学な彼女は奇しくも博士の純真な心の底にある数学の素数の美しさに気付かされ数学と気がつかづに常用対数や自然対数・・そして複素数にまで博士と心を通じ合えた。
以来小川さんの作品は数多く読ませて楽しませていただきましたがここにきて、ああ、この人はやっぱり理科系(頭の中の気持ちは)の人だったんだとおもいました。恐らく私と同じように、ホームセンターに行くと小川さんも工具売り場の前で足を止めていろんなことを空想してしまって足が止まる(笑)
[No.665] 7月 11日

講談社「カフネ」阿部暁子
2024年作・ 365 ページ
・・・春彦が「父さんと母さんに付き合っている人を紹介したいから薫子さんも来てくれる?」と連絡してきたのは、体が溶けるほど暑い去年の七月だった。
突然のことにびっくりしつつも、勿論よと答えた薫子は、夫の公隆と一緒に南陽台の実家を訪れた。「お料理のお仕事をなさってるって、どちらのお店で働いていらっしゃるの?」
せつなを質問攻めにしたのは母だった。父と結婚して退職するまでは地方局のアナウンサーだった母は、六十代半ばの年齢が信じられないほど若々しいが、あの日、せつなに向ける笑顔は華やかを通り越して凄みすら漂っていた。「店では働いていません。依頼をもらったお宅に行って、そこでユーザーさんの要望に応じて料理を作ります。
せつなの返事を聞いた母親は眉間に線を刻み、「怪訝」の見本のような表情を浮かべた。「なんだか家政婦みたいね」「細かい違いはありますが、やっていることは近いと思います」
母は眉間のしわを渓谷のように深くし、テーブルの隣に座る父に目配せした。・・・・公隆を気に入っている父は鷹揚な笑顔を取り戻し、せつなをみやった。
「小野寺さんの手料理を食べてみたいな。春彦にも作ってやってるんだろう?」「そうね。私もプロの方お料理、是非食べてみたいわ」父に続いて強力な笑顔を張りつけた母までが畳みかけるので、薫子は胃のあたりが重くなった。・・・・「おつまみ程度でいいのよ。お父さんも公隆さんも飲むのでしょうから、何かお酒に合うものをお願いできる?小野寺さん」「かまいませんが、三千円いただきますよ」・・・・
野宮家はゆったりした南陽台の家で何不自由なく過ごしていた、父は大きな会社の重役をし母は地方局のアナウンサーをしていた。主人公の野宮薫子は12歳になった時に弟の春彦ができてから気持ちに変化が現れた。今まで独り占めしていた両親の愛情は弟の春彦に全て持ち去られた。
それでも一回りも違う弟春彦は薫子にとっても実に可愛い存在であったことに違いなかった。そして弟の春彦も素直でよく気の利く誰にでも気持ちよくなりそうな笑顔で接し人気があった。そんな家庭ではあったが薫子が結婚して家を出る、やがて春彦も独り立ちして家を出ることになった。
そんな春彦が突然に亡くなってしまった。しかも誰にも愛されていた春彦は亡くなる前から遺言書を作成し、自分の遺産の処分まで気持ちを行き届かせていた。
他殺か、事故死か…結論の出ないうちに49日。薫子自身も結婚した先で不妊に悩みあらゆる手を尽くして努力したにもかかわらず最後の願いもむなしく消え去った。そして夫の公隆にも愛想をつかされ離婚した。
身も心もゆとりが無くなり酒におぼれるようになっていた時、生前弟の春彦が一時籍を置いていたカフネから出張してきた小野寺せつなと再会する。
カフネ・・とはポルトガル語の「cafune」をカタカナ表記した言葉で、「愛する人の髪を優しく撫でる行為」や「髪を撫でて眠りにつかせる穏やかな仕草」を意味します。この言葉は、日本語に訳すのが難しい、愛情や親愛の情を表す繊細なニュアンスを持つ言葉として知られています。
弟春彦の生前の活動を通してその生き方に薫子も心酔しそこに働く誰しもが自身に深い傷を持ちながらも他の困っている人たちに愛情をもって接して助け合っていきたい。そうすることで自身の傷も癒えていく。
もう一冊、本屋大賞の作品を読みました。前者の「禁忌の子」はお医者さんの片手間の作品。しかしこちらはプロの作家の作品。おのずと作品の構成力ストーリー性も力強く明確な作者の意志の強さも感じられる。佳作でした。
[No.664] 7月 8日

