Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2015年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.291樋口一葉・オリオンBK「 大 つ ご も り 」  12月 29日
N0.290桜木紫乃・小学館「起 終 点 駅( タ ー ミ ナ ル )」  12月 26日
N0.289伊坂幸太郎・角川書店「グ ラ ス ホ ッ パ ー」  12月 18日
N0.288村上春樹・文藝春秋「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」  12月 10日
N0.287森沢明夫・幻冬舎「 癒 し 屋 キ リ コ の 約 束 」  12月  4日
N0.286誉田哲也・中央公論「 幸 せ の 条 件 」  11月 27日
N0.285太宰 治・青空文庫「 八 十 八 夜 」  11月 21日
N0.284浅田次郎・徳間書店「 紗 高 楼 綺 譚 」  11月  6日
N0.283原田マハ・角川文庫「 さ い は て の 彼 女 」  10月 18日
N0.282池井戸潤・小学館「 よ う こ そ わ が 家 へ 」  10月  8日
N0.281太宰 治・青空文庫「 お 伽 草 紙 」   9月 26日
N0.280青山七恵・文春web文庫「 お 別 れ の 音 」   9月 17日
N0.279池井戸潤・小学館「 下 町 ロ ケ ッ ト 」   9月 13日
N0.278藤沢数希・幻冬舎「 ぼくは愛を証明しようと思う 」   9月 10日
N0.277芥川龍之介・オリオン「 少  年 」   9月  7日
N0.276又吉直樹・文芸春秋「 火  花 」   8月  6日
N0.275浅田次郎・中央公論新社「 一 路 ( 下 ) 」   8月  4日
N0.274浅田次郎・中央公論新社「 一 路 ( 上 ) 」   8月  2日
N0.273太宰 治・青空文庫「 駆 け 込 み 訴 え 」   7月 25日
N0.272真野朋子・幻冬舎e文庫「 日 曜 日 の 女 た ち 」   7月 23日
N0.271浅田次郎・中央公論新社「 女 敵 討 」   7月 12日
N0.270太宰 治・青空文庫「 老 ハ イ デ ル ベ ル ヒ 」   7月  8日
N0.269江上 剛・幻冬舎e文庫「 合 併 人 事 」   6月 12日
N0.268青山七恵・幻冬舎e文庫「 魔 法 使 い ク ラ ブ 」   6月  3日
N0.267浅田次郎・中央公論新社「 箱 館 証 文 」   5月 26日
N0.266太宰治・青空文庫「 黄 金 風 景 」   5月 19日
N0.265五十嵐貴久・幻冬舎e文庫「セ カ ン ド ス テ ー ジ」   5月  9日
N0.264光山明美・マガジンハウス「 土 曜 日 の 夜 」   4月 20日
N0.263浅田次郎・中央公論新社「 御  鷹  狩 」   4月 13日
N0.262桜木紫乃・角川e文庫「 ワ ン ・ モ ア 」   3月 15日
N0.261太宰治・青空文庫「 お し ゃ れ 童 子 」   3月  6日
N0.260三浦しをん・祥伝社文庫「 木 暮 荘 物 語 」   2月 19日
N0.259浅田次郎・中央公論新社「 江 戸 残 念 考 」   2月  2日
N0.258桜葉一樹・文春web文庫「 私  の  男 」   1月 21日
N0.257宮沢賢治・オリオンブック「 グ ス コ ー ブ ド リ の 伝 記 」   1月  6日

  [No. 291 ]   12月 29日


    オリオンBK
「大つごもり 」・
1894年(明治27)作・42ページ

井戸は滑車つきで綱の長さは22メートル、台所は北向きなので師走の空のからっ風がひゅうひゅうと吹きぬける寒さである。

「おお寒い」とかまどの前で火加減を見るのが少しでも長くなると、さぼっているのかとちょっとしたことでも大げさにされては叱られる。本当に下女の身はつらい。

・・・世間に下女を使う人は多いけれど、山村家ほど下女の替わる家はないだろう。月に二人はいつものことで、三日四日で帰る者もあれば、一夜で逃げ出す者もいる。・・・

お峰が7歳の時、父親が得意先の蔵の工事で足場の上にいた、下にいる作業員に指示をしようと振り向いたとたん誤って落ちてしまい還らぬ人となった。

母とお峰は兄を頼ったが母は早々に亡くなってしまった、なのでその安兵衛夫婦を親として今日まで育ててもらっていたのだ。

ところがその安兵衛が病に倒れ商売もできなくなり貧しい長屋に身を引いた、お峰は叔父を頼るどころか家を出てこの山村家の下女として働く覚悟をしていたのだ。

しかし、あるときお峰は叔父の病態はますます悪くなり家賃も払えなくなる窮状を知る。ここはどうしても年を越すためには奥様に2円の借金を申し願おうと考えた。

そのときは奥様も了承してくれた・・はずだった。しかし大晦日の午前中になってもその素振りも見せてくれないのでお峰は再度お願いをした。

奥様は・・というと「あら?、そんな約束したかしら・・」と身も蓋もない。しかもお昼には叔父の子三之助に取りに来るように約束をしてあった。万事休す!


お昼には家の中も慌ただしくなり放蕩息子の石之助は父親に金をせびって正月明けまで外に居て帰らないという、しかも昨夜遅く帰ってきたまままだ寝ている。この家の女どもも観劇だのといって居なくなってしまった。

お峰は迷った、お金のある場所はわかっている。引き出しには20円のお札が入っている、誰も見ていないことを確かめて奥様のかけ硯から2枚抜きとって三之助に渡した。

暗くなり始めた頃、いつの間にか石之助はプイ!っと居なくなってしまった。さて、大晦日の晩は大勘定といって、今夜はあるだけの金をまとめて封印する日であった。「お峰、かけ硯をここへ持っておいで」の声がかかる・・・

白状すべきか迷いながらもかけ硯を手に取ると怪しい紙切れがひらひらと落ちた。(引き出しの分も拝借致し候   石之助)

皆は石之助にしてやられた・・と顔を見合わせた。お峰への疑いはかからなかった。



はたして石之助はお峰が金を抜き取るところを見ていた上で自分がこうして身代わりになってやろう・・としてくれたのか。放蕩息子ながらいいところもある・・と肩入れしたくなる。

以前に武士の家計簿・・という映画を見た。これは武家であるがゆえに見栄を張って過ごす親に代わってしっかり息子が家計を預かりまた藩の財政も健全化する話だった。

私の独身時代の家計簿ではないが会社の美術クラブの会計記録の中に「藤森に350円貸出」「・・470円」・・などこれって明らかに私がクラブから毎月借りては返していた記録でした。まあ、この時代はみな平気でそんな生活をしていた。

結婚して財布を妻にあずけて以来そういうことはなくなった。妻が亡くなったあともその健全家計簿の精神だけはなんとか踏襲できる癖がついた。


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  [No. 290 ]   12月 26日


    小学館
「起終点駅(ターミナル) 」・桜木紫乃
2012年作・420ページ

鷲田完治は釧路の街で裁判の国選弁護士として働いていた。街の同業者は「変わり者」と呼んでいる。

それは企業のひとつやふたつ抱え込み、顧問料を取ればもっとましな生活ができるのに・・・

椎名敦子30歳の覚せい剤使用事件を担当した。被告人の態度はおよそ反省の色なし、調書を読む限り実刑判決が下るような事件でもなかった。

初犯で常習性も認められないどうせ執行猶予が付くはずです・・・、とは敦子の言い分である。もっともでこれ以上弁護士として頑張る必要もない。

事務所に戻るとポストに白い封筒があった。見事な楷書で「鷲田完治様」とある。結婚披露宴の案内状で差出人は5歳の時に分かれたひとり息子の恒彦だった。

養育費は、妻と子供のふたりきりなら、いくら物価が高い東京でも贅沢さえしなければ暮らせる金額だったと思う。完治は息子が大学を卒業するまで金を送り続けた。

別れた妻からは手紙に「長きに渡り十分すぎるほどのご送金をありがとうございました。恒彦も無事就職いたしましたゆえ、今後はどうかお気になさらぬよう」とあった。

完治は1960年代学生運動の真ん中にいた、そして運動家たちの集まるアジトに出入りしていたとき篠田冴子と知り合った。冴子は完治にそんなバカなこと貴方に相応しくない・・と。

彼女と同棲したことで司法試験に本腰を入れて勉強することができた。しかし彼が試験に合格した後フイ!っといなくなってしまった。

あれから10何年以上彼は右倍席として冴子に再会したのは旭川地裁で彼女の罪状、覚せい剤取締法違反であった。裁判を終えた完治は冴子と再婚しようと決意する。

結局、完治と冴子は留萌の駅で同じ列車に乗って新しい出発をしようとした矢先、なんと・・完治の目の前で列車に飛び込んでしまった・・。



人それぞれでしょうがその人の生き方に関わる重大な示唆を与えてくれたという事柄はだれしも心の隅に持ち続けることでしょう。

そんな完治のまえに現れた冴子はもはや以前の冴子ではなく彼女自身も完治とこの先以前のようにやっていける自信もなかった。


たまたまラジオを聴きながらアトリエで絵を描いていた。ラジオからは視聴者からの手紙・・だろうかを読んでいた。「昔の彼女にあってみたい・・いま、どうしているんだろうか・・」ようなことを言っていた。

