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東京発熱日記 

(2002年5月)

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 しばらく東京に遊びに行くのはやめようと思っている。
 風邪をひいて熱を出したのも、家族をほっておいてひとりで出かけてしかも東京の知り合いに連絡もせず黙って行ったから、バチが当たったんだろう、きっと。
 以下、昨秋の「東京つれづれ日記」とはくらべものにならないほど、スケールダウンして(^_^;)お送りします。

 雪舟展(東京国立博物館)

 主催の毎日新聞社が「次に見られるのは半世紀後!」などとあおるものだから、ついそれにのってしまった筆者も悪い。
 でもさー、あの混雑はないよ(^_^;)。
 それでも、筆者が行ったときは、入場制限をしていなかったから、まだましだったのかもしれないけど。
 とにかくじっくり絵を見るという環境ではなかった。
 帰ってから図録を見ても、どの絵が展示されていて、どの絵がなかったのか、よくおぼえていない体たらくである。
 雪舟の代表作とされる「天橋立図」「秋冬山水図」なんて、ぜんぜん記憶にないぞ。
 たぶんあまりの人だかりに気後れして
「あとですこし人が減ったら見ることにしよう」
とおもって、そのまま見るのをわすれて帰ったにちがいない。
 だいたい、今回の展覧会は、作品によって絵の前にいる人の多さがぜんぜんちがうのであった。
 有名な作品の前には、こちらの戦闘意欲を失わせるに足るだけの混雑ができている。
 「四季山水図巻」などは、あまりの行列の長さのため、係員に
「立ち止まらないで見ていただくようお願いしております」
と促される始末である。
 ところが、関連画家とか、資料的な書簡・文書といった展示品の前にはほとんど見物する人がいない。雪舟の真筆でも、あまり有名ではない小品などは、足を止める人がすくないようだ。
 なんだか、観光地にきてガイドブックに載っている有名スポットだけ足早にチェックして帰っていく日本人の姿とだぶって見えるのは、筆者だけだろうか。
 絵巻物だと、終わりが近づくに連れて足が速まるのも可笑しかった。
 それにしても、絵の感想を話している観客はまだ許せるが、
 「ほらー、歯が欠けたときに菓子折り持ってきた人がさあ」
とかしゃべりながら展示ケースの前を通り過ぎるような女性がいるのは理解に苦しむぞ。こういう手合いがいるから、混雑がひどくなるのだ。
 会場の構成は、よくかんがえられていたとおもう。題名の表示ラベルは、通常よりかなり大きく見やすかったし、作品を片側に寄せて、絵巻物などはかならず右から見られるように展示されていた。壁は黒く塗られて、ガラス窓によけいな反射がないようにされていた。この手のくふうがなかったら、会場の空気がより殺気立っていたことはまちがいないだろう。
 図録も読みごたえがあった。なにもここまで日本経済新聞を目の敵にしなくてもいいだろうという文章もあったが、印刷はきれいで、なにより、人の頭ごしに見るよりもずっと落ち着いて鑑賞できる。

 (京都展、東京展ともすでに終了)

 プラド美術館展(国立西洋美術館)

 こちらは読売の主催。けっこう混雑していたが、雪舟展のあとではどんな展覧会も空いて見える。
 たしかに豪華な展覧会である。
 ベラスケス 5
 ティツィアーノ 3
 ティントレット 3
 ルーベンス 3
 エル・グレコ 3
 スルバラン 3
 ムリーリョ 3
 ゴヤ 6
 ほかにもヨルダーンスやヤン・ブリューゲルなどがある(ヤン・ブリューゲルは「田舎の婚礼」という絵で、あいかわらず人数の多さを誇っているような絵だったけど、主役のふたりはどこにいるのだろう)。
 こちらの会場は、題名などを記したパネル以外に、絵の背景などの説明がまったくない。文字パネルは観客の流れを滞留させるし、これはこれでひとつの見識だろう。
 ただ、たとえば、ルーベンスの「エウロペの略奪」を見ても、これがギリシャ神話にもとづくものであることを知らない人はいるだろうけど(そもそも、牛にばけて女性を奪うというのは、やや無理があるような気がするのだが、そこをむりやり絵にするのが巨匠の力量だったりする)。
 ぜんたいとして17、18世紀のスペイン絵画を見て思うことは、題材においてはもちろん、色彩においてもずいぶん禁欲的であるということだ。印象派のような、絵の具をそのまま搾り出したような使い方がないのはもちろんだが、そもそも用いられている色の数からして少ないような気がする。
 とりわけ、イエスや聖人像にその傾向がいちじるしく、エル・グレコの「聖フランチェスコ」やスルバラン「磔刑のキリストを描く聖ルカ」などは、ほとんどグリザイユといってもいいくらいである。
 その流れのなかで見ると、ゴヤがスペインにロココ的なはなやかさを持ち込んだということが、とくに、入場券にも印刷されている「日傘」によって、よくわかる。どうしてもゴヤというと、晩年の「1814年5月2日」「黒い絵」といったすごい作品を思い出してしまうのだが、それ以前に彼は、フランス流の華麗さを導入した宮廷画家であったのだ。この絵に描かれているのは庶民のカップルだそうだが、左の女性はドリカムの吉田美和に似ているなあ。
 ちなみに、筆者がすきになったのは、カーノの「聖母子(明星の聖母)」。どこにでもいそうな普通のお姉さんといったかんじの聖母が、慈愛に満ちたまなざしで、赤ん坊を見つめている。宗教画という覆いを取っ払って見れば、普遍的な母子愛を描いているような、そんな普通さと、静かな気高さが同居しているのが、とてもすてきです。

