Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2013年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.224浅田次郎・講談社e文庫「 歩 兵 の 本 領 」 12月 27日
N0.223太宰 治・青空文庫「 津  軽 」 12月 24日
N0.222黒野伸一・小学館e文庫「 限 界 集 落 株 式 会 社 」 12月 17日
N0.221有川 浩・幻冬舎e文庫「 空 飛 ぶ 広 報 室 」 12月 13日
N0.220堂場舜一・集英社e文庫「 少 年 の 輝 く 海 」 11月 25日
N0.219講談社編集・講談社e文庫「 雷 電 為 右 衛 門 」 11月 21日
N0.218森 絵都・集英社e文庫「 永 遠 の 出 口 」 11月 14日
N0.217辻村深月・講談社e文庫「 島 は ぼ く ら と 」 11月  3日
N0.216森見登美彦・幻冬舎e文庫「 有 頂 天 家 族 」 10月 13日
N0.215小川洋子・文春e文庫「 猫 を 抱 い て 象 と 泳 ぐ 」 10月  9日
N0.214有川 浩・角川e文庫「 空  の  中 」 10月  5日
N0.213万城目学・角川e文庫「 ホ ル モ ー 六 景 」  9月 21日
N0.212桜木紫乃・集英社e文庫「 ホ テ ル ロ ー ヤ ル 」  9月 14日
N0.211浅田次郎・集英社e文庫「 終 わ ら ざ る 夏 (下) 」  9月 11日
N0.210浅田次郎・集英社e文庫「 終 わ ら ざ る 夏 (中) 」  9月  8日
N0.209浅田次郎・集英社e文庫「 終 わ ら ざ る 夏 (上) 」  8月 22日
N0.208勝間和代・株ディス・・「人生を10倍自由にする」  8月 11日
N0.207土屋 守・ソニーマガジン「ウィスキーちょっといい話」  8月 10日
N0.206カーマインガロ・株日経BP「スティーブジョブズ驚異のプレゼン」  8月  9日
N0.205赤川次郎・角川文庫「 追 憶 時 代 」  8月  4日
N0.204村山由佳・文春e文庫「 ダ ブ ル ファ ン タ ジー 」  7月 27日
N0.203中島京子・文春e文庫「 小 さ い お う ち 」  6月 10日
N0.202吉田修一・集英社e文庫「 初 恋 温 泉 」  5月 28日
N0.201石田依良・集英社e文庫「 娼  年 」  5月 14日
N0.200唯川 恵・集英社e文庫「 肩 ご し の 恋 人 」  5月  8日
N0.199吉田修一・新潮社e文庫「 7 月 2 4 日 通 り 」  4月 23日
N0.198浅田次郎・集英社e文庫「 ま  、い っ か 。 」  4月 20日
N0.197村山由佳・文春e文庫「 星  々  の  舟 」  3月 21日
N0.196市川拓司・小学館e文庫「 い ま 、 会 い に ゆ き ま す 」  3月 10日
N0.195松浦理英子・新潮e文庫「  奇   貨  」  3月  1日
N0.194乃南アサ・新潮e文庫「い つ か 陽 の あ た る 場 所 で」  2月 21日
N0.193青山七恵・河出書房新社「 ひ と り 日 和 」  2月 11日
N0.192浅井リョウ・集英社e文庫「 桐 島、部 活 や め る っ て よ 」  2月  6日
N0.191大道珠貴・文春e文庫「 し ょ っ ぱ い ド ラ イ ブ 」  1月 21日
N0.190豊島ミホ・新潮e文庫「 日 傘 の お 兄 さ ん 」  1月 11日
N0.189小川糸・新潮e文庫「 あ つ あ つ を 召 し 上 が れ 」  1月  3日

  [No. 224 ]   12月 27日


    講談社e文庫
「歩兵の本領 」・浅田次郎
2001(1997~2000)年作・ 555ページ

今年最後の読書は好きな作家のうちの一人浅田さんの本にしました。夏の終わりに北方領土に関わる終戦作品、1700頁にも亘る「終わらざる夏」を読んで感銘を受けていた。

私より10歳ほど若いですが高校を卒業して自衛隊の第32普通科連隊(首都防衛を担い今年は伊豆大島災害派遣など・・)で当時市ヶ谷駐屯地勤務という変わり種作家です。

小学生の時家業が破産し辛い中にも高校時代に小説家を志して原稿を出版社に持ち込んだところで憧れていた三島由紀夫に遭遇した。

彼が入隊したであろう前後に三島事件がありましたが入隊を決意した前には三島からの薫陶を得ていたかどうか定かではありませんが彼の行動力の凄まじさを感じます。

現在は日本ペンクラブ会長を務めていますが書く事が趣味・・というだけあって多くの作品を出していますが、作家としても人生にしても紆余曲折の下積みがあったればこその

作品群は私の心に強く共鳴します。

「歩兵の・・」はそんな浅田さんが遅咲き作家デビューしたあとにその経歴から出版社に所望されて記したいわば自衛隊を世間に知らしめる内容だととらえて面白く読み終えました。

「若鷲の歌」「小村二等兵の憂鬱」「バトル・ライン」「門前金融」「入営」「シンデレラ・リバティー」「脱柵者」「越年歩哨」「歩兵の本領」



来年も、乱読は続くと思います。行き当たりばったりの読書人生ですがいつの日にかとびっきりの珠玉に遭遇しないとも限りません。一年のお付き合いありがとうございました。


  [No. 223 ]   12月 24日


    青空文庫
「津軽 」・太宰 治
1944年作・ 338ページ

前にも幾度となく述べてきたが、私は津軽に生まれ、津軽に育ちながら、今日まで、ほとんど津軽の土地を知っていなかった。

津軽の日本海方面の西海岸には、それこそ小学校二、三年の頃の「高山行き」以外、いちども行ったことがない。高山というのは金木からまっすぐ西に三里半ばかりいき・・・


・・・それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女はご飯を食べながら、たい陽気で語り笑っているのである。日本はありがたい国だと、つくづく思った。

たしかに、日いずる国だと思った。国運を賭しての大戦争のさいちゅうでも、本州の北端の寒村で、このように明るい不思議な大宴会が催されて居る。・・・



太宰は1944年に出版社の依頼を受けて津軽地方を取材旅行しその様子を「津軽」として出版していた。

しかしこの年あたりは既に太平洋戦争での日本の立場は下り坂・・・ちょうどこの頃の6月にはアメリカ軍はサイパン島に上陸している時期であった。

まだ日本本土への空襲などなかったので太宰は自身の生まれ故郷の取材は自分の生い立ちを探るための旅でもあったようでした。

途中、幾度かその土地の紹介の中にこれ以上の記述は軍事機密に触れるため書く事は許されないので・・・というくだりがあって当時の日本の機密統制を垣間見ることでした。

東京ー青森ー蟹田ー三厩ー龍飛ー蟹田ー金木(生家)ー五所川原ー木造ー深浦ー鰺ヶ沢ー五所川原ー小泊ー蟹田ー東京・・・

私も3年ほど前に鈍行列車を使っての旅行計画を立てたことがあったので太宰治の足跡はおおよそ頭の中にあっての読書であった。

紀行文・・・と思っても見ましたがその表現はそこを超えた彼自身の津軽に対する思い入れと愛情に満ちた眼差しが感じられる。特に私のように彼に対して少し屈折したひととなり

からこの文章を読み始めたら・・・なんと、中学生にも劣らないほど純粋で無垢な魂に触れた感じがして驚いた。

しかし、友人やその土地土地の人たちとの触れ合いの表現に抱腹絶到する箇所は随所にあってさすが単調になりがちな文章を引き立てることも忘れない。


  [No. 222 ]   12月 17日


    小学館e文庫
「限界集落株式会社 」・黒野伸一
2013年作・ 246ページ

多喜川優は新宿から中央高速道に乗り既に2時間走った。インターを降りて山間部に抜ける道を少しオーバースピード気味に走る、優の操るBMW7は多少の坂道も気にしない。

しばらくして山間部の地方の町に入る、ここまで来るともはや都会の人の住む世界とは別世界だ。活気のなさそうな農協の角を曲がって優のBMWは更にその上の集落に向かっ て走った。

小高い峠を越すと小さな集落が目に飛び込んでくる、優は子供の頃のかすかな記憶を頼りにさらに車を進めた。優が小学生の頃ここに来たのはまだ祖父が元気でひとりで農業を していたころだ。たしか止村・・とか言っていたはずだ。

祖父が亡くなった時、優はアメリカと日本を駆け巡りながら投資ファンドの融資を審査する金融機関の要職にいた。そんな彼の仕事一筋を見て妻は夫を見限って息子と一緒に彼のもとを去った。

優は一区切り大きな仕事を成し遂げたとき更なる事業を立ち上げたいと思うようになった。そして現に彼が声さえかければそれに必要なブレーンは集まりそうであり、その前に一息 入れようとこの止村にある祖父の住んでいた家にしばらく泊まって羽を休めようとやってきた。

当時は寒村ではあったが一面に綺麗な畑が広がりそれなりに豊かさをも感じられる集落であった、しかし今はどうだろう田や畑は雑草に覆い尽くされて先程畑でうずくまる人を 見かけたがもう高齢の年寄りだった。

祖父の住んでいた家形はなんとなく思い描いていたものと変わらずだった。しかし周囲の畑は祖父が丹精込めていた畑もまるでジャングルの様相をしていた。

優が祖父の家の玄関に車を乗り入れると早速目ざとい部落の年寄り婆さんがずけずけと入ってきた。

優はとりあえず自己紹介をして怪しいものでは無いことを伝えた。婆さんたちも「そうか春ちゃんか、えれー立派にお成になって・・」と好意的であった。

「いえ、晴彦というのは私の父で、私はその子供の優です、祖父がいた頃は小学生の頃来たことがあっただけでした」「おー、そうかそうか・・」

翌朝、優が目を覚ますと何やら台所の方から美味そうな匂いが漂ってきた。のぞくとなんと昨日の婆さまたちが朝飯を用意していてくれて「さあ、喰え・・」

婆さんたちの話を要約すると下にある町とは既に合併してはいるが高齢者ばかりのこの村を、住人に山を降りて病院や施設のある便利なところに住め、と勧められていると言う。



この本はストーリーとしては単純明快、限界集落というレッテルを貼られた寒村に経営手腕に優れた男がやってきて村に流れてきてぐずぐずしている若者を効率的に使ってやり甲斐 を持たせる。村に活気も戻り順調に伸びていくはずがそう事は素直に進まず人気と資金面に行き詰まる。

優の経営手腕だけではいかんともしがたい状況、ところがこんどは進路の方針をしっかり見据えた若者たちを中心に村の農業事業を盛り返す力によって復活できそうだ・・・。

星野伸一さんはこの本を書くにあたって「農業に転職・・」「日本の食と農・」「田舎暮らし・・」など、また「農協の大罪・」「資本主義はなぜ・・」「貧困の・・」「21世紀の 国富論・」など19冊もの多くの参考文献をもとに書き上げています。そんな意味で単なる「ヤッター」物の本とは違った考えさせられるものだった。

私もスキーをすることがご縁でスキー場近くの地域の農家を支える方たちとの交流を通して集落の明と暗をはたながら感じてきました。若い人が希望の持てる営農を見つけ出せれば どんな苦難も乗り越えられる。



    幻冬舎e文庫
「空飛ぶ広報室 」・有川 浩
2012年作・ 778ページ

航空自衛隊の戦闘機パイロットはタック(戦闘飛行隊)で使う愛称としてタックネームをそれぞれ持っている。無線などで呼び合うためのニックネームだ、基本的には自己申告制 なので趣向を凝らした名前を各自新人の頃に考える。

だからミーテイング後の雑談でそのタックネームを申告したとき彼は内心冷や汗を書いていた。「『スカイ』がいいんですけど」聞いた周囲はううんと唸った。

やっぱりカッコよすぎたか、と内心は更に冷や汗。「お前だったら仕方ないかな」

「ありがとうございます!スカイのタックネームでブルーインパルスに入るのが子供の頃からの夢だったんです!」

空井大輔 二尉、子供の頃から絶対これだと決めていたスカイのタックネームも手に入れブルーへの厳しい訓練に明け暮れていた28歳の春、彼のたどるべき道は突然として 絶たれた。

