展覧会の紹介・42001年夏

過去の展覧会の紹介は… 
 2000年12月〜2001年2月 
 同2〜3月 
 同4〜6月 

日本の美とこころ
東京富士美術館所蔵 桃山から近代・絢爛たる500年の粋
北網圏北見文化センター(北見市公園町1)
7月28日(土)〜8月26日(日)

 北海道にいるとふれる機会の少ない日本美術の展覧会です。
 その意味では、なかなか勉強になりました。

 ただ、会場には、全体的に説明パネルなどが少なく、筆者のようにあまりものを知らない者にはいささかツライ展覧会でありました。たとえば、見事な硯箱があり、表面には和歌がほられているのですが、読めない。また、芭蕉や小堀遠州の書が、表装してあって展示してありますが、やっぱりひとつも読めない。そりゃ、おまえに、かな書の素養がないからだ、といえばそれまでですけどね。でも、見に来る人の中には「消息」が手紙文であることすら知らない人だっているんじゃないでしょうか。

 漆などの工芸、古伊万里・古九谷の陶磁器、刀剣、兜などもありますが、やっぱり見ごたえがあったのは絵画です。
 美術史では、その長続きや権力とのつながりばかりが指摘されて、実際に絵にふれることが意外に少ない狩野派や土佐派の大きな屏風も、堪能できました。
 土佐派「平家物語図屏風」、海北友雪「源平合戦図屏風」はデカイです。びっくりしました。どちらも、とにかく登場人物の数がすごい。保存状態もすばらしく、緑や金が豪奢な印象を与えます。後者は友松の子孫か弟子でしょうかね。
 あとは、江戸17世紀の天才、曽我蕭白(そが・しょうはく)「鶴図屏風」。蕭白というと、細かくかきこんだ画面、という印象がありますが、これは、わりと速い筆で二羽のツルを描いた水墨画。スーパーリアルなタッチはさすがです。とさかの部分にのみ朱が使われていますが、ほとんどモノクロームなのにもかかわらずスカスカ感の無い構成、生命感あふれる草木の描写は見事。
 伝俵屋宗達「春秋草花図屏風」は、迫真の細密描写により、同時代のネーデルラント絵画との共通性すら感じさせます。

 浮世絵では、役者を題材にした錦絵や、葛飾北斎「富嶽三十六景」歌川広重「名所江戸百景」、さらに小林清親などが並んでいます。
 「名所江戸百景」のうち、「亀戸梅屋敷」と「大はしあたけの夕だち」が並んでいたのには、思わずニヤリ。この2点が名作なのはもちろんですが、ファン・ゴッホが模写した2点でもあるのです。

 近代の日本画では、菱田春草「春秋の滝」橋本雅邦「三保松原図」に惹かれました。どちらも、院展初期の同人たちが、水墨画の簡潔な表現と、西洋画の輪郭をぼかす画法とを、どのように止揚させようかと苦闘していた跡が、あきらかです。
 ほかに、横山大観、鏑木清方、川端龍子ら。


銅版画の詩人
駒  井  哲  郎  展
道立旭川美術館(常磐公園内)
7月7日(土)〜8月26日(日)

この潔癖で、つねに自らを責めることにおいてきびしく、しばしばきびしすぎさえした芸術家の魂は、その作品の中で、銅の板や深い黒のインキと馴染むとき、典雅な吐息をもらして、みずからの予想もしなかったようなやすらぎに達しているのが感じられるのである。

 「みづゑ」1977年3月号をめくっていたら目にとまった大岡信の文章の末尾です。もう、完璧といっていいほどに、この、戦後を代表する銅版画家のひとりの魅力を語り尽くしているようですから、これ以上付け加えることはないのではあるまいか−と思われます。

 まだ日本が敗戦後のショックから十分に立ち直っていない1951年にサンパウロビエンナーレで入賞を果たした「束の間の幻影」のような作品が、一番好きです。筆者は技法のことはよく分かりませんが、アクアチントを駆使することによって、モノクロームの階調が実に豊かに表現されているからです。真っ黒から薄い灰色まで、輪郭のぼんやりした形で表されたいくつもの四角や、円筒や、角錐…などは、題名の通り、一瞬瞼の裏側にあらわれては消えてゆく残像のような、はかない幻想を画面に定着させているかのようです。そうです、人は、幻影をしっかりと知覚して、記憶におさめるなどということを、常にできるわけではありません。むしろ、とらえどころのない形と光のみが、脳髄の底にうつろにのこっているという方が多いのではないでしょうか。「束の間の幻影」の世界は、まさに、私たちの確かにとらえそこなった幻やイメージの原形質が、定着している作品と言ってもいいでしょう。

 駒井哲郎の作品は、この系列にとどまるものではなく、線のみによる抽象的な「阿呆」「鳥」などの作品、孤独な木を題材にした一連の作品、さらに「少年」「人形と小動物」といった、どこか畦地梅太郎を想起させる素朴なものなど、バラエティーに富んでいます。それらは、形づくりのみに没頭するのではなく、かといってある種の観念の翻訳でもない、まさに銅版画の特質を生かした世界を現出させているようです。だからこそ、安東次男と、日本ではほとんど初めてといっていいコラボレーションとしての詩画集(つまり、単に詩に挿絵を附したものではない)「カランドリエ」を出したり、数多くの装丁を手がけても、文章の世界と堂々とわたり合うことができたのではないでしょうか。


日 本 現 代 工 芸 美 術 展 
北海道会展
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
8月8日(水)〜12日(日)

