BOOK BOOK こんにちは  2003.11月

 

このコーナーは、3人の精鋭が日々読んだ本の感想を書いていくものです。

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       アオウ        コマツ       スヤマ

★11月24日(月)更新★★★★★★★★★★

『まれに見るバカ女』(別冊宝島編集部・編 宝島社文庫)辻元清美、福島瑞穂、内田春菊、柳美里、よしもとばなな、香山リカ、菊川怜、RIKACOなどなど…さまざまなフィールドの女性有名人をピックアップして「さあ、みんなでこれでもかと叩きましょう」という内容の本のはずなんですが、おかしいなあ、叩きぶりがどうにもピリッとしないのであった。いかにも叩きやすそうな人ばっかで、また「さあ叩いてください」とばかりに場所が確保されていると、意気込みも空回りしてしまうのか? とりあえず上から見おろして適当に悪口言ってるくらいの感じで、「叩く」気概が感じられないのが残念。けっ、腰抜けどもめ!

『返品のない月曜日』(井狩春男 新風舎文庫)著者は出版社と書店の間にある「取次」(問屋みたいなもの)で働き、「日刊まるすニュース」という手書きの情報新聞を毎日一人で書いてた、伝説の出版業界人。前はちくま文庫で出てた本ですね。本屋、出版社の裏話が満載で楽しい本。また、この本のもととなる単行本版が出たのは1985年のことなので、当時の本の話題が出てくるのもまた懐かしく…(浅田彰とかね〜)。

★11月17日(月)更新★★★★★★★★★★

『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』(近藤史人 講談社)画家・藤田嗣治の評伝。この人についてほとんど何の情報も持っていなかったのだが、ノンフィクションにはちょいとうるさいW氏が推薦して貸してくれたものなので、おもしろいのだろうと確信して読み始めた。オビには「日本近代美術史最大のタブーに挑む傑作評伝」とある。そういえばこの本、電車の中吊り広告で見て気になってたんだよね。オカッパ頭に黒縁丸眼鏡の表紙写真がキュート。彼は日本人ながらに1920年代、モンパルナスを舞台に活躍した画家の一群「エコール・ド・パリ」の一翼を担っていたんだね〜。マン・レイやらヘミングウェイやらとの交流でも有名な、あの伝説のモデル・キキを描いた絵がパリでの出世作になっていたんだね〜。

パリで名を成したものの日本ではその「絵の実力よりも東洋的ルックス&珍しがられ感を利用してのスタンドプレイ」ぶりで毛嫌いされ、第二次世界大戦中は日本に戻ってサクサク戦争画描いてたのが戦後に攻撃される原因になり、最終的にはフランスに帰化することに。君代夫人(5番目の…最後の妻)が初めて全面的に取材協力した本であるため、どうしても日本画壇との確執については嗣治氏を強く擁護する形になっているのだが…。日本画を学んだKさんに藤田嗣治の話題をふってみたところ、「やっぱり確信犯」的な印象を持っているようだった。ま、日本での彼の作品評価が正当なものかどうかはともかく、私はこの本を読んで藤田氏に惹かれるところがあった。ポイントは、日本人が絵を学ぶときにどうしても「日本画」と「洋画」を分けてどっちかを選んで学ばねばならないことに疑問を持った人間である、というところにおいて。ここ、すごく気になる!ま、そもそもちゃんと藤田嗣治の作品を見てみなくちゃね。

『酒池肉林』(井波律子 講談社学芸文庫)先週読んだ『満漢全席』のノリを受けて、本棚からこの本を抜いた。「酒池肉林」の意味はみなさん、おわかりですね?中国人のゴージャス好きったら生まれつきなのか知らないが、王様は紀元前の昔から飲めや歌えやの最上級を極めることに力を注いでいたようです。酒で満たした池を作り、木に肉をぶら下げて肉の林を作り、裸の男女を野に放って大暴れするのを鑑賞しながらの宴会。これが「酒池肉林」の基本である。ほえ〜。本書ではアホらしいほどの巨大建築、美食&巨食、美女を集めてなんだかんだ、娯楽としての大量殺人…などの歴史的贅沢三昧を洗っていく趣向。酒を飲んでる時はおとなしい性格なのに、醒めると凶暴になって人の血を見たくてたまらなくなる王様とか…おもろエピソード満載。

『2分間ミステリ』(ドナルド・J・ソボル ハヤカワミステリ文庫)2ページくらいのストーリーを読んで解く推理クイズ(2分以内に解けってことね)。この手の本、読み慣れてるせいか正答率9割で読み進んでおり、ちょっと歯ごたえナシですが。この作者、どっかで聞いた名前だなあと思ったら「少年探偵ブラウン」(偕成社文庫で5巻まで出てるロングセラー)の人ではあ〜りませんか! 