彼は街の歩道で信号待ちをしていた、そこへ大型トラックが突然に突っ込んできたのである。空位にはなんの落ち度もなかった事故だった、彼は右足の骨折だけで命に別状は なかった。幸運と呼ぶべきだろう。

手術と入念なリハビリの結果、彼の右足は日常生活には支障がない程回復し、趣味のレベルならスポーツさえ楽しめるほどになった。

だが、Fー15を駆る戦闘機パイロットである彼が職務を全うするにはその回復の度合いは到底足りなかった。結果として彼はパイロット資格剥奪の処遇となった。

彼は基地の監理部総務班へ転属となり降りかかった運命を半ば呆然と受け止めた。そして翌年四月転勤した先は、防衛省ーー航空自衛隊航空幕僚監部広報室であった。


広報室は彼の惨めな転属を誰もが知っていて優しく彼を受け入れようと接してくれた。しかし飛ぶことを失った空井の虚しさにはかえって周りの気遣いが目障りだった。

そんな空井を見ていた広報室長は報道関係のテレビ局から取材に来る新米記者の稲葉リカの対策担当に彼を起用することに決めた。

広報室長としてはとかく自衛隊の広報活動がマンネリし世間の目から離れないよう、むしろ新しい広報マンと新人記者から新しい発想の広報活動を模索しようと目論んだ。



有川さんの作品は二度目(以前は「空の中」)ですがいずれも航空自衛隊をもとにした作品でした。この作品を通して有川さんの取材は航空自衛隊の広報関係部署に綿密に足を運び 練り上げた作品だということがひしひしと伝わってきます

そして特筆したいことは、私たち一般人が自衛隊・・・というと少し引いた気持ちで彼らと接してしまう感覚のズレを的確に掴んで作品に仕上げていることです。

しかもそれを広報と言う部署を通じて有川さんがよく自衛隊を理解し愛情を持って私たちに知らしむべき作品に仕上げてくれたことです。

「自衛隊員も私たちと同じ一般人なのです、但し有事の時には私たちには測り知れない決断力と行動力を訓練によって養っているのです。3.11の災害や大島豪雨などの報道で 目にする彼らの働きにどれほど私たちは安心感を覚えたでしょうか」


  [No. 220 ]   11月 25日


    講談社e文庫
「少年の輝く海 」・堂場舜一
2013年作・ 346ページ

山村留学…と言う制度がある。都市部の小中学生を漁村や農村に一定期間住まわせて環境を変えることによって自立を促したり、また過疎化の 進む地方の学校に新しい都会の空気をなじませるなど双方にとってメリットのあることとして成り立ってきた。



鳥海浩次は母を亡くしそして父親の仕事の都合でこの山村留学に入ることとなった。今井花香はジュニアの水泳選手として注目されていた選手 であったが交通事故がきっかけで心を病んでいた。

二人は立場はそれぞれ違うもののいわば腰掛半分の気持ちで瀬戸内海の島に山村留学生として受け入れられている共に中学2年生であった。

同級生の島の食堂の子、水谷計はあるとき家の古い箪笥からある海図を見つける。それには昔この付近を統治していた水軍のものであって財宝を 積んだ船の沈没場所が示されていた。

ある日、浩次と計は近所に住む偏屈なおやじの舟を借りてその海図に示されたところを潜って確かめようとした、しかしそこは非常に潮の流れ が複雑でしかも強く渦を巻き水軍の木造沈没船もそれによって場所を大きく変えていることも分かった。

そして浩次はその船の存在をはっきりと見ることが出来た。こっそり舟を返そうとしたが偏屈おやじに見つかってしまった。しかもあの海域は 呪われているから行くのはやめろ、とまで言われた。

花香はこの島でリハビリしながら水泳の練習に励んだ、それを東京のテレビ局が取材しに来た。花香はそのときテレビ局の人間に水軍の沈没船 引き上げの計画を話すとディレクターはその話に乗ってことは大げさになってしまった・・・



登場人物もストーリーの組み立てもまったくひどすぎる。ここしばらくはしっかりした作品を読んできたのでそれらとどうしても比較せざるを えませんがアイデアだけで小説を書こうとしたとしか思えない。


  [No. 219 ]   11月 21日


    講談社e文庫
「雷電為右衛門 」・講談社編集
2013年作・ 571ページ

信州上田の在、大石村の半右衛門という百姓に大きな子供が授かった、名前を為五郎と付けられた。

小さいうちからとほうもない力持ち、ところが力があるだけにこれがまた、とんでもない大食らい。ひとの2倍も3倍も食うから両親もほとほと困っておりました。

18歳の時腹を好かせた為五郎が浄願寺というお寺の前を通りがかったとき大勢の人足で寺の鐘を吊り下げようとしていたがどうにも上がらない。

これを見た為五郎は「ワレがひとりで吊るしてやるから飯を食わせてくれ・・」「いいとも、やれるものならやってみろ・・」

これをこともなげにひょいと鐘を担ぎ上げて吊るしてしまった。その怪力ぶりに皆驚いてしまったがおかげで為五郎はたらふくの飯をご馳走になることができた。

数日して為五郎、また腹が減ったので考えた、「そうだ、あの鐘を夜こっそりおろしておいて頼まれたらまた吊るして飯をご馳走になろう・・」

たびたび鐘が下ろされてしまうことに不審に思った住職が夜見張っていると、そこに現れた為五郎をとっ捕まえてしまった。

住職は、半右衛門にこやつは力持ちだから相撲に出れば相当なものになりそうだがどうか・・?と問うた。半右衛門もそんないいことなら是非・・・ということで為五郎を 江戸に向かわせた。

人から聞いた横綱の長谷川というところに入門しようと出向くと、親方は昼から酒を飲み横になったまま為五郎の話を聞いて入門を許した。しかし為五郎は名も無いワシだけど 寝たまま挨拶するような奴は大したことはない、と為五郎から断って家を出た。

そのついでに谷風というお相撲さんの家を尋ねると親方がフムフムと真面目で誠実な対応をしてくれたので入門をお願いし許された・・・・。



私たちが薄々昔の怪力相撲の雷電伝は講談や事の折に触れ断片的に知ることではありますがそれらをおおよそにまとめたのが本書であろう。

時は今ちょうど九州場所、白鵬と日馬富士という全勝の二横綱を大関稀勢の里が追う展開となっていますが江戸時代においては各藩お抱えの贔屓を背に相当な盛り上がりであった 模様が伝えられます。

今も変わらないことは谷風と雷電はいわゆる同部屋同士ですから対戦することはありませんでしたが。長谷川はこんなに強い雷電を敵に回してしまったことを大変後悔したことでしょう。

怪力なゆえに彼にだけ”封じ手”が果たせられその手にかかって廃業する力士や片輪になった者も多数居たとしていますが明るい性格、人情味ある人柄、から絶大なる人気を博した。

友人の越の海が四海波を倒した日の夜、闇から襲った四海波力士の手下によって暗殺された。雷電はその恨みを土俵の上で晴らそうと四海波と対戦するのを待った。

証拠はないものの越の海を襲ったのは四海波という噂は巷に溢れていた。四海波も雷電と対戦すると殺されることがわかっているので立会からすぐに自ら転んで負ける作戦を立てた。

しかし雷電もそうさせてはならじと立つと同時に両手を挙げてバンザイポーズを取ったので四海波はその廻しに手をかけないわけには行かなかった。雷電、待っていましたと 言わんばかりに四海波をむんずと掴んで目より高くかざし柱に投げ飛ばして殺してしまった。

役人はソレ!、と思ったが行司の木村庄之助の技あり・・・の宣言で殺人罪の罪は逃れることができた。雷電、行司のこの行いはたちまち江戸中の大評判となった。

この一番で雷電は生涯、横綱になる事はなくなってしまう。今年も私はスキー大会の移動途中で雷電の里にある道の駅で泊まることもあります。大きな銅像の傍らで・・・


  [No. 218 ]   11月 14日


    集英社e文庫
「永遠の出口 」・森 絵都
2013年作・ 552ページ

小学校3年生のわたし紀子は2つ上の姉と両親のごく一般的な4人家族であった。一般的な・・・というのはたとえば子供はひとりより多い方がいい、しかし経済的理由などから まあ二人が限度ってとこでしょう。出来れば上は女の子でしたから次は男の子の方が・・・という希望とは裏腹にまた女の子だった。

紀子自身、両親からそんな事を言われた事はありませんが家族の中で一番おっとりしていてのろまな自分に引け目を感じながらも薄々自分の所在不明にもがき始める。

5年生になってのクラス替え、そして強烈な保護主義的教育に凝り固まった担任に巡り合う事で紀子の子供心の中に反抗心がわき健やかだった過去の人生が踏みにじられ ると感じ始めた。

そして6年生となって電車に乗って友達同士のみで初めてデパートに行った、更に友情は深まりそして少しの冒険も試みて自由を満喫する。

入学した中学は兎に角校則のやかましい学校であった。父も母も校則は規則だから絶対的なものだ、母は何時もきっちりと気にしているおでこに掛かる髪の毛は校則道理 に切りそろえ、わたしがその広いおでこの事でどれだけ学校でいじめに近い冷やかしに有っているかは全く眼中にない。

そんな鬱憤が最高潮になっていたこともあった。紀子が玄関を開けて家に入った瞬間、突然の大音響と共にガラス片が飛び散り痛みは感じないものの衣服には真っ赤なものが 散りばめられたようにほとばしり一瞬我を忘れてソファーに転げ込んだ。

なんということだ、それは母親が密造していたワインが発酵して爆発したのだった。私にはあれほど学校の規則を守れとか言って服装や身なりまで口やかましいことを言って いるくせにその自分はこの有様だ!。

わたしは母・・つまり家族にも反抗しなくてはならなくなった。しだいにクラスの中でも不良と言われるグループに接近した。デパートで万引きが見つかり母親が呼び出された、 スリルと自己満足の世界・・・であった。家に戻ると父は長い説教をした、そして言った。「紀子がどれだけ多くのものを盗んでも、地区大会の決勝で俺がスマッシュを決めた あの瞬間のような満足感は得られないだろう」と締めくくった。ずれたジジイだと思った。

兎に角不良付き合いも飽きてしまった、一応まじめな風を装って中学を卒業した。高校ではもう恋愛学校と言わんばかりに模擬カップルが次々と誕生した。しかし姉から 「どうやら父親が不倫していてそれが母にばれて・・この分では離婚するかもしれない・・」これは大変なことになる。

今までは自分の事で親や友人に迷惑ばかりかけっぱなしの人生だった。父と母が何とか別れなくてすむ方法はないものか・・。学校では「安田クンがタイプ・・」なんてふざけて 言ったところ聞いた友人が「保田クン」を連れて来た。なんでこんな不細工な男・・・、でも次第に好きで好きでたまらなくなってしまった。

高校に入ってアルバイトを経験した、チャチな喫茶店ではあったがそこで初めて社会のルールを知りそこに働く様々な思いの同僚たちとチームワークを取ることの大切さも体験 する。進学希望組、専門校や就職組にとクラスのそれぞれは目標が定まりつつある中で紀子はそのいずれのグループにも属していなかった。

そんな仲間同士なんとなくの連帯感から卒業までに何か一つでいいから盛り上がることをしようよ・・、紀子は気が進まないまま天体部の顧問の講座を受け始めたが、なんとか スターウォッチャーの称号を顧問から受けられるところまで頑張ってみた。

最後の講義でこの地球は約50億年後には爆発する太陽に呑み込まれて消滅する運命にあることを知ってショックを受ける。



人の生き方はその先の希望に向かって飛躍的に伸びようとする、しかしその先に希望を見いだせないとしたら果たして人は努力というものをするのだろうか。例えばそれが不治の病 だったらどうなのでしょう・・・しかし例え病でなくとも限りある人生の中で人間は常に向上心を養ってそれを次世代につなげてきています。

