BOOK BOOK こんにちは  2003.2月

我々はもしかして東京でいちばん読書量の多いバンドなのでは?

このコーナーは、3人の精鋭が日々読んだ本の感想を書いていくものです。

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       アオウ        コマツ       スヤマ

★2月24日(月)更新★★★★★★★★★★

『2003年プロ野球選手写真名鑑』(日刊スポーツ)スポーツ新聞を買う時はニッカン派というのもあるけど、データが見やすいので毎年ここのを買っている。文庫サイズなので、観戦の時にも持っていけるしね。

毎年しっかり見るのが、今年の「退団選手」のデータページ。在籍年数、ポジション、一軍の通算成績、今後の進路が載っている。もちろん一軍不出場のまま球界を去る人も珍しくない。進路はさまざま。やはり野球に関わっていたい人が多いから、スカウトやスコアラー、球団職員、打撃投手、ブルペン捕手…社会人野球、もちろんメジャー挑戦組も。整体士、一般企業就職、家業を継ぐという人も。今年はプロゴルフ挑戦という人もいました。ドラマを感じるページです。

『不幸論』(中島義道・PHP新書)半分くらいはグチっぽさに辟易、半分くらいは共感。共感したほうの主張は「最近の人々は自分を幸せと思いたがる」という旨。何か思い通りに行かないことがあっても、「まあこれで結果的には良かったんだ」「こうなるようになっていたんだ」と思いたがる人々の自己欺瞞、みみっちさを指摘している。信念を貫けない自分を直視しないため、自分の行動を否定したくないために「実はこれで良かった」と幸せのふりをするわけですね。前向きなんだか後ろ向きなんだか? 共感できないほうの半分は「人間は“死ぬ”限り、完全な幸福はありえない」という主張。あんたね、それを言っちゃあ…。

2月18日(火)

日比谷図書館が容量いっぱいになり、ここの児童書室にあった資料が多摩図書館にそっくり移動したということで、初めてソコに行く。多摩図書館は、立川駅よりバス+徒歩。ちょっと行きにくいな。調べ物にひたすら時間を費やす。でもインターネットで資料のあたりはほぼつけてあったので、ラク。ハイテックな私ver2003。当たり前だけど豊富な資料にうっとり。図書館内の雰囲気も明るいけど落ち着いてて良し。今度読書しに行きたいものです。

2月21日(金)

 処分しようと思っていた本がたまりまくり、その小山が我慢ならんほどうっとうしかったので、デカい袋いっぱいに詰めこんで売りにいく。60冊売った。仕事の資料も含め、20冊買って帰ってきた。マイナス40冊。満足。

『ハチミツとクローバー』4巻(羽海野チカ・集英社クイーンズコミックス)待ってました!『アタックNo.1』3・4巻『坊っちゃんの時代』第5部、これで完結。さあ、そろそろ『日本文壇史』(瀬沼茂樹・講談社文芸文庫)を読むとするか。続きものをまずメチャクチャな順番で読んで、あとで順番通りに読むというとてもめんどくさい形式にハマっているので、ズバリ24巻「明治人・漱石の死」からいこうと思います。

2月23日(日)

書店で小学館のPR誌『本の窓』、草思社の『草思』を入手。『本の窓』の「本の学校」と題した本紹介のコーナーはいつも読みでがある。自社本に限っていないところがいいんだよね。8Pもあり、必ず「読んでみたいな」と思わせる本がいくつか見つかる。

今日も出かける時にずっしり重い『アバラット』(クライヴ・バーカーソニー・マガジンズ)を持っていったのが、いまいち波に乗れない。むむ。

★2月17日(月)更新★★★★★★★★★★

『グラジオラスの耳』(井上荒野・光文社文庫)短篇集。アレよ、最近よくいる“女主人公をドギツくエゲツなく書く女作家”のラインから、さりげなくズレた視点があるのがいい。上記ドギツ派は、ダメ女の一挙一動をキビしくえぐりこんで描く割には「私も主人公と同じダメな女(だったのよ〜過去形)」的なスキをわざわざ用意して読者の教祖になろうというたくらみを感じるが、この人にはそういうやらしさがない。文章におかしみがある。語り口もちょっといいかも? 話はあんまり面白くなかったのに、なんとなく面白かったような気がしてしまう。他作に期待。