 「現代工芸」を標榜するだけあって、伝統工芸とよばれる分野に比べると、「個性」を「型」よりも重視しているように見えます。したがって、筆者のようなシロートでも、自由に楽しめるわけです。
 日展理事で、全道展工芸部門の中心メンバーだった折原久左エ門さん(函館)の金属の大作「連作−道標−」の2点が、会場中央にでんと陳列されています。四角く太い金属の棒を折り曲げたシンプルな、しかし、実際に形状をたどってみると思いのほか複雑な構造の作品です。会場全体を睥睨しているかのような、ずっしりとしたモニュメンタルな存在感があります。
 鋳金の分野では、中川眞一郎さん(檜山管内乙部町)「風刻」も、石や木が風化したようなごつごつした表面が印象に残りました。
 出品作の過半は陶芸です。横田惠子さん(札幌)「雪路」「雪霰」のように、白く粗い肌の作品もあれば、古家智子さん(帯広)「樹海…芽ぐむ」は、新緑を思わせる微妙な色が美しい。いかにも北国らしい陶芸といえます。
 高橋タケさん(同)「或る日の摩周」も、色合いの微妙さでは負けてはいません。佐山由紀江さん(同)「望春」の流れるようなフォルムも良かったです。
 関原範子さん(札幌)は、全道展時代はアクリルを主な素材とする立体を造っていましたが、今回出品した3点はいずれも、アクリルを主にしながらも七宝、金属を表面に付けて、存在感を醸し出しています。ご本人にお話をきいたところ、女子美大時代には東京の工房に通って七宝の技法を身につけ、札幌でさっそく立体作品に用いてみたとのことでした。
 初めて見たメンバーでは、市川萌さん(同)「碧覚醒」などが、均整の取れた部屋仕切りの置物を出品していたのが目を引きました。
 出品者は次の通りです。
 木工…阿部憲司(函館)=会員
 陶芸…伊藤英実(渡島管内七飯町)、石井幸子(帯広)、岩崎貞子(岩見沢)、海野真紀(帯広)、柿崎直人(渡島館内森町)、金子章(帯広)、佐藤勝子(函館)、佐藤留利子(函館)、谷口光伸(檜山管内乙部町)、原久肖子(帯広)、三浦千代志(函館)、宮川祐美子(帯広)=以上会員。石川久美子(函館)、岩間幸子(同)、木村クニ(帯広)、富成公子(函館)、森坂秋子(同)
 染織…笹島和子(函館)、庄司光江(同)、田中和子(渡島管内七飯町)=会員
 ガラス…佐藤博子(札幌)、安井顕太(小樽)=以上会員。安井幾久子(小樽)
 鍛金…田部隼夫(札幌)=会員
 鋳金…中秋勝弘(札幌)、丸山裕淑(渡島管内松前町)=以上会員


13回南巖衛個展
第12回北海道二紀展
スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)
7月31日(火)〜8月5日(日)

 南さんの個展でものすごく心惹かれる小品があった。
 「駒ケ岳」という10号の作品だ。
 白い雲の浮かぶ青い空に、紫がかった駒ケ岳がすっくとそびえている。山は、噴火で中央部が吹き飛ばされ、波頭のような美しい形をしている。
 前景は、針葉樹のあることは分かるものの、あとは、さまざまな階調の緑の色斑が置かれているだけだ。
 一見してこの絵は、セザンヌの「サンヴィクトワール」を想起させる。
 ただセザンヌと異なるのは、彼が写実から遠く離れて緑や茶の絵の具を置くだけになっているように見えながらも決して対象の形を忘れなかったのに対し、この「駒ケ岳」では、前景の森林は、単なる色の塊が並置されているだけになっているのだ。
 いわば抽象化された風景なのだが、まったく不自然さがない。カラリストというのは、単に派手に色彩を散らす人ではなく、こういう人をいうのではないかと思う。
 南さんの特徴は、紫など、ふつうは使えない色彩を、アクセントとして実に上手に置くことだ。

 ほかにも、たとえば「白い街」は、緑の海面の色調が美しい。丹念な下塗りを行っているからだ。
 あるいは、地中海の島国に在を得た「マルタ遠望」。茶と緑のハーモニーは南さんならでは。

 ところが、100号クラスの作品となると様子が変わる。
 ギリシャの彫刻や神殿を題材にした、一種の構想画になるのである。
 色はほとんど茶系統のみ。題材が彫刻やレリーフなので、いきおい画面は平面的になる。それはいいのだが、モチーフとモチーフの間、あるいはモチーフと地の間に明度の差があまりないので、どうしても輪郭に頼る部分が散見される。
 あえて巧みな色彩配置を排して、平面的な画面づくりに挑む意欲はすごいと思う。ただ、個人的な好みから言えば小さい作品のほうが好きです。


 二紀展は、戦争直後に二科展が三分裂して誕生した公募展です。
 絵画と彫刻があり、絵画では遠藤彰子、北久美子、玉川信一、吉岡正人といった有名人がいます。抽象は少なく、見て楽しい展覧会だと思います。そうそう、道内関係でいえば諏訪敦という新進気鋭もいますね。
 さて、今回は、絵画20人、彫刻3人が、1点ずつ出品しています。
 彫刻は、委員の永野光一さん(道展会員。江別)「眼の時」は、いつものように石と金属の対比が鮮やかな作品。
 神谷ふじ子さん(札幌)も、七宝の鮮やかさとさびた金属の存在感が確かな作品です。
 藤塚亜紀子さん(石狩)の作品は、たぶん初めて見ました。「寂寥」と題された、木彫の首です。
 ただ、いずれも小品なのがちょっと残念です。
 