紀子が中学生の時全ての責任を人のせいにして逃れようとした時期も、人類にとって最後は何も残らないという事実を知ったあとも私たち人間は何事もなかったかのように皆全て 希望に向けて努力していくのです。


  [No. 217 ]  11月  3日


      講談社e文庫
「島はぼくらと」辻村深月 作
2013年作・  757ページ

池上朱里の住む冴島は瀬戸内海の小島、本土までは高速船フェリーで20分ほどの距離である。中学まで同級生だった網元のひとり娘、榧野衣花と矢野新、青柳源樹はいつも このフェリーに乗って本土にある高校に通っている。彼らはそれぞれ違う高校に通ってはいるがいつも行き帰りは一緒の高校2年生だ。

この島では皆兄弟のように仲良くしているので本土の同級生からは羨ましがれる。

しかし帰りの最終便は午後4時10分、だから島の子供たちは部活には入れない。しかし新だけは演劇部に所属しているが部活は部員と挨拶したあと準備をしただけで 帰らなくてはならない。

でも新は演劇の練習が出来ようができまいとそんなことには一向にお構いなしなのだ、そういう刺激の場にいられるだけで幸せなのだ。

島にはいわゆるIターンの人たちが随分と住んでいる、そして島の人もそんな彼らにどうしてここに移り住んできたかといったヤボなことは言わないし聞きもしない。

そんな環境を人づてに聞いてきて・・そしてまた移り住む人もいるという循環もある、特に大矢村長はそういったことにも熱心であった。
夕方のフェリーにはそういった関係の人やその文化関係の繋がりを求めてやってくる人たちでごった返すこともしばしばあるのだ。

そう言った中でも注目を集めていたのは谷川ヨシノだ、名目は大家村長に請われてIターン組の特にシングルマザーや地元の主婦たちのまだら模様のコミュニティーを支援してもらって もっと村を活性化させようと働きかけていたのだった。

ヨシノの性格もあるのだが村人は彼女の指導を快く受け入れてそして村の特産品である海産物を自分たちで加工して販路を求めることに成功するのであった。

これは地元の主婦たちの生きがいにつながり、ひいてはIターンのシングルマザーたちの生活の糧にも役立ついわば事業の成功例だった・・・・・。



辻村さんの作品を読むのは先の直木賞受賞作に続いてのものでした。この作品はテーマが大きすぎて全体がまとまらないままページ数が膨大になりすぎた感があります。

もっと焦点を絞ったほうが作品としてのまとまりやテーマに対する読者の反応もすっきりしたのではないでしょうか。

ともあれ、これを読み進むうち伊豆大島での集中豪雨被害があったり私は熊本の天草への写生旅行などもあり”島に暮らす”ということの意味がより強烈に感じながら興味深く 読み進んでしまいました。

また、地方での生活という視点からは特にIターン移住者、シングルマザーの地方での受け入れ取り組みなど私の友人が多く住む群馬県片品村に想いを馳せながら読み終えた。


  [No. 216 ]  10月 13日


      幻冬舎e文庫
「有頂天家族」森見登美彦 作
2007年作・  565ページ

京都・人間は街に暮らし狸は地をはい、天狗は天空を飛行する。

平安の遷都の方続く人間と狸と天狗の三つ巴。それがこの街の大きな車輪を回している。

天狗は狸に説教を垂れ、狸は人を化かし人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人を拐かし、人間は狸を鍋にして狸は天狗を罠にかける。

そうやって車輪はぐるぐる廻る、廻る車輪を眺めているいるのがどんなことより面白い。




狸の家族と人間の関わり、そして京都の山々を支配する天狗たちの面白おかしい長編娯楽作品でした。

天狗は空を飛んだり、化けた狸が走り回ったり読んでいてもそのスピード感は実に愉快である。残念なことに私は京都の地形がよくわからない・・・

森見さんはこの作品の面白さは京都の街に住む人にだけわかってもらえればいいものだと思っているんではないでしょうか。

時々目にする地方の作家が、特定の固有地域名を使って作品に仕立てていることがある。つまり作品の深み、面白みなどそんな舞台設計に頼らなくても十分に表現できてはじめて 優れた作品になると思う。

裏返すと京都の地理地形がよくわかった人はもっと面白く感じただろうと、不案内な私の悔し紛れの書評だ!。


  [No. 215 ]  10月  9日


      文春e文庫
「猫を抱いて象と泳ぐ」小川洋子 作
2001年作・  529ページ

少年は祖母とデパートに行くたびその屋上へ行って物思いにふけることがある。以前このデパートの屋上にはかつて一頭の像が飼われていた、その名はインディラ。

小さな象の時は皆から可愛がられ人気があった、好きなバナナをもらっては愛嬌を振りまいていた。しかし飼育員が気がついたとき象はあまりにも大きくなりすぎて地上に下ろすための エレベーターにはすでに乗らなくなってしまった。


結局その象は鉄の鎖をはめられたまま一生をその屋上で終えることになった。さびた鉄柵の向こうに象が鎖につながれた足をユサユサ揺すっていたあたりはいつも雨水が溜まっていた。

少年が生まれた時その唇は何故かくっついたままで産声を上げることができなかった。止むなく手術によってその口は開かれ脛の皮膚を移植して終わったがそのためではないにせよ 少年は無口だった。


少年が朝学校に来ると校庭のプールに大人が何故か倒れて死んでいた。先生に通報して大騒ぎになったがどうやら近くのバス会社の独身寮の運転手さんだとわかった。

少年はそのバス会社の独身寮を見に行こうとして車庫の横を通り過ぎ、敷地の奥へ向かうとき一台の回送バスが目にとまった。

ドアーから中を覗くと人の気配がした。大きな体をした優しそうな目をしたおじさんがいて「坊やが見つけてくれたんだってね、ありがとう」そのおじさんはバス会社の独身寮の管理人 をしているという。亡くなった人とチェスのゲームをしていてその人はカッカとした熱くなった体を冷やすと言ってプールに行って心臓麻痺を起こしたという。

少年はその時初めてチェスというゲームがどういうものか初めて知った。おじさんは少年に優しくチェスの仕方を教えてくれた。

まっ四角な版は8X8の升に仕切られて一対のキングとクイーンを2対づつのビショップとナイトとルークが守り最前列には8個のポーンが陣営を整えて相手陣営の16騎と対戦する。

それぞれの駒には動ける動作が決められていて。そのせめぎ合いはよく譜面にも書かれて後後までその名勝負というものは歴史にも残る美しいものなのだ・・・と教わる。

少年はすっかりチェスの虜になってしまい、そのバスには学校が終わるとすぐに行っ回送バスておじさんの指導を受けながらめきめきと上手になった。

祖母と弟とある日デパートに行ったとき、たまたま少年チェス大会が開かれていて少年が参加してみるといとも簡単に優勝してしまった。賞品の商品券に弟はプラモデルを欲しがったが 祖母はこれは大切にとっておきなさいと行って少年のポケットに仕舞わせた。

少年は弟にご馳走しようと巷のチェスの賭け事の場に行った。酔った相手は金がないとダメだといったが商品券がある・・と言って戦って負かしてしまった。少年は弟にデパートで お子様ランチをご馳走してやることができた。

自慢げなその話を少年から聞いた回送バスのおじさんは叱りはしなかったけれどとても悲しそうな顔をした。少年はその顔を見た途端改めて自分はとんでもなく間違ったことをして しまったんだと悔やんだ。

それと同時にそれからのチェスの奥深さ、神秘さ、大きな世界観を次第に身につけていくことになる。



小川洋子さんはチェスをご存知なのだろうか・・・そんなことはどうでもいいことです。この表題に度肝を抜かされてしまいましたがイヤまだまだそれ以上に突拍子もない創造の 世界があって名だたる対戦の譜面を見ると壮大な宇宙が垣間見えるということであるらしい。

以前「博士の愛した数式」を読んだことがありましたが今回も家族関係に乏しい少年と回送バスの中で巨体を持て余すおじさんとの関係という図式です。そして醜い肢体にもかかわらず 真の美しさがチェスの中にあることを教えてくれたおじさんへの憧憬を描いています。

その回送バスのおじさんは甘いものが好きで少年は思いやるのです体が大きくなると、そこに象のインディラの末路と重ね合わせて・・・。おじさんは大きくなりすぎて亡くなります。

少年は11歳の体のままおとなになります。波乱万丈の人生が待ち受けます、しかし回送バスのおじさんに教わったチェスの限りない可能性は自身の身がどうであれ気高さを失わない 強い意志として持ち続けることができるのです。


  [No. 214 ]  10月  5日


      角川e文庫
「空の中」有川 浩 作
2004年作・ 1063ページ

日本初になる国産の超音速ビジネスジェット機は多くの関連会社の期待を込めた中その試作1号機は名古屋空港を離陸した。機長の白川豊はその背に国家の威信をも担う重責を 感じながらも自信の操縦を見せて目標の上空20000m飛行を目指していた。

高度19000m、エンジンは快調な吹き上がりを快く響かせていた。そして目標の・・・突然の爆発炎上により乗組員全員の生命は絶望的となった。


航空自衛隊岐阜基地・飛行開発実験団では時期戦闘機としての開発テストを繰り返していたが実用高度を上回る飛行実績を上げるため二機編隊を組んで実験海域である四国沖 上空に差し掛かっていた。

隊長、斉木敏郎三佐は隊員の中でも特に視力の優れた女性パイロットの武田光稀三尉を従わせた。そして奇しくもこの海域で民間ジェット機が謎の失踪したことの記憶も思いながら 順調に高度を上げていた。しかし20000mで隊長機は爆発、続く武田機は素早く体制を変わし難を逃れた。


にわかに浮上したこの二機の飛行機事故の関連性を追求すべく民間機設計部門から派遣された春名高巳は航空自衛隊岐阜基地へ向かった、武田光稀三佐に事故当時の状況を聞き出し 原因解明をしようとしていた。しかし光稀は高巳を快く事情聴取に応じる気配はなかった、高巳は光希の心をほぐしていく長期戦と捉えて引き下がらなかった。

高校二年生の斉木瞬は幼い頃母を病で失い、父、敏郎の転属の度に各地点々としていたが実家のある叔父の家の近くで祖父のいた家に独り住まいをしていた。そして川漁師をする 宮田喜三郎は瞬の祖父と懇意だったことから親代わりのように面倒を見てくれていた皆からは宮じいと呼ばれ親しまれていた。

また瞬の家の隣には同学年の天野佳江と言う頼りがいのある幼馴染も住んでいて気心もしれていた。佳江は自他共に認めるほどの怪しい生物好きで学校でも未確認生物愛好会なんて 言うものを立ち上げているくらいである。

宮じいの漁の手伝いをして帰ろうとしていた瞬は水辺に不思議なクラゲに似た生物を発見した。近づいてみると奇妙な仕草で瞬の足元ににじり寄ってくる。

慌てて逃げ帰ってきた瞬はそのことを佳江に話したところ「捕獲しよう・・」と促されて再びその河原にやってきた。佳江に持って帰って飼おうと言われ恐る恐る部屋に持ち帰った。 取り敢えず大きなたらいに入れ替えて観察することにした。

そんな瞬のもとに父親の死が伝えられた。岐阜の自衛隊に行って亡骸のない葬儀など過ごして自宅に戻ってきた。しっかりものの瞬は父の死を何時かはこういった事故もあるかも 知れない覚悟はできていた。それやこれや慌ただしい日々が過ぎたらいに飼っていた生物のことなどすっかり忘れていた。

ある日、携帯の呼び出しを見て驚いた、父からの呼び出し・・死んだ父が電話をすることはないのにと恐る恐る電話に出ると意味不明な言葉が発せられた。しかしよく聞くと何と たらいに飼っていたはずの生物がすっかり乾いてしまって家の中を浮遊しながら瞬と父親の番号で交信しているのだ。

驚くことに瞬の言葉をすぐに理解したり言葉も対等にしゃべれるほどの高等な知能も持ち合わせている様子なのだ。



フェイクと名付けられたその高等生物は実は四国沖海上々空20000mに相当大きな単一生命体として存在していたが相次ぐ航空機事故に遭いその破片が河原に落下したフェイク だったのだ。

