Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2012年度・読後感想文索引>>

読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.188永井荷風・グーテンベルク 「 四 畳 半 襖 の 下 張 」 12月 28日
N0.187浅田次郎・朝日新聞出版 「 降  霊  会  の  夜 」 12月 12日
N0.186綿矢りさ・文春web文庫 「 勝 手 に ふ る え て ろ 」 11月 26日
N0.185奥田英朗・文春web文庫 「 無  理  ( 下 ) 」 11月 21日
N0.184奥田英朗・文春web文庫 「 無  理  ( 上 ) 」 11月 12日
N0.183田中慎弥・集英社e版 「 共  食  い 」 10月 22日
N0.182樋口有介・中央公論e版 「 海  泡 」 10月 17日
N0.181鹿島田真希・河出書房e版 「 冥  土  め  ぐ  り 」 10月  5日
N0.180朝倉かすみ・講談社e文庫 「 と も し び マ ー ケ ッ ト 」  9月 24日
N0.179赤川次郎・角川e文庫 「 人 形 た ち の 椅 子 」  9月 18日
N0.178重松 清・朝日e出版 「 エ  イ  ジ 」  9月 13日
N0.177川上健一・集英社e文庫 「ら ら の い た 夏 」  9月  1日
N0.176重松 清・文春web文庫 「そ の 日 の ま え に 」  8月 23日
N0.175水沢秋生・新潮e文庫 「ゴールデンラッキービートルの伝説 」  8月 17日
N0.174松沢直樹・(有)曙 「ぼ く た ち の 空 と ポ ポ の 木 」  8月 10日
N0.173重松 清・文春web文庫 「 コ ー ヒ ー も う 一 杯 」  8月  8日
N0.172樋口有介・中央公論e 「 雨  の  匂  い 」  8月  5日
N0.171赤川次郎・徳間e文庫 「 真 夜 中 の オ ー デ ィ シ ョ ン 」  7月 30日
N0.170辻村深月・文春web文庫 「 鍵 の な い 夢 を 見 る 」  7月 21日
N0.169八木沢里志・小学館e文庫 「 続 ・ 森 崎 書 店 の 日 々 」  7月 17日
N0.168河島 誠・角川e文庫 「 夏 の こ ど も た ち 」  7月 11日
N0.167藤田宜永・文春web文庫 「  愛  の  領  分  」  7月  5日
N0.166阿川佐和子・文春web文庫 「 ア  ン  タ  さ  ん 」  6月 29日
N0.165伊坂幸太郎・東京創元社e版 「ア ヒ ル と 鴨 の コ イ ン ロ ッ カ ー」  6月 22日
N0.164川渕圭一・幻冬舎web文庫 「 ふ り 返 る な ド ク タ ー 」  6月 16日
N0.163石田依良・文春web文庫 「 夢  の  香  り 」  6月  9日
N0.162荻原 浩・朝日e出版 「 愛 し の 座 敷 わ ら し 」  6月  6日
N0.161角田光代・文春web文庫 「 父 と ガ ム と 彼 女 」  5月 18日
N0.160樋口有介・文春web文庫 「 八  月  の  舟 」  5月 14日
N0.159朱川湊人・文春web文庫 「 い ち ば 童 子 」  5月 10日
N0.158町田 康・文春web文庫 「 き  れ  ぎ  れ 」  5月  7日
N0.157早見 俊・二見書房e版 「 誓  い  の  酒 」  4月 23日
N0.156奥田英朗・光文社電子書店 「 純 平 、 考 え 直 せ 」  4月 20日
N0.155小池真理子・文春web文庫 「 雪  ひ  ら  く 」  3月 26日
N0.154吉田修一・幻冬舎e文庫 「 パ  レ  ー  ド 」  3月  7日
N0.153中里恒子・文春web文庫 「 時  雨  の  記 」  2月 16日
N0.152石田依良・光文社e書店 「 スイングアウト・ブラザース 」  2月  7日
N0.151小川洋子・文春web文庫 「 や さ し い 訴 え 」  2月  3日
N0.150白河 道・幻冬舎e文庫 「  天 国 へ の 階 段 (下)  」  1月 25日
N0.149白河 道・幻冬舎e文庫 「  天 国 へ の 階 段 (中)  」  1月 22日
N0.148白河 道・幻冬舎e文庫 「  天 国 へ の 階 段 (上)  」  1月 14日
N0.147浅田次郎・幻冬舎e文庫 「 ハ ッ ピ ー ・ リ タ イ ア メ ン ト 」  1月  5日

  [No. 188 ]  12月 28日


      グーテンベルク21
「四畳半襖の下張」金風山人(伝 永井荷風)作
1971年作・ 28ページ

判旨。その時代の社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」といえるか否かと見た時 刑法175条「猥褻ノ文書」にあたると判断する。



「売家」と札が斜めに張ってある空き家があって一見すると普請も行き届いていてこぎれいなのに一向に買い手がつかないようであった。

そこに金風山人と言う人が通りかかって、これはいいものがあったと喜んで買い取った。

さっそく手入れをしようと、母屋から濡れ縁つたいの四畳半に足を踏み入れて驚いた。なんとその部屋の襖の下張に何やら一面にこまかく書きつづる文字のあるを見つけた。いかなる写本の 切れはしならんと経師屋の使う水刷毛で一枚一枚ていねいにはがしながら読んでいくうちに「これやそも誰が筆のたわむれぞや・・」



この作品は金風山人(伝永井荷風)作となっていますが僅か28頁のこの本が裁判沙汰になったことはあまりにも有名でした。

この本を出版した首謀者として野坂昭如氏は罰金10万円を払うことになりましたが私がこの難解な小冊子を2回読み直してみても判旨に言われる意味がどうしても読み理解できません。

そもそもこの本は1972年に野坂氏主催の月刊「面白半分」に掲載されると評判となり起訴された。最高裁判決は1980年となっている。今から40年も前の文学界の常識から言うとあまりにも 表現の自由に対する束縛だ・・との反旗があがったことを思い出す。現代文学でそれくらいのイヤもっと写実的な表現を幾らも目にする事があります。しかし判決の中で「その表現の占める割合・・ 」にまで言及していて驚いてしまった。それでは長編小説の中の28頁を性表現に回しても割合が少ないから見過ごされると言うのでしょうか。

美術・・にしてみると浮世絵にしろ中世の日本美術のなかで性に関する表現はもっとおおらかで自由度があった。ただ絵画の場合は見る人すべてがストレートに感じることが出来るのに文学は 識字率の壁もあって中々庶民の手にすることができなかった表現であったことは事実でした。


今年の最期でしたが短くはありましたが私が「本を読むことの意義・・」について少し考える事のできた面白い一冊の1年の締めくくりでした。

どうぞ皆様よいお年をお迎えください。来年も素晴らしい本と出合えることに期待します。


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  [No. 187 ]  12月 12日


      朝日新聞出版
「降霊会の夜」浅田次郎
2011年作・ 545ページ

題名からして何となくオカルト系の作品かな・・?と少し尻込みしてしまった。でも浅田次郎さんの作品をけっこう読んできた系譜からしてただの面白半分のそれとは違う・・と確信して読み始めた。


主人公(わたし・・)は友人からはゆうちゃん・・とよばれている。私の小学校から学生時代を通り越して50歳代手前ころまでに起こった様々な友人との交流中でも心の深みに置き忘れてきたものの 事あるごとにその記憶は呼び起こされてずきずきと心が痛む事がある。

私の育った頃、父の仕事は運が良かったのか戦争から帰って来てからの事業も軌道に乗り近所ではまだ買うことすらできなかったテレビを買うことが出来るほど恵まれていた。

近所の人たちには居間を開放して皆にテレビを見せて居たりしたが父は如何にも我が家は裕福だと言う態度をすることを嫌っていた。したがってわたしも近所に越してきた同級生のキヨには 特に気を使い、学校のなかでもキヨが苛められたりするのをかばったりよくしてやることが多かった。

友人キヨはその貧しさから父親の指示に従ってあたりや・・という危ない事をするようになり遂には幼い命を失う事となった。

学生時代、学校は学生運動のさなかで勉強したくても授業を受ける事が出来なかった。私たちは連日友人たちの部屋に集まってくだらない話に時を無駄に過ごしていた。真澄という彼女とは 私ともよく気が合って男女の仲を越えた仲間として付き合っていた。梶は金持ちということで私たちに別荘を提供してくれたりパーティーの開催に援助してくれたりそれなりに楽しい学生生活を 謳歌していた。

そんなとき場違いな女性がパーティーに紛れ込んできた、百合子と言って色白でかなりの美貌の持ち主だ。私は一目で気に入ってしまった、真澄はあなたには似合わないわ・・といったが夢中に なってしまった。百合子はチョコレート工場の寮に住み夜間高校に通う身の上で有ったが何時でもわたしに素直に従う態度に次第に飽きてきた。

わたしは百合子にもう私たち別れようよ・・と持ちかけた。百合子は驚いた様子も見せず「わたし、死にます・・」と言ったが以来その真意は測りかねていた。そのころ真澄は生まれ故郷のアメリカ に戻ると言って日本を去ってしまった。

あれから数十年の歳月を重ねわたしは軽井沢の別荘を手に入れて仕事をするようになった。とあるきっかけから近所に降霊術を施す婦人が居て心の隙間にうずくまっている亡き人たちと意志 の疎通が出来ると聞いて出向いた。そこでわたしは多くの意外な事実を当時の本人から直接聞く事が出来て仰天する。百合子は死んでなんか居なかった、真澄は私にぞっこん惚れていたが 口にも出さず傷心の離日をしアメリカでは薬に溺れて身を破滅させた。梶は真澄の事が好きだったにもかかわらず真澄の気持ちを知っていたので今もって独身で居たが交通事故で死んでしまった ・・・などなど。



わたしは最近ある席で、私の組織の先輩だった人からある告白を聞いたことがあり驚いた。もう50年も前の事なのにその先輩はどうしても私に謝っておかなければ・・といってわたし の席ににじり寄ってきた。しかし、その謝ってくれた内容はどんなことかと思いましたが私には一向に思い当たるフシが無いのです。

しかし、先輩にとってはそれを告白して謝罪したことで気持は晴れやかになったと言います。いっぽう、わたしも長い人生のなかで忘れることによって生きる、生かされてきた事実も多いのです。 人は皆そんなことすら考えずにノホホンと暮らしていけるようにちゃらんぽらんに設計してくれた神様に感謝しつつ・・・ああ、眠くなった。


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  [No. 186 ]  11月 26日


      文春web版
「勝手にふるえてろ」綿矢りさ
2010年作・ 216ページ

江藤良香26歳、田舎の高校を卒業して東京のある会社の経理課に勤め8年になる。

経理課にいるとほとんど他の課との交際もないため今まで平穏に勤めていた、しかし或る時営業課の男からコンパに誘われて出て見ることになった。

実は良香は今まで彼氏は居なかったが中学時代のほんの僅かに同級生だったイチノミヤという男の子にずーっと憧れていた。だからコンパの席で営業課の若い子が好意を持ってくれたのだが 中々乗り気になれなかった。

だから同級生をイチ、営業課の男はニ・・ということにしていた。

ニは盛んに良香に交際を迫るもののいい加減な返事をして避けていた。良香はある時偽名を使って中学時代のクラス会を企てた、当然お目当ての男イチも来ていたが話しをするうちイチ のなかの記憶に良香のことなど思い当たるものが無かったことがわかって落胆する。

結局良香はニにするしかないのかとあきらめて返事をしたがニの態度はどうやらいつもと違っていておかしい・・・。



この作品は読み始めからなんとなく神経質で思い込みが強く余裕のない女の性質を前面に押し出していて気が休まない。

バカではないのだけれど社会人として生活するには情緒も不安定だし付き合おうとする男にとっても本当に気の重い存在だと思う。

私の性格ではあまり付き合う相手をえり好みしない性質ではあるがそれは単に今までここに登場する良香のような女に遭遇しなかっただけなのかもしれません。

結局最後はニと結ばれるのだけれどイヤハヤおふたりの前途に幸あれと祈らなくては居られません。


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  [No. 185 ]  11月 21日


      文春web版
「無理(下)」奥田英朗
2009年作・ 514ページ

この年のゆめの市はことのほか厳しい冬を迎えようとしていた。前編でそれぞれの主役級の市民にはそれぞれの立場でこの冬を乗り越えなければならない試練があった。



相原友則のそもそも離婚した理由は妻の浮気であった。妻は何の刺激もない平凡な県庁職員とはいえ、ゆめの市の社会福祉事務所派遣の夫に対して派手ではないけれど平穏な暮らしに 堪えることができなかった。相原自身にもこの冬さえ乗り切れば再び県庁勤務に帰り咲くことができる・・そんな気の緩みから援助交際と言う名の買春に走ることになる。

低所得者層の支援活動費削減の方針を貫くうちに電気もガスも供給を止められた母を介護する男に付け狙われる羽目になった。雪道を運転をする友則の車のバックミラーに大写しになった ダンプカーが覆いかぶさるように迫って来るのを感じてアクセルを踏み込んだ、この坂道の先はつるつるに凍った交差点だ・・。

山本順一はもう既に引退している地元の元県議の三男が順一と同じ地盤から市議会議員に立候補をさせようとしている事を知り激怒する。産業廃棄物処理施設建設を巡っては地元活動家 の出方を探っていた矢先、気の荒い土建業者、薮田兄弟の弟がその活動家を拉致してしまった。直ぐに返すように勧めたが興奮した薮田は事もあろうにその被害者を拳銃で撃ち殺してしまった。

自分もこの件に加担してしまったことを後悔しつつも死体遺棄の為手を貸す羽目になってしまった。順一は観念して薮田兄弟の運転するトラックに同乗し死体を燃やす焼却炉を運搬することに 同意して雪の道を急いだ。