 絵に目を転じると、伊藤光悦さん(道展会員。北広島)「エアポート」は、昨年の個展で見たような気がするなあ。いつもながらの、リアルで荒涼とした伊藤ワールドですが、かつて原子炉や廃墟をモチーフにしてた頃のほうが個人的には好きだなあ。
 長内さゆみさん(渡島管内大野町)「逆光」、斉藤博之さん(後志管内余市町)「裏山にて…」も、あいかわらずリアルな画風。斉藤さんはこれまで「モチーフ常連」だった動物の頭骨が消えて木の実など小さな対象で画面を組み立てています。
 中丸茂平さん(全道展会員。苫小牧)「日溜まり」。中丸さんの絵も写実的です。ここ1、2年で、鳥が消えて、枯れ草だけで画面を構成しています。
 廣岡紀子さん(道展会員。札幌)「追想」は、何の変哲もない風景画ですが、いつもの廣岡さんよりも無理のない構図で、派手さはないけれどいい作品だと思いました。
 浦隆一さん(道展会友。砂川)「夜行列車」は、蛍光色みたいな派手な色を使って、どこか毒のある童画ふうに子供たちを描きます。
 以前の個展でも紹介しましたが、松井多恵子さん(全道展会友。札幌)「無機的実験」は、窓辺に座った裸婦と、机上の人体模型の一部や実験器具、窓外の電柱などを組み合わせた、なんとも不思議な作品です。
 ほかの出品作は次の通り。
 岩本敬子(札幌)「春待つ」
 大島忠昭(胆振管内洞爺村)「鎮魂・風化樹に生きる」
 大嶋美樹絵(札幌)「夢物語」
 大沼清(十勝管内本別町)「寂寞bP)
 河田隆子(北広島)「赤い室内の卓上」
 澤田範明(札幌)「或る日の午後」
 高橋宗彦(同)「Water Ways」
 田之島篤子(十勝管内音更町)「積」
 奈良昌美(千歳))「2001画室の母子」
 埴原悦子(札幌)「遠雷」
 藤本久美子(十勝管内音更町)「夏模様」
 馬杉直美(札幌)「てをふる」
 和田仁智義(十勝管内芽室町)「悲しみの大地」
 


輪島進一展 札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
7月30日(月)〜8月4日(土)

 近代美術史上、セザンヌにいたってはじめて、目に見えるものを対象にしながら、その模倣的再現ではなく、見え隠れする世界、隠れたものを目に見えるようにする絵画への道が拓かれたのである。
                                            (土肥美夫「抽象絵画の誕生」)

 セザンヌ以降、近代の絵画は、たしかに自由を得た。
 しかし、それは反面、どう描けばいいのかという苦闘の歴史の始まりでもあったのである。

 なんて、ちょっと格調高すぎる書き出しだな。
 ただ、セザンヌなど後期印象派っていうのは、印象派によって、色彩のフォルムに対する優位がかなりのとこまで推し進められたことに対する反省っていう側面はあったと思うんだ。
 マネの絵を見ていると、あらゆる形は、色のなかに溶け込んでしまっている。形(フォルム)の全面敗北だよ、こりゃ。
 まあ、それも、一種のリアルさではあるんだけど。
 セザンヌはそこからちょっと引き返そうとして、デッサンをやった。
 ゴーギャンは、色面と色面を並べて、黒い輪郭で強調した。
 しかし、それはうまくやらないと、画面が平板化する。
 ファン・ゴッホはそれに気がついていたから、輪郭としての線ではなく、描写のための線を全面に走らせる。それが、画面に生命感をみなぎらせる。
 一方、おそろしく細かい点で画面を満たしたのがスーラである。
 点描という方法論は、形と色彩という二項対立を、彼なりに止揚しようとして編み出したんだろうと思う。ただし、その画面からは、生き生きとした運動感は残念ながら失われてしまった。

 あんまりこのへんについて書くと不勉強がばれるから、本題にいこう。でもね、輪島進一って人は、そこらへんの地点にまでいったん戻って「絵画とは何か」について考えてるんじゃないかな、と思うんだよな。つまり、方法論でいえば、ゴーギャンのような色面でも、スーラのような小さな点でも、前期マティスのような大きな点でも、後期ファン・ゴッホのような太い線でもない。
 となれば、残ったのは細い線だ。
 ごく細い線を使えば、新しいリアルが、みえてくるかもしれない。

 それもクレーやミロのように線そのものが輪郭となって画面を構築するんでもない。
 輪島の絵の線は、独楽鼠のように画面を走る。
 その効果は、むしろスーラの小さな点のほうに似ている。
 細い線の間から、下に塗られた色が透けて見える。二つ(以上)の彩度の高い色が並置され、独特の輝かしさが画面に息づく。
 この方法だと、とにかく縦横に線を走らせればある程度フォルムを犠牲にしたかたちになるし、線の色も注意深く変化させていけば「雨上がる」のように、なんともいえない微妙な色彩感を持ちながらもフォルムをないがしろにしない作品になってくるんだと思う。いや、シロート考えです、そんな単純なもんじゃないかもしれないけど。
 それにしても「雨上がる」の空気感は不思議だ。画面を引っかいたり、いろいろな技法を試みているようだけど、それだけに還元できない何かがある。

 で、輪島さんのもう一つの特徴は欲張りなところだと思う。
 近代絵画の歴史のさまざまなエッセンスが詰まっているんだな。
 さっきの書き方だと、あるいは20世紀初めあたりでとまってる絵みたいに思う人もいるかもしれないけど、とんでもないことで、今回初めて見た新作「夜明けの微風」にも表現されているけれど、手や、ヘッドフォンが複数描かれている。これって、複数の角度から見た画像を同一の画面に描こうとしたキュビスムの方法意識にすごく通ずるものがあるんじゃないのかな。「動き」を表すのには、手がいくつもあったほうがリアルだもんね。
 あるいは、絵の具の塗り方。下地の白い絵の具が厚い塊になっているのが、端のほうを見るとよく分かる。支持体の物質感をあからさまにしてしまおうというのは、最近の絵の世界に多い傾向だよね。

 そして、これまでわざと言及してこなかったけど、描かれている内容も「現代」なんだよな。ビル街を望む一室で、ヘッドフォンで音楽を聴きながらノートパソコンを操る人間。あやしく光るプラグ。そしてプリンター。
 画室とか道庁赤れんがもいいけどさ、2001年の絵画はこうでなくっちゃと思うよ。

