Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2016年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.335西条奈加・光文社文庫「 烏  金 」 12月 31日
N0.334多和田葉子・講談社「 雲 を つ か む 話 」 12月 23日
N0.333多和田葉子・講談社「 犬 婿 入 り 」 12月 11日
N0.332西条奈加・東京創元社「 み や こ さ わ ぎ 」 11月 22日
N0.331志賀 貢・光文社文庫「 恐 怖 の 女 患 者 」 11月 12日
N0.330浅葉 なつ・メディア文庫「 神 様 の 御 用 人 6 」 11月  5日
N0.329富丘 俊・自費出版「 山 菜 と 橋 」 10月 21日
N0.328宮木あや子・角川e文庫「 校 閲 ガ ー ル 」 10月 17日
N0.327黒川博行・文芸春秋「 後  妻  業 」 10月 10日
N0.326和田 竜・新潮社「 忍 び の 国 」 10月  6日
N0.325夏目漱石・青空文庫「 三  四  郎 」  9月 27日
N0.324夏目漱石・青空文庫「 坊 っ ち ゃ ん 」  9月 19日
N0.323夏目漱石・青空文庫「 吾 輩 は 猫 で あ る 」  9月 16日
N0.322佐藤愛子・小学館「 九 十 歳 。 何 が め で た い 」  8月 23日
N0.321西村賢太・新潮社「 苦 役 列 車 」  8月 15日
N0.320長嶋 有・文芸春秋「 猛 ス ピ ー ド で 母 は 」  8月 13日
N0.319伊藤たかお・文芸春秋「 八 月 の 路 上 に 捨 て る 」  8月 11日
N0.318本谷有希子・講談社「 異 類 婚 姻 譚 」  8月  9日
N0.317荻原 浩・集英社「 海 の 見 え る 理 髪 店 」  8月  7日
N0.316村田紗耶香・文芸春秋「 コ ン ビ ニ 人 間 」  8月  5日
N0.315熊谷達也・文芸春秋「 稲 穂 の 海 」  8月  3日
N0.314西川美和・文芸春秋「 永 い 言 い 訳 」  7月 26日
N0.313森見登美彦・角川e文庫「 ペ ン ギ ン ・ ハ イ ウェ イ 」  7月 18日
N0.312市川拓司・小学館「 そ の と き は 彼 に よ ろ し く 」  7月 12日
N0.311伊坂幸太郎・幻冬舎「 ア イ ネ ク ラ イ ネ ナ ハ ト ジ ー ム 」  7月  7日
N0.310小川洋子・中央公論「 人 質 の 朗 読 会 」  6月 24日
N0.309新野剛志・文藝web春秋「 あ ぽ や ん 」  6月  9日
N0.308磯田道史・文藝春秋「 無 私 の 日 本 人 」  5月 21日
N0.307熊谷達也・講談社「 箕 作 り 弥 平 商 伝 記 」  5月 14日
N0.306川上弘美・文藝春秋「 蛇 を 踏 む 」  5月 11日
N0.305青山七恵・講談社「 わ た し の 彼 氏 」  4月 26日
N0.304浅田次郎・講談社「 珍 妃 の 井 戸 」  4月 17日
N0.303愛新覚羅浩・中央公論「 流 転 の 王 妃 の 昭 和 史 」  3月 31日
N0.302浅田次郎・集英社e文庫「 闇 の 花 道 」  3月 14日
N0.301阿川弘之・集英社e文庫「 あ ひ る 飛 び な さ い 」  3月  9日
N0.300葉室 麟・双葉社「 川 あ か り 」  3月  3日
N0.299和田 竜・新潮社「 村 上 海 賊 の 娘 ( 下 巻 ) 」  2月 23日
N0.298和田 竜・新潮社「 村 上 海 賊 の 娘 ( 上 巻 ) 」  2月  4日
N0.297樋口一葉・オリオンブック「 た け く ら べ 」  1月 28日
N0.296浅田次郎・講談社□□□□「 マ ン チュ リ ア ン ・ リ ポ ー ト 」  1月 25日
N0.295朝井まかて・講談社□□□□「 ぬ け ま い る 」  1月 18日
N0.294有川 浩・幻冬舎□□□□「 ス ト ー リ ー ・ セ ラ ー 」  1月 14日
N0.293森博嗣・幻冬舎□□□□「  作 家 の 収 支  」□□□□□□□□   1月  8日
N0.292三谷幸喜・幻冬舎□□□□「  清  須  会  議  」□□□□□□□□   1月  6日

  [No. 335 ]   12月 31日


    光文社
「烏金 」・西条奈加
2007年作・282ページ

・・・まず取り立てのついでに、なにかと相談に乗ってやれることだ。

暮らしの切り詰め方から、商いの工夫まで、ほとんど愚痴ばかりのことも多いが、おれはできる限りつき合うようにしている。

まとまった借金を抱えた奴は、まわりが考える以上に負い目を感じているものだ。己の不甲斐なさを思い詰めると、それこそ坂を転がるように駄目になる。

借金てもんが、負い目から暮らしの張りになるよう仕向けるのが押さえどころだ。・・・・



江戸時代の庶民や下級武士を相手にわずかな金を用立てして高利の利ザヤで暮らす金貸しがいた。主に短期融資で一昼夜を期限とし2,3%〜1割の利子。

烏の鳴く夕方までに元金と利息を支払うというので烏・・・金とよばれていた。


年末と言えばこういう金融の話で話題になることが多い。歳が暮らせるかどうか・・・とか、もち代も払えない・・など。

私も独身時代にはしょっちゅう借金していた記憶が付きまとう。会社の組合窓口では500円借りたとか、所属していた美術部から210円借りたとか・・。

粗方は本人の生活の仕方にあって借金の穴埋めにまた借金を重ねるケースが多い。先ずは暮らしの切り詰め方なんでしょう・・


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  [No. 334 ]   12月 23日


    講談社
「雲をつかむ話 」・多和田葉子
2011年作・304ページ

・・・人はあと二十八年くらい生きるのだと思った時、それが刑期のように感じられないだろうか。自由の身で、特に苦しいことがなくても、時間制限があるというだけの理由で、閉じ込められているような気持ちにならないだろうか。

二十八年。囚人の場合は、その二十八年が終われば自由が待っている。それに比べてあと二十八年しか生きられない人間は、その二十八年をどんな風に過ごしても最後には死に迎えられるだけだ。

いつか死ぬと考えるよりも、いっそのこと囚人になったつもりで、二十八年たったら自由になるのだと考えた方がいい。・・・・



この間読んで幻滅した作者の本を懲りずにまた読んでしまった。もう嫌だ!と感じた作家と本は二度と手にしないことはありましたがこの多和田さんの本は私が一方的に未熟さを感じてしまった。

このままにしておくわけにはいかず他の本もそうなのか怖いもの見たさで探して読んでみたのがこの本でした。

「人は一生のうち何度くらい犯人と出会うのだろう。犯罪人と言えば、罪という字が入ってしまうが、わたしの言うのは、ある事件の犯人だと決まった人間のことで・・・」

こんな突拍子もない書き出しで始まる私小説的な文章でした。あの奇天烈な犬婿入りを書いた作家とは思えないほど親しみのわく小説も書けるんだ・・と感心した。

多和田さんは永いことヨーロッパで作品を書いてきているだけあって日本的な湿度が感じられない。むしろ私にとってはそのことが少し人間関係において淋しさを感じます。

題名も「雲をつかむような・・」になっていないところがミソでしょう。


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  [No. 333 ]   12月 11日


    講談社
「犬婿入り 」・多和田葉子
1998年作・114ページ

・・・「そういうニオイがするんです。僕はニオイというのは、どんなニオイでも苦手だし、それに、狭い部屋に自分以外の動物が寝ていると言うのは、たとえ、それがハムスターでも嫌なんです。息の音が聞こえるでしょう。その呼吸のリズムが僕の呼吸と全然違うから、聞いているだけで、息が苦しくなってくる」




この人のこの作品は全く私にはなじめない。

作品自体はどちらかと言うとシュールの世界なのでしょう。そしてこの作品は1993年に芥川賞を受賞しているという。

文章の組み立てもそこから伝わる生活感と言うものが読んでいてことごとく未消化のまま頭の中を通り過ぎていき不快感しか残らない。

久しぶりに嫌なものを読んでしまった・・という無念さだ。


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  [No. 332 ]   11月 22日


    東京創元社
「みやこさわぎ 」・西条奈加
2016年作・266ページ

・・・最盛期は七百人もいたという神楽坂芸妓は、現在は二十数人しかいない。それでも東京の花柳界を牽引する存在には変わりなく、昔の置屋、いまでいうと芸者の派遣事務所の役目を果たしているのが、芸妓組合だった。

今の組合長は、祖母と同年代でありながら現役芸妓という勝乃姐さんだ。

「勝乃なんざ、大騒ぎしてたよ。ずいぶん引き止められたんだろ?」「はい・・・・本当にありがたくて、つい決心が鈍りそうにもなりましたが・・・一度決めたことですので」

都さんは、さっきと同じーー芸妓をやめると言ったときと同じ、覚悟のこもった目をした。何だかチャペルではなく、戦場にでも行きそうな雰囲気だ。・・・・



この作品は東京赤坂、神楽坂通り商店街というごく限られた地域の中の隣組意識の中の出来事の日常を作品にした小説でした。

中央線飯田橋西口から降りて神楽坂坂下から早稲田通りの登りくちから坂上を神楽坂商店街と言うらしい。

一見、東京のど真ん中で日本の中枢である国会やいわゆる霞が関や永田町を至近にしたこの付近は意外と下町の雰囲気を残した昔のおっとりした風情が残る場所でしょう。

そこに暮らす人々はこれまた古風な日本的たたずまいでつましく暮らしている。いわゆる現代日本の抱える核家族環境などとは程遠い三世代を通した町としての人間性が浮かび上がってくる。

当然、お爺さんお婆さん世代でもどこの家のどの孫の名前は何々・・と言えるほどに商店街の近所づきあいは親密なのです。

一瞬、どこかのスポットに舞い降りた錯覚にとらわれる・・不思議な感覚でこの作家の視点にとらわれてしまった。


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  [No. 331 ]   11月 12日


    光文社文庫
「恐怖の女患者 」・志賀 貢
1999年作・202ページ

婦長の長井過子は、浅はかな女だ。とうとう、男に篭絡されてしまったらしいのだ。

しかも、その男というのが、こともあろうに、ひと回りも年下の若い青年である。ーーーつばめ!?。

その噂を聞いた時、私は耳を疑ったものだった。ーーーあれほど用心深い女が、なぜ若い男に夢中になるのか

とても、信じられることではなかった。



作者の志賀さんはお医者さんである。従ってお医者さんが現実にあったことをフィクションとして作品に仕上げたようで迫力があって実に面白い。

そもそもお医者さんの中には小説など書くことの好きな方は実に多くいらっしゃる。そしてどのお医者さんの作品も実に面白かった記憶がある、当然志賀さんの作品も面白い。

ただほかのお医者さんの作品と違うことは現状のお医者さんの立場と、これから益々高齢化が進んでいくにもかかわらず日本中の病院がどんどん減っていること。

しかも入院患者用のベッドを減らして、介護中心の療養型病床に切り替えている病院も増えています。

最後の脈を取るのは医療機関でなくてはならない、しかしどの施設でも老人は臨終を迎えることは出来ないギャップなど。

色々と考えさせながらの医療現場の悲哀を楽しく書き下ろされていてあっという間に読み切ってしまった。


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  [No. 330 ]   11月  5日


    メディアワークス文庫
「神様の御用人6 」・浅葉 なつ
2016年作・293ページ

古事記とか日本書紀とかって、大昔の資料ぐらいにしか思ってなかったんですけど、これを作ろうって思った人がいて、実際に書いた人がいて、・・きっとそれに協力した人もいて、後世に残そうと思った人がいて・・、そういう人たちの、想いのカタマリなんですよね。

・・・・オレ、日本史苦手だし、特に疑問もなく生きてきたけど、記録や文字に残ってない人たちの営みがあって、そこにいろんな生き死にや想いがあって、それが繋がって今があるんですね。

