上遠野敏の東京だより

 札幌の美術家、上遠野敏(かとおの・さとし)さんからの投稿第4弾です。

 ベルリンだよりへ

・ 東京都現代美術館
横尾忠則 森羅万象(8/10〜10/27)

 横尾忠則は不思議な魅力を宿した作家である。
60年代から現在までの変遷を400点近い作品でたどると、新たな発見や驚きもあり「知っているようで知らなかったYOKOO TADANORI・・!」の迷宮世界が浮かびあがる。
 グラフィックで馴染みの横尾スタイルを築きながらも、アートやデザインの垣根も、表現スタイルも日常も異界も聖もエロスも軽々と越境して、まるで霊感者がお告げを語るがごとく圧倒的な制作量であった。
 アーティスト宣言からようやく20年経過して、ハイア−トとロ−アートの差やア−トとサブカルチャ−などの垣根も消滅し、ニュ−ペィンテングの潮流も、とうに消えた今、越境者の横尾の行為に、時代がやっとに追い付いたと言うことだろうか?
 振り返ると横尾の作品は、常に時代の先取りをしつつ、時代を顕著に反映させている事がわかる。まずは、グラフィック。天井桟敷、状況劇場などのシルクスクリーンのポスターは、今でも新鮮で、アートを超えたアートとなっている。それら一連のポスターがNYのMoMaに早くから収蔵されていることからも、デザインを超えた希有なアートとしての先取りの評価としてうなずける。
 アクリル画の初期の「ピンクガールズ」シリーズもいい、ほのかなエロスが、60年代のポップアートや平凡パンチ、週間プレーボーイ、宇野亜喜良などとの時代背景も強烈に思いおこされる。シルクスクリーンの版を使った「責場」「写性」「色情に迷って理性を失うの図」などの作品は、「エロスと秘すれば花」の関係項を上手く版分けをして、観客が頭の中でイメージを組み立てることにより、作品との距離を一気に近付けることに成功している。
 アーティストとしての冴えをみせるものに、78年のTBSテレビの「ム−一族」のタイトルバックの映像が鮮烈だった(これは不出品)。横尾は鶴見の総持寺での座禅中に身体が浮遊するとか、ピラミッドパワーで宇宙と交信できるとか、作品とそれを取り巻く逸話や虚像まで神々しく、常にカッコよかったことを思い起こさせる。
 81年のアーティスト宣言から現在までの作品に一貫して言えることは、グラフィックで培ったイメージの多重なコラージュが、心的原因と霊感が出会い絵筆や立体作品へとかたちをかえて表現されているのである。少年のような顔だちの横尾は、男でもなく女でもなく、体臭さえ無化してニュートラルな位置に座り、異界からのメッセージを、ただ見える通り描いているだけなのである。
 いつも横尾の新作は、良い意味で期待を裏切られる展開がある。今回はじめてお目にかかる作品も多々あって、横尾の埋蔵量の広さと深さを認識する。
 リサ・ライオン、滝、赤い絵画。そしてY字路の暗夜光路は異界と異界とを繋ぐ不気味な奥行きを有して何気ない日常に結節点があり、その恐さを引き出される傑作である。新作の白日のY字路を見ると横尾の興味はもう違う所に向かっていることが見える。次は何を見せてくれるのか、嬉しい期待はずれを期待しよう。

 トーキョーワンダーウォール公募2002

入選者の展示が東京都現代美術館であった。石原都知事の肝煎り始まった事業で、ワンダーウォール大賞・審査委員長賞及びトーキョーワンダーウォール賞を受賞された作品は都庁舎と都議会議事堂をつなぐ南側空中歩廊に展示される。横尾の作品を見た後で、これらの作品を見るのは辛いものがありました、相変わらず曖昧模糊とした、ぼぉっとした絵が時流なのでしょうか?MOTアニュアル2002展の時もそんな感想を抱きました。


・水戸芸術館現代美術センター&商店街など
カフェ・イン・水戸(8/10〜9/23)

