Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2017年度・読後感想文索引>>
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.384浅田次郎・小学館□□「 竜 宮 城 と 七 夕 さ ま 」 12月 29日
N0.383桐野夏生・幻冬舎□□「 夜 ま た 夜 の 深 い 夜 」 12月 23日
N0.382カズオ・イシグロ・早川書房□□「 遠 い 山 な み の 光 」 12月 15日
N0.381川上未映子・新潮社□□「 す べ て は あ の 謎 に む か っ て 」 12月 10日
N0.380大崎 梢・幻冬舎文庫□□「 キ ミ は 知 ら な い 」 12月  3日
N0.379桜木紫乃・角川文庫□□「 砂  上 」 11月 21日
N0.378森沢明夫・小学館□□「 海 を 抱 い た ビ ー 玉 」 11月 10日
N0.377谷村志穂・角川文庫□□「 蒼 い 乳 房 」 11月  5日
N0.376カズオ・イシグロ・早川書房□□「 浮 世 の 画 家 」 10月 20日
N0.375恩田 陸・新潮社□□「 夜 の ピ ク ニ ッ ク 」 10月 12日
N0.374伊坂幸太郎・幻冬舎□□「 ロ ン グ レ ン ジ 」  9月 27日
N0.373吉野万理子・新潮社□□「 雨 の ち 晴 れ 、 と こ ろ に よ り 虹 」  9月 24日
N0.372恩田 陸・集英社□□「 ネ バ ー ラ ン ド 」  9月 15日
N0.371住野 よる・双葉社□□「 君 の 膵 臓 を 食 べ た い 」  9月  3日
N0.370黒 史郎・光文社□□「 ラ ブ @ メ ー ル 」  8月 28日
N0.369有川 浩・幻冬舎□□「 フ リ ー タ ー 、 家 を 買 う 」  8月 20日
N0.368貫井徳郎・幻冬舎□□「 悪 党 た ち は 千 里 を 走 る 」  8月 17日
N0.367柚木麻子・幻冬舎□□「 け む た い 後 輩 」  8月 13日
N0.366三浦しをん・幻冬舎□□「 む か し の は な し 」  8月 11日
N0.365上田秀人・幻冬舎□□「 家  康  の  遺  策 」  8月  8日
N0.364成田名瑠子・光文社文庫□□「 東 京 す み っ こ ご は ん 」  8月  6日
N0.363野中ともそ・双葉文庫□□「 つ ま の つ も り 」  8月  3日
N0.362角田光代・新潮社□□「 く ま ち ゃ ん 」  7月 26日
N0.361瀬尾まいこ・新潮社□□「 天 国 は ま だ 遠 く 」  7月 15日
N0.360野中柊・角川文庫□□「 草 原 の 輝 き 」  7月 10日
N0.359阿部牧郎・徳間書店□□「 ホ テ ル の 裏 窓 」  7月  5日
N0.358芦原すなお・角川文庫□□「 官  能  記 」  6月 28日
N0.357絲山秋子・文芸春秋□□「 沖 で 待 つ 」  6月 24日
N0.356垣谷美雨・小学館□□「 後 悔 病 棟 」  6月 20日
N0.355集英社・森 絵都□□「 み か づ き 」  6月  9日
N0.354垣谷美雨・双葉文庫□□「 あ な た の 人 生 、 片 づ け ま す 」  5月 26日
N0.353志賀 貢・光文社□□「 母 の 診 断 書 」  5月 19日
N0.352三浦しをん・徳間書店□□「 神 去 な あ な あ 日 常 」  5月 13日
N0.351阿部牧郎・角川文庫□□「 そ れ ぞ れ の 終 楽 章 」  5月  9日
N0.350角田光代・文春文庫□□「 対 岸 の 彼 女 」  5月  4日
N0.349林真理子・文春文庫□□「 最 終 便 に 間 に 合 え ば 」  4月 22日
N0.348瀬尾まいこ・集英社□□「 春 、 戻 る 」  4月 13日
N0.347島田荘司・講談社□□「 火  刑  都  市 」  4月  7日
N0.346川口俊和・サンマーク出版□□「 コ ー ヒ ー が 冷 め な い う ち に 」  3月 26日
N0.345森沢明夫・角川文庫□□「 夏 美 の ホ タ ル 」  3月 18日
N0.344若竹七海・文春文庫□□「 悪 い う さ ぎ 」  3月 15日
N0.343萩原規子・角川文庫□□「 樹 上 の ゆ り か ご 」  3月  8日
N0.342近藤史恵・角川文庫□□「 さ い ご の 毛 布 」  2月 26日
N0.341坂木 司・東京創元社□□「 切 れ な い 糸 」  2月 21日
N0.340重松 清・新潮社□□「 ゼ ツ メ ツ 少 年 」  2月 16日
N0.339坂井希久子・実業の日本□□「 恋 す る あ ず さ 号 」  2月  7日
N0.338坂口安吾・ゴマブックス□□「 堕  落  論 」  1月 26日
N0.337佐川光晴・双葉社□□「 牛 を 屠 る 」  1月 20日
N0.336若竹七海・文芸春秋□□「 静 か な 炎 天 」  1月  7日

  [No. 384 ]   12月 29日


    小学館
「竜宮城と七夕さま」浅田次郎
2013年作・302ページ

・・・つい先日、「明けましておめでとうございます」と言ったはずであるのに、なぜか季節は秋である。

しかし、キツネにつままれているわけではない。花見はしたし、梅雨にも濡れたし、うだるような暑さにも記憶している。要するにそれら歳時記が、ギュッと濃縮されているのである。

季節の移ろいは、さよう冷静に考えておられるが、一日の過ぎる速さと言ったらほとんど怪異で、空のしらむるころ書斎にこもったと思たら、次の瞬間には夜の帳が落ちており、しかも原稿はいくらもものにしてはいない。・・・

・・たとえば、十歳の少年の一年は人生の十分の一だが、六十歳の一年は人生の六十分の一に過ぎぬから、心理的には短く感じられる、というのである。・・・

・・わかりやすく言うなら、通いなれた道は近く感ずるが、初めて歩く道は遠いのである。この理論が正しいのなら、人生の加速を止めることはできる。

まず、おのれの生活から日常性を排除し、むろん歳相応のミエだの対面だのはかなぐり捨て、体力気力の有無など忘れて、何でもよいから目新しいことをすればよい。・・



約40編のエッセイをどこかに連載したものをまとめたものでチョット当て外れの作品でした。表題の作品はそれほど感じませんが「加速する人生」ということばは共感した。

40にして惑わず・・、しかし今後期高齢者としての自分は惑いっぱなしである。何時まで生きるのか定かではない、そしてまだやりたいことはいくらでも残っているし・・

歳を重ねただけで人は老いない、そして理想を失う時に初めて老いが来る・・というけれどそれは精神論であり実際には肉体と一体化されて老いを感じるのでしょう。

恐らく今年2017年度、最後の読後感想になる本を読み終わりました。今年は48冊の小説を読みましたが平均すると月4冊・・と言うところでしょうか。

来年はもっと素晴らしい作品に出会えることを願ってやみません。


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  [No. 383 ]   12月 23日


    幻冬舎
「夜また夜の深い夜」桐野夏生
2014年作・352ページ

・・・あたしはサバイバルしてきたエリスを心から尊敬して、あたしの状況など、まったく比べものにならないと思ったのでした。

あたしたちが、地下倉庫からこっそり掠め取っている服は、この地を牛耳るマフィアたちの物です。彼らの報復は怖いけれど、エリスさえいれば、何とか勝てるような気がしました。そうなんです、エリスは本物のすごい女です。

それに、七海さんにしか言いませんが、エリスの話を聞いた時、あたしの中に、マンガを軽蔑する心が生まれたのでした。

マンガには人を殺すのはいけない、命は大事だ、と言うメッセージがよく出てきます。それは間違いではありません。しかし、エリスの体験談を聞くと、エリスは相手を殺さなければ死んでいたんだ、というマンガには描かれていない真実を知ることができます。

この世には、そういう美しい標語が通用しない世界もあるのだ、ということ。それを教えてくれない作品は、偽物ではないでしょうか?

七海さん、エリスに出会い、エリスの話を聞いたことで、あたしはあれほど好きだったマンガを捨てる決心をしたのです。・・・



舞子は母親の住まいを変えるごとに転居を強いられてナポリで18歳となっていた。しかし出生は中央アジアらしいと言うことだけしか知らない、小学校はイギリスで過ごした。

友だちも無くましてや日本という国さえ知らなくて過ごしてきた、従って国籍も定かでないしパスポートも無い、母親の姓名すら本当のことを知らなく過ごしてきた。

ナポリの貧民街で過ごしていたが或る日、日本の青年の開くMANGA CAFFE に顔を出して以来日本のことを知り、そしてこの貧民街で暮らす不法難民の仲間を知って独り立ちすることを決意する。

そして日本の革命家で父母と共に国外逃亡中の子女、七海のことを知り手紙を書いた。七海も日本の事は知らないと言うことで何となく惹かれるところもあった。しかし舞子自身も日本の邪宗教祖の愛人とされていた母の境遇を知り自身も悲哀に暮れていた。


この作品は冒頭から主人公のマイコ(舞子)が七海さん宛てに手紙を書くことから始まって最後まで手紙を書き続けることによって成り立っている表現です。ノンフィクションなようでもあって近年にあった日本の政治的革命家や宗教法人的な要素もあり現実感が現れている。

桐野さんの作品はほかにも確か読んだことが・・2010年「残虐記」でした。かなりショックな作風でしたが今回もそれなりによその国・・外国で暮らすと言うことの過酷さも再認識する。


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  [No. 382 ]   12月 15日


    早川書房
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
1984年作・258ページ
1994年 翻訳 小野寺 健

・・・「いいの、いいのよ。気にすることなんかないわよね」彼女は笑いながら湯呑を渡してくれた。「ごめんなさい、悦子さん。からかったみたいで。じつはちょっとおねがいしたいことがあったの。たいしたことじゃないんだけど」

自分の湯呑にお茶をつぎだした佐知子の態度が、やや真剣になった感じがした。すると彼女は急須を置いて、わたしを見た。

「じつはね、悦子さん、いろいろやってみたのに当てが外れたことがあってね。それで、わたしお金に困ってるの。そんな大金じゃないのよ。本の少しなんだけど」

「わかるわ」わたしは声を落とした。「さぞ大変でしょうね、万里子さんのこともあるし」「お願いしてもいいかしら」わたしはうなずいた。「わたしの貯金もすこしはあるし」まるでひそひそ話だった。「お役に立てれば嬉しいわ」

意外なことに、佐知子は大声で笑いだした。「あなたって親切ねえ。お金を貸してなんて言ってるんじゃないのよ。ちょっと思いついたことがあるの、このあいだあなたから聞いた話で、うどん屋さんをやっているお友達がいるって、言ってたでしょう」

「あそこで人手が要るかも知れないって、言ってたじゃない。そういう仕事があるととても助かるんだけど」・・・・



仲のいい友達同士の会話なのに読んでいる私は少しどきどきしてきます。・・ああ、嫌な方向に・・と思ってたところ仕事をして日銭を稼ぎたいのでうどん屋さんに紹介してくれないかという展開にホッと胸をなでおろしました。

戦後、長崎での主人公悦子と友人の佐知子との会話なのですがイシグロさんはこの日本の戦後体験など知らないはずなのに終戦前後の日本人の隣人愛の様子を克明に描写しています。

この作品は読後感想 No376 「浮世の画家」を執筆して作家として認められた2年後に発表したいわば第二作でした。主人公の悦子が戦後の日本に棲み一人の子を育てまあまあ幸せな生活をしていたはずの頃のこと・・

どうしたわけかイギリスの片田舎に再婚して彼女にしてみれば二女を儲けそしてまたひとりとなって生活していくありさまが・・点・・点・・点・・とつづられた作品です。

追憶する時、あたかも走馬灯のように・・と言う言葉がありますがまさにこの作品は断片的で脈絡は読者にゆだねられた作風です。振り返って走馬灯・・って見た人が点と点の絵を鑑賞者の創造にゆだねて走らせる追憶なんですよね、だから美しい。

イシグロさんのノーベル文学賞受賞に合わせて昔の日本の受賞者の作品と比較した時の異国で日本を感じる質の違いに改めて想いを感じることができました。


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  [No. 381 ]   12月 10日


    新潮社
「すべてはあの謎にむかって」川上未映子
2017年作・469ページ

・・・まだ若い親友を亡くしたのだけれど、彼もブログやツイッターなどに日々のことを書いていた。

なんの前触れもなく死んでしまった今でも勿論それはネット空間に残されていて、何時でもアクセスすることができる。

これまでも手紙とか手記とかそれこそ遺言とかーー死者が残したものに触れる機会というのは存在したけれど、基本的にブツはひとつ。それに触れるためには対峙する必要があるというか、思いとか時間とかそういったものが文字通り替えのきかないものとしてそこにあってしまい、それは結構な説得力を持つものだ・・・

友人が残した記録を見ていると、これっていつまでここに有るんだろうなって漠然と思う。もろもろを解除するパスワードは死んでしまった彼の頭の中にしかないのだからそれは永遠に失われ、かわりに彼が残した文章はほとんど誰もがどこからでもアクセスできるネット空間に永遠に点滅することになるのだろう。



川上さんはこのエッセイ的なコラムを週刊誌に連載されていたようでした。今回それらを集約して文庫本に収録したと言うことでした。

川上さんという作家は知っていました。このコラム的文庫を読もうとしたとき、ああ、今まで読んだ彼女の作品をもっと理解するうえでこれは良い本だと思ったので読み始めました。

