苗穂アンダーパスつれづれ日録の題字

2002年9月後半

 9月前半にもどる   表紙   10月上旬へ

 9月30日(月)
 体調下り坂。吐き気と一緒に咳が出るのはたまらない。

 西友北海道の牛肉偽装の返金さわぎ。けさの道新(北海道新聞)では、話題ふうの書き方だったが、なんだかそれでは済まされないような感じになってきた。
 さいきん、鈴木宗男とか雪印とかエア・ドゥとか、北海道がらみの恥ずかしい事件が多い。
 北海道民は、北海道が日本のお荷物的存在に成り下がっているということをちゃんと認識して、もうすこしまじめに生きなくてはだめだと思う。

 「展覧会の紹介」に、メイプルソープ展を追加しました。


 9月29日(日)
 きのうにつづき、ギャラリー回りはなし。
 プラハのキャンプ展と、毎日書道展にいけなかったのが、心残り。

 「展覧会の紹介」に、「木田金次郎と茂木幹」展、「聖母子と子供たち展」を追加しました。


 9月28日(土)
 多忙につきギャラリー回りはなし。

 椹木野衣著「『爆心地』の芸術」(晶文社)を読了し、藤原帰一著「デモクラシーの帝国」(岩波新書)を読み始めました。
 表題になっている、デモクラシーの帝国とは、もちろんアメリカ合衆国のことです。
 ネグリの「帝国」と、針生さんが言っている本は、正確にはハートという人との共著だそうです。
 そして、米国を「帝国」と定義したのは、彼らの独壇場ではありません。
 冷戦期を特徴付けた「超大国(superpower)」という呼称が時代遅れになってしまった以上、経済決定説を超えて他国に自己の価値観を押し付ける力を有する国を、どう呼ぶかというのは、国際政治学においてはひとつの課題であったようです。

 10月11−13日にキリンビール園で今年も開かれるクラブイベント「&beyond」に、伝説的なテクノDJ、ジェフ・ミルズが来るんですね。
 筆者は、昨年、しみじみと自分のトシを感じてしまったので、たぶんもう行きません。イマムラさんは、行くのかなあ?


 9月27日(金)
 前川アキ個展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 札幌在住の若手画家。
 失礼を承知で言いますと、これまでも良い抽象画を描いていたんですが、今回は個展としての統一感がすごく出ているというか、「これが前川アキ調だ」という感じになっていると思います。
 とくにそれを感じたのが、「Shape of water」など(ちなみに全点、タイトルは英語です)。寒色を中心にまとめた画面に、シャープな線が躍ります。その線は、地の上からうねうねと引いたものではなく、下地に塗った青や灰色などを、細く
塗りのこしたものです。線をとおして、下の層のさまざまな色が透けて見えるのです。しかし、全体としては、いちばん上に塗った白系統の色が卓越し、北方の風土を感じさせる画面になっています。とりわけ、「Shape of water」は、色数が抑えられ、画面に統一感があります。

 武田輝子・斉藤美和子版画二人展=同
 斉藤さんは、ことしの全道展で入賞した、新進の銅版画家。
 「残像」をテーマにしたモノクロームの連作です。
 花びらの拡大写真のようにも、地形図のようにも見えるやわらかなフォルムに、細かい縞模様が走ります。線の微妙な濃淡は、腐蝕を繰り返すことでつくるということです。
 いずれにせよ、有機的なフォルムが、作者のトレードマークになりそうです。
 武田さんは、なにやらフランス語でタイトルがついている、一版多色刷りによる抽象版画です。
「残像」と違い、とてもカラフル。色彩の海のなかに、直線を多用したかたちが浮かんでいます。

 どんぐりの会展=同
 油屋久子、阿部博子、印部静子、大松綾子、中瀬恭子、古川房江の6氏による油彩グループ展。
 代表の油屋さんは奥行き感のある人物画。
 印部さんは「晩秋」「新緑」など、季節の空気感をすばやい筆致でとらえた風景画。
 画面をいちばん構築的に処理しているのが古川さんで、「釧路湿原」のシリーズでは、川などを直線でかこんで単純化しています。

 中森秀一展【三帖合板庵】ギャラリーたぴお(北2西2、道特会館)
 ドイツ製のベニヤ板、というか合板でつくった小さな部屋。なかは畳が敷いてあり、奥には、石を敷き詰めたごく小さな庭のような空間が、壁との間にあります。
 案内状には
「[建築]からは距離をおき、少年の頃夢中になって作ったあの「隠れ小屋」を思いだし」
とありました。もっとも、ベニヤの質感が目立ちすぎて、個人的にはあんまり落ち着けないんだよなー。長くいれば、慣れるのかもしれないけど。
 以上、28日まで。

 浅井憲一作品展・真夜中のサーカス=コンチネンタルギャラリー(南1西11、コンチネンタルビル地下1階)
 浅井憲一作品展の会場風景鉄による彫刻の新作10点と、テーブル1点。
 筆者の印象だと、浅井さんの彫刻って、馬とか竜のなまなましい重量感みたいなものがあったとおもうんだけど、今回は、もっと、生きているものの本質みたいななにかにせまっているようにおもいます。
 まあ、なかには「都会の古沼」のような、カッパにインスパイアされたとおぼしき作品もあるのですが、石と鎖を効果的に使った「走りながら卵」など、全体として、抽象性がたかくなっているようです。 
 「ことしで50歳だし、これまでの自分のなかの枷みたいなものを取っ払って、つくりたいものをつくろうと思ったんです」
と浅井さん。
 写真は「浮遊する諦念」。卵のような部分が効いているとおもいます。
 作品はほかに「21世紀の案山子」「BOX MAN」「時代のチャック」(これは、台の縁に置いてあるのがユニーク)「DILENMA」「思考停止の肖像」「SHADOW TO SHADOW」「モーニングサービス」

 アートスタジオ紅緒展ギャラリー大通美術館(大通西5、大五ビル)
 釧路の上邑紅緒さんとその生徒さんたちの和紙人形展。
 子どもたちの遊び、踊りなどが、パノラマのように繰り広げられています。
 和紙人形は、粘土による和洋の人形のようなリアルさがなく、民芸品のような素朴な味わいなので、人形が苦手な人にも楽しめるとおもいます。
 夫の彫刻家、米坂ヒデノリさん(空知管内栗山町。自由美術会員)の小品も10点余り並び、ちょっとした見ごたえがあります。抽象的な小品「鳥」や、大オーケストラを表現した「頌韻」の一部など。街景のスケッチなどもあります。
 10月20日、米坂さんが釧路で「頌韻(オーケストラができるまで)」と題して講演するそうです。制作秘話なども披露するということです。
 羽生輝さんの小品なども飾ってありました。

