Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2022年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.557丸山正樹・幻冬舎□□「 ウ ェ ル カ ム ・ ホ ー ム ! 」 12月 20日
N0.556川村元気・文芸春秋□□「 百  花 」 12月 15日
N0.555加納朋子・幻冬舎□□「 て る て る あ し た 」 12月 13日
N0.554有川 浩・幻冬舎□□「 キ ャ ロ リ ン グ 」 10月 25日
N0.553榎田尤利・角川文庫□□「 永 遠 の 昨 日 」  9月 24日
N0.552原田マハ・集英社□□「 旅 屋 お か え り 」  9月 21日
N0.551小川洋子・幻冬舎□□「 ホ テ ル ア イ リ ス 」  9月 19日
N0.550吉本ばなな・幻冬舎□□「 哀 し い 予 感 」  9月 18日
N0.549丹羽文雄・講談社□□「  一  路 」  9月  7日
N0.548河ア秋子・小学館□□「 絞 め 殺 し の 樹 」  8月 28日
N0.547呉 勝浩・講談社□□「 爆 弾 」  8月 23日
N0.546窪 美澄・文芸春秋□□「 夜 に 星 を 放 つ 」  8月 18日
N0.545小砂川チト・講談社□□「 家 庭 用 安 全 坑 夫 」  8月 15日
N0.544鈴木涼美・文芸春秋□□「 ギ フ テ ッ ド 」  8月 12日
N0.543山下紘加・河出書房□□「 あ く て え 」  8月  8日
N0.542高瀬隼子・講談社□□「 お い し い ご は ん が ・ ・ 」  8月  4日
N0.541年森 瑛・文芸春秋□□「 N / A 」  8月  1日
N0.540上田秀人・小学館□□「 奔 走 」  7月 27日
N0.539津本 陽・幻冬舎□□「 覇 王 の 夢 」  7月 25日
N0.538杉本苑子・講談社□□「 江 戸 を 生 き る 」  6月 17日
N0.537松本清張・講談社□□「 風 紋 」  5月 27日
N0.536中山佑次郎・幻冬舎□□「 や め る な 外 科 医 」  5月  9日
N0.535さだまさし・幻冬舎□□「 銀 河 食 堂 の 夜 」  5月  2日
N0.534嶋津 輝・文芸春秋□□「 駐 車 場 の ね こ 」  4月 21日
N0.533黒澤穂信・角川文庫□□「 黒 牢 城 」  4月 15日
N0.532森沢明夫・幻冬舎□□「 雨 上 が り の 川 」  3月 18日
N0.531瀬戸内寂聴・新潮社□□「 わ が 性 と 生 」  3月  7日
N0.530砂川文次・講談社□□「 ブ ラ ッ ク ボ ッ ク ス 」  2月 22日
N0.529原田マハ・講談社□□「 風 の マ ジ ム 」  2月 15日
N0.528今村翔吾・集英社□□「 塞 王 の 楯 」  2月  7日
N0.527小川 糸・集英社□□「 に じ い ろ ガ ー デ ン 」  1月 25日
N0.526浅田次郎・小学館□□「 パ リ わ ず ら い 江 戸 わ ず ら い 」  1月 14日
N0.525奥田英朗・光文社□□「 向 田 理 髪 店 」  1月 11日

  [No. 557]   12月 20日


    幻冬舎「 ウェルカム・ホーム 」丸山正樹
          2022年作・ 267 ページ 

・・・はたまた三〇五号室の小出文吾さん・七十九歳は妄想癖があり、私物が見当たらないと必ず職員に「お前が盗ったな!」とかみついてくる。幸い、まだ康介はその被害には遭っていなかったが。

「そう言えば、あの『臭い』を最近感じないんですよ」一杯目の生ビールで早くもほろ酔いになりながら康介は言った。「臭い?」お通しの枝豆を口に運びつつ鈴子先輩が答える。

隣の市原さんは「生、お替りね!」と早くも二杯目を注文している。仕事が終わってから、康介の指導係である鈴子先輩や、一番年が近い男性職員の市原さんと居酒屋で飲んでは愚痴をこぼすのが日課になっていた。・・・・


大森康介は長野県の高校を卒業してIT関係の仕事についていたが時代の流れに乗れずこの世界で安定した収入に見合わなかった。先輩の忠告に従って介護士の資格を取った。

運よくすぐに「まほろば園」という100人以上の入居者を抱える特別養護老人ホームへの就職が決まった。多少は予想していたことであったが介護実態はとても長続きできそうとは思えなく、いつでもやめて遣る・・と思いながらの仕事だった。


そんな時実家の母が骨折して入院した・・と姉から電話があった。見よう見まねで書類手続きなど手助けしたところ姉からすっかり感心されて一人前の介護士並みだとほめられた。

気が付けばもう後輩にも頼られるほどの介護士として老人ホームの中で活躍するほどになっていた。

おいおい・・入居者の皆さんオレよりみんな年下だよ。いつかはオレもそんなところの世話になることも考えなくてはいけないのか・・身につまされて読んだ。

午前中にスキーをやって道の駅に降りてきて昼飯を食べて午後は読書した。今日は早寝してまた明日の朝スキー場に上がる予定だ。スキー場に介護施設はないよね(笑)


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  [No. 556]   12月 15日


    文芸春秋「 百 花 」川村元気
          2017年作・ 336 ページ 

・・・土日も会社にいくことが多く、週に半日ほどしか百合子に会うことができなかった。「二階堂さん、あいさつもしないでかってにいえにはいってくるのよ」

泉が家に来ると、百合子は待ち受けていたかのように、二階堂への不満を漏らした。「お金もなんか足りない気がするの。もしかしたら取られているかも」「そんなことするはずないよ」

「・・・お風呂に入るのも、自分でやりますって言ってるのになかなか聞いてくれないのよ。子供じゃああるまいし」・・・・


働き盛りの葛西泉37歳、母子家庭で育ってきたが会社の同僚であった香織と結婚し母と別居して暮らしていた。そろそろ出産の準備もある時期に母親百合子のアルツハイマー病がかなり進んできていることを知る。

ヘルパーさんにお願いしながら母を見てきた泉にとっては職場のこと、家庭のこと、そして一人残してきた母のことが二重苦、三重苦としてのしかかってくる。


核家族・・と言う言葉はもう既に遠い記憶だ。今はもっと細分化された独り身だったり母子の老齢化した姿がもっと深刻な孤立化を生んでしまっている。

そしてその誰もがたどり着く最後は死と言うことになるのだがその前に立ちはだかる記憶喪失の時期。余計に介護を難しくしている人生最後の試練か。



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  [No. 555]   12月 13日


    幻冬舎「 てるてるあした 」加納朋子
          2005年作・ 381ページ

・・・「久代さんのことも、やっぱり嫌い?」問われて私は小さく首を振った。「・・・・そんな恩知らずなことは言えません」心で思っていても、と言う言葉は呑み込む。

「私もね、嫌いって言うか、苦手な人たちはいるわよ…少なくとも、以前はとても苦手だったの。だけど、最近じゃそうでもなくなってきたわ。それは向こうが変わったんじゃなくって、私が変わったからだと思うの。うまく言えないけれど照ちゃんも…」

私は無言で足を速めた。そんなこと言われて。そんなふうに言われて、ハイそうなんですかなんて、素直に聞けるわけないじゃない。・・・・


雨宮照代は中学を卒業した。そして希望する第一志望の高校入試にも挑んで見事合格した。入学手続きの書類一切を母に任せたことがいけなかった。

ある日それら大切な書類の入っている引き出しを見たとき唖然とした。まだ入学手続きが終わっておらずしかも期限が切れていた。


その時家庭は既に金銭的に崩壊していた。父と母と別れて照代は母の懇意の知人と言う鈴木久代というおばあさんの家に転がり込むことになった。彼女は元学校の教師で一見冷たくもあったが照代の跡見を見据えてくれていた。

しかし病のため志半ばで亡くなってしまう。照代は久代おばあさんに励まされてこの地元の高校受験に1年遅れで受験挑戦する覚悟はできていた。



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  [No. 554]   10月 25日


    幻冬舎「 キャロリング 」有川 浩
          2014年作・ 352ページ

・・・航平は目を丸くした。「十キロも歩くだけでつまんなくないの?」「雑貨屋さんとか見たって言ったじゃない」「でもぉ・・・見るだけでしょ?もっと、遊園地とか水族館とかさ」「そういうところも行ったよ、もちろん。でも…」

柊子は飴玉を口の中で転がしているような幸せな顔になった。「私は好きな人とはお喋りしながら歩いているだけが一番楽しかった。相手のことたくさん聞けて、わたしのことたくさん聞いてもらえて‥‥話せば話すだけ、宝物が増えていくみたいなの」

そんなことが遊園地や水族館より楽しいなんてとても思えない。でも、柊子の幸せそうな顔は本物だ。・・・・


大和俊介は子供のころからおばさんと呼べるほどお世話になっていた西山英代の経営する子供向け服飾メーカーに勤務していた。英代は夫と死別した後、経営していたこのエンジェルメーカーを何とか軌道に乗せようと頑張っていた。

