Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2008年度・読後感想文索引>>

読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.10見川 鯛山 ・ 集英社 文庫
「 田 舎 医 者 」
 12月 26日
No.9熊谷 達也 ・ 集英社 文庫
「 ウエンカムイの爪 」
 12月 17日
No.8遠藤 周作 ・ 新潮文庫
「 彼の生きかた 」
 12月  6日
No.7小川 洋子 ・ 新潮文庫
「 博士の愛した数式 」
 11月 22日
No.6熊谷 達也 ・ 新潮文庫
「  懐  郷  」
 11月 14日
No.5熊谷 達也 ・ 文芸春秋社文庫
「 邂 逅 の 森 」
 10月 29日
No.4熊谷 達也 ・ 集英社 文庫
「 相 剋 の 森 」
 10月 14日
No.3平野 敬一郎 ・ 文芸春秋文庫「滴り落ちる時計たちの波紋」  9月  2日
No.2熊谷 達也 ・ 集英社 文庫
「 山 背 郷 」
  8月 16日
N0.1熊谷 達也 ・ 集英社 文庫
「 荒 蝦 夷 」
  8月  4日

  [No. 10]    12月  26日


    集英社文庫
「田舎医者」・見川鯛山
1980 年作・228ページ

第2位。「あなたは第23回鶴見・山田杯大回転競技会に於いて頭書の成績を得ました ここに其の栄誉を讃えこれを賞します」医学博士・鶴見宣基

私が50歳から始めた競技スキー、56歳の時(9年前)この大会を最後にその歴史を23年で閉じました。日本国内で行われていたスキー大会の内 5月第4週の大回転大会は最も遅い大会でした。それは谷川岳マチガ沢と言う雪渓で初夏に行われていたスキー大会でした。このとき1本目、先輩に 100分の8秒差で負け、2本目に勝つことはできましたが総合で100分の1秒差で2位になりました。この大会の冠の鶴見・・さんは栃木県に お住まいのお医者さんであったとお聞きします。(*注 翌週6月第1週のスラローム大会は現在も続いていて今年度第37回を迎えます)

栃木の鶴見さんは医者でありながらスキーを楽しまれ、真夏の谷川岳雪渓でも多くの若者にスキー技術を伝え東京都の国体選手を育てるなどご尽力を 頂きました。わたしが競技スキーを始めたときにはすでにここマチガ沢まで登ってこられるには及びませんでした。

さて前置きが永くなりました。この作者、見川鯛山氏も栃木県那須町にお住まいの開業医、スキーや釣りその他アウトドアー全般を趣味とされている ようでした。私は前書きの鶴見博士を存じ上げるまでには至りませんでしたが本文の作者と比較するのは失礼かとも思いますがあまりにも お二方の共通点が似通っていて親しみがわいてきました。 もしかすると見川氏と鶴見氏は同世代ですからお知り合いだったかも知れません。


この本は妻の残した蔵書の中にありました、いつ読んだかは定かでありません。しかし、この本の「田舎医者」は正しく私が病気でなくとも掛かって みたいお医者さんであると思うのであります。
妻も私も宗教は信じませんでした。そして今現在、発達が目覚ましいと言われる”医学?”でさえも私は信じません!!。現在の医者は皆変だ!(変な 人もいる)「もっと自然と人とのかかわりの中に私たちは生きているんだ・・」そして生もあり死もあるんだ。そこにおのずと 医者としての未熟の自覚もあるでしょうし言葉による気持の救いも感じられるでしょう。つまり、”情緒が欠如しているんだ”(欠如した人もいるんです)

「田舎医者」30編余の短編集ではありますが小さな町、お住まいの方は皆同じ、と言うことで役者は出たり引っ込んだりですがお医者さんとの からみには都度係わり合ってきます。冒頭の文章を引用します。