 安藤牧子植物画展「石狩花紀行」=さいとうギャラリー(南1西3、ラ・ガレリア5階)
 ボタニカルアートはだれのを見てもおなじに見えるのですが、安藤さんは1枚の紙に、薔薇の仲間とか、紅葉とか、マグノリア(モクレンの仲間)などをひとまとめに描いている作品があり、植物の名前をおぼえるのに役立ちそうです。

 杉沢慎彦(まさひこ)“Fusion”の世界=同
 CGで風景写真の色彩を変調させ、キャンバスに出力した作品。
 ピンク・フロイドの「砂丘」のレコードジャケットみたいな、派手な色調です。

 加藤法子・稲津早苗金属ガラス作りもの展札幌市資料館(大通西13)
 ガラスと金属の小品。置物やアクセサリーがきれいです。
 以上、29日まで。

 「10月のギャラリー・スケジュール」をアップしました。
 きのう書いた「北海道抽象派作家協会」に一部加筆しました。


 9月26日(木
 ’02第二十六回北海道抽象派作家協会秋季展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 春の本展(ことしのようすはこちら)にくらべても遜色のない力作がならんでいます。
 同人は、めずらしくここ数年出入りがありません。あべくによし(旭川)、今荘義男(空知管内栗沢町)、神谷ふじ子、後藤和司、佐々木美枝子(以上札幌)、近宮彦彌(旭川)、外山欽平(函館)、服部憲治(苫小牧)、林教司(栗沢)、三浦恭三(小樽)の各氏、10人です。
 神谷さんは、唯一の立体。七宝と、金属の腐食を効果的に使った、存在感のある作品。
 今荘さんは油彩を2点出しています。うち1点は、下半分に歯車を拡大したようなかたちを、上半分には漢字のような線が躍っています。「海」ってかいてあるんですか、と訊いたら
「いや、とくに何という字を書こうとしたんじゃないんだよ」
というお話でした(が、他の同人の皆さんは「酒だ、酒」とちゃかします)。ここ1、2年の、カリグラフィを応用した作品の延長線上にあるといえるかもしれません。
 佐々木さんの油彩は、薄めの赤を多用した抽象画ですが、2点のうち1点は、それまですこしずつ画面に配していた黄色や緑などの色がほとんどなく、まるで赤い紙を張り付けたような、或る意味でシンプルな作品になっています。
 細い線がおびただしく集積した抽象画を描いていた後藤さんは、「stream'02 W」「stream'02 X」の2点を出品。画風が変わったように見えます。いわゆるカラーフィールドペインティングに近づいたのでしょうか。まだ速断はしないほうがよさそうですが。
 三浦さんも「02ブルーロード1」「同2」「02-無重力地帯」で、青を主体に、軽快さがいっそう際立っています。
 28日まで。 

 毛内やすはる展=this is gallery(南3東1)
 江別の若手作家によるインスタレーション。
 ほおずきのような形、あるいはそれを2つないし5つ重ねたかたちが、おびただしい数で、壁から生えたり、天井から吊り下げられたりしています。
 壁から生えている白いほうは「『あらわれ』のための習作」。吊り下げられたり、床に置いてあるのは「あらわれ」というそうです。たしかに、両者の形は、微妙にちがいます。また「あらわれ」のほうは、黄色っぽい色に着彩されています。
 会場に置いてあった紙片には
「私は自らの造形作品に、地上から解き放たれていくような浮遊感や無重力間を求めている」
とありました。
 28日まで。

 「展覧会の紹介」に、ギャラリー門馬で開催中の「Northern Elements」を追加しました。


 9月25日(水)
 きょうも朝から夜まで仕事。


 9月24日(火)
 午前7時45分に家を出て、午後11時半に帰宅。

 上遠野敏さんから投稿がありましたので、アップしました
 うーん、東京の薫り? がただよってきます。
 上遠野さんのほかにも
「よし、わたしも書いてみよう」
という人がいたら大歓迎いたします。

 そうだ。
 22日に、椹木野衣さんの「2次会」に、上遠野さんの生徒さんが来ていたのだけれど、そのうちのひとりが持っていたパラパラマンガがすごくおもしろかったです。
 パラパラマンガでアートをやってみた人って、いるのかなあ。筆者は知らないけれど。


 9月23日(月)
 きのうのつづき(「針生一郎・椹木野衣トークバトル」。書き出しから読む方は
 おふたりの話を聞いていておもったのは、針生さんの言う「集団的主体性」というのが、「主体」(あるいは近代的自我」でもいいですが)を否定したところから始まっているのに対して、椹木さんは、初めっから「そんなものはない」という地点から出発しているようにおもえることです。まあ、出発点はちがっても、ゴールはわりと似たところのようなのですが。
 戦後の思想家の多くは、「日本の遅れた社会=古い共同体」の克服というテーマを、戦争の敗北によって必然的にかかえこんでいましたから、針生さんの認識はもっともだし、また、アルチュセール、フーコー以後に登場した椹木さんが「人間の死」「主体の死」(バルト的に敷衍すれば「作者の死」)を踏まえて自己の思想を展開しているのもこれまた当然といえるでしょう。
 資本主義的生産様式の普及にともなって、労働者の都市への大移動がおこり、それまでの共同体から切り離された所で生きていかざるを得ない人がたくさん出てきました。そういう歴史から、20世紀前半ぐらいまでは、あたらしい共同体への希求(あるいは復帰)が、知識人にも大衆にも強くあったとおもいます。共産主義は、コミュニズムの訳語ですが、これは直訳すると「共同体主義」です。その意味では、ナチズムすら、共同体復活をもとめる運動の一種です。また、これまでの日本のサラリーマンが、会社に忠誠をちかって働いてきたのも似た性質を持っています。
 しかし、21世紀初頭に生きるわたしたちは、かつてのようには、帰属意識をもとめなくなっているようにおもえます。会社は働く者をリストラの名で切り捨て、宗教の社会的威信が下がり、イデオロギーの輝きがうすれ、家族すら解体に瀕している現在、頼れるものが見当たらないのはたしかなことですが、では代わりになにかを求めているのかと問われると、そういう熱っぽさみたいな感情そのものがうすくなっているのではないでしょうか。主体は、あふれかえる情報の海の中に、断片化し、漂っているようです。それと同時に、わかい世代があれほど携帯電話に固執しているのを見るにつけ、各自の内面が稀薄化する一方で、表層的なつながりをもとめているのではないかという思いがしてなりません(あれっ、意外と凡庸な結論だなあ)。

 それにしても、どうして主体が議論になるかといえば、その原点には
「わたしたちは、あの戦争を阻止できなかった」
という痛恨があるのですね。
 だからこそ、わたしたちは、その後半世紀以上にわたって戦争をせずに済んできているともいえるし、また同時に、あたらしい戦争(日本の「外側」で起きる戦争)を阻止できていないということもできるとおもいます。
 講演会の最後に、針生さんが、先の戦争について
「調べればすぐわかることを調べずに、知らないでいることは罪だ」
という意味のことをおっしゃっていました。
 心にきざみたいことばです。