因みにこの人、光晴の娘なんである。ばななといい香織といい、今、娘マーケットは大盛況だね! あ、中上紀ってのもいましたね。幸田家ときたら娘どころか孫、曾孫まできちゃってるんですけどさ…。さっ、次にデビューするのはどこのお嬢さんなんだい? そういや週刊新潮で北杜夫の娘がエッセイ書いてるんだけど、これがキビしゅうてなあ…。まあここんとこはOLの与太話をやめて、幼き日の父との思い出エピソードなんか披露しちゃう「ちょっといい話」に方向変換してて、前より少しは読めるんだけども。

荒野氏の本は『父・井上光晴 ひどい感じ』(角川書店)てのを読もうと思ってるんだけどまだ入手してないのです。図書館にあれば借りてすませようかな。

『ジゴロとジゴレット』(モーム・すんごい古い新潮文庫)短篇集。いいね。けっこう晩年の作品を集めたもののようだが、人間の欲望のあり方、そのやっかいさ、その美しさがどの作品にも表れている。

『中野重治は語る』(中野重治・平凡社ライブラリー)文学について語った講演集。以下、1972年に佐多稲子が『樹影』で野間文芸賞を受賞した席での言葉、よりの引用。「『樹影』一篇を、作者はフィーリングなどいう言葉を一つも使わないで書いています。いままでの落ちついた日本語でもって、最も新しい問題を描いている。しかしたった一つ、いままでの日本語にない言葉を、それもたった一回つかっています。佐多稲子の造語であって、他のあらゆることは別として、この一語には私は賛成しないのですが、それがどんな言葉かということはここで申しません。どうか正月の楽しみに、ひとつ探してみてください。」…こう言われたらいやでも探したくなるじゃないか! さっそく本棚から『樹影』(佐多稲子・講談社文芸文庫)を取り出してパラパラやってみたが、こんなんで見つかるわけがない。次は『樹影』を再読するか…。

 今週、両目が疲労性(?)のものもらいになり、あんまり字が読めませんでした。ひどい時は恐竜みたいなまぶたになってて凄かった。最初はてっきり、フィリピンバナナを洗わないで食ったせいで、ばいきんが目に入ったのだと信じていました。おくゆかしくも可愛らしい奥二重は完全に消滅し、なんともこわい目つきになっているのでサングラスをかけて出かけたが、それはそれでまたこわいのであった。爆弾持ってそうで。

 今週は仕事の必要上、苦手なファンタジーを読むことになりそうだなあ。わたしゃ、ハリーポッターにはさわってもいないし、「指輪」も「ナルニア国」も途中で落伍してんだよ。でも、ホラー作家、クライヴ・パーカー『アバラット』(ソニー・マガジンズ)は期待できそう。膨大なカラー挿絵はずべて作者の手によるものらしい。ずっしり豪華な本。帯によるとこれは4部作の第1弾であるらしい。ぶえー、この1冊だけで450ページもあるんだけどねえ。ところで、最近本屋に行くと「ハリー・ポッターの原点」っちゅう帯のかかった本の多さに呆れます。考えることは皆同じ。やがて哀しき便乗商法。もうちょっと気の利いたコピーをつけられないもんかね!?

★2月10日(月)更新★★★★★★★★★★

『隔離 故郷を追われたハンセン病者たち』(徳永進・岩波現代文庫)かつて、その病気と知れれば家中が村八分にあうため、ハンセン病の患者は周囲に知れぬように療養所に入所・・・というより完全隔離されていたわけであります。この本は著者が療養所をたずね、当時の状況を語り聞いたもの。患者の一人称で綴られるスタイルがリアル。で、なかなか一気に読めない。流し読み不可能な本っていいね。

『簡素な生活』(シャルル・ヴァグネル 講談社学芸文庫)『精神や思想、言葉、家庭、教育など日常的なテーマをとり上げて簡素の本質を論じ、人間の永遠の幸福の基礎は心の簡素、生活の簡素にあると説く』(解説より引用)。まさに、今自分が考えているようなことがズラズラ書いてあるので、ページの端を折りながら読んでたのだが、折り目多すぎてわけわかんなくなってしまった!「今更どうにもならぬと思われることを擁護すべく残っているのがあなた一人だとしても、あなたの武器を投げ捨てて敗走者たちといっしょになってはいけません」。ちょっと道徳の教科書チックなのが気になるが、牧師にして教育者だからしょうがないか。