”早春の太陽が、紺碧の空をじかに通して、矢のように眩く照りつけると、いっせいに那須連山の雪崩が始まり、その巨大な雪のかたまりが山と雪渓を ゆさぶりながらハイマツとシャクナゲとガンコウランの林へ流れ込み、その木々の間で、残雪となって初夏まで残る。
やがて、南の風が、あたたかく雪ずらをなでると、雪どけの小さな流れが、谷あいに集まり、水かさを増し、速い大きな渓流となって岩を噛んで流れ、 その真白い泡の中から岩魚や山女がナイフのように、腹を光らせて跳ぶ。・・・”


それぞれの短編の冒頭はこんなにも美しい言葉が次々と飛び出てきます。この人はこの旋律の中に自分のストーリーを織り交ぜて心を伝えていく人 なんです。使っている言葉は栃木県の那須町の田舎言葉ですがビバルディーの音楽を聴いているような錯覚さえ思わせます。

ひょっとして不治の病・・であった妻もこんな「お医者さんの言葉」に出あったら元気づけられたのかな・・、そしてこの本を読んで少しは心が和んだ のかな・・と、思うのでした。


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  [No. 9]  日記より抜粋  12月  17日


    集英社文庫
「ウエンカムイの爪」・熊谷達也
1997 年作・200ページ

スキー場の午後、熊谷達也「ウエンカムイの爪」を読み切りました。200ページほどの中篇ですが彼は97年この作品ですばる新人賞を いただき作家としての道を歩み始めました。

彼の作品はすでに何冊か読んでいますがその何時かに私は彼の作品の出だしの情景には感心し、人をぐいぐいとその中に引き込む力があり それが彼の魅力だ・・と書いたことがありました。この本も本屋で纏め買いしたとき、1ページ読んだだけで購入を決めました。


アイヌ語でカムイは神(神のような獣)、ウエンは悪魔、つまり悪魔の獣→人を食う熊→ウエンカムイと言うことです。人を襲う北海道 ヒグマを題材にした作品です。北海道に行った事の無い私はまず、パソコンのgoogle・mapで道南、渡島半島、上ノ国町・・・と、検索し 航空写真を見たり地図を見ながら読み進みました。 「こんなデッカイ北海道のか細い部分も拡大してみると原生林の山また山の中なんだ・・」と言う驚きでした。

読んでいくうち幾人かの登場人物の名前に記憶があります。10月に読んだ「相剋の森」に顔を連ねた面々でした。彼は取材する膨大な 資料の中にいくつもの作品となるアングルを見つけ狙っていたんでしょう。私の絵の題材とする作画態度とまったく同じです。

冒頭、主人公がヒグマに襲われそうになったくだりがあります。「・・恐怖に駆られた吉本の目には四輪駆動車のランドクルーザー並みの 大きさに・・」冗談じゃない、私は以前ランクルを所有し乗っていましたがそんな大きなヒグマがいてたまるものか・・と、半分小馬鹿に して読み進みました。

終盤、吉本はおそらくウエンカムイを追ううちに野生生物に対して人として彼らに大きな愛情を感じ・・しかしそれは決して動物には理解 されない不条理を知るのです。ヒグマが射殺され「・・肉の間から命が抜け出たことによって幾周りにも縮んでしまった・・・」と言う 表現は、冒頭の”ランクルのようだ・・から幾周りにも縮んで・・”などはまったく素直な感覚であり、”幼い子供の描く”お父さんの顔” と同じく彼には立派な絵描きになる素質を感じるのでした。

数日前に放鳥された佐渡のトキ達の内、一羽の屍骸が見つかったと新聞の隅に記事として載りました。どんな理由かわかりかねますが 恐らく身動きが出来ないところを他の野生生物に喰われたようだと・・。愛情を一身に注いできた研究員たちの悲痛な気持ちの顔を思い 浮かべます。


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  [No. 8]  日記より抜粋  12月   6日


    新潮文庫
「彼の生きかた」・遠藤周作
1975 年作・480ページ

読みかけの本、遠藤周作「彼の生きかた」を読み終えました。

この本の主人公は日本人にとってあまりにも身近なニホンザルの研究に約半世紀にわたって取り組んできた実在の研究者「間直之助氏」を取材して小説 に仕上げました。

本書では主人公「福本一平」の生きざまを強調するため、彼の小学校時代の友達付き合いの生活を克明に描写します。主人公は生まれつきの”どもり” のため今で言うイジメに会い内面の弱さを持っていた。しかし、負けん気の級友、萌子だけは何かにつけ気をもんであげるのだが・・。