先ほども言った通りこれは週刊誌の連載ですから毎週思ったこと、考えたことなど日常の生活の中から心に残ったことを書き記していくわけです。

私もホームページでは日記の形で毎日何かしらのことを書き記しています。時には果たして、今日は特に書くこともないけれどサテ何を書こうかと絞り出すこともあります。

そして川上さんも時には絞り出した題材を思考しながら自身の生きかたが漠然と浮き上がってくるのです。

100編近いエッセイですがこうしたものを見させていただくと彼女のブログ的な愛読者になってしまうのでそれはそれでいいのかな・・と思いました。

しかし何と!、実は彼女の作品は一編も読んでいなかったのです。誰かと間違えていたんでしょう。しかしこれを機会に今度彼女の作品を読もうと思いました。


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  [No. 380 ]   12月  3日


    幻冬舎文庫
「キミは知らない」大崎 梢
2011年作・341ページ

第一校舎の東階段を、悠奈は夢中で駆け下りていた。雑談しながら上がってくる制服姿の女の子たちを、右に左にかわし、踊り場で大きく身を翻す。

途中で部活の先輩に出くわし、「ああ、悠奈」と目が合うなり話が始まりそうになったけれど、ごめんなさいのポーズで首を縮めた。渡り廊下をまっすぐ走り抜ける。

めざすは第二校舎の一階、職員室。扉の前まで来たところでやっと足を止め、今度は呼吸を整える。すぐには無理。中々鎮まらず、胸の動悸はよけいにひどくなる。・・・

・・・「ちがいます。津田先生、辞めちゃったんですか?もう学校に来ないって、ほんとうですか?」



津田はこの学校に数学の非常勤講師として勤務していた。たまたま図書室で悠奈の父親の書いた歴史の書物を興味深げに読んでいたのがきっかけで親しくなった。悠奈の父親は研究者だったが彼女が5歳の時に亡くなっていた。

まだ25歳の彼はまじめであったが何の面白みもなく生徒の間では全く人気のない教師の一人であった。しかし悠奈はこの教師に親しみを感じていた。しかし彼は何の前触れもなく学校を去った。

悠奈は彼にもう一度会って話をしたかった。手がかりもなく途方に暮れていたところ津田はまだ荷物が残っていて用務員さんに住所を預けて行ったことがわかり知ることができた。

その書き取った住所と言うのは偶然だろうか、父親が取材で訪れ不慮の死を遂げたロッジの火災現場の近くの村だった。

悠奈の住む横浜からその村までは電車に乗っていくとギリギリ日帰りが可能なほどの距離だった。二人暮らしの母は丁度仕事のため一週間ほど出張でオーストラリアに行っている。

ひとり電車に乗ってその村に出かけた。駅からバスに乗ってさらに目的地で降りてメモしていった住所を尋ね当てるとその家はなんと広大な敷地を持つ大邸宅であった。



この作品の設定は・・その村の神事は巫女の家計がが代々執り行ってきていた。しかしその家系が途切れてしまって大切な神事は行われていなかった。そんな村に出かけた悠奈は実はその巫女の家系のひとそのものであったので大騒動が起こる・・と言う設定であった。

この作品のストーリーの運びは歯切れよく面白みもあったが残念。いま一つ悠奈が巫女の家系であったという設定にはかなり無理があり、この時点でこの作品の品位は落ちてしまった。

もう少し分別のある大人が読んでもそれに堪え得るだけの綿密な相互関係を構築して作品に取り掛からないと幼稚なものになってしまう。


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  [No. 379 ]   11月 21日


    角川文庫
「砂上」桜木紫乃
2017年作・258ページ

・・・女がひとり店に入ってきた。雪に濡れたコートを軽く叩いて、店内八つのテーブル席を右からひとつひとつ確認している。黒いトレンチコートのベルトをきっちりと結んでいた。

眼差しと気配に隙がない。土地の人間ではなさそうだ。ランチの客で席が埋まる店内に、彼女だけがポッカリト浮いていた。約束の時間にはまだ五分あるが、柊玲央は彼女の視線がこちらに定まったところで、椅子から腰を浮かせた。

「柊さんですか」「ハイ、柊玲央です」向かい側の席にトートバックを置いて、彼女はすぐに名刺入れから一枚抜き取りこちらに差し出した。「初めまして。小川です」

翔文館書店 月刊「女性文化」編集部 小川乙三・・・。



柊玲央は長いこと作家を目指して各出版社に作品を応募していた年齢はもうすでに40歳であったが離婚を経て北海道の地元中学同級生の経営する洋食屋さんでバイトしながら生計を立てていた。

今回の応募作品も入選エントリーには載ったものの大賞には至らなかった。そんな時応募出版社の女性編集部、小川乙三がお会いしたいと申し出てきたのだ。

玲央はてっきり今回の選考では手違いがあって選漏れの言い訳をしに来たのかと思った。

しかし、小川の話を聞いて唖然とした。「失礼ですが柊さんは弊社の募集以外にも数社にお名前を変えてほかの作品もご応募なさっていますね」「どうしてそれを?」「私はそのほかの社でもあなたの作品を目にしているのです」



柊玲央は小川乙三に応募した作品を長編作品に書き換えろ・・と促された。貴方の想いは短編では収まるわけがない・・。玲央は言われるままにそうしてみた。乙三はこれでは素人の小説だ、もっと主体性を持たせるよう書き換えろ。

そのあと言われるままに幾度となく書き換える羽目となり何時しか4年の歳月が流れた。柊玲央はもはやその作品の新鮮さも薄れていたしかし小川乙三はこれでやっと作品になったので出版にこぎつけられると言った。


なかなか面白いスタイルの作品に出合った気がする。桜木さんが直木賞を受賞したのは確かそう遠い話ではなかった気がします。しかも彼女は北海道在住の作家さんでありこの作品の題材も北海道在住の柊玲央という作家志望の女性を作品にしています。

恐らく自身がプロとしての作品を作り上げると言うことの中にはこれほどにまで仮に編集者からああでもない、こうでもないという指弾と言うものに耐えてきた経緯みたいなものが見えてきて編集者が新人という作家を育てる環境が見えた気がした。

劇の中で演劇をする作品もありますがこのような小説の中で小説を書いていくものの葛藤が小説になっている、しかも恐らくこれは自身の自叙的な作品ではないのかな、それだけに迫力があった。


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  [No. 378 ]   11月 10日


    小学館
「海を抱いたビー玉」森沢明夫
2007年作・242ページ

・・・ボクの前までくると、榎さんは手にしていたコンビニのビニール袋から、濡れないように気をつけながら懐中電灯を取り出した。そして、ふぅ、と一息ついて、懐中電灯を灯し、ボクのなかへと入ってきたのだった。

オイルのしみ込んだ床板を黄色い光で照らしながら、榎さんはゆっくりと後部座席へ向かって歩いていった。そして、いちばん後ろからちょっとだけ前のところで立ち止まった。

つなぎのポケットに、すっと手を入れたーーー。このとき、ボクはもう、榎さんが何をしようとしているのかがわかって、心が一気に震えだしてしまった。・・・

・・・榎さんは、つまんでいた青いビー玉を、そっとそのくぼみに落としてくれた。ビー玉は、昔と同じようにぴったりと穴にはまって、下半分が埋め込まれたようになった。

榎さん・・・。「このビー玉は、おまえが持ってきたもんやからな。湯沢の山のなかに嫁いでも、これがあれば瀬戸内海を忘れんやろ」・・・・



この物語の主人公は・・ボク、1960年代に全国の庶民の足としていたボンネットバス。しかし箱型のバスの普及に伴い一気にその座は失われて今はもうマニアが貴重品として大事に保存しているに過ぎなくなってしまった。

このバスの運命も最初は瀬戸内海の真ん中に浮かぶ大三島(おおみしま)の島内を走る路線バスだった。廃車となって福山市の鉄くずやさんで解体を待つ日だった。ところが福山自動車時計博物館の館長がこのままではもったいない・・と引き取った。

そこには自動車のレストアにかけては国内有数な職人である榎さんがいた。見事に復元して展示していたが或る日、新潟県湯沢町の企業が町おこしに使いたいので譲って欲しい・・と。


古い車のレストア、それを手掛けた榎さんは何時も口癖にしていた言葉・・「古い機械には魂が宿っている・・」。わたしもそう思う。そして私の友人の一人に、もう乗れなくなったTOYOTA AE86を真剣にレストアしている人がいる。

来る日も々々、錆び落としに明け暮れているようですが私にも彼はマニアではなくやはり「そのAE86」に魂を込めているんだと思う。頑張れ!。


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  [No. 377 ]   11月  5日


    角川書店
「蒼い乳房」谷村志穂
2007年作・323ページ

・・・薫は、毒虫に過敏に反応する自分の肌を案じて、気休めにカーディガンの胸ボタンを閉めた。薄い水色のカーディガンは、いかにも母好みである。

肌触りがよいが、今年は胸のあたりが俄かに窮屈に感じられるようになった。私の乳房はたっぷりと膨らみその先を尖らせている。

乳房ばかりが豊かに膨らんでも、心の中は幼いままだ。そして、幼い自分の心は外の世界を恐れ、いよいよ閉じこもっていこうとしている。・・・

・・・ふくらはぎに違和感を感じ、はっとして見ると、やはり蚊であった。黒々とした蚊が一匹、足に止まっているではないか。長い針を、今まさに突き刺そうとしているのが見えた。

手をのばして叩こうとして、その手をふと止めた。脚を立ててふんばる姿の蚊は、針を小刻みに動かしながら、刺す場所をいよいよ定めようとしているかのようだ。・・・



中学3年生の薫はロシア人の血を引く日本人離れした容姿をしている。その父親は日本人以上に日本の兵士として戦地に赴いて戦死していた。二つ年下の弟と母と三人で函館でひっそりと暮らしていた。

弟は活動的で人当りもいいことから薫と同じ血を引いても何の支障もなく仲間と良い関係を築いていける。しかし薫は引っ込み思案、そして体だけは周囲の少女達に比べてずんずん成長していってしまう。

そんな思春期の葛藤をみている負けん気の母は常にじれったさを感じてしまう。そして薫は進学する学校はトラピスト修道院が自分にはあっているのではないかと・・・


恐らくこの本は作者本人がご自身の少女期の葛藤を薫に託して書き残した肖像画ではないのでしょうか。


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  [No. 376 ]   10月 20日


    早川書房
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
1988年作・237ページ
1992年 翻訳 肥田茂雄

・・・モリさんはしばらく黙っているので、今度こそ聞こえなかったのかなと思ったとたんに、彼は言った。「持ってきたものを見て、少々驚いた。随分不思議な道を探っているようだな」

もちろん、モリさんがたしかに「不思議な道を探っている」ということばを使ったとは言い切れない。それは後年わたしが口癖のように何度も使っていたことばだからだ。・・・

モリさんがときどき「不思議な道を探る」ということばを使ったことは確実だと思う。・・・

「若い画家は少しばかり実験をしてみるのも悪くない。ひとつの効用として、そうすれば軽薄な興味をいくらかでも頭の外へ放出できる。その結果、以前にもましてまじめな作品に精神を集中できるだろう」・・・

「・・・ただねえ、太郎君、われわれのアメリカ追随はいささか急ぎすぎだと心配になることはないだろうか。旧来のやり方の多くを今こそ永久に抹殺せよという考えに、わたしだって真っ先に賛成するだろうが、ときどき、いいものまで悪いものといっしょに捨てられていると思わないかな。実際、日本は変なおとなからものを教え込まれる子供みたいになったようなきがする」・・・



「 AN ARTIST OF THE FLOATING WORLD 」と言う作品を飛騨茂雄さんが翻訳した作品を読んだ。カズオ・イシグロさんはイギリスの作家で今年、ノーベル文学賞を受賞されました。

日本の画家は近年まで徒弟制度によって思想や技量が磨かれてきた。この作品は戦前から戦後にかけてひとりの画家が幼いころ厳格な商家の家庭で生まれ家業を継がず画壇で生涯を過ごした心象作品でしょう。

そして師弟関係のなかに戦時下の統制と精神的発揚を目的として使われた画家の運命が大きな大河的長編小説となった。


言葉使いが驚くほど美しすぎる・・、もっとも翻訳者はこのカズオ氏の英文から戦前戦後の日本の美しい言葉使いを想像されての翻訳と想像する。しかし作品の内容として普遍的な改革と保守精神のはざまにおける若者の葛藤、がシビアに描かれていて丁度衆議院選挙の中で読んでいていつの世も面白いなと感じた。


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  [No. 375 ]   10月 12日


    新潮社
「夜のピクニック」恩田 陸
2015年作・330ページ

・・・海に目を向ければまだまだ昼の領域だ。波にはまだオレンジ色の縁取りが揺れているし、空も明るい。昼は海の世界で、夜は陸の世界だ。

融(とおる)はそんなことを思った。そして、自分たちはまさにその境界線に座っている。昼と夜だけではなく、たった今、いろいろなものの境界線にいるような気がした。

大人と子供、日常と非日常、現実と虚構。歩行祭は、そういう境界線の上を落ちないように歩いていく行事だ。ここから落ちると、厳しい現実の世界に戻るだけ。

高校生という虚構の、最後のファンタジーを無事演じきれるかどうかは、今夜で決まる。・・・



融の通う高校では毎年の秋に歩行祭という大切な行事がある。全校生徒が昼夜をかけて80kmの道のりを歩き続けるのである。しかも学年最期の3年生にとって最も思い出になる行事なのだ。

クラスメイトと歩きながら3年間を振り返りそして将来への希望を語り合いながらそれぞれの想いがこの歩行祭の中に繰り広げられる。融には、クラスメイトの中に貴子という腹違いの兄弟がいた。

このことはクラスメイトは誰も知らなかったこと、しかも彼らはあえて言葉すら交わすことのない状況で過ごして来て居た。貴子は最後の機会、融と会話をし、仲の良い兄妹になろうと密に誓いをたてていた。