しかし、ついに資金繰りが行き詰ってクリスマスをめどに会社は解散することを決意する。しかし一方その傍ら働く主婦のために子供たちの一時預かりの仕事もしていたので会社の残務整理をしながら子供たちの預かりはまだクリスマスまでは続けようとしていた。


この作品の中に出場する夫婦やパートナー・・・はたまた地上げ屋もどきの与太者グループに至るまですべてが破局に向かって終結する珍しい作品に仕上がった。

しかし読み進む中でこの人たちはうまくまとまってほしいな‥ということも全て期待に沿ってくれなかった。小説が終わった後に彼らはまた落ち合ってくれそう・・と、思うのは私の歳のせいかな(笑)



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  [No. 553]    9月 21日


    角川文庫「永遠の昨日 」榎田尤利
          2010年作・ 246ページ

・・・「俺は遊び相手なんかいらないんだけど」「話し相手でもいい」「話し相手もいらない」「そんじゃあ、黙り相手でもいい」「・・・・・」。

黙り相手ってなんだ。そんな日本語はない。けれどこの時、俺は想像できてしまったのだ。一緒にいるのに、とてもそばにいるのに、互いに黙っているだけの友人。それぞれ別のことをして、たとえばひとりは本を読んで、ひとりはゲームして、でも気まずくなんかない、自然な関係。

そういうのって、ちょっと面白いかもしれないと思ったのだ。今思えば、ふたりでいても会話はなく、ひとりずつ好きに過ごすなんて、親しい関係ならばありがちな光景だ。・・・・


幼いころ母に死別し病院を経営する父親に育てられた青海満は高校の入学式で同じクラスになった養子として叔父に引き取られて育ったでっかくてちょっと気の弱そうなスポーツマンタイプの山田浩一に声をかけられた。

それから1年過ぎたときにはクラス中が認め合う仲の良い友達同士になっていた。雪の降る登校の時いきなりスリップしたトラックに浩一が跳ねられてしまった。頭蓋骨も陥没し足腰も複雑骨折、ほかにも打撲があって当然即死状態・・なのに浩一は平気で起き上がってクラスに・・


さわやかな学園もの作品か‥と読み進んでいくうちに教師同士の同性愛の破綻もある。死人である浩一は満との仲も完璧な同性愛関係になっていた。

作家のWikipediaを調べてみると「ボーイズラブ作家」・・つまり男性同性愛を展開する作家で特に女性向けの作品として評価を得ているという。これを高く支持する人には有名な女性作家や有名女子アナウンサーなどいるという。いやはや・・



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  [No. 552]    9月 21日


    集英社「旅屋おかえり 」原田マハ
          2010年作・ 340ページ

・・・こんにちは、「おかえり」こと、丘えりかです。今日はここ、弘前駅から弘南鉄道に乗って、青森県黒石市を「ちょぴっ旅」してみようと思います。

ねえ皆さん、黒石ってどんな町か知ってる?今、最高にあつあつホットな焼きそばの町なんですよ。それも、ただもんじゃない焼きそば。それはね、な〜んと、つゆ焼きそば、なんです。

信じられる?そばつゆの中に焼きそばが入ってるらしいんですよ。え〜っ、それってどんな味〜!?おかえり、超・気になるっ!じゃあ、これから電車に乗りま〜す。どんなグルメが待ってるのかな〜。ワクワクしちゃう。今日もちょぴっとちょぴっ旅、いってきま〜す。・・・・


最北端の島で育った丘えりかは高校で東京都の姉妹校で島のことを紹介するプレゼンターの役を得た。たまたま芸能プロの鉄壁がそれを見てこの子を芸能人に育てたいと思った。

えりかは数年アイドルタレントとして頑張ったが鳴かず飛ばず‥の挙句すでに三十路だった。しかし芸能プロの働きもあって旅ルポとして復活しその名も全国区になってきた。しかし、景気の不透明さと重なって旅ルポ番組もスポンサーが下りる決定をしたことから番組も中止が決まってしまった。しかしえりかはもうレッキとした旅ルポ一人者に成長していた。


今ではどこのテレビでも旅もの・・乗り物・・食べ物・・のレポートを冠した番組が大流行です。しかもそのほとんどに一致する観点は元人気グループだとか元アイドルさんなどの出演が多く、若い人が見ると元々こう言った方たちかと思うけれど昔は立派なアイドルだった人が多いのです。しかしここでもスポンサー次第の先行き不透明さはつきもののようです。

今年の初めに原田さんの「風のマジム」を読みましたが同じ年代の作品でした。しっかりした現地調査とレポートから作品を作り上げていく姿は立派です。一連の美術家シリーズでこの方の素晴らしい表現力を知ってファンになりましたがこういった下積みの時期の作品でもしっかりと私の涙腺を緩ませて鼻水でティッシュの使用枚数も増えましたが急激な気温変化の性とは言えないかも。



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  [No. 551]    9月 19日


    幻冬舎「ホテルアイリス 」小川洋子
          1996年作・ 269ページ

・・・朝早くから、町全体が妙に騒々しかった。ニュースはすぐにアイリスにも伝わった。牛乳を配達に来るおじさんが教えてくれた。

「もう大騒ぎですよ。何せ中央広場の前あたりから、すぐそこの浜辺まで、下が見えないくらいびっしり魚の死骸で覆われているんだから。そりゃあ気味が悪いですよ。役人や警察や観光組合の人間や野次馬やらが、みんな集まってわーわーやってますが、いったいどうなるんでしょうね。当分海水浴どころじゃないでしょう。しかし、ぞっとしますなあ。何かよくないことの前兆かもしれませんよ」

わたしはおばさんと一緒に様子を見に行った。海岸通りに出ただけで、すぐ生臭いにおいが漂ってきた。・・・・


マリは17歳、この浜辺町のアイリスというホテルに母とお手伝いのおばさんと3人で経営している。母は自慢の娘マリにはいつも口うるさく仕事を言いつけながらも毎朝マリの髪の毛の手入れはきちんとしてあげていた。

ある日、宿泊客の中に売春婦とトラブルを起こした初老の老人が居た。売女は悪態をつきながら去っていったが初老の老人の発した一言「黙れ、ばいた」とリンと発した一言をマリにはとても素晴らしく響いた。


小川洋子さんの作品はもう7〜8冊は読んでいると思う。いつも安心して読んでいましたがこの作品は青天の霹靂、いわゆるSM まがいのエロティシズムの世界なのです。

今までそんな作品はなかったし全く異なる世界観。そういえば1994年作、「薬指の標本」を読んだときに#&$*?、かなりの違和感を覚えた。そうかこの作品も1996年・・、当時はこんな作品を書いていたんだと改めて思いました。



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  [No. 550]    9月 18日


    幻冬舎「哀しい予感 」吉本ばなな
          2013年作・ 237ページ

・・・家中がまだいつも新しい塗料や白木の匂いに満ちていて、かすかによそよそしい感じがした。そして私は越してからずっと、どこか憂鬱だった。何かが自分の中で変わり始めている、何かを思い出せそうになっている。・・・その気分がどうやっても頭から抜けなくなっていたからだ。

私にはなぜか、幼児期の記憶が全然なかった。私の心にも、アルバムにも、全然だ。それは確かに異常なことだった。でも日常に溶けてしまう程度の異常さだから、たいてい人は未来に向かっているからいつしか考えることもなくなっていた。

私には父と、母と、年子の弟の哲生がいる。私の家族のあり方は、スピルバーグの映画に出てくる幸福な中流家庭のような明るい世界だ。・・・・


弥生は年子の弟、哲夫とは本当に仲の良い姉弟として暮らしていた。弥生は大学の試験に失敗したが哲生は入試を控えてよく頑張っていた。

おばのゆきのさんは私立高校の音楽教師、弥生とはそれほど年も離れていないし祖父の葬式以来久しぶりに遊びに出かけた。そのうちに自分の幼少期の空白が次第にわかってきた。


吉本ばななさんの作品は何年か前に確か読んだことがあって常識的な私にはあってはならない発想も自由に取り込んでついていけない‥といった感じしか記憶がない。

作中、弟と電車で軽井沢の別荘地におばを探しに行くシーンがあったが、この作品を書いた時には上野発の軽井沢直通電車はすでに廃止になっていたはずだよ。



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  [No. 549]    9月  7日


    講談社「一 路 」丹羽文雄
          1971年作・ 979ページ

・・・「のぶ子は、私の産んだ子供です」「何をいうんだ、お母さん」「あなたとは、父親違いの兄妹です」「お母さん」聡が、両手を顔の前で振った。母のことばをとめ、消してしまおうとした。加那子は、すらすらということが出来た。自分にも意外であった。途端に加那子が変わった。

「あなたはお母さんを水商売の女だと言いました。そのとおりでした。お母さんは戦争中、水商売の女がしているようなことをしたのです」「のぶ子は、誰の子か」半分はうわごとのようであった。聡は目をいっぱいに開いた。

「悠良の子供です」おぼえているでしょう。戦争中称名寺で院代をしていたひとです」「するとぼくらは・・・・」あとのことばをのみこむようにして、聡は坐りなおした。聡は、呻いた。無意識に、母の前からしりぞいた。母とのあいだに距離をもうけたいふうであった。からだをもじもじと動かした。・・・・