東京創元社「禁忌の子」山口未桜
2024年作・ 405 ページ
・・・そうや。その挿管チューブは何に使うんや」これか、と城崎は手にしたビニール袋を軽く振ってみせた。
「DNA 鑑定には、人の粘液採取が有効なんだ。今は民間で、こういった唾液が付着したものを送っても鑑定をしてくれる会社がいくつもある。毛髪や、歯ブラシなんかでも鑑定できる。検体によって成功率はかなり異なる見たいだけど。唾液が付着し、気管に入れていた挿管チューブなら、ほぼ間違いなく鑑定は成功するだろう」
「まさか」「これは、武田君次第だ。今までの裁判判例でも、子どもの『出自を知る権利』は正当なものとして認められている。だから、この挿管チューブで親子関係を知るためのDNA 鑑定を行うのは、君の家にはお母さんが残した櫛も何本か残されていたから、そこに付着した毛髪も併せて提出すれば、誰と血縁関係があって、誰とないのかを、科学的に証明できるんだ」
息が止まりそうになった。今まで信じてきたことを、はっきりと自分の手でひっくり返すのか。俺に…真実と向き合う勇気はあるのだろうか?・・
兵庫市民病院救急科に勤務する武田航に患者依頼があり受け入れ態勢に入った。溺死かどうかの判断はともかくすぐに必要な処置に入った。そして「はっ!!」とした。
武田自身も驚いたけれど周囲の看護師たちも驚いた顔を隠せなかった。その患者はあまりにも武田自身に似通っているだけではなく自分には尻に生えてる毛があることはほかの人と比べて特徴的と思っていたのにこの患者の尻の毛の生え具合迄自分にそっくりだ。・・まるで一卵性双生児のように・・
その患者は手を尽くしたけれど生き返ることもなく亡くなってしまい警察も一応は単なる水死ということで事件性など詳しい情報はなかった。
しかし武田は同じ病院に勤務する優秀だった幼馴染の城崎響介に相談した。「そして先ず武田の母親の遺品に残っているはずの母子手帳を見てみろよ・・」
そこには意外なことに母子手帳では通う医院が不自然に転院になっていることを足掛かりに生島リブロクリニック・・の産院を尋ねてみた。
と同時に次々と周囲の口を閉ざしていた事実を知る人たちから事情を知らされることになった。そして今妊娠中の妻絵里香はなんと武田の紛れもない妹であることまで分かった。
今年の本屋大賞に選考された作品ではあるがあまりにも偶然性がいくつも重なり合ってストーリーを面白く組み立てている様子がわざとらしすぎる。
そして優秀だった幼馴染の医師がいわば名探偵のように次々と絡まった謎をいとも簡単に解明していく爽快感は読者受けするでしょう。でもオレはこういった小説は娯楽になっても決して血や肉にならないナ。
[No.663] 7月 3日

新潮社「藍を継ぐ海」伊予原新
2024年作・ 352 ページ
・・・数匹がついに、寄せる波にさらわれた。いったん押し戻された小さな体が、引き波と共に一瞬で水の中に消えていく。そこから先は、月明かりでは見えない。
人間にはほんの小波でも、子ガメたちにとっては大波だ。怯むことなく次々とその中へ突っ込んでいく彼らを見つめながら、沙月はぽつりと言った。「この子たちみんな、勇気ありますね」
この海の向こうに、何があるか分からないのに。待ち受けているのは、きっと大変な試練ばかりなのに。「ほうやね」佐和が言う。
「あたしは、怖いです。お姉ちゃんみたいにここを出ていくのも、出ていかんのも」「高校を卒業するまで、まだ、五年もあるやない。ゆっくり考えたらええんよ。ほうや、あの手帳――あの子の標識番号が書いてある手帳は、そろそろ沙月ちゃんに預けようかな」
「え、でも・・・」あの子ガメがこの浜に帰ってくるとしても、それは三十年後だ。そのとき自分がどうなっているか、姫ケ浦にいるかどうかなどわからない。・・
沙月はまだ13歳、数奇な運命でこの四国の姫ケ浦のある小漁村に住むことになり近所の佐和お祖母ちゃんによくしてもらっていた。
題名の藍は元小学校の先生をしていた佐和さんが藍染をしていること、そしてこの姫ケ浦の沖合には藍色とも黒色とも思える黒潮が北上する大きな流れが存在して海も漁村もその恩恵に授かっている。
この漁村の浜にアカウミガメが上陸して産卵し孵化した子ガメたちは世界を回遊し再びこの浜で子孫を残す壮大なドラマが展開されている。
この小説は今年第172回の直木賞作品という。また67ページと短編なのも少し物足りない。題名の中の「藍」について黒潮のもたらす生活感、佐和おばあちゃんの藍染を通して長老たちの意思を13歳の子どもたちにどう伝えていくか・・など作品に厚みを持たせてもらいたい気もした。
しかしこの本には他に同じくらいの力作が4編掲載されてそのどの作品甲乙つけがたくしっかり現地の取材を通して力強い作品であった。
北は北海道に隕石の落ちた話。長崎では原爆投下にまつわる貴重な話。山口県では萩から40km離れた見島と萩焼の話。奈良県の吉野山中の村で狼犬の話題。など総合すると直木賞に納得。
[No.662] 6月 24日

朝日新聞出版「ゲーテはすべてを言った」鈴木結生
2025年作・ 248 ページ
・・・「ドイツ人はね」とヨハンは言った。「名言を引用するとき、それが誰の言った言葉か分からなかったり、実は自分が思い付いたと分かっている時でも、とりあえず『ゲーテ曰く』と付け加えておくんだ。なぜなら、『ゲーテはすべて言った』から」。
何でもいいから試してみろ、と言われて、「ゲーテ曰く‥‥」と若き統一はしばらく考え込んだ。限られたドイツ語の語彙の中から、すぐ気の利いた文句を持ち出すのは難しく、やっと口をついて出たのは、「ゲーテ曰く、『ベンツよりホンダ』」
これを聞くや否や、ヨハンは腹を抱えて笑い出した。笑い過ぎた勢いででんぐり返しまでして、最終的には統一がドイツ語の日常会話を特訓してもらう返礼に伝授した座禅の格好に落ち着く。
無論、統一に禅の心得などあろうはずもなく、ただ、ヨハンがしきりにその方法を聞きたがるので、口から出任せを教えてやったまでのことだった。しかしながら、このドイツ人はそれを真に受けて、トーイチがあんまり面白いから、ゼンを組んで鎮めなきゃ仕方ないよ」と息を吸い、吐き、また吸って…と師匠の伝授してくれた作法を律儀に繰り返していた
「流石にまずいんじゃないの?」と苦笑する統一に、「いや、いける。大体、ゲーテが何年前の人か分かっているドイツ人がどれだけいるかも定かじゃないんだから」・・
ドイツ文学の一人者として知られる「ひろばとういち」は娘の「のりか」から父母の結婚記念日に郊外のイタリア料理店に銀婚式にあたるお祝いを兼ねて食事会に誘われた。
夫婦は二十二歳になった一人娘がアルバイトをして得た薄給からディナーをご馳走してれるという。そしてその店の料理の旨さにも驚かされた。
食後にデザートのケーキが出て妻の「あきこ」が何十種類もの紅茶が並ぶ棚の中からアールグレイのティーバックをひらいたとき、妻と娘はそのタグの部分に何やら文字が刻まれているのに気がついた。ほろ酔い加減の統一のタグにも何か書いてあり「パパのは?」と娘に尋ねられ「ん…」
「*** ***** ***・・・」「誰の言葉ですか?」と「あきこ」が尋ねる。件の文章の下には、「Goethe」の字。
「やっぱすごいねえ」パパ、ゲーテと赤い糸で結ばれているんだ。
統一はすでに教授の職も定年を前にして大学を去る時になってドイツ文学、とくにゲーテについては他の追随を許さないほどの博識を擁していたのにこんな巷のことわざになっていたゲーテの言葉を知らなかった。彼の長い学究人生でついに知り得たことは、学問によっては何も知ることができない、ということだったと。
この作品は最新の芥川賞受賞作でした。そして作者の鈴木さんにとっての初回作品だという。作品全般としては奇抜ではありましたがストーリー性など私のような素人では読みにくくついつい時間もかかって読了した。
[No.661] 5月 29日