 さて、2次会に出て、筆者はちかく出る「てんぴょう」13号で、椹木野衣さんのことをすこしばかり批判したので、ご本人を目の前にしてだまっているのもなんだかなーと思い、話をしました。かなり早口で手短だったので、ちゃんと伝わったかどうか心もとないのですが、筆者が言いたかったのはつぎのようなことでした…。

 新刊「『爆心地』の芸術」のなかで、林田嶺一のことを
「いささか遅いデビュー」
と書いている。
 これは、直接的には、昨年のキリンアートアワードで、林田が優秀賞を得たことをさしているのだろう。
 しかし、林田が全道展会員になったのは1982年であり、北海道でのキャリアは長い。“中央”に登場したことをもってデビューというのはどんなものだろう。
 わたしたちは日本にあって「つねに視線の対象であり、見る主体ではない」という事態にいらだっている。美術を、アートワールドにおいて評価するのは、いつも欧米であって、日本自身ではない。これは、一種の「オリエンタリズム」から派生した事態であるだろうし、また「視線の権力性」という表現で言うこともできるだろう。これまで、日本でそれほど評価されていない美術家が、海外のアワード入選などを機に、急に評価が“逆輸入”されるという事態が、たとえば棟方志功のサンパウロビエンナーレ受賞といったかたちで、繰り返されてきている。
(だからといって、筆者=梁井は、日本人は見る目がないなどと単純なことをいいたいのではない。欧米人はアートワールドにおいて別段欧米人であることを強調する作品を出すことを強いられないが、日本人など非西洋人には自国のアイデンティティが露呈した作品を出品することを無意識のうちに強要している。日本人が西洋的な洗練をしめした作品をつくっても、おそらく日本人という理由だけで評価されないだろう。もっとも、反対に、西洋人がつくったら評価されなさそうな甘い作品に対して「禅」などというピント外れな視座を持ち出して称揚するという事態もあるだろうが)
 この構図を、みごとに米国進出を成功させて“評価の逆輸入”という図式をなぞり、日本に凱旋するという実践をもって批評してみせたのが、村上隆であり、あるいは彼の業績のなかでもっともすごいのは、このことかもしれないとおもったりもする。
 林田の“中央登場”をデビューと言ってしまうのは、西洋と日本の間にある構図を、東京と北海道の間で、反覆しているのではないか…。

 これに対する椹木野衣さんの回答は、明快なものでした。
 つまり、デビューというのは、林田さん自身のことばである。たしかに彼が北海道でキャリアを積んでいたのは事実だが、では北海道の人間は、彼をきちんと評価してきたのか……。
 「ぎゃふん」としか言いようがないですね。おっしゃるとおりであります。
 林田さんが、全道展の会員になれたのはふつうの油絵が評価されたためで、いまのようなインスタレーションであれば会員になっていなかったのは確実でしょう。
 それにしても、手のひらをかえしたように林田さんの受賞をよろこぶのだとしたら、タピエが高く評価したから具体美術協会は国際的であるなどと言って一喜一憂している日本人の姿を戯画的になぞることになるように思われ、どうにも気が進みません。
 しかし、作品の評価において、欧米と日本との間にあるような圧倒的な非対称性の図式が、東京と北海道のあいだにもあるのは事実です(札幌と道内他地域のあいだにもあり、これが「デメーテル」の観客動員ののびなやみの遠因になっていることもかんがえられるが、ここではふれない)。これについては、ほっかいどうあーとだいありーは頑張ります! としか言いようがないです。椹木さんを批判したり、あるいは卑屈になったりして、解決する問題でないということだけは、あきらかですから。

 経済の領域で、北海道は、作るものはわるくないがマーケティングが下手だと以前からよく言われてきました。美術もあんがいおなじなのかもしれません。

 この2日間、小難しいことを書いてきました。
 みなさんの反響がたのしみです。


 9月22日(日)
 ロバート・メイプルソープ展を見に、芸術の森美術館(南区芸術の森2)へ。
 連休のため、支笏湖や滝野方面へ行く車がじゅずつなぎで、石山陸橋のあたりから延々渋滞。真駒内駅から40分以上かかりました。
 いずれくわしく書くつもりですが、1989年にエイズのため歿した米国の写真家の作品をまとめて見るにはよい機会です。25日までですので、写真の好きな人で、まだご覧になっていない方はどうぞ。静謐で、シンプルで、その初期から死の影を宿した写真に接することができます。

 筆者は知らなかったのですが、写真に取り組む以前彼は、オブジェやデッサンを制作していたのですね。鏡に、金網を取り付けた作品があって、その前に立ったら、檻の中にはいっている自分の姿がうつりました。自己をそのようなものとして認識していたのか、自分と世界とのかかわり方ってこうだったのか−とおもうと、メイプルソープのいやしがたい深い孤独が感じられるようで、ショックでした。
 (もっとも、この鏡は、恋人をその前に立たせれば、彼あるいは彼女も囚われ人になってしまうわけで、すなわちこれはSMの隠喩でもあるのですが)

 同館の人によると、やはり日本の美術館ではとうてい公開不可能な写真がかなりあるそうです。はげしいSMや、性器がモロに見えるものとか。
 インターネットで世界の映像が見られるいま、そのたぐいの検閲にどれほどの意味があるのかという気もしますが。男性器が勃起している写真を見たい方は、ロバート・メイプルソープ財団の公式HPへ。もちろん、その他の代表作も見られます。
 「展覧会の紹介」はこちら

 帰りはタクシーで真駒内駅まで行き、地下鉄を乗り継いで西18丁目下車、道立近代美術館(中央区北1西17)へ。
 針生一郎/椹木野衣トークバトル「ぶった斬れ!。」を聴くためです。
 なかなか興味深い講演で、ほぼ満員の盛況でした。

 講演の中味に入る前に、ちかくでおこなわれている個展について。
 江川博展ギャラリーどらーる(北4西17 HOTEL DORAL)
 江川さんは札幌の抽象画家。
 1998年に、芸術の森美術館が開いたグループ企画展「北の創造者たち 平面の断章V」に出品したのをはじめ、97年には夕張市美術館の個展など、この前後にずいぶん発表をしていた記憶がありますが、99年の時計台ギャラリーでの個展から新作を見ていないので、久しぶりという印象です。
 90年代末の江川さんは、赤と黒の図形がせめぎあう、シンプルな、そして或る種の迫力にみちた画面をつくっていました。ただし筆者はそれを、評価しつつも、評価を留保するところがありました。というのは、出来上がった作品が山口長男の晩年の絵に似ていたからです。
 もちろん、東洋思想を背景に持つ山口とは、出発点が違い、江川さんの関心は「地と図」「フォルム」というモダニズム的なところにあったと思うのですが、出来上がった結果はなぜかよく似ていたのです。
 3年ぶりに見た江川さんの絵は、かなり変貌していました。
 赤と黒による画面構成という点ではおなじですが(一部に青と黒の2色、赤、黒、ベージュの3色の作品あり)、黒の色斑が5ないし10個ほどに増えているのです。
 無理にいえば、群島の地図とか、乳牛などを連想させないでもないですが、ふたつの色の部分が緊張感をたもちながら同居しているさまは江川さんの絵ならではという気がします。かつての抽象表現主義の絵のような明快さではなく、赤と黒を分かつ輪郭線は微妙にふるえ、この両者ののっぴきならない関係をあらわしているようでもあります。
 30日まで。

