Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2023年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.599安壇美緒・集英社□□「 ラ ブ カ は 静 か に 弓 を 持 つ 」 12月 29日
N0.598乗代雄介・文芸春秋□□「 そ れ は 誠 」 12月 22日
N0.597永井沙耶子・新潮社□□「 木 挽 町 の あ だ 討 ち 」 12月 15日
N0.596石田夏穂・集英社□□「 我 が 友 、 ス ミ ス 」 12月 11日
N0.595金井美恵子・講談社□□「 プ ラ ト ン 的 恋 愛 」 12月  7日
N0.594風野真知雄・角川文庫□□「 神 奥 の 山 」 11月 24日
N0.593市川沙央・文芸春秋□□「 ハ ン チ バ ッ ク 」 11月 17日
N0.592中島京子・講談社□□「 オ リ ー ブ の 実 る こ ろ 」 11月 10日
N0.591井沢元彦・講談社□□「 五 つ の 首 」  9月 24日
N0.590吉田修一・講談社□□「 日 曜 日 た ち 」  9月 21日
N0.589畑山 博・講談社□□「 海 に 降 る 雪 」  9月 15日
N0.588山本甲士・小学館□□「 か み が か り 」  9月 10日
N0.587三浦哲郎・新潮社□□「 忍 ぶ 川 」  9月  4日
N0.586山下澄人・新潮社□□「 し ん せ か い 」  8月 30日
N0.585藤野千夜・講談社□□「 夏 の 約 束 」  8月 26日
N0.584吉行淳之介・新潮社□□「 原 色 の 街 ・ 驟 雨 」  8月 18日
N0.583山本文緒・角川文庫□□「 残 さ れ た つ ぶ や き 」  8月 15日
N0.582富岡 俊・自費出版□□「 初 春 の つ ど い 」  8月 12日
N0.581原田ひ香・実業之日本社□□「 三 人 屋 」  8月  3日
N0.580磯崎憲一郎・新潮社□□「 終 の 住 処 」  7月 28日
N0.579小川 糸・新潮文庫□□「 と わ の 庭 」  7月 24日
N0.578東野辺薫・関東図書□□「 和  紙 」  7月 20日
N0.577山本甲士・小学館□□「 か  び 」  7月 17日
N0.576凪良ゆう・講談社□□「 汝 、 星 の ご と く 」  7月 10日
N0.575井戸川射子・講談社□□「 こ の 世 の 喜 び よ 」  7月  3日
N0.574佐藤厚志・新潮社□□「 荒 れ 地 の 家 族 」  6月 26日
N0.573三浦しをん・角川文庫□□「 の の は な 通 信 」  6月 10日
N0.572恩田 陸・新潮社□□「 朝 日 の よ う に さ わ や か に 」  6月  6日
N0.571南 杏子・幻冬舎□□「 い の ち の 停 車 場 」  6月  2日
N0.570石原慎太郎・講談社□□「 青 春 と は な ん だ 」  5月 30日
N0.569角田光代・新潮社□□「 さ が し も の 」  5月 23日
N0.568早見和真・幻冬舎□□「 ぼ く た ち の 家 族 」  5月 18日
N0.567葉室 麟・文芸春秋□□「 山 桜 記 」  5月  9日
N0.566川上弘美・新潮社□□「 ざ ら ざ ら 」  5月  6日
N0.565田丸雅智・双葉文庫□□「 海 色 の 壜 」  4月  5日
N0.564群ようこ・ハルキ文庫□□「 お た が い さ ま 」  3月 15日
N0.563村田紗耶香・講談社□□「 授  乳 」  3月 11日
N0.562浅田次郎・講談社□□「 お も か げ 」  2月 18日
N0.561朱野帰子・講談社□□「 対 岸 の 家 事 」  2月  8日
N0.560一穂ミチ・角川文庫□□「 ス モ ー ル ワ ー ル ズ 」  2月  2日
N0.559荻原 浩・角川文庫□□「 そ れ で も 空 は 青 い 」  1月 23日
N0.558重松 清・幻冬舎□□「 め だ か 、 太 平 洋 を 往 け 」  1月 14日

[No. 599] 12月 29日


   集英社「ラブカは静かに弓を持つ」安壇美緒
          2022年作・ 335 ページ 

・・・「あの、ラブカって何ですか?」いつにない調子で言葉を遮った橘を、浅葉は少しだけ物珍しげに見返した。飴色のチェロはその胸に抱かれて、奏でられる瞬間を待っていた。「醜い魚の名前だよ。ラブカっていう深海魚」

素性を偽って平穏な市民生活に潜り込んでくる敵国側のスパイのことを、作中でそう呼んでいるんだって、と何も知らない浅葉が言う。「ちなみに映画の原題は『ラブカ』。これに関しては邦題のほうが評価が高いって言われている。戦慄く、って言葉には、怖くて震えるって意味のほかに、音が振動するって意味もあるだろ。印象的なピアノイントロと、それが妙にマッチしたってわけだ」

これもCDのブックレットで得た知識ね、と少年のような笑みがこぼれる。レッスンの時間はタイトだから、いつも雑談はすぐに切り上げられる。なのにどうしてか今日に限って、浅葉はやけに饒舌だった。

「いいよな、スパイ。国家機密にド派手なアクション。007とか好き?」「あれも観たことがないんですよね」「じゃあ今度観てみてよ。ご想像通りの映画だと思うけど。いいんだよな、あのドンパチが」誰にでもジェームズ・ボンドになりたい日があるだろ、と言われて、あんな格好いいスパイなんて映画の中だけですよ、と橘は静かに目を逸らした。・・・・


全日本音楽著作権連盟の地下資料室で作業していた橘樹はひとりでコツコツと作業するのが好きだった。そんなある日上司の塩坪課長から電話で呼び出された。突然にもう時効にでもなったであろう入社時の面接のやり取りを掘り返された。

  「君は確か子供のころにチェロの楽器を習いに行ってたよな?」突然の質問に唖然とした。実は我が連盟は巷の音楽教室が著作権に違反しているかどうか調べたい。君が2年ほどそこのチェロ教室に通って実態を調べてきてほしい。

橘はそれのための学費とボールペン型の録音機を渡された。しかし通ううちにチェロの魅力に取りつかれて昔の辛かった時とは違って心の癒しになる音楽を楽しむ心境になってしまった。チェロの先生が選んだ楽曲は「ラブカ」だった。


橘は自分のしている行いは果たしてスパイそのものだ。演奏の上達には子弟との親密な関係んも否定できない、しかもそのやりとりを録音盗聴までして上司に報告している自分の人間としての呵責を想う。

この作家の作品に初めて出会った。まだ30代の比較的若い作家、これからも素晴らく読み応えのある作品に出合えることを楽しみにしたい。本屋大賞に輝いた作品でした。



[No. 598] 12月 22日


   文芸春秋「それは誠」乗代雄介
          2023年作・ 196 ページ 

・・・「パンッ」 井上が息の多い声を発しながらピストルに見立てた手を跳ね上げると、小川楓が顔を横向きに机の上に伏せって目を閉じた。「よーしよしよし、またできたじゃん、すごいじゃん」・・・・

・・・あとは僕がさっさと済ませるだけだ。「パン」小川楓はふいにそっぽを向くと、心なしかゆっくりと倒れて、誰もいない方へ顔を倒して机に伏した。「できた!」畑中さんだけ本気に喜び、胸元で小さい拍手までしてみせた。「すごい」「やっぱさじ加減じゃん」

大日方の冷たい笑いをかき消すように、井上は「かしこいかしこい、かしこいねー」とふざけた甘い声を出して、小川楓に覆い被さるように身を寄せると、髪を強くかき回した。「やらなきゃ終わんないもんねー」「そういうこと言ってやるなよ」大日向は僕を見ないで言った。

小川楓は頭を下げたまま机を離れて、隣の井上の背中に腕を回し、鳩尾のあたりにすがりついた。乱されてアーチを浮かせた色素の薄い細い髪が、窓から斜めに差す午後の光を透かしている。僕はそこから目を離せないでいた。・・・・


僕・・佐田誠は地方の(恐らく作者の出身地、北海道函館あたりの進学校・・でしょう)では毎年恒例の修学旅行の前にクラス内で班分けをする。佐田はその班分け当日も学校には休暇届を出してどの班でも構わない旨伝えてある。

自主性を重んじた学校、佐田は不登校ではなく自身の都合で登校できない旨の連絡。そして登校して班のメンバーを見渡すと3名の女性、4名の男性・・都合7名の班だということが分かった。この班には女性のリーダー格に近い井上奈緒やちょっと可愛い目な小川楓もいてみんなに馴染もうと思った。東京への修学旅行のうち一日は班ごとに自由行動する、その打ち合わせのため班ごとに計画を立てる最中だった。


文章の中から垣間見る情景が本当に新鮮。そして思春期の高校2年生の男女のやり取りに清々しさをこれでもかというくらいに表現している。この作者は高校生かな・・とさえ思わせてくれる。

高校生活は千差万別。学内が荒れ放題・・から教師により厳格に締め付けられてきゅうきゅうとして過ごすところもあるかもしれない。しかし佐田の学校は進学校ということもあって比較的お互いを尊重しあう風土の校風だろう。

おしくも芥川賞の候補には登ったものの先に読んだ受賞作に比べわたしはこの素直な表現力の方を賞賛したい。



[No. 597] 12月 15日


   新潮社「木挽町のあだ討ち」永井沙耶子
          2023年作・ 310 ページ 

・・・まず切り出したのは一八さんだった。「『忠臣蔵』だってそうでしょう。わざわざ同じ揃いのだんだら羽織を着て、総出で行列組んだのは何の為かって、目立つ為でしょう。やってやったぞって見せびらかさなきゃ討った甲斐がない」

一八さんらしい物言いだった。しかし私としては作兵衛を討った後に、そんなふうに誇らしい気持ちになれるとは思えなかった。「殺生を犯したくないと思うのはよく分かる」そう言ってくれたのは、剣術を教えてくれていた与三郎さんだった。

与三郎さんはどこか父と似ている。「堅物で融通が利かない」と小屋の人々からは散々揶揄されているが、それでも動じることがない。その人が私の躊躇っていることを認めてくれる。それだけでも幾らか救われる気がした。

「まあ、千秋楽までには片を付けねえとな。金もかかるしな」と、金治さんが言う。作兵衛が博徒のふりをするための元手を金治さんが出しているし、長屋も貸し出せずにいる。・・・・


長らく太平の世を引きずってきた江戸時代、もはやあだ討ちなどの気概は遠くの昔の語り草となってしまった。まだ地方の武士の中には気骨あふれる主君尊王の武士もいて藩の財政を預かる輩は老中の腐敗を見てしまった。

元服間際の少年はそんな不正を暴こうとした父上の仇を求めて江戸まで出てきて芝居小屋にたどりついた。しかしそのあだ討ちそのものにも不合理があって・・元はというと父親の上司、老中の不正を見破ってしまった父の苦悶の後始末ということになる。


この作品、今期の直木賞に選ばれた。元禄の江戸時代に繁栄を享受する江戸市民の意識と地方の武家のしきたり・・その陰にある幼少君主を擁く藩の台所事情にまつわる不正の横行の影を鋭く・・しかし巧みな庶民文化である芝居に見立てて解決した。