現実的な国内航空産業の現状を探りつつ、SF小説っぽい作風になっていて面白さという点では納得しつつもその現実との接点に多少の違和感があって固い頭ではしっくりと楽しめ きれなかった。科学者の小説と作家の科学小説の違いはこの違和感の大きさによるところが私を芯から喜ばせてくれるかの分岐だと想う。その点では不合格だ。


  [No. 213 ]   9月 21日


      角川e文庫
「ホルモー六景」万城目学 作
2012年作・ 602ページ

京都大学、食堂で阿倍は学友の高村と昼食をとっていた。会話の中に実家の話題が登り返答に窮したと高村はいい、安倍は大学でどんなサークル活動をしているかと聞かれて 何と答えているのかと訪ねた。

どうも、お袋は新聞を読んで大学キャンパスに潜伏する、怪しい宗教サークルについての記事を読んで、急に心配になったらしい。「なるほど。で、どう答えたんだ?」

「そんなの母さんには関係ない、って教えなかった。誰が京大青龍会というところで、ホルモーやってます、なんて言える?」


この作品は六篇の短編集からなっていますがこの前作である「鴨川ホルモー」を読むとすんなりと導入できた部分もあってしばらく読み進んでみないと「なんだ〜?」と胸が騒いだ。

万城目学さんの作品は確か以前にも読んだことがあり、少なくともそんなかすかな記憶からたどるとこの作品がかれ独特の京都の街を舞台にした、学生時代の妄想劇であることが 判明する。

そしてその中に登場する人物像は私たちの社会一般通念と少しどこかずれている・・と感じる。しかし彼らは京都大学の学生であってとても優秀・・なのです。

冒頭の高村クンはそもそもこの時代においてチョンマゲを結って京都の街を闊歩するほどの変人なのだ。でもほかのサークル員も姿かたちは一般的であっても心の中は相当に シュールにそして緻密に侵されている・・・・。

「ローマ風の休日」高校生の男の子はレストランで週幾日かアルバイトをしていた。新しいアルバイトとして大学生の女の子が入ってきた、接客もひどいし仲間との融通も効かない 困った人と周囲は感じていた。しかし緊急の手順を一手に引き受けて成し遂げてしまった。

相談を受けた高校生の宿題の幾何の問題には直接その問題を解こうとせず、大きな可能性を広げた上で問題に近づく道を探そうよ・・・と、彼女は理工科数学の生徒だった。

「もっちゃん」ではなんとこの主人公は梶井基次郎の学生時代だったり、ホルモーのライバル校「同志社大学黄竜陣」ではクラーク博士が同校創始者の新島襄に宛てた手紙が隠されて いるのを研究学生が発見したり、「長持の恋」では織田信長の小姓であった柏原小鍋と古い長持ちの中の木切れに文字を託して文通したり・・・・



いずれにしても一般人の私から見ると「奇想天外」な作品の部類とおもえてしまう。ゲーム機を巧みに操る若者の中には「仮想敵・・」とかそういう発想には慣れきった世界がある。

そしてその中にいると現実との境界が曖昧になってきて自己崩壊する人も出てきます。私も読んでいて楽しかった、ゲーム機で遊んだことはないけれど読み進むことで自身が フッと我に返ったとき何処かをさ迷った後味の悪さが残った。

私はどちらかというとガチガチの普通人・・・なんだろうな〜。


  [No. 212 ]   9月 14日


      集英社e文庫
「ホテルローヤル」桜木紫乃 作
2013年作・ 308ページ

加賀屋美幸は短大を卒業して以来13年間「スーパー・フレッシュマートしんとみ」の事務を執っているがここ数年は仕入れと利益のバランスを見渡せるようになっていた。

社長も現場と数字がよく見えている美幸に頼るところがあり、売り場に関する提案は店長と同じくらい大切にされている。

木内貴史がパートタイマーばかりの「しんとみ」に採用されたのが3年前。貴史は美幸の中学時代の同級生だった。地元のパルプ会社のアイスホッケー選手だった彼は28歳で右膝 靭帯を損傷して引退している。


市の臨時職員をしていたが上司とそりが合わず辞めたあとこのスーパーの宅配運転手として採用されていた。

中学時代の貴史はアイスホッケーでは目覚しい活躍をし推薦で進んだ高校も3年続けて全国優勝に導くほどの活躍をしていた。だから美幸など彼からすれば記憶のかなたに霞んで いたはずだったが美幸の眉毛の上にある直径5mmほどの黒々としたほくろで気がついたほどであった。



そんな美幸はリンクを去ってから半分に落ちたと嘆く貴史の筋肉も女を抱くには充分すぎるほどしなやかで美しかった。貴史はベッドの上でよく膝の手術痕をさする。

そんな挫折・・・、負け犬・・・、希望・・・、夢・・・、会話に挟み込まれる単語は美幸にとって遠い出来事のように聞こえた。

そんな貴史が趣味としてはじめたカメラ、去年の年末大売出しで買った一眼レフデジタルカメラは彼の心を大いに癒してくれた。そして貴史がヌード写真を撮りたがっていると 知ったのは一週間前、モデルになってくれと言われた時だった。あと5kg・・痩せてくれないか?


撮影場所も既に決めてあるという、今日はそこまで出かけた。釧路湿原を一望できる小高い丘の上に立つ廃墟のようなラブホテルの残骸がある、周囲を草に覆われた看板には 「ホテルローヤル」までしか見えなかった。

「廃墟でヌード撮影をするのがあこがれだったんだ」美幸は自分が今、誰と一緒にいるのかわからなくなり運転席を見た。貴史が目尻を下げて嬉しそうにしている。・・・・



ホテルローヤルを巡る7作品からなり、出だしの第1作が「シャッターチャンス」「本日開店」「えっち屋」「バブルバス」「せんせぇ」「星を見ていた」「ギフト」で構成されている。

桜木紫乃さんは今年度この作品で直木賞を受賞し、ますます作家としての地位を築きつつあります。題材も北海道の地方に根を張ったしっかりした作品であると同時に私はこの 作家の表現意識を強く支持します。

読書メーターのサイトでこの作品の人気度を見てみると必ずしも私の気持ちに沿わない意見も結構ありました。華やかな文章ではない代わりに現実味がしっかりと捉えられ そこからにじみ出てくる感情の余韻を楽しめる・・・と言うのが私の評価です。


  [No. 211 ]   9月 11日


      集英社e文庫
「終わらざる夏(下)」浅田次郎 作
2010年作・ 611ページ

1945年、ソ連の兵士ミハイルはドイツとの戦争に勝利し列車に揺られて故郷に向かっていた。途中で奇妙な光景に出会う、他の兵士が自分の故郷なのに列車から降ろしてくれないと言う。

それはなにかの間違いだろう・・と思っていたところ自分の故郷であるシベリアに着いたにもかかわらず更に東への移動を命じられていた。ついに最果ての極東はペトロバブロフスク・ カムチャッキーという辺ぴな所まで連れてこられてしまった。

一方、占守島にはもしアメリカが日本上陸作戦において北の島からということに備えて満州にいた最精鋭部隊を駐屯させていた。それはソ連と不可侵条約を結んでいたため満州と ソ連の国境警備についていた兵士と最新鋭戦車とで構成されていた。


8月15日、「ーーー本日正午、ーーーー国民はひとり残らず謹んで玉音を拝しますようにーー」という通達で学童疎開のあった寺、各市町村の役場、戦争の真っ只中の営倉、列車 であっても最寄りの停車場で止め、乗客は駅前広場に集まって用意をしていた。。

集団疎開から脱走した譲と静代は線路つたいに来たところ目の前の駅に列車が停車しているのが見えた。あたりは人気がなく機関車からは静かに蒸気が登っていた。何があったか 解らないが上り列車に忍び込みトイレの中で鍵を閉めジッとしていようと決めた。



戦争の終結は広く国民の耳に届いた。然し北海道本島から1300kmも離れた千島列島最北端の占守島ではそれらしい噂は耳にするものの正しい情報は届かなかった。

片岡直哉は上官の命令によりカムチャッカ半島からかすかに聞こえるアメリカのラジオに耳を傾けていた。陽気なアメリカ人は日がなジャズ音楽を流し続けていたが時折その合間に 臨時ニュースとしてやはり戦争の集結を知らせていた。



この島の日本兵士は満州からのよりすぐりの精鋭たちである。直接の玉音放送が聞けなかったとしてもそのニュースは日本軍兵士の戦意を削ぐためのデタラメ放送と決めつけた。

その通りと考えたのは翌日になって12kmしか離れていない対岸からの砲撃があった。しかし何故かその狙いは占守島の手前、沈没をまぬがれ座礁したソ連の輸送船をめがけての 砲撃であった。「なぜ本島をめがけて撃って来ないのだ!」熟練砲兵は「恐らく座礁船に命中させられればその仰角と方向を修正すれば良いことなので次はこちらに向けます」

続けて偵察機が雲間から現れた。「アメリカ機ではありません。赤い星・・・ソ連機です!」なぜだ・・・?、ソ連とは不可侵条約を結んでいたはずではなかったのか。

日本は終戦条約を受諾した3日後にソ連の侵攻により北の島を奪われた。通訳として渡った片岡は言葉も伝わらぬまま無情の死を遂げた。三度目の招集での歴戦の猛者、富山熊雄は なすすべもなく戦士、軍医としての菊池もシベリアに抑留した戦友が次々と栄養失調と病に倒れるのを見て安楽死させるのが精一杯、その責務に自身の命も絶った。



私たちは終戦記念日の度、二度と繰り返すまい・・と心に誓うのですがその教訓はどうしても南の島や本土についての言葉のみで北方では何があったのか・・・ほとんど知り得なかった。

今でこそ国同士が例えば尖閣諸島、竹島などは領土問題として争っています。もともとこの海域はその付近の漁民たちが和気あいあいとして漁場を維持してきました。

国家がなければ今もって平和な漁業者の海だったはずです。北の海もアイヌを始め北に住む人とロシア人は仲良く漁をしていました。日露漁業と言う会社まで作って繁栄していた 海域です。しかし、ソ連は極東から太平洋に開けた航路が欲しい、そのためには終戦でアメリカが上陸しない前のこのドサクサに不法占拠したかったのです。

終戦、そして日本社会が安定し始めた時期はアメリカとソ連は冷戦時代でした。ソ連の火事場泥棒仕業を指摘できる国家はどこにもありませんでした。その恥を知っているロシア人は 皆年老いて死んでしまいました。親たちは子供たちに自分たちの泥棒稼業を教え伝えないまま・・・

浅田次郎さんだからこそ書くことのできた北方領土に目を向けた大長編作品、「終わらざる夏・・・」


  [No. 210 ]   9月  8日


      集英社e文庫
「終わらざる夏(中)」浅田次郎 作
2010年作・ 546ページ

片岡直哉の子、片岡譲は小学生低学年であったが信州の寒村に学童疎開させられて寺の本道に寝泊まりしていた。付き添いの訓導と呼ばれる教師のもとひもじい食事ではあっても ホームシックにならないよう常に集団で行動をとる訓練を受けながら生活していた。父兄からの手紙などは訓導の検閲を受けひとりひとりの自立の度合いに合わせて読ませて良いものか どうか厳しくチエックされていた。

片岡直哉の妻久子は子供に心配をかけさせるような手紙は出来るだけ伏せておくように気は使っていたが夫の招集に気も動転して出征したことは伝えておこうと思った。

片岡譲は低学年ではあったが精神も安定し物分りのいいことから訓導は手紙を読ませても良いだろうと判断して渡してしまった。


吉岡静代はやはり同じように女子生徒だけの疎開生活をしていた。高学年でもありリーダー的存在でもあった彼女に訓導は空襲で母が死んだという手紙を渡していた。

譲はある晩その教場から逃れた、つまり脱走した。線路沿いに歩けばいつかは東京に着く・・と。偶然にもそこで静代とばったり行き会った、お互いは知らない同志であったが 事情は同じと行動を共にした。



