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中央区、2003年つれづれ日録の題字20043、4

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 4月30日(金)

 カレンダーどおり、仕事。
 29日からとつぜん春めいてきて、公園にはコブシが花を開いているし、ついこないだまで裸同然だった木々のつぼみがどんどんふくらんでいる。植物は敏感だ。

 札幌では最近、建築物のとりこわしと新築が多いような気がする。
 電車通りの古びた建物がつぎつぎと壊されて、ことごとく没個性的な高層住宅に変わっていく。
 北3西15の、緑に囲まれた古い家が、マンション建設のため更地になっているのを見たときにはショックだったが、歴史的な建造物以外にも、たとえば北2西2にぽっかり空き地ができ、そこに「不二家」という、宴会でよく使われる飲み屋があったことを思い出すまでにしばらく時間がかかったりする。
 空き地が出現してからそこになにがあったのか思い出そうとしても思い出せないことも多い。そんな詩が黒田三郎にあったような記憶があるが、これまたどこにあったのか思い出せない。

 4月29日(木)

 ひとあし先に実家方面へと旅立つ妻子を見送りに新千歳空港へ。
 帰途、苫小牧、美唄、岩見沢に立ち寄る。
 苫小牧は、市博物館で開催中の日本画展「東京芸術大学に集った画家たち」を見るのが目的。
 数日以内に書くけれど、まあ、デパートの催事ぐらいの規模、内容の展覧会(ほとんど20−50号程度)だったので、日本画がすきな人以外はわざわざ札幌から足をのばすにはおよばないかもしれない。無料は魅力だけど。もちろん図録などはない。
 岩見沢は、30分ほど中心街をぶらつく。空知の他都市と同様、ここも郊外に大型店ができた結果、駅前商店街は人通りが少なく、店構えも古びている。しかし、あるいて見る分にはそれが魅力。
 四半世紀ほど前には書店が何軒かあったように記憶しているが(何年もうれのこっているパラフィン包装の岩波文庫が置いてあった)、いまは路面店は小野書店しかないようだ。奥に長く、文房具もあつかっている、地方によくあるタイプの書店だ。岩波文庫はなかったが、清水書院の「西行」という本を買った。
 岩見沢の町並みについては、後日。

 4月28日(水)

 28日の北海道新聞のスクープ「道警に『裏金指南書』」はおもしろい記事だった。
 新任の副署長、次長向けに、裏金のつくりかたを指示したマニュアルが存在していたというのだ。
 いわく

近時は合理的な思考と率直な平等観念の強い職員が多くなっており、(中略)将来の警察の団結と結束に重大な支障を生じる危険があることを認識する

 これって、自分たちが「非合理的」だということを認めてるんじゃないの?
 それと、道警本部会計課のコメントがおもしろい。

この文書は会計課で作ったとみられるが、現時点では文書を確認できず、内容については一切、コメントできない

 もうほとんど認めちゃってるんだよね。裏金の存在。
 筆者が思うに、捜査報償費をふところに入れるなんてまわりくどいことはやめて、警察官の給料を上げればいいのではないか。
 いまでも警察官の給料は、一般の公務員よりは高い。命を張ってるんだからあたりまえだけど。
 しかし、報償費で工作するための労力は、捜査にまわしたほうがいいんじゃないかと思う。

 4月27日(火)

 フォトジャーナリストの広河隆一さんが編集する写真雑誌「DAYS JAPAN」の2号をようやく見つけて買ってきた。
 同じ題の雑誌は、1980年代の半ば、講談社から出ていて、筆者はよく買っていたものだ。
 小学館の「SAPIO」が右派的な色に染まっているのに対し、「DAYS JAPAN」のほうは、グラフィックを多用し、バランスもとれていた。
 こんどの創刊は、広河さんが発行人もやっているので、講談社時代にくらべてずいぶん薄いし、たぶん経営はたいへんなんだろう。でも、ここには、世界の、冷厳な事実がある。そして、戦争のない時代を、心から望んでいるジャーナリストたちの心がこもっている。
 今号の特集は「絶望のパレスチナ」。例の、米国人が橋につるされた写真も掲載されている。
 書店で見かけた際は、ぜひ手にとってほしいと思う。

 4月26日(月)

 北朝鮮の列車事故のニュースを見ていると、貨車の衝突ぐらいでこんなに被害が出るものだろうかとふしぎなくらいだ。
 筆者は建築にはしろうとなので、間違っているかもしれないが、学校の破壊のようすをうつした写真などを見ると、コンクリートの間から鉄筋や鉄骨がほとんど出ていない。
 鉄骨や鉄筋なしのコンクリートだけで建築することは不可能ではなく、日本でも資材の不足した戦争中にはおこなわれていたのであるが、北朝鮮もそれと似たようなものじゃないかという気がする。もちろん、強度は不足するのだけれど。
 読売新聞に東亜日報の引用が出ていたが、それによると、北朝鮮では以前からたびたび大規模な鉄道事故が起きていたらしく、マチの半分がふっとんだこともあったそうだ。

 4月25日(日)

 24日はほんとうに雪が降った。
 春はいずこ。

 同日の北海道新聞によると、紀伊国屋書店が札幌駅の近くに、来年、道内最大の書店を出すそうだ。
 場所は、京王プラザホテルとJR線(高架下にベスト電器がある)にはさまれた空き地であろう。
 筆者は以前、いったいいくつの「道内最大級の書店」があるのかと、皮肉交じりに書いたことがあるけれど、くだんの記事は「級」の文字がない。
 札幌駅ビルの「ステラプレイス」に入居している旭屋書店や、小樽のベイウィングの喜久屋書店を、床面積でうわまわっているからだろう。
 とくに、旭屋とは200メートルほどしか離れていない場所なので、激戦となりそうだ。
 記事にはなかったが、市内の紀伊国屋の再配置がどうなるのか、注目される。
 というのは、その旭屋のわずか100メートルほど南側の西武ロフト内に、紀伊国屋の店舗があるからだ。ふつうであれば、そちらの店舗はたたむことになるだろう。
 昨春の大丸札幌進出以来、苦戦がつづいている札幌西武だが、これを機会に改装して、攻勢に出ることもありえなくはない。
 さらに、現在は有楽ビルの1階・2階と、地下街オーロラタウンに、売り場が分散している紀伊国屋書店札幌本店の存在にも波及してくるだろう。同店は複数の売り場がはなれているので、正直言って、買いやすいとはいえないからである。

