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 展覧会の紹介 

札幌の美術2004 20人の試み展 2004年3月3日−14日
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6 地図G
(敬称略) 
 
 「札幌美術展」が現在のスタイルになって3年目。
 パンフレットに、展覧会のねらいがわかりやすく書いてあった。
「新たな試み」「実験性」「独創性」をキーワードに選ばれた札幌を拠点に活動する20人が、市民ギャラリーの全室を使った広い展示空間に、絵画や書、写真、映像、インスタレーションなどの多様な作品を展開します。
 2001年まで、札幌在住の作家を幅広くえらんだ、いわば「札幌のオールスター・ダイジェスト」的な展覧会であったのだが、02年からは選定委員がそれぞれ3−5人ずつ作家をえらぶしくみにかわったのだ。ベテランよりも中堅、新進の作家に光があたるとともに、作者の善意にたよっていた制作・搬入などに費用が助成されるようになったのである。また、札幌市内にとどまらず近郊市町村の作家もまねかれるようになった。
 ことしも、書が5人、写真が1人、それ以外が現代美術など−という構成は昨年とおなじ。
 選定委員は若干顔ぶれが変わった。
 ただし、仄聞(そくぶん)するところによれば、来年以降は形式を変えるかもしれないということである。たしかに「札幌の美術」を名乗るのであれば、いわゆる「絵画」や「版画」「陶芸」などの作家をもっとえらぶべきだ−という声があがるのも、やむをえないのかもしれない。

 前置きはこのくらいにして、印象にのこった作家について述べる。

 野又圭司のインスタレーションが変化したのは、一昨年の「グローバリゼーションの暴力」からだったと思う。
 作品サイズ自体が大きくなるとともに、世界情勢への暗示(直接的な言及ではなく)がこめられるようになった。
 昨年の「New Order」も、国際貿易センタービルイメージした大作だった。
 今回の出品作「サナトリウム(あるいは神の寝床)」は、さらに大きい。4メートル×7.7メートル×5.4メートル。ギャラリー空間の一隅に、部屋をつくってしまった。
 外から見えるのは、紺の壁とふるびた扉だけ。その、きしむ扉をあけると、そこには、木の床の部屋がある。
 ふつうの室内とちがっているのは、手前に砂場が、奥の右側の壁にそって、病院にあるようなパイプベッドが置いてあること。壁の上半分には、白い雲の浮かぶ青空の絵がぐるりと描かれているのも、風変わりな雰囲気をかもしだしている。
 ほかには、丸い木のいすがふたつあるだけの、簡素な室内だ。天井からはふるいかたちの電球がつるされ、どこか木造校舎の教室を思わせる。
 ただし、寝台の上に黒いシーツや布団が載っているのが、異様に感じられる。
 砂場には、まるで黒田孝(新道展会員)の絵に出てくるような、小さな塔がきずかれている。
 ここには、前2作にくらべても、世界情勢などに直接言及した部分はない。
 にもかかわらず、作品のなかに入ると、イラク戦争などがもたらす或る種の重苦しさに、思いをいたさずにはおれない。
 壁には細い縦長の窓がうがたれているが、すりガラスのむこうは、なにも見えない。部屋そのものがただよわせる荘重さと、不透明感が、いまのわたしたちをとりまく空気とどこかでシンクロしているとしかいいようがない。
 力作だと思う。



野又圭司(1963−)。新道展会員、三笠市在住

■「リレーション・夕張」(「グローバリゼーションの暴力」を発表)
■「北海道立体表現展」(「New Order」を発表)
 古幡靖は、おそらく道内でただひとり、北海道がポストコロニアルな土地であるということをふまえて制作をつづけている作家である。
 今回の出品作は、それが最も先鋭にあらわれた作品であると思う。
 しかも、コンセプチュアルな色彩が濃い。ここで、古幡は、なにかを「つくる」ということをまったくせず、北海道開拓記念館(事実上、北海道の歴史博物館)から陳列資料を運び入れただけなのだから。
 「文脈」によって、モノの意味が変わってくるという好例だろう。
 この展示で、北海道という土地は、先住民族のアイヌ民族の土地を収奪することによって成立したこと、そして、その収奪は、西洋(おもに米国)のやりかたを基盤としながらも日本古来の要素をまじえておこなわれたこと−などが、あらためて暴露された。そこでは、土着の文化と西洋の文化が混ざり合い、あらたな文化が生まれたのである。
 同様の事態は、19世紀、世界各地でくりひろげられた。日本は、アジアで唯一「収奪する側」にまわったが、北海道(と沖縄)は「収奪される側」であった。北海道が「ポストコロニアルな土地」であるというのは、そういった意味である(ここでは、日本国内の階級格差はいったん捨象している。ただし、貧富の差があったからといって、収奪が免責されるわけでないのはもちろんである)。北海道の歴史は世界史につながっている。
 一見そっけなく見える古幡の展示だが、美術といえども固有の領域にとじこもってばかりおれぬ時代の到来を指し示している。


