BOOK BOOK こんにちは  2002.12月

我々はもしかして東京でいちばん読書量の多いバンドなのでは?

このコーナーは、3人の精鋭が日々読んだ本の感想を書いていくものです。

   ほかの月を読む→ 2002.8〜9月 10月 11月  →top

       アオウ        コマツ       スヤマ

★12月30日(月)更新★★★★★★★★★★

ひさびさに本屋をのぞいたら『日本小国民文庫 世界名作選 (一)(二)』(山本有三・編 新潮文庫)が文庫になってて驚いた。一巻には『点子ちゃんとアントン』のほか、キプリング、アナトール・フランス、フィリップ、トルストイなどを収録。目次を見ると、武井武雄のマンガも載ってる。112ページ、112ページと…ない? おお、なんとダイナミックな落丁!65ページから128ページまでがっさり抜け落ちておるぞよ。その代わりに129ページから192ページまでが2つ入っとるぞ! ただちに取っ替えよ、新潮社……って、年始まで待つのか。はー。

『日本の大量殺人総覧』(村野薫・新潮社)を購入。本書では5人以上を大量殺人としております。一件ごとの事件にはそう詳しくないが、戦後の大量殺人を網羅しているという意味で、事典的に便利かな。

『漬物と日本人』(小川敏男・NHKブックス)め、めしが食いたい……。だれか…めしを…。

『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の17年』(奥野修司・文春文庫)沖縄で起こった赤ちゃん取り違え事件を追ったノンフィクション。子どもは女の子。6歳の時に血液型の検査をしたことで、取り違えが判明。双方の親はこれまで育ててきた子を手放したくないと思いつつも、家族ぐるみで面会。家族どうしで交流し、お互いの子がなじんできたところで子どもを交換することになるが…6歳にもなってしまっているから、ことはかなり厄介。交換してからも、週末には「育ての親」のところに返すというパターンをとらざるを得なくなる。そして何年かがたつうちに、片方の子はちょくちょくバスに乗って勝手に育った親の元へ帰ってしまうようになる。もう片方は、週末に育ての親のところへ帰る習慣をやめるようになる。そう、つまり片方の家が二人の娘を手に入れてしまう形になってしまうのだ。

両家の親は、かつて同じような取り違え事件で子どもを交換したことのある人と面会する。その人の場合、子どもは9歳にもなっていたそうだが、育った環境がかたや東京、かたや田舎の山奥…とまるで違い、交換した子ども(男の子たち)は「元の家には帰りたくない」と、親が拍子ぬけするほどすばやくなじんでしまったそうである。ケースバイケースなんだなあ。もちろん互いの家庭環境なども大きく関わるし。しかし、子どもにとっちゃあ迷惑な話。取り違えミスをした病院側が、1か月ほどで「早く子どもをとっかえろ」とせっつく様子には、解決をあせるあまりとはいえ呆れるばかり。

仕事の合間をぬって掃除、その合間をぬってマンガ読み。

『だけど愛がある』『青春をぶっとばせ』(上野 愛・集英社マーガレットコミックス)短編で、とってもじゅんじょーな恋をじっくり描くさまに好感。まあまあおもしろい。絵を見てると、いろんなマーガレット出身のマンガ家が思い浮かんでくる、よくも悪くも純血マーガレット種なのねー。

『明日はどっちだ』(椎名軽穂・集英社マーガレットコミックス)ホントだ。前に読んだのよりおもしろい。『アナログアパート』って1冊目の単行本だったのね。たぶん最新刊の本書は、短編1作ごとにシチュエーションがなかなか細かく工夫されてて、楽しめた。

『ホーム』全2巻(上田倫子・集英社マーガレットコミックス)舞台は17世紀。スペインの町に日本の使節団がやってきて=スペイン娘と武士の恋。うーん、今どきのマーガレットに珍しい設定ですな。意外や、かなりおもしろかった。

『go on baby!』『しじみちゃんファイト一発』(片岡吉乃・集英社マーガレットコミックス)ネームがおもしろい! 放課後、追試で知らない同士の5人がひとつの教室で過ごす1時間だけを描いた「あそびじゃないんだ」という短編が妙におもしろかった。ちなみに、恋が生まれるわけでもない、ホントに何があるでもない話なんだけど。長編も読んでみたくなるなあ。

『ラブ★コン』3巻〜連載中(中原アヤ・集英社マーガレットコミックス)別マを立ち読みする時、どうもひっかかってこないマンガだったのだが、1巻から読んでみたらおもしろかった。でっかい女とちっこい男…という組み合わせはさして珍しくはないけど、お互いに気が合うことを認識しつつも「こんなんじゃダメだ。背のでっかい(ちっこい)理想の相手を見つけないと!」と奔走するいろいろが、読ませる。って、あたしゃ、マンガスクールの審査員か?

★12月23日(月)更新★★★★★★★★★★

風呂で『群像』のバックナンバーを読んでいた。文芸誌を読む目的のひとつは、読んだことのない作家の作品を読むこと。『萩の餅』という短編小説を載せている飯田章という作家を、私は知らなかった。雑誌の表紙に名前が載るわけではない、そんな作家。

主人公は、生計を立てられるほどもうかってない小説家。稼ぎ頭だった妻は65歳で病院を退職し、最近生涯学習に励みはじめた。寝室は別になった。いっしょに墓参りに行ってくれなくなった。主人公はひとりで墓参りに行く。ぼた餅を買って帰ると、妻も買ってあるという。いっしょに食べ始めるが、妻は自分の買った分は自分で食べるのだと言いはり、2人は向かいあってそれぞれの買ったぼた餅を食べる・・・と、こんな内容。

ああ、まだこういう私小説を書いてる人が…しかも有名でなく、でも年季は入ってそうな人がいるのだなあという驚き。そしてそれ【有名でなく、でも年季は入ってそうな作家の地味な短編私小説】を載せるスペースが、まだこの世にあるのだなあという驚き。でも、いつまでも地味にあってほしいような・・・。応援の言葉は似合わない。そんな言葉を口にしたら、一瞬にして崩れてしまいそうな、こっそりとした小説たちよ。「かわいい」とは現在使われておるようにどこか華やかなものを形容するのでなく、こういう地味〜なもののためにある言葉かもしれない、と思ったりして。

 