堀部妙子は妹から電話を受けた。兄は母の面倒を見ると言って財産分けの時妹たちに目をつむれと言っていたのに最後は母を施設に入れるによって10万円ずつ出資してほしいと言いだした と言うのである。今では仕事を失った妙子にとって10万円の拠出は大きな出費であった、しかもその母の行く施設は元々6人部屋なのに8人も押し込む哀れな施設であった。

妙子は堪らず「もういい、私が母を引き取って面倒見るから・・」と連れ帰ってしまった。しかし考え事をしていた時思わず大型店舗で購入しようとした折り畳み式車椅子をレジを通さず出てきて しまった。ここで保安員につかまり、妹に身柄を引き取りに来てもらった。とても辛い気持とことのほか寒い日、彼女たちの軽自動車は交差点に差し掛かった。

加藤裕也は暴走族あがりのインチキ訪問販売会社とはいえ先ずは仕事をし、親父の借金の肩代わりをしながら引き取った子の面倒を見ながら頑張ってきた。これはひとえに同じ元メンバー だった柴田先輩の励ましがあったから出来てきた事と感謝していた。しかしその柴田先輩は会社の幹部候補から今度の昇進時に外されて大変に気落ちしていた。

その事を社長に詰め寄った柴田は事もあろうに社長の首を絞めて殺してしまった。加藤にそれを相談した柴田に、先ずは自首しよう・・と先輩を説得する。そして裕也はハンドルを握った。

久保史恵はある日拉致犯人の青年が母屋からの情報をもとにここから一時逃げ出そうと企てていることを知る。犯人の叔父さんがこの男の最近の状況はどうもおかしい、今日これから そちらに出向いて引き籠りについて説得しに来たい・・というものらしい。

史恵は拉致された時と同じように目隠しをされ車の後ろのトランクに入れられて寒さに震えながら雪道を走る車の揺れに堪えていた。



5人もの主人公、それぞれに家族や同僚がいて物語はどのように発展しそして集結するのでしょう。残りのページも少なくなって来たのに・・・奥田英朗さん、この厳寒の雪道で全ての登場人物を すり鉢状の交差点に集結させて衝突させてしまいました。

やるせない想いは皆それぞれが運命として背負わなくてはならないのでしょうか。この最後の惨劇を上空のカメラがとらえてズームを曳くようにして話は終わりました。白銀に胸躍らせて待つ 人生もあれば、どうやってこの冬を乗り切ろうか・・という人生もあるのです。


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  [No. 184 ]  11月 12日


      文春web版
「無理(上)」奥田英朗
2009年作・ 526ページ

相原友則は人口12万人、近隣の町が合併してできた「ゆめの市」の社会福祉事務所に勤務する、元々は県庁職員であるがいずれは県庁に戻されるはずだ。4年制の大学は東京で 過ごしたが妻の希望で郷里の県庁に就職したものの平凡な田舎暮らしに飽きた妻に別れ話を持ち出され現在は独身。主な仕事としては保護世帯といわれる低所得者層のための 支援活動費を県の指導的観点から厳しくして見つめなおす・・ことにあった。

山本順一はゆめの市の市会議員をしているがもともと生前の親父の地盤を引き継いでの市政を担っている。しかしいずれは県議選に打って出ようともくろんでいる。地方の議員の宿命かも 知れないとはいえ地元建築業者との癒着は免れない関係にあった。

堀部妙子はもう間もなく女盛りを終えようとするほどなれどスーパーの保安員として警備会社から派遣されて万引きの犯人逮捕に目を光らせていた。しかし彼女は宗教団体にも所属していて 万引きで捉えた女は別の宗教組織と聴き自教団勧誘を引き換えに許そうとしたが発覚して解雇される。

加藤裕也は地元の最低の高校をやっと卒業したが元暴走族先輩の訪問販売会社に勤めてインチキ商売と知りつつも仕事に精を出していた。しかし元彼女との間に生まれた1歳の子供は養育 費をめぐって結局裕也が引き取って育てることになった。それは元彼女が今まで社会福祉から受けていた保護世帯としての支援打ち切りによるものだった。

久保史恵は地元の高校を卒業した暁には東京の4年制大学入試を強く望んでいたが親を説得するほどの学力が無い、進学指導の先生にも進められて進学教室の塾通いに精を出して いた。しかし或る晩、塾帰りの彼女は何者かの車に襲われて誘拐される。犯人はパソコンゲームにのめり込んでいた引きこもりの青年であった、どうやら彼女は架空のゲームの御姫様役として 監禁され命に別条はないとは言えすでに1週間近くも誰とも連絡が取ることができない・・・・。



さて、上編として概ね主要な5人の主役級登場人物のプロフィールが出そろった所で終わっています。近隣の合併で発展を目指すはずの市制ではありましたが住民の意識は発展どころか レベルの低下が以前に増し顕著になってきた。その要因はどこの都市にもみられる街の空洞化がみられることだ、郊外に外部資本による大型施設が繁栄する一方在来の市中店舗は シャッター通りと化しそこに働く人の職業と向上心を無くしてしまっていた。

すこし出来のいい若者は都会にあこがれ、出来そこないで残った若者も受け入れる職場も無く老夫婦の住む家はインチキ商売の餌食になりやすい・・・。

さて、この状況は下巻に置いてどんな展開が待っているのでしょう。題名の「無理」と言うことは希望が無いのでしょうか・・。


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  [No. 183 ]  10月 22日


      集英社e版
「共食い」田中慎弥
2011年作・ 228ページ

平成23年度芥川賞受賞作品・・・、この「共食い」という題材も強烈ですが記者会見場における作家、田中慎弥氏の態度と言葉にも屈折した人生を見るようで辛く思いました。



篠垣遠馬は17歳の誕生日間もなくここ川辺地区に父の円(50歳)とその愛人琴子(35歳)の3人で暮らしていた。この地区を流れる川向かいには遠馬の実母である仁子(60歳)は魚屋を 営んで住んでいた。仁子はまだ男盛りの円から見れば既に性欲の対象外ということもあったが円の暴力に耐えかねての別居であった。

しかし遠馬にとっては実母として足繁く通うこともあるが今もって円とその愛人琴子も仁子と親しくつき合っている不思議な関係であった。

遠馬には一つ年上の会田千種という彼女が出来、彼が17歳になるまではセックスはしないでおこうと誓っていたが誕生日を迎える日までにもう何度の交わりをしたのかも忘れるほどになって しまった。小さな部落の川辺地区、その仲は直ぐに皆に知れ渡る事となり子供たちも盛んに囃し立てることであった。

今日も子供たちの囃子に乗って遠馬は地区にある杜に出向く。同じく子供たちにかどわかされて待っていた千種と愛欲をむさぼるのであった。ある時、気持ちの掛け違いから遠馬は千種と 交際をしばし絶ってしまった。

杜の祭りの日ものすごい雨降りで人出も拒むものであった、しかし千種は子供たちのかどわかしに乗って杜に出向いたがそこで悲運にも父親の円に犯されてしまった。・・・・



怖いもの見たさ・・・という気持ち半分で読んで見ましたがすっかり彼の毒牙にわたしも打ちのめされてしまった。

芥川賞に値する作品というのはこういった作風が好まれるのでしょうか。田中氏は1972年山口県生まれという、そして作品に出てくる言葉使いはその山口県にある川辺地区の言葉でしょう。 作品の異常さにこの方言が良くマッチし非情さを一層募らせられる想いがする。

冒頭、昭和63年7月・・・とわざわざ月日を定めていますが奇しくもそれは田中氏の17歳に合致する。それは彼の異常な生い立ちそのもののストーリーだったのでしょうか・・・


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  [No. 182 ]  10月 17日


      中央公論e版
「海泡」樋口有介
2004年作・ 654ページ

木村洋介は東京の大学に入ってから2年ぶりの夏休みに郷里の小笠原父島へ帰ってきた。26時間の船旅で小笠原丸は埠頭に横づけとなり村の関係者の歓迎の雑踏のなかタラップを降りた。

洋介の父親は海を題材とする画風で一世を風靡する人気作家であり父が離婚を機に小笠原に住むことになったので洋介もここで中高と過ごすことになったのであった。

従って島に昔から住む住人にとって洋介一家はやはりよそ者の扱いではあったが洋介の同級生からはそのような扱いは無くむしろ新しい空気として向かい入れられていた。

クラスにはほぼ同じくして編入学してきた財閥の娘、丸山翔子もいた。彼女は容姿といい抜群の学力と言い今まで人気のあった和希にとって代わる男子憧れの的となった。

洋介がこの夏休みに帰ってきて先ず訪ねた翔子は血液の癌に侵されていて既に余命いくばくもなかった。そしてやはり洋介と同じ船で帰省した和希であったが何となく人目をはばかる仕草も 見せて訳ありであった。

その他クラスメートとして民宿の跡取り娘、洵子や漁師を継ぐ浩司、そして島では抜群の秀才で将来を嘱望された藤井智之など顔をそろえてひと夏の賑わいを見せたが・・・



樋口有介氏の作品は実はこれでしかも今年になって3作目・・・、読んでいて私としては文章の羅列・・などある種の親しみを感じるのです。どんな作品、音楽にしろ絵画にしろ善し悪しとは別に 好き嫌い・・という言い回しがありますがわたしは彼の作品に好きという親しみさを感じるのです。

作品では主人公の木村洋介が夏休みで過ごす故郷のクラスメートとのかかわりを通した青春ミステリー風作品に仕立て上げた長編大作でした。

最初に読んだ「八月の舟」でも高校生同志の友情とおとなになって行く過程での人間性としての成長を実によく捉えて私に感銘を与えてくれました。次に読んだ「雨の匂い」でも少年から青年に 移って行く気持ちの優しい青年の憂鬱の描写をわたしは「シュール的・・」と表現しましたが繊細に揺れ動く青年の気持ちを伝えてくれました。氏の表現はそれらを代弁するような危うさが 私に好感として伝わるのでしょうか。

「海泡」は大変な大作でありしかも小笠原の情景描写もそして村に住む人々の状況も決して説明ではなくとも素直に伝わって来る・・・言ってみれば上手過ぎて不満もありますが登場人物の それぞれの個性が強烈なためでしょうか綺麗な文章も嫌味に感じないのかもしれません。

樋口さんは最後に読者を喜ばせるためにいわゆる「どんでんがえし・・」を用意してくれました。それを作りだそうとすると説明する嫌味が出てきてしまいます。この先樋口さんはどんな作品作りに 進んでいくのでしょう。私はもっと樋口さんと登場人物と一緒になって揺れ動きたい・・・


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  [No. 181 ]  10月  5日


      河出書房e版
「冥土めぐり」鹿島田真希
2012年作・ 213ページ

奈津子は昔裕福な家庭で育ったと言う母と不埒な弟の三人で暮らしていた。母は父親とはとっくに離婚、弟は金使いが荒く今まであった財産もことごとく処分してしまった。

そんな境遇の中奈津子の稼ぎだけが一家の収入のすべてであった・・・。奈津子はそんな生活から逃れたいとの思いから市の生活課に勤めていた太一と知り合って結婚する約束をした。

母と弟に引き合わせると「そんなうだつの上がらなそうな男とどうして結婚なんかするのだ・・」と反対した。そこには当然のことながら彼からの支援が見込めそうもなかったからであった。

それでも奈津子は太一と結婚した。母からはしょっちゅう愚痴っぽい電話が掛かってきてうんざりしていた。そんな時、太一に思わぬ病魔が襲い、車いすの生活になってしまった。

奈津子は一心に太一の看病と付き添い、そしてリハビリに時間を費やした。そして落ち着いた頃太一と旅行する計画を立てた。そのホテルは以前は母がまだ若くて裕福だった頃に祖父から連れて 来てもらっていたという由緒あるホテルだった。しかしそこが格安で泊まれるようになったと言うので決めたのだった・・・。



そもそも冥土・・って仏教用語というか霊魂が迷いながら行く道のこと。そう言った意味では奈津子はさまよえる霊魂の使者・・・はたまた鹿島田真希という作家のさ迷える姿なのだろうか。

この短編にもうひとつ「99の接吻」という意味不明な文字の羅列された作品も載っていた。これは下町に住む四姉妹と母親・・というこれまた奇妙な組み合わせの家族がこの付近に引っ越して きたSという男にひっ掻きまわされると言う話だった。


この二編を読み進むうちに私は自分がだんだん不機嫌になって行くのが良く判った。

たぶんあなたはこんな文章を書くことによって自身に対しての発露をみいだして更に生き延びようとしているのだろうけれど大きな間違いだと思う。まだ30代という若さがあるうちはいい、 しかし体力が無くなって来た時ハタと気がつくだろうが取り返しがつかなくなってしまうかもしれない・・と危惧する。

ちょうど某美術館所蔵のゴッホの「糸杉・・」の絵が日本で見ることができると言う。あなたの作品はゴッホの絵と変わらない。作家は善きにつけ悪しきにつけ読む人の心を気にして戴かないと 困るんだ、そんな意味であなたの作品は完璧な”純文学”といえるかもしれない。

多くの人の解釈によってもっと毒気を抜き去って戴かないと私が読んでは下痢をしてしまいます。


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  [No. 180 ]   9月 24日


      講談社e文庫
「ともしびマーケット」朝倉かすみ
2009年作・ 448ページ

北海道、とある街にそのスーパーマーケットはあった。その名をスーパーマーケット鳥居前店という、このスーパーマーケットを利用する様々な人間模様を9編の短編として いてそれぞれの人生模様がスーパーの近所で展開されていく。しかしそこの主人公は何かしら次の作品や他の作品に脇役として登場してくる・・・



中学生の加藤滴(シズク)は同じクラスの加藤研(ミガク)とは同級の2年2組であるがほとんど口を利いた事がありません。しかし今日も下校時に1年の下駄箱の陰に身を隠して 佐藤ミガクがやってくるのを、かのじょは待っているのです。かれの下校風景をながめるのは、すでに日課となっています。

