Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2021年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.524風野真知雄・角川文庫□□「 菩 薩 の 船 * 大 江 戸 定 年 組 」 12月 24日
N0.523山口恵以子・PHP研□□「 婚 活 食 堂 」 12月 17日
N0.522瀬戸内寂聴・講談社□□「 花  芯 」 12月  1日
N0.521群 ようこ・集英社□□「 母 の は な し 」 11月 22日
N0.520原田マハ・幻冬舎□□「 リ ボ ル バ ー 」 11月 15日
N0.519山本文緒・新潮社□□「 自 転 し な が ら 公 転 す る 」 10月 22日
N0.518群 ようこ・集英社□□「 し な い 。 」 10月 13日
N0.517はらだみずき・小学館□□「 海 が 見 え る 家 」 10月  7日
N0.516石田ゆり子・幻冬舎□□「 天 然 日 和 」 10月  2日
N0.515佐藤 究・角川文庫□□「 テ ス カ ト リ ポ カ 」  9月 14日
N0.514澤田瞳子・文芸春秋□□「 星 落 ち て 、 な お 」  8月 18日
N0.513石沢麻衣・講談社□□「 貝 に 続 く 場 所 に て 」  8月 14日
N0.512五十嵐雄策・角川文庫□□「 ひ と り 旅 の 神 様 」  8月 10日
N0.511李 琴峰・文芸春秋□□「 彼 岸 花 の 咲 く 島 」  8月  9日
N0.510藤原緋沙子・講談社□□「 ふ じ こ さ ん 」  8月  8日
N0.509藤原緋沙子・講談社□□「 青 嵐 」  7月 18日
N0.508伊吹有喜・文藝春秋□□「 雲 を 紡 ぐ 」  6月 18日
N0.507小路幸也・中央公論新社□□「 ス ト レ ン ジ ャ ー ・ イ ン ・ パ ラ ダ イ ス 」  6月  9日
N0.506伊吹有喜・双葉社□□「 犬 が い た 季 節 」  5月 27日
N0.505青山美智子・ポプラ社□□「 お 探 し 物 は 図 書 室 ま で 」  5月 13日
N0.504町田そのこ・中央公論新社□□「 5 2 ヘ ル ツ の ク ジ ラ た ち 」  5月  2日
N0.503川上未映子・文藝春秋□□「 夏 物 語 」  4月 27日
N0.502恩田 陸・集英社□□「 ス キ マ ワ ラ シ 」  4月 13日
N0.501杉山梨奈・ーーーー□□「 岬 の 海 」  4月  1日
N0.500宇佐美りん・河出書房□□「 推 し 、 燃 ゆ 」  3月 26日
N0.499西條奈加・集英社□□「 心 寂 し 川 」  3月 21日
N0.498森 絵都・文藝春秋□□「風 に 舞 い あ が る ビ ニ ー ル シ ー ト」  3月 17日
N0.497林 民夫・幻冬舎□□「   糸   」  3月  5日
N0.496道尾秀介・文春文庫□□「 月  と  蟹 」  3月  2日
N0.495遠藤周作・角川文庫□□「 お バ カ さ ん 」  2月 24日
N0.494有川 浩・角川文庫□□「 県 庁 お も て な し 課 」  2月 16日
N0.493浅田次郎・双葉文庫□□「 活 動 寫 眞 の 女 」  2月  5日
N0.492柏井 壽・小学館□□「 海 近 旅 館 」  1月 24日
N0.491馳 星周・集英社□□「 神  奈  備 」  1月 20日
N0.490乾 ルカ・角川書店□□「 て ふ て ふ 荘 へ よ う こ そ 」  1月 15日

  [No. 524]   12月 24日


   角川文庫 「菩薩の船*大江戸定年組」風野真知雄
      2007年作・225ページ

ーーー見れば見るほど、おかしな家だぜ。藤村慎三郎は、一階の庭に面した四畳半に寝転びながら、柱から天井あたりを眺めてつぶやいた。ここは深川熊井町の、<初秋亭>と名づけた小さな家である。これを借り、友人二人とともに隠れ家として使っている。

藤村は今年の春まで、北町奉行所で定町回り同心をしていた。せがれの康四郎が相応の歳になったため、引退し、家督をゆずった。隠居したわけである。歳は五十五だった。まだやれる気もあったが、潮時だというのが周囲の目でもあった。

ちょうど時を同じくして、昔からの友人である旗本の夏木権之助と、町人の七福仁左衛門も、家督をゆずって隠居の身になった。その隠居三人が集まり、これからの人生で何が一番必要かと語り合った。そうして、決めたのが、「いい景色を見て暮らそう」ということだった。

三人で、そんな家を共同で借り、隠れ家として使おうというわけである。ところが、いざ景色のいい隠れ家を探すと、なかなかぴったりの家はない。すったもんだの挙句、ようやく見つけたのが、熊井町のこの家だった。・・・



三人はこの下町で育ち身分を超えて仲良しだった。夏になれば大川で思う存分泳いだり時にはちょっとした遠泳をしたりした気心知れた仲だ。そしてそろって隠居となるとこの大川を眺めながら好きな時に集まって楽しくやろうぜ・・となったのである。

お互い町内のことは立場の違いを超えてよく知っていたのでそれぞれの経験を生かしてよろず相談・・など始めてみようかということになった。多少の面倒事も時間をかけると何となく解決する面白さを感じていた。

そんな時、大酒のみの夏木が急死した。仲が良かっただけに落胆も大きかった。


私も62歳の時会社を定年退職した。以前から地域の卓球クラブを立ち上げてチームを作っていた仲間4人は年齢が近かったのでほぼ同時に隠居組・・としてCチームのメンバーとなった。若いクラブ員に家督をゆずった形で彼らはAチーム、Bチームで活躍してもらうことにした。

こうして見ると実にクラブ内のことが良く見えるしいざこざがあっても丸く収める術もおのずと見えてきて楽しく運営できている。幸いにも私を筆頭にみなまだ元気だ、そのうち・・欠ける人も出るかもしれない。そんな覚悟も備わることができる余裕が嬉しい。

今年も35冊の小説を読み、つたない読後感想にお付き合い頂きありがとうございました。今年度は私にとって記念となる500冊目!も達成しました。また来年もどうぞよろしくお願いいたします。


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  [No. 523]   12月 17日


   PHP研 「婚活食堂」山口恵以子
      2001年作・244ページ

・・・由利の両親はおしどり夫婦だったが、母が交通事故で急死すると、父は三回忌も済ませないうちに母の親友だった女性と再婚した。それで由利は男性に根深い不信感を抱くようになった。

ラマンにプロポーズされて気持ちは動いたものの、二年前に愛妻を癌で失ったばかりだと知り、不信感が頭をもたげた。この人の亡き奥さんへの愛は、たった二年で消えてしまった。

それなら自分への愛も・・・・?。「そのとき、店の常連だった女性が言ってくれたんです。父が再婚したのは愛がなくなったからじゃない、二人で生きる幸せが忘れられなくて、一人で生きるのが辛くなったからだって。ラマンに幸せな結婚生活の記憶があるなら、亡くなった奥さんを大切にしたように、きっと私のことも大切にしてくれるって」

「・・・・深いお言葉ですね」・・・



恵食堂に集う常連客の中には客同士が結ばれる割合が非常に高い、そして陰ながらにそこの女将の恵の助言がいかにそのカップルたちの後押しになったかはかり知れないのである。

それは昔、恵の若いころ人気の占い師に修業して人気を博した一時期があった。そんな人を見る目のなせる業でもあったのだ。今ではすっかり鳴りを潜めただこのおでん屋を切り盛りする女将に励んでいるのであった。


この食堂の女将さん特製のつきだし料理は読んでいても実際に食べたくなるほどなのだ。そして嬉しいことに巻末には小説に出した料理のレシピが乗っていた。「焼きネギのお浸し」「焼きキノコのおろし和え」「ホタテのピカタ」など自分で作って食べてみた。旨い!、旨すぎる。


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  [No. 522]   12月  1日


   講談社 「花 芯」瀬戸内寂聴
      2001年作・253ページ

・・・「何時」「もう夕方だよ」越智が壁のスイッチに手を伸ばそうとした。「つけないで」「・・・・」「あたしたちねえ・・・」

私は越智の顔を見ないで、云いはじめた「いっしょにくらせないわねえ」「・・・・」「あなたもわかっているのよ。ね、今、そこでじっと考えているのは、私の今感じてることと、おんなじなんでしょ」「そうかもしれないね」

「そら、あなたは嘘を言えない人だからかわいそう…。人間って、人間の容で生きていくには、のぞいちゃいけない深淵ってものがあるんじゃないかしら。難しい言葉で云えないけど、人間って生まれる前に、ちゃんと、それを云い渡されてきているような気がするの。だれでも、それを無意識に心得ているのよ。それを承知で、タブーにさからってみれば、もう人間からはみ出しちゃう。あたし、あなたと、その恐ろしいものをのぞいてしまった気がする」

「園子」越智が初めて、私の名を呼んだ。私は全身が痺れる感動で、目をつぶった。「もう一度呼んで…」「そのこ」私は静かに泣き出した。越智への恋は終わった。終わった時、越智は恋の始まる優しさをこめ、私の名前を呼んでいる。・・・・



11月、瀬戸内寂聴さんが99歳でお亡くなりになりました。

花芯の主人公古川園子という一人の女の生きざまを表現することにより自身に降りかかる多くの苦難を見事にクリアーして人生を全うしたと思いました。

彼女の提言に心を持ち直した若者がいかに多かったことでしょう。彼女自身の体験やその考え方は実に人間的でそして素直であったことでしょう。ご冥福を祈ります。


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  [No. 521]   11月 22日


   集英社 「母のはなし」群 ようこ
      2011年作・234ページ

・・・アカネ(本人)はピアノに精を出し、ヒロシ(弟)はおとなしく近所の幼稚園に通うようになった。タケシ(父)は気に入らない出来事があると、そのたびにハルエ(母)を無視した。それは最低でも三か月は続き、ひとつ屋根の下に住んでいる家族に対して、よくあんなにへそを曲げ続けられると、関心すらしてしまうほどだった。

