2001年春 

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坂本順子展 札幌時計台ギャラリーB室(中央区北1西3)
6月11日(月)〜16日(土)

 コラージュというべきか、アッサンブラージュというべきか、さまざまな異物をキャンバス上に貼り付けて壁掛け作品を坂本順子「不在の構図」作ってきた作家です。
 こういう作家の場合、どうしても、画面全体の出来よりも、どんな風変わりなモノが貼り付けてあるのかに興味が行ってしまいがちです。また、一般的に、作者の方も、素材をどうするかということばかりに意を用いてしまう傾向が、ないとはいえません。
 その点、今回の作者の個展に並んだ作品は、タブローとしてかなりの完成度に達しつつあるといえるのではないでしょうか。卵とか、魚の骨が貼ってあるから面白い作品なのではなくて、それらのオブジェの質感を十分に引き出して、作品として成立しているのだということです。
 例えば、写真の「不在の構図」は、今年3月の「さっぽろ美術展」に出品されたものに、黒い糸を加えるなどして改作したものです。
 写真では分かりづらいかもしれませんが、画面中央附近に糸がおもに縦方向に、平行に何本も引かれて、全体を引き締めています。中央部の三つの黒い穴には、魚の頭部の干物が置かれています。その上部には、古い道具類が並びます。いずれも、灰色や鉄錆のような着彩が施され、古く重々しい空気が漂います。
 作品はどれも、重厚感という言葉が似合いそうです。おそろしく長い年月を、作品が宿しているかのように見えるのです。「黒い月」では薬(?)の小瓶を用いるなど、オブジェの使い方も、うるさくなりすぎず、上手にまとめています。
 ちょうど筆者が見ていたときに、櫻井マチ子さんがやってきて
「いいわねえ。阿地(信美智)さんが見たら『やられたあ』って悔しがるんじゃない?」
なんて言ってましたが、うーん、そういう雰囲気はあるかも。一定の完成に達したことを認めたうえで、あえてないものねだりをするとしたら、阿地さんだけでなく田中まゆみさん、白鳥さんといった新道展の作家たちとぴたりと共通する雰囲気でまとまっているので、そこからさらに自分なりの個性を出していくといったあたりでしょうか。もちろん現在の作風を否定しているわけではありません。時の流れを感じさせる作品を評価した上で、無理な注文をしたかもしれませんが。

 出品作はほかに「月を束ねる鳥」「UNTITLED’99」。小品は「誕生日」の連作(AM1:00 2:00 3:00 4:00 5:00 6:00の6点)、「日々の泡」」「遅れた補助線」「プラスの孤独」「音なき音」「リフレイン」「魚のすむ部屋」「魚の伝言」「月齢の枕」「彼女の領域」「舞い降りるふしぎ」


竹岡羊子展 札幌時計台ギャラリーA、B室(中央区北1西3)
6月4日(月)〜9日(土)

 はなはだ理屈っぽい筆者が理屈ぬきで絵の評価をするとしかられそうだけど、竹岡羊子さんの絵を理屈であれこれ評価することほど、的外れなことがこの世にあるだろうか という気がしないでもない。ぱっと見ただけで、なんだか心CARNAVAL de NICEUまでお祭り騒ぎみたいに楽しくなる絵。それでいて、やっぱりお祭り騒ぎのように(正確にはお祭り騒ぎが終わったあとのように)、どこか心がしんと寂しくなってしまうような絵。それ以上何が言えるだろう。
 彼女は、もう何度も欧州を訪れて、ニースなどのカーニバルを題材にしている。極彩色の画面。たとえば、左の写真の「CARNAVAL de NICE PartU」。キャンバスを3枚つなげた大作である。
 これは、カーニバルのさまざまなモチーフが所狭しと画面に配置されている。極彩色といっても、すべてがそうなのではなく、彩度の低い部分が周到に配されている。だからこそ、まばゆい朱色が生きてくるというものだ。この絵では、ちょうど中景にあたる部分の彩度が低く、前景の馬やオットセイを引き立てている。
 右は「記念撮影それから」。昨年のゆうばりファンタスティック映画祭のポスターに一部が使われたため、見覚えのある人もあるだろう。
 「Spring Time」と題する作品は2点。うち1点に、中央にピンクのリボンが付けられてい希望という名のパレードた。
 昨年3月、ニースを訪れたときは、ご主人の竹岡和田男さん(美術・映画評論家)と一緒だったという。和田男さんはその後急逝されるのだが、このリボンは、羊子さんならではの弔意の表し方なのだろうと思う。
 でも彼女は、少なくても絵を見る限りでは、まだまだ走り続けそうだ。ラスベガスで開かれた国際絵画展で受賞したと言って、個展が終わると米国へ飛んだ。全道展会員になったのが1958年という大ベテランなのだが、枯淡の境地というにはまだ早すぎるようである。

 A室にはほかに「記念撮影」「Carnaval dress up」「ドナウ川のほとり」「希望という名のパレード」「ミモザ」「ローズの周辺」「プロヴァンスの踊り」「限りなく透明に近いブルーアイズ」。B室はパステル画を展示。


鈴木涼子展 コンチネンタルギャラリー(中央区南1西13コンチネンタルビル地下1階)
6月5日(火)〜10日(日)

鈴木涼子展 筆者は、かなり口の悪い性格なので、かつて本人と、シリコンを顔にはっつけて撮影した写真作品を目の前にして、言ったことがある。
 「だいたいさあ、自分というものを知りたい、テーマにしたいからっていって、自分の顔をかたどりするなんて、あんまりにもそのまんまでしょ。ひねりがないっていうかさあ。もし自分が同じテーマで作品をつくるとすれば、たとえば、テレビのコマーシャルを一日中録画しておいてそれをモニターで流すとかするよ。その方が、社会の中での空虚な自分ってものを、自画像が非在なことによってかえって、明らかにすると思うもん」
 
 彼女はもともと、細かい曲線が密集した抽象版画に取り組んでいたが、近年、自分の顔にシリコンを貼り付けた写真を撮ったり、そのシリコンをいくつも並べてインスタレーションにしたり、よーするに「現代美術」のフィールドに移行したのだ。しかし筆者は、「現代美術」であるということを理由に作品を評価するような人間ではないので、さっき書いたような酷評をしたのである。

 今回の展覧会は、さすがにひとひねりしている。
 会場風景の写真にもうつっているが、メーンは、本人の血のついたブタの革ひもで顔をぐるぐる巻きにしたセルフポートレート。
 どうにも痛々しいのだが、人間に隠された暴力性とか、それでもにじみ出てくる本人の個性といったものが、写真から感じられる。時間がたつにつれ革が締まってきて、呼吸を苦しくしている様子を撮ったものもある。ブタの革というのは、本人が幼い時に見てトラウマのようになっている、ブタの屠殺風景の記憶に由来しているようだ。
 顔以外にも、腕や足などを縛った写真もある。それらは、ちょっと見では、腕や足ではなく単なる肉隗のような即物性を漂わせている。

