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展覧会の紹介

'03 北海道抽象派作家協会30周年記念展 2003年4月16日(水)〜25日(金)
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
15日(火)〜20日(日)
版画展:スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)

 まさに「30周年」にふさわしい、力作がそろった。
 結成から30年がたったということは、前衛運動としての「抽象」がもはやまったく意味をなさなくなったことでもある。しかし、そのことは、この展覧会のおもしろさととは、なんら矛盾しない。運動の先鋭性とか、進歩史観とか、メーンストリームとか、そのたぐいの観念から自由になってかえって、作品そのものの良し悪しが、ストレートに展覧会の意義に直結するようになっているのだと思う。

 この展覧会の意義をいまひとつ挙げると、推薦作家・千葉有造の「I've waited for a long time」が、飛行船のように会場に浮かんでいることだろう。
 これまで、同人と、推薦作家という組み合わせで、毎年の展覧会が開かれてきたのだが、高齢化が目立ってきた中で、20代の推薦作家というのはおそらく前例がない。千葉は、先日CAIでひらかれたグループ展「UNDER23」のキュレイションを担当するなど人脈的にも世代的にもいわゆる「現代美術」に属する作家であり、彼をえらんだことは、今後の抽象派作家協会の出品者の人選の幅が飛躍的に拡大したことを意味するのではないか。


 同人の作品では、神谷ふじ子「廻」が圧巻。
 以前から、七宝によるマティエールのゆたかさと、金属の重量感の同居した立体の力作に取り組んでいたが、これまでの三角をベースにしたかたちにかわって、今回は直径1メートルの球体である。
 しかも表面にきざまれた曲線は、鮭の卵のようである。筆者には、この球体が、錆びによる「死」の表現と、卵とむすびつく「生」の暗喩とを、同時に兼ね備えているように感じられた。

 三浦恭三(小樽)は清新な抽象画の描き手だが、今回の「循環」と題した4点は、さわやかな中にも一種の余情を感じさせる。ちょうど、小谷博貞の晩年の絵が格調の高さとにぎやかさとを同居させていたように、三浦の絵もたんにスマートなだけではないなにかを感じさせるのだ。
 後藤和司「Stream'03 Four Seasons」は、20センチ角の正方形を16枚つなげた、平面インスタレーション風の作品。それぞれ、赤、黄、青、緑をメーンにした、独立した絵でもある。

 今荘義男(空知管内栗沢町)は、創立以来の同人。近年は、日本的な抽象画を追究しているが、今回の「古里」4点も、その課題をみごとにクリアした味わい深い作品といえる。しぶい茶色や緑色のあわいのなかから、まるで透過光のようにもれ、にじみ出てくるやさしい色合いをみていると、東洋的な深みのなかにすいこまれていくような感じすら受ける。
 もうひとりの創立以来の同人が佐々木美枝子。「作品」とだけ題した抽象画を6点展示している。例年と同様、ピンクや赤を基調として、筆のかすれなどがストレートに出た、いわば“枯れて、色鮮やかなモンドリアン”といえそうな絵が中心だが「作品C」だけは、薄い緑が主になっていて、目を引く。
 方法論的には、服部憲治(苫小牧)は佐々木に共通するものがあるかもしれない。カラーフィールドペインティングというにはあまりにも手の痕跡の見える抽象画である。

 あべくによし(旭川)は、「記憶の箱(風が透き通った日)−Green」と題した大小6点の絵画。マスキングテープを駆使し、透明感ある画面。
 外山欽平(函館)は「F」シリーズから5点。先日、札幌時計台ギャラリーで発表したものの同系列作品を陳列している。
 近宮彦禰(旭川)は、図録には2点掲載されているが、1点しか見かけなかった。シンプルな画面の絵である。
 これまで、インスタレーションなどの多かった林教司(栗沢)は、めずらしく重量感のない平面作品を出品している。たしかに「21Answers」は、縦5.6メートル、横3.3メートルで、巨大なのだが、題の通り21の部分に図柄が分離していることもあり、なにか図鑑を見るときのような、しずかな印象を受ける。

 同人は、1998年に林と神谷が推薦されて以来、顔ぶれに変化がない。
 メンバーの出入りがはなはだ多いこの会としては異例のことだが、年ごとに招待作家が入れ替わっていることもあって、展覧会自体は毎年変化している。

 その招待作家は、金子辰哉(4年ぶり5回目)、山岸誠二(4年連続4回目)、浅野美英子(3年連続3回目)、田村陽子(2年連続2回目)、MAG・まちこ(同)、笹岡素子(同)、横山隆(2年ぶり2回目。新道展会員)、杉田光江(初)、狩野立子(同)、そして冒頭で触れた千葉の10人。
 第1室は、千葉の飛行船のような作品に加え、山岸の長さ25メートルにもおよぶ「やわらかな日」が帯のように天井からつりさがり、にぎやかである。
 以前、彼が話していたように、作品全体に飛び散った絵の具の飛沫ひとつひとつが人間の魂だとするならば、こういう発表形態はふさわしいのだと思う。
 金子の平面「赤と黒の惨劇」もすごい。縦6.4メートル、横8.2メートル。題の通り、赤と黒による抽象画だが、作品サイズと激しいタッチが迫力を生んでいる。斜めに展示しているのも、動感につながっている。
 杉田は、植物の種子(?)をしきつめたインスタレーション。いつもながら、採集の大変さを思う。存在感と、それと裏腹の軽さの同居が、杉田作品のおもしろいところだ。
 笹岡の作品(「無題」)を、たいへん失礼ながらはじめておもしろいと思った。紙をくしゃくしゃにまるめているが、その一部に亀裂が走り、内側から赤などの鮮烈な色がのぞいている。
 田村の「緑の中に」は、幅9メートルにもおよぶ染織のインスタレーション。レインボーカラーのようにゆるやかに色がうつろっていくのだが、色合いがどぎつくないのが良かった。
 ベテラン横山の「灰 きよ1」「灰 きよ2」は、灰色に塗ったダンボールを使った立体作品。都市の廃墟のようにも見える、いつものタイプの作品だ。

 このほか、初期の中心メンバーだった渡辺伊八郎(1990年歿)と小松清(82年歿)の遺作を特陳した。
 これまで通算36人の同人がいるが、退会者が多く、同人のまま死去したのはこのふたりだけである。
 無料で来場者にくばられるパンフレットは、外山の回想録がおもしろく毎年たのしみにしているが、ことしは吉田豪介による協会小史「抽象派30年の起伏を追って」がくわわり、充実している。個人的には、筆者は、川村記念美術館ではロスコよりニューマンのほうに好感を抱いた記憶があるので、ニューヨークに一度行きたいなという感じです。
 それはともかく、「外山欽平」がみな「外山鉄平」と誤植されているのが、ざんねんである。
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