アカネは相変わらず学校を小馬鹿にしていて、同級生と話していてもつまらないからと、休み時間になると職員室に出かけていって、教師たちと雑談しているという。

本やレコードなどは無制限に買い与えていたので、それで満足していたのかもしれないが、アカネに物をねだられた覚えはなく、それ以外に欲しいものがあると、月々のお小遣いを貯めて自分で買っていた。

呼吸器が弱いのは相変わらずで、年中、近所の小児科にお世話になっていた。その医師には、「この子は育て方を間違えると、大変なことになるよ」などといわれ、ハルエは変わり者の夫と子供らしくない病弱な娘に、どう対応しようかと頭を悩ませていた。・・・・



母のはなし・・って普通はご本人が二人称で文章化するのが普通なのにこの表現は第三者から俯瞰的に書かれた文章になっているところが斬新だと思いました。

内容は母のはなし・・ですから当然家庭内の些細なもめごと迄書き込むわけで、えっ、そんなところまで書いてしまうの・・って、少し驚きました。

お母さんご存命ならこのご本を書いたころ80歳台、そして今は90歳代でしょうか。読み終えると壮大な人生ドラマでした。


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  [No. 520]   11月 15日


   幻冬舎 「リボルバー」原田マハ
      2020年作・361ページ

・・・サラが、ぱっと前を向いた。その目は決意の光できらめいていた。間髪を入れずに、彼女は言った。「あのリボルバーは、フィンセント・ファン・ゴッホを撃ち抜いたものです」

ーーーえっ。その瞬間、冴の体を貫いて電流が走った。ギローも、ジャン=フィリップも、一瞬にして凍り付いてしまった。いまーーーなんて?

ゴッホを撃ち抜いた‥‥って、ことは、まさかーーー。「それは、つまり…その…ファン・ゴッホが自殺を図ったときに、彼が、自分で自分を撃った…ピストル、だと?」冴はどうにか言葉を押し出した。が、驚きのあまりすっかり混乱してしまっている。

「ええ、その通りです」サラの方は、言ってしまってむしろ落ち着きを取り戻したようだった。はっきりと彼女は言った。「千八百九十年七月二十七日、オーヴェール=シュル=オワーズ村で、ファン・ゴッホの腹部を撃ち抜いたピストルです」・・・・



高遠冴が子供だったころ自室には黄色いひまわりの絵の写真が飾られていた。毎日見ているうちにその絵のひまわりと会話できるほど見慣れてきた。中学二年生の初夏、修学旅行から帰ってくるとひまわりに代わって別の絵が‥、それは褐色の肌をしたふたりの少女が砂浜に座っている。

やがて、冴はパリ大学美術史の修士号を通してファン・ゴッホとポール・ゴーギャンの研究にのめりこむきっかけであったことは確かなようだ。そしてパリ八区にあるオークション会社CDCというごく小規模ではあるもののれっきとしたオークションハウスに就職して更に後期印象派の研究を極めて博士論文に挑戦していた。

そんな時に、このCDCにサラと言う女性が赤錆びたリボルバーを持ち込んできた。彼女のルーツはタヒチ、そして曾祖母はあのポール・ゴーギャンの現地での妻だったという。そしてそのピストルの言われは代々の娘に語り継がれて所持してきたという。


やあ、やあ、またしてもあの原田マハさんの思うつぼに私は陥れられてしまいました。まあ、そう剥きになって怒らなくてもいいじゃないですか・・。と、笑われそうですがなかなか面白い仮説を紐解いていくうちにそれもありかな‥?と思わるところがありました。

冴ではなくマハさん自身が後期印象派の一ファンとして憧憬の深かったふたりの画家の折り合いを模索してフィクションとしての小説にしてくれたことは楽しかった。


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  [No. 519]   10月 13日


   新潮社 「自転しながら公転する」山本文緒
      2020年作・533ページ

更年期障害は病気か否か。桃枝は自分の体調不良を更年期障害だと診断されたとき、夫と娘が「病気じゃなくてよかった。ほっとした」と言ったことを、口にはしないが根に持っていた。

慰めるつもりで言ったのだろう。だが、その台詞は毎日の死にたいような不調を気のせいだと否定された気がした。今ではもう、夫も娘も桃枝のことを「病気ではない」と思っていないのは分かる。

だが、家族が自分の病気のことをどこか軽んじていることも桃枝には分かっていた。更年期障害は長引いていた。桃枝も女性として多少の知識を持っているつもりだった。

重い人も軽い人もいて、ほとんど症状のない人もいる。しかしここまで生活に支障をきたすものだとは思っていなかった。・・・・



東京のアパレル関係ですでに店長にまでなって仕事をこなしてきていた与野都であったが父親からお母さんの体調もすぐれないしお父さんもその介護に疲れてきたのでここらへんで実家に戻ってきてくれないか‥と言われた。

都は仕事はともかくとして今の恋愛もままならなかったので一層のこと父母の購入した一戸建ての家に住んで出直そうと決め茨城県の牛久に戻った。ショッピングモールにあるアパレルの仕事を見つけて臨時雇いになった。

しかしもうすでに都の年齢は32歳、付き合おうと思う男たちはみな年下ばかりだった。人生は二重苦、三重苦という人も数多くいる。そんな女性に焦点を合わせてその時代を生き抜く女性を描いている。


直木賞作家の山本さんでしたが鬱病を発症して6年にわたる治療を経て執筆を再開し7年ぶりに発表されたのがこの「自転しながら・・」でした。私の電子書籍には既にDownloadしてあって読書順番待ちでありました。

その山本さんの訃報を知ったのは13日、58歳の若さでした。ご冥福をお祈りします。


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  [No. 518]   10月 13日


   集英社 「しない。」群 ようこ
      2018年作・211ページ

・・「ふん、世の中の戦略に乗せられて」と横眼で眺めていたが、その携帯はどんどん普及していき、現在はスマホ全盛である。ガラケーを使っている人たちは、スマホ派に、「まだそんなものを使っているのか」といわれたりもするらしい。

そして最近は、学校の用事、連絡なども全部メールで送信されるので、親が持っていないと子供の学校生活にも支障が出るようになったというのだ。ガラケーすら持った経験がない私など、「最新機器が使えない鈍くさいおばちゃん」なのだろう。

別にどう思われようがどうでもいいのだが、どうしてみんな、そんなに他人とつながりたいのかわからない。携帯を持っているのは、いつも自分の居場所を知られているということと同じだ。

肌身離さず持っていないと意味がないから、トイレに入っていて携帯が鳴れば電話に出ざるをえない。・・・・



この本は、群ようこさんの「しない」というか、積極的にはやらないことなど16項目について述べています。大変共感するところと彼女の言う「鈍くさいおばちゃん」という部分とまあその人の生き方そのものではないかと思う。

その項目というのは、通販、携帯電話、結婚、ポイントカード、クレジットカード、後回し、SNS 、・・・。しかし、人間ひとり洞窟で生きているわけではないので何らかの人との関わりも生じてきての社会生活なのである。

物には限度、というものがある。そんな私もスマホを持ったのは2年前、つい最近のことである。しかしこれはガラケーがもう修理できないというから仕方なく切り替えただけで相変わらず重い分不携帯のスマホには違いない。

彼女もあとがきでこの本を書いたあとで現在スマホを買った!‥とあるが、まだ結婚はしないらしい。結婚の問題とポイントカードは別物だからね。



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  [No. 517]   10月  7日


   小学館 「海が見える家」はらだみずき
      2021年作・209ページ

・・・「そもそも、なんで会社を辞めたんだ?」「辞めた理由?」文哉は少し考えてから答えた。「会社がブラックだったってことはあるよ。でもいちばんは、これはおれのやりたいことじゃない、とはっきりしたことかな。むしろ、やりたくないことが多かった」

「けど、やりたいことをやって食ってる人間なんて、実際はいくらもいないだろう」都倉の言葉に、文哉はふっと笑ってしまった。メールにもあった言葉を使ったからだ。「なにがおかしい?」「いやそうじゃなくてさ。昔、同じようなことを言われたから」

「だれに?」「−−−親父に」「へー、そのときどう思った?」「おれは受け容れなかった」「なぜ?」「まずは、当時親父の生き方を否定してたこともある。この人のようなおもしろくなさそうな人生を自分は送りたくないって。そんな親父に言われても鵜呑みにしたくなかったのかも」

「そうは言っても、それが現実だろ?」「現実だとしても、それを自分自身に当てはめる必要なんてあるのかな。試しもせず、そういうものだとあきらめていたら、それこそつまらないじゃないか」「多くの人は、そうやって生きてる」「ーー知ってる」・・・・



大学卒業後、就職した会社をたった一か月でやめた文哉は、父が遺した南房総の海が見える家で暮らし始めた。祖は家個々の住民の多くは高齢者しかいない過疎地化した土地だった。

二年後に文哉は曲がりなりにも会社を興した。近隣に建つ別荘の管理業務という名のもとに「株式会社南房総リゾートサービス」という名前負けしそうな会社。空き家の管理を地元の不動産会社から委託されているのが本音だ。

しかしそんなときこの南房総一帯を台風の直撃が襲って別荘の所有者も高齢化しているため手放す人も現れて・・・そうこうしているうちに地元の農家も高齢化、そして後継者不足もあって離農する人も目立ってきた。

