Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2020年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.489谷崎潤一郎・角川文庫□□「 刺 青 ・ 少 年 」 12月 30日
N0.488佐野洋子・小学館□□「 右 の 心 臓 」 12月 16日
N0.487群ようこ・集英社□□「 で も 女 」 12月  9日
N0.486桜木紫乃・双葉社□□「 蛇 行 す る 月 」 11月 24日
N0.485重松 清・講談社□□「 ル ビ ィ 」 11月 16日
N0.484山本幸久・角川文庫□□「 ふ た り み ち 」 10月 19日
N0.483夏川草介・小学館□□「 始 ま り の 木 」 10月 10日
N0.482凪良ゆう・東京創元社□□「 流 浪 の 月 」 10月  6日
N0.481瀬尾まいこ・講談社□□「 幸 福 な 食 卓 」 10月  3日
N0.480竹内 真・双葉文庫□□「 図 書 室 の キ リ ギ リ ス 」  9月 25日
N0.479浅田次郎・幻冬舎□□「 競 馬 ど ん ぶ り 」  9月 19日
N0.478福田和代・文藝春秋□□「 空 に 咲 く 恋 」  9月 10日
N0.477遠野 遥・河出書房□□「 破  局 」  8月 26日
N0.476瀬尾まいこ・新潮社□□「 君 が 夏 を 走 ら せ る 」  8月 18日
N0.475伊坂幸太郎・新潮社□□「 ホ ワ イ ト ラ ビ ッ ト 」  8月 15日
N0.474五十嵐貴久・双葉文庫□□「 セ ブ ン ズ ! 」  8月  9日
N0.473馳 星周・文芸春秋□□「 少 年 と 犬 」  8月  6日
N0.472小路幸也・徳間書店□□「 恭 一 郎 と 七 人 の 叔 母 」  7月 30日
N0.471一  肇・角川文庫□□「 僕 だ け が い な い 街 」  7月 22日
N0.470垣谷美雨・祥伝社□□「 農 ガ ー ル ・ 農 ラ イ フ 」  7月 13日
N0.469森 絵都・講談社□□「 つ き の ふ ね 」  7月 11日
N0.468恩田 陸・徳間文庫□□「 木 曜 組 曲 」  7月  4日
N0.467小川 糸・ポプラ社□□「 ラ イ オ ン の お や つ 」  6月 19日
N0.466灰谷健次郎・角川文庫□□「 太 陽 の 子 」  6月 15日
N0.465村上春樹・講談社□□「 風 の 歌 を 聴 け 」  6月  5日
N0.464熊谷達也・文藝春秋□□「 鮪 立 の 海 」  6月  4日
N0.463井上 靖・新潮社□□「 あ す な ろ 物 語 」  5月 21日
N0.462桜木紫乃・小学館□□「 霧 」  5月  7日
N0.461藤森幸三郎・自費出版□□「 青 春 切 符 」  4月  4日
N0.460原田マハ・小学館□□「 ロ マ ン シ ェ 」  3月 29日
N0.459宇江佐真理・角川文庫□□「 昨 日 み た 夢 」  3月 26日
N0.458新海 誠・角川文庫□□「 天 気 の 子 」 2月 13日
N0.457浅田次郎・集英社□□「 帰  郷 」 2月  6日
N0.456村上春樹・講談社□□「 カ ン ガ ル ー 日 和 」 1月 19日
N0.455伊岡 瞬・角川文庫□□「 い つ か 、虹 の 向 こ う へ 」 1月 7日

  [No. 489]   12月 30日


   角川文庫
「 刺青・少年」谷崎潤一郎
      1910〜年作・517ページ

・・・彼等は元来春之助と同じように、卑しく貧しい家に生まれた子供でありながら、たまたま美しい容貌を持っていたために花やかな色里の芸者の仲間に選ばれて、年中あのような贅沢と自由とを許されているのである。。

天才の人間に小児と大人の区別が無いとしたら、美貌の婦女にも年齢の差異を設ける理由は無い。あの少女等は美しいが故に大人と等しい凡ての享楽を与えられている。

奢侈も生意気も恋も虚言も、「美しきが故に」彼等は実行の特権を持っている。彼らの手管に欺かれるのは欺かれる者の愚かである。彼らの恋に惑溺するのは溺れる者の罪である。

「あらゆる悪事が美貌の女に許されなければならない」ーーー春之助は自然とそういう風な考えに導かれて行った。・・・



谷崎潤一郎の若かりしころ(24〜30歳)の作品ばかり表題の2作品を含めて8編の作品が編纂されている。私が以前に読んだ彼の作品のほとんどは円熟期、そして作家として確固な地位ある作品のみであった。

未だ文壇に認められなかった頃の作品達には思いっきり背伸びをしてそして難しい言葉の言い回しをしながら自分を認めてほしいという願望がにじみ出ている。

刺青、少年、幇間、秘密、悪魔、続悪魔、神童、異端者の悲しみ


私は彼と同じころの年齢で画家になることを目指し毎年銀座の画廊で個展を重ねてきた。そして彼のように思いっきり背伸びをして作品を描き発表していた頃を思い出す。

天才も凡人もともに大人になるための儀式としての通過点を共有できた気がして楽しい年末を読書できたことに喜びを感じた。


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  [No. 488]   12月 16日


   小学館
「 右の心臓」佐野洋子
      1988年作・186ページ

・・・母さんが座敷に居て、押し入れからこおりを出して、中からいろんなものを出していた。私は横にねっころがって、縁側の柱にお尻をぺったりつけて、足を持ちあげて、柱にくっつけていた。

おしりからつづいている足のうらがわに柱がぺったりくっついて、冷たくて、いい気持だった。ずっとつづけていると、柱がだんだんあったまって、つまんなくなるから、足をそのまんま頭の向こうに持っていって、頭の向こうのたたみに足の指をくっつけた。

ひざが顔のすぐ前に来たので、私はちょっとなめてみた。ひざのところ白っぽくてひびが入っていて、なめたところだけ丸く白くなっていて、しわがめだたなくなる。

もっとなめようとしたけど、おなかが苦しくなったので、又、足をもどして、柱にくっつけた。すごくおなかが楽になって、私は「ふうっ」と言った。・・・



満州から引き揚げてきた佐野さん一家が甲府の身延線沿線の田舎に暮らしていたころ恐らく彼女はまだ小学校低学年の頃だったんでしょう。

そしてこの作品は50歳のころに当時を書かれたものですが。実にその頃の子供の興味と行動が緻密に描かれていて目の前に無邪気な子供がいてみている錯覚にとらわれる。


1938−2010、72歳だったと、今までこの作家さんに出会うことがありませんでした。佐野さんは永眠されましたが多くの作品が紹介されていました。

今からでも遅くはありません、ひとつひとつ掘り下げさせていただきます。こんな作家さんに巡り会えたことが嬉しかった。


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  [No. 487]   12月  9日


   集英社
「 でも女」群ようこ
      1994年作・225ページ

・・・私はこれまでの習慣が染みついているから、彼女に対しても、まず、何か面白いことをいって、笑いを取ろうとした。そこで大学生の時の、電車のドアに頭をはさまれたおじさんの話をした。

だんだん話すうちに、そのときの光景が浮かんできて、人を笑わすよりも自分のほうがおかしくなってきた。

「ぐふふ、それでねー、うまーいこと頭だけはさまっちゃったのよ、ぐぐぐ」と笑いを必死にこらえて話し終わり、ふと目を上げると、そこには冷たい顔をした彼女がいた。(あら・・・・・)

相手が自分を受けとめてくれると確信して、だーっと走ってとびつこうとしたところ、さっと体をかわされて、地べたと激突するコントがあるが、まさにそんな感じだった。・・・



この小説には10編の短編が詰まっていて群さんがちょうど40歳になって初めて実感として感じ始めた心境が小説ににじみ出ている。

いままで若いときには許されていた諸々の挙動がいつの間にかその年では通用しなくなっていた驚きを感じたのでしょう。

まあ、女の40歳というのは本人にとってもいかし方のない紛れもない人生の分岐点と捉えたんでしょう。どの短編にもその悲哀が感じられる。


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  [No. 486]   11月 24日


   双葉社
「 蛇行する月」桜木紫乃
      2013年作・204ページ

・・・「道立湿原高校」は湿原の端っこを埋め立てた、水の上にぽっかりと浮いたような場所にあった。運動部も文化部も、意欲と方向が定まりきらない、学校全体が浮き草のようにふわふわとしていた三年間。

一期生がヤマハのポプコンに出場し、つま恋で歌った「ハイスクール」が校歌代わりだった。音楽と自習の時間は教師そっちのけで、ギターの弾き語りか新曲披露。昼休みも必ず誰かが廊下で歌い、ギターを弾いていた。

音楽も運動もやらない生徒の行き場は少なかった。放課後の気怠い時間をやり過ごすための部室には、清美のような部員が常に五、六人たむろしていた。

給湯設備があるのは図書部だけだったので、ただお茶を飲んで帰る喫茶部員もいた。・・・



道東の湿原高校でどこのクラブにも属さないで行く場のなかった順子、清美、桃子、弥生、美菜恵、静江、直子たちのそれぞれのその後を年を追って作品は構成されている。

三年の夏休みが始まる少し前、順子は「私、谷川に告白しようと思うんだ」というひとことで「とうとうやるのか」という部室の空気に妙な一体感が生まれた。

谷川と言うのはこの学校の現国の若い教師で教員住宅に住んでいた。ああしろこうしろという意見の飛び交う中で清美の意見に順子がくいついた。「雨の日ねらってさぁ、ずぶ濡れになって玄関のベル押すってのはどうだろうね」