 しかし、彼女がVOCAに出品しようが、この秋東京都写真美術館で開かれる「手探りのキッス 日本の現代写真」にノミネートされようが、やはり筆者としては顕揚するには躊躇するものである。人間というのは畢竟関係性の束であり、自己だけを問い詰めたところで、何も出てきません。もちろん、自己なしに他者はありえないが、他者なきところに自己もないわけで、はっきり言って彼女の作品はまだまだナイーブすぎると思う。自己を突き詰めた地点で自己を客観視しうる視座を獲得できれば、面白いんだけどね。
 

(追記。2002年3月の「札幌の美術」で発表したアニコラシリーズは、たいへんな問題作であり、傑作でした。こちらもよんでください)


門馬よ宇子 1979−2001 札幌時計台ギャラリーA、B室(中央区北1西3)
5月21日(月)〜26日(土)

 馬さんとは意外な場所で会うことがある。一番意外だったのは昨秋、フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールの計6時間にもおよぶ大作「ゴダールの映画史」を札幌・狸小路のミニシアター「シアターキノ」が上映した際に、ロビーで会ったときで、たしかにこの映画はおよそ20世紀の文化に興味を持つ人であればぜひ見ておきたい問題作であるとはいえ、例えば「駅馬車」だとか「東京物語」などといった劇映画が持っているような明快さには乏しい実験的作品であるため、まさか80歳の人が見に来ているだろうとは、思いもよらぬことだった。とにかく、好奇心が旺盛なのだ。

 女が1919年生まれであるということばかりあまり強調するのは、あるいは、良くないことなのかもしれない。なぜなら、この文章を読む人に、「彼女の作品は80歳にしてはよくできているということなんだな」という先入観をいだかせてしまうことになりかねないからだ。ここで断言しておきたいが、彼女の作品は、枯淡と熟達の境地にいたったベテランのそれなどでは決してなく、現在の道内の美術界で、ひとつの尖端に達したことは間違いない。ただ、筆者が感銘を受けた作品が、彼女の生きてきた年月の長さを抜きには語りえないものであることを、強調したかったまでのことだ。また、美術に寄せる情熱においても、作品そのものの質の高さにおいても、そこらへんの20代の作家が及びもつかぬ地点に到達しているのだという含みを持たせたかったということもある。そう、若さにおいて、82歳が、20代を、完全に凌駕しているのである。



 女の画業は戦前にまでさかのぼりうるが、今回の個展では1979年以降の作品に絞って展示している。絵画については、執拗に引かれた黒の線を主体に、薄塗りの色彩が浮かび上がってくる風景画が中心。90年代に入ると、画面は一気に簡潔になり、人と人とのコミュニケーションをテーマとしたような「対話」と題された連作が目立つ(ちょっと見ると、ピンク・フロイドのアルバム「対」のジャケットみたいだ)。

 かし、何といっても、95、6年ごろの転換の鮮やかさといったら、驚くほかはない。彼女は、一般的な絵画を放棄し、キャンバスに膨大な土をこねて塗ったり(97年の「無題」)、エナメルの黒を塗られた布を並べ始めたり(同「子供のように」)するからだ。「無題」は、全道展の出品作で、会場の札幌市民ギャラリーの隅っこに追いやられるようにして陳列されていたのを思い出す(彼女は全道展・絵画部門の会友である)。たしかに、このころを境として彼女の表現は急速に、公募展の美術の枠にはおさまりきれなくなっていたということなのだろう。壁に掛けてあった当時と違って、今回の個展では床に置いてある。

 門馬よ宇子「記憶の解放」道展といえば、彼女は翌98年、さらに「絵画」の枠からはみだしてしまう作品を出品する。左の写真の「記憶の解放」である(左下の白い部分は、表面のアクリル板に光が反射したもので、作品に固有の色彩ではありません)。全道展に限らず公募展には作品サイズに制限を課しているところが多いが、この作品はいくらかその制限をオーバーしていたことが当時ちょっとした問題となり、彼女は90度回転させて縦横反対の形で陳列することにした。作品そのものについても、いろいろ議論があったらしい(ここで誤解のないように述べておくが、絵描きの間に賛否があるのはむしろ当然だと筆者は思う。みんながみんな「現代美術」に理解を示す方がよっぽど不自然で気持ち悪い。世間の無理解にめげないでこそ「現代美術」ではないだろうか)。
 順番が逆になったが、この「記憶の解放」は、2度も夫に先立たれた彼女が、夫や家族らの古い写真をびっしりと並べ、アクリルケースに収めた平面作品である(なお、個展開催にともなって作成された小冊子に佐藤友哉さんが寄せたテキストには「コラージュ」とあるが、既成の写真を切ったり貼ったりしたところは一つもなく、コラージュという語がこの場合適切なのかどうかは分からない)。正直言って、どこに作者本人が写っているのかも判別しえない。ただし、写真からも分かるとおり、表側を見せているのは一部分だけで、残りは裏返しにされたままである。しかし、見えないからこそ私たちは、彼女をめぐる長い年月について自由に思いを馳せることができる。そうした意味で、この作品は、下手な伝記などよりもよほど雄弁に、歳月の重みというものを醸し出していると言うことができるのではないだろうか。なお、隣には、同じようなサイズのアクリルケースに、集合写真ばかりを、しかしすべて表向きに並べた、「無題」もある。門馬よ宇子「私へ」
 


 場で、「記憶の解放」のちょうど反対側の壁に掛けられているのが、右の写真の「私へ」(2000年)である。(これまた、白く光っているのは光の反射のせいです)

 かく砕かれた、おびただしい数の陶板1枚1枚に、作者の肖像写真が焼き付けられている。
 爆心地から掘り出された瓦礫が、いっせいに来歴を無言で叫んでいるような、不思議な、そして圧倒的な光景である。
 かなり複雑な工程を経てできた作品で、まず自作の陶板を、半分に切ったドラム缶の上に敷いた金網に載せて蓋をし、焼成して爆発させる。粉々になった陶片に乳剤を塗った後、現像液や定着液を重ねて、普通のモノクロ写真と同じ要領で焼き付けるのである。アトリエの地下に暗室を持つという恵まれた環境だとはいえ、100枚は下るまいその数から推して、大変な作業であったことは疑いない。

 数の、たくさんの、「私」。にもかかわらず、すべて同一の「私」であることには違いない。「私」とは、だれなのか。拡散しつつ、だけれども同一である「私」とは。この作品を見て触発される問いは、やむところがない。ただ、80年を経て、なお「これが私なのよ」と叫んで、過去の自分を破砕するかのような作品を世に問う若々しさには、全くもって脱帽するしかない。彼女は、ここで自分というものを見つめなおした後、さらに前進しようとしているのだから。



 こでは主に2作品に絞って述べたが、ほかにも、「私へ」と同じ手法で、古びた洗面器の中に石膏を入れて自画像を感光させた「無題」(2000年)、第2次世界大戦で使用された薬きょうを一列に並べた「融合し相反する観念と感性」(99年)、鍋と米が生活感を滲ませる「侵食からの美とあいまいなアイデンティティー」(同)などがある。最新作「すべては私へ」は、有珠山火口から採取した噴出物、岩塩、自分の写真からなる、スタティックなインスタレーションだ。

