展覧会の紹介

Northern Elements 2002年8月10日−9月5日 Part 1
2002年9月11日−10月4日 Part 2
ギャラリー門馬(札幌市中央区旭ヶ丘2)

 近年、現代美術の領域で、活溌な制作活動を繰り広げている門馬よ宇子さんが、こんどは、札幌の高級住宅地、旭ヶ丘にある自宅を「ギャラリー門馬」と銘打ってひろく展ギャラリー門馬の外観覧会に供することになった。
 改装した部分は「ギャラリー門馬アネックス」と名付けて貸しギャラリーに、もともとの自宅部分は年3回ほどの企画展を開くギャラリーにする意向という。
 もともと自宅部分は、これまでも「スペースM」と称して、自作の個展を開いたりしたことはある。しかし、こんどは「ギャラリー」をうたっているだけに、覚悟がちがう。壁はすべて白く塗られ、作品なのかそうでないのかまぎらわしい調度類や置物は取り払われて、画廊空間らしさを増している。
 今回の会期中は、ご本人はほとんど会場に詰めっぱなし。
 もともと自宅とはいえ、好奇心旺盛に市内のギャラリーを見て回っている彼女にとっては「籠の鳥」状態なのだが、それだけにいっそう、このギャラリーに対する本気の思いがつたわってくるのである。 

 最初の企画展は、札幌の地で現代美術のプロデュースや学校に力を入れてきたCAI(現代芸術研究所)のトラスト・C・ハワードさんにキュレーションを依頼。彼は、前半、後半各8人、計16人を選定した。
 いずれも札幌・小樽を中心に活躍中の作家。年齢は、20代から明治生まれまで幅が広い。
 これですべて、とは言わないが、道内で「前衛」的な活動をになってきた作家のうち、かなりの部分が網羅されているといっていいだろうとおもう。

 前半。
 いちばん印象に残ったのは、伊藤隆介さんの「Harmonious Memory」であった。
 伊藤さんは、昨年暮れの「HIGH TIDE」で、電気仕掛けで動くミニチュアの飛行機を、リアルタイムで撮影して壁面に投影するというインスタレーションを発表するなど、「リアル」と「バーチャル」という問題を見る側に問い掛ける作品を発表してきているが、今回は、ピアノの譜面台のところに置かれた白い板のようなものに、葉のゆらめきのような映像を投射するという、これまたシンプルなものであった(ギャラリー門馬には、ピアノがあるのです)。
 多少きざっぽく言えば、ドビュッシーなどのピアノ音楽を、沈黙の映像で表現したかのような、おだやかさが感じられた。
 ところが、どれくらいの間隔でなのかはわからないが、とつぜん、炎が燃えるような映像がそこに出現して、一瞬の後にまたもとの詩的な、光と影の綾なす映像にもどってしまったのである。
 わたしたちの見ているものは、リアルなのものなのか、虚像なのか。そういう問題を、これまでとは別の角度で提示した作品であるようにおもわれた。

 上遠野敏さんは、アーティストブック3冊もわるくないが、川岸に立てられた「繭望庵」がだんぜんおもしろいと思った。
上遠野さん「繭望庵」 川岸、というのは、門間さんの家の庭は、木が生い茂る谷間になっていて、斜面の径(みち)を下りていくと、なんと! 小さいながらも、ちゃんと水の流れている川があるのである。
 どんなくわしい地図にも載っていないような名もない小川であり、数十メートル下流でおそらく札幌扇状地の下にもぐってしまうであろう短い川なのだが、庭に人工的に引いた水路なんかではない。天然の川が、自宅の敷地内に流れているとは、なんとすてきなことだろうとおもう。
 その岸辺に、犬小屋くらいの大きさと形をした物が置かれている。これが「繭望庵」である。
 現代の茶室らしく、外壁はアクリルかなにかの樹脂で、白くぺかぺかの感じである。このチープさが現代的だ。中を覗くと、絵が貼ってあり、ちゃんと畳が半畳敷いてあるのがおもしろい。中に頭を突っ込んでしばし休んだが、あまりの狭さにそれほど休憩はできないのであった。