文哉は浮いた気持ちを捨て、農家の手伝いではなく本腰を入れて後継者になろうと懇意にしていた幸吉老人に気持ちを伝えようと気構えるが・・・琵琶畑の手入れ中に幸吉は倒れていた。若者の思うように世の中は回らない、前途多難を思わせる。



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  [No. 516]   10月  2日


   幻冬舎 「天然日和」石田ゆり子
      2006年作・283ページ

・・・ご飯が炊けるときのにおい、お風呂の湯気のにおい、風のにおい、雨のにおい、夜のにおい、朝のにおい。神さまはすべてのものに、においという素敵な贈り物をくれたんだなあと思うのだ。

・・・コーヒーのにおいが部屋に立ち込めているのが、たまらなく好きだ。何か、とても嬉しい気持ちが胸に広がる。魔法だ。ほんとに。瞬時に脳に働きかける魔法の「嗅覚」。

そして、その「におい」とは違う意味のもうひとつの「におい」がある。その人の存在そのものの、「におい」。心をとぎすませて、何も考えないで、感じてみてほしい。どんな人にも、存在そのものの「におい」がある。

・・・基本的に、本当の意味で自立している人からは、いいにおいがする。言い訳しない、人のせいにしない。そういう人は潔く、気持ちがいい。「希望のにおい」がするのだ。・・・・そして、いいにおいがする人には、必ず、いい人たちが寄っていく。・・・・



石田ゆり子さんというまだお若い俳優さんとうかがえます。この前に読んだ小説が男の荒々しい文章だったせいか私も読んでいて心が洗われる想いがした。

ごく日常のことを日記風に文章化しているのだが随所に素晴らしい表現力を感じ、ああ、この方は素晴らしい人生を歩んでいるだろうな・・・と感じます。そしてご本人も言うように文章としてご自分の考えを表現することもお好きなようでした。

私も日記風なものをかれこれ15年以上も続けてはいますがどうも御人様に読んでいただくにしては少し無責任・・というか独りよがりのところがずいぶんとある。

まあ、本性だと言われればそれまでですがいずれいつかは自分の生み出した文章表現を磨くことによっていつの間にか自分自身も磨かれることを念じる以外ない。



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  [No. 515]    9月 14日


   角川文庫 「テスカトリポカ」佐藤 究
      2021年作・897ページ

・・・そんなきがする、とコシモはスペイン語で言った。だから、このへやのコパリのけむりも、じかんがコパリのけむりになってながれている。コシモの話を聞き終えたとき、バルミロは法務教官やパブロとはちがって、コシモの文法を訂正しなかった。

「おまえの感覚は正しい」とバルミロは言った。「おれの祖母も同じだった。遠くの街へ出かける時、彼女はよく、『ソンブレロ一つぶんかかる』とか『ソンブレロ二つぶんだね』と言ったものだ。時間が帽子の形になって目に見えているのさ。

帽子を編むのにかかる時間が、すなわち帽子に宿る神のことだ。帽子の形はもともと神の住む世界にあったもので、それが人の手仕事を通して外に出てくる。帽子にも神が宿っている。

それがアステカの時間だ。物は単なる材料の組み合わせではない。そこにも神々の秩序がある。そしてーーー」・・・



メキシコは麻薬取引のために市民は苦しんでいた。それは古代の祖先たちの文明がポルトガルに制圧されて以来住民は苦しんできた。少女17歳のルシアはこの地から脱出したいと考えていた。そして多くの貧しいメキシコ人たちは国境を越えてアメリカへと考えた。

しかし国境警備隊に捕捉され銃殺される確率が高かった。ただ麻薬密売人の組織に入れば国境を超える可能性は高かったが一度組織に足を入れると二度とシャバの世界には戻れない。そして二つ年上の兄フリオは命を落としてしまった。

ルシアは逆のアカプルコから日本に向かった。そして川崎の暴力団の組長土方興三と結婚して息子を授かる。その名を土方小霜、コシモと付けたが両親の愛情に恵まれず成りばかり大きく腕力もずば抜けていた。

コシモは父母殺しから少年院を出て日本の麻薬組織、そして人身売買・・・臓器売買の地下組織に入ってうごめきだした。彼の血はアステカから伝わる残虐な血筋を引き継いで次第に組織の中で大きな役割をするようになる。


引き続き二作目の165回直木賞受賞の超長編作品を読み終わった。残忍な儀式は私たち大和魂には想像もつかない凄惨を極める出来事の連続で時々読むのをやめようかとさえ思った。

血を血で洗う文明の違いの中にもコシモの体の中にはたとえ暴力団の父親であっても少しは日本人としての心根が目覚めことに安堵した。

次はもう少し明るい題材の本を読んで私の心も平静に向かわせてあげたい気持ちでいっぱいです。


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  [No. 514]    8月 18日


   文芸春秋 「星落ちて、なお」澤田瞳子
      2021年作・416ページ

・・・「馬鹿野郎。ただやるんじゃねえよ。手本にさせるんだ」えっと声を上げた門人にはお構いなしに、「いいか、おとよ」と暁斎はもう一度とよの頭を撫でた。 様々な顔料の粉のこびりついた、妙に色鮮やかな手であった。「

「これはおめえの終生の手本だ。何百回、いや何千回でもこれを写し取り、絶対に身から離すんじゃねえぞ」今から思えば、あの時の暁斎はまだ四十二、三歳だったはずだ。 だが折から画室に刺しこんだ夕日のせいで、その顔には百年の齢をかさねたかの如き陰影が刻まれていた。

まるで父が父でなくなったかのような恐怖に、とよはその意味もよくわからぬまま、こくりと頷いた。あの時も、そして今も、絵が好きだと思ったことはない。

ただとよの周囲にはいつもごく当然のように絵筆があり、絵を描く男たちがそこにいた。・・・



河鍋暁斎は狩野派の流れをくむ画家であった。そしてその才能を余すことなく発揮しながらなおも画鬼と言われるほどにその制作意欲は他を圧倒した。

そしてまだ5歳になったばかりの娘とよにある種の期待を寄せていた。つまりその姿はあたかも葛飾北斎とその娘、応為との関係を彷彿とさせる意気込みであった。

しかし、時は明治となり浮世絵や狩野派の低迷とともに暁斎の画風も世から疎まれ始めていた。


とよは父から画家としての道を示されたが家庭を大事にしてこその人生としての道を選ぶことにした。

自分は絵を描くことしか能がない、しかしその技量は父の足元にも及ばない。一人娘には絵の道に進ませず普通の人として道を選んでほしい・・。

世の中の親には二通りあると思う。自分の仕事を継いでくれるという子供に喜ぶ親と、自分のような苦労は子供にさせたくはないと思う親。

165回直木賞受賞。澤田さんの大河ドラマに心打たれた。


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  [No. 513]    8月 14日


   講談社 「貝に続く場所にて」石沢麻衣
      2021年作・191ページ

ドイツの街を歩くたびに思い至るのが、地面への鮮やかなまでの信頼感だった。それは親を絶対的な見方だと信頼の眼差しを向ける子供の素直さによく似ていた。 陶器やワインの店に入る度に、店内の壁面全体を覆う何段にも重なる棚と、そこに積み上げられた瓶を目にすることになる。

そこにあるのは、安定を基盤とする美学であった。地面の揺れによる落下防止の対策に特に注意することなく、静物画の効果的な配置が踏襲されている。 絵画的な均衡性に支えられた瓶は、その中で艶やかに笑っている。

あなたたちは地面を絶対的に信頼しているんだね、とある時私はアガータに向かって呟いた。地球への信頼感、と彼女は怪訝な顔を見せた。

それはハンブルクから訪ねてきた友人を駅まで見送った帰りのことだった。・・・



里美はドイツのゲッテインゲンで西洋美術史を学ぶために留学していたことだ。いったん帰国していて実家の宮城県で3.11の大地震に見舞われた。里美自身の実家は 揺れただけで大した被害は被らなかったが後輩の石巻に住む野宮は津波に襲われて消息が知れなかった。

この物語は里美が再びドイツに戻った時、野宮の友人だった澤田から野宮がまたドイツに戻って学業を続けるのでと連絡してきた。

もうあの震災から10年になろうとしていて野宮の顔すら思い浮かばなくなっていた。そして駅に現れた野宮はコロナ禍故大きな白いマスクをしていて会話の口元もわからない。


この作品は多くのドイツ人が登場してくるがそれに比べて4人ぐらいしか日本人は登場しない。しかもそのうち野宮は本当に生きていたのかも明らかにされないまま話は続く。

私が幾度もヨーロッパを訪れて常に感じたことはしっかりした岩盤の上にヨーロッパ大陸は存在すると思ったことでした。ましてや里美たちのように宮城沖地震を体験した者たちにとっての地盤の安定感はことさらでしょう。

この街には太陽系の10億分の1に縮尺された宇宙義がレーツァート川に沿ってシュパルトまで7kmに設置してある。それのある町を舞台に仙台、ゲッティンゲン、そして宇宙、そして野宮の幽霊まで含めた世界を覗いてみた。


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  [No. 512]    8月 10日


   角川文庫 「ひとり旅の神様」五十嵐雄策
      2016年作・218ページ

「・・・このパフェは異端かもしれません。ですが私はこれを開発してよかったと思っていますよ」確かに周りを見ると、女性や子供も楽しそうに生麩パフェを食べていた。 それはきっと、宮原さんの加賀麩に対する思いが多くの人に届いたことの証だろう。

その光景を見て、私は確信した。宮原さんの顔を見ると、こう口にした。「それが、昨日の問いに対する答え、ですよね?」その言葉に、宮原さんは深々とうなずいた。 「ええ、そのとおりです。私は私の仕事をする上で最も大切なもの・・・それを、お客様のことを一番に考えて動くことだと考えています」