『水の中のふたつの月』(乃南アサ 文春文庫)途中まではまあまあ良かったけど。…ラストがピリッとしないんだよなあ。最近「衝撃の結末」って言葉は大安売りだね。3分の2くらい読んだら結末わかっちゃったけど。「心理サスペンス」という言葉も安い、安いぜ! ミステリーっぽい雰囲気あるけどミステリーというほどの仕掛けは用意されてなくて、論理的にツッこむとボロが出ちゃうんだけど、「あなたの側にもいるかもしれないちょっとだけ壊れた人間」が出てくる小説を語るのに便利なのね〜、今や。

★11月10日(月)更新★★★★★★★★★★

『ビッビ・ボッケンのふしぎ図書館』ヨースタイン・ゴルデルの本(正確には共著ですが)って読んだの初めて。けっこう面白かった。面白さの半分は「図書館」が話のテーマになってるせいのような気もするが…。いとこ同士のニルスとベーリットが交換日記を始めたはいいけれど、なんだか身の回りをあやしげな女性ビッビ・ボッケンがウロウロする。2人は負けじと逆にこの女性の正体を探ろうとするという、ミステリー仕立て。出版の歴史、図書館の分類方になどの知識がさりげなく織りこまれていて「なんかマニアックな本だなあ」と思ってたら、この本、スウェーデンで「図書年」を記念して出版された本だとか。しかも、国中の12才の子ども全員に贈ることを想定して、執筆を依頼されたものだという。国がこんな洒落た小説を依頼して子どもに配るのか! イキなことするねえ〜。リンドグレーンもちらっと出てきます。友情出演って感じで。

『中華料理小説 満漢全席』(南條竹則、集英社文庫)。タイトル作は著者の体験を元にしたフィクション。主人公(=著者)は英文学者。大学で英文法教えたり翻訳やったりが本業なのだが、ある目的のために小説ででっかい賞金を狙い始める。その目的とは、清朝宮廷で西太后が三日三晩かけて食べたという究極の中華料理フルコース「満漢全席」を食べる…ということなのである。結果、小説は見事に入賞。ただし次席だったので、予算(賞金)は半分の250万になってしまったが。主人公は知人&友人40人をひきつれて、中国に出発。さすがに三日三晩食いっぱなしは無理なので、料理人と相談した結果「1日三食コース」となるのです。しかし、ホントになんでも食べるのね、中国人って。有名な熊の掌、燕の窩、魚の脳みそ(1匹からどれくらい取れるんだ?)、駱駝の瘤? 十年生きた泥亀と山鳥のスープ。鹿の尾と家鴨の舌の煮込み。ゾウに似た珍獣・四不像の「鼻」。1日がかりで食べた120以上のメニューで珍しい素材はほぼ網羅され、足りないのは山猫の子と穿山甲くらいだったそうだ。次々出てくる料理の説明を読んでるだけでも、壮大なファンタジーのようでうっとりするが、実は予算の都合で4つのテーブルに公平なメニューが出てなかったというリアルエピソードも。1、2卓にはフカヒレの姿煮が運ばれてるのに、3、4卓ではフカヒレのスープになってるとかでモメたりしてね。この本には、他にもいくつかの料理にちなんだ短編がおさめられている。麺に憑かれた男が主人公の「麺妖」を読んでいると、“我々”のスヤマ氏とかカワダ氏の顔が勝手に浮かんでくるのであった…。