すべては恋のせいでした。胸がむやみに高鳴ります。靴屋のこびとがそこにひそんでいるようです。

トテチテカンカン、ちくちくちく。佐藤ミガクを思うたび、こびとたちが騒ぎます。


バレンタインデーまであと2日です、加藤シズクはノートに計画を書きます。それにはおこずかいをはたいてスーパーで衣装を買ってきて変装した上でミガクにチョコレートを手渡すのだ。

買い物は済んだ、明日の為にミガクに電話をして手渡す場所を伝えなくてはならない・・。スーパーの公衆電話からミガクの家に電話を掛けた、幸いにも電話に出たのはミガク本人だった。

どうしたのだろう、シズクはのどから声が出ない・・・もたもたしているうちにミガクは電話を切ってしまった。・・・もう、だめだ。

シズクはそのままトボトボと雪像の並ぶ大通りに歩いてきた。ちょうど雪像は自衛隊の大きな機器により解体されている最中だった。シズクの心のなかもこの雪像のようにもうもうと雪煙りをあげて 崩れ落ちて行く気持ちでいっぱいだった。


巨大な名古屋城を模した雪像にショベルカーが打ちおろされた時、不意に後ろから聞きなれた声がして肩をたたかれた。なんとミガクがにっこり笑って立っていたのです。そういえばミガクって お城オタクだったんだ・・。

こびとたちが騒ぎたてます「チャンスだ!、はやく打ち明けちゃえよ・・!」しかしシズクはまた言葉がのどにつかえるのです。そしてトテチテカンカン、ちくちくちく・・・こびとたちが騒ぐのです。



朝倉さんは1960年北海道生まれ・・といいます。私はどうした事でしょうこの年になってまだ北海道という所に言った事が無いのです。でも朝倉さんの小説は親切です、232号・・という短編では 「北海道は菱形だ。地図でいえば向かって左の一辺を、てっぺんからおりる道がある。国道232号線だ」

多くの作品のほとんどは稚内から留萌、札幌、小樽に展開する。登場する人物や使う言葉使いを通して北海道に行ってみたい・・。と


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  [No. 179 ]   9月 18日


      角川e文庫
「人形たちの椅子」赤川次郎
1992年作・ 738ページ

先日初めて読んだ赤川次郎氏の短編集を「有名作家でしょうけれどこんな作品なんか・・」と書いたら「もっと、ほかのも読んでみな・・」というメールをいただいたので手始めにこの長編ミステリー を読むことにした。



永瀬敦子はK化学工業本社ビルの受付勤務であった。受付業務は主任の宮田栄子など3人でこなしていたが重要なお客さんが来る時には宮田が何時も対応してくれていた。

今日はアメリカから重要な取引の為来日したお客の訪問接待がある、本日の対応の為フロアーはいつにも増して磨き上げられていた。当然ながら宮田が対応する所であったが不覚にも そのフロアーで滑って転倒し腰を痛めてしまった。止む無くその大役を永瀬敦子が負うことになった。

一方、K化学工業は主力生産品の輸出事業が上手くいかず地方にあった二工場を閉鎖、従業員も解雇する厳しい状況であった。会社としてもなんとかして今日の取引で現状維持の水準を 保ちたいと願っての有力取引先の接待であった。しかしこの重要な日を狙って閉鎖の決まった工場労組幹部がプラカードを持って本社襲撃に向かったとの情報も届いていたのであった。

総務担当の大西課長はこの大切な難局をどう乗り切るかが自分に果せられた最大任務と考えた。先ず受付担当が永瀬敦子と聞いてここは止む無し、しかしお客の来訪と労組幹部到着の 時間差に対処しようと先ず社内の屈強な若者を徴集したのであった。奇しくもその中に永瀬の恋人である有田吉男もいた。有田は学生時代には屈強なアメリカン・フットボールの選手であった ことから体格も優れ「若いのを立たせておく・・・」の一員に選ばれたのだ。

予定通り労組幹部がやってきた。受付の永瀬は冷静に向かい入れ大西課長に報告の電話を入れた、すかさず警備担当者がフロアーのガラス一面を布で覆って表の通りから中が見えない 状況を瞬時に施した。労組幹部は7名であったがそれを上回る屈強な若者たちが次々に襲い掛かって労組幹部を叩きのめしたのである。

そのありさまの一部始終を目の当たりにした永瀬はあまりの凄まじさに気分がわるくなるほどであった。なかには吉田の肩車から放り投げられて大理石の柱に鈍い音をたてて衝突したものもいた。

全員おとなしくなり、会社の指定した近所の診療所で手当てしてもらい帰った。アメリカからの来客が到着する頃までに本社ビルのフロアーは何事もなかったように綺麗に掃除されて元通り の静寂さに帰った。


しばらくして会社のまえを17歳くらいの少女が所在無げに行き来するのを永瀬は目撃した。帰社のときには地下鉄乗り場近くの石段に座っているのが判った。ちょっと気になって「どうしたの?」 と声を掛けた。やはり、少女の父親は閉鎖した工場労組幹部であったが6人は帰って来たのに自分の父親だけがあの日以来まだ帰宅していない・・・というのだ。

永瀬はその一部始終を見ていたのだが大西課長の言う「今日見たことは誰にも喋らないように・・」という言葉が妙にひっかかった。ひょっとして自分がそのあと気分が悪くなって応接室の ソファーに休んでいる間に何があったんだろう。大理石にぶつかった人は診療所で見てもらったんだろうか・・・。恋人の吉田はそのことについて何一つ言ってくれないけれど・・・。



この作品は1992年・・赤川氏がまだ40歳代前半の脂の乗り切った頃のものでしょう。確かに前読みの「真夜中の・・」に比べ20年ほどの年齢差が感じられ物語の掌握という意味では人物層 に厚みもありその分作品としての大河性にも力があることが伺われます。

この作品は今から20年前の都会のサラリーマンを対象にした作品でもありそれなりの時代遅れ的要素は免れない、たとえば電話ひとつの例にしても現代のような携帯の時代ではないので ストーリーのなかにももどかしさを感じる。だけどそうなんだろうか・・・?、この作品にはなぜかもっと根源的な古くて時代遅れ的な感覚がどうも残ってしまう。その原因は私が好んで現代作家 の多くを読んでいるためだけなようではなさそうです。宮沢賢治や新美南吉、藤沢、小林、灰谷、太宰・・・みんな昔の文学なのに古さを感じさせないもん。


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  [No. 178 ]   9月 13日


      朝日e出版
「エイジ」重松 清
2001年作・ 689ページ

今日のニュースで都内の公立小中高生を対象に「いじめ・・」に対するアンケート調査結果が公表されました。実にこの1年間に1万500件余、昨年の4700件の倍以上・・と報告しています。

まあ、その件数の差を見ただけで判断はできませんが確かに「いじめ」は存在します。要は「いじめ」はいけない事、罪悪なのか。容認すべきこと、成人する過程で必要な競争心や淘汰を 経て成長する精神性の誰でもが越えなくてはならない壁なのか議論は分れます。

このところ立て続けに読み漁っている少年期のノストラジーとその底に潜む残虐性に興味を抱いて中学生版・・・として再度、重松さんのこの本を選んで見ました。



高橋エイジ、14歳・・中学2年生。身体の組織を作るのがその成長に追いつかない。部活のバスケット部で期待されていたのに成長期の関節痛に悩まされ休部を余儀なくされている。

そして精神性も、「なんで横断歩道渡らないんだよ」と訊かれて「だって赤信号だもん」・・・頭の回転は利いても社会の制度の中での自分の立ち位置が全く判っていない。

家族関係に置いても浮いては居なくてもなんとなく馴染めない、そして学校のクラス内に置いてもそんな関係を引きずってしまっている。そして厄介なことに性に目覚める年頃ではあるが特に 男子中学生は生身の女性と付き合うことが苦手で希薄な人間関係のなかプライドだけが高くなり、相手が自分の期待していたのと違う反応をしたら一気にキレテしまうことなのでしょう。

そんな環境に棲むエイジの街で連続通り魔事件が発生した。なんとその犯人はエイジのクラスのごく普通の生徒だった。エイジは考える、そんな事は自分にも起こり得る状況だ・・・ただ押さえる事 ができたから事件を起こさなかっただけの事、本質は自分とまったくおんなじだよ、と思う。道路に水溜りが出来る場所はいつも決まっている、晴れているときは気付かない程の浅いくぼみでも 水は必ずそこに向かって流れる。僕たちのなかの意識でも決まってそこに向かって流れて行く・・・必然からしての現象としていじめも自然発生するんだろうか。

エイジはまた部活に復活した。スポーツをしていなかった時期には何時クラスメートと同じような犯罪をするかもしれなかった精神状態の「その気」はいまは静かに眠っている、どこにいるかは知らない。

消えてなくなったわけじゃない。スポーツが好き、好きな彼女に告白した・・・「好き」がたくさんあればあるほど、「その気」は奥に引っ込んでくれるような気がする。



この「好き」がたくさんあればあるほど「その気」は奥に・・・って強く思います。想えば私も中学生から高校生の大半はスポーツに夢中でした。エイジの「その気」とは違うかもしれませんが毎日 スポーツに明け暮れてそして腹が減って飯を食べると眠くって・・・つまり思春期の悩みを全く経験しないまま大人になってしまった気がします。

でも神さまは早かれ遅かれひと通りの過程は誰にも平均的に果す事を義務付けてくださるようです。いい年をした頃に「おまえ、そんな事も知らねーのか」ナンテね。


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  [No. 177 ]   9月  1日


      集英社e文庫
「ららのいた夏」川上健一
2007年作・ 578ページ

坂本ららと小杉純也が初めてであったのは、運動会のマラソンでのことだった。大方の予想では3年生で昨年もぶっちぎりで優勝した野球部の小杉純也が今年も優勝候補だった。

折り返し地点を悠々と独走して住宅街のはずれの道に出た、その途端、あろうことか背後に軽快な足音が迫って来たのだ。そしてあっという間に並ばれてしまった。

「君、何年生?」スッスッ、ハッハッ。「一年生」ららはいった。「陸上部かい?」「違うわ」「じゃあ、バスケット部?」スッスッ、ハッハッ。「はずれ」スッスッ、ハッハッ。・・・

その日最後のデッドヒートを征してららは一位になった。毎日走るのが好きで湘南の砂浜を走っていたからだ。小杉純也もその剛速球を買われてプロに行く決意をしていたので以来ららとここ 湘南の浜を毎日走ることにした。

坂本ららは陸上部から誘われたが断り続けた。しかし市民大会のロードレースや学校対抗の駅伝には出て話題をひとり占めした。そしてついにフルマラソンに出て好タイムを出しついに 国際マラソンの招待選手として世界の強豪と戦うにまでなってしまった。僅差で優勝はしたもののそのまま入院してしまった、実は悪性の貧血症の病魔が襲っていたのでした。



走ることの好きな人は恐らく毎日自分のペースで走りたい気持ちをもっています。つまり走ることを身体が要求するのです、多少疲れているときはリラックスして走ることによって疲れが 取れるのです。負荷のかかる身体の組織はそれに持ちこたえようと発達します、筋肉も、心臓も・・・。ですから普段の生活では脈拍も少なくて済むし呼吸回数も少なくしないとオーバーヒート してしまいます。

そして身体は走っているときの方が何と言っても気分がいいのです。でもそれによって細胞は活性化するでしょうし病魔の付け入る隙もた易いのかもしれません。高校生のららが驚異的な記録 を出すような持久力や乳酸の効率的排出などの異常発達は危険信号の兆しだったんでしょうか。

爽やかな青春純愛ドラマに悔しさをにじませて本を閉じます。


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  [No. 176 ]   8月 23日


      文春web文庫
「その日のまえに」重松 清
2005年作・ 576ページ

一瞬短編集なのかな・・「ひこうき雲」「朝日のあたる家」「潮騒」「ヒア・カム・ザ・サン」「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」しかしそれらの作品は「その日・・」シリーズの中に巧みに 取り込んで一つの作品として成り立っていました。


「ひこうき・・」では小学6年2組、頑固でどちらかと言うと皆からはあまり慕われなかった岩本隆子が白血病で入院する。先生の勧めで皆で色紙を贈ろうとクラス委員の山本美代子は女子の方は 絵を書くことに纏めた。他の子は花をかいたりお人形をかいたり・・・美代子は飛び立つ鳥の絵を描いたのだが男子のチャチは「なんか岩本、もうあの世に行ってしまうようだね・・」その子はついに 還って来ることはなかった。


「潮騒・・」佐藤俊二は体の不調を覚えるようになって以来の検診で「余命三カ月」の宣告を受けた。突然のことで頭の中が真っ白になった、仕事の事、妻に何と言ったらいいのか、息子にも すまないことだ・・。そんな事を想いながらその足で32年前に過ごした小学時代の海辺の街を訪れた。まだ薬局屋はあるだろうか・・、たしか出目金というあだ名の同級生はこの街にいる のだろうか・・と、同じ場所にドラッグストアーがあって頭の禿げた男が見えた。しかしその目玉はあだ名の通り変わっていなかった。「石川!オレ、誰だかわかるか・・?」「シュン・・だよ」


「ヒア・カム・・」高校二年のトシは母親と二人暮らしだ。化粧品セールスが終わって疲れて帰ってきた母であったが「今日は疲れてしまったので夕飯は買ってきちゃったよ・・」そして 「あの駅前でサ、可愛い子が歌ってたんで少し聞いてきたんだけど気に入ったんだよ・・カオルくん」「ウッセーナー、アッソーカヨ・・」と何時もの会話が続いた。その話のついでみたいに「今度、 再検査しなさい・・なんて言われちゃったけどめんどーでね」
トシは「母ちゃんどこを再検査すんだよー」しかし母親は答えず笑いながら「あの子さ、お前と同じ年だけどシッカリしてるの」「比べんなよ、関係ねーじゃん、俺は」「ほんと、よかったなあ・・・カオルくん」 とまなざしはさらに遠くなる。
トシは母のいない間に「家庭の医学」を開く、シッカリと栞がはさんであってそこには胃カメラ、胃がん、などの症状などの説明・・・他のページの栞の所には転移性肺がんの解説があった。大変だ、 母ちゃんが死んでしまう・・。駅前のストリート歌手にこんなおばさん知らんか?と尋ねた。カオルくんって言うから男だと思ったら女の子だった、「あっ、おばさんの言うようにトシ君本当に来た!」
「あいつ病気のこと何か言ってた・・?」「うん、私に話したら家に帰った後でもふつーに過ごせるんだって・・」トシはその事を聞くと急に母親が愛おしくなってきた。