『巨岩と花びら』(舟越保武・ちくま文庫)の中の一編「病醜のダミアン」を読む。ダミアン神父は、ハンセン病者の心を救済するため、患者が隔離されたいる島へ赴いた。そして真に彼らを理解するため、自ら同じ病にかかることを願い、結果その通りになったという。著者は彫刻家。病気で顔が醜く崩れたダミアン神父の写真にひかれて製作した「病醜のダミアン」は、彼が一番気に入っている作品なのだそうだ。この作品は、かつて埼玉(たしか)の美術館(だったかな?)に展示されていたそうだが、ハンセン病患者からの要望により撤去されたらしい。いつか見たいものだが。

『聞き捨てにできない女のせりふ』(伊藤雅子・講談社+α文庫)市井の女性の、日常会話に出てきたはっとさせられる言葉をピックアップし、論じたエッセイ集。「主人が怖いわけではないのよ」「あんな男でもオクサンにはよく見えるのかしら」「男ってすぐ女を指導したがるのね」「すぐ、女は幸せにされてしまうから」「どうしてあんな女に」「でも、そういう男が好きなんでしょ」「えらそうなこと言ってるけど、家の中はきっととりちらかってるのよ」…等々。思ったよりフェミニズム的なタッチではなく好感。ときどき、痛快な一撃があってここちよい。

 曽田正人の新連載が気になり、『月刊少年マガジン』を買ってみた。ぶあつい。月刊少年誌を買うのはひさしぶりだ。新連載『capeta』はレースもの。とはいえ現段階ではまだ主人公がちびっ子じゃ。長い連載になるんだろうなあ。それにしてもこの主人公、眉毛の角度が90度に近づきすぎててコワイ。やんちゃの域を激しく超えて凶相? 構図の迫力、画面の見応えはすごい。それにしても『DEAR BOYS』(八神ひろき)って、まだ連載してたのね。

 連載漫画といえば、『ダ・ヴィンチ』で連載中のバレエ漫画『テレプシコーラ』(山岸涼子)は毎回のことながら…もうもう目が離せにゃ〜い。山岸涼子しぇんしぇい、あんたやっぱしオソロシかお人ぶぁいね! 登場人物になんと過酷な運命を与えるのですか! そしてなんというヒキで終わらせるのですか! 次号休載なんて酷すぎまっす。

 青葉台の本屋で『岩波書店の新刊 2003年2月』をもらい、電車の中でチェック入れ。2003年の岩波文庫リクエスト復刊一覧を見る。気になるのは『神経病時代・若き日』(広津和郎)『花枕』(正岡子規)『ヴァニナ・ヴァニニ』(スタンダール)。ほお、リンドグレーンの『さすらいの孤児ラスムス』が岩波少年文庫で出るんだねー。

 

★2月3日(月)更新★★★★★★★★★★

はあはあ、『きせかえユカちゃん』3巻(東村アキコ・集英社クッキーコミックス)やっと見つかったよ。しかし、このマンガを読むにつけ、いつもどこかでユカちゃんの人のいいねーちゃんの存在が気になって気になってしょうがない。いつもユカのワガママのワリを食いながらも、やさしいねーちゃん。「ねーちゃん、がんばれ!」とエールをおくらずにいられません。はっ、そういえばこの感じって、『テレプシコーラ』(山岸涼子)読んでる時とおなじ。優等生でがんばり屋さんすぎるねーちゃん…でも、なんかに必死に耐えてるらしきねーちゃん…「ねーちゃん、がんばれ!」。これって、やっぱし私のシスコンを表すものなんでしょうかねえ。

『レイモンド・カーヴァー傑作選』(レイモンド・カーヴァー 中公文庫)いわずと知れた村上春樹訳。村上春樹の一挙一動をありがたがっていた十数年前ならいざ知らず、本書をさっとレジに持っていった自分を「?」と思っていたのはわりと最近のこと。先日寝床にゆく時、ふとこれをつかんで蒲団に入った。おもしろかった。