むかしNHKで「コメディーお江戸でござる」なる番組があって解説を担当した故、杉浦日向子氏の面白おかしい解説に興味が注がれたことを思い出す。

庶民と武家の生活に対する意識の差は元禄になって著しく乖離していった。四十七氏の討ち入りが庶民に娯楽としてもてはやされるようなこの後にも地方の武家には更に武家の鏡の風潮は根強かった。



[No. 596] 12月 11日


   集英社「我が友、スミス」石田夏穂
          2022年作・ 165 ページ 

・・・次の種目を求め振り返ると、運命のようにスミス・マシンが空いていた。いそいそと駆け寄り、無事に陣取る。トレーニング・ベンチの位置を調整すると、入念に肩と肘の準備運動をした。ベンチ・プレスをするつもりだった。

手の平に、鉄臭い冷気が伝わる。まずは、プレートを付けずにウォームアップする。上腕に熱い血が通い、めきめきと目覚めるのを感じる。スミスの、シャー、というレールの手応えは、そのまま私の人生に対する手応えであり、私の生きる実感に対する唸り声だった。

ふと、Gジムのスミスのレールには慣性の影響が大きく、Nジムのスミスとは別物であることに気づく。バーベルを勢いよく持ち上げた時、レールの余力により、バーベルが手から離れる一瞬が生じるのだ。ちょうど赤ちゃんを高い高いした時のような掛け替えのないものが、一時手の平から離れる感覚だ。

一方、Nジムのスミスでは、そうした余力に惑わされることは無かった。あのスミスのバーベルは、身体の一部さながらに、ピタリと私に寄り添った。そんなことが、今更懐かしい。・・・・


この作品は昔読んだことのある・・・「かもめのジョナサン」・・てきな驚きをもって読んだ。ここに出てくるスミスとはボディビルに欠かせないバーベルの装置のことだろうか。普段スポーツで見るバーベルの持ち上げはもし失敗したらとんでもないことになりそうです。

ここでは筋力をつけるためにバーベルをを上げるとき左右にレールがついていてバランスに気を使うことなく安全に扱える機種らしい。


30歳を目の前にした勤め人の彼女が突然に体のことを気にし始めてスポーツジムに通い始めた。見る見るうちに上達してきて素人にしては見違えそうなほどに筋肉美になった。コーチに褒められてボディービル大会に出てみないか‥と誘われる。

コーチの指導の元一心にトレーニングに励んで大会に出た。結果は散々な目に遭ってしまったがこれからも励んでいこうと心に決める。

かもめの・・?、それってオレのこと・・?身がつまされるな〜。そんな簡単に大会で上位が狙えるほど世の中甘くない。そしてジョナサンもチャレンジすることの中に人生を見出したんだったっけ。ちなみにこの作品も芥川賞候補になったけれど受賞には至らなかった。



[No. 595] 12月  7日


   講談社「プラトン的恋愛」金井美恵子
          1982年作・ 267 ページ 

・・・自分の書いた小説について語るということ、あるいは書こうとしている作品について語る、ということを、なぜ誰でもが回避しようとしながら、ついに語りだしてしまうのだろう。

沈黙が命ぜられているのにもかかわらず、語りはじめられる言葉。真実を語ろうとする欲望によって語りはじめられながら、実は真実を覆いつくす言葉を、なぜ語りはじめるのだろう。(自作を語る)といったことの中で要求され期待されているものが何なのか、それはある種の告白というものなのかもしれない。

告白と見せかけたものの中に、巧妙に幻想自体となった《書物》がひそんでいるという形式をわたしは夢想する。ようするに告白することなどは何もなかった。ただ、私は自分の小説を読むことに、奇妙な情熱を感じていたのだった。・・・・


私がまだ多感?であったころテレビのコマーシャルで野坂昭如さんの少し狂った音程のウィスキーのコマーシャルを耳にタコのできるほど聞かされた記憶があります。

「・・♪、ソクラテスかプラトンか・・ニーチェかサルトルか・・」・・・プラトンってなんだ?、そして辞書を引いてそれぞれを知りその考え方をかじった記憶がまだ新しい。金井さんの作品を読んでみましたがオイオイひょっとして俺と同年代か・・?

まあ、彼女とは5歳ほど私の方が年上でしたが精神年齢ではかなりのお姉さんです。歌詞の中で酔っ払いが呟くようにつまりみんな悩んで悩みながら大きくなった。

つい先日コロナ禍真っ最中に私も本を上梓した。恐らく作家さんでしたら多くの資料をまとめ上げ作品にした。私も16年に亘って書き留めてきたメモを一応の冊子にまとめてみた。作業は一流作家と何も変わりません。
しかし、その後の感情まで同じだったことに安堵というか作家の弱さというか…プロもアマチュアも変わらないんだと思った。

製本した本はすでに手元から散逸しました『 青 春 切 符 』ネットで読むことはできますのでどうぞ。



[No. 594] 11月 17日


   角川文庫「神奥の山」風野真知雄
          2008年作・ 214 ページ 

・・・「いや、さっきから見覚えのある男が、この前を行ったり来たりしてるんだがね。誰なのか思い出せないんだよ」「どれどれ」夏木に続いて、藤村慎三郎も下を見た「あの、上品そうな男か?」「そう」

いかにも高そうな茶の着物にこげ茶の羽織を着た町人が、初秋亭をのぞきこむように通り過ぎるところだった。門も戸も開けっ放しだが、下には誰もいない。「隣の番屋に用でもあるんじゃねえのか?」と、藤村が言うと、「いや、視線はずっと初秋亭だったな」

目のいい夏木が言った。しばらくもどって来ないので、やはりちがったかなと思ったら、「あ、古仙堂の包みを持ってきた。手土産だよ」と、仁左衛門が小声で言った。古仙堂は永代橋のたもとにある煎餅屋で、値が張るのでお遣い物にされることが多い。

「暗い顔だなあ。面倒な相談ごとかもしれないよ」「どうせ、やれることしかやらねえんだから」と、藤村は笑った。案の定、訪いの声があったので、三人は下に降りた。玄関口にいたのは、五十年輩の男で、沈鬱な顔をしている。


読み始めて・・おや?、以前読んだことのある文脈。検索してみるとありました2年前の12月に読んだ作品。その副題は「大江戸定年組」。もと奉行、もと大店の主、もと旗本・・それぞれ仲のいい幼馴染の隠居仲間の話でした。

身分も育ちもそれぞれではありましたが幼いころ大川で水泳したり土手で相撲を取ったりした幼馴染たちでしたが次世代をそれぞれの二世に託して隠居しましたが3人で空き家を見つけてここを遊びの拠点にしようとまた集まったのでした。

取りあえずは町内近所の嫁さん探しの手伝い、困りごとの相談や家出した猫の探索、果ては昔取った杵柄で多少のもめごとまで知恵を出し合って解決しようか・・・という遊び半分の集まり。

私も定年退職した時はまだ元気充分。仲間でスキーのクラブを作ったりしましたがまさにこの作品の主人公・・真っ盛りで楽しかった。10年すると死別や体力激変などの理由で離脱解散・・。定年解放のときの喜びは今でも忘れられない感動物でした。でも現世代は働き方改革・・?、もっと働き続けなさい・・?、それに甘んじて働く人が多いですがモット自分のしたいことを前面に押し出す人生の楽しみを味わってほしい。
ついこの間幼馴染と諏訪のお蕎麦屋さんでコロナ禍の後3年ぶりの再会をしました。80歳近くの3年間・・・、もうお酒は辞めた仲間もいて変わりますね。


[No. 593] 11月 17日


   文芸春秋「ハンチバック」市川沙央
          2023年作・  80 ページ 

・・・厚みが3,4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、ほかのどんな行為よりも背骨に負担をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、ーーーー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。

その特権性に気付かない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。曲がった首でかろうじて支える重い頭が頭痛を軋ませ、内臓を押し潰しながら屈曲した腰が前傾姿勢のせいで地球との綱引きに負けていく。

紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ曲がっていくような気がする。私の背骨が曲がり始めたのは小3のころだ。私は教室の机に向かっていつも真っすぐ背筋を伸ばして座っていた。クラスの3分の1ほどの児童はノートに目を引っ付け、背中を丸めた異様な姿勢で板書を写すのだった。

それなのに大学病院のリハビリテーション科でおじさんたちに囲まれながら裸に剥かれた身体に石膏包帯を巻きつけられたのは私だった。姿勢の悪い健常児の背骨はピクリとも曲がりはしなかった。あの子たちは正しい設計図を内蔵していたからだ。


この本が今年の芥川賞に選ばれたとき私は秘かな楽しみを感じていた。この作家さんのプロフィールなどすでに多くの方の賞賛を得て不遇な生活環境にもかかわらずノミネートされついに受賞した・・・と。

しかし、あなたは私の人生の半分しかまだ生きていない。自分の体の設計図が不完全な形で生まれてきてしまった…ことを前面に打ち出してのこの作品に私は真っ向反対したい。そんな完璧で神様からの設計図通りの人なんて皆無、みな50歩100歩ですよ。しかもあなたは「・・私の体は生きるために壊れてきた・・」とまで言っていますがそれも皆99歩100歩です。

ましてや設計図には耐久年数までは想定していないでしょう、この高齢化社会まで。ただみんな言葉に発しないだけです、あそこもここも自由が利かなくなり苦しみながらも人生の尊厳はまっとうしようと努力しています。

先ずこの作品はそんな設計図の不備なんていうヨロイを降ろしてもう一度書こうとした本音を分析し聞かせてほしい。私はこの作品の入り口に佇んだまま強い光を感じてはいますが。



[No. 592] 11月 10日


   講談社「オリーブの実るころ」中島京子
          2022年作・ 211 ページ 

…夫の生活はほとんど変わらず、朝起きて、ガリップに餌をやり、食事を食べて出勤し、夕方にガリップを車に乗せて帰宅した。土日は畑仕事をしてガリップと昼ご飯を食べ、たまにわたしたちは諏訪湖にピクニックに出かけた。冬にはワカサギを釣りに行った。

少しお金が貯まると、夫婦で旅行をする。一度だけヨーロッパに行ってみたけれど、二人とも英語ができないので緊張して楽しめず、旅は国内がいいということになった。行っても二泊三日くらいの温泉旅行なので、その間、ガリップはひとりで過ごしているらしい。

私たち夫婦の旅行は、だから秋から冬に限られる。その時期だと諏訪湖に白鳥たちが来て、ガリップもさみしくないだろうと思うからだ。夫はお酒が好きだから、お土産は旅行先で買う地酒が多く、そのほかにも土地のおいしいものなんかを買って戻って、晩酌をするときにガリップもちょっと?んだ。

呑むと陽気になってガリップは歌を歌った。瀕死の白鳥というわけではないから、とくに美しいわけではない。ガリップは歌も歌うし、よく話しかけてくる。なんといっているのかあいかわらず不明だけれど、長くいっしょにいると分かるような気がすることも多い。


この本には6編の作品があってもちろん「オリーブの・・」が主の作品でしょうがひとつ前の「ガリップ」も面白かった。私の子どものころに諏訪湖は冬季全面結氷したので白鳥の飛来はなかった。近年の温暖化で結氷しなくなり白鳥も飛来し冬を越す。