『少年少女』(福島聡・エンターブレイン)1巻

コミックビームに連載の短編連作シリーズ。絵も話の雰囲気もノスタル爺ックになりすぎる一歩手前でふんばってるところがいい。タイプは全然ちがうんだけど感じるところとしては、大友克弘の古い短編のよさに似てなくもない。

『The MANZAI』(あさのあつこ・岩崎書店)

あさのあつこらしい、ノリのよい作品。ストーリーの中にさりげなく「“普通”って何なんだ?」というテーマがおりこまれているのもきいてる。中学生が文化祭のステージで漫才を披露するクライマックス…この漫才がもっとおもしろかったらなあ! あさのあつこといえば、『バッテリー』の4冊目が出てからずいぶんたつなあ。不穏な感じでひっぱられてるんで、続きが早く読みたいのだが。

『ベイビーポップ』(小川彌生・講談社KC KISS)全2巻

中学生の美少女と、遊び人風カメラマンの継父が二人暮らし・・・とベタな設定。意外とおもしろかった。安野モヨコにちっと似てる気がするが、好き。そういや、安野モヨコが楽しめない理由を見極めねばと棚上げしたまま時はすぎていくな・・・。ところで、今連載中の『きみはペット』よりも絵がキレイみたい?

『アナログアパート』(椎名軽穂・集英社マーガレットコミックス)短篇集。つまんなかった。そもそもボロアパートのことをアナログアパートっていうセンスが哀しい。

★12月16日(月)更新★★★★★★★★★★

『路地』(三木卓・講談社文芸文庫)

鎌倉を舞台にした連作をまとめた短編集。三木卓は小説家であり詩人でもあるが、児童文学、翻訳も手がけている。私が初めて三木卓の本を読んだのは9歳のときだ。たった3人しかいないイトコのうちのひとり、当時大学生のきーくんが買ってくれた『星のカンタータ』(角川文庫・たぶん絶版)。きーくんは理系にすすんだ文学青年であった。『星のカンタータ』は寓話のようでもあり、ちょっとSFっぽくもある不思議な物語でとても気に入った。因みに、きーくんは現在名古屋で本屋を営んでいる。万引きが多くて大変らしいです。何年か前、だれかの葬式で会ったとき、ドストエフスキーの話をしたっけ。

三木卓といえば今年、岩波から出た『わが青春の詩人たち』が読みたいわーん。

『カルチュラル・スタディーズ入門』(上野俊哉・毛利嘉孝/ちくま新書)を再読。「日常生活の問題を研究対象とするカルチュラル・スタディーズは、理論と実践とをつなぐ運動である。サブカルチャー、メディア、ジェンダー、エスニシティ・・・などの研究を通じて、カルチュラル・スタディーズが目指しているものは何か。体制的なものと反体制的なもの、権威の中心と外側、といった二項対立を突き崩しながら文化と政治の関係を考える、最も新しい理論/実践を始めるための入門書」(見返しより引用)。

思えば中学生ごろから、びっちゃりとサブカルチャーに浸ってきたが、今年突然に、サブカルチャーの呪縛から逃れたことを自覚した。〈サブカルチャー〉から、というよりは〈サブカルチャー的なものの考え方・とらえ方〉から脱却したのだ。ああ、私は自由になった!この感覚をより有益に活用するための考察の手がかりとして買った本。バスケ用語でいえばマンツーマンからオールコートになった…そんな気分。

『編集室』(ロジェ・グルニエ 白水社Uブックス)須山氏経由で、安く購入させていただいた本。最近のUブックスの充実ぶりはすごいねー。これは著者が新聞記者時代の経験をもとに書いた短編小説集。ジャーナリストたちの日々の小さなすきまにある、挿話というおもむき。編集室のくずかごの周りに落ちた、メモ書きを集めてできたご馳走。冬の夜にぴったし。

『楽園のつくりかた』(笹生陽子 講談社)一流高校、一流大学を経て一流企業に入社することを目標とする男子中学生が、突如家の都合で超過疎地の中学校に転校する話。「人間にとって本当に大切なものは学歴じゃないのね」的な、ありきたりな着地点に誘導されるのかと懸念したが、あからさまでないラスト、ほのかに張り巡らされたミステリアスな仕掛けが楽しめた。最近YA分野では、これまでだと大方揶揄的に書かれていた「典型的に利己主義なヤな主人公」を、批判的でなく上手に書く人が多い。

 《ダメな女》を女性作家が自嘲的に、同朋におもねるように書く…そんな構図が透けて見える小説に辟易することの多い昨今、主人公像の構築が工夫された小説を読みたいものだと思う。角川書店のPR誌で藤堂志津子が連載している『つまらない男に恋をして』…なんて、タイトルを見ただけでもううんざりする。洒落になってないんだもん。ホントにつまらない男にばかり恋をしてしまう、ホントにつまらない女の話なんて読みたくないさ。つまらなくない男に恋をしようよったら!

 

まとまった時間が作れないので、ちょっとした間をみてはW氏の段ボール箱を開け、マンガをあさり読む。

『カンナさーん!』(全3巻 深谷かほる・集英社クイーンズコミックス)オビのあおり「デブでブス。なのにめちゃいい女」の通りの主人公。実は期待してなかったんだけど、おもしろい!ここまで手加減なく「ブス」に描いた主人公を、魅力ある人物として描いたマンガはほかに思い当たらない。ブスを魅力的に描くには当然ながら性格がキーになるわけだが、思い切りのよい主人公の性格をいつも肯定的に描くではないあたり、非常に抑制がきいていると思った。

『ときにはセンチメンタル』『赤い靴』『思い出のオムライス』など、島津郷子の自選短篇集を7冊。いま、『ナースステーション』を連載してる人です。へえー、けっこう短編マンガ家だったんだね。80年代はセブンティーンコミックスあたりを根城にしていたようで、私の視野には入らなかったわけだ。絵がキレイ。話もありきたりにハッピーエンドになる作品は少なく、好感を持つ。しかし主人公に、私の永遠の憧れ、フワフワくせ毛ロングヘアーさんが多いこと・・・。やっぱ少女マンガの基本ですかね。最近はそうでもないけれど。

手元に『GALS!』(藤井みほな・りぼんマスコットコミックス)が返ってきたので、パラパラとばし読み。このマンガ、ほんっとに惜しかったと思う。カリスマギャルで、渋谷の顔である主人公・蘭は何よりも友達を大事にする性格である。蘭の友人・綾はおとなしいけれどカリスマ男子高校生の乙幡を非常に熱く想っている。途中まで、乙幡と蘭は、実は好きあっているようだ…という暗示がちょいちょいでてきており、「さあ、蘭は自分の大事な友達の彼氏とどうやって結びつくのか」と楽しみにしていたのに。作者はひっぱった挙げ句、波乱を起こさずに終わらせてしまった。ばかぁ〜!これは読者に対する裏切りである!!