『坊っちゃんの時代』1〜4部(関川夏央・原作 谷口ジロー・漫画 双葉文庫)なんかねー。石川啄木の第3部ばっかり読み返してしまうのよ。ほんと、こんな人が近くにいたら厄介だろうなと思うんだけど、カワイイ。金田一氏になりたい、と思いつつ読むのです。はよ5部も出ないかなー。

『人間の事実 1』(柳田邦男 文春文庫)これは、購入してからずっと、私の部屋の本棚一等地(早く読むべしゾーン)に置かれていた本。2巻組の上巻。内容は、1970年代以降、膨大に生まれた「ノンフィクション」を体系化・総括する内容。これをガイドとして、読み落としてる主要ノンフィクションをチェックしようかな、と。しかし、いきなり「死」「病気」「障害」というテーマから始まったので…濃い、のひとことに尽きる。

『金メダルマン』全4巻(勝木一嘉 てんとう虫コミックス)長年さがしていた本を手にした喜びといったらそりゃあもう…! これは、W氏が「まんだらけ渋谷店で見つけた」と通報をくれ、しかもテリーズのライブに来る時、「買って持ってきてくれる」と申し出てくれたものである。かくして私は、金メダルマンと再会を果たした。価格8400円(税込み)。体操で金メダルをとった男が、先生になったりデカになったりするギャグマンガ。常におのれの筋肉を愛でるとか、もっこりタイトな体操ユニフォームで活躍するとか、意味不明にムーンサルト決めるとか、「メダルじゃなくってこっちの金が輝いとるわ!」とかまあそんな下品なネタ満載のマンガで…絵といいネタといいホントに好きなんだよねえ。

夜、家で声出して笑って読んでました。しあわせ。

★2月24日(月)更新★★★★★★★★★★

『小林秀雄の流儀』(山本七平・新潮文庫)面白かったけど、いろんな意味でよみでがあった!まず「小林秀雄とラスコーリニコフ」あたりからガンガン聖書が出てきてムツカシクなった。三位一体なんつーものはちょっと素人には判らないのであります。でもオレは、読書とは、類推につぐ類推によって構築していくもの、だと思ってるので、とりあえずデタラメによんでしまうのだ。間違っててもいつか判る。以上は読み手(オレ)の教養や体験の問題だけど、「流儀」にでてきた小林と正宗白鳥の論争の箇所が判りにくいのは著者の責任だ。じぶんでも「引用はむずかしい」と言ってるくせに、ものすごく錯綜してて、しかもクドいんだよ引用が(笑)。

 いささかクタビレたが、読み終えて印象に残ったのは何故か小林秀雄のことよりも、著者のマジメな人柄だった。冒頭で著者は、小林秀雄追悼号への原稿をすんなり請けたことを自問自答する。「お前はまさか、それをもう小林秀雄がぜったいに読まないと思って「いいですよ」と言ったのではあるまいな」だって。なんか変な人でしょ(笑)。告白してるのですね。おもしろい人だ。カワイイ。他の著書も読んでみよっと。なんかここんとこ小林秀雄にヒキがある。そろそろ直接「本居宣長」に行こうかな?

『京都人は変わらない』(村田吉弘・光文社新書)おなじ関西人であるオレにもどこかナゾめいて感じられる京都人。そのヒミツが知りたくて読んでみた。著者は高級料理屋のご主人。なかなか興味深かった。文化がかたちとしてまだ残っている土地なんですね。そして、その必然性もある。京都の町をフツーに散歩したくなった。