彼は学校で飼われていた兎の世話をすることに喜びを感じ、次第に人間よりも動物と友になることを夢見ながら大学を卒業したのち研究所に籍を置き ニホンザルの研究に没頭するようになる。餌付けを通してサルの群れも彼に一目置くようになると目を付けた観光業者はそれらを観光事業の目玉にしよう と考え、研究所の研究費支援を理由に彼を擁護する署長も交代させられて身動きがとれなくなる。

弱腰の彼はついに研究所から追われ、新天地の奥山でさらなる研究を続けることにした。そしてそこに目途がつき始めたころ又しても観光業者が・・。 皮肉にも観光業者の妻は幼なじみの萌子であった。お互い運命のいたずらに驚くが、萌子の彼に対する思い入れは「弱虫!」と子供のころ彼をはげました 言葉をまた発することにより彼は目覚め、研究のニホンザルを守るために立ち上がり観光事業から手を引かせた。


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  [No. 7]  日記より抜粋  11月  22日


    新潮文庫
「博士の愛した数式」・小川洋子
2003 年作・280ページ

午後、皆さんがお帰りになった後、読みかけの本を読み切りました。小川洋子著「博士の愛した数式」。妻の蔵書の中にも沢山の女流作家の著書が ありますが私には気乗りした作品は「今のところ」見当たりません。

先日背表紙の文句に連れられて一ページほど読んで購入を決めた初の女性作家の作品です。ドロドロとした本をしばらく読んでいた為、私のような 清らかな絵描き?の感性に触れるような書物を求めて購入。第1番目に目にした作品でした。私は見ていなかったんですが映画にもなったようです。

事故により記憶力に障害を持つ”元数学の博士”のもとに派遣された家政婦さんが最早純真性しか備わっていない彼に如何に親近感を抱かせて仕事に 専念できるか悩みました。博士の彼女に対する質問の糸口は常に「素数」の話題から始まりました。

彼女は算数も、ましてや数学なるものにも全く無知ではありましたが”博士を快くお世話をしたい”と言う一心から素数を理解し、それを感性で とらえることにより素数の美しさに魅かれます。このことが博士の心を掴み夫婦でもなかなか見出すことのできない共通の「求道者」と私は理解 しますが・・の境地に至った時のお互いの喜びを感じました。

博士はそのことにより家政婦と10歳のその子供(あだ名をルート、√)たちと常用対数、自然対数の世界に導き、訳のわからない複素数・・かな?を日常の 生活の中でひとつの家庭モドキを築き上げるのです。モドキ・・、いずれはその形態は崩れ博士は症状の悪化により施設に移転、√は中学校の数学の 教師になるのです。

作者の小川さんはこの「数学」を題材のドラマ仕立てするため数学者の藤原正彦さんに取材を求め、ご本人自身がすでに自然界に存在する宇宙空間や 数学空間を真摯に捉えそれに携わる一小動物、人間の様を高い視点から観察した・・と私は感じました。異端、奇人と見られがちな数学者の多くは自然を 観察し、その原理を理解し、その仕組みから・・つまり、自分なりの可能性を探りだそうとすることは私、絵描きのはしくれの琴線に触れて身震いした ところでした。


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  [No. 6]  日記より抜粋  11月  14日


    新潮文庫
「懐郷」・熊谷達也
2005 年作・320ページ

新潮社刊、熊谷達也「懐郷」を読み終えました。この本には7編の短編が収められています。しかも、すべて女性を描いた作品で占められていました。

「磯笛の島」「オヨネン婆の島」「お狐さま」「銀嶺にさよなら」「鈍行列車の女」「X橋にガール」「鈍色の卵たち」が収められています。

「磯笛・・」は能登半島の先にある小島でアワビ漁で生計を立てていた若い夫婦が漁の事故で妻を失った夫がいた。彼は10年の日々それを忘れよう として都会に出て日雇いの生活に明け暮れていた。島にいた両親はその倅を呼び戻し再婚を企て彼はまた島での共働きの生活が始まった。