 このほか、ギャラリー市田(北1西18)の景井雅之展 ―無言の光―も見ました。21歳による絵の大作数点。

 今回のトークバトルについては、このHPで、開始時刻をずっと「午後1時」と記したままであったことを、まずおわびいたします。
 筆者が、「こいつは劃期的だ」とおもったのは、このふたりの組み合わせです。
 戦後日本の美術のあゆみに真正面からとりくんだ書物というのは、意外なことに、これまで3冊しか出版されていません。
 針生一郎「戦後美術盛衰史」(東京書籍)
 千葉成夫「現代美術逸脱史」(晶文社)
 椹木野衣「日本・現代・美術」(新潮社)
です。
 この3冊の著者のうち、2冊の著者がそろうわけですから、これはめったにない機会というわけです。
 椹木さんは、1962年生まれ。「シミュレーショニズム」(現在はちくま学芸文庫)で、美術評論の世界に登場したときの斬新な印象はわすれられません。
 対する針生さんは1925年生まれ。日本美術評論家連盟会長をつとめ、戦後の美術、文学について発言してきた大ベテランであります。

 前半は、お一人ずつ、自身の立場について語りました。
 椹木さんの「シミュレーショニズム」は、「盗め!」といういささか扇動的なキャッチコピーの躍る帯がついていました。80年代後半にさかんになったハウスミュージックの方法論を美術に敷衍し、引用やサンプリングの意義を強調したこの本の立場は
「現在でもおおむね変わっていない」
ということでした。
 95年にオウム真理教事件が起き、彼は「ジ・オウム」という本の編集にあたりますが、そこでショックを受けたのは、あらゆる事象が等価に結び合う、情報編集的な彼らの方法論が、じぶん(とその世代)に共通しているということの発見でした。
 ここで、筆者(梁井)なりに補足しますと、オウムの世界観というのは、キリスト教、チベット仏教、ヨーガ、宇宙戦艦ヤマトなどのアニメ、ユダヤ陰謀論、ノストラダムスの大予言など、ありとあらゆるもののごった煮なんですね。それらが、固有の文脈や歴史とは切り離され、接ぎ木されている。その無原則性みたいなものは、日本の文化の現状を反映しているともいえるのです。
(以下、文体を、講演速記ふうに変えます。ただし、筆者なりの要約ですので、かならずしも講演者の意図を完璧につたえるものではありません。ご海容のほどを)
 西洋の弁証法的な伝統のなかでは、美術史でも、新しいものは、かならず前のものの否定としてあらわれ、さらにそれが否定され−というふうに、前のものを踏まえて登場する。しかし、日本においては、おなじような問いがたてられ、そしてわすれられていく。発展、進化のない、忘却の反覆。いま「美術手帖」に連載している「戦争と万博」もそのようなスタンスで書いています。(補足。「日本・現代・美術」では、堀浩哉ら「美共闘」の問いがその後忘却された経緯などにふれています)
 第三。書きながら、発見、学習、成長していく中で、アーティストとの共同作業、共闘がある。その場その場の、じぶんにとっての批評的課題を解決していくための共同作業だ。いっしょにやってきたアーティストとして飴屋法水、ヤノベケンジらがいるが、そのなかで重要なのが村上隆である。
 彼は言う。「日本には現代美術が存在する必然性がほとんどない」
 彼は海外に出て、成功した。クリスティーズで彼の作品が高値で落札されたのは記憶にあたらしい。しかし、海外には海外の問題がある。美術が投資の対象となり、作風を変えることにたいする市場のプレッシャーも強い。しかし、日本にはそれ以前に、現代美術の市場がない。
 そこで、あらたなシステムをつくらなければならないというので彼がはじめたのが、先ごろ、東京の有明で2回目が開かれた「GEI-SAI」だ。
 近年の日本にも「NICAF」というアートフェアがあった。最初は有名な画廊がたくさん参加していましたが、日本では作品がほとんど売れないので、だんだん規模が縮小していき、中止になる。いまはまた再開したようだが。また、90年代に入って、国際現代アート展が世界的に増えてきた。ヴェネツィアやドクメンタなど歴史のふるいものにくわえ、光州、上海、台北などアジアでもさかんになり、昨年は横浜でもひらかれた。とはいえ、外国でやっているものを同じ形で日本にもってくることにどれだけの意味があるのか。そこで、GEI-SAIは、いまのアーティストやキュレーターによるアートワールドではない形でのシステムをつくろうとしているのだ。コンペティションもあり、作品も販売する。村上のネットワークをつかって、米国にも売り出す。作品的には、国際展のような知的なものはすくなく、Tシャツの販売だったり、イラストだったりするわけだし、また、村上は読売アンデパンダンのようなものが頭にあったようですが、じっさいは彼がブースの掃除を命令したりして、かならずしも自由な場にはなっていないかもしれない。そういう問題はあるのかもしれないが、いま(日本人が)現代美術の世界でやっていこうとすれば、各国のアーティスト・イン・レジデンスを渡り歩きながら、キュレーターらがかたちづくるアートワールドの階段をのぼりつめていくというやり方しかない。しかも、そのアートワールドは、グローバル化と密接にむすびついているから、昨年の「9・11」テロ以後はその基礎が揺らぎ始めている。そうではない売り出し方を模索する村上の活動は、なお継続的に見ていく必要があるのではないか。
 最後に、ヘンリー・J・ダーガー(1892−1973)などの作品に、あたらしいアートの可能性があるのではないかということについて。
 彼は、80すぎで独身で死ぬまで、狭い自室で、少女たちと大人たちの長い戦争の膨大な物語、挿絵をかき、死後発見された。死者の統計や、天気図までが遺されている。(紹介のビデオをここで上映)
 ほかにも、フランスの田舎に数十年かかって奇怪な城をこしらえた郵便配達夫のシュヴァル、サンフランシスコの空き地にやはり何年もかけて建てられた「ワッツタワー」など。北海道では、昭和新山の記録で有名な三松正夫がいるが、彼は火山の爆発を描いた南画ふうの絵もたくさんのこしている。手塚治虫も彼のファンだったようだ。昭和新山の麓に三松正夫記念館があるので、機会があればぜひ見てほしい。
 彼らの活動を「アール・ブリュ」「アウトサイダーアート」としてして定式化するのではなくて、美術史の進歩史観の外側にありながらものづくりの根源にせまった者としてとらえ、彼らを星座のようにつなげて歴史に斜線を引くことで、あたらしい可能性がひらかれてくるのではないかとおもう。