「天武に嫁いだ尼子娘(あまこのいらつめ)も、大和の空を見上げながら、故郷の空を思い出したりしてたんですかね」

玄界灘の沖絶海の孤島に宗像三女紳がいた。大陸から漂流してきた難破船には幼い娘が一人生き残っていた。彼女らはこの娘をサナと名付け巫女として育てた。しかしこの時期、宗像の国は大和の国の圧力に耐えかねていた矢先、この巫女を天武天皇の妻として差し出した。そして数年の後にサナは第二の故郷である宗像の国の三女紳を偲んでこれを古事記に記したのでした。



どうやらこの本に「6」とあるのはこの作家は恐らく残された古事記や日本書紀などの記述をたどって各地を取材したうえで作品を書いているようです。

小説として仕立てるためその探索人「萩原良彦」を御用人と称して25歳の青年フリーターを起用、そして「黄金」という狐の姿をした方位紳と共に全国各地を巡るという設定だ。

全国各地の神話は数多くある。シリーズ6と言うことはひょっとして私の故郷、諏訪にまつわる神話もすでに執筆されているかもしれません。こういった小説風な見方は新たな古事記、古文書の若いファンを増やすかもしれません。


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  [No. 329 ]   10月 21日


    自費出版
「山菜と橋 」・富丘 俊
2014年作・16ページ

・・・・街道沿いを涼輔は車で走っていて、偶然この地形が目に止まった。何かが彼の気を引きつけたのである。何気なく眺めると、橋がかかる前の旧道がまだ残っていることに気が付いた。

下方の川面に向かってつづれ折れに回り道しながら下って、川幅の最も狭まった場所に橋が掛かっている。橋を渡り、再び反対側をつづれ折りに回り道して登っている。

旧道沿いには、まだ十数軒の人家が連なって残っている。何気なく彼はその旧道沿いの愛知県側を探検することになった。

おそらくこの旧道が建設されたときは、馬車が通り自動車が通れるように改造されたのだから、当時としては画期的道路であり、橋であったに違いない。・・・・・



この作家は私の高校時代のクラスメートの作品です。出身地は長野県諏訪郡富士見町、このペンネームは富士見・・で育った自身をイメージしてかと思います。

現在は事情があって天竜川の流れる駒ケ根市赤穂にお住まいです。朝な夕なに木曽駒ケ岳を仰ぎ見ながら少し離れた故郷、八ヶ岳に想いを馳せてお過ごしのことでしょう。

昭和36年、岡谷工業高等学校、工業化学科を共に卒業し私は色彩化学メーカーに、そして彼は総合化成品製造メーカにそれぞれ入社しましたがそれまでお互いその秘めたる趣味の話は在学中には語り合うことはありませんでした。

54年ぶりに彼とクラス会で会いました。神秘的なにこやかな笑顔は学生時代と全く変わりなく若干の変人?性を感じさせてくれました。

そんなクラス会に彼はお住まいの付近を題材にした短編の印刷物を持参してくれました。同人誌に投稿している・・と言いますがその小説はあまり広めてはいないようです。


この作品にあるような新しい橋・・は全国各地に存在し、その橋ができる前の旧道はというとどこも急峻な崖を下り降りて川を渡ると言うことがよくあります。

そしてその川端には集落があってそして集落の小さな歴史があるのです。そんな廃村の集落の跡地で涼輔は幻の住民としばしの時空を超えた灌漑に浸るのでした。

素朴な情景描写は好感が持てる作品です。校閲をされると輝くような短編小説に生まれ変わると思います。小学高学年の教科書にも使えそうな気がしますが・・。

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  [No. 328 ]   10月 17日


    角川e文庫
「校閲ガール 」・宮木あや子
2014年作・222ページ

ーーどうしてこんなことに。男は血に染まった自分の手のひらを見つめた。カッと目を開けたまま血を流して床に転がっている女を、自分はさっきまでこの腕の中に抱いていたのだ。 しかし今その女は血を流して自分の目の前で死んでいる。女の肌の滑らかさと温かさを思い返し男は恐る恐る女の胸に手を伸ばした。白く滑らかな乳房は揉んでみるとまだ柔らかいーー

ふたつ目の「血を流して」に傍線を引いたあとトルの二文字とクエスチョンマークを書き込み、「柔」と「か」の間に「< ら?」と入れ、校正メモの「や」の欄にページ数を書き留める。

一息ついたあと悦子は鉛筆を机に投げ出してゴリゴリと首を廻した。

ーー目の前で人が死んでいるなら乳を揉んで硬度を確認するのではなく、まず首か手首に手を伸ばして脈の有無を確認すべきでは?。

という疑問点は、指摘しても無駄なような気がするが一応あとで書き込む。「誰の原稿?」隣の机で似たような作業をしていた米岡が顔を上げて尋ねた。

西日が真横に差し込んでくるオフィスのブラインドは薄く開いており、彼の顔はしましまになっている。・・・・・



[校閲] 文書や原稿などの誤りや不備な点を調べ、検討し、訂正したり校正したりすること。「専門家のーーを経る」「原稿をーーする」   『大辞泉』より。

平凡でお気楽な女子大生だった悦子は気合と根性だけで入社試験を乗り切った。当然その出版社の憧れの編集部門配属を願っていたのだがどうやら高望みであったようだ。

河野悦子(こうのえつこ)人事部が「名前が校閲っぽい」というだけで配属を決めたらしい。

校閲と言う言葉は聞いたことはありましたが実際には文学作品や小説などの作品を読んでいてそうなのか・・と改めて校閲部門の作業があったうえでの作品なんだと改めて知った。


薄々そんな人・・、あるいはゴーストライター・・なんかと間違って解釈していたかも知れなかった。「あんな芸能人でもこんなに素晴らしい文章が書けるんだ・・」なんて。

でもそれを「専門家の校閲を経る」ことによってつたない文章も見違えるような説得力のある光り輝く言葉として読者の眼に触れるんだと言うことでしょう。

そんな大変な出版社の部門で働く悦子はガリ勉一片道で出版社に入社した人たちと一味違った独自路線を進む姿が爽快であった。

新聞の広告にこれがテレビドラマ化されると書いてあった、さぞかし楽しいストーリーが展開されることでしょう。


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  [No. 327 ]   10月 10日


    文芸春秋
「後妻業 」・黒川博行
2014年作・360ページ

耕造が倒れた、と小夜子から電話があった。死んだだろうという。

ーーー農林センターを歩いていたら、急に気分がわるいといいだしたから、ベンチに座らせたんや。そしたら、俯いたまま気を失うた。

両手を揃えて膝のあいだに杖を挟ませといたから、ひとが見たら居眠りしてるみたいに思うやろね。

今日の昼すぎだった、と小夜子はいう。いまは午後四時すぎだから四時間は経っている。

ーーー爺はなんで倒れたんや。毒でも服ませたんか。

ーーーそんな危ないことするかいな。「ワーファリン」を胃薬と取り替えといただけや。・・・・・・



この小夜子という女もう70前のばばあであったが、柏木の経営する結婚相談所の会員になっていて柏木と組んで後妻業をしていた。

つまり、妻に先立たれて独り暮らしをしている金持ち高齢者と親密になり内妻として公正証書を作らせたり後妻に入って財産相続の権利を確保した後何らかの方法で夫の命を縮めて財産をわがものにする・・。

耕造にはすでに独立して家を出ている二人の姉妹が居た。正式に小夜子は籍を入れていないと言うことで気持ち的にも用心はしていなかった。

しかし葬儀の終わった後の遺産相続のとき、この小夜子は柏木と組んで公正証書まで作っていたことを知って愕然とする。その内容は全てを小夜子が相続することになっていた・・・


まあ、被害者の名前が私とおなじで漢字違いとはいえ似たような境遇なのであまり気持ちのいい話ではない。ただ、金持ちではないのでよさげなばばあにこんな騙され方はしないで済んでいる。

ついこの間には横浜市の特別養護老人施設で点滴に毒物を入れられて亡くなった老人の事件があった。まだ犯人は特定されていないがこれをきっかけにそう言えば似たような死に方をした老人が幾人もいたという。

この事件も姉妹がお願いした弁護士の依頼を受けた探偵が調べたところ明らかに殺されたいくつかの例が見つかった。探偵も少し欲を出してこの小夜子と柏木を脅して小金を手に入れようとしたが失敗する。

良い人も、そうでない人も時としてお金に目がくらむととんでもない結末が待っている。作家の黒川さんは根っからの作家ではないのについつい読まされてしまった、悪よの〜・・


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  [No. 326 ]   10月  6日


    新潮社
「忍びの国 」・和田 竜
2010年作・277ページ

・・・伊勢の国の南部に三瀬谷と呼ばれる集落があった。集落といっても百姓家がところどころある程度で、残りは田か荒れ地のひなびた里だ。

朝霧が立ちこめるその三瀬谷に、四騎の騎馬武者が姿を現した。四人はいずれも平装である。

「大膳よ、ためらうな」その中の一人、長野左京亮が、並んで馬を進める日置大膳につぶやいた。

左京亮の馬腹で四尺余の大太刀が規則正しく音を刻んでいる。左京亮は背丈が五尺そこそこの小兵であった。

だが、平装の上からでもそれとわかる分厚い肩肉を持ったこの男は、四尺余の大太刀をまるで竹竿のごとく自在に操った。

「ためらってはならん」左京亮は前方を見据えたまま繰り返した。しかし大善は、無言のまま何か答えを発する素振りも見せない・・・・



現在の三重県、戦国期の伊勢の国と伊賀の国における信長の支配勢力と忍者の国である伊賀の国における勢力関係を作品にしている。

当時の伊賀の忍者衆はいわば人とはみなされていなかったようであった。しかしだからゆえひとなみ離れた忍者修行に励み、ただ人としてではなく下人・・としてその存在を保ってきていた。

伊勢を支配していた織田信長の次男信雄は父信長の忠告を二度も破ってこの伊賀を制定しようとしたが失敗した。

そして遂には信長直々に四万余の軍勢を率いてここ伊賀を制定したが当時の伊賀の人口の半分もを惨殺した歴史もあったという。


この作品の中に登場する忍者の中でも特に修行を積んで強かった、無門・・と言う男、城に押し入るに門があってもなきに等しいと言うほどの名声で無門と言う名を持っている。

そして面白いことに作中、時々顔を見せる石川郷出身の文吾という少年忍者が出てくる。作品の最後には京の都三条橋の上で無門と文吾は小刀で切り結んだ。

後に江戸時代、石川五右衛門・・の話題もあるが・・・と言うことはあの時の、少年忍者文吾は三条橋の決闘で無門に打ち勝ったのでしょう。

またしても和田竜さんの戦争絵巻にのめり込んでしまった。


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  [No. 325 ]    9月 27日


    青空文庫
「三四郎 」・夏目漱石
1908年作・291ページ

うとうとして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の駅から乗ったいなか者である。

発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。・・・・

・・・母から初めての手紙が届いた。東京の者はみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届くようにするから安心しろとあって、勝田の政さんの従弟に当たる人が大学を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。

・・・ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後ろがはでなゴシック風の建築である。

そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向かって立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い蔭から見ると丘の上はたいへん明るい。

女の一人はまぼしいとみえて、団扇を額のところにかざしている。・・・



三四郎が九州から列車に乗って東京の帝国大学に入学する。そして母からの手紙にあったようにすばしっこい友人与次郎などに翻弄されながら勉強に身を入れていた。

母から頼るように言われた野々宮には妹がいた。そして野々宮の懇意にしている先輩にも美彌子という美人の妹がいて・・そんな関係から三四郎はお友達になれればと願っていた。

三四郎と美彌子は共に二十歳である。与次郎からも忠告を受ける、同じ年では女の方が万事うわてだよ・・お前もあと5〜6年経たないと偉くならないから嫁にするわけにはいかないぞ。

それでも一縷の望みを持ちつつも美彌子の縁談話しの流れを止めることはできなかった。


この小説の舞台は東大のある本郷から向ヶ丘、白山、そして谷中、千駄木、田端・・と、わたしが青春期に6年過ごした街でした。風景の描写の中には懐かしいところもかなり出てきて嬉しかった。