アワビ漁は妻が潜り夫が命綱を操る、息が合わないと大変危険な作業であった。そして呼吸を止めて海底から上がった海女たちの海面で発する呼吸音が ”磯笛”と言われる、ある種寂しげな独特の響きを発するのです。そこに彼は前妻の呼吸音に似た亡霊の響きを耳にし悩みます。

図らずもまたしても危うい状況、絶体絶命・・と言う時に岩に絡んだ妻のロープは”誰かの手”により解かれて一命を取り留めました。 「誰が助けてくれたのだろうか・・」きっとそれは・・・



2編目は婆さんの観察、3〜7編は30代前後の女性を描いた作品です。いずれも夢も現実も見極められる成熟した女性です。しかし前向きに生きて いくことも儘ならずさりとて後戻りも出来ない現実をそれぞれ5人の女性に表現してもらったと言う作品です。「滑稽に」「シリアルに」「苦渋を」 「過去の夢を追いながら」「現実から逃避しようと」


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  [No. 5]  日記より抜粋  10月  29日


    文芸春秋
「邂逅の森」・熊谷達也
2004 年作・530ページ

熊谷達也「邂逅の森」(かいこうのもり)を読み終えました。日記によると「そうこくの森」を読み終えたのが10月14日ですから、2週間も掛かって しまったようです。この小説は解説によると4年ほど前になんと「山本周五郎賞・直木賞」を同時に受賞したとあります。

そもそもは亡妻に進められた作家、「荒蝦夷」と短編集の「山背郷」を読んだ後この人はどんな人なんだろう?と思ったのがきっかけでした。しかし、 その作者は文科系出身ではなく理工科系出身と言うところがわたしの理屈っぽい神経をつかんで放してくれませんでした。


大正の初め、山形、秋田、宮城の山間を舞台にしたマタギ。その家族のひとりの少年期から身に着けた生業を初老に至るまで一人物に焦点をあてた所謂 私流の感ずる「青春切符」と感じました。

この作家の書き出しはいつも感心しますが素晴らしい「絵」を見ているような情景描写です。今回も第一章「寒マタギ」では既に故人の画家、 海老原喜之助氏が青年期、フランスで次々と連作した狩猟者と自然を描いた冬山シリーズにそっくりです。しかも緊迫した随所にその舞台を表現して くれることが嬉しい限りでした。

全編を通して克明に描写する獣にも似た欲情の表現も具体的であればあるほどマタギの生活の貧しさや厳しさがヒシヒシと伝わってきます。そして人間の 本能的な生への執念と家族と社会的な絆が見えてきます。山と言う自然の中で野生の動物と、そこに暮らす人間の数が圧倒的に少ない環境でこそ 「山の神様」が存在し、その掟に逆らうことは出来ないと教えてくれるようです。


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  [No. 4]  日記より抜粋  10月  14日


    集英社文庫
「相剋の森」・熊谷達也
2003 年作・530ページ

以前に少し書きましたが亡妻の蔵書から生前私にすすめた書物のうち「熊谷達也」の”荒蝦夷”と9編の短編集”山背郷”はすでに読み切っていました。

この作家の奥底をもう少し探ろうと先日”そうこくの森””かいこうの森”いずれも500頁を超える作品ですが購入し、其の内「相克の森」を読み終え ました。

マタギと言う職業が近代までありました。代々それを受け継ぐ子孫の時代背景も大きく変わりました。そして熊を射って食糧や金銭にかえる意味は現代 においてまったく意味を持たないものになっています。一方過疎化の進む子孫の集落では「巻狩り」と言う昔の猟をすると言うことの「絆」で村の若い 青年たちは村にとどまる環境を保持しているのです。それは今風に伝わる「郷土の祭り」と私は捉えました。それと社会環境の中で自然保護の観点から すでに希少動物である”ツキノワグマ”を狩猟するなどとんでもないこととするNPOの働きを恐らく作家自身が女性ルポライターに成り代った観点から それをレポートすると言う内容で構成された作品です。