★12月9日(月)更新★★★★★★★★★★

今週は狂ったように読ませていただきやす!

12月2日(月)

W氏からでっかい段ボール箱が届く。先日、私が返す本&貸す本を詰めて送ったみかん箱だ。中身ぎっしり。夜、さっそく適当にマンガをひっぱり出して読む。『ママの恋人』(陸奥A子・集英社)。短篇集。しかし絵がひどくなったなあ…でも、独特の空気間は健在。『キューティーバディー』(大久保ヒロミ・講談社KCキス)。ときどき妙におもしろい部分があるのに、それが話全体に反映されないのが惜しい!

12月3日(火)

『いちご同盟』(三田誠広・集英社文庫)。小説テクばかりが目についてしまうのはどうしてかなあ…。

12月4日(水)

図書館に行ってハードカバーや事典の資料をめいっぱい借り、さらに本屋に寄ったため、重さで肩がへし折れそう。というのに、タイムサービスに昂揚する夕刻の食品売場の熱気にあおられ、蓮根、タケノコ、豆苗、サラダほうれん草、モロッコいんげん、焼き豚の切り落とし…などを買う。今日はタケノコとピーマンのオイスター炒め、切り干し大根を作ろう。焼き豚とほうれんそうはサラダにしよう。モロッコいんげんは煮物にしたいな。蓮根は赤ピーマンやベーコンと炒めるか、酢蓮根を作り置きするのもいいな。あ、唐辛子が切れてたっけ。豆苗はおひたしもいいし、和え物もいい。のりの佃煮をのばしてタレを作るといいかも…COOK COOK こんにちは。おそまつ。

『おとなは知らない』(シモーナ・ヴィンチ 早川書房)10歳〜14歳くらいの男女が集まって倉庫でオナニーしたりアレコレしたりする話。それがだんだんエスカレートして…。エンターテインメント的な書き方をしてないのが、内容の大胆さとマッチしてないように思えて、ややギクシャクした読みごこち。

『サイテーなあいつ』(花形みつる・講談社)小学校生活がバトルであることをまざまざと浮かび上がらせている名作。バカで、ポヤーンとしてて、いつも鼻くそくっつけてて嫌われてる男の子がとってもよく描かかれている。

『プラムガール』(トレイシー・ポーター ポプラ社)著者は名門バレエスクール卒業の肩書きを持つ。カリスマバレエ教師の一挙一動に、生徒たちがいかに翻弄されるか。いかに無遠慮な言葉で生徒を支配するか…という部分にスポットを当てた作品は珍しい。岡本浜江氏の訳した作品はハズレがないな。キャサリン・パターソンとかね。

12月5日(木)

千葉まで原稿を取りに行く。電車の中で狂ったように読む課題図書。『錨を上げて ぼくらのブラスバンド物語』(藤田のぼる・ぶんけい)さわやかすとーりー。『ぼくと英語とニワトリと』(宮根宏明・PHP研究所)へんてこなタイトルだが、養鶏をやってる家の息子である「ぼく」が中学に入って英語に苦しむ話なので辻褄が合いまくっておる。こう書くとつまらなそうだが、いやはやどーして適度にやんちゃで適度にリアルないい話であった。

帰りに23時までやってる本屋にとびこむ。帰りの電車はコレ、と『カルチュラル・スタディーズ入門』(上野俊哉・毛利嘉孝/ちくま新書)を再読しかけてたのに。フセンもポケットにスタンバっているのに。『グーグーだって猫である』2巻(大島弓子・角川書店)を買っちまったのでこれを優先。大島弓子作品は、古いのほどおもしろいと思えなくて、新しいのほど好きなんである。あと、ようやく『THE 3名様』(石原まこちん・小学館)の1巻を見つけて喜ぶ。 ずっと、いろんな本屋に行くたびにこれを探してたんだよねー。レジ横でPR誌『図書』『波』ゲット。風呂で読もう。今月はPR誌の収穫率高し。風呂で読み、気になる記事や書評・広告を破っては捨てる。

寝る前に『ビタミン』(すえのぶけいこ・講談社KCフレンド)。イジメを乗り越える主人公の話なのですが、この手の作品に珍しく、“途中から理解を示してくれる母”がしらじらしくなくて良かった。かなりクサいとこもあるんだけど、ギリギリで「こんなこともあるかもなあ」と思わせる。現在連載中の『ライフ』といい、がんばってる作家ですね。最近『フレンド』勢いあるな。雑誌の数をしぼってるせいもある?

12月7日(土)

古書店で資料を集めまくる。またもや持てる限界まで買っただよ。おかげで帰りに牛乳買うとき、1リットルのは断念したもの。『フィリピン短編小説珠玉選(1)』(井村文化事業社)を発見。私の好きな『マニラ・光る爪』の著者であるエドガルド・M・レイエスの短編が入ってるので即買い。わーい。

 

★12月2日(月)更新★★★★★★★★★★

今週は資料を読むのに追われてほとんど本が読めなかった。『旅行のススメ』『江戸の遊歩術』『物見遊山の日本人』『江戸の旅』『交通』『おみやげ 贈答と旅の日本文化』『観光の文化史』などなどが積み上がる。流し読みするだけでも相当時間がかかった。それなりにおもしろい本ばかりだったが、どんなに好きな本でも仕事で読んでるのを読書とは思えないのよねー。せめて眠る直前には少しでも、何かに強制されない読書がしたくて、本を選ぶ毎日…。

読みかけの本は『青春の終焉』(三浦雅士・講談社)。470ページ。きれぎれに読むには向かない本なので、何度も同じとこを読んでばかり。先に進まない。

11月24日(日)