先日も列車に乗ってとある駅に停車した時、地元の高校の歩行祭で実行委員の皆さんが給水作業などしている最中に出くわした。生徒の苦行を青春の一ページとおもい思わず頑張れよと心で叫んだ。

そう言えば私の高校最後は諏訪湖一周のマラソン大会だった。全校で12位、半世紀以上たってもまだ鮮明に覚えている。


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  [No. 374 ]    9月 27日


    幻冬舎
「ロングレンジ」伊坂幸太郎
2017年作・88ページ

・・・インターフォンを押し、少し待つと玄関ドアが開き、ぬっと男が姿を見せる。見知らぬ男が実家から!と一瞬、ぎょっとした。二年ぶりに合う四歳年下の弟だと気づくのに少し時間がかかる。

「何だ」と言わんばかりの、ほとんど言っていたが、むすっとした顔で家に引っ込んでいく弟を、私は追う。

「ちょっと、勘違いしてるんじゃないの?わたしだよ、わたし。お姉ちゃん、お姉ちゃん。もっとほら、歓迎しなくていいの?宅配業者とかじゃないんだから」と言いながら靴を脱ぐ。・・・



単身赴任の夫との関係も心配な私は二年ぶりに実家に帰ってきた。父母は結婚30年、相変わらず頑固な父と文句も言わず尽くしている母に呆れもしている。

ただ心配なのは弟がどうしたことか引きこもりになって大学も休学中。父は既に会社では契約社員となっているが母には伝えていないようである。母はパートに出て働くようになった。


家族の構成は一人でも脱落すると全体の調和が無くなる。引きこもりの弟に対する風当たりは今までの父母の関係では保てていたのに対応を巡って言い争いになる。

そんなぎすぎすしたところに嫁ぎ先から実家に戻った彼女は心配したが・・・、実は母はむしろ娘の夫婦間の方を取り越し苦労をしていた。

嫁いでしまえば娘であろうと家族としては別の家族であり娘としての実家の家族に対する見え方とかかわりはもうすでに昔のままではない。それでもお互いの家族のことを考えたとき、取り越し苦労が先走ってしまうのだろう。


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  [No. 373 ]    9月 24日


    新潮社
「雨のち晴れ、ところにより虹」吉野万理子
2017年作・270ページ

カーテンを開ける音で目が覚めた。「夢、見てました?」看護師が快活に笑う。

ホスピスに来て二週間。人生の終末期を過ごす場所として、ここはそう悪くはなかった。朝、無理やり飯を食わされることも、わけのわからない点滴責めに遭うこともない。

朝だって、何時に起きてもかまわない。相部屋だとそうもいかないが、個室はプライバシーが守られている。それでも俺は、毎朝十時半にカーテンを開けてくれるよう、看護師に頼んでいた。

さもないと、昼を過ぎても悪夢の浅瀬を抜けられないからだ。頼んだわりに、俺は看護師の問いかけに答えず、自分の呼吸に注意を傾けていた。・・・



須藤は末期のがんに侵されて終末期を子供のころ過ごした湘南のホスピスで過ごすことに決めた。担当の看護師は常盤彩という大柄な女性が進んで担当になってくれたという。

須藤は以前小学五年の時この由比ガ浜にある小学校でクラスメートの桜葉彩というかわいい子に悪童もどきの仕打ちをしていつか機会があったら謝ろうと思っていた。

そしてこのホスピスに来てそれがよくうなされる形で須藤を苦しめていた。看護師の常盤は須藤がよくうなされて「・・彩・・」と呼びかける言葉を聞いていた。

常盤はこのころからどうしたことかダイエットを始めていた。80kg以上あって眼鼻も顔立ちがわからないくらいであったのがこの頃20kgも減量して・・・


須藤の病状もかなり進んだある日、須藤はついに常盤彩看護師がかつてのクラスメートだった桜庭彩であったことがわかった。そしてかなりすっきりダイエットしてきた常盤さんの眼鼻顔立ちは・・・

須藤はあの時のことを詫びた。しかし彩も須藤のことが当時好きであったが思いとは違った行動をしたことを詫びた。二人は最後のデートを車いすながらやっとすることができた。


誰の人生にもほろ苦くそしていつか機会があったらお詫びしようと思いつつ叶うことのできない想いはあるものです。その点この須藤は若くして終末と言う不幸をに負わされたがお詫びが出来たという幸福は掴むことができた。

そう言えば来月には小学校のクラス会がある。謝りたいことはいっぱいあるけれど今更幼馴染同士何でも許し合ってくれるような気がしてつい甘えていてゴメン!。


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  [No. 372 ]    9月 15日


    集英社
「ネバーランド」恩田 陸
2000年作・262ページ

美国(よしくに)が暮れに松籟館(しょうらいかん)に残る決心をしたのは、別に大層な理由があったわけではなかったが、寛司が残ると聞いたのもその一つであることは確かだった。

冬の陽射しが弱々しく燃え尽きようとしている。級友たちが古い鉄筋コンクリートの校舎からどっと解放され、思い思いに故郷へ家へと帰っていくのを、菱川美国はかすかな嫌悪をもって踊り場の窓から見送っていた。

『帰る』という言葉はどこか女々しく甘酸っぱく、そして情けない。見ろよ、今奴等は普段仲間に見せていたいっぱしの虚勢をかなぐり捨て、いそいそと母親の膝に甘えに帰ろうとしている。むらむらと込み上げてくる言いようのない苛立ち。

その高校はこんな田舎にあるけれど、ここは県下のみならず全国でも有数の進学校としてその名を知られる私立高校だ。あきれるくらい金のかかった、とんでもない温室育ちの御曹司が紛れ込んでくることも多い(実際、金もかかる)そんな中で、光浩は密に異彩を放っていた。・・・



美国、寛司、光浩はこの高校の2年生、暮れから正月を松籟館の古ぼけた寮で帰省せずに過ごす覚悟をしていた。隣のクラスであるが統(おさむ)は自宅からの通学組なのにその性格からクラスに関係なくどこにも顔を出して皆と慣れ親んでいる。

さて、この4人がこの冬に体験する共同生活は彼らの将来にとって実に貴重で得難い経験となるはずである。

学級と言う昼の授業だけでは味わえない夜の部、そしてがんじがらめの共同生活をするうえで一番大切な社会性を身に着けていくことであろう。

多くの小説で取り上げられる高校生活の合宿や体験共同生活・・という題材もここでは一風変わった趣がある。

彼等はずば抜けた偏差値の持ち主たちであること、そして同時にその生活は実に正しい高校生なのである。つまり落ちこぼれがいない・・そんな彼らの青春記録が読んでいて爽やかに映し出される。

勿論、彼らにも恋愛の苦しみや両親の不和という悩み、更には家庭そのものの不信感など彼らを取り巻く環境は決して穏やかではない。


映画でスタンドバイミーを見たことがあるがいくつかの共通点も感じられ青春期の悩みは古今東西思い出深く苦い思いとして共感を得る。


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  [No. 371 ]    9月  3日


    双葉社
「君の膵臓を食べたい」住野 よる
2015年作・238ページ

・・・違う選択もできたはずなのに、僕は紛れもない僕自身の意思で選び、ここにいるんだ。以前とは違う僕として、ここにいる。

そうか、今、気がついた。誰も、僕すらも本当は草舟なんかじゃない。流されるのも流されないのも、僕らは選べる。

それを教えてくれたのは、紛れもない彼女だ。もうすぐ死ぬはずなのに、誰よりも前を見て、自分の人生を自分のものにしようとする彼女。世界を愛し、自分を愛している彼女。

改めて、思う。僕は君に・・・。



志賀春樹は高校2年のクラスの中ではどちらかと言うと大人しく人の目に止まらない存在であった。暇さえあれば読書に専念し、煩わしい仲間付き合いは極力避けるタイプだ。

春樹は盲腸の術後の抜糸のために大きな病院に行った。待合室のソファーに一冊の本が置き忘れているのを目にする「共病文庫」と手書きの題名がついている。

いったい何なのか、ぺらりと一枚ページをめくってみる「・・・私は、あと数年で死んじゃう。それを受け止めて、病気と一緒に生きるために書く。先ず私が罹った膵臓の病気って言うのはちょっと前まで判明した時にはほとんどの人がすぐ死んじゃう病気の王様だった。今は症状もほとんど出なくできて・・・」

「それ、私のなんだ・・」春樹は顔を上げてその声の主を見て驚いた。話したことはなかったけれどクラスメートの山内桜良だった。彼女は活発でクラスの中では人気もあって春樹とは全く逆な位置に居た。

「このことは誰にも言わないでね・・」「うん絶対に、僕と君との秘密にしておくよ・・」以来春樹と桜良の不思議な交際が始まった。クラスメートの中でもあいつらなんなんだよ・・

二人の会話の中に「昔の人は肝臓が悪かったら動物の肝臓を食べて・・そうしたら病気が治るって信じられてたらしいよ。だから私は、君の膵臓を食べたい」「もしかして、その君っていうのは僕のこと?」という冗談も出るほどに親しくなった。


私より若いお隣のご主人が無くなった時、奥様が膵臓がんで・・と私に話してくれた。あんなに元気だったのに・・恐ろしい病気なんだと思った。そして私も若いとき胃と十二指腸削除の手術をする前はこのお腹の中をガツガツ飯を食う友人と取り替えてくれないものかと羨んでいたことがあった。

桜良はその病の天寿を全うする前に暴漢によってその命を絶たれてしまった。クッソ!、久しぶりに本を読みながらボロボロ涙が出て止まらなかった。歳のせいですっかり涙もろくなってしまった。


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  [No. 370 ]    8月 28日


    光文社
「ラブ@メール」黒 史郎
2015年作・264ページ

・・・「ーーーなんなのよ。虫って」

大熊はこの大災害の原因が、体内に棲む寄生虫のものであると説明した。そして、その寄生虫が人類誕生の頃から存在していたこと、今まで発見されずに人体に棲みついていたこと、ある特殊な信号で人間の心を支配することができると言うこと、その信号とは”愛”であると言うことを、淡々と語った。

人類に”愛”という感情を与え、その繁栄を助けていた存在。それがある日ーーー。爆発した。



作品では、その事件は7月7日に起こったと言う。静かな夕暮の新宿で突然にあちこちの男女が路上で性交するほどまでに発情しもつれ合う事件が起こる。

翌日早朝、大熊の所属する愛知県の陸上自衛隊は訓練のため小牧山にある演習場に向かっていた。隊員1200名は2か月後の中東紛争地域に派遣されるための演習があるのだ。

突然に大熊の乗る輸送車の運転をする部下が発狂し自虐的な運転をするようになり危うく車から脱出できた。しかし目の前の市街地域では男女の性交行為があちこちで頻繁に見られそして彼らはその行為の最中に死に至っていた。

無線でこの状況を確認しようとするものの応答する本部は無言状態、更にラジオなどで世間の情報をを聞こうとするものの放送はされていない状況だ。


この作品は読んでいて非常に気分の悪くなる作品だ。絵画でも見ていて堪えられなくなる作品もある、そして音楽であったとしてもその旋律にも有りうる、すべては作家の作った作品なのです。

仮定として冒頭のようなことがもしあったとしての作品ではあろうはずですがこれは地球全体についての記述が不足しているため「・・じゃあ、外国ではどうなっているんだ・・?」という私の疑問を抱えながら読み進むのには苦痛が伴う。

いい加減な冒険映画にもよくある設定だ、「じゃ、なんでこんな限られた生き残りがいてこの事件を潜り抜けていけるんだ・・?」

作者は現代社会における家族の希薄さを未来に向けてのメッセージとして書き上げたんだろうという気持ちはわかる。しかしこれはプロの仕事としては雑だ。


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  [No. 369 ]    8月 20日


    幻冬舎文庫
「フリーター、家を買う」有川 浩
2009年作・360ページ

いつからこんな状態に滑り落ちたのか、武誠治ははっきりと覚えていない。そこそこの高校へ行って、一浪はしたがそこそこの私大へ行って、そこそこの会社へ就職し、その会社で自己啓発だか何かの宗教の修行だかという感じの新入研修に突っこまれた。

竹刀を持った「指導者」が白い鉢巻を巻いて口に出すのも恥ずかしい人生訓をがなり、新人も復唱し、声が小さかったり姿勢が悪かったり、とにかく少しでも「指導者」の目につくことがあると竹刀でぶっ飛ばされるしかも泣きながらだ。

「これは愛の鞭と知れ!」正気の沙汰じゃない。周り中、ぶっ叩かれている当人でさえも笑いをこらえているのに必死だった。・・・・



そこそこの会社というものはここまで積み上げてきた実績がある。社員の教育にもそれなりの理由があってわざわざ時間を割いて新入社員にはしっかりと教育するシステムをとっている。

まず、そこになじめないということはすでにその会社にとって必要な人材ではなくなるということだ。

そういったことに逆らうのは自分がこの組織の中で実績を上げながらそのシステムをより高める提案をすることに尽きる。それが我慢できない人間はフリーターに甘んじるしかないだろう。

