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あーとだいありー 2003年3月前半

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 3月14、15日(金、土)

 北海学園大学U部写真部 学外展札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)
 札幌とその近郊の大学写真部には、新人がたくさん入っているようですが、なぜか北海学園のU部は部員不足でこまっているようです。
 そのためか、今回はOBが大挙参加しています。横浜在住の衣斐(えび)隆さんをはじめ、川端理恵さん、伊藤直樹さん、清水貴子さん、坂脇智宏さん…うーん、OBのほうが多いんじゃないか(^.^)
 衣斐さんは、さすがに安定した力量です。カラーをスキャナーで取り込んでプリントアウトした連作「春の彩り」は、咲き乱れる花の写真と、東北地方のローカル線の鉄道写真とを組み合わせたもの。唯一のカラーで、異彩を放っています。あー、旅に出たくなってきた。
 もうひとつのシリーズは、五能線(青森・秋田県)と岩泉線(岩手県)の沿線風景を撮影したもの。岩泉線って、1日に3往復しか列車が走ってないんですよ。高度成長期みたいな原木運搬トラックなどが現役で活躍しているのを撮った写真もあり、うーん、こっちも行きたくなってきた。
 坂脇さんは、登山のパーティーに同行した連作で、山男の表情がイイです。
 現役では、部長の高橋広教さんが、72枚をびっしりとならべて、往年の北海学園U部の活力を思わせます。風景や、身近な人物などが被写体で、小樽ばかりかと思ってたら札幌や三笠なんかもあります。田中皓平さんは、車や、札幌の街角など。「札幌生まれ、札幌育ちなんで、札幌をこれからもテーマに撮っていきたい」とのことです。
 近藤千代さんは、学生ではなく、看護士さんです(ますます柔軟なU部写真部)。街角で隠し撮りした人物写真がメーンなのですが、子どもたちの写真がユニーク。笑顔であそんでいるのならよくあるスナップなのですが、近藤さんのは、淡々とブランコに乗ってたり、買い物袋のなかをのぞきこんでいたり、大通公園でぼーっと立ってたり、子どもたちがおもしろそうでもつまらなそうでもない一瞬をとらえた、おもしろい写真です。
 16日まで。
 なお、衣斐さんのサイトはこちら

 奈良裕之展=ギャラリーART−MAN(中央区南4東4)
 これまた、カラーのうつくしい写真。夕空とかろうそくとかが被写体だと思うのですが、なにが写っているか、というよりも、色彩のシンプルなあざやかさをたのしみたい写真でした。
 16日まで。

 スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)は、臨書の競演になりました。
 書のアンソロジー 第3回燎の会<臨書>展は、書壇からはなれて活動する長谷川白羊さんら10人。ふだんは、近代詩文や少字数書などにとりくんでいるメンバーもこんどは漢字の臨書(1点のみかな)を書いています。
 長谷川さんは、空海の風信帖から「渇仰」。しかし、筆致は長谷川さんらしい、肩に力の入っていない丸っこいもので、臨書というのはどこまで創作なのか−など、いろいろ考えさせられました。
 一昨年の第2回はこちら

 第25回 丹心会書展は、桑原翠那の弟子、島谷雅堂さん(札幌)の社中で、毎年ひらかれています。
 その桑原さんの軸「風月無辺 庭草翠と交わる」は、自在な筆遣いに見とれてしまいます。
 メンバーの臨書は「千字文」「集字聖教序」など、おなじみのものがならんでいますが、宮島晁栄さん「祥雲」の伸びやかさ、近藤圭石さん「幽景」の安定した線などにも惹かれました。
 いずれも、16日まで。


 3月13日(木)

 丸山恵敬「飛翔」'03NORD「2人展」\札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 1994年から毎春ひらかれているグループ展。
 新道展会員4人で発足しましたが、途中2人が抜け、いまは丸山恵敬さんと佐藤萬寿夫さん(いずれも札幌)のふたりです。
 昨年は、丸山さんが入院していたため、佐藤さんが個展をひらきましたが、ことしは二人による展示が復活しました。

 以前は、自然に題材を得た抽象画を描いていた丸山さんは、2000年ごろからトウモロコシをモティーフにした具象画に転じました。
 ことしは、さまざまな濃淡の青が、粒々になっているトウモロコシがめだちます。
 左の絵は「飛翔」。下に見えるのは、枯れたトウモロコシの茎と根です。
 冬になると枯れるトウモロコシは、ふたたび葉をつけ、実をむすびます。
 これは、上昇と下降の往還の絵でもあるのです。
 丸山さんは、病気をふまえて「これは自画像みたいなもんだ」と言います。
 また「トウモロコシの詩(V)」では、金の絵の具を背景に使いました。青緑の服を着た子どもたちの姿が、どこか郷愁をさそいます。「秋の気配」には、トウモロコシのほかにトンボが描かれています。童心に帰ったような、丸山さんの絵です。