 まだ書かなきゃならないことはあるような気がするけど。とりあえずこのへんで。
 小樽在住。独立展、全道展会員。
 


井路可展
斉藤矢寸子展
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
7月23日(月)〜28日(土)

 輪島進一さんに「早く書いて」とせっつかれましたが、困ったな、何を書くかまだちゃんと決めてないんだよな。お二人に迷惑がかかっちゃいそうですが…。

 室蘭在住の画家、福井さんは、3年ぶりの個展です。
 渦を巻くような女性像というモチーフは変わっていませんが、同時に描かれていた風景は後退し、抽象的な要素が強くなったように感じられます。というか、具象的な木などが消えて、絵の具のうねりが画面を覆うようになってきています。
 ほとんどの作品は、十字架のような垂直線と水平線の組み合わせに、裸婦が絡まっているような構図です。
 十字架は、木片を貼り付けています。ところどころ鑿跡が見えます。木目も、絵をつくる要素になっています。どこか、磔刑のイエス像を想起させます。
 いちばん大きな「明日の、そして昨日の風」は、西洋の祭壇画を思わせる、三つのキャンバスからなる作品で、ますますそのような連想を強めます。
 田中忠雄やルオーのような、力強い筆致による宗教性の発露とはまた異なった、福井さんなりの人間への追求なのだと思います。
 たとえば、女性の顔が明暗二つ描かれているのは、実像と虚像という人間の二つの面ではないでしょうか。
 でもむしろ福井さんのもっと書きたかったのは、風ではなかったかという気がします。
 画面を走るS字カーブ。濃い色斑。そして、変化に富むマチエール。
 風は、そのままでは目に見えません。一般的には、揺れる木などの形で描くしかないのです。にもかかわらず、そのとらえがたい対象をキャンバス上に定着させようという作者の試行の跡が、それらの描線には示されているのです。
 国展、全道展会員。
 
 斉藤さんはことし全道展の会員になった旭川在住の画家です。
 手前に複数の人物、背景に卵型をした都市という構図は、前回の個展のときと基本的には変わっていません。
 ただ、これまでは、卵形都市にいろんなビルや物体がばらばらの大きさで乗っかっている遊園地的な面白さが主眼だったようなところがあったけど、そういうシュルレアリスム的な要素はちょっと後退して、手前の人物の描写も深刻さを増してきたような気がします。格調が高くなったのかな。
 絵によっては、小樽運河の工場などが挿入されたりして、リアル路線になってきたようです。


一原有徳/新世紀へ 市立小樽美術館
市立小樽文学館(小樽市花園1)
6月1日(金)〜7月22日(日)

 一原さんって、つくる作品もすごいけどさ、ご本人もすごいよね。
 いかにも大家っていうところはぜんぜんなくて、謙虚っていうか。
 1997年に市立小樽美術館で「イチハラ ステンレス オブジェ」という展覧会が開かれたとき、拙文が道新に載ったんだけど、わざわざお礼状をくれて「勉強になりました」「今後もご指導を」なんて書いてある。
 80代後半の大ベテランがさあ、美術のことなんかちっとも分かってない若僧に、こんなことは書けないよね、フツー。
 でも、それは単に慇懃だっていうのとは違うと思う。貪欲なんだな、多分。
 吸収できるものはどんどんしようっていう、意欲の現れなんだと思う。
 まえに吉田豪介さん(市立小樽美術館長)から聞いた話なんだけど、一原さんは小樽住まいだからときどき美術館にふらっとやって来て、油を売って帰るんですって。で、そういうときするのは、これからこういう仕事をしてみたいっていう、未来の話ばっかりなんだって。
 1910年、明治生まれですよ。もう、回想モードに入ってるのが普通じゃないですか。ねえ。
 でも一原さんは、そろそろ自分の仕事の集大成だとか、そういう意識がない。
 大作に何カ月かけたとか、そういう姿勢じゃないんだな。とにかくたくさん、試行錯誤を繰り返しながら、制作を続けていく。過去にこだわらず、前へ、前へ。
 そういう意味では、今回美術館の展示で気が効いてたナーと思ったのは、「標本箱の中のメモワール」のコーナー。
 縦横数センチの小品って、展示しづらいんだよね。1点ずつ壁にかけても、見る方だってつらいしさ。でも、標本箱のように仕切ってある箱に収めると、すごくすっきり鑑賞できる。
 一原さんの作品は小品でも、大作と同じ質の宇宙を宿していることがすごくよくわかった。
 それと題名のこと。どれもアルファベット3文字くらいの、具体的な何かをイメージできないような題名ですよね。本人は、適当につけてると、かわすけれど。ちなみに、アートジャーナリストの柴田尚さんは、一原さんは戦争中暗号をあつかう仕事をしてたから絶対それに関係ある、とにらんでいるようです。で、一見イーカゲンにつけてるような題名だけど、やっぱり法則性がありそうってことが分かった。金属パイプのような作品は「L」から、雨だれ状の作品は「R」から、書を思わせるものは「KG」から(カリグラフィー?)それぞれ始まっている。むむむ、これは何かある。
 岡部昌生さんが構成したという「一原有徳宇宙函」のコーナーは、わりと日本画、掛け軸などが飾られるところですな。反対側にもアルミ板が貼ってあったことに気がつきました? 
 もちろん、単なる遊びってことで片付けることも可能なんだけどさ、見る人が作品に写しこまれることで、作品づくりに参加しちゃってることになってるのがおもしろいよね。あるいは、そこに写る世界すべてが取り込まれることで作品がすごく拡張するっていうか。あるいは、人が見る角度によって、見る人の数だけ作品が生成されるっていうか。
 さて、文学館のほうだけど、見やすさってことで、苦労の跡がうかがえました。
 一原さんの俳句も、ぶっとんでるからね。