いわゆるクラスメイトと言うのは自ら望んだ友人ではない、便宜的に人数合わせをさせられた間柄に過ぎない。しかし行き場のない図書部員たちでもそれなりの居心地の良さがあって付き合っているわけだ。

ある種の目的に向かって一体感を持つと言うことはよくあることだ。私も現役の会社員だった頃、美術部と言うクラブがあってその部室には今でも思い出深いしノスタルジーを感じている。

順子は結局谷川に断られたけれど16年後に美奈恵は高校の教師になってまだ独身だった谷川と結ばれる。桜木さんも茶目っ気のある人だ、不思議なめぐりあわせを作品に取り込んで。


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  [No. 485]   11月 16日


   講談社
「 ルビィ」重松 清
      2020年作・292ページ

・・・そして、夜明けが近くなった空を見上げ、ふう、と息をついて、今夜命を救った人のことを、まるで古い友達を懐かしむように口にした。「島野さんは‥‥わたし、けっこう幸せなんだと思うよ」「そうか?」

「うん。だって、ずーっと音楽が好きだったんだもん。今でも好きなんだもん。それはさ、プロになるっていう夢は叶わなかったし、そんな夢を持っちゃったから人生を棒に振ったところもあると思うよ」

「お金とか、仕事とか、そういう面で得をしたか損をしたかで考えたら、やっぱり、損しちゃったんだと思う」でもねーーと、ルビィは夜空を見上げたまま、つづけた。

「中学生とか高校生とかの頃に好きだったものを、オジサンになってもずーっと好きでいられるのって幸せじゃん」私は黙ってうなずいた。背中を向けたルビィには届かないしぐさだったが、しっかりと、大きく、うなずいた。・・・



高校生だったルビィは手首を切って自殺してしまった。そしてダザイは売れない作家として世に作品を出し続けていたがこれも自身の才能の無さを儚んで仕事場で首を吊って亡くなる。

ふたりはひょんなことから言ってみれば三途の川・・あたりをうろついていて偶然に知り合うことになる。だがもうそれぞれの名は無い、仮の名をルビィとダザイと呼び合う。

天の声から示唆された言葉は一週間のうちに七人の自殺願望者を助けることが出来たらお前たちはここから天国に行ける・・と言うものでした。


ひとは生きていく間にいくつかの試練を越えなければならない。他人にとってはくだらないことであっても当事者にして見れば生死を分ける大きな試練のこともある。しかしこの作者は言う。

そばに居る人が当事者に寄り添って心を寄せて共鳴し合って・・そして心の休まる方向に導いてやることが出来れば最善だと。

娯楽作品ではあっても伝えられるしっかりした筋は読み取ってあげたいと思う。


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  [No. 484]   10月 19日


   角川文庫
「 ふたりみち」山本幸久
      2018年作・356ページ

曲がりなりにも船に乗ったのである。潮風を感じながら海を満喫すべきだろう。そう思い、甲板にでたはいいが、野原ゆかりは悔やんでいた。

寒いのだ。寒くてたまらない。よく晴れて波は穏やかだ。あと一週間ちょっとで四月とはいえ、ここは津軽海峡だった。鴎は凍えなくとも、ゆかりは凍えそうだ。まだ朝の八時過ぎである。

ひとりなのも気が引けた。壁に背をもたれ、甲板を見回す。十人ほどでており、カップルか家族連れ、友達同志のグループなのだ。誰もが笑顔で、心から旅を楽しんでいるように見えるのが、面白くなかった。ただの僻みだ。そんなのはわかっている。はぁああ。

・・・なにを話しているのか、内容まではわからない。・・・SNSに関するものだというくらいは、六十七歳のゆかりにもわかった。・・・・・



二十年前まで東京で歌手として最低限の活躍はしていたが。晩年は母の故郷である函館に棲み「野ばら」というスナックを構えていた。手持ちの老後の資金も目減りしてここいらでまた持ち歌をうたうドサ周りの経験を生かそうと考えた。

そして青森を振り出しに全国5か所、昔の知人を頼りに200万円ほど稼ぎたいと出発した。事の発端、ゆかりはスナックのお客から老後の相談に乗ってくれるという業者に200万円騙され摂られてていたのだった。

請け負ってくれた知人はすっかりボケてしまって約束を守ってくれなかったり。最期のコンサートではそこで倒れて入院までしてしまった。でも連絡船で知り合った家出少女と友人同士のように助け合いながら旅ができた。


私も旅に出ればいろんな出来事に遭遇する。しかしそんないろいろな出来事がお金を稼ぎに行くためのものではかなりのアクシデントに見回りかねない。

しかしいろんな人たちと巡り合えたことが切っ掛けで希望のある年相応の仕事も得られそうなチャンスも巡ってきた。人生、肩張らず欲張らない方がうまく行くことが多い。


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  [No. 483]   10月 10日


   小学館
「 始まりの木」夏川草介
      2018年作・326ページ

「これ・・・・、木なんですね」そのつぶやきが、もっとも率直な表現であったかもしれない。それほど一般的な「木」という印象からは遠い、不思議な迫力を持った存在であったのだ。

「あの農家の一族が五百年間守り続けてきた氏神の木だ。日本における神という存在の、もっとも素朴な姿と言えるだろう。と同時に、滅びゆく日本の神の最後の痕跡と言っていい」

古屋はゆっくりと大樹を振り仰ぎ、それから深みのある声で告げた。「ここから、私の民俗学は始まったのだ」言葉が流れた。千佳は、ゆっくりと視線をめぐらして、師の横顔を見上げた。

吹き抜けていく風の中で、その顔には何の表情も浮かばない。しかし千佳は唐突に理解した。古屋は、昨夜の千佳の問いに対して、古屋なりの返答を提示しようとしているのだ。”先生は、どうして民俗学を選んだんですか?”なにげなく千佳が投げかけた問いに対する、この場所が古屋の答えなのだ。・・・・・


藤崎千佳は東々大学の大学院生となって民俗学の研究室に籍を置いた。もともとこんな学問に興味を持っていたわけではなかったがとあることが切っ掛けで偏屈な古屋紳寺郎準教授の弟子になることを決めた。

千佳が図書室から出ようとしたとき突然の雨、そのとき古屋が後から来て折り畳みの傘を千佳に差し出した。「あの・・、わたしは結構ですが・・」「いや、君にではなくそこに抱えている柳田國夫の本が濡れてしまわないようにだ!」


夏川草介さんの作品に出合って懐かしく思いました。私が本を読み始めて間もなく「神様のカルテ」という本でお逢いした。当時まだ30代のお若いお医者さんとして長野県の病院支所で地域診療に携わっておられました。

終末期医療に対するしっかりしたお考えは私の母に対する終末期の想いに大きく影響させることになりました。10年・・・と言うことはまだ40代ですが今回は民俗学の学問に触れた作品でした。

民俗学から日本は古来から不可思議な神々と共に生きていると感じればこそ、この国の人々は聖書も十戒も必要としないまま、道徳心や倫理観を育んでこられた。まさにこれからの私の生き方にも影響を与えてくれそうです。


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  [No. 482]   10月  6日


   東京創元社
「 流浪の月」凪良ゆう
      2019年作・347ページ

ーーーーねえ文、わたしのこと覚えてる? 喉まで出かかる問いを、今夜も無理やりに押し戻していく。あの夜、私はひとめで文だとわかったけれど、文はどうだろう。

いらっしゃいませ。ご注文は。お待たせしました。ありがとうございました。文がわたしにかける言葉はそれだけだ。気づいているのか、気づいていないのか、何を考えているのか、わたしには何もわからない。

けれど実のところ、気づいているが気づかないふりをしていると言う可能性が一番濃厚で、それはわたしを最も絶望させる。−−−覚えている。でも関わりたくない。

おまえのせいで俺の人生は壊れたのだと憎しみの目で見られたら、わたしは耐えられるだろうか。だから、本当に忘れているならそれでいい。そのほうがわたしもそ知らぬふりで店に通える。・・・・・


9歳の時、家内更紗は両親に捨てられて叔母の家で過ごしていたが中学生の孝弘が性的暴力をいやがって雨の降る公園にいた。大学生の佐伯文も少し離れたベンチにいたが更紗に傘を差しだして「ついてくるか・・」と声をかけた。

文は更紗に手を出すこともなく好き勝手にふるまわせ、自分は大学に通う傍ら食事や掃除洗濯・・ときっちりとした生活をしていた。そんな時テレビでは少女誘拐事件を報道していることを知った。

しかしお互いそんなことは無視して生活していた。やがて動物園に行きたいと更紗にせがまれて動物を見に行くがここで周囲の目は誘拐犯と少女の目撃情報が飛び交った。


一度報道されてしまうと何年経ってもその痕跡は常に世間の噂の矢面に引っ張り出されてその後の今が興味の対象としてあぶりだされてしまう。あの事件はそんなみんなが想っているような惨めなことではなくお互いは決して束縛されていなかったよ・・といくら説明しても納得してもらえない。