 い主題の作品のほか、いかにも作者が楽しんで制作に取り組んでいることが伝わってくるものも少なくない。ウクレレやトランペットといった楽器やさまざまな工作機械などの廃品によるアッサンブラージュ「それからの生命」(同)はそういう作品だと思う。



 お、前述の小冊子に載せられた図版と、実際の出品作には、若干の異同がある。とりあえず、出品作のうち、これまで言及しなかった作品の題名を列挙しておきたい。
 油彩:「門」(79年、F80) 「アーモンドの花咲く頃」(83年、F100) 「風景」(84年、同) 「室内」(85年、同) 「室内(B)」(同) 「シアトルから見た風景」(同、S100) 「跨線橋」(87年、F100) 「室内」(88年、同) 「トルコの人形」(90年、S100) 「対話(A)」(91年、S120) 「対話(B)」(93年、F100) 「対話(C)」(92年、S100) 「対話」(93年、F100) 「対話(D)」(同) 「雫」(95年、F100)
 インスタレーション的な作品:「宇3浮遊」(96年、F100) 「無題」(平面部分160×160センチ) 「無題」(97年) 「無題」(同) 「無題」(同) 「無題」(99年) 「無題」(同) 「土のコンポジションT」(2000年) 「土のコンポジションU」(同)  
 なお、小冊子の写真のうち、絵画は、実際よりハイキーに過ぎるような気がするのは筆者だけだろうか。
 

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盛本学史展 大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)
5月10日(木)〜15日(火)

盛本学史「グリッロ」 盛本さんは、上川管内上富良野町在住の絵描きである。
 なぜ、わざわざ絵描きなどと断ったかというと、一昨年、勤めを辞めて筆一本で暮らしを立てようとしているからである。
 確かに、昨年、第1回の三岸好太郎・節子賞展で「三岸節子賞」に輝いた(受賞作「チグリス」も会場に陳列されていた)。といって、とくに売れ線でもない絵を売って生活していくことは、なかなか大変なことだと思われる。
 個展会場でお会いした盛本さんは、まだ青年という面影の飄々とした人だった。生活の大変さをいちいち意に介していたら、画家になろうとなんて、思わないに違いないだろう。
 「チグリス」を見たときは、抽象画だとばかり思っていたが、今回の個展を見ると、どの絵にも目玉のようなものが付いている。
 不思議なもので、純粋な色とフォルムで構成されているところに、目玉がふいに置かれると、そのフォルムはきゅうに、動物のように見えてくるのだ。
 盛本さんの絵の不思議というか、ユニークなところは、地とフォルムの境界がひどくあいまいな点だと思う。
 カンディンスキーでも堀内掬夫さんでも、だれでもいいのだが、抽象的な絵でも、たいてい、描かれている何かと、地(背景)の部分の区別ははっきりしているものだ。それが、盛本さんの絵では、どこからが地で、どこからが模様なのかが不明確だ。
 また、何度も重ね塗りをしていることで、重ねられた色彩どうしが響き合っている。これを全面的にやるとうるさくなるのだが、盛本さんは、細かく筆を入れて色も重ねている部分と、平坦に色を塗る部分とを、巧みに組み合わせ、ダイナミズムを生んでいる。上の写真の、100号キャンバス3枚を組み合わせた大作「グリッロ」でも、下の朱色の部分は大ざっぱに塗られているのに、左下や右上はかなり細かく筆が入っている。こればかりは、写真では分かりづらい。また、色彩の鮮やかさ(それでいて、チューブから搾り出したのをそのまま塗ったような安直さとは異なる)も独特だ。本物の絵を見てください、と言うしかない。
 「色と形を純粋に追求したい」と話している盛本さん。「大まかな構図は決めてから始めるけど、かき始めてからはけっこう偶然性に任せる部分が大きい。そうでなきゃ、おもしろくないでしょ」。少なくても、ベテランの頑張りばかりが目立つ全道展では、若手ホープとして期待できそうだ。

 この項、執筆が非常に遅れましたことをお詫びいたします。

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古田瑩子個展 札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
5月7日(月)〜12日(土)

古田瑩子「森の中の眠り(1)」 道内の水彩の画家といえば従来は、写実的に静物や風景を描くタイプ(道展に多い)か、表現主義的に荒っぽいタッチで静物を描く(道彩展はほとんどこのタイプ)かのいずれかが多かったように思う。その点、近年新道展でがんばっている女性作家たちは、モチーフを自在に組み合わせて、そのいずれでもない画面をつくってきた。とりわけ古田は、「Grouping5人展」解散後、ここ2、3年で急速に筆致の迫真性が増して幻想的かつ独自な世界を構築しつつある。
 前回の個展では、小さな木の人形が数体、空中で輪を描いて浮かんでいる情景に、大きな人形などを組み合わせた図柄が多かった。今回、1点だけは、昨年までの画風の名残が見られるが、ほかの作品は、空中の人形が大きくなるとともに、モチーフをほとんどかき込まずにわりあい平坦な塗りを施した部分が広がって、構図にめりはりがついてきている。右の写真は、「森の中の眠り」と題された2点のうちの1点。前景の大きな葉が、「午前中だけで1、2枚かけるかどうか」と本人が言うほどに丁寧で微細なタッチで描かれる一方で、背景の森林は、大まかな筆使いで、しかし離れてみるとちゃんとリアルに見えるように描かれているのは、この作家の進境の著しさを如実に物語っていると思う。色数を絞って、彩度も抑えがちにしていることで、描かれた世界から受ける静けさも増している。
 「ナナカマドの葉の雨」では、手前の人形が2体になり、寄り添うような格好をしている。空中では、小さな人形がナナカマドの枝を持って、細い葉を降らしながら飛んでいる。その姿は、羽こそ生えていないものの、天使を思わせる。遠景には、海や島のような風景が描かれている。それぞれのモチーフの明暗がそれほど強く描き出されず、むしろ平面的な処理をなされている中で現れる風景が、全体の効果を挙げているようだ。「ナナカマドの実の雨」も、似たような構図だが、空を飛ぶ小さな人形の振り落とす小さな実の赤が、良いアクセントになっている。
 その他の出品作は「クルミの木の下で」「アジサイと遊び疲れて」。小品は「ハイビスカスの囁き」「おやすみPrincess」「青の天使」「パンジーとタイニィーBabe」「翼をつけたタイニィーBabe」「コラージュ 似たもの同士」「黒い翼(泉)」「黒い翼(無)」「黒い翼(夢)」「黒い翼(創)」「春のあいさつ」「おすましのタイニィーBabe」「虹の天使」。題の無いのが1点。