 23日、市電に乗ったら、なんと、札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)で開催中の写真展の広告ポスターが電車内に吊り下げられていた。
 しかも「入場料500円」とある。貸しギャラリーで入場料かあ。
 おなじ会場で企画されたカルティエブレッソンやロバート・フランクの写真展でさえ無料なのに、強気というか、めずらしい。
 よく見ると、会場の住所が「北2東7」になっていた。
 以前「週刊新潮」の編集長が
「交通局が広告の内容をチェックするのはおかしい」
みたいなことを言っていたけれど、この件からもわかるとおり、ケース・バイ・ケースでチェックしてもべつにいいんじゃないだろうか。
 この広告を見てサッポロファクトリーの住所を知る札幌市民はほとんどいないだろうから実害はあまりないだろうけど。

 5月の「ギャラリースケジュール」、アップしました。
 今月からレイアウトを一新して、かなり見やすくなったと本人は思っているのですが、まったく反響がありません。


 4月24日(土)

 23日は仕事から帰ってバタンキュー。24日もいそがしく、とりあえず「あーとだいありー」の最低限の更新をします。
 それでも、もう25日の午後2時だもんなー。笠原さんはじめ、みなさんすいません。

 4月22日(木)

 今週にはいって札幌は寒い。
 ふとテレビに天気予報を見ると、週末に雪だるまが出ている。えーかげんにせーよ。

 4月21日(水)

 十数年ぶりで、東西線の二十四軒駅で地下鉄をおりた。
 駅の階段を上りながら、札幌市中心部と琴似にはさまれた二十四軒かいわいは、旧国道沿いは別二十四軒駅4番出口にして、かなり近年になるまで畑が広がっていたことを思い出していた。
 もともとこの地名は、明治初期に、山鼻から屯田兵が24戸移り住んだことに由来するらしい。
 しかし、都心から近いわりには、宅地化がなぜか遅かった。戦後になっても、中央卸売市場の周辺は、湿地だったという(市場じたいは中央区だが)。
 そんなことを考えながら地上に出て、ことばを失った。
 駅出口の横が、畑だったのだ。

 札幌には地下鉄の駅が46あるが、出口のすぐ横が農地なのは、ここだけだと思う。
 まあ、真駒内駅の裏が原生林だというのもすごいけどね。

 4月20日(火)

 イラクから帰ってきた3人は新聞の写真で見る限り、そうとうつかれているみたいですね。
 「自己責任」の大合唱にはうんざり。まあ、人質になった3人に甘いところがなかったというつもりはないけどさ、そこまで責めなくてもいいだろうって感じ。
 ほんでもって、3人を解放するのにかかった費用が8億とか20億とかいわれている。
 どういう計算をしたらそこまでかさむのか教えてくれ。
 北海道東京事務所の職員の時間外手当と電話代と光熱費、あわせて何千万にもなると思う?
 チャーター機だって、数百万円単位でしょうが。
 アンマンの現地対策本部は、ホテルを借り切るかなんかしたんだろうが、わずか数日の費用が何億円にもなっているのだとしたら、それはむしろ外務省のコスト感覚のほうが問題だろう。
 この間、日本政府、外務省はなにをしていたのか。そんなに何億円もつかうような華々しい活動をしていたのなら、アルジャジーラテレビに先を越されるようなことはないと思うんですけどね。
 だいたい、日本って、どうして戦争になると、話題がお金のことに収斂していくんだろう。湾岸危機のときもそうだったっけ。
 なんか、卑しくないか?

 札幌南高校の野球部監督の教諭が児童買春したというので話題になっている。
 ふつうの会社員とか、野球部以外の先生だったらベタ記事なのに、甲子園に出場した進学校の野球部監督ということで、地元では大きなニュースになってしまったというのは、気の毒な感じがしないでもない。
 ところで、児童買春防止法では、少女を使用(あっせんとか、ビデオ出演とか)した男性については
「18歳未満とは知らなかった」
という言い訳はできないようになっている。
 まあ雇っておいて確認しないのはおかしいよ、っていうりくつなんだろう。
 ただ、買春行為については、その言い訳にかんしての規定はない。
 今回摘発された野球部監督は
「18歳未満とは知らなかった」
と供述しており、どのような扱いになるのか、注目される。
 

 4月18日(日)19日(月)

 18日も仕事。
 旧石狩街道沿いの「とんちゃく」という古書店にはじめて入り、角川文庫の「全集・戦後の詩」第一巻(こんなシリーズが出ていたとは知らんかった)と岸上大作「意志表示」、現代教養文庫の「小野十三郎」を買う。店頭に出ている本はあまり多くないが、なぜか文庫本の詩集が多い。

 19日は休み。またも爆睡してしまった。


 4月17日(土)

 今関あきよし監督が児童買春で逮捕された。
 彼のことば。

なぜ女のコばかりを撮っているのかとよく聞かれますが、僕自身は<女のコを信じているから>としか言いようがありません。(中略)
僕は夕暮れが好きです、女のコが好きです、『HOUSE』が大スキです。

(「イメージフォーラム」1982年9月号。梁井註:『HOUSE』は大林宣彦監督の初期の傑作)

 ようするに20年以上好みが変わっていないということなんだろうけど、それにしてもなあ。

 午後、雪がちらついた。

 4月16日(金)

 個人的にバスの日。バスに4回乗ったけど、地下鉄や市電には乗らなかった。
 自宅(豊平区西岡)から中央バスで「幌平橋」へ。そこでジェイ・アール北海道バス「山鼻環状線」に乗り換えて「南15西19」で下車し、フリースペースPRAHA(中央区南15西17)へ。このバス停のほうが、市電の西線14条より近いのだ。
 ふたたびジェイ・アール北海道バスの「ロープウエイ線」で、「南6西25」下車、ギャラリー紀へ(南5西24)へ。
 カフェエスキス(北1西23)まであるき、「円山第一鳥居」から高速おたる号に乗り「時計台前」でおりて会社へ行った。
 筆者は、道立近代美術館(中央区北1西17)や、円山方面のギャラリーに行くときは、地下鉄東西線も利用するけれど、北1条通を走るバスに乗ることが多い。階段をのぼったりおりたりせずに済むからだ。本数も1時間に10本以上ある。

 17日は市民ギャラリーの「日陽展」などに行く予定。
 この展覧会は、「ふつうの絵のグループ展が見たい」という人にはおすすめ。一般の人が見てたのしめる「ふつうの絵」の展覧会って、たくさんありそうで意外とないんですよね。

 4月15日(木)

 午後8時40分ごろ「人質解放」の第一報が入ったが、筆者は、「その他ニュース」収容ともいうべき「第四社会面」担当だったので、今回のおまつりさわぎにはほとんど関係なくおわってしまった。
 まあ、なんにせよ、よかった。
 当サイトのもくじページの上にあった

 Don't kill three Japanese hostages in Iraq ! Set them free!