わたしは岡谷に棲む水田から松本の勤め先で諏訪湖に釣りをしに来ないかと誘われた。初めてのドライブデートは諏訪湖だった。水田は両親の住んでいた大きな家にひとりと一羽とで住んでいた。その一羽というのが白鳥のガリップだった。

水田が車で帰宅する途中でその白鳥は怪我をして道端にうずくまっていたのを車に乗せて家に連れ帰り白鳥の緊張をほぐすためにまず少しのお酒を呑ませた。そんな治療で食事もとってくれて元気に回復して飛べるようになっても家に居ついた。

この本の装丁画・・・に白鳥が水田との結婚式であろうかと思わせる絵が描いてあった。本を読み進むうちにそれがなんであったか明らかになった。



[No. 591]  9月 24日


   講談社「五つの首」井沢元彦
          1984年作・ 308 ページ 

一人の若い武士が夜空の下を歩いている。酒に酔い、心の中には激しい怒りが渦まいている。とももなく、その男は噴き出そうとする激情を押さえようとしているかのようだ。酒といっても、ただの酒ではない。

万里の波頭を超えて異国から運ばれた香りの高い逸品である。町の中には、異国の人間もいる。南蛮人の船長、唐人の通詞ーーーここでは誰も互いの存在を気にもとめない。

泉州の堺、それがこの町の名である。男はふと視界を宙に止め、唐詩を口ずさんだ。「葡萄の美酒、夜光の杯、飲まんと欲すれば琵琶馬上に催すーーー」突然、背後から乾いた声が唱和した。

「−−−酔うて砂場に臥す、君笑うこと莫れ。古来征戦幾人か回る」男は、魚のようにどんよりと濁った眼で、後ろを振り返った。坊主頭の背の低い男がそこにいた。「何者だ?」

男の問いに対して、その小男は顔をわずかに歪ませた。それがその小男が笑う時の仕草だとはあとでわかった。・・・・



13代将軍・義輝の死後後継者のもめごとの最中そのもっとも将軍の有力な候補者としての義昭は当時越後に逃亡していたのち全国各地の守護大名に上洛の手助けを依頼していた。

ときに織田信長は美濃を平定したての田舎侍であった。そんな折、義昭上洛の手助けを依頼され有頂天になり、この絶好の機会をもって自らも率先して上洛を成功させようと企てた。一方、元美濃の国主・斎藤龍興はなぞの生臭坊主円海防俊玄と組んで信長の首を狙おうと画策を煉り立ち向かった。

戦国時代の歴史の陰には掘り起こせば幾多のドラマが展開されたでしょう。しばし歴史ものの娯楽作品として秋の夜を楽しみました。


[No. 590]  9月 21日


   講談社「日曜日たち」吉田修一
          2003年作・ 193 ページ 

・・・「待って、ど、どこ行くの?お願い、待って!」必死に声をふり絞った。ここ何年もずっと堪えていた声が、やっと出てくるような感じだった。「逃げたって、また捕まっちゃうよ。ふたりで逃げたって、また捕まっちゃう。子供ふたりじゃ、生きていけないよ」

腕の中で暴れる男の子を、乃里子は必死で抱きしめた。男の子があがけばあがくほど、必死の力で抱きしめた。肩で息をしているのが、自分なのか、男の子なのか分からなかった。「放せ!放せよ!」

ほとんど悲鳴に近い男の子の声に、涙が混じっているのに気がついた。何を脅えているのか、「放せ!放せ!」と喚きながら、ブルブルと体を震わせている。「大丈夫!大丈夫だから。絶対に、大丈夫だから」男の子を抱きしめたまま、乃里子は夢中で何度もそう繰り返した。

「…施設に入れられたら、…ユウヤが、ユウヤが、どっかに連れてかれてしまう。お願い、放してください。・…お願い」。乃里子の腕の中で、ブルブルと震えている男の子が、そう言った。必死に声をふり絞ってそう泣いた。そっと近寄ってきた弟が、泣いている兄の肩に手を置いて、脅えた目で乃里子を見つめる。男の子が何度もそう呟いて泣く。兄の肩を掴んだ弟が、一緒になって頭を下げる。

「・・・・そんなことさせないから。お姉ちゃんが、絶対にそんなことさせないから!」自分でも信じられないほど強い声だった。・・・・



乃里子は自身の生活に区切りがつかず「自立支援センター」に幾度か電話で相談した。「一度、こちらに来てお話しませんか?」と誘われて出向いたがそこに相談しに来る人たちの中には自分よりはるかに途方に暮れた人たちがいることを知る。

幾度か訪れている中で自分でも相談の電話を聞いてあげれれることを知り、お手伝いもするようになった。この本には都会で生活している20〜30代の5組の若者たちの葛藤を描いていてそのうちにも乃里子もいた。

5組の若者の中にいつも絡んでくる幼い兄弟たちが登場してきていて乃里子がその行く末を見届けることになる。


[No. 589]  9月 15日


   講談社「海に降る雪」畑山 博
          1976年作・ 296 ページ 

・・・「ねえ、かんじんなことって、何のことよ」「君の?が耐えられないっていうことさ」彼女は、唇をふるわせて裕一を見返した。それからその目がゆっくりと押し入れのふすまの方に向けられた。「何のこと。何のことよ。卑怯な人ね」

「卑怯な人は、君の方だろう」思わず彼は押入れの方へ顎をしゃくってしまっていた。塩子は乱暴にスリッパを脱ぎ、押し入れの方へ歩き出した。もう一度押し入れのふすまを閉じ、彼の方を振り返ったとき、塩子の目は乾いていた。乾いて小さくなった目が、ゆっくり脳漿のなかへ沈み込んでいく。

じっと見つめているととめどなく遠ざかってゆきそうな目つきだった。「音のかみさん。私の手紙か日記を読んだのね」「ああ、読んだ」「卑劣漢」「卑劣は君の方だ」何か得体の知れない吸引力のために沈み込んでゆきながら、必死に抗っている目だった。

とつぜん塩子は笑い出した。ひゅうっと息を吸い込みながらする、あのいつもの笑い声ではなかった。「嘘だもの。嘘だもの。あんなもの」「嘘じゃない」井岡祐一は、こめかみをふるわせながら睨んでいた。「あなたなんかには分からないのよ」塩子は叫んだ。

「あなたなんか…分かりっこないのよ。家の中はいつも喧嘩で、わあっと駆けだすみたいにして東京へ出てきて。でも、朝、出勤のときの駅の名憶えるだけでも精いっぱいで、街ではいつも一人ぼっちで、お金もなくて。会社がひけると、いつも一人で大通りのショーウインド覗きながら、ただ歩いているだけだった女の子の気持ちなんて、あなたになんか、分からないのよ」

彼女の声は、だんだん低くおろおろ声になってしまった。「私をぶったらいいでしょう。早く、ぶってよ。直ぐに帰って。殴って帰って。帰って。帰って」・・・・



井岡祐一は山形出身、放送関係の音響制作に携わっていた。今里塩子は秋田県出身で旅行業者のアルバイトをしていた。番組制作中にたまたまゲスト出演していた今里と井岡は何気ない言葉を交わしそれをきっかけに高尾山にハイキングに行く。気心も知れるようになり結局同棲した。

小説のストーリーとしては若い男女が知り合って同棲するもお互いの欠点も目につき始めて別れてしまった・・・・。単純な作品だ、でもなぜこれだけの文章を費やしてこんなバカげた内容を深く掘り下げたのか・・・


この作品の作者を初めて目にした。新人かと思ったら私より7つ上だという。作品の制作年からすると作者本人のというか当時の先端的な若者たちの風物を自身の体験を通して伝えたかったのかもしれない。


[No. 588]  9月 10日


   小学館「かみがかり 」山本甲士
          2014年作・ 389 ページ 

備品用のスチールロッカーの扉を開けて中を覗き込んでいた井之口庶務係長が舌打ちした。机の上で支出命令簿をファイルに閉じる作業をしていた須川沙紀は、条件反射的に手を止めて、少し身を固くした。

向かいの机でノートパソコンに向かっている後輩の池下晴美と、一瞬目が合った。しかし池下晴美はすぐに視線をノートパソコンに戻し、何事もなかったかのようにキーを打ち続けている。私の知ったことではない、どうせ文句を言われるのはあなたーー冷ややかな視線はそう言っていた。

案の定、井之口係長は「須川さん」と大きな声で呼び、手招きした。沙紀は「はい」と答えて席を立った。また、弱々しい返事をしてしまった。この段階でもう負けている。沙紀は自己嫌悪にかられながら、井之口係長の方に歩み寄る。「A4の封筒、これだけしかないのか?」

井之口係長はロッカーの中に積まれてあるそれを指差した。普段からあまり笑顔を見せず、しかめっ面をしている男が、さらに厳しい顔を作っている。「あの・・・」沙紀は、自分の声が少し上ずるのを感じながら、一度唾を飲み込んだ。

「二百枚はあると思うんですけど」「それじゃ足りん」・・・・



そんな気の弱い沙紀ではあったが気晴らしに髪形を変えようと理容院に行った。話し好きの女性があちこち気持ち良いマッサージをしながら沙紀は気持ちよさから眠ってしまった。無意識の時間の後、「起こしますよ」の声で目を覚まして鏡を見て驚いた。

誰、これ。沙紀は目を疑った。「ま、眉が…」「どう、いいでしょ。髪型にもぴったり」女理容師はいかにも満足げに笑っている。


結局沙紀は勤め先に行っても係長対応も理にかなった説明をして納得させる。周囲も何か沙紀の心境の変化を積極性の中に感じて一目置かないわけにはいかない。

山本さんのこの本には6編の作品があってそれぞれが着るものを変えることで大変身、とか持ちもををそばに置くことで弱腰の人が強い気持ちを持つようになった話。まあ、人間の意識がそんな簡単に変えられれば世話はないですが清涼飲料的作品です。


[No. 587]  9月  4日


   新潮社「忍ぶ川 」三浦哲郎
          1960年作・ 375 ページ 

・・・私は二階へのぼろうとして、ふと台所をのぞくと、姉が流しで、ざぶざぶと顔を洗っていた。夜、寝る前に、水で洗顔することは姉の毎夜の習慣で、私も前から知ってはいたが、その時、私はとっさに、姉が今まで、そこで泣いていたのではないだろうかとうたがった。

志乃がよいにつけ、わるいにつけ、敏感な姉の心は揺れているはずだった。私は、もし自分が死んだきょうだいたちのうちのだれかだったら、このまま、そっと二階へあがっただろうと思いながら、どすどすと足音荒く流しにあるき、姉の背中へ、「おい。」といった。

姉は、濡れた赤い顔でふりむいた。私は、その顔にふれんばかりに近寄って、わざと乱暴にいった。「俺の嫁さん、どうかね」姉は、水滴のたれこむ目をしょぼしょぼさせて、わらった。「いいひと。」「あんたの妹だぜ。うまくやっていけそうかい。」

姉は無言でわらいながら、拳をふりあげ、親猫が子猫をぶつような、肉親だけの親しさをこめて私の胸板をどすんとぶった。「ありがとう。」私は、志乃との結婚が成功したと思った。・・・・



わたしは深川にある学生寮のそばにある料亭「忍ぶ側」で下働きをしていた志乃と懇意になって休みの日にこの先の木場あたりを散歩しようか・・と相談した。お互いの身の内などを話しながら私はこの人を守ってやりたいと思うようになる。