小学館「生殖記」浅井リョウ
2024年作・ 296 ページ
・・・ヒトほど文明を進化させたならば、捕食される確率を下げるためとか、狩りの効率を上げるためとか、即ち個体の生存が有利になるための集団行動って、まあ不必要じゃないですか。
あらゆる文明を駆使して、何もせず、他のどの個体とも繋がらず、真空に揺蕩うようにただこの世界に存在することも可能なはずなんです。
でもヒトって、”そこに生きている”というだけの状態が近づくと、すぐにそれ以上のものを求めだしますよね。
これでいいのかとか生きている意味って何なのかとか、人生の価値とか誰かのために行きたいとか何かに夢中になりたいとか。とにかく、生きている、のみの状態からは脱したがります。
ヒト以外の種を担当している時は、そんなことどの個体も考えていませんでした生きることを遂行するすることと命を使いきることがほぼ同義な種と比べると、戦争や天災など滅多なことがない限り命を脅かされずに生きていられるヒトとゆう種は本当にいろんなことを考えていて―――大変そうです。・・・・・
まあ、ここで語っているのは現在ヒトに寄り添って任務を果たしているタマシイ・・?なのだけれど、以前はほかの動物を担当したりしていたのでヒトほど種のために真剣に取り組まない生き物は珍しい…とも言っています。
話は筋からそれましたが達家尚成はもう32歳、大学を卒業して家電メーカーの総務部に勤務している。多和田颯、柳大輔、樹の男3人女一人は同期で会社借り上げのマンションに住んでいる。
しかしこのマンションに住めるのは10年、ですから皆今年にはここを引き払って別の所に移動するかしないといけないことになっている。そんな機会に柳大輔と樹は結婚しようかと考えている。
尚成は今まで誰にも明かすことなく過ごしてきたが実は子供のころから男としての自覚がない、また多和田はこの際会社を辞めてNPO法人LGPTQ関連・・つまり男同士や女同士でも家庭を作れる運動をしたい・・と。
どうしても理解するに苦労します。LGPTQとはいわゆるトランスジェンダー・・と言う言葉をはじめとして昔はレズビアン、ゲイ・・など性的少数派に向ける社会の理念。
そしてここで浅井さんはこの性的少数派の人が大手を振って社会に認められるためには科学の力にも期待したいと考えている。人口の減少はヒトが生殖行動を積極的にしない風潮。それに伴って化学は人工授精をはじめとしての大役を担う。ヒトは多様な価値観の中でもっと自由に種の繁栄を目指すべきだ・・とは私の読後感かな。
この本の中でどうにも引っ掛かる言葉があった。「ヒトが快適に生息できるかどうか‥を基準とした気候変動、海の豊かさ、陸の豊かさですがこれまでヒトが共同体の拡大・発展、成長のためにしてきたことが原因ですでに気候は大変動している。ヒトという種の保存に影響が出始めてやっと気がついて問題視し始めた。ちなみに、本気で”地球のために、できることを”ヒトに問うならば、回答は一つ。絶滅です。そうすればほとんどの目標は達成される」
[No.660] 5月 2日

新潮社「格闘」高樹のぶ子
2022年作・ 411 ページ
・・・ハラショウの柔道競技への姿勢は、その健康さに照らすと屈折している。誰よりも強くなることで、正々堂々勝ち抜く、という本道を外れている。勝利への願望は当然あるに違いないけれど、彼にとっての勝利は単純ではない。
常勝を目指してなどいなくて、時々ハズしている。階級を変えて挑戦したり、番狂わせをねらったり。その不意打ち感で、ハラショウの名前は関係者に知られた。
戦力的にかそれとも生理的にそれしか出来ないのかは解らない。生理的に無理なら戦略的にも不可能だろう。
そのあやしさに私は引き込まれたわけだが、性的なものと何か関係があるのだろうか。一人の人間の公になった部分と、性というあまりに秘められた、外からは判らない部分。
それはどう関わっているのだろうか。・・・・・
私はまだ駆け出しの作家になりたてだった。そしてノンフィクション作品のセオリーとしてその書き出しには主人公の華々しいストーリーの香りがあって読みだした読者はたちどころにその物語にのめり込んでくれるはず・・だった。
わたしは当時一人の武道家として羽良勝利の奇抜な戦績に目を向けた。エピソードもある、それは犬に咬まれたのではなく彼が犬を咬んで退治した・・とか。
さっそく彼に取材を申し込んで何とか受け入れてもらった・・もののこの作品は日の目を見ることなく失敗作となって私の傍らに積もることになった。
年月が経ちいつしかしてある老女が私を訪ねて来た。そう紛れもなくその女はハラショウの陰となり日向となって彼を支えてきた女性だった。その未完の書を読ませてくれ・・と、
私は趣味で絵を描いている。しかし気持ちとしては作家として作品を制作し発表しているのだから何も卑下して趣味だ遊びだと・・逃げ道を作っておく必要はない。
若いころの作品で所謂ボツ・・として扱っておいたものも歳を重ねて思い直してさらに加筆することもある。大概はあえなく最悪のボツとなることの方が多い。
この作家はそのボツとなった作品を見事咲きかえらせることができた。「格闘」はまさしく彼女の自己の格闘を描いたのだ。
[No.659] 4月 14日