 猛暑の中、水戸駅から水戸芸術館まで、重い荷物を持ちながら歩くだけで大汗をかいてしまった。到着早々、コーヒーラウンジで一息。無気味な人形が展示のためテ−ブルを占有していたので、そこに座る。
 汗をふきながらビールを体内に注いでいると、無気味な人形の連れのぬいぐるみ犬が、ブルブルと動きだしなるほど感を醸し出す。この程度は良くある事と気にも止めなかったが、突然、無気味な人形が動き出した。扇風機の首振り機構で首をふり、シリコンで出来た口が「くちゃくちゃもごもご」と開閉するローテク極まりない人形の正体は、「梅じい」(本名梅太郎)。この人を食った造形力とおとぼけ感にすっかり心を奪われてしまった。
 98年から作者の須藤正樹は「梅じいといく日曜日」のコンセプトで梅じい人形を街に持ち出し、人々とコミュニケーションをとっているらしい。
 これなら、この展覧も期待出来ると展示場に入る。
 束芋の「ユメニッキ・ニホン」2000に遭遇。花札を元に社会の有り様が淡々と描かれてさすがでした。以前テレビでみた彼女は、とっても普通で大変好感を持ちました。今や普通であることが特殊に成り得ると言う事が、束芋を通して感じます。彼女のアニメ作品は、ビデオインスタレーションになっていて、しつらえた空間の中で見ることが意図されている。
 他に、さとうりさの貸し出し三輪車。徐冰のアルファベットを漢字に創作する参加する作品。藤本由紀夫の椅子に座って双方のパイプの音を聞く作品。(束芋さんの音響で意味が成さなかった)金沢健一の音のかけらと振動を視覚化した作品など。(椿昇+室井尚のハマトリの巨大バッタは撤去されてなかった)
 早速ミュージアムショップで「梅じいさん」の缶バッチや顔面フィギュアや束芋のビデオを入手、なんと買い物袋は、イチハラヒロコの「いつでも どこでも 誰とでも。」であった。嬉しい気分、こんな些細なことが、いままでのアートには欠けているなと思わせた。
 駅までの帰り道、商店街にある展示の、見えるところのアートのみ見て帰る。他の参加作家はバケツアートの獅子倉シンジ、minim++、デジタルPBX、徳田憲樹、ビデオの高木正勝など多数。
 この手の展覧会が人々とアートをどのように繋いだのかは解らないが、今後のパブリックアートのあり方を変えていくことの先触れとして評価したい。


上遠野敏の東京だより

 札幌の美術家、上遠野敏(かとおの・さとし)さんからの投稿第3弾です。
 今回は、現代美術の展覧会と、関連する映画を紹介。かなり渋い選択であります(梁井)。



・シネマ・下北沢  (6/1〜6/28 21:00上映)
山形国際ドキュメンタリー映画祭2001正式招待作品 監督:大浦信行(美術家)
「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱えこんでしまった男」
「大浦信行の版画シリーズ[遠近を抱えて]特別展示」
「大浦信行と森達也(映画監督)のトークライブ(タブーと自主規制)」


 戦後の日本を代表する美術・文芸評論家、針生一郎(1925〜)のドキュメンタリー映画をシネマ下北沢のレイトショー上映で見る機会にめぐまれた。
 監督の大浦信行は天皇を主題とした版画シリーズが、収蔵された富山美術館によって無断売却され図録を焼却処分されたことに対して、控訴したが美術館に過失が無かったと全面敗訴した作家である。
 この二人の取合せが映画の表裏を通して、入れ子の構造となり、日本の美術を取り巻く「制度」の問題や立脚点なき「不毛」な現代の美術の問題などを、宮城出身の針生がとつとつと語る姿がとても印象的である。
 針生は戦前に日本浪漫派創刊の保田與重郎に傾倒し、その後ベンヤミンを背景に哲学的思弁で、戦争における生者と死者の苦痛を権力構造としての天皇に対する民衆の根底の痛みとしてとらえ、活動母体である近現代美術や美術批評に言及する。制度やまやかしの鈍感な態度に対しての怒りは、静かな語り口ゆえに一層強く苦悩を感じさせる。そんな中で、最も印象的だったのは、戦後の美術批評の成果として、椹木野衣の「日本・現代・美術」は、もっとも信用たり得るよく出来たものとの評価である。長老が次にバトンタッチする人物が出て来たことへの安心感なのか、くしくも、老いの針生も若き椹木も哲学を背景に、凡人には、およばぬ論考を展開しているのは偶然の一致か、凡庸な批評家とは一線を画す。彼らはやさしいまなざしとは別に、真のアートとは何かを常に我々に突き付ける。
 映画は大野一雄と娘の鹿人の舞踏や針生がさすらう韓国の町並み、韓国の民衆抵抗画家、洪成潭や女体に刻まれる鮮やかな宗教絵画?の刺青と淡々と刺しあげる彫師の情景を断片的に折り込み、撮り手の大浦と撮られ手の針生の双方をゆるやかに染み出すようにあぶりだしている。
 この映画は、戦後の美術や社会状況と、我々より世代が上の針生を、より理解する手掛かりとなる映画だった。