一方、志乃も私の不運な家族の現状を理解してくれてまだ大学2年生の在学中ではあったが志乃を青森の実家に連れていって家族にたいそう喜ばれた。


この作品も三浦哲郎さん自身の私小説といってよい作品です。比較的豊かだった家庭生活・・、しかし二人の姉を自殺という形で失いそしてさらに二人の兄を出奔という形で亡くす。残された一人の姉は目が少し不自由で6番目の末っ子だった彼の生活も辛酸をみる。

苦境を乗り越えて若い二人の純愛を貫いたこの時代の芥川賞に輝いた。


[No. 586]  8月 30日


   新潮社「しんせかい 」山下澄人
          2017年作・ 153 ページ 

・・・誰かがそういった。「あんたの話って何ひとつまともに聞かれへんわ」  天だ。天がそういったのだ。天は高校の同級で去年の春高校を卒業してからたまにあったりしていた女で、しばらく遠くへ行くということをきちんと伝えようと昨日会った。

何か月も前に遠くへ行くと伝えた気でいたのだけど前の日「明後日行く」と電話したとき天がはじめて聞いたように驚いたのでそのことに驚いて会うことになった。「明日って何なん」天がいった。

「明日って何よ。そういうことってもっと早いうちにいわへん?普通」「いうた」「いうてへん」そうなのか。いった気がするけどいってなかったのか。なのなら謝った。「ゴメン」そのときだ「何かいっつもそうやな」

「え」「あんたの話って何ひとつまともに聞かれへんわ」といったのは。・・・・



山下澄人19歳、たまたま誤配送された新聞・・・、たまたまそこに載っていた劇団関係の広告に目が行って某首謀者の塾生募集に応募したら運よく合格の手紙をもらった。東京会場の面接場で二次試験に合格して北海道富良野にある塾に入った。


この作品は作者本人の私小説。テンポも良く淀むことのない文章の運びは読んでいて気持ちがいい。途中で連絡船に乗る段階で同期生仲間と待ち合わせて挨拶しあった、「おれ、空手を少しやったこともあるのでブルース・リーとか高倉健みたいになりてえ」。

「へー、それで塾の先生の作品ではどんなのに感動したの・・?」「え!?、そんな先生だったの・・?」。演劇にほとんど無関心だった山下澄人はなんとあの有名な演劇・脚本家で有名な倉本聰の私塾・富良野自然塾の二期生として入塾した。


この作品、2017年の芥川賞を受賞。その二年前にはお笑い芸人の又吉直樹さんが「花火」で同賞受賞していたがその後はあまり作品の発表はありません。しかし山下さんは脚本家として、劇団主催者として、また作家としても多くの実績を上げている。これからも楽しみである。


[No. 585]  8月 26日


   講談社「夏の約束 」藤野千夜
          2000年作・ 193 ページ 

・・・しばらく一緒に住むというヒカルの「しばらく」は、はじめから四日間の期限つきだった。仕事がぽっかり空いたので、一切連絡を取れないようにしてマルオの部屋に来たのだと言う。

あると使っちゃうから、と携帯電話すら持ってこなかったそうだから、それでも一応は本気の逃避行だ。白い割烹着姿のヒカルは、ちゃぶ台の上を得意料理でいっぱいにして待ち構えていた。後片付けも全部自分がすると主張する。

「いつまでもそんな性役割にハマってていいのかね」流しに運ぼうとした皿を勢い良く取り上げられたマルオが呆れて指摘すると、「いいの。ポリシーとファンタジーは別物なの」

ヒカルは平然と答えて、わかってるから言わないの、と甘えた声を出した。・・・・



社の総務課に勤務する松井マルオとフリー編集者の三木橋ヒカルはもうすでに27歳同士、それぞれの仕事も安定していたが知り合って以来お互いを大切に思うほど深い中になっていた。


今から20年以上も前の芥川賞作品です。今でこそジェンダー・・問題だとか性の多様性・・だとか大っぴらに直接批判することも憚れる現代社会ですがまあそれなりに認められる社会構造にはなっている。

でもそういった世代社会に関心は持てない私は古いオジサンなのでしょう。この時の審査諸先生のご意見を見ると石原慎太郎ひとり「ただつまらなく・・退屈な・・」。前作の吉行淳之介さんの男と女のドロドロ・・を読んだ後ではオレも「たいくつな・・」



[No. 584]  8月 18日


   新潮社「原色の街・驟雨 」吉行淳之介
          1954年作・ 313 ページ 

・・・不意に、男と女の会話の声が、大きく廊下に反響した。部屋の戸を開いて客を送り出そうとした足を止めて、戸口で話し合っているらしい。女の声はユミの声だから、廊下の突き当りの部屋だ。ユミは約一か月以前に来た娘である。

機嫌の良い、はしゃいだ声を出して、東北訛りをまる出しにして喋っている。ユミは平素は標準語を装って話すことにしているのだから、どうしたわけだろうか、とあけみは聞き耳を立てた。すると、男も東北弁を使っていることが分かった。

「んだらなあ、スンジョていうどごを知ってんべ」「ほだなどご、オラ知ゃね。どさあんなや」「ほうれ、新庄よ。歌の文句にもあんべ。わたしゃ新庄の梅の花、あなたナントカの鶯よ、て、ほれ、あんべや」「マムロ川音頭だべ。ヤットン節のもと唄だべなあ」「んだ。んだ」

ユミは普段押さえつけていなくてはならぬ訛りを憚るところなく使えるのが嬉しいらしく、ことさら強く訛りをひびかせて話しているように聞こえた。・・・・



この本には昔の赤線時代の作品を載せている。前作は1951年の芥川賞候補になり次作は芥川賞を受賞している。赤線・・・が法律によって禁じられたのは私が高校生のころ、当時私は上諏訪駅前のゴミゴミした繁華街のあるこの辺が赤線地帯だな‥?と感じていながら通学の近道として毎日通っていた記憶がある。私は当時まだ何にも知らない奥手の朝から晩までスポーツ少年だったころである。

原色の街・・・ではそこに暮らす女たちのこんな生活から抜け出したい気持ちを赤裸々に表現している。

当時の世の中ではそれが当たり前と考える時代背景を感じるものの今この小説を読むと実にひどい、そしてそれが当たり前だった時代を経て今があることに人類としてのうしろめたさを感じる。



[No. 583]  8月 15日


   角川文庫「残されたつぶやき 」山本文緒
          2022年作・ 219 ページ 

・・・今でも時々、もし高度な治療を受けていたら、もう少し生きられたかもしれないと思うこともあります。あまりに病院嫌いなので、いつの間にか年に一度の健診にもあまり連れていかなくなっていて、それも時々後悔してしまいます。

でもやはり仕方なかったのだ、最後の二か月、さくらになるべく苦しい思いをさせず、穏やかに過ごさせてよかったという気持ちが大きいです。私のベッドに上がり下りできなくなった最後の10日間は、リビングに布団を敷いてさくらといっしょに寝ました。

さくらはただの三毛猫なのですが、私にとって、親友で姉で妹で娘で、母親みたいな、恋人みたいな存在でした。いなくなってしまって淋しいです。でもさくらと過ごした楽しい時間や、ほわほわであったかい体の重みは、私の生涯でものすごく貴重な宝物になりました。

さくらがいてくれてよかった。さくらが幸せだったかどうかは、相手は猫だからわかりませんが、少なくとも私のことを好いてはいてくれたと思います。・・・・



改めて愛猫を亡くした悲しみがひしひしと伝わってきます。その前には実父も亡くなっていました。そして彼女自身も鬱病の疑いもあって入退院を繰り返していた。そんなことを初めて知りました。

2021年の初め、本屋大賞にノミネートされたときその本は読もうと私の本の購買リストにノミネートされていました。その夏にその作品は中央公論文学賞を受賞したのを機会に購買して私の電子書籍には既にダウンロードして読書順番待ちでした。

さあ次はその「自転しながら公転する」を読む番だぞ‥と思っていた矢先に10月13日、山本文緒さんの死を聞きまだ58歳という若さだったことも知りました。それほどに作品と作家さんに対してのインパクトを感じた記憶はなかった。


この本は彼女のつぶやき・・、実際に彼女自身がSNSを駆使して発信した言葉を取り纏め冊子に仕上がっています。残された作品の数々も何れはわたしも読んでいくことでしょう。


[No. 582]  8月 12日


   自費出版「初春のつどい 」富岡 俊
          2020年作・ 20 ページ 

・・・したがって、自分の発言に対応する他者の発言がないからと言って全く気にならないし、彼らの間に精神的なわだかまりが発生するようなことは、まず考えられない。一方の高村と鈴宮は、この種の話に立ち入ろうとはしないものの、この世界が嫌いだからではない。彼らにとって、こうゆう厄介な世界は面倒であるし、苛立ちが発生する。したがって、彼らには「自分たちが純粋に目指し実践している生活に、なるべく余計な苛立ちを持ち込みたくない」という思いがあるからだ。

彼らは、三者三様にお互いの目指す方向を理解しあっている。というと、弊害があるかもしれない。彼らは生き方も、考え方も、まったく異なっている。互いに理解しあうには、あまりにも相違が大きすぎる。

では、彼らを互いに結び付けているものは一体何か?一言で表現すれば、自然と内心に響き合うものがあって、気付いてみれば気心があっていた、ということかもしれない。

生き方や考え方は違っていても、会う回数を重ねるごとに情が通じて、互いを尊重する気風が、自然体で生まれていたのである。・・・・



77歳の草田と75歳の高村そして69歳の鈴宮の三人はお互いの散歩コースを歩いていて知り合って会話するようになって早10年もする。そしてしばらく会う機会がなかったのがこの春の暖かさに誘われて散歩に出て、また偶然に遭うことができた。

草田はこの仲間では年長者ということもあるが実は社会全般に対して一見識を持つのだが高村と鈴宮の二人ともそんなことには無頓着、そして自分流の生き方を実践し今の生活を謳歌している。


私の高校のクラスメートの作品です。以前No.329 「山菜と橋」を読ませてもらって以来、最近作を所望したところこの作品を送ってきた。しかもこのつづきが書けなくなってしまった・・・という。不惑の歳・・というにはとっくに過ぎ去った人生である。

人類にとってお互いすでに80歳を超えてもそこに生きる価値を見出すことは酷かもしれない。つまりにわか仕立ての価値観には迷いも生じる・・・・、10年前の純粋な気持ちの作品を待ちたい。

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[No. 581]  8月  3日


   実業之日本社「三人屋 」原田ひ香
          2018年作・ 258 ページ 

・・・朝日は思う。人と言うのは、朝と夜とでこんなに変わるものかと。いや、一人一人の人間はそう変わっていないのだ。皆、よく知った顔ばかりである。なのに何かが違う。懸命に営業していく中で、それは「距離」なのではないかと思ってきた。

夜の男たちは、ほんの少し距離が近い。直接触ってくる、とかではない。ただ、これまで半径一メートル以内には入ってこなかった人が、半径七十五センチメートルぐらいまで入ってくる。たったの二十五センチがどこか違う。

それに自分とまひるはまだ慣れていない。慣れていないどころか、まったくその距離感をつかんでいない。今はまだ、彼らは見逃していてくれる。自分たちが続けてくれと言った手前、辛抱するしかないだろう、と思っているのかもしれない。