★2月17日(月)更新★★★★★★★★★★

「小林秀雄とベルクソン「感想」を読む」(山崎行太郎・彩流社)さきに読み始めたのは「小林秀雄の流儀」(山本七平・新潮文庫)の方なのだが、追い越してしまうカタチになった。「流儀」の方は次回ということで、今回はベルクソンである。これまた懐かしい名前!傲慢で不遜な高校生だった頃(今でもそうか!)にチョロッとさわったおぼえがある。直観というものを重んじ、変化および運動こそが実在である、といった内容(たぶん)に、「オレもそう思ってた!」と興奮し、ベルグソンういヤツ、と自分のお気に入りリストに加え、一人悦に入っていたのだ。何かを学ぶ、という姿勢では全くないのである。わからない箇所はすっとばし、とにかく「うん、そうそう!」という所ばかりを探すのだ。そして、気のあう人をみつけては「いい線いってるじゃない」と認めるワケである。気の合う人、とはいっても相手は大哲学者だったりするから若者はオモシロイのである。そしてオレはその頃からあまり変わってはいないなあ・・・。人には成長なぞナイのである。たぶん、状況や自身の生理が変わることによって、それまでのルールを放棄したり、新たなルールに乗っかったりするだけなのだ。ホントかな?ま、いいや。で上記の本だが著者の言いたいことはかいつまんでいうとこうである。巷間言われるマルクス主義の影響よりも、小林は、当時流行っていた量子物理学に受けた思考様式上の影響がデカい。小林はどうやら当時、物理学をよく勉強していた。小林はバカな合理主義者などではなく合理的な人間だったので、科学を学ぶことで、より正確に実在をとらえようとした・・・。「感想」というのは小林が途中で投げてしまったベルグソン論のタイトルである。小林は「書きましたが失敗しました。力尽きてやめてしまった。無学を乗りきることが出来なかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません」と語ったそうだ。この、対談中にもらした感想こそが一番オモシロイと思うが、如何?

「預言者の名前」(島田雅彦・新潮文庫)ラスト近くになって俄然面白くなった。この人はなんだかちょっとイイような気がする。長生きして、いっぱい小説を書いてほしい人だ。男前だし、90くらいまで生きて文壇の長老になるとイイんじゃないかな。そんなモノはもうたぶんないんだろうけど、あえて復活させてほしい。オモシロイと思うなあ。あ、最近の筒井康隆のルックスはすごーく素敵!

「ハサミ男」(殊能将之・講談社文庫)古本で探してたのだが,アオウがくれた。面白かったけどタネはすぐにわかっちゃった。推理小説は大変だなあ。

あ、「ひきこもれ ひとりの時間をもつということ」(吉本隆明・大和書房)も読んだのだった。内容はタイトルと副題そのまま。語り起こしだから、あっ、と思ったら終わってた。三島由紀夫の自決は親の代理死である、というのがちょっと面白いと思った。

以上。

★2月10日(月)更新★★★★★★★★★★

読み終えたのは「男性自身 困った人たち」(山口瞳・新潮文庫)のみ。軽エッセイだが、心がいろんな方向に自由にとんでいく感じを味わえる。最近オレの気分がいいのは山口瞳によるところ大かも。

書くネタがないので、オレの読書生活をすこしばかり。本を買うのは古書店のみ。レコパトと同じですね。セコハン好きです。読みかじり、聴きかじりも一緒だなー。お、そして気づいたことがあります。中古店でしか買わぬ人間は、系統だった読書生活(リスナー生活)が出来ない(やりにくい)ことを運命づけられている!ちょっとオーバーでしたが、その傾向は確かにあります。狙ってまっすぐにある本を求めていく、というような事はあまりない。ほぼ、ない。要するに、たまたま目の前にあった本、たまたま手に触れた本を読んでるだけなんですね。ほとんど偶然みたいなものです。でも偶然に、まったく毛色の違う本と本の間におもわぬ関連をみつけたりするのは楽しい。すごくヘンテコなことを思いついたりするのです。まあ青臭くてヤだけれども、しょうがない。この混乱状態を好む性質は、一生もんかも知れませんからね。

★2月3日(月)更新★★★★★★★★★★

うう、書くべき内容がない・・・。イロイロと読みかじってはいる。しかし、あちらへフラフラ、こちらにでろでろというあり様でいかにも半チク、何の報告もできない今週のオレであります。しかし、それはまた翻って充実の証拠でもあるのです。最近、本を読むのがとみに楽しいの!もうウットリの毎日よ。まさに宝の山に囲まれて暮らしてる感じです。

そんな気分を更に助長するブックガイドを発見。書名もズバリ「必読書150」(太田出版)。選者は柄谷行人、浅田彰、渡部直巳、奥泉光、島田雅彦ら強モテ揃い。かつての教養主義批判をさらにひっくりかえし、現実に立ち向かう為の新たなる「教養」を手に入れようという誘いである。「このリストにある程度の本を読んでいない者はサルである」という惹句にもココロ魅かれた。リストを見る。読了、さらに内容の理解というキビしい関門はさておき、当たった数だけは意外に多いことに「へえー」と自分でビックリした。まあ半分人間、半分猿といったところか。しかし、青春の読書がまったくアテにならぬ事を最近とみに痛感するオレは(あくまでオレね)、読めるのはこれから、美味いのはこれから!と思わずニヤケてしまうのであった。ムフー。