加那子は父親が中学の校長をするほどの家庭に育った。知り合いのこの地では有名な高級料亭旅館の煙波楼の女中を手伝ってほしいと頼まれた。しかし物事の手はず段取りなど目覚ましいものがあってまだ22歳という若さで女中頭を務めた。

女中の采配は見事であり次第に評判となる。地元の称名寺の坊さんから是非にも坊守りとして采配を発揮してほしい・・。伏木好道の妻となるもその坊主が3年にわたる北海道長期出張中に若い院代、悠良と過ちを犯してしまう。


この小説は大きすぎます、主人公の加那子が22歳から人生の最大のピンチを迎える54歳までを描いています。登場人物も女中時代から坊守りとなる間の人的交流もかなりになります。そばに登場人物その関係図を手元に置いておかないと話が進みません。

ちなみに私は手元のメモに主だった33名の名が登場してきても面食らうことなく時間をかけて読み切ることが出来ました。


人生の中で時として予期せぬボタンの掛け違いがあったとき、周囲の計らいで大事に至らなかったことの教訓的な作品でした。問題の火種は深く静かに進行していていつしか巡り合う・・と。


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  [No. 548]    8月 28日


    小学館「絞め殺しの樹 」河ア秋子
          2021年作・ 549ページ

・・・橋宮の家の家長であるジジ様の話によると、かつて吉岡家は新潟の武家で、ミサエの祖母テルが吉岡家に下働きとして勤めていた。吉岡の家が屯田兵で根室に渡った際、若き頃のテルも一緒についていくことになったという話だった。

その後の吉岡家とテルの様子について、橋宮家では吉岡家からの数年に一度の便りでだけ把握していたそうだ。この度の書面と同じように武家らしい文で、根室では屯田兵がお国のため、北方防衛と食糧生産に立派に務めを果たしていること、下働きとして伴った者達も家族のように皆一丸となって誇りを胸に働いていること、などが伝えられていた。

そして現在、『縁者の娘を引き取って育てたい』という申し出を断る理由は、橋宮の家にはない。・・・・


ミサエはテルの子として根室で生まれたが幼かった彼女はテルの病死によって新潟の橋宮家に引き取られて十歳を迎えた。そして家事など一人で出来るようになったころ根室の吉岡家から改めてミサエを戻してくれないかと話が合った。

しかし、手紙の内容とは裏腹に吉岡家では単に人手としての担い手、、下働きをただで手に入れたかっただけということが分かった。ミサエは家族とは認めてもらえず朝早くから夜遅くまでの下働きを強いられた。


この小説は恐らく昭和の初めから半世紀にわたるミサエの生涯の苦労を第一部。そしてミサエの子であり吉岡家の養子として育った雄介が北大を卒業して根室に戻って家業の農家を再興する決意を第二部に仕立てた大河ドラマです。

題名からして恐ろしい感じ。もともと蔓性の樹であって頼りになる近くの樹に巻き付いて成長するものの次第にその樹を絞め殺し腐らせてついには自立する菩提樹のことだと雄介はお寺の叔母さんから説明を受け恐らくミサエは絞め殺されたと想う。

奇しくも私はこの夏、この作品の舞台となった根室のホームに立った。7月の真昼間に気温15度の温度計を見て思わず冬の厳しさを連想することが出来た。そして釧路から少しロマンを漂わす名称の花咲線ですが根室までの2時間の列車は目を見張る。

海岸を走っているのに反対の車窓は原生林の山の中を走っている錯覚。そして昭和の初めにはまだ凶作に悩まされた時期もあり、ここでの暮らしの厳しさは十分に想像することが出来る。久しぶりの力作に感動した。


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  [No. 547]    8月 23日


    講談社「爆 弾 」呉 勝浩
          2022年作・ 489ページ

・・・スズキが言葉を切って、唇の片端を上げた。「だから清宮さんが警官になったのと、私が何者にもなれなかったのは、同じ法則の結果なんだと思うんです」「何者でもない人間なんていませんよ」

「いえ、います。わたしがそうです。わたしだけじゃありません。わたしのような人間は、きっとけっこう、たくさんいます。何もできず、何も生まず、誰からも見向きされない存在です。道端の石ころのような存在です。立派な靴で歩ける人は、石を蹴っても何とも思わないでしょう?痛くも痒くもないんでしょう?だって石ころですもんね。顔のない人間ですもん。のっぺらぼうです。そんなのは、人間じゃない。相手にしたって得はなく、損ばかりです。だから通り過ぎるんです。清宮さんもそうでしょう?道端の存在を、素通りしてきたんでしょう?興味をもったことなんか、一度だってないでしょう?」

「わたしは刑事です。あなた以上に、さまざまな人間を見てきた」「犯人としてですか?被疑者として?それとも怪しい不審人物として?」「被疑者のこともある」「でしょうね。でもきっと、皆さんこう思ったはずです。まあ、いいかって」この話術だ。清宮は腹に力を込めた。この徹底した自己卑下が、苛立ちを喚起する。黒い虫を、清宮の体に呼び寄せる。・・・・


スズキは取るに足らない暴行事件の容疑者として分署に連行されて取り調べを受けている。いちいち取り調べ官に盾ついてぬらりくらりとはぐらかす。そのうちに「間もなく爆発が起こる予感がする・・」などと物騒なことを言い始めた。

取り調べ官もこんな小心者のいうことを信じるわけもない・・、とその時「ズッシーン!」と近くに異様な音がした。駆け込んできた警官から「秋葉原で時限爆残がさく裂したようです!」すぐさまスズキの取り調べは本署のベテラン刑事に変わった。


さすがに直木賞の候補に挙がるくらいですから小説の骨組みと迫力、それに伴う枝葉にまでよく構成された作品といえます。そして一番すごいと思った点はこの作品の主要な筋の基幹は警察の分署の取調室でこのスズキとベテラン刑事の遣り取りです。

刑事もの・・ですが取り調べ中に次々とスズキの予感のたびに都内の各所で爆発が起こり死傷者も出る。なんとかこのスズキの口を割らせて爆発を止めたい。現代の取り調べでは被疑者を拷問にかけて口を割らせることは出来ない。

実に苛立たしい取り調べの経緯とつけあがる被疑者の態度に対する葛藤が伝わる。しかし、この爆弾事件の発案者たちは・・・、意外な結末を見る。

かなりな長編、スズキもベテラン刑事もそしてこの作品を構成した枝葉の役者さんたちも演劇が終わってみてなんかスッキリしていない。もちろん読み終わった私はもっとイライラが募ってしまった。後味の悪い嫌な作品だった。


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  [No. 546]    8月 18日


    文芸春秋「夜に星を放つ 」窪 美澄
          2022年作・ 223ページ

・・・「お父さんに頼んでみればいいじゃないか。子どもとして当然の権利だよ」と、中条君は眼鏡をくいっと中指で上げながら言った。

「子どもとして当然の権利、かあ」中条君は難しい言葉を知っているなあ、と僕は思ったけれど、確かにそう言われてみればそうだ。本当のお母さんに好きなときに連絡できない、というのはやっぱり少しおかしい。

僕はその日、ランドセルを背負ってマンションへの道を歩きながら、いつかお父さんに話してみようか、とドキドキしながら思っていた。・・・・


この本には五編の作品が載っている。小学二年の想君はもう四年生になってもまだ新しいお母さんのことを「お母さん」と呼べずに渚さん・・と呼んでしまう。そして生まれたばかりの弟、海君のことは本当に可愛く思っている。

双子の弓は結婚してすぐに亡くなってしまう、綾は弓の残された旦那さんと命日には偲んだ。しかし綾が結婚したいと思っていたプログラマーには既に妻子がいた。

沢渡には妻と娘が居た。しかし突然に妻から娘とアメリカで暮らすことにしたと。隣の部屋に訳アリの娘連れの女が越してきた、親切心から海にドライブに誘ったりして・・と、突然に引っ越ししていってしまった。

16歳の真はこの夏休み父母とでなく海にある祖母の住む家に行くと決め思いっきり泳ごうと、ここは以前から家族ぐるみで近所の幼馴染の朝日らとよく来ていた。朝日も家族ではなく今年は一人で来るという。

15歳のみちるは学校でいじめにあっていた母を交通事故で無くして父親と二人暮らし。しかし、いじめのことは父に心配かけまいと普段にふるまっていた。


どの作品もコロナ社会を鮮明に感じながら離婚、いじめ、交通事故、・・・そして思春期の想いが微妙に絡み合って懸命に生きる人を表現しています。

それゆえにどの主人公も励ましてあげたい衝動にかられます。それにしてもいつまでたっても重くのしかかるマスクの世界、侵略の戦争世界の重い雲がなかなか晴れません。


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  [No. 545]    8月 15日


    講談社「家庭用安全坑夫 」小砂川チト
          2022年作・ 147ページ

・・・駅からまっすぐ実家へと向かっていった。急坂を上った斜面に、その家は建っている。取り立てて面白いとところのない、古ぼけた木造りの平屋だった。記憶の中のそれよりも、また一回りこぢんまりとしたような気がする

年数をかけて、ゆっくりと地面に沈み込みながら萎んでいっているみたいだった。人が住まなくなると家というものはどんどん駄目になるというけれど、まったくそういう感じがした。