 古田さんがモチーフとしているのは、自作のビスクドールである。以下は、そのことからの連想であって、古田さんとは直接関係が無い。ダシに使われてご迷惑でしょうが、ご容赦ください。
 で、何について取り上げたいのかというと、CCアート、である。CGではない。なんのこっちゃ、と思われるでしょうが、そりゃむりもない、筆者の造語なんだから。
 カルチャーセンターには、たくさんの講座があるが、そのうち多くは、世間的に美術だとは認知されていないようである。
 より正確に言うと、そのジャンル全体が、美術館や画商や美術ジャーナリズムから相手にされていない分野と、頂点に立つ作家は認められているけれど、ゴマンといる裾野の作り手たちは黙殺されている分野のふたつが、あるようだ。
 具体例をあげると、前者には、古田さんがこしらえているビスクドールをはじめ、パッチワークキルト、戸塚刺繍、ボビンレース、絵手紙などがある。後者には、組紐、ステンドグラス、ボタニカルアート、さらに書道などが含まれる。カルチャーセンターで教えられ、制作人口を増やしているそれらの分野の表現を、仮にCCアートと呼んでおこう。
 誤解のないように記しておくが、筆者は、CCアートは無価値だとか、現代美術より価値がないなどと言いたいのでは、決してない。ただ、事実として、日展では絵手紙が入賞することはないだろうし道立近代美術館がパッチワークキルト作品を購入はしないだろうし美術手帖が公民館で行われるステンドグラス教室展を取り上げて記事にすることはないであろう、ということを指摘しているまでである。
 CCアートの担い手は、圧倒的に主婦である。子育てが一段落してヒマになったオバサンである。これについても「あー、ダンナが昼間懸命に働いて稼いだカネはこうやって使われているのか」という感慨もないではないが、ここでは触れない。筆者の言いたいのは、それまで作り手と鑑賞者が画然と分かれていた絵画や陶芸といった分野が、確実にCCアート化しつつあることだ。
 しかし、CCアート的な作品が、たとえば公募展の審査会場に搬入されたり、個展で陳列されたりしても、プロの絵描きや美術館学芸員の評価は低い。CCアート的な作品とはどういうもので、作り手はどういう人か。どこが、従来の画家や陶芸家と違うのか。
 思いつくままにまとめてみた。
 1 歴史的な流れの中で自分の作品をとらえるという発想がない
 2 オリジナリティーに対する興味が乏しい
 3 うまく制作することには熱心だが、表現したいという欲求に乏しい
 一言で言うならば、お稽古事感覚なのである。
 ベテラン女性、たとえば八木伸子さんや鎌田俳捺子さんのような、ガムシャラ性はない。
 最近は道展や全道展や新道展の会場にもCCアートの影は確実に忍び寄っており、師匠がだれかすぐに分かってしまう様な作品が堂々と展示されているのを見て、筆者も思わずため息をついてしまうことがある。
 しかし、根本から考えてみると、なぜ、CCアートがだめなのだろう。
 眉間に皺を寄せて、独自性を追求して苦闘することだけが、芸術だろうか。
 ささやかな生活を少しでも彩ろうとする営みも、あっていいのではないだろうか。
 天才的な作り手と凡庸な鑑賞者が二分されているよりも、だれもが作り手たりえるほうが、むしろ好ましいのではないだろうか。
 筆者は、そう考えていくと、分からなくなるのである。そして、これまでの美術史の記述の仕方や、作品評価の仕方が、そもそも男性中心原理の賜物ではなかったかと考え、深い悩みに落ちていくのである。

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草刈喜一郎 炭鉱の記憶展 ギャラリー大通美術館(中央区大通西5、大五ビル)
5月8日(火)〜13日(日)

 草刈さんは江別在住の73歳。15歳の時に、空知管内上砂川町の三井砂川炭鉱の技術員養成所に入り、抗員として1982年まで働いたという。若いころから絵が好きで、道展には10年連続で入選している(5月1日夕刊、読売新聞による)。
 今回は、油彩61点すべてが、道内の炭鉱とその周辺の風景に材を得た作品。1946年のデッサンもある。幌内(三笠)、芦別、空知(美唄)、真谷地(夕張)、赤平、夕張、釧路太平洋なども題材になっている。画風は、穏当な写実である。ただ、筆者が非常に好ましく思ったのは、画家が、光とか明るさに対して、とても敏感であることだ。
 たとえば、「夏・選炭場」などは、題の通り夏らしい光が画面全体に差し込んで明るい。それに比べると、「抗外風景」などは全体にやや明るさを抑えた感じ。深い雪にうずもれた炭鉱跡を描く「壊す」などは、冬独特のほの暗い光で統一されているのだ。
 年毎に少しずつ進歩しているのも分かる。「空知炭鉱」(99年)の、錆びた茶色の屋根の描写には舌を巻いた。
 風景画が並ぶ中で、人物群像を描いた作品が1点ある。「待つ」。暗い中で不安そうに目をぎらぎらさせる男たち。元炭鉱マンだからこそ描きえたものだと思う。
 ずっと来客中で話ができなかったのが残念です。
 作品目録に挙げられているのは次の通り。
 46年「ヤマの夕暮れ」「ポンプ小屋」(F6)
 47年「畠のある山」(F10)
 53年「選炭場 1」(同)
 73年「社宅風景」(同)
 74年「選炭場 2」(P8)
 75年「選炭場 3」(F12)
 85年「選炭場 4」(F8)
 86年「選炭場」(F10)
 88年「春近き選炭場」(F60)「立抗の見える風景」(F30)
 89年「選炭場 5」(F20)「選炭場 6」(F60)「夏の選炭場」(F8)「谷間の町」(F30)
 90年「炭車のある風景」(F60)「抗外風景 1」(P8)「抗外風景 2」(P100)「炭住の見える丘」(F8)「炭鉱の町」(サムホール)
 91年「脱線 1」(F60)「抗外風景 3」(同)「脱線 2」(F6)「秋陽」(サムホール)「選炭ポケット」(同)
 92年「夏・選炭場」(F60)「輪車路のある選炭場」(同)「斜陽」(P60)
 93年「選炭場と輪車路 1」(F10)「選炭場と輪車路 2」(F8)「水選バックのある選炭場」(F6)「選炭場付近 1」(同)「廃坑の輪車路」(F4)「選炭場 8」(F80)「ヅリポケットの夏」(F6)「選炭場・炭ポケット 1」(F3)「選炭場・炭ポケット 2」(F6)「選炭場付近 2」(F4)
 94年「沈殿池のある選炭場」(F80)「選炭場・炭ポケット」(F6)「立抗の見える風景」(F8)「壊す」(F80)「閉山 2」(同)「A炭鉱の夏」(F20)
 95年「山峡の町」(F6)「沈む」(F80)「選炭場 9」(F100)「炭鉱の秋」(F3)「臨港鉄道のある岬」(F4)「輪車路 1」(F8)「ズリポケット」(同)
 96年「残炭」(F100)
 97年「埋もる」(P100)
 99年「閉山 3」(F10)「空知炭鉱」(F80)「待つ」(F120)
 2000年「水溜まり」(F20)
 01年「鉄塔のある輪車路」(P25)「輪車路 3」(同)「登川抗より眺む」(F4)「長屋」(同)