きっぱりと、そう言い切った。

「もちろん伝統は大事にしなければいけません。ですがそれに縛られすぎては大切なものを見失ってしまうのではないでしょうか。一番大事なのは、食べていただくお客様です。・・・・今やっている仕事の向こう側にいる相手の顔が見えなくては、何事もうまくいきません」・・・



神崎結子は作家の父親の反対を押し切って出版社に入社した。第一希望の文学作品などの第一編集部にはかなわなかったけれど第五編集部のタウン情報などの部に編入されて3年になる。

毎日副編集長にどやされながらなんとか仕事をしてきたがもう限界だ。先日に引き続いてまたしてもの寝坊で我が家を飛び出した。出版社のある駅で電車を降りる気がしなくて乗り過ごした・・そして鎌倉まで行ってしまった。

意外やなんとあの糞副編集長はじめみんなが私のことを心配していてくれている。しかも私は今日からひとり旅の面白さを知ってしまった。


旅の中には自分の生き方そのものを問い解決してくれる沢山の素材が待っていてくれる。結子も自分の紀行文がなぜ採用されずほとんどが手直しされてしまったのかわからなかった。

加賀麩の工場に行って宮原さんの言葉を聞いて初めて悟った。お客さんのことを一番に考えて・・、以来自分の文章が次々と採用されるようになった。

まあ、これはこれ。オレは自分の絵も陶芸も文章もそんなに遜らない。だって、別に金をもらうわけでもないしオレさえすっきりすればいいことだから。ゴメンナサイ


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  [No. 511]    8月  9日


   文芸春秋 「彼岸花の咲く島」李 琴峰
      2021年作・211ページ

・・・<ニライカナイ>(死後にも続く永遠の楽園のことらしい)も実在を疑っていた宇実は、神々がもたらしてくれる宝物なんて所詮象徴的なものに過ぎないだろうと思っていた。 しかしそれは違った。<ニライカナイ>から運ばれてきたのは、宇実の想像よりはるかに実際的なものだった。

夥しい量の米、小麦粉、大豆、果物、調味料などの他、Tシャツやジーパン、ワンピースなどの洋服、シルクの生地、髪の毛や身体を洗う時に使う粘性の高い液体、 太陽の光を電力に変える魔法の板、セメントや金属などの建材、車を走らせたり工場の機械を動かしたりするために必要な電池や油。

車や機械そのものも何台かあった。道理で島民たちがあんなに喜ぶわけだと、宇実はやっと納得した。

それらの宝物は各集落のノロ(この島を実効支配をする女性集団)たちが住民の実際の需要に応じて分配した。食料は均等に各人に配り、車は持っていない成人に配し、生活用品は商店に買い取ってもらうか 物で交歓してもらい、建材などは建設を生業とする人たちに与えた。・・・・



「こでガンハウラー。身体弱いゆえ」「なにゆえそこで倒れたナー?」「ニライカナイよりライしたに非ずマー?」

島の海岸に漂着した少女を発見した同じ年頃の島民、游椰とすぐに親しくなったが言葉が通じない漂着した子には宇実という名をつけて呼び合うことにした。


芥川賞に選ばれたこの作者は台湾出身、そして日本の大学で学びこの作品を発表したと言います。

つまり日本に居てこんな発想の文章も書けないし大きな意味で台湾、中国、日本の成り立ちから見た将来の在り方まで示唆する凄い作品に仕上がったと思う。

しかし、その中には時代背景など一切排除しているため300年も昔の出来事かと思いきや車が走ったり、工場が稼働していたりと最後まで惑わされてしまった。

しかし游椰と宇実の友情は美しく続いていく。


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  [No. 510]    8月  8日


   講談社 「ふじこさん」大島真寿美
      2012年作・196ページ

・・・生まれてから関わってきた人たちがすべてだと思い込んでいる感性。もちろん、いろいろな人が、 自分の知らないところで生きていることくらい、頭ではじゅうぶん理解してはいた。

けれども、それは、インドの首都がニューデリーであると知ってはいても、ニューデリーがどのくらい暑くて人々がどんな言葉で会話し、 なにを食べ、なにを笑い、なにを感じ、なにを信じているのか、じつはまるでわかっていないのと似ていた。

子供には、大人にはない想像力があるのかもしれないけれど、その想像力を支える経験が圧倒的に不足しており、 それゆえ、想像は、支えのいらない荒唐無稽な方面を得意とする。現実の広がりの先を想像するのは苦手なのだ。

実際に見えているものは、あまりに狭く、少ない。自分の知らないところで生きている人も、私をうんざりさせる親や学校の先生や 友達と似たようなものだろうと、いつしか勝手に決めつけていた。・・・・



リサが中学生の時両親は離婚した。祖父母、母の両親はそのことを喜んで実家に戻っておいでとリサも連れられて祖父母の家に同居することになった。

しかし、親権の問題で父親と折り合いがつかずしたがって正式な離婚もできていなかった。そもそもリサ自身がどうでもいいようなあいまいな態度を表明したからだ。

取りあえず月に幾度かはリサが父親宅を訪問するという和解案を調停委員から示された。そしてリサは父の住むマンションに受け取っていた鍵を持って出かけた。

・・と、部屋には女性がいて「あなたがリサちゃんね!」とあいさつされて戸惑った父親の会社でチームを組んで仕事する仲間だという。彼女は藤子と名乗ったので以降ふじこさんと呼んだ。


中学生でピアノレッスン、そして塾通いもう狭い範囲でしか自分を見ることができなかったリサにとってふじこさんから女性としてより人としての自由な空気を知らしめる。

そう、世代を超えた交流ができたことは広い自分の生き方の未来を見つけることができる。わたしにもそんな青春期があった。


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  [No. 509]    7月 18日


   講談社 「青嵐」藤原緋沙子
      2018年作・214ページ

・・・「すると、親子の名乗りを上げたのか?」伊織の問いに、おきよは首を振って否定した。「何故だ、必死になって探しているのに…」伊織は強い口調で訊く。

「名乗れるわけがございません。子供にとっては一番そばにいてほしい時に、私はあの子を捨てて家を出たのです。辛抱できなかったとはいえ、子を置いて家を出たのです。本当は巳之助を連れて出たかったけど、先々の暮らしを考えるとできなかった。 何もめどのたっていない暮らしの中に、あの子を引きずり込むのは可哀想だと思ったんです…でも、それだって私の勝手な言い分です。ちゃんとした暮らしが出来るようになったらと考えてはいましたが、いつまでたっても貧しい暮らしです。 今になってもご覧の通り、賄い婦などでようやく暮らしを立てている有様です。その私が名乗れる筈がありません。これからは年老いていく一方です。巳之助に迷惑はかけたくないのです」・・・・



大阪の雑穀問屋、浪速屋の武兵衛は息子巳之助を独り立ちさせるため3百両を持たせて江戸へ立たせた。武兵衛は何事にも自分の強引な意思を曲げないことから妻のおきよも我慢ならず家を出ていた。

巳之助はというとその大金も使い果たしその日もやっとの暮らしをしていた。江戸時代にはお記録やという仕事があってその世話人の伊織らが以前からこの巳之助に気を使ってやっていた。

しかし、巳之助は大阪時代に幼馴染だった竹造に誘われるままに盗人一味に加担する約束をしてしまった。そこの賄い婦をしていたのが巳之助の母おきよだった。

伊織はその事情を知って巳之助に足を洗うように促した。


久しぶりに大衆娯楽作品…シリーズものを読んでみた。藤原緋沙子さんのシリーズものらしいですがこの手の人情もの作品はこれでちょうど90作品目という。

お気楽に読めましたがあまり心には残らなかったかな。


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  [No. 508]    6月 18日


   文藝春秋 「雲を紡ぐ」伊吹有喜
      2020年作・368ページ

・・・「だから生きづらそうなのがつらい。大丈夫、とあの子はよく言う。何に対して大丈夫なのか聞くと、口癖なのだと」「たしかによく言うよ」

なんて口癖だ、と父が嘆き、ゆったりと煙草の煙を吐いた。「『大丈夫、、まだ大丈夫』。そう思いながら生きるのは苦行だ。人は苦しむために生まれてくるんじゃない。遊びをせんとや生まれけむ…楽しむために生まれてくるはずだ。 毎日を苦行のようにして暮らす子を追い詰めたら姿を消すぞ。家出で済んでよかった。少なくともこの世にはとどまっている」

「縁起でもないことを言わないでよ」「失ってから気付いても遅いんだ。追いつめられた者の視界は狭い。安全なところに手を引いてやれるのは身内だけだぞ」

袂から出した携帯灰皿で、父が煙草を押し消した。広志、とあらたまった声がする。「私の過ちをくり返すな」・・・・



山崎美穂、中高一貫の私立女子校に望んで入ったが高二の6月フトしたことから友達関係がもとで学校に行かなくなってもう一か月になる。行こうとしても途中で体調異変が起き体までもが拒否反応する。

母は都内の私立中学の英語教師、そして父は神奈川にある電機メーカーの研究所で働いている。美穂自身もこれまで何の心配もなく過ごして来ていたがこのことがあってから家族ともうまくいかなくなってしまった。

美穂の祖父、広志の父はその曽祖父の頃から岩手県の滝沢で羊毛を使ったホームスパンを生業として来た。しかし広志はそれを嫌って大手電機メーカーに入社した。

美穂は家を出てひとり岩手の祖父の家に転がり込んだ。そしてそのホームスパンの行程を見てすっかりこれの虜になってしまった。


祖父が父に向かって「私の過ちをくり返すな」。父と祖父は以前親子関係で断絶した時代があった。そして更に子供への想いを「・・追いつめられた者の視界は狭い・・」と繋げて助言する。