代謝と呼吸を止めて久しい、これはすでに家の死骸だった。屋根の庇のあたりなど、指で突けばモロモロと崩落しそうに見える。

腕を後ろ手に組んで、家の周りをぶらぶらと練り歩いた。そうして全体を眺めながら、来てみたはいいが、想像していた以上になんの感慨もないことに気がつく。・・・・


小波は30歳。日本橋のデパートの大理石像に、いかにも古ぼけたシールが張り付けてあることに気がついた。目を凝らしてよく見るとそのシールに書かれた落書きからは明らかに小波の手によるもので秋田の実家の私の部屋に貼ってあったシールだった。

突然、夫にも告げずに秋田の鹿角の実家を訪れようと思って新幹線に飛び乗った。ここは廃鉱、尾去沢鉱山の跡地にテーマパークがあり旧鉱山の様子と共に複製坑夫がリアルに表現されその一体は幼いころお前の父、ツトムだよ‥と聞かされていた。


時代背景も思考のなかにも一貫性が無く、それでいて気になる主人公小波の行動は普通に平たく言えば精神分裂症・・でしょう。正常な精神で読み進むとバカバカしく感じてしまう。悪く言えば独りよがりな作品、まあ救おうと思えばシュルリアリズムの世界観。

作品よりもここに登場する尾去沢鉱山に興味があって調べてみた。なんと12〜300年もの歴史を誇る鉱山の歴史があって今はそこに往時を伺うテーマパークになっているようです。私は佐渡金山、最近では足尾銅山の廃鉱見学もしていたので比較してみた。

足尾は高々500年の歴史、比べるとその歴史的意義は大きい。鉱山の街に住んだ人数は1万5千人、足尾では3万8千ですからまあ規模は想像つく。そして足尾銅山の鉱毒問題は大いに知られるが当然尾去沢でもあったが全て日誌の改ざんで問題化されなかった・・ともある。

今、世界屈指のレアメタル生産国である中国ですがここでの鉱毒問題は極秘・・と言う。私たちはそんな問題品を日常生活の中で使って生活している。人類はいつになってもそんなことは知らなかった・・でやり過ごしてきた。

今日は読後感想にしては少ししつっこくなってしまった。それもこの作品の毒気に影響されたのかも。


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  [No. 544]    8月 12日


    文芸春秋「ギフテッド 」鈴木涼美
          2022年作・ 104ページ

・・・一度手を握ると少し握り返して、普段より真っすぐ私を見たが、短く途切れる音の出る息を聞くだけでは、何をうったえようとしているのかわからなかった。手を離すと息の音がより大きくなるので、私はほとんどずっと手を握っていた。

息の間隔がいよいよ長くなると、看護師がほとんど部屋の入口のところに張り付くように待機していた。別にもう母は何か機密事項を囁くようなことはないのだから、どうせだったら中に入ってくれればいいのになどと思った。

一度大きな息を吸って、息が止まった。看護師が入ってきて、私に向って何か言おうとしたら、もう一度だけ大きな息を吸った。それが最後の息で、私は看護師の発しかけた言葉に気を取られて、そのときの母の顔を見ていない。

視線を戻して、しばらく見ていると、顔色も表情も、明らかな死人のそれに代わっていった。・・・・


詩人であり、クラブの歌手などとして若くからその美貌と才能で人生を謳歌してきた母でした。私の生活に声を出して意義を唱えるようなことはしなかったが17歳の時、一度だけ私の醜態にこの腕にタバコの火をつけて火傷を負わせた。

私はそれ以降家には戻らぬまま母と私は違う人生を歩んできた。しかし母が癌になり終末期に私と同居したいと申し入れてきた。娘と母の葛藤は複雑な人生模様・・・ 


gifted・・先天的に顕著に高い知性や精神性を持った・・・、一方では発達障害などといった人生の負として医学的に捕らえられたりする考えもある。この作品を読んで果たしてこの題名が内容に対してふさわしいかどうかで悩んだ。

私の目の前で人生の幕を下ろした妻と義母のふたりを看取った経験がある。妻の場合は自宅で、義母の場合は病院であった。いずれも最後の呼吸をした後のしばらくの沈黙・・・「ご苦労様でした・・」


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  [No. 543]    8月  8日


   河出書房 「あくてえ」山下紘加
          2022年作・ 166ページ

・・・前に一度、きいちゃんにそう注意したことがある。事実、きいちゃんはばばあのために何でもかんでもやり過ぎだ。ばばあは、老いを利用し、老いに頼っている。老いによって自分の出来ることとできないことの線引きが曖昧なのをいいことに、きいちゃんに甘すぎている。

できるのにやらないのは単なる甘えだ。しかしどんなにあたしが言ってもきいちゃんはばばあに頼まれると決して断らない。親爺が身勝手な理由で離婚届を突き付けたときも、きいちゃんは何も言わずにそれに応じた。

ー−−あいつは意志薄弱なんだ。自分の意見ってものがない。親爺がそんな風にきいちゃんを批判するたびに、あたしは心の内で反論した。きいちゃんは責任感が強いだけだと。親父が浮気したのも自分のせいだと思い、親父が離婚届けを出すのも自分のせいだと思っている。

母親から葉書がきても返事を書かないのは、自分が両親に反発し、親父との結婚を貫いた過去があるからだ。きいちゃんは背負い込んだものを下す術を知らないし、一度上り始めた山を途中で下山することはない。・・・・


母のきいちゃんは離婚した後も90歳になる親父の母、ばばあのめんどうをみて私と3人でマンションに暮らしている。きいちゃんに言わせると私の子供のころは山梨の田舎にいたばばあが大変苦労して田舎を捨てて東京に来てあたしの面倒を見てくれていたという。

もう二十歳を過ぎた私はそんな昔の男の母親・・ばばあの面倒を見るのはやめなよ!といつもばばあにあくたいをつく。 


良く世の中・・長男の嫁になると結局その親、義父、義母の面倒は嫁の責任として面倒を見なくてはならない。まだ元気なうちは家族で面倒を見ていても、いよいよ義父母の足腰が弱ってくるとその嫁の負担は大いに重労働になってくる。

私は妻を亡くした後、一人娘だった義母の生活を主導しなくてはならなかった。いずれにしてもできることを精いっぱいやるしかなかった。子供のころ世話になった孫たち(子供)はあっさりしたものだ。


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  [No. 542]    8月  4日


   講談社 「おいしいごはんが食べられますように」高瀬隼子
          2022年作・ 143ページ

・・・ちゃんとしたごはんを食べるのは自分を大切にすることだって、カップ麺や出来合いの総菜しか食べないのは自分を虐待するようなことだって言われても、働いて、残業して、二十二時間の閉店間際にスーパーによって、それから飯を作って食べることが、本当に自分を大切にするってことか。

野菜を切って肉と一緒にだし汁で煮るだけでいいと言われても、俺はそんなものは食べたくないし、それだけじゃ満たされないし、そうすると米や麺も必要で、鍋と、丼と、茶碗と、コップと、箸と、包丁とまな板を、最低でも洗わなきゃいけなくなる。

作って食べて洗って、なんてしてたらあっという間に一時間が経つ。帰って寝るまで、残された時間は二時間もない、そのうちの一時間を飯に使って、残りの一時間で風呂に入って歯を磨いたら、おれの、おれが生きている時間は三十分ぽっちりしかないじゃないか。

それでも飯を食うのか。体のために。健康のために。それは全然、生きるためじゃないじゃないか。ちゃんとした飯を食え、自分の体を大切にしろって、言う、それがおれにとっては攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう。・・・・


おいしいごはん・・って必ずしもここでは贅沢な食宴を指しているわけではない。むしろ日常的な食の在り方を、おそらく作者自身の自戒を込めて作品にしているのかな。

主人公に近い二谷はほぼ日常にカップラーメンを主食にしているんではないかという生活。それに引き換え自宅から通勤する芦川さんは盛んに二谷の食を非難する。どだい二谷と芦川とでは仕事に対する気持ちが全然違うのだ。 


私は今でこそ朝昼晩、自炊生活を余儀なくしています。もちろん何の制約もないから食事は特に大切にそして「おいしいごはん・・・」を心がける環境にあります。若いころ酷い食生活も経験してきました。そんな反省も込めての食事です。

今は健康で80歳を迎えました。これは幼少期の貯金で今は元気なのか・・、65歳で妻を亡くした後の食生活を重んじていた結果なのか今は結論できません。同年代の仲間の健康状態からして本人の食に対する考え方も大いに関係あるかと伺いました。


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  [No. 541]    8月  1日


   文芸春秋 「N / A」年森 瑛
          2022年作・ 97ページ

・・・「彼氏の話、していい?」 これは喫煙者の叔父が言う「タバコ、吸っていい?」と同じで、承諾を得るための問いではなく、これからオジロが行うことの宣言だと知っていた。キャッチボールは求められていない。ただの壁打ちだから、ぶつかった言葉に「いいよ」と返すだけでいい。

「こないだ家でやった時、彼氏がさ、」「うん」「途中で急にうわーっ!て叫ぶから、何かと思ったらちょうど血祭が来てて」「ああ」飛んできた言葉を受け止めない。ただ打ち返す。キャッチボールではなく、ラリーする。そうすると、理屈で理解できない話でもスムーズに続く