「その日のまえに」私と妻・・、初めて二人が棲んだ町湾岸線の相模新町と言う駅を訪ねる気になった。僕はまだイラストレーターとしては 半人前、20年前に結婚し和美名義で契約し、駅から 歩いて8分の「グリーンハイツ新町」だった。そしてここに棲んで2年の間に私の描きためた絵は少しずつ・・・そして食っていけるようになった。そのとき神様って居るのかもしれない・・・
夕べは久しぶりに家族4人で食卓を囲んだ。病院から一時帰宅した和美のために彼女の大好物のフグ鍋にした、しかし彼女はひと口かふた口しか箸をつけなかった。その分中学2年の 健哉と小学5年の大輔はよく食べた。


「その日」・・・「なんでママだったんだろうね」「長生きしているひと、いっぱいいるのに、なんで僕のママだけ病気になっちゃったんだろうね・・・運が悪いよね、サイテーだよね、・・・」健哉は悔しさを 隠しきれずに僕の背中を叩き続けた。
僕は「神さまは最後の最期まで、和美にはいじわるのしどおしでした」と義父につたえた「そうですか・・じょうぶな子に産んでやれんで、すまんかった」神さまよりも人間のほうが、ずっと優しい。 神さまは涙を流すのだろうか。涙を流してしまう人間の気持ちを、神さまはほんとうにわかってくれているのだろうか。


「その日のあとで」私は小さな町の花火大会のデザインを引き受けていた、商店街の役員をしているドラックストアー経営の石川さんからだった。お願いされた時この地を思い出に想ってくれている 人たちの為の迎え火なんだ・・・とクラスメートだった俊二のことを伝えていた。そして先生の奥さまにとっても・・・と花火大会に誘われた。
和美の終末期にケアーをしてくれていた山本美代子さんから電話を受けた、「もう四十九日までのことは終わって落ち着かれた頃でしょうか・・、実は奥さまからその日まで預かってほしいとお手紙 をお預かりしておりますが・・」
「いくども、いくども書き直してはして最後におあずかりしたものです・・」僕は封を切って和美と再会した、<忘れてもいいよ>・・・ひと言だけ、だった。
山本さんは話を続けます「小学校の時、今の仕事に就く決心をしたの、「その日」を見つめて最後の日々を過ごす人はじつは幸せなのかもしれない、って。自分の生きてきた意味や、死んで いく意味について、ちゃんと考える事ができますよね。あとにのこされるひとのほうも、そうじゃないですか?」確かに本音だった。ただ速すぎた、でもあと何日・・・何年あっても、僕は答えには たどり着けない気がする。和美はどうだったのだろう、ちゃんと答えにたどり着いたのだろうか・・その答えが<忘れてもいいよ>だったのだろうか。



どちらかと言うと甘美な匂いに似たノスタルジーと、私にとってはあまりにも身近に有った現実の坩堝に・・・ナンモイエン・・。


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  [No. 175 ]   8月 17日


      新潮e文庫
「ゴールデンラッキービートルの伝説」水沢秋生
2012年作・ 466ページ

水沢さんは2012年、第7回新潮エンターテイメント大賞を受賞したこの作品で作家デビューを果たしたと言います。作品に出てくる主人公たちは皆水沢さんと同年代。 そして自身は同姓の小学6年3組のクラスメート、作文の得意な少女、水沢日菜(ヒナ)として登場させている。


幸三郎70歳、夏休みの終わりに田舎によって小学校時代のクラスメートと秋に予定しているクラス会の打ち合わせをするため指定された居酒屋を訪れた、店主とはもう顔馴染みだ。わたしと 地元にいる城南小学校6年1組のクラスメートとは帰郷するたび何時もこの居酒屋を利用して旧交を深めている。「今夜はこちらの席を御用意しています・・」「あれ・・?、今日は4人もですか・・」 「ハイ、そう伺っていますが・・」



羽吹潤平はどちらかとい言うと小柄ではあるが駈けっこも早くとても活発な少年である。小学6年のクラス替えでは背も高く頭もよくどちらかと言うとのんびり屋の津田陽田とおんなじクラスに なればいいなーと思っていた所「オウ!、ヤッター!」ジュンペイはにっこりしてヨータを振り返って見るが彼はぽけーっと空を見つめている。

クラスは男子22名、女子20名、担任は要重吾郎という厳つい名前ではあるが仲良くなれそうな気がする。そんな新学期にウサギ小屋のウサギが皆殺しに合うと言う事件が起きた。ジュンペイは ちょうどその日忘れ物を取りに学校に戻った時ウサギ小屋付近にいた水沢日菜を目にしていた。

ジュンペイはその事をヨータに相談した、しかしその犯行現場を見た訳ではないから決めつけることはできないと言う、ではふたりでヒナを看視し証拠をつかもうと作戦を立てた。

そもそもヒナは昨年この学校へ転校してきたばかり、いつも不細工な服装をしていて目つきもよくない。それに友達もいないせいか何時もひとりで何を考えているのか判らなかった、その他クラス には暴れん坊の健二や気分によってはすぐキレて椅子を振りかざす奴もいるし疑い出すときりがなかった。

ある日、ジュンペイとヨータが遊び場にしていた町はずれにある”ジャンクショップ”と呼んでいるガラクタ置き場に、鍵のかかったまま放置してあったフォルクスワーゲンがあってなんとヒナは針金で ドアーを開けてひとりで自由に遊んでいるのを発見した。

ジュンペイは「ここはオレ達がいつも遊んでいる場所だけどドアーの開け方を教えてくれないか・・」とヒナに頼んだ。ヒナは誰にも言わない事を条件に教えてくれた。そしてジュンペイとヨータは 俺たちと友達に成ってくれないかといった。「でも、ここだけでだよ・・」ヒナはクラスの中で話しかけても返事すらしなかった。

それからというもの三人は学校を終わるとよくこのジャンクショップに来てそのワーゲンの中に陣取って遊び、そして宿題までそこでするようになった。「計算ドリルなんてさ三人でやれば三分の一の 時間ですむじゃん。ひとりがやった分をあとの二人が答え写せばいいんだし」

そのうちに分担も決まってヨータは図工、算数はジュンペイ、作文はヒナが担当することになった。ヒナの作文はとっても上手く、まるでオレが自分で書いたような錯覚さえしてしまった。

ある朝、ヒナが学校に来ていなかった。要先生は「突然なんだけど、急に水沢さんは北海道の方に引っ越すため今朝から学校に来ません・・」ジュンペイとヨータは顔を見合わせた、お別れ の挨拶もしてないしー

ふたりは二時間目の休み時間に学校を抜け出してお別れに行って来ようと考えた。しかし要先生に見つかってしまった、「よう、お前たち先生の水沢さんへのメッセージを頼まれてくれないか・・」

「おまえたち水沢と仲良かったろ」「え?」だってオレたち学校じゃ水沢と喋りもしてないし・・・「これからは作文は自分で書かねえといけないぞ」

「知ってたん、ですか?」「当たり前だ!、教師をなめてはいかん!」わはは、と笑ってオレ達の背中をばん!と叩いた。



水沢秋生さんはこの作品の構成を、現在30半ば過ぎのクラスメートと対照的に小学時代の背景を描写して甘酸っぱい記憶のノスタルジーを強烈に引き立ててくれています。読後の爽やかさ とともに幾つになっても消え去ることのない小学校時代の記憶はだれにとっても宝であってほしい。


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  [No. 174 ]   8月 10日


      (有)曙
「ぼくたちの空とポポの木」松沢直樹
2006年作・ 282ページ

ヤスヒロは消しゴムをなくしたときヒロシが取ったと勘違いして喧嘩をしてしまった。実は落ちていたところを拾った女の子がヒロシのだと間違えてヒロシの机に入れておいたのだ。

ヤスヒロはそのことを知ったあと何とかしてヒロシと仲直りしたいと思っていた。プールの日に学校に行くと横川ひろえ先生がひまわりに水を遣っていた、ヤスヒロはそのことを ひろえ先生に打ち明けた。

ひろえ先生はいい方法を教えてあげます「明日、プールが終わったら急いで学校の裏の原っぱに来て。そしたら必ずヒロシ君と仲直りさせてあげる」

原っぱにはポポの木があってその実をいっしょに食べると仲直りできるという。それをヒロシと一緒に食べるとヤスヒロはヒロシに「ごめんね・・」。



この作品はいわゆる反戦児童文学でしょうか、ポポの木は実存する果物のなる木でその実をみんなで同時に食べると誰とでもお友達になれる・・と言い伝えられているといいます。

この後、ひろえ先生はクラスみんなで食べようとしたのにその日は緊急入院して約束を果たすことができなくなった。ひろえ先生は白血病と言う重い病が発症したのでした。

子供たちは昔の戦争でひろえ先生が原爆症のためその病気にかかったことを勉強する。そして世界中の大人たちにこの実を同時に食べてもらって戦争のない平和な世界にしたいと、 誓い合ったのです。

ひろえ先生は子供たちの熱意でクラスのみんなと同じ時間にポポの実を食べることはできましたがヤスヒロたちがひろえ先生のところを去ったすぐに息を引き取ってしまった。

子供たちの純真さを素直に表現し伝えることができるのが童話作家としての使命でしょう。おじさんは避暑地の木陰でひとり涙してしまった。


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  [No. 173 ]   8月  8日


      文春web文庫
「コーヒーもう一杯」重松 清
2007年作・ 48ページ

三年年上の彼女がバザーで「これ買おうか」彼女が手にとったのは木製のコーヒーミルだった、僕はコーヒーミルで引いて沸かして飲んだコーヒーはこれが初めてだった。そしてその コーヒーはマンデリンというらしい。

「なんでそんなに詳しいの?」驚いて訊く僕に彼女はふっふっと笑って「おとなだから・・」と言った。

「ほんとに詳しいなあ」というと「わたしが詳しいんじゃなくて詳しいひとが言ったことを覚えてるだけ」

19歳の僕はひとの心は言葉や表情よりまなざしにあらわれることをまだ知らなかった。そして僕が東京で迎える二度目の、彼女にとっては最後の冬はコーヒーとともに過ぎて行った。

あれから二十数年の時が流れた、喫茶店で一人コーヒーを飲んでいるとときどき彼女のことを思い出す。

俺、今でもコーヒーはマンでリンのブラックだぜ。ウェイトレスが「お代わりしますか?」と訊いてきた。

「マンデリン、もういっぱい」



若いときに付き合っていた年上のひとって、どうしてこんなにもいろいろなことを知っているんだろう、わたしだけではなかったんだ。

そしていつも「ふっふ・・」っと笑ってごまかされてしまって・・・、おっと、もう半世紀にもなるんだ。


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  [No. 172 ]   8月  5日


      中央公論e
「雨の匂い」樋口有介
2003年作・ 506ページ

夏休み、乗鞍に来て午前中は自転車や山登り、昼食の後木陰で読書…もっとも半分以上はうたた寝だったかネ。

樋口さんの作品は以前にも読んだ気がしましたが思い出しませんしかし作品全体から伝わる一種のシュール的感覚は間違いないと思います。



シュウイチは大学3年生、新宿の繁華街から一歩裏通りの下町的雰囲気な街に暮らしている。父トモカズは55歳、シュウイチが幼いころ離婚し父と祖父と三人暮らしであったが トモカズは末期がんで余命3か月、そしてペンキ職人の祖父カンジは78歳であるが梯子から落ちて以来自宅で寝たきり同然の暮らしをしている。

シュウイチは大学の講義も休みがちになりながら父の見舞いは洗濯物の着替えなど一切を賄い、そして祖父の食事の面倒や下の世話までこなしながらバイトに精を出す。

羽振りも良かった離婚した母、ヒサコがこんな時に父の生命保険を担保に金を貸せ・・とトモカズに近寄る。それを知ったシュウイチは母であっても許せないと詰め寄る。

ヒサコは結局自殺する、シュウイチに教わった睡眠剤の漢方だといってスズランの根を飲んでの中毒死だった。シュウイチに近寄るAV女優だというリサも自殺間際にシュウイチに 電話してくる「シュウイチくん、あたしよ」「やあ」「」しばらくね」・・・・「あたしね、今、手首を切ったの」「ああ、そう」「ものすごく血が出ている」・・・



よくできた子・・・シュウイチではあるがその取り巻く環境は決して穏やかではない、しかしその環境がシュウイチの非現実性、つまり私的にはシュールな感覚と見えてくる。

夏の乗鞍高原の夕時、久方ぶりの雷鳴が轟きそして雨になりました。乾いた地面に雨が激しく降りつけてその匂いはカラっとした匂いでした。樋口さんの匂いの感じ方も少し可哀そう。


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  [No. 171 ]   7月 30日


      徳間e文庫
「真夜中のオーディション」赤川次郎
2010年作・ 374ページ

赤川次郎さんの作品を初めて手に取って見た。彼の存在はいろんなメディアの紹介で目については居ましたがミステリー作家・・・と言う肩書からして何となく敬遠していました。

作品と言うのは文学に限らず絵画でも映画でもその題名と言うのはとても人の興味をつかめるかどうかの大切な道具であることは確かです。

そんな道具に引っかかってしまったわたしでした。



シリーズものを書くことに手腕を発揮し多くのファンを持つと言われています。今回の「・・・のオーディション」もシリーズとしての作品集、「十二年目の帰宅」「危険なシンデレラ」「疲れた主婦の 昼下がり」「シンデレラの予感」「人形の嘆き」でありました。