私の生まれた田舎には「御柱祭」と言うのがあります。”是非、無形文化財に・・!!”との申請に当時の担当庁官は「人が瀕死の状況をも抱く ような祭りで手を叩いて喜ぶような野蛮な祭りはいかがなもんか?」と言ったとか。「ふん!!」


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  [No. 3]  日記より抜粋   9月   2日


    文芸春秋
「滴り落ちる時計たちの波紋」・平野敬一郎
2004 年作・340ページ

中学生以来・・半世紀近く小説とか文学作品とか読んだためしがありませんでした。妻から進められていた本を段々に読んでいます。

先月は熊谷達也、そしてそれに続いて平野啓一郎氏、7編ほどの短編そして注目の「最後の変身」を読み終わった。

妻が生前私に進めるだけあって、ホームページを開設する人間の心の葛藤といつしかその見境を失うという長編で構成されています。


恥ずかしながら小説を読んでいて読めない漢字がたくさんあります。熊谷の(集英社)はルビをふってくれているし、読みを忘れたころ には又おなじ漢字にルビをふってくれていて、電子辞書片手に楽しめた。

平野の(文芸春秋)は読めない奴は読むな!といわんばかり。読みがわからないと意味を調べるのに時間がかかります。

半分くらい理解できたかな?。


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  [No. 2]     8月  16日


    集英社文庫
「山背郷」・熊谷達也
2002 年作・320ページ

2000年から2002年にかけて「小説すばる」その他から発表になった9編の短編を「山背郷」として彼が加筆訂正し集英社が編さんした本でした。

山背・・とは東北地方に夏の初めに吹く冷たい北東風のことで、関東に住む私たちは”涼しい夏”として喜ばれますが、東北地方の農家の人にとっては ”冷害”の元凶です。そしてその山背と対峙し生活していく覚悟が東北に住む人々の暮らしのなかで人間性を養い独特の粘り強さを感じさせます。

最初の「潜りさま」は青函連絡船の洞爺丸沈没の事故から各方面の資料を研究して作品に仕立て上げています。

熊谷達也氏は「荒蝦夷」や今回の「山背郷」を執筆するにあたり膨大な研究資料を集め集約しそれぞれのドラマ仕立にした足跡がよくうかがわれます。

二作を除くほとんどの作品は読んでいて重くのしかかる気の重さが感じられ、早くその結果を知る事による解放を待ち望みながらの読書でした。


山で拾った痩せこけた仔犬を育て、その一枚の写真を思い出とする主人公の少年時代の回想・・。
仔犬はやがてたくましくなり、少年に悪さをする近所のずるい飼い犬達をみな一撃のもとに噛み殺してしまった。彼はその飼い犬”メリー”を警察や 保健所に連行される前に山に連れて行き”心を鬼にして”「・・帰ってくるな!、殺されてしまう!・・」と、追い返し別れるのです。
その写真を友人が知人の研究者に見せた所「・・ニホンオオカミでは・・」

「メリー」と「お犬様」は東北地方に伝わるニホンオオカミに纏わる足跡や文献から作品にしたと思われるが作品の組み立ては二作とも見事でした。


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  [No. 1]  日記より抜粋   8月   4日


    集英社文庫
「荒蝦夷」・熊谷達也
2007 年作・380ページ

妻は生前そうとうな読書家でかなりの量の蔵書が残されました。なかでも感銘を受けた書物は私にも良く進めました。熊谷達也の「荒蝦夷」(あらえみし)

奈良時代、大和朝廷が東北地方を統治しようとしていた頃の史実とそこに住む人々の独立心が大きなドラマとして描かれていました。

特にわたしは東北出身の友人の日ごろの挙動と重ねて読むうちに「・・ナルホド・・東北人の心意気・・か」と面白く読み終わってしまった。9時間のドラマ。


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