 錆びたハーケンくずし字の書けない彼だった
 9999999ヒラケゴマ

 ただ、筆者は、客観的な評価はできませんが。
 俳句に短い自作解説を付す−という形式は、とても読みやすかったと思うな。
 これは前に書いたかもしれないけど、一原さんの版画って、ぜんぜん文学くさくないんだよな。不思議なんだけど。文字で表現できるイメージや観念を視覚的に翻訳したものでは、全くないでしょ。すごいことだよね、これって。冗談じゃなくて、使ってる脳の部分が違うのかもしれない。
 筆者がいちばん感動したのは、50年代に山と渓谷社から一原さんが出した「北海道の山」というガイドブックがあったこと。
 山と渓谷社っていえば、その分野では老舗ですからね。一原さんは「北海道大百科事典」でも山岳関係の相当数の項目を執筆していますが、ホントに登山家としても大したものなのです。
 未来の話しかしない、という姿勢のまま、これからも元気で制作に励んでほしいナと思いました。


月展 2001
北海道教育大学札幌校美術科作品展
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
7月11日(水)〜15日(日)

 学生の作品を取り上げるのは、なんだかいまの段階で才能とか完成度とかをあれこれ言うのは早すぎるような気がして抵抗があるけど、ま、いっか。わたしのことがかかれてない、とか、あの人のことが書いてあるとか、そーゆーことは、あまり気にしないで読んでください。
 ほんでもって、ロビーでまず目に入ったのは、高橋亮子「魚車」。よく分かんないけど、なんだかおもしろい。
 壁を埋め尽くしていたのは植西光紘「“2001年宇宙の旅”期間限定オリジナルキャンペーン」。ゴム製の胎児が入った透明な袋が規則的に並んでいる。ちょっと気味悪い。15日には、キャンペーンガールが作品をプレゼントするそうです。胎児かあ。「2001年」なら胎児って分かるかもしれんけど、ほかのタイトルなら分からんかもなあ。
 具象彫刻では坂本正太郎さんの首が良かった。
 金属・木材造形は、なぜかいすの作品が多い。齋藤友華さん「φ」は大作です。
 日本画では谷地元麗子さん「習作」。これ、どっかで見たことあるよ−な気がするけど、まあいいや。無精ひげの若い男性が坐ってるだけの絵なんだけど、さいきんの彼女の絵って、セクシーなんだよなあ。なんでかなあ。
 油彩では、橘内光則さん「滄浪之水38」。写真のようなリアルさで、水という難しい題材にチャレンジしています。
 手塚歩未さん「庭」は、さいしょ日本画かと思っちゃったよー。日本美術の伝統である装飾性、平面性を画面に取り入れたユニークな作品になっています。
 映像作品では、広島祐介さんのアニメ「フィフス応用力学」の浮揚感も捨てがたいけど、佐竹真紀さん「うつる」がアイデア賞ものでした。これは、モノクロ写真をアニメの手法でつなげたものだと思いますが、女性が写真から写真へと飛び移っていくというアイデアがすばらしいです。


樹氣−砂澤ビッキ展 芸術の森美術館(札幌市南区芸術の森2)
6月3日(日)〜7月15日(日)

 ある芸術作品を、風土性のもとに回収してしまうことは、その作品の可能性を狭めてしまうおろかな行為だ。
 だから筆者は、たとえば「北海道文学」みたいな総称が好きではない。
 でも、砂澤ビッキの作品を見ていて、そこに、痛烈に「北海道」を感じてしまい、同時に自分が道産子であることをいやおうなしに意識してしまった。
 だから、以下につづる文章は、いささか個人的で感傷的な文章になると思う。

 砂澤ビッキの作品にはじめて出会ったのは、1988年3月、東京・京橋のINAXギャラリーの個展だった。筆者は大学の卒業を間近にひかえ、唯一採用通知をくれた北海道新聞社に入るため東京を引き払って北海道に帰ろうとしていたころだった。
 筆者はビッキのことはまったく知らなかった。もちろん、翌年この世を去ることも。
 ただ、作品を一目見て
「これは北海道の作家だ。しかも札幌じゃなくて、道東か道北の作家だろう」
と分かってしまったのだ。
 この個展には、今回も出品されている「集呼吸A」も並んでいたようである。
 それにしても、作品に、これほどまでに
「北海道」
を刻印している美術家が、ほかにいるだろうか?
 岩橋英遠くらいしか思い浮かばない。

 筆者は、北海道的なるものを、会場の出口近くに置かれていた「風」に強く感じた。
 まず、一見、倒木の根元を運んできただけのような、そっけない、しかし実に美しくみがきあがられたフォルムに。
 次いで、細かい鑿の跡が残る表面に。
 裏側にまわって、木の表面をじっと眺めていると、そこにある波のような模様は、たしかに、吹雪なのだ。
 横なぐりの強風。舞い上がる粉雪。ほんの数メートル先の視界もさえぎる猛吹雪。あれほど美しく優しかった自然が、人の命を奪いかねない猛威に変わる…
 それは、筆者にとっての原風景のひとつだ。
 そして、北海道に暮らした人のうち少なからぬ部分が、体験しているだろう。
 だから、有島武郎「生まれいづる悩み」や本庄陸男「石狩川」の吹雪のシーンがあれほど印象強く書かれているのではないだろうか。
 もう一度表に回る。
 こちらの鑿跡は、夏の風のようだ。
 それは、木が朽ちるとともにほろんでいく風だ。
 この世に永遠というものはない。永遠に残るものは、ない。
 ただ、ばたばたと慌しく生きる人間に比べ、木は、多少長い生を生き、慫慂と、静かに朽ちて消えていく。そういう、木へのあこがれ。
 小さな傷があり、大きな風化の跡があり…。木は、さまざまな表情を見せる。
 わたしたちは、そこに、それぞれ固有の物語を、読み取るのだ。沈黙しながら。