TOブックス「最後の医者は海を望んで君と生きる」二宮敦人
2024年作・ 356 ページ
・・・手術ができない。最初は手が震えてメスが持ちにくい程度だったが、今は手術室の空気を嗅ぐだけでも気分が悪くなってしまう。心臓が高鳴り、耳元がぴくぴくするほど脈が速まる。
視界が狭まり、冷や汗が噴き出し、呼吸が浅くなっていく。我慢して立っていると、だんだんと足元や指先が冷え、震えはじめる。
そして貧血のように気が遠くなっていくのだ。原因に心当たりはあった。顔に布をかけられ、手術台に寝ている患者さんが、一瞬青白い死体のように感じる。
ひどい時にはそこに、辻村浩平の顔が重なったりもする。「くそっ」 要するに、怯えているのだ。拳で頭を叩く。鏡の中の自分を睨みつける。顔色は悪い。
あの日あの悪夢を見てから、歯車が狂いだした。以前はほとんど無意識にやっていたことが、できない。指に変な力が入って結紮を失敗したり、メスで切り過ぎたりする。
勝手に誰かだ自分を操っているようだ。こうして手術を離れていれば、嘘のように手は言うことを聞くのだが・・・・・。
武蔵野七十字病院の若き院長、福原雅和はソファーで仮眠をとっていた。今日も3時間に及ぶ手術を終え浅い眠りはいつも快適だった。彼の手術の腕前はすでに周知の如くで彼を名指しで手術依頼が殺到していた。
とうぜん救急指定病院にもなっていたので運び込まれる患者も多くいた。たまたまお店で気分が悪くなって動けなくなった辻村浩平が搬送されてきた。劇症型心筋炎が疑われ心臓の代わりをする装置をつけて回復を待つ・・、というよくある処置。福原が担当した。しかし辻村の体質はことのほか最悪で次々と血管破損による脳出血を併発して亡くなってしまう。
この本は昨年手術入院する前に既に購入して私の書籍に入っていた。ところが私の入院した病院は県立がんセンター・・と言うとても大きな施設。今まで近所の町のお医者さんに診てもらっていろいろアドバイスを受けながら私の病気を善くしてくれようとするお医者さんばかりと接してきたわたしは面食らった。全ては数字と比較した結果であなたは80%・・どうのこうのという言い方である。
福原医師は優秀で働き盛りだったけれどたまたま携わった患者さんの運が悪かったと言えばそれまでですが恐らく男の更年期障害・・なども重なって苦しい日を過ごす。
どんな状況になろうとも私たちが病魔に打ち勝って生きて行くためには多くの医者の苦悩のあることも決して忘れることは出来ません。
[No.658] 4月 1日

新潮社「夏の終わり」瀬戸内寂聴
1963年作・ 227 ページ
・・・昼間は盛り沢山の目まぐるしいスケジュールに追いたてられ、どうにかまぎれていた。ベッドに入る時になると、夢の恐怖は毎晩執拗によみがえってくる。
異常なほど、知子がその夢にこだわるのは、日ごろの知子と慎吾の結びつきによっていた。八年間、知子は目を離せば慎吾が死にそうな不安に付きまとわれ、その危機感にいつでも脅かされてきたのだ。
売れない小説を書きつづけ五十歳まで芽も出ない慎吾には、死にたくなる原因がいくつでも取りまいていた。知子の部屋でも何度か自殺しかけた慎吾を、知子は危うく発見した。
二人で死を計画したこともないではなかった。慎吾を死なせないために、知子は八年間、気をはりつめて生きてきたような形であった。そのためにも慎吾には自分が必要なのだという気負いもあった。
やがて知子には、罰が当たったのだという考えが、不安のしめくくりのように浮かんでくるようになった。知子の考えの中では、罰は、慎吾の妻から八年間夫をかすめていたという不徳義に対してではではなかった。
凌太のことでこの半年余り慎吾を裏切っているということの怖れであった・・・・・。
ソビエトからの旅行を終えて横浜港の南桟橋にモジャイスキー号の大きな船体が入港した時、知子はその桟橋にこともあろうに慎吾と凌太がそろって迎えに来てくれたことに驚いた。
この小説はいわゆる私小説ということで知子に託した昔の瀬戸内晴美自身のことでしょう。晩年は寂聴と名乗って相当な人気を誇り若く悩める女性たちの味方となって教えを説いていた。
夫と別れた知子は出版社に勤めながら売れない小説を書く慎吾と月の半分を過ごしながら元夫の教え子であった凌太とも不倫・・?といっためちゃくちゃな女であったようだ。そんな彼女に教えを乞う若い女たちもどうかと思う。ともあれ現代の社会の中で何が正しい生き方でどんな考え方が間違っているのか混沌としてくる。
[No.657] 2月 18日

