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読後感想文
Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife
あなたのご来場は番目になります
わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。
妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・
先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。
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[No.611] 4月 25日
文芸春秋「太陽の棘」原田マハ
2016年作・ 281 ページ
・・・・ついに、沖縄人の手による、沖縄人画家の展覧会が開催される。画期的な出来事だった。「沖縄タイムス」は、六月から活字印刷になり、規格化の住民たちのもとにも毎朝、新聞が届くようになった。
その紙面に「第一回沖縄開催決定」の文字が躍った。まるで待ちに待ったハリウッド映画がようやく見られるみたいに、誰も彼もが心底楽しみにしているんだーーーと、タイラが興奮気味に教えてくれた。
興奮していたのは、タイラばかりではない。シマブクロも、ナカムラも、ガナハも、ナカザトもーーーニシムイの芸術家たちは、全員、大変な騒ぎだった。
ニシムイ美術村ができてから一年余り、将校相手に肖像画や風景画をこつこつと売り、クリスマス・カードを制作して・糊口をしのいできた。・・・・・
エドワード・ウィルソンは子供のころから絵が好きで見るのも描くのも大変興味を持っていた。しかし素直で純真な彼はうまい具合に父親にコントロールされていつの間にか医科大学の学生になっていた。
大学院に進み将来は精神科医として活動しようと勉学に励んでいた時戦争が始まっていた。そして軍医として終戦の沖縄に赴任することが決まった。しかし焦土と化した沖縄の山中に絵を描く集団を発見した。
まだアメリカの占領地だった沖縄で米兵の規律として現地の者と親密な関係になることは許されなかった。エドワードとてその軍規に従うべきではあったがその集団と心を通わせることができてしまった。
まさに話す言葉は分からなくてもその意思を十分に読み取ることはたやすかった。彼は結局軍規違反の末本国に強制送還されてしまうが沖縄の画家たちとは遠く離れても心はひとつだった。
[No.610] 4月 21日
水鈴社「スピノザの診察室」夏川草介
2023年作・ 292 ページ
・・・・「浮腫んでいるね」哲郎の声に、看護師が首を傾げた。「そうですか?そんなに変じゃないように見えますけど」「見た目は変じゃないが、もともと脛に骨が浮いているくらいの?せた足の方だよ」
普通に見えることが、この患者の場合は普通ではない。高齢者の診療ではよくあることだ。「おそらく心不全だろう。とりあえずレントゲンと心電図を確認しよう。それからフロセミド0.5アンプルを準備して」
淡々とした哲郎の指示に、看護師は素早く駆け出していった。「食べた方がええかねぇ、先生」「いや、無理しなくてもいいでしょう、きくえさん。人間、食べたくない日だってあります。ただ、おじいちゃんのお迎えはまだかな」
「そら残念や。先生は、こんなおばあちゃんにも、まだまだいろんな治療をするんか?」「動ける人には、それなりに力を尽くすというのが私の方針です」「動けんようになったら?」「そのときは」わずかに考えてから、哲郎は笑った。「静かにおじいちゃんを待ちますか」・・・・・
天下の洛都大学の優秀な医師だった雄町哲郎だったが妹を亡くしてしかもその子、中学生だった龍之介を引き取ることを決めた。そのためには大学の医局を辞めて町の医院に努める必要があった。
大学病院と町医者では当然診る患者の質は圧倒的な違いがある。町医者としてはまず高齢者がそのほとんどを占めそして看取ることまでを司らねばならないということだ。哲郎はこの町の医院で多くのことをさらに学ぶ。
・・・。
題名になる「スピノザ・・」ってなんだ?、と調べてみると1600年ころのオランダの哲学者の著による精神論。雄町哲郎は最先端技術を持つ大学病院の中で科学によって人間の病気などの悩みを解決できると信じてきた。
