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展覧会の紹介

Sスクール写真展 札幌市写真ライブラリー
(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階 地図G
2004年1月27日(火)〜2月8日(日)
大川紅世の心展 札幌市資料館
(中央区大通西13 地図C
2004年1月27日(火)〜2月1日(日)
(文中敬称略)

 このサイトで何度も書いてきたことですが、ここ数年札幌では、若い人の写真展が相次いでいます。
 しかも、全国的には多いとされる、じぶんの身のまわりをスナップした「女の子写真」「私写真」(飯沢耕太郎の用語)は案外すくなく、心象を反映しているような静かなモノクロ写真を撮る人がかなりいます。筆者はそういった若い写真家の一群を、昨年刊行の「美術ペン」120号で「Sスクール」と仮に名付けました。
 そうしたら、うれしいことにというのか、面はゆいというのか、そこで名前を勝手に挙げた人たちが、筆者の知らないうちに札幌市写真ライブラリーを予約して「Sスクール写真展」をひらくことになったのです。
 もとめに応じて、紹介の文を書いたら、メンバーがとてつもなく大きな紙にプリントして張り出してくれましたので、引いておきます。
Sスクール写真展に寄せて

     「写真は無言でなければならない」(ロラン・バルト)

 スクールは、学校の意味じゃなくて、学派とか流派の意味だ。「S」は、サッポロの頭文字であり、silence
、scenary(風景)、static(静的)の「s」でもある。
 若い人の間ではちょっとした写真ブームで、札幌でもギャラリーやウェブで自作を発表する人が増えてきた。ただし、札幌は、全国的な潮流に乗らなかった。スナップ感覚で安直に、友人や食卓や空にレンズを向けただけの人は、少なかったのだ。のこったのは、モノクロームを中心に、じっくりと対象を凝視する人たちだった。
 ぼくたちの毎日は、けっして生きやすいものではない。ささやかなしあわせと、かなしいことやつらいことが、微妙なひだをおりなしている。今回の展覧会に登場する若い写真家たちは、一見なんの変哲もない風景や人物をとらえながらも、作品のどこかに、感情のさざなみをひそませている。そういう切実さが、ぼくの胸をうつのだ。
 訪れた人がそれぞれ、自らのはるかな思いを投影できる1枚が、会場で見つけられれば「Sスクール」の命名者としてこんなにうれしいことはない。
 ここで誤解のないように述べておきますが、札幌の若い人の写真がみな「Sスクール」に分類されるというわけではもちろんありません。
 また、Sスクールの写真がだんぜんすぐれているということを言いたいわけでもありません。ほかにも、がんばっている人はおおぜいいます。
 さらに、Sスクールとして分類されてもおかしくないのに、筆者が列挙をわすれていたという人がいるかもしれません。
 ただ、筆者がひとくくちにした人たちに、若手としては水準の高い人が多いのはたしかだと思います。

 もっとも、今回は、写真展として非常に統一感がとれている一方で、わりあい似たような傾向の作品がならぶことになりました。全部がモノクロで、しかもスタティックな写真ばかりです。まあ、統一感と多彩さを両立させろというのはむりな相談でしょう。それに、仔細に見れば、6人の出品者それぞれの個性があるのはもちろんです。

 上の引用で、筆者は、めずらしく「ぼく」という一人称をつかっています。
 彼(女)らの写真が、よそよそしいものではなく、すごくパーソナルなもの、ひとごとで案内状ないものに、筆者には感じられるのです。