すかさず女性アシスタントが「男性って結構オバカサンが多いのね」

それはねーだろう。オメエなんか女の仮面をかぶった情緒の欠片もネエ不細工な女に過ぎねえだけだよ。急に絵を描く気にならなくなって止めてしまった。


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  [No. 289 ]   12月 18日


    角川書店
「グラスホッパー 」・伊坂幸太郎
2004年作・490ページ

教師をしていた鈴木は二年前に交通事故で妻を亡くした。フロイラインという会社に入社したが上司である比与子に疑われていた。

「あんた・・この会社が怪しげな商売をしていることを知ってて一体、教師をしていた人間がなんで入ったんだい?」

ある日のこと社長の長男が交差点で信号待ちをしていたときフイッ!に、交差点に飛び出して車に思いっきり跳ね飛ばされて死んだ。

実はその長男が二年前に妻をひき殺した犯人であり鈴木にとってはいつか復讐する機会を待っていてのこの会社への入社だったのだ。

その時、鈴木は長男が交差点に不自然に飛び出すのを目撃すると同時にその背後に群衆と別の動きをしてその場を去った男を見た。・・・・



この小説には「押し屋・・」と呼ばれる職業があるかもしれない・・。

そして「自殺にさせる商売」も登場する・・。

また、ナイフを使って「殺人の依頼引受」など・・。

それぞれの犯行が次第にそれぞれの領域に関係してきて遂には一騎打ち的に殺し合うストーリーだ。



グラスホッパー・・の意味は昆虫のバッタを意味するそうだ。バッタは単独で生活していると緑色であるが群生していると土気色となって凶暴化するらしい。

人間が社会を作って人口密度が増すにつれ凶暴化し殺戮を繰り広げる個々になっていくと警鐘を鳴らすのだということらしい。

人殺しがつぶやく、「テロリストだってそんなに人は殺さない。無作為に1万人近くも殺すテロリストなんていないよ。そんな危ない車に乗るのはやめようなんて誰も言わない」


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  [No. 288 ]   12月 10日


    文藝春秋
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」・村上春樹
2013年作・637ページ

この長い題名をつけなくてはならない理由はどこにも見当たらない。この作家の横暴さがハナに憑く。



赤松慶、青海悦夫、白根ユズ、黒埜エリ、そして多崎作(つくる)の5人は名古屋市内の高校は同じクラスで課題のボランティア活動で一緒になった。


赤は秀才タイプ、青はリーダーシップのあるスポーツマン、白はいわゆる美人系でピアノが上手、黒は感受性豊かで自立心が強く性格はタフ・・・、そういえば田崎つくるの名の中には色が付いてない・・なんて冗談にも話題になった。

つくる自身も内心、名前の中に色がないどころかとりたてて人柄という色彩に乏しい人間だなーと感じていた。しかし、父親の付けてくれた名のごとく物を作ることに関しては大きな集中力を持っていた。

そしてこの5人のメンバーはこのボランティア活動では実に一致協力して素晴らしい成果を出していた。活動するとき以外でも実に良くまとまった友達関係も有していた。

やがて楽しかった高校生活を経てそれぞれの進学につき、つくる以外はみな名古屋市内の大学に進学した。しかし、つくるは理工学建築で駅舎を作る勉強をしたいと一人上京した。

しかしそれでも二年ほどはつくるも名古屋に帰った時は必ず元の5人で会っては楽しくしていたのだった。

二十歳の時、いつものように帰省して皆に帰ってきたと電話してみたものの・・・皆の対応が少し変だ!?と感じた、そしてもうお前とは会いあたくない・・ともいう。

つくるは以来、意味もなくみんなに敬遠された理由を知るすべもないままひたすら死ぬことへの願望しかなかった。

そしてあれから16年の日が経ってつくるの彼女、木本沙羅から言われたのだ。「あなたには辛いことだろうけれどその理由を今から確かめることでこれからの未来が開ける、その手助けをしたい」・・・



以前、この作家のノルウェイの・・を読んで人間関係の幅広すぎさに閉口したことがあった。私の読書は一気読みではないのでそんなに集中を要求されても面白さに欠ける。

その点この作品は登場人物が少ない。その割にはせっかく登場させてくどくど書いて興味を抱かせながら顛末を中途半端にさせてしまっている重要人物が二人もいる。

大学の後輩で灰田という人物、そして灰田の父親が人生の共感を感じた緑川という人物だ。むしろ、つくるの巡礼はこの緑川を探索する方に興味があった。

文章全体がどうかすると独りよがりで社会経験の少ない”若者に説教する調”って匂いがきつくて私のような年寄りが読んで面白かった・・という気にならない。

人生の先に対する検索・・選択肢はどこにも触れていない。沙羅とのこれからの暗示で終わっているがそんな恋愛志望で一気にこの作品を薄っぺらなものにしてしまった。


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  [No. 287 ]   12月  4日


    幻冬舎
「癒し屋キリコの約束 」・森沢明夫
2014年作・518ページ

小さな町の商店街の一角に昭和堂・・という喫茶店がある。店主はまだ40代の有村霧子、訳あってここに雇われている20代の柿崎照美のふたりで経営している。

照美はコーヒーのおいしい入れ方を身につけていて店主・キリコのお気に入り、勤め始めてすぐに店長にさせられてしまった。皆からは親しまれてカッキー・・と呼ばれていた。

何故か街の人々の口コミで人生相談に乗ってもらえるらしい。しかしその解決策は実にユニークでそれも人気の秘密の一つだ。


ミュージシャンを目指す高校生にキリコは尋ねた。あんた自分に才能があると思っているの・・?。高校生は自慢げに言った「センスもあるし、技量も人一倍だと自負できる」

「あんた、覚えておきなさいよ、才能ってのはね、成功するまで絶対に努力を止めないって自分自身を説得し続ける能力のことを言うのよ・・」

「ようするに、夢が叶うまで、折れずに、ひたすらベストを尽くし続けること・・・、それができる人を、夢を叶える才能がある人っていうの・・」


キリコさんは訳ありの店長、カッキーとしみじみと語り合った。長く人生を続けてきた老人たちの皆が感じていた事の一つに「もっと冒険をしておけばよかった・・」

「一度きりの人生で、もっと冒険しておけばよかった・・と思っている。冒険をしないまま生きてしまうと、人生の最後に必ず後悔する・・」


そんなキリコさんのもとにある日「あなたを殺す・・」という手紙が届く・・・・。



わたしにしてもまだ人生は途中でありキリコさんの言葉もわからないではない。人生の中でいくつかの分岐点にであいその都度選択を迫られる。

その分岐点にはいくつもの格言のあることも確かです。石橋を叩いて(渡る)渡らない・・、山頂を目の前にして引き返せる勇気も必要・・

渡らなかったおかげで今の人生もある、そして引き返す勇気もあって今を生きている。

中途半端な人生であっても感じられることはその夢を、冒険を、目の前にして・・・今の装備で大丈夫か?。準備は万端なのか・・?という重い問いかけは必要だ。


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  [No. 286 ]   11月 27日


    中央公論
「幸せの条件 」・誉田哲也
2012年作・575ページ

瀬野梢恵24歳、理工科系の学校を出たが就職はままならず理化学機器の会社に入社はできた。

理化学機器メーカーとはいえ荒川区の東日暮里にある小さなガラス加工会社、つまり実験用のフラスコやビーカなどを作る町工場であった。

来る日もパソコンで伝票処理をする程度の仕事をしていればそこそこの収入もあり仕事の意欲はほどほどにしておけば不満もなかった。

小さな町工場の事務的なしごとなのでそれなりに社長のわがまま経営の片棒担ぎの感もあった。そんな社長からある日突然に呼び出された。

アイデアマンの社長は常々自分の理想とするバイオエネルギーの小型製造装置の試作にこぎつけその原料となる燃料としての米の生産者を梢恵に探して来いと命令する。

その場所は長野県北部の穂高村であった。2〜3日の出張命令のつもりであったがどうやらそのバイオ燃料のための作付思考はコストなど多岐に渡る問題を抱えていた。

梢恵は現地に赴いてその道を開くためにはこの地に根を張って地道な農業の本筋から学ばないとこの問題に立ち向かえないと感じ始めた。

社長もよく理解し、現地での手がかりで始まった研修参画としての農業体験をはじめた。・・・・



この本を読み始めて・・・、アレ?、ちょっと場違いの本を手にしてしまったかな?と思いました。

しかし、この理化学機器メーカーは東日暮里・・私もこの辺の地理もよく知りますし瀬野梢恵さんはこの機器メーカーで不本意な仕事をしていた。

突然の社長命令・・しかもバイオエネルギーの燃料製造装置・・だんだん興味が沸いてきてついつい面白く読み進んでしまった。



誉田さんはこの本を著すにあたって26冊もの農業、バイオエネルギー、地方農業などに関する参考文献、そして機器メーカー、長野県木島平村の皆さん、環境研究所など 多くの協賛を得てこの作品を執筆されました。