千島列島最北端の占守島には大屋准尉率いる精鋭部隊が北方守備として着いていた。ここに北海道以北の総指揮官、吉田少佐が視察に来るというのである。しかも形だけの視察 のあと直ぐに帰還するものと思っていたのに既に二週間も滞在している。大屋准尉は訪ねた「本当の目的はなんでしょう」。吉田少佐は苦悶の表情で答えた「日本はこの戦争で 必ず負ける、その時に必ず必要な通訳の到着を待っている・・」

その通訳の役目のために片岡直哉はここに配属させる、そしてそれが不自然に見られないよう囮(おとり)として勇猛果敢な戦士、富山熊男、軍医として菊池忠彦の3名の配属を ここで待つ・・・・と。



片岡譲と吉岡静代は目の前に浅間山が至近に見えるところまでやってきた、空腹ではあるが集団疎開からの離脱、それは軍隊で言うところの脱走兵と全く同じ意味であった。それを 見つけたものは最寄りの警察に届け出ることが義務つけられていてひと目に付いてはならなかった。

河原で水を飲み空腹に耐えていたところを地元の子供たちに見つかってしまった。彼らとてその時はどうすればいいか親からよく聞いていた。しかし彼らは二人に河原で焼いていた とうもろこしを差し出し・・「これしか上げるものがなくてゴメンな・・」



広島に、そして続いて長崎にもアメリカの新型爆弾が投下されたことは全国民の知るところであった。一億玉砕を叫んでいた軍部の劣勢はこのまま戦い続けることはもはや不可能と いう状態になっていた。一億総国民が文字を読み書き出来る国は世界中どこをさがしても日本しかない。そんな学識のある国民がこのまま軍部の言いなりになることは有り得ない。


  [No. 209 ]   8月 22日


      集英社e文庫
「終わらざる夏(上)」浅田次郎 作
2010年作・ 589ページ

太平洋戦争、米英開戦を控え日本軍は本土決戦に備え動員する軍人を全国に広く求めることになった。市ヶ谷にあった大本営では従来の動員規定を大幅に緩和し戦えるもの全てを 徴兵させるよう地方組織にまで通達を出していた。

岩手県、盛岡市郊外の寒村・・・村役場では中央、大本営の命による人員召集を何としても果さなくてはならない状況にあった。

しかし再三に亘る徴集において村の中には既に農業に携われる最小の男手しかなかった。しかもすでにこれ以上の人員を工面することはもはや家庭そのものが崩壊し一家飢え死にも 覚悟しなくてはならない状況であった。

徴用の役目に就く者は既に村人から“鬼”よばわりされこの役目の辛さをほとほと実感していた。

片岡直哉は東京外語大学を出て出版社で翻訳の仕事をしていた、あと1カ月で46歳になるもう徴用は無いだろう・・・と想っていた矢先実家から赤紙が来たと連絡を受ける。

菊池忠彦は岩手医専卒の医師であったがその才を望まれて東京帝大医学部で学業に励んでいた。しかし村役場はそんな彼にも赤紙を出し帰省して出兵せよ・・と。

富山熊男は支那戦線において勇猛果敢な働きのため”金鶏勲章”を授与されていたがその戦いで指を三本失いもはや銃を操ることは不可能であった・・が赤紙が来た。

岸純四郎は南方で戦った後本土に戻っていたが徴集され船舶の経験を買われ船舶兵として・・それぞれは北海道のはずれ根室に赴任の命を受け更にここから北方守備のため 千島列島最北端にあるちっぽけな占守島に渡ることになった。カムチャッカ半島はもう目と鼻の先である。



この作品は上、中、下の三冊からなっていて浅田さんにとっても近年にない大長編の作品になっています。私もいわば戦中生まれすぐ上の諸先輩方の戦争に対する状況など改めて 知るいい機会ととらえて読み始めました。浅田さんにとってはたとえ自衛隊入隊での経験があったとはいえ多くの資料をまとめて作品に仕立てた意気込みに感じ入りました。また育ちも 生まれも生粋の東京人である彼の東北弁の登場人物像は見事であります。

とりあえず次刊へと読み進んでまいります。


  [No. 208 ]   8月 11日


      株ディスカバー・トゥエンティーワン
「人生を10倍自由にする」勝間和代 作
2010年作・ 244ページ

実はこの本長い題名なのです「人生を10倍自由にするインターディペンデントな生き方、実践ガイド」と言うことです。

インデペンデント・・・自立、ですがここでインター・・となると相互依存と言う事になります。勝間さんはこの両者の言葉の違いは僅か三文字・・ter・・が着くかつかないかによって人の生き方が 大きく違っていくことに集約されると言います。

私たちが学校を出て、あるいは何かの資格を得て実際に就職したとします。この時点で彼は「自立」したと周囲から見られがちですが実はドッコイまだ社会に頼っていて自立したとは言えません。

かれが更に多くのことを学びそれらを他の者と相互に響き合って自分の仕事を伸ばし引いては社会が大きく熟成する。こうならなくてはならないとおっしゃているわけです。

全くその通りで相互依存こそが社会の基本的な形態であると私も信じて疑いません。

実はわたしも伊達に年を重ねてきたわけではありませんが例えば・・・精神論に置き換えてみるとどうでしょう。自立・・と相互依存・・って実に私たちの年代にはぴったりなテーマではないでしょうか。 妻を亡くした今、わたしは自立と相互依存・・・私と社会との基本的な形態を日々考えて暮らしているのです。


  [No. 207 ]   8月 10日


      ソニーマガジン
「ウィスキーちょっといい話」土屋 守 作
2008年作・ 228ページ

私が工業高校に入って、化学科を専攻したのですが授業を受け感銘したこと。多くの近代科学の元になった基礎研究は”錬金術”だったと聞かされたことであった。

人間の欲望が何時か金を合成して大変な大金持ちになりたい・・・というよこしまな考えの上に成り立っていたと聞き人間って実に可愛い動物だなと感じました。

さて、そもそもウィスキーですが果して歴史のひもを解くとな、なんとこれまた人間のよこしまな発想の元たまたまできたもの・・と紹介されているのです。それは不老不死の妙薬を研究し 諸々のエキスを抽出して研究した・・・スピリッツ・・なのであった。

私はもともとお酒の中でも醸造酒派なのでウィスキーや焼酎、ブランデーなどのスピリッツ系にはなじみが薄いわけですが日本酒にはそれの、ウィスキーにはそれなりの政治や経済に 深く慣れ合った関係の面白いお話があってこの人間の考えた100薬の長は人間模様そのものなのです。


  [No. 206 ]   8月  9日


      株日経BP
「スティーブジョブズ驚異のプレゼン」カーマインガロ 作
2010年作・ 263ページ

副題に「人々を惹きつける18の法則」と題してある。彼のいくつかの新製品発表のシーンを思い出してみるとそこにある法則が成り立ってくる。

そこにはその発表に対するストーリーを作り、自分の体験を提供し、その仕上げと練習をすると言った周到な用意がなされている事にある。

私たちはあるプレゼンをしようとした時幾度か世話になるパワーポイントソフトであるが彼は先ずアナログ・・つまり自分のノートに従う。そして手描きの絵を元にする。

そうした自分の意思をあくまでも大切にストーリーを組み立てていくことにより皆が納得し協賛を得ているのだ。




  [No. 205 ]   8月  4日


      角川文庫
「追憶時代」赤川次郎 作
1963年作・ 357ページ

避暑地から外れた静かな場所にその蕎麦屋はあった。時間外れのためお客さんは途絶えて静かなひと時だった。

お店の脇に、東京ナンバーの大きな車が横付けになり一人の紳士が蕎麦屋の暖簾をくぐった。たまにはそんなお客さんも度々来店することもあるのでいつものこと・・と想っていた。

ちょうどそこにここの店で働いている「夏ちゃん」が自転車から降りて来て下げてきたばかりのどんぶりなど重そうに運び入れていた。

「あら、お客さんね、わたしがお茶お淹れします・・」といってかいがいしく用意をして振り向いたときだった、すぐ後ろに来てたたずんでいた紳士にお茶を掛けてしまった。

「あら!、ごめんなさい・・」と詫びを入れて紳士の濡れた衣服を拭き取ろうとしたところ・・「真由子!真由子じゃないか・・?、お父さんだ!、覚えていないのか・・?」」



私立の女子高校だった夏の避暑地、真由子は学校のテニス部の合宿に来ていたがその途中から突然に失踪してしまい大きな問題となって社会面をにぎわせた。

実業家として経済界に大きな影響力を持つ門倉家の一人娘の失踪である。身代金の要求とかはたまたそれに類似した犯罪の匂いが全くしない失踪だった。

あれから2年、ある知人から真由子にとてもよく似た娘がいることを聞きつけて門倉自身が直接蕎麦屋を訪ねて来たのだった。

門倉の持参した写真を見て蕎麦屋のあるじは「・・・間違いないですね、旦那様のお嬢様でしたか。実は・・・」と当時のことを門倉に話した。

「夏子はいえ、真由子さま・・・お嬢様は以前のことをすっかり忘れているようで何処にも行くあてもないと言うので私の所でひとまずお預かりしていたのです」

家に戻った真由子は本当にここは自分の家なのだろうか、そして父や母に対してもまだ「おとうさん、おかあさん・・」と呼べないでいた。それから自分の過去を知ろうと努力した。



まあ本当に有りそうな、しかし現実味のない想定での作品であるがそれなりの娯楽性があって面白く読み終わった。私は相当なひねくれ者かもしれませんがこう言った想定の作品を読むとき、 かなりの疑問点が私の想定を上回っていないと芯から楽しむことが出来ない。

真由子が実家に帰ってから自分のものだというメモ帖に書き込まれた友人らしき友を訪ね歩くことになった。皆一様に真由子の帰宅を喜んでくれたがどうも腑に落ちない態度ばかりだった。

今の情報社会ではこう言った設定の作品は絶対にあり得ない!。警察の動き、報道関係の連携、私たちはひとりで生活していても決してひとりだけしかも2年間も失踪・・なんて不可能です。


  [No. 203 ]   6月 10日


      文春e文庫
「小さいおうち」中島京子 作
2010年作・ 525ページ

昭和5年、6人姉妹5番目のタキは尋常小学校を卒業すると同時に農村の口べらしで郷里山形県から女中として東京にやってくる。


最初、小説家の小中先生のお宅に他の二人の女中たちと住み込みで分業して修業していた。タキの仕事のお掃除では小中先生の書斎は掃除しなくてもいいよって言われていた。

先生に言わせるとせっかく書きかけの原稿を女中が誤って捨てたり焼いてしまわれたらとんでもないことになる・・・と言いながらも「タキは頭がよさそうだから・・・」と言ってこんな話もしてくれた。

それは昔イギリスの学者さんがライバルの学者さんから預かったたいへん大切な論文を女中が暖炉にくべて焼いてしまったんだそうですよ。それに引き換え御主人の学者は未だ論文など 纏めるだけの力は無かった、ライバルの学者さんは落胆し意気消沈してしまった。しかしその事によって主人は他に先駆けて論文を世に発表する事が出来ました。

はたして女中はそのライバル学者の論文をあやまって焼却したのか・・・はたまたそんなことを承知でわざと焼却してしまったのか事実は女中しか知る得ぬこと・・・。だからタキには言われたこと だけを忠実にする女中では無く意志を持った女中になりなさいと・・・言うようなニュアンスを伝えた。


その後タキは小中先生の知り合いの所で小さな子が生まれて大変な家があるのでそちらの女中を勤めるようにと言われて浅野家にご奉公に伺った。そして初めて若く美しい時子奥さまに お逢いした。奥さまは22歳、タキは14歳、それからというもの時子奥さまとは永い付き合いになることになった。

しかしその奥さまの結婚生活はご主人の予期せぬ事故死によって短いものになってしまった。奥さまはおぼっちゃまと一旦は御実家に戻られたがタキもいっしょだった、そして奥さまの二度目の 結婚はタキもいっしょにお嫁に行ったようなものであった。子連れ、女中連れで奥さまは昭和7年に平井家に嫁いだ。