佐藤萬寿夫「’03 風の旋律」 佐藤さんの絵は、寒色を中心とした画面構成で、北方的な叙情性にますますみがきがかかりました。
 右の絵は、3枚からなる「’03風の旋律」です。
 ガーゼを貼って何度も薄塗りを繰り返した画面に、マスキングテープの代わりにガムテープを何条も斜めに貼って、細長い四角形で風を表現しています。その上からさらに、さまざまな色のしぶきが画面を覆います。しぶき、というと、ジャクソン・ポロックを思い出しますが、あれよりもずっとやわらかい色彩の繁茂です。
 それにしても、ガムテープを貼って、下の層の絵の具やガーゼがよくはがれないものだと、感心せざるをえません。
 佐藤さんによると、ジェソ(下地剤)やにかわなどを塗り、しかも半年くらいかけて乾燥させているとのこと。
 「その前に、10回は塗りを繰り返して、紙やすりでけずってるもんなあ」
 これといったモティーフのない画面なのに、びしっと間が「もっている」、その影には、見えない苦労があったのです。

 おもな出品作は次の通り。
 丸山「トウモロコシのランプ」「トウモロコシの詩(T)」「トウモロコシの詩(U)」「卓上のトウモロコシ」「黒いトウモロコシ」「トウモロコシ」
 佐藤「季の詩」「春の風」「そよ風の中で」(同題2点)「木立をすぎる時間」(同題2点)「青い水音」「青い夜に」

 2003Group 創展=同
 阿部みえ子さん(石狩)、近藤満子さん(小樽)、佐井秀子さん(胆振管内白老町)、酒元英子さん(空知管内栗沢町)、千葉富士枝さん(石狩)、本間良子さん(札幌)による絵画のグループ展で、この時季に毎年ひらかれています。
 6人中、具象画は近藤さんだけ。のこる5人は、抽象です。
 また、阿部さん、佐井さん、酒元さんの3人は、新道展の会員。新道展に出す100号クラスの絵ではなく、30号クラスが数点ならんでいますが、画風はあまり変わらないようです。いずれも、すくない要素で、しっかりと画面を構築しています。
 なお、C室の「7人展」は、NORD展と創展の出品者による小品展です。

 札幌美術学園特設絵画科修了展=同
 絵画、デッサン、水墨画。
 麻生扶希さん「優−ゆき−」は、白い背景の、あたたかなタッチの肖像画。
 平間洋子さん「花のワゴン」は、太い筆ではなやいだ雰囲気を表現しています。

 いずれも、15日まで。

 漆崎正憲個展=ギャラリーユリイカ(中央区南3西1、和田ビル2階)
 釧路の人です。色鉛筆画、アクリルなど13点。
 以前、海外に旅行した際のスケッチをもとにした絵が中心です。
 「カンチェンジュンガを望んで」など、逆光を背にした群像が多く、どこか神々しい空気がただよっています(ちなみに、カンチェンジュンガは、ヒマラヤにある世界第三の高峰です)。

 納屋工房 佐藤倬甫展「春ごと」=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)
 旭川に工房のある佐藤さん。陶芸を中心に、版画や書も展示しています。
 陶芸は、花器と食器。萩ふうの茶碗、黄瀬戸の壺などいろいろですが、土にガラス質が多いのか、きらきらと輝いている作品が目立ちます。球形を半分に断ち切ったようなふぞろいの白磁の花器が、何個も床にごろごろところがっているのも、おもしろいと思いました。

 堀田真作アートワークス Not far from here=this is gallery(中央区南3東1)
 縦長のアルミ板をつなげた平面抽象作品に取り組む堀田さん(札幌)ですが、今回はthis is galleryその作品の一部を流用したのか、おなじようなアルミ板を、いすにしたてたり、あるいは木のいすやテーブル、チェストに貼り付けた作品を発表しています。
 どう見てもすわりづらそうだし、どうしてこんなことをしているのかよくわかりませんでした。ごめんなさい。

 いずれも16日まで。

 ところで、this is galleryですが、オーナーのタムラさんに聞くと
「いやあ、まだ正式には決めてないんだけどね、閉める方向だね」。
 まだ2年半じゃないですか。どうしてですか。
「まあ、いろいろとね。いろいろ」
 いろいろ、という答えは、なにも言っていないのと同じなので、新聞記者としてはこまるのですが、記者として聞いてるんじゃないので、これでひきさがりました。


 3月12日(水)

 訃報です。
 十勝管内幕別町の木版画家、佐藤克教さんが亡くなりました。
 佐藤さんは1996年の全道展で、彗星のように現れ、協会賞を受賞。翌97年には会友、2001年に会員に推挙されています。
 宇宙生物を思わせる触手が画面いっぱいに不気味な姿を這わせ、しかもそれがハーフトーンのほとんどない白と黒だけで表現されるのですから、一度見た人はわすれられない鮮烈な作風でした。いま、手元に資料がないのでわかりませんが、全国のコンクールで賞をとったこともあるはずです。
 それにしても、55歳とは早すぎます。道内の版画界にとって多大な損失であることは疑いありません。
 ご冥福をお祈りします。