 それにしても、今回の美術展ほど、作品に触りたいという欲求を抑えがたかったことはない。うずうずしてくるのを、やっとの思いでこらえていたという感じだ。
 イサム・ノグチも、触りたくなる彫刻だったが、彼の場合、札幌・大通公園に「ブラック・スライド・マントラ」があって自由に触ることができる。ひとつ触れる作品があれば、ほかの作品はなんとなく想像できる。
 でもビッキの作品は、想像の手がかりがない。
 昆虫に触発されて制作したと思われる連作「午前三時の玩具」は、関節の部分が、自由に曲げられるようになっている。題名の通り、玩具のようだ。カマキリのような形の虫の手足を自由に曲げられたら楽しいだろうが、美術館ではそういう行為は許されない。
 美術というのは、マスプロダクト・商品化から遠いことが、いわば反近代的な魅力なんだけど、こういう作品にであうと、大量生産もいいなあと思えてくる。
 「午前三時…」だけではない。「神の舌」など、多くの作品は、リズミカルな鑿跡がうつくしい。岡部昌生さんがフロッタージュをしたのも、すごく分かるような気がする。

 最後に置かれていた大作「風を聴く」は、重さとコミカルさが同居している作品だった。ちょうど、4体の丸太(中空をくりぬいてある)が、「となりのトトロ」にでも登場しそうな、木の精みたいに見えるのだ。
 「トトロ」の物語ではないけれど、かつてわたしたちが子供だったころ、森に入ると、木の精を見ていたはずではなかったか。子供の心をひそかに持ち続けていた彫刻家が、幼い頃に見たものを、そのまま彫り出したのがこの作品ではないか、とすら思えてきたのだった。

(7月17日記す)

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個人美術館散歩
7人の洋画家
北海道立三岸好太郎美術館(札幌市中央区北2西15)
5月25日(金)〜7月8日(日)

 規模の小さな美術館が集まって、全国美術館会議のなかにつくった「小規模館ワーキンググループ」の共同企画による展覧会。そのうちくわしく書こうと思ってたら、もう会期末だ。おのれの怠慢を恥じるばかりであります。
 今回、出品されているのは、われらが三岸をはじめ、
 久米桂一郎(東京都品川区・久米美術館)
 熊谷守一(山形県・天童市美術館)
 萬鉄五郎(岩手県東和町・萬鉄五郎記念美術館)
 東郷青児(東京都新宿区・安田火災東郷青児美術館)
 荻須高徳(愛知県・稲沢市荻須記念美術館)
 小磯良平(神戸市立小磯記念美術館)
の7人。「洋画」というくくり以外には、これといって共通点のない7人ですが、それぞれの代表作をコンパクトにまとめて紹介しているので、なかなか楽しめました。
 ただ、「つれづれ日録」にもちらっと書いておいたことですが、日本人にとって洋画をかくことの根本的難しさみたいなものをつくづく考えさせられましたね。
 これはあくまで筆者が画面から受けた印象で、間違っているのかもしれませんが、意外とその困難さを自覚してないんじゃないかと思ったのが久米でした。彼の場合、フランス留学中の作品と、京都を題材にした風景画と、あまり違いが感じられません。
 明治から昭和にかけて梅原龍三郎や安井曽太郎、佐伯祐三ら大勢の画家がフランスで絵を学んで帰朝するわけですが、だれもがかの地と日本との気候風土の違いに愕然として思うように絵筆を執れなくなります。湿気の多い日本の風景は、クリアな油絵より、あちこちに水蒸気が浮かんでいる水墨画のほうがぴったりくるんですね。
 ところが、風景画1枚だけで判断しちゃいけないんでしょうけど、久米の「清水寺」には、そういう気候風土の違いを前にして苦悩する画家の姿があまり見えてこないように思えました。ただ、盟友・黒田清輝と違い、帰国後あまり筆を執らなくなっていったという伝記的な事実は、あるいは久米も日本の風土を油絵にかくという困難さを感じていたという証左なのかもしれませんが。
 いま黒田清輝の名が出ましたが、彼がアトリエで制作中の久米を描いた「画室にての久米桂一郎」という作品が参考出品されていました。

 熊谷という画家はコレクターや愛好家からは非常に高く評価されているようですが、筆者には正直言って、その正体がつかみかねるところがあります。
 若い頃にかいた自画像や、死んだわが子の肖像などは、すぐれた作品だと思いますが、少なくても今回出品されているのは小品ばかりで、真価をはかるにはなんともいえないところです。
 後半生の作品は、色鉛筆などでかいた輪郭を残した、おそろしく簡素な画面の小品ばかりになりますが、モデリングも細密描写も排したこれらの作品からも、彼が西洋的な伝統から遠ざかって、自分なりの絵画世界をつくろうとしたことが分かります。
 「へたも絵のうち」(平凡社ライブラリー)を読むと、およそ常人の想像もできぬような自由人(というか、ほとんど仙人)の生き方を貫いてきたことが分かり、多くの人が熊谷にあこがれているのは作品よりもむしろその生き方ではないかとも思えてきます。自由人といっても長谷川利行や関根正三じゃ悲惨すぎますしね。