父も母も自分の子が世間の路線からはみ出すことへの抵抗感が強かった。しかし、人生はそれほど路線が安定しているとは限らない、広志の会社も吸収合併を経て彼自身の身の振り方も危うくなって気が付いた。


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  [No. 507]    6月  9日


   中央公論新社 「ストレンジャー・イン・パラダイス」小路幸也
      2019年作・244ページ

「はい、じゃあ行ってみようか!あゆみさん」くるくるパーマの橋本君が手をパン!と叩いて明るい笑顔で言う。「間違っても、?んでも、いくらでもやりなおせますから大丈夫ですよ」

友星君が優しく言う。「方言なんかで話してもいいんじゃないのか?」佐紀ちゃんが腕組みしながら真面目に行った。「地元ネイティブで喋ったら誰もわからなくなるわよ」

録音スタジオ、じゃなくて食堂兼共同リビング。雰囲気を出すためと余計な音を拾わないように、橋本君と友星君と佐紀ちゃんはキッチンで待機。そこからディレクターよろしくキューを出す。

私は、テーブルのマイクを前にして座っている。その向こうに撮ってきた映像を見るためのノートパソコンが置いてある。何度も声に出して練習したナレーション原稿をこれから読む。<晴太多>がどれくらい田舎で、でもどんなに素晴らしいところかをアピールするために。・・・・



過疎化が進む阿形県賀条郡日田町晴太多に若者を中心に移住計画を村のメインテーマに掲げてあゆみは日田町役場に勤務する。その肩書はいきいき課推進室長。

たまたま東京で結婚していたあゆみの同級生綾那が離婚して村に戻ってきた。ちょうどそこにインターネット事業を展開するグループが希望する若者3人にひとしきりここで生活しながらクリエイティブな仕事をしてほしいと社長から言われた。

すっかりこの3人はここの生活が気に行ってしまった。次第に若者がここに興味を持つようになりもっとこの村をPRしようと言うことになった。


若者が多いせいか現代的な名前が多く・・しかも15名以上も次々と出てくると少し読むほうも戸惑ってしまう。しかし若者の力は偉大だ、村を起こし活気着けてくれる。


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  [No. 506]    5月 27日


   双葉社 「犬がいた季節」伊吹有喜
      2020年作・324ページ

・・・そうかもしれませんが、と早瀬が校長の前に立つ。「公立の小学校でウサギや鶏を飼っているのに、どうして公立の高校で犬を飼ってはいけないんですか?」「それはそうだな」五十嵐が何度もうなずき、校長に顔を向けた。

「小学校でもちゃんと飼育してますからね。八校の生徒なら、それはきちんとやれるでしょう。ハチコウに犬。しゃれもきいてる、なあ、コーシロー」「僕に言ってるんですか、それとも犬?」

両方だ、と五十嵐が手を伸ばし、校長からコウシローを受け取った。「いかがでしょう、生徒が責任を持って面倒を見るなら、しばらくの間、美術部の部室の一角を提供してもいい。顧問の私はそんなふうにも考えるんですが」

「前例がない」五十嵐に抱かれたコーシローが、校長のもとに戻ろうとしている。その様子を見ながら、校長が言葉を続けた。「しかし・・・いいでしょう。飼い主が現れるまで飼育を許可する。ただし、他の生徒や学校側に迷惑をかけるようなことがあれば、即座に新たな対応を検討するが」・・・・



こうしてコーシローという犬が八高に飼われて何代かに渡り八高の生徒たちの間で飼育され可愛がられてきた。初代にコーシローを飼い始めた彼らはもう40歳代に突入する。

そしてこの捨てられて行き場のなかった犬に関わる代々の生徒たちのそれぞれの年代の生きざまを描いている。

以前に読んだ馳さんの「少年と犬」の展開と少しダブって感じた。しかしこの八高は100年の歴史がありその12年をコーシローが色を添えたのは確かでした。

そして100年の同窓会で年代の違う彼らが集うことも印象的だった。


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  [No. 505]    5月 13日


   ポプラ社 「お探し物は図書室まで」青山美智子
      2020年作・290ページ

・・・待てよ。人間は地上で生きているから、大抵の場合、植物の花や実にしか目がいかない。だけどサツマイモや人参に注目するときは、とたんに地下にある「根」が主役になる。

植物にして見れば、双方が互いに等しく必要とし合ってバランスを取っているのに。人間はつい、自分たちに都合のいいほうをメインの世界だと思ってしまうけど、植物にとっては‥‥。

―――両方がメイン?  そう気づいたら、パラレルキャリアの記事を思い出した。パラレルキャリアは、両方の仕事が互いを補完し合っていて主従関係がないんです安原さんはそう言っていたっけ。

植物が、地上と地下の世界それぞれの持ち場で役割を果たし、互いを補完し合うように?  会社員と、店とそういうことなのかもしれない。・・・



この小説では21歳の娘さんから65歳の定年退職したおじさんまでそれぞれ5人の迷える羊たちが登場してくる。

そしてみんな偶然にも小学校に併設されたコミュニティーセンターの中の図書室に迷い込む‥という設定です。そこには図書室受付にいるまだ高卒ほやほやのあどけない森永のぞみさんがいて決まってみなさんを図書室司書を紹介する

「レファレンス」という看板の下には司書さんが・・大きな女の人、太っているというよりただ大きい。首から掛けているネームホルダーには小町さゆりとある。「なにをおさがし?」

小町さんは一応お話を伺ったのちパソコンに向かって猛烈な勢いでキーを叩いて最後にポン!、とエンターキーを叩いて用紙にプリントアウトしてくれた。その検索してくれた図書の最後に「はて?、なんでこんな本を?」という本が必ずあった。


以前読んだ本で図書館司書を題材にした本を読んだ。司書の仕事は本の購入や管理、そして読書相談、学校などではテーマを決めての討論会、イベントの開催や展示コーナーの設置など多岐に亘ると知っていた。

小町さんは探し物の後に関連した視点の違う書物を最後に示した。そうか探し物に夢中になると視野が狭くなる。その探し物は大きな目で捉えないとあなたは満足できないよ・・って。


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  [No. 504]    5月  2日


   中央公論新社 「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ
      2020年作・303ページ

・・・イヤホンの片方を彼に渡し、もう片方を自分の耳に挿した。プレイボタンを押すと、すぐに声が流れてくる。彼がわたしを見て、何か言いたげに口を動かす。

「うん、そう。クジラの声。でも、前に聞いた子の声とは違うんだ」遠くから呼んでいるような、離れて行くような声。世界の果てまで響いていきそうな声。

「このクジラの声はね、誰にも届かないんだよ」少年が目を微かに見開き、首を傾げる。「普通のクジラの声の高さが―――周波数って言うんだけどね、その周波数が全く違うんだって。クジラもいろいろな種類がいるけど、どれもだいたい10から39ヘルツっていう高さで歌うんだって。 今聞いているこの音もね、人間の耳に合わせて周波数を上げているらしいから、実際はもっと低い声らしいんだけど‥‥」でもこのクジラの歌声は52ヘルツ。あまりに高音だから、他のクジラたちには、この声は聞こえないんだ。

52ヘルツのクジラ。世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。・・・



三島貴湖は高校を卒業した後就職も決まり寮生活をして新しい人生を歩むつもりでいたときに父が倒れた。母はこの父との間にできた弟ができてから貴湖にはつらく当たる。

母曰く、お父さんのおかげで学校に行けたんだからお前が父の世話をしなさい・・と。急速に悪化していく父の下の世話から何もかもを押し付けられて逃げ出せなくなってしまった。

しかし同級生だった牧岡美晴は友人の岡田アンらと共に貴湖の窮状を察知して救ってくれた。そして大分にある祖母の住んでいたボロ屋ではあったが海の見える田舎に越して一人住まいを始めた。

しかしこんなちっぽけな田舎にも親の虐待に堪えていた少年がいた。しかもその名は現状に恥じるような、愛(いとし)という子であった。貴湖はその少年の発する声を聴くことができた。


このコロナ禍、全国の青少年の自殺者が急増しているという。そして政府も子供に対する虐待などもっと積極的に取り組もうと動き出した。悲痛な叫びはあまりにも周波数が高すぎて私たちには聴きとれないのか?

たしかに大人も疲弊しきっている。しかしそんな時、ホッとするニュースを見聞きするとなぜか心も和みます。私になにができるのか・・考えるときだ。


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  [No. 503]    4月  27日


   文藝春秋 「夏物語」川上未映子
      2019年作・674ページ

「・・・ねえ、子どもを生む人はさ、みんなほんとに自分のことしか考えないの。子どものことを考えて、子どもを生んだ親なんて、この世界にひとりもいないんだよ。ねえ、すごいことだと思わない?それで、たいていの親は、自分の子どもにだけは苦しい思いをさせないように、どんな不幸からも逃げれられるように願うわけでしょう。

でも、自分の子どもがぜったいに苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、その子を存在させないことなんじゃないの。生まれないでいさせてあげることだったんじゃないの」

「でも」わたしは考えて言った。「それは―――生まれてみないと、わからないことも」「それは、いったい誰のためのことなの?」善百合子は言った「その、『生まれてみなければわからない』っていう賭けは、いったい誰のための賭けなの?」「賭け?」わたしはつぶやくように訊いた。

「みんな、賭けをしているようにみえる」善百合子は言った。「自分が登場させた子どもも自分とおなじかそれ以上には恵まれて、幸せを感じて、そして生まれてきてよかったって思える人間になるだろうってことに、賭けているようにみえる。・・・



主人公の夏目夏子は子供のころ随分と辛い貧乏の生活を強いられてきた。家を出て戻ってこない父、しかし祖母のコミ婆、仲の良い姉の巻子らと懸命に生きて来た。

夏子も巻子もまだ子供のころから母親の勤めるスナックに行って働いてきた。そして高校を卒業したある日小説を書こうと上京して二十歳の頃小さな出版社が主催している小さな文学賞を受賞して、なんとか小説家としてデビューすることができた。

多くの友人や、出版社の編集者などの感化を受けるうちにもう既に40歳に近かった。たまたま目にした衝撃を目にした。

「多分ですが私の父は背が大きくって長距離走が得意ではないかと思います。どなたか心当たりの方が居たらご連絡ください・・」精子のドナーを受けて生まれてきた青年の手記だった。


川上さんの超長編小説を読み終えて実に考えさせられることが多かった。反抗期の子どもたちの常套句といえば「誰も頼んだ覚えもないのに何で俺なんかを生んだんだよ!」

これに近い言葉を発した記憶がある。母親のかなしそうな顔を見たときそんなひどい言葉は二度と口にしないと誓った記憶が今でも思い起こすことがある。


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  [No. 502]    4月  13日


   集英社 「スキマワラシ」恩田 陸
      2020年作・455ページ

・・・おまえも知ってのとおり、この商売、欲しがる人がいるから成り立つ。欲しがる人がどれくらいいるかで値段も決まる。でも、ふと不思議な気分になるんだよな。「欲しい」っていったいなんなんだ?なぜ「欲しい」んだ?

