BOOK BOOK こんにちは  2004.3月

 

このコーナーは、3人の精鋭が日々読んだ本の感想を書いていくものです。

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          アオウ           コマツ            スヤマ

★3月29日(月)更新★★★★★★★★★

『黒冷水』(羽田圭介 河出書房新社)兄の部屋をあさりまくる弟、その侵入を入念にチェックする兄の、黒い攻防。あまり詳しく書いちゃうと、これから読む人がつまんなくなっちゃうので控えるが…タイトルになってる「黒冷水」という言葉の使いどころが実に利いている! ふとその言葉が出てきた時には、読み手にはその言葉を共有する用意がもうすっかり出来ている。「黒冷水」が、たちまちよくわかる。そんな巧みさが心地よかった。一気読み。

『図書館の神様』(瀬尾まいこ マガジンハウス)よかった! 高校まで部活命の日々を送ってきた主人公が、高校の講師になって部員が一人しかいない文芸部の顧問になるっていう設定がまずおもしろい。小説書く人って本が好きなわけでしょ? ここまで「本なんかおもしろいと思ったことない人」「本なんか読んだってしょうがないと思ってる人」を上手に書く手腕が素敵だ。私は本は大好きだが、本を読むことが偉いことだとか、すごいことだとは思ってない。あと、自分で読んでもないくせに「名著」と言われるものにひれ伏したり、ありがたがるのはアホくさいと思っている。主人公の、本をありがたがらない人こそが持つことができる(かもしれない)、プレーンな視線で「本」に触れていく様子が楽しい。それでいて、最初は奇人にしか思えなかった〈たった一人の文芸部員〉を認めるようになるとともに、少しずつ本に対する距離を縮めていく。そんな成長小説なのであった。

 私は中学1年の時、授業内のクラブ活動で文芸クラブに入ろうと思った。が、最初の希望者調整の段階で、3学年で希望者が私のほか1人しかいなかったため、あっさりと文芸クラブは抹殺されてしまった。「3年生」の欄に記された「1」という数字を見上げながら私は、文芸部を希望したその人は、どんな人だろうと想像した。その、見知らぬ先輩とたった2人で文芸クラブをやりたかった。

 翌年、「文芸クラブ」の代わりに「詩と創作クラブ」なるものができた。10人ちょっとは集まって発足できることなったが、ソコに集まった子たちはひたすらポエム(イラストつき多し)を書いている。「冬の海辺であなたとどうしたこうした」とか、「雨に打たれて一人で泣いた」とか空想の恋みたいなの。ユーミンぽいのが多かった気が。あのクラブの文集、まだ実家にあったっけなー。

★3月22日(月)更新★★★★★★★★★

『あの橋の向こうに』(戸梶圭太 実業之日本社)読了。誰かの作品書評(石田衣良かな?)とカンチガイしてて短編集と思いこんでたのだが、長編小説だった。で、これが、非常に良かった!いやあ、恋愛小説好きの女性のみなさん、唯川恵やら山本文緒とかばっか読んでちゃーダメよ。こりゃあ素敵よ。女性を主人公にした恋愛小説を、男性作家がこんなに素敵に書けるなんて、驚きです。特に、毎日沈痛な思いをしつつ出勤×残業に苦しみあえいでいる勤め人さんに読んでほしいなっと。

『解離のポップ・スキル』(斉藤環 勁草書房)を途中まで読んだ。表紙のデザインのせいで、どうしても表紙カバーがたわんでいるように見えて困る。解離という言葉をキーワードにひきこもり、おたく、カルト、トラウマ、多重人格、記憶喪失、「キレる」、動機なき犯罪etcをひもとく…というフレコミであるが、読み始めてみるとちょっと軽いな。いろんな雑誌に発表された文章のせいか、ややまとまりを欠く印象は否めない。でも、ポツポツとは参考になる部分があるように感じている。昔は本を読んでて気になるフレーズに出会った時、よく「抜き書き」をしたもんだが、最近またこれを始めることにした。やっぱり手で書くっていいね。まんなかへんに収録されてる中井久夫や麻田彰らとの対談はおもしろそうだ。

『放浪時代・アパアトの女たちと僕と』(龍胆寺雄 講談社文芸文庫)に収録されている『M・子への遺書』。昭和初期、中央文壇の体質をあからさまに批判したこの短篇で、龍胆寺は文壇から追い出される。以前にもこのコーナーに書いたかもしれないが、ときどき再読したくなる作品であるのは、著者の…ヤケクソなどではない、決して投げやりでない、静かな覚悟を感じるからか。ある夜中、あがた森魚の『春の嵐の夜の手品師』1曲だけを1時間以上リピート再生しながら、これを読んだ。中央文壇から追っ払われつつも、筆を折ったわけではない著者は、晩年まで執筆を続けつつ91歳まで生きた。