ガラリと変わって映画本。「サイコ・ホラーの系譜」(ぶんか社ムック)をチェック!オレはなんだかとってもすごーくホラー映画ファンでして、しかも頭の調子の良ろしくない方がさしたる理由もなく(もちろん当人には独自の論理がある)人を殺しまくるという内容がいちばんスキなのであります。著者は70年代作品に重きを置いておられるご様子。諸手を挙げてボクチン賛成であります!せめて「ハロウィン」だけでもすべての人類に見て欲しい、と願うのはアホなのでしょうか?あ、しかしこの本には「暗闇にベルが鳴る」が載ってなかったなー。なんでだろ?あれは上物だと思うがなー。

せっかくなのでホラーの話をひとつ。一般に「サイコ・ホラー」の代表として語られるヒチコック作品「サイコ」は実にイヤな(誉め言葉ね!)映画である。どうもこの作品、ノーマン・ベイツばかりが強調されるきらいがあるが、実際に見てみると、ホントの怖さは別の箇所にあるようにオレは思う。

まず映画の冒頭で、主人公らしき女は横領の罪を犯す。みずからハンドルをにぎり車で逃走する女。夜。そして雨。ワイパーの向こうにモーテルの灯しびを見て、疲れきった彼女は一夜の宿を求める。しばしの休息。しかし、たまたま立ち寄った筈の、このモーテルで彼女はすごく大変な事になってしまうのであった。キャー!オレは、この「たまたま」なトコが実にコワイと思う。なんだか「罪の意識」が女をしてベイツモーテル(終着点)にたどり着かせてしまうような印象を受けるのだ。「因果応報」だなんてカンタンに言いたくないなあ。いやー、ニンゲンの潜在意識というものはじつにドス黒く深いモノなんですねー、サイナラ、サイナラ、サイナラ・・・。

 

★2月24日(月)更新★★★★★★★★★★

「我々」の人たちと、別れの挨拶をしたとみせかけて、ハモニカ横丁の飲みカウンターに忍び込んだ。で、原稿を書いている。

腰の調子わるし。で、重い本を持って歩くのが億劫なのである。ああどうしよう。『〈民主〉と〈愛国〉』は部屋に置きざりにして、その日はかねてから再読しようと思っていた文庫本を本棚からおろす。『続・年月のあしおと』(広津和郎・講談社文芸文庫)。広津和郎の昭和文士回想モノはええですよ。ぜひ一読をおすすめします。ナマケモノでありながら高潔であることのできた、明治人紳士のココロイキがここにあるのです…。菊池寛が編集者をなぐったりして楽しいよ。

★2月17日(月)更新★★★★★★★★★★

一気呵成に原稿を書いてしまおうとして今、吉祥寺の老舗カフェ“ボア”に居るのである。とにかく時間がない! これは手書きの原稿なので、あらためて入力しなければならないアオウこずえには大変申し訳ないのである。

 カエターノ・ヴェローゾ特集(『ユリイカ』)を読んでいる。そうか! カエターノは“迷える人”であった。このように大きな音楽的変遷を経た人も、そうはいないのではないでしょうか? そう思ったと同時に、カエターノにとってブラジルとは確信であり迷いもしくは謎であったのではないか、と気付いた。ブラジル音楽にエレクトリック楽器を積極的に導入しながらも、バイーアの民族性にこだわらざるをえない…そのことを、音楽評論家たちは“分裂”と捉えていないようなのだが、ホントのところはどうなのだ?と問い直したくなる。ハチャメチャなサイケデリック・アートで世情をカクランしたカドで当局からニラまれ、ロンドン亡命を余儀なくされながらも、ブラジルへのサウダージを忘れることのできないジルベルト・ジルとカエターノ。この2人のマウス・トゥ・マウスのキスの写真を見たが、もうブッチュ〜と。

我々のライヴでコマツとわたしがディープキッスをしたらこのような写真を撮ってもらえるのだろうか。亡命者/音楽的理解者同士の絆はこの接吻のように固く深い。それは男同士にしかできない特権的なキッスであったろうか。ブラジル音楽のフシギなところは、どんなに先鋭的なサウンドを提示していても、素材は1900年代初頭のサンバだったりすることだ。この二人も、ギトギトのサイケからスタートしたものの、ブラジリアン・トラッドを片時も忘れたことはなかった。