兄は自問自答するように頭をぐるりと回した。この間、聴診器の引手を手に入れただろう?あれは久しぶりに興奮したな。いやほんと、あの薄暗い家の中で、あの引手だけぴかーって光って見えた。

文字通り、目に飛び込んできた。だけど、頭の片隅じゃ、「俺はいったい何に興奮してるんだ?」と冷ややかに見てる自分もいるわけだ。

だって、引手だぞ。食べられるわけでもないし、今の日常生活ではほとんど使われないものだ。俺は、こんなに沢山の引手を手に入れて、なにがそんなに嬉しいんだろう、とたまに疑問に思うんだ。

へ、兄ちゃんでもそんなことを考える時があるんだね、と僕は素直に驚いた。・・・



纐纈太郎、散多兄弟は早くに建築家として嘱望されていた父母を同時に交通事故で亡くした。茶道など風流を嗜む祖父に育てられた兄弟はやがて骨董を商う。

それは結局、父母が建築家として造詣を深めていた古民家や移築された由緒ある建造物の足跡を訪ねることに他ならなかった。

そんな折、時々目にする少女の姿が何となく意味ありげでまるで座敷童・・を思わせることを感じさせた。特にそれは弟の散多に強烈に反応することに起因していたのだが。

兄の太郎は物覚えもよくすべてのことに理論正しくしているが弟の散多は自身も感ずるように幼いころから自分の存在感や記憶の中にあったことが整合性に乏しいことがあった。


座敷童に似たこのスキマワラシの少女はいずれにしてもオカルトの類ではない。このスキマ・・という言葉はひょっとして散多の幼少期のあいまいな記憶のスキマを埋める情緒みたいに感じる。

私も思えば15歳頃までの記憶の中に苦しかったり寂しかったりという記憶が全く無く過ごして来た。かといって散多のようにその空白を埋めるような情緒も無い。

いずれにしても私なりにそれは解明しなくてはならないことでしょう。


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  [No. 501]    4月   1日


   *
「岬の海」杉山梨奈
      2021年作・19ページ

・・・帰り道を歩き出して、夜までもう少し待ってから、警察の人に電話しなくてはと思った。ご飯を食べてからにしようと決めて、ゆっくりと帰路を歩く。海に向かって生暖かい夏の風が吹いていく。

最後のバスで、女の人は帰って行った。バスが付くまでにはずいぶん時間があって、彼女は私と話をしてくれながらカメラに収めた写真を沢山見せてくれた。光に満ちた海や、打ち付ける波の荘厳さがよくわかるいい写真。

岬だけじゃなくて緑に囲まれた道やこの店を写したものもあった。女の人はカメラマンだそうだ。専門学校を出てようやく働きだしたらしい。今日は休みだったけれど写真を撮りたくてここまで足をのばしたのだと言った。私がこれからも頑張ってくださいというと嬉しそうに笑ってくれた。

玄関を開けると風鈴がチリンと揺れた。家に入る前、確認にカウンターの卓上メモを見る。「行き」と書いた横にある正の字は二画分だった。そして「帰り」と書いた横にある正の字はやっぱり一画分だけだった。

岬の海は観光名所である。でも、同時に岬の海は自殺の名所でもあった。男の人はとうとう帰ってこないで、次の日、岬の下の岩の隙間に打ち上げられたのが見つかった。・・・



村の観光名所になっている岬は町からやってくるバスに頼るしかない、3時間に一本のバスの乗客はせいぜい二三人程度だ。高校生のみやこは夏休みの間、祖母や母の営むお店の番をしながら店前にあるバス停に乗ってきたお客さんと6時の最終バスまでに乗って帰った人の数を記録している。


この作品の作者は私の知り合いの姪に当たる方でまだ現役17歳の高校生だとお聞きしました。そしてこの「岬の海」は武蔵野大学文学賞に応募して優秀賞受賞した作品とお伺いしました。

このところ若い女性の作品を読む機会に恵まれて・・とても追いついて行けないと嘆いたり、いやまだついて行けそうだぞ・・と思ったり楽しいかぎりです。

ご興味のあるかたにご紹介します。「岬と海」  「放課後の延長線上」


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  [No. 500]    3月  26日


   河出書房
「推し、燃ゆ」宇佐美りん
      2020年作・113ページ

・・・あたしはそこに押しがいて押しを目の当たりにできればそれでよく、例えば勝さんや幸代さんなんかが言う「現実の男を見なきゃ」というのはまるでぴんと来なかった。

世間には、友達とか恋人とか知り合いとか家族とか関係性がたくさんあって、それらは互いに作用しながら日々微細に動いていく。常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だという。

脈ないのに想い続けても無駄だよとかどうしてあんな友達の面倒を見てるのとか。見返りを求めているわけでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい。

お互いがお互いを思う関係性を押しと結びたいわけじゃない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういうふうに思ってないからなんだろう。押しが実際あたしを有効的に見てくれるかなんてわからないし、あたしだって、押しの近くにずっといて楽しいかと言われればまた別な気がする。もちろん、握手会で数秒言葉を交わすのなら爆発するほどテンション上がるけど。・・・



押しが燃えた。ファンを殴ったらしい。・・・とんでもない本を読み始めてしまったかな?と思いました。

あかりは高校2年生、学校の授業について行けず遂に留年を言い渡された挙句退学することになる。夢中になっていたアイドルグループも解散し一押しだったアイドルも引退した。そんなあかりは自身のことを一人称で書き綴った小説です。

SNSを通じて友だちとの心境を語ったり意味難解な少女表現を気恥ずかしさの中にも読み進んでいくうちに自己表現という形が見えてきた。

結局、あかりは人生の落後者ではありますが人生はまだ始まったばかりの少女です。散らかしたものを這いつくばって拾いながら「これがあたしの生きる姿勢だと思う」その先に長い長い道のりが見える。と

芥川賞に21歳、現役学生の宇佐美さんの作品が決まって読んでみました。読んでよかった、というよりも読むことができて良かったと思った。


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  [No. 499]    3月  21日


   集英社
「心寂し川」西条奈加
      2020年作・287ページ

・・・「賭けだなんて…姉ちゃんまで、義兄さんの悪い癖が移ったんじゃない?」唇を尖らせると、声を立てて姉が笑う。

「女が本気になるのは、惚れた男のためだけさ。手に入れようと思ったら、わが身を賭けるしかないんだよ」表情もどこか凄味を帯びていて、物言いは逞しかった。

そんなことが、自分にできるだろうか?何も考えず男の胸に飛び込み、身をゆだねる―――。できたとしても、そのあとは?元吉はどう思うだろう?嫌われてしまうのが怖くてならない。

「ちほは行儀がいい上に、見栄っ張りだからね。誰かが心町からつれだしてくれるだなんて、思っちゃいないかい?」・・・



恐らく不忍池に流れ込むにしてはその川は止まったまま、流れることがない。その地域は今の文京区と台東区の境あたり・・、崖の上は千駄木町の武家屋敷がつながっている。

そんな崖下と流れの止った川岸に貧しい者同士のバラック家が数軒、身を寄せ合って棲んでいる。岸辺の杭に身を寄せる藁くずや落ち葉は、夏を迎えて腐り始めている。梅雨には川底から呻くような臭いが立つ。

十九になったちほには将来いつかは姉のようにどこか別の場所に逃げ出したい‥と思っていた。そんな辛い川の名を人呼んで心寂し川(うらさびしがわ)と呼んでいた。・・・・


ちほは縫物を「志野屋」納めていた時、そこに所用で来る紋上絵師の見習いであった元吉という若者と好き合うようになる。しかし年季の開けた元吉は師匠の勧めで京都に修行に出ることになる。ちほは元吉のことを諦めた。

しかしなんてことでしょう。そんな時、志野屋に不細工な手代がいて陰ながらちほのことを見染めていた。冗談ではない・・・とちほはお断りした。

この作品は今年の直木賞を受賞しました。心寂し川に寄り添って棲む住人の老若男女6人の生きざまを描くことによって生活や人生の奥深さを表現した秀作でしょう。

二年半のうちに悲喜こもごもの人生の進展もあって、ちほは志野屋の計らいで手代と明日結婚式を挙げるという。


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  [No. 498]    3月  17日


   文藝春秋
「風に舞いあがるビニールシート」森 絵都
      2006年作・356ページ

・・・エドとの出会いは十年前、恋愛感情など入り込む隙もない、極めてビジネスライクな席でのことだった。当時、外資の投資銀行に勤めていた里佳は、ジャパンタイムズの求人欄に載っていたUNHCRの空きポストに目を付け、応募した。

