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頓珍漢
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2005/10/21 21:46:39 |
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戦後60年、今年もいろいろと話題がありました。
当時は韓国と言う名称は使われていなかった。終戦後幾日 経ったであろうか、一人留守をしていた時、二人の朝鮮人が 尋ねてきた。少々遠慮がちに、日の丸の旗があったら是非欲 しいので貰えないかというものであった。その後、二人連れ の違う朝鮮人が、日の丸を欲しいという訪問を2回受けた。 その内の一件は夫婦連れであった。
60年経った今そのことを思う時、彼らは何故日の丸を欲しが ったのか。日の丸君が代で世論がかしまびしく喧騒の今ふっと思 います。
私の小学一年即ち、国民学校一年の時は、級に朝鮮人が3人お りました。その中の一人とはずいぶん仲良くなり、三年間位しょ っちゅう私の家で遊んだものです。
彼の家は、清水台のグランドのすぐ傍にあって彼等が来る直前 は、我々もすんでいたので彼らが住むことには、何の違和感もな かった。6畳3畳の2間に狭い台所と玄関、鴻之台にも同じ間取 りの長屋がありました。
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