先日、バルトの写真がカッコよかったので珍しく『週刊 読書人』なんか買ってしまった。全集が出るのね。

『クビ!論』(梅森浩一 朝日新聞社)ビジネス書。かつてはビジネス書なんて「けっ!」と思ってたが、自分から遠い分野の本を無造作に手に取ってみるのも面白いかなと思って。著者は「クビキラーと恐れられた元外資系人事部長」だそうで、1000人の社員のクビを切った人だそうだ。

★3月15日(月)更新★★★★★★★★★

えーと、先週はほとんど読めなかったので、とりあえず、お買い物報告。

用があって神楽坂に行き、ダッシュで帰らなければいけなかったのだが、駅前の古本屋をやり過ごすことができず、自分に「タイムリミット10分」と言い聞かせながら、店内を鋭い眼光で巡回する。過去にも何度か入ったことのある店だが、わりと買い物した記憶があるんだよね。

で、10分の間につかんだのが『図書館の神様』(瀬尾まいこ マガジンハウス)。いろんなとこで書評を見て気になってた著者。マガジンハウスかぁ…でも、マガジンハウスってたま〜に、たま〜にアタリがあるんだよね。表紙のイラストが珍しく気に入った&タイトルに一票、で購入決定。『あの橋の向こうに』(戸梶圭太 実業之日本社)。戸梶氏の作品は、ミステリマガジンの連載を読んでたくらいだが、「すごくいいんじゃないか?」と思っていたのだけど、あれよあれよと本が出版されて選べなくなってしまった。『牛乳アンタッチャブル』とかおもしろそうな気がすんだけど、周りで読んでる人いないんだよね〜。この本は、“戸梶初の恋愛小説集”らしい。恋愛小説のイメージとほど遠い人だったので、かえって入口にはいいかな、と。あと、『食べ放題』(ロビン・へムリー 白水Uブックス)。帰りの電車でこの短編集をパラパラ読みながら帰った。

神楽坂の地下鉄1番出口を出て左、すぐの道を左折、その道をまたすぐ左折したとこにパン屋がある。雑誌とかで紹介された記事がけっこうはってあった。常連ぽい客がはいって来て、そこの名物であるらしい「栗一粒いりあんぱん」というのを10個買って箱に入れてもらったりしてたから、おみやげにも対応するほどのパンなのだろう。ソコのもうひとつの売りらしいずっしりとしたクリームパンとクロワッサンを買って帰った。おいしかったよ。

★3月8日(月)更新★★★★★★★★★

作曲&デモ作りの渦中にあり、なかなか読書が進まない。先週から読みかけている『ドキュメント 帝銀事件』は途中で、なんとなく「帝銀気分」でなくなってしまい、中断しちゃった。『カルトの子 心を盗まれた家族』は4分の3くらい読んだ。なかなか良い。子どものころから教団の施設にいる子たちの洗脳され具合、社会的常識とのかけ離れ具合が興味深い。本書に書かれている通り、相手が子どもであるだけに取材しにくく、報道されなかった側面を知ることができる。

短編集『スペシャリストの帽子』(ケリー・リンク ハヤカワ文庫)。1篇と、半分を夢うつつの中で読んだ。今週は、これを中心に読み進めようかな。

『熊の場所』(堀江敏幸 講談社文庫)。講談社文庫って、字詰めがキツいのが常々不満なのだけど、この本は(作品が短いせいか?)字間・行間に余裕があってうれしい。 自分の好みをさっぴいて考えたとしても、キツキツの字詰めは堀江作品世界には似合わない。

『冷めない紅茶』(小川洋子 福武文庫)今は亡き福武文庫よ。ページを開くやいなや「ああ、福武文庫だなあ…」って感じずにいられない余裕のある字詰めに安心する。W氏にリクエストして持ってる小川洋子作品を送ってもらった中の一冊。しばらく固め読みしてみようかと。

W氏との「本&マンガ満杯段ボール箱」の応酬がすごいことになっている。面白いからできるだけ早く送り返しあおう、ということになってるのだが、本当に素早く箱が返ってきた。今W氏に借りてるマンガでは、いわしげ孝『まっすぐな道でさみしい』が秀逸におもしろい!タイトルでわかる通り、種田山頭火の話である。これ、自分でも買おうかなーと思ってたんだよね〜…と「思っていながら買ってない本」が絶妙に送られてくるから、楽しいなあ。

そうそう、昨年、某小学生向け雑誌で私が原作・編集を担当していたマンガ『日本文学者列伝』の単行本化が決定しました。編集作業は当然これからなので、また発売が決まったら宣伝させていただきます。