 つぎは、針生さんの話。
 わたしの批評家としての立場は、2000年に光州ビエンナーレの「芸術と人権」部門のコミッショナーをした際、カタログに書いたものがそれを集約しているので、それをもとに話す。
 保田與重郎の日本浪漫派に傾倒していたわたしが戦後は左翼になったことについては、一貫しているという見方もあるが、ふつうに見て転向であることはたしかだ。
 戦中は「滅私奉公」ということがやかましく言われた。戦後になって、民衆の自己規律としてのパブリック(公)の確立を図らなければならないとおもい、文学も批評してきた。いまは「新日本文学」の代表世話人もやっているし、自分でジャンルを限定したおぼえはないのだ。
 大資本や企業による商品価値が、作品の創造的価値を圧倒してきたのが戦後だった。(坂口安吾の「堕落論」についての話は省略)
 資本や企業は、私的な欲望に焦点を当ててマーケティングをする。私利私欲→大量生産→大量消費というサイクルの中の部分品に、日本人はすっかりはめこまれてしまった。
 わたしは丙種合格だったので軍隊には入らずに済んだが、戦後、近代的自我・主体性の確立がいわれても、あの戦争、軍隊という極限状態は形を変えてつづくのではないかというおもいは消えず、西洋のヒューマニズムがそのまま日本で成立はしないのではないかと感じていた。
 そこで出会ったのが、河原温「浴室」だ。1953年の「ニッポン展」で見たのだが、狭い浴室で手足や胴体がばらばらになった妊婦や人間を描いた絵を見て、「これだ!」とおもった。これが人間の現状を描いている、と。
 また、岡本太郎の影響もあった。彼は61年に二科展をやめたとき「芸術運動はつまらない。これからはひとりでやる」と言って、それからは、テレビに出て、文章を書き、坐れない椅子なんてのも作り、あの太陽の塔まで行き着く。
 彼が私に言ったことがあった。
「なんで鶴岡政男や麻生三郎を認めるんだ。彼らは自然主義だ。岡本太郎がいいなら岡本太郎一辺倒でいかなくちゃいけない」
 画壇に妥協しているといいたいらしい。こちらはそんなつもりはなく、ああいう絵も認めなくてはいけないと思っていたが、岡本にはわたしが「落穂拾い」をしているように見えたようだ。彼は、自分がアウトサイダーのつもりでいたが、70年代になってNHKの「10代の時間」に、わたしといっしょに出演したとき、高校生に「権威に反抗しろ」などと説くのだが、アウトサイダーだとおもわれてはおらず、反対に「どうしたら岡本さんのようにテレビに出るような有名人になれるのか」みたいなことを聞かれ、
「いまの高校生はオレより保守的だな」
とおどろいていた。権威に反抗してきたはずがあらたな権威になってしまったのだ。
 ともあれ、もし主体性があるとすれば、ぼろぼろになった人間の寄せ集めとしてしか、ありえないのではないか。
 野間宏の「暗い絵」は、日中戦争の時代に京大で人民戦線の運動に携わっていた主人公の述懐の部分がよく引用されて、宮本百合子はそのあたりを、ブルジョアのエゴの解析として重要だなどと評価するのだが、あの小説で肝心なのはそこではなく、冒頭の延々とつづくブリューゲルの絵の描写なのだ。そして、スペイン王制の圧迫下で、まるで畸形、不具のように描かれた農民たちが、なお集団として抵抗の力をうしなっていないというところなのだ。そこに、集団的主体性への模索があったのだ。
 (ドゥルーズ=ガダリの「カフカ論」、花田清輝が国立国会図書館に通ってカフカの英訳を読み、ガリ版で翻訳を出したこと、58年の「文学界」のおなじ号に江藤淳、橋川文三とともに評論を書き、平野謙による岡田嘉子批判に反論したこと、その後の江藤淳の転向などについての話、齋藤義重の追悼シンポジウムにおいて彼を「自我のない人」と評価したことなどは省略)
 主体=自分を捨てなくてはならない、ということがある。戦後日本の美術のつまらないところは、みんな「オレが、オレが」でやりたいことをやること。こんなおめでたい考え、だめだと思う。
 万博には当時の前衛芸術家たちがみんな絡めとられていってしまった。わたしは反「万博」の元締めみたいな存在だったが。菊畑茂久馬が書いた「フジタよ眠れ」のなかに、こういうくだりがある。自分たちは、芸術家というより、幕末の傘貼り浪人みたいなものだ、と。いざというときは「お家の大事」で召抱えられるが、身分の不安定さには変わらない。(梁井補足:戦争に芸術家たちが“応召”されていった図式が、万博で繰り返されたことについては、椹木さんの連載「戦争と万博」でも指摘されています)
 その後、多摩美大の齋藤義重教室の李禹煥が「もの派」を組織して、「出会い」を掲げて、東洋美学の再評価をやった。しかし、あれだと、生け花や茶の湯への抵抗がなくなってしまっている。アートが、人工であり、フィクション性のあるものだということが無視されている。
 ともあれ、「もの派」は、戦後陸続と出現した「反芸術」の潮流の最後に位置し、しかもそれらを白紙還元する作用をしたわけだ。それ以上に、国際的にミニマルアートが出てきたことが、それまでの前衛芸術の概念を崩壊させた。そこでわたしは冬眠を宣言して、それがいまにつづいている感はある。
 その後、エリクソンのアイデンティティということばが一種のブームになっているが、他者との関係を断ち切ってアイデンティティを探しているのだから、主体性確立よりももっと不毛だ。鶴見俊輔は、異質のものをじぶんのなかでどのように統合するかがたいせつなのに日本のアイデンティティ(の概念)は閉鎖的すぎる−という意味のことを書いているが、同感だ。
 昨年の同時テロとアフガン戦争で、市場経済のグローバリゼーションが、米国の軍事戦略と表裏一体であることがあきらかになった。それを踏まえて、「批評空間」での座談会で紹介されているのを読んだのだが、イタリアのアウトノミア運動の指導者で思想家のアントニオ・ネグリが書いた「帝国」のこと。それによると、米国は史上初の世界帝国として成立した、と。(梁井補足:「帝国」はちかく邦訳が出るはずです)
 つまりブッシュから見ると、アフガンなどは「内乱」なのであり、戦争というより内乱の鎮圧なんだな、とわかった。
 もうひとつは、ネグリはスピノザに拠って、民衆が国民国家の枠を超えてネットワークを探して求めるようになっていると言っている。そういう新しい組織論、変革の中心に、芸術家がいていいはずだとわたしはおもう。「オレがオレが」ではなく、他者のために戦略をたてるような芸術家だ。