夏目漱石没後100年と言うことで初期の代表作三部を立て続けて読んだ。何れも描写は古めかしいがその中の気概の新鮮さは輝きを失わない名作でした。

晩年の作である、それから、こころ、道草、は2009年に読んだので漱石ボツ100年碑としたい。


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    青空文庫
「坊っちゃん 」・夏目漱石
1906年作・290ページ

・・・ずるい兄とよく将棋をして喧嘩をした。卑怯な持ち駒の手を使ったので腹が立ったから手にあった飛車を眉間にたたきつけてやった。

眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言いつけた。おやじがおれを勘当すると言いだした。

その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに謝って、ようやくおやじの怒りが解けた。

・・・・「もうお別れになるかも知れません随分ご機嫌よう」と小さな声で云った。目にいっぱい涙が一杯たまっているおれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。

汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。なんだか大変小さく見えた。



中学の時に読んだこの本らしきものは正義感にあふれ多少の融通も利かないやんちゃな坊っちゃん教師そのものが描かれていた記憶があった。

しかし改めて手を加えていないこの本を見ると冒頭、坊っちゃんのかなり屈折した少年期の様子が克明に描かれている。母の亡くなった後、無っ鉄砲、喧嘩早い、暴れん坊、嫌われ者・・

そして兄や、父たちとの確執もあったがそんなおれをいつもかばってくれたのは下女の清だけだった・・・・。

ですから中学で読んだ坊ちゃんはこの大切な屈折した少年期の記述をバッサリと切り落とされたものしか読んでいなかった。それはこの小説の一割を占めていて大変重要な部分なのだ。

そういう部分があったからこそ坊っちゃんが下手な文章ででも清に手紙で近況を知らせてあげたい、そして清を思いやる情が離れたところにいると一層深まっていく。

山嵐と一緒に野だぬきと赤シャツを凝らしめてトットと辞表を叩きつけて・・

ーーーおれが東京へ着いて下宿へも行かず、カバンを提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落とした。

改めてこの「坊っちゃん」が想っていたより味わい深い小説であったことが・・・この年になって知った。


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  [No. 323 ]    9月 16日


    青空文庫
「吾輩は猫である 」・夏目漱石
1905年作・661ページ

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。

何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。・・・・

・・・吾輩は猫である。猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑うものがあるかも知れんが、このくらいな事は猫にとって何でもない。

吾輩はこれで読心術を心得ている。いつ心得たなんて、そんな余計なことは聞かんでもいい。ともかく心得ている。人間の膝の上へ乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔らかな毛衣をそっと人間の腹にこすり付ける。

すると一道の電気が起こって彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩の心眼に映ずる。せんだってなどは・・・・



今年は漱石没後100年目と言うことらしい、この人の作品は中学の教科書にも載っていたので読んだことがある気がしていた。しかしこの「吾輩は猫である」にしてみてもこれだけの超長編作品だとは知りませんでした。

今でこそこのころの作品は電子書籍であれば青空文庫でただで読めるので何冊かダウンロードしたので時間を見て読んでみようと思う。

ホトトギスに読み切りで掲載したところ評判がよかったので11回の連載にした・・。道理でいきなり途中から主人の名前が珍野苦沙弥(クシャミ)先生となったので驚いた。

漱石さんの処女作なのでこの中に彼の想いをありったけ取り入れて社会情勢、周りの人間関係、自己分析を盛り込んで長編になってしまった・・ということでしょう。

ですから作品としての纏まりは今一つの感がある。自己分析の中でも時々出てくる自分の持病である胃弱体質や精神の不安定さは克明に描写されそれらのお蔭で自分の人間性が形成されていることをよく自覚している。

最後に教え子が実業家の娘と結婚が決まってビールを持参してきたので友人を交えて祝杯を挙げる。苦沙弥先生もしこたま飲んで皆さんご帰還になる。

皆が寝静まった夜半、吾輩もお勝手に呑み残されたビールの味を見ようとゴクゴク・・酩酊して水の張ってある甕に落ちて・・・。

夏目漱石自身も胃弱など常に自分の死期のようなものを予感して生きてきた。だからこんな形で主人公を殺してしまった。彼も49歳の若さで吐血し世を去った。


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  [No. 322 ]    8月 23日


    小学館
「九十歳。何がめでたい 」・佐藤愛子
2016年作・202ページ

・・・若者は夢と未来に向かって前進する。老人の前身は死に向かう。

同い年の友達との会話の中で、我々の夢は何だろうと、言うことになった。「私の夢はね、ポックリ死ぬこと」と友達はいった。ポックリ死が夢?、なるほどね、といってから、けれど、と私はいった。

「あんたは高血圧の薬とか血をサラサラにする薬とかコレステロールを下げる薬とか、いっぱい飲んでるけれど、それとポックリ死とは矛盾するんじゃないの?」

すると憤然として彼女はいった。「あんたわるい癖よ。いつもそうやってわたしの夢を潰す・・・」彼女にとってポックリ死はあくまで「夢」なのだった。

・・彼女は十代のころ、アメリカの映画スター、クラーク・ゲイブルと熱い接吻を交わすのが「夢」だった。ポックリ死はいうならば現実には掴めないことをわかっていての「夢」である。

「ごめん」と私は素直に謝った。私たちの「夢」はとうとうここまで来てしまったのだ、と思いつつ。・・・・



この作品は佐藤さんが週刊誌・女性セブンに隔週で連載したものを小学館が冊子にしたものといいます。

まだ文面ではお元気でいらっしゃるがゆえに後輩の私たちにも単なる強がりではなしに老後の老いを存分に悪たれて楽しんでいらっしゃる言葉が響いてきます。

毎月、私は実母に逢いに実家に赴いていますが九十九歳ともなると年々衰えてくることも良く見えてきます。

母をよき先輩の生き様としての観察も間もなく自分の課題として取り組む時期を迎えています。元気な先輩、もう元気ではない先輩、全ての先輩が私の鏡です。


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  [No. 321 ]    8月 15日


    新潮社
「苦役列車 」・西村賢太
2011年作・160ページ

・・・その貫多は十日ばかり前に十九歳となっていたが、未だ相も変わらず日雇いの港湾人足仕事で生計を立てていた。

中学を出て以来、このときまで全く進歩もなく日当の五千五百円のみにすがって生きる、不様なその日暮らしの生活を経てていた。

無論、貫多とて何も好きこのんでそうなっていたわけではない。根が人一倍見栄坊にできている彼は、本来ならば自分と同年齢の者の大半がそうであるように、普通に大学生であるのを普通に誇っていたいタイプの男なのである。

だが彼が大学はおろか、高校にさえ進学しなかったのも、もとより何か独自の理由や、特に思い定めた進路の為になぞ云った向上心によるものではなく、単に自業自得な生来の素行の悪さと、アルファベットも完全には覚えきらなぬ、学業の成績のとびぬけた劣等ぶりがすべての因である。・・・・



負のスパイラル・・・、運の悪い人は何につけ上昇気流をつかむチャンスを失ってどんどん不運に見舞われるということでしょうか。

しかし、努力する人はきっといつかはそのチャンスに恵まれるはずだ。

ここの主人公、貫多の場合ではそういうチャンスはあり得ない。その原因を彼自身がみつけることも不可能であろう。

西村さんもそのつもりで書いた作品でしょうが彼自身の打開策などの提起がなされないまま貫多を荒野に置き去りにしてきた理由がわからない。

そういう人間もいるよ・・という観察だけで終わってしまっては読者として中途半端な気が収まらない。


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  [No. 320 ]    8月 13日


    文芸春秋
「猛スピードで母は 」・長嶋 有
2001年作・133ページ

・・・母がガソリンスタンドで働いていた頃、慎はまだ小学校に通っていなかった。M市から40キロ離れたS市にある祖父母の家に住んでいた。

母は東京で結婚に失敗し、幼い慎を連れて実家に転がり込んだのだ。

二人は家の二階に暮らした。荷物置き場になっていた二段ベットから荷物を出して壁際に積み上げて、母は上の段、慎は下の段を使った。

祖父もまだ現役で働いていたから昼間は祖母が慎の面倒を見た。・・・・



この作品は現代版肝っ玉母さんとでも言いましょうか。ただわたしの感じる肝っ玉母さんは少なくともこの作品のような母一人子一人のような寂しさは感じられない。

ですから悲壮感的な半分投げやりな印象を受ける、そういった意味で現代版と感じる。

母子の間に一種のおおらかさというものがないと行き当たりばったり支離滅裂な生き方になってしまうのではないか。

ただしこの母子の関係が壊れない理由の一つに小学6年生の慎があまりにも人間として出来すぎている設定である。

大人びた子供と、幼い母親という感じすら覚える。

しかしまたしてもここに登場する母も単に結婚に失敗した・・・という理由からの作品の出発点であり現代社会の暗闇が垣間見える。


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  [No. 319 ]    8月 11日


    文芸春秋
「八月の路上に捨てる 」・伊藤たかお
2012年作・158ページ

・・・敦と知恵子は、大学の体育の授業で知り合った。

映画の脚本家を目指していた彼は、雑誌編集者になりたがっていた彼女に惚れた。互いの夢に惹かれあったのか、二人はすぐにとろけ合って固まった。

自分たちだけの世界を作った。

・・・・敦は脚本家になることを夢見て清涼飲料水の自動販売機に補充するアルバイトについた。

大手出版社に落ち続けた智恵子は、興味のないマンション販売代理店に就職した。就職祝いをやろうと言うのに、ずっと浮かぬ顔をしていた。

あっちゃんはいいね、いつまでも夢を追いかけてよね、わたしなんてさあーーと始まる愚痴を、日曜の夜によくこぼした。・・・



いとも簡単にお互いの夢に崇高なものを感じただけで結婚してしまう、現実的な生活に対する後ろ盾のないままに・・。

近頃はその結婚観が全く希薄なまま同棲するケースが増えている。まかり間違って子供ができてしまってからそれでは結婚しようかと。

結局、敦は単に智恵子の夢に惚れ、彼女も彼の夢に惚れあっただけで現実では全く関係のない生活に追われてしまう。

いつしか敦に別の恋人ができる・・・。

若い青春期の葛藤は感じられるものの出口の見えない作品に作者のテーマ性が何だったのか不明である。


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  [No. 318 ]    8月  9日


    講談社
「異類婚姻譚 」・本谷有希子
2015年作・150ページ

ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりなことに気が付いた。

誰に言われたのでもない。偶然、パソコンに溜まった写真を整理していて、ふと、そう思ったのである。

まだ結婚していなかった5年前と、ここ最近の写真を見比べて、何となくそう感じただけで、どこがどういう風にと説明できるほどでもない。

が、見れば見るほど旦那が私に、私が旦那に近づいているようで、なんだか薄気味悪かった。

「うーん、二人が?俺は別に思ったこともないけどどなあ。」・・・



私もたしかにそんなことを聴いたこともあるし実際に何度か目に行ったラーメン屋の親父さんに「兄妹じゃないよね・・?」なんて言われて笑ったことがあった。

この本の題名とこんな書き出しではどんな面白い展開になるかと期待していた。

しかし話はこれ以上進展することなく、つまらないペット飼い夫婦のぐちに同調した別の家族とのしがらみで終わってしまった。

結局この書き出しの顛末はどうなったんだ・・?。

もっともこの本の前に読んだのが芥川賞と直木賞の後だったのは不運だったかもしれないが下らんことを書いて儲けようなんて思うな。無駄な時間を・・


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  [No. 317 ]    8月  7日


    集英社
「海の見える理髪店 」・荻原 浩
2012年作・224ページ

ここに店を移して15年になります。

なぜこんなところに、とみなさんおっしゃいますが、私は気に入っておりまして。

一人で切りもりできて、お客さまをお待たせしない店が理想でしたのでね。なによりほら、この鏡です。

初めての方はたいてい喜んでくださいます。鏡を置く場所も大きさも、そりゃあもう、工夫しました。

その理髪店は海辺の小さな町にあった。駅からバスに乗り、山すそを縫って続く海岸通りのいくつめかの停留所で降りて、進行方向へ数分歩くと、予約を入れたときに教えられた通り右手の山側に赤、青、白、三色の円柱看板が見えてくる。・・・・