一度フリーターに落ちいった人間は中々そこから這い出すことはできない。自分の力量を過大評価しすぎても組織の中では浮いてしまうでしょう。

武誠治は姉と父母という家庭に育った。父親は一昔前の父親像、家事一切と子供のことは全て母任せ、しかし姉が結婚して家を出た後家族の会話がなくなる。

誠治は入社後3か月で折角入った会社を辞めてしまい父との争いが絶えなくなる。母は中に入っておろおろするばかり、そして遂には精神病を発症する。


一応強力な姉の働きで誠治も母の面倒を見ながらバイトに精を出す・・そして遂にはそのバイト先で働きぶりを評価され正社員となることができた。

本人の甘えを誰かが指摘してあげないとなかなか気が付かない、その誰かは良き友人であったり、先輩であったりが必要ではないだろうか。


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  [No. 368 ]    8月 17日


    幻冬舎文庫
「悪党たちは千里を走る」貫井徳郎
2005年作・437ページ

門構えは威圧的なまでに立派だった。高さはおよそ5メートル、幅は二十メートルといったところか。ご丁寧にも、上部には忍び返しがついている。

いかがわしい者は一歩たりとも入れないぞと、門自体が語っているかのようですらあった。

高杉篤郎は門の制作者の意図通り、すっかり及び腰になっていた。これまで小金もちを騙したことは何度もあるが、こんな豪邸に入った経験はない。おそらく主は儲け話をうんざりするほど耳にしているだろうから、用意してきたでたらめが通用するのか不安になってきた。

「ア、アニキ。なんか、思ったよりもでかい家ッスね」・・・



高杉と舎弟の園部二人組は資産家を狙って儲け話を持ち掛けた、隣の応接室にたまたま居合わせた詐欺女の美女菜摘子が聞いていてちゃちを入れられて計画は失敗する。

その縁もあって別の家庭で詐欺の持ちかけで偶然にもばったり菜摘子と出くわす。三人で共謀してこの家の飼い犬を誘拐することで犬を溺愛する夫人に金銭の要求をしよう・・と計画した。

一人息子で小学5年生の渋井巧が毎日犬の散歩をしていることに目をつけてまず尾行を開始した。この巧は賢く自分が尾行されていることを察知し逆に高杉たちを尾行してなおもとんでもないことを提案してきた。

犬じゃなく、実際のこの僕を誘拐したことにして親から金をだまし取ってほしいと持ち掛けられた。それではその実行計画を練るために今度は四人が高杉のマンションで落ち合おうとしたところ・・・

別の誘拐犯に巧が誘拐されてしまった。しかも4人の計画はなぜかその誘拐犯に知れていたのだ。・・・なぜ?そしてその実行犯は果たして誰だったのか・・


雨続きの高原でこんな長編娯楽作品をじっくり楽しんだ。

誘拐犯罪は悲しい結末が実に多い、そしてこれの量刑はかなり重いと聞いている。愛すべき高杉と園部にはそんな度胸はない、せいぜいご婦人の溺愛する犬を誘拐しようかぐらい、しかしその上をいく犯人はその小悪人を使って金をせしめようと企てた。

三人の小悪人は誘拐された巧を心から助けたいと思うようになり一致団結する。誉めたいけれどでも彼らは詐欺師だからな〜


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  [No. 367 ]    8月 13日


    幻冬舎文庫
「けむたい後輩」柚木麻子
2012年作・264ページ

・・・「やっぱり見失っちゃいましたねえ。ベレー帽のおじさん」

真実子は十字路を途方にくれたように見渡した。石川町駅前で見かけた、手塚治虫そっくりの老紳士を、栞子の提案で二駅離れたこの根岸まで尾行してきたのだ。

ポール・オースターの小説のモデルにもなったアーティスト、ソフィ・カルに倣い、栞子は日頃から興味を引く人を見つけたら、尾行することにしている。。

彼らに思いつくままに物語を与え、その人生を空想するのだ。そう打ち明けたら、眞実子がたちまち目を輝かせ、やってみたい、と言い出したのだ。・・・



羽柴真実子は横浜のフェリシモ女学院の一年生に入学した。高校時代小樽の病院で入院していた時に14歳で詩人としてデビューした1年先輩の増村栞子の「けむり」という詩集を読んでから彼女に傾注していた。

しかもその憧れの先輩のいる女学院に入学できたのだ。


栞子にとって真実子はこの題名通りけむたい存在の後輩だったわけだ。真実子は1年から3年までそして4年生になっても先輩、栞子にあこがれて努力した。

「はやく先輩の栞子のように自分の考えをしっかり持って自身の作品を作り出したい」。一方栞子は14歳でデビューはしたがその後が全然繋がらない・・というか意欲はあっても具体的な活動に前途を見失っていた。

真実子が大学を卒業して数年、バリバリのシナリオ作家として活躍する。栞子はそんな真実子に仕事の共作を申し込むが真実子はそんな先輩に落胆する。


光陰矢の如し、人生はこんな4年間の間に守る人間と責める人間はいとも簡単に立場が逆転するくらいのことはわかる。年老いても責める人生でいたい・・。


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  [No. 366 ]    8月 11日


    幻冬舎文庫
「むかしのはなし」三浦しおん
2005年作・280ページ

・・・俺の祖父は、二十七歳で死んだそうだ。俺の父も、二十七歳で死んだ。そして俺も、先月おまえが祝ってくれたのが、二十七歳になった。

俺の母はよく、「あんたの父親の一族は呪われているのよ」と言った。男がみんな早死になのだ。母に言わせればそれも当然のことで、「ろくでなしぞろいだから」、女に恨まれて寿命を縮めるらしい。・・・



この作品には7つの短編があってそれぞれに昔話がたとえとして前掲されている、例えば先ず「かぐや姫」。そしてそのあとに現代風の若者の生活が二十重ねで描かれる。

まああまりにも無理がある想定ではありますが一つの試みとして悪くはないだろうと思う。

しかし、最悪なのはその若者の生活している中で地球に小惑星が衝突する・・という想定だ。

もし本当だとするとこのストーリーの主人公たちは相当なあんぽんたんだ。読んでて少しもその迫力が感じられないし薄っぺらだ。


三浦さんほどの作家でも少し荷の重いテーマだったのかな。次に期待したい。


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  [No. 365 ]    8月  8日


    幻冬舎文庫
「関東郡代 記録に止めず 家康の遺策」上田秀人
2013年作・261ページ

家康の長男であった信康は織田信長に謀反をたくらんだという疑いで切腹をさせられた。しかしその子、家康にとっての直系の孫までの非は免れた。

家康にとってその孫である竹千代には何としても生き延びてもらいたかった。


・・・「では、神君家康さまが、お分けものがまだあると・・・だましてこられたのか。なぜだ」

「竹千代さまの居場所がなかったからでござる。ときは戦国、親子でも殺し合うのが当然のおり、家康さまの嫡孫という存在は、跡を狙うお子さま方にとってなにより都合が悪いもの。まして、一度死んだことにしたのでござる。表だって守ってやることもできませぬ。徳川の家を残すため、あえて死なせた長男の一粒種。祖父としてできるのは、争いから離すのが精一杯」



幕府は二代、三代と続くうちに莫大な消費により財政が厳しくなった。そして目付け役から家康直系の孫のために遺産を預かっていると思われた伊那氏を問い詰めた。

もとよりそんな莫大な遺産などあろうはずもなかったが家康はあると見せかけて伊奈氏にそれを守らせることの職務として任命していた。家康没後100年後の話であった。


以前に、確か日本テレビだったか「徳川埋蔵金を探せ・・」タレントの川口・・や、糸井重・・などが大掛かりな掘削などをしながら赤城山周辺を探索したことがあった。

結局見つけることはできなかった。ここでも家康の命を受け何代にもわたってあるように見せかけることを命じられた一族もいた・・・って、不思議はないと思う。


台風で高原の車から出られずに久しぶりに時代活劇を読んだ。雨も止んだし明日はパーっと晴れてほしいね。


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  [No. 364 ]    8月  6日


    光文社文庫
「東京すみっこごはん」成田名瑠子
2015年作・250ページ

・・・私がまだお母さんのお腹の中にいる時に、両親は離婚してしまったんだそうだ。

お母さんが私を一人で育てていたけど、そのお母さんも、私が物心つく前に病気で亡くなってしまった。。

おじいちゃんはお母さんの父親で、男やもめの身の上で私を引き取ることになったのだと、三笠さんというおせっかいな近所のおばさんが教えてくれた。・・・



沢渡楓は高校生になったが何かのきっかけでクラスの中でいじめにあう、もう生きていること自体が苦痛になっていた。

そしておじいちゃんとも気まずくなっていてフラッと、街に出た時「すみっこごはん」というおかしな名前の看板のあるお店の前にいた。

食堂のようでもあるしそうでないようでもある、しかしお腹が空いていたのでどんなところなんだろうと立ち止まったところ丁度お店から出てきたおじさんと目が合った。

「あれ!?、参加希望の方ですか・・」返事に窮しているうちに店の中に招き入れられてしまった。そしておいしいクリームコロッケの匂いに誘われて仲間に入ってしまった。

ここはいろんな年代や不思議な間柄の人たちが自分で食事の用意をしてみんなに食べてもらう。その食事を作る当番は毎回くじ引きで決めて不味くても文句は言わないこと・・と。

お店の厨房にはたくさんの料理のレシピの書かれたノートがあって皆それを見ながら作っているのだ。楓も皆に教わりながらなんとか楽しい仲間になれてきた。


実はこのお店は楓のお母さんがやっていたお店だった。そして自分の娘に料理を教えるためにレピシをしたためておいたのだった。・・とまあ、最後のどんでん返しは少し感動的な幕しめとなった。

楓が自暴自棄になったときやはり年代の違うあらゆる職業の仲間の中に入ることで自分を見出していく。そんな気がして世代を超えた卓球仲間の中でもそんな空気を作っていければと思っている。


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  [No. 363 ]    8月  3日


    双葉文庫
「つまのつもり」野中ともそ
2013年作・310ページ

・・・もう何年も一緒に暮らしているのに、私はいまだにあなたを見て、あなたという存在に突然びっくりすることがままある。

このひと、だれだろう。本当に私の夫なのだろうか。テレビドラマか何かで時おり目にする、記憶喪失になった妻のもとに「僕が夫だよ」と突如見知らぬ人があらわれる、というストーリー。

そのときの主人公の愕然とした目。そんな目で、わたしはあなたを見つめてしまうことがあるのだ。・・・



仲むつましい若い夫婦の話かと思って読み進むうちにこの夫婦のむなしさ、というか意味のなさを感じてしまう。

作者の野中ともそさんもそうであるんでしょうか、つまり子供を作らない夫婦というもののむなしさを強く感じてしまう。この夫婦の場合あえて子供はつくらない・・と。

或いはこの年代特有の結婚しない感にも似た自分たちの世代さえよければそれでよしという考え方だ。私の言っていることが古臭い考えだというかもしれん。

世の中には子供を作りたくてもできない夫婦もいる。しかしあえて作ることに疑問を感じる夫婦のあり方なんて私は納得がいかないだけではなく利己主義といってもいいのではないか。

そしてこんな小説を読んだ若者たちが新しい夫婦感などと誤ったとらえ方をされても困る。

はっきり言ってこんな夫婦は人類の中で一時のお荷物でしかないのだ。


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  [No. 362 ]    7月 26日


    新潮社
「くまちゃん」角田光代
2011年作・328ページ

・・・もしかして。希麻子の出てこない映画を見ながら槇仁は思いつく。もしかして、おれたちが会ったのは横断歩道のようなところだったのかな。

ライブの予定も新譜の予定も無くなった自分は、北から南に向かって歩いていて、これから自分のなりたいものになるんだと息巻いていた希麻子は、南から北へと渡っていた。

中央分離帯のあたりで、ふとすれ違う。あの意味不明な希麻子との時間は、その瞬間だったのかな。

だとしたら合点がいく。そもそも向かう方向がまったく違うのだから、いっしょに歩き出せるはずもないのだ。

すれ違う一瞬が過ぎれば、あとは背を向け合うだけ。相手がどんな人なのか、知ることもないまま。・・・



この本には「くまちゃん」をはじめ7編の短編が収録されている。そのすべてはそれぞれに主人公が重なり合って関連づけられた7組がいる。

つまりそれぞれは年齢層も20代後半から30代後半まで、仕事的にも人間的にもいっぱしの大人となった成人男女の切った貼ったの恋物語ということだ。

まあ、角田さんに掛かってはこの年代層のいわゆる性モラルはひどいところまで落ちてしまって、それぞれの性交は臭い公衆便所で小便をするようで汚い。


こういった小説を書けば売れる・・とか、今のこの年代の恋なんてもうそこいらの野良猫の性愛と変わらないんだよぐらいの意味しかない。

出版社ももう少しいい本を出せるよう作家と手を取り合ってほしい。


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  [No. 361 ]    7月 15日


    新潮社
「天国はまだ遠く」瀬尾まいこ
2006年作・168ページ

・・・死ぬのには、ある種の勢いが必要だ。いつもの日常の中で決行することは難しい。でも、この地なら、もうとどまってはいけないと、私を突き放してくれるはずだ。寒さ、暗さ、厳しさ、そういう空気が、私の背中を押してくれるだろう。

ところが駅に降り立つと、車窓から見える景色とは違い、思いのほか賑やかだった。駅はこじんまりとしていて、改札も一つしかなく、駅員も一人しかいない。だけど、その小さな中に全てがあって、かえって、活気づいて見えた。・・・



山田千鶴・・23歳は短大卒業後保険会社で勧誘の仕事に携わっていたが顧客を強引な説得に導くことが不向きで上司や同僚に見下され、挙句の果てには医者通いとなっていた。

もう自暴自棄に陥っていた千鶴は一切をなげうって遠くへ行って死のうと決意した。北に向かう電車に乗った・・(恐らく近畿地方の都市から日本海・・丹後半島かも)

降りた駅から更にタクシーで木屋谷と言う部落の民宿に投宿する。海と山に接するこの部落の民宿で医師から処方された睡眠薬二週間分の14錠を飲んで死んだ・・・


三日後の朝、民宿の主にもう起きて朝飯を食べなさいと言われた。久しぶりに随分しっかり眠れたと思ったらそんなに眠っていたんだと驚く。

結局この木屋谷の民宿に一か月近くも滞在してしまうことになる。そして徐々にその部落の良さを知ると同時にここでは自分の身を置く場所の将来像を探すことができなかった。


じつはこの民宿の主は30歳くらいの独身男、一か月もの間23歳の千鶴と二人住まいの民宿で千鶴の新しいパートナーとしての道が開くのかな・・と期待したがそうはいかなかった。