「シーツ汚したらヤバいから、ブリッジ? 逆プランク? みたいに尻浮かせて、数秒でベッドから下りたんだけど、完ッ全に引かれた」「ブリッジで?」。

「血祭のほう。いや、どっちもなのかな?女はみんな慣れてるけれど、男はたぶんナマで見たことないじゃん、血。びびってた。どばっと出たから」「うーん」打ち返す。

「三日も未読無視だし、別れるかも。うちが受かったらどうせ遠距離になるし、高校までだと思ってたからいいけど別に。ただ、予備校、彼氏と授業かぶってて」「うわー」「行きたくねー。行くけど。無視はだるいなって」

「それはそうだね」「うちも翼沙みたいにリアル捨てようかな。その前に受験か」・・・・


・・・おっと、公園のベンチで休憩していたらいきなり隣のベンチに座った女子高生らがこんな会話を始めたので居た堪れなくなってしまった。

あまりにも無防備で、そう言えば今年になって大人の作品しか読んでいなかった。恐らくNo.500 位あたりだったらあまり驚かずにフムフム・・と聞いていたかも知れなかった。 


ペンネームの年森瑛さんはまだ20代の女性公務員だそうです。文体はとても文学作品らしくない、分かり易い言葉の使いまわしと共に読者を渦巻の本流には誘い込まないでいつまでも周回軌道させておく。

ところでN/A・・っていう題名からして「あんたには関係のない事・・適用無し」。オレもそんなに深く知りたくもないし・・どうでもいいことだ #N/A 。


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  [No. 540]    7月 27日


   小学館 「奔 走」上田秀人
          2022年作・211ページ

・・・・捨て台詞を残して出ていった大谷屋金助を放置して、駿河屋総衛門は一也と対峙していた。「どういう内容でございました」「・・・この条件でこうしてくれと言うさかい、断りましてん」

「たしかに強欲ですな」「なにより、あの値段を受け入れるのはあかんと思うたんや」一也が本音を口にした。

「これからも江戸はもの不足や。だからといって、生きていくのに絶対要るもんを簡単に値上げするのはようない。店が損するのは論外やけど、できるだけ値上げを抑えなあかん。とくに江戸一と名高い駿河屋はんが安易な値上げをしたら、他の店も名分ができたと喜んで追随しよる。そうなったらもう歯止めはきかへん」

首を横に振りながら一也が続けた。

「駿河屋はんが値上げをせんと耐えてくれはったら、他の店もそうそう値上げはでけへん。まあ、する店もでるやろうけど、そんな店はいずれ客から見放される。いつまでもものの値段は上がらへん。どっかで頭を打ち、その後は下降するのが常。江戸でものが高う売れるとなればあちこちから品物が集まって、需要と供給が逆転する。そのとき、目先の欲にかられた阿呆は、客から尻を向けられることになる」

「そして、客を大事にした店は、名声を手に入れる」・・・・


徳川幕府も3代目ほどになって江戸の市中もこれからいよいよ活気を呈して来る。商人は高度な経済観念を持って前向きに活動をし始める。武士はますます生産性もないまま生きる屍・・状態になってきた。将軍家の剣術指南役、初代惣目付・但馬守宗矩として辣腕をふるっていた。

この柳生家には長男の十兵衛三巌、次男・左門友矩、三男・主膳宗冬がいてともに剣術においてもすぐれていた。しかし実はこのほかに腹違いの兄弟がいて宗矩がまだ大和の国柳生にいたころ大阪商人の娘に産ませた子がいた。その子は一也という。 

一也はこの大阪の地に生まれて大阪一の唐物問屋淡海屋を継ぐべき商人の道を究めていた。そんな縁もあって柳生家の家計が傾いていることにこれからの方策を手当てすべく金銭感覚の全く無い武家の無駄を省くことから指導していく。

これは娯楽時代劇ですがこの時代の変化を自分の生活に如何に取り入れてどう対応していかなくてはならないか・・。いつの世でも試される人生を象徴的に語っています。


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  [No. 539]    7月 25日


   幻冬舎 「覇王の夢」津本 陽
          2005年作・430ページ

・・・信長は客殿の縁先に床几を持ち出させ、むかいあう厩の前の砂利敷きの上に手をついている弥四郎を見下ろしている。彼は弥四郎の額に鏃でえぐられたような疵あとが白く光っているのを見ながら聞いた。

「おのしゃあ、今日は何の用で来たのでやな」「堺の能登屋より、白煙硝七十樽の荷を宰領して参ってござりまする」「陸地をきたのかや」「枚方より船を使うて伏見に上がってござりまする」

信長に謁見するものは大名でさえも緊張して身をこわばらせるが、弥四郎はおだやかな表情で、声をふるわすこともなく、「面を上げよ」といわれると、すなおに慕わしげな眼差しを信長にむけた。「すぐれし面魂だがや」

信長は薄い上唇に笑みのかげを見せる。「なにゆえ、儂に会いにきたのかや」「身のほどもわきまえず、お目通りを願い奉りしは、この月六日の木津川沖の船戦を見物いたし、おどろくばかりの大勝のさまに感じいったるゆえにござりまする」信長は歯を見せて、はっきりと笑顔になった。

「おのしは見ておりしか」「さようにござりまする。三島水軍が総がかりにてあらわれし陣備えには、肝をつぶしておりませしが、大明、ホルトギス、イスパニアの水軍も及ばぬ六百余艘が攻めかかり、たんだ六艘の上さまが鉄船に、散々にうちやぶられしさまには、わが眼を疑うてござりまする」

「鉄張りの船は、南蛮にても使うてはおらぬと、伴天連坊主どもが申しておるがのん」・・・・


18歳で父の後を継いだ信長は自身でもおよそ想像もしなかった持って生まれた天性を存分に発揮して全国統一からのちには中国、ルソン、マニラを経てヨーロッパや南アメリカまで制覇しようと夢を膨らませていた。

先ずは地侍や宗教団体の教祖地を制圧する必要から慈悲の心を捨てて徹底的に惨殺する方針を取った。これは彼に歯向かうとどうなるかの見せしめ・・に多大な効果を上げた。一方そのしわ寄せは側近に対する猜疑心でしょうか、一旦他の主君に使えながら自身に寝返った優秀な武将でも信用しなかった。

この小説は多くの文献や誌史をもとに克明に調査して出来上がった歴史小説でしょう。信長最後の光秀による反逆の多くの小説は宴席供応の指摘の恨みやなどと面白おかしく記述していますがここでは冷静に事実をもとに記述しています。

いずれにしてもこうした諸般を冷静に見ていくと現代の治世学的にももしあの時こうなっていたら・・・という大きな別な世界を感じられてしょうがありません。


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  [No. 538]    6月 17日


   講談社 「江戸を生きる」杉本苑子
          1976年作・425ページ

・・・品川、板橋、千住は、それぞれ東海道、中仙道、奥州街道への第一駅だが、起点の日本橋からだとそのどれもが、行程は二里しかない。甲州街道の第一駅高井戸だけが四里余り・・・・。倍もあるため、

「あいだに一宿、新駅を設置させてください」と、浅草安倍川町の、名主どもが願って出た。駅から駅への距離が長すぎると、駄馬伝馬、人足の引き継ぎや傭い上げに難渋する、老人、女こどもなど足弱な旅人も困るというのが、歎願の趣旨であった。こうして、

「よろしい。宿をつくれ」許可されたのが、元禄十一年(1698)−−−−。立場が常設され旅籠も建ちならび、白粉を塗った女たちまで街道すじにむらがって、「ちょいとちょいと合羽の旦那、寄っておいでよォ」といったたぐいの嬌声を、ふんだんに撒きちらす結果になった。

新しくできた宿場だから新宿ーーー。それも当初、内藤新宿と呼ばれたのは、もともとこのあたり一帯が、内藤丹後守の上り屋敷だったからである。新宿御苑をすっぽり取り込んでいたほど、坪数は広大だったけれど、萱や葭の生い茂ったいわば場末だ。

内藤家は土地の一部を大縄でくぎって、六人の家臣に下賜したため、やがて貸し地に町屋が建ち、六軒町という町が生まれた。内藤新宿なる宿駅は、この町を土台にして築かれたと言っていい。・・・・


この作品は小説ではありませんが江戸時代300年にわたる特徴ある将軍や町人、俳人、講釈師、絵師・・・などの逸話を実に楽しみながら読むことが出来ました。

時には史実には載ってこないような杉本さんの解説はあたかもどこまでが真実で・・・まさかと思うような表現には驚きを隠せませんでした。



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  [No. 537]    5月 27日


   講談社 「風 紋」松本清張
          1981年作・266ページ

・・・その中でも、ここ社史編纂室は特殊地点だ。他の部署が活気に溢れようが、あるいは不景気で苦悶しようが、ここだけは一切そうした波を被らない逃避地帯である。つまり、社の中では最も目立たない日陰の職場だ。

部員も室長を入れて三人という、あるか無きかの存在だった。浅野さんの性格がまさにそれを表現している。この人は東方食品の製品にどんなものがあるかさえあまり知らないのではなかろうか。

あるとき、浅野さんが、店頭である商品を買ったが、そのラベルを見てわが社の製品だとはじめて分かったという伝説がある。それでも、現代のPRは仙人のような浅野さんをおどろかすには十分だった。