 第8回 木もれび会展札幌市資料館(中央区大通西13)
 岸本裕躬さん(行動展会員、札幌)に絵をならっていた人のOB・OG展とのことでしたが、岸本さんの絵はありません。なるほど、OB・OGだ。
 で、「卒業生」にふさわしく、みなさんお上手です。これくらい描けたらたのしいでしょうね。
 目を引いたのが斎藤由美子さんの水彩「春まだ遠し」です。20号という大きな画面を、丁寧に、写実的に処理しています。手前の民家は、モルタル塗りで、手前の壁に薄く雪がこびりついている上、中央の木の枝にも雪がいっぱいついているのを見ると、雪がやんでまだあまり時間がたっていないのでしょう。雪に加え、家の後ろ側には青い灯油タンクなどもかすかに見え、この絵の舞台が北海道であることはたしかなのですが、その背景には古めかしい寺社の塔が望まれ、はたしてここがどこなのか、気になるところです。
 井田順子さん「北大構内T」も、あまりにうっそうとした森と池のようすなので、どこらへんなのか気になりました。
 鶴田美保子さん「静物」は、カットグラスの置物などがあたたかな筆致でえがかれています。
 ほかに、近藤好子、黒沢一子、木村隆、石田よし子、山本守、北原契恵子、佐藤翔子の各氏が出品しています。

 升田・村元二人展=同
 色鉛筆画の展覧会。
 村元由紀子さんは、「冬期休暇」など、やや漫画的な画風ながら、どれも背後に物語を宿しているような感じがして、見ていて飽きない。
 升田智美さんは、「アースワーク」と題された絵本に惹かれた。題はちょっと、内容にあってない気がするけど、すごく真剣に生と死の問題を考えてるんだということがわかりました。

 ほか、同館では、第一回フォトクラブ光風写真展が、安定した力量のネイチャーフォトをならべており、その手の写真が好きな方にはぜひおすすめ。
 堀口郁夫さんが湖で撮った一枚は、ボートが通り過ぎて波が生じた直後なのでしょうか、湖面に反射した柱状摂理と林の風景が、途中からゆらゆらと揺れている、めずらしい一瞬をとらえています。

 いずれも16日まで。

 「展覧会の紹介」の「札幌の美術」をようやく脱稿。重いファイルになってしまい、3つに分割しました。
 あすは大量に更新の予定。


 3月10日(月)

 小林裕児個展−原始的愛の生活−=ギャラリーたぴお(中央区北2西2 道特会館)
 96年に安井賞を受賞した画家。札幌では2年ぶりの個展。
 人物や、天使とおぼしきモノを描いた作品が大半。それも、支持体に古い布を使い、鉛片をコラージュするなど、独特の寂びた感じをかもし出しています。
 陶片に蝋(エンコースティック)をもちいて描いた作品や、銅版画(エッチングなど)もあります。
 粗い支持体にデフォルメされた人物が逆さにぶら下がっているのを見ると、ちょっとだけペンクを思い出したりもしますが、あそこまで表現主義的に激しいタッチではありません。ただ、あのニューエキスプレッショニズムの時代を通過した絵に独特の、なんともいえない雰囲気があります。
 15日まで。

 「札幌の美術」はやっと5人目まで書いてます。
 8日の益村さんの個展が「13回目」というのは「14回目」の誤りでした。ごめんなさい。訂正しておきました。


 3月9日(日)

 NHK教育テレビ「新日曜美術館」の特集は、森山大道。
 新宿の街を、それこそ野良犬みたいにうろつきながら、ミノルタのコンパクトカメラでぱちぱちと撮っていく姿は、やっぱりかっこよかった。
 「ワンフレーズでいうとね、写真は光と時間の化石である。ただ、その化石からは、過去だけじゃなくて未来も読み取れるかもしれないでしょ」
 「自分が主体として撮るんじゃないんだよね」
 「ジグソーパズルみたいなもん。破片だけど、1片1片は大事、っていう。1枚1枚で世界をとらえる。大げさに言うと、世界をそれでもう一度オーガナイズしていくっていう感じ。それは自分自身を撮るよりも意味があることだと思う」
 記憶にたよって書いているからあいまいです。ごめんなさい。
 だけど、写真による世界の捉え方を根本的に変えてしまったというアラーキーの指摘はあたっていると思う。
 4月末から6月にかけ、道立釧路芸術館に、彼の大規模な個展が巡回してくる。たのしみだ。

 「札幌の美術2003」についてやっと「展覧会の紹介」で書き始めましたが、なかなか筆がすすみません。いましばらくお待ちください。


 3月8日(土)