いわゆるありそうで非現実的な登場人物の設定は小説家にとっての醍醐味でしょう、まあ読者の私はまんまと作家の罠にはまってしまった。

ところで作中の「木屋谷」と言う地名を丹後半島で探してみた。無い!、その地名は島根県の山の中に存在したが作品との関連はなさそうだ。


しかしネットで調べると研究する人がいて興味深い。丹後半島の宮津と言う付近には「木子(きご)」「世屋(せや)」「日ヶ谷(ひがたに)」という地区がありこの辺が小説のイメージと良く合います。 3つを合わせて「木屋谷」となったのではと想像します・・・。とのことで安心して寝られます。


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  [No. 360 ]    7月 10日


    角川文庫
「草原の輝き」野中柊
2007年作・173ページ

坂を上る。ずんずん坂を上ってゆく。右手にはスイカを提げ、左手には白い木綿の日傘をさして。赤い地の裾に小さな象の模様のついた印度更紗のサマードレスは、背中に汗を滲ませ、うなじの後ろにひとつに編んだ長い髪は熱を吸収して重たく蒸れていたけれど、なつきの呼吸は乱れない。

もう上り慣れた坂なのだ。

真夏の昼下がり。薄っぺらなサンダルを通して、アスファルトの熱が足の裏に伝わってくる。真黒なサングラスをかけていても強い光が容赦なく目を刺し貫く。道の両側に立ち並ぶ白い家々と緑の木立が陽の光をじかに受けて、陰影のない鮮やかすぎる色を放つので、なつきは眩しくてたまらなかった。暑い空気がゆらゆら揺れる。眩暈と頭痛を引き起こす。それでも、夏のもたらす何もかもが、彼女には、ちっとも苦にならない。

なぜって、坂の上には真っ青な空。あと少し。あと少しで空にたどり着ける。あの入道雲に手が届く。もうすぐだ。この坂を上りつめさえすれば。そんなふうに自分を励ましながら坂を上り続けてゆく感じが、何よりも好きなのだ。

急ぐことはないんだわ。・・・・



なつきには家庭的に暗い過去があった。それは彼女がまだ12歳のころのことであった、林間学校の最中に近所に住む叔父叔母からの呼び出し電話だった。

父親はすでに母と別れて家にはいなかった、そしてなつきの留守中に母親はこともあろうに少し病弱だった弟を刺し殺し母自身も自殺したのだった。


なつきは大人になって学生時代に花屋のバイトをしていた時の友人、優とのちに結婚し幸せに暮らしていた。優は小学校6年生の担任教諭として勤めていた。

優の留守中に生徒の佐野佳奈子と言う子が訪ねてきた。なつきは優の担任するクラスの写真中にこの佳奈子がいたことを覚えていた。それほどにこの子は美しく記憶に残っていたのだ。

優は授業中によくなつきのことを引き合いに出して話したりしたので佳奈子はなつきに会いに来たという。優が帰ってきたので佳奈子の来たことを伝えるとこの子は問題児なのだという。

佳奈子の問題は授業中にもよくぼんやりして自分の世界に埋没してしまうそうだ。しかし佳奈子はしょっちゅう優のいない時をめがけてなつきに会いに来た。なつきは次第に佳奈子の世界に誘われるに従って自分の過去の苦悶から抜け出せそうな予感を感じた。


野中柊さんの作品は初めて読みました。最初の書き出しはどう見たって子供の文章みたいだしそれでいてしっかりとした情景描写が頭に入って来る。そもそもここからすでに彼女のシュールリアリズム・マジックに引き込まれることになってしまったようです。

途中から不思議な少女、佳奈子が登場してきて彼女が主役かと思ったけれど鮮やかになつきを過去から未来へと導かせたあたり・・まだ読者としてマジックに掛かったままだ。


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  [No. 359 ]    7月  5日


    徳間書店
「ホテルの裏窓」阿部牧郎
1990年作・242ページ

昼まえに浜村修平は支配人の平林に呼ばれた。オフィスを出て支配人室へ向かった。途中、ロビーを通った。土曜日だが、昼前なのでロビーは混んでいなかった。

ベンチはみんな人で占領されている。人待ち顔で立っているものは十人ぐらいだった。宿泊中の友人や親戚に会いに来た人が多いようだ。

ほとんどの者が、これから食事に行くのだろう。商談を控えて緊張しているような顔は見当たらなかった。

支配人室の扉を浜村はノックした。業務上のトラブルはいまなにもないはずだった。浜村は身構えていなかった。だが、部屋へ入り、支配人の顔を見て心をこわばらせた。病気の平家ガニみたいに支配人は不機嫌な顔をしている。

「きみはクラークにどういう教育をやっとるんや。客の都合を無視しても、ゼニだけとりゃええと思うとるんか。ホテルも銀行も変わらん。信用が第一なんやぞ信用が」

支配人は何時も事情説明に先立って、感情を爆発させる。怒られるほうは、わけがわからない。平家ガニの顔の赤みがうすくなるのを、黙って待つより方法がなかった。

・・赤尾工業の社長が愛人を連れて深夜にチェックインした、午前三時ころまで楽しんだらしい。その後帰宅して休日の朝寝坊をした後リビングに降りると妻から問いただされた。どうやらクラークが夜食の清算の未払いがあると電話してきたのだ・・



浜村は某信用金庫に勤務していたが老舗の京都Qホテルのフロント課長に転職した。そして部下のクラークがお得意様の伝票処理の間違いに気がついてあろうことか自宅に電話をしてしまったのだった。

赤尾工業からは社長自らのプライベートの面でも会社のイベントなどでもこの京都Qホテルにとって大切なお得意先であったのだ。

そんな赤尾社長から今後一切の世話はライバルホテルに回すから、今準備中のパーティーはキャンセルだ!、と当然の申し入れをされてしまった。

浜村は困り果てたがそこを赤尾社長の奥様にあってはならない申し入れをした。奥様にとっても血気盛んな赤尾の動向をチェックするにはこの浜村を逆に利用する、その代り赤尾工業のイベントはいつも通り京都Qホテルに戻すようにしてあげる。


世の中の職業の中にはお客様に限らず立場を利用して得た情報を他人に漏らすことを禁じる守秘義務と言うものがある。特にサービス業では誰それが誰それと来た・・など漏らすことは絶対あってはならないことなのだ。

ところで私はアマチュア無線をしていて、これも国家試験に合格しなくては扱えない業務ですが、他人の会話など聞きたくなくても聞こえてしまうこともある。そんな内容を他人に漏らすことは当然ですが禁じられているのです。


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  [No. 358 ]    6月 28日


    角川文庫
「官能記」芦原すなお
1996年作・253ページ

親をなくしたわたしが引きと取られていったのは、北陸の小さな町でした。

わたしを引き取ってくれたのは、「松富海産」の主、松富統太郎という人です。

どんな人だったかというと、名前が立派なわりに細かくて、けちん坊で、気の小さい人です。まあ、それほど悪い人ではなかったのですけど、もちろんわたしは嫌いでした。

奥さんーーつまり、わたしの養母は、タケヨという人で、歳はどうも統太郎よりも七つばかり上のように見えましたが本人は同い年だと主張しておりました。

この人は気は小さくなかったけど、細かくてけちん坊の所は養父と同じで、この人にはよくつねられたりぶたれたりいたしました。

わたしは初めてこの家にやってきた雪の日以来、泣くのは極力避けておりましたから、平気な顔をして耐えました。

それが、ますますタケヨを怒らせるらしいのは知っていましたが、私は自分がのんびり泣いていてばかりいられない身分であることを自覚していたのでそうなったのです。・・・



この作品は戦後、埼玉県で生まれた少女が身寄りもなくつらい少女時代からやがて開き直って人生を歩んでいく自叙伝的な作品になっています。

「私の名は・・みー子、としておきましょう」と言うことで匿名性を持たせてある有名な作家か女優の自叙伝かと見まごうほどの迫力ある実話じみた作品になっているのでした。

養父母に育てられたころの苦労、しかし周囲の暖かな眼差しを受けながら自身の境遇をしっかり見据えている、そのもととなる彼女の決意は「この世に借りはない・・」というものでした。

中学を卒業し、大阪の町工場に住み込みで就職し家出、親切な個人病院のお医者さんに拾われて資格のないまま看護婦などを経験する。

この辺りから彼女は人と接する術を学びやがては夜の社交に出る、当然女としての性を有意義に利用しそして映画女優になる・・・。


少女時代から七章にわたる長編ドラマではありましたが女優としての活躍場面は作品としてややたるんでしまったかな。しかし全般には読みごたえのある「女の一生」を感じさせた。


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  [No. 357 ]    6月 24日


    文芸春秋
「沖で待つ」絲山秋子
2014年作・325ページ

・・・太っちゃんがトイレから戻ってきたところで、帰る?という意味で百円ライターをタバコの箱に詰め込んでみせましたが、太っちゃんは自分の箱からもう一本タバコを出すと、店の人にレモンハートを頼みました。

終電までは時間があったので、私も同じものを頼みました。太っちゃんが低い声で

「おまえさ、秘密ってある?」「秘密?」「家族とかさ、恋人とかにも言えないようなこと」

太っちゃんは秘密の話がしたくて、今日私を誘ったのだな、と思いました。けれど聞いてどうなるもんじゃなし、まあ話して気が楽になるんだったら聞いてやるか、くらいの気持ちでした。

「まあ、ないとは言えないけど・・・見られて困るものとか?」「おまえもある? そうかそうか」太っちゃんは嬉しそうな顔をしました。

「エッチな下着とかかなあ」「そりゃ見せたいもんだろ」「あんたには見せんよ」太っちゃんはいつもみたいにはのってきませんでした。いっそう声をひそめて、

「あのさ、一番やばいのはHDDだと思うのさ」と言ったのです。「HDD?」「ハードディスク。パソコンの」「ああ、それやばい。私もやだ」・・・



及川は女子総合職として、槇原太は営業職としてとある大手建設会社に入社しこともあろうに配属先はそろって福岡の営業所に決まった。

同期の社員同士と言うこともあってお互いかなり個人的なことまで話し合える中であった。槇原は営業所の事務職にひとめぼれされて結婚し、子供もできた。

そんなころ及川は本社に戻され、暫くして槇原も東京に戻された。しかし槇原は子供の事もあったので単身五反田のアパートに住んでいた。

太っちゃんが亡くなったのは突然でした。出勤しようとしてアパートを出たところで七階から人が降ってきたのです。


及川は太っちゃんとの約束通り彼から預かっていた合鍵を使って彼の部屋に入り彼のパソコンのHDDを手順通り取り出してドライバーで傷をつけ元通りにして部屋を出た。


パソコンの守秘能力、またはセキュリティーなんか素人目にはもう何かがんじがらめの様な気がしている。しかし、その手の人の手にかかってしまえば事も無げに開いてしまうしまつである。

世の中、終活だ・・と騒ぎ立てるけれどオレだって突然に人が降ってきてパソコンだけ残ったら「ああ、それやばい。オレもやだ」


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  [No. 356 ]    6月 20日


    小学館
「後悔病棟」垣谷美雨
2014年作・325ページ

朝の回診の時間帯なので、廊下に誰もいないのが救いだった。「いくらなんでも無神経じゃないですか」

いったいなんのことでしょうか、という言葉を私は呑み込んだ。ーーー患者の気持ちがわからない無神経な医者だ。

それは私に貼られたレッテルだった。看護師たちが蔭で噂しているのも耳に入っている。女医の「安らかな気持ちであの世に行けるなんて、よくもまあ本人の前で・・・」

「あの世に逝ける?まさか、私、そんなこと言ってません」「さっきそう言ったじゃないの。ごまかさないで」「あっ、もしかして」

看護師の松坂マリ江が口を挟んだ。「先生が『安らかな気持ちでいける』っておっしゃったからでは?」

「あれは、安らかな気持ちで暮らしていけるという意味で言ったんです。あの世に逝けるだなんて、そんなこと言うわけないじゃないですか」・・・

ーーーもっとちゃんとした医者はいないのか。ーーーあんたみたいな若い女の医者に末期がんの患者の気持ちがわかってたまるかよ。今まで何度言われたことだろう。



神田川病院に勤務する女医のルミ子はもう33歳、しょんぼりとして病院の中庭でベンチに腰かけて昼食のサンドイッチを口に運んでいた。

ふと見ると花壇の中で何かがきらりと光ったのが見えた。こんなところに空き缶が・・、しょうがない・・私が捨ててあげるとするか、と手をのばしたところなんと真新しい聴診器だった。


ナースステーションに届けたが誰も持ち主ではないというので預かった。別に壊れているわけでもないので自分のと交換してみた。

患者の胸に聴診器を当てたところ驚いた「−−−死にたくないよ」ルミ子は驚いた。今の声は何?どこから聞こえてきたの?周りを見渡した時看護師のマリ江と顔があった。「先生、何か?」


この聴診器は患者の想っていることがそのまま胸から言葉になって聞こえてくる不思議なものだった。このお蔭で患者の気持ちに添ってあげられる女医になった。


まあ、作品の発想としては子供じみた手法ではあるが娯楽作品としては気軽な作品と言える。ルミ子はその聴診器をまた花壇の中に置く、新任の女医がまたそれを見つける・・


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  [No. 355 ]    6月  9日


    集英社
「みかづき」森 絵都
2014年作・576ページ

・・・学校の教員たちよりも若年の吾郎は、そのぶん子どもたちとの垣根が低かったのだろう。吾郎さん、吾郎さんと慕ってくる子どもたちと遊んでいるうちに、ある日、一人の男子から「勉強がわからない」と泣きつかれた。