 ここまで読んだ方はお疲れさまです。
 とりあえず、いったんアップします。続きは


 9月21日(土)
 屋中秋谷「栗より出でし十三の月」=ギャラリー紀(中央区南5西24)
 屋中さんは札幌在住の木彫作家。
 10年ほど前に、胆振管内大滝村で買った栗の丸太を、今回の個展を開くにあたって斧のような道具で解屋中秋谷展の会場風景体し、オブジェにしたということです。
 木が割れるにまかせた、ということで、大きさもばらばら。題はとくに決めていませんが、おとずれた人が、感じたままの題を書いた名刺大の紙が、作品の周りにちらばっています。
 「屋中さんがむりにこしらえたんじゃなくて、木のなかにもともとあったかたちをほりあてたみたいですね」
と言うと
「いやー、そういってくれるとうれしいなあ」
と話していました。
 もちろん、丸太、あるいは木片そのままではないのですが、いずれもかたちがとても自然で、作為がなく、ノミ跡も最小限です。
 そのうち何点かは、球体にちかいフォルムと、それが入っていたくぼみのあるかたち、というふうに、対になっています。
 自然界の陰と陽みたいなことを考えさせられました。
 なお、色調や木目の異なるちいさな木片をつなぎ合わせてうつくしい模様が見える木のボタンなども、鑑賞、購入することができます。
 24日まで。

 高橋シュウ展カフェ・ルネ(南4西22)
 埼玉生まれ、北大卒の銅版画家。
 古い西洋の本のような、なつかしい風合いを持った作風です。なんでも、着物の型染を応用した独自の技法ということですが、くわしいことはわかりません。
 筆者は特に、入口に飾ってあった「リュート」がすきです。
 下のほうに楽譜がおり、上には古楽器を奏でる天使がいます。ピエロ・デロ・フランチェスカなどを思わせるふるめかしさが魅力です。
 「アルル」など、手漉きの和紙に刷った版画は、なんともいえぬ味わいがあります。
 このほか、立体の小品が2点ありました。
 30日まで。

 生野(Kino)展=ギャラリーミヤシタ(南5西20)
 旭川の伊藤生野さんの個展。
 生野、というのは、本名だそうです。
 野焼きによる陶のオブジェ大小60個あまりを配置したインスタレーションです。
 植物の種やコーヒー豆も床にばらまいています。陶は、焦げあとも生々しく、ワイルドな感じがします。
 10月6日まで。

 ほかに、オリジナル画廊の佐藤美雪裸婦作品展を見ました。


 9月20日(金)
 なんだか、テンションがひくい。
 ギャラリーを回っていてもぼあーっとしていて、イメージがこっちにこない感じ。
 きょう見た人にはごめんなさいです。
 でも、つぎのを見ている間は、ちょっと目が覚めた。 

 内藤律子写真展 サラブレッド燦燦=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)
 5月に富士フォトサロン札幌で同題の個展を開いたばかりですが、そこはプロ。30点余りのすっかり作品を入れ替えての登場です。それでも、水準がまったくおちていないのはさすが。
 霧、雪、青空、紅葉など、さまざまな四季の自然をうまく取り入れているのにくわえ、逆光をたくみに用いているのが内藤さんの特徴だとおもいます。馬のつやつやした毛並みは、なんとなく順光で撮っていては表現できませんものね。
 22日まで。

 このほか、同ギャラリーの西田陽子個展、アートスペース201(南2西1、山口中央ビル)のコスモス陶芸教室作陶展、 日曜パステル画展、パステルアングループ展、ギャラリーたぴお(北2西2、道特会館)の藍山窯作品展、大同ギャラリー(北3西3、大同生命ビル3階)の佐藤弘延の世界展、山崎賢六郎水彩画展、ギャラリーストロベリーの写真展などを見ました。

 あすからの3日間で、11もの展覧会が終了します。
 いよいよ北海道も美術のハイシーズンが終わり、冬支度の季節ですねえ。さびしいなあ。


 9月19日(木)
 訃報です。
 北見在住の薯版版画家、香川軍男さんが亡くなりました。
 87歳でした。
 北見では、福村書店のブックカバーや、清月の菓子の包み紙などで知られています。

 ここにこんなこと書いていいのかなあ…。
 と言いつつ書きます。
 香川さんの追悼文を道新に書くことになりました。
 筆者は、香川さんに一度もお会いしたことがないので
「だれが書いてもおなじです」
と辞退して、それより丸山隆さんのを書かせてくれとたのんだのですが、そうはいきませんでした。
 というわけで、どなたか香川さんのエピソードなどをご存知の方はメールをください。おねがいいたします。

 2002 新女性展 菊地先生を偲ぶ会=コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階)
 昨年7月に亡くなった札幌の画家で、戦後の前衛絵画の第一線で活躍してきた菊地又男さん(新道展創立会員)は、新人の女性画家をあつめたグループ展のプロデュースも毎年おこなっていました。
 今回のグループ展は、そこで作品を発表していた女性たちの絵画展です。ただし、会場の制約もあってか、30号以下の作品が大半です。
 出品者は、上田和子(江別)、北村葉子(札幌)、宮口洋枝(同)、宮下久子(同)、岩佐淑子(石狩)、椿谷れい子(江別)、伊吹佳江(千歳)、鈴木涼子(札幌)、時川旬子(同)、渋谷美智子(同)、木下幾子(同)、清水アヤ子(同)の12氏。
 と、案内状にはありましたが、なんだかちがうみたいだぞ。
 和島みわ子さんの「作品」があったもんなあ。
 これはなかなか深みのある抽象画でした。
 鈴木さんはレントゲン写真を使った、ボックスアートのような作品で、タブローがならぶなかで異彩を放っています。
 また、菊地さんの遺作「春かぜ」「作品」が展示されていました。いずれも生前よく手がけていたコラージュではありません。前者は、赤の絵の具の飛沫がオタマジャクシのように見える清冽な抽象画です。
 22日まで。

 KEIKO MIYATA IN & OUT EXHIBITION=SOSO CAFE(南1西13、三誠ビル)
 首都圏在住のぬいぐるみ作家ミヤタケイコさん、道内初の個展。
 高さ3メートルはありそうな巨大なぬいぐるみ2体が、カフェの空間をでーんと占領しているほか(地下鉄じゃないけど、どうやって搬入したんだ!?)、家のオブジェみたいのが壁にたくさん貼り付けてあります。
 ただ単にポップだとか、かわいいとかではくくりきれない不気味さをどこかにただよわせているようです。
 BGMも、この展覧会のために造られたものです。
 SOSO CAFEは、オンラインマガジン「SHIFT」のプロデュースするお店なので、ウエブ上でインタビューを読むことができます。
 21日まで。
 CAFEは、電車通り沿いにある、赤茶色の古いビルの1階です。

 PRAHAの大橋くんからメールで、10月12−14日におこなわれる「VISION-RESET」-アヴァンギャルド映画の原点とフィルム媒体から-の上映作品がきまったと連絡がありました。
 ラインアップをここに写します。
 