ですから読んでいても、現状の日本の農業政策としての方向性の視点を私たち自身に考えさせる材料を面白く並べてくれました。

その並べてくれた多くの視点はどちらに向いても興味のある事だらけ、つまりそれだけこの作品を構成する土壌の深さを感じました。


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  [No. 285 ]   11月 21日


    青空文庫
「八十八夜 」・太宰 治
1939年作・61ページ

笠井はじめさんは作家である。ひどく貧乏である。このごろ、ずいぶん努力して通俗小説を書いている。

けれども、ちっとも、ゆたかにならない。くるしい。もがきあがいて、そのうちに、呆けてしまった。

いまは、何も、わからない。いや、笠井さんの場合、何もわからないと、そう言ってしまっても、ウソなのである。・・・



そんないたたまれない気持ちから逃げようと笠井さんは旅に出ようとして信州の上諏訪温泉に行くことにした。

坂道を一生懸命登る列車の中に学生のグループがいて盛んに文学の話をしているが笠井さんには話の内容についていけなくてますます作家としての自分が嫌になってしまった。

そのうちに列車は左車窓に厳しい武甲信岳が見えてくる、学生の一人が「やあ、八ヶ岳が素晴らしいじゃないか・・」。笠井さんは心の中で叫んだそれは八ヶ岳ではない・・

一層のこと思い切ってバカな学生たちに教えてあげようと思った。しかし先程までの自分の落ち込みも思い出してがまんしてすごした。

上諏訪温泉の滝の屋旅館では去年その宿で少し滞在して仕事をしたことがあった。良くしてくれた女中のユキさんに会いたくなったのである。

すっかり気分を治すことができたけれど少し呑みすぎて粗相をしてしまったようだ。でもユキさんは嫌な顔もせずよく面倒を見てくれた。

翌朝、べつの若い女中さんが布団を上げに来てくれたとき笠井さんはその女中さんにちょっかいを出してしまった。そのとき、すらっと襖があいて、「あの、」

ユキさんが、余念なくそう言いかけて、はっと言葉を呑んだ。たしかに、五、六秒、ユキさんは、ものを言えなかったのだ。見られた。・・・・



ここに登場する笠井さんは紛れもなく太宰さん本人であるでしょう。

なんとも無様なそしてますます自分が嫌いになってこの宿から朝食も取らずに逃げ帰るようにして飛び出したことでしょう。

ひとは忘れる動物ですからしばらくするとそんな自己嫌悪の情もいずれは忘れることでしょう。

しかし、太宰さんのこの作品を読んだ誰にしも頭の片隅の消去したはずのメモリーがいつしか再び痕跡の度を強められて閉口しているのは私だけではないでしょう。


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  [No. 284 ]   11月  6日


    徳間書店
「紗高楼綺譚 」・浅田次郎
2009年作・497ページ

・・・さて、今宵もみなさまがご自身の名誉のために、また、ひとつしかないお命のために、けっして口になさることのできなかった貴重なご経験を、心ゆくまでお話くださいまし。

語られる方は誇張や飾りを申されますな。お聞きになった方は、夢にも他言なさいますな。

あるべきようを語り、巌のように胸にしまうことが、この会合の掟なのです。・・・・



紗高楼綺譚、紗高楼とは・・・砂上の楼閣などというように使われます、そして綺譚・・世にも珍しいお話ということですがこれは浅田さんの得意な創作分野でしょうか。

四つの短編からなります。「宰相の器」「終身名誉会長」「草原からの使者」「星条旗よ永遠なれ」どの作品も冒頭の司会者の語りから始まり、そして語り部の主人公が自身の体験を語ります。

地位も名誉もある主人公は今まで他人には決して拷問にかけられようとも口から漏らしたことのない真実をこの場で話すことによって自らを解放する設定なのです。

長いこと元総理大臣の秘書をしてきた人物や老舗の家系の財閥だった人物、今日の競馬界に生産馬の王国を築いた人物、大戦を終えて元帥の秘書官として勤め上げ日本人を妻とした准将など。

しかし、その生涯はドロドロとした暗闇の世界であって他人にそれを話さないままこの世を終える苦痛から解いてあげようという趣向の秘密結社なのです。

それは地位も名誉もある人だけではなく我々凡人にも多少は心の中に留めおいてこの世を去るひとも大勢いるはずです。

まさに地位や名誉といった楼閣も砂の上に築いたもので危ういもの、人生というものはそんなものなんだよと言う浅田さんのジョークが身につまされます。

そう言う私だって多少は・・、アマチュア無線家には無線で知り得た情報は他言無用。でも、聞いてしまったもの・・は、あの世まで持っていく定めなのです。


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  [No. 283 ]   10月 18日


    角川文庫
「さいはての彼女 」・原田マハ
2013年作・283ページ

鈴木涼香は下着の通信販売会社を起業し今では六本木ヒルズにオフィスを構える会社の社長である。

なりふり構わず仕事をし続けた涼香は気が付けば社員100人を超える会社にまでなっていた。

昨日は「日本アントレプレナー協会」主催の講演会でメインスピーカーを努め、最近上場を果たした会社経営者たちとの懇親会に出たあと午前2時まで会社に戻って残務と格闘した。

有能な秘書、高見沢諒子に任せておいた二泊三日のオフに向けた準備は沖縄でのバカンスのはずであった。



有能な秘書に任せっきりの旅は羽田の搭乗口で行き先が北海道であることに気がついた。しかも注文したレンタカーはBMWのオープンカーとは程遠い大衆車であった。

女満別空港からカーナビもないポンコツに近いレンタカーで走っていて路肩で思案にくれていたときオートバイの女性ライダーと知り合う。

凪・・という名の一見華奢そうな女の子は大型のハーレーダビッドソンを華麗に乗り回すだけではなく北海道のライダー仲間内ではメカに強い人気者だった。

そんな凪に誘われて涼香はあっという間に二泊三日の旅を思わぬ形で過ごしてしまった。



娯楽小説ですと言われれば、こんな本を手にしてしまった私のせいでしょう。

若い有能な女性起業家の休暇。しかもその計画を有能な秘書に全て任せっきりの計画だった・・・

この主人公にも主体性がありませんがそんな作品を書いて飯を食っている作家もひどい作家だ。


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  [No. 282 ]   10月  8日


    小学館
「ようこそわが家へ 」・池井戸潤
2007年作・490ページ

倉田太一は山手線に乗っていた。電車の遅れもあってやけに混み合っていた。ドア付近にいたため代々木駅で一旦ホームに降ろされてしまった。

花火大会見物の浴衣姿の大勢が降りてそしてまた一旦下ろされた乗客を含め再び乗車しようとした時だ。

すぐ近くの階段を駆け上がってきた若い男が、人の列を無視して車内に入ろうとした。きゃっ、という声があがり男につき当てられた浴衣姿の娘がよろめく。

いつもの倉田だったら、ただ眉をひそめる程度で見過ごしたかもしれない。元来倉田は攻撃的な性格ではないし、どちらかと言うと見て見ぬふりをする臆病なタイプである。

ところがこのときは違った。気づいたとき、倉田は割り込んできた男の胸の前に腕を突き出していたのだ。「順番を守りなさいよ!あぶないじゃないか!」

その場は周囲の加勢もあってそれで凌ぐことができた。しかしこの注意された男は陰湿で倉田を逆恨みし付きまとったり家の周りをうろついて嫌がらせをしたりした。

銀行勤めの倉田であったが融資先会社への出向という名で肩身の狭い経理部長という役であった。しかしこともあろうか敏腕営業部長の不正を見抜いてしまった。



テンポの良い書き出しについつい時を忘れてのめり込んで読むうちに「あれ?、うだつの上がらない銀行マンの融資先出向・・?」どこかで読んだ気がした・・。

そういえばついこの間読んだ「下町ロケット」と同じ作者だった。その時もそうでしたが今度の場合も出向銀行マンが素晴らしい働きをすることで溜飲が降りた。

逆恨み男は家族の協力で捕まった。私もどちらかというとこう言う日陰の人がしっかり物事見極める的なことに共感を感じる。

しかし今度の場合は社内の不正を洗い出して彼にとってメデタし・・とはいかなかった。中小企業のこの社長は部下の不正に戸惑ったが彼の気持ちを改めることで取りなすことに。

倉田はそこに中小企業における仲間意識を感じた気がする。この絆に部外者が割り込むことのできない垣根を知った思いがした。

作者の池井戸さんの経歴を改めて見てみた・・、やはり学業を終えた後大手銀行に7年ほど勤務した・・とある。

企業の中でどの位置に自分の居場所があるのか、ヨシとする人、無理をしてでも・・と思う人、人生の生きがいは人それぞれなんでしょう。


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  [No. 281 ]    9月 26日


    青空文庫
「お伽草紙 」・太宰 治
1945年作・304ページ

おとぎ話・・子供向けの文学書でしょうか。イソップ物語やグリム童話のような子供向け文学、意外とその内容は残酷なものが多い


「あ、鳴った。」。

と言って、父はペンを置いて立ち上がる。警報くらいでは立ち上がらぬのだが、高射砲が鳴りだすと、仕事をやめて、5歳の女の子に防空頭巾をかぶせこれを抱きかかえて防空壕に入る。。

既に、母は2歳の子を背負って壕の奥にうずくまっている。

「近いようだね。」「ええ。どうも、この豪は窮屈で。」「しかし、このくらいでちょうどいいのだよ。あまり深いと生き埋めの危険がある。」・・・・・

母の苦情が一段落すると、今度は、5歳の女の子が、もう豪からでましょう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。・・・・



瘤取り(こぶとり爺さん)、浦島さん(浦島太郎)、カチカチ山、舌切り雀、

太宰は5歳の子供におとぎ話を読んで聞かせる風をして彼自身の生活そのものを見つめる仕事をしている。

そして舌切り雀、では雀との会話で妻が売れない作家の自分をこてんぱんにやっつけられたあと突然、机上の小雀が人語を発した。

「あなたはどうなの?」・・・・・「しかし、おれのような男もあっていいのだ。おれは何もしていないように見えるだろうが、まんざら、そうでもない。おれでなくちゃ出来ないこともある。おれの生きている間、おれの真価の発揮できる時期が来るかどうかわからぬが、しかし、その時が来たら、おれだって大いに働く。その時までは、まあ、沈黙して読書だ。」

雀は小首を傾け「意気地なし・・よくそんな負け惜しみの気焔をあげるものだわ・・・帰らぬ昔の夢を、未来の希望と置き換えて、そうしてご自身を慰めているんだわ・・」



瘤取りや浦島、カチカチでは少しひねくれた見方から卑劣な気持ちを童話に反映させている。こういった比喩の仕方ができるのもこの頃の作家の心情を思えばわかるような気がする。