 加藤D輔は「メランコリーな情景」と題し、18点(うちデジタル2点)をならべています。
 すべておなじ大きさのプリント。写っているのは、人気のない、水田、雪原、堤防などで、後半は海の写真がならびます。
 彼のコメントが壁にはってありました。
 今回のテーマは雲のある風景です。雲のある風景の中に僕のメランコリーな感情を読み取っていただければ幸いです。
 大半の写真は、淡々と撮られています。
 ロマン派の画家や小説家は風景の描写をとおして自分自身を描いていたのだ−ということはよく指摘されることあり、多かれ少なかれSスクールの面々にもあてはまるところがあるように思えますが、加藤の作品はその傾向がとりわけ強いように感じられます。大げさな身振りではなくあえて感傷的かつドラマティックな部分を排することで、かえって、撮影者のかなしみがつたわってくるような写真だと思います。
 ただ、本人も言ってましたが、発泡スチロールの台をパネルがわりにした結果、プリントにしわが寄ってしまったのは、ざんねんです。

 石川ひとは、「見えない世界」「悲しみよこんにちは」「センチメンタルな初夏」「Kと私」の4つのパートからなっています。
 あいかわらず、題のつけかたはうまいです。
 このうち「見えない世界」は、昨年の六旺會写真展と同一の作品。
 「悲しみよこんにちは」もそうなのですが、彼女の焼きは、ますますアンダーぎみになっているような気がします。傘を持ってあるいている人の顔がほとんど認識できません。
 しかし「露出が適正でない」みたいなことを言うのは、あまり意味のあることだとは思えません。
 あかるい屋外からきゅうに室内に入ったとき、じっさいよりあたりは暗く感じるでしょうし、心が鬱々としている日に雨が降ればやはりじっさいより暗く見えるのが、人間ではないかと思います。精神状態に応じた露出や焼きがゆるされる写真とゆるされない写真があり、彼女の写真は前者なのではないでしょうか。
 「センチメンタルな…」は、デジタルカメラの画像を大きく出力したもので、いささかコントラストがあまくなっているのはやむをえないでしょう。題名は、あからさまに、アラーキーの影響を語っており、花や日常のいささかぶっきらぼうかつ感傷的なとらえかたにはたしかに彼のイメージが残響していますが、やはり「石川調」だと思います。

 杉坂真由美は、半分以上の出品作が昨年の六旺會写真展とだぶっています。
 それらは、漱石「夢十夜」の一節が壁にはられていることからもわかるように、文章にインスパイアされたものですが、もちろん文章の絵解きではありません。
 新作の5枚組み「喪失」は、とつぜんおもいたって車をとばして行った羽幌の海岸(どうでもいいけど遠いぞ)など。やはり、さびしい風景です。
 ユニークなのは、小品4枚からなる「素描」です。
 焼きが硬く、ハイライトが白く飛んでしまっています。一般的には、写真を焼き付ける際の禁じ手なのですが、あえてそれをおこなうことで、焦燥感のようなものを表現できていると思います。

 若林慎二は、道教大をへて、6人の中では唯一、卒業後東京に出ました。
 また、他の5人ともっともことなるのは、風景と風景のあいだに、とつぜん女性のアップなどが挿入されていることです。
 そのため、一連の写真には、物語性のようなものが感じられ、一種のロードムービーのような性格を帯びるのですが、その物語が何かは、はっきりとはわからないのです。ただ、旅のもつ或る種の痛切さのようなものがつたわってきます。
 今回の写真の中で、「旅」を感じさせたのは、プラットフォームで女性がカメラ目線でこちらを見ている1枚でした。女性の頭の背後からあかるい光がさしています。とまっている列車はブルートレインでしょう。
 こういう写真がある一方で、ブレている夜景などがあり、つぎにどんな写真がくるかわからないのが、おもしろいところです。

 以上の4人にくらべると、北大の2人−齊藤市輔と原田玄輝−は、きちっと画面を仕上齊藤市輔の作品げようという気持ちがすこしつよいように感じます。
 齊藤は、ブローニーに三脚を据え、真夜中の風景を、2分前後露光した写真を計8枚出品しています(いちばん作品が大きいので、展示風景をアップしてみました)。
 左から、豊平橋の中央区側、南2西9の四辻にあるふるい酒屋、南4条通のコンビニエンスストアですが、わかったところでさほど意味はないかもしれません。この3点に共通するのは、「すすきののはずれ」です。2分ほどの露光のため、歩行者はうつらず、車の光跡もさほど多くなく、味のある夜景になっています。
 中央の2枚はモエレ沼公園。満月で長時間露光したので、昼のような超現実的な光景が展開しています。
 右の3枚は、北大構内です。うち2枚は、先日の北大写真部写真展でも出品したものですが、あまり北大らしくないところがおもしろいです。