★3月1日(月)更新★★★★★★★★★

『赤い雪 統括・連合赤軍事件』(角間隆 新風舎文庫)、読了。たいへん面白かった。連赤事件を扱ったもの数あれど、実は即席組織であった「連合赤軍」のなりたち、問題点などをこのようにストーリーに含みながら読ませてくれる本は少ない。いわば楽しみながら連赤が身につく本、とでもいいましょうか。図表を見ても、どうしても日本赤軍と連合赤軍の関係が頭に入らない人に、非常によくわかる参考書としておすすめ。

 続いて『トリカブト事件』(坂口拓史 新風舎文庫)にとりかかり、薄いのですぐ読んじまいましたが、こっちはいまいち。まあ事件の概略はよくまとまってるけど、著者の顔の出して来方が中途はんぱな印象。これは、多額の保険金をかけてある妻が3人も似たような症状で突然病死した「ある夫」の話なのですが、要するに第3の妻の死が起こる前に、著者は知人から「こういうヤツがいてあやしい」という話を聞いていた、と。つまり、ちょっぴり当事者に近いわけで、そういう気分で事件を語っているわりにはこの人自身がほとんど取材をしてないのでねえ…。そこそこ勉強できるけど授業は欠席ぎみの学生が、友人からテスト直前にノートを借りてあわててまとめたみたいな、まあそんな中くらいの出来。

 で、今は『ドキュメント 帝銀事件』(和多田 進 新風舎文庫)をちょっと読み始めたところ。きのうの晩は、曲作りに疲れると(行き詰まると?)毛布にくるまって『カルトの子 心を盗まれた家族』(米本和広 文春文庫)を読み、アイディアが浮かんでくるとまた曲作りに戻り…を繰り返していました。これは親がカルト宗教にハマってしまった場合、その子どもたちはどんな影響を受けているかを追ったドキュメンタリー。オウム、エホバ、ヤマギシ会、統一教会など各種そろっております。

『落下する夕方』(江國香織 角川文庫)江國香織の本は、数冊くらいは読んでる。ものによって好き嫌いがあるので端から読もうとは思わないが、これは良かった。ふらっとやって来たり、黙ってどっか行っちゃったり、マイペースに振る舞う奔放な女性。不思議な魅力の持ち主で、出会う男たちは次々に彼女の虜になってしまう…こういう女性キャラを書こうとして失敗する例はいくらもあると思うが、本書ではなぜか成功しているのである。

 相性のいい本屋、よくない本屋、ってある。同じくらいの敷地面積の本屋でも、ボトボト金を落としてしまう本屋と、長時間うろちょろしてるのに何も欲しくならない本屋があるから不思議。先日、五反田からタクシーに乗ったら、見慣れない本屋が出現しているのを発見。さっそく帰りにチェックしたら大当たりであった。ひさびさにマンガをざくざく買った。読んだことのないマンガなんだけど、表紙を見ただけで「これは当たりに違いない」と確信する瞬間にほとばしる充実感。生きてるって楽しい〜。マンガってビニールかかってるからさ、バクチなんだよね、けっこう。でも、中味を知らないでカンで買うのって楽しいよね。CDも試聴なんかしないほうが楽しいよね。そうそう、事後報告。例の片岡義男『音楽を聴く』を読んで以来、まさに憑き物が落ちたかのようにCDを買い、人から借り、レンタルショップから借りては聴いている私です。それらを選ぶ時は、頭というよりは手が勝手に選んでる感じ。通りすがりで手が「これ取った!」と決めたものを買ってるような、ヘンな状態。ドンキでCDウォークマンも買っちゃった。

その日はすでに図書館で数冊の本を借り、別の本屋で数冊を買い…という状態だったので、荷物はまたもすごい重量になってしまい、私は帰りに5kg米を買うつもりだったのを断念せざるを得なくなった。米びつが空になるのが不安なんです。だからといって、2kg入りとかを買うのはいやなんです。どうしても5kgじゃなくっちゃ。5kg入りの米の袋を切り、米びつが満杯になるのを見るほど幸せなことはない。

★3月29日(月)更新★★★★★★★★★

我々のニュー・アルバム「アマチュアたち」のリリースに関わるモロモロで、ここんとこパタッと読んでないのテありマスが、2冊ばかりめくっておった事を思い出しました。

『性に関する探究』(アンドレ・ブルトン編・白水社)『おんべこ・オンベコ』(花登筺・集英社)。2冊ともアッチ方面の話です。ブルトンはシュールレアリストたちを集めては、性に関する座談会を取り仕切り、やたらと兄貴風を吹かせています。当時は評判が悪かったと解説されているレイモン・クノーですが、オレはいちばん現代に通用する感覚を持ってるナー、なんて感じたテス。9ノーはオナニーとモーホーを肯定しシュールレアリストたちに非難されています。隔世の感が在りマスよねー。男たちは(のちに女も参加する)「女のイッタ、イッテナイ問題」について熱い論議を繰り広げてマスが、ここでも矩ノーは「一、ぼくは誰も信用しないし、女ならなおさらだ。二、どんな偽りも許されると思う」と述べています。諸手をあげて賛成!テス。

まー、そのようにいつの時代も男たちは牧歌的なワケですが、逆に「おんべこ〜」は女の恐さ、したたかさを描いて秀逸です。売れっ子台本作家である著者は当時の芸能界のウラ話を「ホンマかいな」という程にあからさまにエゲツなくしかも短篇ミステリなみのストーリーテリングで読ませてくれます。オモロイよ!