 さて、『〈民主〉と〈愛国〉』途中経過報告です。戦後、〈個人〉の権利回復を唱える旧保守派と、〈民族〉の自決を何よりも優先させようとする共産党系勢力の確執。興味深いのは、新憲法が占領アメリカ軍から“押しつけ”られたとき、コレを受容しようとしたのが吉田首相以下の保守勢力であり、むしろ拒否しようとしたのが革新勢力側であったということ。天皇制の存続と資本主義の擁護、というのが新憲法の二代特徴である、ととらえる以上、そのような反応は当然のことではあった。その一方で、“進歩的知識人”の間でも「天皇制廃止、しかしヒロヒトは敬愛に価する」という認識はひろく共有されていた。

…さらに胸を打たれてしまう事実は、「戦争および軍部の圧政に屈せざるをえなかったことへの“悔恨”が、戦後における出版物への大衆の広範な渇望の源泉となっていたこと。なかんずく、高度な政治・社会論説を扱った書物であるにも関わらず、徹夜で行列してまでそれを購おうとする大衆の群れ」…この、“悔恨”ゆえに“知識”と“知的展望”を求めようとした、というくだり。“そうかあの、当時の報道写真でよく見るあの本屋の前の行列は、そういうことだったのか…”。ワシはココロをふるわせた。

★2月10日(月)更新★★★★★★★★★★

 みなさま,いかがお過ごしですか. 今朝(6日)は札幌の麺工房「西山ラーメン」の麺を自家製スープに浸して食いまし た. 札幌の麺は硬いね.いいね. 相変わらず読書は風呂です. 『<民主>と<愛国>』です. これは重い.腹筋が鍛えられる感じだ. 浴槽に落っことさないように腕に満身の力をこめて本を支える. こりゃあ,春が来てしまうな.読み終わる頃には. 900ページ中,70ページ読みました.戦争中に,いかに戦後思想生成の端緒が準備されたか. それは学徒動員によって知識人層が軍隊経験の過酷さにもまれにもまれた結果だと. で,まず登場するのが丸山真男先生だ.

 戦前は当時のはやりの風潮にのって,「反近代・個人主義的国家主義糾弾」の論調を とっていた真男先生だが,29歳,帝大助教授のときに動員され二等兵になった.こ こで先生は目覚める.「日本人,ぜんぜん近代の手前じゃん.なんだこの軍隊っての は.てめえのことしか考えてねえ,私利私欲の獣同然だ.「近代の超克」どころじゃ ねえや.オイラは復員して,日本人に「個人」の重要さを問いなおしちゃうぜえ.それには,共産主義じゃあ,ダメなんだ.さあー,いっちょ日本近代の仕切り直しとくらあ」と叫んで復員した. ま,まだぜんぜんプロローグなんだけど.手始めはこんな感じでした.

 真男先生の本は,高校のときに課題図書だったなあー. 岩波新書の『日本の思想』ね.「日本の思想界は相互交流のないタコツボ式」っていうアレね. 「おめえ,最近何読んでん?」と塾の教師がわしに訊くので,この書名をあげたら, 「あー,オレも学生んとき読んだ読んだ」とニヤニヤしていた. みんなも読もうね. 来週は,どのくらい読めるかなー. いま,勤め先の仕事がたてこんでて・・・.昼飯時に読めんのよー. しかも今日はどぶろくVISIONSで使うパーカッション買い出しで,休み時間つぶれた し.ユリイカの,「特集 カエターノ・ヴェローゾ」が読みたいなあ.れろれろれん.

★2月3日(月)更新★★★★★★★★★★

わがヒーロー、小熊英二氏の「<日本人>の境界」読了。すかさず同氏の「民主」と「愛国」を読み始めました。900ページ、気合い高まるボリュームです。

”俺のコドモのころは食いものなくてなあ・・・””血のメーデーの時は日比谷で逃げまわってなあ・・・””国会議事堂で何万人デモしたって安保は通っちまうんだよ”などと昔語りをする父親のことを考えながら読んでいこうと思ってます。大健や江藤淳と同世代の者たちのことを。