平井家の御主人はオモチャ関係の会社では社長に次ぐ常務と言う事になり時子さまは常務夫人・・・、しかしご主人はあまり時子様に夜な夜な・・と言うほど熱心でも無くどちらかと言うと仕事 一筋というタイプではありましたが比較的一家は落ち着いた平和な家庭であった。時子さまのご意見を大いに取り入れた新築の家は郊外の駅から坂を登った頂上にあって赤い屋根の 見た目にも素晴らしいお家で有りました。


タキにはいくつかの縁談話もありましたが何故か話はご破算になり時子さんと恭一おぼっちゃまそしてご主人ともども絆は深まって最早家族の一員となっていたのでした。しかし戦争 により女中を持つことは贅沢・・などあってタキは郷里に戻される。

タキの甥、健史はある記念館の展示で大伯母タキから聞かされていた「平井恭一」の記銘を目にする。その住まいは北陸になっていてもうかれこれ80歳以上と言うを訪ねることにした。 健史は恭一にタキから預かった遺品の手紙があるがあなたに受け取ってほしいと差しだした、しかしそれは未だ開封されていない手紙だった。

目の不自由な恭一は健史に開けて読んでくれ・・・と、それは時子奥さまの浮気相手へ渡すはずの手紙であった。タキは時子さまからお預かりしたいわば恋文を相手に渡さずそしてタキが ひたすら持ち続けていたものだった。



テレビの予告番組で時おり目にした「家政婦は見た」的な要素もあった。いずれにしてもそれぞれの家庭と言うのは他人から見るとそれぞれに事情の違いや家族構成などからおのずと家風が 備わって来るのだと思います。

昭和初期の上流社会にあった女中、今風には家政婦でしょうが第三者的視点には変わりないものが感じる。こんな中にも壮大な長編ドラマを作りだす要素は山ほどある。


  [No. 202 ]   5月 28日


      集英社e文庫
「初恋温泉」吉田修一 作
2004年作・ 318ページ

重田光彦は脱衣所にパンツの履き替えを持って来た妻の彩子に「・・・ねえ、話があるんだけど・・」と急に話しかけられた。


当時高校同級生だった重田は彩子に思い切って「おれ、久保田(彩子の旧姓)のこと好きなんだよ・・」と告白していた。美貌でもあり成績の良かった彩子からは思いがけずに 「・・そう言う重田君のこと知ってたよ」と意外な答えが返ってきた。

しかし彩子は重田に言った。「わたしはこれから少し猛勉強して大学に入る計画なの・・」だから付き合うのは先に延ばして欲しいということであった。重田にしてみれば自分の成績では 精々専門学校に言って・・・と言う程度なのであっさり彩子の言い分はその通りと納得した。

もうそんなこともすっかり遠くの想い出となっていて重田はとある料理屋で修業していた。先輩にも可愛がられ重田自身もこれが天職とばかりに手腕を発揮していた。

そんな時、重田は彩子と偶然再会することになった。当時の彩子はアルバイトで雑誌のモデルも時々しているようで見違えるような華々しさが漂っていた。

重田は、よし、俺もこの仕事をもっと成功させて彩子に改めて結婚を申し込もう・・と心に決めた。自分の店を持ち、2店目もオープンさせ軌道に乗せて彩子と結婚した。


仕事は更に順調に進み4店舗目のオープン記念に彩子は大学の友人たちに囲まれて羨ましがれていた。そんな彩子から「・・別れたいの、今の自分に納得がいかないの・・」と風呂場で つぶやかれていたのであった。

彩子の募る想いはこうであった「・・店の調子のいい時だけしか連れて来てくれなくて、それしか私に見せてくれないでしょ。調子の悪い時こそ力になってあげたいのに・・」
「幸せな時だけを幾ら繋いでも幸せとは限らないのよ・・・」

重田には彩子に仕事の重荷を預けられる性格ではなかった。しかし彩子は相当に思い詰めた様子ではあった、しばらく二人は熱海の老舗旅館に逗留し静かな時間を過ごす事にした。

通された部屋の窓の下には相模湾の波がドドーン・・・と太鼓を打ち鳴らすかの余韻を残して響いていた。



この小説を読んでどこか人間の(人生の)深みが無い・・・足りない気がして何故だろうと考えた。夫婦の歴史の中にそれぞれの葛藤があまり感じられない、そして幸せを繋げただけの人生に 幸せを感じないのは当然である。

2004年の作では吉田さんは36歳と言う事になる。よく夫婦の危機についての話題で「子はカスガイ・・」と言う言葉が往々にして出てくる。未だ吉田さんの年代ではその子育ての共同作業や 家族構成から生じる軋轢がみじんも感じられず薄っぺらな夫婦関係にしか表現できていない未熟さがある。

どうもこのところ若手作家の乱作に飽き飽きしてきた。小説家の宿命かもしれないがつまらないものが良かった作品の印象を下げているようで心が痛む。


  [No. 201 ]   5月 14日


      集英社e文庫
「娼年」石田依良 作
2008年作・ 357ページ

森中領は今年20才になったばかりだ、何故かこの頃大学に行くことが嫌になって登校拒否の日が続く。クラスメートのメグミからノートを見させてもらって何とか学業は続けられた。

しかし夕方になるとアルバイトのバーへは定刻に通って店を開けカウンターの中でせっせとグラスを磨きお客の注文に合わせてシェーカーを振った。

いつものある日、中学同級生だったシンヤが遊びに来た。彼はナント渋谷のホストクラブに勤めていて今日は何でも指名された彼女とここで待ち合わせるんだという。

やがてその彼女が来た。歳はもう40才は過ぎているであろう、しかしその昔はそうとうな美人だったことはその仕草からも伺える。

ひとしきり領はシンヤと彼女の3人で他愛のない話をしたのちふたりは店を出て行った。コースターを片付けながら領はそこに名刺が置いてあることに気がつく。”Le Club Passion”御堂静香。


それから幾日かして御堂静香はひとりでバーにやってきた。「わたしがあなたのセックスに値段をつけてあげる・・」領は「いいですよ、買ってください・・どうせ今夜も帰って寝るだけですから・・」

静香に連れられてやってきた場所は彼女の住むマンションだった。「リョウ君、今日は私の用意した娘と私の目の前でセックスをしなさい・・・そしてあなたを採点します・・・」

領はあっけにとられ覚悟を決めた。そして部屋に現われた若い女・・・咲良という、しかもなんとその娘は静香の娘だと言うではないか。


領は中学以来彼女に事欠くことは無かったがこう言ったシチュエーションでのセックスの経験は無かった。しかしごく普通にふるまって事が終わった後、静香は「どうやら落第だね!」

どう言うことだ、何が落第なんだといぶかったが咲良は静香に「合格させてください・・」と進言した。領は御堂静香の経営する高級娼夫クラブのホストに選抜されたのだ・・・。



たまに新聞の地方版の下段片隅にこの手の”クラブなどが**署に摘発された・・”ような記事が載ることがある。

そんなものは好きな者同士でやっていることだからどうでもいいのに・・・と思う事がありますが実は人間の欲望と金銭、ひいては暴力団の資金源の温床・・・と 悪事にエスカレートする道をたどるから放っておけないのです。そして青少年に与える影響に及んでは援助交際など言語道断と言わざるを得ません。

愛も無く欲望のみに走るセックスはその陰に病魔も潜み若気の至りでは済まされない事にもなるのです。ヲッホン!、私もついついお節介爺さんになってしまいがちだ!。

ひとつ、シッカリしてくれたまえ!若者諸君よ!。


  [No. 200 ]   5月  8日


      集英社e文庫
「肩ごしの恋人」唯川 恵 作
2001年作・ 544ページ

早坂萌は友人青木るり子の3回目となる結婚式に出席していた。

友人と言っても5歳から今まで幼、小、中と一緒だったからもうお互いの善いところから欠点まで知り尽くした仲だ。るり子の結婚相手の室野信之はと言えば元々萌の彼氏だったものだが いつの間にかちゃっかりるり子の所に収まってしまった。

つまりふたりはお互い子供の頃からそういう関係にあったのだ。どちらかと言うとオットリの萌と、チャッカリのるり子なのだ、隣の席にはるり子の元夫、エビ嫌いの良い男、柿崎がいた。気がつくと 萌と柿崎はホテルの一室で過ごしていた。

萌もるり子もすでに27歳、女の盛りはとっくに過ぎた感はいなめないがそんな事には一向気に掛けずお互い派手な生活を堪能していた。


るり子はオフィスではどうもみんなの嫌がる仕事を引き受けざる境遇にあった。今日も残業を終えフロアーの明かりを消そうとしたとき「キャ!」と言う声に驚いた。なんということは無いアルバイト の学生がまだいて押しつけられた整理仕事の最中だった。

しょうがないのでその子の手伝いをして、おまけに夕ご飯まで奢ってやる羽目になってしまった。「なに?泊る所が無い・・・?」結局、萌の部屋のソファーに一晩泊めることになった。

名前は崇・・・よく聴けば15歳の中学生だった。話によると継母に犯されて家出している・・という。ほってもおけないので暫く住まわせる事にしていた。

気の早いもので、るり子ときたら信之が会社の若い子に浮気したとかでもう別れると言いだした。そして萌の部屋に住まわせてくれ・・・と、こうして奇妙な3人暮らしが始まった。

萌は気が付いていた、容姿端麗な女がどうやら崇を探して付近を探索しているようだった。萌はその女性に近づいた、・・・・崇の嘘が判った。その女性は実の母、崇は大好きな母が新しい父に 取られたことに反抗してのことだとわかった。・・・・・

崇は実家と和解することになりしかし英国に留学する事と決めた。萌は崇と別れる儀式を・・・楽しい生活だったね。

るり子は巣鴨の青果市場で働くことにした。萌はお腹に崇の子を宿してシングルマザーの道を進もうと決めていた。るり子は萌の妊娠を知って驚いた。「崇はその事知っているの・・」「いいの!」

「わたし今、すごくいい感じなの。気持ちが安定してて見るもの聞くものもみんな楽しくって、お腹の中から幸せホルモンがぷるぷる出てくるみたいなの」「そっか、幸せホルモンか」



萌やるり子のような生活は理想をそのまま現実の中に取り入れたかに感じるが実は人生の経験を積んできた人間からは到底受け入れられるものでは無い。人生ってすべてが収支があって それでいいのだ・・・と思う。


  [No. 199 ]   4月 23日


      新潮社e文庫
「7月24日通り」吉田修一 作
2006年作・ 278ページ

・・・・と、本格的に雨が降り出した。フロントガラスの雨粒がワイパーで削り取られ、その先に雨に濡れた街が流れる・・・・・。

吉田さんの作品は以前にも読んだことがあって・・・何と言うかもう少しどす黒い感じの作風を想いながら読み始めたら少しあてが外れた。

わたしは日記を書きはじめて数えると8年も経ってしまいました、冒頭のような普段の言葉の並べ方ひとつで美しい情景が伝えられる吉田さんの表現力を羨ましく思いました。


小さな港を持つ地方の街で生まれ育ちそして暮らしている本田小百合はごく普通の女性であった。高校を卒業しこの街で30人ほどのソーラーシステムを販売する会社に勤めていた。

以前は退屈なバス通勤を、最近なんとなく楽しめるようになったのは、まだ行ったこともないポルトガルのリスボンという街の地形が、彼女の暮らす街とどこか似ている事を発見してからだ。

・・・・・だったらこの「岸壁沿いの県道」が「7月24日通り」で再開発で港に完成した「水辺の公園」は「コメルシオ広場」だ。

思い起こせば本田小百合は学生時代から誰にも相手にされないごく地味な存在の生活を送ってきた。同級生の亜希子はと言うとその美貌と社交性から皆の憧れる1年先輩の聡史と交際して いたがどう云う経緯か聡史が東京の大学に通うと同時に別れ、すると彼女は小百合の上司である安藤の妻として収まっていた。