これは正直言ってつまらない作品群でした。No.170 で読んだ辻村さんの作品も言って見ればミステリーでしょう。そのストーリーの完成度があまりにも慣れ過ぎてそれが薄っぺらなものに 映ってしまうのは人気作家であるが故の悲しさかもしれません。 絵描きの世界でも乱作を続けることは作品の質を落とすばかりか心眼をも曇らせてしまうと言います。

新進気鋭の作家と隣り合わせて読まれてしまっては勝負はつきません。しかし、深く考えず暇つぶしに・・・今度巡り合ったらそんな気持ちで接しようと・・・


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  [No. 170 ]   7月 21日


      文春web文庫
「鍵のない夢を見る」辻村深月
2012年作・ 359ページ

ぼんやりとテレビのニュースを見ていたら平成24年度上半期直木賞に辻村深月が決まった・・・。インタビューで「・・読んでくれた方が”・・あっ、私のことを書いている・・”って勘違いしてくれるような ・・・」そんな気持ち何となくわかる気がして聞いていました。

さて、次は何を読もうか・・・と私の電子書籍の蔵書はすべて既読です。やむなくインターネットにソニーリーダー端末を繋げて検索しているとナントもうその作品が登場しているのです。

いつも電子版は少し時代遅れは覚悟していますがしかし値段は3分の1くらいで本屋さんに行かなくても手に入るのが魅力でした。今回1176円、実本1470円あまり変わらない・・・、いつも 高くても400円どまりなのに。う〜ん、アッ!!、間違えて”購入”のボタンを押してしまった。たまには旬の贅沢と思って取り消さなかった。



短編集となっている通りですが「どろぼう、放火犯、逃亡、殺人、誘拐」とどこにもありそうな題材を身近な感覚でとらえている作品だなと感じた。

育児に疲れ、睡眠不足になりがちになり夫はというと子供が夜泣きのたび気が付いているだろうに寝たふりをしている・・・たしかに夫も疲れてはいるだろうけれど。

お風呂とベビーベッドまでの距離はほんの数メートルだ、何かあったら直ぐに飛んでいける、しかしシャワーの水音でかき消されてしまったら、あの子の泣き声は私に届かない。もしその間に 何かあったらどうしよう。しかし毎度そう思って緊張していたはずが、毎日のくりかえしの中で自然と平気になっていく。

大型ショッピングモールのアクセサリー用品の棚に手に取っていたヘアーゴムを棚に戻してふっと横を見るとベビーカーがなかった。

すわ、一大事誘拐されてしまったんだ・・・モールの警備員たちも大騒ぎ、夫に連絡をしなくては・・・携帯は家に置いて来てしまった、とにかく大慌てで部屋に戻って・・・・。

ナント見慣れたベビーカーが玄関の前に置いてある。そんなバカな、と思いながら震える指で鍵を握り、ドアをあける。・・・子供はスヤスヤとベッドで寝ていた・・・



辻村さんは昨年第1子を出産、子供を保育園に預けた日中に机に向かう「その時間は子供が頑張って作ってくれたものなので自然と懸命になれる」と言っていますが作家デビューしてまだ 4〜5年なのに実体験から醸し出された表現は迫力がある。


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  [No. 168 ]   7月 11日


      角川e文庫
「夏のこどもたち」河島 誠
2001年作・ 294ページ

朽木元、15歳の中学3年生。小学校2年の時東京からこの海岸のある街に移り住んできた、もともと海辺に住む住民と僕らのように海岸を見下ろす高台に移り住んできた子供たちの間には かなりの学力差があって僕はほとんどの教科が9〜10、ただし体育を除いては。

僕が幼かった頃、ゴルフスウィング練習中の父のクラブの直撃を受けて左目を失っていたのだ。義眼のある眼窩は今も成長につれかすかに痛むことがある。

母は翻訳の仕事をしているようだが多少アルコール依存症の気もありそうでそれは僕の子育てや片眼を失ったことなど、商社マンである父親との確執から生じたものかもしれない。

酔った母親は「お父さんともたまには話してあげなさい・・あなたのことを気遣っているのよ、左目のことで責任もかんじているのよ・・」とよく言われる。でもそんな時に限って母は下着も 付けていなそうだし、僕の目の前であられもない姿態をしていたりして・・・まあ、別に気にもしないけど。

クラスの担任は瀬川というまだ独身の女性教師だこっちの振る舞い方は視覚的にも興味的にも随分気になる所だ。そんな瀬川が学校の校則問題について生徒間で話し合った方がいいという 意見を取り上げて僕に校則問題特別委員会の委員長にならないかと言ってきた。まあ、退屈だから委員なら引き受けてもいい・・と返事をしてしまった。

そんな事をきっかけに他のクラスではあったが中井という少女と知り合いになった。彼女はやはり高台に住んでいたが画家の父親は母親とはどうも気が合わなく喧嘩ばかりしているという。

結局、校則問題特別委員会の決議は山の手に住んでいる子らの意見は海沿いの子らの意見をまとめきることができずに紛糾する。僕は中井と共に空しさを感じた。

ふたりは地元の子供たちしか泳がない岩の多い浜辺に出た、そして岩場の陰ではじめてキスをした、中学生らしく・・・。



川島誠さんは児童文学作家でありながら一般小説家でもあるという。児童文学にはその作家が子供の頃の心象を如何に反映させる事ができるかがおおきな要素ではないでしょうか。
決して作家といえども全くの空想で子供の世界を造り出すことはできないと思います、こうして生と性をモチーフに新鮮な少年たちの世界を描けると言うのは彼の豊かな少年時代の葛藤を まざまざと感じさせます。

気になることはここに登場する朽木、中井ともに海岸のある街の造成地高台の新興住宅地に住んでいてそれぞれ父母ともに教養ある家庭環境ではあるがいずれも一人っ子、ですから何故か 生と性に対してかなり直線的(男対女)に向かい過ぎてしまうと感じるのです。その辺が私の子供時代の感覚に比較してすごく違和感を覚えるなー、それは単に私がウブだったと言うことではなくつまり 大きな家族の中(兄弟がいて祖父母がいる家庭)でこそ幼少年期の情操ってもっと柔和に醸成されていくような気がするんだ。そんなことまで感じさせる作品の奥深さを見させてもらった。


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  [No. 167 ]   7月  5日


      文春web文庫
「愛の領分」藤田宜永
2001年作・ 677ページ

長い下積みを経て淳蔵は洋服仕立て職人として東京で営んでいた、妻に先立たれて既に十数年男手ひとつで育ててきた息子ももう大学を卒業する時期になってきた。

若い時から慕ってきた親友高瀬が訪ねて来たのは淳蔵が35年前追われるようにして故郷の信州を離れてから以来のことであった。

高瀬の妻美保子はかつて淳蔵が恋い焦がれた相手であったが以来高瀬の放蕩や持病の発症などもありその年月は彼女をみじめなまでに変貌させていた。

高瀬の招きで淳蔵は久しぶりに美保子に再会したもののかつての愛情は湧かなかった、しかしそこに居合わせたかつての知り合いの娘佳世と知り合い共有した過去の繋がりから急速に意気投合 する。佳世は淳蔵との年齢差を越えひたすらにお互いの将来を考え始めたが共有する過去の事実が二人の恋情に水を差すことになった。



藤田宜永は女流作家、小池真理子の夫でもありましたが直木賞の受賞は妻の1995年に対して2001年と遅れはとったもののその重厚な文章表現にはさすがと言えるものを感じさせる。

彼は後書きで記していますが自分の女性に対する恋愛の中のコンプレックスは常に少年期にあった母との確執が基本にあったとも言っている様にその恋愛の見つめ方にも何か醒めた目線を 感じさせます。

親友高瀬の妻と恋愛感情を共有した時、高瀬は淳蔵に言った・・「・・・俺とおまえの間には職業や収入のことを言っているんじゃない。どんな立派なものでも、着物に合わない帯がある。帯に 合わない着物がある。お前と美保子はちぐはぐな帯と着物だった。そんなふたりを結びつけてしまったのは俺だけどやっぱり愛にも領分があるって思うんだ」


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  [No. 166 ]   6月 29日


      文春web文庫
「アンタさん」阿川佐和子
2003年作・ 42ページ

職場の後輩の結婚式の二次会で、持っていたワイングラスを何かの拍子に揚げたら、ちょうど横を通りかかった彼の肘に当たって大幅に傾いた。その場は散々になった。

パーティーが終わって出口でその彼とまた会った。「さっきのビンゴで食事券が当たったんです、お二人様分・・」差し上げますってことかしらと思ったら

「つき合ってくれませんか」唐突になんてことを。「つき合う?」「食事」「・・でもお詫びは私がする立場ですから」

「だから俺にお詫びするつもりでつき合ってくださいよって意味」「あ、そういう意味・・・」


彼は35歳、宮大工をしているといい若者の感覚はすでに感じられない。「わたしっていくつくらいに見えそう・・?」「うーん、28・・くらい?」結構お世辞遣えるじゃん・・「へへ、もう少しいってるんです、 たぶんアンタさんのふたつした?でしょ」「木村信子・・・ノンコって呼んでもいいよ」

「あら変?、だってアンタさんが私のことアンタって呼ぶから私は少し丁寧にアンタさん・・・って呼ぶのってどうかなって、やだ?じゃ名前教えてくださいよ」。

「俺?ああ、鏑木健一」ひえー、ゴージャスな名前なんだあ。高貴なお家柄?



もうとっくに若くないふたり同志の出会いなのに宮大工・・・アンタさん・・・木の香り・・・そう言った会話に新鮮さを感じそして自然さも伝わって来る。

信子は寝るとき「・・・鏑木・・信子・・か悪くない名前だね、苗字と名前に一つずつ”ぶ”が入っているなんて縁がある証拠なんじゃないかしら・・・」


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  [No. 165 ]   6月 22日


     東京創元社e版
「アヒルと鴨のコインロッカー」伊坂幸太郎
2003年作・ 662ページ

椎名は大学に入学するためこのアパートに移り住んできた。取りあえず近所の部屋に引っ越しの挨拶をしなくては・・・と向かいの部屋に出向いた。

呼び鈴を鳴らしたが返事は無い、どこかに出かけているんでしょう・・・。部屋に戻って引っ越しの段ボールを片付けたり空き箱を玄関の外に出したりしていると後ろから声を掛けられた。

向かいのあるじが帰ってきて後ろに立っていた。彼の名は河崎だという。「手伝おうか・・?」「いや、もうずいぶん片づいたから」と嘘をついた。

「ふうん」彼は考えるようにうなずいた。「それなら、うちにこいよ」で入ると、いきなりワインを持ってきて「乾杯だ」「ちょうど良かった」グラスに口をつけた後で河崎は急にそう言った。

「明日、本屋を襲って広辞苑を奪いたいんだが手伝ってくれ・・」「おまえは見張っててくれるだけでいいんだから」



この本がはじめっからミステリーじみたサスペンス作品だとわかっていたら読んでいなかったかも知れなかった。つまりそうは感じさせずぐいぐいと引っ張って行く文章能力に驚いた。

作品は2年前と現在が繰り返して同時進行して行く表現です。はじめは・何・・?これってそのギャップの溝の深さが繋がらなかった、つまりあまりにも飛躍した展開も次章の現在によって説明され しかもその大きな疑問の溝がだんだん埋められて行く手法に斬新さを感じました。

二度読みするのにはちょっと長過ぎる長編ですがおそらくもっと面白味も増すような気がする。

50年ほど前にMとSに誘われて上野の西洋美術館二階の午後、東の壁に展示されていたモネの睡蓮を盗みたいのでお前は見張りの安全計画を立ててみろ・・って、「ダメだ!、あの小父さんただ 寝てるふりしているだけだぜ・・」


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  [No. 164 ]   6月 16日


     幻冬舎web文庫
「ふり返るなドクター」川渕圭一
2005年作・ 475ページ

紺野佑太が新任地である東京近郊の病院勤めの為引越してきたのはもう夏の終わりだった。

脱サラして医師になった佑太は医師免許を取って2年目で新たな研修先として紹介されて病院に赴任してきた新米医師ではあるが、既に40歳手前見た目も頭の中もお世辞にもフレッシュ とは言えなかった。

佑太の父は優秀な外科医であったが彼はそんな父に反発するように大学は農学部を出て食料品メーカーに就職した。しかし父がヨーロッパからの視察旅行の帰路、飛行機事故で亡くなるや 己の生き方の方向性を見失ってしまった。1年間引きこもった末に出した結論は父と同じ職業を目指す。その後医学部を受験し37歳で医師免許を取ったのである。

佑太は子供の頃父親から口酸っぱく言われていた言葉がよみがえる。「将来医者になって一流を目指さなければいけない・・」と、そんな反発もあっての遠回りではあったがただ一つ 心に留められた父の言葉があった。「父さんはたしかに大学病院の教授で医学会に広く知れ渡ってはいるが、お前にはお前の善さがあるはずだおまえにしかできないことをやればいい・・」

「おまえにしかできないこと・・」佑太は想った、俺にはデイルームで患者たちと雑談することくらいしか能は無い、しかし患者と雑談することだって立派な医者の仕事だろう・・」


そんな佑太の理想は現実の前で大きく砕けてしまった。患者のSさんの担当になった時今までの医師たちから余程粗末に扱われていたんでしょう、中々検査に応じてくれない。よくよく聞いてみると 自分が咳が出る事を訴えているにもかかわらず聴診器ひとつあてて親身に診てくれない・・・という。

結局Sさんは糖尿病で入院はしていたが他の肺疾患で亡くなってしまった。Sさんの奥さんは当時の教授を医療ミスで訴えたが裁判では慰謝料を払うことで決着が済んでしまった。

佑太は教授にくってかかったしかし「ひと言でも謝りの言葉を発したらその時点で我々の負けだそんな事くらい、君だってわかるだろう・・」佑太は大学病院を辞めた。

暫くは健康診断だのそういった派遣の仕事で働くことにした。それでも大きな会社の健康診断などでも佑太の前の診察待ちは長い列を作ってしまって他の医師たちからはいちいち症状など聞いて いないで早くさばくように言われたりした。