この作品は4年前に発表していたにもかかわらず本年度の直木賞候補にエントリー、そして本賞受賞ということです。

読み始めの文章はどちらかというとこの床屋さんのお店のある情景描写、なんともほんわかした作品なのかなと思わせる。

そんなつもりで読み始めると・・どっこい。

たまに来たお客さん相手に自分がなぜこんな辺鄙なところで床屋なんか始めたのか調髪する工程に従って手を変え品を変えて語り始める。

そして全ての作業が終わるころこの床屋さんの人生の顛末はことごとく語りつくされる・・という趣向である。

本文の中にもありますが、「床屋の技量のうちには話術も十分に一人前である必要がある・・」といったくだりがありますがこの作家も床屋さんを借りて人生を語らせて作品に仕上げたところは興味深い。


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  [No. 316 ]    8月  5日


    文芸春秋
「コンビニ人間 」・村田紗耶香
2016年作・118ページ

コンビニエンスストアは、音で満ちている。

客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる有線放送で新商品を宣伝するアイドルの声。

店員の掛け声に、バーコードをスキャンする音。かごに物を入れる音、パンの袋が握られる音に、店内を歩き回るヒールの音。

全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。・・・・



早いもので私は妻を失ってから8年にもなる。アウトドアーが趣味の中にあったので食事の用意など多少の戸惑いはありましたが山で生活していると思えばやりこなせないこともなかった。

しかしたまのアウトドアーは楽しくもありいいのですが365日アウトドアー食事というわけにはいきません。3年目くらいにはついに主治医からも生活改善を迫られました。

そんな背景にはコンビニが巷に急速に広まりそしてより便利に快適になってきたこともありました。ファストフードが手軽に・・という弊害もありました。

しかし、そういった課題も今では昔話。急速な高齢化社会と結婚をしない独身者のための手作り惣菜も増えて健康志向に拍車がかかります。

そんな私たち独身貴族を陰から支えてくれるコンビニは本当にありがたい存在です。しかしそこに働く様々な人、そしてなんといっても24時間営業という厳しい現実の中での実情を垣間見た気がしました。

私たちがあまりにも快適と思える空間にマニュアル化された店員の苦悩が見えてきます。


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  [No. 315 ]    8月  3日


    文芸春秋
「稲穂の海 」・熊谷達也
2007年作・281ページ

・・・畦道から田圃に入った登は、稲穂を手に取り、もみ殻をこすって、刈り取りを待つばかりとなっている米を数粒、手のひらに載せた。

今年の順調な気候が育んだササニシキは、大地の養分と太陽に恵みを瑞々しく蓄えていた。

手にした米粒を口の中に放り入れ、ゆっくりと噛んでみる。

ほのかに甘い、いい味がした。たとえ生米でも、噛めば出来の良し悪しはすぐにわかる。

こんな美味い米を、余っているから作っちゃならない、とお上は言う。どう考えてもおかしな話だと登は思う。高校卒業後、千葉家の家督という立場上、いやいやながら始めた農業ではあったが、それから10年、いまでは、米を作ることがすっかり好きになっていた。・・・



山の生活は朝から規則正しく過ごさないとあっという間に一日がだらだらと過ぎてしまう、6時に起きてNHKのラジオ体操をしながら気を引き締める。

湯を沸かし、お茶を飲みながらまだつけっぱなしのラジオから農家のこれからの苦労話を解説していた。

減反政策という話はもう以前からとっくに知っていた。そしてその保証制度も知っていた。新たにここ2〜3年でその個別保証もやめるという。

米を作りたい人は好きなだけ作って自分で売れればよし、そうでない人はやめてもいいよ、しかし保証金はないよ・・という話だったっけ。

それからアメリカの大統領選挙も終わればTPP問題も再び持ち上がり米つくり農家の心配の種はまた増えるでしょう。この作品の主人公、千葉登もこれからが正念場でしょう。


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  [No. 314 ]    7月 26日


    文芸春秋
「永い言い訳 」・西川美和
2015年作・358ページ

・・・津村啓の本名を知る人間のうち、昔も今も、そう距離を変えずにつき合い続けている者を挙げるとするならば、彼の妻をおいて他にないだろう。彼らは大学入学後、同じ語学のクラスで顔見知りになったが、後期の授業が始まってまもなく彼女は姿を見せなくなり、どうやら大学を辞めたそうだという噂を聞いて、それきりになってしまった。

大学四年生になった初夏、就職活動の会社面接が一つ終わった帰り道、伸びすぎた髪を切ろうと通りがかりの美容室に飛び込んだ。・・・そしてそこで美容師となっていた夏子に再会した。

何年かして衣笠幸夫は夏子と結婚した、そして作家への希望をつなぐため夏子は美容師の仕事を続けながら夫の生活を支えた。そして夫の作品に対する良き批評者でもあり津村啓の本名幸夫と呼ぶ一人であった。

・・津村啓は何とか作家としての地位を築き始めていた、そして夏子も美容師の仕事に多いに乗り気であって順調に推移していた。何時しか津村の作品の佳き読者であった夏子も次第に心も離れがちになっていった。

そんなころ、夏子は学生時代の友人であった友達とスキーに行くことになって出かけた。しかしそのスキーバスは途中でトラブルがあって凍結した下り車線を正面の湖に転落して亡くなってしまう。



ここからがこの作品の圧巻となる始まりなんでしょう。当然スキーに同行した夏子の友人にも家庭があり夫の陽一、そしてまだ幼い小6の真平、5歳の灯がいた。

陽一は長距離トラックの運転をしていたので子供たちを毎日見てあげることが難しかった。

遺族会でたまたま同席した津村啓と陽一は、妻を亡くした男と残された母を亡くした子供たちとのつながりから陽一のいない間通って子供たちの助けをしたいと名乗り出た。

しかし子供のいなかった津村にとって家族の葛藤は予想外のものであった。そして次第に自分が出しゃばって助けようとしたことに欺瞞を感じるようになった。

そして家族とは・・・改めて妻を失ってから味わった後悔の念にとらわれるのです。もっと大切にしておけばよかった、そしてその辛い現実を受け止めきれず悲しむことも忘れて、自分を一人ぼっちにしたことへの怒りに変わってしまった。

しかし彼は次第に陽一家族と接したお蔭で彼自身の妻の人生に対する悔いもあるがその思いを今、命ある人生にどれだけ投射してよい時間を作っていけるか、この別れが無ければ生まれ得なかった気持ちとして感謝できるようになる。

津村は40代後半でしょう、半年でその心境になれたことは若さ所以でしょう。私は3年でもまだなぜ?・・そしていつしか8年経ち心もやっと平静を保てるようになった次第です。


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  [No. 313 ]    7月 18日


    角川e文庫
「ペンギン・ハイウェイ 」・森見登美彦
2012年作・333ページ

ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。だから将来はきっとえらい人間になるだろう。

ぼくはまだ小学校の四年生だが、もう大人に負けないほどいろいろなことを知っている。毎日きちんとノートを取るし、たくさん本を読むからだ。

・・・ぼくには妹が泣いている理由がわかった。

ぼくがもっと何も知らなくて、わがままで、あまえんぼうであった時代、ぼくも妹と同じように大事な人たちがじつはみんないつの日か死んでしまってあえなくなるのだという事実に気づいて、本当にびっくりしたことがあった。



森見登美彦さんの作品には初めて巡り合いました。今後この方の作品を読ませていただかないとこの作品の真意は現時点では不明です。

読んでいるうちに摩訶不思議な世界に入り込んで行く自分がわかりながら引きずられる興味を感じながら完読しました。

この作品だけでは絵画でも見受けられる非現実的リアリズム・・・の作風ですが私にはそこに非現実的ではない実際にあった(記憶の中では確かに・・)世界観を感じます。

小学校四年生のこの時代の子供たちは時として宇宙人です。そして遠い過去の自分のその時と比べてみても摩訶不思議な大人になって感じる世界と違ったところで暮らしていた気がします。

記憶の確かな人や子供のころから日常のことを克明にノートに記録することのできた人はこの作品のように昨日の出来事であったように展開できるのでしょう。

少年が、死を生物全般の事象としてとらえたこと、そして美しい歯医者のお姉さんに対するあこがれと別れが美しく描かれています。

少年でありながら大人への憧憬と、異性に対する純真な眼差しが・・遠い日の私の少年期の記憶を呼び起こして少し嬉しかった。


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  [No. 312 ]    7月 12日


    小学館
「そのときは彼によろしく 」・市川拓司
2004年作・347ページ

中学生のとき、遠山智史と五十嵐佑二そして女の子らしからずボーイッシュだった滝川花梨の三人は何時も一緒だった。

三人の秘密基地にしていたゴミ捨て場のヒューム管で遊んだり語り合ったり楽しい日々を過ごしていた。

智史は水溜りの水草の観察が好きでいつかはアクアショップをやりたいと夢見ていた。佑二はというとゴミ捨て場で見つけたモチーフを克明に描いてみなを驚かせていた。

花梨は大人になっても智史や祐司とこうして楽しく過ごすことが夢だと語った。しかし、いつしか家庭の事情もあって離れ離れにならざるを得なかった。

智史が列車で別れる日、見送りに来た花梨はホームで彼にお別れのキッスをした。14歳の智史にはそれが愛の伝言だとは気が付かなかった。


もうあれから15年も経った、智史のアクアショップの求人広告チラシを持った美しい女性が現れた。始めは気が付かなかったが彼女が花梨と気づきあわてた。

しかし彼女は難しい病に侵されていた。消息が分かった佑二は貧しい画家となっていたが脳血管障害で意識不明が続いていた。花梨は自分の病と引きかえに祐司の意識を取り戻してくる。

・・・でも、いまなら、何となくわかる気もする。ぼくは「ここ」へ来るために、あのとき佑二に訊ねたのだ。祐司がぼくと花梨を引き合わせ、そして今度はぼくが花梨と佑二を引き合わせた。

すべてには意味があるし、おそらくぼくらはばらばらではなく、みんなが繋がっている。誰もが誰かと誰かの触媒であり、世の中は様々な化学反応に満ちている。

それがきっと生きているってことなんだと思う。・・・



この作品は少年時代のいわゆる幼馴染みたちがやがて社会に出て行って離れ離れにそれぞれの道を歩んでいる。ふとしたことから15年後に再開し当時の本音を語り合って懐かしむ。

そしてそれぞれの事情もあって智史と花梨は別れた。しかし二人は愛を確かめ合っていたので再会することを誓い合った。

智史は再び求人広告のチラシを持って現れた女性と再会した。既に彼らは40歳をとおに超えていた。

まあ、一応ハッピーエンドであったことは老人の精神衛生上にも必要なことで一安心した。しかし、この彼女の大人になってからの設定はもう少し吟味してほしかった。

誰でも知っている有名なモデル出身の俳優であったことや思いっきり美人すぎて周囲の人を驚かせるところは作品として面白さを狙った割には誰にも分かるありえない設定で薄っぺらさを禁じ得ない。

14歳の智史と花梨における恋愛意識の差は人間歳を重ねても淡い思い出として美しい。わたしにも今年、74歳の小学校クラス会があるって・・・


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  [No. 311 ]    7月  7日


    幻冬舎
「アイネクライネナハトジーム 」・伊坂幸太郎
2014年作・283ページ

・・・久しぶりに織田一真のマンションに行った。織田夫妻は共に、僕の大学生時代の友人だった

共通の友人の披露宴が近々あり、その二次会の打ち合わせをするために訪れたのだが、実際、打ち合わせと言っても店を決めることぐらいが主な内容で、大半は結局、雑談に過ぎない。

「由美さんも二次会出るの?」僕は、台所で皿を洗っている織田由美に訊ねる。「うーん、いきたいんだけど」彼女が笑う。

「でも、ちびっこいのが二人もいるからねえ」と居間のカーペットで眠る娘、美緒ちゃんに眼差しを向けた。

織田一真と彼女が結婚に踏み切り、揃って大学を中退したのは二十一歳の時だったから、早いもので、もう六歳、来年は小学生になる。可愛らしい顔をし、瞼を閉じていた。まつげが長い。