『見えない都市』(イタロ・カルヴィーノ 河出文庫)を読み始める。マルコ・ポーロがさまざまな都市(空想上の)についての報告…という形をとった幻想小説。ひとつひとつの「報告」は2〜3ページと短く、詩のようだ。はじめのうちは夢見るようなおとぎ話タッチなところもあるのだが、彼の報告する「都市」の姿はどんどんヘンテコになっていく。ときどき挟まれる、彼が報告をする相手であるフビライ汗との対話も、物語の緊張感を高めていく。3分の2ほど読んだところ。1972年に書かれたこの書、単に都市文明批判を含んでる…云々以上の何かが結末に待っている、と思いながら続きを読もう。

★11月3日(月)更新★★★★★★★★★★

 先週、「児童書を20冊ばかり読む予定」などと書いておきながらまだ全然読んでない。『ビッビ・ボッケンのふしぎ図書館』(ヨースタイン・ゴルデル&クラウス・ハーゲルック NHK出版)をある日持ち歩いてみたものの、電車の中ではぐうぐう寝てしまって1行も読めなかった。ふがいなし。ライブが終わったら、読むぞ。読まざなるまい。

 そんな折り、W氏からマンガ袋(今回は段ボール箱でなく袋)が届いた。うれしい。新刊が出るたびに借りている、連続ものの最新刊たちがたくさん。とくに『ペット』『ジャイアント』の最新刊が楽しみだ。ある明け方。なにかマンガを読みながら入眠したいなーと思って、袋に手をつっこみ手探りで一冊つかみだした。『カンナさーん』5巻(深谷かほる)であった。寝ながらマンガ読むって楽しいなあ。あ、『のだめカンタービレ』の最新刊も読んだよ。

 今回、袋を開けてみて「おお!」と思ったのが「矢口高雄自然シリーズ」と銘打たれた文庫群である。矢口高雄っていうのは『釣りキチ三平』の作者ね。ちなみに私、『釣りキチ〜』って過去には興味なかったんだけど、近年なぜか「絵がいいし、ちゃんと読みたいなあ」と気になりはじめていたので。『羆嵐』(上中下)『イワナの恩返し』『幻の怪蛇 バチヘビ』『ムササビの復讐』の4タイトル。こういうのは寝ながらじゃなく、もうちょっと本気態勢でじっくり読みたい。袋の中にはマンガのほかに、チェブラーシカの四角い缶が2個入っていた。ひとつは9V電池入れ(チューナーやコンパクトエフェクターを使う人以外にはあまり縁のなさそうな電池かも)にしよう!

 コンビニで「BE LOVE」連載中の、『生徒諸君!』の続編(人気があるんだかないんだか今ひとつ世評のつかめない…)を読もうとしたら、あれまぁ、またも新たなるリバイバル作品が! 石塚夢見の『ピアニッシモでささやいて』の続編がスタート、とのことである。このマンガはリアルタイムではちゃんと読んでなかったものの、3〜4年前にやんわりと音楽マンガを収集する気分になって古本屋で買い集めていた。最近文庫で復刊していたけど売れ行きがよかったのかな? マンガとしてすごくおもしろいとは言いかねるが…。主人公の女の子が高校卒業後、シンガーソングライターとしてデビューして、陰謀渦巻く芸能界の濁流の中でふんばったり、敏腕プロデューサーと恋をしたりしなかったりしながら、実力派として成り上がっていく話です。主人公のやってる音楽は、中島みゆきあたりを想像させますね。