しかし市井の小さな病院にいて日ごろのおじいさん、おばあさんと接してみると・・・いやいや、医療で何でも治せると思っていたものなんてないに等しい。それではお祈りすればいいのか・・?、最先端技術を持つお医者さんの苦悩は続く。
[No.609] 4月 12日
光文社「リカバリー・カバヒコ」青山美智子
2023年作・ 200 ページ
・・・・サンライズクリーニングのおばあさんが言ってたみたいに、ぼくらは生まれてからまだ十年しか経っていなくて、知らないことばっかりで、これからたくさんたくさん、いろんなことに出会って、いろんな気持を味わっていくのかもしれない。
何が好きで、何が苦手で、何が楽しくて、何がつらいのか、試しながら覚えていくんだ。誰かの目を気にして、カッコ悪い自分を見せないように、笑われないようにって縮こまっていたらきっと、それがどんなことなのかわからなくなってしまうだろう。
だから、ぼくがぼくを決めていく。これからもひとつずつ。・・・・・
栃木と東京を行き来していたお父さんの本社勤務が決まったときもうこのまま東京に腰を落ち着けようということになり「勇哉、転向することになるけどいい?」と母親に聞かれたとき勇哉は別に・・とそっけなかった。
そして5階建てのアドバンス・ヒルと言うマンションに越してきた。勇哉は学校に行ったところこの学校の行事で全校クラス別リレー対抗があってクラスから3人出ることになっている、ふたりは決まっているが残りはくじ引きで決めると先生が告げた。勇哉はくじに当たってはいけないとシップを張ってびっこを敷いて学校に行ってくじは出来ないと申告して逃れた。しかしその日の夕方から別の足が急に痛み出した。
このマンションのすぐそばに公園があって古ぼけたカバの置物があって「このカバの具合の悪いところを触ると治っちゃう・・」とクリーニング屋のおばあさんに聞き・・・。
このマンションの1階から5階に住む住人それぞれの悩みをカバヒコとクリーニングのおばあさんは見守ってきた。
本屋大賞にノミネートされたというこの本、現代社会の人々がそれぞれにひそやかな悩める病を晴らしたい・・そんな希望でもあるのかな。
[No.608] 3月 26日
講談社「星を編む」凪良ゆう
2023年作・ 336 ページ
・・・・いまだって校了明けのへろへろの状態で愛媛に飛んできて宣伝に励み、明日はテレビの収録を終えたら、すぐ東京に戻って会議に出る。
二階堂さんも似たようなものだろう。四十も越せばいろんなことが落ち着くと思っていたけれど、現実は物語のように章立てなどされず、打ち寄せる波のように区切りもなく続いていく。
「櫂くん、わたしたちのこと見て笑ってるかもね」後ろに両手を突いて、二階堂さんが砂浜にサンダルの足を投げ出した。「かもね」−−−二人とも、そろそろ楽してもええんやで。
そう言って笑う櫂くんが目に浮かぶ。ーーーでも櫂くん、ぼくも二階堂さんも、大変なのは嫌いじゃないんだよ。ただひとりの恋人に、ただひとつの星のような物語を遺し、すべての悩みから解き放たれた櫂くんが少し羨ましい。
櫂くんと尚人くんはもういないけれど、ふたりが遺した作品にはいつでも会える。そこには埜櫂と久住尚人と言う人間の魂が宿っている。どれだけ近くに寄り添って物語を共に作ろうと、ぼくたちは星にはなれない。けれどぼくたちは光り輝くそれを愛して、編んで、物語を必要としている人たちへとつなげることができる。ぼくたちは、ぼくたちの仕事に誇りを持っている。・・・・・
この作品は「春に翔ぶ」「星を編む」「波を渡る」の三部からなっていて。北原草介と言う男が家庭の財政状況の悪い中苦学し大学では院まで進んで研究者としての道を進みながらも中退して高校の教師となる。
しかし生徒を守るために教師を辞め妊娠した子供を自分の子として育てる、住む場所は瀬戸内海に浮かぶ島。島にはいろんな人が移り住むその中に造船所に働く男を追ってついてきた女の子、埜櫂がいて高校生になると特異な創作の芽が出て人気作家になる。そして彼女ができるものの夭折した櫂と一緒になれなかった暁海は島で教師をしていた北原草介と同居する。
一方東京の出版社では若くしてその才能を認められながらも夭折した埜櫂の作品をもう一度世に出そうという動きも出てきた。