大好きな女優、秋吉久美子の「勝手にさせて」(三一書房)もまだ枕元で開かれぬままなのテス。きっと読み始めたら30分なんですが、ゆったり読みたい本デスね。このヒトはもちろんイイ女ですが、それ以上にポエマー力(そんな言葉はナイ)がとても強くて常々感心しています。いわゆる詩人というやつテスね。

あー、はやく「アマチュアたち」発売したい!そうすればオレはしばし自由!花を見たり、酒を飲んだり出来るのテス!

★3月21日(日)更新★★★★★★★★★

オレの文章はメチャクチャである、というのは定評であるが、もとよりオレのオツムが足りないのは、賢明なる読者の皆さんは当然もうお気づきのことであろう。オレはただテキトーに書いているだけなのでR。毎週死にものぐるいでただただデタラメに文字を埋めているだけなのでR。そしてさらにさらに注意深くも賢明な読者であれば既に気づいている筈なのだ。オレのトコだけが妙に幅が狭いことを(笑)。当初からハンデ戦なのである。ハンディキャップマッチなのである。右、こってりと油の乗りきったいまが盛りの知的編集者、左、この不景気に所得もうなぎのぼり!現代の奇跡系とも言える才媛フリー編集&ライター。ヤツらはプロなのよ!字を読んだり書いたりすることで莫大なる冨と名声をかち得ている知的エリートなのよ!ブルジョアジーなのよ!比べてオレときたらもーアライグマに毛が生えたようなモンなのよ!ちょっと一気にとびすぎたケド(笑)オレが言いたいのはすなわち、オレはアライグマならぬ「アマチュア」である!という事なのです!

はあはあ、かなり引っ張りましたがようやく辿り着きました(笑)。明日、高円寺無力無善寺において我々の2ndミニCDR作品「アマチュアたち」のレコーディングをやるのテス。全国の、いや東京および近県の知的プロレタリアート(アマチュア)諸君!蜂起せよ!平たく言えば、我々のレコーディングを手伝うために集まりたまえ!楽器のあるものは持参、なくてもぜんぜんよろしい。言葉が、声がきみにはある!いや、声が出なくても音は出せる!音楽指導員としてヨー大柴(ミッシング箱庭)、言葉その他指導員として池田繁(へらじか)を用意しています。全員参加してもらうのでヨロシクねー!90秒くらいのセッションも(オレ指定の組み合わせで)2〜30回予定してマス。これまでのすべての前衛を明日後衛にしてしまうンだぜ(笑)「まちぼうけ」と「こきりこ節」もみんなで唄うよ!

 

 

 

 

★3月17日(水)更新★★★★★★★★★

本、本、本、本、本、オレは毎日つねに本の事ばかり考えているワケではもちろんなく、ただ、何か近くにいつも本が居るのです。で、口さみしくて煙草をくわえるように、そこにジッとおる本をペラペラとめくるんですねー。本はバカだから、自ら喋ることはしなくてね、オレがめくんない事には、どーにもこーにもタダの紙束なンですよ。もー、どこまでも世話のかかる奴、しかしそういう奴の方がモテたり可愛がられたりするんでショ?ホント憎い奴だよねー。『質屋の女房』(安岡章太郎 新潮文庫)読んでマスよー。

★3月8日(月)更新★★★★★★★★★

ペラー。いま読んでるのは『白髪の唄』(古井由吉・新潮文庫)『夢幻のなか』(立原正秋・新潮文庫)『中国詩三千年』(藤堂明保/黒須重彦・旺文社文庫)『夕日の河岸』(安岡章太郎・新潮文庫)『地の群れ』(井上光晴・河出文庫)『カンガルー・ノート』(安部公房・新潮文庫)。いまんとこ一番イイのは『地の群れ』だね。なんか時制も描写も、ワザとかよ!っつーくらい判りにくいんだけど、なんかオモロイのよ。たぶんコレが1着ゴールインで2着が『カンガルー』かな。遺作らしいけど軽くていい。それともこれから暗くなってくのかナー?あ、『夢幻のなか』よかった!なんか面白い男だね、やっぱり。あ、『蛇にピアス』(金原ひとみ・新潮社)買ったんだ!アオウに恐る恐るお伺いをたてたら「今読むなら、可」だそうで。ヒー。

