展覧会の紹介

第76回道展 2001年10月25日(木)〜11月11日(日)
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)

 今年も、総じて新鋭の抬頭が目立った。若い層からベテランまでの厚みは、道展ならではである(文中敬称略)。 

▼日本画
 本間聖丈、羽生輝、中野邦昭、伊藤たけしといった、例年見ごたえある絵を陳列している会員諸氏の作品サイズがなぜか今年は小さい。伊藤の「黄昏」など、この人らしい静かな抒情をたたえていて、佳品といえるのだが、いかんせん迫力に欠ける。
 北口さつき「ひと」も、札幌時計台ギャラリーの個展での大作を見てしまうと、この作家としてはきっとまだ実力を出し惜しみしてるんじゃないかと思えてくるし、上野秀実、吉川聡子も、例年に比べるとちょっとスケールダウンしてる感じがする。もちろん、みなさん大変な実力派なので、あえて評しているのだが。
 そんな中で、新たに会員になった平向功一「ジャックの遠い記憶(A)」は、これまでの箱舟シリーズを想起させつつも、空間のねじれなどを取り入れ、新しい方向性を打ち出している。
 会友では、佐藤綾子「薫る色」。そーですか、苗字変わりましたか。おめでとうございます。一昨年の「北の日本画展」の作品で、そんな予感はしてたんだけど。半裸の女性が5人、さまざまな姿態で寝そべりながらあでやかな友禅?の布を巻きつけているさまは、すごく官能的。
 何年か前の、大学を卒業するころの佐藤を思い出させたのが、新人賞の今橋香奈子「結」だった。こちらは若い女性5人が着衣で、思い思いの方向を見て坐っている。地の金箔といい、おとなしいポーズの女性たちといい、躍動感よりも落ち着きを感じさせる。
 佳作賞の朝地信介「音を棄てた街」には感銘を受けた。古い、といって廃墟ではないビルが狭い道の両側にそびえている。角の向こうは、なにも描かれていない。どこかキリコに通ずる、無人の風景である。
 最若手の谷地元麗子も、どこかしら官能の匂う絵をかくけれど、日本画における装飾性とは何か、地と図との関係とはどういうものかを、彼女ほど考えて制作しているかきてはいないのではないか。その姿勢は、とても高く評価したいと思う。
 その他、一般入選では、千葉繁、益山育子、馬場智絵らに注目した。