なる文字もぶじ取り払える。
 対照的なのは、人質ひとりがころされてしまったイタリアだが、これはベルルスコーニ首相の責任があるだろう。
 なんたって、いきなり、謝罪するどころか
「テロリストと交渉するつもりはない」
だもん。
 イラクの人も
「おーおー、テロリスト呼ばわりするんやったら、ほんまに殺したろさかい」
と怒ったんじゃないだろうか。 

 一方で、ブッシュは、イスラエル政府の西岸地区の壁建設や入植地存続にお墨付きをあたえてしまった。
 開いた口がふさがらん。まったくの愚挙である。
 ガザから入植地を撤退させるということ自体は良いニュースだが、イスラエルにとってそれがほとんど痛みを伴わない措置であることは、地図を見たら小学生でもわかる。ガザはほんとうにせまいのだ。
 イラクがクウェート国境を改変するのはゆるさないのに、イスラエルがパレスティナ自治区のなかに壁や入植地をどしどしこしらえるのはOKなんだって。これがダブルスタンダードでなくてなんであろう。 

 漫画家の横山光輝さんが亡くなりました。
 浮き沈みの激しい業界で「鉄人28号」「魔法使いサリー」から「バビル2世」「三国志」とつねに第一線で活躍してきたのはすごいことだと思います。
 むかし自宅の前をぐうぜんとおったことがあったので、なんだか遠い人のような感じがしません。
 ご冥福をお祈りします。
 それにしても、石子順なんてしょーもないマンガ評論家の談話を北海道新聞はつかわないでほしいと思う。

 あーとだいありーは追って更新します。

 4月14日(水)

 会社は休み。
 午後から車で、芸術の森→ プレステイジ・ギャラリー→ マーブル・think gardenの順にまわる。
 芸術の森についてはあす以降更新の予定。あとの2カ所については、札幌のあたらしいアートスポットとして注目されそう。「あーとだいありー」をごらんください。

 4月13日(火)

 午前は娘の幼稚園の入園式。

 イラクでとらえられた人質はまだ解放されない。
 家族はつかれた足を引きずって政党などをまわっているが、こういう大きいニュースになるとかならず出てくるバカなヤツラ、というわけで、留守家族にいやがらせの電話が相次いだり、家族が拠点にしている道東京事務所の職員をかたってハイヤー10台を手配するなどの事件が起きているという。
 どうしてそんなにヒマなのか、まったく理解できない。
 人のいやがることをして楽しいんだろうか。
 なにか得るものがあるのだろうか。
 いやな世の中だなあ。

 もっとも、バカ犯人の意見をいれて自衛隊を撤退させる必要はなくなってきたような気がする。
 というのは、現地では、ドイツ人や中国人もどしどし人質になっているからだ。
 イラクの武装勢力は、アラブ語が話せない外国人と見るや、かたっぱしからとらえているんじゃないか。こまったもんだ。

 その武装勢力が出した声明文について、専門家と称する人から、信じがたい意見が出ている。
 「イラクのゲリラが広島、長崎を知っているのか」(13日、北海道新聞)
 挙句の果てに産経新聞は
「この思考方式は革マル派に似ている」
などのヨタ話も載せている。
 湾岸戦争以降、フセイン政権は、米国への敵意を高めるために、広島、長崎についてのテレビ番組をさかんに流していたのである(朝日新聞)。
 専門家なら、日本の新聞くらい読んでほしい。
 なお、北海道新聞に出ていた見方は、アラブ人の知的水準に対する偏見が感じられるし、産経新聞は、ようするに悪いことと左翼とをなんでもかんでもむすびつけたいのだろう。まあ、自衛隊への意見はおいといて、ひとまず人質と家族の心労を思いやるのがふつうの心持ちだと思うのだけれど(その点では朝日も読売も一致している)、「入った人が悪い」というのが産経だからね。

 それにしても、ファルージャの悲惨な状況を見ていると、やはり今回の米国によるイラク戦争は間違いだったという思いが強い。
 あらゆる戦争に反対とか、そういうレベル以前の問題というか、千歩ゆずって仮にイラク戦争が反テロに必要だったとしても、あまりにやりかたが拙劣すぎる。
 さいきんメディアに出てこないラムズフェルドとかは昨年の今ごろ「イラク占領は日本の戦後をモデルに」なーんて調子のいいこと言ってたけど、ぜんぜんモデルにできてないじゃん。
 ルーズヴェルト(ただしい発音はロウズヴェルト)政権は、日本が敗北する何年も前から周到な調査を重ね、占領の準備をしていた。
 ブッシュ政権、ぜんぜんだめじゃん。バグダッドを制圧したあとのことをなんにも考えていなかったとしか思えん。
 戦争はやっちゃいかんけど、やるならせめて考えてからやれよなー。

 4月12日(月)

 諸般の事情で「あーとだいありー」の更新がおくれていますが、14日未明までには更新する予定ですので、もうしばらくお待ちください。
 11日も爆睡してしまい、更新をさぼってしまいました。


 4月10日(土)

 徹夜してサイト更新。
 よく考えると3月25日以来やすんでいない。さすがにつかれて、寝ていた。オープニングパーティーなどがあったけどいかなかった。

 以前懸念したとおり、ミュンヘン大橋のたもとの木々はすべて切られた。
 そのうち大型書店の建設工事がはじまるんだろう。
 札幌駅北口では、線路の高架化以前から唯一のこっていた焼肉屋と旧八重洲ホテルの建物の取り壊し工事がおこなわれた。
 いまでこそ大型ビルがたちならび、地下駐車場などが整備されている札幌駅の北口だが、かつては、五番舘(現西武札幌)、東急などがたちならぶ南口とのにぎわいの格差はいちじるしく、とても同じ駅の出入り口とはおもえないほどだった。1980年ごろになって、代々木ゼミナール札幌校の開校が大きな建物のはしりになったのではないか。このころになってもなお、木造の長屋がならんでいるありさまだった。
 現在この附近で高層化がすすんでいないのは、石の蔵ぎゃらりぃ はやし(北区北8西1)あたりだけになってしまいましたね。

 4月9日(金)