佑太はこんな医療現場にあきれるとともにその実態を本にして皆に知ってもらうことが先決だと仕事の余暇に執筆する、こんなことは絶対に許せない・・・と。



作家の川渕さんその物を主人公にした作品でしょう。彼自身遅くに医師を目指しそして現在も医師として講演をしたりまた作家として執筆しながらの活躍中と言います。

世の中多方面にマルチに活躍されている凄い人も多いものだと感心します。聞きかじりですが「できる」と信じるか「できない」と信じるか?、どちらも結果は、完全にその通りになる。


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  [No. 163 ]   6月  9日


     文春web文庫
「夢の香り」石田依良
2008年作・ 36ページ

高野季理子35歳は以前同僚として仕事を分かち合っていた仲間と待ち合わせをしていた。同年代の住吉和美は奇しくも夫と合わず離婚したばかりであった。

ディレクターをしている義之と三人で吉江礼司の来るのを住宅街にある小さな喫茶店で待っていたのである。その礼司は明日取材のため東南アジアから中東に掛けて暫く日本を離れる、その 走行会を兼ねての集まりであった。



季理子は時々想い起こす事があった・・・、それは中学生の頃であったが朝の目覚めに感じた不思議な匂いそれはまさしく少女から大人に変革するために自覚する知覚に現れた男の 匂いであったかもしれない・・・。

そんな事が原因ではないけれど季理子は今もって20数年たった今でもそれが憧れとなり独身を通すことに繋がってきていたのも事実であった。


たわいのない雑談をしていた時ドアーのカウベルがけたたましく鳴って礼司が飛び込んできた。もう8年以上も逢っていないうちにすっかり風格と言うかカメラマン!という風貌が板に就いた 感じの礼司であった。

「どうしたんだ・・?その髭面は・・・」「ああ、これは変装のつもりだよ、向こうでは髭を生やしていないと子供と思われるから・・」「相変わらずまだ独身なのか・・?」

「ああ・・、でも今日、季理子に告白したいことがあって・・・サ」

「そういうことだったんだ、季理子もまんざらでは無さそうな顔つき・・てことは俺と和美は退散するか・・」と義之の言葉に和美も気を利かせて席を立った。

礼司は食事でもしていこうと季理子を促して喫茶店の外に出た、雨上がりに歩道が黒く光り爽やかな風が吹き礼司のフィールドジャケットから発する木綿の匂いが季理子にある感情を 思い起こさせた。



時々こんな風景はどこかで見たことがあったけれど思いだせない・・・とか、こんな人間関係の行違いだとか何時、誰とだっけ。角田光代さんの「父とガムと彼女」でも 匂いの記憶が取り上げられていました。

しかしこの主人公は20年も前の夢の中で感じたある想い・・・、石田さんは「香りの幻想・・」と言う言葉で表していましたが少年期に感じる大人への知覚は35歳で思い起こすより70歳 を過ぎて思い起こした方がとてつもなく大きな想いとして残っている。


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  [No. 162 ]   6月  6日


     朝日e出版
「愛しの座敷わらし」荻原 浩
2011年作・ 829ページ

高橋晃一47歳、食品会社の新規商品開発の部署に所属する課長。彼の開発した「豆腐デザート」は不発に終わるも追い打ちを掛けるように岩手県の営業所へ後任と言う名の転勤を 言い渡された。もはや出世の見込みも無く家での居場所も無い父親である。

史子45歳、子育てと姑そして家を顧みない夫に不満を持つ妻。梓美、中学二年、父との関係も悪くそして母とも芳しくない、弟にもつらく当たる、それを反映するように本当の友と言える友人は 皆無。智也、小学校4年生、喘息を持病に持ち多少過保護に育てられたヤワな子。澄代75歳、晃一の母であるが夫と死別以来長野の実家を引き払って一緒に住んでいるが近ごろ多少 認知症の症状も出始めて心配だ。


さて家族を何とか説得して転勤を決めた先は岩手県のとある駅から更に奥まった地にある420坪を有する立派な古民家であった。

引っ越しのお兄さんは不思議な事を言う、ご家族さんは6名様ですね・・?。晃一は笑って答えた「うちは5人家族だよ・・」しかし、澄代には判っていた・・既にそこにいた”座敷わらし”のこと。 梓美はどうした加減のはずみかでその不思議な存在に気がつく。智也はもっと素直にそれを知り澄代に打ち明けて安心し、親しみさえ感じ始めていた。

厄介なのは史子である。手鏡に映ったその得体のしれない幻覚に悩み恐れ、嫌がる梓美と無理やり一緒に風呂に入って見たり家中の鏡を伏せてしまったり・・・と。

史子はある日とうとう我慢できずに今までしたことも無かった行動に出る・・、つまり晃一の会社に電話までして驚かせる。晃一は史子にとんでもない精神的苦痛があると思い梓美の携帯に電話する 「・・お母さんがどうやら変だ!何かあったら助けてやってくれ、お父さんもすぐ帰るから・・」父親とは一度も電話なんかしなかった梓美も「うん、わかった」と素直になった。

こんな事をきっかけに家族の絆も芽生えてきて結束力も育って来た。晃一も部長から酒呑みの誘いも断るようにした、仕事も部下に任せて出来るだけ早く帰宅するようにした。

梓美は父親とも気さくに話せるようになった、自分から積極的に仲間にも打ち解けて”座敷わらし”を見に来ないか・・と誘ったり、弟の智也にも随分と優しくなった。

智也は田舎暮らしが身体に良かったのか好きなサッカーで思い切り走っても平気なまでになった。座敷わらしもことさら智也には恐れずなついているようだ。

史子は晃一に頼りそして優しくされることにより田舎暮らしに自信を持って来た、そろそろ専業主婦を辞め自分も生きがいを求め働きに出かけようかと意欲的にもなってきた、子供たちや 澄代にも近所のおばあちゃん達ともいつしか和やかに接しられるようになってきた。

そんなある日、晃一は本社から電話を受ける「・・豆腐デザートの売り上げが思いのほか好調で・・本社に戻ってきて欲しい・・」

晃一はこの古民家、とくに座敷わらしや田舎暮らしにすっかりなじんでしまった家族に改めてお願いして東京に戻る事を告げた「とりあえず、本社に戻っても、無駄な残業はやめだ。 無意味なつきあいもなし。この数カ月で身に付けたスチャラカ社員の居心地は捨てない。後ろ指をさされたって構わない、後ろを振り向かなければいいだけの話し、そして相手が誰であれどうしても おかしいと思ったら、NO !と言おう・・」



晃一とは多少家族の年齢差もありましたが私もひところそれに似た家族構成をなし、それぞれがそれなりの苦悶も持ちながら一つの時代を過ごしてきた。すでにこの世を去ってしまった者、 それぞれの希望に向かって歩んでいくもの、そして古希を過ぎひとり身に戻った生活をしていると辛かったこと楽しかったことなど小説でも読んでいる様にそれらのことが走馬灯のように・・・。

古い民家にはよく座敷わらしが住みついてその家には幸福をもたらす・・・という言い伝えがあったと・・・、我が家も早く古くなって欲しいものです。


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  [No. 161 ]   5月 18日


     文春web文庫
「父とガムと彼女」角田光代
2008年作・  55ページ

父は脚本家としてテレビドラマなどを手掛けていたりしていたおかげで比較的裕福な家庭で私は一人っ子として育てられていた。学校も電車で通うほどの私立小学校に入らされていた。

学校は比較的厳格で帰りには校門の前まで迎えに来る保護者と一緒に帰ると言うものであった。

しかし3年生に上がる前ころから父の仕事が上手く行かなくなり収入も減り母も働きに出なくてはならない状況になった。学校からの迎えは代りにまだ若い初子さんと言う人が母に代って来てくれる ようになった。

私はクラスのお迎えに来る保護者のどの人よりも若く溌剌としたお迎えに来る初子さんのことを誇りに思っていた。初子さんはいつもミカンの香りのするガムを噛んでいていつの間にかその匂いは 初子さんに対する慕いとともに私の身についてしまっていた。

その年の夏、母は実家の祖母の看護と言うことで家を開けた。しかし一カ月しても母は戻って来ることは無かった、わたしは初子さんにすっかり懐いてしまっていたので別に母が帰ってこなくても 寂しさを感じなくなってきていた。

私が4年になった頃いつの間にか初子さんは私の家に来なくなってその代わり母が何時も居るようになった。もう昔の思い出であった・・・。

私の結婚が来春に決まった頃、父は亡くなった。そしてその葬儀に初子さんがきてくれた、通夜ぶるまいの席から母と初子さんがいなくなっていることに不審を抱き私は下の斎場へ行って見た、 すると母と初子さんは抱き合って泣き合っていた。・・・・・あのとき初子さんはひょっとして父の恋人だったんでは無かったんだろうか・・そして父を愛した二人の女性としてふたりはその別れを 悲しみ合っていたのだ。



普段の生活の中でときとしてフッと嗅いだ香りが昔忘れかけていたある思い出をかなり鮮明に思い出す事がある。彼女も小学生の頃のことをミカンの香りのガムの匂いと共に鮮明に思い出し そして冷静にその場では理解できなかった大人の行動が具体的によみがえった事を思い知った。


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  [No. 160 ]   5月 14日


     文春web文庫
「八月の舟」樋口有介
1990年作・ 337ページ

ぼく葉山研一は前橋市内の高校生、母親はピアノの先生をしていて父とは離婚したいわゆる母子家庭だ。中学時代のちょっと不良じみた仲間の田中とはその長女と母が同級生だったこともあって ときどき遊びをしている。その田中には4人の姉がいて長女とは親子ほど年が離れていて田中の母親代わりをしているが実はその昔姉は校長と結婚して娘晶子を出産し離婚している。

つまり複雑そうな関係ではあるがぼくと田中と晶子は市内の同じ高校生同志で付き合っている・・・という関係図式であった。

夏の前橋の夜は大変蒸し暑い。田中の提案で僕と晶子とで夜の赤城山大沼へドライブしようと決めた、もちろん車は田中の姉の経営する会社のライトバンを拝借、しかも田中は無免許だ。

母子家庭の僕も姉育ちの田中も校長の娘晶子もまだ高校生のくせにたばこを吸っているのにそれをとがめる人は誰ひとりとしていない環境だ、そして赤城の大鳥居の傍の酒屋で缶ビール10本 を買い到着した大沼のほとりでしこたま呑んだ。空き缶は沼に投げ捨てた、酔いが回って晶子は沼にざぶざぶと入って遊んだ。

パトロール巡回の警察がパトカーから沼まで降りて来て尋問した「・・僕たちは大学生、向こう側でキャンプしています、彼と彼女は結婚しています・・」「・・・あの車は先ほどアベックが乗ってきて 降りてそのまま茂みに入って行ったようです・・・」と嘘を言って遠ざけた。

案の定、山を下る途中田中は運転を誤って自損事故をおこす。運よく僕と晶子は大したことも無かったが田中は入院するほどの怪我をし姉を悩ませた。

僕がある日彼らとしこたま飲んで帰って来ると母は死んでいた、脳梗塞であったが既に予感はしていたようで研一宛の”ことば”までのこしていた。



樋口さんは前橋市出身の作家・・ということですがこの頃多数の作品を発表していたようで、同年には直木賞候補作「風少女」やサントリーミステリー大賞の「ぼくとぼくらの夏」 など4〜5作品のうちの一つでした。

実は日本経済崩壊のバブル景気の終焉前に描かれたこの作品のようにこの頃育った不幸な青少年が主人公というのも彼らの前途に暗雲の幕開けを感じさせる。


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  [No. 159 ]   5月 10日


     文春web文庫
「いちば童子」朱川湊人
2008年作・ 41ページ

ちょっと不思議な話をしたろか。・・・かれこれ37、8年前になるかなーそうそう、ちょうど千里で万博やる前の年や。俺が小学2年の時やから間違いない。

この年大阪では万博開催の為あちこちでビルが建ち道路が拡張されいつも街中がひっくり返されるような時代であった。とうじ俺の住む近くには狭い道を挟んだ50mほどの商店街があって アーケードも無いので俺んちでは”いちば”と呼んでいた。車も入れないような道幅でしかし近所の人たちはそのおかげで心行くまで立ち話をしたり子供たちも安心して道端で遊んだりして どちらかと言うと新興商店街にくらべて緊張感のないいちばであった。

母親のいいつけで買い物を頼まれて乾物屋に行った、いくら大きな声を出してもお店の人が出てこなかったので冗談に「・・・火いつけたるで・・」と言った所、後ろの方から子供の声がして 「あかんあかん、火いつけたらあかん」と変な子が出てきてなんとか買い物のシイタケを買って帰って来た。

またある時今度は文房具屋さんにノートを買いに行った、ここでもいくら呼んでも話し声は聞こえるのに店の小父さんが出てこなくて困った。するといつぞやの変な子が出てきて「いらっしゃいませ」 といった。「うわあっ」俺は思わず大きい声を出してもうた、だって鼻にあるホクロまでこの間乾物屋にいた子とおんなじだもの。

そんな事を帰ってきておばあちゃんに話したら「・・・それはきっといちば童子じゃないかぇ・・、東北にはざしき童子って居てその家は栄えるんだよ、だからいちば童子がいるかぎり商店街は 何時までも栄えるのさ・・」

そのうちにこの商店街に大きな道路が接続される計画が出て皆は賛成、反対と意見は分かれた。変な子は俺に相談したんだ「このいちばに道路がつながって車が通れるようになったらボクは もうここに住めなくなってしまう・・」俺はさっそく商店主の集まりに出て行っていちば童子の話しをしたんだ、みなゲラゲラ笑い出したんで赤っ恥を掻いて帰って来た。