★11月24日(月)更新★★★★★★★★★★

前回、プロレス暴露本のことを書いたけど、今週、都内某所で新しいプロレス暴露本の出版記念イベントがあるという情報をゲットした。いかねば・・・。なかなか他人に心を許せぬオレだが、プロレス者たちの中にまぎれていると物凄く幸せ。ウフ。最近ヤニくさいと評判でもあるオレは、もちろんタバコが大好き。そしてこの世でオレが最も安心できる場所は、ズバリ!後楽園ホールの喫煙コーナー(というかトイレの前あたりでたぶん灰皿はない)の雑踏のなか、です。ここはいーよー!どんな温泉よりもまったりゆったり気持ちいいのである。これも前回に書いた、とがしくんの本の一節「キャバクラ好きに悪い奴はいない」。同様な気持ちをタバコ好き、プロレス好きに持ってしまうオレです。JRの片隅に押しやられた喫煙コーナーに集うとき(べつに集ってるワケではないが)なんだか『連帯』なんて言葉を思い浮かべてしまうんだよねー。このタバコやプロレスに代表される感覚をオレは「B」と呼んでいる。そう、オレの最近の好む傾向はその言葉からイメージを敷衍した延長線上にあるなー。まあそんなことどうでもいいんだけどさ。『さすらい』小林旭(新潮社)を読みました。アキラ好きでさ。カッコイイからさー。で、アキラの自伝なんだけど、やっぱアキラ、ホントに強かったって事がわかってスゲー嬉しかった。中1ですでに近県に敵なしの柔道少年で、あの激しい日活アクションでほぼ完璧にスタントなしだったのだ!なんだかエピソードがいちいち狂っててもー笑っちゃうんだけど、一番ヒデー(笑)のが戦争映画に出演したときの話。アチコチに火薬玉を埋めた地雷原みたいな場所を進むシーンの撮影があった。ヨーイ、スタートで一発目が爆発した瞬間に噴煙で、あらかじめ付けてあった目印がまったく見えなくなった。運悪くエキストラの俳優がそれを踏んでしまい、あせった火薬係もスイッチオン(笑)。なんとエキストラの太腿は吹っ飛んでしまった!火薬係は自分のしでかしたことのショックで茫然自失。もちろん仕事なんかできるワケがない。そこでわれらがアキラはどうしたか(笑)?火薬係の代わりに自ら火薬を調合し、自分で埋めて歩いて(笑)撮影続行したのだそうだ。やっぱりアキラはアキラ。ヒーローってのはこうでなくちゃ!

★11月17日(月)更新★★★★★★★★★★

『日本人の発想、日本人の表現』(森田良行・中公新書)ニホンゴの表現の形式のなかにニホン人の特質がある、と述べている本だった。まさしくそんなかんじはしたのだが、本としてイマイチ面白くなかったのだ。テーマとしては好きな部類なのだが、著者が面白くない人なのか?そいつは困るぜ。『日本語誤用慣用小辞典<続>』(国広哲弥・講談社現代新書)ややタメになった。「たちずさむ」という言葉はなかったのか?なんだかオレあるような気がしてたような・・・。でもやっぱり前記の本と似た感想を持った。もっと気の利いた人間になってくれ。たのむよ。『『奇譚』クラブの人々』(北原童夢/早乙女宏美・河出文庫)よい!面白いし、文章に愛を感じた。べつにベタベタしてるワケではない。なんか伝えようとしてる内容に喜びや悲しみやいろんな感情やらなにやらがちゃんとフツーに内包されているのだ。べつにムツカシイ本だって関係ないよねー。難解だって面白い本はいっぱいある。ていうか、それがフツー。じゃないと読まないよ、人は。偶然だが『奇譚〜』を読んでる頃、仕事場で切腹マニアのおじいさんと知り合った。大阪の人だが所用で来京したそうだ。べつに『奇譚〜』の話をしたワケでもないのに、著者の早乙女氏と懇意である、といきなり言う。ほんの少しだけ、ホー、と思った。『暴露 UWF15年目の予言』(ターザン山本・世界文化社)本を読んでるとき、特にプロレス本を読んでるときに電話かけてくるのはホントやめてほしい(笑)。もう読みながら電話でてるから、相手が何しゃべってんだかさっぱりわかんないし(笑)。普段は部屋にいるときは大体音量0にしてるんだけど、この時はたまたまね。やっぱ、前田日明は変わってる。タイガーマスク佐山聡もすごーく変わってる。思えば一流のレスラーは皆、変人ばかりだ。前にプロレス仲間と『プロレスラーは哲学者、プロレス雑誌こそ「週刊哲学」だ!』と盛り上がったことがあったが、あながち冗談ではない。例えば常套句としてよく使われる「哲学」がある。「ジャイアント馬場には哲学がある」と言うような使い方。オレはこの「哲学」と純粋学問としての「哲学」はきっと同じ筈だと思うなあ。いや同じじゃなきゃウソでしょう。その二つを結ぶ鍵はたぶん身体性(のナニナニ)じゃないかなと思う。あー面倒くさくなってきました(笑)。まあ、とにかくプロレスはすごくすごくエキサイティングな現場で、しかもエンターテインメントが有るのでございます!しかも役に立つ。元気になるよ。あ、そういえば「日本語誤用〜」の著者はエンターテイのイは小さいィではない、とか書いてたな(笑)。違ったかなー。