 益村信子個展=大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)
益村信子さんのインスタレーション 根アカなインスタレーションをつくる札幌の益村さん。14回目の個展になります。
 写真の「春が来る THE DANCING GALAXY SPRING HAS COME」は、大きさの異なるキャンバスの木枠に青などを着彩して中空につるし、その間に、15メートルはありそうな大島紬の布を渡したものです。
 ごらんのように、大同ギャラリーの空間を生かした奥行きのある作品になっています。
 手前と、いちばん奥の床の上には、白い樹脂製の、虫の卵のような物体と、毛虫のような物がちりばめられ「啓蟄(けいちつ)」という言葉をおもいださせます。
 さらに、中央に透明な球体が置かれていますが、その中ではカイワレ大根が生長しているのです。
 球体は、カイワレの呼気で、白く湿っていました。
 うーむ、いつにもましてあかるくたのしい、そして春の生命の兆しを感じさせる作品ですね。
 もう1点は、魚網のような網(魚をとるものじゃなくて、インテリア用に東急ハンズで売ってるそうですけど)に、色とりどりの太い毛糸を張り巡らせたインスタレーション「宇宙(そら)を抱える THE DANCING GALAXY CATCH ME!」。
 空に向けて、ぱっ、と網を投げたら、星が獲れた−そんな感じの作品です。
 糸を染めたんですか? と聞いたら
「いや、あたしは短距離走者だから、そんなめんどうなことはしないの。やってるうちに飽きそうで」
とわらっていました。
 隣接した壁に、作品でもちいた糸などを拡大した写真6枚も貼ってあります。
 11日まで。  

 墨人・樋口雅山房の世界千歳鶴 酒ミュージアム(中央区南3東5)
 札幌の書家、樋口さんが、ジャズピアノの生演奏にあわせて文字を書くパフォーマンスをするというので、見にいきました。
 樋口さんは、デザイナーの山本寛斎さんとコラボレーションしたり、ヴィジュアルポエトリーの展覧会に出品したりするなど、書壇のなかにとどまらない活動で知られています。書家としては、北海道墨人に所属して墨象作品を発表しています。
 また、札幌の地酒である「千歳鶴」のラベルも書いている関係で、今回の個展がおこなわれているのだとおもいます。
 書とジャズというのは、一見肌が合わないように思えますが、意外と共通点がありますね。まず、どちらも、呼吸というか、微妙なリズムがたいせつ−ということ。音楽のリズムと、筆の動きには、共鳴しあうものがあるようです。
 もうひとつは、ライヴ性、即興ということ。おなじ文字を書いても、おなじ楽譜を演奏しても、まったくおなじ字、まったくおなじ演奏というのは、二度とありえません。もちろん、人間が演奏するかぎりどんな音楽ジャンルでも同一の演奏はありえないのですが、クラシック音楽などが楽譜どおりの演奏を重視するのに対し、ジャズはアドリブ(即興)が命、です。また、書も、1点をしあげる時間は、絵画など他の分野にくらべておそろしく短い一方で、何度も何度もなっとくのゆくまでおなじ字を書くのです。
 今回、樋口さんは、「ワルツ・フォー・デビー」や「黒田節」にあわせ、「風」「山」「舞」といった文字や、「梁塵秘抄」の有名な一節「あそびをせんとやうまれけむ」などを書きました。
 個展会場のほうは、わりと薄い墨による一字書のほか、軽妙な書画作品もけっこうあり、ふだんそれほど書にしたしみのない人でもたのしめると思います。
 個展は、27日まで。
 ジャズピアノとの共演は、15日午後2時からもおこなわれます。

 北星学園大学写真部 卒業記念写真展アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル)
 モノクロ写真を大量に陳列していた国沢朋弘さんがイイ味を出していました。
 「friends」は、鶏?にカメラを向けながら「どうもうまいこといかんなあ」ってなかんじで顔をしかめている友人のショット。いい表情だと思います。八百屋? の店先の犬の顔もおもしろいし。また、何気ない風景写真でも、「裏道」「細道」(これは両端が高い壁になっている細い歩道なのですが、いったいどこなんでしょう)を2枚ならべるあたり、センスのよさを感じます。
 中村仁美さんも、いつもながらうまいです。飲食店の中で、一見接点のなさそうな男女をとらえた「二人」とか、いい雰囲気だと思います。
 11日まで。
 ごめん、札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)のほうには行けなかった。


 3月7日(金)

 ギャラリー周りはなし。
 伊藤隆介さんと吉雄孝紀さんの「ビデオレター」を、「展覧会の紹介」にアップしました。
 見た直後に一度書いたのですが、パソコントラブルでテキストが消失。やっとのことで思い出しながら書きました。


中川多理「PEDITION」から 3月6日(木)

 MODERN ART GENERATION #1 =ギャラリーART−MAN(中央区南4東4)
 金見清香、留蔵(TOMOZOU)、中川多理、山林優、YüRa、四足獣(YOTUASHI)の若手6氏によるグループ展。
 コーディネート役の福原多賀士さんの小品も、ちょっと気づかないところにぶらさがってます。
 会場に行ったら、ちょうど中川さんが自作を写真撮影しているところでした。
 彼女は、筑波大で芸術を学んで、卒業後は札幌に戻っています。いま、古書ザリガニヤでも、個展をひらいています。
 彼女の作品を分類するなら、人形ということになります。
 でも、ただ人形を展示するだけじゃなくて、インスタレーション「PETITION」のシリーズは、頭部を主体にして、箱に詰めた風変わりな作品です。
 たとえば左の写真の一番上は、顔の横に、ちいさな胴体がついていて「八頭身(やり直し)」という副題がついています。
 これは、頭部がでかいパペットや漫画と同様、ちょっとおかしみをさそいます。
 それと同時に、ここにはコミュニケーションの問題もふくまれています。
 「ふつうの道具や家具とちがって、人形はそこにあるだけで違和感がある。人形は目があって、そこに視線を合わすか合わさないかで、接し方がちがってくる。この作品も、遠くから見ると怖いかもしれないけれど、近づくとけっこうユーモラスだったりして、見え方が変わってくる」
 というようなお話を中川さんはしていたような気がします(ニュアンス、ちがってたらごめんなさい)。
 「コミュニケーション」ということでいえば、もう1点、「あくしゅ」というおなじタイプの作品はもっとそこにふみこんでいました。
 箱からちいさな腕がはみだしているのです。箱に貼られた荷札のような紙には
「許可」
というスタンプがおしてあります。
 握手してもOKの作品です。
  「さわってもかまいません」
と明示されているわけではないので、鑑賞者によって、握手したり、ちょっとためらったりします。ひとりひとり、作品との距離のとり方がことなってくるという作品になるのです。