細江英公の写真 1950−2000 釧路市立美術館(生涯学習センター3階、幣舞町4の28) 4月21日(土)〜5月27日(日)
細江英公写真展「薔薇刑」 札大学長室ギャラリー(札幌市豊平区西岡3の7)
=終了済み


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第41回伝統工芸新作展 三越札幌店(中央区南1西3)
5月1日(火)〜6日(日)

 ここでは、道内出品者の陶芸作家に言及してみたいと思います。
 まず、安藤瑛一さん(北見)「あられ釉六角面鉢」。安藤さんはもともと、厳寒の中でできる文様を生かした風土性の強い作品を多くつくってきましたが、近年は北方的な抒情にとどまらない、骨太の造形を打ち出すようになってきています。今回も、表面はこまやかな景色をつくりながら、面と面のつくるリズムの美しい、どっしりとした作品になっています。
 北海道らしいさわやかな造形と色調の陶芸も目立ちます。
 高井英樹さん(渡島管内大野町)「灰釉長皿」は、釉薬の作り出す深い緑と、直線の作り出す鋭角の文様が響きあいます。岩井孝道さん(空知管内長沼町)「水の歌」は、メロン灰のつくりだす薄い緑が、大野耕太郎さん(滝川市)「黄瓷組鉢」はレモン色が、透明感をたたえています。若手の板橋美喜子さん(北広島)「青白磁印花文大皿」は、六角形の文様がすっきりしています。
 全体的に練り上げの作品が多くない中で、尾形香三夫さん(石狩管内新篠津村)「練上幻化文皿」は、細かい模様の繰り返しに驚かされます。
 ほかの分野では、染織で、岩山翠娥さん(札幌)の型絵染着物「菊」と塩澤啓成さん(恵庭)の友禅訪問着「遊泳」、人形で、吉田純子さん(札幌)の「めぐる季節」、ガラスで、降旗ゆみさん(江別)の被硝子グラヴィール蓋物「遠き春よ」、金工で、新谷通さん(網走)の有線七宝花器「蓮華」が、入選していますが、東日本だけで486点という出品点数(すべてが巡回しているわけではありません)からみると、わずかなものです。
 もちろん、伝統工芸という枠があるので、その中で作家性を打ち出していくのは大変だと思われます。陶芸でも、備前ふうに焼きしめにした作品は全く見かけませんでしたし、まして現代的なオブジェなどは出てくる幕がありません。ガラスも切子やグラヴィールが中心です。
 ただし、鍛金技法の銅器では、モダンな西洋の町並みの意匠を取り入れた作品が入賞するなど、すこしずつ変化の兆しもあります。
 筆者がしろうとながら思うのは、一番思う存分ハデでモダンな展開が可能なのは、友禅などの染織ではないかと思います(型絵染や絣ではちょっと難しい)。キャンバスのような広い平面を持った唯一の分野ですからね。でも、意匠は昔ながらの動植物や竹林、抽象模様といったところで、なかなかアバンギャルドなデザインは出てきません。この展覧会でなくても、ラブボートの友禅とか、ウォーホルの友禅とか、出てきたら面白いと思うんですけどね。どうでしょうか。思いつき発言かもしれませんが。

(5月4日)

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書業六十年記念 中島荘牛書展 スカイホール全館(札幌市中央区南1西3大丸藤井セントラル7階)
5月1日(火)〜6日(日)
第40回 札幌墨象会展 札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
5月2日(水)〜6日(日)

 いやー、個人的なことだけど、ことしは書を見るのがなんだかけっこう楽しいんだよなー。字ばっかりの世界であることは間違いないんだけど、じゃあ絵画に比べてバリエーションが少ないかといったら、実はそれほどでもなくて、絵のほうは相変わらず裸婦や道庁や机上のリンゴだったりする。いや、それが悪いとはいわないし、書道だってたとえば「ハンバーグ」とか「銀行口座」とか「上野幌」と大書した作品なんて無いからそんなに多彩というわけでもないんだけど、面白い作品はほんとに面白い。運筆の速度みたいなものを通して書家の呼吸がすっとこちらに伝わってくる瞬間が、確かにあるんだな。筆者は書道も全く疎いのですが、素人なりにおもしろいなーと思うことって結構あります。
 で、中島さんだ。
 バラエティーってことでいえば、ひとりの作品とは思えぬほど、いろいろな種類がある。
 ただ、ユニークなのは、渾身の力を振り絞って紙に対峙するのではなく、遠心力のようなものを利用して、ふうわりとした世界をつくりだしていること。軽さ、というのともちょっと違う。確かな余裕、とでも呼べばいいのだろうか。「童心浄土」などは、力を入れているのでも、抜ききっているのでもない、絶妙なバランスから生まれた字体が展開する。「如夢如幻」も同じ。スケールが大きいのは確かだが、力任せではない。どこかにすっと抜けたところがあるのだ。
 あるいは「天遊」。しんにょうの曲線が心地よい。淡墨のにじみと、余白の取り方もなんともいえぬ味わいを出している。
 「鷹」になると、やわらかさのほかに、飛まつが少し飛んで、全体にアクセントを与えている。
 「寿雲」は、絵文字に近い。作者の遊び心と、古典に学ぶ姿勢が弾む。俗を排し、あくまで清澄な世界である。
 会場には、数え15歳のとき、偶然手に入れた董其昌(明の大家)の画賛も展示され、この書家の出発点を知ることが出来る。
 1926年、函館生まれ。函館在住。手島右卿に師事する。

 いっぽう、とにかくパワーが会場にみなぎっているのが、札幌墨象会である。
 北海道書道展会員も多い。46人が1点ずつ出品している。
 最大の作品は高さ4・8メートルもある。みな紙をパネルに張って出品している。額装、表装をしている作品は無い。
 坂口末子「陽光」などは、高さ3・6メートルで、大きさをフルに生かしている。
 島田青丘「轟」は、もはやとどろきとは読めない。淡墨が重なり合い、塊になっている。抽象の世界だ。その重なりの、存在感がすごい。 安藤小芳「天地玄黄」は速度感があふれている。土屋湖雁「一心無事」は、横長の構成が効いて、物語のような展開を感じさせる。三上哄穹「回転」は、まさに回転している感じ。ミケランジェロの「最後の審判」を思い出させる。東志青邨「圓々寂々」は、最初の文字に入る前のアプローチが、雫の形で紙にあらわれていて、面白い。
 落ち着いた書もある。川本和子「挑」は、それほど大きい作品ではないが、バランスの良さに惹かれた。三上雅倫「胞」にもゆとりがほのみえる。
 全体として、スポーツ観戦を終えたときのような爽快感があった。細かいことを気にしない北海道人はこういう表現に向いているんじゃないかと思う。
 

(5月4日)


北海道抽象派作家協会第弐拾八回展 札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
4月18日(水)〜27日(日)=月曜休み