でも、それがいつまで続くのか。いつまで我慢してくれるのか。朝日には分からない。・・・・



新宿から西に15分ほどの私鉄駅の商店街に暫く閉店していた喫茶店がどうやらまた再開される様子だった。蔦が生い茂った店もリニューアルに向け綺麗に刈り込まれて看板も見えた。「ル・ジュール」、朝は末娘の朝日が経営する早朝喫茶、昼は次女まひるの経営するうどん屋、そして夕方になると長女夜月の経営するスナックになる。彼女たちは父母が残してくれた遺産ともいうべき喫茶店をそれぞれが引き継ぎたいと主張して・・・しかし、お互いかなり不仲の姉妹であった。

ただ共通していたことは今は亡き父親が音楽大を出てピッコロの奏者として楽団に入って演奏していたとか‥の聞き伝てでしかなかったが誇りに感じていた。


私は男三兄弟の末っ子で育ちました。しかしその性格は三者三様、長所欠点も似たり寄ったりではなかったかと思います。しかしここに登場する三姉妹のうちまだ大学生の三女以外はみな男との縁に不幸が付きまとってしまいがちです。でも尊敬していた父親がかつてのクラスメートと言う男が店に現れて話を聞いた父親像に疑問を感じる。そこで不仲な三姉妹たちも少し結束していく・・。別に不仲ではなかったですが私の三兄弟も親父の死をきっかけにさらに絆を増した記憶も新しい。


[No. 580]  7月 28日


   新潮社「終の住処 」磯崎憲一郎
          2012年作・ 131 ページ 

・・・ドアを開くなり、彼は妻と娘に向かって叫んだ。「決めたぞ!家を建てるぞ!」。妻は落ち着いていた、彼の全身を真正面から見据え、目と口元でゆっくりと微笑みながら応えた。「そうね、もうそろそろ、そういう時期ね」

それはまるで家族で遊園地へ行ったのがつい昨日であるかのような、十一年間ずっとこの応答の中に留まり続けていたかのような、滑らかで自然な話し方だった。白いものの混じる、長くまっすぐな髪はひとつにきつく結ばれ、黒いセーターとベージュ色のスカートは細身の体に皮膚のように貼りついていた。

化粧をまったくしていない、素顔のそのきっぱりとした美しさは懐かしい風景を見ているような印象を与えたが、同時に魔女めいた恐ろしさも感じさせた。この魔力に屈したが最後、妻が視線を送る遠い異国へと連れ去られ、二度とは戻ってこれないかもしれなかった。

しかし彼の決心はもう変わらなかった、どうしても家は建てられなければならなかった。・・・・



彼はいわゆる一昔前の日本人のサラリーマンの典型かと考えてみます。その底辺は男尊女卑と意識せずにふるまってきた家庭を尊重することに対する無能さが如実に色濃く感じます。

たしかに大きな仕事をやり遂げて重大な会社の重責を果たして我が家に戻った時改めて娘がいなくなっていることに気が付いた。「娘は今、アメリカで暮らしてるのよ・・」と妻に言われて愕然とする。


若い時には決してそんなことはなかったのに今では階段の窓から夕陽を見るのが好きになってしまった。そして眠くなることも年と共に強まってくる。はるか向こうからゆっくりと近づいてくる死とも無関係ではないように思われた。


[No. 579]  7月 24日


   新潮文庫「とわの庭 」小川 糸
          2023年作・ 251 ページ 

・・・ふと、このリボンを首に巻き付けて天井からぶら下がったらどうなるのだろう、と想像した。世の中には、自らが自らの意志で命を終わらせる手段があることを教えてくれたのも物語だ。

でも、わたしにはできなかった。第一、首をくくるのに、このリボンでは頼りなさすぎる。このリボンは今、私の人生に何の役にも立ってくれない。空腹で、その場に倒れ込む。もう動けない。悲しいけれど、ここはゴミ屋敷なのだ。わたし自身も、そのごみの一部なのだ。そう思うと、生きながらにして、体の端から腐っていくように感じた。

腐敗は少しずつ広がって、いつしか私のすべてを覆い尽くしてしまう。それでもわたしは、母さんに捨てられたとは認めたくなかった。わたしはまだ、母さんが帰ってくることを信じていた。だって、わたしの母さんだから。わたしと母さんは、(とわのあい)で結ばれているのだから。

意識がもうろうとする。空腹で、空腹すぎて、体が爆発しそうになる。だけど、母さんと会うまでは死ねない。それだけは、わたしの心の中ではっきりしている。・・・・



とわ・・は、母一人に育てられていた。とわ・・は生まれつき目が見えなかった。そして母が働きに行っている時は決して家から出ることもしなかったし二階の窓から感じられる庭から聞こえる小鳥のさえずりを楽しみに暮らしていた。

いつも寄り添って物語の本を読んでくれた母、ある日突然母が帰ってこなくなる。とわは食べれそうなものを見えない手探りで必死にもがいて探していた時、10歳のときのお祝いにもらった品のリボンが手に触った。しかし、とわは初めて一人で玄関を開けて助けを求めた。

とわは施設に引き取られ田中十和子と名をつけられて独り立ちする訓練に励む。そして周囲の状況からもう二十歳を過ぎていることも知る。ある日施設から盲導犬のジョイを授かる。そして生きる喜びを一層深めていく。


この書ではなぜ母親が児童遺棄・・と言うような犯罪めいたことになったかは明らかにされていない。盲目の少女であっても生きようとする意志によって明るい未来が開けていく希望の幕開けを感じさせてくれるのが救いに感じた。


[No. 578]  7月 24日


   関東図書「和 紙 」東野辺薫
          1943年作・ 78 ページ 

・・・「紙漉きって‥‥私みたいな者にもすぐ出来る仕事があるんでしょうか」むらがる想念を払い除けようと、としえは頭を振って眼を上げた。

んだでなと、友太はちょっと考えるようにした。みんな水仕事でずぶの素人には取りつき難いものばかりだが、粗皮とりくらいならばやれないことはないだろう。この手間賃もなかなか馬鹿には出来ないので、もとは一貫匁で二銭程度であったが現在では十二、三銭にまで騰っているという友太に、としえはいろいろと訊きはじめた。

いつか惣吉からも聞いていて、紙漉きを楽な仕事とは思わなかったし、また仕事の辛さが恐ろしいのでもなかった。普通の農家だったら見当もつくのだが、皆目勝手の知れない生業のなかにとび込んで、まるで手出しのならない身のおき場にも困る自分になりそうな気がするのだった。

製紙業といえば上川崎村に限られていて、他村では絶対に手を出さないということからもとしえは何か馴染み難い特殊な生活を想像させられた。・・・・



福島県、現在の二本松市郊外、東北本線安達駅から東に4qほどの山間にある上川崎村は昭和初期には和紙の生産がかなり盛んで品質も良かった。田畑の仕事の合間に養蚕も盛んではあったが厳寒期の副業はもっぱら和紙の生産に充てられていた。

周辺どこでも和紙の生産は出来そうなものであるが、ことさらここ上川崎村でなくてはならなかった理由をあえて挙げれば厳寒期、身もすくむような冷たい水に手を浸し続けられる忍耐力があったということでしょう。

第二次世界大戦の最中、こんな山村にもその戦禍ともいうべき徴兵に多くの人出を取られ次男の惣吉を取られ、そして父宗次郎が没し、ついに働き手であった長男友太まで徴集命令が来て家には女しか残らなくなってしまった。


ふと見かけた戦時中私の生まれた昭和17年ころの芥川賞作品に巡り合った。短編の割には大勢の登場人物がいてその関係図を作りながら読み進んだ。貧しい寒村のなかにも豊かな人間の営みを感じさせる秀作でした。


[No. 977]  7月 17日


   小学館「か び 」山本甲士
          2007年作・ 485 ページ 

・・・かといって、労災を申請したからといって報われるとも思えない。裁判になって長期化するのは見えてるし、身も心もボロボロになることを覚悟しなければならない。ここまでの状況判断は間違っていないと、友希江は思った。

これまで有効な手段を考えつくことができず、追いつめられた気持が募ってきていたのだが、投稿という方法に思い至り、急に視界が開けたような気がする。一連の出来事をしたためて新聞に投稿するのだ。夫が脳梗塞で倒れた。

上司は、部下の仕事量や健康に留意する立場にあったのにそれを怠った。夫が高血圧であることや不整脈である事も知っていたにもかかわらず、上司は責任逃れのために労災の申請をするなと圧力をかけ、その一方で夫を厄介払いしようと遠隔地の畑違いの職場に飛ばそうとしている。

ことの真意を尋ねても、のらりくらりとかわされて、異動先についてちゃんとした約束をしてくれない。しかも、ヤサカにたてつくとどんな目に遭うか判らないぞと、遠回しに脅かされたりもした。ヤサカの公式な回答を求めたいーーー。・・・・



株式会社ヤサカは創業者出身の八阪市にあってその繁栄からしてあたかもこの会社の城下町という様相である。しかしその経営姿勢は創業者一族に握られていて企業体質としては内部から不満も出始めていた。

伊崎文則はこの社の研究部門の課長職として製品の環境問題改善のため日夜部下の先頭に立って完成を目指していた。ある日会議中に脳梗塞を起こし入院した。そしてその経過からして元の職に復帰は難しそう・・となった時、会社幹部からそれとなく妻の友希江には関連会社への転属をにおわせながらも今回の病気に対して労災の申請はしないように‥と促された。かつて友希江自身、文則と結婚した時会社から強引に寿退社するように言われていて理不尽さを感じていた。

友希江は投稿などにより地元新聞社などに訴えたがもともとヤサカあっての地方紙だということを思い知る。そして次々と上層部、経営陣に打撃を与えようと犯罪にかかわりそうな手口で復習していく。

この作品は2007年作といいます。今でこそ各地に防犯カメラがあって相当な普及で犯罪の検挙に貢献している。ちょっとそんな手口では現在には通用しないよな・・と思う。しかし女の執念の物凄さの一端を覗いた気がする。


[No. 576]  7月 10日


   講談社「汝、星のごとく 」凪良ゆう
          2022年作・ 441 ページ 

・・・十七歳のわたしに、瞳子さんはそう言った。ーーー自分で自分を養える、それは人が生きて行く上での最低限の武器です。結婚や出産という環境の変化に伴って一時的にしまってもいい。でもいつでも取り出せるよう、メンテはしておくべきでしょうね。

いざとなれば闘える。どこにでも飛び立てる。独身だろうが結婚していようが、その準備が歩かないかで人生が違ってきます。三十二歳のわたしに、北原先生はそう言った。パートナーがいてもいなくても、子どもがいてもいなくても、自分の足で立てること。

それは自分を守るためでもあり、自分の弱さを誰かに肩代わりさせないということでもある。人は群れで生きる動物だけれど、助け合いと依存は違うからーーー。

「おばさん、確かに私には子供がいない。でも親はいる。だから子供としてお願いします。特別強くなくていいから、せめて子供に余計な荷物を背負わせないで。少しでもいいから荷物を持ってあげられる、それくらいの大人でいてよ」・・・・



本州と四国を結ぶ連絡橋のうち広島県と愛媛県を結ぶ島々は周辺合わせると2〜30個もの島々が点在する中の6個の島を結んで往来できる。しかしその島にいても昔からの風習は無くならない。「おや、誰それさんと誰それさんはできたようだ・・」と瞬く間に島中に知れ渡ってしまう。