隣の和室の布団には、去年生まれたばかりの息子が眠っている。

・・・大学時代・・・男子生徒たちの大半は、彼女と交際したいと、あるものは公然と、あるものは密やかに、その思いを膨らませていた。

僕も、他の友人たちの例に漏れず、外見は勿論のこと、いつも穏やかで、驕ったところもなければ人を蔑ろにすることもない彼女に好意を抱いていたのだけれど、実際、自分が恋人に立候補したいかと言えば、 それはそんなことが実現すれば幸せだろうが、宝くじの一等を期待するのと似た非現実的なものに感じていたので、どちらかと言えば。ただ見惚れるだけで、ようするにファンの一人に過ぎなかった。・・・



どこかで聞いたような・・見たような・・この題名ですが「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」・・って、中学くらいに聞いたモーツアルト作曲の曲名じゃないの?。

テレビでタモリの音楽番組のテーマ曲に使ってたような、なじみ深い旋律でしたよね。この作品とこの題名がどういう関係があるか凡人のオレには読み終わってもピン!と来ない。

登場人物も多いし年齢層も6歳から40歳手前くらいの人たちが時代を超越して登場して来る。男子高校生の恋愛沙汰に飛び込んできた親父はその高校生の実の父親であって彼の青春期の話も出てくる。

まあ、内容としては面白かったですが偶然を多用しすぎると読んでいて・・そりゃーねーだろー・・って、少し白けちゃうかな偶然の夢も希望も見当たらない爺さんとしては。


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  [No. 310 ]    6月 24日


    中央公論
「人質の朗読会 」・小川洋子
2014年作・222ページ

W旅行者の企画したツアーの参加者7名の乗ったマイクロバスが遺跡観光をおえて首都へ向かう帰路、反政府ゲリラの襲撃を受け拉致された。

犯人グループの声明文によると逮捕拘束されている仲間メンバーの釈放と身代金の要求であると言う。

拉致現場は2000m級の山々が連なる山岳地帯で道路が十分に整備されておらず点在する小さな村々には電気も通っていない状況のため入ってくる情報は乏しいものだった。

・・・結末は悲惨であった。救出に失敗し人質7人は犯人グループらの仕掛けたダイナマイトにより全員が爆死したことであった。

しかし、この間において国際十字社が交渉の途中で差し入れた救急箱や浄水器などの中に仕込んでおいた盗聴録音機が無事に見つかったのでした。

そのテープから人質たちは退屈な時間を紛らわすための手段として何でもいいから一つ想い出を書いて朗読し合おう、と言うものだった。

いつになったら解放されるのかといった未来じゃない、自分の中にしまわれている過去、それをそっと取り出して言葉の舟にのせる。そう言う自分たちの声を響かせる。

このようにして人質の朗読会は開かれた。観客は人質の他、見張り役の犯人らであった。



次々と交代して自分のことや考えていることを話したり朗読したり・・と言う形式の小説は幾度か目にした記憶がある。

幾人かの作家さんの名前が浮かんできて「・・・夜話、・・・物語、・・・奇譚、・・・」という題名も頭をかすめる。

その中に小川洋子さんの・・・朗読会、という形で加わった気がした。

今回のそれぞれの朗読者は既に皆故人となってはいるが登場人物は小川洋子さんのどの作品にも登場して来そうな思慮深く慎みのある方々と言うことになる。


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  [No. 309 ]    6月  9日


    文藝web春秋
「あぽやん 」・新野剛志
2011年作・380ページ

大航ツーリスト本社企画課に勤務する遠藤慶太は29歳の時、成田空港所勤務を言い渡された。

遠藤にとってはこの転勤は明らかに出世コースから外れひたすら実績の伴わない現場作業従事・・の烙印を押されたような気がした。

実際その勤務は交代制でしかも不規則。常に毎日何らかのトラブルに対応しなくてはならない。

転勤して先輩からのOJTでは「遠藤ちゃん、ひとつ言えるのは現場の判断は絶対、ってことだ。受けるにしても断るにしても、現場が判断したことは外部にとやかく言わせない。それぐらいの自信を持って判断すべきなんだ」と。

実際には毎日のように起こるトラブル、パスポート不所持、予約消滅、旅客のトラブル・・それらを解決奮闘するうちにエキスパートとして成長していく。

あっという間の一年が過ぎて遠藤も班をまとめる立場にいたときOJTの今泉先輩が本社手配課転勤になると告げられた。

その先輩の挨拶には「・・・僕は空港にお客様がまた無事で戻ってくる気持ちを持ってもらいたいけれどそれはずいぶん難しいよね。だって空港を目的地としている人なんていないんだから。空港は単なる通過点、あるいは出発点に過ぎないんでしょう・・」

「じゃあ、遠藤君にとっての空港は何? お客様にどう感じてもらいたい」



作者の新野剛志さんは旅行会社勤務を経て作家活動に転じた経歴の方でした。道理でその筋の方でなくてはわからない迫力ある場面は読んでいてひしひしと伝わってくる。

あぽやん・・APOーYAN・・エアーポートで私たちの旅をサポートしながら激務に励む空港マンたちの物語でした。

私もこの年になって幾度か成田空港からよその国に旅立つことが増えてきました。私の身にも有り得さそうなトラブルは勘弁して欲しいですが有りうるかも知れない。

そんな時のためにも時間は余裕を持って、早めに相談することが必要でしょう。彼らはきっと親身になって私たちの旅の無事出発をサポートしてくれるはずです。

近年搭乗券の予約入手など自宅からいながらにして手配ができて大変便利になった。しかしその便利さはネットで繋がっていることだけであって100%の信頼でつながっているわけでは無いことを肝に銘じておこう。

・・・あれ!?、パスポート忘れちゃった!・・なんてまた変な夢を見そう・・


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  [No. 308 ]    5月 21日


    文藝春秋
「無私の日本人 」・磯田道史
2011年作・323ページ

・・・父が死んで、もう三年になる。吉岡宿きっての商家の当主で、六代目浅野屋甚内といった。

代々酒造りをなりわいとしていたが、商いよりも学問の方が性分に合うらしく、生きていたころは、近所の子どもをあつめては、ただで読み書きを教え、寺子屋の師匠のまねごとをするのを楽しみとしていた。

十三郎は、この父が二十のときの子で、長子であったが、家は継がず、実家からほんの先の「穀田屋」という造り酒屋に養子に入った。

・・・晩年父は思いつめたように「永代のうるおい・・」ということを、繰り返しいっていたことだ。はじめは、なんのことをいっているのか、よくわからなかった。

「宿中が立ちゆくようにせねばならぬ。この宿の永代のうるおいになるようなことをして死にたい」そういったこともある。

・・・その父の胸のうちが、おぼろげながら、わかるようになったのは、ほんの近頃のことである。

・・・長年、住んできた吉岡は、表通りのいたるところに、潰れ屋ができ、空き地にはぺんぺん草が生え、櫛の歯が欠けたようになってしまっている。いわゆる町場の「くたびれ」である。

・・・十三郎は宿の有志を募って年貢に苦しむ人達のために藩に金を貸し付けてその利息で年貢を賄えないだろうかと考えた・・・。



作者の磯田道史さんは近年、テレビ番組の歴史物などで史学を通じて古文書や古くからその土地に伝わる逸話などを多くの資料をもとに私たちに解りやすく伝えてくれてます。

この本は史料を読み込み、社会経済史的な知見を活かして、歴史上の人物の精神を再現されました。

近年、この本をもとに「殿、利息でござる」という題名で映画化も決定したようです。

私欲を捨て皆のために尽くす・・という本来の武士道精神でしたが江戸の後期にはむしろ退廃した武士の精神は庶民の中に脈々と受け継がれてきた。

私たち日本人の美徳はまだ誰の心の隅にも残っているんでしょうか。・・・都知事の政治資金運用の説明をテレビで放映しているけれど、ヤレヤレ


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  [No. 307 ]    5月 14日


    講談社
「箕作り弥平商伝記 」・熊谷達也
2007年作・293ページ

箕(み)作り弥平は足が悪い。

右の足が左側より二寸も短いので,ひょっこ、ひょっこ、と歩くたびに体が揺れる。

・・・100人以上も赤子を取り上げたことのある産婆が、いい加減出てきてくれ、もう堪忍してくれ、と音を上げるほどの、頑固な逆子だったのである。

・・・渾身の力を込めてサンバは引っ張った。噂では、ついに癇癪玉を破裂させた産婆が、生きて生まれようが死産だろうがかまうものか、母体だけは助けてやらねばと、赤子の足に結わえ付けた帯を鴨居にひっか、ええいっ、とばかりに己が体重をかけたらしい。

・・・その結果、生まれるには生まれたが、最初から弥平の足の長さは違ってしまった。この話、真偽のほどは定かでない。

もし事実だとしたら、箕作り弥平は右足が短いのではなく、左足が長い、と言うべきであろう。・・・

弥平は十年ほども箕を作っている。足の不利を人前では見せぬといっても、やはり差はある。子供のころ、仲間と一緒に外遊びするよりは、父や兄の見よう見まねで、箕を作っているほうが好みに合っていた。

だからだろう。今では、弥平の作る箕は、黒沢でも五指に入る出来である。



明治から大正時代、秋田県の今では秋田市に編入されている大平村黒沢部落での話である。秋田市街までは今でこそ10km足らずではあるがかなり山の中です。

現在でもこの付近は住居表示未実施地区という。しかし山には豊富な森林資源に恵まれて当時の農作業に欠かせない道具の箕作りの盛んな地域であった。

そして黒沢地区120軒ほどのすべての家がイタヤオエダラ箕の生産者であり東北一帯を賄う一大産地であったという。

熊谷さんの作品は久しぶりでした。この作品でも得意な東北地方の特異な山村に足を向けそこにまつわる題材について克明に作品に仕上げています。

私の子供の頃、この箕というのはどこの農家にも存在した重要な農機具ではありましたが。東北地方ではイタヤの木をカンナで細工しやすいまでに細く削って箕に仕上げています。

作品中、弥平は販路を拡販するため関東地方にまで足を運びました。関東のそれは竹によって作られていてその加工者たちは決して東北の弥平達のような誇り高い職人とはみなされていなかった。

山村で箕作りしか知らなかった弥平が行商に出てそして外界の女を見初めて大人になっていく過程が微笑ましい作品でした。


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  [No. 306 ]    5月 11日


    文藝春秋
「蛇を踏む 」・川上弘美
1996年作・183ページ

ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。

・・・・蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた。秋の蛇なので動きが遅かったのか。普通の蛇ならば踏まれまい。

蛇は柔らかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。

「踏まれたらおしまいですね」と、そのうちに蛇が言い、それからどろりと溶けて形を失った。煙のようなモヤのような曖昧なものが少しの間立ちこめ、もう一度蛇の声で 「おしまいですね」と言ってから人間のかたちが現れた。

「踏まれたのでしかたありません」

今度は人間の声で言い、私の住む部屋のある方角へさっさと歩いていってしまった。・・・



私が小学4年の頃の絵日記に羽を広げたコウモリが自在鉤の吊るされた囲炉裏の上を飛び回っている絵がえがかれている。

「・・とつぜんに大きな羽をバタバタさせておそって来たのでぼくはとっさにざぶとんを頭からかぶってぶるぶるとふるえてしまいました・・」


先生がいい日記ですね、と感想を書いてくれてそれを見た中学3年の長兄はお前は大ウソ付きだ・・と。

恐らく、長兄も「いい日記だね・・」と言ってくれていれば私は小説家になっていたかもしれませんでした。

でも私の嘘つきは治りませんでした。私は絵を描いたあとに実際の風景を写真で撮るとこんな風でした・・・と似てもにつかない絵を平然と描いているのです。

でも私よりもっと著名で大嘘つきの絵描きさんはたくさんいます。みなさんの大好きなゴッホだってモジリアにだってみんな私に輪をかけて大嘘つきなんです。

でも、あのロクロッ首の裸婦の何と官能的で引き込まれるような表現はどこから来るんでしょう・・。

おそらくそこに真実があって単なるフシ穴の眼では見えないのかも・・・。


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  [No. 305 ]    4月 26日


    講談社
「わたしの彼氏 」・青山七恵
2010年作・325ページ

・・・「あたしもう鮎太朗が好きじゃないみたい」「好きじゃないというと?」「嫌いじゃないけど」「僕が?」

「鮎太朗が幸せになれるように、あたし祈るよ」「祈るって、どこで?」

リリーはタオルハンカチを取り出して目の下をぬぐった。それからしばらく、鼻に当てていた。何かいいにおいを吸い込んでいるみたいだった。

「ほんとに、祈るわ」「リリー、祈らないでよ」「もう行くね」「ねえ、どうしたの」

どうしたもこうしたも・・・言いかけたらまた涙が出てきた。涙はここぞとばかりに出た。リリーは立ち上がった。

「どうしたもこうしたも」思ったとおり言いきると、彼女は走って通行人の中にまぎれた。途中、追いかけられることを期待している自分に気づいて、さらにスピードを上げた。・・・