(6月16日まで)

 カンディンスキー展(東京国立近代美術館)

 なつかしいなー。87年におなじ美術館で見たカンディンスキー展。
 そういえば、98年にも仙台や札幌で、おもにドイツの美術館の所蔵作で展覧会が組織されましたっけね。
 15年の時をへてふたたびひらかれるカンディンスキー展は、あのときのように生涯を網羅するものではなくて、その後ロシアとアルメニアの美術館から見つかった日本未公開の作品を展示するもの。
 したがって、画家がロシアにいた1910年代の作品が大半で、バウハウスに移った21年以降の作品はまったくありません。
竹橋から国立近代美術館を望む なによりこれまでの通念をひっくり返されたのは、10年代前半に抽象画をかきはじめてから以降も、ときおり具象画をかいていた、ということ。抽象画のなかに寺院や騎士といったモティーフがかたちをとりもどしはじめたのもあるし、ふつうの風景画の習作、絵本の挿絵ふうの水彩画もある。
 戦争、革命など、激動するロシア社会を目の当たりにして、画家の心もうごいたのかもしれない。
 また、30年代以降、いわゆる社会主義リアリズムが猛威を振るい、カンディンスキーの作品も消え去る運命にあったであろうにもかかわらず、これら貴重な作品を焼いたりすることなく守り通した当時の美術館関係者にも敬意を表したいとおもった。
 会場はけっこうこんでいた。この展覧会でも、音声ガイドが有料で貸し出されていたが、器械の調子が悪いらしく、ボタンを押しながら器械を絵のほうに向けているおばさんがいた。
 あのー、テレビのリモコンじゃないんですけど。
 常設展も見た。これについては、また稿を改めたい。ただ、4階にある休憩室はオススメ。コーヒーやエスプレッソなど飲み物がすこしおいてありますが、なにもオーダーしなくてもOK。皇居のお濠などが見えて眺めは抜群です。筆者が行った時もすいていました。

(東京展すでに終了。6月8日−7月21日・京都国立近代美術館、8月1日−9月1日・福岡市美術館)

 

河鍋暁斎展 (太田記念美術館)

 これがいちばんの拾いものだった。どうしてこんなにおもしろい美術展に人が入っていないのだ。
 かわなべ・きょうさいは1831年(天保2年)生まれ、89年(明治22年)没の絵師。
 米国生まれで、ロンドンで画商を営んでいるイスラエル・ゴールドマン氏のコレクションの、日本初公開だということだ。
 馗鍾(しょうき)の、じつに力強くタフな筆遣い(めずらしく、鬼を踏みつけているのではなく、抱えている)。
 馬や蛙といった題材を描く時のスピーディーさ。
 虫をつかまえて遊ぶ子犬を見つめる時の視線のたしかさ−。
 こういった観点から見るのもおもしろいが、それ以前に、単純に笑える絵が多いのだ。
 「恵比寿を書く大黒」という絵では、何匹かのねずみたちが大黒の横で墨をすっているし、「猫に鯰」では、鯰が長−いひげの先に書状をゆわえつけて猫に届けている。
 「天竺渡来大評判 象の戯遊」という一連の錦絵は、象のサーカスを描いているのだが、象が長い鼻で盾を貫いたり、鼻息でろうそくの火を消したり、鼻先であんどんを支えながら綱渡りをしたり、いったいこんなデタラメなサーカスの話をどこから聞いてきたんじゃい!? と思わずツッコミを入れたくなる荒唐無稽な象の姿態ばかりがならんでいるのだ。
 かとおもえば、新吉原の遊技美女のブロマイドもあるし、当時の薩長対幕府の戦いを皮肉った「風流蛙大合戦之図」はあるし、伝統的な水墨画はあるしで、とにかく守備範囲の広い、器用な人なのである。
 江戸末期から明治初期にかけて活躍した戯作者・仮名垣魯文と組んだ錦絵の「蘭人猛虎生拘図」もあるし、明治5年にははやくも郵便局のようすを版画にしている。とにかくその、新しい風物やニュースに対する嗅覚の速さみたいなものには、つくづくおどろかされる。
 当時の版画は、いまの新聞みたいな役割をはたしていたから、いまの美術家の悠長さとは単純にくらべられないのではあるけれど。