古幡靖(1963−)。
■04年2月のSNOW PROJECT
■01年
■02年
■03年

■古幡さんが大活躍だった「北の創造者たち展」


 美術という閉域を脱するインスタレーションとしては、高橋俊司「水辺2004.3」もあげておきたい。
 高橋は2000年以降、熱帯魚用の水槽をつかった展示にとりくんでいる。今回は、浄化装置がついた水槽を9つならべ、そのうちのひとつにアカヒレという魚を入れている。
 さらに、4つの水槽を、両側を白いウレタン地で覆っている。おなじウレタン地でつくられたソファも置かれており、腰をおろせば、カフェバーのインテリアを眺めているような気がしないでもない。この一角の暖房が切られていることもてつだって、ひんやりとした空気が周囲をつつむ。
 透明な水槽のなかには、魚と、こまかい気泡があるばかりで、筆者が思い浮かべるような玉砂利や水草のたぐいはいっさいなく、食べ残しのえさや排泄物が水面にうかんでいることもない。奇妙なまでに清潔で、生命がそこにあるような感じがしないのだ。浄化装置の力、おそるべし(もっとも、初日と後半では、水の色が変わってきていたし、聞けばすでに3匹が死んで、屍骸=しがい=はとりのぞいているとのことだったが)。
 このような閉ざされた空間を泳ぎ回る魚たちを見ていると、わたしたちの生きている環境もしょせん、人為的な介入や調節によってなんとか維持されているという実態に思いをいたさずにはおれない。
 また、自由に行動しているつもりのわたしたちも、あるいは透明で限りある空間のなかに閉ざされているのかもしれないと思う。
 非常に隠喩的な作品だ。

 ギャラリートークで作者は
「ウレタンというやわらかい素材、緩衝材を作品に取り入れたのは、こういうものが整備されている世の中というのは、じつは住みづらいのではないかという思いがあったから。車のバンパーは人をはねても車が傷つかないようにという凶器をオブラートで包んでいる。また、昨今話題の鳥インフルエンザにしても、あれは鶏を無菌状態にして抗生物質漬けにしているから、抵抗できずにやられてしまうんですね。でも、そういうコンセプトはコンセプトとして、癒やしになる作品をつくるのもいいかなあ、と思ってクッションをつけたというのもあったかもしれません」
と話していた。



高橋俊司(1958−)。
■03年の個展
□作者のサイト

 道内で風景写真を撮っている人はおおぜいいるが、方法論に自覚的な写真家はほとんどいない。
 その数少ないひとりが酒井広司である。
 酒井は、一貫して、中判カメラ、モノクロームで道内の風景を撮影し、バライタとよばれる印画紙に焼き付けている。
 作品に附せられた数字は、撮影した年月日、時間、撮影地の緯度と経度。これは、撮影地の情報を詳細に明示しているようでありながら、見る者にとっては、すぐに撮影地がわからないに等しい。これは、酒井がレンズを向ける対象が、アノニマス(無名)な風景であることと関係しているように思われる。
 アノニマスな風景。つまり、酒井の撮る風景には、人間や動物、人間のつくったものがまったく写りこまない。摩周湖や大沼などの名勝はなく、アンセル・アダムスばりの雄大さ、崇高さも欠いている。北海道のどこにでもありそうな雪原や山や林の風景。だからといって、もちろん構図的に美しさを欠いているわけではなく、むしろどの写真も、かっちりとした美をたたえている。
 「北海道の風景」ときいてまず連想されるものからほど遠い様相の風景を写しつづけることによって、結果的に酒井は風景写真を「批評」していることになるのだろう。 

 彼がこのようなスタイルの撮影を始めたのが1994年。
 「なにが写るっていうんでもないけれど、何かが写るような気がして。形じゃない何かを撮りたくなったんです。見える形を通して、見えないものがあるんじゃないかという、確信とまではいかないけれど感覚がある。サイレンスがある場所を見つける、あるいは、そこに呼ばれるっていうんでしょうか」
「水平線を中央に入れるというのも、自らに課している条件です。じぶんが判断しないというか、向こうから風景がカメラにおさまってくれるという期待みたいなものがある」


 