テレビや新聞の大宣伝にはおどろきましたな、と考古学の話の間に浅野さんは眼をまるくして自分に言う。浅野さんすらその通りである。まして業界ではかなりの騒ぎを起こしているようであった。

ことに対立会社のA製菓では大へんな衝撃ということである。その相手側のショックや狼狽がわが社にも手に取るように分かっているらしい。相互に内部事情の情報源が置かれてあるのだ。人事関係などは自分の社より対立会社のほうが良く知っている。・・・・


今津章一は東方食品の会社の社史編纂室に所属していた。社長は一代でこの会社を今の規模にまで築いた功績は多大なものでその功績を社史にしようと発案されてできた部署であった。

室長は浅野という定年を二年後に控えて頭だけの存在、仕事のことより趣味の考古学のことがいつも頭から離れない。従って社史編纂は今津が一人で担当しているようなものだった。そして資料を集めるため社長や役員など上層部の実情も知るようになる。


この作品は40年も前の作品、私も当時は会社に勤め仕事に埋没する日々を過ごしていました、そう言えば松本清張ブームがあったよな。社会派推理小説作家として企業をめぐるサスペンスが話題となってそのたび我が社でも自身の立場を超えた憧憬として思いを馳せたよな・・、遠い昔のことのようです。


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  [No. 536]    5月  9日


   幻冬舎 「やめるな外科医」中山佑次郎
   (泣くな研修医 4)
      2022年作・234ページ

・・・はるかは怒っているだろう。なにせ、誕生日も忘れ二ヵ月ぶりのデート中、コースの食事途中でお金も置かずに一人テーブルに残して出てきてしまったのだ。はるかの「自分の人生と患者さんとどっちが大事なの?」という言葉が耳に響く。

ー−−だって、あんなこと言うから。しょうがないじゃないか。隆治は言い訳をした。自分はそれくらい外科医にプライドを持っていて、この仕事を大切にしている。それがなぜわかないのだ。もう付き合って三年目になるというのに。

隆治は傲慢だった。外科医の仕事は、すべてに優先していると考えていた。そして、それが医者という職業に対する唯一の誠実さだと思っていたのだ。だから、はるかのあの言葉にはかちんときた。あのままあの場に居たら強い言葉で反論しただろう。

それくらいなら、黙って出てきたほうが良かった。そう思っていた。・・・・


雨野隆治は間もなく30歳になる。鹿児島の大学病院を卒業し研修医を経て東京の病院に勤務する・・・。幼いころ兄を亡くしてそして3年前に父を亡くしていた。

実家にはまだ元気な母が一人で暮らしているがそれもいつまで続いてくれるのかわからない。いずれはそのころまでに自分のふりを考えなくてはならない。


作者の中山さんも外科医をしながらこの作品を書かれたのでしょう。三年もお付き合いしていた彼女もあきれ愛想も尽きるほどにお医者さんは忙しい。そんな心情が本当によく伝わってくる。そしてそんな気持ちも知らずに患者はたいてい横柄だ。

この作品の中には病気が治って元気に退院した患者さんのことは一切書かれていない。そして皮肉にも尽くそうとする患者さんに限って看取らなくてはならない・・、それでも誠実に病と向き合う医者の姿が眩しい。


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  [No. 535]    5月  2日


   幻冬舎 「銀河食堂の夜」さだまさし
      2018年作・308ページ

・・・事故の後悔も、反省も少しも薄まることはないが、ささやかでも送金するたびに、毎月、ああ、今月も自分にできる精一杯のお詫びができた、と思うようになった。

はした金など何の慰めにもならないだろうが、自分は生涯こういう形でしか償うことは出来ないだろう。どうか奥様にお願いして自分の勝手なお詫びを続けさせてもらえまいか、と逆に懇願された。

志野にそのまま告げると、彼女はやっぱりという顔をした。そして、毎月届く書留の宛名書きの文字を見るたびに悲しそうな顔をした。それで美野は志野に懇願されて幾度も大阪へ行き、田中に会って送金をやめるように頼んだ。

しかし田中は「申し訳ありません」を繰り返すのみで、一向に送金をやめることはなかった。・・・・


まだ若かった田中は自分の事故で志野の大切な人を亡くさせてしまったしかも任意保険に入っていなかったことで自賠責限度の3千万円補償しかできなかった。それからは毎月ではあるけれど僅かな送金を志野に続けた。

志野は送金されるたびに亡き夫のことを思い浮かべることに苦痛を感じ姪の美野に大阪に行って田中の送金を辞めさせるように頼んだ。しかし次第に美野はこれほど誠意のある青年を見直していた・・


弾き語りであまりにも素晴らしいシンガーソングライターのさだまさしさん、彼がこれほどに素晴らしい珠玉の作品を5話。この話を披露した仲間たちが打ち解けるきっかけを作り出す銀河食堂の主が誰なのか気になってきた。

全ての話はさださんの完全なオリジナル・フィクション。音楽家らしくそこの結末に音楽家仲間の友情や奇譚を織り込ませて怪しくも軽妙、魅力的な語り口調は彼のライブを聞いているようで心地よい。


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  [No. 534]    4月 15日


   文芸春秋 「駐車場のねこ」嶋津 輝
      2022年作・251ページ

・・・江戸っ子の治郎は言葉遣いがいちいちぞんざいだが、猫そのものは嫌いでないらしい。自ら可愛がったりはしないが、民子が面倒を見ている分には何も言わない。民子はキーちゃんにもカリカリを出した。

商店街のみならず、街全体に地域猫が多く、週末になると若い人たちが本格的なカメラを首から下げてやってくる。そういう若者が商店街で買い食いしたりするので、住人は猫を丁重に扱っている。食料が足りているせいか、猫たちも魚やで悪さを働いたりはしない。

ふぐ屋の隣、以前せんべい屋だったところが店を閉じて更地になり、一昨年あたりからコインパーキングになった。停められるのは一台きりだが、わりと重宝されてどこかしらの車が長時間停まっている。

雨の日には車の下で猫が休んでいる。・・・・


時々であるがまたしてもこうして私の好きな作家さんの作品に巡り合うことが出来た。島津輝さん・・、この本には7編の短編が載っていてそのうちの一つが「駐車場のねこ」でした。

その他に、ラインのふたり、カシさん、姉といもうと、米屋の母娘、一等賞、スナック墓場などがありどちらかというとそのほかの作品の方が私にはより好きな作品が多かった。

どの作品もその根底にはつましい生活を淡々と送っている庶民の生活が生き生きと描かれていることです。恐らくどこか近所にでもよく見ると居そうな人を特別な視線ではなくごく普通に描いているのにこんなに輝いて感じさせてくれる、この作家さんのまなざしの素直さが感じられる。


次の作品が楽しみな作家さん・・・見〜付けた。


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  [No. 533]    4月 15日


   角川文庫 「黒牢城」黒澤穂信
      2021年作・519ページ

・・もとより武士とはそういうものだ。刀法に優れたる者は刀法を、算術に長けたる者は算術を、軍略に秀でたものは軍略を用いずにはいられない。一所懸命の鎌倉武士はいざ知らず当世の武士は、技量が認められぬ時は主家を渡り歩いてでも、おのが器量を天下に鳴らそうとするものである。

その中でも官兵衛の業は、ことに深いと村重は見た。難題を与えれば、おのれが誰よりも切れることを誇らんとしてそれを解かずにはいられないのが、この男の性であろう。官兵衛は衆に優れた器量人だが、癖さえ呑み込んでいれば、容易く手玉にとれる男でもあるーーー村重はそう読んでいる。

村重は土の上にどっかと腰を下ろし、胡坐を組む。土牢の冷たさ、湿り気が染みてくる。口を閉じた官兵衛に、村重は語りかける。

「官兵衛、解くか解かぬかは別儀、牢は退屈であろうほどに、ひとつ儂が無聊を慰めてせてやろう。事の始まりは大和田城主、安部二右衛門の寝返り。その仔細はこうじゃ」・・・・


織田信長の勢いは止められることのできない時代有岡城主荒木村重は天守閣からこの城を包囲する織田側の動静を見極めていた。「・・御注進。ただいま、織田方と申す使者が参じてござりまする」

織田信長は戦いに疲れていて有岡城は黒田官兵にまかせて織田に就くよう説得して来いと命を下されて有岡城にやってきた。この時代使者のほとんどは相手方に受け入れられなければその場で殺される運命であり官兵衛もその覚悟で参上した。

しかし、村重はその使者である官兵衛を城内の土牢に幽閉したのである。そして事あるごとに城内のもめごとの仔細を官兵衛に知らせてお前ならどうする・・?と、官兵衛に知恵を借りていた。


この作品は2022年度第166回直木賞に選ばれた作品でした。軍略に長けた黒田官兵衛はひと時、有岡城・荒木村重に捕らわれの身となって土牢に幽閉されていた。そして再三荒木の城内のもめごとの手助けをする。

しかし最後は官兵衛の策である村重を城内から忍び出て自ら毛利の援軍を頼みに行く・・と言う言葉に乗って滅亡してしまう。

いわば戦国物語の主役が活躍した裏話からみた世相。こんな視点から見てもそれぞれの生きざまを見る。今戦っているウクライナとロシア・・・私たちは米西欧情報をもとに判断しているが報道関係でもロシア報道は・・・と中立を示していそうだがどうも偏りがちかな・・?。