 原田は、「無題」としてまとめた3枚と、北大農学部の校舎内を撮った16枚を出品しました。
 「無題」のほうは、シラカバ林や洞爺湖などが、きっちりととらえられています。
 北大農学部は、観光ガイドなどにも登場する、東大の安田講堂みたいな古い建物ですが、中に入った人は案外すくないかもしれません。
 こちらは相当暗い写真が多いのですが、これも露出不足などではなく、かび臭く古びた象牙の塔−というとことばは悪いですが−の雰囲気が非常によく出ています。実験道具やほこりのかぶった本棚などは、むかしの理科室のようなちょっと怖い感じがします。ただ、これは独立行政法人への移行にともなってごたごたしている面もあるそうで、今回の作品の中でめずらしく時事的なものとつながっているといえるかもしれません。

 なお、これは、べつに良いとか悪いとかという問題ではありませんが、写真のフィールドにいる人は、札幌でじつによく発表するかわり、あまり東京などで展覧会をやろうとしません。
 これは、現代美術の若手作家が、東京はおろかどんどん海外に出かけているのとは対照的です。それらの作家の中には、札幌でほとんど発表をしていない人すらいます。興味深い対照だと思います。

■六旺會写真展「或いは」(03年3月、石川、杉坂、若林)
■石川ひと白黒写真個展(01年2月)
■加藤D輔・加藤美奈・紅露亜希子写真展(03年10月)
□石川ひと
□加藤D輔
□杉坂真由美
 「大川紅世の心展」という名を見たときは、どっかのおばあちゃんが仏像の写真でも公開するのかと思いましたが、友俊治、真田健、露亜希子、北側恵、真鍋の5人の名前から1文字ずつとってつけた展覧会タイトルなのです。
 5人とも、毎年9月に小樽の旧手宮線跡でひらかれている「鉄路写真展」に出品している人たちで、このうち女性3人はいずれも藤女子大写真部のメンバーでもあります。
 こちらは、Sスクールのような統一感はない一方で、バラエティーにとんだ写真展になっています。

 紅露(こうろ)は、とにかく発表するたびにちがったタイプの写真を出してくるので、油断できないのですが、今回は、彼氏との仲をさらけだすような作品がならんでいます。前回のセルフポートレートの延長線上にあるといえるかもしれません。
 彼女を、非常にうつくしく撮っているのが、大友です。
 9枚のデジタルプリントをつなげて1枚にしたてています。
 この幸福そうに瞑目している横顔を見ていると、ビートルズに「Golden Slumbers」という曲があったことを思い出しました。
 紅露のセルフ熱は北側にも伝染したのか、彼女もかなりの枚数のセルフポートレートを、インスタレーションふうに展示しています。
 川真田はデジタルのカラープリント。キーが高めのこともあって、かなりあっけらかんとした印象の風景や、女性の写真に見えます。
 ただ、モエレ沼公園に行って、木が規則的に並んでいるところだけを撮ってくるあたりは、ただ者ではないような気がします。
 藤女子の写真が大きく変化する中で、真鍋の今回の写真5枚は、むかしからの藤女子の作風にちかいものがあります。風景の静謐さ、そして焼きのたしかさは、或る意味で「Sスクール」の顔ぶれよりもSスクール的なところがあるように感じました。

■紅露亜希子写真展(03年9月)
■北側恵世写真展(12月)
■加藤D輔・加藤美奈・紅露亜希子写真展(03年10月)
■藤女子大写真部写真展(03年3月、紅露、北側、真鍋)
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