頼まれるまま用務員室で勉強を見てやったのが事の始まりだ。吾郎さんに教わるとよくわかる。そんな噂がみるみる広まり、ぼくも、私もと子どもたちが集まってくるようになった。

今では連日二十人近くが押しよせるため、卓袱台ひとつの六畳一間は常にぎゅうぎゅうづめである。

「吾郎さん、宿題ができません」「授業についていけません」「今日一日、先生が何を言ってるのか、ひと言もわかりませんでした」

放課後、五十余名がひしめく鮨づめの学級からようやく解放され、ほうほうの体で用務員室へやってくる個々の訴えは十人十色ながらも、共通しているのは皆が一様に瞳をきょろきょろとさまよわせていることだった。

勉強のできない子は集中力がない。集中力がない子は瞳に落ちつきがない。この<瞳の法則>を見出して以来、吾郎はまず何よりも彼らの視線を一点にすえさせることに腐心した。・・・



昭和36年、大島吾郎が千葉県習志野市立野瀬小学校に勤めて三年目のことだった。彼は父親の商っていた問屋がつぶれてしまって、高校を中退して住むところと仕事を備えた小学校の用務員として勤めていた。

ある日吾郎の用務員室を訪ねてきた蕗子の目はほかの子とは全然違っていた。つまり聡明そうな瞳をしていた。それでも教えてくれ・・というので教えてあげるとやはりすべて分かっているのであった。

それではどうしてここへ来たかと問い詰めると・・なんと、彼女の家は母が家庭教師をしていて人気のある吾郎がどんな教え方をしているのか偵察してこい・・。


この作品の時代背景、大島吾郎は私より三つくらい年上でしょうか。そのころ学習塾は皆無とは言えないまでもよほど恵まれた家庭環境でしかも予習と言う方向であったでしょう。

そして彼はこのころまだ「落ちこぼれ・・」と言う言葉さえなかった時代に「復習・・」つまり学校で理解できなかったことをそれぞれのレベルに合わせて教えてやることで人気があった。

その後、吾郎は蕗子の母千明と結婚し塾の経営にかかわるようになった。しかし千明は塾の経営に腐心し、吾郎は採算が合わなくとも教えることにこだわる。そして彼らそれぞれ三代にわたる塾の形態も千明流、吾郎流・・と別れるのであった。


久々に手ごたえのある長編大作であったが作品の構成、緊張度は何処にも緩みが無く森絵都さんの力量の凄さを感じ取りました。おもしろかった。


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  [No. 354 ]    5月 26日


    双葉文庫
「あなたの人生、片づけます」垣谷美雨
2013年作・259ページ

・・・・「値段がいくらであっても着ないものは着ないですよ。置いておいても仕方がない」

「でもね十萬里さん、これ上質の柔らかい革なんですわ。モノはごっついええんです。だから例えば袖を直して今風にするとか、ジャンパーに作り替えるとか、それとも思いきってトートバッグにすることもできますよ。たぶんバッグなら二つはつくれるんやないかな」

「奥様は洋裁や手芸がお得意なんですか?」「若いときはやりましたけど、もうやりません」「では、お知り合いの方か何か?」

「リフォーム屋さんにでも持っていこうかと思っているんですよ、いつかね」

「いつかっていつですか。何月何日ですか。奥様、いつかなんていう日は来ないんですよ。それに、リフォーム料金というのはとっても高いんです」・・・



5年前に夫に先立たれた78歳の三枝泳子は大きな屋敷に一人で住んでいた。嫁ぎ先の娘の睦美からは元気なうちに不要なものは片づけておいてと言われているがままならない。

ある日、娘の睦美はテレビでおなじみの片づけ名人、大庭十萬里を泳子の家に向かわせた。

夫に先立たれた泳子は残された一つ一つが思い出の品でありそしてお茶をすすりながらテレビから流れて来る情報番組を、見るともなしにぼうっと眺めている暮らしをしている。


私も妻に先立たれてしばし茫然としたことがありました。

この本では4っつのケースがあっていずれもある後遺症により自身の生活設計が出来ずに身辺の整理ができなくなるケースを小説にしていました。


結婚を前提として付き合っていた彼が離れて行った彼女、妻に先立たれた伝統工芸士、夫に先立たれた大きな館に住む女性、子供を交通事故で失った奥さんの場合・・・。

いずれも片づけの名人、大庭十萬里はそれぞれ心の病気が原因だと言うことで片づける方法ではなくその病を治すことで片づけることができ人生に先を見つけられるという内容でした。

私もできるだけお友達を家に呼んで交流しよう、そうすれば掃除もしなくてはいけないし、片づけも当然しないと掃除もできない。つまり社会性を作っていこうと言うことかな・・


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  [No. 353 ]    5月 19日


    光文社
「母の診断書」志賀 貢
1998年作・194ページ

・・・「夜は、早く寝た方がいいよ」「そうだね」

たぶん、私の声は、母の耳には届いていない。母が、顔の表情や唇の動きから、私の喋る言葉を理解するようになってから、どれくらい経つだろうか。

勘のするどい母だから、私の喋ることは、短い言葉ならほとんど分かるらしく、反復するようにして、念を押しながら話す。

だから、普段の会話には、ほとんど不自由はないのだが、むろん込み入った話はできなかった。・・・・もう少し耳が聞こえれば、こんな大声でどなるようにして受け答えしなくてもすむものを・・

少なくとも十五年くらい、母との会話は、こんな状態が続いている。

母は、ほとんど一方的に喋る。だが、なにを話しても的がはずれることはなく、記憶力にも、まったく衰えを感じることはなかった。・・・



志賀さんは東京で開業医をしているが北海道羅臼町にお住いのご両親が近年具合が悪いというので自身の診療所に入ってもらって様子を見ることにした。

その時のいきさつの中でいかに自分が「やぶ医者だったのか・・」その不甲斐なさを母への想いと反省を込めてしたためた作品でした。

・・・擬陽性。様々な検査の結果の中でこれらのデータを読むには、その非特異性の性質で、医者は迷うものだと言います。医者なら、そうした検査のくせを百も承知で、診断を進めななければならないでしょう。

子供が親の病気を診断するという不幸が、重なってしまった。どうしても、肉親の欲目で診てしまう傾向がある・・、とも言っていました。


志賀さんのお母さんは88歳で胃がんのため亡くなられました。100歳まではオレが自信を持ってお母さんを診てやると言った当初の意気込みとは裏腹に失意の結末でした。

この本を読んで人の気持ちは結果がすべてだとは思いません。その過程でどれだけ思いやることができたのかが母への鎮魂となるんでしょう。


そして正しく私の実母も今100歳、志賀さんのお母さん同様に耳が不自由な状態はもう10年以上です。いま私は人が長生きをする意義を考えています、明日目を覚ましたらこんなものを実現してみたい・・と。多くの先輩から学ぶ自身の人生像も鮮明になってくるのです。


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  [No. 352 ]    5月 13日


    徳間書店
「神去なあなあ日常 」・三浦しをん
2012年作・349ページ

・・・熊やん(高校担任教師)が新横浜駅まで見送りについてきて、俺を新幹線に押し込んだ。神去村への行きかたを書いた紙を俺の手に握らせ、「一年間は帰ってこられないぞ。体に気をつけて、しっかりやれ」と言った。

しばらくしてから知ったことだが、俺は林業に修業することを前提に、国が補助金を出している「緑の雇用」制度に勝手に応募されていたのだった。

基本的には、山村にIターンやUターンするひとの再雇用を支援する制度なので、俺みたいな新卒は例外中の例外だ。役所が例外を認めるほど、林業は人手不足らしい。

・・・途中までは、携帯電話から友だちにメールを送って時間を潰した。「なんか、神去村とかいうとこへ行けって、熊やんに突然言われたんだけど」

「まじで?、なにそれ、超うける」そのうち圏外になった。圏外!信じらんねえ。ほんとに日本か、ここ。・・・・

「・・・山は怖いもんや。・・遭難しかけたこともあるで。けど俺は山から離れたいと思ったことはない・・山で生きて山で死ぬのはあたりまえや」すげえ。山仕事は仕事じゃなく、生きかたそのものです、って感じだ。こんなこと言う大人、俺のまわりにはいなかった・・・。



神去村(カムサリムラ)・・・まさか横溝正史の「八つ墓村」のたぐいかな・・と思ったら本当に有った。グーグルマップで探すと紀伊半島三重県、松坂線の終点から山奥に神去太陽光発電所という名前に行き当たった。多分この辺りを取材した作品なんだ。

平野勇気は横浜の高校卒業の日まで卒業後の仕事は決まっていなかった。しかし担任の熊やんと父親、母親の陰謀?によって三重県の山奥で林業に携わるようになる。

高校を出たら、まあ適当にフリーターで食っていこうとしていた彼にとってこの担任と母親の取った行動は奇想天外な「親離れ、子離れ」であったのです。子離れのできない現代の親にとっても痛烈な教訓的作品でしょう。


国土の約七割は森林、と言われる日本ですがその森林を守る林業に携わる人口は約5万人ほどしかいないのです。しかもその高齢化率は言質を待つことも無く深刻なのです。

私も群馬県の片品村の山林をお借りしてどんぐり林(楢、クヌギなど)を育てています。荒れた山でしたが幼木の苗を植え下草を刈ること今年7年目を迎えた山は気持ちの良い風が林の中を吹き抜けます。

そしてどんぐりたちは自然の猛威(特に雪崩れ)、そして動物たちに樹皮を食べられたり折られたりしながらも懸命に成長していくのを見ることも楽しみのひとつです。


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  [No. 351 ]    5月  9日


    角川文庫
「それぞれの終楽章 」・阿部牧郎
1991年作・219ページ

・・・奥羽本線のO駅へおり立った人々は三十名ばかりである特急列車の利用客はむかしよりずっと少なくなっている。

改札口のそばの上り線ホームには、普通列車を待つ数人の男女の姿があった。街であそんでいた人々なのだろう。・・・

・・・見たかぎりでは、知らない街へきたのと同じだった。だが、歩きながら風景へ記憶のスコップを突き入れるたびに、むかしあった建物のイメージが頭の中で掘り起こされた。

治療に通った歯科医院。絵画教師の家。代議士の邸宅。美しい女学生のいた旅館。運動具店、ラジオ店。すでに消えたそれらの家々が、目のまえにある見知らぬ風景を溶かしてはっきりとうかびあがった。・・・

人々はみんな年齢にふさわしいスピードで走ったり歩いたりしている。一様に時計の針と同じ方向に動いていく。・・・矢部宏は自分が多くの人々の手になる小さなピラミッドであるのを知った。

みんなの恩恵で矢部はつくられた。ひとりで五十になったのではなかった。・・・・



この作品は作者の阿部牧郎さん自身の自叙伝なのでしょう。そしてO市と言うのは大館市、そこから伸びる支線のH町とは恐らく花輪・・鹿角市として地図を見ながら読むと面白い。

主人公の矢部宏は関西に住んでいたが旧制大館高校の親友でありクラスメートだった森山隆之が死んだことで急遽葬儀に駆けつけたのであった。彼の死因は農薬を飲んでの自殺だった。

森山は都会の大学を出たのち大館に戻って弁護士のかたわらクラスメートたちの債務の面倒を見たりしていたがそれがもとで自身の金繰りも破たんしたうえでの自殺だった。

矢部はそう言ったいきさつを知って初めて自分はこの田舎から飛び出したものの彼らの苦しかった仲間を支え合う気持ちの端を感じ取った。


わたしもよく田舎に住む幼馴染と酒を酌み交わすことがある。田舎から離れて暮らす私と、都会の大学で学んだあと田舎に戻って教師をしている者、そしてずうっと田舎で暮らしている者。

それぞれの見ている世界観に少しの違和感を感じながらも認めあえる環境の心地よさを想うことがある。

青少年期を共に過ごしたと言うことだけで数十年の時空を超えて気持ちを伝えあえる・・、人生って素晴らしい。


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  [No. 350 ]    5月  4日


    文春文庫
「対岸の彼女 」・角田光代
2004年作・349ページ

私って、いったいいつまで私のまんまなんだろう。ぼんやりしながらくりかえしそう考えていたことに気付いて、小夜子は苦笑する。

そんなことを考えること自体、子供のころから変わっていない。・・・・

・・・せり出した木々の枝が作る日陰の下、ベンチに座る小夜子は、砂場で遊ぶあかりに視線を移した。

公園内には、ほかに何人もの子どもがいて、みんなだれかしらと遊んでいるのに、あかりは今日もひとり、砂場の隅で砂を掘り返している。



小夜子は学生時代にいわゆるいじめにあっていた。そして時が立ち家庭を持つようになると自分の子も果たしてグループになじめない自分の性格を受け継いでいるような気がした。

子供のあかりもそろそろ保育所に預けて小夜子自身のためにも社会に出ようと決心する。

しかし、夫の理解を何とか得るものの夫の実家の姑からは子供をおいて働きに出る小夜子を遠回しではあるが非難する。

何社か面接を受けてみたがなかなか受理してくれる会社は見つからない。たまたま女性経営の旅行会社に就職が決まった。彼女は葵という。

小夜子の卒業した大学出身者ということで年代も近い、或いは学食やあちこちですでに顔を合わせていたかも知れない・・と言う仲であった。

実はその葵も中学、高校といじめにあっていた。・・・・



いじめ、仲間はずれ・・、そういう経験のなかった私にはなかなか理解できる内容ではない、つまり親身になってその相談に乗ることすらはばかれる気がする。

事実、葵は仲間はずれを紛らわすために自身の没頭できるものにまい進して憂さを晴らしていた。それこそが自分を取り戻せる最善の良策だと私も思う。

そんな自分の世界を持っていれば恐らく私のようにいじめだの仲間外れだの意識せずに過ごせる環境を作れるんではないだろうか。所詮、こんな私の意見もあまり力をもたないでしょう。