★11月10日(月)更新★★★★★★★★★★

イヤー、ひさびさの登場で申し訳ない! 約1ヶ月のご無沙汰ですが、おかげ様で、「日本ロックフェスティバル 秋祭り」、我々レコーディング、温室夜市場、友人の結婚式、その他モロモロみな無事に終わりまして、やっと身も心もグッタリしております。マッサージにも行った。

本当に忙しいと、やっぱなかなか読書はムツカシイものだ、とはじめて知りました。もう忘れつつありますが、どんな暮らしぶりだったか、と言うと、日中は仕事、そしてその休憩時間を利用してビラを作り、いろんなSHOPに置いて廻る、仕事が終わってから深夜まで人の起きている時間帯は、ともかく誰か(?)に電話をかけまくらねばならん。急を要するのです。そして深夜過ぎから、曲に詞ををつけたり、色々な事を考えたり、決めたり、準備したり、やったりせなばならんような状況でしたナー。そして朝。仮眠して仕事。もう目の前の「ソレひとつ」をクリアーしていくのでせいいっぱい。時間はまさしく「ない」のだ、と知りました。もー、ビックリ!!

ただし、こんな状況でも読める本(というより逃げこむ本)というのはありまして、その時期にポツポツ眺めてたのが『新聞錦絵の世界』(高橋克彦、角川文庫ソフィア)。素敵! 現在もこういうの描く人がいて、掲載されてたら、オレ絶対その新聞を購読するけど。いまいろんな猟奇的事件が多いから、題材には事欠かないしねー。

書名はメモってないのですが、沼正三(ヤプー書いた人)が実名で書いてるエッセイとか、ポルノ小説の類(面白いのなかった!)、そして「週刊ゴング」「週刊プロレス」も読んでました。これらは何も考えずボンヤリとオレをなごませてくれる魔法の妙薬なのです。柄にもなく「おふろたび」「自遊人 温泉図鑑2004」などの温泉雑誌もめくりました。オレらしくない事この上ない(笑)。オレは旅が嫌いで、生涯これまでに一度しか温泉に行ったことのない無粋ものなのです。

その他、自室内で先月オレが棲息していた辺りを探索してみると、『東光毒舌経 おれも浮世がいやになったよ』(今東光、未来書房)『還暦老人極楽蜻蛉』(山口瞳、新潮社)『古井由吉自選短篇集 木犀の日』(古井由吉、講談社文芸文庫)など男臭く、実にジジむさいものばかりが転がり出てきました。東光和尚は、坊主のクセして殺人犯なんか公開死刑しちまえ、とのたまうし、由吉も、歯痛から出社拒否し、女房と別れ女のヒモになる男の話が面白かったけどナンダカ酷かった。古井由吉って、ちょっと風貌も悪魔っぽいですよね。なんだろ?すげーググッとひっぱられるような感じを読んでて受ける瞬間があるんだよなあ。危ないよ。そして山口瞳。すっかりジイさんになって国立の駅から自分ちまで帰る途中で、お店で休まねば帰れんようになってます。時は平成元年。ついこないだのようですが、15年前です。舞台はほぼ国立。近所のお寿司屋さんや飲み屋の主人と遊んでばかりおり、ほぼ国立から出ない印象。そこがいい。実にいい!日々に倦み、疲れ、くたびれきったオレにはまさに極楽!VIVA国立!ホントにそんなにステキなとこなのかいっぺん見に行かなきゃならん。金はないけど。そして、コレらの本は間違いなくオレの「癒し本」なのでした。

古い友人のマンガ家とがしやすたか君のエッセイ『男のいろは 第一集』(講談社)も読みました。我々ファン(いるのか?)の方はご存じだと思いますが、1stアルバム「SONIC COMIC LOC」の歌詞カードに見開きで素敵なマンガを描きおろしてくれたナイスガイです。主にキャバクラで学んだと思われる「男のいろは」を開陳しているのですが、実に素晴らしい!「エロ本を大事にする男は女も大切にする」「キャバクラで夢を語る男は出世しない」「キャバクラ好きに悪い奴はいない」「一回目は本気出さない女がいるということを忘れるな」「キャバクラで恋のアドバイスをする男はおめでたいですか?」「先っぽを入れるまで信じてはいけない」「キャバクラの仇をフーゾクで討つ」「我払う故に我在り」「大人になってわかる味もある」(ホルモンとかこはだとか)「オヤジはオヤジと呼ばれない」「やってからキライになりたい」等々。男気あふれる、とはまさにこの男のことでしょう(笑)。とがし君のファンに女の人がいるかどうかがいまモーレツに知りたい!! もし存在するとしたら、その人はものすごーくいい女か、何か根本的に間違ってるかどっちかだ、と思うよ(笑)。