 山林さんは、昨年11月の「自我像展」でもユニークな立体を発表していました。今回も、ギャラリーの壁から人の下半身がにょっと突き出ています。おなじ作品かしらん。
 留蔵さんのインスタレーションは「Aka」という題です。
 個人的にはこの手の説教くさいのは苦手なんですが、アートスペース201のakaさんと関係あって、akaさんは道新の新聞配達したり、ストリートミュージシャンとかしてたんでしょうか(関係ないだろーな、やっぱり)。
 8日まで。

 小原邦子の立体イラストレーション&オブジェ展「春を待つココロ」=クルトゥーラ(北区北12西4)
 カエルの「人生楽ありゃ苦もあるさ」とか、熊などがかわいいです。スタイロフォームという、建材用の素材でつくっているそうです。
 布製の小品は、数百円で販売しています。
 15日まで。


 3月4、5日(火、水)

 多摩美術大学 版画OB21人展=さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)
 札幌の版画家の渡邊慶子さんと友野直実さんが窓口になって、さいとうギャラリーの協力も得て、毎年ひらかれている好企画。すこしずつメンバーは入れ替わっていますが、おふたり以外は、ほとんどが道外の若手作家です。
 とにかく、作風も技法も、多彩な作品が見られるのが魅力といえましょう。
 全員にふれられないので、気になった作品についてすこしだけ。
 島田北斗さん「ターンテーブル」は、蒸気機関車を廻す、機関庫などにあった設備がモティーフですが、かならずしも写実的ではありません。黒い直線の集積がパワーをみなぎらせています。
 山西基之さん「浮遊」(コラグラフ)も、直線がメーン。雲のようなかたちを描き、縦横と斜めの線の交叉がユニークな「間」のような感覚をうんでいます。
 佐竹邦子さん「winds work」の2作は、ベニヤによるリトグラフ。抽象っぽいですが、生成する形はいつもながら非常に力強くて、動きにあふれています。
 川田竜輔さん「春の炬燵」も抽象的です。黒の持つ強さを感じます。
 ほかの出品者は、つぎのとおり。
 野田青隆、石原誠、宮尾知宏、木村麻子、御囲章、佐野広章、伊藤あずさ、サイトウノリコ、桜庭亜希子、三瓶光夫、鈴木恋、長谷川誠、吉見律子、谷黒佐和子、一戸淳
 9日まで。

 若林浩樹作品展「水彩 watercolor」=クリエイトフォトギャラリー(中央区南1西9、札幌トラストビル)
 「パステルカラー」ということばがこれほどふさわしい写真もめずらしいでしょう。こまかくふるえるさざなみ、針葉樹の森に振る雪、夕暮れの湖畔、海に沈む太陽…といった、いかにも北海道らしい被写体が、心象風景のように甘くとらえられ、ニューエイジミュージックのCDジャケットにぴったりといったおもむきです。
 とくに冬景色は、露出オーヴァーぎみの写真が目に付きます。「露出オーヴァー」と書くと、失敗をあげつらっているように思う方もいらっしゃるでしょうが、さにあらず。こういう心象風景的な写真では、アンダーだったりオーヴァーだったりするほうが、雰囲気にあっているのです。
 また「淡雪」は、おそらくかるくストロボをたいて、雪粒を大きく見せていると思います。報道写真でこんなことをやったら、失敗と見なされます(夜の雪の写真はむずかしい)。でも、若林さんの写真としてみると、これは成功していると思います。
 すばらしい写真なのですが、たった1点注文があるとすればキャプションが多すぎることです。すばらしさは、写真だけでじゅうぶんわかるとおもいますが、いかがでしょう。
 7日まで。
 若林さんは後志管内蘭越町在住。サイトがあるそうです。http://www.woodnote.jp/

 中川多理展=古書ザリガニヤ(中央区大通西12、西ビル2階)
 人形の首を詰めた小さな箱がずらりとならんでいる、ユニークなインスタレーション。
 人形は、タコをまねしていたり、箱の上からもうひとつの人形頭部に乗っかられて「プレッシャー」という題をつけられたり、いろんなことをしています。ユーモアのある作品でした。
 胴体もある、いわゆる人形も3点ほどありました。
 月末まで。