 萬(よろず)については、一般的には「日本におけるキュビスム受容」という文脈で歴史に位置付けられるようですが、1998年に道立旭川美術館で開かれた展覧会(むむむ、手元に図録が無いので展覧会の名前もわからん)によって日本の伝統的な美術の延長線上にある画家として再評価されたことは記憶に新しいところです。
 なんかむずかしい書き方になっちゃったけど、ようするにですね、近代日本の画家たちは(富岡鉄斎らを除いては)、西洋のナンダカ主義、カンダカアートのうわべを取り入れることに忙しく、萬もその一人だとされてきたわけですが、そういう視点からじゃない見方もあるゾ! と指摘したのが、先年の旭川美術館の展覧会だったわけです。
 今回は萬の初期作品も見ることができて、これはとても新鮮でした。「盛岡住吉神社風景」なんて、外光派らしい明るさに満ちています。旭川で見た代表作や、東京・竹橋の国立近代美術館に行けばいつでも見ることができる「裸体美人」からは想像もつきません。ちなみに「裸体美人」は東京美術学校(現・東京芸大)の卒業制作だったんですね。
 出品作「心象風景」は1913年の作で、説明によると、世界でも最初期の抽象画ともいえるそうです。萬がどこまで抽象画を意識していたのかどうかは分かりませんが、制作年代はカンディンスキーやモンドリアンとほぼ同じなのは確かです。
 晩年には文人画とでもよぶべき「松林」も書いています。
 日本人はほっておくとこういうモノクロの、陰影の乏しい絵をかくわけで、この文人画は、どこか漫画にも似ています。
 西洋人でない自分はどういう絵をかくべきなのか。萬はそのけっして長くない生涯の中で、真剣に「日本の洋画」というアポリアに向かい続けていたのではないでしょうか。

 東郷も、一昨年に道立近代美術館で大規模な回顧展が開かれ、代表作のほとんどはその時に展観されましたので、今回はとくに目新しいことはありません。
 ただ、こうしてほかの洋画家と並べてみると、次のようなことはいえると思います。
 すなわち、初期のキュビスム的な展開が、きわめて意欲的な取り組みであったと評価できる一方で、内発的な、自分の精神の奥底から採られた手法のようには、あまり感じられないことです。
 そして、手法に自覚的になる以前の「自画像」にこそ、画家の若い、ほとばしる情熱がみなぎっているようです。理屈ぬきに
「うーん、ロックンロールしてる」
と思った1枚でした。
 また、ある一定以上の年齢の人にはおなじみの東郷の女性像をあらためて見て、その線の巧みさにはあらためて感心しました。曲線の「迷いの無さ」は、ビアズリーを思い出させます。「洋画」ですから、陰影は付けてありますが、その本質は、少女マンガと変わらないのではないかと思われます(これはもちろん、けなしているのではありません)。

 この7人の中で、もっとも「洋画」の扱いに習熟したのは、フランスに骨を埋めた荻須ではないかと思います。とにかく、うまい。ただ、31年の「婦人像」など、上半身の腕の部分などはしっかり陰影を施しながら、スカートの部分は奥行きのあまりない描写になっており、このあたりに「日本人的」なものはどうしても出てしまうのかもしれないと思いました。
 長い間パリに住みながら、けっしてノートルダム寺院などの名所を描こうとしなかったその姿勢には好ましいものを感じます。

 小磯は気品と清楚さのあふれる穏やかな女性像で知られる画家ですが、やはり画業の初期には、日本の風土のなかで洋画をかくことの困難さをどう乗り越えるかという問題意識はあったのではないでしょうか。東京美術学校在学中にかいた「和服美人」も、当時は洋装の女性のほうが少なかったという現実的な事情もさることながら、陰影に乏しく平坦な表面を持つ和服の女性を、いかに洋画に仕立てていくか−という難しさを、克服しようとしている作品とはいえないでしょうか。

 以上、駆け足で7人の洋画家について、好き勝手に述べてきました。
 これはあくまで筆者の個人的な見方です。ただ、みなさんの見方が、複眼的なものになれば、それにまさる喜びはありません。
 ところで、この展覧会の図録はよく出来ていますが、巻末の美術館リストで、URLの掲載されている館がひとつもありません。ホームページを持っている美術館がひとつもないってことでしょうか?


荒木経惟写真展
十勝平野喜怒哀楽
北海道立帯広美術館(緑ヶ丘公園)
6月23日(土)〜7月7日(土)
 先ごろ東京都現代美術館で同時に開かれた草間彌生と荒木経惟の展覧会は、草間がいかに偉大な芸術家であり、荒木がいかに矮小なニセモノであるかを如実に示すものだった。
 (中略) にもかかわらず、エキゾティックな小品を探し回る欧米の二流の美術関係者たちは、欧米の作家の作品だったならフェミニストの総攻撃を受けるであろう荒木の写真を、「官能の帝国」(『愛のコリーダ』の訳題)の珍奇な輸入品としてもてはやし、日本の二流の美術関係者たちがその評価を逆輸入するという、最悪の回路が支配的になっているのだ。
(批評空間23号・編集後記。1999年10月)

 浅田彰のこの文章を読んだとき、胸のつかえがスーッとおりるような感じがしたのをよく憶えている。
 いったい、どうしてこの写真家がこれほどもてはやされるのか全く分からず、しかし世間の評価は高いものばかりだったので、そのギャップを自分なりにどう整理していいのか困惑が続いていた。浅田彰がすぱっと言い切ってくれて、すごくナットクできたのだ。
 それと、「世間の評価」に必ずしも追随する必要は無い、ということも、あらためて自分なりに認識できた。

 もっとも、ニセモノという評言は、アラーキーにはさして痛くもかゆくもないんじゃないか。
 「そうだよ、アタシはニセモノだよ」
などと開き直られるのがオチなように思う。
 アラーキーは「天才」という形容はされても、決して「巨匠」とは言われない。巨匠然としたあり方からは徹底的に逃走していく。だから荒木経惟は、たとえば土門拳や木村伊兵衛と同じような扱いを受ける存在ではありえず、巨匠的な完成をどこまでも回避していく一種のトリックスター的存在なのだ。だからこそ、一般的な倫理コードからも自由でいられるわけなのだ。
 もっとも、そのニセモノ性には、たとえば森村泰昌にあるような批評性はない。