さらに仕事にて『おれがあいつであいつがおれで』(山中恒 旺文社)。いやー、山中恒ってすごいね。全然古びないもん。大人になって読んでもあいかわらず痛快な読みごこち。この路線を継承する作家はいないんかい…と心配していたが、花形みつるがそのポジションに入ってくれそうな気がする。

『ピーター・パンとウェンディ』(ジェームズ・バリ 偕成社文庫)完訳版を読んで、初めて知ることがけっこうあった。実はフックは生粋の悪漢というわけではなく、昔は優等生のおぼっちゃまだったとか。育ちがいいので、今も礼儀作法にはすごくこだわるとか。ワニの口ん中落っこって死んじゃう場面でも、いよいよ負けを覚悟した時自分を追いつめるピーター・パンに剣で刺すのではなく、蹴落とすように示唆。ピーター・パンがフックを足蹴にすると「ついに作法にそむきおったわ!」と、紳士らしからぬ戦いをしたピーター・パンをあざ笑いながら落ちていくのです。なんちゅう負け惜しみ…。

 ピーター・パンがウェンディを連れだした目的って、ネヴァーランドの子どもたちのお母さん役になってほしかったからなんだよね。「ぼくたちのお母さんになってください」ってセリフには笑った。子どものころはあまり気にならなかったが、なんだかなあ。ちなみに、ウェンディをさらった海賊(注:いい大人)までもが、「オレたちのお母さんにならないか」と言い出すのには…!

11月25日(月)

『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる・講談社青い鳥文庫)、『長くつ下のピッピ』(リンドグレーン)、『ふたりのロッテ』(ケストナー)、『十五少年漂流記』(ヴェルヌ)ひさびさに再読。もちろん言うことなしの名作。

『ミカ!』(伊藤たかみ・理論社)。やや、オビには「大人も子どもも」の文句が…YA狙いの作品ってことね。花形みつると同じく、文藝賞受賞→児童文学というコースね、伊藤たかみって。ちなみにこの人のデビュー作、『助手席でグルグルダンスをおどって』、当時『文藝』で読んだけどひどかった。題もひどいけど。平中悠一をさらにダメにしたような感じだった。花形みつるのデビュー作『ゴジラの出そうな夕焼けだった』はもとから児童文学ぽくて、なんで文藝賞?と思った記憶が。

『ミカ!』は途中まではまあまあだったけど、12歳の女の子が「女の人っぽくなりたくない」のはなぜかをもっと書きこんでほしかった。これは特別な考えではなく、12歳の女の子の3分の1くらいはこう思ってるだろう。で、個々にその理由は微妙に違うはずだから、そこんとこをもっとくわしく!

 

★12月30日(月)更新★★★★★★★★★★

はー、ついに今年も終わりですなー。なんか、ホッとしてます。年末近くなると世間のテンションが上がって、ちょっとボクちゃん恐いのです。年中平日主義な男なものですから。

アレコレばたばたしておって、読めないなかでもチビチビ読んでおります。一瞬で読んじゃった『菓子祭』(吉行淳之介・角川文庫)は掌編小説集。いわゆる「奇妙な味」もの。作中にエリンの「特別料理」を読む娘が出てきたりもする。いいねー。そんな娘とお友達になりたいわー。そういえば不肖我々のファーストアルバム「sonic comic loc」というタイトルは、とある奇妙な小説に由来するものなのです。たぶん皆知らないかなー。一応そのジャンルの古典です。アオウなら読んでるだろうな。実はSONICともCOMICともLOC(ROCK)ともなんら関係ないのですよ。その小説では「SONIC COMIC LOC」というメモがキーポイントになる謎なのです。これから読む人にネタばらしになってはつまんないので、意味合いだけを説明すれば、読み違えられ見間違われてそれが滑稽で残酷な悲劇を招く、といった感じなのです。当時J-POPとかいう言葉が流行ってて(いまでも使う?)それに対する皮肉な気分でつけたんですね。やっぱりどうしても最初の作品には自身の地金が出てしまうのですね。批評的というか。

ま、来年作る「」と「。」はそこから発展したものになりそうです。興味のある方には是非聴いていただきたい!いやー、きっとすごくいいよ!自信作になりそうな手応えを感じてて、とてもハッピーな今日この頃です。

ずっとダラダラ読んでるのが『北回帰線』(ヘンリー・ミラー・新潮文庫)。とってもグルービーでツルツルー。お正月はこれ持って帰省してきまーす。

★12月23日(月)更新★★★★★★★★★★

「西脇順三郎 変容の伝統」(新倉俊一・花曜社)

たいへん楽しく読んだ。最初に親しんだ詩人であるが、はじめて知ることも多かった。とくに萩原朔太郎との詩論的対立が興味深い。朔太郎はおくれてやってきたロマン主義的抒情詩人。すなわち憧れ、の人。対する西脇は感傷を機知によって防衛するパロディスト。もーぜんぜん真っ向から人間が違うワケである。萩原は西脇を「心に真のポエジイを持たない、遊びのための技芸家、すなわちディレッタント」と手厳しく批判する。そうねえ。確かにそんな気もする。西脇をはじめて読んだ時に感じた欺瞞や後ろめたさは、萩原の言うソレなのかもしれない。しかしそれって当人こそ一番知ってることなのでは?そんなことマトモに突っ込む抒情詩人の単純な物言いが物悲しいなー。

「心に真のポエジイ」はかえって西脇にピッタリな言葉だ。だってはじめてオレ読んだとき、もーワケわかんなかったよ(笑)。今もわかんないけど。心の赴くままメチャクチャ書いてるように思えた。実際は厖大な知識を総動員して引用に次ぐ引用で書いてる。だけどそんなの知らない人にはなんの意味もないもんね。ただ意味不明(笑)。だけどその身勝手さに「自由」や「詩」を感じて好きになったんだね、きっとオレは。西脇は人生まるごと酔っぱらってるかんじがする。権威主義的なものを感じないな。実際どうだったかはしらないけど。そして結果、滑稽に見える。それがサイコー!西脇の詩はなんかオレには子供の悪フザケに見えるんだ。まだ野原があちこちにあった頃の子供の秘密基地みたいだよ。

★12月16日(月)更新★★★★★★★★★★

「聖書101の謎」(小平正寿・新人物往来社)