●12日午後5時
 バイキング・エゲリング「対角線交響曲」16mm,7min.1914
 マン・レイ「理性にかえる」16mm,4min.1923
 マン・レイ「ひとで」16mm,15min.1928
 ワルター・ルットマン「作品II, III, IV」16mm,10min.1923-25
 マルセル・デュシャン「アネミック・シネマ」16mm,7min.1925
 フェルナンド・レジェ「バレー・メカニック」16mm,14min.1924
 オスカー・フィシンガー「習作No.6,7,8,11」16mm,13min.1930-32
●12日同8時
 宮崎淳「TIMESCAPE」16mm,16min.2001
 太田曜「RELATIVE TIME-TABLE 200」16mm,7min. 2001
 狩野志歩「揺れる椅子」16mm,13min.2000
 石田尚志「部屋/形態」16mm,7min.1999
 末岡一郎「アジス・シャカール職探し」16mm,15min.1999
 三宅流「蝕旋律」16mm,30min.1998

●13日(日)
 C:「フィルム・アンデパンダンと日本の実験映画運動の始め」17:00
http://wuemme.hoops.ne.jp/Event_doc/kino_balazs_Taka_doc.htm
   8ミリフィルム・パフォーマンス+レクチャー:飯村隆彦
 フィルム・アンデパンダン「ぼく自身のためのC.M」(公募2分作品集)
(1964年12月16日に新宿紀伊国屋ホールにて上映)
 ドナルド・リチー/人生
 メリー・エヴァンズ/ごみ
 赤瀬川原平/HOMOLOGY
 桜林宏/事件
 刃根康尚/2880K=120"
 岡美行/凄言- そうごん
 飯村隆彦/うらとおもて
 風倉匠/無題
 小池竜/トリマルキオの饗宴
 鈴木利明/流れる
 飯村隆彦/My Documentary
 小池竜/RINNE
 平田穂生/カトラン- 四行詩-の研究
 大林宣彦/complexe-悲しい饒舌 (トレーラー)
 富田勝弘(無題)
 参考上映+8ミリフィルム・パフォーマンス: 
 飯村隆彦「視姦について」(1962年)16ミリ中西夏之共作
 8ミリフィルム・パフォーマンス「くず」(1962年)
 
 アーティスト・トーク
 D:「日本の実験映画運動の始めと現在」19:00-20:15
   ゲスト:飯村隆彦/伊藤隆介/末岡一郎
 
 E:「フィルムとイマージュ」 Support/Surfaces du Film」20:30-
http://wuemme.hoops.ne.jp/Event_doc/supports_surfaces_du_Film.htm
   レクチャー:末岡一郎
 吉永晋吾 「The Infection Route No.2」 16mm, color, 10mins 2001
 松山由維子「FIELD」 2000, S-8mm, 6min, silent, colour
 鈴木卓也 「COLORED HEARING」16mm, colour, sound, 4mins 2002
 手嶋渉 「発生フィルム」 6min S-8mm 18fps silent, color
 原田剛 「ブルーフィルム (BLAUFILM) 」16mm, color, silent, 10mins 2001
 伊藤隆介「版#13,#14,#12,#10」16mm, color, 7mins 2001
 末岡一郎 「スプロッケト・ホールやエッジ・レターはでないが、ゴミは出る映画」 16mm, color, 5mins 2002
 能登勝 「A+B」「C+D」「E+A」」16mm, color, silent, 13min.18sec.  


 9月18日(水)
 水戸麻記子絵画展 MITORAMA X=扇谷記念スタジオZOO(中央区南11西1、ファミール中島公園地下)
 うーむ。いったいどうやって書けばいいのだ。こまったぞ。
 えー、水戸さんは札幌の若手の画家で、自分の個展を「MITORAMA」と称しており、これで10回目。2年ぶりということで、会場には30点余りの新作(うち1点は、1月の2人展で発表済み)が並んでいます。
 絵の内容なのですが、奇妙キテレツです(これはほめ言葉)。個性豊かというか、幻想的だけどいわゆる「シュール」とはちょっとちがうというか、ちょっとマンガチックというか。
 わりと多いのが、頭部がリンゴ型をしてる男性が主人公の絵です。今はなき飲み屋「海獣カフェ」で和んでたり、4人でプロレスやってたり、壊れちゃったトマト(ガールフレンドか?)を前に嘆いてたり、白馬にまた水戸麻記子の作品がってたり、なかなかの活躍です。
 ほかに、太陽の代わりに裸婦がうずくまっていてそこから羊たちがわんさか発射してくるとか、ギャラリーで絵や彫刻を見てたらわさわさと蛇の大群が寄ってくるとか(これは水戸さんの実際に見た夢らしい)、えーい、文章で書くのもめんどうなので、みなさん、見に行きましょう。「なんじゃこれ」と思うでしょう。
 そうだ。題がないんだ。
 「いやー、絵がくどいから、題までつけるとちょっとなー、って思いまして」
と作者。
 いちばん大きいのは、右の写真の絵。
 金色に輝く象に乗っているのは、ごぞんじ、ピエロの扮装でモデルを務めるかたわらフリーペーパーを逝去の直前まで精力的に発行し続けた43Zこと清水一郎さん、手前にいるヒゲのあやしいおじさんは清水さんを撮影しつづけことし1月に急逝した熊谷重俊さんです。
 合掌。

 23日まで。
 スタジオZOOは、中島公園駅から徒歩5分。中島公園の東側の通りに面しています。
 ファミール中島公園という高層住宅の地下にありますが、入口は、住宅とは別です。
 北の端に、専用の階段があるので、まちがわないとは思うんですけど(1階のコンビニより駅から見て手前)。
 なお、さっぽろ東急、市民会館、旧ビッグオフ長崎屋の前を1時間に2本走る中央バス「西岡平岸線」で「中島公園入口」でおりるのも、渋いです。


 9月17日(火)
 日朝首脳会談。

 きょうはかなり長文です。

 西岡3の12→中央バス西岡平岸線→幌平橋→市営バス山鼻環状線→南17西16で下車
 Tatiana Echeverri Fernandez Solo Show 「Trophy」Free Space PRAHA(中央区南15西17)
 ドイツ在住の女性作家、タチアナ・フェルナンデスの個展。
 1974年コスタリカ生まれ、1986年にドイツに移住し、芸術学校に進学。カッセル、デュッセルドルフ、ハンブルグを中心に活動してきたそうです。
 作品は、トロフィーの写真が何枚か壁に貼られ、その前に、石膏の立体が置いてある―というものでした。
 写真のほうは、スポーツの業績をたたえるものです。石膏のほうは、そういう健全な肉体が崩れてしまった姿、と見えなくもありません。
 18日まで。

 ところで、7、8月に、札幌アーティスト・イン・レジデンスのまねきで滞在したロイ・スターブさんのインスタレーションが、Free Space PRAHAの庭にまだのこっているんですよ。
 イタドリって、なかなか耐久性がありますね。

