ようこそ!「青春切符へ」このコーナーは、なぜ私が絵を描くようになったのでしょう?
どうして描き続けて来たのでしょう。その辺をもう一篇たどって見るのが近道でしょうか。
'60 不安と希望を胸に就職し、いつしか43年の歳月が流れました。
表紙の写真は会社の美術部で山中湖の会社保養所に泊まり掛けで写生会に出かけた時のものです、
そのとき近くで写生していた彼女を後に妻に迎えようなんて夢にも思わなかったのですが・・。

                                                                                                        '04.7 記



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こちらからお入りなった方、お時間がありましたらDOWNLOADにも目を通してください。

「青春切符」 '20. 6. 1up

          あ と が き      藤 森 幸 三 郎

最後までお読みいただきましてご苦労様、そしてありがとうございました。

2004年に書き始めたこの「青春切符」はちょうど16年になりました、書き始めたときにはいつどのような形で終わるのか想像もつきませんでした。

しかし昨年初めあたりからでしょうかこのままダラダラと書き留めていくよりは一度どこかこの辺で区切りをつけた方が良いのではないか、と思うようになりました。ではどこで止めようか・・。

人生、結婚がゴールではなくそこがスタートラインであるはずです。この後はもし気が向けばそこから再スタートさせればいいのだ、との思いから区切りを付けました。

月一度の更新・・と言う形で書き綴ってきましたが16年間の蓄積は思った以上に大きなものになってしまいました。(No.1〜No.216)

今回、わたしはこの文章を纏めるにあたって三度ほど読み返す機会がありました。しかし、それに費やす時間はどうしても一回10時間・・つまり生活していれば二日間の読書時間となるのです。



私は2004年に43年間勤めた会社を62歳で定年退職しました。嘱託としてもう少し後輩の手助けを・・と言われましたが私には退職後にどうしても遣りたいことがあるので・・とお断りしたのでした。

18歳で長野県の岡谷工業高校の化学科を卒業し、選んだ会社は「色彩の総合メーカー」という着色剤を扱う会社でした。資本金は2千万円、東証二部に載ったばかりのいわゆる中小企業でした。

私は幼少のころから絵を描くことは好きでしたのでこんな会社は面白そう・・と言うのが入社したいと思った動機でした。つまり化学の知識を色彩の製造に生かせると考えました。

しかし当時のこの会社はまだ発展途上でしたから東京にある会社と言うにはあまりにも社屋や設備など他社から比べると見劣りのするものだったんでしょう。

先に東京の大きな電機メーカーに勤務していた私の次兄が工場まで見送ってきてくれましたがさぞかし驚いたことでしょう。

そんな私でしたが兄や家族の心配するのをよそにそんな事にはお構いなく楽しい色彩を扱う仕事をしながら益々また絵を描きたいと言う希望を持ち始めたのでした。

それ以降は本文に記載したことで成り行きはお分かりいただけたでしょうか。しかし

定年退職した後に遣りたいこと、それは先ずパソコンを買ってホームページとか言うものを立ち上げてみたいな。勿論、絵もたくさん描きたいな、陶芸ももっと深めたいな・・と言う気持ちが強かったのです。

つまり定年退職という機会をひとつの人生の転機と考え、かなり前から退職の準備と計画は進めていました。ですから退職日前日までに何が何でも問題を抱えたままで終わらせないとの想いから40日近くあった有給休暇は要らない、あとは嫌というほど休めるのだから・・と。

現在の政府が進める働き方改革とは真っ向する形で私はソフト・ランディングして空に飛び立ちました。

しかし私が退職するころには資本金も100億円を超え、東証第一部上場の中堅化学メーカーへと成長してきていたのです。会社のキャッチフレーズも「ハイテック&カラー」と称する精密化学メーカーとしての歩みを確実なものにしてきていました。

私の会社は誕生日が定年退職。4月の誕生日でまずパソコンを買いに行きました、当然パソコンの指導書と「完成までたったの3日間でゼロからのホームページ作り」の本でした。