▼油彩
 全体の展示点数の半数を占めるこの部門を見ていると、なぜか独立美術のことを思い出した。
 道内においては独立の出品者は圧倒的に全道展が多くて道展はごく少数(というか、会友の福田高治ただひとり)という事情は知っている。でも、近年の独立美術で目立つふたつの傾向、つまり
 1 リアリズムへの回帰
 2 変形キャンバス、レリーフの氾濫
が、とくに前者のほうが、道展とも共通するものだからだ。
 新会員の村上陽一や会友の武石英孝、協会賞に輝いた寺島寛之、佳作賞の山元明、新会友の茶谷雄司、洞内麻希、昨年の新人賞の芝桐子、さらに高鶴悦子長内さゆみ、橘内光則らがこのカテゴリーにあてはまりそうだ。裸婦を得意とする中堅会員の西田陽二や、廃墟などの風景をテーマとする伊藤光悦をここに入れていいかどうかは分からないが。
 さまざまな画法が出尽くしたあとでのリアリズムは、やはり落ち着くというか、見る側も安心できるという事情があるのかもしれない。
 ただ、高い技法を持ちながらも、それを持て余しているかのようなかきてもいないわけではない。その点、寺島の「遥か」は、青年と化石の対比など、作品世界に広がりを宿し、将来性を感じさせる作品だと思う。
 2の傾向は、道展では、会員の谷口明志上野方巖を数えるくらいだ。上野「今−混感(不況・テロ)」は、中空がすっぽり脱落したようなつくり。急変する世界情勢への対応という点では正直なのかもしれないが、やはり不況やテロをタブローで表現してほしかったという気もする。
 あれ、と思ったのが豊田満「悲誌−2001」。もともと穏健な風景画を得意としていた豊田が、ルオーのような激しいタッチと宗教性を感じさせる人物画に移行したのは意外だ。
 油彩に籍を置きながら現代美術的なアプローチをあきらめないのが林弘尭。「Unit(Tone)」は、支持体から少し離して、顔料を塗ったビニールを張ることで、平面に奥行きを与えることに成功している。
 ほかに、とくに注目した会員について。
 南巖衛「遺跡の想い」。夏の個展の際にも述べたが、レリーフを油彩にするという困難な課題に挑んでいる。分厚い塗りのところどころに、紫をちりばめてあるのには、はっとさせられる。
 異国を思わせる建物をモティーフにしていた廣澤正俊は、めずらしく女性を描いた。独特の厚いマチエールは、どこか有元利夫などとも共通する、遥かな情感をたたえている。
 身近な風景を前にイーゼルを立てた絵には、ほっとさせられる。とくに高橋康夫の描く岬の風景は、よくあるモティーフだが、アクセントの赤の配置など絶妙である。佐々木長政、木嶋良治、佐藤道雄、越澤満、中山教道、中吉功らも、安心して見ていられる。
 それに比べると、海外の風景は、廣岡紀子などはだいぶ落ち着いてきたと思うけれど、全体としては題材に頼っているような面がないでもない。もっともこれは、海外に最近行けない筆者の、単なる僻みのような気もする。
 抽象では、佐藤吉五郎の、大胆な風景の調理には毎年感心させられる。三浦恭三の軽快な感じも捨てがたい。長岐和彦は、だいぶ青が入り込んできたけれど、これからどうなるのだろう。
 会友。
 中井泉「Snow Field」は、コラージュ的手法で縦長の画面を躍動感で埋め尽くした、意欲的作品。
 山本紘正「’01扉の刻」。ドラマティックな物語性を感じさせる。
 石塚春枝「K先生への追悼」。K先生とは、新道展創立会員の菊地又男であろう。女性画家の指導も熱心だった。ダイナミックな飛沫が後退し、赤や黄色といった色彩の進出が目立っている。
 八重樫真一「メリーゴーランド」斎藤周「醒めた認識」は、8月に、個展のところで述べたので繰り返さない。
 大崎和男「オロッコの詩」は、抽象画の上に紐をぐるぐる縛り、自由美術のときとは違った試み。
 また、人物をモティーフにしてきた末永正子が、急速に抽象へと傾斜してきているのが目を引いた。
 日塔幸子は対象を思い切って絞り込んできている。
 一般入選。
 期せずして? 古い工場に目を向けた作品がいくつか。小林茂「廃炉」、伊藤久美子「旧廃炉」、二階堂圭子「工場A」。真剣なまなざしが感じられた。
 山田洋子「水温む頃」。この人の絵がわりと好きなのは、ほかにだれもかきそうにないところばかり選んでいるからだ。1階の壁がほとんどない古い木造家屋を、ごく低い位置から見上げたアングルは斬新。
 草刈喜一郎「土手の道」。この老アマチュア画家は、なんでもない風景を、光に対する感受性の鋭さと、視線の真摯さで、郷愁に満ちた風景に変えてしまう。さりげない佳作。
 塚崎聖子「雲の流れる日」。この人ならではの世界を毎年きちんと作り上げているのに、なかなか入賞までいかない。ちょっと気の毒。
 古川光男「刻 流れて」。廃サイロというのはわりとよくある題材なのだが、視線をぐっと低くして、前景にさびたトタンや木材を入れたのが秀逸。
 米田知子「inside」。室内画は、色や形の実験場に終始したり、ただアンティームな雰囲気を表すにとどまるものが多いが、これは、そこに暮らしている人の息遣いみたいなものを感じさせて、見ていて楽しい。
 ほか、新見亜矢子、川上茂昭、美阪恵美子、小川智、下田敏泰ら、個展やグループ展でがんばっている人の作品があると、つい立ち止まってしまう。
 抽象は少ないが、向中野るみ子小笠原洋子らはおもしろいと思った。

 ▼水彩
 比較的、新規参入に乏しいのがこの分野。
 やはり宮川美樹が図抜けている。波打ち際のあぶく。暗い砂浜にわずかに残った水滴。一瞬をとらえて普遍的な時間にまで到達している近年の絵は、哲学的な思索に見る者を誘わずにはおれない。技量がすごいのはもちろんのこと、深みのある作品世界を生み出している。
 会友では、精緻な描写の寺井宣子が、複数のイメージ(裸婦など)を1枚の紙の上で合わせるという手法を始めた。まだお手並み拝見といったところか。
 一般では昨年の新人賞、安田祐造「囁き」が、西洋の古典絵画に通じるリアルな筆致で、古木に迫り、目を引く。佳作賞の高松秀人は、筆勢にリズムがあり、山本トシ子はじっくり対象を見る目を備えている。栗山巽も抽象でがんばっている。

 ▼版画
 金沢一彦や内藤克人といったベテラン会員が安定した力量を見せる中で、西村一夫は近年取り組んできた抽象的な女性像を離れ、色面だけによる作品に移行した。
 中谷有逸についてふれないわけにはいかないと思うが、制作方法について聞いていないので詳説はできない。ただ、やはり時間の重みを感じさせる重厚なマチエールであることには変わりない。
 会友は、新会員の伊東廉を含めつぶぞろい。あまり作風に変化の無い石川亨信も、あるいは個展でひとくぎりつけたか?
 新人ではやっぱり、木版で大作を出した横山郁美が、インパクトあり。岡本葉子、鳴海伸一、外川篤司も、独自の世界を表現している。