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  [No. 532]    3月 18日


   幻冬舎 「雨上がりの川」森沢明夫
      2018年作・363ページ

・・・窓とレースのカーテンをぴたりと閉めた。リビングには静謐が満ちる。しかし、耳を澄ますと、かすかな音が漏れ聞こえていた。最近テレビCMでよくする流行歌だった。

音の出所は、廊下の奥の六畳間。去年から学校に行かず、引きこもりになった春香の部屋だ。俺はテレビをつけて、適当な情報番組にチャンネルを合わせた。そして、キッチンでコーヒーを淹れようとしたのだが、ふと思い直した。

やっぱりコーヒーはやめて、紅茶にしようかーーー。紅茶なら、春香も飲むだろう。

やかんに水を注ぎ、コンロにかけた。食器棚から大きめのマグカップをふたつ取り出し、ティーポットにはアールグレイの葉を目分量で入れておく。・・・・


妻の杏子は出かけるという。そうなると学校にも行かない娘の春香と私は家で二人きりになってしまう、感受性の高い中学2年生の娘だ。不登校の原因は娘の母親似の学力の高さに反しての優柔不断さが仲間から排除されているようだ。

母親は理工学部出、しかも院まで極めた秀才だったのにどうやら娘の不登校のことで怪しい占い師に見立ててもらって、すっかりその氣にはまってしまって俺に対する目つき迄何か物に憑かれている風にも感じる。

この物語は高学歴世代によくみられる一人っ子過剰反応と受け取りがちな作品に取られがちですが本質の根はもっと深いところにあるような気がしました。私は3人兄弟、父親は5人兄弟、母親は10人姉弟。いじめは家族の中で解消されない社会現象なのか。


この作品では霊能者にそそのかされて思わぬ行動をとるようになった妻に対して夫が何とか妻をもとに取り戻そうと思っていた。しかしいじめにも負けるような娘が母親と同じ霊能者の洗脳にかかって・・と思う展開でした。

結果的にはその頼りなかった娘が母親の罠にはまった展開を当事者同士で解明してしまった。つまり娘の春香は最初から母の洗脳に気が付いていて父母にも告げずに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の行動に入ったのでした。

作品の展開としては何となく名探偵明智小五郎・・のようでこれだけの問題を中二の少女が解明してしまう展開は少しがっかりだな。


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  [No. 531]    3月  7日


   新潮社 「わが性と生」瀬戸内寂聴
      2016年作・393ページ

・・・一緒に巡礼に出ても、夫をなくした人はみんなほがらかで元気です。妻に先だたれた夫はほんとにしょんぼくれてしおれきっています。陽気な未亡人たちに、もっとしっかりせいと背中をどやされています。

今、男たちがふんぞりかえって、女閣僚を使い捨てなんかにしているけれど、やがて、男たちは女たちから使い捨てにされ、ものの役に立たなくなったら、オジン捨て島あたりへゴミとして捨てられるんではないでしょうか。

どのおばあちゃんも勢力が有り余っているから、巡礼に出たり、グルメの旅に出たり、その費用を稼ぐため、綴り方教室に通って自分史を書いて文学賞を狙ったり、それがまた当たって賞金もらったりする世の中なのです。

七十すぎたおばあちゃんでも、色恋で悩んでいる人いっぱいいます。ーーーー最近のおばあちゃんは本当にきれいで若々しくなりました。・・・・


この作品は瀬戸内寂聴さんが瀬戸内晴美さんとの手紙のやり取りをしながら自分の人生、そして性と生についての回顧録形式で構成されています。

まだ出家をしていなかった頃には多くの女性作家の中では異色ともいうべき性に関する小説を明け透けに表現してきた特異な作家さんであったように思います。そんなわけで別名では子宮作家とかまたはそれの類の名で呼ばれていたころもありました。

そんな豊富な男女関係のことなどの憧憬の深さから人生案内や寂聴塾などを通して多くの後輩たちの道案内にも尽力されてきました。


文中、「私はふっと昔のことを思い出そうとすると、小説の中に私小説風に自分のことを書いた場合、ホントにあった出来事の方があいまいになっていて、その時、小説の中で作った場面や背景や心理までが、ずっとリアリティをもって自分の中に記憶として確固として存在していることに気が付いたのです。・・・」というくだりがありました。

実は私も「青春切符」を書いてきた中で・・・半世紀も前のことを書いたのに今読み返してみると、私小説風に文章をまとめたのにあたかもその方が現実味を感じてしまう場面も多く存在することに気が付いていました。

このことは絵を描いていても昔の風景と変わらずそこに存在しているにもかかわらず改めてそこに行ったとき、昔の感動を伴わないときここの風景は変わってしまったと感じることに大変よく似ています。


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  [No. 530]    2月 22日


   講談社 「ブラックボックス」砂川文次
      2021年作・179ページ

・・・・そのまま外の自販機へ向かった。500mlの缶のコーラを買い、そういえば自販機でこのサイズの缶が売られているのは少ないな、と思った。中の喧騒と光が外へ漏れてくる。おもむろに背後の宅地を振り返った。

雨が降り、古びたアパートから光が伸びる。アパートの外階段には波形のトタン屋根がついていて、雨水がその終点から滴っていた。建物と建物の間隙はほとんどなく、そういう壁と壁の間から立ち上る煙は換気扇からのものか。

ブラックボックスだ。昼間走る街並みやそこかしこにあるであろうオフィスや倉庫、夜の生活の営み、どれもこれもが明け透けに見えているようでいて見えない。張りぼての向こう側に広がっているかもしれない実相に触れることはできない。

サクマは踵を返し、逃げるように中へ戻った。・・・・


サクマはバイク便の仕事をしていた。つまりオフィスからオフィスの間を自転車を使ってメッセンジャーを届けたりする業務だ。過酷であることは言うまでもない天候が悪くても仕事がある限り身を粉にして走り続ける必要がある。

こんな仕事は若いうちしかできない、ある年齢になるまでには自分でオフィスを開いて裏方ができるようになれば上々だ。こんな日々を積み重ねた先にあるものは、やっぱりゴールじゃないという気がしている。

ひょっとすると積み重ねるという行為はゴールから遠ざかっていくことじゃないか、とも思える。積み重ねを拒否する行為には備わっているのは分かっているけれど・・・、そんなジレンマを感じるサクマであった。


この作品の中で表題のブラックボックスという言葉はたった一度だけ使われている。しかし私の感じるブラックボックスは彼の感じる社会の不条理・・・みたいな組織構造といったらいいのかなそういったものに対する不可解な感情差を指す気がする。

一生懸命に生きていくけれど満たされない・・、その中には無論主人公の性格によるアウトロー的な要素によるところが大きいと思うのだけれど現代版ドン・キホーテとも見る事ができそうだ。

今年度上期、第166回芥川賞作品となった。


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  [No. 529]    2月 15日


   講談社 「風のマジム」原田マハ
      2010年作・287ページ

・・・・絶妙なアイデアがひらめいてしまって、派遣社員でも応募できるとわかって小躍りして、吾朗にも褒めてもらってすっかり有頂天になっていた。まだ何も始めていないのに、なんだかもう自分だけのラムが出来上がったかのようにいい気になって。

ラムは、さとうきびから生まれる。でも、どうやって生まれるのか、どれほど手がかかり、コストがかかるのか。何ひとつわからない。それどころか、酒ができるメカニズムすらまったく理解していないのだ。ただの酒好きOLの域をまったく脱していない。

まじむはつくづく落ちこんだ。けれどまた、そんなまじむを救ってくれたのもラム酒だった。ラムを飲んで、よし、やってみよう、と元気を出した。

ラムのことを、もっと知りたい。そして、こんなにもうまい酒を造り出す、心躍るひとときをもたらす神秘ーー発酵のメカニズムを徹底的に勉強してみよう。・・・・


伊波まじむは大学を卒業すると実家のある沖縄に帰り祖母と母の営む豆腐屋の手伝いをしながら派遣社員として地元の琉球アイコム株式会社に勤務していた。雑用の中で先輩正社員の不要資料をシュレッダーに掛けていた時「全社員に広く応募を募る!」というチラシを目にしていた。

地元に根差したベンチャー企業を立ち上げ、社を上げて支援し地元と共に発展させたい・・・と。まじむはお酒好きな祖母とよく行く飲み屋さんでラム酒を好んで飲んでいた。そしてそこのバーテンダーをしていた吾朗にこのお酒はどこでどうやって作られたの?。

これは南米のサトウキビから発酵蒸留して作られたお酒だよ・・と聞いた。一口飲むと実に爽やかなサトウキビ畑に吹く風を感じた。「これだ!、南大東島のサトウキビ畑・・・を」


原田マハさんの初期の作品に出合った。この作品はマハさんが2005年ころカルチャーライターをしていてそろそろ文章で身を立てたいと小説家を目指した第一作だとあとがきで知った。そしてある出会いがあって金城さんというベンチャー企業の社長さんである彼女の体験談を取材して5年の歳月を要してまじむさんのフィクションとして2010年に素晴らしい出来栄えの作品を発表した。