同窓会が街の居酒屋で開かれた。偶然にもその聡史と、亜希子は昔の恋人同士を想い出しておかしなことになってしまった。亜希子は小百合にもし会社で安藤から何か問い詰められたら 私たちのことは知らなかったと口裏合わせを強要された。しかしその亜希子は夫婦関係の悪化から安藤と別れることになった。

そんな前後、昔から憧れだった聡史から「逢いたい・・」と告白された・・・・・。


廻りからちやほやされた事のない自分が、昔から憧れていたいわば別世界の人と思っていた人に愛を告白された時、「果してこの人と私は釣り合うのだろうか・・・」

しかし小百合は決心をして東京行の電車に乗り込んだ。「私も、間違ったことしてみるよ」間違えないようにと、じっと動かずにいるよりも、間違えて、泣いてもいいから、ここから動き出してみよう と思った。


  [No. 198 ]   4月 20日


      集英社e文庫
「ま、いっか。」浅田次郎 作
2007年作・ 448ページ

浅田次郎さんのエッセイを収録して冊子にされたものでした。

スキーシーズンの合間合間に気楽に読めるから・・・と思っていましたが大まちがいでした。男の本性、ふるさとの旅、ことばについて、星と口笛など第1章から4章までに分けて59もの 味わい深い文章に感銘しました。

浅田さんは少年時代、東京生まれ比較的裕福な家庭に育つも父親の事業の失敗から家族離散、そして高校は自炊しながら自立しひとりで通った芯の強さもありました。卒業した後自衛隊に志願 、そして除隊した後ブティックの経営に手を染め40歳頃から作家として売れるようになった・・・いわゆる異色作家でした。

ですからそれらの経験から発せられる言葉に重みがあってその辛い日々の出来事もユーモアのセンスを貫いて表現しています。


男の本性・・・しまりのない口元は一見して品性に欠ける「目だけ美人」が世の中に氾濫している。品性とはささいなことでも疎かにせずきちんと考え行動する性格のことだ・・

パソコンや携帯電話を通じて人生の要諦にはほとんど不要のコミュニケーションに忙殺され、テレビやラジオの番組に貴重な時間を消費し・・・要するに未来のためになるような事は何もできない。 40年近くも前の生活の記憶に残るものは、怠惰で茫洋とした四畳半の空気だけである。おそらく今の若者たちはあの贅沢な閑暇を知らないでであろう。

・・・あれもこれもやろうとしてはいけない。できるとおもっても、やってはならない。神様はマルチタレントなどという便利な人間を、この世に一人も造ってはいない。・・・・多才な人間ほど一芸を 物にする事が出来ないからそれはむしろハンディキャップだ。わき目も振らず、一途に。誰に何を言われようと、愛想をつかされようと、君の人生なのだから、ひたすらひとつのことを、一途に。 いつまでもどこまでも、君に才能を与えて下さらなかった神様が、不憫に思って何とかしてくれるまで。



先日、わたしの懇意にしている片品村のお百姓さんとお茶を呑みながら話をした。その中で「・・・お互い、美しい老人になろうよ・・」「そうだね、せめて70点を目標にしようよ・・」

70点という言葉は一見優しく響きますが、実は途方もなく厳格な事が判りかけてきました。そんなとき気楽に読み始めた浅田さんのエッセーは私の傷口に塩をグリグリと摺りこませるに十分すぎる 迫力がありました。

こんど片品村に寄った時「ねぇー、55点くらいじゃだめかな〜」


  [No. 197 ]   3月 21日


      文春e文庫
「星々の舟」村山由佳 作
2006年作・ 720ページ

水島重之は二十歳の時徴収されて軍務につくことになり急いで親の勧めるままに晴代という女と結婚し、まだ夫婦の感情も湧かないうちに満州に送りだされた。

手紙によるとその後長男が生まれたことは知ったが戦争が終わって重之が帰って来る前に病気で無くなってしまった。それから晴代は重之にとって事実上の長男としての貢を、そして何年かして 暁を生んだ。

しかしその後の産後の立ち上がりが悪く病弱であった。この頃重之は大工の仕事も軌道に乗って職人を雇い手広く商売をするようになり職人たちの賄いなどに女手を必要としていた。

そんな時、どこからか志津子という子連れの女を見つけてきて病弱な晴代に代わってまだ幼かった暁と、自分の子である紗恵を兄妹の様にして育てた。

しかし晴代はついに亡くなってしまったがもう貢は大学に行くようになって全共闘で闘うようになり実家にはもう戻ってはこなかった。あらためて重之は志津子を後妻として家に入れた。

暫くして志津子は美希を宿し暁、紗恵、美希と分け隔てなく面倒を見ていた。暫く平穏な日々を過ごすうち暁と紗恵は自分たちは血の繋がった本当の兄妹ではないという事を意識し始めてきた。

ある時お互いの心の曳き合いからその一線を越えてしまった事があり重之は激怒した。実は志津子の連れ子としての紗恵はまぎれもなく重之の子であったのでした。暁は家を飛び出した。




近ごろではこのような複雑な家庭事情の家もあるようですが、いわゆる戦時下においては全て何事もなかったかのように取り繕う家族もあったと聞きます。

しかし子供たちにはその隠しごともうすうすわかってしまい結果このような間違った事実見識が生じてしまったんでしょう。

いずれにしろこの水島家の家系における男はいずれも女性作家にとって好材料、そしてその娘たちもこの父親やお爺さん、重之に翻弄されながら壮大な人生模様を織りなす事となる。


  [No. 196 ]   3月 10日


      小学館e文庫
「いま、会いにゆきます」市川拓司 作
2007年作・ 602ページ

僕、秋穂巧(あいお・たくみ)は29歳、今年6歳になる佑司とふたりでつましく暮らしている。昨年に最愛の妻であった澪(みお)を亡くしシングルファーザーになってしまった。

今では佑司も母親の亡くなったことについては健気にも気にかけないようなふりをして僕のことを「タックン」と呼んでたくましい共同生活者となってくれた。

ふたりは生前、澪が残して言った言葉・・「一年経ったら雨の季節には合いに戻ってくる・・」という言葉を気にしていた。

僕は気にはしていたがまさか・・、梅雨の季節になり佑司といつものように自転車で近くを散歩していた時、酒屋さんの工場の扉の前に雨宿りをする妻にそっくりな女性を発見する。

「澪・・?」と声を掛けたがその女性はキョトン・・・としているばかりか「わたしはどうしてここにいるのかよく判りません・・、あなたは誰ですか・・」


しかし僕と佑司は記憶を亡くしたママが戻ってきたんだ・・と、必死でふたりして善い父子を演じて女性に澪を演じてもらうように仕向けた。そして以前と同じくらい幸せな家族のように過ごせる ようになってきた。

しかし6週間もして梅雨の終わりが近づいた時、女性は言った「澪さんはあなたたちにあんなに愛されてあんなに思い出があって、良いなあって思っていました・・」




この市川さんの作品を読んだ時、立場は違いますが伴侶に先立たれた人間の心理が良く表現されている・・と感じ入ったものでした。

そして私の場合は妻であっても、子供たちにとっては成人しているとはいえ掛け替えのない母親なのです。その心労は計り知れないものがあったであろうことは想像に察する所です。

「だったら、ママはやっぱりいつかは、そっちに帰っていくんでしょ?」こんな幼い6歳の佑司でも誰か好きな人を想うとき、かならずその想いには別離の予感が寄り添っていることを知っている ものです。

私たちが小鳥や動物を可愛がり愛おしく過ごす事はしかしその陰にいつかは離別の予感を持っているからこそさらに愛おしさが増すのでしょう。


  [No. 195 ]   3月  1日


      新潮e文庫
「奇貨」松浦理英子 作
2012年作・ 287ページ

本田はとある出版社に在籍していてその傍ら私小説めいた文を書いていたが40を越えた時点で会社に見切りをつけて本格的に作家活動に専念しようと思った。

同僚には10歳も違う女性で七島美野がいて気楽な仲間として付き合っていた。七島は比較的異性には淡白でしかし自分でも認める同性愛者であった。

社内のレスビアン仲間の寒咲晴香と一夜を共にしたがそれ以来、寒咲は七島を避けるような態度を取りだした。

そんな折本田の所に七島から相談に乗ってほしいと電話があって話を聞いてあげることになった。七島は相当に寒咲からの仕打ちに悩んでいたようであった。

そんなついでもあって本田が退職金をはたいて購入したマンションに一緒に住まないかと持ちかけた。七島はいぶかったが俺はもう糖尿病を患っているしお前のような異性に興味の無い奴 だったらお互い安心して住むことができそうだ。

家賃は分担、飯もそれぞれが勝手に、そして普段は基本的に不干渉にしようよ・・・で棲むことになった。もうそんな生活が3年も続いただろうか、七島に新たな同姓の友人が出来たようだった。

ある日本田は何気なく七島と新しく出来た友人ヒサちゃんとの電話のやりとりを聴いてしまった。以来なぜかその話の内容を知りたくなって盗聴器を取り付けてしまった・・・




松浦理英子さんは女性作家であるにもかかわらずこの作品では男性目線で作品を仕上げている。暫く読み進むうちあれ・・?、と改めて作家名を確認してやはり女性の作品なんだと思いなおして 読み進んだ。

確かに男では理解できない女性同士の愛情の深度についてはなるほどという書き方は分りますが男性目線にはそれなりの無理が感じられる。性的不能とは言え40代の男と同じ屋根の下で 「お互い不干渉・・」なんて生活が果して可能なんだろうか・・・、この辺は松浦さん自身の願望なのだろうかとも想う。

同誌編纂の「変態月」は彼女の出身地松山の女子高生の部活を通して浮かび上がる青春少女の軋轢を地元方言で作品に仕上げている。この作品も極めてまれな視点から捉えていて 彼女自身の人生を意味ありげに支えてくれるようだ。


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  [No. 194 ]   2月 21日


      新潮e文庫
「いつか陽のあたる場所で」乃南アサ 作
2007年作・ 515ページ

小森谷芭子(はこ)は比較的裕福な家庭に育った、しかし大学生の頃ホストクラブの男に惚れて何かと貢ぐようになり気のついた時は他の男を騙して金を奪うほどにまでなり下がってしまった。

懲役7年、刑期を過ぎて出てきたものの祖母の住んでいた千駄木町の古い家で棲むように言われ以来家族からは絶縁を言い渡されていた。

綾香は芭子よりも少し遅れて刑期を終えて社会に出てきたがもう40歳を過ぎていた。綾香は夫の暴力に耐えかねて殺人罪での受刑者であったが刑務所では芭子と親密な関係になった。

出所に当たってはくれぐれも受刑者同士が社会に出ての繋がりを持つことはいずれまた悪に染まりかねないなどの理由から厳しく禁じられていた。しかし芭子と綾香はお互いもう二度とそんな所に 戻るような事はしないと誓いあい、お互い助け合って行こうとこの千駄木町にそれぞれ住むようになった。

芭子は池の端近くにあるマッサージ医療院の事務員として働くようになった。一方綾香は谷中のパン屋さんに勤め将来はパン屋さんになろうと励まし合った。時々はふたりで芭子の家で食事 をしながら過去の記憶を断ち切ろうとお互い努力をし労をねぎらい合っていた。

お互いの休日には示し合わせて上野動物園に行った。そして鉄格子の向こうの動物たちを見るにつけ何故か自分たちの過去の経歴に重なるものを見た気がして遣りきれない気持ちになった。

どんな刑罰よりも、人々の好奇の目にさらされて「へー、あれが犯罪者と言うものか・・」と無神経で残酷な声でも聞かされていたら恥ずかしさと屈辱とで死にたくなっていたかもしれない。

そして芭子は将来のことについて未来が見えない。ただ虚ろな、白々とした空間ばかりが広がっている様子しか思い描く事が出来ないでいた。しかし、ある日綾香のパン屋での働きぶりを秘かに のぞき見しようと早朝にそこに行った。まだあたりの薄暗い中、パン屋の中からの罵声を聞く。綾香が支度仲間から怒られながらも一生懸命に仕事に立ち向かっている姿を目撃する。