 家を2時過ぎに出る。しかしなお、見ていない展覧会が多数。

 4月8日(木)

 朝刊を見ると、イラク情勢はますます混迷をふかめている。米軍がモスクを空爆して多数のイラク人が死んだという記事が1面に出ていた。死者数もさることながら「モスク」はまずいんじゃないかと思ったら、案の定だ。夕刊の段階で、サマワの宿営地に迫撃砲らしき弾がとび、さらに夜、日本の民間人3人が正体不明の過激派に拉致され、人質になった。
 しかも、3人中ふたりが北海道の関係者だ。
 筆者の周囲にも、知り合いがごろごろいる。

 自衛隊が海外にでていくとまず標的になるのが民間人であるという図式が、カンボジアにつづいてくりかえされたことになる。
 いわゆる「アルカイダ」は、あまり犯行声明なるものを出さないから、今回の犯人がアルカイダ系統であるか、疑問符がつく。
 それにしても声明にあった「裏切り者」という思いは、正直なところだろう。
 日本は、やっぱり、米国に追従すべきではなかったのかもしれない。

 筆者はきょうは社会面で、いそがしかったが、共同通信の速報で「人質ののどにナイフをあてている映像が…」などと言っているのを耳にすると、こみあげてくるものがあった。とにかく、いまは、3人の無事をいのるしかない。

 あーとだいありーなど、未完だけど、とりあえずアップする。

 4月7日(水)

 帰宅は夜11時ころ。
 スケジュールなどを更新したところで力尽きた。
 江別市のセラミックアートセンターなどの年間日程も更新した(資料をありがとうございます)。
 あーとだいありーはあす更新する。ご容赦を。

 4月6日(火)

 会社に朝9時から夜の11時半までいた。

 4月5日(月)

 4日はアーティスト・イン・レジデンス展のうちあげ、5日は仕事のつかれでねむってしまい、これを更新しているのは6日の午後。会社の仕事のあいまに書いている。
 中橋さんの個展などは、会期がおわるまであと数時間しかないのだけれど、とりあえずアップします。

 (後註 けっきょく会社からのアップがうまくいかず、深夜の更新になってしまった)


 4月3日(土)

 今週は土、日がやすみ。
 午後から、札幌アーティスト・イン・レジデンス展レクチャー「まちとアーティスト・オランダ・ロッテルダム編」。ひきつづき、7月に行われる、林享さん、渋谷俊彦さんたちの平面グループ展のうちあわせ。

 書くべきテキストがたまっておりますが、いったんアップします。

 4月2日(金)

 というわけで、3月31日かぎりで、札幌市営バスの営業が終了した。
 これまでも段階的に、民間(北海道中央バス、じょうてつバス、ジェイ・アール北海道バスの3社)に路線を委譲していた。その最終段階というわけだ。
 赤字の解消のほかにも、地下鉄の開通にともなって乗客を奪われる北海道中央バスに路線を譲るなどもしていた。
 最終日には、下にあるような「記念乗車証」を乗客にくばった。
市営バスの記念乗車証 くばったといっても、筆者が乗ったファクトリー線では、運賃箱の横に置いてあった−というほうが正確であった。
 そのためか、持ち帰る乗客は、意外とすくなかったようだ。

 地下鉄南北線が開通した1971年ごろは、市電が一気に廃止されたこともあって、札幌市営バスの黄金時代だったと思う。
 旧手稲町地区と厚別方面は国鉄バス、旧豊平町地区は中央バス、定山渓方面はいうまでもなく定鉄(じょうてつ)バス−というすみわけはあったが、それ以外の地域はほとんど、市営バスが網の目のように路線をはりめぐらせていた。
 筆者は、5歳まで琴似に住んでいたので、9番の「琴似線」、28番の「山の手線」などは思い出深い。
 ほかに、1番が札苗線、2番鉄北線、3番苗穂線、15番真駒内線…などとおぼえているのだから、まったく記憶のむだづかいである。
最後の日の札幌市営バス 60年代には、マイクロバスも走っていた。琴似と新琴似をむすぶ路線などは、ちいさなバスが走っていた。
 この車体は、地下鉄南北線自衛隊駅のそばにある交通博物館に保存されている。
 地下鉄開通は、都心に乗り入れるバスを、郊外の駅どまりとして乗客を地下鉄にうつすことで、都心の交通緩和に役立てたが、それ以前すべての路線が、都心に乗り入れていたわけではない。
 宮の森の奥に行く路線は、円山ターミナルどまりだった。市民は、終点で市電にのりかえるのである。
 ほかにも、白石や西野にターミナルがあった(西野のターミナルはまだ跡がのこっているはず)。
 1969年ごろ筆者は、円山ターミナルからバスに乗ったことがあるが、終点のあたりには聖心女子学園以外にはなにもなく呆然とした記憶がある。
 73年、学校の遠足で再訪してみると附近はすっかり新興住宅街になっており、ふたたび呆然としたのだった(もっとも、このころはまだ、盤渓も幌見峠も、舗装されていなかった)。

 また、廃止された市電の代替路線として、「澄川苗穂線」などの、いったいだれが通して乗るんだ! みたいな市営バスのファクトリー線路線もあった。
 均一運賃になった(滝野線と定山渓線をのぞく)のも、地下鉄の開通のころである。
 それ以前は、途中で値段があがっていく路線が多かった。天狗橋をへて手稲前田のほうへ行く路線など、6つぐらい運賃区間があったのではないか。ワンマンになる前は、車掌さんが車内で切符を売っていたが、値段によって色がちがうのであった。
 筆者が最後に、車掌のいるバスに乗ったのは、1982年の藻岩山手線だった。
 終点のちかくに、運転手だけではまがれないカーブがあったのだ。
 それと似た事情だが、1996年に乗った「滝野線」も、運転手以外に乗員がいた。終着の回転場でターンするのが、運転手ひとりでは不可能だったためだ。
 いま、この路線は中央バスの管轄になっているはずだが、どうなっているんだろう。

 …などと、思い出話はつきないのだが、じつは、筆者はそれほど感傷的になっているわけではない。
 一般論でいうならば、市営バスよりも中央バスのほうが、運転手は愛想がよいし、ダイヤもつかいやすくなるにきまっているからだ。
 SLなどとちがって、札幌市営バスがマニアの涙腺をくすぐるといったものでもない。
 また、文学や絵画などに引用されて、永遠の姿をのこすというものでもないようだ。
 筆者が札幌市営バスの引用として思い出すのは、いくえみ綾(りょう)の漫画「瞬きもせず」のコミックスのカバーに札幌市営バスの赤と白の車体を描いたものがあったことだ。
ウィズユーカードの裏面 この東海第四出身の少女漫画家が描く世界では、主人公たちは当然のように札幌に住んでいたのだった。