(5月25日で終了)

 失なわれるをかぞえる 岡美里展 (表参道画廊=青山)

 東京の美術展を精力的に見て紹介しているサイトgallery purcellのpurcellさんが絶賛していたので、気になって出かけてみた。
 ひとことでいって、ビデオアートである。女性の声で「1」と数字が読み上げられ、映画のスタート時に出るような字幕の「1」が出る。続いて、数秒の映像がながれる。これが「100」までつづく。
 映像は、長くても10秒ほど、短いものは1、2秒しかない。ひげそりする男性、つらら、排水溝へと流れ込んでいく洗面台の水、ビデオレンタル店でふと手に取った映画のビデオ、風にはためく日の丸、定期券が見当たらず駅の自動改札口の前でポケットを探す男…。テレビや映画からの引用が時折まじるが、大半は作者が自分で撮ったもののようだ。すべて、なにかがうしなわれる刹那を写している。といって、過剰に切ないのでもない。最近はやりの、身の回りのものを写した写真にも似ているが、あれほどセンチメンタルでもない。そして、ときおり、はっとするほど美しい。

 (5月19日で終了)

 李禹煥展 (SCAI THE BATHHOUSE=谷中)

 「もの派」ここに健在、という感じの個展。
 キャンバスに灰色の点を一つ、ないし二つ打っただけの平面が6点。同様のちいさな屏風が1点。
 剥き出しの金属と、石を組み合わせて置いただけの立体が3点。
 うち1点は、会場の床を一部掘り返して、金属を埋め込むように設置してある。いいんだろうか。
 どの作品も、これ以上引き算したら作品として成立しないぎりぎりの地点まで、余分な要素をそぎおとしている。
 とりわけ平面は、けっしてでたらめな個所に点を配したのではなく、腕の立つ剣士が自然体でふりおろした刃の個所にも似て、体の呼吸とともに置いた、或る種の必然性のある点の配置なのだとおもう。それは、知による計算でもなければ、肉体にすべてをゆだねた放埓さによるものでもない。稽古を繰り返すうちに備わってくる「型」のようなものではないだろうか。
 そういう、東洋的ともいえる作品のあり方についてかんがえながら、入り口のほうを振り返ると、すこし高い台の上に黒い円筒形がすっくと立っているのが見える。うむ、これも作品かとおもってちかづくと、ただのコーヒーメーカーでした。

(5月25日で終了)

 艾澤詳子展 −密猟者の森− (ギャラリー砂翁、ギャラリートモス=日本橋本町1の3の1)

 札幌在住で、国内外で活躍する版画家が、本州3都市でほぼ同時に展覧会を開いた。
 1階のギャラリー砂翁は、ドローイングで、基本的には、昨年テンポラリースペース(中央区北4西27)で開いた個展のときとおなじ作品のようである。
 地下のギャラリートモスは、版画の新作。艾沢さん特有の、ざわざわするような、あるいはひりひりするような、日常のささいな感情の起伏を細かな描線に閉じ込めたような、モノクロームの深い画面が展開されている。筆者は「5」の作品が気に入った。なにか、深い穴のなかから高い空を見上げているようなきもちになるのだ。

(5月24日で終了)

 とにかく具合が悪くて、日本橋から東京駅まであるくときも、ブリヂストン美術館の藤島武治展とか、大丸ミュージアムのミロ展とかの看板が見えていたにもかかわらず、あるくのがやっと。ほうほうの態で羽田まで行ったのだった。

(2002年5月26日しるす)

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