★3月1日(月)更新★★★★★★★★★

アフー。オレは99%古書しか買わねー。職場の一つである古書店はすごく良心的なプライスで、しかも更に2割の店員割引きがあるのでシュ!だから99%中の80%をそこで買うのでシュ!そんなオレがひさびさに新刊購入!期待の高さが伺えるでショ?『ピントがボケる音』(安田謙一・国書刊行会)である。著者の名前がまず好き!いい字面である。ステキ!オレの身近に生息する人間なら、狂ったようなオレの人名蒐集癖を知っているでしょうが、そのオレが言うんじゃ間違いネー。この方の名前は実に美しい!オレは名前を集めるとき、姓・名・姓名部門に分けているのだが、この方のお名前は姓名部門の上等に位置する。うらやましい・・・。まず名前で興味を持ったのだが、雑誌で取り上げている音楽などの趣味がオレには好ましいのテス(ちょっとオレよりオシャレだけど)。それで著書が出たら買おうとズーと思ってたのだ。本を開いたら序文を岸野雄一さん、ラストの対談が山本精一さんとホントに変わってる人々と親しいようである。やっぱり買って正解だったのだ!いま気づいたが三人とも「一」なのね!オレは本書をレコパトの指針にするのテス。しかもこの人、須山さんの中学時代のバンド「TAKT」を紹介してた。偉い!っていうか変わってるよ(笑)。『リズム&ペンシル VOL1 ジョナサン・リッチマン特集号』もゲット。あー、ゲットってあんまり言わなくなったよネー。上記の本でも紹介されてたけど、オレもジョナサン好きである。ジョナサンとの出会いは確か10年、いやもっと前、当時働いていた吉祥寺の飲み屋に友部正人さんがテープで持ってきたのではなかったかナー?いや記憶違いか?長谷川集平さんかも知れない。とにかくそのテープがとっても素晴らしかったので勝手にダビングしたんだねーオレは。たしかそんな感じテスよ。この雑誌には、踊るジョナサンがオマケで付いてて良かったゾー。

★3月29日(月)更新★★★★★★★★★

磯崎新・福田和也『空間の行間』(筑摩書房)について、先週に引き続き、もう一言 述べさせていただく。 なぜなら、本書の最終章あたりに、重要な概念が提示されたからなのにゃ。その概念の名は、「テクノニヒリズム」である。 磯崎氏によれば、「もともと無根拠なまま、零から生成されるもの(イコール建築)」である。「梃子でも動かせない他者としてテクノロジーが(建築の)イメージ の生成を支配してしまう」こと、これを「テクノニヒリズム」と氏は名付ける。 なぜ「ニヒリズム」なのか? 

建築とは、そもそも壊滅を前提としてなされるものであり、その集積である都市もまた、生成→消滅を繰り返すだけの、「虚構=ニヒル」 だからである。 同時にそれは、構築と崩壊という二律背反する生成過程を一挙にのみ込める主体を必要とする。 氏は、「見えない都市」「未来都市は廃墟である」などのテーマを実践するかたちで、建築活動をしているという。「神が間違って書いた設計図でさえ、平気でそのまま使ってしまう」デミウルゴス。 それが建築家なのだ。 氏は言う。「四十年前、ぼくはオウムと同じ気分だった」・・・1962年、氏は 『都市破壊業K.K.』なるエッセイまで書いていたという。 無根拠からの、無目的な、イメージの発現と・増殖と・終焉。

もうひとつ、キョーミ深いエピソードとして、ナチス御用達の建築家アルベルト・ シュペーアの、ヒットラーとのやりとりが語られている。 シュペーアとヒットラーは、共に「未来の廃墟」に向けての建築構想をもっていた、 という。ベルリン改造計画「ゲルマニア建設」は、第三帝国が滅んで何千年後にも残るような廃墟となるような都市をめざして進められた(実際はその10年後にソ連に潰されてお望み通り廃墟になってしまうんだけど)。古代ギリシャ・ローマの廃墟が、もちろん、このドリームの出発点であるというのは自明であるとしても。

★3月22日(月)更新★★★★★★★★★

小熊英二氏の著作にハマった昨年以来、日本近代文化政治思潮に関するハナシばかり追ってきたけれど、ちょっとこんな本にも手をだしてみた:『空間の行間』(磯崎新 ・福田和也、筑摩書房、1月刊)。これが滅法オモロイのである。主に磯崎氏は歴史的建造物へ向けた視線で、福田氏は思想・文芸へ言及しながら、日本の古今のモニュメントと時代の関わりを語っていく。「東大寺南大門と『明月記』」、「当麻寺と 『死者の書』」「三輪山と『万葉集の精神』」「厳島神社と『平家物語』」…といった具合だが、「広島平和記念館と『「いき」の構造』」なんていうテーマ立ての章もある。