でも結局は投票で反対する人が多くなって道路の接続は中止になったんだ。変な子は俺に礼を言ったんだけど「ちょっと、3っつ数える間目をつむっててよ・・」で目を開けてみるとその子のいた 後ろの塀に白い猫が気だるそうにあくびをしてヒョイっと向こう側に飛び降りて行ったんだ。その白猫の鼻にはクッキリと黒い模様が目に焼き付いて離れなかったのさ。



以来大阪の街は大きく変わったけれどそこの商店街は今も昔の善さを残したまま栄えた商店街として残っていると言う・・・。

短い作品ではありましたが強烈なメッセージが伝わる作品であった。そして初めて出会った朱川湊人さんにたいへん魅かれる感情を持ったのでした、これからも彼の作品を探して読んで見たい 気持ちが湧きました。


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  [No. 158 ]   5月  7日


     文春web文庫
「きれぎれ」町田 康
2000年作・ 257ページ

・・・ぽんぽんと景気よく、ご祝儀って感じで百貨店の屋上から人間が飛び降りてくる。巨大化した僕の顔が空中に君臨して、またひとり落ちていったのは妻。みんなと同じように、いきまーす、 かなんかいって主体性が無い。白いブラウス、膝までの丈の赤い襞のあるスカートの、ふわっとした感じのなかから黒い靴下に包まれた足がのぞいているのが猥褻だ。・・・



この本は何だ・・・?、少し慌ててもう一度冒頭から読み返してみた。よかった、わたしが「変!」と感じたことは正しかった。この人は精神を患っているらしい・・・だから精神科医のお医者さんに なったつもりでこの人のお話を読んであげよう・・・・と思ってから急に面白く読み切ってしまった。しかも読んだあとは爽やかささえ残るではないでしょうか。

ストーリーらしいものは漠然とありましたがそんなものを此処になぞる気はしません。絵画でいえば・・いつだったかパウル・クレーの絵のカレンダーを友人からもらった中の作品に似た感情を 持ったのは偶然でしょうか。

・・・あちこちに我儘な自分がいて、こちらで見合いを壊すためにわざと相手の嫌がる事をし破談に導いた。その彼女は画家として名を挙げた同級生の妻になった。しかしその彼女は随分と磨かれて とても羨むばかりに変身していた・・・。太い墨で描かれた描線のあちこちに繊細な色彩の領域があって小さな人間の小宇宙とでも・・・


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  [No. 157 ]   4月 23日


     二見書房e版
「誓いの酒」早見 俊
2008年作・ 434ページ

宝暦元年(1751年)兄の花輪征一郎は公儀目付の要職にいるが弟の征史郎はというと特に大した仕事も無く実家から離れた長屋で気楽に過ごしていた。

しかし、剣術の腕を見込まれて大岡出雲の守忠光に内々の特命をうけて臣を待つ身分であった、その忠光は九代将軍徳川家重の側近中の側近、おそば御用取次として仕えていた。

家重は言語障害がありその言葉を理解して政を担うことは難しかったが忠光はひとりそれを理解し聴き取り役に徹し家重の意思を通達するという重責を担っていた。しかしその家重の跡取りに 最後まで半旗を掲げていた一派がことあれば家重の失政あらば・・と虎視眈々として狙っていた。

家重は町民から直接の意見を聞くため「目安箱」なる投書箱を設置して政策に反映させようと勤めていた、しかし反対派はそこに目をつけて金貸し業の両口屋十兵衛に「喜多方藩の藩主は 毎日吉原に通って”喜連川”という花魁にぞっこんの遊蕩にふけっている・・」と書き込ませた。その喜多方藩は近々に将軍家より紀美姫さまをお迎えする矢先でもあった。

家重は忠光に命じその先行きを調べさせた。当然のことに花輪征史郎は両口屋十兵衛の所におもむきその先の喜多方藩主の行状を子細に調べていた。

偶然にある大会・・「大酒飲み大会」で征史郎は喜多方藩江戸詰の木島幸右衛門と最終決戦をしていた。両者引き分け・・・と言う判定の折、幸右衛門は一升ますに残る僅かな酒量を見て 「征史郎どのの方が勝ちじゃ・・!」と一方的に自分の負けを宣言した。征史郎はその潔白さに惚れ込んで幸右衛門と意気投合した。

幸右衛門は喜多方藩の財政を救うため酒造りに精を出しそれなる酒、”喜多方誉”を江戸で拡販するために精を出していた。征史郎はそれに出来るだけ力を貸そうと努力したが想わぬことが きっかけで任務とする調査の中に幸右衛門が濡れ衣を着せられていることが判った・・・。



時として呑み屋で隣同士になった事がきっかけで無二の親友になる人もいれば、とんでもない詐欺に出くわす人もいる。私にはそのどちらもかつて心当たりになる人には巡り合っていません。

私はお酒を飲むと気が大きくなるたちです。たとえ素敵な女性であっても呑み屋さんだから素敵に思えるだけでしょう・・・と思っていればマチガイナイ。


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  [No. 156 ]   4月 20日


     光文社電子書店
「純平、考え直せ」奥田英朗
2011年作・ 480ページ

新宿歌舞伎町に部屋住み込みのやくざ、坂本純平21歳は親分の命令で敵対する組頭を狙撃する命を受けた。

慕う兄貴分にべったりであったから人として成長するための他人と接したり見聞を広めたりと言ったことは一切したことが無かった。だから親分・・と言う雲の上の存在の者からの命令には自分が 認められたと思い有頂天になってしまった。

さて、この仕事を成し遂げれば一人前のやくざとして箔がつくことは言うまでも無いがそれ以前に10年の服役に就く覚悟も必要であった。従って相応のお小遣いをもらって3日間ほどシャバの 空気を堪能して来い・・・と暇をもらった。

純平は、この3日間のあいだに今まで経験もしてこなかったほどの大勢の人と出会ってそれなりに単純な頭の中の改革を迫られる羽目になった。しかも遊び半分につきあった女が掲示板に 書き込んだ”純平の討ち入り計画”は同年代の親身な警告や不道徳なそそのかし意見などそれなりに大反響を呼んで大いに盛り上がってしまった。

しかし、3日間と言う時間が過ぎ純平はその任務を決行した。



出会った人の中に大学教授の職と家族を投げ捨てて気ままに放浪する老人がいた、無論老人も純平の行動に待ったをかけたひとりではあった。

「若者が死を恐れないのは、人生を知らないからである。知らないのは、ないと同じだから、惜しいとも思わない。我が子を抱いた感動も、大業を成しえたよろこびも、肉親を看取った悲しみも、 旧友と語り明かした温かみも、ろくな経験が無いから、今燃え尽きてもいいなどと平気で言う。まったく若者はおめでたい生き物だ。おまけにやっかいなのは、渦中にいる者はその価値がわから ないということだ。健康の価値は病気にならないとわからないと同様、若さの価値は歳をとらないとわからない。まこと神様は意地が悪い」


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  [No. 155 ]   3月 26日


     文春web文庫
「雪ひらく」小池真理子
2008年作・ 412ページ

暫くスキーの転戦が続くのでまとまった本よりは短編集の方が・・・で読み始めた本がこれであった。

6編が収録されていたが全ての作品は・・どうだろう、実を言って私の感覚の中にある中年の女性のイメージからしたらふしだらでどうしようもない・・・妻子ある男性に不倫をしてその中にある種の 恍惚を生きがいにして生き延びて行く得体のしれない生物・・上品に見積もって見ても「秘められた女の官能の炎・・?」。



「雪ひらく」聡子は4年間付き合った作家の沢木と別れた。実家は画家の父70歳、妻に先立たれて今では小料理屋を近くで営む若い光子と言う女性と実質上夫婦と言うことになっている。 聡子は暮れの休暇を利用し父のもとに帰って来た、食事はもっぱら光子の店の開店前にいって済ませることにしていたのでここへ出かけた。

聡子はここで写真家の勇作と知り合う。大みそかの夜、勇作からドライブを誘われる。ラジオからはいつしか除夜の鐘が鳴らし始まっていた、四輪駆動の車は雪の中峠を昇って行く。

次第にその雪は本降りとなり、ヘッドライトの中に白いカーテンが幾重にも幾重にも折り重なって突き進む・・・。



スキーをしているとこんな様な場面で車を運転する事情はいくらでもある。ひとり未知の未来に向かって車を操ってひたすらつき進めて行くとき本能の奥底にある自身の運命的な 予感を感じることがある。

もし私が作家だったとしたらそんな方向の作品に発展させていくだろう。でもこの本は私にそれ以上の想像をもたらせてくれることは無かった。


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  [No. 154 ]   3月  7日


     幻冬舎e文庫
「パレード」吉田修一
2002年作・ 499ページ

井原直輝28歳、映画配給会社勤務。恋人の美咲と住んでいたマンションであったが仲たがいして美咲はここから出て行ってしまった。

部屋代をひとりで払うことがきついので後輩や酒飲み友達などの繋がりで契約違反ではあるがH大学経済学部3年の杉本良介21歳、イラストレーター志望の相馬未来24歳、売り出し中の タレントと熱愛中の大垣内琴美23歳らと不思議な同居生活をしていた。そこにもうひとり未来が呑み屋で拾ってきた夜の仕事をする小窪サトル18歳も加わった。

しかし、井原と不仲になったはずの美咲も時々来ては皆と楽しく時を過ごしてはたまに泊って行く事もあるのです。このマンション、リビングを挟んで男部屋と女部屋に別れていたが次々と 事件が起こる。

それぞれの生活を通して他の4人とどう関わっているかが大きなテーマではないでしょうか。しかし作者はひとりひとりの個性を丹念に描写し同居という5人の社会生活がその個人主義と どう結びついているのかを現実の“社会”に投影させて考えさせてもくれるようです。

甲州街道に面したマンションの3階の一室、直輝はとあることがきっかけで街道を挟む向かいのビルの外階段にのぼって自分たちの共同生活を営む住まいを初めて外から覗き見てみた。

いつも自分たちが使っている部屋を外から眺めると言うことは何とも奇妙な感覚だった。リビングを挟んで男部屋、女部屋、明かりが灯されて中は丸見えだったががらんとした三つの部屋に、 誰かがいる所を見てみたかった。

直輝はおもった、「誰もいない・・・」実はそれぞれ自分をも含め実際にはそこに住んではいないんではないだろうか。本当の自分をさらけ出してそこに溶け込んで今まで住んでいたんだろうか?



私はこの本を読んでいる時暫くの間わたしが下宿していた彼らと同年代の19〜23歳の頃のことを想い浮かべていた。『青春切符』 第2章 それと第9章の参照。

言って見れば時代は違いますが木造二階建て戦火を免れたおんぼろ民家、男部屋の二階と女部屋の一階、婆ーさんの部屋はいわばリビング・・とでも表現しておきましょう。そこでの生活は やはりそれぞれは個人主義ではありましたが真剣に”社会の一員”としての自覚は持っていました。ですからリビングで交わされる会話もそのまま大きな社会人としての責任は負っていました のでお互いに対しても親身な付き合いであったと思う。

半世紀後の若者たちの集団生活にはその肝心なところが感じられず”空虚”さが美徳だとさえ感じさせる寂しさを感じてしまう。仲間?の中には多くのそれぞれの問題を抱えているにもかかわらず ”知らん顔”することが都会生活だと勘違いしている若者が多過ぎるし風潮だと思うことに恐ろしさを感じてしまう。


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  [No. 153 ]   2月 16日


     文春web文庫
「時雨の記」中里恒子
1977年作・ 452ページ

僕たちが再会したのはあの人が40過ぎぼくも50を過ぎていた。

ぼくは20そこそこの頃に見たあの人の面差しを忘れなかったのはやっぱりひとつの縁と言うものではないだろうか。勤務先の会社と関係の深い社長の通夜が大森にあった時であったと思う。

そして数十年私たちが再会したのは帝国ホテルで知人の息子の結婚式の席で偶然にもあの人と向かい合いの席になったのでした。わたしは「あのひとだ、あのひとに違いない・・!」

「・・お忘れかと思いますが以前、大森の・・」「・・・お送りしましょう、どちらへでも・・・」わたしは有無も言わせず自分の車を呼び寄せると押し込むように乗りこませた。

東京駅でおろしたとき、わたしはとんでもない事を口走っていた「・・・大磯のおたくに明日お伺いしてもいいでしょうか・・・」

ぼくの女にしてしまいたい半面、自由自在とは言いかねるへだたりのある、暗黙のうちの許しあいを多江も楽しんでいるとうぬぼれているこの純真さ、これは恋をしているものの本心だと思っている。

恋のたのしみを長くたのしむためにはただならぬ事になってはいけないと僕は想っている。

再会を果した実業家、壬生孝之助と夫と死別しひとりけなげに生きる堀川多江はこうしたきっかけをもとに生涯に一度の至純の愛に巡り合ったのであった。しかし壬生は持病の心臓発作で 亡くなってしまう。多江は壬生の友人に尋ねられる「あの、壬生の墓はわかっておいでですか、」「いいえ、でもお墓も、わたくしの中にございます、壬生さんの好きだった場所をわたくしはお墓に きめてしまいました、ゆきたい時にはそこへ参ることにいたしますから、」



本当はもっとなまめかしい事でしょう、妻子ある男が未亡人に恋心を抱く・・・。この作品は中里さんが68歳の時の作品です、どうしてこう言った美しい言葉で綴られ読む人の安心感をさそって くれるのでしょう。その点、某作家の「雪○」と状況は似ていますが壬生の心の動き、多江の心の受け止めに作家の優しさが滲み出ていて好感のもてる作品でした。

「雪○」とはその作品の暦では40年の時代の差があります、まだ女性に対しての認識度の違いもありますが男の作家の描く身勝手な表現と、女性作家の描く世界観にこれ程の差が生じるものか と改めて感じるのでした。