酒井広司(1960−)
■北海道・現代写真家たちの眼2001

 出品20人中、もっとも若い1980年生まれのふたりの女性が、具象絵画と人物の彫刻という、「いかにも現代美術」的でないジャンルの作品に取り組んでいるのは、或る意味でおもしろかったりする。
 そして、もはやあたらしい展開がなさそうに見えるそれらのジャンルで、着実に、しかも旧来の延長線上ではない作品を展開していることは、たのもしい。

 ひとりは、彫刻の川上加奈。
 大作3点(うち2点は全道展出品作)と小品4点を展示している。
 人体に変形をほどこし、一種物語的な余韻をただよわせる作風だが、その自由な表現を見ていると逆に、旧来の人物彫刻がいかに不自由であったかを思い知らされる。
 造形的にしっかりしているから、変形がくわえられていても、グロテスクさはない。いわゆるシュルレアリスムとも異なる。
 新作の「絵本の原点」は、女性の後ろが大きく盛り上がっているふしぎな作品だが、これは
「滝がつくりたかった」
のだという。
 なんだかよくわかりませんが(笑い)、独特のたたずまいを見せており、しかも、不自然さを感じさせない。

 小林麻美は変形キャンバスによる具象の油彩。
 今回は、昨年12月の道教大院生展の出品作をふくめ、8点を出品した。
 「対象がもともとの意味や関係性をはなれて、別の文脈で意味を持ってくる−ということに興味がある」
と話す作者は
「比喩のような絵を描きたいと思う」
という。
 出品作のうち、奥の壁面にならんでいる横長の3作「landscape」は、題名に彼女の初期のころの関心が反映されているとみることもできそうだけれど、これは、体のひざやふくらはぎの間から見た部屋の風景なのだという。肉体の曲線がランドスケープに見えてくるというのだ。

 ただ、彼女はギャラリートークでは言わないのだけれど、彼女の絵には、一種の「のぞき見的」なところがあると思う。
 上に画像を載せた作品にしても、女性のスカートの中が見えそうで見えない。
 絵画や彫刻ではこれまで裸婦という対象は、世の中の一般とことなって性的な意味を排除した文脈で存在してきた。しかし、小林の絵は、裸婦ではないのに(あるいは、ないからこそ)、性的な文脈を形成しているように思える。
 以前はアラーキーが好きで影響を受けたという彼女(巨大な花の絵も、その延長線上で理解すべきだったのかもしれない)。
 もうひとり筆者がおもいうかぶのは、エリック・フィッシェルだ。ただ、フィッシェルがわりと客観的に米国の家庭とか社会を見ているのに対し、小林は最近の世代らしく極私的である(小林麻美と久野志乃は、ある意味でフィッシェルつながりだというように感じるのだが、そのことはまたいずれ)。


 

川上加奈(1980−。彫刻。全道展会友)
■03年全道展
■02年全道展
■全道展受賞作家展(03年秋)





















小林麻美(1980−)
■お宝交換プロジェクト(03年7月)
■個展(02年10月)
■菅原朋子との2人展(01年 画像あり)
 このペースでいくと、いつまでたっても終わらないから、あとは簡潔にいきます。
 他の作家のみなさん、ごめんなさい。

 楢原武正の「大地/開墾 2004−3」は、廃物を利用したインスタレーションの大作。
 なにせ、1991年には芸術の森美術館でグループ展に参加しているし、93年には道立帯広美術館を中心とした会場で個展もひらいているのだから、実績はじゅうぶんな作家なのである。
 今回の作品は、基本的に、1月にギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル)で展開したものとおなじである。

 藤本和彦は、コンセプチュアルな立体作品で知られるが、コンセプトがひじょうに明快だった昨年の「北海道立体表現展」にくらべると、今回はいまひとつよくわかりませんでした。すいません。

 現代美術のグループ展では常連の、ベテラン佐々木徹。
 近年も「水脈の肖像」「HIGH TIDE」「アジアプリントアドベンチャー」「Pacific Art Rim」など、とくに海外との交流の絡んだ展覧会では、ひっぱりだこの活躍である。
 今回の「対話する0と1」は、会場が広いこともあって、いつにもましてゴージャスな? インスタレーションになった。
 彼の作品の特徴は、制作するというよりもひたすら既成のイメージを引用し、膨大な数をそろえて並べることにある。
 今回はさらに、その手法にみがきがかかり、とっちらかったというか、極彩色の画像がほとんどなんの法則性もなく、またたいているといった印象だ。
 彼の作品には、明確なメッセージはない。ただ、現代社会に氾濫するイメージがいったん攪拌され、再配置されているというだけである。そのあり方こそが、現代にふさわしいといえるのだろう。
 これはつけたしだけど、画像の処理の仕方などに、道都大のシルクスクリーン作品との共通性を感じた。