★11月24日(月)更新★★★★★★★★★★

久し振りに、大学時代の恩師であるA先生にお会いした。新宿のビストロでコート・デュ・ローヌ産のルージュでグラスを重ねながら語り合ったのは、一昨年13巻をもって完結した、集英社版『失われた時を求めて』の日本語訳のこと。そして、谷崎の仏語訳のこと。ガリマール社の文学叢書“プレイヤード”に初めて、そして唯一とりあげられた日本人作家が他ならぬタニザキなのであり、前述の集英社版プルーストが底本として訳出したのがプレイヤード版のテクストであった、という事情もあって、A先生はタニザキの仏訳とプルーストの和訳を比較しながら、新宿の宵をわしと過ごしてくれたのであった。のみならず、A先生は同人誌「現代文学」にて、タニザキとプルーストの仏・日訳文テクストの比較もなさっておられる。谷崎のテクストとしてえらばれたのは『吉野葛』。読みましたか皆さん、谷崎のこの作品を。わしは彼の最高傑作はコレと『盲目物語』『蘆刈』だと思っておる。

さて、『パリ写真の世紀』だが、遂にすべてを読了してしまった。ああ淋しい。この本とはいつまでも、浴室読書をともにしていたかったのに。さあ、ついのバスタイム・ブックを見つくろわなくっちゃ。あるていど厚い本。もちあるくのが重すぎて困る本! とりあえず『アーレント=ハイデガー往復書簡集』(みすず書房)を持ち込むことにしたんだけど、ハイデガーおじさんが教え子ハンナをなんとか籠絡しようとしてレトリックを駆使しまくつ文飾のアヤにつき合ってるだけで、お風呂の中だとリラックスできなくて困ってしまっています。でもそろそろナチスが台頭してきて、ユダヤ系のハンナとゲルマンおじさんマルチンの間に亀裂〜そして再会というような陰影が生じはじめていて、恋文の単なるやりとりだけではなくなってきているから、徐々にキンチョー感をもって読みすすんでいけそう。あと、安岡章太郎『私の墨東綺譚』も読んでいます。『パサージュ論』はボードレールの章。

★11月17日(月)更新★★★★★★★★★★

前々回、とりあげておきながらタイトルを失念していた本。その名は:''INSIDE HITLER'S GREECE'' , Mark Mazower, Yale University Press 1995 であった。引き 続き、読んでおります。1941年、アテネ。ナチス侵攻〜占領〜物資占有と、イギ リスによって対枢軸作戦として行われていた海路閉鎖による食料輸入経路の分断によ り、飢餓状態はその極に達していた。前年の1万4000人の餓死者は、この年4万 9000人と、急激に増加した。腹減らして死ぬのって、やだろうなー。腹減るだけ ならまだしも、変な斑点が出たり、骨がぐずぐずになったり、風邪ひいて治んなくて すごく苦しかったりするんだよ・・・。(しかもこの年、アテネは記録的に寒かった らしい。)死体は埋めるそばからバタバタ死んでいくんで、墓地が不足し、ボロ布に くるまれて何体もいっしょくたに埋葬されていった。イギリスの海上閉鎖がようやく 解かれ、食料は42年あたりから徐々にアテネ市内に行き渡るようになるんだが、一 方、エーゲ海の島々ではどうだったか? 食料調達はとってもキビシかった。乾燥した、痩せて農耕には適さない土地。3分の1は魚釣りで、3分の2はアテネからの輸 送でまかなっていたのに、ナチス当局は「釣りしちゃダメ」と言うし、「運んじゃダ メ」というので、食い物まったくなくなってしまったという。先週、とある病院の チャリティー・コンサートでジュディ・オングの『魅せられて』を演ったのだが、あ の歌で出てくる「wind is blowing from the Aegean 〜」という一節にさしかかるた び,ココロが揺れたものだった。エーゲ海で「好きな男に抱かれながら違う男の夢を 見る」エロエロ婦人を題材にした『魅せられて』の世界と、1940年代のエーゲ海の惨状。すごいコントラストだ。もちろん、ジュディ・オングにも、コレを作詩したなかにし礼(だったか?)にも罪はないにきまってる。ただ、蒼き空とブドウ酒色の海に囲まれた島々にも、ファシズムとの確執は避けられなかったのである。