 他に監督の大浦信行の版画シリーズ「遠近を抱えて」の作品展示を見た。作品的にも、なかなかの佳作で天皇をコラージュした美しい作品であった。これまでの、本や情報から得られたことと違う、この問題のリアリティーを一気に作品から感じることが出来た。

 上映終了後に大浦信行と森達也(映画監督)の「トークライブ(タブーと自主規制)」を聞いた。森は佐川人肉事件のドキュメント映画の監督で、ドキュメンタリー映画の本質とねらいについての対談がなされた。撮る側と撮られる側の本人像の思いの違いについて、他者への洞察が深い分だけ本人の知らない事実を浮かびあがらせ、本人の納得とは別の次元のものが発生すると言う興味深い話しや富山県立近代美術館・図書館事件裁判の成りゆきについても詳細が聞けた。参考資料として、富山県立近代美術館・図書館事件の図書(ず・ぼん、ポット出版2000円+税)「ある自画像の受難」を収集することができた。


・BASE GALLERY 
「大竹伸朗 BLDG.」展  (東京・京橋 5/7〜6/8 終了)

 日本を代表するア−テスト、大竹伸朗(19955〜)は宇和島にアトリエを構えて国際的な活躍をしている。活動の幅は広く、絵画やコラージュ、立体作品、絵本、アーティストブック、小説、エッセイ集、独自の演奏システム作品によるライブやCD制作など多岐に渡る。札幌においては、2000年に「ちえりあ」に設置された緞帳「北の空に浮かぶカタチ」や18点の組替え可能の絵画「既景/6402兆3737億572万8000分の1」が記憶に新しい。近年は新しい日本の風景を作りあげた「日本景」、既にそこにある「既景」、自動演奏作品「ダブ景」、デジタルによる「鼠景」と大竹の制作活動は留まることを知らない。

 今回のBASE GALLERYでの展覧会は心に浮かんで来る風景にあるビルディングを描いた絵画の新作30点の展覧会である。大竹は、23歳の時の香港旅行を契機にビルディングに興味を持ち始めて、その後、なぜだか無意識に自分の内側からビルディングのある風景が立ち上がって来るらしい。
 1996年〜2002年までに制作されたビルディングの作品は、2001年の9月11日のあの事件をおいて語ることが出来ない。大竹はそのことを何も述べていないが、天才ゆえの霊感や予感または何らかの胸騒ぎがあって、ビルディングを描かせたと勝手ながら推測した。絵の中にはニューヨークのエンパイヤステートビルを思わせる表現もある。9.11以降多くのアーティストが何らかの関わりを作品に求められるような風潮に、彼は、そのことにはあえて触れず、ニヒルに警鐘を鳴らしているのである。すべてをあからさま語ることほど魅力に乏しいことはないと。作品は、大竹の中では目新しい表現ではないが、描かざるを得ない衝動が激しい筆致となり、美しい色彩と相まって並々ならぬ力量を示している。ほぼ完売の赤丸のラベルが、その質と人気の程を示している。


