東京ばたばた日記 4

2001年10月19日(金)〜21日(日)

 ▼二紀展自由美術展独立展創画展
 ▼MOMA展小川マリ安田侃カラヴァッジョ展手探りのキッス―日本の現代写真
 ▼川俣正高橋三太郎20世紀イタリア美術村上隆
 ▼キリンアートアワード▼横浜トリエンナーレ

 っと21日。
 前日と同じく午前7時に起き、朝食をとり、チェックアウト。図録の入った重たいかばんを品川駅のコインロッカーに預け、山手線で東京まで行き、京葉線に乗り換えて八丁堀駅で下車。それにしても、京葉線ってどうしてこんなに地下深くを走っているのだ?!
 キリンビールの本社で開かれているキリンアートアワード2001受賞作品展(10月9日〜11月10日)を見に行く。
 現代美術の登竜門として知られているわりには新聞では小さくしか報道されていないが、今年は最優秀の該当作がなく、優秀賞のふたりのうちのひとりに、江別市の林田嶺一(67)が選ばれている。
 林田は全道展の会員だが、筆者の知る限り近年、札幌では個展を開いていないと思う。ただ、全道展に、満洲をテーマにした壁掛けオブジェを発表していた。全道展の絵画部門ではかなり異質な存在である。
 アートアワードにも同じような、生地・満洲への思いを込めたコラージュ的な作品を出していて、さすがに30枚以上も並べると、圧巻である。「來たぞ歐洲戰争だ!」など、当時の新聞のスクラップや、哈爾濱(ハルピン)REATAURANTという文字がいい味を出している(「争」の旧字体はJISにないのでご諒承を)。
 単に懐旧に陥るのではなく、日本軍の暴虐ぶりを訴えた当時のビラもある。一種、極私的でありながら、往時を広く見渡すパノラマになっているのだ。
 ただ一点、気に入らないのは、「滿州國」という表記である。「満」と「国」は旧字体で表記されているが、「州」は「洲」と書かれるべきである。したがって、正しくは「滿洲國」でなくてはならない。「洲」は「州」の旧字体ではない。満洲の「洲」は、アリゾナ州というときの「州」のような行政単位ではなく、あくまでも固有名詞の一部である。「洲」が当用漢字(常用漢字)表にないからという理由により「州」の字で代用するのは、兵庫県の洲本市を「州本市」と表記するがごとき誤りである。戦後の新聞などが「満州」と書くのはまったくの愚行であり、林田の作品もタイトルで画竜点睛を欠いていると筆者は思う。
 もう一点の優秀賞は、稲垣民子(20)の人形アニメミュージカル「ヌーヴェルヴァーグ」。
 「ヌーベルバーグって何?」
 「結局、渋谷系の必需品ってことさ」
などという会話が、ノーテンキかつ洒脱な明るさの中にもパロディー感覚を漂わせており、楽しめた。

 いへん長らくお待たせいたしました(^.^)。
イチハラヒロコ 通称ハマトリ、横浜トリエンナーレ2001の会場へ。
パシフィコ横浜入り口 東海道線で横浜まで行き、根岸線に乗り換えて桜木町で下車。会場の「みなとみらい」地区へと向かう、動く歩道には、イチハラヒロコによるコピーライトがはためき、遠くのインターコンチネンタルホテルにはハマトリのシンボルになった長さ34メートルの巨大バッタ風船「飛蝗(プロジェクト・インセクト・ワールド)」(椿昇+室井尚)が見える。風の影響などで、浮かんでいない日も多いと聞いていたので、見られたことが単純にうれしい。
 なにせ、ショッピングモールを通って、メーン会場の「パシフィコ横浜」までは歩いて15分はかかるので、ワクワク感は高まるのである。
巨大飛蝗 また、モールの途中にも、折元立身の巨大な写真作品、アーナウト・ミックの映像「ミドルマン(証券仲買人)」などがある。ただし、道行く人で、それが作品であることに気がつく人はあまりいないようである。

 の現代美術の祭典をめぐっては、事前に多くの報道がなされたが、どうも首をかしげたくなる言説も多かった。
 まず「日本で初めての国際美術展」という表現があった。これは、1970年の東京ビエンナーレを無視した単純な誤りである。
 また、光州(韓国)や台北(台湾)ですでに国際美術展が行われており、日本での開催は美術関係者の悲願だった−という記事も目にした。
 これはあるいはほんとうなのかもしれないが、べつに周りの国でやっていることを日本でやらないからといって国際的な恥になるとは思えない。なんでもかんでも自国でそろえるという発想は、そろそろ脱却した方がいいんじゃないだろうか。
 それと、4人のプロデューサーが作家を選定したために散漫な印象を与える−という意見もあちこちで読んだが、近年の国際美術展はプロデューサー独裁とでもいうべき、作家よりも選ぶ方が目立っているような倒錯的な現象を生んでしまっているように、筆者には思えるので、これはこれでいいんじゃないだろうか。一つのテーマで世界の「現代美術」を裁断しようとする方がどだいムリなような気がする。