文芸春秋「タイムマシーンに乗れない僕たち」寺地はるな
2025年作・ 242 ページ
・・・他の大人の前では言わない続きが、するりと口から出た。エディアカラ紀、海の中で、とつぜんさまざまなかたちの生物が出現しました。
体はやわらかく、目やあし、背骨はなく、獲物をおそうこともありませんでした。エディアカラ紀の生物には、食べたり食べられたりする関係はありませんでした。
図鑑を暗誦した。草児は、そういう時代のそういうものとして生まれたかった。同級生に100円をたかられたり、喋っただけで奇異な目で見られたり、こっちはこっちでどうみられているか気にしたり、そんなんじゃなく、静かな海の底の砂の上で静かに生きていけるだけの生物として生まれたかった。
「行ってみたい?エディアカラ紀」唐突な質問に、うまく答えられない。この男は「エディアカラ紀」を観光地の名かなにかだと思っているのではないか。
「タイムマシンがあればな!」でも操縦できるかな。ハンドルを左右に切るような動作をしてみせる。「バスなら運転できるんだけどね。おれむかし、バスの運転手だったから」
男の言う「むかし」がどれくらい前の話なのか、草児にはわからない。わからないので、黙って頷いた。むかしというからには今は運転手ではなく、なぜ運転手ではないのかという理由を、草児は尋ねない。男が「いろいろ」の詳細を尋ねなかったように。
男がまた、見えないハンドルをあやつる。・・・・・。
父母が離婚して母とこの街に越してきた宮本草児はちょうど12歳の4年生だった。転校してきた日、黒板に大きく書かれた自分の名前の前で自己紹介をしているとき、誰かが笑った。「なんか、しゃべり方へんじゃない?」と呟いたのも聞こえた。
そんな草児の夢中になっているのは町の博物館に行って恐竜を見ることが好きで休館日以外の日はここで過ごす時間が多かった。しかしここでは草児がそのまま大人になったようなおじさんとも顔見知りになる。
エディアカラ紀の生物は平和に暮らしていたんだね、そして背骨や甲冑に覆われたカンブリア紀の動物に食べられたりして絶滅してしまったそうな。恐竜に詳しい草児はこんな世界に生まれてきたかったという。
人は自立、競争社会・・そんな暮らしを良しとしてきました。しかし人生今になってやっと草児の気持ちの憧れがわかるようになってきた気がする。
[No.656] 2月 16日

小学館「アルプス席の母」早見和真
2024年作・ 375 ページ
・・・「いえ、受け取っていただけなければ困ります。そもそも監督さんが活動費をポケットマネーでというのがおかしいんです。これは父母会の総意です。受け取っていただくまで、我々はここから出ることができません」
きっと毎年繰り広げられていることなのだろう。この慣例が始まった年くらいは本気でやり合っていたのかもしれないけれど、いまでは立派な茶番劇だ。佐伯に本気で拒否するという考えはきっとない。
此の期に及んでも、奈々子にはこれが正しいこととは思えなかった。他の名門校にも同じような文化があるとは聞いているが、果たして本当だろうか。例えば山藤学園のあの意識の高い親たちが、あの内田監督がこんな醜態をさらしているとは考えられない。
そう、間違いなくこれは醜態だ。万が一にでも外に漏れれば、野球部は深い傷を負う。それを拒否するために、お金の流れが残らない手渡しという方法を取っているのではないか。
来年はこれを自分が先頭に立ってしなければならないのだ。それからも二人は封筒を押しつけあっていたが、最後は佐伯の方が諦めたように口をすぼめた。
「わかりました。それでは、これは部の活動費として大切にお預かりさせていただきます。しかし、来年以降は絶対にこんなことしないでくださいね。約束してください」
そう流れるように口にして、ため息を吐きながら封筒に手を伸ばそうとした佐伯に、奈々子は無意識のまま問いかけた。
「本当に来年以降はしなくていいのでしょうか?」・・・・・。
秋山奈々子は主人を亡くしてから中学生まで息子の航太郎に野球を頑張らせてきた。その甲斐あって航太郎は大阪の新規共学に伴って開かれた野球部の特待生として迎えられた。
まだ9年目という時になってそろそろ甲子園を目指す雰囲気もできてきて監督も父母会もさらに過熱してきた。奈々子も一層のこと航太郎は寮生活するとしてもこのまま神奈川に居てもしょうがないと大阪に越してきてしまった。
そして父母会の役員に押されてはいったところ常識では考えられないことが平然とされていて驚いた。
日本の社会底辺にある贈収賄。先般のオリンピックでもとんでもないことが平然と行われていた。彼らの意識の底辺には恩義に金銭や物品で賄うという習慣は恐らく企業トップの丁稚奉公の時から親方に厳しくしつけられていて習慣化している。
チョットした手土産、おことづて・・など「本の気持ちだから・・」。気持ちは言葉だけで伝わらせたい、「これは私の仕事ですから受け取れません」の強い意志は中々この世代が死ななければなくならないことだろうか。
[No.655] 2月 14日