しかしこの最後の舌切りでは素直に自分を深く見つめて自身の置かれている立場を恐ろしい程、実に的確に捉えていてる。

悲しいかなこのあと次々と発表される代表作はひたすら彼が自身を追い詰めていく作品の前兆を予感させて悲しい。


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  [No. 280 ]    9月 17日


    文春web文庫
「お別れの音 」・青山七恵
2010年作・315ページ

「お別れの音」という作品かと思った。

「新しいビルディング」「お上手」「うちの娘」「ニカウさんの近況」「役立たず」「ファビアンの家の思い出」・・などの短編集でした。

いずれの作品も結末には別れがあり青山さんの女性としての感性が滲み出る作だ。前5作は主人公は年代こそ違いはありますが女性であった。

最後の「ファビアン・・」はしばらく読んでいてどうも変だ。登場人物の周囲の名前は卓郎だの彼の女友達のナディアだのは出てくるのに常に「私は・・・」で始まる文章だ。

とかく短編集は単行の小説本と違って続けて読んでしまう。作者は気持ちを置き換えて書いているだろうけれど読む方は前作と共通の気持ちで作品に入っていく。

しばらく読み進んでやっと「私は・・・」は男だったことに気がつく。これは編集者のミスだけではない。

おそらく彼女は新しい観点の小説を探っていての作品なのだろう。もっと男の視点にたたないと男が読んで理解しにくい・・・というか、女が書いたんだからショウがないか。


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  [No. 279 ]    9月 13日


    小学館
「下町ロケット 」・池井戸潤
2010年作・580ページ

佃航平、宇宙科学開発機構は自分たちの開発したロケットの発射を見守った。大学で7年、この機構に来て2年、その成果として今この種子島から30tのロケットが発射される。

発射された後もカウントの響きはまだ残響として残っている。ロケットはコースをずれ始め発射後212秒、「保安コマンド・オン!」爆破指令だ。


そんな佃のもとに大田区の町工場をする父の訃報もあって佃は研究畑から引退し町工場の社長に就任した。

彼の引き継いだ佃製作所は従業員200名足らずの町工場だ。しかしこの従業員のレベルは高くオートメされた大企業も舌を巻くほどの技術集団であった。

佃は自社の得意とする小型エンジンの好調を基に自社の開発製品についても研究開発を怠らなかった。特に自分がいた宇宙科学開発機構で疑問に思っていたエンジンへの供給システムのことだ。

そして、その燃料供給に関する新しい発想のバルブシステムの特許取得に成功した。このシステムは世界的にも優れていてロケット産業国内最大手の帝國重工もその研究中であった。

町工場の佃製作所はその大手企業に先んじて特許を取得した。



しかしその特許の使用許可をめぐって帝國重工との熾烈な駆け引きが待っていた。そしてついには町工場の部品を使ったロケットの発射成功をさせた。

どんな会社も設立当初から大会社であるはずはない。ソニーしかり、ホンダしかり。土壇場で資金繰りにあえいだことさえある中小企業が、誰でもが認める一流企業にのし上がったのには理由がある。

会社は小さくても一流の技術が有り、それを支える人間たちの情熱がある。



かなり前から素晴らしい作品があることは知っていました。きっと私の心に響くであろうことは想像していました。

案の定、本を読み進むうちにすっかりこの佃製作所の社員になりきって応援してしまいました。社内に置いても目先の利益にこだわる人、先を見据えた仕事に対する夢や希望を望む声、さまざまあります。

私の勤めた会社もどちらかと言うと小さな町工場のようでした。入社にあたって付き添ってきてくれた大会社に務める兄の目には少し不安も感じられたでしょう。

社員一丸となって夢を共有し発展する喜びをともに味わってきました。今では立派な大企業になっています、社員一丸・・という風土がある限り飛躍し続けることを確信します。


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  [No. 278 ]    9月 10日


    幻冬舎
「ぼくは愛を証明しようと思う 」・藤沢数希
2015年作・492ページ

ーーーーーーーーー。一年前の夜、とあるバーで彼を偶然見つけた。それから東京を舞台に、奇妙だが最高にエキサイティングな僕らの大冒険が始まった。

僕は男の欲望を実現するための秘密のテクノロジーを手に入れてしまったのだ。

恋愛工学。

いまでは金属や広告など様々な分野が数理モデルに従って動いている。かつては文系人間たちのガッツで回っていたこうした業界は、いまや複雑なアルゴリズムを操るオタクたちが牛耳っている。

だったら、恋愛だって同じことになりはしないだろうか?答えはイエスだ。恋愛の世界でも、恐るべきテクノロジーが密かに開発されていたのだ。

僕は、世界最大の半導体メーカー・インテルの元CEOアンドリュー・グローブの言葉を思い出した。

「最後にはいつだってテクノロジーが勝利する」ーーーーーーーーーーーーー

渡辺26歳、大学は工学部を卒業、難しい試験に合格し現在は国際特許事務所に勤務する弁理士・・つまり各社の膨大な特許申請に関わるアシスト業務を生業としている。

今までこの年になるまでモテない、女には相手にされない、尽くしてもいいところで捨てられる人生を歩んできた。しかし仕事のつながりで永沢という男を知る。

とあるクラブで偶然にも永沢さんがものすごくモテている現場を目撃してしまった。渡辺はすぐさま永沢に弟子入りしてそのノウハウを伝授させてもらうことになった。



私たちが会社に勤めていた頃、職場のチームでは問題の解決や目標管理にむかっていろんな定形的手法をもちいて話し合ったり他のチームの研究を聴いたりして勉強してきた。

確かに意思決定による組織の運営のほかにそれを効率化して推し進めるためには組織員ひとりひとりのアルゴリズム的意識の高さによって成果は自ずと違ってくる。

この作品を書いた藤沢さんの着想は実に面白いと思って読んでいた。しかし「ぼくは愛を証明しようと思う」はピントはずれですね。

だって、具体的な論理を求めているのにその提示がなされないのはなんか投げやりじゃないの。そんな研究発表をよく沢山見てきた気がする。


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  [No. 277 ]    9月  7日


    オリオン
「少年 」・芥川龍之介
1924年作・32ページ

震災後のでこぼこ道を堀川保吉は須田町から新橋に向かって乗合自動車に乗っていた。飛び跳ねるようなバスの中で保吉はとうとう本を読むことをあきらめた。

大伝馬町のバス停から11〜2歳の少女が乗ってきたがあいにく席は満杯であった。すかさず隣に座っていたフランス人宣教師が席を譲って少女に話しかけた。

「今日は何の日かご存知ですか・・?」「ええ、知っていますわ12月25日でしょう」

保吉はとっさに思った、この宣教師はこの少女にキリスト教の布教をしようと優しく立ち回る偽善家の顔を見た気がした。

「おや、ご存知でしたか、ではこの日は何の日でしょうか?」「はい、今日は私の誕生日ですのよ」

「それは素晴らしい日にお生まれです。世界中の人がお祝いする誕生日ですね・・」


この後彼の少年期を想いだして5編の記憶を残す。「4歳の時の道に残された車輪の後の記憶」「5歳の時死と言うものに対する憧憬」「6歳の時海に行ってそれの色が決して青くなかったので 帰ったのちサビ色の海の絵を描いてヒンシュクを買ったこと」「7歳の時幻灯機に映った絵の中の少女の幻影に恋したこと」「8歳の時友達と戦ごっこで怪我をして泣いたとき”おかあさん・・” って言ったと笑われた。自分ではそんなことは言ってないのに・・、しかし後年同じことを・・」



この作品は短編でありますがその中に更に5編の短編が断片的に描かれています。

保吉青年が11〜2歳のこまっしゃくれた少女を描写しながら子供と大人の考えていることの乖離を十分に表現しています。そして自身の幼少期の記憶の断片を想いだすことによって普遍的な 子供と大人の価値観の違いを描くことで少年の純真さが浮き出てきます。

芥川賞受賞作を読んだ後にあえてこの人の作品を読んでみたかった。近頃の作家は壮大な長編作品によって他を圧倒する気風が感じられるが芥川氏のような短編でも表現方法によっては 壮大な人生訓をも表現できる。


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  [No. 276 ]    8月  6日


    文芸春秋
「火花 」・又吉直樹
2015年作・224ページ

熱海湾で行われた花火大会の会場を目指して歩いて行く人に向かって漫才を披露していた。

地元の商工会の企画の一環として呼ばれたのであるが地元のお年寄りたちの下手な披露が長引いて自分たちの番の時にはもう花火が始まっていた。

そんな中で頑張って怒鳴り散らしていたが肝心の御客は立ち止まることなく花火の観覧場所へと流れて行った。

この大いなるものに対していかに自分が無力であるかを思い知らされた夜に、長年の師匠を得たと言う事にも意味があったように思う。



又吉さんはその夜から先輩の神谷さんを知る。この世界では飲み食いは先輩が奢るものと決まっているからと言って必ず神谷さんのおごりである。

彼からは多くのことを学びそして反面教師たる模範を感じながら自分のお笑い芸人としての道を切り開いていく。

神谷さんは酒に酔うといつも又吉さんに言う。いずれ俺の”伝記”を書いてくれよな・・が口癖のように・・。又吉さんもああいいよ・・と言って書き留めた逸話はもうノート20冊にも及んだ。

この表現方法は先輩芸人神谷さんのことを書きながら自分を語っている形式なんだろう。読んでてとても新鮮な表現方式に感じ内容も充実していて面白かった。

彼は記者会見の時本を読むのは好きだ・・2千冊は読んでいる・・と言った。すごいです、私なんか本を読み始めてもう7年もたつのにまだ276冊、そこまで行くのに死ぬのが先になってしまう。


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  [No. 275 ]    8月  4日


    中央公論新社
「一路(下) 」・浅田次郎
2015年作・535ページ

中山道、下諏訪宿でくつろいだ御共頭、一路の行く先は最後の難関が待っていた。

和田峠は今日、猛吹雪で下諏訪の代官所でもしばらく様子を見るようにと止めた。しかし一路はここで逗留すれば次の予約した旅籠、そして 次々と迷惑がかかる。ここは無理をしても出立じゃ。