作品としては骨格のしっかりした顛末まで構成されていてそこを織りなすふたりの人生の葛藤がよく表されている力作でした。


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  [No. 481]   10月  3日


   講談社
「 幸福な食卓」瀬尾まいこ
      2013年作・202ページ

・・・直ちゃんは小さいこの地域では評判の天才児だった。小学生の時からずば抜けて頭がよく、中学校に入ってからの成績は全教科いつも学年で一番だった(もちろん、音楽を除いて)。高校でも学年一位の成績を三年間保ち、独学で漢字検定と英語検定の一級を受けて合格した。

直ちゃんはコツコツ勉強するタイプではなく、短時間で大きな成果を上げるタイプだった。記憶力に優れ、要領よく物事をこなし、勘をうまく働かせた。試験の山をはればいつも的中したし、ラジオの英会話教室だけで抜群の発音を身につけた。

勉強しても疲れない。勉強には何の苦もない。直ちゃんはよく言っていた。「勉強は好きじゃないし、たとえ大学に行っても、無駄に時間を過ごしてしまいそうだから。明確に実感したいんだ。もっとわかりやすい方法で、何かをしたって。そういう毎日を送りたい」

直ちゃんは静かに、でもしっかりとした口調で言った。・・・・・


中原佐和子は中学生、兄の直は既に社会人、父と母の4人暮らしであったが佐和子の視点で高校2年生になるまでの5年間の出来事を書いている。

至ってもめごとの無い家族なのに中学校で社会科を教えている父が手を切って自殺をして佐和子が救急車を呼んで一命をとりとめた。

父と母は仲が悪かったわけではないが一度別れて暮らすからと言って母は近くのアパートで暮らし始めた。直の恋人はいつも長続きしない、佐和子の中学時代から続いた男友達も交通事故で死んでしまう。


まあ、普通の家庭で見れば家族それぞれがとんでもない問題を抱えている割にはシッカリした家族関係を保っているところが不思議である。

佐和子自身も人生の中で彼氏の事故死というどん底を味わいながらも家族の絆からシッカリしなくてはと立ち直っていく。


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  [No. 480]    9月 25日


   双葉文庫
「 図書室のキリギリス」竹内 真
      2013年作・381ページ

・・・事情も分からないまま、いなくなった人の物だけがここにある。−−−そのことが詩織の記憶を刺激した。何が引っかかるんだろうと考えて、元夫のことだと思い当たった。

彼が何も告げずに出て行った後、詩織は部屋に残された彼の物を片っ端からクローゼットに放り込んだ。他に女でも作ったとか会社の金を持ち逃げしたとかなら遠慮なく捨てられたが、失踪の原因として思い当たるのは夫婦仲が冷え切っていたことぐらいだった。

後でもめても嫌だし、いつか取りに来るかもしれないと思っているうちに三年が過ぎた。それで離婚が成立し、詩織は独身に戻ったが、クローゼットの荷物はそのままだ。

永田さん宛ての封筒も、このまま持ち主の元には戻らないのだろうか。それは嫌だと思った。そんなのは元夫だけでたくさんだ。・・・・・


高良詩織は夫が姿を消してから本腰を入れて職を探すことにしていた。そんな時大学時代の友人、高校で音楽教師をしているつぐみの勤務する高校の図書室で学校司書の募集の話を聞いた。

元々図書館の司書って国家資格が無いとなれないと思っていただけにつぐみから高校の図書室の場合それらしくやればいい・・と言う。それで面接を受けたら気に入れられ勤めることになった。

元々本を読むことは好きであったので資格が無くとも高校生と本の距離を縮めるための方策を詩織なりに工夫した。読書週間や学校の文化祭に沿ってブックマークコンテスト、ブックトーク、ブックテーブルなどの手法を使って高校生の中に溶け込むよう工夫した。


読書家だった妻が居たのに私は一切本は読まなかった。そんな時でも妻は時々こんな本は面白かったので読んでみたら‥とか盛んに進めてくれた。実際妻に先立たれて初めて妻の示してくれたブックマークの本を手にした。

今思えば大変残念な気がしてならない。もし元気でいてくれたら二人でそれぞれのブックトーク、つまりその本との出会いや同じ本を読んでブックテーブル読書会など違った夫婦生活が楽しめたのに。

親孝行したいときには親は無し・・に似ているね。


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  [No. 479]    9月 19日


   幻冬舎
「 競馬どんぶり」浅田次郎
      1999年作・368ページ

・・・まあ、独身時代には一日、例えば一万円とか二万円とか使って、結構穴狙いとかもやっていたのが、結婚すると一日何千円としか入れるお金が無くて、そういうお金を増やすというレベルが代わってきている人が多いと言うことでしょう。

だからその中で、レートを下げて新たな楽しみを見いだすか、やめるかどっちかですよね。かといって、無理な予算で競馬をやるってことは絶対にやってはいけない。これは破滅します。

私もよく知っていますが、バクチで家庭が壊れるっていうのは惨めですよ。いちばん惨めな壊れ方ですよ。やっぱりね、家庭の壊し方でいちばんカッコイイのは女だよ。

女ができて家庭が壊れるっていうのは、まずわかりやすいし、人格をそんなに疑われないしね。いざとなったら、恋をしたんだから仕方ない、と。これはスマートなんだよ。昔はこういうのがダメって言われたのかもしれないけれども、今はスマートですよ。ところがバクチにハマったっていうのは、ただ、自分の意志が弱いだけでしょう。これはやっぱり格好悪いですからね。・・・・・


競馬が好きで好きで堪らない浅田さんの独演場と言ったところです。しかし彼は仕事もきちっとやった上で好きな競馬を趣味としてしかも自分にルールを果たしてやっている。

それは男のロマンであるし人生の上での生きがいと感じていることですから私がスキーや絵を描いたり陶芸を楽しむことと変わりないと思う。


しかしこれは彼も言うようにバクチなのです。私も職場に居たとき同僚に競馬好きがいて、その影響で3〜4年競馬にハマったことがあった。しかし私は一切金は掛けなかったししかも一週間に1レース10万円掛けたこととしてやっていた。

3〜4年の間にグラフ上では300万円以上の赤字になっていた。バクチは胴元が儲かるようになっている。ここで知ったことだけれど馬券には25%ものテラ銭が取られてるんだって競馬場に行ったことないから初めて知った。

そう言えば私の好きなお酒も一升瓶で216円の税金を払っている・・・まあビールに比べて安いですが・・・。


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  [No. 478]    9月 10日


   文藝春秋
「 空に咲く恋」福田和代
      2016年作・285ページ

・・・引き戸を開くと、目の前に広がるのは久造さんが丹精しているこんにゃく畑と、たっぷり水を張ったため池と、越後のこっくりした緑の山並みだ。黒々と濃い緑を、夏の陽光が輝かせている。

ため池の水面を、ときおりすうっと赤や金や白いものがよぎっていく。生きた宝石、錦鯉の背びれだ。ここの錦鯉は世界的に有名で、中国やヨーロッパの好事家にも売られていく。いつものように、朝の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

ここに転がり込んだ一月には、肺をちくりと刺すような冷気が喉を通りすぎたものだが、七月の今は、花とみずみずしい草の香りが腹の底まで満ちていく。新潟県長岡市、山古志。越後の山間に広がる、人口わずか千百人余りの集落だ。うち、六十歳以上の人口が、五十八パーセントを占めている。・・・



由紀は大学卒業後現実逃避で群馬県前橋の実家の三輪煙火工業の跡取り息子にもかかわらず自転車旅行に出てしまった。一旦青森まで行ったものの日本海を戻ってきて新潟県の山古志村でご近所の手伝いをしながら暮らしていた。

たまたま村の細い道で交通事故があった。その車の中に長岡市の清倉花火店の花火を積んだ車を目にし、これに火が移っては大変とすかさず助けに入り荷台の花火をを安全なところに移し終えた。小柄でボーイッシュな少年にお礼を言われたが実は清倉花火店の跡取り娘のぼたん・・であった。

由紀はボタンと付き合ううちに花火を家業にする実家に戻った。その後は父の怪我もあって次第に家業の花火制作に力を入れていくことになる。そしてぼたんをはじめ周囲の刺激を受けながら家業に誇りを持ちながら励むことになる。


何処の世にもすんなりと家業を継ぐ家族もあれば由紀のように紆余曲折を経て自分の責任を感じていく人間、それぞれに人の歴史がある。

私もこの山古志村に二泊ほどお世話になったことがある。大きな地震で壊滅的な被害をもたらされた後の投宿でした、またいつ同じ災害が来るやもしれない土地、それでも地元の方はこんな素晴らしい所はない・・・、という郷土愛に満ちた素敵な場所でした。


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  [No. 477]    8月 26日


   河出書房
「破 局」遠野 遥
      2020年作・127ページ

・・・幸運なことに、灯はどうやらセックスが好きなようだった。これは、私が都合のいい解釈をしているだけだろうか。しかし私が目を覚ました時、灯が私の下着の中に手を突っ込んでいたこともあった。

セックスが好きでないのに、眠っている私の性器にわざわざ撫でまわすか?。ひとつだけやめて欲しいのは、セックスの最中、私の性器とおしゃべりをすることだ。性器に話しかけるときは敬語を使わないから、私に言っているのではないとすぐにわかる。内容はその時々で違っているけれど、今日は何を食べたとか、昨日は会えなくてさみしかったとか、大抵はくだらない話だ。

話しかけられているのは私の性器であって私ではないから、当然私は返事をしない。性器も性器だから返事をしないが、灯は構わず一人で会話を続ける。ああいうのが好きで、性的な興奮を覚える男もいるのだろうか。私としては、なんだか仲間外れにされているようで面白くなかった。・・・