文芸春秋「夜に星を放つ」麻見和史
2022年作・ 235 ページ
・・・それでも、会は進み、いつの間に園部が話をしたのか、僕は帰り道が同じ方向の宮田さんと同じ電車に乗ることになった。午後十時を過ぎた電車はそれなりに混んでいて、乗客に押され、僕と宮田さんは車内で向き合う形になった。
鞄を抱えた左手が小柄な宮田さんの目の前にある。彼女は左手の薬指を指で指して言った。「ここにまだあるんですね」視線を下げて彼女が差す場所を改めて見た。確かにまだうっすらとあとがあった。
結婚指輪を外しても、この指輪のあとのように、希里子と希穂が自分の前からいなくなったという事実は僕の心のぬかるみに深い轍をつけたのだった。
宮田さんになんと言葉を返したのか記憶すらない。そこからは記憶が点状だ。どちらが言い出したのかも曖昧だ。僕らは新宿で降りて、人気の無い地下のバーにいた。
いつもなら、僕は酔っていた。宮田さんは酒が強く、終始、冷静だった。僕は彼女に甘え、酔いにまかせた勢いで、彼女の肩にしなだれかかったような気もする。
強いカクテルを何杯も飲んだ後、店を出て、地上に続く階段で思わず彼女の腕を引いて、やんわりと拒否された。
「指輪のあとがあるうちはやめておいたほうがいいんじゃないですか」・・・・・。
沢渡は三十七歳になった。中堅医薬メーカーの営業社員として頑張ってきたのに突然に妻希里子から別れて娘の希穂とともにアメリカのアリゾナ州で暮らすことにしたから・・と言われて別れてしまった。
毎晩遅くまで仕事をしている間にいつの間にか自分はそうしていることによって彼女たちを支えることになると考えていただけに大きな喪失感を味わった。
そんな時後輩の園田から合コンに誘われた。曖昧な返事をしていたらいきなり今日ですが覚えているでしょうね・・と言われて驚いた。事実まだそれほど乗り気ではなかったけれど気晴らしにと曖昧な返事をしていたらしい。
現代の社会自体が人間性の希薄さに拍車をかけているのでしょうか。皆がそれぞれに短気で気難しくてそして無駄な時間を作っている気がする。
窪さんの作品には彼女自身が感じる男女の短気さを赤裸々に綴っているようです。私も全く同感です。
[No.654] 2月 12日

文芸春秋「時の残像」麻見和史
2024年作・ 349 ページ
・・・秀島はというと、食べ終わった四人分の皿を重ね、ジョッキを一か所にまとめている。今日も彼は几帳面だ。藤木は秀島に話しかけた。
「昨日、妻の遺品を片づけていたんだよ」「ああ・・・そうだったんですか」「クローゼットの上の方を調べたら、妻のノートが出てきた。ぱらぱらめくったら、俺の名前がちらっと見えてさ」
秀島は食器を片づけるの手を止め、藤木の顔をじっと見つめた。「読んだんですか?」「…いや、なんだか怖くて、呼んでいない」しばらく考えた後、秀島は居住まいを正した。それから諫める調子で言った。
「絶対に読まない方がいいと思います」「自分でもそう思ったんだ。でも何が書いてあるか気になっていてね」「いいことであっても、よくないことであっても、今の藤木さんにとってはきついと思いますよ。下手をすれば、また鬱っぽくなってしまうかもしれない」
「いや、仕事にも復帰したし、もう大丈夫だと思ってるんだけどな」「そういう時が危ないって聞いたことがあります。奥さんのノートを見るなんて、わざわざつらい思いをしに行くようなものですよ」・・・・
藤木靖彦は警視庁殺人課でバリバリの刑事をしていた。50歳の働き盛りの最中に妻の裕美子45歳をがんで亡くした。藤木は事件の捜査に明け暮れて妻もそんな藤木を支えてくれていた。
藤木はそんな妻に対して何時まで経っても後ろめたさを感じていた。もっと妻の体のことに気を使ってさえいたなら少なくとも手遅れになるようなことなどなかったのに。
職場に復帰した藤木を気遣って藤木は第一線ではなく凍結事案捜査班に秀島や石野らとともに新しい仕事に取り掛かった。
小説としては所謂警察小説という分野があるかどうかわからないがその一環として読んだ。私自身藤木と同じ気持ちに同感することしきりであった。今の私でも妻のノートが出てきたとしたら・・それは複雑だ。
しばらく時間はたっぷりあったけれど放射線治療をしていると疲れたわけではないのに本を読み始めると15分くらいで寝てしまう。もう今月も中旬が近い。
[No.653] 1月 27日

朝日出版「ペッパーズ・ゴースト」伊坂幸太郎
2024年作・ 416 ページ
・・・そこから彼は、自分が中学教師であること、担任クラスの生徒が自作小説を読ませてくれ、そこにネコジゴ・ハンターとしてロシアンブルとアメショーなる二人が出てくるのだと話す。
いったいどういうストーリーなのかと聞けば、猫を虐待してきた人間たちのもとを訪れ、次々と拷問まがいのひどい目に遭わせていく、という。嘘を言っているようには見えない。
「心配性で、悲観的なロシアンブルと、楽観的で軽快なアメショー、あ、呼び捨てにしてしまいましたがそれは、小説の中の登場人物のことなので」「シアンさん、ほら」アメショーは喜びを隠そうとしない。やっぱり地球は青かったじゃないですか、と興奮するかのようだ。
「どっちかですよ。二択。この先生が小説の中に入ってきたのか、もしくは僕たちが小説の外に出て来たのか」檀先生は目を丸くし、どう相槌を打とうか悩んでいる。・・・・・
中学で国語の教師をしている檀千郷は父が亡くなろうとする寸前にとんでもないことを打ち明けられる。代々血筋で相手の飛沫を浴びるとその人に感染してその人の未来を知ってしまうというものだ。そして教え子の父親が悪い奴らに拉致されて大変なことになることを知り、それを阻止しようとして逆に捕まってしまった。
生徒の布藤鞠子は小説をよく書くので読んであげることがままある。ネコジ・ハンターなる二人組がが登場してきて猫を虐待した人間を懲らしめる‥、そんなストーリーだ。
檀は監禁されたトイレから大声で助けを求めたときにあらわれた二人組は・・まさしく小説の中にいた主人公だったのだ。「この先生という奴、怪しそうだけど取りあえず助けようか・・」
わたし自身この小説のあらすじを書いてみても何かさえない。しかしなかなか面白いことは面白い。ちょうど私は抗がん剤の科学的予防処置として抗がん剤と放射線の治療プログラムの最中で副作用もあってこらえ性がない。30分も本を読んでいるとすぐ眠くなる。目覚めてつづきを読むと前読んだ記憶が飛んじゃって話が繋がらない。
その方がよかったかも。ただ最後はどうやって教え子の小説から離脱できたのか・・
[No.652] 1月 19日