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  [No. 152 ]   2月  7日


     光文社e書店
「スイング・ブラザース」石田依良
2011年作・ 524ページ

さして優秀でもない私立大学を卒業して11年目、同じ同級生であった3人はそれ以来の腐れ縁の仲間同士であった。

近ごろ頭の毛がメッキリ薄くなってきた地元信金顧客係をしている小林紀夫、プログラマーでゲームソフト開発に精を出す時代遅れの長髪やせ形の矢野巧、清涼飲料水会社で営業マンを している少し太っちょの堀部俊一であったがほぼ同時に彼女に振られて失意のどん底にあった。今日も寄りあって京浜東北線ガード下の焼鳥屋で安酒を呑んで憂さを晴らしていた。

3人の大学時代憧れであった1年先輩の女性河島美紗子に再会する。彼女は今もってその美貌を武器にエステ事業を軌道に乗せていたが今度男性向けエステを立ち上げた、彼女にしても 格好の三人組を第一期特待生として受け入れて彼らを見た目だけでなく内面も磨きあげ目指すはズバリ”モテ男”にさせると言う。

さて、美紗子が揃えた腕利きの講師たちの用意する試練に耐えて彼らは誰もがうらやむようなモテ男に成れるのでしょうか。

彼らは最初講義を受け女性たちを誘うためのテクニックを教わればいとも簡単にその目的は果たせられると勘違いしていた。

「何度断わられても、あきらめない気持ち。傷ついても折れない、タフで太い心。それさえあれば、いつかは必ず願いがかなう日がくる」と言う事を知る。



考えてみれば、それは恋愛に限った事ではありません。仕事でも、練習でも、生活でも、基本になるのはシンプルで強い心のもちかたなのかもしれない。自分は異性にもてないと最初から あきらめていたら、どんな絶好のチャンスだって見逃してしまうだろう。

そして大切なのは私たち人間は、ほんの50年も恋をしなければ、つぎの世代が消えうせて、滅び去っていく”か弱い生き物”なのです。男性が女性に飽きる事がないように、また女性が男性を 見限る事がないような世の中であってほしいと願うのです。


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  [No. 151 ]   2月  3日


     文春web文庫
「やさしい訴え」小川洋子
2005年作・ 474ページ

「わたし」は夫の暴力をきっかけに家を飛び出してきた、何故ぶたれたのかその経緯もはっきりと思い出せない、そして子供のころからよく父母と来ていた別荘に逃げ込んできた。


ああよかったと安堵した、もう別荘など無いのではないか記憶の中の風景全てが手の届かない場所へ遠のいてしまったのではないかと・・・。でも風景はどこにも消え去ってなどいなかった。 忠実な記憶の番人のようにわたしを待っていてくれた。

夫は眼科医だった、目を見てもらったのをきっかけに結婚したが以来愛情の通った生活など無かったような気がする。だから何の理由でぶたれたのかさえ定かでないうちに飛び出してきた。

「わたし」はもともとカリグラフィーとしてアルファベットを図案化した作品を作る事を仕事として来た。だから別荘に来てもその仕事を持って来たのでここで続ける覚悟でいた。

散歩のつもりで近くの小道をたどると風変わりな男女の作業場があり顔を出してみた。男性は新田といいチェンバロを作る職人だと言う、女性は薫と言い彼の弟子ということで近くから通ってきている。

二人とも快く向かい入れてくれて薫さんの挽くチェンバロの曲に魅入られた。彼女は実家が教会だったのでよく演奏をしていたと言う、新田はピアニストを目指していたが心の病から人前で演奏 することができなくなってしまった経緯がある。二人の関係はどうなのか知れないが「わたし」も新田さんに心を惹かれてしまった。そして・・・・



粗雑なミステリー作品の後なだけにしっとりとした文章が気持ちに潤いを与えてくれる感じがした。そして登場する主だった人物も「わたし」と新田さん、薫さんの3人だけで心のやり取りがあるだけ と言う落ち着いた作品であった。新田さんと薫さんの二人の世界に首を突っ込んでしまった「わたし」はそこで自由気ままに新田さんを欲すると言う我儘をする。しかし彼らにはその中に「わたし」 一人ぐらいいともたやすく受け入れてくれる事ができる包容力があった。

物を創ると言う事を通して男女の間もその垣根を越えた世界と言うものを持つことができる。傍目にもそこには夫婦よりも強く大きな繋がりがあって「わたし」が割り込んだと思っていても実はカヤの外 であったことを思い知る。


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  [No. 150 ]   1月 25日


     幻冬舎e文庫
「天国への階段(下)」白河 道
2011年作・ 676ページ

一馬は実父に対して芯から恨みを抱いていた、そして育ての親及川の殺害に関しては柏木圭一が深くかかわっている事も知る。


それを確認したいがため一馬は柏木に脅迫状めいた事をワープロで手紙を書いて反応をうかがった。柏木とその腹心である常務の児玉はかなり狼狽し、あろうことか児玉ははやまって 関係の無い警備員を口封じのためといって殺害してしまった。

一馬はそれに対しても執拗に「見ていたぞ・・」と脅迫を繰り返す。それら一連の彼らの不可解な行動に担当警部は関係するとみられる証拠を見つけ出そうと昼夜に亘り尾行し続ける事とした。

児玉は警備員殺害の件からその追求の手が柏木にまで及ぶ事を恐れて自ら運転する車を崖から転落させて命を絶った。捜査の糸口を完全に断たれた警察は一馬の心情に訴えて 柏木が自白するように語りかけた。しかし当初は憎んでいた柏木ではあったが実の父親と言うことで情もありこの線での追及は断念せざるを得なくなった。

担当警部の桑田は完全に本人の自白以外にその根拠を見出せなくなってしまった。桑田は柏木に捜査の行き詰まりを告白するとともに心理はただ一つしかない確信を持っている事を伝えて この件から降板することを告げた。

一方柏木も決して自白はしなかった。しかし、カシワギ・コーポレーションの解体と優良企業に育ちつつある二つの会社はそれぞれ独立させた。そこにはカシワギと言う名前を全て消して 自分の気持ちを整理する意図が強く表れていた。

柏木は仕事の為・・と称してアメリカ・ゴールドビーチに飛んだ。しかしその海岸で死体となって発見された。死因は心臓麻痺と言うことであったが海岸で横たわりながら向けていた方角は奇しくも 同じ緯度であった絵笛であった。



2000頁にも及ぶミステリー巨編ではありましたが読み終わって何かの空しさを感じる。

やはりこう言ったミステリー作品にはどうしても無理が生じる、ストーリーに不自然さが残る。作家の描くストーリーに不都合が生じると不治の病だ、ガンだ、病死だ、自殺だと登場人物の三分の一 も殺されてしまっては読後の空しさも判ってもらえると思う。老後の愉しい読書はもっと情緒豊かな希望に満ちたものでなくてはならない・・・と強く感じるのです。


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  [No. 149 ]   1月 22日


     幻冬舎e文庫
「天国への階段(中)」白河 道
2011年作・ 654ページ

一馬は父の及川から実の父親は柏木圭一だと言うことは手紙で読んで知っていた。


青年実業家として脚光を浴びていた柏木圭一、そのカシワギコーポレーション20周年記念式典を前後して柏木に対する脅迫文が幾通か届いている。腹心である常務の児玉はどんなことが あっても社長を守り通すと言うのだが・・・

柏木には人に言えない暗い過去があった、兄のように慕っていた及川とコソ泥を企んだものの見つかってしまい被害者を殺してしまった。何とか逃げお失せたものの及川は捕まりしかもこの事件は 自分ひとりの単独犯行だと言い通して柏木の存在をかばい通したのであった。

担当刑事は及川が殺された時その犯人はあの時やはり共犯者がいてそいつの手に下ったのではないか・・・と推察していた。

一馬は実父である柏木に自分の素生は隠したままカシワギコーポレーションに職替えをし、しかもこともあろうに柏木の専属運転手代理としてその懐に飛び込んでした。


柏木が北海道から上京するきっかけとなったのは父圭吾の牧場が騙し取られてしまった事もあったが、もうひとつの大きな理由として幼なじみであり将来も約束したに等しかったとなりの牧場の 娘であった亜木子が自分を裏切るようにして東京の資産家のもとへ嫁いでしまった事もあった。

しかし不思議な縁のめぐりあわせとでも言うのでしょう、その娘未央が写真家として道を切り開いているのを陰ながら支援するという立場にあってお互い気持の上で繋がるようになってきていた。

亜木子はある時娘の未央が柏木と懇意にしている事を知り驚く。まさか、男と女の関係にまでは発展しないまでも過ちを起こさないとは限らない・・・・「あの娘は実は圭ちゃん、あなたの実子 なんですよ・・」。



読後感想は全巻読み終わってからにしたいと思う、それにしてもいよいよ随分と生臭い小説になって来たぞ・・。


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  [No. 148 ]   1月 14日


     幻冬舎e文庫
「天国への階段(上)」白河 道
2011年作・ 652ページ

ミステリー巨編、たまにはこういった本も・・・と、ダウンロードした所奇しくも上、中、下の3巻もの本になる大作らしいことが判った。ここでひるんでは先に進めません、読破するのみ。



青年実業家として名を成した柏木圭一44歳、その若き日は多難な人生であった。

北海道々央、太平洋にサイの角のように突き出た襟裳岬の西麓は日高本線絵笛駅付近に広大な牧場が広がっている。父圭吾は付近の牧場主から騙し取られるようにして農地を失い そして家族を失い圭一はひとり東京へ出て来た。苦学の末大学には入ったものの手がけた不動産関係の仕事が忙しくなり中退する、理科系学友であった中条俊介のその才能を高く評価し 後に多角事業拡大のため経営参画を任せた。

今や飛ぶ鳥をも落とすほどの勢いのある”カシワギ・コーポレーション”の代表として経済界からも若年層の雑誌からもその業績をうらやむ声が高かった。


話は変わって及川広美は若い頃妻の経営する呑み屋を不動産屋に騙されて運転資金を取られてしまった、ほんの出来心でその資金の足しにと忍び込んだ工場で主人に見つかってしまい 殺害し、金を奪った。及川は調べに対しあくまで単独犯と主張し強盗殺人犯として15年の服役を済ませた。その時の担当刑事は及川からの手紙によって立派に更生した事を知る。

及川には出所後亡くなってしまった妻のほかにすでに立派に成人した父親想いの一馬という子がいた。しかし及川は自分がすでにガンに犯されている事を知り一馬にその出生の秘密を手紙に 託していた。

そんな時、及川がとある所で殺害された。当時の担当刑事は「ひょっとして彼は先の事件の共犯者によって殺されたのではないか・・」と思いこの捜査の担当を志願した。

改めて以前の事件から洗いなおしてみると更に深い諸々の人間模様が浮き彫りにされるのであった。



この上巻には主役を取り巻く20名ほどの重要な役目を果たす人物が描かれるがこれらの人々が今後どのような役を演じて行くのか関係図式を手元にメモしておかないと話しの道筋をはずして しまいそうである。

読後感想は全巻読み終わってからにしたいと思う。


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  [No. 147 ]   1月  5日


     幻冬舎e文庫
「ハッピー・リタイアメント」浅田次郎
2011年作・ 572ページ

4年後に定年を控えた財務官僚、樋口と自衛隊からたたき上げて二佐にまで上り詰めた大友、共に56歳での転属命令であった。これは出向では無く退職して再就職・・・つまり天下りをしろ、と の辞令を受けたのであった。

樋口は天下の財務省に勤務しやっとこさ課長補佐の肩書を手に入れたノンキャリアであった。息子と娘、妻までが大喜びで即離婚、退職金はみんなで分けてしまって身軽な独身になった。

大友はあちこちの駐屯地を渡り歩きはしたが最期は北海道の陸上自衛隊旭川駐屯地に収まりたたき上げではあったが大学の通信教育を履修し一般幹部候補生の受験資格を得た。階級 ごとに定められた定年から危うく身をかわすようにしてついに二等陸佐まで這いあがってきたのである。しかもどさまわりの時期が長く婚期を逸しこれまたひとり身であった。

いずれにしろ二人は立場は違えど組織の中では次の階級を得るには不都合な存在でありかと言ってつらい仕事も耐え忍んでやってきた実績から再就職を斡旋されたと言う所である。

さてその先はJAMSという名の金融保証機関であった。もともと無担保無保証人の零細事業主の債務保証を代行する事によって公平なビジネスチャンスを拡大する ことが目的であった。銀行はこの債務保証に基づいて融資をを行い弁済が滞った場合はJAMSが無条件に代位弁済する。

多くの個人経営者はこれをよく理解し弁済が滞らないようまじめにそれを履行していた・・が、中には事業も失敗し借りっぱなしのまま逃げてしまう輩もいた。そこでここの 仕事と言うのは逃げてしまった人に返済の意思があるのかはたまた無いのかを確認することを主仕事とするのであった。

もともとこの職場は樋口や大友のような環境のもとで再就職した人間ばかりと言うう事とすでに弁済の法的期限もすぎたものはどうでもいいようなものであるから仕事としての意気は全く上がらない。

しかし彼らはもともと仕事は一生懸命する性質なのでついつい逃亡者をさがしてしまう、するとその逃亡者たちはその後大儲けをしてして社会的地位まで築き上げている人間が実に多いことに 気がついた。

こんな機構にうんざりしていた中年の事務女と共謀してこの金を横取りしてやろうと考えるようになった。つまりもう返してもらわなくてもいい様なお金の処理を当事者の良心に訴えて取り返す。 そして債務不履行然としておけば事は丸く収まるであろうと考えていた。

しかし、この結末はどうやら別の道から霞みとられてしまったような雲行きで話は終わる。



私たち日本には江戸時代から長く終身雇用制度なるものがあって大過なく奉仕してきた人間は決して不利益はこうむらないようにして来た。しかし資本主義と合理主義を突き詰めると組織 の効率化のためにはピラミッド型の構成組織が求められ当然その形態からはみ出した人間をどこかに移さなくてはならないことになる。

だからそんな組織の相似形をあちこちに作って運用する・・・つまり天下り先を作っておきたいものである・・・。これから超高齢化社会に突入する社会の歪みをどうやって調整して行く必要があるか、 一見、痛快ドタバタ劇場のようではあるがとてもたくさんの問題を抱えて将来を暗示させている。


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