 さらにどうでもいい話だけど、先払いカードの「ウィズユーカード」の裏面を見たら、印字されている地下鉄駅がすべてちがっていた。
 まじめな会社員であれば、ふたつの駅名が、判で押したようにくりかえし印字されているんだろうが、筆者は仕事に行く前にギャラリーをふらふらまわっているので、このようなことになるのだ。

 札幌オリンピックの「虹と雪のバラード」で知られる詩人の河邨文一郎さんが亡くなった。
 道内詩壇の地図にも変動があるのだろうけど、はっきりいって一般の人にはどうでもいい話なのでここではふれない。
 やはりどうでもいい自慢話になるけれど、北海道新聞文学賞の審査で同席し、銀座で語り合ったのが、ついきのうのことのようである。
 現在は、詩と小説・評論は、べつに審査しているが、当時はいっしょに審査していた。小説の世界では偉い先生たちも、詩の技術水準となると、こちらがおどろくぐらいわかっていなくて、筆者の目から見てもそれほどとも思われない詩集を推挙するので、河邨さんが
「いや、これぐらいはたいしたことないんです」
と説得していたのであった。
 1972年のオリンピックは、札幌の歴史の中でも、屈指の大きな出来事であったので、「虹と雪のバラード」も長く人々の心にのこっていくだろうと思う。


 4月1日(木)

 いろいろ書きたいことはあるのだが、仕事から帰ってこのサイトの更新に3時間をついやし、このページにとりかかるころには、もはやエネルギーがのこっていない。
 31日かぎりで全線が民間に委譲された札幌市営バスの話、きょう行った札幌アーティスト・イン・レジデンス展の話など、ちかぢか書く予定。

 3月31日(水)

 ちょっとふるい話題で恐縮だけど、江角マキコが国民年金をおさめていなかったというのは笑い話だけど、CM契約料が6億円だかというのは、いくらなんでも高すぎないか。
 いま、年金財政ってたいへんなんでしょ?(経済評論家の紺屋典子さんはそんなことないって言ってるけど)
 だったら「PRの重要性にかんがみ、特別出演でお願いします」
って感じの依頼になるんじゃないのかな。ふつう。
 会社の人にその話をしたら
「どうせ、広告代理店の言い値でやってんでしょ。あの施設とか見ててもわかるじゃないですか、カネをあつかわせちゃいけない連中なんですよ」。
 もっともだと思う。といって、国民年金を民営化するわけにもいかない。

 3月30日(火)

 あー、やっぱり社会面をやると、なんだかつかれるなあ。
 というわけで、あーとだいありーはあす更新します。
 見に行ってまだ書いていない展覧会があるけれど、あすかならず更新するのでご容赦ください。

 そういえば、29日に札幌の積雪がゼロになった。
 だいたい毎年この時期に帳尻があうふしぎ。ついこないだまで、50センチはあったのになあ。
 もっとも、筆者の家のまわりには、まだかなりの雪がのこっている。

 3月29日(月)

 夕刊から地方版への「通し勤務」。6時起床、7時50分出発。
 センバツの鵡川高校の試合結果を入れるため、締め切りをのばして対応する。9回に同点にされ、延長戦に入るという最悪のパターン。ついに夕刊には入れられない。筆者もしばらく会社に待機してテレビを見ていたが、終わる気配がないので、3時前に外出した。
 5時過ぎから地方版をつくる仕事。
 きょうはさっさと終わらせようかと思っていたのに、いざ始めるとつい凝った紙面をつくってしまう。
 9時25分に会社を出て、9時35分、シアターキノ着。連句アニメーション「冬の日」を見る。とにかく、多彩な短編アニメオムニバス。CG、人形、クレイ、墨絵(これは札幌の横須賀令子さん)などなんでもあり。句の世界をわりあい忠実に絵にしている人もいれば、芭蕉なんぞ気にせずに自由にイマジネーションを展開している作家もいる。
 せりふはないけれど、楽しめた。
 地下鉄とバスで11時帰宅。

 「4月のギャラリー日程」をアップした。
 スタイルを一新して、見やすくなったのではないかと思う。スタイルの変更は、けっこう手間がかかった。

 3月28日(日)

 休日。
 朝は5時に起きてサイトの更新。
 午前は家族に付き合い、イトーヨーカドーへ買い物。
 午後は道立近代美術館でおこなわれた、ゴォービスさんのレクチャー。札幌アーティスト・イン・レジデンス展の関連行事。
 夕方、エルエテ・ギャラリースペースと、ギャラリーミヤシタに寄る。
 エルエテの渡辺さんは、六本木ヒルズの森美術館と、パリに行ってきたそうだ。いいなあ。筆者は、なんと、02年5月の東京行き以来、北海道を出ていない。
 書店で見たことのないロバート・フランクの安い写真集(1500円)があったので買ってきた。これはめっけもんだ。
 夜7時ごろ帰宅。
 更新せずに寝てしまう。


 3月27日(土)

 ふるい「index2.htm」とあたらしい「index2.html」の2種類のファイルが存在し、表紙からはふるいほうのファイルにしかリンクせず、大勢の人が当サイトを更新していないと認識していたことが判明。どうもすいませんです。
 これから各サイトのリンクを修正します。

 3月26日(金)

 終日、あすから道立近代美術館ではじまる「札幌アーティスト・イン・レジデンス展 国境を越えた美術の冒険」の準備作業。
 つかれたあ。

 お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、2004年度の道内美術館の日程のページをつくりました。
 しかし、ことしは各美術館のリーフレット発行がおくれているようです。
 判明しだい、追加していきます。

 3月25日(木)

 昨日がそのような状態だったので、昼前に起きた。
 午後も本を読もうとしたら、すぐに昼寝になってしまった。あとでたしかめると、なんと5行しか読んでいなかった。やれやれ。