 徒歩でギャラリー門馬(旭ヶ丘2)へ。
 Northern Elements Part2
 丸山隆さんの遺作が展示されていました。
 くわしいことは後日書きますが、坂巻正美さんの新作がおもしろかった。
 10月4日まで。無休なので、門馬よ宇子さんは「籠の鳥」です。

 ギャラリー門馬ANEXでは、信楽・作・陶・展 水谷健悟
 若い作家ですが、皿、茶碗など、信楽らしい景色のある作品でした。
 17日で終了。

 雨の中を歩くのがイヤだなあ、とおもっていたら、ここでアートスペース201(南2西1、山口中央ビル)のakaさんに遭遇!
 「わーい、ラッキー」
とばかりに、乗せてもらいました。
 akaさんの車はアメ車で、巨大です。幅は2メートル以上あるそうです。容積だけならたぶん筆者の車の倍はあるのではないでしょうか。大型テレビを積み込みたくなる気持ちも理解できます。

 高幹雄展「椿」Gallery・Cafe marble(界川2の5の6)
 高さんは、こないだのRISING SUN ROCK FESTIVAL 2002 in EZOライブペインティングをやっていた若手画家です。
 今回は、椿や桜など、花をモティーフにした絵画です。ただし、写真の表面に彩色したり、おなじイメージを反覆したものを1枚のキャンバスにあらわしたり、ふつうの静物画とはいささかことなります。なんだかすごく長いタイトルの作品もありました。
 28日まで。
 はじめて行ったmarbleというお店は、建築雑誌にでも出てきそうな、おしゃれな店でした。
 門間さんのところからだとあるいて15分はかかりそう。市バスだと、円山公園駅から「旭山公園」行きに乗り、「界川2丁目」で下りて、左側の枝道をずっと上っていき、「誠寿司」の角を左折して突き当たりの手前です。

 チョーク・ビアー展覧会 TRIP TO BANG BANG CITYCAI(北1西28)
 審査の時は、ちょっと人を食ったような映像作品だったのですが、今回はけっこう大がかりなインスタレーションでした。
 くぐり戸みたいなのを通って中に入ると、拡声器をふたつ備えた見張り塔があり、頭から袋をかぶった人形が立ち、戦車の模型がおかれ、枕が土嚢のように積んであります。
 枕には「兵器反対」などの言葉が印刷されていますから、これはおそらく、戦争反対の意思表示だと筆者はニラミました。それも、けっこうポップな。
 26日まで。

 ここでakaさんと分かれて、徒歩2分。
 むろらん高砂窯 毛利勝靖作陶展=ギャラリー愛海詩(えみし=北1西28)
 作品は、織部が中心。緑の釉薬のたまりがきれいです。
 竹取物語や枕草子の冒頭の言葉が書かれた4枚組みの鉢も、たのしいですね。
 23日まで。

 徒歩7、8分。
 ROGER ACKLING SOLO EXHIBITION  3WORKS-3WALLS-3WEEKS=テンポラリースペース(北4西27)
 ロジャー・アックリングさんは英国を代表するアーティストのひとり。来日も数多いですが、北海道での展覧会ははじめてのようです。
 ことし4月7日に来札。8日から13日まで、石狩管内厚田村望来に滞在して、もっぱら無煙浜という海岸で作品づくりにたずさわったそうです。
 そのときの作品3点が展示作品だとおもわれます。
 彼の制作とは、拾った木などに虫眼鏡を当て、太陽の光で焼いて模様を付けていく−というもの。小さな木片でも、規則正しく縞模様をつけていくので、かなり時間がかかるのでしょう。
 一見、なんということはないちいさな木片ですが、宇宙の作用がはたらいているのかとおもうと、なにか悠々たるきもちになってきます。
 それにしても、このテンポラリースペースという会場は、どこか「旅」とか「漂泊」を想起させる現代美術の展覧が多いような気がします。
 ロジャーさんも、札幌での講演で話していました。人生は、旅だ、と。
 さいきんは、美術の分野で、こういう哲学的な言説を聞くことがすくなくなっているのではないか、という思いがしてなりません(数日来、宇佐見英治さんの本を読んでいるせいかもしれませんが)。
 21日まで。

 地下鉄西28丁目駅→バスセンター駅
 北の日輝展札幌市民ギャラリー(南2東6)
 具象系のプロ画家を中心に、水墨画、陶芸と彫刻が少々。
 早川季良さんの黒々とした石炭画もあります。
 星野常隆さん「小樽天狗山から」は、水彩ですが、厚みのある丁寧な描写で、心を和ませます。
 柳谷多賀子さん「流風の詩」は陶のオブジェ。寸胴のかたちがおもしろい。
 19日まで。

 徒歩5分。
 馬場由知子作陶展=レンガ館ギャラリー梅鳳堂(北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館2階)
 旭川出身で、益子で修業した人。
 織部を中心に、赤絵、粉引の器など。織部のグリーンは、派手さがなく、きれいです。
 23日まで。

 ファクトリー前→市営バスファクトリー線→北大通西4丁目下車
 矢崎勝美展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 モノタイプのシルクスクリーン「COSMOS」シリーズ。33点。
 今回は、エアブラシで模様を描いたあとに、マーブリング(絵の具を溶いた水に紙を浮かべて渦巻き模様をつける)をほどこして、水のイメージと、宇宙空間のイメージを重ね合わせています。
 エアブラシの模様も、流れ星のような線や、ドーナツ型もくわわって、多様になっていますし、地の色も、赤や青だけでなくオレンジなどもくわわって、作品はバラエティーになってきています。
 これまで作品集を2冊だしている矢崎さんですが
「65歳になったら3冊目を出す。75歳で5冊目をだしておわりにするよ。それまでは生きてるだろう」
と話していました。

 渡辺美智子個展=同
 油彩など。赤など原色をぶちまけた、かなり派手な画面。

 北島裕子作品展=同風景
 抽象画の個展。
 「風をひらく」「森へのトビラ」「四角い太陽」などと名付けられた作品は、さまざまな色の大小の矩形がならび、さながら北海道の畑作地帯の航空写真のようです。
 ただ、色の微妙な重なり具合、にじみ具合などは、やっぱり油彩のよさだなあ、とおもってしまいます。
 千歳在住。

 POMパステル画展、ほおずき会展=同
 どちらも、札幌在住の美術作家中橋修さんの教室展。
 人物、静物、風景、抽象、なんでもありです。
 志田久美子さん「花のある窓辺」は描写力があります。
 高橋ハルミさん「椅子だって踊りたい」は、ほんとうにたのしい絵。
 山崎由美子さん「freeze」も、卓上の水差しやレモンがはずんでいるユニークな静物画です。
 佐久間圭子さん「卓上のベコニアの花」は、暗いバックが、長谷川潔の銅版画を思わせます。

 以上、21日まで。
 そして、会社に行きました。


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