 ぼ全作品を見て思ったこと。
 これも事前に言われていた「映像作品の多さ」だが、まあ多いといえば多いが、もちろん半分には満たない。ただ、映像を用いる必然性を感じたのは、ピピロッティ・リストフィオナ・タンジュン・グエン=ハツシバ藤幡正樹ら一部の作家に限られた。
 だいたい映像作品は時間がかかってイヤなのである。第2会場の赤れんが1号倉庫である作品を、ヘッドフォンを着けてソファに座って見ていたが(休憩もかねて)、30分以上してもぜんぜん終わる気配が無いので、壁のキャプションを見たら「55分」とあって「バカヤロー。そんなに見てられるか」と思ったこともあった。かと思うと、別の作品では、ブースに入ると間もなく上映が終わり、次の上映は50分後だったりする。こんなのに付き合っていられない。
 リストや、楊福東(ヤン・フートン)のように、きちんとインスタレーションとして見せる作品ならまだしも、単なる映像ということなら、映画祭のようにきちんと上映時間を決めて、一日何回上映、としてほしい。だいたい、何時から映像が始まるかも分からないのに、作品の冒頭からきちんと見られるはずがない。
 この流行、次のトリエンナーレの時には終わっていてほしいと願う筆者であった。

 像の多さは、96年のドクメンタなんかでもいわれていたことだから、「現代美術」の世界的傾向なのだろう。それと関連すると思うのだが、いわゆる絵画は、なんと丁乙(ディン・イー)ただ1人。べつに「キャンバス=反動」と、決まっているわけでもないだろうに。
 平面作品自体は多いのだが、そのほとんどが、パソコンプリンターによる大型作品。しかし、これは、物質性に乏しいことおびただしく、もちろん発色も油彩にはかなわない。物質性の乏しさは作家にとって魅力的なのかもしれないが、あまりにたくさんあるので、正直言って食傷した。

 出は多かった。こんなに「現代美術」に関心がある人がいるの? と思うくらい。赤れんが1号倉庫では通路に人がたまって、デパート開店日状態だったし、都築響一が秘宝館を再現したブースは行列ができて、入場までに10分以上待たされた。
 もっとも、この人出を諒とするのか、あるいは、マリア・アイヒホルンをはじめとする、難解なコンセプチュアルアートやインスタレーションにへきえきした人々が、次回は
「あんまり面白くないよ」
と口コミを流すという方向に事態は動くのか、そこらへんは予測しがたい。もちろん、入場者数が多ければいいというたぐいの催しではないが、あまり人の入りが悪いと主催のNHKと朝日新聞が次回からおりてしまう可能性があり、マスコミの力を借りなくては美術展の開催が難しいのもかなしいかな日本の現状である。
 ただし、もっと見やすくして、入場者に親切にしてほしい部分はあった。最大の問題はキャプションで、小さすぎる。音声ガイドの番号ばかり大きく書いてあって、地図の番号(このふたつの番号が異なるのも、そもそも何とかしてほしい)はかなり近づかないと読めない。ふつうの美術展なら、このくらいの大きさが美しく、作品自体を邪魔しないのだろうが、次回からは改善を望みたい。

 象に残った作品を挙げていくと、やはり、まず塩田千春「皮膚からの記憶 2001」ということになってしまう。高さ12メートルにおよぶ巨大なドレスを自力で編み、それを泥に一ヶ月間漬け込んで、会場の天井から吊るして少しずつ水で洗い流すという、図抜けた迫力のあるインスタレーションであり、新聞などで目にした人も多いに違いない。泥のドレスは一種の荘厳ささえたたえているようだ。もっとも、泥からカビが発生したり、実際の設営には相当な苦労があったようだ。
 新聞などに出るハマトリの写真といえば、たいていこのドレスと、巨大バッタである。それは、撮影しやすい(映像作品はどうにもならない)ということ以上に、この作品が良いからだと筆者は思う。べつに「現代美術」だからといって、難解でなくてはならない、という決まりはない。いろいろな問題提起をはらみつつも、一瞥してスコーンと分かるのが、良い作品の快感ではないだろうか。