陽介は今は大学3年生。公務員試験を目前にして張り切っているところだ。しかし高校時代のラグビー部顧問からの要請を受けて母校の後輩の指導にもあたっていた。

一方女友達と言えばもう子供のころから友達として付き合ってきた彼女は将来政治家を目指していて陽介とは心の溝も深くなり始めていた。そんなとき、今年大学に入学してきた灯という彼女と付き合い始めた。


陽介は今風の若者でしょうしここの題名”破局”は二人の女の狭間で揺れ動くごく普通の若者の心理を描いていると思われる。ですから人生経験もある程度積んできた私からすると”破局”なんて、たいそうな表題に値しない浅い内容と感じてしまう。

しかし作品としてはこんな浅い内容であっても有効な表現方法を駆使してアピールできたのは流石ではないかと思った。


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  [No. 476]    8月 18日


   新潮社
「君が夏を走らせる」瀬尾まいこ
      2020年作・264ページ

先輩がかすかに涙をにじませるのに、いくつか言いたいことがあったはずの俺は何も言葉にできなかった。「じゃあな鈴香」

俺が声をかけると、今日で最後だなんて思っていない鈴香は、遊びながら片手間に手を振った。「いい加減な奴だな」「鈴香らしくていいっすよ」これでいいのだ。鈴香は俺のことを、すぐに忘れてしまうのだから。

こんなに濃密だった日々も、鈴香の中から跡形もなく消えていくのだから。別れは惜しむものじゃない。ただ日常にあるだけだ。鈴香はまた新しい何かに手を伸ばしていく。それは俺だって同じ。俺のフィールドがこれから先にしかないのなら、ここでの日々を握りしめてばかりもいられない。・・・



太田は不良グループの中武先輩から1歳十一か月の娘、鈴香を昼間だけ預かってくれないかと頼まれた。俺がまだ高校1年なのに不登校しているからちょうどいいだろう。

今では先輩も結婚して子供ができてまじめに働いていた。間もなく二番目の出産を控えて妻がしばらく入院しなくてはならないと言う、自分も勤めを休むわけにいかない。


16歳の太田が二歳に満たない子供と次第に心を響き合わせられるほどにまでなって約束の一か月が過ぎたとき、鈴香と別れなければならないことに寂しさを覚える。

彼は学校に行って教わるより、自立していくための多くを鈴香と接するうちに悟ってきた。凄い経験はきっと後になって役に立つ。


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  [No. 475]    8月 15日


   新潮社
「ホワイトラビット」伊坂幸太郎
      2020年作・312ページ

・・・打ち合わせが終わり、隊員が、いっせいに散らばった。「春日部、久しぶりの大仕事かもしれないな、これは」夏之目課長が私を見て、目を細めた。

事件が起きたことを楽しむような言い方は不謹慎なもしれないが、夏之目課長はふざけているわけではない。野球チームの監督が、リラックスしていこうぜ、と声をかけるようなものだ。

監督は決して、くつろぎたいわけではない。「電話、そろそろ犯人に電話を掛けないとまずいんじゃないでしょうか」「春日部はほんとまじめだな」と私を見る。・・・



作品の構成からみてもかなり貧相な作品だ。

ドタバタしすぎてしかも場当たり的な組み立てに少し落胆した。読んでいてもちっとも面白くなかった、最後の詰めもかなり甘い。


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  [No. 474]    8月  9日


   双葉文庫
「セブンズ!」五十嵐貴久
      2017年作・313ページ

・・・世間から見れば、なんの得にもならないことをしているとしか思えないだろう。女子ラグビーなら、なおさらだ。

世界ランキングは常に下位、身体の大きな外国チームに勝てるわけでもないのに、すべてを犠牲にしてラグビーに打ち込んでいる選手たちに、半ば呆れているかもしれない。

だからこそ面白い、と浩子はもう一度つぶやいた。絶対に勝てないと誰でもが思っている相手に勝てたら、どれだけ気持ちいいか。・・・



2015年釜崎市(釜石市)市役所ではラグビーワールドカップが日本で開催され釜崎市での開催決定を伝えられた。市民スポーツ課に勤務する奥寺浩子係長は夢の実現に向け大いに期待を膨らませた。

それというのも釜崎市はもともとラグビーの街、浩子は父親も名選手だったこともあって子供のころから父親の薫陶を受けて育ってきて30歳になる今では選手としてまた指導者として円熟期になると言っても過言ではなかった。

しかし今のラグビーは7人制が主流、そのためにはより精鋭をよりすぐらないと世界に立ち向かえない。しかし釜崎市は主流の鉄工所クラブも廃止され町全体がラクビー熱が冷めてきてどちらかというと若者は今はやりのサッカーに傾注されてきた。

しかし、浩子はスポーツ課の課員として今一度震災復興への希望を持たせるために女子セブンズを預かる決意をした。


実は私たちは女子ラグビー・・しかもワールドカップ?と言うほど知識がありません。とかく男子チームについては南アフリカ大会でその地元チームを破った奇跡の印象が鮮烈だった。

女子大会は報道もされなかった。これからも女子サッカーのなでしこチームのように世界をあっと言わせる女子チームに育っていってほしい。

「エッヘン!」実は私、全日本ワールドカップ女子選手だった方と友達なんだ!!。そんなお友達がご苦労なさって女子ラグビー発展のためにご尽力されていたことに敬意を表します。

もっとも恐らくご本人に言わせれば「私たちは後進の道を開くために遣ってた訳じゃ無いわよ!、ただラグビーが好きで好きで堪らなかっただけヨ!」・・。って言うでしょう。


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  [No. 473]    8月  6日


   文芸春秋
「少年と犬」馳 星周
      2017年作・281ページ

・・・ノリツネは自分の犬であって、自分の犬ではない。これほど恋焦がれているのだ。何とかして、九州にいるらしい飼い主を見つけ、ノリツネをいるべき場所に返してやった方がいい。

そう思いながら、なかなか行動に移そうとしないのは老いぼれの執着心だった。また、一人で寝る夜がやってくるのが嫌で嫌でたまらない。

若い頃はそうではなかった。獲物を追いかけ、何日もの間、山で野宿をしても平気だった。人が恋しいと思ったこともない。・・・



この小説は「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「老人と犬」そして最後に「少年と犬」・・・つまり犬がそれぞれの人に飼われてたどり着いた先は幼馴染の少年だった。

犬の名前は「多聞」、三陸沖の大地震と津波によって生後間もなかった多聞は近所の公園に祖母と遊びに来ていたこちらも幼かった光少年とよく遊んでいた。

津波により多聞は主人を失った。遊び相手の光少年も九州熊本に両親と暮らしていたが光少年は以来自閉症のまま5年の月日が経っていた。多聞は飼い主が変わる度に名前を付けられたがマイクロチップでその消息が分かった。


動物と少年を題材にした作品は古今東西沢山ある。そこには言葉の通じない・・通じないからこそ真意が伝わるであろう設定が根底にある。

私はこの本を読んでこの手の作品の思うつぼにまんまと落っこちて泣いてしまった。ペットロス・・という言葉があるが私も小鳥を飼っていたことがあって病気で死んだことがある。

確かにお互い元気でいればいいのだが言葉が通じないだけに深い悲しみが増す。・・・


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  [No. 472]    7月 30日


   徳間書店
「恭一郎と七人の叔母」小路幸也
      2016年作・292ページ

更家恭一郎には七人の叔母がいる。その七人の叔母たちの、母を含めて八人姉妹の微妙な関係性にふと気づいたのは、恭一郎が中学一年生のお正月だ。

いつもの年と同じように家を出た叔母も家族を引き連れてやってきて、賑やかに元日の夜の食事が始まったころに、気づいたのだ。

「それまではさ、つまり小学生の頃なんか、叔母さん同士の仲がいいか悪いかなんて考えないじゃん」「そうかなぁ、小学生でも気づく子はいると思うけど」

「それは男と女の違いだよ。小学生男子なんかただひたすらバカなんだから。でも中学生になってこちらも思春期でさ。大人の間のどうしたこうしたなんてことに目を向けられるようになって、ふっ、て感じたんだよね」

「叔母さんたちの仲が悪いって?」「悪いとかだけじゃなく、いろいろなことにさ」・・・



八人姉妹の長女、さき子は19歳の時姉妹の先陣を切って近くの実業家の息子で将来を嘱望された学士でもある加山一造と結婚した。さき子は直ぐに身籠ったが運悪く夫は列車事故で亡くなってしまった。

さき子は実家に戻ると決めて出産したのが恭一郎と言うことになる。つまり20歳のさき子から末娘の八女の末恵子はまだ7歳ですから姉妹にとって恭一郎は末っ子と言っていい存在であった。

当然、七人の叔母たちからはとても可愛がられたし恭一郎もどの姉妹にもよく懐いてよくされて育ったという思いが強かった。事実、恭一郎自身もそんな環境で育ったせいか人当たりの良さは抜群によく仲間からや大人たちからも一目置かれるようになった。



映画などで三人姉妹の家族ものを題材にした作品など十分にそれぞれの個性を発揮して面白さを醸し出しているが八人姉妹となるとひとつの社会の縮図と言っても過言ではない。それぞれの個性で面白い展開が書かれた作品でした。

実は私の母は10人兄弟姉妹の下から三番目として大家族の中で育っている。父親も5人兄弟姉妹の真ん中で育っている。したがってこの小説の更家家の実情とかなり似通った心情は子供心にも大変貴重な情緒として私の人間性に関わってきた。