 杉田光江は、草月流に属する前衛いけばな作家。
 植物を大量に用いたインスタレーションで生命の深い相を表現している。
 今回はガマの穂を展示空間に敷き詰めた。すごい量だ。

 加藤祐子はファイバーワーク作家。
 廃品など、ふつう利用しない素材をつかって染色作品を展開する。
 今回出品の「薬包虫」というインスタレーションは、小樽の病院跡にアトリエを構えている友人が屋根裏から発見した大量の薬の包装紙をほとんど全部使ったという作品。地中にもぐっていくトンネルのようなフォルムは、アニメ「風の谷のナウシカ」に登場する王蟲(オウム)のイメージだという。
 また、壁にピンでとめた「幟竜」は、コンビニエンスストアの店舗に本部から配布されるのぼりのうち、いらなくなったものを再利用したもの。となりにならぶ「水中花」シリーズも同様で、副題の
「ONIGIRI」
「TANREI」
などは、のぼりの商品名にすぎない。
 たのしい作品ではあるが、
「道路を走っていると日本は幟文化だと思う」
という作者のことばには、造形の面白さにとどまらない視点のおもしろさがうかがえる。

 江川博は「地と図」という作品タイトルのとおりの問題を考え続けている画家。
 かたちの問題を追究しているということでいえば、モダニスムの画家だといえるだろう。現代美術が主流の「札幌の美術」にはめずらしい作家だが、世の中一般では、こちらのほうが多い。
 90年代後半にくらべて札幌では個展をあまり開いていないので、貴重な機会だと思った。

 新明史子は、家族写真を新聞紙にコピーし、本のかたちにまとめた作品をつくり続けている若手。
 ただし、今回は「春寒の町」3点以外はすべて既発表作であった。
 1996年に発表され、多くの人に感銘を与えた「生しく草々」がはやくも劣化の兆しをみせている。これも「時」のもたらしたものかと思うと、作者の意図ではないのかもしれないけれど感慨深い。

 武田亨恵(たかえ)はスケールの大きな工芸作品で知られる。
 今回は、会場の柱を利用して空間そのものの構造を見るものに考えさせる作品で、見ようによっては故・丸山隆の発想法に近いものがあると思う。

 齋藤周は、変形パネルをつなげて、ベネトン製のあかるい絵の具で抽象的なランドスケープをくりひろげている。どこまでも空間がひろがって、つながっていくようなふしぎな感覚がある。
 最近では、フリースペースPRAHA(中央区南15西17)の壁に直接ドローイングした行為が記憶に新しい。
 もっとも個人的には、齋藤さんの絵は、ギャラリーにあるより、カフェとか、ちょっと変わった空間のほうが「らしい」っていう気はする。
 

楢原武正(1942−)
■04年1月の個展
■北海道立体表現展(03年9月)
■祭りフェスタ(03年7月グループ企画展)
■03年2月の個展
■CAIの企画5人展「安堵感」(02年夏)

■楢原武正展 大地/開墾2001-2


藤本和彦(1965−。道展会員)
■北海道立体表現展(03年9月)
■畑俊明との2人展(02年10月)
■リレーション夕張(02年8月)
■地上インスタレーション計画(01年秋、画像アリ)
■北海道立体表現展
(01年秋))
■北の創造者たち展(00年−01年)


佐々木徹(1949−)
■祭りFEST展
■02→03展


杉田光江(1949−
■北海道抽象派作家協会展(03年4月)
■01年2月の個展
■「キャバレーたぴお」展(01年8月)


加藤祐子(1953−
■個展(02年11月)
■ファイバーワーク展(01年5月。画像あり)


江川博(1937−
■個展(02年9月
■さっぽろ美術展(01年3月)


新明史子(1973−
■個展(02年12月)
■THE LIBRARY(02年8月)
■北の創造者たち展(00年−01年)


武田享恵(1968−。工芸、金属。道展会員)
■6人鋳造展(01年12月)
■北海道立体表現展(03年9月)


齋藤周(1968−。道展会友)
■個展「横移動の時間軸」(03年、画像あり)
■個展「細かい情感のイメージ」(03年5月。画像あり)
■個展「NEXT STEP」(02年)
■個展「多面に点在していくこと」(02年)
■道展01年
 書の5人については、来年から出品者の選考の形式が変わりそうだということを察知してか、ほかにくらべると、新鋭よりも中堅からベテランにかけての実力者に重点を置いた布陣になっている。
 ただし、書人口ではもっとも多い、いわゆる漢字の作家がいないのはおもしろい。


阿部和加子(1947−、かな)

辻井京雲(1944−、近代詩文)

樋口雅山房(1941−

三上雅倫(1944−、前衛)

吉田三枝子(1949−、近代詩文)
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