いささか挑発的な論客として知られる福田氏だが、この本では磯崎氏の物腰 (お顔立ちも)の柔和さに影響されてか、終始、抑制された口調で語り続ける。 わしは、古文と日本史にはかなりうといオトコである。とくに古文はいつも50点くらいだったわ。)貴族とサムライばっかり出てくる日本史の世界は、どうにも近寄る気分が起きないのよね。でも、この本のように「建築」を軸にしていただくと、ムカ シの日本のアレコレも、わしの興味の射程に入ってくるのでありがたい。(庭とかお 茶室、神社仏閣は好きなのよね。)たとえば、小堀遠州の作庭術・茶室様式などに は、貴族とサムライばっかりの世界で、対立し合うその二大勢力をいかに「まあま あ、そう気張らすに、お茶でも」と「なだめるか」のスタンスが色濃くあらわされて おるらしい。コレが「わしのお茶か、あんたの剣か、一騎打ちの真剣勝負じゃ」の千利休とはおおきく異なるところで、福田氏:「利休や織部にあるわかりやすさは遠州 にはない。遠州好みのおもしろさは、逆方向のベクトルを持った力戦の、分裂と同居 です」。で、利休は切腹し、遠州は切腹などには縁がないのである。  

また、織田信長さんの安土城。いまはもう消失してるんだが、再現されたモデルを 見ると、すこぶる変な造築になっている。法隆寺の夢殿に金閣寺が乗っかったような概観であり、また、西洋の教会のように真ん中がどかーっと吹き抜けになっておった とのことじゃ。 その写真も載ってるが、どうみてもフツーの日本の城ではない。磯崎氏:「おそらく 即席で一気にデザインしないといけなかった。建築家という立場から信長を考えてみると、これは、突拍子もないクライアントが出現したようなものです」。イエズス会もこんにちは、南蛮渡来でございます、かぶいた若者増えてます、テッポーも持たなきゃいけないんです、というような世の中で、自らの城をつくるにあたって「イメージを求める起源がなく」、「必要とされているイメージを順々に引っ張り出しては積 み重ねていく方法がとられたのではないか」(磯崎氏)これちょっと、バンド 「我々」と似た状況じゃないか?  

さきほど、「日本史は苦手」と書いたが、わし、安土桃山だけは大好きじゃ。「ばさら」と「かぶき」が跳梁跋扈し、ポルトガル人ガハハと笑い、サムライも貴族もどうでもよくなったこの時代。わしは学生の頃、「出雲のおくに」を主人公とした旅芸 人ロードムービーを、坂本龍一の『千のナイフ』を主題曲に撮りたいなあ、とよく夢想したもんじゃ。その場合、出雲のおくには大地喜和子が演じ、おくにのパトロンに は三国連太郎、おくに一座の看板遊女は樋口可南子、おくにのライヴァルには三田佳子か加賀まりこ、そしてこのエポックを代表するバサラ者のプレイボーイには、涅槃からよみがえった沖雅也を配するという豪華キャストなんじゃ。

★3月15日(月)更新★★★★★★★★★

「闇市」は英語で「アウトサイド・フリー・マーケット」というのだ。ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』を読んでいて、闇市元締めヤクザ「新橋松田組」の看板に そう書かれていたのだ。小松氏が牛耳ってる阿佐ヶ谷のアソコも、まあ闇市みたいな もんだ、ということなんだろうか。 まあ、ソレはいいとして、いま勤め先の同僚と神保町の「ティーヌーン」でタイめし を食ってきたのだが、タイめしは旨いのう。めしについて書かれてる本も愉しいの う。とにかく、一日中めしの事だけを考えて生きていたいと思っている。音楽なんて2の次3の次じゃ。このあいだもカイシャのホームページの取材のためだけに白山の ほうへ特殊な極辛カレーを食いにいったんだけど、(詳しくは http://www.hakusuisha.co.jp の「クラブ白水」を見るのじゃ)「わしは今、めしの事だけのために行動している」と気づいて、えも言われぬ至福感にひたった…などと語っていると「すーちゃん、これ読めや」その同僚が差し出したのは、明治学院大学 言語文化研究所で刊行しておる『言語文化』というユリイカみたいな様相の本だっ た。 「なんで?」と思って表紙を見ると、「特集 食と文化」とある。おお。さっそく拾 い読みしてみる。「チャイナタウンのない町 韓国の中華料理店」、ここで書かれている、韓国独特の「中華」料理、「チャジャンミョン」なる料理。これは興味ある!  