 長倉洋海写真展 少女ヘスース エル・サルバドル内戦を生きて富士フォトサロン(中央区北2西4、札幌三井ビル別館)
 釧路出身のフォトジャーナリストの個展。長倉さんにしてはめずらしく、モノクロのほうが多いです。
 内戦が長くつづいた中米の小国に生きる人々の写真です。
 海岸に打ち上げられた死体や、銃を提げた女性ゲリラといった写真もありますが、半数以上は、3歳から大人になるまでのヘスースをモティーフにしています。
 あるいは、このへんが長倉さんの写真のユニークなところで、こうやって特定の人物に肩入れするのは、客観報道の原則からいくとどうなのかな、という気はするんですよ。でも、反対に、見る側にとって、ふだんなじみのない国でも、すごく親しげに感じられるわけです。
 難民キャンプに暮らしていた彼女の写真は、3歳、5歳、10歳…とあって、この10歳のときがいちばん美少女。15歳ですでに化粧していて、17歳で結婚してママになっていました。日本で17歳というとまだ少女、という感じですが、ヘスースはすっかり母親の顔です。いろいろ苦しいことを体験すると、それが顔にあらわれるのかもしれません。
 それと、5歳のときにシャボン玉をつくってあそんでいる写真があるのだけれど、彼女の娘がおんなじことしているんですよね。ほのぼのとした反復でした。
 5日で終わりました。

 第5回具象絵画女性4人展=スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)
 この展覧会は、一昨年まで隔年でひらかれ、前回までは「5人展」でした。1999年に亡くなった小林正子さんの遺作もふくめての「5人展」だったわけですが、今回の案内状にはちいさい活字で
(最終)
とあります。
 うーん、ざんねんですね。
 4人の顔ぶれは、日向良子さん、日塔幸子さん(道展会友)、大井愛子さん、渡辺右さん。いずれも穏健な筆つかいで、風景などを描いています。写実的ではありますが、瑣末な描写にはしらず、わりあい太目の筆をていねいに置いているのに、好感がもてました。渡辺さんは「壮瞥」など、道内の何気ない風景をしっかりと描写。日向さんは「オビドスの街角」など、ポルトガルの街景を、かわいた空気感とともに描き出しています。大井さんには岬の絵などがあり、日塔さんはとくいの造船風景のほか、季節感の良く出た「若葉の季節」などを展示しています。
 9日まで。


 3月3日(月)

 阿部国利追悼展札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)
 昨年11月亡くなった札幌の画家の追悼展。
 95年以降、昨年までのアクリル画55点が、ABCの3室に展示されています。
 とくに昨年は、2点の絶筆をふくむ20点が出品されており、病をおしてどうやって絵筆を執っていたのか、その執念にはおどろかされます。
 作品は、色彩をごく抑えぎみに、中空に浮かぶ半ば壊れた人間像を描いたものが中心です。体は部品に分かれ、時には体内から機械の部品が顔をのぞかせる裸婦は、ホラー映画のような残虐さやグロテスクさは漂わさず、むしろ「静穏なニヒリズム」とでもいうべき「人間の非在」の光景を、音もなくくりひろげています。
 しかし、その絵をここでくどくどと説明してもむなしい。説明はどうしたって説明で、とりわけ阿部さんの絵は、まさに、或る観念の説明なんかではけっしてなく、絵でしか語りえない光景を現出させているからです。
 会場でいただいた小冊子に、荒巻義雄さんが、この事態をうまく書いています。つまり

晩年の仕事は謎めいていた……絵の中の諸物の意味は?
これらは<象徴>なのである。
言語は表面だけをなぞる説明でしかないが、<象徴>は予感を目覚めさせる。

 札幌の方はぜひごらんになっていただきたいとおもいます。
 また、こちらのウェブサイトに近作の画像があります。
 個人的には、94年以前の作品が見たかったです。

 なお、3階の4室では、札幌高専の学生による有志展がひらかれています。先の卒展と同様、インテリアにたのしい作品が目立ちます。

 いずれも8日まで。


 3月1日(土)

 まずは、アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル)でひらかれている、若手写真家3人による「六旺會(「旺」は、ほんとうは「曜」の略字で、つくりが「玉」)写真展 或いは」について書きたいのですが、かなりの長文になったので、最後にしました。
 昨年秋の加藤D輔くんたちの3人展などとならび、いまの札幌の若手の写真を代表する、すばらしい展覧会だと思います。

 おなじ会場でひらかれている自由学校「遊」写真展も、なかなか良い写真が並んでいました。
 日常目にするいろいろな光景のなかで、ふいに光と影の織り成すおもしろい情景に出会い、それを切り取っているように見受けられました。
 竹原理恵さんの「駐車場」「黄昏」や、高橋邦佳さんの組写真「冬の日の散歩道」などは、そういう日常的な風景のさりげなさが良いと思います。

 大体400〜730 ナノメートル5050=同
 妙なタイトルがついていますが、今村みちこ、段坂久美、工藤由美子、三上敦の4氏によるグループ展。
 段坂さんは、雑貨や小物のカラー写真。工藤さんは少女漫画っぽいイラスト。今村さんは鳥をモティーフにした平坦な塗りの絵画です。
 三上さんは、色とりどりの灯りの手前に半透明な板を置き、さらに試験管をならべた壁掛け型オブジェをつくっていましたが、こういう雰囲気ってすきだなあ。