小学館「人面島」中山七里
2022年作・ 354 ページ
「・・・逃げ場のない絶海の孤島なら尚更だ。コミュニティに侵入してきた異物が有害だと認識した途端、排除にかかる。法律も良識もない。不安からくる恐怖と憎悪だけで動くようになる。
どうせお前のことだから、日本人は礼儀正しいからリンチはあり得ないとか思ってるんだろ。それは、お前の、か・ん・ち・が・い。礼儀正しさの裏にはたいてい陰湿さが同居しているもんだ。
手前ェの顔も見えない、素性も分からない匿名の下でなら日本人はいくらでも残酷になれる。その陰湿さが他人への攻撃に向けられた時のすさまじさを想像したことがあるか」
「ちょっと大袈裟だと思うけど」「さっき組合長の事務所の連中に囲まれたのをもう忘れたのかよ、若年性慢性記憶喪失。あと一瞬事務所から飛び出すのが遅かったら、お前は間違いなく袋叩きにあっている」・・・・・
長崎県の港から30qの沖合にある島からの依頼のため相続鑑定士の三ツ木六兵衛は小さな連絡船に乗った。ここは遣隋使、遣唐使の盛んな頃には寄港地として利用されそれなりに活気もあった。しかし今では本島と離れること30qというのは既に異次元の生活様式も生まれている。
面積も20キロ平米、人口わずかに412人の住むこの島は昔からのしきたりと今もって網元と地主に支配された独特な雰囲気を醸し出している。そしてここの村長であり大地主の首領が無くなったということで遺産分割協議をしなくてはならない状況であった。
しかし三ツ木が調べていくうちにこの島の歴史の中には隠れキリシタンの伝統が根強く残りそしてこの地主の家族の性格も大いに分かれていたのだった。・・
かなり期待をもって面白く思い読み進めていったが‥、落胆してしまった。絶海の孤島に浮かぶ隠れキリシタンの末裔たちのその後・・あたりを期待したのだがシチュエーションは八墓村・・?と変わらないあらすじだった。
旧家の相続に関して次々と殺人事件が起きて・・しかも運悪く台風の襲来で・・つまり人間の推理で状況を作り出していく何のとりえもない本だった。
[No.651] 1月 17日

光文社「らんぼう」大沢在昌
2024年作・ 312 ページ
・・・「なんか・・・事故っていう話を聞いたけど・・・」「それが不思議なの。昨日の朝、巡回に車ででかけて、夕方になっても帰ってこなくて…。そうしたらパトカーが黒沼のあとにはまっているのが見つかって‥」
「体はきれいだな・・」イケはつぶやいた。「ええ。町から検死にきて下さったお医者さまが、たぶん車が道から落ちた弾みにハンドルで強く胸を打ったのだろうって。それで心臓が‥」「解剖はしなかったんだ」
「だって‥今からお父さんに痛い思いさせたくないしー」「パトカーって、横に止まっていたあれですか?」ウラが口を開いた。聞いていた農家の一人が言った。「おうと。さっきな、与一んとこのトラックのウィンチでもって引き上げてきたで。前がちっと傷んでたが、立派にまだ走った」「警察の人は?」
「ああ…。町の交通課から何人か気とったけど。別に、何も言うとらんかった。まあ、パトカーだから、いずれお国に返さなけりゃならんだろうが」「そうですか」ウラが何かいいかけたとき、その機先を制してイケがいった。イケはもう一度、遺体の顔を見おろした。ごま塩頭を短く刈った、頑固そうな顔立ちに目を注いだ。つぶやくような低い声で言った。
「よくひっぱたかれたっけ。駐在さんがいなけりゃ、俺はきっとグレてた」・・・・・
赤池ことイケは東北の寒村で父母に捨てられて当然な暮らしをしていた時ここの村の駐在をしていた小林さんが亡くなったと聞いてお悔やみに帰郷した。一方大浦ことウラは名前の通り身長185cっもある大男二人ともけんかっ早くてめっぽう強い。そんな相棒を組んで東京の警視庁刑事をしている。
イケはどおしても恩があるので来なくてはならなかったがウラは非番だから泊る所があれば一緒に行くよ・・と言うことでイケの車に同乗してついてきた。しかし二人はこの小林警部の死に不信を抱いて事故見分をしに行った。・・
この本には一見粗暴な組み合わせの刑事が管轄内の暴力団に強い目を光らせて力ずくで問題を解決していく痛快ドラマ、まるで低俗な娯楽漫画を見ているようだ。
たまにはこんな気晴らしの本も入院中の気晴らしになる。
[No.650] 1月 16日