 ・11のテロに直接言及したのは、ヲダ・マサノリ一人であった。もっとも、これは、搬入時期の関係などがあり、やむをえないことである。ヲダのインスタレーションは、自分の部屋から持ち出した楽器や分けの分からない道具などをぎっしり詰め込んだ、ごちゃごちゃしたもので、会期中も構成物がどんどん入れ替わったり増えたりする。
 当初は「Give piece a chance」と題していたが、テロを受け、パロディー前の題名「Give peace a chance」に変更。もちろん、これは、ジョン・レノンがビートルズ末期に結成した「プラスティック・オノ・バンド」の第一弾シングルの題名である。作品には、やはりレノンの歌の一節
 WAR iS OVER, IF YOU WANT IT
を書いた紙が貼られていた。
 ほかにも「歓待するかドアをつけるか横領するか逐電するか」なんて紙が貼ってあったり、「入管斗」と書かれたヘルメットが置かれていたり、なかなか楽しい作品であった。
 考えてみれば、ハマトリの会場で、あのスチューデントパワーの時代を想起させるものは、このヘルメットただ1点だったのである。

 ただし、60年代の熱気をつくりあげた人物たちが、ハマトリに出品している。
オノ・ヨーコ作品とともにみなとみらい地区を望む ひとりは、ヲダに多大なインスピレーションを与えたオノ・ヨーコ
 彼女の「貨物車」を見て、アウシュビッツを思わない人はもういちど世界史の勉強をしたほうがいい。銃弾だらけにされたこのドイツ製の貨車は、ごくシンプルな形で、20世紀の悲惨な歴史を詰め込んでいるのだといってよい。
 設置されている場所も、港への引込み線が残されているところ。日本もかつて軍需物資をこの港から積み出したのだろうと思う。
 草間彌生「ナルシス・シー」もうひとりは草間彌生。港内に大量のミラーボールを浮かべたが、会期末になってやや輝きが薄れ、ごみも一緒に浮いていたのはなんだか悲しかった。

 本勢ではやはり遠藤利克に触れておきたい。
 今回は、滝のように、水が上から降ってくる作品である(打たせ湯のようでもある)。いわば、千住博の実物化。違うか。
 遠藤というと、99年のSCAI THE BATHHOUSE(東京)で銭湯跡の会場を水浸しにしてしまったのが印象に残るが、今回の発表もその延長線上といえるかもしれない。
 単純な作品でありながら、落ちてくる水を見ていると飽きないのが、遠藤作品らしいところである。
 やなぎみわは、若い女性に、老婆になったときのことを想像してもらい、そのときの情景をこしらえ、80歳の女性に扮してもらって写真に撮った。彼女本人(?)が雪の上で子どもたちと遊んでいる一枚は道内で撮影したもの。おそらく、ハマトリで唯一、直接北海道と関係している作品だと思う。

 賞者が参加できる作品というのは楽しいものである。
 マリーナ・アブラモヴィッチ、裏側に磁石のついた靴を履いて鉄板の上を歩いてもらう作品を発表。参加者はヘッドフォンによって音も遮断する。障碍者の持つハンディキャップに共感できる、というとらえかたもあるだろうし、「歩く」というふだん意識していない行為に目を向けるきっかけにはなるだろう。
 ハヴィア・テレーズは、巣箱のような突起が、外側にも内側にもたくさん付いた、巨大な木の箱を出品した。「巣箱」に付いている蓋を手で持ち上げると、中にさまざまな物体があるのが覗けるが、それは内側に入っても覗けるのである。たまに、同時に内側と外側の人が同じ「巣箱」を覗いたりすると、目が合ってしまう。これはコミュニケーションの問題を示唆している。
 唯一の故人であるフェリックス・ゴンザレス=トレスは、銀色の包み紙にはいったキャンディーを床に置いた。鑑賞者は1個ずつ取って持ち帰ることができる。筆者は「アースワークだ」とか言って(^.^)、キャンディーの山に大きな溝をこしらえたが、1時間して再び作品の前を通ると跡形もなくなっていました。
 フランツ・ヴェスト「小部屋の中の鏡と付属品」は、小さな部屋の中に鏡(実は、アルテ・ポーヴェラの作家ミケランジェロ・ピストレットの作品)が掛かっており、観客は、石膏でできた彫刻(亜鈴みたいなもの)を持って鏡の前でポーズを取ることができる、という96年の作品。やってみるとけっこう妙な楽しさがあるのだが、部屋の入り口から中をじろじろと覗きこんでいく人が多く、しかしいっしょにやってくれる人はいなくて、んだか恥ずかしかった。