確か私の従弟の最年長者は叔父の末っ子より年上。父方母方を含めると私には54人もの従弟が居ていまだにまだ逢ったことのない人もいる。・・・


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  [No. 471]    7月 22日


   角川文庫
「僕だけがいない街」一  肇
(Another Record 原作 三部けい)
2016年作・258ページ

・・・さてーーーなんの話題だったか。ああ、「兄を殺したこと」と「蜘蛛の糸」か。そうだな、スパイス。兄を殺したころから、時折頭上から「蜘蛛の糸」の延びる人間を見るようになったんだ。

もちろん最初は何度も目をこすって確認したさ。医者にも行ったが、どこにも異常はなかった。見える日と見えない日があると言うこともない。それは一度見えた人間の頭の上から早々消えなかったし、都心などを歩けばその糸を引いた人間の数に圧倒されたものさ。

「蜘蛛の糸」はこの世を地獄と感じている人間に現われ、そして、心の奥底で解放を願っている人間に顕れる。

ーーー勝手に私はそう解釈していたがね、もちろんそんなものは主観だ。ただの幻覚かもしれないし、飛蚊症の一種かもしれないし、私の脳のどこかに傷があるのかもしれない。

しかし、そうだ、スパイス。最近、芸能人で自殺した人間がいたろう?髪が長く、スタイルのいい、可愛らしいお嬢さんだ。実をいうと私にはね、ずいぶん長く彼女の頭の先に「蜘蛛の糸」が見えていたんだ。自殺の報道を知って、やはりそうかとしか思わなかったがね。・・・



20年以上も前に起こった北海道のT街の37名の連続殺人犯として起訴された男が見つかって二年前に裁判に掛けられて死刑が求刑された。

しかし、弁護人によって上告され高等裁判所の判決では新たに見つかったこの男の手記が発見されたことにより被告の責任能力が認められず逆転無罪が言い渡される。

検察からの上告を受け最高裁判所で審議する段になって被告は無罪を勝ち取った国選弁護人を解任させるという事態になりあらたに国選弁護人としてケンヤが選ばれた。

ケンヤはかつて北海道の美琴小学校の5年生の時、実は今回の被告人、矢代学がケンヤのクラス担任だったことがありかなり難しい立場での弁護人と言うことになった。


ケンヤは当然被告人である矢代学に接見する。矢代は目の前の弁護人がかつての教え子であったケンヤだと言うことを知る。矢代はケンヤをいまだに先生と生徒という垣根越しにまなざしを向ける。

矢代はケンヤに「ノートを作って自分に正直にすべてを書きなさい。書くことで自分をよく知るだろう。そして自分でも気が付かなかった何かに気が付くことだ・・」ケンヤはノートを買ってきて書くことにした。

この作品は漫画家の原作を作家が文章化して出来上がった本です。矢代の手記の解釈を巡って一転二転する中にもケンヤという弁護士によって被告も周囲の人間も最終判決の「死刑」に納得する。


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  [No. 470]    7月 13日


   祥伝社
「農ガール・農ライフ」垣谷美雨
2016年作・354ページ

・・・土曜コースの最初の研修では人参を植えたのだった。畑を耕して水捌けがよくなるように土を盛って畝を作った。

そして、講師が「今から人参の種を配ります」と言ったとき、「人参に種なんてあるんですか?」と素っ頓狂な声で訊ねたのは亜美だった。講師は噴き出したが、周りの生徒のほとんどが笑わなかったところを見ると、亜美と同じように知らなかったのだろう。

「それまで何も知らずに野菜を食べてきたんだなあって思ったわ」と久美子は言った。「俺なんか、四十過ぎてんのに知らなかったもんなあ」と黒田も笑う。

「いよいよ農業開始っすね」と勇太が感慨深げに言った。「また連絡していいですか?」心細いのか、亜美が上目遣いで久美子を見た。

「もちろんよ。私からもちょくちょく亜美ちゃんにメールさせてもらうわね」「俺も、亜美ちゃんにメールするっす」と勇太がちゃっかり割り込んできた。「まったくもう。勇太の目的は見え見えだぞ」と黒田がちゃかした。・・・



水沢久美子は大学のクラスメイトだった篠山修と同棲生活をしていた。修からは一度「・・俺達ボツボツ結婚しないか・・?」と言われたことがあったが久美子はまだ自由な生活がしたかったのでそんな話は断って6年も経ってしまった。

しかし、今日、派遣切りに遭った。こういったつらい日は、真っ先に修に一刻も早く話を聞いてもらいたいと思って家路を急いだ。逆に修から「実は結婚したい相手が見つかったんだ・・」と打ち明けられた。

そういう約束ではあったが勿論言い出すのは久美子が先と言う気持ちでいたがもう既に32歳だ。そんな・・今からどうすると思って付けたテレビに女性でも楽に農業が出来るよ・・っていう番組に出逢った。

農業大学を受講し私もいよいよ農業女子として出発だ!・・・と思った矢先、そんな甘い農生活はどんなにあがいても見つけられなかった。


テレビ番組で永いこと続いているのでかなりの人気がありそうです「人生の楽園・・・」だったっけ?。番組の制作上あまり苦労なところは出てきません。皆さん新しい住処となった地元の方たちと交流しながら第二の人生を謳歌している様子が誇張されています。

久美子の場合もそんなに容易いものではなかった。耕作放棄地があったとしてどこの馬の骨とも分からないしかも独身の女にホイソレと農地を貸してくれる人などありません。しかし根気よく誠実に地元の人の気心が知れてくるに従って心を開いてもらうようになる。

そう言えば私もスキー場の下の村の方から山林をお借りして植樹して樹を育てています。放棄地と言っても今のところ手が届かないだけのこと、先祖伝来の土地です。誠実に時間をかけて誠意を伝えることです。


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  [No. 469]    7月 11日


   講談社
「つきのふね」森 絵都
1998年作・186ページ

・・・前略。日本では寒い冬が続いていますが、オーストリアはいかがでしょうか。ぶしつけなお手紙をお許しください。

ぼくたちはツユキさんの友達の外川智さんの友達です。まだ中学生ですが、ひょんなことから友達になりました。多分ぼくたちはほかに行くところがなかったから、毎日のように智さんのうちに行っていたんです。

ぼくのしつこさをいやがらなかったのは智さんがはじめてでした。だからぼくは生まれてはじめて歓迎された気がしました。それはとてもいい感じでした。

もうひとりのさくらは盗人ですが、それでも智さんは歓迎してくれました。智さんはそういう大事な人です。その智さんがピンチです。助けてください。

今の智さんを説明するのはむずかしいけど、ひとことでいうと、たぶん心の病気です。だんだんひどくなっています。このまえはついに自分を傷つけてしまいました。とてもしんぱいです。・・・



さくらと梨利は中学二年、新しい刺激的な遊び・・・と言うことで静香や秋江らの万引きグループに入った。遊びのつもりだったが段々にエスカレートしてきてノルマを与えられるようになった。

さくらはもうそんな遊びは止めようよと梨利に持ち掛けたがリーダーの静香らから辞める前にフィルム500本を持ってこいと言われしぶしぶ目の前にあったタツミマートに目的を果たしに入って、仕事をした。

たちまち店長に見つかり梨利は逃げたがさくらは黙秘を決め込んでいたので店長も時間延長を決め込んで部屋に監禁された。・・・・そんな時従業員の外川智に助け出されて逃がしてもらった。智は24歳で店長の甥っ子だった。

そんなころ別クラスの勝田君はひいきにしていた梨利とさくらがなぜ仲たがいしたのか知りたくてさくらを尾行しながら事の真相を知るようになる。智とも気心が知れるようになると同時に智が精神的に病んできたことを知る。


14歳の精神的に未熟な子供たちの行動と大学まで順調に歩んできた24歳の精神に異常をきたした青年とは心のどこかで通じ合える何かがあるんだろう。

そんなごくありふれた子供たちではありますが智が精神を患った時、勝田君は智を助けるためには大学時代から親交のあったツユキさんに現状を訴えて手紙を書いた。手紙の文章能力はとても子供のものとは思えないほどしっかりしていて驚いた。

森さんの作品はいくつか読んでいますがその中でもデビュー間もないころの中学生向けとしての作品だったようです。20年以上前の作品ですが決して色褪せを感じない感性を与えます。


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  [No. 468]    7月  4日


   徳間文庫
「木曜組曲」恩田 陸
2002年作・223ページ

・・・「他にもいろいろあるけど、一番理解できないのは、なぜ時子さんがそんなにまでして後継者を作りたかったか、だな。だって、素直に言って、例えばよ。尚美、自分が書けなくなったとしてだれかに自分の名前で小説書いてほしいなんて思う?あたしだったら思わないな。たしかに時子さんの小説は素晴らしい。エレガントで、深い教養があって、華やかな凄味があって。あたしだって憧れる。ああいうペダンティックで上品な小説を書けるものなら書いてみたい。でも、それはしょせん時子さんのものでしょう。確かに尚美が時子さんの小説にぞっこんだったのは分かるけど、だからと言って今だってかなり成功してるあなたが自分の名前を捨てて、時子さんの名前で小説を書く必要がどこにあるの?修業と呼ぶには随分生臭い話だよね。たとえば、印税はどうなるわけ?誰が受け取るの?権利は誰が持つの?変だよ。しかも、尚美は自分の小説にこだわると言う点では時子さんに負けないくらいこだわる人だと思ってたんだけど。・・・」