ここの無理がたたってお殿様は発熱された。そして以前から重臣に不穏な趣のあったお家騒動の機運も迫ってきた。

そして殿は下仁田ネギ、深谷ねぎによって風邪による病も治った。戸田の渡しでついにお家騒動の張本人が刃を抜いた。しかし船頭に化けていた 一路の支援者の剣客によりお殿様は難を逃れた。そしていよいよ江戸に到着。



確かに面白く読み終えましたよ浅田さん。

実況見分やこの参勤交代の大変さについては十分に読み手に伝わりました。さすがは浅田さんの・・と言う気概を見ました。

しかしこの話をもっと面白くしようとお家騒動をからめたり、加賀の御姫様が通りすがりの一路に一目ぼれするような脇道は確かに娯楽性を 認めますが不本意でした。

丁度この本を読む間に美ヶ原から霧ケ峰往復をしていて、この作品の最後の山場、吹雪の和田峠越えは感慨深く読んだ次第でした。

なんだかんだ文句は言ったが結局実に面白かった。


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  [No. 274 ]    8月  2日


    中央公論新社
「一路(上) 」・浅田次郎
2015年作・547ページ

小野寺一路、お家は参勤交代道中の御共頭を代々お務めであった。これは世襲であるから小野寺家の長男として当然の務めである。

しかし一路の生まれは江戸、国元の西美濃田名部郡には生まれてこの方行ったことがなかった。

お殿様は蒔坂左京大夫という大名ではないが旗本であった。250余年以前、関ヶ原の戦いでよい働きをしたと言う事以来である。

一路は父の訃報、しかも失火による焼死と聞き、国元に戻ったが家督を継ぐにしろ父からは参勤交代のノウハウはまだ受け継がれていなかった。

焼け跡にわずかな遺品が残っていてその中にある書物があった。それは曾祖父の残してくれた参勤交代の御共頭としての心得であった。 一路はまだ二十歳、半月後のお殿様の参勤交代にかかわるあらゆる場面に対しての御共頭の務めを果たさなくてはならなくなった。



相変わらずの浅田さんの独壇場という作品の出発からのとんとん拍子のあらましであった。

一路が御共頭としての務めを果たすためにはたくさんの仲間がいる。浅田さんにしては少しその仲間の集め方が乱暴すぎるのではないでしょうか。

確かに読者の我々も頼りない一路の応援をしているものの桃太郎の御共のように簡単に家来や支援者が集まってしまっては少し眉唾だろう。



いずれにしても中山道、木曽路の難関を過ぎていよいよ塩尻峠の頂に立った、今宵は下諏訪の温泉につかって馬刺しや桜鍋で盛り上がるが・・・。


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  [No. 273 ]    7月 25日


    青空文庫
「駆け込み訴え 」・太宰 治
1940年作・57ページ

申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人はひどい。ひどい。はい。いやな奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。

はい、はい。落ち着いて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。

私は、あの人のいどころを知っています。すぐにご案内申し上げます。ずたずたに切りさいなんで、殺してください。

あの人は、私の師です。けれども私と同じ年です。三十四であります。



読み進むうちにこれはあのレオナルドダビンチの「最後の晩餐」にかかわりのある話ではないだろうか・・と思い始めた。

キリストが弟子たちと晩餐しながら・・そして弟子のユダに裏切られてとらわれる・・・だったっけ。

この短編のなかにユダ(恐らく太宰自身・・)の心のうねりを強く感じる。

尊敬するがゆえに憎しみを抱く・・・、好きなのに相反する気持ちが出てきてしまう・・。



誰にでもある心の葛藤だがこれほどに大きな周波数を見るような激しさはやはり病的だったのかな。


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  [No. 272 ]    7月 23日


    幻冬舎e文庫
「日曜日の女たち 」・真野朋子
2013年作・372ページ

笙子の部屋にはいつものメンバーが集まって軽いパーティーといった感じだ。今日のメンバーは他に香奈恵、美波、真希の4人だ。

皆、笙子のブログで時折意見を交換したりしているうちに軽い仲間意識ができてきてそれとなく集まってみようと言うことが続いている。

折角集まって楽しむんだから会の名前でも付けようかとしたが中々いい名がつかないうち便宜上の名がそのままになって「日曜クラブ」になってしまった。

今日はこの部屋の主の笙子は不倫12年目、一番浅い美波にしてももう2年弱の不倫歴をそれぞれが誇り合っている。・・・



ここに集まる女たちみな不倫真っ最中の女たちなのだ。類は類を呼ぶ・・と言う言葉があるがまさしく救われない女たちがそれぞれの傷口をなめ合っている感じがする。

恋だの恋愛だの恋人・・と言うセリフが出てくるが一般人から見たらそんなものは「泥棒猫」の言い分であって通用しない。

しかしこのどうしようもない女たちにもそれなりの言い分があって「うまくいっていない夫婦だから」「男には浮気性があるから・・」

浮気の現場に男の妻が踏み込んで不倫女に「この泥棒猫目!」と騒ぎ立てても「あんたの夫はアジの乾物か・・」とうそぶく始末だ。



世の中にこういう志向がはびこっていて尚それをよしとして助長する風潮はないのだろうか。この作家の作品を並べてみたら実にくだらないものしかなかった。

「恋におちた妻たち」「夫と妻と女たち」「妻と夫と男たち」「やめられない女たち」「私から好きになる」・・・、ヤレヤレ。


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  [No. 271 ]    7月 12日


    中央公論新社
「女敵討 」・浅田次郎
2008年作・99ページ

過日、浅田氏のもとに母校から卒業生名簿が届けられた。生来印刷物であれ隅々まで目を通す癖のついた私は図らずも最初のページからしげしげと見てしまった。

当然のことながらその時代時代を映す鏡として多くの卒業生の名前を見ながら考えてしまった。

「貞」という字を名前に取り入れることの多かった時代もあったが今ではすっかり目につかなくなったな・・・。


奥州のある藩士であった吉岡貞次郎は桜田門外の事件以来江戸藩邸の守りのためと言われて江戸に赴任していた。

部下は時期が来れば交代要員の補充で国許に帰ることができたが彼にはその沙汰も無くもう2年以上も江戸詰めであった。

そんな時、幼馴染であった同心が江戸に来たとき吉岡に中心をした。「おぬしの妻が商人と密通しているぞ・・」と。

吉岡は夜分不意にその現場を抑えて成敗してやろうと乗り込んだ・・・・。



貞・・貞淑・・貞操・・貞心・・・、浅田氏によれば現代ではそのような文字遣いが主流であるが本来の語源は神意にかなう真実を体現することと言う。

誠の恋を貫くことが神意だろうと・・。ところでわたしの祖母の名前は「てい」だった。ひらがなだったので漢字ではどう書いたのだろうか・・。


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  [No. 270 ]    7月  8日


    青空文庫
「老ハイデルベルヒ 」・太宰 治
1942年作・40ページ

太宰は伊豆半島、三島に滞在中に書いた「ロマネスク」が認められて作家としてやっていくことになった。

もう、あれから8年。今では作家として少しはまとまったお金が手に入るようになって結婚以来初めて妻と義母を伴って旅をすることになった。


まだ学生だった頃、太宰の実家はもう破産状態であり義理の姉からはこれが最後の仕送りだよ・・と言って50円を贈られた。

太宰より二つ若いが今は三島に棲み実家のある造り酒屋のお兄さんの酒樽を並べて商売をしていた佐吉さんを頼って逗留しながら作品を書こうと出かけた。

夏休みの間、この佐吉さんと妹さんには本当にお世話になり三島の街の人情にも助けられて生涯忘れられない心の故郷と想っていたのだった。


さて、その頃素晴らしかった三島の街を妻と義母に紹介したくて連れてきたのだが・・・どうした。

もうすっかり街の様子も変わってしまい、よく佐吉さんと飲みに行った呑み屋も代が変わってつっけんどんな対応であった。

太宰は意気消沈した。頭の中に浮かんできた小説ドイツ文学の中のハイデルベルク・・を想う。・・アルト・ハイデルベルク・・懐かしの三島。


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  [No. 269 ]    6月 12日


    幻冬舎e文庫
「合併人事・二十九歳の憂鬱 」・江上 剛
2004年作・672ページ

大江日未子29歳、早稲田大学経済学部を卒業して大日銀行に勤めていた。しかし間もなく時代の要請を受けて同業である興産銀行と合併しミズナミ銀行となっていた。

仕事は以前の営業職をそのまま引き継ぐことになったものの部長には興産出の山下、そして課長以下は大日からの谷口課長と薮内先輩などと言う布石であった。

つまりは大きな方針は従来の興産銀行の流れを汲みながら大日銀行出身者たちで負債の後始末をすると言うことになる。

元々の両銀行は表面的には合併と言う名の吸収策であった。

そもそも大日銀行の流れとは、より顧客の意見を尊重しながら多少の時代遅れを認識しながらもお互いの共存点を探りながらの経営が破たん寸前であったことだ。

引きかえ興産銀行は堅実な銀行経営、債権者には冷酷なほどまでの押しつけを基本としてきただけに顧客離れ・・という問題点も浮かび上がってきていた。


この合併に対しては資本の規模、経営手腕、優秀な人材・・いずれに対しても興産銀行出身者が優位に立つ状況は目に見えていた。

日未子はそんな状況の中、薮内と組んで今まで大日との取引のあったファイナンスの立て直し策に知恵を絞っていた。

興産出の山下からは前自社取引企業との融合を考えていて谷口課長にその方針は突き付けていた。

谷口課長は大日出身の部下たちにここで生き延びていくためには立て直し策では道が開けないことを日未子たちに伝えた。それも自分の立場を守ることのためでもあった。

しかし、日未子や薮内は反発する。山下部長からは「部下の掌握もできないのか・・」と谷口は迫られる。

この仕事が山を越えられれば山下自身にも役員への昇格の道も期待されていたからである。

ところが企画運営会議にその谷口が欠席する。捜索の結果谷口の自殺という最悪の状態が待っていた・・・



江上 剛さんはもと第一勧業銀行出身、1990年バブル崩壊後の公的融資を受けてのそれぞれの銀行の合併吸収は以降15年の間にわたり続いた。

江上さんはその後のみずほ銀行を経て作家となった、以降三井住友、三菱UFJ東京と3大メガバンクが登場した。

そんな経験の中から生々しいまでの実写に近い表現に息を呑むシーンが随所に表れて迫力ある作品になっている。

その後、りそな銀行や新生銀行なども生まれ奇しくも今日、東京都が中小企業や庶民の立場に立った銀行として発足した新銀行東京も某ファイナンシャル社傘下に決定。 東京都は銀行と言う業務から完全に手を引くこととなった。