書類審査の通過後、筆記試験に先駆けて行われた面接の席で、面接官の一人として対面したのがエドだった。落ちつきのない男、というのが素直な第一印象だ。当時UNHCRの東京事務所にいたエドにとって、新職員の採用選定はとりたてて刺激的な仕事ではなかったのだろう。

面接のあいだじゅうそわそわとしていた彼は、型にはまった一問一答に横槍でも入れるように、ときおり英語で挑発的な質問をさしはさんだ。

「収入面からすれば、どうひかえめに言っても君のこの転職は正気の沙汰じゃない。今の会社からここに移れば、君は確実に毎月の貯金額を減らすことになるだろう。ひょっとしたら金なんかもう見たくないってほど稼いじゃったとか?」・・・



里佳は外資投資銀行に勤めている間中、負債を形にして貧しい国を支配する。こんなことで潤っている自分に嫌気がさした、国連の世界銀行やIMFだってやってることは同じだ。

でも、少なくともUNHCRは違うはずだ、難民保護のために設けられたUNHCRは、国連システムの中でも筋金入りの現場主義で、あくまでも弱い立場の人々に寄り添った支援活動を行っている。

そして国内事務要員として里佳は採用され、面接官だったエドとも親しくなりそして結婚した。しかしエドは現場主義者・・・、覚悟はしていたつもりでも、フィールドに身を置くUNHCR職員の妻という境遇は、想像以上に里佳を疲弊させた。

エドのジレンマは募るばかり、風に舞いあがるビニールシートは後を絶たない。


人の命も、尊厳も、ささやかな幸福も、難民キャンプ地ではビニールシートみたいに簡単に舞いあがってしまう。その暴力的な風が吹いた時。真っ先に飛ばされるのは弱い立場の人たちだ。

老人や女性や子供、そして生まれて間もない赤ん坊たちだ、いくらエドから力説されても里佳には心から理解することができない。そして二人は離婚を決意する。この世界に身を置く多くの離婚率は相当高いという。

そして、ある時里佳はエドが難民少女を助けようとして銃撃され亡くなったことを知る・・・。


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  [No. 497]    3月   5日


   幻冬舎
「  糸  」林 民夫
      2020年作・347ページ

・・・チーズ工房のバイト募集の張り紙を見たこと。何度も聞いた話だった。「そのバイト募集の張り紙を見なかったら、漣に会うこともなかったんだよねえ」

「そういう話は退院したら聞くよ」「めぐり逢いって不思議だね」病室に戻り、ベッドに香を戻した。瘠せてしまった体は難なく戻せた。自分の手を漣は見つめた。

「でもそれは偶然じゃなくて」「いいから、そんな話は」本当に聞きたくなかった。香は必死に伝えようとしていた。「運命の糸って私はあると思う」言葉は、どこか遠い場所から聞こえてくるような気がした。

「でもその糸はたまにほつれる。切れることもある。でも、またなにかに繋がる。生きていれば必ずなにかに繋がる。そういうふうにできているんじゃないのかな、世の中って」・・・



北海道、美瑛の丘が見えるチーズ工房で香は働いていた。そこに心に傷を負った漣が勤め始めた。やがて香と漣は結ばれて子供ができた。しかし香は妊娠中に発覚した癌を出産後に治療したが2年してまた再発した。

結という娘がもう5歳になったころ漣は出品し続けて居たチーズの品評会を諦める決心がついた。ここでもっと地道に自分らしいチーズを作ることに精進しようと。

ある日失敗作だったチーズを結に食べさせようと加工して見たら意外と結が大喜びして食べた。工房でも売ってみたら評判が良かった。気が付いたら東京の三ツ星レストランのシェフの目に止まった。・・・


こんなに次々と登場人物が出てきて5〜6人したところでもうだめだ!とメモし始めた。何と登場人物は20人を上回ってメモのおかげで終わりまで読むことができた。

複雑に絡み合った人間関係は恐らく以前に読んだ村上春樹さんの「ノルウェイの森」以来だった。しかし題名の通りそれらはシッカリ繋がっていて誰一人欠けても物語は成立しなかった。

そして気が付いたら涙が出てきて止まらなかった、オレの涙腺も歳と共に緩んできやがった・・・。


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  [No. 496]    3月   2日


   文春文庫
「 月と蟹」道尾秀介
      2010年作・336ページ

・・・どうして母親が息子に嘘をつくのか。自転車に乗ろうとすると、サドルの上に小さな毛虫が這っていた。細長い体を動かしながら、ヒクヒクと進んでいる。葉の濃い木の下がちょうど日陰になっていたので、そこへ停めたのが悪かったのだろう。

慎一は唇をすぼめて息を吹きかけたが、毛虫はサドルにしがみついてそれをやり過ごした。もう一度やってみたが、やはり動かない。仕方なく、爪で弾いた。毛虫は地面に落ち、アンモナイトのようなかたちに素早く丸まった。

自分で意識するより先に体が動き、慎一は丸まった毛虫を勢いよく踏みつぶしていた。くるぶしのあたりまで、骨がじんじんと痛んだ。スニーカーの裏をコンクリートにこすり付け、慎一は自転車にまたがった。

体全体が心臓になって、ずくんずくんと鼓動している気がした。その鼓動に合わせ、目の前に広がる真昼の景色が明滅している。ぜんぶ上手くいかない。ぜんぶ思い通りにならない。自分ばかりが取り残される。・・・



主人公は小学5年生の利根慎一、富永晴也、ともに小学4年のときそれぞれほかの学校から転校してきた。慎一は父親が病死したあと母と一緒にここ鎌倉の独り住まいの元漁師だった祖父の家に越してきたのだ。

因果な関係でこの祖父の船に昔乗り合わせた女性がいて、運悪く事故に遭ってその女性はまだ幼い子を残して亡くなってしまった。奇しくもその女の子は鳴海という比較的クラスでは人気の少女だった。

さて3人は同じ4年生から5年生になりながら不思議な関係の友達になりかけていた。しかも慎一の母と鳴海の父親がどうやら男女の関係になっていた。・・・


人によっての差異はあるかと思いますが私にとっても小学校5年生と言う段階は全てにおいての感受性や自分と社会との関係性、更には親・・って何?。とまで発展して思考の視野を広める時期でした。

この作品はもし、私にこの小学5年生の時に文才能力があったならこんな表現をしたであろう・・ほどに事細やかな心情表現が書き込まれている。ほのかに芽生えた女性に対する憧れ、父母・・って何?、素朴ながらも真摯な疑問。

そして慎一は6年の春にみんなとまた分かれて母の実家へ転居していく。人生って、今までの仲間と別れて新しい仲間を探しながら成長していく、慎一のひとつの節目を物語にした・・・。


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  [No. 495]    2月 24日


   角川文庫
「 おバカさん」遠藤周作
      1962年作・352ページ

…それから隆盛は巴絵の顔を見てシンコクナ顔をした。「こりゃ、お嫁さん探しかもしれないぜ…いつか南米から大金持ちのお爺さんが日本人の花嫁探しにやってきたろうが。巴絵ガンバッテみなさいよ」

「下劣なこと言わないで頂戴」「でも、相手は英雄ナポレオンの子孫だぜ。あの頃、ボナパルトという彼の名をふしぎに思って手紙でたずねたら…そうだと返事してきたような気がするから」

「ナポレオンが何よ。ファシストの元祖じゃないの」「おい、どうしよう、この男を…」「ともかく、母さまに相談するわ。見も知らぬ外人を家に泊めていいかどうか、お兄さまの一存だけじゃいきませんからねッ」

ナポレオンの子孫が日本に来る――。それもほかならぬ隆盛と巴絵との家を頼って・・・・・・



ガストンの生まれたサボア地方では間のぬけた大男のことをポプラの木と呼ぶ。ポプラの木はマッチの棒にする他は材木にも柱にもできぬからだ。だからガストンは友だちからポプラとあだ名をつけられていた。でもガストンは人間を信じたかった。この地上の人間がみんなナポレオンのように利口で、強い人ばかりではないと思った。この地上が利口で強い人のためにだけあるのではないと思った。

ガストン・ボナパルトは文通で隆盛の家に滞在した。しかし当時の日本は外人はすべてアメリカ人としか見なかった。することなすこと利巧とは思えない動作や行動に隆盛たちは呆れた。

日本人の中には弱い人もいる、善意に満ちた年寄もいる。しかし反面、暴力団員もいるし、殺人鬼まで居る。そんな中でガストンは誰にも平等に思い遣りをし、心を開いていた。


隆盛に言わせれば彼はバカか?。

だが彼はバカではない…おバカさんなのだ。人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。巴絵ははじめてそう考えたのである。

遠藤さんの作品で「海と毒薬」を以前に読んだことがある。日本人と神と言うことの意識を強く感じた作品でした。そして敬虔なクリスチャンであった彼の本質をこの作品にみた気がしたのでした。

そう言えば若いころ彼女はよく私のことを「おバカさん!」と呼んでいたよな。(「青春切符」(連載 No.77) )急に想い出して懐かしく思っちゃった。


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  [No. 494]    2月 16日


   角川文庫
「 県庁おもてなし課」有川 浩
      2013年作・503ページ

・・「何ですか、観光発展のイベントとして『観光特使』という制度を手始めに導入する自治体が多くあるようですよ」おもてなし課が発足して一ヵ月、ああでもないこうでもないと会議がワルツを踊っていた中でそう言いだしたのは、掛水史貴である。

入庁三年目の二十五歳、おもてなし課の中では一番「若い」職員だ。もっとも、おもてなし課は独創性と積極性を期待された課であるため、課長でもやっと四十歳という若い編成だが。