 木村初江 陶造形展 2003 〜第7回生命(ゆめ)の記憶〜=大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)
 活溌(かっぱつ)に発表活動をつづけている札幌の木村さん。
 モノクロームのモダンな色調がベースで、基本的には、うつわを中心とした展覧会と、今回のようなな造形中心の展覧会とを、最低でも年1回ずつひらいています。木村初江陶展の会場
 造形作品(うつわのような用途のないもの)は、97年から「生命(ゆめ)の記憶」シリーズとして、発表をつづけており、今回も、各作品の題の初めについています。
 いちばん目立つのは、壁にずらりとならんだ「廻りゆくモノ 廻りくるモノ」でしょうか。25点の、30センチほどの陶板が一列に展示されています。三日月形のなかに顔が描かれていたり、細い紐で修飾されていたりするあたりは、木村さんらしさが感じられます。
 左側には、三角柱の輪郭だけのかたちをした「生まれたモノ 見えてくるモノ」の3点。台になっている白い陶板には、ところどころ織部やプラチナによる緑や白の斑が見られます。木村さんは霧吹きで作品に水をかけていました。おもしろい
 床にならんだ3点のうち、いちばん奥の、ささ舟のような形をした作品は「消えゆくモノ あるいはたち現れるモノ」。白い砂状の上には、ばねのような形をしたもの、球、三角錐などが配され、子どものつくった宇宙基地を思い出しました。右は、「生命の記憶シリーズ 消えゆくモノ あるいはたち現れるモノ」その拡大写真です。
 ちなみに、台になっている部分も、コンクリートのブロックではなく、陶による作品の一部です。
 木村さんは
「7回目かあ。ここまでくれば、続けることに意味があるかも」
と元気そうでした。
 北海道陶芸会メンバー。全道展会友。
 ご本人のサイトはこちら。 

 この上のフロアでひらかれているMy selection of modern art in Sapporo 2003は、医者で、この3月まで大学院でまなんでいるイシカワさんという方が、ご自分のコレクションと、出品者のひとりである平松和芳さんや上司から借りた版画などを展示しています。
「まあ、修了の記念なんですよ」
とのことです。
 ピカソの版画は、エディションが450というものなので、ここではふれません。
 それより、いまは活動をやめている佐々木方斎さんの版画(シルクスクリーン、あるいはリトグラフ)の連作十数点が目を引きました。クリアな色をたくさん用い、円のようなかたちを二つ描いた抽象作品です。渡辺伊八郎さんの影響が感じられますが、それよりも動的な感じがします。
 たしか98年のギャラリーどらーる(中央区北4西17、HOTEL DORAL)以来、あまり作品の発表のない花田和治さんは、港の風景にインスパイアを受けた作品など、これまた明快な色彩とシンプルをきわめたフォルムが特徴の、一種のカラーフィールドペインティングです。
 また、國松明日香さんの初期の代表作「万有引力bP」も展示されています。鉛版に刷ったシルクスクリーンにジッパーを取り付けたもので、何気ない風景の中を複葉機が飛んでいる絵柄です。道立近代美術館にもおなじ作品が所蔵されているので、ご覧になった方もいるでしょう。

 いずれも4日まで。

 守分美佳展=ギャラリーミヤシタ(中央区南5西20)
 守分美佳さんの作品守分(もりわけ)さんは、毎年のように個展をひらいていますが、これまでは四角いキャンバスに描いた絵を制作しており、四角から解放されたのはこれが初めてです。
 作風自体はそれほど変わらないのですが、かたちが自由になったことで、作品をすごく良くなったと、思います。
 「植物の、根の部分とあわせて、生命的なものを表現したかった」
というようなことをおっしゃっていましたが、これまでよりも、そういう生命の自由さ、エネルギーみたいなものが、つよく表現されているようです。アクリル絵の具による色づかいは、あいかわらず楽しくて、どこか海の底のようでもあります。
 16日まで。