 会場で無料配布されている小冊子の末尾に付された年表によると、この会の発足は1973年。札幌の前衛美術の中心的な担い手であった渡辺伊八郎(1918〜90年)の呼びかけで結成された、とある。
 以後、およそ年2回のペースで展覧会を続けてきた(回数と年数が合わないのは、創立結成展の翌年が第1回展になっているからである)。公募展ではなく、同人制を採り、毎年、外部の作家を何人か招待するというシステム。同人は、これまでめまぐるしく顔ぶれが変わっているが、現在は、創立メンバーの今荘義男(空知管内栗山町)と佐々木美枝子、それに、神谷ふじ子、後藤和司(以上札幌)、あべくによし、近宮彦彌(以上旭川)、外山欽平(函館)、服部憲司(苫小牧)、林教司(栗山)、三浦恭三(小樽)の10人。今年は、7人が招待された。

北海道抽象派作家協会展の会場風景 見るたびに思うのは、この札幌市民ギャラリーという会場の特性をこれほどまでに生かしている展覧会は、ほかにあまりないだろうな、ということだ。道内で最も高い天井を有効活用している。
 林の「作品」が圧巻である。540センチ×360センチ。板を何枚もつなげて制作した巨大な平面。表面は傷つけられ、そこに青い顔料が塗られ、その上を黒鉛が覆う。鉛筆をひたすら動かすという、膨大な行為の集積。作品そのものの持つ重量感と、行為の重みとに、思わず感服せずにはおれない。
 中央に置かれたのは神谷の「風の翼」=写真中央=も力強い。もともと七宝作家だった彼女は、錆びた鉄を導入することで、作品にモニュメンタルな重量感(とまた同じ言葉を使ってしまったけど)を備えさせることに成功した。と同時に、三角を主体とした造形はシャープである。
 今荘は、茶など、日本的な色調を有するカラーフィールドペインティングに取り組んできたが、昨年あたりから、塗りに手の痕跡を残すようになってきた。「古里」と題された5点は、和風の抽象という課題を追う画家の頑張りがしのばれ、ずっと見ていても飽きない。
 服部もカラーフィールドペインティング的に、長方形をつなげて画面を構成しているが、これまたモンドリアン的な絵とは異なり、微妙な塗りむら、はみ出しなどが随所にあって、ヘンな言い方だけど「これは絵だ。写生でもデザインでもないぞ」と納得してしまうのである。
 近宮は、(おそらく)発泡スチロールで凹凸を付けた支持体に黒い顔料を塗って、荘厳な感じを出している。

 さて、招待は、土門絵美(北広島)、浅野美英子、永井美智子、林玲二、横山隆、村中道子、山岸誠二(以上札幌)の7人。
 このうち土門と浅野が若手で、この展覧会初登場である。土門「MICRO-TRIP 2001」は、正方形の発泡スチロール板を支持体に、紙皿や竹ひごなどによるコラージュふうな平面を、いくつも並べた作品。どうも素材の安っぽさが目立つのだが、あるいはそれが狙いなのかも。浅野は「Zero Dimenson」と題した100号の油彩を3点。いずれも、水色や灰色を主体に、塗りの痕跡を強く残した絵画で、紐やシールなどが張られている。うまい。
 うまいと言えば、永井も手堅い。「5月への私の挨拶」と題した100号を2点出品している。色斑を塗り重ねた軽快な画面。最近は、その上からさらに白を薄く重ねている。
 林は「蒸散する時間−ultramarine steps」。2×10メートルと50×65センチの連作による壁面のインスタレーション、と小冊子にある。写真では一番奥にある作品。以前にもつれづれ日録で書いたが、即興性があふれている。横山は本来飄々としたタッチの絵をかくのだが、立体も手がける。ダンボールを灰色に塗った「改造計画」の連作3点は、建築の模型というのともちょっと違う独特の感じがある。村中は生け花の作家で、88年から連続出品している。「青い流れ」は、ビニール袋数個を膨らませて青いスポットで照らしたもの。山岸「タマシズメノウタA」は、この作家の原点ともいえる、印画紙に直接現像液を散らして焼き付けた大きな平面作品である。
(2001年4月22日。24日一部訂正)

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越澤秀展 スカイホール(中央区南1東3、大丸藤井スカイホール7階)
4月17日(火)〜22日(日)

越澤秀展の展示風景 いやー、80年代だなー。

 で終わってしまえばこの欄も楽なんだけどな。いや、冗談ですけど。ご本人もニューペインティングがお好きだと言ってました。
 1961年生まれ。世代的に、当然、ニューペインティングの嵐に影響されています。海外ならペンク、シュナーベル、イタリアの3C(クレメンテ、キア、クッキ)。日本なら日比野克彦あたりでしょうか。ヘタウマなんてのもありましたね。ちょっとちがうか。なんたって、左の2コマ漫画なんて、割った皿を貼り付けたキャンバスの上にかいてますからね。言わずと知れた、シュナーベルのパロディーです。奥にはニューペインティングふうの大作が並んでいて、壮観です。
 また、自作の漫画を大きく描きなおした作品も4点ありました。わたしは、写真中央の「SF母子家庭」が好きです。最後のコマで、壜ビールを持ってきた母親が寂しそうで、オカシイ。この部屋では、スライドの上映もやっていました。
 手前の部屋には小品がびっしり壁面を埋め尽くしています。その多くには
「ORIGINAL」
というスタンプが押されていました。本人は「空いてたから」なんていってましたけど、ほんとですかね。越澤秀展の展示風景
 また、右の写真の絵画には、支持体として、ドイツ語の本のページがさかさまに使われています。よくフランス語や英語の新聞をコラージュする人はいますが、これはあくまでキャンバスの代わりなので、ちょっと感じは違います。写真の中の右は、1ページずつに1点描いていますが、何ページもつなげて1枚の絵に仕立てているものもあります。この一連の室内画を見ていると、マティスを思い出します。この本は、家の近くで拾ったものだそうですが。
 そうそう、彫刻の小品もありました。写真の、右側のは、ハンドルを回すとウサギの首が回転するようになっているんですよ。バリー・フラナガンもびっくり、といったところでしょうか。
 そういえば、こういう絵(ペインティング、と言ったほうがしっくりくるかも)って、意外と道内でかく人いないですよね。ただ、さっき小生マティスの名前を出しましたけど、マティスとか栃内忠男さんとかと、どっかでつながってるんじゃないかなーって気はしますよ。思いつき発言ですが。

 ほんでもって以下一般論。
 あれほど世界の美術業界をにぎわせたニューペインティングとか新表現主義とかいわれる絵画の潮流はどこいっちゃったんでしょうかね。
 流行した気分はわかるんですよ。1970年代に一世を風靡したミニマル・アートとかコンセプチュアル・アートとかって、堅苦しいですからね。「しちめんどくせー理屈はいらねー」という”勢い重視派”が擡頭(たいとう)してくるのも道理です。なんか、パンクロックに似てるな。
 でも、ニューペインティングのブームは筆者の知らないうちにどっかいっちゃってしまっていて、その後の現代美術って以前にもまして「この作品のコンセプトは」的世界になってるじゃないですか。もう、理屈重視の極致。なんだかなーって思いますよ。ホント。