関連資料
「BLDG.」作品集(グラムブックス2500円)はデザインが大竹伸朗と池田信吾で、淡い水色の美しい布カバーの本で、作品やテキスト、展覧会歴、出版歴、文献など大竹を知る上で貴重な資料といえる。それにひも付きでつながったドローイングの別冊がついている。

 同時期に青山出版から出された写真集「18」(青山出版社5500円+税)は、実に感動的な写真集である。大竹伸朗が18歳の武蔵野美大1年の時、学校を1週間で休学し北海道・別海のウルリ−牧場をめざした。無給の住み込みで、早朝から牛の糞のかき出しや搾乳作業の合間に撮った写真とスケッチ、札幌滞在のスケッチ、車の免許を取るために滞在した歌志内の写真など、北海道滞在の1年をまとめた分厚い写真集である。
 過酷な牧場生活の中で、大竹のまなざしは既に出来上がっており、写真1枚1枚に確かな手ごたえ感じる。作意のない写真やスケッチに18歳のやり場のない不安や焦燥感が実にせつない、しかしアーティストとしてやって行く、かすかな希望と決意も、じんわりと伝わってくる。この写真集は、どんな写真集より、美しく、真実がびっしり詰まっていて、かすれも、傷も、退色も、28年の時間を経て、より濃厚に結晶化しているのである。あらためて大竹の精神の強靱さを意識させられる。
 今後「18」は何らかの評価を得て、間違いなく創作活動のターニングポイントになると予想される、写真界にもアート界にも大きな衝撃を与えるであろう。大竹は近い将来に、別海〜歌志内〜札幌で、「18」の写真展を開催したい希望をもっている。是非、実現させたいものです。



・NADiff
「内藤礼」展 (東京・神宮前 6/7〜7/7)

 内藤礼(1961〜)は、1997年に、ベネチアビエンナーレに「地上にひとつの場所」を出品し、ひとりずつ招きいれる作品で高い評価を得た。近年では、直島のプロジェクトで3年間の歳月をかけた「このこと」を完成。静謐な空間とオブジェを制作し瞑想の場といえるしつらえを作る作家の展覧会があった。
 NADiffは美術関係の書店で、一部がギャラリーとなっている。あまり大きな空間ではないが、著名な作家の作品集の出版とあわせて展覧会が行なわれる。
 作品は、空間に2つのアクリルBOXをしつらえ、内部には、コースター状の紙が積層され、一方は厚く積層され、他方は薄くと関係が付けられている。積層された紙の裏面はほのかな紅色をしており、静かな作品で内藤らしい感じがした。しかし、札幌からはるばる見に来たものにとっては、いささか拍子抜けであり、いつでもどこでも全力を尽くした作品と遭遇したいものである。

参考資料
「世界によってみられた夢」1999年ちくま文庫840円+税
他に「内藤礼 作品集」筑摩書房の先行予約があった。


・トランスギャラリー
都築響一 えびす秘宝館」展 (東京・恵比須 5/28〜7/28)

 都築響一(1956〜)は、「ポパイ」「ブルータス」で現代美術の紹介や住空間のデザインなどの編集を担当。その後、現代美術120巻の「アット・ランダム」芝浦の幻のディスコGOLDの空間デザインをてがけ、19993年「TOKYO STYLE」、1996年「ROADSIDE JAPAN」で新たな日本を写真で提示した編集者。「ROADSIDE JAPAN」では、第23回木村伊兵衛賞を受賞している。最近はアーティスト、写真家、編集者として大ブレーク中である。

 昨年の横浜トリエンナーレに出品して、大好評を博した鳥羽国際SF未来館の秘宝をバージョンアップして恵比須に期間限定(5/28〜7/28)で公開。館主はもちろん都築響一。
 鳥羽国際SF未来館のコンセプトは2000年の未来を構想して作られたために、時代の変遷とともに観光のニーズも変わり、時代遅れとなって、ついに2000年に閉じられたのである。なんと良心的であろうか。奇特家、都築響一はこの秘宝を自費で買い取り、美術界に揺さぶりをかける話題作となった。