 国強のインスタレーションも人気があった。
 花火の電飾の下に、最新式のマッサージ椅子が10脚ほど置かれている。見る人はその椅子に寝そべって、花火を見上げるというものだ。
 いつも順番待ちの人が椅子の周りを取り囲んでいて、筆者も、会場が閉まる直前にようやく体験ができた。どうしてこんなに待たされるのかと、よく見たら、すっかり気持ちよくなって眠ってしまっている人がすくなからずいるせいであった。まあ、さんざん歩かされますからね、無理もない。あえていえば、「派手な癒し系」か。
 作者は当初、本物の花火を使うつもりだったらしい。危険ということで主催者側から「待った」がかかったが、切り替えの速さはさすが蔡国強。事務局の関係者も「助かりました」と話していた。
豊平区中の島のラブホテル「ヴィーナスコート」 ところで、ぜんぜん関係ない話だが、これとよく似た「花火」が、札幌・中の島のホテル、ヴィーナスコートの屋上にある。右の写真は、南19条大橋の上から撮ったものです。

 スティニー・ディーコンアボリジニの作家。観光土産を展示していたが、それらは中国や東南アジア製である。先住民に対するステレオタイプな認識は、けっして欧米だけのものではない。
 孫原(スン・ユエン)+彭禹(ペン・ユー)「文明柱」は、人間の脂肪を固めて巨大な蝋燭状の立体にしたもの。飽食時代について考えさせられる。
 カールステン・フラーの作品は、きらきら光る王冠みたいな立体だが、空中高く吊り下げられているために、気がつかないで通り過ぎる人が多かった。筆者の観察では、50人中10人しか気づいていなかった。もっとも、筆者も、屋外設置作品で、ついに分からなかったものもあったから、大きなことは言えないが。 

 ロディー的な作品もけっこうあった。
 いちばんおかしかったのは杉本博司のモノクロ写真。ダイアナ妃の写真がある。ふーん、生前撮ったのかな。次はレーニン。!? その次はナポレオンだ。なんか、おかしいぞ?
 次の部屋に行くと、「最後の晩餐」の写真があって、添えられたキャプションから種が明かされる。これらの写真は、蝋人形館で、いかにもそれらしいライティングなどを施して撮影されたものなのだ。「写真」のうそということについて、笑いながら考えさせられる。
 会田誠「自殺未遂マシーン」も笑えた。首吊りしようとすると必ず外れるひも。どうしてこの人、見る人の神経をわざわざ逆なでするのかなあ。おもしろいけど。
 都築響一も、閉鎖された三重県の秘宝館の展示をわざわざ横浜まで持ってくるあたり、「世間一般でばかばかしいとされているが実はすごいこと」に対する並々ならぬ情熱が伝わってくる。彼の写真集「ROADSIDE JAPAN」は、ちくま文庫に入ったことだし、おすすめです。都築が出品していること自体が「現代美術」というカテゴリーがますます無効になりつつある時代の流れみたいなものを感じさせる。

 挙げてきたけれど、つまらない作品もかなりあった。
 もうひとつ残念なことがあった。図録は、筆者の見に行った2、3日前に出来上がったばかりだったが、作品写真は載せられていたものの、テキストは事前に準備されていたもので、今回の出品作についてのテキストのない作家が多かった。また、出品作に添えられた作家自身のテキストもほとんど掲載されていない。
 筆者が書き写せた、作品に附せられたテキストの中で、考えさせられたものをここに載せておく。ヨナ・フリードマンのものだ。

1 The 1st simple Truth WE CAN NOT UNDERSTAND THE UNIVERSE.
2 We do not need to understand the universe
3 We are able to imagine a universewhich resembles ourselves.
4 The image we make about the universe leads to understand ourselves.

 日2食、図録以外のおみやげはほとんど購入せず−との倹約方針だったが、それでもかなりの散財になった。
 桜木町から再びJRで品川まで行き、コインロッカーの荷物を取ってから、京浜急行で羽田へ。
 羽田発9時の全日空最終便で新千歳へ向かった。
 エアポートを新札幌で下り、東西線で南郷8丁目まで行き、そこからタクシーに乗って帰宅した。

 この膨大な長文をここまで読んでくださった方、どうもお疲れさまでした。
 まだまだ書き足りないこともありますが、このへんで。

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