 サントリーがペットボトルで出したお茶「伊右衛門」が、受注殺到で生産がおいつかず、いったん出荷を停止するという話だが、勤め先のちかくのコンビニエンスストアや、社内の自動販売機ではふつうに売られている。
 のんでみたけれど、とりたてて味に敏感でもない筆者には「まろ茶」や「おーい、お茶」などの先行商品とどこがちがうのか、よくわからない。
 この手のお茶を飲むと、亡くなった画家、菊地又男さんのことを思い出す。
 菊地さんは或る展覧会を見に来て、「玉露入りお茶」(サッポロビール)を飲んでさかんに「うまい、うまい」とくりかえしていた。「ほかとそんなにちがうのかなあ」と筆者は思ったものである。まだ、富田靖子が宣伝に出ていたころの話だ。
 ところで、なぜじぶんがこのお茶にこだわるのか、ちょっと考えてみて、ネーミングに理由があることがわかった。
 おーい、イエモン、はやく活動再開してくれえ。(さえないオチですいません)

 (後註:出荷停止は、竹型ボトルのみでした)

 3月24日(水)

 23日は仕事を終えて家に帰り、サイトの更新をしてから、一睡もせずに朝6時前に家を出て、函館に行った。
 きょう最終日の鵜川五郎展を見に行ったのだが、むりに行ってよかった。すばらしかった。
 行きは五稜郭駅でおりて、美術館まであるいた。25分かかった。
 あてずっぽうに歩いたのだが、いま地図を見るとほぼ最短ルートである。
 帰りに絵画堂にあいさつにおもむき(なにしに行ったんだか)、滞在3時間半で札幌へとんぼ返り。
 行きと帰りの列車内ではほとんど寝ていたが、大沼の氷がとけているのは見た。
 そのまま会社へ行き、仕事。
 帰宅午前2時半。

 鵜川五郎展の「展覧会の紹介」は近日中にアップしたい。
 昨年の反省を踏まえて「展覧会の紹介」はけっこうマメに書いている。今週の白眉である「NORD展」もようやくかいたし、今月はもう5本目である。

 3月23日(火)

 3月12日にデジタルカメラを壊し、修理に出していたところ、見積もりが2万円ちかかったので、あたらしく買うことにして、某ヨドバシに行った。
 購入したのは、浜崎あゆみが広告に出ているパナソニックのLUMIX FX1という機種である。
 D70とか、ほしくないわけではもちろんないのだけど、なにせパソコンを手に入れたばかりだし、そうそう大きな買い物ばかりもしていられない。
 キヤノンIXYとか、リコーとか、いろいろまよったが、最終的に決めたのは、手ぶれ防止装置というのがなんとなくよさそうだったのと、このカメラの全面広告が北海道新聞に出ていたからである。「道新に広告を出すなんて、エライ!」という、しょーもない理由だったりする。

 もちろん先代のFine Pix40iもよくはたらいてくれた。おつかれさま。
 だが、3年半の月日の間にデジタルカメラはおそろしく進歩していた。
 値段はかなり安くなったのに、3倍望遠ズームとか、ISO設定とか、夜景モードとか、いろいろついている。白さのバランスの微調整まで可能なのだ。
 もっとも、ズーム性能を競うのにどんな意味があるのかはわからない。
 画素数を多くして、あとでパソコンでトリミングすれば済む話だと思う。あまりズームで拡大すると手ぶれの原因になるだけではないか。

 これだけ性能がアップしたのだから、メーカーさんには次のリクエストをしておきたい。

  1. 広角レンズの開発

 売れ筋のデジカメの大半は35→105ミリというレンズ設定になっているのが多いが、じつは日常であると便利なのは、28ミリくらいの画角なのだ。
 カラオケボックスなどの室内では、24ミリくらいはほしい。
 でも、広角はいまのところ、高級機や一眼レフの独壇場である。
 ぜひおねがいしたい。

 2. バルブモード

 コンパクトデジカメではどうも大半の機種がせいぜい数秒までしかシャッターをあけていられないようだ。
 ようだ、というのも、雑誌の特集記事などではそもそもシャッタースピードなどの記載がぜんぜんないのだ。
 夜景をノーストロボで撮ったり、星空の写真などは、バルブモードが必須なので、あればうれしいんだけど。

 3月22日(月) 

 21日も仕事。なんだか疲れがとりきれないうちに会社へ行き、更新しないままねむってしまった。すいませんです。

 イスラエルが「ハマス」の指導者ヤシン師を殺害した。

 ひとことで言って、イスラエルというのは民主国家ではない。複数政党制の国であるけれども、その恩恵はパレスティナの人にはとどかないのだ。
 あまりに乱暴な話としか言いようがない。

 民主国家というのは、悪いやつがいたら、警察がとっつかまえて、裁判にかけて、判決にしたがわせる国である。
 もうあったりまえで、文字にするのもバカバカしい話だ。
 スペインではそうやってバスク過激派を一網打尽にしてきたし、日本だって、悪の見本市のような麻原彰晃の裁判を延々とやっているのである。
 ところが、イスラエルは、テロがあると、軍が乗り出して、容疑者を殺す。
 このやりかたは、相互に憎しみを生むだけだ。

 似た国は米国である。
 テロリストというレッテルを貼れば、とりあえず外国ではなにをしてもよいとおもっているらしいフシがある。
 子ども向けの特撮ヒーロー番組「特捜戦隊デカレンジャー」ですら、宇宙最高裁判所の判決が出るまでは敵の怪人や宇宙人を抹殺できないのに、イスラエルがやっていることはそれ以下である。

 ザ・ドリフターズのいかりや長介さんが亡くなった。
 筆者ももちろん「8時だヨ 全員集合」を見ていたくちであるが、熱心に見ていたのは1969−73年の間ぐらい。
 したがって、志村けんの加入後は、リアルタイムでは見ていない。
 平均視聴率が30%を上回る「お化け番組」といわれていたが、ずっと高原状態だったわけではなくて、人気には波があったように思う。そして、流行語などが生み出せない時期などは、「ツーレロ節」とか、音楽で打開しようとしていた印象がある。
 いまにしておもえば、もともとドリフがバンドだったから、原点に返ろうということだったのかもしれない。
 もともとバンドで、しかもドラムスが花形というのは、彼らの先輩であるクレージーキャッツとおなじなのが興味ふかい。
 「全員集合」のすごいところは、毎週脚本があって、セットを組んで、収録していたことである。
 ふと気がつくと、いまのテレビのお笑い番組は、ほとんど出演者のアドリブと話芸にたよっており、「全員集合」のような作りこんだ面白さというのはなくなってしまった。
 じつは、毎週きちんと脚本を書いているお笑い系の番組がひとつだけある。NHKの「お江戸でござる」である。
 「俗悪」といわれた番組の精神をひきついでいるのがNHKというのが、なんとなくおかしい。