 ▼彫刻
 ベテランと新鋭がかみあい、活況を呈している道展の彫刻部門。古参の抽象会員、高橋昭五郎板津邦夫があらたな作風にチャレンジしているのには元気付けられる。小石巧は、木の特性を生かしたダイナミックな作品を出しているし、鈴木吾郎は制作が楽しそうだ。
 裸婦をモティーフにした女性作家は多いが、胴体が極端に長い秋山知子にせよ、内側が見えるトルソの鴻上宏子にせよ、すこしゆがんだトルソの大窪恭子にせよ、人体と木の枝のようなものを組み合わせて会友賞を得た桂充子にせよ、ありきたりの彫刻はつくらないぞ、という意思が伝わってくるようだ(考え過ぎかも)。
 一般では、今年も若々しい作品が賞を得た。
 新人賞の賀川麻理子「スロウ」はすがすがしい人体。大学在学中の高橋亮子「バーティゴ」は、ピーマンの骨組みだけを組み立てたような作品で、空間性の広がりと量感という相反する課題に挑んだといえるかもしれない。
 佳作賞の長谷川裕恭は、道教大在学中は、けんちゃんこと谷口顕一郎(現代美術作家)とユニット「ヒロケンズ」(^^)を結成していた。今回の「キゲボンウリ」は、FRPや鉄を買うお金がなくてもリッパな作品ができるということを証立てした愉快な立体である。
 森大輔「樹」は、小さなトルソの木彫。人体を追究してやせ細らせると、ほとんどはジャコメッティの二番煎じになってしまうものだが、そうなっていないというだけでもすごい。これはおそらく、哲学的に人間を考究したのではなく、木に内在していた人物をほり出したというのに近いだろう。それくらい自然さをたたえたみごとな佳品。 

 ▼工芸
 陶芸。
 ふだん黒釉で知られる塚本竜玄が「耀彩広口壺」を、しばれ文様の安藤瑛一が焼き締めとおぼしき「屈折面鉢」を出すなど、中堅の会員層が新たな領域に取り組んでいるのが頼もしい。高井秀樹の造型は独特だ。板東豊光は、表面の凹凸に工夫が施されている。
 一般入選者も、陶芸が過半数を占め、活況を見せている。とりわけ、北見地方の女性陣の健闘が光る。柳原光代、古山容子、重富民子ら、文様への細かい心配りがうれしい。苅田賢も、北方性を感じさせる豊かな模様を表現している。
 木工。
 大塚哲郎はあいかわらず精緻だが、やや発展・変化への兆しも。新人賞の米沢香奈「モミジ」は、緻密さと抒情性を兼ねそなえており、注目した。
 染織。
 会員3人がいずれも個性的。堀内智子「ロジック」は、題が示すとおり、この分野では珍しく、明快さが全面に出た抽象作品。戸坂恵美子「光彩」は、テキスタイル協会展でも書いたが、まるで水溜まりにこぼれたガソリンがつくる模様のような美しさ。西本久子「ふぁーふぁー」は、例年の通り、軽さの極致にあるような立体だ。
 ろうけつ染めでは、一昨年会友になった武田澄枝のしっとりした美しさが健在である。
 皮革。
 会友・吉田良子は構図がダイナミック。会員・山本恵美は立体に挑戦。
 漆芸。
 故・伊藤隆一門下の安田律子三上知子があいかわらずきめ細やかな感性で抒情的な画面をつくっている。その後を、浜口秀樹、高橋美絵(新会員)らがシャープさを武器に擡頭(たいとう)してきている。
 金工。
 道内金工の長老・畠山三代喜が健在なのがうれしい。長らく、道内の景物や女性をモティーフに彫金作品を作ってきた畠山だが、その処理に通俗的な側面がなしとしなかった。今回の「翔」は、1羽の鳥がモティーフで、簡潔な画面が、むしろ、肩の力の抜けた凄みのようなものを感じさせる。入魂の一作である。
 田邉隆吉は、実際の木片やたらい、やかんなどを鍍金(めっき)したような作品。これも金属工芸なのか?と考えさせられる実験的な作品だ。
 伝統的な有線七宝の長谷川房代、平面の吉田由起子は、あいかわらず美しいです。
 武田享恵は、今年も力強いUFOのような作品で新会員になった。
 人形。
 この分野がいちばん心配。というのは、一般入選が剣持小枝堀江登美子の二人だけになってしまったのだ。あるいは、製作者たちの道展離れが起こっているのかもしれない。来年以降、またにぎわうことを期待したい。

表紙に戻る             前のページに戻る    次のページ