重松時子という大物作家が亡くなって早4年の歳月が巡ってきた。生前彼女の作家としての生き方に共感を得て集まっていた5人のいわば自称弟子たちが毎年この命日にあたる週の木曜日に集まって当時をしのんでいた。
しかし時子の死については皆それぞれに見解の相違もあって当時は自殺であるとされていたが次第にそれぞれは懐疑的な思いが募ってきた。
その弟子たちは既にそれぞれジャンルの違いこそはあれ、いっぱしの作家の道を歩んでいた。・・・・
全編通じて舞台は時子の家の中に5人の作家が集まって3日間にわたってそれぞれの意見をぶつけ合う。
この手法の作品には洋の東西を問わずよく目にする作家の題材でしょう。主婦に多くのファンを持つ尚美、近年に新人賞を受賞して今後の活躍が期待されるつかさ、ノンフィクションライターとして既に活躍する絵里子、美術関係出版プルダクションを経営する静子、時子と同居して面倒を見ていたえい子という多彩な意見のぶつかり合いが面白い。

さて、ここまで盛り上げてきた多彩な交換劇ではあったが落ち着ける場所は無かった。まあ、得てしてこんな作品の結末をハッキリと認めなくとも過程を楽しめれば・・、大人の作品かな。

似たような状況はよくあること、クラス会で亡き恩師について語り合ったり、弟子たちがより集って師匠についてそれぞれの想いを語る・・。


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  [No. 467]    6月 19日


   ポプラ社
「ライオンのおやつ」小川 糸
2019年作・255ページ

・・・これからの人生が、かけがえのない日々となりますよう、スタッフ一同、全力でお手伝いさせていただきます。それでは、道中、お気をつけていらっしてくださいませ。もうすぐお会いできますことを、心待ちにしております。

ライオンの家 代表 マドンナより


船の窓から空を見上げると、飛行機が、青空に一本、真っ白い線を引いている。私はもう、あんなふうに空を飛んで、どこかへ旅をすることはできないんだなぁ。そう思ったら、飛行機に乗って無邪気に旅を楽しめる人たちが、うらやましくなった。

明日が来ることを当たり前に信じられることは、本当はとても幸せなことなんだなぁ、と。そのことを知らずに生きていられる人たちは、なんて恵まれているのだろう。

幸せというのは、自分が幸せであると気づくこともなく、ちょっとした不平不満をもらしながらも、平凡な毎日を送れることなのかもしれない。・・・・



海野雫は癌にかかり手当ての甲斐もなく余命あと2か月の宣告を受けその余生を瀬戸内海に浮かぶある島のライオンの家という終末期を過ごせる家として選びそこに向かうことにした。

ライオンは野生動物の頂点に立つ百獣の王、もう恐れる者もなく安心して暮らせる。そして週に一度入所者のリクエストに応えてその人の想いでのおやつを作ってエピソードを聞きながら全員で食べる。

33歳にして宣告を受けたショックは大きく子供頃から大事にしてきたぬいぐるみなど引き裂いたりわめき散らしたりしたが覚悟を決めて冷静に身の回りを整理して向かうことができた。


わたしはこの十数年のあいだに妻を、そして義母を、更には母を看取ったことになる。母たちはともかくとして妻の癌については多くの人が経験した近親者の苦悩を知った。

しかし、それ以上に本人の苦悩は計り知れないものがあると推察します。しかし最期は我が家で穏やかに過ごしていてくれたのかな・・。

小川糸さんは私の妻の心境そのものを代弁してくれているような確かな感情描写につい目頭の熱くなる思いにさせられました。ありがとう、そうして改めて自分が幸せであると気づくことなく過ごしていることに反省しながら。


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  [No. 466]    6月 15日


   角川文庫
「太陽の子」灰谷健次郎
1979年作・282ページ

・・・いたずらをするカラスと仲良く暮らした話とか、台風のとき草花を部屋に入れて上げた話とかをおとうさんからきいたとき、沖縄の人たちはやさしいなと思っただけでしたが、今はもっと深い意味があったことを知りました。

沖縄の人がすべての命を大切にするのは、これまでにたくさんのかなしい別れをしてきたからなのですね。ずっとむかしは人頭税というとてもひどい税のために、マラリアという伝染病のために、そして沖縄の戦争のために、たくさんの命が消えて行ったり離ればなれになったりしたのでしょ。

沖縄の人にはそんなつらい悲しい思いがあるのですね。つらいかなしいめにあってきた人ほど、そうしてはならないという思いも人一倍強いはずですね先生。

そんなふうに考えると、沖縄の人がなぜやさしいのか、てだてのふあ・沖縄亭に来る人びとがなぜやさしいのか、少し私にわかるような気がしたのです。・・・・



小学5年生の大峰芙由子は神戸で生まれ育った。父も母も沖縄出身で沖縄料理を提供する「てだてのふあ・沖縄亭」という食堂を経営しているがこの所お父さんが精神病なのか元気がない。

お店には沖縄出身の沢山のお客さんが通ってきては毎晩盛り上がっていた。芙由子はこの「太陽の子・沖縄亭」の利発な一人娘でお客さんからはふーちゃんと呼ばれて可愛がられていた。

ふーちゃんは少しでもお父さんが元気になってくれるように散歩に誘ったりしている。常連客からはふーちゃんは沖縄の子供らしくない・・と言われるたびに「私は神戸っ子」だからといっていた。

お父さんの病気はひょっとして沖縄にいたときの苦しかったことが原因だったと知りはじめもっと沖縄のことを知らなくっちゃ、と思うようになった。・・・・


灰谷健次郎さんの力作に出合いました。灰谷さんは小学校の教師をしていたが辞めてそのご沖縄に移って暫く放浪していたという。そんな中から沖縄人の心を知りこの大作に取り組んだと言います。

今も沖縄の人たちは基地の問題や本土との軋轢の狭間にあって日本人としての誇りも持てずにいる。そもそも本土が勝手に始めた戦争をなぜ沖縄島民がこんなにまでして防衛に心血注いできたか理解してもらえない。

小学校教師だったことで子供の目を通して少しでも沖縄のことをのほほんとして暮らしている本土のアホたちに知らしめたかったのでしょう。


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  [No. 465]    6月  5日


   講談社
「風の歌を聴け」村上春樹
1979年作・109ページ

・・・ある新聞記者がインタウ”ューの中でハートフィールドにこう訊ねた。「あなたの本の主人公ウォルドは火星で二度死に、金星で一度死んだ。これは矛盾じゃないですか?」

ハートフィールドはこう言った。「君は宇宙空間で時がどんな風にながれるのか知っているのかい?」「いや、」と記者は答えた。「でも、そんなことは誰にもわかりゃしませんよ。」

「誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何のいみがある?」・・・・



この作品は彼の群像新人文学賞受賞作品でありますが私にとっては比較的わかりやすい本だったかな。

100ページ余の短編ではありましたが後半に差し掛かるころから小説という意味合いが出てきてストーリー性も出来上がってきた。

とにかく書き出しは何時ものジグソーパズルのように断片的であってどこに話を持っていくのか想像もつかない。

しかし後半になって安心して読めるような気がしてきたと言うのが本音だった。・・・・


この作家は今後どんな小説のスタイルを示してくれるのでしょうか。私としては期待はしていないけれど興味はある。


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  [No. 464]    6月  4日


   文藝春秋
「鮪立の海」熊谷達也
1958年作・451ページ

・・・征治郎が何を言ったのか、すぐには理解できなかった。「俺ら、一緒になっからよ!」もう一度叫んだ征治郎に問い質す。「なにすや!結婚するって、ほんとがや?」

「本当だ!俺は美和ちゃんを嫁にもらうぞ!」声を張り上げる征治郎と、肩を抱きすくめられてにこにこしている美和子をまじまじと見つめる。

いや、守一だけでなく、甲板上の乗組員も岸壁にいた見送りの人々も、皆が仰天した顔つきで二人を見やっている。すると征治郎が、美和子の肩から手を放し、清子を自分の前に押しやっていった。

「守ちゃん!お前はどうなんだよ?清子ちゃんと結婚するのか、しないのか?返事はどっちなんだよっ」ばばばっ・・・。いきなりなにを?!