 どの新聞もふれていなかったように思うが、筆者がいかりや長介と聞いて思い出すのがアフリカである。
 彼は、なぜかアフリカが好きで、狩猟民族など現地の人々とふれあうという特番が何回も放送されていた。
 いつもは「笑わせてやろう」と気負ってギャグを飛ばしている5人が、VTRを見ながら肩の力を抜いてスタジオで話をしていたのが、とても良かった記憶がある。


 3月20日(土)

 休み。夜は外に出られないという事情もてつだい、ほとんど終日爆睡。

 3月19日(金)

 「札幌の美術2004」に書家の部分をくわえました。
 また、「サッポロ未来展」をアップしました。
 展覧会本体にかんする部分が少なくて、作家や関係者のみなさんはご不満かとも思いますが、とりあえずご勘弁いただきたく思います。
 展覧会はあすまでです。

 ほかに、スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)で開催中の3人展「南郷100丁目」にも行った。
 ことしの札幌での現代美術展を代表する展覧会であることはまちがいない。
 テキストはあすアップしたい。

 「大阪家族殺傷事件」の元大学生と女子高生を医療少年院に送る決定がされた、というニュースがあった。
 大阪というところは、虐待やら殺人やらしょっちゅう起きているという印象があるのでピンとこない。
 いっそ「ゴスロリ殺人事件」としたほうが、読者はすぐわかるんじゃないかと思ったが、まさかそう見出しにとるわけにもいかない。

 きょうの道新夕刊1面の見出しがいい。
「米英にだまされた」
 ポーランドの首相だか大統領だかの発言。

 3月18日(木)

 「札幌の美術2004」、まだ推敲が足りないのだけど、いちおうアップします。

 3月17日(水)

 「あーとだいありー」を新しいファイルにした。

 温暖前線が通過し、道内各地は最高気温がプラスの2けた。雪解け急ピッチ。
 でも、たいがい、また降るんだよなあ。そう一筋縄ではいかないのです。春は遠い。。。

 突然だが、ことしのプロ野球ペナントレースを予測してみたい。
 まずパリーグ。

  1. ダイエー
  2. 日本ハム
  3. ロッテ
  4. 西武
  5. オリックス
  6. 近鉄

 昨年のAクラス3チームは、主力を放出してばかりで、あまり補強をしていない。そのうち、格段に選手層が厚く、スタミナのある陣容がそろっているダイエーは別にして、松井がいない西武(しかもカブレラが骨折)、ローズが抜けて改名問題で揺れた近鉄は、伸び悩むように思う。
 反対に、ロッテと日本ハムは効果的な補強をした。日本ハムは先発陣のうち吉崎が出遅れ、ミラバルもぴりっとしないが、新庄や岩本らが張り切っており、Aクラスは堅い。ロッテは黒木が復調すればにわかにおもしろくなる。

 つづいてセリーグ。

  1. 阪神
  2. 中日
  3. 巨人
  4. ヤクルト
  5. 広島
  6. 横浜

 こちらは自信ない。
 ただ、巨人の優勝はない。オープン戦に負けたくらいでカッとなって取材を拒否したあげく、やれ応援団の「とんぼ」の演奏時間を短くしろだの、ローズに関西弁をしゃべるなだの、いちばん上司にしたくないタイプ(感情的で細かすぎる)の人が監督になってしまった。打線は大型だが、つながりはなく、抑え投手は非力のままだ。
 落合監督の中日はおもしろい存在だが、打撃が弱いのがネック。阪神は優勝疲れがあると思うので、昨年のようにスムーズには行かないだろう。
 といって、Bクラス3球団もつらい。ヤクルトはチームワークはよいが、高津の穴を埋め切れておらず、五輪期間中は抑え不在となる。

 3月16日(火)

 宇多田ヒカルが月末にベスト盤を出すという。
 売り上げの目標は、あの、500万枚を突破したB’zのベスト盤を抜くことだろう。彼女の人気と、「automatic」や「COLORS」などナンバー1ヒットをたくさん集めた内容からすると、それは不可能ではないだろう。かならず記録更新するとうけあうこともできないけれど。
 ところで、もしこのCDが最高記録をうちたてれば、それは永久の記録になる可能性が高い。
 というのは、米国ではすでにCDというフォーマットでの流通が減り始め、インターネットからダウンロードするかたちでの音楽流通が急速に伸びているからだ。アルバム1枚3000円というのではなく、1曲99セントというかたちなのだ。
 その影響は、タワーレコードの倒産(日本の法人とは現在は別関係)などにあらわれている。
 米国の事情にくわしい宇多田のこと、日本でもネットによる音楽ビジネスがまもなく主流になることを見越して、このタイミングでベスト盤を出すのではないかと思う。 

 筆者は、最近は音楽雑誌などをまったく読まないので、もしかしたらおなじことをどっかで書いたりいったりしている人がいるかもしれないけど、ご容赦ください。

 スペインの反テロ・デモに全国で1100万人が参加したそうだ。すごい。

 きょうは「あーとだいありー」の更新はありません。

 3月15日(月)

 会社で、組版コンピュータシステムの交代セレモニーがおこなわれた。
 これまでつかわれてきた「DIPPER」にかわり、「else」というシステムに、全面的にきりかわる。
 「DIPPER」は、鉛の活字にかわってコンピュータを導入した劃期的(かっきてき)なものだったが、いかんせん1984年のシステム。これからは、専門のコマンドを打ち込むのではなく、パソコンのような使い勝手の機械にかわる。
 それにともない、北海道新聞の活字フォントも微妙に変わったのだけれど、気がついた方、いますか。

 午後5時ごろ、新聞各紙のウェブサイトをひらいてみたら、北海道、朝日、読売、毎日、東京、中日、産経、日経すべてで、女子マラソン日本代表の記事がトップに出ていた。
 それにしても、あのシドニーでのQちゃんの快走からもう4年になるんですね。信じられない。

 3月14日(日)

 きょうも休み。
 家族で「北海道開拓の村」へ行き、馬橇(そり)に乗ってきた。
 夏の間、敷地内を走っている馬車鉄道が、冬は軌道が雪で埋もれてしまい、かわりにそりが、土・日・祝日とさっぽろ雪まつりの期間中運行している。
 雪のなかの古い建物は風情があってよろしいが、とにかく寒い。

 あーとだいありーの更新はきょうはありません。


 3月13日(土)

 休み。
 ギャラリーをまわって、そのついでといってはなんだけど、27日からの国境を越えた美術の冒険−札幌アーティスト・イン・レジデンス展のポスターとちらしをくばるなどしていた。
 みなさん、快く協力していただいてありがとうございます。週明けもつづきます。