当時、会社には既にコンピュータは導入されていて扱っていましたがパーソナルコンピュータとしての概念や扱いはそう難しくなく習得できました。

しかし、ホームページ作りは今まで扱ったことのない言語でしたから固くなってしまった脳ミソに揺さぶりを掛けながら教科書を頼りに進める以外方法はありません。

実は、私は仕事で扱っていた色彩の測定器などで結果を求めるのに使うややこしい煩雑極まりない計算式に大変往生していた時期がありました。

昔から工業的にも色の出来具合は熟練した作業者の目で判定していましたが、次第に国際基準遵守の観点から第三者的判定として測定結果の数値化が求められていました。

わたしはとある見本市で測定と連動したコンピュータ付きの光学測定機器を見つけて・・これからはこう言ったものを使うべきだな・・・。で、買ってもらった。

でもそのコンピュータはプログラムを作って測定機器に命令させないと宝の持ち腐れになると知って驚いた。

まだ当時わたしの頭も多少は柔らかかったのでこれまた参考書を頼りに自分でプログラムを作っちゃった。長さ1mくらいのプログラム書を作成し組み込んであらゆる測定結果に備えたことで自信が付いた。

そんなこともあったのでホームページのプログラムなんて、しかも3日間で・・と言うんだから一週間もあればどうってことないよねと思っていました。

ドッコイ!。やけに蒸し暑く汗みどろの深夜に気が付いたらもう夏真っ盛りではないでしょうか。とにかくどんな形で有れひとまずweb に up して見なくては始まらん。

そしてヨタヨタとホームページを立ち上げたのが定年退職の日から数えて3か月も経ってからでした。・・・何を書く?って言っても文章能力は幼稚そのものです。

なんせ本も読んだことのない人間にひとさまを説得できる文章が組み立てられる訳がありません。



方や妻は私と同じ年に同じ会社に入社した同期でした。以来偶然にも会社内の美術クラブにお互い在籍していたことで繋がりを持つことができていました。

妻との結婚生活では当然絵を描いたり展覧会を見に行ったり、陶芸の窯場を見学したりと共通した楽しみはありました。

しかし決定的な相違がありました。それは妻は大変な読書家であった一方、私は50年以上小説などの本は一切読まなかったことで通してきたという違いでした。

妻からは盛んに自分が読んで感銘を受けたりよかった本について私にも読んでみたら・・?とたびたび誘われてはいました。

つまり私はそのことについては妻と文学作品の心情を共有出来なかったわけでした。

やがて年月を経て子供たちが我が家からそれぞれ巣立ったあと、とりあえず我が家を二人で過ごしやすいように建て替えようと言うことになりました。

暫く完成するまでの間近所のアパートで暮らすことになりました。妻にとっては生まれて初めてのアパート生活、私も久しぶりの窮屈な生活でした。

やっと我が家が完成して預けておいた荷物も運び入れて荷解きしながらこれから楽しい老後生活が始まるんだ・・とその矢先、妻が体の不調を訴えたのです。

こともあろうに一番恐れていた癌、しかもすでにステージ4だと言うのです。

手術が終わって、主治医がステンレスの皿に載せてとりだされた巣窟を見て愕然としました。「・・・この先は?」もうこれ以上先にあるものにメスは触れられないという。

宣告された通りその2年後、妻は65歳の生涯を終えてしまいました。まさかの独り身、だれを恨むことも出来ない怒りと悲しみの日々でした。このままいっそうのこと・・・とも思ったこともありました。

ふと目にしたのは生前、妻が私によく勧めてくれた本が目に止まったのです。そんな本を手にして見て「ああ、妻はこれを読んで何を想ったんでしょう」

そう言えばこの本もオレに進めていたよな・・、そしてボツボツではありますが淋しさを紛らわす本として読み始めました。

そうだ、読むはじから忘れてしまいそうだからどこかにメモっておこうか・・、パソコンに読後感想・・ナンチャッテ記録しておこう。

そのうち妻の路線から外れてひとり自分で探したものを読んでみようと本屋にも行くようになりました。しかし買った本はたとえ文庫本であっても溜まっていきます。邪魔です。

ちょうど100冊を超えたのを機会に段ボールに入れて市の環境センターに持ち込んで処分してもらいました。 私もこのころから老眼鏡をしているにもかかわらず小さな文字に苦痛を感じ始めました。この頃、SONY から電子書籍を発売すると言うので飛びつきました。