この作品の鮎太郎はどうしたわけかそれぞれのタイプの女性からは好かれるタイプ。しかし、いつの間にかその女性たちは別れ方も様々ですがいずれかは去っていく・・設定である。

鮎太郎には3人の姉がいて一番目と二番目は結婚しているけれど、三番目は独身で、どの姉もそれなりに美人だった。悲しい時に鮎太郎が相談に行く姉は二番目のゆり子と決まっていた。

子供の頃から姉たちは彼にとっては絶対であり、つまり理不尽なことであっても服従を強いられてきた生活があった。しかし姉から強いられた理不尽な言いつけも二番目の姉は多少なりとも緩和してくれていた。

だから彼が大学に入ってからでもその相談相手はゆり子・・ということになっていた。

鮎太郎は自分に好意を寄せてくれる多くの女性には献身的に優しく接するのだがついにはいつの間にか彼女たちは去っていってしまう運命なのだ。

そんな鮎太郎のことを密かに恋焦がれる同級生のテンテンがいた。姉たちはこの子の素直さに共感して鮎太郎と結ばれるように気を使ってあげた。

しかし鮎太郎は姉に頼まれた東京での仕事のあと姉とテンテンが新潟の家で待っていることも知らずにアパートに帰る高速バスに乗り込んでいた・・。

小説の終わり方もこの先の二人はおそらくいずれは・・・と予感させるものを感じる。現代の学生の恋愛の薄っぺらさを皮肉っているのかとも思われる。


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  [No. 304 ]    4月 17日


    講談社
「珍妃の井戸 」・浅田次郎
1997年作・347ページ

中国、清朝時代十一代光緒帝の妃に教養も美貌も兼ね備えた珍妃がいた。1898年に義和団の乱が勃発し北京は混乱した、しかし列挙8カ国の軍隊が鎮圧した。

しかしそのドサクサの中で珍妃は紫禁城内の井戸に逆さまに投げ込まれて殺されてしまった。

このことは立憲君主国家を擁する国家にとっては一大事なことであり当時のイギリス、ドイツ、ロシア、日本の4カ国はその真相を突き止めるべく調査を開始した。

ともあれ8カ国連合軍は、その軍紀のよしあしにかかわらず個人的な掠奪を続けました。彼らは自らが犯した婦女子を拐って慰安所をこしらえた。

もう誰がどうのではなかった、義和団事件に派遣された8カ国の将兵全員が共犯者というべき状況であった。

そもそも光緒皇帝と珍妃は、少なくともこの国の厚い扉を諸外国に向けて開こうとしていた。彼ら自身4千年も続いた儀礼と習慣とにがんじがらめにされながら、それでも懸命に新たな立憲君主国家を作ろうとしていた。

その珍妃と光緒帝の基本的な気持ちとは、このお城の中でみなが贅沢三昧に暮らすことができるのは、四億の民が私たちに施しをしてくれているからなのだ。

古今東西、貴き者は働かない。なにゆえ働かなくとも生きていけるのか、それは、貴いゆえではないのです、額に汗して働く多くの人々から施しを受けているからこそ生きて行ける。

こういった考えは4千年の歴史を持つ清朝の中にあって反発を買うこととなる。特にこの光緒帝と珍妃の開かれた発想は折に触れて先々代であった西太后の感情を害していた。・・・・



中国、4千年を誇る歴史の中に皇女として育ち後に皇帝の妃となる珍妃は子供の頃から父親から開かれた世界観を教育されていた。

古いしきたりと開かれた諸外国との貿易や経済の結び付きの中で日本の明治維新をお手本に清朝も維新を果たすべく喘いでいた。しかし、実は諸外国にとってそれはどうでも良いことであった。

結局、自主性のない朝廷は日本の関東軍によって傀儡政治に利用される方向に向かってしまった。

前読「流転の・・」を読み終わったときどうしてもそこに至った経緯を知りたくなった。これをきっかけにもう少し真実の歴史問題に想いを馳せたいと考えるようになった。


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  [No. 303 ]    3月 31日


    中央公論
「流転の王妃の昭和史 」・愛新覚羅浩
2012年作・307ページ

私の運命を左右することになる思いがけないお話が舞い込んだのは、昭和十一年十一月のことでした。

女子学習院高等科を卒業後、油絵に熱中して気ままな生活を送っていた私は、二十三歳。

そろそろお嫁入りを真剣に考えなければならない年齢になっていましたが、私は見合い写真を見せられるたびに、まだ早い早いと逃げておりました。

いまから考えると、結婚生活よりも好きな絵を描いているほうが楽しく思えた世間知らずのお嬢さんでした。

・・・・・「お母さま、落ち着いてください。何かありましたの?」

どうやらいましがた、本庄繁陸軍大将が、私を満州国皇弟溥傑氏の妃とすることに内定したとつげにいらしたとのことです。

そして見合いの日時を決めるため、満州国宮内府御用掛をつとめる関東軍の吉岡中佐が上京するとも。全く一方的なお話で、嵯峨家には前もって一言のご相談もなかったとのことでした。

文字どおり寝耳に水のお話でした。(このわたしが・・・満州国皇弟の妃に?)・・・・



浩(ひろ)は嵯峨家の長女であったが当時関東軍は中国に満州国を建国し愛新覚羅家を皇帝とする傀儡政権を作ろうと計画していた。

しかしその皇帝には子ができず永くこの政権を保つため皇帝の弟溥傑と日本天皇家と遠縁にもあたる嵯峨家の浩との縁談を進め、合わせて日満の友好のシンボルにしようと考えた。

だが、日本は米英との開戦、それの戦況衰退に伴って満州国人民の蜂起が湧き上がることになる。

当然、浩の身辺は危うくなってきた。夫である溥傑氏は関東軍の手先となって人民を苦しめた、そして浩夫人は満州国に日本のスパイとしやってきたというものである。

夫は抑留され、小さかった娘の慧生は日本に返したが幼かったコセイを連れての逃亡生活となる。生命だけとりとめて母娘は日本で夫の釈放を待った。

その長女慧生はストーカーの学友に連れ回されて天城山中において拳銃で撃たれ亡くなってしまう。



当時の政略結婚ではあったが溥傑氏と浩は終始強い夫婦の愛で結ばれ、そしてもっとも命の大切さをお互い育んできた。

中国人と日本人はお互いに信頼し合えばこれほどの強い絆を保てるんだ、むしろ私たちはこの夫婦にこそこれからの日中のあり方を示唆してくれるんではないでしょうか。


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  [No. 302 ]    3月 14日


    集英社e文庫
「闇の花道 」・浅田次郎
1999年作・275ページ

呼び鈴が鳴り、鉄扉が開かれた。看守に背を支えられて小柄な老人が入ってきた。

「第五房、新入りだ。年寄りだから、奥に寝かせてやれ」三人の留置人たちはごそごそと起き出して、ゴザと小さな夜具を手前に詰めた。

「じいさん何やったの、食い逃げか?、万引きか?」

「あっしァ、何もやっちゃァいませんよ」

履物を重ねて房の床下に収め、老人は看守から夜具を受け取った。新入りとはいえ、動作はあかぬけている。

「お情けこうむりやす。十八号、村田松蔵ともうしやす。ごらんの通り棺桶に片足つっこんだ老いぼれでござんすが、お見知りおき下さいまし」

いきなり物語から抜け出たような挨拶をされて、若い同居人たちは顔を見合わせた。看守は金網の外で苦笑した。「仁義はいいよ、とっつあん遅いからもう寝ろ・・」

「俺がこうしてパクられたのァ、何もヘタ売ったからじゃねえんだぜ。そのあたり、了簡ちげえはしねえでくれろ。幸いここの署長は粋なお人で、こっちが人恋しいの口淋しいのと言やァ、いつだって、泊めてくれる」



留置所内で年老いた村田松蔵という元盗人の身の上話は留置人や看守などにも身につまされて更生しようと言う者まで出るほど人気があった。

松蔵の幼少期、博打好きで酒に溺れる父親は既に母も病死し、3歳上の姉は吉原に売られてしまった。そして松蔵は大盗人の親分のところに預けられた。

しかし、その盗人集団の掟は「盗られて困らぬ天下のお宝だけを狙い貧しい人々には救いの手を差し伸べる・・」従って取り締まる警察も一目置いていたし、貧しい人びとからは絶大なる人気を博していた。

松蔵は14歳ころになると吉原に売られた姉のことが次第にわかる年頃になってきた。優しくてちょっと綺麗で自慢だった姉のことを救い出せる手立てはないものだろうか・・

盗人集団の兄貴分に相談してみた。その姉を救い出すことは法外な見受け金も必要だということもわかった。しかし優しい兄貴分はその盗られて困らぬ・・金を用立ててくれた。

しかし、その時すでに姉は流行りのスペイン風邪の重い症状にかかっていて松蔵は姉の死に際に引き取ることができた・・。



これはあくまでも作家、浅田さんの独壇場の娯楽小説です。しかしその表現の味わい深い文章能力に酔いしれてしまった。ちょっと上手すぎるきらいがあるんなー


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  [No. 301 ]    3月  9日


    集英社e文庫
「あひる飛びなさい 」・阿川弘之
1978年作・325ページ

戦争が終わって復員してきた横田大造はどうやってこれから生活して言ったらいいんだろうと悩んでいた。

ショックだったのは一緒に励んでくれた妻は焼死してしまったことだ、心の支えはまだ幼かった娘の亜紀子がいてくれたことだった。

戦前、横田大造は大阪から身一つで上京し、天皇ご一家の写真を販売したことがあった。泣けなしの出資金は半分騙されたような仕事ではあったが彼の持ち前の工夫と努力で生活も上向いた。

それを元に妻と小さな飲み屋を経営し順調にというところに今回のどん底からのやり直しであった。また初心に戻って天皇家ご一家の写真販売を思いついたのでした。

しかし、戦前と違ってその写真に関心を持つ人は少なく、もっと田舎に行かないと買ってくれる人はいないんじゃないかと忠告を受け入れた。

大造は米軍基地のある周辺の農家に足を運んだ。とある大きな農家の庭先から声をかけたが返事がない、幾度も大きな声を張り上げるとひっそりと覇気のなさそうな男が出てきて対応した。

大造はどこかで見たことのある人・・、そうだ「あなたは確か戦中に技師であった加茂井海軍技術中尉殿ではありませんか・・、私はあなたと幾度もお会いしている横田軍曹であります」

加茂井中尉はつまり飛行機の工学博士であり当時の世界中の航空工学畑の学者でこの人を知らない人はいないといっても過言ではなかった。「毎日こうして米軍の飛んでいる飛行機を見ていつか自分の手でもっといい飛行機を飛ばしたい・・」

そして大造にも「あなたは戦時中にも沢山の工夫と努力をする人だと知っているもっと大きな夢を見て励みなさい」と激励される。・・・・



戦前から日本は飛行機に対する高度な技術を持ちながらその制作をして飛行することが禁じられていた。しかし戦後18年して初のジェットエンジンを搭載したYS機を送り出すことに成功した。

主任技術者としてその夢を叶えた加茂井博士そして苦楽を共有してきながらバス観光事業を成功させた横田大造と彼らを取り巻く家族を含めた物語です。

戦後日本の航空技術者は幅員してみたら飛行機を造ってもいけない、研究してもいけない、飛んでもいけない・・という時代が続いた。しかしそれが世界で認められるためには平和国家として歩んでいくんだという姿勢がなければ認められないことです。