ちょっとキワモノっぽいタイトルだが、素朴な疑問にわかりやすく誠実に答えてくれる嬉しい本。著者はキリスト者だったと思う。いずれはズバリ聖書を読みたい。つーか読むだろう。

「黒魔術の娘」(アレイスター・クロウリー・創元推理文庫

怪奇短編小説集。著者は有名な黒魔術マスター。海外ミュージシャンにも信奉者は多く、ジェフ・ベックは彼の住んでいた邸を買い取ったほどの入れ込みようだったという。これは創作集だが、他に(というか主に)魔術の理論書を残しており、そちらの方は近いうちに。

「マリオと魔術師」(トマス・マン・角川文庫)

面白い。読み始めは一体どんな話になるのか皆目見当がつかなくてワクワク。読み終えたあともまだマンのつもりはよくわからん。が、いかようにも読める小説である。オレは魔術師チポラの人物背景を想像して楽しんだ。キナくさい現代日本にぴったりの題材かも。翻案して舞台あるいは映画化すればよいと思う。チポラ役はもちろん鳥肌実。マリオはぜひ窪塚で。

映画の話がでたのですこし脱線するが、ひさびさにマジでみたい邦画が出た!「昭和の兄弟すてごろZANGE」!!!!!!!!

梶原一騎の追悼映画で、主演の梶原役を奥田瑛二、弟真樹日佐夫を哀川翔。これだけでもすごいのに真樹日佐夫本人が大山倍達役で出演。スゲー!!他にもジョニー大倉、力也、松方弘樹、赤井英和、内田裕也など物凄いメンバーが総出演。こんな恐ろしい撮影現場で奥田瑛二がどのくらい役者根性を見せてくれるのか、チョー期待!!ていうかこの映画のメイキング3時間版とかやってくれたら1万円払っても見るけどなー。そういう人ぜったい多いと思うけど。オレがプロデューサーなら絶対カメラ回すよな。

「山之口獏詩文集」(山之口獏・講談社学芸文庫)

どうやらまとまったものを読むのは始めてだったようだ。高田渡さんの代表曲のひとつ「生活の柄」は著者の作品に曲をつけたもの。我々のギタリスト、カーダ君もかつて山之口獏の詩に曲をつけてくれた事がある。貧乏暮らしと詩と沖縄を書いたこの詩人の作品のなんといまだに色あせぬことだろう。オレはその一点にマジで吃驚してる。文学的内容ということではなく、おそらく人間の感性としてなのだ。所収の「ダルマ船日記」なんてまるで昨日のことのように読めてしまうのだ。写真を見ると真っ直ぐないい面付きをした人だ。なのだ、が多くてバカボンのパパみたいなのだ。

「対話 快楽の技術」(斎藤綾子/伏見憲明・河出文庫)

ちょっと内容忘れちゃった!早過ぎるなー。あ、ひとつ、思い出した。女の人が男の人に感じる恐怖感に似た体験を男は日常経験しないんだな、とわかったのがタメになりました。オクテな人は読むといいかもよ。

「おとこの味」(マダム鳥尾・サンケイ出版社)

著者は、戦後GHQロビーで「陰の女王」と呼ばれた人。ホント正直なひとだ、とさわりを読んだだけですぐに判った。ホーッと頷けるような話がでてくるといいな。

こんなところで。

★12月9日(月)更新★★★★★★★★★★

「この人はなぜ自分の話ばかりするのか」(ジョーエレン・ディミトリアス/ヴィレッジブックス)

著者はアメリカ人。裁判の陪審員を選ぶときに誰を選べばよいのか、をアドヴァイスする仕事の人。陪審コンサルタントというそうだ。ちょっと面白そうな仕事ですな。競馬の予想屋みたいなもんか。原題が「reading people」。そのままやんけ!しかし期待に反してあまり得るところはなかった。やたらと自分が子供の頃にママに言われた格言みたいなものを引用するのもハラがたつ。

「いいことが言えないなら何も言わないほうがいい」

とか、

「病気になったり、癇癪を起こしたり、ストレスのあるときにどう振る舞うかを見るまでは結婚しちゃダメよ」

とか。実にくだらんね。

今週は忙しい。先週から引き続いて通勤電車でアーヴィングを読んでいる。とっても楽しいよ!

12月2日(月)更新★★★★★★★★★★

「ないとう流」(内藤剛志・ちくま文庫)

えー、オレは普段女性にモテるんだけれども(あくまで主観ね・笑)この人も相当モテるらしい。なんかの雑誌を見てたら「抱かれてみたい中年男子ベスト10」みたいな企画があって、そのなかにほとんど好ましい人物はいなかったんだけど、この内藤剛志だけがちょっと気にかかった。タイプとしてはね・・・けっこう好き(笑)。雰囲気のいいバー、もしくは和食のお店かなんかで二人でお酒なんか飲めたら最高ですね。いろんなオハナシして欲しいー!とオレでも思うくらいだから、きっと女子たちもそうなんだろう。で、読んでみた。内容はほぼ伝記。意外なような、イメージ通りのような、すごくストイックで真面目な人だった。結論的に言えば、オレが女ならつきあわないな、と思った。男としてはすごくマルなんだけど。なんつーの、相当ヒマじゃなかったら男は女の人(というか女の人の恋愛妄想)にかまったり出来ないもんだ、と思う。で、この人はすごく忙しそうだ。すなわちオトコ度チョー高し!やだなー。オレ(女の)は絶対いっぱい一緒に遊んでほしいなー。「ヒポクラテスたち」に出てたんだね。なんとなく思い出した。きっとすごくうまい俳優なんだと思う。完璧に他人を演じられるんじゃないかな。ハーヴェイ・カイテルあたりとイメージかぶるな。

 

「158ポンドの結婚」(ジョン・アーヴィング・新潮文庫)

面白い。まだ途中だけどチョー楽しい!まったく予備知識なしで読んでるんだけど、主人公カップル二組がどうやらスワッピング関係にあるようだ。興味深い題材。主人公でないほうのカップルの不可思議な男が158ポンド。どういう展開をしていくんだろう?読めないなー。読めないものっていいな。

 

「インデヴィジュアル・プロジェクション」(阿部和重・新潮文庫)