こんな作品ってあっただろうか。読んでいるうちに以前読んだ作品とリンクしていることが頭から離れない。…何の本だったんだろう・・、途中で辞めてその本を探した。凪良ゆうの作品だろうと思ったが昨年に読んだ「汝、星のごとく」(No.576)だった。この作品を書く過程でかかわりあった登場人物のそれぞれの生きざまも書いてみたかったというのが作者の弁。
[No.607] 3月 26日
毎日新聞「水車小屋のネネ」津村記久子
2023年作・ 650 ページ
・・・・その場にいる人たちは親しい間柄の人もいればそうじゃない人同士もいたけれども、おおむね楽しそうに話したり、律と同じように静かに座っていたりした。
しばらくの間、自分という人間がおらず、何もしなくていいように感じることを気分良く思いながら、律は去っていった守さんや杉子さんや、この場にいない藤沢先生のことを思い出していた。
彼らもその場にいるような気がした。誰かが誰かの心に生きているというありふれた物言いを実感した。むしろ彼らや、ここにいる人たちの良心の集合こそが自分なのだとという気がした。
律はプリンを食べながら、背中側の壁にかかった杉子さんの絵を見上げた。最後に描いた、菜の花とそれにつかまるてんとう虫が前景に描かれた、菜の花畑の絵だった。何か言葉を思いつくことは無かった。
ただ、満足だと思った。・・・・・
姉の山下理佐は高校を卒業して短大へ行く予定だったその短大からまだ入学金が収められていませんが・・と電話を受けた時わかった、母親が新しい男の事業の資金に使いこんでしまったことを。
その新しい男というのは妹のまだ小学3年生の律にひどいことを平気でしてしかも、母親はそのことに男をとがめることも出来ずにいるしょうもない体たらくだった。
理佐は妹の律をつれて離れた山間部の蕎麦屋さんの求人広告に誘われて住み込みで働くことにした。蕎麦屋さんの自家製のそばは前日に水車で引いた粉を提供していて味香り共に評判のお店だった。
その水車小屋には先代のお爺さんのときから飼われていたインコ・・に似たヨウムがいてその名を「ネネ」といった。その鳥はとても賢くお話もするし水車の石臼にソバの実を継ぎ足すときソバが減ってくると監視していて「・・からっぽ、だよ!」と教えてくれるので石臼を空運転で壊さない役目もしてくれていた。そして長い月日が流れて30年のあいだにはいろんなことが起こった・・。
30年の間に理佐と律・・ネネの周りの人たちは大きく変わったが唯一ここに集まり離れていった人たちは皆一様に人に対する思い遣りと優しさに包まれた人たちばかりだった。そんな人たちに囲まれてきたおかげで今の自分ができているのかな・・と律が感謝しながら日々を送る。・・・そう、わたし自身もそんな気持ちで過ごしている。
[No.606] 3月 20日
幻冬舎「ゴッホのあしあと」原田マハ
2020年作・ 193 ページ
・・・・「あれ? ゴッホって、全然セーヌ川、描いてないな」って。他の印象派、後期印象派の画家たちの多くはセーヌ川を描いています。パリと言えばセーヌ川。セーヌ川の流れる中心部は景色が美しく、ポン=ヌフの橋などを描けば、パリらしい絵になるからです。
しかし、ゴッホは、私の知る限りでは、パリ中央を流れるセーヌ川を描いていません。描いていても、わざわざ支流に行って、洗濯する人がいたり、馬車がのんびり通っていたり、田舎ののどかな風景です。
パリ市内を描くにしても、当時は畑の広がるモンマルトルの風車小屋、場末のカフェやムーランルージュなど、田舎臭い光景ばかり。折角パリに住んでいるのに、美しいセーヌ川や、街中の大通りなど、華やかなパリの風景はほとんど描いていないのです。
パリという、絶世の美女の眼をまともに見られない。彼女がまぶしすぎて正視できないから、彼女の横顔や指先、後ろ姿ばかりを描いている。
ゴッホに比べると、ルソーははるかに大胆で、セーヌ川に、エッフェル塔。バカにされてもへっちゃら。直球で描いています。きっと、「おお、セーヌ、美しい!一番美しい君を描くよ」などといいながら。「アンタなんかあっち行ってよ!」といわれても全然気にしない。それがルソーの良いところです。
ゴッホは生真面目すぎて、パリと言う世界の中心に受け入れられない劣等感に苛まれていたと思います。最後まで彼はパリのアウトサイダーでした。でも本当は、正面切ってセーヌを描きたかったのです。・・・・・
原田マハさんの作品にまた巡り合いました。原田さんは幼少のころから絵を描いたり見たりすることが好きだった・・と書いていますがほかの作家に比べてゴッホの作品は怖さが先だってしまって絵を見て楽しめなかった・・と述懐しています。