そもそも企業の合併と言うものはお互いの持つノウハウをそれぞれが共有してそれを武器として更に発展を目指すものだ。そんな悠長なことなどなかった吸収の時代の苦労が滲む。


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  [No. 268 ]    6月  3日


    幻冬舎e文庫
「魔法使いクラブ 」・青山七恵
2009年作・645ページ

角来結仁、小学校4年生。姉と兄そして両親の5人家族であった。近所には同学年のチョットおっちょこちょいの葵、そしてチビでみんなからよくいじめられる史人、3人はもう幼稚園のころからの友達だ。

小学校に入って以来、もうクラスは別々になったりはしたけれど今もって学校が終わるとクラスの仲間ではなく3人で結仁の家の物置で遊んでいた。

結仁は今日も、下駄箱の前で二人を待っていると史人がクラスの大きな子に頭を小突かれて階段を逃げ降りてくるところだった。

そんな光景を見るたび結仁はすっ飛んで行って史人をいじめている男の子を蹴散らかしにとびかかる。「今度こんなことをしたらただじゃ済まさんよ!」・・って。

物置では3人で「魔法使いごっこ」をして一人必ず願い事が叶うまでみんなでささえあって考えた呪文を唱えてお祈りしよう・・と決めた。

はたして呪文が効き目があるのかどうか試してみた。葵の家の愛犬、キャンディーが暑さのため弱って死にそうになった時、呪文を唱えて助けたことで自信を持った。


もうみんな中学生になった。皆の話題は誰それが好きだとか何々さんとお付き合いをしたい・・とか恋愛の芽吹きの感じられる年頃になった。

しかし、相変わらず3人は仲良く結仁の物置に集まっては好きな人のことや将来の夢など話したりして遊んだ。

いつの間にかあのチビだった史人はすっかり身長も伸びて結仁たちより大きくなっていた。そしてそればかりか他のクラスの女子生徒たちからも注目を集めるような子に成長していた。

史人はそんなことに全く無頓着、結仁もそんな格好良くなった史人と友達でいられることを誇りに思っていた。

しかし、中学の終わるころには結仁の気持ちにも変化が見られこうして3人が干渉しあっていることに窮屈さを感じるようになった。そしてそれぞれ別の高校生になっていった。

結仁の家庭は事情があって崩壊した。結仁は男と同棲する。葵は好きだった先輩と付き合っていたがどうやら子ができたらしい・・。史人は結仁に相談に乗ってやって欲しいとお願いする。

もうそれどころではない!、結仁は自分のすさんだ生活を受け入れようとする。史人はそんな結仁を気持ちの上で支えてあげようと想う。・・・



この作品は長すぎる。角来結仁と言う少女のおよそ10年間の成長記録とするとあまりにも残酷すぎて気持ちが滅入ってしまう。

こんな子供じみた「魔法使いクラブ」なんて・・、ところが読み始めたらやめるところが見つからないまま読み終えてしまった。文章の構成がじつに爽やかでした。

実は幼馴染と言う仲間意識は子供たちが成長していく過程でそれぞれが競争意識とか自己主張のキシミから一旦は崩壊していくことが普通であってそんな描写を丹念に表現している。

そして結仁の家庭も一旦は崩壊したがまたいつのまにかお姉ちゃんとお兄ちゃんを交えて子供たちだけでまた寄り集まる機会を作っていく、兄弟と言うのも一つの幼馴染と言う点では面白い組み合わせだ史人や葵との幼馴染の将来の展望に明るさを見出せた。


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  [No. 267 ]    5月 26日


    中央公論新社
「箱館証文 」・浅田次郎
2014年作・74ページ

明治の新政府、大河内厚は命により建設省全身の部署にいた。元々徳島藩の武士であったが今は長州藩の若い上司の下で働いていた。

そんな彼の官舎にある人物が訪ねてきた。名を渡辺一郎といい現在は警部の役についていると言う、大河内は確かに顔に見覚えはあるが誰だったか思い出せない。

渡辺は命の恩人を忘れたか?・・・元の名を中野伝兵衛と言う。

まぎれもなくその顔に見覚えがあると思って驚愕した。渡辺は懐から一枚の証文を取り出した。

あれは戊辰戦争さいごの箱館の戦いの場であった。押し気味の戦いであったがその時大河内は敗走の武士中野伝兵衛に組み敷かれのど元に刃を突き付けられていた。

その時中野は大河内に言った。「おぬしの命金一千両で売らぬか」つまりあとで払えばこの場は命を救ってやる・・・と、

大河内はそれは助かったと証文をしたためた。まさかそれが新政権になって反逆の士、中野が生き延びていてこのような場になるとは想像もしていなかった。

大河内は一週間の余裕をもらい、剣道師範であった恩師の山野方斎に相談した。「待てよ?、そやつの名前、聞いたことが・・」

と、持ち出してきた走り書きを見て驚いた。何とそこには「白河城下黒川之戦陣にて貴殿に命売渡候」としたためた証文であった。

大河内と山野は意気揚々と渡辺のところにおもむき「これで引き換えにしてくれぬか」と掛け合った。しかし、驚いた渡辺は考えるから一週間の余裕をくれと言う。

すると二人が約束の場に行くと今度は渡辺が小池与右衛門という連れを伴っていた。その連れはおもむろに懐からある証文を取り出して山野方斎の膝元につきだした。

そこには「一命貴殿に御預け致し候・・・ついては此の御恩夢夢疎略に致し不候、後日、一金一千両、御届け申し候」と書かれていた。

それは鳥羽伏見の戦いにおいて京都お見回り組であった小池が山野を組み敷いた時受け取った証文であった。

そして小池は言った「のう、山野殿、あの鳥羽伏見の戦場で本心でおめえさんの命を買ったわけじゃあねえ。それァ、わかるよな」

「あの時ァ、おたがいずたずたの手負いで、剣術もへったくれもあるもんか。若い分だけいくらか力の残った俺が、ようようおめえを組み伏せた。その時急にばかばかしくなったのさ」



明治の維新に向けてその時代を生き抜いたそれぞれの藩士たちの哀愁をつくづくと考えさせられる巡り会わせの妙でしょうか。

浅田さんはこの小説を通して現代社会にも通ずる組織の中の兵卒としての社員の哀愁を描いているのでしょう、面白かったでは済まされない考えさせられる作品でした。


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  [No. 266 ]    5月 19日


    青空文庫
「黄金風景 」・太宰治
1939年作・30ページ

私は子供のときには余りたちのいい方ではなかった。女中をいじめた。

私はのろくさいことは嫌いでそれゆえ、のろくさい女中を殊にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である。

私はついに癇癪をおこし、お慶を蹴った。肩を蹴ったつもりが顔に当たってしまった。お慶は、親にも顔を踏まれたことはなかったと泣いた。

(中略)

千葉県は船橋町、体を壊していた私はそこに小さな家を借り、自炊の保養をしていた。

そのころのこと、戸籍調べの40に近い小柄のお巡りさんが玄関で帳簿の名前と私の顔をつくづく見比べ、「・・あなたは弘前のお坊ちゃんじゃございませんか?」

「・・お慶がいつもあなたの噂をしています・・」「・・お慶ですよ、お忘れでしょうか、お宅の女中をしていた・・」

「あなたにはいつも良くしていただいたと懐かしがって・・」

その後お巡りさんとお慶は大勢の子供たちを連れて太宰のところに訪ねてきた。彼は大急ぎで「・・今、急な用事があって・・」と、逢わずに家を飛び出した。



人生の中で人にいじめられたり苦しい目に合わされたことはよく覚えている・・と、人はよく言います。

そしてそういう人に限って自分の記憶の中には人をいじめたという自覚のない人が多いのでしょうか。

ここでは後にお慶はお巡りさんと結婚し、苦労も多かったにもかかわらず沢山の子宝に恵まれて幸せな生活をしている。

お坊ちゃんだった太宰のことを「あの方は目下のものにもそれは親切に、目をかけてくだすった」と。

太宰としてもこれではお逢いする気にはなれないでしょう。ましてや髭ぼうぼうのうす汚い生活を見られるのは辛いでしょう。

私も6歳の時、いじめた子のことは今でもよく覚えている。可愛くて好きだったのにいじめた、73歳になってもその時のことを想いだすと辛くなる。


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  [No. 265 ]    5月  9日


    幻冬舎e文庫
「セカンドステージ 」・五十嵐貴久・
2014年作・590ページ

桜井杏子は今年39歳になる。真人と結婚したのは11年前で、それまでは食品関係の会社で働いていた。

今では小学校5年の尚也と2年生の良美、二児の母である。いまでこそ二人の手もぼつぼつ離れるころになって一抹の淋しさを感じ始めた。

勤めていたころには新商品開発プロジェクトに参加して入社二年目の彼女にしては破格の抜擢人事であり若い女性の声を直接仕事にぶつけられ輝いていた。

28歳の時真人と結婚したがそのまま仕事は続けた。しかし翌年には妊娠した、しかしプロジェクトでは落ち着いたらまた戻ってきてくれと期待されていた。

杏子もそのつもりで居たが落ち着いたころ良美を身ごもった。気が付くともう仕事に復帰する気はとうに失せていた。

なにしろ小さな子を育てながら赤子の面倒を見る、真人は会社の仕事で目いっぱいのなか家事一切は当然杏子にまかせっきりになった。

杏子は子育てがこれほど疲れるものだと身を持って経験した。睡眠時間もままならない、肩こりもひどい、一日の内1〜2時間でいい、だれか代わってくれないか・・。

そして子育ての一段落を迎えたときその子育て真っ最中の若いお母さんたちの支援とマッサージを格安で提供してあげようと、起業しようと決心した。

そしてその任務につける人は既に定年退職したお年寄りにしよう。彼らや彼女たちは孫の面倒など経験豊富なれどすでにその任を終えいつも暇をもてあそんでいる・・と考えた。

それにはどうやってその人たちを見つけるか悩んだ。意外なことに心配したほどのことはなかった。彼らは携帯メールやパソコンを自在に操って独自のネットワークを作っている。