北朝鮮が核開発、人工衛星打ち上げ・・といくら言ってみたところでその国家主義は世界から受けいられることはないでしょう。

もともと大きな鉄の塊が大勢の人を載せて空に浮いていること自体不自然なものに感じられることです。

早々来週にも長距離の飛行を前にして日本の航空業界の魁たちの道を読むことで安全で楽しい旅立ちを願うばかりです。



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  [No. 300 ]    3月  3日


    双葉社
「川あかり 」・葉室 麟
2011年作・336ページ

伊東七十郎が元勘定奉行の増田惣右衛門の屋敷に呼び出されたのは10日前の夜だった。

七十郎の家は城下でも軽格の者の屋敷が固まっている鳥飼町にあった、父親が3年前に死んで母親と二人の妹と下僕の多助がいる。

60石取りといっても藩の財政窮乏の折半知借り上げとなり、実質は30石という貧しい暮らしだ。惣右衛門からの呼び出しの使いが来たとき母親は不安そうな顔をした。

七十郎は藩内きっての臆病者であった、こうして夜中に真っ暗な夜道を惣右衛門の屋敷に出向く事だけでも精一杯のことであった。

惣右衛門からの命は藩内の対局する派閥である甘利典膳が江戸表から帰る道中、そなたが刺客となって討ち取れ・・とのことであった。

七十郎はそのために旅立って鹿伏山から流れる巨勢川の川面が見渡せる土手の上に立った、川幅は500m以上もあり雨続きのため増水し、奉行所から川止めの礼が出ていた。

やむなく宿に逗留し川明けの時を待って、ここを渡って郷里に戻る典膳を迎え撃とうと考えた。幾日も足止めをしている間に同じ部屋の浪人に七十郎は危ないから止めろ・・という。

「誰かが損をしてでもやらねばならないことも、世の中にはあるではないですか」「若い時はそんなことを思うものだが、それは思い上がりだ。一人だけが犠牲にならなければならないことなどこの世にはひとつもない。この世の苦は皆で分かち合うべきものじゃないか」


七十郎は宿で仲間となった浪人たちに助けられて典膳を討ち取ることができた。しかし典膳の警護の侍たちに討ち取られようとしていたとき・・

「待った!」を掛けた。やはり江戸表から典膳の謀略を暴くためにおってきた重鎮の倉田文左衛門に助けられた。

「七十郎、お前に命を下した惣右衛門も決して体制の中では正しかったとは言い切れぬのだよ」文左衛門は惣右衛門の古くからの友人であったことから助け舟を出したというわけであった。

七十郎は川明けで人々の渡る様子を見つめた。「生きていくうえで、誰もが大きな川を渡ろうとしている。しかし、渡ることができない者や、渡ることさえ許されないひとが大勢いるのだ」・・・



今回を含めて葉室麟さんの作品は3作目・・ということでした。いずれも時代物で前2作は時代背景もしっかりした考証に基づいたものでした。

この作品は娯楽性の作品と思いながら読んでいましたが。随所に人生訓のようなものも織り交ぜてあり、よみごたえのある作品に仕上がっていました。


ところで読書をするようになって足掛け8〜9年、区切りの300冊ということになりました。芥川賞を取った又吉直樹さんがインタビューで答えていました、「僕は今までに2000冊くらいの読書を・・」 このペースだとあと40年くらい必要ですね・・・


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  [No. 299 ]    2月 23日


    新潮社
「村上海賊の娘(下巻) 」・和田 竜
2013年作・478ページ

けいは織田信長が大坂本願寺を完全に封じ込めて尚且つ海上である難波海からの補給路を絶ったことを確認した。

つまり、けいは自分が送り届けた門徒の無事さえ見届けられれば役目は終わったとばかりに能島の館に戻ってきた。父親の能島村上の当主武吉は娘の無事帰還を大変喜んだ、しかし長男の吉元は女だてらに・・!、と妹の行いに業を煮やした。


織田と対峙する毛利家は大坂本願寺の門徒たちを支援しようと毛利の重臣小早川隆景はその家臣乃美宗勝、毛利家直属の家臣児玉就英らと海からの支援を決める。

その為にはどうしても村上海賊の支援を受けなければ成し遂げられない。


就英は海賊当主武吉に是非力を貸してくれないかと持ちかけた。武吉は就英がまだ独身であること、そしてかなりの男前であることも合わせて条件を出した。

「わが娘、けいを嫁にしてくれないか・・そうすれば我が海賊も大いに働かせてもらう・・」と、就英は即座にそれは断った。


毛利の支援策は既に決まったことでもあり小早川はとにかく難波海までは支援物資を乗せた船団を進めた。しかし大坂本願寺の補給路たる海域は泉州の武将とこの海域の眞鍋海賊がガッチリと堅固していた。

しばらくの間この両船団はにらみ合いを続けていた。毛利にしてみればこの時期上杉が越後を動いて織田に刺激を与えるようなことをしてくれたら一気に動こうとしていた。

そのたのみの上杉は一向に動こうとしない。もはやこれ以上粘っても無理・・と引き上げることを決めた。

謹慎中だったけいはそのことを知るといてもたってもいられなくなり対に手勢の船で自ら戦いに挑んだ。これを知った毛利と村上海賊は姫の一大事とばかりに加勢して戦いは本格化した。



この戦いは海上であるがゆえ織田と毛利の支援による村上海賊と眞鍋海賊の戦いに要約されよう。

この本は上巻、下巻合わせて多くのページは戦いのシーンに費やされているといっても過言ではない。

作者の和田さんはかつて「のぼうの城」を書かれていてそれも読んだことがありますがとにかく戦いの描写は好みと見え迫力ある戦闘シーンはかなり残虐を極めます。

この本もいずれは映画化されるのだろうな・・と思いながら娯楽のひとときを終えた。


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  [No. 298 ]    2月  4日


    新潮社
「村上海賊の娘(上巻) 」・和田 竜
2013年作・478ページ

戦国時代1570年代後半、一向宗本願寺の本山大坂本願寺・・現在の大阪城のある場所を地理的、戦略的にも坊主が使うにはもったいないから明け渡せ。と無理強いしていた織田信長との小競り合いはもう7年にも及んでいた。

一方、一向宗とは現在の浄土真宗あるいは真宗であっていまや各地に信者を持つ大教団でその総本山なのだ。


もうこの本山と信長との陣取り合戦はすでに7年もにわたっての攻防が続いていた。

しかしここに来て信長側はその総本山を間近に攻める好条件地に着々と砦を築いていつでも戦える準備をしていた。


この時期瀬戸内海西部の海運はというと多くの海域を村上海賊といういわゆる海の秩序を司る一派に握られていてしかも秩序ある海運の安全が保たれていた。

このことはこの付近の陸における毛利と織田のせめぎあいををよそに実に安定した海運がつかさどれていた。


大坂本願寺は信長の攻略を守りきろうとしたが兵糧が足りない、補給する陸路は信長に既に封鎖されている。頼みの綱は毛利に頼み込む意外手はない。

しかし、毛利とて援軍を派遣する陸路は難儀であり頼みの綱は海運、つまりこの瀬戸内海を牛耳っている海賊衆に頼む以外はなかろう・・と使者を立てた。

瀬戸内海には身内の分家、三家がその海域のすべてを掌握し海運のいざこざの処理はもとより秩序の制御まで実に統率の採れた働きをしていた。

その名は、陸地にも知れ渡った村上海賊、毛利はつてを探ってこの大坂本願寺に海路をつかって兵糧の補給を打診した。つまりそれにより村上海賊も毛利方を加勢、そして本願寺擁護派との意思を示した。

この村上海賊の娘、けい・・20歳がいた。男勝りで気性も荒っぽく勝手に付近の航行舟の検分などしていたとき領分違いの海賊が宗教者の舟を見つけて悪さをしているのを咎めた。

問うてみるとこの者たちは大坂本願寺に救援に行く途中で襲われたという。けいは女だてらに「よし、オレが無事に届けてやる」

小豆島を過ぎ淡路島付近になるとこの海域の海賊はどちらかというと織田信長派、とりあえずは海賊仲間ということで無事信者たちを本願寺の分砦までは送り届けた。

けいはとりあえずこの織田派の海賊たちと織田の砦で戦を見守った。自分の助けた信徒たちも応援したい、しかし海賊仲間も無事でいてほしい。



この本の全貌が不明なためどこに焦点を当てて書けばいいのか皆目見当がつかない。特にこの主人公のけいは自分の部族派ではなく織田派に潜入している、これからどうなっていくんでしょう。

この本の舞台は瀬戸内海、一昨年私はこの地に写生旅行で一週間過ごしました。文中登場する島々の名称もうっすらとわかりますがこの本を読むにあたり瀬戸内海の地図、こんなものを 用意しておくと楽しさも倍加するんではないでしょうか。


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  [No. 297 ]    1月 28日


    オリオンブック
「たけくらべ 」・樋口一葉
1896年作・66ページ

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き、三島神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大へもなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十件長屋や、商いはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に・・・。



廻れば大門の見返り柳まではとても長いけれど、お歯ぐろどぶに燈火がうつる三階の騒ぎも手に取るような、明けても暮れても人力車が往来することでもわかるように、たいへんな繁盛である。

大音寺前と名前は仏くさいけれど、それでも陽気な町だと住人たちは言っていた。

三島神社の角をまがってからは大した家もなく、軒端が傾くような十軒長屋や二十軒長屋ばかりが並ぶ。こんなところではたいした商売にはならないであろう。・・・


上の文章は原文、下の文章は現代訳文での書き出し部分です。読み比べてみると原文は難解で、実に読点「、」のみで文章を連ね、句点「。」まで実に1716文字も続くのです。

おそらく源氏物語や古典の作品はこうした文章によって書かれていたことでしょう。


千束神社夏まつりの日、横町組みの子供たちは鳶頭の子長吉を筆頭とする集団は目の敵にしていた表町に住む金貸しの子で正太郎を筆頭とする集団に喧嘩を仕掛けた。

発端は表町に住む正太郎が横町の子分たちと遊んでいたからで実は正太郎の代わりにとっちめようと仕組んだのだ。

廓に住む14歳の美登利は威勢も良くてこの喧嘩の仲裁に入ったが返ってやられてしまうこととなる。正太郎はそんな美登利が好きでなついていた。

美登利は同じ学校の気になる人がいた。龍華寺僧侶の息子信如であった、彼を意識するようになってからはお互いすれ違っても挨拶もせずにいた。

ある雨の降る日、美登利の家の前を信如が用事で通りかかった時、下駄の鼻緒が切れてしまった。雨の中で信如は手持ちの紙をよって直そうとしたがうまくいかない。

美登利はそっと鼻緒になるような布切れを投げてやったが信如はそれに気がつかなかった。通りがかったのは暴れ者の長吉だったが下駄を交換してやるからこれで用をたして来いと。

以来、美登利は慕ってくれる正太郎にも邪険にするようになり。母親にもきつく当たったりするようになる。そして信如は修業をするために仏門の学校に転校した。

その日の霜の朝、美登利の家の格子門の外より水仙の作り花をさし入れておいた者があった。



短編であるがゆえに読みようによってはいく筋もの複雑な気持ちを美登利のなかに汲み取ることができる。

時期は明治中頃でしょうか、当時の下町に住む少女の心境が感じられる。しかし明治の初期の「あさがきた」のドラマに出てくる主人公と比べればこっちが特別なんだ、と思ってみないといけないんだ。


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  [No. 296 ]    1月 25日


    講談社
「マンチュリアン・リポート 」・浅田次郎
2010年作・361ページ

昭和3年、志津邦陽中尉26歳は軍事法廷において禁固6ヶ月の拘留を言い渡されて獄中にいた。

彼の罪状はというと当時の軍部の提唱する治安維持法に対する軍人にあるまじき騒擾攪乱的行為にあった。それは軍人の枠を超え一般市民としての意見をビラにより喧伝したことによる。

いわゆるその怪文書の要旨は「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」ト。然ルニ天皇陛下ハ「神」ニ非ス。國民等シク推戴スル「君」テアリ「人間」に在ラセラレ給フ。・・・