記念すべき102冊目に戦前の作品ですが小林多喜二の「蟹工船」を初めて電子書籍で読んで、作品ではなく読みやすさに感動しました。(笑)

指を舐めなくてもページがめくれる、しかも文字の大きさが自由に変えることができる。そして旅に出るときなど5冊の本は持ち運びが苦痛でしたがそれもこの一冊の中で楽に収まってしまう快適さ。

すっかり電子書籍の虜になってしまいました。以来9年間読書の友をしてくれました。その書籍もついに昨年は新型2代目となって更に電子書籍の道を継いでくれました。

あれ程、本なんか読まね〜ぞ・・と言っていた私ですが気が付けば460冊ほど読んできたことになります。

一方でこの「青春切符」も時を同じくしながら書き続けてきたわけですが何か違う!。

書いている本人が違う、と感じるのですから歳をとったと言う理由以外の何かがあるのでしょう。延べ460人分のプロの作家さんたちの表現方法も私の骨格の一部として加勢してくれるのでしょうか。

2015年、お笑い芸人の又吉直樹さんがなんとあの芥川賞を受賞されました。彼の受賞の談話を聞いた時なるほど、と思いました。

彼もそうとうな読書家でした。そして当時35歳だった彼は今まで2000冊以上の本は読んでいたと思います・・と語っていました。つまり読書するようになってから三日に1冊は読んでいたと言うことです。

それに引き換え多少の本を読んだくらいでそう簡単に言葉一つ一つが輝きを増す表現方法が使いこなせるようになるとは思いません。しかも月に3冊くらいでは・・

しかしこうしてコツコツと書き足してまいりますこと16年と言うのは私にとって決して無駄なことではなかったと思われるのです。

何といっても紙の上ではありませんがたとえパソコン上であったとしても日本語の文字で言葉を綴ってきたことが実に楽しかったことです。

そして「青春切符」はせめて第一部だけでもいいから手直しして書きなおそうとも考えました。しかし文章は稚拙ではあってもそれなりの表現者としての覇気も感じられるのです。

プロの作家ではそうはいかないでしょうがそのまま編集せずに掲載を決めました。絵も文章も全く同じ表現として捉えることができるのです。



本日、私は78歳の誕生日を迎えました。ひとつの形としてこの「青春切符」を小冊子にしておこうと思い立って製本屋さんに製本をお願いしたところでした。

さすがにプロの製本屋さんの仕事です。出版社からいま届いたと言わんばかりにキッラキラに輝いた冊子となりました。ありがとうございます。

ご希望の方には5冊しかありませんので差し上げることは出来ませんがお貸しすることは可能です、メールくだされば早い者勝ちです。

そして、わたしのパソコンで綴ってきた文章はご存じのように横書きで書かれています。まあ、横書きの文章は毎回程度でしたら読むことはできます。

しかしそれが(No.200)を超えるとなるとかなり苦痛になります。これを日本人に読みやすくさせるため縦書きや右から左のページ移りなどにするためにはまた書き換えなければなりません。

そこまでする労力はありませんが多くの問題は無料で使わせていただいたフリーソフトのお陰だと思います。この場をお借りして御礼申し上げます。

そして5冊しかない本です。みなさまには電子書籍化してより多くのお友達の目に触れていただけるような形にできたのも数々のフリーソフトがあってのおかげでした。ありがとうございます。

フリーソフトご提供各社(順不同)株式会社シメケンプリント 様。 i Love IMG 様。 tools PDF 24 様。 PDF Candy 様。 PDF R2L 様



2020 年  4 月 24日
長きにわたってのご愛読、ありがとうございました。


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