わたしもほぼそんな感じを幼少のころから抱いていました。それだけ自分の内面を深く掘り進む作品に凄さを感じたのだと思います。
晩年の作品に夜空の星を描いた作品を原田さんが表紙の絵に使いたい・・と言った時編集者さんが「この星の流れはセーヌ川・・じゃない?」。その時なぜか私の気持ちは張り裂けそうになりました。ゴッホのパリにあこがれた気持ちをこれほど代弁した言葉は見つかりません。
奇しくもゴッホと弟の手紙のやり取りはテオの妻と息子によって後世に伝えられましたがゴッホの文学者としての才能も見逃すことはできないでしょう。
[No.605] 3月 20日
角川文庫「 遺品」若竹七海
1999年作・ 368 ページ
・・・・「祖父さんが曾根繭子のパトロンだったとは言ったよな。繭子の母親が祖父さんのまた従姉妹にあたるとかで、祖父さんはそれが縁で繭子の後ろ盾になったわけだ。
もともと祖父さんは独学で英語とドイツ語を身につけたという男で、作家や俳優目指して挫折している分、文化人ってもんにコンプレックスがあったらしい。
当代きっての才媛のパトロンになって得意満面だったんだが、逆に繭子の方にしてみれば、パトロンがいるなんてことはあんまり表沙汰にはしたくない。
祖父さんにもそれがわかるから、自慢したいのをぐっとこらえる。その結果、どういうことになったかというと―――」
孝雄は思わせぶりに言葉を切った。私は不承不承尋ね返した。「どうなったんです?」「祖父さんは曽根繭子の熱烈なコレクターになったんだ」「コレクター?」
生原稿やら写真やら、映画や台本、衣装、そんなものを金とパトロンの地位にものを言わせて集めまくったのさ。繭子が失踪し、自殺したらしいとなった時、祖父さんは集めた資料を銀鱗莊の一室に移して封印しちまった。・・・」
わたしは葉崎市立美術館の学芸員として勤務していた。元々この美術館は地元の名士だった旧家の寄贈された絵の始末に困った果てに政治家が、美術館を建ててそこに押し込んでしまおうと画策したものだった。
学芸員としての私も各種企画を立て市民のためになる企画を考えていた矢先、市長選挙に革新系市長が当選してから風向きが変わってしまった。
美術館は閉鎖し私は廃品回収の業務に配置転換され即辞表を出して止めてしまった。そこに新たな話として俳優であり作家であった曽根繭子の遺品を系統だてて整理してくれないか・・。
ストーリーとしては大まか私の推理したように進んだが作者はこの作品にオカルト性を込めもっとミステリアンにしようとしたところから私的には作品としての無理・・を感じてしまった。
[No.604] 3月 6日
講談社「 密 会」吉村 昭
1971年作・ 313 ページ
・・・・圭吾が羽田の国際空港を夜の散策の場所の一つとして選んでいるのも、活気のある空港の夜景を楽しむというよりは、子供連れの姿を目にしたいという潜在意識があるためなのかもしれない。
夜間に、子供の姿を多く見ることができる場所は、この都会でもごく限られたところしかないのだ。圭吾は、ロビーの椅子に座って送迎客の動きをあれこれと眼で追いながら時間を過ごすと、チェッカーに硬貨を刺しこんで送迎デッキに出る。
そして、人々にまじって色光の散った空港とその中を昆虫のように発着する航空機の姿を、子供のような眼で飽きることなく見続けるのだ。
その夜も彼は、デッキの真下ですでに乗客を吸い込んだ北極回りヨーロッパ行きジェット旅客機を見下ろしていた。発射準備が完全に整えられたのか、突然エンジンが全開して、煙をまじえた噴射ガスがデッキに凄まじい勢いで吹き付けてきた。
彼は、口をおおうとその風を避けるためにデッキの先端のほうへ小走りに歩いたが、なに気なく振り向くと、不意の風圧に戸惑ってしまったのか顔を覆って立ちすくんでいる一人の女の姿が目にとまった。
彼の足は、自然とその女の傍らに走り寄ると、スプリングコートをはためかせている女の肩に手を当ててデッキの先の方へ連れて行った。・・・
圭吾は化学繊維会社の総務課長補佐、地味な職場ではあったが会社員としての不満はない。しかし妻はお針子を十名近くも抱えて手広く洋裁店を経営していた。
しかもその収入は敬語のそれを上回り肩身の狭い思いをしていた。それに輪をかけて子供好きの圭吾の意志とは裏腹に小づくりをためらうようになってきた。
そして圭吾は子供の良く見れる空港を訪れるようになっていた。