この怪文書は回り回って天皇陛下の目に止まることになった。


折しも、満州においてはこの年の6月、当時中国の事実上の元首であった張作霖(チョウサクリン)が北京から列車で帰省の途上、日本軍部により爆殺された。

この事件は河本大佐個人が差配したとされたがむしろ彼は責任を被っただけで関東軍全体の謀略、そして日本の参謀本部までが関与していたとの疑念も広まっていた。

当時の田中首相を始めとする政府は動揺した、そしてその謀略は天皇も政府も蚊帳の外におかれた状況に天皇陛下はお怒りになった。然るに軍部からの報告はいらん!、しかし軍部に詳しく、しかもこやつならばその本質を掴めるであろう。


翌年の昭和4年志津邦陽中尉は獄中から刑期半ばではあったが天皇陛下の拝命を受け満州に赴きその事件の全容をリポートして陛下に報告した。



私たちの世代以降は当時日本の政府が満州をはじめとして近隣諸外国に何を求めどうしてきたかを知ることはなかった。

むしろそれを知るすべはいくらでもあったと思いますが私自身の感情としてはできることなら知らなくて済ませたかった。つまりその根底には当時の日本の置かれた状況の中に列強大国に後れを取ってはならない。

その為には軍の力も必要であった・・かも。しかし、その軍部は日露戦争から以降日本の武士道精神から逸脱したものとなり暴走が目立つようになった。


この作品を通して私などの戦中派(生まれ)はもっと昭和初期の歴史問題にも目を向けていく必要を感じた。

もちろんこの作品のように天皇陛下が調査を命じたことはないでしょうがそこは作者、浅田次郎さんの創作の展開術でこういった方向性は面白く水戸黄門様ストーリー発想は素晴らしい。

そしてこの作家のよく使う術の中に一路・・でしたか、馬が人間語を話して作品を深める役割をしていたことを思い出しました。

張作霖は帰省にあたって西太后の乗ったイギリス製の機関車を鋼鉄の公爵「龍鳳号」にも人間語を与えて張作霖の心情を聞き出している。この手法は作品に深みをつけていた。


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  [No. 295 ]    1月 18日


    講談社
「ぬけまいる 」・朝井まかて
2012年作・357ページ

十八、九の頃は「猪鹿蝶」のお以乃と言えば界隈で知らぬ者の無い、三人娘の一人だったのである。誰が呼んだか「イの一番のお以乃」と二つ名まで奉られて、それでちょいといい気になっていた、ってことはあるかもしれない。それは認める。

でも、何があってもどんな時も心意気だけは誰にも負けない、そう思って生きてきたはずなのに。望みさえすれば何者にもなれる、そう信じて疑わなかったのに。

「姉ちゃん、いつまで夢みたいなこと言ってんだよ。歳を考えろよ、歳を。もう格好悪いよ」弟の貫太にあんな風に見られてたなんて、まるで気づかなかった。

・・母と一膳飯屋を営むお以乃は今朝は少し二日酔い気味でまだ床の中にいた。天気も悪いので下のお店にはもう朝から常連客がたむろしていて朝酒する者もいた。

・・下に耳を傾けていると大工やご隠居の声もした。・・「抜け詣りですか・・」「抜け参りって、あの、いきなり姿くらまして伊勢に行っちまうあれかよ」

「今どき、ほんとにやっちまう奴いるんだなあって、昨日もその話で持ちきりよ」「・・・またぞろ流行ってるんでしょうかねえ・・」

・・・いいわねえ、お伊勢様。諸国から人が集まって、そりゃあ賑やかなんですってね。あたしも一度でいいからお詣りしてみたいわあ。


たまたま久しぶりにお以乃の家に三人娘が偶然にも顔を揃えた。御家人の妻となっていたお志花、小間物問屋で女主人で財を成しているお蝶、それぞれに悩みを抱えた仲良し三人だ。

「・・いっちょう家庭も仕事も放り出して三人で御伊勢詣りに出かけちゃおうか・・」



まあ、人生の半ばには誰しもそんな気分になることが一度や二度はあるでしょう。でも大方の人はその後のことや周囲に対する自分の責任を考えるとなかなか踏み切れない。

この頃の時代背景は江戸時代の文政年間にはぬけ詣りが随分と流行って社会問題になったという・・、それから15年、社会も落ち着いた弘化のころでしょう・・。

とにかく後先考えず油の乗った女三人組みが愉快なお伊勢詣りをする話はぬけまいりのできない人にとってはせめての憂さ晴らしになる小説でしょう。


物語の流れは痛快でしたがこの三人組の得意技の設定が賭博の花札をもって来ざるを得ない時代背景に少し無理がある。わざわざ花札のわからない私たち読者にその説明を書かなくてはならないのは苦しい。

そんな興ざめするような設定をしたのは作品構成上失敗でしたね。朝井さんはこの作品を書くにあたってかなりの文献も調べているようでしたが現代の読者に楽しんでもらう作品に するためにはもうひと工夫が必要だったと感じる。


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  [No. 294 ]    1月 14日


    幻冬舎
「ストーリー・セラー 」・有川 浩
2010年作・206ページ

「仕事を辞めるか、このまま死に至るか。二つに一つです」

医師は淡々と宣告した。宣告を受けているのは彼一人で、彼の妻に関する宣告だった。

「あなたの奥さんは大変に珍しい、かつて症例がない病にかかっています。我々はそういう結論に達しました」

・・・彼女は同じデザイン事務所に勤めていた同僚だった。・・社内では弁当持参の女子というのが珍しかったので、何度かちらちらとその弁当を覗いたことがある・・

「でも毎日飯作ってるなんてすごいよな」「すごくないよ、一人暮らしは切り詰められるのエンゲル係数しかないし、やっぱり欲しい物とかいっぱいあるし」

ふっとそこで彼女との会話に妙味を覚えた。・・普通の会話の中なら普通に「食費」と来そうなものだ。・・・彼は彼女に次第に興味が沸いてきた。

・・彼女の帰ったあとのふとマシンの手元を見ると、USBメモリーが転がっていた。社内でUSBメモリーの使用は許可されていない。

まさか彼女の?。いやまさか彼女に限って・・そもそも彼女のものだと決まったわけではない。・・中身を確認しなくては・・不正に使われているものではないと、安心したかった。

それに保存されているのはすべてテキストファイルだった。一瞬企画書や見積書の持ち出しを疑ったが、それにしてもタイトルが全て・・何か本のタイトルのような。

ただ、文章だった。厖大な。一行目から吸い込まれた。するすると目が文章を追う。いや、目が文章に吸い付いて離れない。文章に連れて行かれるように・・意識が持っていかれる。

それは小説だった。バタバタとけたたましい足音が廊下から近づいてきた。うるせえとしか思わなかった。邪魔だ。そして足音以上にけたたましい音を立ててドアが開いた。

「すみません、私忘れ物っ・・・!」飛び込んできた彼女は自分のマシンにワードが開いているのを見て悲鳴を上げた。警備員がすっ飛んできそうな悲鳴で・・・



彼は彼女と結婚した。そして彼女の小説は売れると勧めて出版社に応募させた。売れるようになって彼女は退社し彼は彼女のために家事や食事の用意もしたが・・

つまり彼は彼女の小説を読めることに喜びを感じそして彼女の小説を見出した第一人者であると同時に彼女を愛していた。・・・そして冒頭の医者からの宣告「致死性脳劣化症候群」であた。


実はこの作品はSide:A であって次は Side:B となっていた。

「つぎはどうしよう・・・」「Aは女性作家が死ぬ話だったろう?今度は女性作家の夫が死ぬ話にしてみたら?」彼の提案に彼女は顔をしかめた。

「うわ、それちょっと書きにくいなぁ」「書け書け。内容的にも対になるじゃん。収まりいいよ」「う〜ん・・・」「おののくな。さあ俺を殺せ!」


有川浩さんの作品は今までに二回ほど読んでいました。いずれも航空自衛隊に取材してそれを小説にした作品でした。テンポのいい文章はかなり私の好みでした。今度は自衛隊もの ではない作品なのでこちらも期待にたがわず面白い作品でした。

でも作風のせいか少し女性っぽいところを感じてこの作家さんを調べてみて驚いた。浩(ひろし)ではなく(ひろ)・・って女性でした。ゴメン


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  [No. 293 ]    1月  8日


    幻冬舎
「作家の収支 」・森博嗣
2015年作・195ページ

まえがき・・、森博嗣って誰?、作家って儲かるの?、・・・。

第1章 原稿料と印税。

文章はいくらで売れるか、文章量の単位は原稿用紙、原稿用紙1枚でいくら?、時給で言うといくら?、原稿料はなぜ一律なのか?、・・・。

第2章 その他の雑収入。

名前や顔を売る仕事?、講演会とサイン会、講演をするといくらか?、トークショウーというものもある、インタビューを受けたらいくら?、取材を受けたらいくら?、・・・。

第3章 作家の支出。

作家の支出って?、50%引きになるもの、大きいのは人件費だが、会社にしてしまう手もある、秘書とか手伝いとかを雇うと?、アイデアを買う?、・・・。

第4章 これからの出版。

出版不況の本質は大量消費の崩壊、すべてがマイナー化する?、細かい利益を拾い集めるしかない、サブカルの台頭、新しい才能をどうやって拾うのか、・・・。

あとがき・・、少なくとも浮き沈みのない作家だった、歳を取ってもできるみたいだ、今までよりももっと自由に・・。



こんなことを赤裸々に書いてくれた作家がいたでしょうか。以前、他の作家で武士の家計簿は面白かったがそれに匹敵する面白さがあった、知らなかったことを知った面白さ・・でしょうか。

わたしも近頃、文章を書くのが面白く感じることがある。それで作家の多くは大概文章を書くのが好きなようである。それでは自分も作家になれるの。

しかし現実には好きなことをしていて金になる・・なんて事はありえません。ヘタな鉄砲も数打たなければならない、その為には好き嫌いで書いていたのでは間尺に合わないらしい。

作家の収支なんかどうでもいい、そんなことをわきまえて本を選んで読む必要があることを改めて実感した。何々賞受賞作家の作品・・、大概は次回作は大いに落胆する。


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  [No. 292 ]    1月  6日


    幻冬舎
「清須会議 」・三谷幸喜
2012年作・272ページ

柴田様と羽柴様はしばらくやり合っておられました。しかしラチがあく様子もなく、遂に羽柴様がぶち切れました。

「柴田様は何か思い違いをされておられます。これは織田家の跡目を決める会議ではないのですか。天下人としてのお館様の跡を継ぐのであれば、信孝様で申し分ない。

しかし織田家の当主となると話は別。六年前の天正四年、お館様は嫡子信忠様に既に家督をお譲りになられておられる。よって我らが決めるべきは、お館様の後継ではなく、信忠様の跡継ぎなのです。

信忠様には三歳とは言え、三法師様という立派な御子がおられます。にも拘らず、なぜ、信孝様が家督を継ぐ必要があるのです。こんなおかしな話はない。」

これにはさすがの柴田様も返す言葉がありません。黙ったまま、厳しい表情で羽柴様を睨みつけるだけでした。



信長の跡目をめぐって織田家の重臣たちが清須の城で会議を開いた。ここで今まで筆頭家老であった柴田勝頼と元はといえば下足番から這い上がってきた羽柴秀吉の両者の意見の食い違いが見られた。

そしてこの会議を境に今後の織田家の重役の順番が変わろうとする大切な場面であった。

勇猛果敢、戦においては数え切れない程の武勇を働いてきた柴田、そして方や羽柴は大きな世の中の流れの中で織田家は今後どちらに進むべきかその先見性をもって他の重臣の気を引きつけた。

もはやこの勝負は明らかでありこのことは現代の会社経営についても当てはまることです。技術優先の企業においてもそこには優れた先見性を持つスタッフがいないと成り立たない。



この本の作者は劇作家、脚本家、演出家・・そして近年映画監督としても多彩な作品を手がけ映像で私たちを楽しませてくれている三谷幸喜さんです。

ですから読んでいても面白さ・・というサービス面が充実していて文章も語り口調、しかもわざわざ「現代語訳」として表現してくれて楽しめた。

NHKの大河ドラマ「真田丸」の脚本も手がけているそうです。そちらも楽しめそうな気がしてきました。


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