芭子たちの暮らすこの根津、谷中、千駄木という界隈は古い住宅地と商店と、多くの寺とが渾然一体となっている地域だ。坂があり、路地があり、長屋があるかと思えば情緒たっぷりの老舗が あり、そして寺院がある。ひっそりした路地の向こうに、ぽつりと風変わりな店があったり、またひとつ角を曲がると小さな居酒屋などが軒を連ねている地域があったりする。

私が10年近く青春期を過ごした地域を舞台にふたりの受刑者が刑期を終えひっそりと住まうそんな話に郷愁をおぼえあの頃にこころを飛ばせながら読み終えてしまった。

もう悪の道には決して戻らない・・・ふたりのけなげな生きざまに心から声援を送りながらどうか静かに見守ってあげたい・・・と感じずにはいられない。


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  [No. 193 ]   2月 11日


      河出書房新社
「ひとり日和」青山七恵 作
2007年作・ 258ページ

三田知寿21歳、埼玉の田舎に母と娘のふたり暮らし・・・。突然に「わたし東京でひとり暮らしをしたい・・」と母に申し出る、母は「あんたみたいな田舎者がそんな所に・・」と言いかけてふっと 思い当たる節があって住む所を手配してくれた。

新宿に繋がる私鉄のひなびた駅の近くに知り合いのお婆さんがひとり暮らししていてそこはどうだろう・・という。実は若い頃母がそこに間借りするはずであったが都合で行けなくなって今日に 至ったのだと言う。

荻野吟子はいま71歳、知寿からみれば半世紀も離れたおばあさん。私がお世話になっている間に死んでしまうかもしれない程歳の差を感じてしまう。

知寿には陽平という彼氏は居たのだがある日あずかった合鍵で彼を訪ねると知らない女が下着のまま彼のひざ元で座ったまま口をあんぐりと明けてお互い「まずいジャン・・」と言う顔をした、 彼とは必然的に別れた。

吟子バアさんは毎週隣の駅まで出かけて行って社交ダンスを楽しんでいたがその仲間でホースケさんとどうやら仲良くしているらしい。時々ホースケさんを家に呼んで3人で夕飯など食べる 事もあった、「吟子さんは結婚なんかしないの・・?」と聞くとそんなものはしないよ・・と言う返事だった。

笹塚駅の売店のアルバイトをしていた時やはり同じ笹塚駅のアルバイトとして働く藤田君と仲良くなった。たびたび藤田君を家に連れてきて今度は4人で食事することもあった、しかしその駅に 糸井と言う女の子が入社してきてからどうも藤田君との仲も少しぎこちなくなってきた。何故か自分が身を引くようなそぶりが藤田君も気が乗らず別れてしまった。

「どうして恋は終わるの。どうして吟子さんの恋は終わらないの」「これが、年の功」「なんか、お年寄りってずるいね。若者にはなにもいいことがないのに」

「若いうちはたくさん恋をすればいいじゃない」・・・・



2007年、青山さんは24歳の時この作品で芥川賞を受賞していると聞きます。主人公の知寿は21歳、彼女から見た71歳はそうとうなバアさんと感じた事でしょう。まさしく私は吟子さんと 同級生・・ですから下から見る年上の人間の気持ちって雲の上のような存在なのだってことが良く見えてくる。

21歳の若者の恋は本当に複雑で繊細でそして面倒なことにセックスもついて回って来る。

わたしも、ホースケさん、吟子さん同様に楽しい恋をして暮らしています。若い時はこんなに自由で屈託のない恋なんて想像もつかない事でしょう。

知寿は新しい職場で社員に採用され社宅に住めるようになる。せっかく仲良くなれた吟子さんとも別れなくてはならない。「吟子さん、外の世界って、厳しいんだろうね。あたしなんか、すぐ 落ちこぼれちゃうんだろうね」
「社会に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」


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  [No. 192 ]   2月  6日


      集英社e文庫
「桐島、部活やめるってよ」浅井リョウ 作
2010年作・ 377ページ

バレーボール部のキャプテン霧島が突然に部活をやめる…と言ってやめてしまった。

彼にかかわる同じバレー部員やクラスメートなどそれぞれの学生生活を通して高校生をリアルに表現している作品でした。

公式戦に指定された体育館に行くと選手それぞれにその人なりのバレーボールがあるのだと感じる、と同時に選手のみならずレギュラーメンバーに選抜されなかった他の選手にも この大会を見に来た誰にもバレーボールをするうえでの気持ちよさを知っている・・・。どんなスポーツでもそうであるがそういう一体感を共有する素晴らしさを解っていることに 素晴らしさを感じます。

一方、それぞれの高校生は繊細だ。・・・この石ころを家に帰るまで蹴りつづけることができたならば、私は受験に合格する。そういうことをよくやる人は、幸せだと思う。神様 を自分の中に持っているっていうか、自分自身のことは自分自身でうまいことコントロールしている気がする・・・



17歳の彼らは常に全体と個との間の大きな隔たりをしっかり把握しながら自分の存在感を見出していく・・。私の青春時代の意識とはかなり違ってきていることを感じる。

そのことは幸か不幸かは定かではないがつまりラジオ、テレビ、携帯などによるお互いの情報交換が昔とは比べ物にならないほどに浸透していて結果、自分の立ち位置を社会の中で おのずと見出していくことになる。

しかし、本当にそんなことでいいんだろうか・・この中に「映画部・・」なるクラブ員が登場しクラスメート等から「・・何となくウサンクサイ奴ら・・」という目で見られるシーン がある。わたしとしては恐らく彼らの方が未来ある自分を築いていける気がするんだけどなー。


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  [No. 191 ]   1月 21日


      文春e文庫
「しょっぱいドライブ」大道珠貴 作
2006年作・ 267ページ

ミホは九十九(つくも)さんとは30年来の知り合いだ・・、といっても父や兄たちが九十九さんには好き放題に借金したり保証人になってもらっているのに踏み倒しても一向に気にとめない。

そんな気持ちからもう36歳になる私は62歳の九十九さんと寝ることになってしまった。借金の形という後ろめたさの気持ちもあったのかもしれない・・・。

海岸沿いの小さな漁村・・、九十九さんと私はよく一緒に散歩したり食事を一緒にしたりした。しかしどう言う風の吹きまわしか私の兄は事もあろうに私の同級生と結婚して実家には戻れない。

「いつかいっしょに暮らしませんか」わたしはつい言葉にだして言ってしまった。

「暮らすの?、いっしょに?」九十九さんは済まなそうな返事をかえす。

「これ、あんたの名義で口座つくったんだ・・」わたしは何となく九十九さんの懐具合を計算に入れるようになっていた。

九十九さんにはどれくらいの財産があるだろうか・・、そしてあと何年くらい生きるのだろうか・・・。

九十九さんは朝早くから起きて庭に出て草木に散水している。私はもっと、ずーっとこのまま布団の中でぐずぐずしながら寝ていたい・・・



酷い小説だ、読んでいるに従って腹が立って来た。こんな小説が芥川賞だなんてバカにするな。


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  [No. 190 ]   1月 11日


      新潮e文庫
「日傘のお兄さん」豊島ミホ 作
2009年作・ 437ページ

夏実は都内の公立中学校に通う3年生だ、母子家庭なのでそれなりに携帯も持っていないし運動部にも所属せず図書館に通ってひたすら本を読むことしか楽しみは無い。

クラスの親友みっちゃんは今日の部活はお休みになってしまったから夏実の通っている図書館に連れて行ってくれと頼まれる。図書館は郊外にあるのでバスで行くかあるいはもっぱら夏実の ように自転車で行くしかない。では自転車で行こうよ・・

道すがらみっちゃんとは久しぶりでいろんな楽しい話が出来た。そんな話題の中にみっちゃんの「・・・夏実ってなんか壁があるよ。・・でもあたしは、夏実が好きなの」という会話が 頭から離れない。

「わたしなんか、みっちゃんがわたしに告白したほどみっちゃんのことを、ここまで好きだろうか。言われたようにそう言えばいつでも自分に閉じこもって人を欺くのに精一杯なんだ・・」

夏実は幼稚園の頃島根県の田舎に暮らしていた。毎日裏庭の竹やぶであのお兄さんと遊んでいた・・・。両親の離婚を機に東京に棲むようになったがあれから8年、お兄さんとは「さようなら」 も言うこと無しに分かれ離れになってしまっていた。

中尾宗助、病院長の息子であったが先天的に陽ざしを浴びると全身がただれてしまうやっかいな病気にかかっていた。だから何時も日傘をさして居なくてはならないし当然学校でもいじめに遭い 結果的にいつの間にか不登校だ、そういえばあのころ宗助は二十歳頃だったのか。夏実はその眼鼻立ちのはっきりしたお兄さんのことが好きで本を読んでもらってもお兄さんの顔を飽きずに 眺めてばかりいた。

そんな事を思い出しながら古アパートの自転車置き場に止め錆びた外階段を登り切って部屋の前の玄関ドアーに寄りかかるように座り込んでいる男を見つけた。

ひざを抱えてうずくまった横顔から勝手に先ほどの記憶から呼んでしまった。「お兄さん・・?」



年齢の離れた人の中でも往々にして、この場合は夏実という幼児が何年経っても忘れられない宗助のことを思い出すシチュエーションでありそう言ったことが人格形成に大きく関わって来ることは よくあることです。

しかしこの作品では宗助も実は昔の夏実を可愛がっていて、はたから見るとそれは言うまでもなくロリコンと称して偏屈者にたとえられてしまう。

人と人との関わりは他人がとやかく口出しすることは憚らなければいけませんが事、大人と幼児の間柄となるとこれは社会的事件として扱われるのです。

まだ夏実は中学3年生・・宗助はもうすでに30歳近くでしょうか、まだ社会的には認められない間柄の終末は「夏実も勉強をもっとして島根の大学に入るまで頑張るよ・・、 お兄ちゃんもがんばって・・」


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  [No. 189 ]   1月  3日


      新潮e文庫
「あつあつを召し上がれ」小川糸 作
2011年作・ 199ページ

何年振りかに再会した感じの小川糸さんの作品でした。「食堂かたつむり」以来でしたが今回は「バーバのかき氷」「親父のぶたばら飯」「さよなら松茸」「こーちゃんのみそ汁」「いとしのハートコロリット」 「ポルクの晩餐」「季節はずれのきりたんぽ」、7点がおよそ30ページほどの短編として記されていました。

出版業界のお家事情かもしれませんがこの本は2011年編集としてあります。これらの短編は絵画でいえば大きな作品を作るためのエスキース・・・ではないでしょうか。ひとつひとつの作品は 素晴らしい輝きを持っていて新鮮な感動を与えてくれました。

これらのいわばエキスを凝集させてわたしはあの「食堂かたつむり」が出来あがったのだと言う想いでこれらを読みました。ですからこれらの作品は「かたつむり・・」以前に既にそれぞれが存在 していたと確信するのです。すなわちすでに5年前の珠玉の作品群・・・であったと



「バーバのかき氷」には小学生の”まゆ”がもう記憶も定かでなくなったおばあちゃんへの愛情が細やかに表現されているのです。母がおばーちゃんに「はーなちゃん、はいもう一回、あーんして」 といって食事を勧める様子を自分の事のように感じて見守るのです。おばーちゃんの匂いも「ねー、バーバは腐敗しているの、それとも醗酵しているの・・」と純真で素直です。

老人ホームの部屋から富士山が時々見えるのです。ご飯のたび「あつあつ・・、フー」をして食べさせている様子をみているまゆはある時バーバが「フーをしている」と母を驚かせたことを・・・ 「フー・・じゃない、富士山のこと・・・そうだ富士山のようなかき氷がバーバは食べたいと言っているんだ・・」

まゆは以前バーバに食べさせてもらったかき氷のことを想い出して一目散に買いに走った。「よかった!まだ融けなかった・・」まゆはスプーンで融けかかったかき氷を口元まではこんだ

バーバは「フー・・」をして美味しそうに目を細めた・・



妻と義母を看取った身として何時も後悔することはなぜもっと思いやりのある看病が出来なかったのだろうか・・と反省しますが、まゆのように純真な心を持ち続けることは中々できない。


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