つまり同類は芋づる式に見つかって事業に必要な人材はそろった。若いお母さんの支援代行業も軌道に乗ってきた。杏子は改めて従業員であるお年寄りたちのパワーを知った。

ある支援先では彼等老人の直観からこの家庭では児童虐待がありそうだ・・、と見抜いて家庭の危機を救うことができた。まことに老人のお節介の賜物であった・・・。



この作品は読み始めたとき女性作家のものかと思うほど女性の気持ちになった見方をしていて大変驚いた。

そして作品に登場して来る老人たちも実に個性的だ。何よりも老人のお節介とネットワークにより大きな問題を解決していくさまは少し大げさではあるが共感できるものが強い。

街に出れば老人たちが溢れかえっている世の中になった。パチンコ屋のドアーが開いて騒音のなかを覗き込むと老人たちが暇をもてあそんで溢れかえっている。


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  [No. 264 ]    4月 20日


    マガジンハウス
「土曜日の夜 」・光山明美・
2012年作・306ページ

ハルミは何時ものごとく父母の夫婦喧嘩にうんざりしてこの家を飛び出す口実として看護師の資格を取って家を出た。

家を出て自由になれたはずであったのだが勤務体制の厳しい看護師の仕事環境、そして独り住まいの淋しい現実に打ちのめされていた。

ワンルームマンションに暮らしてはいたもののその周囲の自分と同じ若者たちはアジア近隣の諸国からの不法就労者たちで一杯だった。

そんなある時ハルミが外出先から帰って来るとそのマンションに空き巣が入ってしかも外から見られぬ位置にあったハルミの部屋周辺が被害にあっていた。

ハルミを取り巻く家族、友人たちとの青春の葛藤をエネルギッシュに描こうとしているようだ。



この作品は第3回坊っちゃん文学大賞に輝いた作品だと言う。この大賞で記憶に残るのは第2回大賞の敷村良子氏の「がんばっていきまっしょい」でした。

坊ちゃん文学大賞には地方から輝ける作家の発掘・・と、大いに期待してこの作品に飛びついた。

「がんばって・・」の作品もかなり強烈な方言が飛び交いましたがその方言が作品の純粋さをより一層高めた感があり、そして感動に繋がったきらいがありました。

一方、この作品は大阪弁。これは私の好みの問題なのか定かではありませんがどうして松山弁は素直に受け入れることができるのに大阪弁に拒否反応を示すのか。

最期の作者紹介を見て何となくわかった気がした。彼女は在日韓国人3世だと言う。

登場人物は全て・・ハルミ、しかり。エニー、ヨーコ、ミーリン、エイミー、ケン、マコト、ユージ、そしてオネーサン、オンナのコ、オトーサン。

文章の構成の中にどうしても匂う違和感はそこにあったんだ。日本語のたどたどしいホステスが「シャチョサン・・」と言う、あの違和感が文章の中にも浸みてきている。

第2回受賞作があまりにも素晴らしかったのでこの第3回がことさら虚しい力作と映ってしまった。


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  [No. 263 ]    4月 13日


    中央公論新社
「御鷹狩 」・浅田次郎・
2014年作・ 97ページ

・・・目はすっかり闇に馴れた。市ヶ谷御門の北詰めに立てば、神楽坂がつき当たる牛込御門の楓の森も望むことができた。

江戸は落ちぶれてしまったけれど、荒れ果てたなりに美しいと新吾は思った。


明治維新後の江戸・・、間宮平九郎、桧山新吾、坂部卯之助、三人の少年たちは何れも維新前には幕臣の家に生まれ文武に励んでいた。

しかし維新後はかろうじて江戸住まいは許されたものの将来の見通しをすっかり失って不遇をかこっていた。

その頃の市ヶ谷御門周辺には夜鷹のたまり場になっていて落ちぶれた江戸女たちが薩長の官兵に抱かれるのを許し難く思っていた。

そんな落ちぶれた江戸女は成敗してしまおうじゃないか・・・。



私がこの少年たちと同じ年頃のころ、我が国の巷には赤線地帯などという怪しい地区があって売春行為が行われていたらしい。

・・らしい・・と言うのは、実はその頃の私はいわゆる晩生だったんでしょう。一向にその男女のかかわりに無頓着な少年時代を過ごしていた。

地元の中学を卒業して高校は列車(電車ではない)で通うことになり、駅に向かう繁華街の一角を通学仲間からここは赤線地帯だった・・と聞かされたのが研究?の始まりだった。

しかし、私が高校に通い始めた前年の4月、つまり1958年には「売春防止法」が施行されてしまって私の探求心は砕かれてしまった。

まあ、お蔭と言っては何ですが清く美しい青春時代を迎えることができ、私はその時代を汗まみれ泥だらけになってスポーツに没頭することができました。

なお、少しの研究結果も述べさせてもらうと、当時まだ日本の法制下になかった小笠原諸島(1968年より)、そして米軍占領下にあった沖縄(1970年・・1972)に 於ける法の完全施行は遅れましたが全てなくなりました。


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  [No. 262 ]    3月 15日


    角川e文庫
「ワン・モア 」・桜木紫乃
2011年作・405ページ

おいおい、またしても連作か・・?。この間読んだ本でも言ったが安っぽい連作は出版社の思惑で書かされているだけあって実につまらない・・

まあ、買ってしまった以上どんな内容か少しばかり付き合ってやるか・・


十六夜・・、ワンダフル・ライフ・・、おでん・・、ラッキーカラ・・、感傷主義・・、ワン・モア。以上6編の連作長編ですが面白い!、作品全体の構成もたぶん計算ずくでしょう。

あっという間に読み終わってしかもその余韻も中々、想いは自分の周囲に及び妻のこと、友人のこと、叔父おば・・。



北海道の日本海側に浮かぶ加良古路島は、昼間は空と海、夜は月と星しかなくなる直径8キロの丸い島だった。

柿崎美和が加良古島にやってきて、一年半がたった。永く不在だった診療所の医師が、スキャンダルを抱えてやって来た人間であることは島民の誰もが知っていた。


この医師、柿崎美和は37歳、北海道内の高校時代から医師を目指す気で勉学に励み同級生の滝沢鈴音と八木君の3人で頑張ったが八木君は学力に劣り医療技師に進む。

美和は私立病院で高齢の患者を担当していたが遺族から度々の危篤のたび「頼むから祖母を楽にしてやってほしい」・・。美和は点滴のチューブから筋弛緩剤を注入した。

その後依頼を受けた孫とはそれきり会うことが無かったが別の遺族から「・・これってもしかしたら殺人なんじゃありませんか」

そんなスキャンダルもあって赴任したこの小島で間もなく2年経とうとしたとき開業医を継いでいた滝沢鈴音から電話があった。鈴音自身に癌が発症し美和にここを継いでくれないかと・・・・。



医者である以上常に向き合う生と死、そしてそれらにかかわる人間模様の中に実に多様な人生観が存在し理由つけられて生活が成り立っている面白さが見事に描かれている。

鈴音の飼っていた犬は彼女の終末期に5匹もの新しい命を授かる。そしてこの作品に携わる主人公たちに引き取られていく。

新しい生を受けた子犬たちがそれぞれの生をつなぐ人間たちの中に展開させることでこの作品の余韻に大きな力を与えている。この作家は好きだなー・・


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  [No. 261 ]    3月  6日


    青空文庫
「おしゃれ童子 」・太宰治
1939年作・28ページ

こどものころから、お洒落のようでありました。小学校、毎年三月の修業式のときには必ず右総代として校長から賞品をいただくのであるが、その賞品を壇上の校長から 手渡してもらおうと、壇の下から両手を差し出す。

その際、この子は何よりも、自分の差し出す両腕の格好に、おのれの注意力の全部を集めているのです。絣の着物の下に純白のフランネルのシャツを着ているのですが・・・



この作品は太宰治が井伏鱒二の骨折りにより二回目の結婚をした翌年、30歳の時の作品です。

生活も安定し、この時期にはたくさんの作品を書きましたがそのうちの一つと言います。

小説家の作業はよくわかりませんがこの年になって自分の少年期のいわば想いでをこういった短編で羅列してしまうと作家としての題材を吐き出してしまうんではないでしょうか。

みなそれぞれに少年期もあり、そして青年期があってその中で人生の葛藤を経てきているわけです。

そう言った心の中の重石を少しづつ動かしながら大きな小説の底辺をどっしりと支えていくのではないでしょうか。

彼は作家としてまだ成熟しないうちに自殺することで作家から逃避しようとしたのではないだろうか。

あまりにも純粋な気持ちで少年期を回顧し懐かしむことは彼の飛躍する心の足かせになったのではないでしょうか。


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  [No. 260 ]    2月 19日


    祥伝社文庫
「木暮荘物語 」・三浦しをん
2014年作・510ページ

・・・小田急線の世田谷代田駅に降り立ったのは8時過ぎだった。ゆるやかな起伏のある細い道を井の頭線の新代田駅方向へ5分ほど歩く。生け垣に囲まれた一戸建てと、古い木造 アパートが混在した静かな住宅地だ。