 えびす秘宝館は、恵比須の防衛庁研究所とバンタンデザイン研究所の取合せの妙のところに位置し、街の中にぽっかりと異空間が存在していた。入口前には、秘宝オジサンがにっこりと出迎え、一歩内部に入ると旧館主の松野正人の鑞人形が斜にかしいで出迎える。
 えびす秘宝館の陳列物は、1999年にノストラダムスの予言が適中し、地球は破滅の状態となり地球人の生命は姿を消そうとしていた、とある宇宙の星を征服していた宇宙戦斗艦登録ナンバー14108号が地球にやって来て、宇宙基地の総督ヒトリーが人類の再生を計画、超未来人の製造を特殊栄養などで、3年で18歳に一気に成長させ、さらに宇宙征服を企む悲劇の罠に人類を落とし込むと言う壮大なロマンあふれる展示なのである。
 テーマは性なのであるが、館主な並々ならぬ情熱を傾けた、愛すべきオブジェで、状態もよく、愛くるしくさえもある。なぜか楽しい。エロや妄想は簡単にアートを超えて気高く存在する。さしずめ現代風に言えばシミュレ−ションアートを超えたシミュレ−ションアートであつた。我々は、定山渓にある北海道秘宝館を含め、これらのモノを社会考現学的に考察する時期に来ているのではないかと思う。都築の孤軍奮闘に敬意を表したい。


・東京オペラシティギャラリー (東京・西新宿 5/25〜8/15) 
「リクリツト・ティラバーニャ」展
「レイモンド・ペティボン」展


「リクリツト・ティラバーニャ」展
 リクリツト・ティラバーニャ(1961〜)タイ人。彼はニュ−ヨークのギャラリーで焼そばをふるまったり、タイカレーで観客との関係を重視するアートを開拓。日常の行為をアートに侵入させ観客参加型の作品をつくる作家である。
 今回の日本での作品は、18mのテーブルに日本でお得意の食品サンプル約150点を和食、タイ料理、フレンチ、イタリアン、韓国料理、中華料理、インド料理、米料理、麺類とならべ、そこにインスタント食品やお菓子、ペットボトル飲料などを布置した新作インスタレーションである。これらのモノを通して、食の欲求とコンビニエンス性を示すインスタント食品の日常を問う作品であろう。

「レイモンド・ペティボン」展
 レイモンド・ペティボン(1957〜)アメリカの西海岸を代表するアーティスト。ペティボンは、テレビやコミックのキャラクター、野球などの大衆文化や文学的要素から引用して作られたドローイングで現代美術の中に位置づけられ活躍している。
 初期から近作までの、テキストを書き込んだドローイング約500点が展示されていて圧巻であった。題材ごとの展示となっており、「ガンビー」50年代のアニメキャラ、「バブーン」テレビコミックの脇役、「自画像」「宗教」「クロスハッチ」斜行の線、「リーディング/ライティング」「サーフィン、野球、電車、自然」「暗黒」社会の暗部、「ハリウッド、テレビ、大衆文化、スーパーヒーローズ」「参考資料」がコーナーごとに魅力を引き出している。
 ドローイングだけで「ホイットニー・バイアニアル」に取り上げられるなど、現代美術の中で評価されることに驚く。作品は良く描けている。1枚、1枚が実に楽しく「目が喜び」思わず欲しくなるような作品であった。500枚近い作品を大量に見ても、すべてが新鮮で完成度も高い。紙1枚、筆1本で何が出来るのかを問われる作品であった。


・最後にちょっとしあわせなはなし
 東京に夕方の便で到着。サッカーでいつものホテルが取れなかったので、西新宿の某高層ホテルへ、1)新宿までリムジンバスで直行、だんだん日が落ちて新宿高層ビルの夜景がだんだん近付く景色は最高。2)昼食に浅草の駒形どじょうとビール、ひとりでも気楽に入れる店。大きなよしずをひいた部屋に、永い板が幾上にも置いてあり、それがテーブル。江戸情緒をたっぷり味わい、どじょう鍋にネギをたっぷりのせ食らう、しあわせ。3)帰りは渋谷からリムジンバス、ベイブリッジからの眺め最高、しあわせ。


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ギャラリーたぴお
 林田嶺一展 4/7〜13

 札幌の美術家、上遠野敏(かとおの・さとし)さんからの投稿第2弾です(梁井)。

 もう終了してしまいましたが、林田嶺一さんの展覧会に行ってきました。

 1933年生まれですので、今年で69歳でしょうか?