 伊藤ひろ子さん「明日の早朝、またここで」は、「札幌美術展」のときの「かげおくり」の延長線上にある作品。写真を台紙にして、人のかたちなどに切り抜かれた白い紙が、レース編みと組み合わされて、あたらしい生命を得ていた。

 吉田茂さん「Synchronicity in The sky」は、時間の経過とともにひび割れていく漆喰の平面を、最終日に30センチ角に切り分けるという作品。
 ほかに
上遠野「奈良大和路・笠解邑」「三輪山の日の出・二上山の落日」
國松明日香「かべ6つ」「小さな水脈」「星たち」「水の径」、
佐々木徹「対話する0と1」、
高幹雄「さくら」「しゃくやく」(同題の絵が計3点)「晴れた日に永遠が見えるT」、
矢崎勝美「cosmos」(同題の作品が計2点)。

 後半。
 やはり、先月なくなったばかりの丸山隆さんの「住空間再生計画」と「自由空間再生計画」と名付けられた作品に言及せねばならない。
 どちらも、フラフープのような金属の輪が、会場に取り付けられただけの作品である。
 しかし、これは、輪それ自体の実体が問題なのではなくて、輪によって切断された空間が問題になっている作品だと見るべきであろう。
 丸山さんは、シンプルな輪を持ち込むことで、空間を変容させたのである。

 坂巻正美さん「けはいをきくことシリーズ・・・葦原の風景より」は、葦柳、柳、鹿の骨、蜂蜜など、さまざまな素材からなるインスタレーションである。
 自分の生きている自然の実相、日本の「自然」の初源とはなにか、という問題意識がこめられているように思う。

 端聡さんは比較的小さな作品を3点。
 「癒されるより癒すこと」「NEW AGE 2002」「理解されるより理解すること」という題がついており、これまでにもまして、作者のメッセージが明確に打ち出されているようである。
 コラージュ的に“引用”されている古い写真や図像には、後向きに電話をしている人を描写したものもあり、トラストさんが以前指摘していたように、1990年代半ばの端さんの作品のテイストを思い出させる。

 重い作品の多い中で、阿部典英さんの「重なる形」「ネエダンナサンあるいはのび、のび」「ネエダンナサンあるいはゆったり、ゆったり」は、明快な色とユーモラスな形態で、この作者にしてもめずらしい軽めの立体作品となった。

 ほかに、
坂巻「けはいをきくことシリーズから「White&Black」」
一原有徳「Xシリーズから族(ZOKU)Λ」「族」「俗の元(Xシリーズへ向かう)」「X(番号不明)」、
楢原武正「大地開墾(塔)」「大地開墾2002 09」
坂東史樹「ギプスを巻いた子供」「ポケットに黄金石を持つ老人」「深層からの標本:双子」、
米谷雄平「さうすぽいんと」。

 現代美術を支える層がうすい札幌では、企画ギャラリーはなかなか大変なのだが、年3回というペースは、無理をしないという点ではいいことなのかもしれない。
 惜しむらくは駐車スペースが狭いことだが、みなさん、公共交通機関に乗っていきましょう。
 代表的な道順は、地下鉄東西線・円山公園駅から市営バス「ロープウェイ線」に乗り、「旭丘高校前」で下車するというものだが、ほかに、おなじ駅から「旭山公園線」に乗って「界川(さかいがわ)」で下りても、徒歩6、7分というところである。どちらも、本数があまり多くないから、早く来たほうにのるべきだ。
 さらに、西25丁目線(おなじく円山公園駅始発)、山鼻環状線(これは、南北線の中島公園もしくは幌平橋で乗り継ぎ)の「南11西22」で下りても、10分ほどである。ただし、行きはきつい上り道だ。
 さらにいえば、「南11西22」の次の停留所は「啓明ターミナル」であり、ここからはFree Space PRAHA(中央区南15西17)が徒歩6、7分であるから、ギャラリー門馬を見てから散歩がてらプラハまであるき、そこから市電の西線14条まで行くというのも、天気のいい日にはおすすめです。

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昨年の門馬さんの個展