いわゆる専業主婦にあきたらずその領域を広めていく・・そんな家庭も時としてあるでしょう。そこにはお互いの間でここまでは・・と言う了解のうちで進められるべきではないでしょうか。
圭吾の場合そんな寂しさから空港の散歩、そして見知らぬ女との密会・・・とよりどころを求めてしまう。・・
[No.603] 2月 20日
中央公論「 黄色い家」川上未映子
2023年作・ 641 ページ
・・・・私は黙ったまま何も言えなかったけれど、蘭の言葉に、じいんとしていた。音が聞こえるくらい、じいんとしていた。
たしかに自分はこれまで何度もひどい目に遭ったと思うし、今だって焦りや不安を誰とも共有できない淋しさや、やりきれなさのようなものを感じることがあった。
でも、ちゃんと見ててくれたんだなと思った。わたしの苦労と言うか、そういうのをちゃんとわかって、見ててくれてるんだなとそう思った。蘭だけじゃない。
黄美子さんもおなじように見てくれていたんだ。そう思うとさらに胸は高鳴り、まぶたの周りが熱くなった。
「そんなふうに言ってくれて、嬉しいよ」「うん。でも、べつに花ちゃんを喜ばすために言ったんじゃないよ、ほんとに思っていることを言ったんだよ」
蘭は笑った。「でも、嬉しいって言ってくれて嬉しいよ」・・・・
伊藤花はもう中学生ころになると母親が家に帰ってくることも少なくなり・・いつの間にか気が付くと知らないオバサンが隣に寝ていて‥でも母のパジャマを着ているし。
吉川黄美子という母の勤めていたスナックの同僚が泊まりに来て居たり‥でもなぜか黄美子には親しみを感じていた。母は時々男友達を変えたりしたが花が高校生になってアルバイトで得てためていたお金をその男に盗られた。
それを機会に花は黄美子を頼って家を出る。縁があってスナックを始めそして同年代の友人二人と4人で奇妙な暮らしを始めた。しかしそのスナックは同居ビル内の失火がもとで失ってしまう。
黄美子の繋がりには所謂大きな裏金を操作するグループがあってそこの手伝いをすることによって生活費をしていたが花たちの目標はあくまでスナックを再建する資金を稼ぎたかった。
しかし未成年で身元も知れない自分たちにそんな再建案は夢物語だと気づき仲間割れとなる。・・
[No.602] 2月 14日
角川文庫「ムーンライト・イン」中島京子
2021年作・ 359 ページ
・・・お返事を、なかなか差し上げずにいたことを、どうか許してください。妹が今朝、天国への橋を渡りました。ご存じのように、もともと体が弱かったのですが、その割には長いこといっしょにいてくれました。
死因は肺炎です。誤嚥性のものではないかということでしたが、少し前に風邪を引いていたので、それが治りきっていなかったのかもしれません。私は一人になりました。
私が何を考えているか、貴女なら分かってくださるでしょうか。もちろん、あまりにばかばかしいとお思いになり、一笑に付してお忘れになるということでしたら、私も貴女の判断に従います。長い時が流れましたから。妹はいい季節に逝きました。
ご存じのように、毎年、私がお送りしている薔薇は、この家で咲くものです。妹と二人で丹精込めて育てていたものが、庭の一角を覆いつくすようになりました。
秋と春と、二回、美しく咲いてくれるのですが、妹が旅立った今朝になって、固く閉じていた蕾がいっせいに咲き始めました。まるで、誰かが指揮棒を振って合図したかのようです。・・・・
中林虹之介さんはまだ信用金庫に努めていてバリバリの銀行マンだった時、お客さんの新藤かおるさんという美しい人に出会った。しかしかおるさんは既に人妻だったことを知り落胆した思い出があった。
その後、虹之介は病気がちな妹のためを思いサラリーマンを辞めて空気の綺麗な高原の街でペンションを始めた。そしてかおるさんのご家族も何度か来てくれるほどにまでなり親しくお付き合いをしていた。
もうどれくらいの年月が過ぎたのでしょう、すっかり手紙だけのお付き合いになってしまい・・ペンションもやめて・・。そんな時ふとお互いの手紙に・・「私は一人になりました。」が発端だったかな。
もうとっくの昔に還暦を過ぎた人・・・わたしもですが、むかしの善かった人が、一人でいる‥と聞くと枯れかけたトキメキに油を注ぐことも考えられないではない。しかしそのまま燃えるようなことは決してない。
人生のすべての味を知り尽くせばするほどそんな想いが通用しないことをお互いが理解しあう。それが分別ある人生の営みでしょうか・・