かつて途中で投げた本。すごく短いのに。なんかが買いたいときにたまたま50円だったのでまた買っちゃった。ジャケの女の子がボインで可愛い。たぶんそれが理由。前より読めるのは何故?オレの敷居が低くなったのか、それともJ文学に偏見があったのか?もうすぐ前回投げた箇所に辿り着く。今回はどうだろ?バカなことやってるな。

 

「私が愛用する辞書・事典・図鑑」(中沢新一監修・一季出版)

文化人から主婦までが愛用書を紹介している。あまり役にはたたなかったが、辞書読みという人種がいると知って興味が湧いた。こないだふと、いわゆる雑学本(話のネタみたいな)を100冊くらいいっぺんに読んだらどうだろう?と考えた。が、辞書読みもいいかもしれない。最近ボンヤリ考えてる「知識とは何か」という事のヒントになりそうだ。

 

「超20世紀論」(吉本隆明・アスキー)

語り起こしみたいなやさしい本。「女の裸のグラビアを見るように夢中になって読んで欲しい」と思って作ったらしい。いい奴じゃん。理想的な教育(小学5年から中学2年まで)を語ったとこが気に入ったし、その年齢の設定に感心した。この人頭いいな。ばななには素敵なパパがいたんだなー。歯に衣きせぬ人物評もマトを得ている。長生きして欲しい人だと思った。こういう軽い本どんどん書けばいい。こないだいっぱい「吉本」本売っちゃったけど「反核『異』論」また読みたくなった。

 

ほかにもポルノ小説2冊と古今の『悪口』を集めた本を読んだんだけど書名がわからない。

★12月30日(月)更新★★★★★★★★★★

これはレクイエムではない

『「写真時代」の時代!』(飯沢耕太郎、白水社)を読んだ。 わし自身は、この雑誌を手に取ったことすらない。 毎回当時のアイドル(可愛かずみ、倉田まり子、三原順子など)が表紙を飾っていたこともあり、「なんか盗撮・オナニスト・オタク(「オタク」という言葉はまだな かったが)趣味の人などが愛読しておるのであろう」と思って、購入しなかったのだと思う。わしは見栄っ張りのペダンティスト・テイスト愛好者だったので、「GS」な どを読んでいた。しかし、この飯沢氏の本で、当時、偏見ゆえに黙殺していた真相の一部が見えてきた。 アラーキー&スエーの共同作業、「500枚の写真を、巨大なオマンコ拡大写真にぶち込んでいく」という試み「オマンコラージュ」や「東京ラッキーホール」など、荒 木氏の一連の名作を生み出す土壌となった雑誌。 南伸坊氏の、「笑う写真」シリーズを掲載した雑誌。 あの「トマソン」は、『写真時代』の連載から始まったのでもあるし、 ニューアカデミズムの台頭の一翼を担う雑誌でもあったのだ。

とにかく、飯沢氏の言うように、80年代はすべてが幸福で、とにかくなにをやっても面白くなり得る時代だった、と思う。「こんなこと、90年代にはできなかっただろう」というノーテンキなムーヴメントばかりが続いていた。 吉本隆明が「シロートの時代」を説き、坂本龍一はNHKで一般リスナー投稿音源コンクールをやっていた、そしてこの『写真時代』の放つ「たとえマンネリでも、面白ければいい」のパワー。「おにゃんこクラブ」の果てしないド・素人感。お立ち台ディスコの繁栄。 そういえば、初期「我々」も参画していた「どっこい音自慢」は91〜2年ころから始まったインディペンデント・プロジェクトだったが、その下地は80年代の、なんでもありの狂騒の残像にあったと思う。同プロジェクトの首謀者、田口史人氏が活動の拠点としていた「シティーロード」の廃刊は、なによりも80年代的情報提供誌のありかたの終焉であったのではないだろうか。

飯沢氏の90年代のとらえ方は、「バブル崩壊、ソ連の解体とそれに続くナショナリズムの暴発・殺戮の蔓延、湾岸戦争、ひいては阪神大震災、オウム真理教のテロ、ノストラダムス予言の接近、世紀末」などなどと続く負の様相の集積という具合に、とてもペシミスティックである。そしてそれが80年代のサブカル全盛の幸福感との比較の上で得られた認識であることはあきらかだ。もはや、無垢なる創造の時代は去ったのだ(そして、あおうこずえは、「わたしはついにサブカルから自由になった」と 歓喜の宣言をするに至る)。 やはり、あのディケイドはむしろ、数々の廃墟を作り出しただけの、ボーヨーと広がる空虚の堆積の時代でしかなかったと思う。しかし飯沢氏は、そんなことは承知の上でなお、あえてこの著書によって80年代が残し得た「遺産」のかけがえのなさを問 うているのだ。いま、「空虚であり、それに徹することの重要さとはなにか」。無意味である事物が、無意味であるが故に珍重された80年代。そして20年が経過し、21世紀を迎えてしまったわしら人類は、もはや歴史は飽和点に達しており、今後あらたな展開など不可能なのではないかという懼れにおびえ、それに抗するためにかえってなんらかの強烈な「イミ」を希求しはじめているように思えてならん。それが 昨今の「声に出して読む日本語」崇拝であり、アメリカの陥っている「イタチごっこ報復シンドローム」であり、印税製造老人ポール・マッカートニーの来日を過剰にありがたがる風潮であり、フランスならル・ペン氏の大統領候補選出の怪奇となってあらわれておる(例のあげ方の脈絡なさ過ぎにご用心)。

そんなとき、『写真時代』のテッテーした無意味さはほとんど倫理的に輝き始める。そして、あの頃、金科玉条のように人々の間でもてはやされた、浅田彰氏のことば「何ものにも依拠せず、生きていくことはとてもしんどい。でも、僕らは逃げ続けなければいけない。いしいひさいちの「地底人」のように、地下に逃げ込んで「勝手に勝利」するのだ」そーよ、「生き甲斐」なんて、FUCKだわ! もういちど、あのガラクタのようだった無益な自由を、我らに! (たんなるノスタルじじいのたわごと? やけくそ?) しかし、よしもとよしともが89年に描いた、『東京防衛軍』は、80年代ニッポン への断固とした強烈な全否定の作品であることによって、痛快な大傑作となっていたのでもあった・・・。