 六旺會 写真展「或いは」アートスペース201(中央区南2西1、山口中央ビル6階)
 石川ひと、若林慎二、杉坂真由美の3人によるグループ展。昨春につづいて2度目です。
 すべてモノクロ写真です。
 いま、札幌のわかい人たちの写真がすごく活気づいてますが、ある意味でそれを象徴するよ六旺会の会場風景うな展覧会だとおもいました。
 「活気づいている」
と言っても、はつらつとした若さ、というのとは、ぜんぜんちがいます。
 今回、杉坂さんの作品で、谷川俊太郎にリスペクトを込めて「二十億光年の孤独」と題した組写真があるけど、その題が、このグループや、はてはさいきんの札幌の若い人たちの写真を、象徴する言葉のように感じられるのです。
 東京とはちがい、まだ自然がのこされ、建物がまばらに建っているこの土地では、身の回りにレンズを向けても、金村修やホンマタカシや森村大道やアラーキーや大西みつぐのような写真にはなりません。もちろん、自然の有無だけではないように思えますが。さいきん増えている中高年齢層のカメラファンは、見るからにうつくしいネイチャーフォトを撮るのですが、それに対し一部の若い人は、けっしてそういうふうには風景を切り取らないのです。
 風景を描写すること。これが、ひじょうに近代的な所作であることは、柄谷行人の「日本近代文学の起源」(講談社文芸文庫)を読むとわかります。風景画とは、ようするに、自画像にほかなりません。他者から切り離された孤独な魂が、風景を「発見」するのです。
 ただし、はやくに風景を「発見」したロマン派が、同時に風景の中に、崇高さや、うしなわれた起源(捏造された起源、といってもおなじですが)としてのナショナリズムを見出したのに対し、現在の札幌の若手たちは、どこにレンズを向けてもそこに、果てしのない荒涼さを、ひいては「空虚で孤独なじぶん」を、「発見」しているような気がしてなりません。
 もちろん筆者は、彼(彼女)たちが中身がなくてつまらんヤローだと言っているのではありません。ただ、彼(彼女)たちは、根拠のない自己愛とは無縁だし、そうそう簡単に、自分が依拠しうるなにものかを見つけたふりをしていないのだと思うのです。いまの時代、たいして疑いもなしにじぶんの奥底から発せられる物語やさけびなどは、ないほうがむしろ正常ではないでしょうか。
 いまの札幌の若い人たちの写真は、だから、モノクロが主流ではありますが、アメリカン・ニューカラーの写真に共通するものがあると思います。彼らは、フロンティア幻想の果てに現出した夢の残骸のようなものを、感情を入れずに淡々と撮っているようなところがありますが、そういうところが似ているのです。筆者が、かつて石川さんがなんでもない冬の夕景の写真に「世界の終わり」と名づけたことに強く反応したのは、そういう共通性を無意識のうちに感じ取っていたからかもしれません。

 そろそろ各論にうつりましょう。
 石川さんの作品は、大きく分けて二つの系列があるように思われます。
 ひとつは、じぶんを被写体にして多重露光を活用し「じぶんとは誰か」という問いにせまった作品。もうひとつは、ややアンダーぎみの焼きで、人気のない風景や空を撮影したものです。
 ここでの文脈からいうと、後者の系列のほうに惹かれます。
 今回は、北広島の資材置き場で撮ったという「箱の中」や、石狩の海辺で撮影した「夢」の2点など。
 「アンダーぎみに焼いて、季節とか時間とかがわからないようにしたかった」
とは本人の弁。また、箱への興味は、昨春、美しが丘ギャラリーで見た箱の展覧会あたりからだそうです。
 「だって、中が見えないのって、おもしろいじゃないですか」
 もっとも「夢」の1点は、遠くにからすの群れが見えますから、早朝か、夕方にちかい時間帯なのでしょう。
 小屋、電線、荒地…。そういった要素が、非常な寂しさをかもし出しています。

 若林さんは、「nearest view」と題した連作。
 3人の中で、唯一人が写っているショットがあります。
 そのうち1点は女性のヌードです。が、つぎの写真は、男の人が食卓とおぼしき場所で口に手を当てながらあくびをしている場面。なにか、ロードムービーのような物語がありそうで、それがどんな物語なのかははっきりと明快ではなく、見る人の想像にまかされているようです。つまり、見る人の数だけ物語のできてしまう連作です。
 女性の写真のつぎに、護岸工事が片側だけになされた川を見下ろしたショットとか、はしけの写真や、不規則なビル群の手ぶれした写真、郊外の夜景などが、ふいに挿入されると、なんだかふしぎな既視感のようなものにとらわれてしまうのです。

 杉坂さんは「memento mori」と題した5点からなる連作と、3点からなる「二十億光年の孤独」。パネルの間に、夏目漱石の「夢十夜」から抜粋した文章が貼ってあります(余談かもしれませんが、この「夢十夜」という短編集はおもしろいですよ。まだ読んでいない人にはおすすめです。「こころ」や「三四郎」の気むつかしい漱石のイメージがくずれること請け合いです)。ことばと映像の相乗効果を狙っているようです。映像だけで終わることのない心のイメージ。
 「memento mori」は、2枚目の、海辺の岩をバックに有刺鉄線が横切る1枚が、鮮烈な印象を与えました。5枚目の桜も、聞くと、イルフォード・マルチグレード(印画紙の種類)の5号で焼いているそうで、桜らしからぬ硬調の焼きが、通常とはことなる異化効果を挙げています。安直な感情移入をこばむ、ある種の厳しさをたたえているのです。その点では、3、4枚目の、廃車になったバスはものたりない、というか、ちょっと手垢のついたイメージという感じがしました。すくなくても、2枚はいらなかったのでは−と思います。
 「二十億光年…」は、疎林のある平凡な風景なのですが、逆光で木が黒々と写され、なにかまがまがしい印象を残します。どこかピンぼけのようでいて、ピンがきているようにも見えるふしぎな写真です。
 「狙った、と言いたいところですが、焼いてみたらこうなったんです」
と杉坂さんはわらっていました。

 この項については、いずれ補筆して「展覧会の紹介」に移す予定です。