高校二年生の井上暁海は奈良から転校してきた埜櫂と恋人同士になったが瞬く間の島中の事実として認識されてしまった。しかし櫂の母はもともとこの島に仕事で移り住んだ男を追って来ただけ、いずれは見捨てられてしまう運命。

一方櫂はネットで自分の制作した表現を絵にしてくれる仲間を見つけてすでに卒業するころにはいっぱしの有名な漫画製作者になっていた。櫂は卒業して東京に引っ越す、暁海は母をこの島で見なくては‥と暫く遠距離恋愛をしていたが・・お互いすでに32歳・・。

少しぐずついた天気が続いたので安心して読み始めた長編小説、読み終わって庭に目をやるともう梅雨明けの青空。・・えっ!?、まだ梅雨明け宣言はしていなかったの。


[No. 575]  7月  3日日


   講談社「この世の喜びよ 」井戸川射子
          2022年作・ 138 ページ 

・・・あなたは背中で、昨日行ったスーパー銭湯で受けたマッサージを思い出している。娘二人が行きたいというので、タオルを大小一枚ずつ各々持って向かった。

あなたは本当は裸を娘たちに見られるのは、恥ずかしいから嫌なのだ。靴はもうあなたの方が小さい。下の娘の方が胸が大きく、上の娘はなで肩だ、私には姉妹などいないから良かった、並ぶものもなく安心だとあなたは思った。

露天風呂の湯気は明るい方へと進み、風と照る陽が水面に布のようなシワを作って、その柄が体に映った。「この人みたいにかわいかったら、って思うことって、まだお母さんでもある?」

正面にいた女の子が湯船から出ていくと、下の娘がそう聞き、それがあるの、とあなたは言って笑った・・・・


穂賀さんはもう50歳くらいでしょうか、パートで近所のショッピングセンターの喪服売り場で働いていた。その向かいにはゲームセンターがあって、近頃その出入り口に近い席にいつもの少女が座っていた。声をかけてみると15歳の中学生と言う。

どうしていつもこんなところに‥と尋ねると最近弟が生まれてその子の面倒を見るよう言いつけられるのでそれを避けるためにここで時間をつぶしている・・。


穂賀さんはもうすっかり子育てのころの苦難や娘たちの中学生だったころの苦悩はすっかり忘れてしまった。しかしゲームセンターの出入り口にいた少女に声をかけることで娘たちを育てた喜びも浮かび上がってくる気がした。

この作品の文章っておかしいよ!。この小説を書いている人は誰なの・・?。読み終わってからハッとした、この本のタイトル・・は穂賀さんは気が付いていないんだ。井戸川さんはそう思ってあえて二人称の立場から小説にした。ズルイ!。


[No. 574]  6月 26日


   新潮社「荒れ地の家族 」佐藤厚志
          2022年作・ 172 ページ 

・・・晴海が逝ったのは啓太が物心ついてすぐ、一番甘えたい三歳という年の頃だった。晩飯を食った後など、啓太は母の匂いを嗅ぎ取ろうとするように座布団を敷いた木の椅子でうつらうつらと気持ちよさそうにまどろんでいた。

最近、啓太に屈託が現れた。十代らしい心の変化なのか、再婚相手の知加子が家を出たせいで未だに動揺が続いているのか、佑治は知りようがなかった。ついこの間まで啓太は笑ったり怒ったりしながら学校の様子を話してくれたが、最近は、話しかけても曖昧に返事をするだけで黙ってしまう。

それまで好きだったものを嫌いだといい、無暗に苛立ったり、むっつりと塞ぎ込んだりいちいち佑治を悩ませた。年相応の新しい心の側面の表れに、佑治は余計なことと知りながら自分に起因するものを探し当てようとする。

あえて自分のせいだと進んで思い違いをして、かえってやりとりがギクシャクして啓太との距離が広がる。・・・・


坂井佑治の家族はあの東日本の災害を乗り越え2年ほどして新たに造園業の仕事を立ち上げた矢先だった。佑治は家族のためにと身を粉にして働いていたそんな折、妻の晴海はインフルエンザを拗らせて高熱を出し帰らぬ人となった。

もしあの災害がなかったらもっとどうにかなっていたのに‥という想いは佑治の周囲の同級生に限らずどこそこにも存在していてぬぐいきれない感情の思いは幾年たっても消えることはない。

老いた母の作ったチャーハンを食っていた啓太は佑治の帰ってきた顔を見て佑治の頭を指さしてゲラゲラと笑い出した。洗面所に行って鏡を見ると・・・髪の毛、眉毛、もみあげ・・無精ひげまでが真っ白だった。


最後の数行の言葉の中に悶々として過ごしてきた佑治の苦悩と少しは心を開いてくれた息子、啓太との間にフッと心を通わせてくれるものを感じたことでしょう。


[No. 573]  6月 10日


   角川文庫「ののはな通信 」三浦しをん
          2018年作・ 504 ページ 

・・・でもね、のの。私の本心を言えば、激しさというものがないの。激しさはすべて、あなたとの恋で使いきってしまった。だから、夫とセックスが無くても、「まあいいか」ですませられる。

私も子どもじゃないので、燃えるような激しい感情だけが愛ではないよ、ちゃんと知っています。夫と私のあいだには、今も穏やかで静かな愛がたしかにある。それこそを愛というのかもしれないとも思う。だけど、私の心の奥底には砂に埋もれた遺跡があって、いつも冷たく激しく私を見ている。

おまえはいま、小さく粗末な家で、暖炉の火に当たっている。そのあたたかさ、制御された炎を愛だと思いこもうとしている。だが、本当か?おまえは本当は、わかっているはずだ。おまえが心の奥底に沈めた私、いまや遺跡となった愛の記憶だけが、おまえの生において真実の、ただひとつのものだったのだと。おまえはいま、必死で暖炉に薪をくべ、何とか炎を絶やさぬよう努めているが、本当に持続させるべきものだったものは、遺跡にしてはならなかったものは、おまえのなかで眠りについた、いまや砂まみれの愛

つまり私なのだと、おまえは本当にわかっている。そんな声が聞こえてくるのよ。ののの声?それとも私の声?かつての私たちの声?わからない。わからないけけど、とっくの昔に終わってしまったんだってことだけは分かる。・・・・


私立の宗教系女子高の二年生になったころ同級生の野々原茜と牧田はなは強く魅せあうことになりお互いの心情を手紙で確かめ合っていた。そのうちに激しく求めあうようになりうすうすあの二人・・・?という噂まで立てられるほどまでになってしまった。

しかしそんな時期もあったもののいつしかふたりの間に不信感も芽生え大学もそれぞれの道を選んで成人していった。すでに20年以上経過して偶然にもアフリカの某国大使夫人となっていた”はな”と雑誌記者として過ごしていた”のの”はメールで近況を報告しあう中になった。


三浦しをんさんの作品はこれまで5〜6作品は読んできて確かな土台しっかりした作品構成、で私にとって信頼できる作家さんでした。そして今回は超長編の本作品にあたり緊張して読み始めた。ふたりの私立女子高の同級生同士が恋に陥ったのち再び人生の折変え地点で今度はメールでお互いの心情を吐露しあう。頼ったり頼られたりしていた10代の恋乙女も40台になりそれなりの芯のある人生を歩む女のまさしく半生を大作に収めている。

幼いころの手紙のやり取りも今や電子メールで世界の果てでも意思の疎通ができる時代になってきた。そんな中でふたりの少女が大人になって感じた感想はまだお互い幼かったね。もっともです。


[No. 572]  6月  6日


   新潮社「 朝日のようにさわやかに」恩田 陸
          2007年作・ 315 ページ 

・・・私が寝ていたのは、中二階の奥の狭い部屋だった。元々は納戸だったらしく、いろいろなものが置いてあって、私に与えられたスペースはごくわずかだった。子供の布団を一枚敷くのが精いっぱいのスペースしかなかった。

必然的に、壁にくっつけて布団を敷き、そこで眠ることになる。子どもは狭い場所を好むものなので、狭さは苦痛ではなかった。むしろ、布団一枚のスペースがお気に入りだった。しかし、毎晩その部屋で眠るうちに、奇妙なことに気付いた。

不思議な声を聞くようになったのである。壁には大きなカレンダーが貼ってあった。汚い壁を隠すためだったのだろう。ある日思い切ってめくってみたら、モルタルの壁の一部がはがれていて、中から管のようなものが少しむき出しになっており、そこから声が聞こえてくるのだと気付いた。

話している内容までは聞き取れなかったが、それが男女の声であることは分かった。声の調子から、どこか秘密めいた、ひそひそと抑えた声である。知っている声ではない。きっと、よその家から壁を伝わって聞こえてくるのだろう。私はどきどきした。・・・・


人間には「管」というものに強い共感を感じているのではなかろうか・・・消化器官・・・血管・・・この小説でも「管」に関する追憶が次々と連想される。トランペット奏者で「吹き口」を装着せずに演奏する天才的奏者もいた。

幼い日の追憶の中に壁の中に剥き出しになっていた管から大人の秘め事のような声が伝わってくることに対して興奮した。その声は何処から聞こえてきたのか‥そして誰の声なのかまでは分からなかったが官に対する一種のアンソロジーを共有する。


今まで恩田陸さんの作品はいずれも長編小説で3作読んでいた。今回は14編短編、しかもそのどれもがミステリー、オカルト、ドキュメンタリータッチの奇妙な話ばかりでした。彼の作品なので安心して読み始めて度肝を抜かされた。

改めてこの短編を読み終わって以前に読んだ長編作と比較して「アッ!!・・」っとおもった。奇妙奇天烈な面白い作品もオブラートを剥がしてエキスだけ並べるとこんな骨組みだったのか・・・。いや〜読書って奥が深いもんですね。


[No. 571]  6月  2日


   幻冬舎「 いのちの停車場」南 杏子
          2020年作・ 366 ページ 

・・・「在宅看取りを前提に自宅で医療を行うなら、家族と医療者が終末期医療の細かい方針を立てておく。あの夫婦とは、何度も同じ話をしたのだが…」「じゃあなぜ?」野呂が仙川をいぶかしそうに見る。

「何もしないことに、耐えられなくなるのかもしれん」今の咲和子には分かる。いくら心肺蘇生や人工呼吸器使用の可否などの細目を話し合って、在宅死の方針をプランニングしておいたとしても、実際に家族が死に向かって変化する姿を目の当たりにしたとき、事前プランの中身などというものは周囲の人々の頭から吹き飛んでしまう。

多くの場合、あわてふためいて救急車を呼び、救命救急のプロセスに乗ることになる。「愛する人の死をまだ認めたくないーーーそういうことなんでしょうね」

咲和子の言に、仙川は大きくうなずいた。「その結果、蘇生治療や延命治療を施された挙句、望まなかった場所で死を迎えることもある。こうゆうことはね、在宅ではときに起きてしまうんだよな。で、咲和ちゃん、病院での様子はどうだった?」・・・・


東京の救命救急センターで副所長を務めていた女医の白石咲和子62歳。とあることから引責辞任をして故郷の金沢に帰省した。同じ医師だった父はすでに引退していたがその勧めもあって彼女の先輩仙川医師の在宅医療センターを手伝うことになった。