 満州(ハルビン)に12歳まで、住んでいたそうですが、その記憶を元に描かれた、本人いわく「ホームレス絵画」と謙遜しておりましたが、いやはや、大変な傑作でした。絵心があります。
 コラージュやアッサンブラ−ジュをほどこした、心憎いほどの丹念な絵作りでした。
 現代の画壇とは別次元に、お住まいのお方とお見受けしました。
 何かしらの羨望の念を抱きます。

 作品は、キリンアートアワードの優秀賞の受賞作も、その一部で、連作がひとつのインスタレーションとなって並んでいました。
 会場が狭かったので、全部ではないとのことでしたが、見ていて、楽しく、そして悲しくさせる、無二の作品で、若々しく、みずみずしいエネルギー溢れる造形でした。
 久々に、作り手のなまの声が聞こえてくる作品でした。
 これは、評価に値いします。
 手描きの解説や案内表示も絶妙で、インスタレーションの一部となっておりました。

 キリンは素敵な人を発見したと思いました。
 本人は、酒を飲んだくれて、ニコニコしていましたが、どこかに、コレクションされて常設展示出来ないだろうか?
 道内から流失させたくないのだが。
 来月はじめには、東京で有名な現代美術の評論家(S氏キリンの審査員)がわざわざ、江別の林田さんのアトリエまで、たずねて来るそうです。
 道内での評価も、もっと高まることが、今後期待されます。

(2002年4月16日着信)

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上遠野敏の東京だより

 

札幌の美術家、上遠野敏(かとおの・さとし)さんが、2002年3月に東京で美術館を見てきた際につづった文章を寄せてくださいましたので、ご紹介します。(梁井)

出光美術館
「長谷川等伯 国宝 松林図屏風展」開館35周年記念
 
 長谷川等伯(1539-1610)は、狩野派の狩野永徳とともに桃山時代を代表する巨匠として知られている。日本絵画史上においての最高峰の水墨画、国宝「松林図屏風」(東京国立博物館所蔵)をはじめ、出光美術館所蔵の4点の等伯の屏風絵など、関連作品と合わせて鑑賞する機会に恵まれた。 
 
「松林図屏風」は日本古美術の中でも、第一級に人気が高く、人々の心に深く沁み入る名作と言える。(6曲1双・紙本墨画・右隻 左隻)
 何と凛とした空間なのであろうか、激しい筆致で描かれた、四叢の松林群と遠くに見える雪山のみの余白の絵画なのである。しかしそこには、朝靄にけむる漂泊する時間の、わずかな変化さえ描かれているではないか、湿潤な空気の厚みや気配を通して、これ程までに、物の存在(この場合松林や季節感や時間)を描き出した絵描きがいただろうか、西洋には、印象派以前のイギリスの画家ターナーの絵にも、質こそ違うが、そのことが見られるのは、ようやく19世紀に入ってからのことである。
 鎌倉に始まる日本の水墨の歴史は、中国の牧谿・馬遠・夏圭などを手本に筆様を習うに終始してオリジナル性は欠落していた。等伯によって、和風のやまと絵などの解釈と相まって、ようやくここに、信の日本の水墨が完成したのである。このことは、古典や現代美術などのジャンル分けを不毛にさせ、時空を超えた普遍的な美を現代に照射し、我々に現代性とは何かを体感させる物であった。
 同時代の千利休が、凛とした茶の湯の規範を整え、そして、常に革新的な創造をしていったことと、等伯の偉業が二重写しに思えるのは、桃山の大きな時代の潜在意識のなせることと、思わざるを得ない。