[No.601] 1月 30日
双葉社「変な絵」雨 穴
2022年作・ 290 ページ
・・・その部屋の住人、佐々木修平は21歳の大学生だ。普段ならば終活の筆記試験対策や、履歴書の作成に追われているのだが、今日は珍しく、パソコンの画面に見入っている。
「これか‥‥栗原が言ってたブログは…」独り言が漏れる。『栗原』とは、佐々木が所属しているオカルトサークルの後輩だ。今日の午後、大学の食堂でばったり会い、一緒に食事することになった。
ここ最近は終活が忙しく、めったにサークルに顔を出せていなかった佐々木は、後輩との久々の会話を懐かしい気持ちで楽しんだ。お互いの近況報告、サークルの合宿の計画などを一通り話し終えると、当然ながら話題は、共通の趣味であるオカルト方面へ流れていった。
「佐々木さん。最近、情報収集のほうはやってます?」栗原が神妙な顔で言う。『情報収集』とは、言ってしまえば『オカルト系の作品を見たり読んだりする』という意味だ。「いや、時間がなくて全然だな。映画も本もネットも見れていない」「じゃあ、いいの教えてあげますよ。実はこの前、変なブログを見つけたんです」「ブログ?どんなの?」
「『七篠レン心の日記』っていう、一見、普通のブログなんですけど、なんか不気味っていうか‥‥色々おかしいんです。怖さは保証しますから、ぜひ読んでみてください」・・・・
私はシマッタ!。そもそもテレビもそうだがオカルト作品だとかっていうものには全く興味がない・・というか臆病なのかもしれない。そのくせ真っ暗な山の中で一人で寝ていても怖いとか思ったこともないから鈍感なのかもしれない。
私も絵描きのはしくれです。題名にも変な絵・・と書いてある。変な絵はたくさん見たし私自身いわゆる変な絵も描いてきた。この本の変な絵って何なの?・・で恐る恐る読み終えてしまった。
どうやら絵の中に作者の伝えたかった心理学的な解析・・とこの作家さんのオカルト的感覚で文学的作品にしようとひねくりあてつけて作り上げた作品・・と解釈する。当然殺人事件も絡むのだがそのアリバイは真の迷宮入り殺人者にでもなってみない限りは作品としても成功しない。
ブロックごとの殺人事件を一連の人生の繋がりで結んだとき偶然性に頼った時、それは作品は未熟な失敗作と見える。オカルト作品にはそう言った落とし穴があってオレみたいなへそ曲がりに読ませると「なんだ、結局つまらん!」
[No.600] 1月 26日
集英社「地図と拳」小川 哲
2022年作・ 805 ページ
・・・未来を予測することは、過去を知ることの鏡なのではないか、石本はそんなことを考えた。支那事変の原因は満州にある。満州は日露戦争で手に入れたほとんど唯一の戦果だった。
つまり日露戦争で犠牲になった十万の英霊が支那事変に取り憑いている。日露戦争の原因は日清戦争による朝鮮の独立と義和団の乱によるロシアの進軍であり、その原因は天津条約にある。
一つの戦争や事変がその後の戦争や事変の引き金となり、そうやって歴史は連綿と続いていく。むろん支那事変も、未来に広がった様々な可能性の原因の一つとなるだろう。
過去と未来は対立する二つの概念ではなく、現在という親から生まれた双子のようなものなのだ。では支那事変によって、何が引き起こされるだろうか。
支那は徹底抗戦の道を選んだ。日本はもう、引き返せないところまで来てしまった。支那はドイツに続き、ソ連に助けを求めるだろう。そうなると日本とソ連の対立はより根が深いものになる。日ソ間の直接的な武力衝突を待たずとも、代理戦争が始まるのだ。・・・・
今年初めて読んだ小説、しかも奇しくも私にとっては一つの通過点としての読書。600作品目に巡り合った昨年度の直木賞作品は壮大な超長編作品でありました。
日本は今でこそ民主主義国家として憚りもなくまだその域に達していない国々の政策を揶揄することもしていて恥ずかしい思いをするほどにまだ幼稚なのです。
この作品は私が生まれた時の環境は日本が軍国主義として世界から恐れられている・・と錯覚しながらもその道をまっしぐらに進んでしまった反省点が込められています。
20世紀の初めから私の物心のつく太平洋戦争の終わりまでに日本はアジア諸国で何を考えどんなことをしてきてしまったのか。小川哲さんは140冊以上の膨大な資料に基づいて足掛け4年の歳月を要して掘り起こされました。
小説の域を超えた小説・・・。わたしのルーツを知った思いになりました。