実は私はこの後に発刊した2013年「さいはての彼女」を読んだ感想で「・・この主人公にも主体性が感じられないが、そんな作品を書いて飯を食っている作家もひどい・・」と書いてしまった。それでも何かどこかにあなたに魅力を感じて2015ロマンシェ、2017あなたは・・、そして待望の2017たゆたえずとも・・、2018モダン、2020リボルバーを読むうちにすっかりファンになってしまいました。

この先も素晴らしい作品に出合うことを楽しみにしています。


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  [No. 528]    2月  7日


   集英社 「塞王の楯」今村翔吾
      2021年作・648ページ

・・・神々というのは人の祈りを力に変えておられる。人々が社に参るのはそのためだという。塞の神も一刻も早く子を助けたいと願っているが、子らを供養したいと祈る者がなければ、姿を現すことが出来ない。

故に穴太衆は、−−−−賽の河原の子を想い、現で石を積む。そうすれば塞の神が祈りを聞き届けてくださり、苦しむ子たちに救いの手を差し伸べに現れてくれるというのだ。

本当かどうかは判らない。石垣造りという戦いに纏わるものを商いにしている負い目が、そのような救いの幻想を生み出したのかもしれない。だが匡介は穴太の地に来て間もなくその話を聞き、そして信じた。

妹の最後の表情を夢に見て、毎夜のようにうなされていたから、何か出来ぬかと苦しんでいたためかもしれない。・・・・


信長が本能寺で討たれたのち再び世の中は戦乱に巻き込まれていった。匡介はそんな戦乱のなかとある石工の名人に拾われる。その名は源斎と言い石積みの名工であった。戦乱の世にあって各方面の城主からは大変に尊ばれてその任に当たっていた。

時には一職人であるにもかかわらずお城の設計・・つまり縄張りにも参画し強固な城にするためのアドバイスも出来る。そんなことから守りの神、「塞王」と呼ばれていた。拾われた匡介はその源斎に見込まれて養子となって後を継ぐ。


この作品は今年度上半期の直木賞に輝いた長編小説でした。矛盾・・という言葉の楯と矛をそのまま強固なお城を守る石組み(石垣)とそれを打ち砕く長筒・・大砲の研究に余念のなかった若者、彦九郎との葛藤が面白い。

お互いこの戦乱を終わらせるためにはどんなに攻められても‥難攻不落の城であるか。そして方や物凄く強大な武器である大砲を開発をして各城主が所有すれば抑止力となって戦争は止めるだろう・・。

見ようによっては現代の核保有国とミサイル防衛システムに翻弄される国・・・とみてもいい。


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  [No. 527]    1月 25日


   集英社 「にじいろガーデン」小川 糸
      2014年作・331ページ

・・・周囲からは、中学生にもなって絶対ありえないと断言されるが、私は、自分がカカとママが愛し合って誕生した子供だと、本当に信じていた。だって、高島家には疑う余地など微塵もなかったし、その歳になるまで、誰も何も教えてくれなかったのだ。

だから、男女の行為でしか赤ちゃんが出来ないと知った時は、晴天の霹靂と言うか、天と地がひっくり返ったような気分だった。遊園地のアトラクションだったら一瞬ひっくり返ってもまた元に戻るけど、私のそれはずっと逆さまのままで、最初はかなり混乱した。

神さまはなぜ、男女の行為だけでしか子どもが生まれないなんていう意地悪な仕組みを作ったのだろう?男同士や女同士では、どうして赤ちゃんが出来ないのかな?。

私からしてみると、そのことの方がよっぽど不思議なのだ。男女だったら、そこに愛がなくても赤ちゃんができちゃうのに、男同士や女同士ではどれだけいちずに愛し合っても決して赤ちゃんを授からないなんて、不公平すぎるではないか。・・・・


高島宝が生まれたとき、ママ(千代子)とカカ(泉)のほか既に小学生だったニーニー(草介)の家族の一員になった。ママとカカは今でいうレズビアンのカップルで都会の喧騒を逃れてこの田舎の村マチュピチュで暮らすようになった。

始めはこの村の人たちからは奇異の目で見られたけれど次第にそんな事情を理解してくれる人たちに支えられて小さいながらもゲストハウスを作って同じ境遇のカップルたちと交流しながら暮らせるようになった。


小川糸さんの作品も数多く読んできました。今、社会の中で突然にそれまで触れてはいけなかったのではないかと思われる性の問題が台頭し始めてきました。テレビなどでもそんな方たちが何の気後れもなくありのままの自分を曝け出して活動する姿を見て改めて社会の仕組みの偏見を思い直してみる時を感じました。

ここでのカップルもまだこの国では夫婦としては法律上認められていません。そんなテーマを取り上げて作品に仕上げられる作家は小川さんを置いてほかにはない、と思いました。

最後に草介が交通事故でまだ意識不明中・・。ママは癌で亡くなって、宝も高校に合格して寮生活が始まる・・・。どんな人生も楽あれば苦もある波乱の連続なのは違いない。


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  [No. 526]    1月 14日


   小学館 「パリわずらい江戸わずらい」浅田次郎
      2014年作・327ページ

・・・女性の場合はむしろ逆かもしれぬが、男の着物はローライズと決まっているので、下腹に締めた帯の上にタプタプの腹をのっければよく、会食の際など何一つ苦痛を感じない。

また、夏は思いのほか涼しく、冬はすこぶる温かい、と言うのも着物の特性であろう。考えてみれば当然なのである。長い歴史を経て日本の風土に最も合う形に完成した着物が、着心地の悪かろうはずはない。

それにひきかえ、私たちが洋服を着るようになってから、せいぜい百年とちょっとしか経っていないのである。つまり私たち日本人は、風土適性を犠牲にして機能性を優先させた結果、洋服を着るようになったのであって、その行動力をさほど必要としない年齢に至れば、着物に回帰する方が理にかなっていると言えよう。

早い話が、私はジジイになったのである。・・・・


江戸時代、参勤交代で田舎の殿様が江戸詰めをしていると体の不調が続く。しかし一旦田舎に戻って昔の暮らしぶりに戻ると不思議と体も元通りになって元気をとりまどす。

恐らくこれは江戸詰めで毎日の白米を食べ続けた結果ビタミン不足で脚気の症状が出たのでしょう。しかし田舎のお城に戻って玄米食中心に戻ると元気な体に回復したという話でしょう。浅田さんはパリに行く度こんな症状に見舞われたのでこの本の題名にしたと言います。

40篇にわたる随筆はとある航空会社の機内便を飾っていたものをまとめたものとして本にした。以前にも「翼よつばさ・・」だったか読んだ記憶があって気休めに読む本としては実に面白かった。

浅田さんは小説は嘘八百を並べ立てているだけだから楽だ、でも随筆は本当のことを面白く書かなければいけないので短くても大変だと、おっしゃっていますがいずれも文筆業を楽しんでいるようにしか感じられない。


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  [No. 525]    1月 11日


   光文社 「向田理髪店」奥田英朗
      2019年作・267ページ

・・・向田理髪店は午前七時には店を開け、赤と白と青のサインポールを回す。ごくたまに、出勤前に散髪をやって欲しいという客がいるので、それに対応するためだ。

と言ってそんな客は滅多におらず、たいていは奥で朝食をとっているのだが。小さな町では融通を利かせないとやっていけないのである。

康彦は午前九時になると、スタンドカラーの白いシャツと黒のベストに着替え、店に出る。ただし平日は客などまばらだ。ときとして一人の客もない日があるが、そんなときでも、留守には出来ない。

客商売は待つことしかないのだ。おまけに理髪店は、大売り出しとも、新商品の入荷とも縁がな。自分から行動を起こせないというのは、なんとも辛いものである。

収入は家族が充分に食べていけるだけはあるが、贅沢をする余裕はない。ここ十年は毎年売り上げが減り続け、こまめに電気を消すなどの経費節減でしのいでいた。・・・


北海道の苫沢町という過疎地で細々と理髪店を営んでいた康彦のもとに札幌でサラリーマンをしていた息子の和昌が親に相談もせずに会社を辞めて郷里に帰って来るという。

妻の恭子は大喜びしたが康彦には跡を継ぐという息子の将来を案じた。「従来通りの散髪屋でやっていこうとするから先が見えねえわけだべさ」と言う息子の計画を聞いて納得できるものではなかった。


小さな町であるがゆえにどこそこの家族構成も皆が知り合ってしまう。そんな町に中国から花嫁が来たり、どこそこの娘さんが村に戻ってスナックを開いて大騒ぎしたり、映画のロケ隊がやってきて大盛り上がりしたかと思うと どこそこの息子が東京で詐欺事件を起こしてこれまた大騒ぎ。

しかし、町民が順繰りに容疑者の実家に食事を差し入れてやったり、都会ならみんな知らんぷりなのに大変な当事者の親の気持ちを察し会える・・、そんな良さがこの過疎地の将来に希望を持たせてくれる。

思い起こせば奥田さんの作品は浅田さんに匹敵するくらいの作品を読んだ。当時まだ45歳と新進作家並みの人を突き放すような作風もそれはそれで面白かった。しかし彼も60歳代となりこうした過疎の町に愛情を注いだ作風も素晴らしい。


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