 つけめん屋。高田馬場「べんてん」で順番を待ちながら、『シラクのフランス』を読みすすめる。フランスの政治体制って、ホントにエリート主導なんだね。ものすごくアタマのいい人たちだけがリーダーになれる。だがしかし、エリート臭がフンプンたる政治家は大衆にウケない(ああ何て分かりやすい)。で、たまに昨年みたいに、極右で通ってるル・ペン氏などが大統領候補2名のうち1名(もう1人はシラク氏)に選ばれたりしちゃう(もうエリートは嫌なの。ちょっとイカレてるけど、「人種間で能力差があるのはあたり前」とか平気で言っちゃう無神経さはどうかと思うけど、けど実際、移民のせいでこれからフランスの失業率ドンドン上がっちゃうし治安悪くなりそうだし、でやっぱりエリート政治家は権力争いばかり党派のあいだでやってばかりいるし。え〜い、いっそ赤尾敏みたいなジャン=マリ・ル・ペンにでも投票してしまえー」…というワケで、元・大学教授で〈マジメさ〉がウリのリオネル・ジョスパン(社会党)は候補から落選してしまう。大統領ったらああた、核ミサイルのボタン握ってる人なのよ。あらダメよフランス人。「あ、そうか、しまった」と思って、自分が招いた選挙結果がサスガにヤバイと思ったか、慌てて“ル・ペンなんて嫌”の大抗議デモをあちこちで始める。まあ、こういう極端な分かりやすさ=中庸を許さない姿勢こそが、彼らの理性の明晰性なのだろうな。「アッ、コレ、キライ、コレ、スキ。アッ、デモ、ヤッパリコレ、キライニナッタ。コンドハ、コッチ」ぴったりどっちかにしなけりゃ気の済まない、そういう人達にアイロニーの愛の手を。

 

★11月10日(月)更新★★★★★★★★★★

「われわれは本書では、前世紀のキッチュを目覚めさせ「集合」させる、一種の目覚まし時計を設計したいと思う。」…これだ。とピンときて、ページの端に印をつける。『パサージュ論』は第2巻目を読んでおります。先日、4巻目が文庫で出たので、すかさず購入。読めば読むほど、なんでこんなもん、ワシは読んでいるのだろう、という疑念に襲われている。ひたすら断片の羅列。ときには「なぜこんな断章まで? パサージュとなんのカンケイがあるの?」というモノが出てくる。ヒトは、一冊の本を著すとき、このようにイチイチ、データを書き抜いてノートしたり…するんだろうなぁ、モノ書きのヒトは。…2巻目の最初の章は「蒐集家」である。いままで読んできて、この章からは急に、ベンヤミン自身の手になる断章が増えてくることに気附く。資料の抜き書きが延々とつづいた第1巻のあとに、いきなり「蒐集家」の章。そうか、第1巻は資料の「蒐集」だったというワケね。

しかし、この「蒐集家」なる章には、次のようなフレーズが:「蒐集する者のもっとも秘められた動機は、おそらくこう表現することができるだろう。つまり、彼は分散に抵抗する戦いを引き受けるのだ、と。」さて、バンド“我々”は、一面で、この「蒐集家」の側面を持ってはいないでしょうか? いろんなトコロから、いろんなヒトを集めてくるでしょ。また、“特にオレたちのやりたい音楽はコレ”とかいう、こだわり=意固地もないでしょ。「大蒐集家はもともとは、事物がこの世界の中で混乱した状態や分散した状態にあることに感銘を受けているものである」…コレは『パサージュ論』という(書物以前の)書物を端的に形容した一文である。とともに、このフレーズを引用することでバンド“我々”のソンザイ様式を解明するヒントのひとつとなるのではなかろうか。ネスパ?