★12月23日(月)更新★★★★★★★★★★

今週はもう、『日本人の境界』(小熊英二、新曜社)にかかりきり。風呂場でも読んでるんだけど、いかんせん重いのよ、本が。気が付いたんだけど、本の表紙って、まわりが湿っぽいと内側に反って、まわりが乾燥してると外側に反るのね。風呂で読んでるとだからぶよよ〜んと内側にまるまるのです。で、風呂から出て、エアコンのそ ばに置いておくと、もとに戻るのです。でも、風呂で本読むのっていいよね。ついつ い長風呂になるのは当然として、半身浴でたっぷりと発汗することによりヘルシーな 結果をもたらしてくれるんでわないかしら。えー、中間報告です。これも面白い! 例のゴーマニズム・シリーズの『台湾論』なんかと読み比べてみるともっと興味深い。「日本は野蛮なジコチュー人間に支配され ていた台湾に文明と実直さ・献身的奉仕のこころ(=日本精神)をもたらした」とよしりんは信じていたが、小熊氏の著作を読んでいると、「新興国で、西欧レヴェルの戦力もなく、ぬぐいがたい白人へのコンプレックスゆえに、台湾人をむりやりに日本人に同化させることで、道連れを作りたかったのではないか」と考えたくなってくる。「おなじ黄色人種どうしじゃないか〜一緒になってくれよ〜」というかんじ? 

実際、清国からの割譲当初は、「もらっても開発にカネのかかるだけの、イミのない島」でしかなかったのであり、台湾人を「教育」して「文明化」させることなど考えられていなかったそうだ。ただ、最南端に位置するというそのことだけで、列強の攻撃に備えた防波堤として必要とされたのがこの島であった。 まあそれでも、台湾に行くと「日本統治時代は良かった」という老人にはよく出くわす。「わたしは日本の捨て子です。どうして置いていってしまったんでしょう、日本はわたしを」とまで、見ず知らずのわしに言い募る老婆までおったよ、たしかに。 しかし、初期の日本人植民者の行状は目に余る残虐非道なものだったらしいじゃないか。なんか、台湾に渡ってくる日本女の大半は売春婦だったということだそうだがや。 まあ、台湾の悲しすぎる歴史についてはいろいろ語ることもあるけど、それはまた別の機会に。

ああそうだ、いま、同僚の机の上から奪って読んでいる本があった。『味覚極楽』 (子母沢寛、中公文庫)。時は昭和2年。新聞記者時代の子母沢さんは、いろんな人 にメシのハナシを聞いて回り、その語り口をそのまま再現して記事にしていた。その記事に後年高名な作家となった子母沢自身がコメントをする、という趣向の本。「わしは旅行をする時には大てい海苔巻ずしを持って行く。これはたびたびの旅行で、馴れないものをたべてヘドを出したので、こりこりしたからじゃが、わしの食べ物では 第一の贅沢じゃ」と語る増上寺大僧正。「わしは金物で豆腐を切るのは絶対に禁じている。あれは木のしゃもじのようなもので切らなくてはいけない。水へ入れておくのは愚の至りじゃ」あっ、そうなの。そんなら豆腐屋ぁ困っちまうなあー。あと、インド独立の志士、ボースさんのお話もいい。「どうも一口にカレーと言ってもなかなか 面倒なもので、まず第一に大切なのがバタ。・・・わたしもいろいろやってみて、どうも出来合いのバタでは満足できないので、この頃は義理の父(新宿中村屋相馬氏) に、府下千川へ牧場をこしらえて貰って、ここからとる牛乳で自分の思うようなバタをこしらえて、カレーに使っているのです」引用してるだけでキモチがいいわ。戦前の日本語の話し口調はとても楽しい。このボースという人は、独立運動のためにインドを追われイギリスに首を狙われていた。日本に逃げてきたボースさんをかくまったのが、新宿中村屋の主人相馬氏。こうして、中村屋はパンだけでなく、カレーも売るようになった、とのことでございます。

★12月16日(月)更新★★★★★★★★★★

たそがれてナショナリスト

先週はばっくれちゃいました〜。 実は大阪へ行ってました。おのぼりさんである以上、のぼらねばと思って昇った通天 閣。 いや〜キレイになった。ボロボロのエレヴェーターだったのに、ガラス張りのピカピカになっちゃって。 おまけにエレヴェーター・ガールのお姉ちゃん、わしのモロ好み! 超ふつう! 超 一重! 超のっぺり! 着ている制服のダサダサぶり、履いてるスニーカーの汚れ具合とあいまって、わしの目はハート印でキンキラキン。ふくらはぎの無骨な太さまでもが、なぜかしら愛苦しく思えてならない。

しかもこのエレヴェーター・ガール、売店に客がくると、エレヴェーターの操作を放棄し、そそくさと走ってきて金銭を受け取り、包装するのだ。 わしも「大阪プリン」を甘いもの嫌いなのに一個だけ購入し、わざと千円札を出し、 釣り銭をまとめる間を利用して彼女の横顔をジットリと眺めまわした。釣り銭を受け取るときは故意にその手に触れるようにしたのは言うまでもない。 われながら、オヤジらしくなってきたものよのう。 いや〜しかし、実際、関西はいい。こういう昭和テイストのムスメがちゃんと生き 残っているトコロなんだなあ。 おいさんは、嬉しいよ。おいさんは、あゆみたいなメイクの子はキライだよ。

で、ニシオギに戻って、今度は杉並区勤労福祉会館で上映している、山田花子原作 『魂のアソコ』を鑑賞。 主演の女優が、これまたモロわし好み! へんてこな踊りでわしを魅了!  いや〜、ありがたいねえ。 さて、そろそろ本のハナシもせんとな。 今回のわしはすごいぞ。『単一民族神話の起源』(小熊英二、新曜社)を読了したの だ。 読了後、ただちに、同じ著者の『<日本人>の境界』を購入したのだ。