 3月12日(金)

 14日終了の展覧会、まだかなり見のこしがある。
 あしたどれくらい見られるだろう。

 3月11日(木)

 7日夜、パソコンが不調になり、またも更新が途絶。
 もっともこの間は仕事がいそがしく、あまりギャラリーに行ってない。
 akaさんのおかげでなんとか再開できそうなので、とりあえず最低限の更新をしておきます。
 12日はがんばって大量に更新する予定です。

 3月7日(日)

 突発的に帯広へ。
 ノートパソコンなので、はじめて外へ持ち出して列車の中で作業する−ということをやってみたが、モバイルタイプでないためか、バッテリーの残量は初めから1時間を切っている。
 これではたいした作業はあまりできないな。


 3月6日(土)

 夕刊スポーツの担当ということで、いつもより1時間もはやく午前8時前に会社に着いたが、意外なほどいそがしくなかった。
 ゆうべ、テレビで試合を観戦していたときのほうが、よっぽど心臓にわるかった。

 午後の空き時間、道立近代美術館に武田雅哉さんの講演を聴きに行こうかとも思ったが、札幌市民ギャラリーで開催中の「札幌の美術2004」のギャラリートークがたくさんあるので、そちらに出かけた。
 「札幌の美術」については、近日中に書きます。
 夜はまた会社へ。0時近くに帰宅。

 きのう書き忘れましたが、アクセスが11万件にたっしました。
 10万達成が12月25日だったので、やはり3カ月近くかかっています。

 3月5日(金)

 「ギャラリーマップ」のうち、「旭丘・界川・山鼻西部地区」を更新した。
 前回3カ所だった掲載ギャラリーは、倍の6カ所になった。

 3月のスケジュールは、2月分の消し忘れが相当ありました。どうもすいません。

 アテネ五輪のサッカー、アジア最終予選が、これを書いている現在おこなわれている。
 元コンサドーレの山瀬と今野が中盤で活躍しているのは、なかなかフクザツなものがある。
 この試合は、ちょうど北海道新聞の早版が締め切られたころにキックオフとなるので、札幌や旭川などの読者はその翌日の朝刊で結果が読めるが、北見、室蘭など印刷所から遠いところの読者は半日遅れの夕刊でないと読めない。あしたの朝刊は、試合が始まる前の埋め草記事が多いのである。
 早番と遅い版の記事の出し入れは、なかなか面倒だが、あすの夕刊スポーツでそれをやるのは筆者です。

 3月3日(水)

 メモ帳を会社におきわすれてきたので、あーとだいありーの更新はありません。
 「札幌の美術」のオープニングを1日まちがうし、なんかダメな筆者です。はあ(ためいき)。

 3月2日(火)

 ようやっと、3月のスケジュール表をアップした。

 PCがいかれているあいだにいろいろなことがあった。
 歴史家の網野さんが死んだり(この人がいなければ、宮崎駿監督の「もののけ姫」がありえなかったのは確実である)、鳥インフルエンザが京都の養鶏場主の怠慢によって一気に広まったり、ほとんど進展のない六カ国協議がひらかれたりした。
 やはり、いちばん印象にのこっているニュースは、オウム麻原教祖への東京地裁の判決だった(それにしても、まだ第一審か)。
 判決自体におどろきはないのだけれど。

 オウム事件くらい、筆者の認識の構造を変えた歴史的事件はない。
 中学、高校の同級生がひとりずつ逮捕された、ということもあるけど。
 あのとき(1995年)思ったのは、この世に絶対の真理などはないということ。
 逆に言えば、或る体系のなかで真理だということが、世界でも真理であるという保障はまったくなく、むしろ「世間的な知」のほうが正しかったりすることに、あらためておどろいたのだった。
 それまで筆者は、大衆が全体主義を支持した歴史から、世間の智慧みたいなものはそれほど信用していないきらいがあった。
 しかし、あのとき明るみに出たオウムの教義は、その中では首尾一貫していて、論理は破綻していなかった。
 じゃあ、正しいのか、というと、そんなことはもちろんなくて、
「やっぱオウムってうさんくさいよなあ」
という直感のほうが正しいのだ。

 もう一点。
 マルクス=レーニン主義が体系として影響力をうしなったのち、いわゆる「精神世界」的なものに、世界を解く、そして世界を変える鍵みたいなものがあるんじゃないか、という漠然とした期待が、筆者にはあった。
 でも、オウム事件で、そんなにかんたんに「精神世界」のなかに、真理がみつかるはずがないということがわかった。
 これは、オウム事件と、偶然ながらほぼ同時期に活動をはじめた「と学会」から得た知見も大きい。
 むしろ、
「じぶんだけは真理を知っている」
と称する者には、うさんくさいものが多いようなのだ。

 それにしても、たとえば連合赤軍とか、70年代の爆弾犯には、もちろんやったことはぜんぜん許せないけど、発想の根っこには
「世の中をなんとかしたい。貧しい人を救いたい」
という義憤みたいなものがあったと思う。
 でも、オウムにはそれがほとんどない。
 じぶんだけ救われればいいという、しょーもない発想。

 しかし、もっとしょーもないというか、そもそもの発想自体がまったく理解できないのが、「9・11」の実行犯たちである。
 「アルカイダ」
なんて新聞やテレビではいってるけれど、でもよく考えてみたら、その組織のほんとうのことはだれも知らないし、彼らが犯行声明を出したこともない。彼らの思想を書いた本もない。
 いったいなんのために飛行機を高層ビルに突っ込ませたのか。ほとんど理解不可能である。

 世界の外部にある、悪意だけからできているような、いわば「絶対的な他者」として、アルカイダは存在し、あいまいなイメージだけが高速でメディアを流通している。
 それは、すぐれて21世紀の暗喩であると思う。

 3月1日(月)

 書きたいことはやまほどあるのだが、時間がない。
 3月のスケジュールはあすにします。それまで、各ページのリンクがごちゃごちゃになると思いますが、ご海容のほどを。

 ひとつだけ、ひまネタ。
 日本ハムファイターズが名護市でのキャンプを終え、札幌に着いた。新庄選手をテレビで見ていた会社の或る人が
「カールスモーキー石井だな、まるで」。
 似てるかもしれない。
 それにしても、上田市長の
「優勝パレードのために大通公園はいつでもあけておきます」
というあいさつはいいですね。と思って、見出しにとってみたけど、どうでしょう。