韓国の人々は、この料理のことを語るとき、目を輝かすそうだ。漢字で書くと「炸醤麺」。日本では「ジャージャーメン」として知られている。外国に行った韓国人がもっとも恋しがる食い物、子供の好きな食い物ベスト5には必ずランキングされる食い物。キムチを食べない人はいても、チャジャンミョンを食わない人はいないとい う。日本円にしてだいたい250円から300円。おお。なんと大衆的。「挽肉を甘ミソで炒めて麺の上にかけたもの」おお、まさにジャージャーメンじゃないか。しかし、わしらが想像するジャージャーメンとは異なり、「真っ黒なソースであり…(目立った)味がない」そうだ。しかし、いったんクセになると、はまりにハマるのだと いう…。 韓国における位置づけは、日本におけるラーメンのようなものだ、とこの記事の筆者 は述べておられる。つまり:中華料理だったはずなのに、日本のコクミン食になって しまった食い物。だからわしらがこの「チャジャンミョン」を食おうと思ったら、 チャイナタウンではなく、コリアンタウン(新大久保など)へ行かねばならんのだ。 いちおう、この料理は山東省が起源だとされている。そこに住んでいた人々が韓国に 移り住み、華僑として中華料理店を営むうちに、韓国に根付いていったのだ。日帝時 代には華僑人口は今の10倍であり、日本人居住区と華僑居住区は隣り合っていたの で、「日本人と華僑の人々のどちらの嗜好にも合う」味を追求した結果が「チャジャンミョン」である、との説もあるらしい。韓国料理なのに、カプサイシン色がまった くないのだからの。おお、そうすると、この料理、成立過程においてナショナリズ ミックな背景は限りなく希薄なわけじゃ。

さて、韓国には至る所、「町の中華屋さん」があり、一杯のチャジャンミョンであっ ても気軽に配達が頼めるそうじゃ。大学のキャンパスでは新入生歓迎の季節になると、サクラの樹の下で輪になってチャジャンミョンをみんなで仲良く食うという (いーね! いーね!)。そういうときは、キャンパスの中を出前のバイクがトコロ 狭しと走り回るそうな。ところで、韓国にはひと月に一度、防空演習があり、サイレンが鳴るとすべての車は15分間停止し、人々は建物の影に隠れなければならんという。しかし! チャジャンミョンを配達するバイクだけは、演習をまったく無視して、完全に交通のストップした車道をただひとつ疾駆するのである。なぜか?  「「チャジャンミョンがのびたら大変だからね」バスの中の誰かが言って、みんながいっせいに笑った」… 白状するが、わしはこのくだりを読んでいておもわず吹き出し、ついで、涙が流れそ うになってしまった。つくづく、麺好きな性分だもんでのう。 でもいいハナシじゃないか。おクニの都合より、まず麺のコンディションが優先なんだ! 食い物はいい…。

でも、この本、明学の研究紀要でしょ、もともと。と思ってオクヅケを見ると、「編集発行人 四方田犬彦」とある。はは〜ん。この「紀要らしさ」のなさ、一般書店でも販売できそうな感じは、四方田氏の采配によるところなのだな。四方田氏が編集を担当するようになってから、もともとフツーの大学の研究紀要で、「ホメーロス『イーリアス』を読む」などの連載ばっかりだったのが、このような愉しい本になっ たのである。 他の記事も、インド、イタリア、台湾などにおける食事情を取り上げていたり、「白土三平の食物誌」「安吾とイノシシ」などというテーマで書かれたものも収載してお る。 読みたい人は、いますぐ明治学院大学に問い合わせるのじゃ。 ではまた来週。うひょーっひょっひょっひょっ!

★3月8日(月)更新★★★★★★★★★

まず、『パサージュ論』(第3巻)のその後の進展について。テーマは、「売春、賭博」から「パリの街路」へと移っていく。たぶん、ベンヤミンはこの資料をもとに、売春と賭博が、(かつてはそうではなかったのに)なぜブルジョワジーの支配する19世紀において、恥ずべき行為となったのか、を草する目算だったのではないだろうか。…というのは余りにも早計であろうか?

まもなくこの巻もようやく読み終えようとしている今、いったいベンヤミンがいかなる本を作りあげようとしたのか、わしはもういちどキチンと考えねばならんのである。先日、国学院のある教授も、酒を呑みながら、「いや、アレ、あんた読んで判るか?オレには実はサッパリ判らんのだ」と言った。…こういう人はわしは信用することにしている。

さて、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』だが、目下まさに「売春」が話題になっている。米兵の性欲処理のためにその筋の業者に対し政府はオンナ調達の令を下す。まず東京では1360人のシロウトの女性が「特殊慰安施設協会」に登録されたという。いわゆる“防波堤”の開設の端緒である。米兵たちはさっそく、大森に赴きこれらの女性を輪姦するに及んだ。一人の女性が一日に相手した米軍人は15人から60人の間だったという。元タイピストで19歳の女性は、この仕事を始めてすぐに自殺した、という。…こうした“協会”の女性は、いわゆる“パンパン”とは異なる。“パンパン”の方々はいわば積極的米兵対象ベイビーさんであって、「ハンサムな客の場合は金をとらないこと」もしばしばであり、白人よりも黒人のほうが優しく、人気があったという…。