今まで救急医療で生死の境の患者を如何に生かすか活躍してきた思いと在宅終末医療の医療行為のギャップに直面し大きく悩む。しかも実父の末期も痛みの緩和ケアーが希に効かず安楽死を望まれることについても大きな悩みを持つ。


家族の最期を目の前にして「治るものであればできるだけのことをしてほしい・・」と・・。それは治療をして治る目途があればの話です。今の医療技術をもってすればお金さえあれば幾らでも延命治療を施すことは不可能では無いらしい。それももはや生命維持装置にがんじがらめになって人間としての尊厳も何もない。あるのは生かされている尊い命だ。

今後間違いなく医療の大きな課題となる「在宅での終末医療」。妻の最期に直面したことのある私は妻と医師と私で在宅死のプランニングを実施した。それは自宅で静かに最期を迎える・・そして妻は最後まで尊厳をもち私の手を離れていった。


[No. 570]  5月 30日


   講談社「 青春とはなんだ」石原慎太郎
          1965年作・ 561 ページ 

・・・「確かに君らの立場を反対している親たちに承認させるのは難しい。しかし先ずそれが出来なくてどうして恋愛の完成がある。親は他人であってやはり親だということを忘れちゃならんよ。君らが今必要とする勇気は、そんな状況に耐え、それを少しずつ切り崩していくことへの勇気だ」

「はい、でも、どうやってそれを切り崩したらいいのか」「うん、それだな。それについては俺もできる限り力になろう。知恵も貸そうじゃないか。とにかく、自分らの恋愛に関して、頑固な親も切り崩して変えることができずに、世の中の他のことを新しくどう変えられるというんだ。・・・


別けあってアメリカで10年過ごした野々村健介は縁があってS町の高等学校の英語教師になった。しかしこの街は若者も年寄りたちもまたこの学校の先生たちも古い考えに縛られた閉塞感一杯の学校だった。健介はまず英語の授業からして教科書からずれた実用的なものにしようとしたが教師中から反発を食った。

しかし時間をかけてまず生徒の心を開かせ、教師の仲間内からも支持者を得るようにし、ついにはPTAを通じて町の古い人間たちに開かれた交流を促す方向を見出していく。そこに青春とはなんだ・・と言う意義を見出そうとする。


まあ作品も少し古く石原さんの太陽の季節に似た作品構成に少し時代錯誤も感じる。しかしこの中にはのちに政治家としての信念が随所に盛り込まれ石原慎太郎のその後の働きを感じさせる。


[No. 569]  5月 23日


   新潮社「 さがしもの」角田光代
          2016年作・ 214 ページ 

・・・本棚の本が似ていたって恋は終わる。あたりまえのことだけれど、好きな人ができたとうち明けられたとき、私はひどくたじろいだ。裏切られた気がした。ハナケンに、ではなくて、共通の本に、だ。

好きな人ができたからここできみといっしょに暮らしていくことはできないんだと、まるで自分が傷つけられたようにハナケンは言った。梅雨時のことだ。今年の梅雨は、雨があんまり降らなかった。その人、本を読むの?

思い出すと笑ってしまう。こともあろうに、好きな人ができたと告白されて、私がまず口にした質問がそれだったのだから。え、と少し驚いたような顔をして、読まない、とハナケンは答えた。読まないと思う、と小さくくりかえした。・・・


この本は9編の短編、その中の一遍が「さがしもの」ですが私は「彼と私の本棚」のほうが興味深かった。人生にとって友人であれ夫婦であれ共通した話題は大切かもしれませんがそんなことは大したことではない。それはただの知り合いになるきっかけに過ぎないと思う。

それでは友達・・いえ夫婦といえどもお互い常に魅力ある行動力と発信力を尊重しあえる間柄であるかに尽きると思います。私も男性の端くれですから一見魅力的に見える異性であってもすぐに飽きてしまっては慰めにしかならないのです。


ここの9編は恐らく角田さんの「あとがきエッセイ 交際履歴」を感じさせる若気の交際履歴に尽きると思う。若いから性的交流が主体となった交際は人生深めあった交際とは本質的に違うことを想う。


[No. 568]  5月 18日


   幻冬舎「 ぼくたちの家族」早見和真
          2011年作・ 310 ページ 

・・・もしも人生をやり直せるとしたら、どの時点に戻るだろうーー。水平線の少し上にある満月が海面を照らし、自分のたつ崖の下まで”ムーンロード”が延びている。いつかと寸分違わぬ光景を眺めながら、若菜克明は考えた。手にはあの頃なかった携帯電話がある。小さい頃は、何不自由ない生活をさせてもらった。

北陸から布団問屋の丁稚として岐阜に出た克明の父・完三郎は、受け入れ先の娘・千代子と恋仲になり、半ば勘当されるような形で独立。二十代で一国一城の主となったが、軍に布団を卸すという恩恵にもあずかり、すぐに会社を大きくした。事業規模と比例するように二人は子供を次々と授かった。克明の上には四人の兄と姉が一人いる。その全員が二年間隔で生まれており、克明だけが直上の兄と八つも歳が離れていた。完三郎が四十六歳、千代子が四十歳のときの子だ。

「ベソだけは望まれてたわけじゃないからな」兄たちはことあるごとにそう言った。両親が計画的に子づくりしていったことを思えば、自分が想定外の子どもだったのは間違いない。・・・


・・・妻にがんの告知、しかも余命いくばくもないと知った時、克明は既に家から離れていた兄弟を含めここで一番しっかりしなくてはならないのは十分わかっていた。会社にいてもそれなりの実績を発揮し周囲の調整も無難にこなしてきた人生だった。

あまり急なことに果たしてこの事実を妻に伝えるべきか、そして息子たちにどう対処していいのか・・・。父親としての権威など微塵もないほどに叩きのめされた。長男・浩介の「おやじ、ちょっと頭を冷やして来いよ・・」に我に返る。


思いがけない次男・俊平の機転で有能なセカンドオピニオンに巡り合い、妻の余命は大幅に改善された。そしてこんなことによって家族のきずなはしっかりとタガが締め付けられることになる。


[No. 567]  5月  9日


   文芸春秋「 山桜記」葉室麟
          2014年作・ 273 ページ 

・・・「夫をいとおしむ思いを貫くことです」とおっしゃられました。本能寺の変の後、忠興様とは心が通わぬ夫婦となったガラシャ様は、そのひややかな暮らしが堪えがたく、キリシタンとなってデウス様を大切に思うことでようやく生きる道を見つけられたのです。

されど、かなうことならば夫婦として互いにいとおしむ道を歩んでみたかった、との思いがガラシャ様にはおありでした。味土野に幽閉されていた間、幼い忠隆様を慈しむことさえままならなかったのも心残りだとも仰せでした。わたくしが思いを貫き、ガラシャ様に代わって忠隆様のお幸せを見届けてくれれば、それがもっとも嬉しいことです、とおっしゃいました。

時が迫る中、ガラシャ様は辞世の和歌をわたくしにお示しになり、「ちりぬべき時を知るとは、散るべき時は自らが決めねばならぬ、それでこそ、花であり、ひとなのだという思いを込めています。千世殿が散るのはいまではない、忠隆殿と思いを通わせ、花を咲かせた後のことです」と言われたのです。そのお言葉が胸に沁み、わたくしは燃え盛る炎を後に屋敷を出たのでございます。・・・


忠隆の母であったガラシャはなぜ屋敷から逃げずに炎の中にとどまり、そしてなぜ嫁の千世のみが母を置いて逃げたのか・・・。千世はいわば敵方の実家に身を寄せたことのほかに訳があったのだろうか・・。

領主にとって天下分け目の関ケ原の戦いは東西どちらに着くかによってこの後の道筋が決まる。しかしその裏には複雑に絡んだ政略結婚があって女人の嫁ぎ先によっては肉親であっても敵味方に分断されてしまう。


戦国時代から江戸初期にかけての女の世界も複雑奇怪な人間系譜があってその絡まった人間模様を丁寧に紐解いていく・・・葉室さんの真骨頂を見た思いです。


[No. 566]  5月  6日


   新潮社「 ざらざら」川上弘美
          2020年作・ 216 ページ 

・・・「でもさあ、正月って、もうとっくに終わっちゃったんじゃないの」私が言うと、バンちゃんはもっともらしく首を振り、「気は心」と答えた。しょうがないので、私たちは「お正月」をすることにした。三人のうちだれも帰省しなかったので、三人にとってこれが正真正銘今年はじめての「お正月」なのではあった。

「バンちゃんが、お父さんになりなさいよ」恒美が言った。へ?とバンちゃんが聞き返す。「おとうさんが最初に『あけましておめでとうございます今年もどうぞよろしく』って言ってさ。それからみんなでお辞儀しあって、お年玉配るんだよ」子供のような表情で恒美が言うので、私とバンちゃんはぷっと吹き出した。

「おれんとこって、正月もパンとか食ってた」バンちゃんが言う。わたしんとこは、一日の朝お雑煮食べるだけで、あとはいつもと同じだった。私たちが口々に言うと、恒美は、えーっ、と言って悲しそうな顔になった。・・・


この三年間は本当にコロナに悩まされて辛い時期でした。都会に出た若者たちはひたすらつらい仕事にも耐えて本来ならせめてお正月には懐かしい田舎に帰ってギスギスになった心をいたわることの大切ささえ我慢して帰省をためらった。

ここの三人も本来なら田舎に帰って両親たちから「・・もうお前もそろそろ結婚など考えて身を固めなさい・・」とかの小言に耐えながらも過ごすであろう正月ではあったはずでした。


そんな気分で仲間三人が集まってのお正月談義・・・川上さんはそんな彼女らの気分は「ざらざら・・」と感じたのでしょう。


[No. 565]  4月  5日


   双葉文庫「 海色の壜」田丸雅智
          2014年作・ 264 ページ 

・・・おれはグラスを掲げ、光にかざしてみた。エメラルドグリーンの底に白い砂地のようなものが見え、時折、波に巻かれたようにそっと舞い上がる。上からのぞき込むと、漣がグラスの底に斑模様を作っている。

慎重に口に含んでみた。その途端、さわやかな潮風が鼻腔を吹き抜けていった。おれは思わず目を閉じた。無限の海は広がった。「三津、という場所の海酒はありませんか」おれは、思わずそう口走っていた。

ああそうだ、おれたちの故郷の名前だよ。あの海への思い入れが、おれはとくべつ強くって。小さいころ、亡くなったばあちゃんに手を引かれて、よく通ったんだ。海岸線にそって、ひと駅のあいだを一両電車にことこと揺られてね。・・・


「海色の壜」は20編のいわゆるショートショートの作品集です。それぞれの作品は400時詰め原稿用紙で言えば10枚ほどの作品です。しばらく長編しか読んでこなかった私にとっては短い文章の中に展開する頭の切り替えに慌ててしまった。

そらぞれの作品には共通した話題はないわけでむしろ通読するよりも一編読んだらそれを消化するまで時間をおかないとそれぞれの作品が他の作品の特徴を消しあってしまう。


ちょっと残念なショートショートでした。


[No. 564]  3月 15日


   ハルキ文庫「 おたがいさま」群 ようこ
          2022年作・ 152 ページ 

「・・・私も会社を辞めたいとか離婚したいとか、何人もの人に相談されたけど、その後、会社も結婚生活もやめた人は一人もいなかったわね」

クマガイさんがいうには、自分は意地が悪いから、後日、どうして退社や離婚をしなかったのかと彼女たちに聞いたら、「でも‥‥」「やっぱり‥‥」と、もごもごと口ごもって、はっきりした理由は聞けなかったという。