 浅田の、荒木礼讃への批判を、一言で言ってしまうと、要するに「オリエンタリズム」ということに尽きる。
 でも、これは筆者のカンなんだけど、欧米における荒木評価には、もう一つ別の側面があるんじゃないかな。つまり、ナン・ゴールディンやラリー・クラークと同じ文脈で評価されてるんじゃないかということ。ドラマ性みたいなものを写真に求める傾向があるんだと思う。

 で、今回の写真展なんだけど、モデル募集に応募してきた十勝のさまざまな人を撮って並べただけだった。
 一部に全身像があるけれど、大半は素人さんがにっこり笑っている肖像である。
 それに、コンパクトカメラでぱしゃぱしゃ撮ったとおぼしき帯広の風景が大きく伸ばして張ってある。
 元来サービス精神旺盛なアラーキーだから、手を抜いてはいないだろうと思う。会話を楽しみながらモデルたちのいい表情を引き出そうとした苦労の跡はうかがえる。だけれど、裸も花も東京風景も無い荒木の写真の、なんと気の抜けて見えることか。
 新開地のような帯広の町は、東京の持つ猥雑さが全くない。どこまで行っても明るい、影の無い町なのだ。
 つまり、荒木にとっては自分らしさの出ない被写体といえるんじゃないだろうか。
 もちろん、欧米のフェミニストからは攻撃はされないだろうけど(笑い)。ずらりと並んだ肖像の笑顔の健康さは、あるいは田舎っぽさは、なんだか「らしく」ないぞ。

第2回 グループ環 油彩展 カイホール
(札幌市中央区南1西3 大丸藤井セントラル7階)
6月26日(火)〜7月1日(日)

 公募展の枠を超えて、道内の具象絵画のベテランたち14人が集まったグループ展です。
 一人3点ずつ出品しています。
 紅一点の櫻井由紀子さん(新道展会員。この項、とくに記さない限り札幌)が静物画に取り組んでいるのを別とすれば、ほかの13人の大半が風景画です。やはり、道内は、画家の食指をそそるうつくしい風景が多いということでしょうか。
 写実的な画風なのは、萬谷藤男さん(道展会員)や橋本禮三さん(同)、冨澤謙さん(同。小樽)、横田章さん(日洋展会員)ら。橋本さんは、都心のビル街でも頃合いが良ければ「雪晴れ」などの作品に仕立ててしまうのがおもしろい。
 ややデフォルメを施しているのが、萩原勇雄さん(無所属)、西澤宏生さん(新道展会員)、青塚誠爾さん(道展会員。後志管内岩内町)といったところでしょうか。青塚さんは「最後の岩内派」だけに、写実に基礎を置きながらも、筆遣いには現場主義らしい強さがあります。
 かなり画家独自の解釈を施しているのが越澤満さん(道展会員)や香取正人さん(新道展会員)。どちらも素早い筆遣いが見事です。香取さんは濁りのない色彩と、速いタッチながらもフォルムに揺るぎがありません。越澤さんはあらためて見ると、書き込んである部分と、比較的筆の入っていない部分との比率がちゃんと計算してあります。「有珠と新山」は、赤茶けているはずの昭和新山が青で描かれているのがユニークです。
 佐藤道雄さん(道展会員。旭川)は独特です。細密で、鈍い色合い(画面全体の彩度の差がごく小さい)で描かれた森林の風景ですが、近づいて見ると、葉や枝は、細かく陰の部分が塗り分けられているのではなくて、絵の具の盛り上げによって細かい陰影が表されているのだと気がつきます。一見鈍い色調が眠たい感じにならないのは、その表面に秘密がありそうです。
 斎藤洪人さん(全道展会員)や中吉功さん(新道展会員)となると、かなり抽象に近くなります。斎藤さんの「暑寒別・5月」など、題名が無ければ、とても森の風景とは思えない、緑や茶のまだら模様です。
 中吉さん「北の丘」の3作は、手前がラベンダー色、背景は真っ青の地平線や疎林という構成で、夢幻的ですらあります。
 ユニークなのは中村哲泰さん(新道展会員。恵庭)。以前から石の採掘現場などの変わった風景を、固有色でない原色なども交えて描いていましたが、今回の「トマト」は、乾いた地面の上に青いトマトを転がして、大地と生命のたくましさのようなものをとらえています。

 出品作は次の通り。
 櫻井由紀子 「卓上静物」(F30) 「卓上静物」(F20) 「穏やかな日」(F50)
 西澤宏生 「カパラミプ(想い)」(F30)「初春の北大構内」(同) 「晩秋の北大構内」(同)
 斎藤洪人 「暑寒別・5月」(S20) 「オビドス」(P20) 「ポルトの町で」(M10)
 香取正人 「伊豆松崎港」(F20) 「夕景(瀬棚漁港)」(F30) 「嵯峨野路」(同)
 中吉功 「北の丘 A」(F20) 「北の丘 B」(F30) 「北の丘 C」(同)
 横田章 「春光雪嶺」(P20) 「十勝岳早春」(F50) 「残雪の川辺」(F20)
 橋本禮三 「富良野・六月」(F20) 「雪晴れ」(F40) 「花曇り」(F30)
 中村哲泰 「トマト」(F50) 「キャベツ」(F20) 「イモ」(P30)
 佐藤道雄 「浅い春」(F20) 「落葉芽吹く頃」(F40) 「秋景」(F15)
 越澤満 「冬の余別浜」(F30) 「有珠と新山」(同) 「積丹の海」(同)
 萬谷藤男 「卓上 ばら」(F20) 「北大構内早春」(P25) 「芦別岳残雪」(P20)
 青塚誠爾 「元朝の漁港」(F30) 「漁港祭りの日」(同) 「朝の漁港」(同)
 萩原勇雄 「積丹神威岬」(F30) 「恵庭岳秋色」(F40) 「晩秋の並樹」(F20)
 冨澤謙 「冬の北大農場」(F20) 「冬の展望」(F20) 「新緑の頃」(F40)