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  [No. 349 ]    4月 22日


    文春文庫
「最終便に間に合えば 」・林真理子
1985年作・222ページ

その疑いは、その男がサラダに手を付け始めたときからすでに生じていた。

男が生野菜をあんなふうにゆっくり食べることは、まずありえない。たとえそれがフォアグラ入りの贅沢なものだったとしても。

ねっとりと臙脂色に光る肉片をたったひと切れ残すと、長原はフォークとナイフを十字に組んだ。ゆっくりとグラスに口を近づける。

それはフォアグラの舌に残る味を、赤ワインで混ぜ合わそうとする動作に傍目には見えたかもしれないが、美登里にはこの上なく不自然な行為に見えた。

彼女が知っている限り、長原はこれほど優雅にものを食べる男ではないのだ。「ボーイ長がさっきからこちらを見てるわ・・」そっけなく言う。・・・・



長原と美登里は以前若いころ付き合っていた、二人とも貧しかった時代だったのでわずか三千円の金の貸し借りでもめたことで別れた。

長原は今では札幌で広告代理店の仕事をしていて子供一人の家族三人で暮らしていた。美登里は手芸の教室などしているうちにマスコミでも名を売るようになっていた。

美登里がたまたま札幌で講演があって来ることが決まった時、ひそかに昔の男だった長原に逢ってみたくなった。

千歳発東京行きの最終便までに間に合えばと・・長原と食事をした。長原は美登里が有名人になったと言うこともあったがあらためて彼女の自信から生まれるであろう魅力も感じていた。

食事をしながら盛んに今夜は一緒にホテルに泊まって明日の朝の始発で帰るように美登里に進めた。そこで長原の取った手段がこのゆっくり食事だったのだ。

美登里はそんなことを知ると何としてもこの最終便に間に合わそうと思った。長原に送られて空港に向かうタクシーの中でもし間に合わなかったら・・と気持ちも揺らいだ。

タクシーはわずかな時間差で搭乗時間に間に合わせた。美登里は少し後ろ髪を引かれる思いで機内に乗り込んだ。

最後の土壇場で、長原が執拗に誘わなかったことが、気にかからないと言ったら嘘になる。しかし、そんなことは東京に着くまでに忘れるだろう。


私のようにかなり分別のある大人であってもこの最後の土壇場が何を意味するのか分かっている。それが普通の大人なんだろう。長原も美登里も分別のある大人になっていたのだ。


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  [No. 348 ]    4月 13日


    集英社
「春、戻る 」・瀬尾まいこ
2017年作・144ページ

「望月さんお兄様がお待ちですよ」  料理教室の帰り、受付のお姉さんに声をかけられた。ショッピングモールの中にあるこの料理教室は、若い女の子で一杯だ。

私より十歳ほど年下の、大学生や社会人になりたての初々しい女の子たちばかり。使っている器具も作るメニューも先生までもがおしゃれで、どれもこれも洗練されている。

何か始めなくてはと思って入った教室だけど、いまだにこの雰囲気にはなれない。   「お兄様?」 

「はい。お兄様にしては、ずいぶん若く見える方でしたけど、望月さくらの兄ですとおっしゃっていました」「兄、ですか・・・・?」

「ええ。兄だと。外で待っておられると思いますよ」首をかしげる私に、お姉さんはにっこりとほほ笑んだけれど、私には兄などいない。・・・・



望月さくらには思い出したくない過去があった、それは大学を終えて小学校の教員を目指した希望に満ちていた時のことであった。

赴任した岡山の田舎の小学校で子供の接し方で思わぬドジを踏んでから子供に対する不信感、そして教師の道をあきらめざるを得なかった過去があった。

望月はそんなことを忘れようとして生活していたのでその時代に触れあったこと全てをいっしょく端にして忘れ去っていたのだった。


ですから彼女は腑に落ちないまま教室を出て・・「うわ、さくら。ひさしぶりじゃん」には驚いた。外に出ると、すぐさま二十歳くらいの男の子が手を振りながら駆け寄ってきた。

さくらよりも一回りは若そうだ「えっと、あの、どちら様でしょうか?」突然目の前まで近づいてきた男の子に、彼女は思わず後ずさりした。

「どちら様って、うそだろう?お兄ちゃんだよ、お兄ちゃん」・・・


望月さくらはこの青年の素性も知らないままにさくらの結婚相手とその家族らと奇妙な関係が続き、読者としてもハラハラする場面が多々あった。

やっと思い出せた青年は当時の校長の子供、まだ中学生だったが一家を上げてさくらを励ましなど支援してくれたんだ・・・


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  [No. 347 ]    4月  7日


    講談社
「火刑都市 」・島田荘司
1986年作・378ページ

・・・だが中村はこの仕事が嫌いになれない。むしろ犯人の逮捕より、聞き込みに歩くことの方が好きだ。地味で、無駄に終わる部分が多い仕事だが、熟練して来ると、一種名状し難い醍醐味を感じるようになる。

時に他人の人生が、その含蓄を垣間見せる。人間の営みというものは、つくづく不思議なものだと思う。


週間誌Bに、再び菱山源一の犯行表明が載った。

「火刑宣言」・・・できるだけ解りやすく述べる。我々は東京の街並みを前にし、スケッチブックを広げ、絵筆をとる気になるか? 街角にイーゼルを立て、終日この建物の群れと格闘する気になるかーーー?

なろうはずもない。アルミサッシの窓、新建材の壁、ブロック塀、何の美的創作意図も感じられぬ錆びた鉄骨と汚れたセメントのガラクタを前にして、誰が絵心を刺激されるものか。・・・



警視庁一課殺人班の中村吉造は四谷の雑居ビルの火災現場からガードマンの焼死体がでた・・と言う報告を受けて出かけることになった。出火元を調べると放火の疑いのあるもののその手口がつかめない。

そして焼死したガードマンの身元を調べて見ると一人の女の存在が明らかになる。しかしその女の行状からしてその犯行に結び付けることは不可能なことと思われた。

これは単なる放火とガードマンの仮眠中の焼死・・という殺人班の見解としては手を引くべきという雰囲気であった。中村は主任に申し入れた「どうしても割り切れない匂いを感じる・・」

コツコツと歩いて聞き込みをする地道な刑事の仕事もやっと日の目を見て殺人事件に発展させることができた。しかしその裏でこの大東京の都市計画に陰謀のあることまで暴かれていく。

私たちの生活を守る警察の中には本当に地味で執拗な仕事をコツコツと続けている人もいる。

引きかえ、何としても犯人の逮捕につながって欲しい事件の未解決の多さには依然として不安を禁じ得ない。


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  [No. 346 ]    3月 26日


    サンマーク出版
「コーヒーが冷めないうちに 」・川口俊和
2015年作・226ページ

・・・「じゃ、俺、時間なんで・・・」

歯切れの悪いぼそぼそ声でそう言うと、男はキャリーバックに手をのばしながら立ち上がった。「え?」女は男の顔を見上げて怪訝そうに顔をゆがめた。

男の口からは「別れ」の「わ」の字も聞いていない。だが、交際三年目の彼氏に「大事な話がある」と呼び出され、突然、仕事でアメリカに行くことを聞かされた上に、その出発が数時間後となれば「別れ」の「わ」の字を聞かなくても「大事な話」が「別れ話」だと察することは出来る。

たとえ「大事な話」を「結婚」と勘違いし、期待していたとしても、である。「なに?」男は女の目も見ずにぼそぼそと聞き返した。


「ちゃんと説明してくれる?」女は男が一番嫌う詰問口調で迫った。



とある街の、とある喫茶店のとある座席には不思議な都市伝説があった、その席に座ると、その席に座っている間だけ望んだ通りの時間に移動できるという・・・。

この別れ話の「恋人」、記憶が消えていく「夫婦」、家でした姉と妹「姉妹」、この喫茶店で働く妊婦の「親子」四編をそれぞれ過去に行かせたり未来に行かせたりのお話・・。

私たちの生活の中で、もし時空を超えて立ち入れる機会があるとすればそれは世にも恐ろしい現実に悩まされることでしょう。

人間、諦めと、忘却があるからこそのほほんと暮らしていけるんでしょう。


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  [No. 345 ]    3月 18日


    角川文庫
「夏美のホタル 」・森沢明夫
2014年作・267ページ

フォォォォォーン、フォンフォン、フォォォォーン!

弾丸のようだった速度が一気に落ちた。ぼくは前方につんのめりそうになって、歯をくいしばった。その直後、風景がいきなりガクンと左に傾いた。ひえぇぇ。

胸のなかで悲鳴を上げながら、頼りないほどに華奢な夏美の腰にしがみつく。そして、いつも言われているとおり、両膝で彼女の小さなお尻をぎゅっと挟み込んだ。

・・房総半島の山道は、思っていた以上の九十九折りだった。だから山に入った瞬間、ぼくは「失敗した。まだ二十二歳なのに、死ぬかも・・・」



相沢慎吾と河合夏美はお互いの休日を利用して房総半島の山間にある渓谷をバイクツーリングしていた。小さな峠にはお茶屋風な建物があってトイレ休憩することになった。

しかし思わぬそこの店の年老いたお婆さんと少し体の不自由な高齢な息子に出会ってここの自然の魅力にとりこになった。

二人の夏休みにはここの茶屋の離れを借りて過ごそうと計画を立てた。・・・・


若者は何時だってどこに行ってもその土地の人たちと自由に気持ちをぶつかり合える柔軟さが大切だ。わたしの青春時代もそうであった。

若者はどんな形で有れ旅に出ようではないか。


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  [No. 344 ]    3月 15日


    文春文庫
「悪いうさぎ 」・若竹七海
2005年作・482ページ

・・・・「道を走っていくと、滝沢がすっころんでもがいていた。その前方を白いものが走り去っていくのがちらっと見えた。滝澤が私に早く撃て、逃げられちまうぞ、とわめいたがーーー私は動けなかった。

その白いものはうさぎにしてはでかすぎた。おまけに、一瞬しか見えなかったがーーー二本足で走っているように見えたんだ」

寒気がいっそう強くなってきた。ゲームには<獲物>という意味もある。水谷佳奈は弟になんと言ったか。ーーーゲームはヤバいに決まっている。

「滝沢は起き上がると、すごい勢いで白いものの後を追い始めた。野中が無線で大黒のチームに連絡を入れた。そして私に早く行け、あっちのチームも近い場所まで来ているんだ、先にやられちまうぞ、と怒鳴って走りだそうとした。私は野中を必死に止め、あれは人間だと言った」・・・


葉村晶、国籍・日本、性別・女、年齢・31歳。数年前から長谷川探偵調査所という小さな探偵事務所と契約している、フリーの調査員である。ここに三年間務めた後、所長の勧めもあって自由契約に落ち着いた。人手もしくは女手が必要になると、所長がわたしのところへ電話をよこす・・・



女探偵サスペンスもの・・といった娯楽作品を楽しんだ。まあ実際にはありえない設定ですが女性の社会進出は近年めざましいものがある。

これは作者の若竹さんの憧れを小説にしたものでしょう。実際に葉村晶は幾度も殺されそうになるが奇跡的に助かる。まあ普通でしたら小説の中のクライマックスでしょうがそんな殺されそうな体験が3回も出てくると少し眉唾になってしまう。

そして、題材の中にゲーム・・として金銭目当ての若者に狩猟の獲物としての役割を果たす・・。実際に欧米で起こった事件を取り入れて作品に仕立てましたが実におぞましい作品設定になってしまった感が強い。

女だてらに体を張った仕事は読んでいても無理がある。


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  [No. 343 ]    3月  8日


    角川文庫
「樹上のゆりかご 」・萩原規子
2011年作・325ページ

「守る・・・というのはピンとこないな。暗黙の了解がある・・・というなら、少し思い当たる」「暗黙の了解?」

「女子には掃除をさせない、重いものを持たせないって。私、いまどきそういうことをいう人はいないと思っていたけど」

「まるでタイタニックよね。女と子供は優先して救命ボートに乗せてもらえる。でも、当時の女性は参政権がなかったのよ」「うーん・・・・」



東京都が都立高校の学力平均化をめざし、越境入学などの弊害をなくそうとした学校群制度、二十三区を外れた西の果てでは、高校も散らばっているせいか、かなり投げやりな区分になっている。

主人公の上田ひろみの住んでいる地域では、受験生は北多摩から南多摩まで広がる大区域のどこを選んでもかまわなかった。そしてその中央で異彩を放つのが立川高校と国立高校であった。

彼女は中学3年の時わき目も振らずに勉強しているうちに、どういうわけか受験で受かり振り分けで立川高校に入学した。女生徒は三分の一しかいない、元々男子校だった校風は未だに続く。


この作者、萩原規子さん自身の高校生活にアレンジを加えた学園物語になっている。今まで他の学園ものの作品と大きく違うのは登場する生徒は皆それぞれ個性はあるものの多摩地域の中学生ではトップクラスの成績のものばかりで高校が成り立っていると言うことだ。