 彼のまんがのページへのリンクはこちら。http://slack.netmove.co.jp/slack/koshizawa/index.html

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第19回一線美術会北海道支部展 札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
4月11日(水)〜15日(日)

 一線美術会は全国規模の公募展で、めずらしいことに会場の入り口で「見て下さい!!」というチラシをもらいました。それによると、1950年に岩井弥一郎、上野山清貢、増田誠らが旗揚げしたそうです。上野山は戦前の道内画壇で活躍した「日本のゴーギャン」だけど、あとの2人は不勉強で知りません。委員、会員、会友の3段階制とのことですが、道内のメンバーがどれに該当するのかも分かりません(ゴメンなさい、情報不足で)。

 で、肝心の展覧会なんですが…。まずまずの水準の絵が集まっていて、構図なども手堅いんですが、どうも全体的に、色彩がくすんでいて、輝かしさがない。だから、見ていて思わず口元が緩む、なんてことはない。まあ、よく言えば落ち着いているってことなんでしょうけど。あんまし心が弾まないんだよな。
 すべて具象で、表現主義的な作品もありません。
 出品者20人のうち唯一の道展会員(全道展、新道展の会員はいない)の信岡成子さん(登別)が、小品しか出してないというのも寂しさの原因だろうなあ。
 河瀬陽子さん(芦別)「想い」の連作は、ピエロの扮装でよく知られた清水一郎さん(通称43Z)がモデル。構図は安定。川西由峰さん(札幌)は「埴輪の想い」など、ペインティングナイフを多用した塗り。神林仁さん(旭川)は「落葉林残照」など風景画。木の枝の処理がうまい。
 杉坂次郎さん(同)「刻(とき)U」。これがちょっとヘンな絵なんです。つり革につかまっている男性が左右にいるからたぶんバスの中を描いているんだと思うんだけど、中央に横向きに座っている女性がいて、バスだったらこんないすはないだろうなーと思う。そのすぐ横に正面を向いている女性がいるんだけど、顔は描かれていない。つり革も左右一つずつしかないし。狙いは写実なんだろうけど、なんか妙な感じ。
 富田忠征さん(同)「風の集落」は、背後の家々はうまいのに、前景の人物が漫画みたい。わざとかしらん。中村国夫さん(同)「神々の聖稜(カムイミンタラ)」は、寒色の使い方に個性のある風景画。中村美恵子さん(同)「厳冬」は、画面端の処理がユニーク。三浦富造さん(札幌)は手堅い風景画。パンフレットには「思い出のシャトル」になってましたが、もちろん尖塔で名高い「シャルトル」であります。
 最後に、栗城晋さん(石狩)に触れぬわけにはいきますまい。。1932年生まれ、一昨年歿。一線美術会では1992年に委員になっています。
 今回展示されている「廃船の譜」は、後景に舳先のぐんと伸びた廃船が描かれ、手前には、後ろ向きの老人から話を聞く二人の男の子が配されています。全体は黄緑のあたたかいトーンに覆われ、廃船の板が心地よいリズムをうんでいます。老人は、鉢巻をして、足には長靴を履き、木箱に腰をかけています。つぶらな男の子たちの瞳。昔の話を熱心に聞き入っているようです。この絵は、語り継がれることの大切さを静かに説き、栗城さんの画業の最終章を飾る、佳作になったと思いました。

 ほかの出品者は、石山宗晏、田島繁一、村田重吉(以上旭川)、木村好(苫小牧)、小崎侑子(登別)、鈴木利枝子、堂七一徳、平原智子、渡部泰子(以上札幌)のみなさん。
 


第23回日陽展 札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
4月4日(水)〜8日(日)

 この「日陽展」なる団体は、規模と水準のわりには、実は一度も取材した事がなくて、要するにどういう集まりなのか分からんのである。筆者の周囲でもあまり話題になったことはない。よくあるアマチュアの絵描きのグループという範疇には収まりきれず、道展会員クラスがけっこう出品しており、水準は決して低くない。といって、道内を代表する実力派の集まりとまではいえない。今年も道内各地から、日本画、油彩、水彩、切り絵、工芸、立体造形あわせて72人も出品している。会長は、昨年まではちらしに「江口美春」と記されてあったが、今年は何も書いておらず、別に江口さんがエバッテいるようでもない。親睦と研鑚を掲げた、このような発表会が23年も続いているというのはある意味で驚きであろう。
 作品では油彩が半数以上を占め、筆者の印象に残ったのもこの分野が大半であった。会長(ですよね)の江口さん(道展会員)は、3人の女性という、古典的なモチーフを、現代的な女性像に変えてさらりと描いている。
 田村隆さん(蒼樹会会員。空知管内新十津川町)は、得意の廃屋を出品。なぜかもう1点、「SL重連運転」という作品を出しているが、これは、塗り残しはあるは、横から見ているはずなのにSLの正面が見えるは、SLの高さは合わないは、写実を旨とする田村さんのふだんの作風からは想像もつかない仕上がりで、考えさせられた(セザンヌ以降の絵画であれば、これらの特徴はけっして欠点ではない。言わずもがなですが…)。
 なぜか、赤平からの出品が多い。伊藤哲さん(道展会員)「雪のみらい」は、彩度の高い色を配し、駅前の風景を写実的に描く。
 濱向繁雄さん(同)「錦秋」は、さらにあでやか。濁りのない色使いの風景画だ。
 谷田部英夫さん「残雪の暑寒」は、風景を半抽象的に描いた。谷を示す水色がユニークで、手前が暗く、奥が明るいという色彩配置も効果を挙げている。
 曽我部芳子さん「風化(A)」は、朽ちかけた鉄筋コンクリートの穴の向こうに緑の風景が見えるという、おもしろい構図の1枚で、よく風化の雰囲気を出している。惜しむらくは、手前に配した金具の遠近法が狂っている。その点、柴田登貴子さん「朽ち行く讃歌」は、廃船という似た題材ながら、平面的に画面を処理しているので、そのような問題は発生していない。
 以上赤平。札幌の虎谷勝行さん「涛沸湖風景」は、ふつうの風景画だが、のびのびした空気感がある。同じく札幌の金谷卓さん「別れの時」は、昨年惜しくも解体されてしまった、藤学園のキノルド記念館が題材だ。
 水彩では、近藤健治さん(札幌)の「札幌植物園の古株」の描写力が群を抜く。工芸は、現代美術ふうの染色を出品した金沢ひでさん(同。新道展会員)、裂け目の色彩に工夫を凝らした能登誠之助さん(同)、モダンな造型感覚のある相馬康宏さん(同。道展会員)など、数は少ないながらみな印象的だった。

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SPRITED CANVASES 2
-KAN SHIMADA EXHIBITION-
ギャラリーたぴお(札幌市中央区北2西2道特会館)
4月2日(月)〜7日(土)