顔面からどっと汗が吹き出してくる。足元の甲板が震え、搭載しているディーゼルエンジンの唸りが高まった。と同時に、出港合図の汽笛が湾内に鳴り響く。・・・・



菊田守一は大正15年、三陸の漁港仙河海町の漁師の家に生まれた。父の惣吉は町内指折りの名漁師、年の離れた兄の惣一もこれまた優れた船長として親子でタッグを組んでいた。

そんな守一も15歳にはいよいよ船に乗って働くことになった。しかし初めてのカツオ漁では船酔いがすごく全く仕事にならなかった。

いつしかそんな守一も一人前になるころ戦争が始まってこの漁船も戦禍に巻き込まれる。父は怪我をし陸に上がり、惣一は沈没した船から守一と共に海中に漂ったが命を奪われてしまった。

それからの10年、守一はいろんなことを経験しながら妻を迎えることになった。・・・・


久しぶりの熊谷達也の作品、しかも彼の長編作に巡り会いました。

偶然なのか前の井上靖「あすなろ物語」そして私の「青春切符」、今回の「鮪立の海」も激動の青年期を題材にした青春切符ではないでしょうか。

やはり人生で一番感動を受ける思春期は小説の題材として作家の心を動かすのかと思った。


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  [No. 463]    5月 21日


   新潮社
「あすなろ物語」井上靖
1958年作・198ページ

・・・「君、六年生なら、来年は中学へ行くんだろう」「そうです」「勉強しないとだめだな」「−−−−−」「都会の学校は難しいよ。勉強している?」

鮎太は、勉強はしていなかったが、黙って大学生の方へ頷いて見せた。急に自分が大人扱いされているような変な気がした。

「人より二倍勉強するんだな。二倍勉強すれば二倍だけできるようになる。朝起きても学校へ行くまで勉強。学校から帰っても、また勉強。−−−そうすりゃあ、どこへだって入れる」

大学生は殆ど独り言を言っているような調子で喋っていた。「君、勉強するってことは、なかなか大変だよ。遊びたい気持ちに勝たなければだめ、克己って言葉知っている?」「知っています」

「自分に克って机に向かうんだな。入学試験ばかりではない。人間一生そうでなければいけない」・・・・



鮎太は代々医者をする家庭の子だったが父母は軍医として離れて暮らしていたので祖父の亡くなった後その妾の老婆と伊豆の温泉場近くの土蔵で暮らしていた。

東京から温泉場に逗留していた大学生の薫陶を受けて朝晩机に向かって勉強するようになる。すると成績はグングンよくなって将来を期待される中学生になった。

しかし、上には上がいるもので次第に街の上級クラスに進むにつれ他には優秀なものが随分いてかなわないと思うようになる。・・・

あすなろとは翌檜と言う漢字で「あすはヒノキになろう」の意味。


今月はわたしの私小説「青春切符」の印刷や製本を暫くしていたので事ある機会に文章を読み直す機会があった。

わたしにもその頃は「翌檜」と言う希望がありそれなりの努力をしていたことを思い出す。鮎太も医者にはなれなかったものの精一杯新聞記者としての道を歩んでいる。

人は人、自分が如何に精一杯生きて来たか・・それこそが翌檜ではないでしょうか。


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  [No. 462]    5月  7日


   小学館
「霧」桜木紫乃
2018年作・366ページ

北方墓参実現のための署名活動が終わった昭和三十八年六月半ば、集まった署名をソ連大使館と厚生省、「日ソのかけ橋」本部に向けて陳情するという新聞記事が道報新聞の一面に載った。

相羽がテーブルに放っていった新聞を広げ、珠生は陳情団の顔ぶれを見る。大旗が市長と「日ソのかけ橋」支部長に挟まれてにこやかにカメラを見ている一歩下がるようにして見ているのは国後出身の根室市助役、メンバーの端に伏し目がちだが口角をしっかりと上げて写っているのは智鶴だ。

珠生が知る限り、智鶴がその姿を紙面に現したのは初めてだった。目の粗い新聞写真でも姉の品良い顔立ちは充分伝わる。大旗の国政出馬へ向けて、智鶴も表立って動き出したと言うことだ。

珠生は新聞を持ったまま海峡側の窓辺に立った。ダンプも重機も出払っていて静かだ。凪いだ海の向こうに、今日はくっきりと島影が見える。

この街には、自由に海を行き来できるものとそうでないものがいる。ソ連兵に追われた後、海峡に連なる島々は外国になった。・・・・



根室市の市民の多くはポツダム宣言の後に不法侵入してきたソ連兵に追われるようにして逃れてきた元島民が多かった。

命からがら逃げおおせた人はまだ幸せな方で多くの人は逃亡の最中に小舟が転覆したりして目と鼻の先の根室にたどり着けなかった人多かった。

避難した人の多くは地元の網元のもとで働いたりすることで生計を立っていた。・・・

そんな有力の網元ではあったが跡取りの男子に恵まれず女ばかり3人の姉妹はこの根室の有力な子弟に嫁ぐことになる。

しかし、次女の珠生は厳格な家を飛び出して芸子になり地元の有力者に媚びを売る仕事に就いた。しかし彼女が選んだ男は網元仲間に拾われた元島民の相羽という男だった。

相羽は元島民という立場を上手に使って裏で日ソの裏取引で有力な地盤固めをしていった・・・



約一か月ぶりでプロの作家の本を読む機会に恵まれた。

この作品はいわゆるフィクションではありますがやはりプロはここまで迫力迫る描写力で現実味を表現していると言うことを思い知らされました。

13年にホテルローヤルで直木賞受賞、それは以前読みました。これから益々期待の持てる50代半ばの円熟味に期待します。


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  [No. 461]    4月  4日


   自費出版
「青春切符」藤森幸三郎
2020年作・383ページ

・・・「こうざぶろう〜、いつまで寝てるいるんですかー?」遠くで誰かに呼ばれたような・・そうでもなかったような・・で目を覚ましました。

そうか、夕べは遅くまで引っ越しの為の荷造りだのやっていたので就寝もだいぶ遅くなってしまいました。すっかり朝寝坊してしまいました。

文京区駒込林町で過ごす最後の日曜日の朝です、六畳の和室にガラス戸越しの朝の光が廊下に反射して障子に柔らかな日差しが届いています。

時折廊下のはす向かいにあるアトリエにしている八畳の洋間から時々ゴトン、とかザー、とか異音も聞こえてくるのです。わたしは布団の上に起き上って声を出します「だれか、いるのー?」

「あら!?、おねぼうサン、お目覚めですか・・?」「その声は・・マ・サ・ミ・・?」「その通り、まさみですよー、違った名前なんか呼んだらこのバケツの水、ぶっかけちゃうところだったのに」

「げっ!、狂暴な女だよな。もっともそんなドスの利いた声出すの、雅美しかいねーもんナー」「ぶつぶつ言ってないで早く起きてきてお掃除、手伝ってください」

「まっ、起きるけどサ、どうして今日、荷造りしたり掃除したりするって知ってる訳?」「あたしにはね、ボウヤにはわからない勘っていうのがあるんヨ!」

「チェッ!ったく、人をはぐらかす時決まって岡山弁でしゃべるんだから・・」

「ハイ、常磐線の駅弁の売れ残りですけけど、あさごはんヨ、同じものは終わってしまったの大きい方を召し上がれ」「どうもありがとう・・こんな弁当食べながらまた房総の方に行ってみたいね」

「チョットウ!、顔も洗わないで食べる気!?」「大丈夫だよ、食べてから洗うから・・」「幸三郎さん、アトリエが完成したそうでオメデトウ!」「ありがとう、落ち着いたら遊びに来てよネ」「・・いいえ!、もう今日でお別れヨ!」

「おわかれ・・って、マタマタ・・俺のことを子供扱いしやがって・・」「ほら、ボクちゃん、ご飯がこぼれていますよ」

「わたしネ、岡山に帰って結婚することになったの・・研究所の思い出、幸三郎さんとの楽しかったこと素晴らしい青春だったわ」・・・




人生の中で多感な青春期に接した女性の中でも得体の知れなかった友人のことを今でもハッキリとよく思い出します。東京駅12番線・鉄道弘済会(キオスク)に勤務しながら美術研究所に通って絵の勉強をしていた雅美さんです。

まだ元気でいれば立派なお祖母ちゃんになっているはずです。でもこうして思い返しながら文章を綴ると今でも岡山弁のイントネーションは健在で耳元に響きます。彼女ではなくオレも「素晴らしい青春だったゼ」

編集も終わって読み返してみました。383頁なのになんで二日も掛かるの。分かりました、1ページに1945文字もあるのです。普通の文庫本でも1ページ672文字ですから通常の文庫本に換算すると1000ページ越の超長編作品です。


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  [No. 460]    3月 29日


   小学館
「ロマンシェ」原田マハ
2015年作・387ページ

「美智之輔。・・・高瀬君のこと、好きでしょ?」。

・・・あたしは、そのときまで、誰にも言わずに胸にため込んでいた正直な気持ちを、一気に吐き出した。ほかの誰でもなく、ハルさんにだけは聞いてほしい。−−それがすなおな気持ちだった。

ハルさんは、やっぱりただ静かに耳を傾けてくれた。そして、あたしの話をぜんぶ聞き終わると、とても静かな、けれど熱のこもった声で云った。

「自由になりなよ、美智之輔。・・・いま、自分をごまかしたら、このさき一生ごまかし続けなくちゃならなくなるよ。あたしがそうだったように」

男だろうと、女だろうと、そんなことは関係ない。大事なのは、自分にすなおになること。自分の気持ちを自由にすること。好きだ!って叫びたいなら、叫ぶこと。

アートに向きあっている時の自分を思い出して。ーーね、美智之輔。叫びたいとき、叫ぶんだよ。君が生きているその場所。そこは、決して世界の端っこなんかじゃない。

君が叫んだその場所こそが、ほんとの世界の真ん中なのだ。・・・



美術大学でクラスメートだった高瀬君にぞっこん惚れてしまった美智之輔。彼に打ち明けることも出来ずにパリに留学を決めていた。しかし目当てにしていた美術学校は受験したが落ちてしまった。

たまたま人伝にアートのidemというリトグラフ工房で働くことができた。何とここは18世紀から始まった数多くの芸術家が出入りして作品を作った工房だった。そして同時にハルさんはじめ多くの作家も集まる場所となっていた。