この小熊という人は、本を出すたびにページ数が増えていく。 わしの読んだ『単一民族・・・』は450。購入した『<日本人>の境界』は77 0。 このあいだ刊行された『<民主>と<愛国>』は、たしか900ページほどあったと 思う。 すごいパワーだ。しかも、この900ページは、神田三省堂本店にて、「売れていま す」の札をつけられていた。 わしはこの間、ポルトガルを旅してきた(だいじょぶよ、ちゃんと本のハナシに関係してるから)。そこでわしを待っていたのは、ポルガキどものはやし立てる声だった。「これいあ!  これいあ! これいあ!」なんのことであろうか? そのとき、ふっと、わしは気付いた。「朝鮮人! 朝鮮人! 朝鮮人!」と彼らは連 呼しているのである。 わしは叫んだ「違う! 俺は日本人だ!」(いちおうポル語でね)。 ホント、子どものみなさんには、ぜひこの世から消え去ってほしいものだ。世の東西を問わず。 しかし、ヨーロッパに行くと、時々こういう体験をするよねえ。 だけども、なんで「これいあ」と呼ばれてわしは怒るのか? べつに、いいではないか。 小熊英二氏の本は、わしに問いかけてくる。「日本人であることの定義、それは何か」と。

開国以来、半島の人々も台湾島の人々も琉球列島の人々もすべて、「日本人」に化す べく、日本人は戦闘と殺戮をじゃんじゃんやってきた。戦前の日本では、日本人=混 合民族というのが認識の大勢を占めておった。北は樺太から南はボルネオ、マレーま でみんながみんな日本人であった。学校でもそう教えていた。「わしらは東亜の大軍 団。白人なんかにゃ負けないぞ」それがいくさに破れ、分捕った領土を全部チャラにされ、大帝国たる自信を喪失した途端に、日本人=単一民族という認識に転換し、「天皇は象徴で、わしらはその家族。それだけでいいんじゃ。ちっちゃい島国で、平和に平穏に過ごせさえすれば」ということになってしまった。

で、いま、日本には「日本人」じゃない人がいっぱい来ている。巷では「脱・国家主義」が唱えられており、「日本人なんて概念にとらわれてちゃ、だめよ〜ん」と考え て果敢に行動する者たちが増えている。インターネットで世界をつなぎ、「国際人、いやむしろ地球人なわたしたち」になった気でいる人も増えている。 さて、どうしたものだろう。これから、わしのように子どもを作るのが何よりイヤな人間がはびこって、日本列島に「日本人」がどんどん減っていくのは目に見えてい る。そんなとき、「じゃあ、外国から人間をつれてきて、日本でセックスしてもら い、子どもを増やして労働力の確保、ひいては国力の減退阻止じゃよ」と考える人も おるであろう。わしも、それでいいんじゃないかと、思っていた。 しかしそれでは、帝国主義時代の日本とあんまり変らんのだなあ。 日本人が「単一民族」だ、というのは幻想にすぎないであろう。しかし<あたかも> 単一民族であり、厳然と「日本人」というものが実体としてあるかのように振る舞って、「いいじゃないの。人間はだんだん減っちゃっても。法隆寺とか源氏物語とかお茶碗とかお庭とかは残ってるし。美しい日本は野の花のように、ひっそりとはかなげに・・・それでいいのよ」と頭をたれてフフッと力なく微笑むのもいいかもしれん。 和辻哲郎氏や柳田国男氏は、そのように考えて、戦中戦後を生き延びていた。しかしその背後には、国力の差を思い知らされ、人種差別を被った悲しいヨーロッパ体験があったという。

そう。ヨーロッパへ行くと、なにがなしナショナリストになってしまうのよねえ。 西欧と拮抗しうる領土を獲得するため、あえて日本人概念のワクを無理矢理押し広げやがて自己矛盾に陥るナショナリスト、あるいは「日本」の実体を、たとえどんなに 詭弁を弄しようとも万世一系の流れのなかで探し求めようとするナショナリスト。 小熊氏のこの本は、「混合」「単一」のどちらを唱えているのでもない。ただ、淡々 と、そうした「やがて悲しきナショナリストたち」の栄枯盛衰を列伝風に語るのみである。 西と東の深きはざまで、ただよい続ける宿命の、わしら日本人はよるべなきヴァガボンド。 これもひとつの、ユダヤ的なるものの変種かもしれん。

さて、わしにとって今、もっとも「日本」を感じる分野はなんであろうか。 いうまでもなく、ラーメンである。これだけ味付けのヴァリエイションが豊かに分岐した食文化が世界にあるだろうか。いやない。 今週のお買い物コーナー:『たべみに東京ラーメン』(昭文社), 『クマのプーさん 英国文学の想像力』(安達まみ、光文 社新書)

★12月2日(月)更新★★★★★★★★★★

師走を目前に,ちょっと言いわけ

いま,ニシオギの喫茶店“物豆奇” でポルトガル語のお勉強をしていたの.語学って,アタマの良し悪しに関係ないのねっと,つくづく思ったの.だって,“動詞dizerの接続法三人称は直説法一人称digoの語尾-oをとり,-amに変えることで得られるんだわ”って気付いたからって,ソレがなんになるの.ようするにどれだけ暗記できるかでしょ.どんなにアタマの良い人だって,突然「dizerの三人称(接続法)はナニ?」って訊かれたって,お勉強して暗記してなきゃ分かんないし答えられないんだから.まっ,そういうワケで,いま読んでるのは『初級ブラジル・ポルトガル語』(深沢暁・東洋書店)よっ.

なんで,こんな語学の参考書のハナシなんてしなきゃならないかって…情ないの.今週まだ一冊も読み上げてないの.いちおう,読んでる最中の本だけおしらせしておくと:『単一民族神話の起源』(小熊英二・新曜社).コレは前々回の「お買いものコーナー」で報告したわね.すっごく面白い! だけどこの小熊さんの本って,みんなとっても分厚いのよねー.この『単一民族…』は450ページだけど,こんなの序の口.こないだ出たのなんか書名忘れた(『〈民主〉と〈愛国〉』だったかな?なんか違うかなー)けど,800ページくらいあった気がする.いつかきっと読むわ.1962年生まれだから,ワシとは1つっきゃトシがちがわないのに…しかもいったんカイシャ勤めしてから大学院入り直して執筆活動してるっていう経歴…それにひきかえ,このワシったらって,そういうハナシは涙を喚びおこすからやめましょうね.

はい,明日から奈良〜大阪を流浪してきます.その間に,小熊さんの本は読了すると思うから,そうしたら来週レポートするわね.

あ,『バガボンド』の15巻は読んだっけ.なんか吉川英治の原作からドンドン逸脱してってるなー.だって小次郎が耳の不自由な方として登場してるんだもーん.