 他に、能阿弥、牧谿、玉澗の水墨画との関連展示で工夫し、等伯の独自性を際立たせていた。別室では、出光コレクションの展示があり、茶道具や狩野派の屏風、などを堪能した。出光美術館所蔵の伴大納言絵巻の図版を入手し嬉しいかぎりである。



東京国立博物館
「松永耳庵コレクション」没後30周年

 松永安佐エ門(1875〜1971)号「耳庵」は、戦前戦後を通じ大きな業績をのこした政治家、実業家で、戦後の電力再編成の民営化を押し進める上で中心的な役割を果たした。

 60歳からはじめた茶の湯の活動は、益田鈍能、原山溪の後継者として、独自の審美眼による境地を開き、近代を代表する茶人となった。
 重要文化財「大井戸茶碗 銘有楽」など茶道具の名品や、国宝「釈迦金棺出現図」、重要文化財「色絵吉野山図茶壺(野々村仁清)」など148点の耳庵コレクションは名品揃いで堪能した。そのほとんどを、東京国立博物館や福岡市立美術館へ寄贈したと言うから圧巻である。

 国宝「釈迦金棺出現図」絹本着色 平安時代(11世紀後半)京都国立博物館蔵
 涅槃に入った釈迦が、天より下って来た生母摩耶夫人のために、棺から再び金色身を現した、復活を描いた稀な例でキリストの復活の趣きである。
 縦158.5cm×横229.4cmの堂々とした、大振りの一幅で、釈迦や棺の金色を中心に、落ち着いた暖色系の色使いで、構成された美しい絵画である、釈迦の慈悲と威厳に満ちた、やさしい眼差し、それを囲む菩薩、仙人、比丘、比丘尼が一同ひしめきあい手を合わす。どこをどのように見ても、ひとつひとつ実に楽しい、余す所無く描き込まれているが、閉塞感はない、仏教絵画史上の名品中の名品である。やわらかで、緩やかだが、スピードのある筆致は現代の絵画では見る事ができない、創造力と信仰のたまものと思わせる。この絵を入手した耳庵の興奮が聞こえて来るようであった。



横山大観 その心と芸術

 横山大観(1868〜1958)は水戸に生まれ、東京美術学校(現・東京芸大)第一期生として入学。校長の岡倉天心の指導のもと、同校の助教授になり、天心が学校を追われると同調し、天心らと茨城県五浦に日本美術院を創設した、近代日本画の巨匠。東京美術学校卒業買い上げ作品「村童観猿翁」をはじめ53点の大回顧展。

 まず、驚かなければいけないのは、圧等的な集客能力である。国立の美術館は、独立法人化で自助努力をしいられている。その先陣を切って、あらゆる設備投資を進めて現在に至るとは言え、我々が常々現代美術の展覧会を開催して、集客能力にいつも頭を悩ます身としては、桜が美しく咲いた、上野公園の博物館の中庭一杯に並ぶ、90分待ちの人々の列を見て、私達が束になって現代美術の優位性や精神性を説いたところで、横山大観一人の前では、素直に敗北を認めざるを得ない。アートと人々を繋ぐ方法を再考しなければばらならない。これが世の中であり、会期中20万人を超える入館者があり、現実としては、人々の理解の範疇の美を示す、印象派展などなじみの展覧会が多くの人を呼び寄せるのである。美術愛好者の潜在者数は歴然として多いことだけは事実である。
 