玄冬社「迷うな女性外科医」中山裕次郎
2024年作・ 246 ページ
・・・「医者をやっていると、ついつい人間をパターン化してグループに分けたくなる。腎臓が悪い人は生活態度が悪い人、食道癌になる人は破滅的で酒タバコ、乳癌は細かい性格で神経質、大腸癌は大雑把でよく笑う小太り、てな感じでな。それはある意味で間違ってはいないんだよ」
そうなのだろうか。まだ医者になってわずかの自分には、よくわからない。
「だけど、それはただの傾向だ。わかるか、傾向。ただそういう傾向にある人が多いだけで、その人が本当はどんな人かってのはわからないんだよ。その人と深くかかわって、長いこと一緒に治療をするわけでもなけりゃ」
岩井は喋りながら一口、また一口とカレーを食べていく。半分以上食べてしまったのを見て、玲もあわててスプーンを口に運ぶ。・・・・・
佐藤玲は外科医である父親の影響もあって富山の医学部を卒業すると実家のある東京に戻って外科医として牛ノ町病院に勤務する。上司外科医の岩井修道は私の学年ではありえないレベルの執刀機会を与えてくれる。だから玲もそんな環境に感謝しつつ気を引き締める。
医師として七年目を迎えたが初めの二年は研修医だったから、外科医としては五年目になる。・・
実はいま私は食道がんのために埼玉県立がんセンターに入院している。最終段階で予防的治療とし化学療法をすることになりました。たまたま担当医は女性消化器の医師となったのでグッとタイミングな書物。しかしこの本では食道がんは破滅的で酒飲みの傾向・・?、クッソ、オレのことかい。
この頃のお医者さんでの対応はどこでも患者と対面で各種の方策を教えてくれてさて、どれにしますか?‥的な対応が感じられます。でもその中に医師としての厳しい対応も伺えます。・・
この作品は中山さんのお医者さんシリーズの中で「泣くな研修医 7」として登場する作品です。
私の年になるとお医者さんとのお付き合いも多くなってきます。もっとお医者さんを好きになってお医者さんからも愛されるような老人を目指したい。
[No.649] 1月 14日

新潮社「アメリカン・スクール」小島信夫
1955年作・ 365 ページ
・・・山田はひとりキゼンと立っていた。山田はジープが止まる毎にそれに近づき、おそれ気もなく、挨拶をかわしていたが、そのうちの一人が彼につかまった。彼は英語でこう云った。
「われわれは本県の英語の教師の一部です。われわれは英語を大変愛好しています。われわれは英語の教育に熱心です。われわれは新しい教育法を実行しているのです。われわれは御国の英語の先生にも負けないほどです」
「お前さんたちはそんなに熱心なら、何のためにこんなところに朝っぱらからうろついているんだい」相手はジープに片肘ついてめんどうくさそうに云いながら煙草を一本よこした。山田はそれを断った。「煙草はけっこうです」
「それでお前さんが指揮者なのか」「指揮者は県庁の役人です。もう集合時刻をとっくにすぎているのですが来ないのです。役人は怠慢でよくない。しかしそういう日本人ばかりではないのです」・・・・・
この作品は戦後10年ころ、日本の英語教師たちがアメリカンスクールを見学しようとしていたころの風景を面白おかしく表現している。英語教師としてプライドを持ち盛んにレベルアップを目指す者もいれば人数合わせのため止む無く英語教師というレッテルを張られてもがく者もいる。
私たちが社会人現役の時、パソコンなるものが仕事の中に浸透しようとしていた。いち早く自分のツールとして積極的に導入しようとした人もいますが中にはパソコンの傍らにも寄り付かずに済まそうと逃避体制の人も多くいた。
何か似た雰囲気を感じさせて興味をもって読み進めた・・。
当時この作品は芥川賞受賞作・・と聞く。近年改めて新潮社から復刻電子版として登場したので読む機会を得た。
その他も含め8編から成っていて文章の根底にはいずれもユーモアが隠されていて好感が持てる。
[No.648] 1月 6日

実業之日本社「星がひとつ欲しいとの祈り」原田マハ
2014年作・ 271 ページ
・・・恋する女が、どんなに狂おしく変態し、焼かれる覚悟で炎に身を擲つか。真夜中過ぎ、音もなく、わたくしの寝室のドアが開きました。その夜、わたくしを訪れる人がいる、とヨネから告げられていました。
ご自分のすべてを開いて、お委ねなさいませ。お忘れなさいますな。嬢さまは女、恋する女なのですから。浴室でわたしの体を隅々まで清め、ベッドの周りいっぱいにバラの花を活けて、ヨネは準備をしてくれました。
わたくしとあのかたが、たった一夜、一度だけ、思う存分、結ばれるように。あのかたが、やがてわたくしの身体に触れる瞬間を、わたくしは息を殺して待ちました。
そしてとうとう訪れた、打ち震えるほどに甘美な、悲しく、激しいその時。・・・・・
出張で訪れた松山駅前の市電停留所で文香は電車のドア横の広告部分に「かあさん かいじゅうになっても だいすきだよ」と書いてある言葉を見て納得した。ことばのまち松山に来たのだ。
ホテルでマッサージをお願いしたが約束の時間になっても現れない。・・と、目の不自由な老婆がドアにノックをした。なかなかの腕前を感じさせた、しかも方言のない話ことば・・恐らく東京の山の手で裕福なくらしをしていなかったのではないか・・。なぜこんな場所で老後をこんなところで‥と思いながら、気持ちも緩み寝入ってしまった。
翌朝フロントで頼んだマッサージの料金の未納を告げると、フロントの係は、申し訳ありません昨夜はマッサージがどうしても都合つかず・・。
この本は短編が7編で構成されている。今まで原田さんの作品の多くは最近作しか読んでいなかったので美術関係の本が多いのかなと思っていた。この作品は2014年・・そう言えば2〜3点の作品に私の知らなかった分野の作品もあって感銘を受けていただけに納得した。