★3月1日(月)更新★★★★★★★★★

『戦争と知識人』(北河賢三、山川出版社)を読了し、日中戦争〜太平洋戦争の間の知的閉塞状況をおさらいしたあと、オモムロに『増補版 敗北を抱きしめて 第2次 大戦後の日本人(上)』(ジョン・ダワー、岩波書店)にとりかかる。う〜。時を 忘れて読みふけることのできる本じゃ。本書においては、戦争終結後の日本人は、あまりにもミジメだったので、自分以外の国家にどのような戦闘・殺傷・破壊を行ってきたかを鑑みるいとまが無かった、と考察されているのじゃ。マッカーサーは「これで日本は四等国に成り下がった。わははは」と宣言してますます日本人をミジメにさせた、とある。戦争に負けるって、ホントにどうしようもなくミジメじゃ。

 でも、「いいやミジメで。でもお腹空くし、当面の生活どうにかしなきゃいけないから、なんでもやっちゃうぞ」と考えて、戦後の日本人はいろいろ始めたのじゃ。それが売春でも、闇商売でも、とにかくメシのために何かしなきゃならんかったんじゃ。でもとにかく、「もう戦争はイヤ。ソレさえなければ、なんでもいい」というワケなのじゃ。 今回の増補版では、たくさんの図版が挿入されておる。その中に、「昭和20年の隅田川流域」の写真がある。すごい。まったくなんにもない。一面焼け野原。「これ吾妻橋? これ松屋? う〜ん違うか。あっ言問橋?」最近の若い人たちはアメリカと日本が戦争したことを知らないということだが、アメリカ軍はじつに周到に東京を爆撃したのじゃ。とにかく、「貧民がたくさん住んでる下町のとこら辺は使えないしよく燃えるから全部焼く。官庁街は占領後に司令部として使えるから残す。杉並とか世田谷あたりはワリと広くて良い家がたくさんある。そのあたりは占領軍が進駐後に住居 にするから爆弾落とさない」結局ビンボー人は軒並み焼夷弾で丸焦げにされ、役人や小金もちの方々はワリと無事に終戦を迎えたのじゃ(まあ荷風先生のように麻布あたりに住んでても焼け出されちゃう人もいるが)。まあ、わしの住んでる西荻あたりは当時は超ド田舎だったじゃろうから、「あれまあ、東の空が真っ赤だねえ。明日も畑仕事だねえ」ぐらいだったんじゃろうが。わしの実家のあたりなど、お寺とかトーキョーダイガクとかゲイジュツダイガクとか文化財っぽいモノとか結構あるんで、爆撃をまぬがれついでに焼け残った古い家などがかなりあった。しかし、コレが上野の 山を越えて昭和通りを越えて竜泉・千束あたりになると、もう丸焼けなのじゃ。高い高い上空から、よくあれだけ細かく爆撃し分けられたと思わんか? アメリカの下調 べは、それだけ念の入ったものだったんじゃ。

 あと、「引き上げ」というのもあったんじゃ。わしの祖父も満州あたりに駐屯してた らソ連軍がいきなり攻め込んできて、シベリア抑留されちゃったあと、命からがら引き上げてきたということじゃが、この本で紹介されておるエピソードの中に、「骨壷を肩から下げて品川駅に到着した女の子」というのがある。渡辺千鶴子(7歳)は満州から引き上げてくるのじゃが、到着したところで千鶴子はジャーナリストにインタビューを受けるのじゃ。「お父さんはどこで亡くなったの?」「奉天」「お母さんは ?」「遼東半島」「妹のサダ子ちゃんは?」「佐世保」・・・ジョン・ダワーは書くのじゃ:<ここに出てくる地名は、千鶴子が満州から帰国するまでの旅のルートを示 している>と。千鶴子は品川に到着するとすぐに、栄養失調のため病院に収容される のじゃが・・・いま生きていれば66歳じゃのう。わしの両親の世代じゃ。本書には千鶴子の写真も載ってるのじゃが、これがまた見事なオカッパアタマで、眉のキリリとした、なかなか利発&勝気そうなムスメなのじゃ。で、彼女の下げてる骨壷には、 両親の骨と妹の骨がいっしょくたになって入っておったというワケじゃ。 いやいや、これからこの本について、あーだこーだと繰言を述べ続けることになりそ うじゃ。 アメリカ人ジョン・ダワーは、マサチューセッツ工科大学教授なのじゃ。配偶者は日本人なのじゃ。