 さて大観の作品に話しを戻そう。現代の日本画の方向性を、良くも悪くも確立した人物と言えるだろう。やはり、初期の古典的解釈の絵画が圧倒的力量を示して、ある種の憧れさえ抱く。東京美術学校卒業買い上げ作品「村童観猿翁」や、今回は出品されてない「猿回し」(芸大蔵)など、絵巻の古典の名作とひけをとらない存在感である。天心や橋本雅邦などの薫陶か、23〜24歳の若かりし、エネルギーがなせることであろうか、その後、作風は変化を見せ、朦朧体(派)―これは、天心が「空気を描く工夫はないか」から始まり、菱田春草などと創作した、輪郭のない技法で、当時「こんなの絵じゃない」などと、揶揄されたらしいが、1999年開催の岡倉天心とボストン美術館展(名古屋ボストン美術館)で、見た「滝図」「月夜の波図」「海図」などは、ミニマルやカラーフィ−ルド(抽象表現主義)の先駆を50年も前に、作り上げた感があり、深い感銘を受けた記憶がある。その後、数々の偉業を制作、「流澄」「千与四郎」、重要文化財「瀟湘八景」「生々流転」などの名作が並ぶ。「生々流転」など、人の頭越しにも覗けず、壁のレプリカで見たにすぎないが、先般の「松林図屏風」「釈迦金棺出現図」で、目も精神も充分に満たされた状態では、大観の偉業も、今日の日本画壇の疲弊した状況と重なり、「創作」と「お絵描き」のズレを明確に露呈させられて、会場を後にした。



東京都現代美術館
森 万里子 ピュアランド

 現在、国際的にも評価が高く、活動がめざましい、若手女性アーティストの国内初の大規模な作品展。
 初期の写真作品は、コスプレ風な衣装に身をつつみ、現代日本の都市空間や女性を取り巻く社会状況をステレオタイプに顕著に表しており、作品としての意味付けや巧みなプレゼで、評価に値する作品となっている。
 以後、作風は仏教や神道の興味へと傾斜していく。
 みずからを仏教や神道の主題の中に登場させて、写真を加工したCG、ビデオ映像、3D映像と豊富な資金力とプロジュース力で圧倒的な展開を見せている。極め付けはドリームテンプル、この虹色の輝く硬質ガラスで出来た、法隆寺夢殿を模したインスタレーションは、内部には「母親の胎内の胎児の意識を体験」する装置があり、予約性で一人ずつ映像を体験する。生憎、開館前に美術館に到着したが、長蛇の列で断念した。その内容の一部は、出力された作品で垣間見る事が出来た。
 森万里子は、東京の大手貸ビル業、森ビルの子女で、透明なカプセルの蓮弁の作品に光りを集めた、光ファイバー「ひまわり」のラフォーレエンジニアリングも傘下の企業である。写真作品の取材内容、CG加工技術、アクリルでコーティングされたプレゼ技術、ビデオや3Dのスタッフの多さから鑑みて莫大な資金と労力が想像される。
 ここで、出力写真タイプの作品と、ビデオや3D映像など装置のタイプの作品の2つのタイプに分けて、作品について考えてみよう。
 「出力写真タイプ」の作品が、実に巧妙で内容が高くなればなるほど、プロ仕様の展示素材のクオリティーが上がれば上がるほど、現代の広告業界のそれを見ているようでよ、逆に、業界の方が、企業が惜し気も無く宣伝に資本投下して、実は、森の作品より現実の宣伝媒体のほうが、数倍面白いものがあると、思わせてしまう、矛盾も孕んでいる。
 「ビデオや3D映像など装置のタイプ」作品も同様で、巧妙になればなるほど、ゲームソフトや最新のCGの映画やユニバーサルジャパンなどのアミューズメント施設の装置の優位性に軍配が上がってしまう、これも矛盾を孕んでいる気がするのは、力も創造性の無い、地方作家のたわごとである。



東京都現代美術館
MOTアニュアル2002 フィクション?絵画がひらく世界

 若手作家を紹介する恒例のMOTアニュアル。
 落合多武、佐藤純也、村瀬恭子など興味深い人材の紹介があった。しかしながら、先般の「松林図屏風」「釈迦金棺出現図」を見たあとでは、お絵描きの弱さばかり目について、作品の解釈を許さない。最近の傾向なのか、曖昧な気配を漂わす絵画の風潮に、なにかもどかしさを感じるのは、私だけであろうか。デュッセルドルフ在住の村瀬恭子の絵画は、人物を動きのある筆致でとらえ、良く出来て魅力てきだが、ヨーロッパでよく散見する、いま流行りの絵画風に良く似ていた。ともあれ、彼らが現在の日本絵画の一断面を示していることに、なるのであろう。


以上です。上野は桜が6部咲きで綺麗だったです。

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