私のような劣等生にとって、読んでいて多少ひがみを感ずることも多々ある。しかし高校生時代特有の正義感や希望、ジレンマなど共有できる感情は皆同じと感じる。


そして進学校であるがゆえ本当に高校生活を謳歌できるのは二年間だけ、従って学校と言う社会性を養う場も二年しかない。今では伝統校に限らずどこでも同じでしょう。


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  [No. 342 ]    2月 26日


    角川文庫
「さいごの毛布 」・近藤史恵
2014年作・250ページ

・・・「老犬ホーム ブランケット」フェンスの向こうには殺風景な三階建ての白い建物と、広い庭が広がっていた。

庭にはベンチと数本の木があるだけで、あとは運動場のようになっている。何も知らなければ幼稚園かなにかのように見えるだろう。

犬の声がときどき聞こえてくるが、うるさいわけではない。ああ、犬がいるんだなと思う程度の声だ。臭いも感じない。


・・・同じ犬でもずいぶんと気質が違う。人間と同じだ。いつも、自分意外の人たちが、なぜあんなに自由で堂々としているのか不思議だった。あんなふうになりたいと思ったけれど、一歩も近づくことはできなかった。



智美は三人姉妹の長女、学生時代はそこそこの成績で大学も卒業した。二人の妹たちはどちらかと言うと現代風、それに引きかえ智美は少し引っ込み思案、両親からも何となく疎外感を感じさせられていた。

最初の就職もやはり智美の性格が影響したんでしょう、人間関係が本人の意とせず浮いた関係となり結局長続きしなかった。いろんなアルバイトをしてもやはり行きつくところは人間関係であった。 そんな時、この老犬を扱うホームに巡り合った。ここの犬たちは皆、飼い主の事情があって保健所ではなくこの施設で犬の老後を有料で世話をするホームなのだ。

宝塚市の北部だという。宝塚と言えば、関西人にとっては少し高級なイメージのある住宅地だが、見せられた地図には田んぼだとかゴルフコースしかない。住宅地からは随分離れた場所にあるようだった。



経営者の藤本麻耶子は高校の教師をしていたがいろんな事情があってこの老犬ホームを開設した。現在預かっている犬は15頭ほど、先任の安原みどりと住み込みでこの仕事に就く。

智美はここで初めて人間関係を保てそう・・と判断した。そして世話をする犬たちも強いて言えば自分とおんなじ周囲の都合によりやむなく寄り集まった関係なのだ。

そんな犬たちと接するうちに智美自身も次第に社会性を身に付けて行く。そのうちにたまの休日に、いつしか疎遠だった家族にも会いに行きたいと思うようになる。


この作家の史恵さんは犬の心が読める・・文章の端はしに犬の仕草や表情によってあたかも言葉を発しているような表現に出くわす。ああ、本当に犬が好きなんだと言うことが伝わってくる。

犬は飼い主と一心胴体の心を有する、しかし人間のエゴによりそれが叶わなかった時人間はいとも簡単に断ち切ることをする。だからあえてこの作品により救われるべき犬の面倒を見ることによりその人の精神も救われていく・・作品を書きたかったのかな。


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  [No. 341 ]    2月 21日


    東京創元社
「切れない糸 」・坂木 司
2005年作・363ページ

犬がいた。まだ生まれて間もないような、ころころとした仔犬。毛の色は茶色と白のミックスで、見たところはちょっと柴犬の血を引いた雑種だ。

「なんだよ、危ないな」狭い裏道で、そいつは俺の真ん前にちょこんと座り込んでいる。俺は仔犬を足で引っかけないよう、そうっと横を通りすぎた。けれど。

仔犬は立ち上がって俺の後をついてきた。「おい、ついてくるなよ」


・・・「だって、何百着っていう服を預かって洗ううちに、クリーニング屋は恐ろしいほどの個人情報を手に入れることができるんだぜ?ここの家は何人家族で、太っているのか痩せているのか、子供がいるか居ないか・・・」




新井和也は大学の卒業を前にしていくつもの就職試験を受けては失敗していた。そんな時、小さな町の商店街で経営していたアライクリーニング店の父親が亡くなった。

クリーニング店には腕のいい職人や近所の主婦などの手伝いと母親では切り盛りがいかない。当然のことながら和也はクリーニング店を継がざるを得なくなった。

このクリーニング店、今まで気が付かなかったけれどこの小さな町の中では良い仕事ぶりで評判のお店であった。和也もそんなことを徐々に知っていい加減な気持ちではいけないと感じ始めた。

幸いにも大学時代の友人沢田も就職せずに同じ町の叔父さんの喫茶店「ロッキー」をアルバイトながら任されて切り盛りしながら和也と町の商店街に溶け込んでいく。

クリーニングの仕事を通して判ってくる得意先の問題を親友の沢田と次々と解決していく。すっかり商店街の若い店主として活躍の場を広めていく。しかし、沢田は叔父の喫茶店をもっと現代風にするため修行の旅に出る。

今まで沢田と組んで難題に立ち向かってきたがこれからは和也は一人でもろもろに立ち向かわなければならない。


少しトロイところのある和也と頭の切れる沢田の組み合わせは小説として面白さはある、しかしことごとくの問題をかなり短絡的に解決に導いてしまう筋書きはあまりにも娯楽的な作品にしてしまっているところがもったいない・・。


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  [No. 340 ]    2月 16日


    新潮社
「ゼツメツ少年 」・重松 清
2013年作・376ページ

・・・タケシは中学二年生だった。パソコンで入力した手紙の言葉づかいは、中学生なりに幼く、つたない。ただ内容には不思議な力があった。途中で読むのをやめてしまうことができない。

飛ばし読みもためらわれる。<センセイ、僕たちを助けてください>タケシは手紙の冒頭にそう書いていた。<僕たちはゼツメツしてしまいます>


・・・タケシは元不良少年だったツカちゃんの子供を託されて言われた「忘れるな。自分より弱いものを抱いて守ってやってるときの、感覚っていうか、気持ちっていうか、ぜんぶ忘れるな」「はい・・・」

「それを覚えているうちは、俺、おまえはゼツメツしないと思うぜ」


「活きてほしかったんだ」美由紀は黙ったまま、お父さんをじっと見つめる。

「生きてほしい・・・・ずっと、ずっと、生きてほしい・・・夢なんかなくても、優しくなくても、正義の味方なんかじゃなくてもいいから、生きていれば・・・明日、夢が見つかるかもしれないし、明日、自分が自分であるという誇りが持てるかもしれない。それでいいんだよ」・・・



重松清さんの作品は既に過去3作品ほど読んでいた。多感な少年期・・ことに小学高学年から中学生にかけての少年たちの心情をよく観察して描かれた作品として読んだ。

以前に読んだ作品の中にも小中でのいじめの問題をとらえて作品にしていたものを読んだ記憶がありました。この作品もそのものズバリいじめの問題です。

しかし今度はそのいじめを見つめる作家もこの作品の主人公として登場し子供たちが訴える場所を作家自身が作品の中で聞いてあげる。そしていじめの対象である子供も救われる、そして読者も救われる・・不思議な感覚です。

作品では登場する弱い子は全てゼツメツしてしまいます。作家としてはそこまでしていじめのむごたらしさを私たちに知らしめようとあえてその手順としたのでしょう。

少子社会において、子供たちには兄妹もなく一人っ子が多いのです。昔は大家族と言う家族の中で社会性を学んだ後、学校や集団生活に溶け込むことができた。

知識だけで正義や優しさを振りかざしてしまっては社会生活(集団の中で)孤立することになりかねない。


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  [No. 339 ]    2月  7日


    実業の日本
「恋するあずさ号 」・坂井希久子
2015年作・267ページ

・・・ミイラおばあちゃんは風邪をこじらせて入院し、そのまま帰らぬ人になってしまった。今回は肉親の縁が薄かったのと、運び込まれた病院に顔見知りの看護師さんがいたから死亡連絡がきたものの、入院してそのまま亡くなった利用者さんの訃報を、ほとんどのご家族は知らせてくれない。

どれだけ心を込めてお世話しても、ヘルパーなんてその程度にしか思われていないってことだろう。たとえご家族が連絡をくれたとしても、弔電を打つだけで通夜も葬式も参列しないというのがこの事業所の決まりでもある。・・・

・・・「だってあなたのことが大好きでも、お友達にはなれないのよ。お茶すら一緒に飲めない間柄なんて、嫌だわ」まさか思ってもみなかった。私が彼女の担当を外されたのは嫌われたからじゃなくて、好かれていたせいだなんて・・・・



畠山梓、28歳は介護士の資格を持つ。しかしその仕事が辛いとかきついとか思ったことはなかったが出勤途上の新宿でフラッと特急あずさに乗ってしまった。

上諏訪駅に降り立ってこれと言ったあてもなく思案していたところに偶然、桂さんと言う青年に出合った。これから高遠町に帰るけどそこの民宿でもお世話してあげるよ・・・

桂さんは高遠焼きと言う窯元の職人さん・・独身。そして案内された民宿はこれまたアットホームな民宿で彼女は癒された、そしてまた東京に戻って介護の仕事に飛び回る。

そして疲れてはまた高遠の町にきて町の人たちと交わっては田舎の良さが身についてきた。

「桂さん。私ね、あの町でおばあちゃんになりたいんだ」「うん」桂さんは振り向かずに頷く。「そしていつか、あの町の土になる」・・・。


この本を手にして私は特急あずさに乗り込んだ。昨暮れ、遂に100歳を迎えた母に逢いに行くためだ。母は多くのヘルパーさんや介護士の皆さんに助けられながらひとりで暮らしている。

梓さんは介護の仕事をしながら介護保険制度の問題点、そしてその仕事の持つ役割と人情のはざまで揺れ動く気持ちをよく伝えてくれました。そして自分の人生設計を高遠の町の土になりたい・・・と。


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  [No. 338 ]    1月 26日


    ゴマブックス
「堕落論 」・坂口安吾
1946年作・24ページ

・・・四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼らが生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚すものが現れてはいけないという老婆心であったそうな。

現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終わらせたいということは一般的な心情の一つのようだ。

・・徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが四十七名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が常に義士から凡人へ又地獄へ転落し続けていることを防ぎうるよしもない。・・・



この小説の中で坂口さんは自分の姪が若くして自殺して亡くなったことを書いていました。このことは今自分が年老いてもなお生き続けることへの問・・としてこの考え方をしたんでしょう。

私は若いころに美術家にあこがれていた。それは単なる憧れではありましたがそのときの精神は今でも純粋で美しいと思われるのです。

友人たちの間でも純粋な精神を貫ける人と、私のようにその前途に不安を抱き挫折してなお生き延びている多くの友人たちがいます。

坂口さんに言わせれば私は堕落してそしてまだ生きながらえている・・と指弾するでしょうか。

多くの著名な画家の中には晩年を廃人のようにして過ごした方も何人かいます。まさに人間自体が常に義士から凡人へ又地獄へ転落し続けていることを防ぎうるよしもない。

どうも嫌な本を読んでしまったようだ・・・。


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  [No. 337 ]    1月 20日


    双葉社
「牛を屠る 」・佐川光晴
2014年作・179ページ

・・会社はJR大宮操車場に隣接し、正門には「大宮食肉中央卸売市場・大宮市営と畜場」の文字が刻まれていた。「と畜場」の「と」が「屠」の意であることは言うをまたない。

希望により配属された作業部作業課の面々がそう呼んでいたように、二十五歳の私は「屠殺場」の作業員になったのである。

私は前年の三月に北海道大学法学部を卒業しており、この就職は学歴から想定される範囲を大きく逸脱している。・・・



私たちの食材としての動物、果たして若い子たちが「わーい!、お肉大好き〜」と言っていた言葉の片隅にでもこの屠殺する従事者がいるってことまでは気が付かないでしょう。

そうかといって「食肉処理場」や「家畜解体場」と言い換えるのにも不満が残る。それらの一見散文的な表記では、なによりもまず生きた牛や豚が叩かれ、血を抜かれ、皮を剥かれ、内臓を出されてのち、ようやく食用の肉になるのだという事実が隠蔽されてしまうからだ。


魚市場では一つの見世物として「マグロの解体ショー」なるものを実演している。然らばなぜ食肉売り場の片隅で「牛の解体ショー」が実現しないんでしょうか。

私の子供のころから暫く、我が家では家畜やニワトリなど我が家で屠殺して食肉として食べていました。おのずと子供心にも動物の生をいただいて自分の血肉になることを体感していました。

この本はもう爺の域に達する私が読んでもショッキングな事実の連続ですがでも、どこにも隠す必要のない歴然とした事実の記述なのです。

性教育を始めた教育改革もありましたが、食育の観点からもこの本を教科書にしてもらいたい・・・無理か?。


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  [No. 336 ]    1月  7日


    文芸春秋
「静かな炎天 」・若竹七海
2015年作・344ページ

・・・例えば、裏の篠田家は昼間無人だが、夜になると家族七人全員が帰宅してにぎやかになる。

例えば、向かいの鶴野家では、リストラされていたご亭主が再就職、娘さんが国費留学に旅立ち、肩の荷を下ろした奥さんは、今朝からリウマチ持ちの母親をつれて、二泊三日の湯治に出かけている。

また例えば、先先月の終わりころ、店の隣家で町内会長を務める糸永家に、ご主人の母親が施設を追い出されて出戻ってきた。・・・・



お正月からスキークラブの合宿があってスキー場に四日までいた。昼はアクティブに滑りまくり、そして夜な夜な新年の深酒を続けたおかげで少し疲れた。

気持ちを入れ替えて、改めて静かなお正月を・・と思いまず選んだ本は女探偵事務所の顛末と言う娯楽本を読んだ。


吉祥寺の静かな住宅街にーMURDER BEAR BOOKSHOPーというミステリー専門書店があるオーナーの富田が冗談で立ち上げた<白熊探偵社>に私は勤めていて依頼された探偵と書店のアルバイトをこなしている。

間もなく40歳になろうかという女性、葉村昌は日頃の不摂生がたたって四十肩や何かと風邪もひきやすい体質となってしまっていたが運も手伝って何となく依頼された仕事は残すこともなかった。

6月から12月まで毎月文芸春秋に連載された作品を収録した本として編んでいる。

さて、明日からまた活動期に突入してきます。


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