「だいたい本気で退社や離婚したい人は、相談なんかしないで、すぱっと思い切るわよね。相談するっていうこと自体、おかしいのよ。私はこういうふうにしたいのだけど、どういう段取りにしていいかわからない、っていうのなら前向きな相談だけど、・・・・」


ササガワキョウコは大手企業に勤めていてキャリヤーとして最先端の座を貫いていると自身は思っていた。しかしある時、この生活は自分的ではない…と感じて早期退職の道を選んだ。

そしていつ倒れるか心配なくらい古いアパートに住むことにしたが‥これがまた思いもかけないほど気に入った。しかもここに住む住人達とも気心知れて兄夫婦たちから同居を進められるも断り続けてきた。


いつしかキョウコはまだ自分は若いと思っていても傍から見るとすっかり年長者になっている。若い人の生活態度にも多くの苦言を感じながらも自分の生活を貫いていく。


ひるがえってキョウコを私自身に当てはめてみる。どこに行ってももはや最年長だ。若い人の生活態度に苦言を感じることもなく自分のことで精いっぱいだ。人それぞれでいいのだ。


[No. 563]  3月 11日


   講談社「 授乳」村田紗耶香
          2005年作・ 205 ページ 

・・・先生は必要なこと以外まったく喋らなかった私はそこも気に入った。先生は黙って参考書を開き、何問かを几帳面な字でノートに書き写す。それが終わるとノートを私の方へずらす。

私はその問題を、ただ解いた。それだけで二時間近くが過ぎた。しかし先生と黙ったまま座っていても、不思議と気まずさは感じなかった。黙ったまま数式を十問くらい解いた後、先生は初めて顔を上向きにした。

時計を探しているようだった。先生が部屋の壁を見つめながら言った。「今何時ですか?」「七時四十五分」「この問題で終わります」・・・・


直子は高校受験を前にしていた。母はこの前の模試の結果を見て2ランク下の女子高にしなさいと言い母の友人の甥っ子が大学院生なので家庭教師に迎えると言い出した。

その学生は生真面目で全く余計なことなど喋らず熱心に直子に学科だけの教えに努めた。幾度か決められた時間にきちんと来て時間になると帰っていく。直子はそんな彼を自分の遊び相手にし始めた。


村田さんの作品に初めて出会ったのは6〜7年前の芥川賞作品「コンビニ人間」でした。そしてこの「授乳」はそれより10年前に書かれた作品だと知りました。


過激な感情の中学生の性の目覚め・・・10年して都会に静かに暮らす女性を優しく見つめる・・・。作品を通して作家の人生そのものが見えてくる。


[No. 562]  2月 18日


   講談社「 おもかげ」浅田次郎
          2017年作・ 396 ページ 

・・・定年退職という人生の区切りには、そうした重要な意味があるのかもしれない。別世界になってしまった会社での出来事など、どれほど取り返しようのないエラーであったにしても、今はすべてを笑い話にできる。

顧みたところで、かつての会社は僕のささやかな未来とはまるで無縁の天体に過ぎない。そう思えば、老後という優雅な宇宙船の中で、ぼくと節子がひそかに隠し持っていた春哉の思い出をさりげなく見せ合っても、それはまったく感情を傷つけることのない、美しい化石なのではあるまいか。

たしかに、もう思い出してもいいのだろう。きっとお互い懐かしみこそすれ、悲しみもなく、悼みもしない。・・・・


竹脇正一65歳でめでたく定年を迎え盛大な送別会の後花束を胸にいつもの地下鉄に乗って帰途に就いた。しかし、荻窪あたりで自宅駅近くまで来た時脳溢血で車内で倒れてそのまま集中治療室で意識のないまま処置を続ける。

意識の戻らない中65年間の人間関係、家族関係…様々な状況が克明に脳裏を駆け巡って思い出される。


混沌とした意識の中で僅か4歳でこの世を去った息子の春哉から迎えられる体験に出会う。「お母さんを一人にしないで・・」春哉はそう言い残して更に地下鉄で去っていった。正一は「そうだな・・」とうなずいて階段を上った。


仲間の中にも定年が人生の終着駅‥と思える方も見受けられる。私は違うと思う、第二段階の扉に立ったんだという強い意志でその扉を開いていくことが大切だ。


[No. 561]  2月  8日


   講談社「 対岸の家事」朱野帰子
          2018年作・ 391 ページ 

・・・紫陽花はこの街にも咲いている。あの花が咲くのは、一年のうちで、もっとも雲が重く垂れこめているこの季節だ。街中から色が失われ、みんなが傘をさし、下を向いて歩いている時、紫陽花はひっそり日陰で咲く。

たいていの人は、その花の盛りに気づくことはない。足早に通り過ぎ、電車に乗って、めまぐるしい社会へと出ていく。その花の存在に気づくのは、大きな穴に落ちこんでしまった時だ。

誰もそばにいてくれなくなって初めて、その色の鮮やかさに気づく。あの手紙の差出人にもそういう時がいつか来るのではないだろうか。・・・・


村上詩穂27歳が主人公。14歳の時母を病気で亡くし高校を卒業するまでひとりで父親のために家事を一手に背負わされてきた。そんな彼女のために父親は一切の手助けもしなかった。

居酒屋につとめる夫の虎朗との間に2歳の娘、苺と三人暮らし、専業主婦として家事にいそしむ。周囲の家庭はどこも共稼ぎで昼の公園に行っても苺と二人だけの時間が多かった。

つまり今のこの時流の中で「専業主婦」でいることへの疑問の目がいつの間にか注がれていた。しかし、そんな批判的な中にいても詩穂の相変わらずの生活態度はみんなから見直される時が来た。


現代のこの時流・・はまだこの世の趨勢を得るも夫婦間の意識改革など大きな問題点も抱えている。そして社会全体や企業側も真剣に支援する体制を作らないとゆとりのある共稼ぎの子育ては実現しそうにない。


[No. 560]  2月  2日


    角川文庫「 スモールワールズ」一穂ミチ
          2021年作・ 315 ページ 

・・・もちろん、子供を故意に傷つけるような事件はあってはならないことで、加害者の責任は追及されるべきですし、加害者を見逃さない細かな網の目は必要です。

でも、その中で無実の人間が絡まり、苦しんでいるとしたら――彼らは保身に長けた嘘つきでしょうか。それとも、無責任な不届きものでしょうか。子供を育てていく中で、「あの時ああしていればよかった」と言う後悔が一瞬もない親はいるのでしょうか。

子供のちょっとした行いであわや、と蒼白になった経験のない親は?子供の成長と言うのは「たまたま無事でいてくれた」日々の積み重ねだと感じたことの無い親は?。

うちの息子も小さいときはわんぱくで、とベテランの弁護士がしみじみと語りました。ーー妻が何度肝を冷やしたか。家庭って、ある意味ブラックボックスですからね。外からは見えないし外に分かってもらうことも難しい。・・・・


夫に先立たれてからの希和子にとって近くに居を構えてくれた娘の瑛里子とその連れ添いの夫裕之の間に誕生した孫娘の未希は希望の星だった。「私が預かるから一度夫婦で温泉にでも行ってくつろいでおいで・・」と預かった孫娘が脳挫傷で亡くなってしまった。

希和子は突然の雷雨に洗濯物を取り込んで戻って異変に気が付いた・・・。当然刑事事件として取り調べられ拘置された。

ベテラン弁護士さんに限らず「よくぞこんな新米な親の元で・・」と思うばかりです。



[No. 559]  1月 23日


    角川文庫「 それでも空は青い」荻原 浩
          2018年作・ 319 ページ 

・・・戦闘機は本当に撃ってきた。脱穀機みたいな音が背後に迫ってきた。俺はさらに腰を低くした。草履を履いた足や手や顔をパイナップルのギザギザの葉が打ち据えて切り刻んだ。きっと、いつも頭をもいでいる人間への仕返しだろう。

パイナップルの熟れた生首が次々に撃たれて、一面に甘酸っぱい匂いが漂った。それでも空は青かった。人間を笑ってるみたいに青かった。森まであと少しの時、気づいたんだ。逃げ遅れてパイナップルの陰に隠れているもう一人に。

俺はその体の上に覆いかぶさった。俺より年下に見える女の子だったからだ。助けるのが男ってもんだろ。頭に赤い布を巻いた娘だった。俺は語り話のパイナップルの精ではないかと疑った。だが、違った。

驚いてこっちに首を振り向かせたのは、李桃みたいに素晴らしく大きな目をした娘だった。「それが、ばあちゃん?」写真の中のばあちゃんの目は、すももというより小豆だけど。じいちゃんは立ち上がって、仏壇の扉を閉めた。「違う」・・・・


本書には7編の作品が収まっています。そしてこの書の表題になっている作品はありません。最後の作品の「人生はパイナップル」という作品でおじいちゃんが孫の奏太に話して聞かせた台湾での思い出の中に「それでも空は・・」という言葉がでていました。

その中の7編は実に多彩で味わいが豊かですがとりわけ野球を題材にした作品が3編あります。いずれも野球というスポーツがそれに携わることによる人生の厚みを深く感じさせる作品になっています。



[No. 558]  1月 14日


    幻冬舎「 めだか、太平洋を往け」重松 清
          2014年作・ 469 ページ 

・・・記念すべきリタイアの日の夕食は、普段通りの一汁三菜だった。サワラの塩焼きに若竹煮、野菜餡をかけた揚げ豆腐と、山菜の味噌汁。ご飯はせっかくだからこれくらいは、ということで出来合いの赤飯にした。

ごちそうではない。六十一歳にしては、いささか年寄りじみた献立かもしれない。だが、それは昔からの流儀だった。小学校の教師の昼食は、たいがいの場合、子どもたちと同じ給食をとる。最近は給食にもだいぶ「和」が採り入れられるようになってきたが、やはり基本は子どもの味覚に合わせたメニューなので、せめて夕食では大人好みの料理を味わいたい。

晩酌には、日本酒にうるさい近所の酒屋さんおすすめの純米大吟醸の封を切った。仏壇のダンナと乾杯して、テレビのBS放送の旅番組を観ながら切子のグラスに注いだお酒をちびちび飲っていたら、いつのまにか四合瓶が半分空いた。・・・・


小学校の教師をしていた安藤美津子は38年の教員生活を定年退職した、夫であった宏史も同僚ではあったが63歳ですい臓がんにかかり先立たれていた。二人の子も成人しそれぞれの道を歩んでいる。

まあ、これからはせめて自由時間を使って思いっきり自分の思いを生活にぶつけていけばいい。そんな時今までの教え子たち全員に共通して送った「めだか、太平洋を往け」をあいさつに手紙をしたためた。


重松さんの作品はいくつか読んでいるが記憶に残る作品はいずれもこの作品のタイトルのように実に分かりやすく読む前から先生と子供たちの話‥と容易く想像できる。

4年以上の間に新聞に連載した作品をまとめただけあってかなり重厚で安藤先生の定年後も安泰な隠居生活というわけにはいかない複雑な関係がち密に描かれている。



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