高瀬君は卒業の後、芸術関係のイベント企画社に就職したがなんとidem工房のリトグラフを日本に紹介する企画を実現するためパリへ来て美智之輔と再会する。・・・


この作品は原田マハさんが美智之輔という人物を使って実際に東京ステーションギャラリーで開催させた実際の展覧会を想定しながら作った作品であった。

そしてその作品の仕上がるにつれて美術館との展覧会の交渉や実施などしたという。彼女の「度胸と直感」は素晴らしいものと感嘆した。

そして、ハルさんが作品の中で美智之輔に語った「君が叫んだその場所こそが・・」のフレーズをそのまま展覧会のサブタイトルにしてしまった。


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  [No. 459]    3月 26日


   角川文庫
「昨日みた夢」宇江佐真理
2016年作・282ページ

・・・玄桂はそのまま氷見家に留まった。仮通夜、通夜、菩提寺での葬儀にもつき合い、ようやく戻ってきたのは初七日の法要の前だった。

戻ってきた玄桂は丼飯を三杯平らげ、泥のように眠った。おふくは玄桂の寝顔を見ながら、妻になってもいいかなと言う気持ちに傾いていた。それだけ玄桂の人柄に打たれてもいたのだ。

だが、一月の晦日になると、玉江は足がよくなったので、もうきまり屋に帰っていいと言った。

「そうですか・・・・」名残惜しい気持ちでおふくは応える。それどころか、仁川の親戚に年頃の娘がいるので、もしかして縁談が纏まりそうな気がするとまで言う。

今さらあたしが、とは言えなかった。玄桂の手当て場へ行き、本日で奉公を終えることになりました、と告げると、玄桂は笑顔で「ご苦労様でした。いや、助かりました。本当はもう少し、この家にいて欲しいのですが」と嬉しい言葉を掛けてくれた。

「あたしもそう思っておりました」おふくも精一杯の気持ちを込めた。だが、玄桂はそれをお愛想と受け取ったようだ。・・・



きまり屋(人材派遣会社)の娘のおふくは適当な人材がいない場合は彼女自身が次が見つかるまで奉公することをしていた。そんな中で一見、見すぼらしかったり一目で判断している中で多くの人を知る。

独身の医者、玄桂の家でもそうだった。しかし奉公してみると彼は医者の鏡と言うことがわかった。このひと月岸田家の女中としてひと月近くを暮らした日々が愛おしく感じたのでした。


宇江佐真理さんはついこの間ガンに侵されて亡くなったと言います。66歳の若さでした。底辺にいてこそ上の人の行動などで人物評価するこんな文章は好きです。ご冥福をお祈りします。

この3月は私自身の私小説「青春切符」の編集に追われて読書はできませんでした。やっと時間が取れて読書することができました。


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  [No. 458]    2月 13日


   角川文庫
「天気の子」新海 誠
2019年作・267ページ

・・・汽笛が鋭く鳴った。違う、そうじゃない。僕は手すりの鉄の感触を確かめ、潮の匂いを確かめ、水平線に消えかかっている島影を確かめる。

そうじゃない、今はあの夜ではない。あれはもうずっと前のことだ。フェリーに揺られているこの自分が、今の本当の僕だ。きちんと考えよう。最初から思い出そう。

雨をにらみながら僕はそう思う。彼女に再会する前に、僕たちに起きたことを理解しておかなければ。いや、たとえ理解はできなくとも、せめて考え尽くさなければ。

僕たちになにが起きたのか。僕たちはなにを選んだのか。そして僕は、これから彼女にどういう言葉を届けるべきなのか。

すべてのきっかけはーーーそう、たぶんあの日だ。彼女が最初にそれを目撃した日。彼女が語ってくれたあの日の出来事が、全ての始まりだったんだ。・・・



帆高は15歳で船に乗って家出して東京にきた。そしてある境遇の同じ年の陽菜と出会う。

ここで帆高は陽菜の特別な才能を目の当たりにする。それは長雨の続く東京にいて彼女が祈ることでその空間だけが晴れると言うものだった。

しかしそれを続けることによって彼女の身体は次第に水滴のようになっていって・・・・。


この作品は新海さんがアニメーション作品として創作したものを同時進行で書き上げた小説なのです。実に子供っぽい発想・・と言っては失礼ですが読んでいてそれが不思議と魅力ある作品に仕上がっていてのめりこみそうになってしまった。

現実に照らし合わせて・・なんて理屈を捏ねることなく楽しく久しぶりに爽快な作品に出合った感じでした。


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  [No. 457]    2月  6日


   講談社
「帰郷」浅田次郎
2015年作・234ページ

・・・マッチの火が消えたとたん、男は思いがけぬことを言った。「きれいだな、ねえさん」と。

米兵は必ずそれらしい英語を口にするが、日本語を聞いたのは初めてだった。しかも、お愛想とは思えぬ切実な声だった。

返す言葉が見つからずに綾子は俯いた。きっとこの人は、日本人の女がいない外地にいたのだろう。命からがら復員して、もしかしたら初めて声をかけた女が自分なのかもしれないと思うと、綾子の胸は申し訳なさでいっぱいになった。

つい三か月前までは、「お国のため」と言われてもピンとはこなかったが、「戦地の兵隊さんのため」に昼夜分かたず工場で働いていたのはたしかだった。

そしてたぶん、この人も同じ気持ちで苦労をしていたのだろうと思うと、自分の落ちぶれようが、とんでもない裏切りであるような気がしたのだった。・・・



新宿の西口で古越庄一は綾子に声をかけた。もともと女を買おうとしたわけではなかった。話だけがしたかった。

彼の実家は信州松本の近在では指折りの山もちで、小作の田畑も三ヵ村に跨っている。22歳の時諏訪の機屋の娘で春には女学校を卒業したばかりの糸子と結婚して、兵役には取られなかったと思っていた。

戦況が悪化するとそんなことは言っていられなくなって結局庄一は最前線である西太平洋テニアン島に送られて終戦。庄一は戦死広報では名誉の戦士と報じられていた。

庄一は九死に一生を得て復員して家の前まで来てハタと気が付いた。病弱だったが次男の精二が糸子と結婚して家業を継いで暮らしていた、新たな子供もいるらしかった。庄一は実家に戻らず中央線の列車に乗って新宿に戻ってきた。


戦争の悲惨さは直接かかわったものもそうでなかった者にも大きな傷跡を残した。私の子供のころにはそんな家庭も随分あった。


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  [No. 456]    1月 19日


   講談社
「カンガルー日和」村上春樹
1986年作・211ページ

・・・カンガルーの赤ん坊はもちろん生きていた。彼(あるいは彼女)は写真の新聞で見たよりずっと大きくなっていて、元気に地面を駆け回っていた。

それはもう赤ん坊と言うよりは小型のカンガルーだった。その事実が彼女を少しがっかりさせる。「もうあかんぼうじゃないみたい」

赤ん坊みたいなもんだよ、と僕は彼女を慰める。「もっと早く来るべきだったのよ」僕が売店まで行ってチョコレート・アイスクリームをふたつ買って戻ってきたとき、彼女はまだ柵にもたれてじっとカンガルーを眺めていた。

「もう赤ん坊じゃないのよ」と彼女は繰り返した。「そう?」と言って僕はアイスクリームをひとつ彼女に渡す。

「だって赤ん坊ならお母さんの袋に入ってるはずよ」僕は肯いてアイスクリームをなめる。「でも入っていないもの」・・・



この本は今からもう30年前に村上さんが綴った珠玉の短編が22編載せてありました。

彼の作品には私が本を読むようになってからすぐに話題作として2作ほど読んだことがありましたが難解で理解できず以来彼の作品は避けてきたこともありました。

すべての作品は彼が日記を書いていたかのように素直な心境を述べていて心を許して読むことができました。


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  [No. 455]    1月  7日


   角川文庫
「いつか、虹の向こうへ」伊岡 瞬
2010年作・310ページ

・・・私は、彼女とポリバケツの前を通り抜けた。五、六歩行き過ぎたあたりで、後ろから走り寄る気配がした。どんなに酔っていても、これには体が反応する。

すばやく振り返ると、彼女が追いついてくるところだった。「ねえ、おじさん」わずかに息を切らせている。

初めて会う人とはなるべく口をきかないようにしている。過去の貴重な経験からだ。黙っていると、彼女が続けた。「ホテル、泊まらない?」

むせかえりそうになるのを、どうにかこらえた。普段なら無視して立去るところなのだが、私は酔うと人当たりがよくなるたちだ。丁寧に答えてしまった。

「せっかくだけど、君が期待してるほど金は持っていない」彼女は首を振った。「お金はいらない。泊めてくれるだけでいいよ。その代わり、あんまりサービスできないけれど…」・・・



尾木は地方の警察刑事部勤務だった。家庭的には刑事としての仕事柄、山のある時は寝ずの番の張り込みなど決して家庭的な男とは言えなかった。長男は難病を抱えて育ったが2歳半で失った。 次の子は流産で以来夫婦の関係も冷え切ってしまっていた。そんな時冒頭紹介文の末に防御のはずみで暴漢の刃物を奪い取って殺してしまった。

妻とも離婚し4年の服役ののち父親の遺産の住居に住み続けたが困った人を見ると自宅に居住させていた。しかしその居住者たちは何かしらか社会の隅の悲哀を持ち込んできた。


ついには地域の暴力団抗争にまで接近する羽目にまで近づいてしまった尾木であったが元居た部署の刑事仲間に支えられて事件は解決していく。

この作品は伊岡さんの作家デビュー作品でありミステリー大賞受賞作でもありました。私にとっても新年早々のミステリ―作品初体験作品でした。


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