 嶋田観さんは小樽在住の版画家。嶋田観「LYTTELTON ♯1 1999」毎年春先にこのギャラリーで個展を開いているほか、グループ展にも出品している。もともと、多彩な実験的手法を駆使して、無機質的な世界を作り出すのにたけた作家だが、今回の個展でもその特質がいかんなく発揮されている。
 左は「LYTTELTON ♯1 1999」。180センチ×270センチの大作だ。牛乳パックを原料にして、せいろを使って自分で漉いた紙の上に、鉄粉を斜め上から撒き散らしたもの。せいろを使ったことから表面に生じた凹凸のせいで偶然できる模様や、錆による色の変化が、画面に深みを生んでいる。厳密に言えば版画ではないが、偶然性にかなりの部分をゆだねている点で、一般的なタブローとは一線を画している。
 同じ大きさの「LYTTELTON Pb’99」は、題名の通り、鉛の薄い板を支持体として、化学物質を塗って反応させたもので、表面には黄色の濃淡によるさまざまな模様が浮かぶ。作家いわく「自分でクロームイエローをつくったみたいなもんです」。嶋田観「I WISH YOU WERE HERE」
 右は、「I WISH YOU WERE HERE」(60×91センチ)。題名は、英国の大ベテラン・ロックバンド「ピンク・フロイド」の曲名(邦題は「あなたにここにいてほしい」)から取ったようだ。
  よく見ると、右端に電柱と電線が見える。道路を写真に撮って、フォトエッチングという手法で版をおこし、その上から水酸化ナトリウムを塗ってさらにビニールを貼る。すると水酸化ナトリウムが熱をもち、反応して飛び散り、写真のような不思議な模様ができるのだそうだ。
 「GRASS FIELD」という作品は、これの版そのものを作品にしている。たしかに、作家の言う通り、紙にプリントしたものとは色調が微妙に異なり、味わいがある。
 また「Fossil Al+NaOH」という作品は、アルミニウム板に水酸化ナトリウムを塗って変化をおこしたものだ。
 このように説明していくと、なんだか化学変化そのものが目的みたいな印象をもつ人がいるかもしれないが、それは違う。「METAL FOREST」という作品名からも察せられるとおり、さまざまな変化によって生まれる、事前の予測のかなわぬ抽象模様の不思議さが、展覧会の眼目なのだと思う。それは、たとえばマックス・エルンストや一原有徳の世界とも通底しながら、嶋田観ならではの作品世界になっている。

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加藤一豊展−群像表現への招待 市立小樽美術館(小樽市色内1)
2月17日(土)〜5月27日(日)

 小樽の美術館に行くたびに驚かされるのは、実に小樽ゆかりの美術家が多いということだ。「お前が知らなかっただけだろう」という声も聞こえてきそうだが、今回同館で展覧会が開かれている加藤一豊という画家も浅学菲才の身には初見であった。
 受付で配布しているリーフレットは、無料のものとしてはなかなかまとまったいい出来なのだが、これによると1910年(明治43年)小樽生まれ、庁立小樽中学(現小樽潮稜高)を卒業し上京、明大卒。岡田三郎助に師事。1940年(昭和15年)一水会展に出品、のち会員、委員となる。昨年、千葉県鎌ヶ谷市にて没、とある。
 画風はきわめて穏やかな写実だ。クラシックコンサートの舞台に出る直前の女性たちを描いた「出を待つ人々」、大勢のバレリーナたちを舞台袖からとらえた「開演前」など、大作は、群像の女性がモチーフとなった作品が中心。「開演前」は、人物を多彩に細かく描き分けた部分と、わりあい平坦に塗られた部分の比率が緻密に計算され、効果をあげているし、「画室のひととき」は、自画像と妻を組み合わせ、三角形の構図がきわめて安定している。
 たいていの人は小磯良平を思い出すだろう。ただ、小磯の絵が、上品さをたたえながらも、意外と筆触がはっきりして、細部は荒々しさを秘めているが、加藤の絵はどの部分をとってもおっとりしている。個人的な好みからいえば「よくかけていますね。でも、どうでもいいです」というところである。写実でも、筆者は、たとえば道内でいえば、冨澤謙や鵜沼人士のように、もうちょっと「省略の美学」が働いた作風の方が、画面を読み取る楽しみがあって、好きです。
 蛇足ながら思ったことは、「こういう万人に分かりやすい絵は、だんだん少なくなるなあ」ということであった。大きい絵を毎年公募展に出し、小さい絵はデパートや画廊で売り、フランスなど欧州に滞在して”本場”の空気に触れ…という、多くの画家にも共通する経歴を、この画家も有しているが、いまは東京芸大をはじめ美大の学生たちのかなりの部分は現代美術を志向しており、何十年も油絵一筋にまい進というタイプはほとんどいなくなりそうな雲行きである。時代のならいとはいえ、全然いなくなってしまうのもちょっと寂しい。


四谷シモン−人形愛 芸術の森美術館(札幌市南区芸術の森2)
4月1日(日)〜5月27日(日)=4月2、9、16、23日休み(祝日や、5月の月曜もあいています)

 作者の人形作品については道新や朝日新聞にすでに出ているし、ここであえて付け加えることもないでしょう。
 というより、筆者が会場で注目したのは、メーンである人形ではなくて、あの1960年代末から70年前後の熱気をそのまま反映したようなおびただしい資料群であった。こんなにたくさんの資料があるとは想像できなかったからだ。
 たとえば、浅川マキのコンサートのポスターが張ってある。ゲストは四谷シモン。筆者なんかは、もうこれだけでうれしくなっちゃうもんね。べつに浅川マキのファンというわけじゃないし、よく知っている曲は「夜が明けたら」しかないんだけど、その名前がいかにもあの時代を象徴しているように感じられるのだ。
 あるいは、篠山紀信による、伝説の酒場「ナジャ」の店内のスナップ。この店はいまでも新宿の、甲州街道の近くにあり、一昨年、正木基さん(前道立近代美術館学芸員、現目黒区美術館学芸員)に連れていってもらったら、吉本ばななの本の挿絵でも知られるシンガーソングライターの原マスミが来ていたっけ。
 ほかにも、四谷をモデルに細江英公、加納典明、沢渡朔、石元泰博らが撮影した写真展、横尾忠則の手になる「状況劇場」のポスターの数々、澁澤龍彦の自筆原稿などなど。(「状況劇場」のポスターに「西武デパート」のマークが入っているのにも初めて気がついた。西武グループはあのころから、唐十郎から吉田茂さん=札幌のデザイナー兼造形作家=までいろんな人のパトロネージュをやっていたんだなあ)
 この展覧会には直接関係ないけれど、もの派も草月アートフィルムフェスティバルもアースワークもコルトレーン来日もビートルズ全盛期もフォークゲリラも赤瀬川源平「櫻画報」もすべてこの時代であり、とりわけ日本の現代美術はこのときに打ったピークをいまなお恢復できていないような気がするのは筆者だけだろうか。このあたりで登場してきた人が、演劇と大衆音楽を除いた各分野の中心で今も活躍しているというのは、後続世代としてはけっこう恥ずかしいというか、考えさせられるものがあります。

 トークショーも開かれたが、そこで四谷さんが話して印象に残った言葉。
 「才能と変態は正比例する」


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