 さて、もう一冊、毎度おなじみ『パリ写真の世紀』だが、このあいだ仕事の都合で著者今橋映子さんにお会いしてお話を伺った。なんと、すべて著作活動は手書きで行っていると仰る。すると、この注や索引なども含めて600ページに余る大著、いや、それ以前に出版された大部な書物の数々も…。その手稿をぜひこの眼で拝見したいものだ。

 この本ももうすぐ読了します。カルティエ=ブレッソンの章を読みました。「決定的瞬間」の写真家というのはウソで、ホントは〈もぐりで/逃げ腰で/不意打ちで 撮る写真家〉という訳語が“正しい”そうです。…読み終わりたくない本というのがあれば、この本などはマサにそういう類の、いつまでも読んでいたい本。このあいだシゴトで行った大阪の仏文学会でドアノーの写真集を洋書屋さんが販売していたので、業者ヅラして「2割引きなんでしょ?学会割引きで」と詰め寄って安くしてもらって買っちゃった。読み終わったらこの写真集を眺めて酒を呑もうと思う。

 次回予告:『シラクのフランス』(軍司泰史、岩波新書)。これは面白い! まだ半分しか読んでないので次週に回すが、ひさびさに買った岩波新書の新刊で、こんなに楽しめちゃうなんてオトク! やつらがヒョーボーしてる“個人主義”がどういうモノなのか、すこし判った気がする。なにしろストライキウツのだって、いっせいにやるのでなくて“各労組すこしずつ、個々に”なのだし、べつにやらない人もいるんだけど、結局“個々”があつまりふくれあがり、パリは1995年に三週間、すべての交通・郵便・銀行業務は機能停止してしまうに至る。そしてスト解除も“個々にすこしずつ、やめたくなったらやめる”というみんなバラバラなカンジ。あたしの会社の労組も随分ストやってないけど、そろそろやってみたいな。明らかに時代錯誤に、シュプレヒコールとか気勢あげて。1995年パリ。バスもメトロも来ないから、みんなヒッチハイクで通勤したそうな。「マドレーヌ広場」とか「オペラ座」とか書かれた紙を両手に掲げながら。(で、車で通勤してる人はちゃんと乗せてあげてたそうな。個として自主的に?)

★11月3日(月)更新★★★★★★★★★★

“……”タイトルを忘れてしまった! ナチスがギリシァを第2次大戦中にどのように占領したかを書いた本を読んでいるのだが。どうでもいいと思ったんだな、ヒットラーはギリシアのことなど。「オレが欲しいのはソビエトなんだよね。でもイタリアがギリシア領内に侵攻してるでしょ。まわりの連中が「総統、ヤバイっすよ」ってうるさいから、ついでに占領しちゃおうかなっ」…でブン取られてしまった哀れなギリシア。“どうでもいい”って思われていたが故に、食糧備給をないがしろにされ、キチンとした占領政策も施されず、だけど資源と農作物はナチスとイタリアの二大枢軸にいいように搾取され、首都アテネを筆頭にギリシアはすさまじい飢餓状況下にひき込まれる。どうやらナチス占領下でギリシアは最も食糧事情がヒドかったということで。19世紀の終わりくらいには、けっこうギリシアは調子よくやってたんだけれども、トルコにこっぴどく第1次大戦でやられてからはイッキに疲れていってしまうのね。(この時代に書かれた詩作品には大変退嬰的でブライで良いモノが多いんだけども。)国王はアホで自分の都合にあった宰相しかバッテキしないので、結局ホイホイ占領されちゃうことになってしまうわけだ。アンゲロプロスの映画を想起してみても分かります…あの暗さ。オデュッセイアのように、還る土地を探していつまでも彷徨するしかない人々。しかし来年、アテネではオリンピックをやるのよね。とっても心配だけど…ギリシアはこれからも“悲しみ”の国であってほしいから、オリンピックで経済大成長などしていただかなくてもいいからね…。

 タイトル忘れちゃってるこの本、やっぱりすごく厚くって、いつ読み終わるか全くケイトウがつかん。たぶん来年の夏、オリンピックが始まるまでには、なんとか読了したい。