「何で、その『観光特使』ゆうがは」訊ねたのはその四十歳の課長、下元邦宏だ。課員の注目が集まる中、掛水は夕べネットで拾って来たばかりの知識をうろ覚えで披露した。

「いや、僕もようは知らんがですけど。なんか、県出身の有名人・・・芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人を『観光特使』に任命して、県の魅力をPRしてもらうがやそうです」・・・



高知県の観光部の中でも、もっと観光について自由な発想で観光立県を目指す凄いポテンシャルを持った働きを期待されて「おもてなし課」が発足した。

しかしかなり期待されて選ばれた精鋭の4人の課員ではあったが高知県出身の作家、吉村喬介にその「観光特使」をお願いしてみた。吉村は快く郷里のためになるのならと引き受けてくれた。

吉村はその後一か月経ってもおもてなし課からは何の進展的な話も伝えられないので問い合わせてみた。嗚呼、そこにはお役所仕事と民間人との意識の差が歴然として驚いた。


この本の内容は実際に有川さんの身に受けた事実と、励まし合い議論しながら県庁職員の意識改革を進めていったことを小説に仕立て上げた作品になっています。

何にもない、当たり前にあるもの・・・それを見方を変えることによって高知県の魅力として県民一人一人が観光立県に意識替えをした物語でした。


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  [No. 493]    2月  5日


   双葉文庫
「 活動寫眞の女」浅田次郎
      1997年作・310ページ

ーーーー辻老人が話をおえたとき、僕と早苗は同時に顔を上げた。中の島の蓮の花に埋もれて、白い日傘をさした伏見夕霞が佇んでいた。たしかに僕らの方を見て、悲しい笑い方をした。

「辻さん・・・・ほら・・・・」なんや、と辻老人はべっこうのメガネを押し上げて、僕の指し示す指先をたどった。「中の島に、夕霞さんが…」「ほんまかいな。何も見えへんけど」

「ほら、こっち向いて笑ってますよ」辻老人は伸びあがって目を凝らした「おっちゃんには、何も見えへんよ。あんたら、見えてはるんか」早苗が口元に両手を添えて叫んだ。「夕霞さん!辻さんにも、会ってあげて。お願い!」

ゆっくりと首を振って、伏見夕霞の姿は消えてしまった。辻老人は僕らを疑おうとはしなかった。「もうええよ。年寄りには見えへんのやろ。みんな若いまんま死んでしもたんやから」・・・



受験しようとしていた東大は学園紛争の真っただ中で受験ができない。そこで三谷薫は未だ学園紛争にまで発展していなかった京都大学の文学部を受験して通うことになった。

子供のころから映画好きの三谷は今日も昼から映画館に通って桟敷席で映画を楽しんでいた、空いた映画館であったが向こう側にやはり学生が映画を見ているのは知っていた。幕間にロビーに出るとその所に丁度向こうに居た学生とバッタリ会った。それが清家忠昭、京大理学部の秀才と以降映画を通じて親友となる。

三谷はこの清家の人づてで京都撮影所のアルバイトをすることになった。突然エキストラに駆り出されて偶然にも同じ下宿屋の京大の哲学専攻の先輩、早苗を知り、恋人同士になる。しかし、清家は昔この撮影所で若くして自殺した女の亡霊と恋におちてしまう・・。


私が絵の勉強に夢中だったころ丁度、東大は学園紛争の真っ只中でした。文京区の下宿の部屋の中まで催涙弾の臭いに悩まされながら「・・・彼らは何を・・!」と憤慨していました。三谷も清家も学園紛争より映画に夢中だった。

この話は浅田さんのどこまでが自叙伝でどこからが創作なのか。そしてその先にはホラーとミステリーが心地よくミックスして青春ドラマに仕立てられていました。


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  [No. 492]    1月 24日


   小学館
「 海近旅館」柏井 壽
      2018年作・285ページ

・・・ーーーお見送りのときに、お越しいただいたとき以上の笑顔を、お客様が見せてくださるようでなきゃダメ―――。

空から聞こえてきた房子の声に、美咲は自信を持って首を縦に振った。ちぎれんばかりに手を振って見送る車がだんだん小さくなり、やがて見えなくなった。美咲はホッと小さなため息をついた。

余韻に浸っているひまはない。旅館の仕事はエンドレスなのだ。チェックアウトが済めば、次はチェックインの準備をしなければいけない。慣れないうちは大変だとばかり思っていたが今は違う。

こうして次につながっていかなければ旅館は立ちいかないのだ。止まったら倒れてしまう自転車のようなもので、自転車操業と言う言葉を今はポジテブにとらえている。美咲は早速掃除に入った。・・・



伊豆、川奈の旅館の娘、海野美咲は母房子が病気で亡くなったのを機会に東京の勤めを辞めて実家父や兄の経営する海近旅館の手伝いに川奈に戻ってきた。

しかし、兄はイヤイヤ旅館を継いでいたし、父も少し頑固なところもあってなかなか美咲の想うような旅館業には専念できなかった。

そのうちに美咲自身、周囲を知りお客さんと心で触れるに従って旅館業の楽しみも見いだせるようになってきた。


元々私の思い入れる宿泊経験と言う多くは民宿、ないしはそれよりも少し毛の生えた程度の旅館と言う宿屋に興味があって過ごすことが実に多いのです。そこには宿主の個性があふれんばかりに旅行の醍醐味として欠かせないものがある。

良い旅・・って意外と宿の方の心情に触れその風土と実によく折り合って想い出多い旅となることが多いのです。まだ不慣れな女将の美咲さんが旅館業の楽しい深さを知ったことに安堵しました。


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  [No. 491]    1月 20日


   集英社
「 神奈備」馳 星周
      2016年作・257ページ

・・・「そんなに欲しけりゃ、バイトして買うなり、盗むなり、自分でなんとかするもんだよ」母はいつもそうだ。違ったためしがない。新聞配達のアルバイトをはじめ、こつこつ貯めたお金で買ったのがこの自転車だった。

買ったその日に地蔵峠を目指したが、途中で断念した。それぐらい木曽街道の峠道は厳しかったのだ。毎日、少しずつ漕ぐ距離を延ばしていき、三ヶ月後になんとか地蔵峠まで登ってくることができた。

そのときは疲労困憊して、自転車を降りると地面に大の字に横たわり、しばらく起き上がれなかったほどだった。

しかし、それでめげることなく次の日も登った。次の日も登った。大雨や台風でないかぎり登り続けた。さすがに冬季は諦めたが、とにかく登り続けた。・・・



芹沢潤は中学生の時にアルバイトで貯めた金で買ったロードレーサーで出勤前の木曽福島のある自宅から地蔵峠の展望台まで登ってくることを日課にして体を鍛えた。

将来は高校を出てヨーロッパで活躍するプロのロードレーサーになる夢を持っていた。しかし、母親がいけなかった。呑み屋を遣って居た母が誰の子か知らない潤を身籠った後、潤は暫く祖父母に預けられて育った。

祖父母亡き後、母と二人暮らしであったが高校は諦めて地元の製薬工場に勤めさせられた。挙句に酒を飲んでは潤に悪態をつく日常だった。

そんな母に愛想が尽きて一人、晩秋の御嶽山に登った。そして山の神に遭ってなぜ自分はこんな惨めな生活をしなくてはならないかと・・・


以前、「少年と犬」で賞を戴いた作家の作品ですが案の定、主人公の潤を初冬の御岳山山頂付近で死なせてしまいます。捜索する強力の男性との交錯が何となくだらけてしまった感じだ。

登場人物も三人しかいない。我々読者は山頂の地形も定かでないところでさ迷っている様子が何とも歯がゆい・・、設定に無理が感じられた。


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  [No. 490]    1月 15日


   角川書店
「 てふてふ荘へようこそ」乾 ルカ
      2011年作・343ページ

・・・・長久保さんのおっしゃるとおり、私は不動産業の傍ら、ビリヤード講師もやっていました。本業よりもずっと球を撞いている時の方が楽しかったですね。

事故の日、私は自分用に作らせた特注のキューを後部座席に置いていました。トランクに入れておけばよかったのでしょうが、職人から受け取ったばかりで嬉しくて、手元から離したくなかったのです。

さっそく撞きに行くつもりで、高速道を飛ばしていました。路面状態もそんなに良くなかったというのに。緩いカーブに差しかかった時、車が少し揺れて、キューケースが下に落ちそうになりました。

私は思わずハンドルから片手を離して、それを受け止めようとした。気づいた時には前方のセダンがもうすぐそこに迫っていました。ブレーキを踏んでハンドルを切りましたが、判断ミスでした。そして、ああいう結果になったのです。・・・



高橋真一は大学を卒業したものの彼女に分かれられ、実家からの仕送りも途絶え定職にも付けずにいたため家賃7万円のワンルームマンションに居続けることが困難になった。

高橋は通っていた大学の学生部棟にいって下宿やアパートを紹介する閲覧資料を見に行った。「家賃:月一万三千円」「間取り:2K」「敷金礼金:なし」「管理費:無し」が目に飛び込んできた。

トイレ・風呂・玄関が共同と言う点に古さを感じるがそれでも破格の家賃であることに違いは無かった。しかしそこにはそれなりの理由があった。なんとこのアパートにはそれぞれの部屋に地縛霊の幽霊が住み着いているのだった。


この小説は単なるオカルト作品とは違った乾ルカさんの計算され尽したつじつま合わせが無理なく収まって小説が成り立っている。結局アパートの管理人をしている大屋さん自身も地縛霊であったということです。

私もこうした6部屋くらいしかないアパートに住んだことがあります。マンションの自治会などと違った共同体意識が生まれるようで皆さんが協力し合って問題に取り組む小社会なのです。


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