・・・角を曲がると、木造2階建ての木暮荘が正面に見える。建物の外壁は茶色いペンキ、木製の窓枠は白いペンキで塗ってある。・・・近寄ってよくよく見てみれば、分厚く 塗られたペンキが凹凸を作り、ぬかるみが固まったみたいだ。ペンキの剥げた箇所を発見次第大家が素人ながら刷毛をふるっているためだろう。

夏草の茂る前庭から、ほのかに花の香りがする。ジョンはひんやりした今夜の寝床を求め、さかんに土を掘り返しているらしい。灰色のシルエットが薄闇に浮かぶ。


木暮荘と言う安アパートの大まかな情景は続く。そしてそのアパートに住んだり、住人と付き合いのある人々について7編の短編をまとめた小説と言うことができる。

三浦しをんさんの作品を読んだのは彼女が文壇にデビューして何かの賞を戴いた「まほろ駅前多田便利軒」だった。三浦さんと同世代の若者二人が社会の底辺で力強く生きている 作品だった。

その次には原作を読み損ねましたが映画化された「舟を編む」でした。そして三浦さんのいわゆる作家としての路線が少しわかった気がしてこの本を読み始めた。

暫く読んでいくうちに「あれ?、三浦さんって男性作家だったんだろうか・・」と思うくらいに性的描写は明け透けであり表現の域もすっかりオバサン化していてがっかりした。


恐らく作家が小説を書いてメシを食べていかなくてはいけない、本屋も人気作家をおだてて本を作って売っていかなくてはいけない。そんな苦しい状況の中でくだらない作品を 次々と書かされているんでしょう。



・・・卓袱台の置かれた6畳間、建付けの悪い仕切り戸の重さ、窓から見える庭の花壇、夏は蒸して暑くてたまらない台所。目を閉じれば、木暮荘の繭の部屋を想いだせる。

繭もたぶんそうだろう。これからどこへ行き、だれと過ごしても、木暮荘での時間をたまに思い出すことがあるだろう。その記憶のなかには、並木もいるはずだ。


若い時代に共同生活のようにして過ごしたアパートや下宿、夢をいっぱい持った若者たちのそれぞれの生き方のなかに私もあった。そしてそこに住んでいた家を想い だすとき必ずそこにいた住人達も併せて思い出す。そんな作品に仕上げてもらいたかった。


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  [No. 259 ]    2月  2日


    中央公論新社
「江戸残念考 」・浅田次郎
2008年作・ 82ページ

私の子供のころの遊びと言えば男であればチャンバラごっこであった。


使用する刀はブリキ製か棒切れであって、今考えると相当に危ない。しかし、それによって怪我をしたと言う記憶もないし人を傷つけた覚えもない。

私はその中でいつも斬られ役に徹した。皆の評判がよかったし誰よりも迫真の演技が備わっていたことも事実であった。

子供の時イタズラで祖父の背中を斬りつけたとき「ざ、残念!」と叫んで死んでくれた演技が真に迫っていて感動し教わったものだ。

その祖父が幼いころにそのまた祖父から「残念無念」の死にざまを伝授されていたとすると一家相伝のその迫真の演技もうなずけるものである。


私の祖父のまた祖父、慶応四年戊辰の正月、浅田次郎左衛門の家では騒いでいた。260余年太平の江戸の町の噂では「どうやら大阪に御出張中の上様は薩摩長州と一戦なされる御覚悟かと」

次郎左は指折り数えた。つまりつごう十五代当主が平穏無事に暮らしたあげく合戦という武士の本義がおのれの上に降り落ちてきたのである。

そして次に入った報告では徳川は負けたと言うことであった。次郎左はすっくと立ち上がり天を仰いで思わず叫んだのであった。「ざ、残念!」


次郎左には十八になる娘、さよが居た。昨年の秋に同輩の倅と結納を交わしていたが大阪に出張中であったがこの戦ではすでに亡くなっているのかも知れない・・・



以前に「五郎治殿御始末」と言う本を読みましたがそれと同様に浅田さんのご先祖、幕末における戊辰戦争前後からの家伝として面白おかしく小説に仕上げました。

そしてその根底にはいつも武士の家では家長たるもの家族の些細なことには口も出さずそしていつも煙たがられている風情に描かれている。


しかし、いまわの時には家族を守るため潔くその使命を全うする。そんないわば一見古い男の美学的要素を多分に含んだ小説です。現代では「ナニ?ソレ」


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  [No. 258 ]    1月 21日


    文春web文庫
「私の男 」・桜葉一樹
2008年作・382ページ

24歳になった、腐野 花、はその結婚式に身内ではただ一人、養父であった腐野淳悟しか出席しなかった。


養父の腐野は花の遠縁にあたる身内ではあったが身よりのない9歳の花を養女として引き受けた。腐野はまだ24歳の若さで紋別の海上保安官勤務をしていた。

腐野自身も少年期に父親を海の仕事で亡くし、母も病気で亡くして以来の孤児であった。

遠縁とは言えこの腐野と花の養子縁組については近所でも反対するものもいた。独身の若い男が育ちざかりのまだ9歳の娘を果たして育てることができるだろうか。

1993年7月、北海道南西沖に位置する奥尻島を巨大地震が襲った。花はここで家族全員を失って養父となる腐野の勤務する紋別市に移る。

傍目にはごく普通の若い父娘として見られていたが腐野自身の幼心・・、十分な母親の愛情を受けることができずに過ごしてきた幼年期の渇望が花に向けられてしまった。

また花自身もそんな腐野の心理に戸惑いながらも自身の母性本能らしきものが働いて腐野を受け入れてしまう心が育まれていく。

そして花自身もこの関係から逃げ出さなくては・・と思い始めてくる。腐野自身もそう言った花の気持ちを分かろうと努力する。

花の勤めていた会社の中では変な噂が広がっていた、花を送っていったところ父親らしき男からとんでもない仕打ちを受けた・・と言うものであった。

しかし、花を見染めた尾崎美郎は決心した。「僕はあの得体の知れない男のことが怖くってどちらかと言うと苦手だなと思った。でも僕は苦手な相手とでもうまくやっていける。自分の 父とだって、表面上は波風を立てず穏やかに同居している」



この作品は奥尻島大地震の時小学4年生だった花が成人し24歳で結婚に踏み切ったところまで実に15年間を第1章から第6章迄を長編作品に仕上げている。

しかしこの作品の編集者は全てを逆に編集している。まあ作品としてはそう言う編集の方が奇をてらって受けるだろうと思ったからでしょうか。すこし不満だ。


奥尻の2年後1995年には阪神淡路大地震、今年で20年と言う。作品とは別に時代の流れと共に記憶の薄れていくのを感じます。


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  [No. 257 ]    1月  6日


    KKオリオンブック
「グスコーブドリの伝記 」・宮沢賢治
1932年作・115ページ

イーハートーブの村にブドリは暮らしていた。木こりの父親と優しい母とそして妹の4人家族だった。

ある歳のことその村は冷たい夏だった。作物もできず大変な飢饉になった、そしてその冬は何とか暮らしたものの翌年も同じように冷たい夏が過ぎた。

いよいよもって食べるものもなくなったある日、父親は気が狂ったようになって家を出てしまった。

母親もお父さんを探しに行く・・といってブドリたちにわずかに残った小麦粉の場所を伝えて家から出て行ってしまった。

取り残された幼い兄妹に追い打ちをかけるように人さらいがやってきて妹をさらって行ってしまった。

ブドリはその後怪しい大人たちに次々と使われながらなんとか暮らしていた。

そんな時、ある農家に雇われていたときのこと百姓なのに山師のようにとんでもない発想で野菜を作っていたがその赤ひげの山師は遂に失敗してしまった。

「ブドリ、お前はまだ若いんだから街へ行って勉強していい暮らしをしなさい・・」と勧めてくれた。

街へ出たブドリはクーボー大博士の授業を聞く機会に恵まれたがブドリの才能を博士は認めて火山局のペンネン技師に紹介してくれた。

この火山局ではあらゆる火山の研究をしていてブドリははつらつと仕事をこなした。

沢山の火山を研究しその特徴を人々の生活に役立てようとしていた。例えばその火山性ガスと雨とを上手にコントロールして農業の肥料にしたり火山にとどまらず 稲妻をおこして稲穂の発育を促したり・・それは皆人々の暮らしに役立つことばかりで称賛を浴びた。

街の近くの活火山の噴火予知では街の反対側の地層を調べ海側に噴火させて街の危機を救ったときには大いに自分の働きに自信を深めた。

そしてブドリが27歳の時、またしてもこのイーハートーブに冷たい夏が来る予報が出された。

ブドリはペンネン技師に申告した。炭酸ガスを多く噴出しそうなカルボナード島を爆発させましょう、そして地球を温暖化させて飢饉にならないようにしましょう。

「それは素晴らしい発想だ、しかし、ブドリ君、それを実行するためには工事をして最後の一人は残って犠牲にならなくてはならない・・」



宮沢賢治はたくさんの作品の中にいつも思想的に人の役に立つ自分・・を極めて具体的に表現しています。私たちの知る「雨ニモマケズ・・」はそれらを象徴した詩ではないでしょうか。

この作品の最後は心配された冷夏にはならずイーハートーブは救われました。もし飢饉になれば自分が子供のころのようにあちこちの家庭が崩壊し孤児たちが出てしまう。

何としてもそうさせたくない・・・と言う自己犠牲なのですが、果たしてこれはもう童話の世界とは言えません。


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